保健学研 究
韓国晋州保健大学 との学術交流報告
一韓国を訪問 して‑
田代 隆良
1・花 田 裕子
1・野村亜 由美
1保健学研 究 1 9( 1 ) :5 5 ‑ 6 8,2 0 0 6
は じめに
韓 国の晋州保健大学 と本学 の学術 交流 は 1 9 9 5 年 に始 ま る.当時 の長崎大学医療技術短期大学部 ( 横 山哲夫学長) と晋州看護保健専 門大学 ( 鄭宗権学長) は ,1 9 9 5 年 6 月 2 日に教育研 究協力 に関す る協 定 を締結 し,同年 ,韓 国 学生が来 日,翌年 ,本学学生が訪韓 した.教員 の共 同研 究 も行 われ, これ まで 5 編 の論 文発 表
15)が行 われてい る.両大学 の改組 に伴 い ,2 0 0 2 年 9 月 1 1日,新 た に長崎 大学 ( 池 田高 良学長) と晋州保健大学 ( 鄭宗権学長) と の学術交流協 定が結 ばれ ,2 0 02 年 7 月 に晋州保健 大学看 護 学科 の学生 1 7 名 と教 員 2 人が来 日 した
6).翌年 は本 学 が訪韓 す る予定 であ ったが, テ ロや SARS 問題 のため延 期 されていた.
訪韓準備
2 0 0 4 年 7 月,韓 国晋州保健大学 の径路赫先生 に連絡 を とる. しか し晋州保健大学 は既 に夏休 み ( 6 月下旬 〜 8 月下旬 ) にはい ってお り,その年 の訪韓 は無理 とい うこ とであ った.そ こで 2 0 0 5 年 の訪韓 にむけて検討 した.本 学 の夏休 みは 8 月, 9 月なので,両大学 とも夏休 み期 間 に訪韓す る とすれば 8 月がいいか と思 われ たが ,2 0 0 2 年 に来 日 した韓 国学 生 の ホー ムス テ イ を引 き受 け た学 年 ( 当時 1年生 ) の都 合 を優先 し ,2 0 0 5 年 7 月 7 日 〜1 0 日 に 3 泊 4 日で訪韓す る予定 に した.
2 0 0 5 年 4 月,保健 学科学生 に対 し訪韓希望者 を募集 , 最終 的に看護学専攻 の 4 年生 1 1人 (うち 4 人 は 2 0 0 2 年 の ホス ト学生) と 2 年生 3 人が訪韓 を希望 した.共 同研 究 について協議 す るため看護学専攻 の教員 3 人が 同行 す る こ とになった.旅行 の手配 は 日本旅行社 に依頼 .長崎 一 福 岡往復 は専用バ ス,福 岡 一釜 山往復 はジェ ッ トフ ォイ ル 「ビー トル 」 と した ( 費用 は一 人 3 2 , 6 0 0 円) .釜 山か ら晋州,そ して韓国内での移動 はすべ て晋州保健 大学が 専用バス を出 して くれ るこ とになった. また,在韓 中, 学生 はホームステイ,教 員 はホテルに宿泊す るこ とに し た.
ホ ームステイ と訪韓 中の 日程
韓 国 を訪問 した学生 と晋州保健大学 のホス ト学生 は表 1の とお りであ る.学生 はホス ト学生 の家 に 3 日間ホ‑
表 1.韓 国 を訪 問 した学生 とホス ト学生
訪 問学生 ホス ト学生
浅 田 祥子 浅野 佳奈 井手志穂美 出田 順子 岩隈 三秒 大脇真 由美 窪 田其梨子 中村真紀子 央 島 尚子 山口 美咲 山口 祐美 井上 美和 田中 友紀 成沢 優子
金 O o E o l
石 正賞 李 王 民玲 李 静 蘭 朴 愛羅 朴 慧林 李 知咲 金 叫己 t
河 美貞 河 知延
金
苑
金 照永 河 明姫 安 賢貞
Ki n Yang‑ 1 Se okJung」l n Le eMュ n‑ young Le eJung‑ r an Par kAe r a Par kHae ‑ 1 i m Le eLi ‑ young Ki n Mi ‑ r i HaMi ‑ j ung HaJi ‑ yon Ki n Wo n Ki n He e ‑ yo ung HaMe ng‑ hi AnHyun‑ J ung
ムステ イ した.訪韓 中の 日程 は,すべ て晋州保健 大学側 が計画 して くれた ( 表 2).
