論 説
Ⅰ はじめに
刑事裁判は「疑わしきは被告人の利益に」という法諺を「鉄則」とする。だから、刑事裁判における「罪となるべ
き事実」の証明に関し、日本では、「通常人であれば誰でも疑いをさしはさまない程度に真実らしいとの確信を得」
ることができる程度の証明が要請されるし(最判昭和二三・八・五刑集二・九・一一二三)、アメリカでも、「合理的
疑いを超える証明」が必要だとされる 1。どちらも、ほぼ同じ意味であり、「被告人は犯人である」と推論する過程に「合
理的疑い」がある場合、それを無視して、被告人を処罰しえないことを示す。このことは、少なくとも一般論として、
いかなる裁判官も、異議をはさまないだろう。しかし、具体的・個別的ケースで、個々の判決がこの鉄則を充足して
いるのか否かを検証すれば、この「鉄則」に対して、多くの裁判官の意識が驚くほど低いことは誰の目にもあきらか
になる。
事実認定における可能的推論の正当化根拠について
森尾 亮吉弘光男宗岡嗣郎 ―みどり荘事件と恵庭OL殺人事件との比較―
事実認定における可能的推論の正当化根拠について(森尾・吉弘・宗岡)
もちろん、個々の判決を素材に、この問題を考察するためには、「疑わしきは被告人の利益に」という鉄則を実務
に即して具体化した下位基準を知る必要がある。そこで、この種の下位基準を提示した最高裁判決をみると、有罪判
決には、被告人の有罪性が否定されるような「反対事実の存在可能性を許さないほどの確実性」が必要だとして、原
審の有罪判決を破棄し、被告人を無罪とした長坂町放火事件の有名な判決がある(最判昭和四八・一二・一三判時
七二五・一〇四
-以下「昭和四八年判決」と記す)。ここでは、有罪を基礎づける直接的な物証がないケースでも、
「被告人は犯人である」と推論しうる間接事実を総合的に判断して有罪とすることは可能だとした原審の論理に対し、
「被告人は犯人でない」と推論しうるような「反対事実の存在可能性を許さない」ところまで立証して、初めて「合
理的疑いを超える証明」が認められるとした。
昭和四八年判決が提示した下位基準は、「被告人は犯人である」と推論しうる有罪の根拠となる事実を認定するだ
けでは足りず、その反対の推論も成り立つような「反対事実の存在可能性を許さない」こと、つまり「被告人は犯人
でない」と推論しうる根拠となる事実が「ない」ことまで要求する点、かなり厳格な証明を求めるものであった。し
かし、この厳格な下位基準が提示された後も、判例の主潮流は、それ以前の判例と変わることなく、「被告人は犯人
である」と推論しうる事実の総合的な判断から有罪を認定していた。
典型的な判決を挙げれば、昭和五〇年、遠藤事件という「ひき逃げ」事件があり 2、裁判では、被告人の運転して
いた普通貨物自動車が被害者をひき殺した「轢過車両」か否かが争われた。新潟地裁は、事故現場を通過した各車
両と被告人車両との位置・時差関係を示す諸事実から、被告人車両が轢過車両である可能性を認定し、その可能性
判断の上に、被告人車両の右後輪タイヤの側面に付着していた大きな血痕様付着物に、被害者と同じ「O型の人血」
と認められた血痕があったこと、および、そこに被害者と同じ血液型の二本の毛髪様のものが含まれていたことか
論 説
ら、被告人車両が轢過車両であると断定し、業務上過失致死罪の成立を認め、東京高裁もそれを承認した。あきら
かに「被告人は犯人である」と推論しうる事実からのみ有罪を認定している。これに対して、一・二審と同じ証拠
を前提としつつ、最高裁は、まず、鑑定の対象となった血液がピコグラム(一兆分の一グラム)単位のごく微量な血
液であることを指摘しつつ、「肉眼で血痕のように見えた右後輪付着物の大部分は人血以外の物質であり、鑑定の時
点では新開発の顕微沈降反応法以外の検査法では検出されえないほどの極めて微量の人血が非常に薄まった状態で右
付着物に含まれていること」を示しただけであると指摘し、次に、毛髪に関して、それは「人のどの部分の毛であ
るか、自然脱毛かどうか、これらが同一人に由来するのかどうか、人の性別・年齢などについての判定はできない