1 日目
7 月 7 日 ( 木)早朝 6 : 3 0 に大学病 院前 に集合 .専用 バ ス にて博 多 に向か う.博多港 か ら約 3 時 間, ジェ ッ ト
フ ォイル 「ビー トル」 の快適 な船旅 を楽 しみ ,1 2:55 釜 山港 に着 く.釜 山港 には晋州保健大学 国際観光科 の径路 赫先生 と国際交流担 当の程仁植 さんが迎 えに来 て くれて いた.釜 山市 内で昼食後 ,専用バスで晋州へ .バ スの 中 で学生 は今夜歌 う予定 のボアの 曲を皆 で練習 .
1 6:0 0 晋 州保健 大 学着 .晋州保健 大 学 は夏休み中にも 関わらず,多数の学生達が出迎 えて くれた.歓迎式では, 鄭宗権 学 長のご挨 拶があ り,訪 問団 を代 表 して, 田代 が 韓 国語 で挨拶 した ( 前 日,挨拶 文 を図書室 の坪 井 さんに 韓 国語 に訳 してもらい, IC レコーダーに録音 .長崎 を出 てか らずっと録音 を聞いてやっと覚 えた). 日韓 の学生 達 もそれぞれ相 手 国の言葉 で短 い挨拶 を した後 , 自国語 で 自己紹介 した.通訳 は篠路赫先生が して くれた ( 写真 1).
歓迎式 の後 ,鄭宗権学長 自ら大学 内の施設 を案 内 して くれた.歓迎晩餐 会で は学生 たちは,練習 して きたボア の 「 No.1 」 ほか を歌 った.次 に韓 国の学生が歌 い,最 後 は両 国の学生が一緒 に歌 い,楽 し く和 やか な晩餐会 で
1 長崎大学大学 院医歯薬学総合研 究科保健学専攻看護学講座
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保健学研 究
韓国晋州保健大学 との学術交流報告
一韓国を訪問 して‑
田代 隆良
1・花 田 裕子
1・野村亜 由美
1保健学研 究 1 9( 1 ) :5 5 ‑ 6 8,2 0 0 6
は じめに
韓 国の晋州保健大学 と本学 の学術 交流 は 1 9 9 5 年 に始 ま る.当時 の長崎大学医療技術短期大学部 ( 横 山哲夫学長) と晋州看護保健専 門大学 ( 鄭宗権学長) は ,1 9 9 5 年 6 月 2 日に教育研 究協力 に関す る協 定 を締結 し,同年 ,韓 国 学生が来 日,翌年 ,本学学生が訪韓 した.教員 の共 同研 究 も行 われ, これ まで 5 編 の論 文発 表
15)が行 われてい る.両大学 の改組 に伴 い ,2 0 0 2 年 9 月 1 1日,新 た に長崎 大学 ( 池 田高 良学長) と晋州保健大学 ( 鄭宗権学長) と の学術交流協 定が結 ばれ ,2 0 02 年 7 月 に晋州保健 大学看 護 学科 の学生 1 7 名 と教 員 2 人が来 日 した
6).翌年 は本 学 が訪韓 す る予定 であ ったが, テ ロや SARS 問題 のため延 期 されていた.
訪韓準備
2 0 0 4 年 7 月,韓 国晋州保健大学 の径路赫先生 に連絡 を とる. しか し晋州保健大学 は既 に夏休 み ( 6 月下旬 〜 8 月下旬 ) にはい ってお り,その年 の訪韓 は無理 とい うこ とであ った.そ こで 2 0 0 5 年 の訪韓 にむけて検討 した.本 学 の夏休 みは 8 月, 9 月なので,両大学 とも夏休 み期 間 に訪韓す る とすれば 8 月がいいか と思 われ たが ,2 0 0 2 年 に来 日 した韓 国学 生 の ホー ムス テ イ を引 き受 け た学 年 ( 当時 1年生 ) の都 合 を優先 し ,2 0 0 5 年 7 月 7 日 〜1 0 日 に 3 泊 4 日で訪韓す る予定 に した.