し、被害者の毛髪であるとして矛盾はないが断定はできない」ので、これだけの事実から、「被告人車が轢過車両で
あると断定することについては合理的な疑いが残る」として、被告人を無罪とした(最判平成一・四・二一判時
一三一九・三九)。この最高裁の論理では、胸部から頭部にかけて轢過されている死体の状況からみて、ピコグラム
単位の極めて微量な血痕があったという事実も、同一人に由来するかが不明の毛髪様のもの二本が付着していたとい
う事実も、いずれも被告人車両が礫過車両でないという反対事実になる可能性を許容しているように思われる。この
ように見れば、遠藤事件の最高裁判決は、昭和四八年判決と連続する論理で、被告人を無罪としたことがわかる。
ところで、この最高裁の無罪判決をうけて、国賠訴訟が提起されたが、東京地裁は、国賠法上の違法があるために
は、「著しく不合理な事実認定、すなわち、普通の裁判官の少なくとも四分の三以上の裁判官が合理的に判断すれば、
当時の証拠資料・情況の下では到底そのような事実認定をしなかった」場合に認められるとし、遠藤事件一・二審判
決につき、国賠法上の違法性を否定し、賠償請求を棄却した。また、東京高裁も地裁判決を支持し、控訴を棄却し
た 3。これは何を意味しているのだろうか。遠藤国賠訴訟は、遠藤事件の刑事一・二審判決が、ごく普通の裁判官が
事実認定における可能的推論の正当化根拠について(森尾・吉弘・宗岡)
ごく普通におこなっている事実認定の範囲内だと認めたということである。昭和四八年判決が示した下位基準では、
「被告人は犯人である」との推論が「反対事実の存在可能性を許さないほどの確実性」をもたなければならなかった
のだが、遠藤事件の刑事一・二審判決のように、そのような検証をせずに、単に「被告人は犯人である」と推論しう
る事実を総合して有罪を認定することが「普通の裁判官」の「普通の事実認定」だと認めたのである。
遠藤事件の国賠訴訟判決が示すとおり、昭和四八年判決の基準は、ごく普通の裁判官のごく普通の事実認定に対し
て、ほとんど何の影響をも与えていない。残念ながら、そのことは明白である。国賠訴訟は、民事裁判官が担当する
が、刑事裁判官の意識実態も変わらないだろう。そこで、過酸化アセトン(TATP)爆発事件において、昭和四八
年判決を修正する形で、最高裁は新たな下位基準を提示した(最決平成一九・一〇・一六刑集六一・七・六七七
-以
下「平成一九年決定」と記す)。つまり、有罪の認定のためには「反対事実が存在する疑いを全く残さない場合に限
定されるものではなく、抽象的な可能性としては反対事実が存在する疑いをいれる余地があっても、健全な社会常識
に照らして、その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には、有罪認定」は可能である、と。あきらかに、
遠藤国賠判決の意味での、ごく普通の裁判官によるごく普通の事実認定の実態に合わせて、昭和四八年判決が示した
基準を緩和化する修正であった。しかし、この平成一九年決定の修正基準に対して、大阪母子殺害事件の上告審判決
において、再び、最高裁は厳格な基準に回帰すべきことを示した(最判平成二二・四・二七刑集六四・三・二三三
-
以下「平成二二年判決」と記す)。平成二二年判決は、証明すべき犯罪事実の中に、「被告人が犯人であることを前提
とすれば矛盾なく説明できる事実関係」だけではなく、「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することが
できない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれている」ことを要求して、原審の死刑
判決を破棄し大阪地裁に差戻した 4。
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きわめてわずかな判例を概観しただけだが、戦後判例の主流は、「被告人は犯人である」と推論しうる有罪の根拠
となる事実の吟味に片寄り、「被告人は犯人でない」と推論しうる無罪の根拠となる反対事実の「存在可能性」につ