2 0 0 5 年 4 月,保健 学科学生 に対 し訪韓希望者 を募集 , 最終 的に看護学専攻 の 4 年生 1 1人 (うち 4 人 は 2 0 0 2 年 の ホス ト学生) と 2 年生 3 人が訪韓 を希望 した.共 同研 究 について協議 す るため看護学専攻 の教員 3 人が 同行 す る こ とになった.旅行 の手配 は 日本旅行社 に依頼 .長崎 一 福 岡往復 は専用バ ス,福 岡 一釜 山往復 はジェ ッ トフ ォイ ル 「ビー トル 」 と した ( 費用 は一 人 3 2 , 6 0 0 円) .釜 山か ら晋州,そ して韓国内での移動 はすべ て晋州保健 大学が 専用バス を出 して くれ るこ とになった. また,在韓 中, 学生 はホームステイ,教 員 はホテルに宿泊す るこ とに し た.
ホ ームステイ と訪韓 中の 日程
韓 国 を訪問 した学生 と晋州保健大学 のホス ト学生 は表 1の とお りであ る.学生 はホス ト学生 の家 に 3 日間ホ‑
表 1.韓 国 を訪 問 した学生 とホス ト学生
訪 問学生 ホス ト学生
浅 田 祥子 浅野 佳奈 井手志穂美 出田 順子 岩隈 三秒 大脇真 由美 窪 田其梨子 中村真紀子 央 島 尚子 山口 美咲 山口 祐美 井上 美和 田中 友紀 成沢 優子
金 O o E o l
石 正賞 李 王 民玲 李 静 蘭 朴 愛羅 朴 慧林 李 知咲 金 叫己 t
河 美貞 河 知延
金
苑
金 照永 河 明姫 安 賢貞
Ki n Yang‑ 1 Se okJung」l n Le eMュ n‑ young Le eJung‑ r an Par kAe r a Par kHae ‑ 1 i m Le eLi ‑ young Ki n Mi ‑ r i HaMi ‑ j ung HaJi ‑ yon Ki n Wo n Ki n He e ‑ yo ung HaMe ng‑ hi AnHyun‑ J ung
ムステ イ した.訪韓 中の 日程 は,すべ て晋州保健 大学側 が計画 して くれた ( 表 2).
1 日目
7 月 7 日 ( 木)早朝 6 : 3 0 に大学病 院前 に集合 .専用 バ ス にて博 多 に向か う.博多港 か ら約 3 時 間, ジェ ッ ト
フ ォイル 「ビー トル」 の快適 な船旅 を楽 しみ ,1 2:55 釜 山港 に着 く.釜 山港 には晋州保健大学 国際観光科 の径路 赫先生 と国際交流担 当の程仁植 さんが迎 えに来 て くれて いた.釜 山市 内で昼食後 ,専用バスで晋州へ .バ スの 中 で学生 は今夜歌 う予定 のボアの 曲を皆 で練習 .
1 6:0 0 晋 州保健 大 学着 .晋州保健 大 学 は夏休み中にも 関わらず,多数の学生達が出迎 えて くれた.歓迎式では, 鄭宗権 学 長のご挨 拶があ り,訪 問団 を代 表 して, 田代 が 韓 国語 で挨拶 した ( 前 日,挨拶 文 を図書室 の坪 井 さんに 韓 国語 に訳 してもらい, IC レコーダーに録音 .長崎 を出 てか らずっと録音 を聞いてやっと覚 えた). 日韓 の学生 達 もそれぞれ相 手 国の言葉 で短 い挨拶 を した後 , 自国語 で 自己紹介 した.通訳 は篠路赫先生が して くれた ( 写真 1).
歓迎式 の後 ,鄭宗権学長 自ら大学 内の施設 を案 内 して くれた.歓迎晩餐 会で は学生 たちは,練習 して きたボア の 「 No.1 」 ほか を歌 った.次 に韓 国の学生が歌 い,最 後 は両 国の学生が一緒 に歌 い,楽 し く和 やか な晩餐会 で
1 長崎大学大学 院医歯薬学総合研 究科保健学専攻看護学講座
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報
あった.晩餐会終了後解散 となったが,学生 たちは仲 の よいグループで さらに夜 の街 に出かけ, シ ョッピング, カフェ, カラオケな どを楽 しんだ ようである.