いて充分な検証を欠いていた。そのため、犯罪と被告人を結びつける客観的な物証がないケースでも、物証がある
ケースと同様、高い有罪率を示している。物証のあるケースとないケースについて、現行刑訴法下の有罪率と旧刑訴
法下の有罪率とを比べても、おそらく有罪率は下降していないだろう。
しかし、旧刑訴法から現行刑訴法に変わった直後、戒能通孝は次のように語った。旧刑訴法では、自白が証拠の王
であり、物的証拠は補充的なものでしかなかったが、現行刑訴法では、検察官は物的証拠の収集に努力しなければな
らず、現行刑訴法の下では、「物的証拠が手に入らない場合には、起訴と同時に無罪を予期しなければならないこと
も起こるであろう」 5、と。戒能は、犯罪と被告人を結びつける物的証拠がないケースであれば、「犯人と断定するには
合理的な疑いが残る」ことが多くなるはずだから、無罪判決が増えると考えていた。これは、新憲法の人権規定をベー
スとした現行刑訴法の素直な解釈として、常識的な認識であった。ところが、現行刑訴法の下でも、直接的な物的証
拠がないケースにおいて、無罪判決が飛躍的に増えたということにはならなかった。
現行刑訴法下の刑事裁判実務は戒能の予測を裏切った 6。しかし、昭和四八年判決が当時の実務に大きな影響を与え
なかったように、平成二二年判決もまた現在の実務に影響を与えないというのであれば、わが国の刑事司法に「まと
もな未来」はないだろう。最近の主要な再審無罪事件をみても、たとえば、足利事件や東電OL殺人事件 7、大阪での 少女強姦事件 8、東住吉事件(大阪地判平成二八・八・一〇判時二三二四・一)など、単に「被告人は犯人である」
と推論しうる事実の総合から有罪を認定する杜撰な事実認定による「無辜の処罰」という最悪の現実が暴露されて
いる。今こそ、刑事訴訟実務の中に、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が確立されなければなら
事実認定における可能的推論の正当化根拠について(森尾・吉弘・宗岡)
ない。そのため、次章(Ⅱ)で、「みどり荘事件」の一・二審判決を検証し、犯罪と被告人を結びつける客観的な物
証がないケースでは、裁判官の独善的にして杜撰な事実認定が誤判に直結していることを論証する。それを確認した
上で、次々章(Ⅲ)において、「恵庭OL殺人事件」を取り上げ、被告人の有罪を認定した各審級の各判決は、昭和
四八年判決や平成二二年判決と調和せず、平成一九年決定を基準としても、「無辜の処罰」という最悪の現実が深刻
に疑われるべきケースだということを考えてみたい。そして、最後(Ⅳ)に、みどり荘事件や恵庭OL殺人事件での
考察を踏まえて、事実認定における可能的推論の正当化根拠について、若干の問題を提起しよう。
Ⅱ みどり荘事件一 ・ 二審判決の問題点
一 みどり荘事件の事実関係 みどり荘事件は、大分県立芸術短期大学グランドの北側にあったアパート「みどり荘」の二階二〇三号室におい
て、同大学二年の姉と同居する同大学一年の女子学生が強姦され殺害された事件である。まず、一審判決の認定から
(大分地判平成一・三・九
-未公刊のため、以下、「一審判決」と表示し判決書のB四版での丁数を記す)、事件が
発生した当時の客観的な事実関係と犯行現場の状況を概観しておこう。
事件が発生したのは昭和五六年六月二七日深夜であった。現場となったみどり荘二〇三号室の北側隣室二〇五号室 に住むY 1子によれば、午後一一時四〇分ころ、うとうとして眠り込んでしまったところ、「きゃー」とか「誰か助け
て」という女性の悲鳴で目を覚ました。どこかに痴漢が入ったと思い、自室を出て隣の二〇三号室をノックしたとこ
ろ、中から女性の悲鳴が聞こえてきた。痴漢は二〇三号室だったと悟り、恐ろしくなって、自室のベッドで布団を被っ
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た。それから少しして、「落ち着いて普通に話す」声が聞こえてきたので、「ほっとして」布団に戻った。ところが、
次に、人が暴れ回ってぶつかっているような音が聞こえてきた。「どすんどすん」という音とともに、「神様お許しく