表 2. 韓国訪 問 日程
日 時
内容
7月7
日
6 :30長崎発 ( 専用バス)
9 :00博多着
10:00
博多港発 ( ビー ト
ル105便)
12:55釜山港着 ( 釜山にて昼食)
14:00専用バスで晋州へ
( 木)
116:008:20晋州保健大学着 歓迎式,自己紹介 大学施設見学
歓迎晩餐会 ( 甲乙ガーデン)
20:00解散 ( 各自ホームステイ宅へ)
7
月 ( 金)
8日
9 :40大学集合
10:00晋州市庁訪問
ll:00晋州城 .博物館見学
12:30昼食
14:00
慶尚大学病院見学
15:30
常楽院 ( 老人保健施設)見学
16:30
17:30
晋陽湖見学 ( 学生),研究 ミ‑ティン グ ( 教員)
解散 ( 自由時間,ホームステイ)
7月9
日
19 :000:30大学集合
順天へ移動 ( 専用バス) 楽安邑城見学
( 土)
113:005:00昼食
晋州へ移動 ( 専用バス) 解散 ( 自由時間,ホームステイ)
7
月1
(日 )0日
8 :00大学集合後,釜山‑ ( 専用バス)
9 :3012:00
釜山観光 ( 竜頭山公園,ジヤガルチ市
場 など)昼食
13:00ショッピング
15:45
釜山港発 ( ビー トル
201便)
18:40博多港着
18:50
専用バスで長崎へ ( 金立にて夕食)
写真 1 .韓国晋州保健大学訪問記念写真
月⊇L」
2日目
7 月8 日 ( 金) は 9:40 にホス ト学生 と一緒 に大学集 令 .全員で晋州市庁 を訪 問 した.市庁 にて市 の観光 ビデ オを見 た後 ,晋州市の特産 品 コーナーで シ ョッピングを した.晋州 はシル クが特産 品で, シル クのス カーフや ネ クタイなどを買 っていた.学生たちは一 日です っか り仲 良 くな り,ホス ト学生 は日本 の学生 にぴた りと寄 り添い, 付 きっ きりで案内 して くれた.
その後,晋州城へ. ここは 1 6 世紀 ,壬辰倭乱 ( 文禄 ・ 慶長 の役)で 日本軍 ( 豊 臣軍) との壮絶 な戟いがあった
ところで, 7 万人の朝鮮人が戦死 した とい う. この時 日 本軍 の大将 を道連 れに投 身 した女性論介 ( ノ ンゲ) は韓 国の英雄であ り,晋州市 のキ ャラクター となっている.
つづ いて訪 れた晋州博物館 は壬辰倭乱専 門の博物館 で, 壬辰倭乱 に関す る資料が展示 され, 日本軍 を撃退す るア ニメが放映 されていた.学生 たちは, 日本が朝鮮 に侵攻 した歴史的事実 を初めて実感 し, とまどった ようであ っ たが,韓国の学生 たちはたい して気 にとめていない様子 で,仲 良 くアニメを見 ていた.
ホス ト学生 は全員看護学科 の学生 だが, この 日は国際 観光科 で 日本語 を学 んでいる学生数名 も来て くれた. 冒 本人の大野恵先生が 日本語 を教 えてお られるが, 日本人 と話すのは初めて とい うことで,学生たちははにかみ な が らも日本語で 自己紹介 し,皆で歓迎 の歌 を歌 って くれ た.
午後か らは,晋州保健大学 の看護学生が実習 を行 って いる慶 尚大学病 院 を見学 した.慶 尚大学病院はベ ッ ド数 約 6 5 0 床 の総合病 院で,病室 は 日本 とあ ま り変 わ らない ようであったが,最上 階 に健康診断 ( 人 間 ドック)のた めの フロアがあ った. ここのス タ ッフのユニ フォームは 白衣 ではな く,ホテルの ような清潔 な雰囲気 であった.
その後 ,常楽院 とい う老人保健施設 を見学.韓国の人 もカラオケが大好 きとみ えて,次 々 と歌 ってお られた.
学生 たちは最初静かに聴 いていたが,歌 っていた方か ら リクエス トされ,今度 は日韓学生 たちの大合唱 となった.
教員 はここで学生 と別 れ,晋州保健大学看護学科 の先 生たち と共同研究に関する ミーティングを行 った ( 後述).
3 日目
7 月 9 日 ( 土) は,仝羅南道順天市 の楽安 邑城 ( ナガ ヌプソン)民俗村 を訪 れた. ここは 1 4 世紀 に築かれた城 壁 に囲 まれた村 で,村全体が史跡 に指定 されてお り,朝 鮮王朝 時代 の城や客舎 ,藁葺 きを含 む家屋が保存 されて いる.城壁 は 日本 の海賊 ( 倭売)か ら,村 を守 るために 築かれ た とい う.今 も 1 00 世帯 ほ どが実際 に生活 してお り, ドラマ 「 宮廷女官 チ ャングムの誓い」 の ロケ も行 わ れたそ うだ. この 日はあいに くの曇 り空で,雨が降 った りやんだ りだったので,早めに晋州‑戻 って 1 5 時頃解散 . 学生 たちは晋州市 内にシ ョッピングに出かけた.
4 日目
7 月 1 0 日 (冒), い よい よ最終 日であ る.学生 たちは
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報 告
あ った.晩餐会終 了後解散 となったが,学生 たちは仲 の よい グルー プで さ らに夜 の街 に出か け, シ ョッピング, カフェ, カラオケな どを楽 しんだ ようであ る.
表 2.韓 国訪 問 日程
日 時 内
容7 月 7日 6:3 0 長崎発 ( 専用バス) 9:0 0 博多着
1 0:0 0 博多港発 ( ビー トル1 0 5 億) 1 2:5 5 釜山港着 ( 釜山にて昼食) 1 4:0 0 専用バスで晋州へ
( 木) 1 1 6:0 8:2 0 0 晋州保健大学者 歓迎式,自己紹介 大学施設見学
歓迎晩餐会 ( 甲乙ガーデン) 2 0:0 0 解散 ( 各 自ホームステイ宅へ)
7 月 ( 金) 8日 9:4 0 大学集合 1 0:0 0 晋州市庁訪問
ll:
0 0 晋州城 一博物館見学 昼食 慶尚大学病院見学 1 2:3 0
1 4:0 0
1 5:3 0 常楽院 ( 老人保健施設)見学
1 6:3 0
1 7:3 0 晋陽湖見学 ( 学生),研究 ミ‑ティン グ ( 教員)
解散 ( 自由時間,ホームステイ)
7 月 9日 1 9:0 0:3 0 0 大学集合
順天へ移動 ( 専用バス) 楽安邑城見学
( 土) 1 1 5:0 3:0 0 0 昼食
晋州へ移動 ( 専用バス) 解散 ( 自由時間,ホームステイ)
7 月 (日) 1 0 日 8:0 0 大学集合後,釜山‑ ( 専用バス) 9:30
1 2:0 0 釜山観光 ( 竜頭山公園,ジヤガルチ市 場など)
昼食
1 3:0 0 ショッピング
1 5:45 釜山港発 ( ビー トル2 0 1 便) 1 8:4 0 博多港着
1 8:5 0 専用バスで長崎へ ( 金立にて夕食)
写 真 1 .韓 国晋州保健大学訪 問記念写真
2 日目
7 月8 日 ( 金 ) は 9: 40 にホス ト学生 と一緒 に大学集 令 .全員で晋州市庁 を訪 問 した.市庁 にて市 の観光 ビデ オ を見 た後 ,晋州市 の特産 品 コーナーで シ ョッピング を した.晋州 はシル クが特産 品で, シル クのス カー フや ネ クタイな どを買 っていた.学生 たちは一 日です っか り仲 良 くな り,ホス ト学生 は 日本 の学生 にぴた りと寄 り添い, 付 きっ き りで案内 して くれた.
その後,晋州城へ . ここは1 6 世紀 ,壬辰倭乱 ( 文禄 ・ 慶長 の役 ) で 日本 軍 ( 豊 臣軍 ) との壮絶 な戦 いがあ った
ところで ,7 万人 の朝鮮 人が戦死 した とい う. この時 日 本軍 の大将 を道連 れに投 身 した女性論介 ( ノ ンゲ) は韓 国の英雄 であ り,晋州市 のキ ャラク ター となってい る.