ださい」という泣き叫ぶような声が一〇回位聞こえてきたと供述している。Y 1子は、恐怖から実家に帰ろうとし、「木
製の下駄を履き、鉄の階段を急ぎ足で降りたので、かんかんという音」をさせながら、芸短大前の公衆電話から実家
に電話し、午前零時四〇分ころ、タクシーに乗った(一審判決一四丁以下)。また、被告人Kの居室を挟んだ南隣に
ある二〇一号室のY 2子は、「アパートのどこかの部屋からどたんばたんという誰かが誰かを追い掛けている感じの音
やばたんという人が倒されたような音がきこえてきた」と供述し、また、「どうして、どうして」という「なんとな
く苦しそうな、助けを求める感じの女性の声がした」と供述している(一審判決一六丁)。
みどり荘の一階でも、Kの部屋の真下の一〇二号室にいたY 3子は、「大きい足音と小さい足音で男が女を追い掛け
回している感じの音」を聞いており、その音は三〇分位続いたが、突然止んだ。「全く音が聞こえなくなって二〇分
位経ってから、二〇二号室からと思ったが、風呂場で二、三回ばしゃというマットの上に水が落ちる音」がしたと供
述している(一審判決一七丁以下)。また、一〇一号室のY 4子は、午後一一時四五分ころ就寝し、「うつらうつら」し
ながら「どたんばたんという音」を聞いたが、そのまま寝ていたと供述している。
みどり荘の近辺でも、東隣に住むY 5子は、みどり荘から、女のすすり泣くような、哀願するような話声が聞こえ、
その中に「どうして」とか「教えて」という言葉があり、その後、「二階からどたんばたんという音が途切れ途切れ
に二、三回聞こえた」と供述し、Y 1子の下駄が「かんかんという音」を出していたことまで聞いている(一審判決 二〇丁以下)。最後に、南隣のY 6も、「午後一一時五〇分から零時ころまで」の間、「みどり荘の方から、何か罵るよ
うな、あるいは非難するような女性の声」が聞こえ、その十数分後、「みどり荘の階段を小走りに降りるかんかんと
事実認定における可能的推論の正当化根拠について(森尾・吉弘・宗岡)
いう足音」を聞いたと供述している(一審判決二一丁以下)。
現場である二〇三号室の状況も見ておこう。まず、奥の六畳間では、三個並べたカラーボックス上のステレオプレ
イヤーの位置が大きくずれ、鉛筆立てが畳の上に落ちて倒れ、電気こたつの付近には、「陰部にあたる部分付近が著
しく汚れたパンティが裏返しに置かれ、また、粘液状のものが畳に付着していた」(一審判決一一丁以下)。この「粘
液状のもの」は、被害者の唾液の中に、犯人のものと想定される血液が含まれたものであった。次に、台所の中央付
近に、被害者が、身体をやや斜めに向けて、仰向けの状態で倒れ、死亡していた。上半身はTシャツを着ていたが、
腹部のやや上まで捲れた状態であり、下半身は下着類を全く着用しておらず、頸部にはズボン(帰宅まで着用してい
たオーバーオール)が「一回強く巻き付けられて」おり、そこに付着していた陰毛の血液型はO型であった。そして、
被害者には、扼痕・絞痕といった頸部の損傷の外、頭頂部、左側頭部、顔面左側に軽度の打撲傷、四肢に軽度の打撲
傷と擦過傷等があった。また、被害者の陰毛に付着していた精液の血液型はB型、被害者の膣液に混じった精液はB
型またはAB型と推定される。なお、被害者の血液型はA型であり、被害当時、生理中であった(一審判決一二丁以
下)。
事件発生直後、二八日午前一時ころ、現場に到着した大分県警W巡査は、みどり荘東側の空き地を捜索していた
時、会社の同僚B子と同棲していたKにより、その自室である二〇二号室から、「何をしよるか」と声をかけられ、
二〇二号室でKから事情を聴取した。Kは事件につき「寝ていて何も覚えていない」と答えている。W巡査と話した
後、Kは二〇一号室のY 2子と「この騒動につき一言二言話をし、その後、近くの公衆電話からB子の実家に電話をか
け」ている。Kは、その後、同県警警部補Tから、任意同行を求められ、午前四時三〇分ころから六時三〇分ころま
で、大分警察署で事情を聴取された。その後も、Kは任意捜査に協力し、六月三〇日には、ポリグラフ検査を受けた
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り、頭毛を任意提出しており、七月一一日には、左手甲の傷の写真撮影に応じ、また下着等を任意提出し、九月一四
日には身体検査令状により陰毛を採取されている。そして、昭和五六年一二月下旬から昭和五七年一月初旬にかけ、
大分県警が科学警察研究所に嘱託していた鑑定書が警察に戻り、Kの陰毛あるいは頭毛と現場で採取された陰毛一本
と頭毛一本が「同一人に由来すると推定された」旨の鑑定結果を得て、昭和五七年一月一四日午後、Kは逮捕された。
なおKの血液型はB型であった。
二 有罪認定へと導く論理
-「ストーリー」の追認過程 逮捕後、Kは、「ほとんど下をむいたまま無言で、時々返事をする程度で終始し」ていたが、一八日朝、「母に会わ
せてほしい」と声を出して泣き始めた。主任捜査官T警部補はKに対し「わかった。上司に相談して至急会えるよう
にしてあげよう。だから記憶にあることを全部話しなさい。どこから入ったのか」と訊問したところ、Kは「二〇三
号室の表玄関ドアから出たことは覚えている」と供述し、「詳しいことは母と会ってから話したい旨申し述べ、それ
以上の供述には至らなかった」(一審判決四七丁以下)。そして、母親らと接見した直後のTらの取調べの中で、Kは
不利益供述をした。「事件後気がついたら、二〇三号室の板の間に立っており、足元に被害者が倒れていたこと、そ
の後、自室に戻り、風呂場で顔や足を洗った状態」等を供述している(一審判決四八丁)。しかし、動機をはじめ、
肝心の強姦行為や殺害行為について、まったく触れられていない点、「きわめて異様な」(控訴審弁論要旨二一二以下)
供述であった 9。 Kは、科警研の毛髪鑑定結果などと共に、この「不利益供述」を決定的な証拠として、同年三月一五日、強姦致死・
殺人の罪で起訴された。公訴事実をみると、Kは、「昭和五六年六月二七日午後一一時三〇分ころから翌二八日午前
事実認定における可能的推論の正当化根拠について(森尾・吉弘・宗岡)
零時四五分ころまでの間に、隣室の二〇三号室において、同室に居住している被害者(当時一八年)を強いて姦淫し
ようと決意し、同女の顔面を殴打し、両手で同女の頸部を締めるなどしてその反抗を抑圧し、強いて同女を姦淫する
とともに、殺意をもって同女のズボンで同女の頸部を締めつけ、同女を絞殺により窒息死させて殺害した」という内
容であった。一審判決は、犯行時刻を「同日午後一一時四〇分ころから翌二八日午前零時三〇分」と変更したが、基
本的には公訴事実をそのまま「罪となるべき事実」として認定し(一審判決二丁)、Kを無期懲役とした。
判決の個別的な論点は後述し、ここでは、一審が示した有罪認定の論理を大略的に振り返っておこう。まず、一
審判決は、「被告人の捜査段階における供述調書が証拠として採用できるとしても、犯行状況について供述している
ものではないので、被告人の右供述も含め慎重に判断する必要がある」(一審判決二四丁)と述べ、頭から供述調書
を信頼して、調書の内容に即して有罪判決を導くわけではないと宣言している。そして、実際、B四版に換算して
一五二枚にもなる大部の判決書の中で、その大部分が事実認定の検討に使われている。一見、きわめて慎重な姿勢を
示してはいるが、判決書を一読すれば、検察官の主張に即した認定を重ね、最終的に「本件犯行の犯人は被告人であ
り、別異の犯人の存在を疑う余地がない」(一審判決一四八丁)と断定した。いずれの争点でも、客観的にみて、検
察官の描いた「ストーリー」が追認されていっただけである。すなわち、被告人Kは「鍵をかけないままにしていた
玄関ドアから二〇三号室に侵入し、悲鳴をあげながら抵抗する被害者に対して強烈な暴行を加えてその反抗を抑圧し
たうえ被害者を姦淫した後、……顔見知りの自己の犯行であることが露見すること等を恐れて殺意を抱き、手及び被
害者のズボンでその頸部を締め付けるなどして殺害し、玄関ドアから出て自宅に戻り、風呂場で汚れた陰茎や手足、
顔などを洗」(一審判決一四九丁)ったのである、と。
しかし、ここには、現実に二〇三号室で行われた強姦行為や殺害行為と被告人とを結び付ける客観的な事実は何も