つづ いて訪 れた晋州博物館 は壬辰倭乱専 門の博物館 で, 壬辰倭乱 に関す る資料 が展示 され, 日本 軍 を撃退す るア ニメが放映 されていた.学生 たちは, 日本が朝鮮 に侵攻
した歴 史的事実 を初 めて実感 し, とまどった ようであ っ たが ,韓 国の学生 たちはたい して気 に とめてい ない様子 で,仲 良 くアニ メ を見 ていた.
ホス ト学生 は全 員看護学科 の学生 だが , この 日は国際 観光科 で 日本語 を学 んでいる学生数名 も来て くれた. 日 本 人の大野恵先生が 日本語 を教 えてお られ るが , 日本 人
と話す のは初 めて とい うことで,学生 たちははにかみ な が らも日本語 で 自己紹介 し,皆で歓迎 の歌 を歌 って くれ た.
午後 か らは,晋州保健大学 の看護学生が実習 を行 って いる慶 尚大学病 院 を見学 した.慶 尚大学病 院 はベ ッ ド数 約650 床 の総合 病 院で,病室 は 日本 とあ ま り変 わ らない ようであったが,最上 階 に健康診 断 ( 人 間 ドック)の た めの フロアがあ った. ここのス タ ッフのユニ フ ォームは 白衣 ではな く,ホテルの ような清 潔 な雰囲気 で あった.
その後 ,常楽院 とい う老 人保健施設 を見学.韓 国の人 もカラオケが大好 きとみ えて,次 々 と歌 ってお られた.
学生 たちは最初静 か に聴 いていたが,歌 ってい た方か ら リクエス トされ,今度 は 日韓学生 たちの大合唱 となった.
教 員 はこ こで学生 と別 れ,晋州保健大学看護学科 の先 生たち と共同研究 に関す る ミーテ ィングを行 った ( 後述).
3 日目
7 月9 日 ( 土) は,仝羅南道順 天市 の楽安 邑城 ( ナ ガ ヌプ ソン)民俗相 を訪 れた. ここは1 4 世紀 に築 かれた城 壁 に囲 まれ た村 で,村全体 が史跡 に指定 されてお り,朝 鮮王朝 時代 の城 や客舎 ,藁葺 きを含 む家屋 が保存 され て い る.城壁 は 日本 の海賊 ( 倭売)か ら,村 を守 るため に 築か れ た とい う.今 も1 00世帯 ほ どが実際 に生活 してお り, ドラマ 「 宮廷女官 チ ャングムの誓 い」 の ロケ も行 わ れたそ うだ. この 日はあい に くの曇 り空で,雨が降 った りや んだ りだったので,早め に晋州‑戻 って1 5 時 頃解散 . 学生 たちは晋州市 内にシ ョッピングに出か けた.
4 日目
7 月 1 0 日 (日), い よい よ最終 日であ る.学生 た ちは
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ホス ト学生 とともに8 :0 0に大学 に集合 .教職員 の方 も 見送 りに来て くれた.韓 国の人 たち と別れ を惜 しみ,バ ス に乗 ったが,ホス ト学生 はほ とん どが釜 山 までついて きて くれた.釜 山で竜頭 山公 園, ジヤガルチ市場 な どを 観光 し,最後 の シ ョッピングを楽 しんだ.釜 山港 で別れ る時,学生 たちは抱 き合 い,涙 を流す もの もいて,感動 的であ った.
学術交流
1 .教員 の共 同研究
長崎大学か らは 6 つの共 同研 究希望 ( 表 3 )があ り, 訪韓前 に研究計画書 を晋州保健大学看護学科‑提 出 した.
2日目の午後か ら,滞在先 のホテルで晋州保健大学看護 学科 の先生 と協議 を行 った.晋州保健大 学 の先 生 は,
「ター ミナル期 の看護」 と 「 児童虐待」 の研 究 に強 い関 心があ り,人工関節 に関す る研 究 を行 っている先生が現 在 はいない とい うことであった.今後 の共 同研究の可能 性があるテーマ として 「ター ミナル期 の患者 の家族‑ の ケア 」 「 児童虐待 と看護」 を中心 にデ ィス カ ッシ ョンを 行 った.韓国語一 日本語通訳 と専 門分野 に関 しては,つ たない英語でのデ ィス カ ッシ ョンであ ったが,児童虐待 に関 しては,韓 国は取 り組みが遅 れているが潜在 的な虐 待被害児童 は多 くいる との ことであった.韓 国には, 冒 本 の児童 セ ンターや児童相談所 に該当す る機 関が ない と 聞 き,驚 きと共 に家族観 や ジェ ンダーな ど文化差 の影響 もあることが理解で き,有意義 な時間 となった. ター ミ ナル期の看護 に も強い関心 を示 されて,特 に家族へ のケ アの必要性 についてデ ィス カ ッシ ョンを行 った.韓 国で は家族 の幹が非常 に強 く,入院中 も家族 の付 き添いが 慣 例 となってい る との ことであった. しか し,高齢化 や核 家族化 は 日本 同様 に進 んでいるため家族 の負担が大 きい ことも問題 となって きている とい うことであった. 日本 と韓 国の宗教 ・文化 の違 い もあ り, ター ミナル期 の看護 で重要なス ピリチュアルなケアに今後取 り組 んでみたい とい う共通認識 をもっ ことがで きた.帰国後 ,共 同研究 のデ ィス カ ッシ ョンに参加 していた小児看護学の助教授 よ り,本学小児看護学 の宮下教授 の研 究 テーマ について
』二 l 二 1
問い合 わせがあ り,宮下教授 との連絡調整 を 3 度行 った.
今 回は,研 究テーマ にはあが ってい なか ったが,大学 病 院見学で,ヘルス プロモー シ ョン部 門での看護 の役割 やケア環境 ,病棟 の病床数 に対す る看護 師数がか な り少 な く,看護基準の 日本 との較差 に少 なか らず驚か された.
看護師のメンタルヘルスやス トレスに関する国際研究テー マ として興味深いのではないだろ うか.
2.学生の卒業研 究
本学 の学生が卒業研究 のテーマに希望 していた 「日韓 看護学生の死生観 の比較」 は鄭宗権学長の承認が得 られ, ア ンケー トの韓 国語訳 を国際観光科 の雀路赫先生,韓 国 学生 に対す るア ンケー ト調査 を看護学科長の自明和先生 が担当 して くれることとなった.
後 日,韓 国の看護学生 1 91 人か らア ンケー ト調査 の回 答が得 られ,研究結果 は平成1 7 年度卒業研 究論文集 にま
とめ,その後 ,保健学研究 に投稿 した
7.8).3. 韓 国か らの調査協力依頼
国際観光科 の径路赫先生か ら 「日本 ・韓国 ・中国の生 活基礎漢字の規範化」 に関するアンケー ト調査依頼があっ た.帰 国後,長崎大学医学部 の保健学科 と医学科 の学生 約5 0 0人 にア ンケー ト調査 を実施 し, 回収 した調査票 を 径路赫先生 に送 った.
韓国の食文化
野村亜由美 1. 食 は百薬 の長
韓国 に到着 して最初 に頂 いたのが,サムゲ ダン ( 参鶏 港)で した.一人用 の釜 に若鶏が丸 々一匹.若鶏のお腹 の中には炊 いた もち米や高麗人参,ナツメ,ニ ンニ ク, 栗が入 ってい ます.本場 で初 めて頂 く韓 国料理 に どう手 をつければよいのか考 えている と,ホス トの先生が 「 混 ぜ て くだ さい」 とひ と言.混ぜ る ?と疑問 に思いなが ら, お箸 で若鶏 を突 くと身が ほろほろ とほ ぐれ,良い感 じに スープ と混 ざ り合 い ま した.
もともと韓 国は 日本 と同 じ 「 発酵」 の文化 を持 ってい
表 3. 長崎大学か らの共同研 究希望 テーマ
研 究 テ ー マ 担当研究者
1.がん性痔痛 に関する看護師の知識の現況 ‑日本 と韓 国の比較 ‑ 安藤 ( 成人看護学)
2.がん性痔痛マネジメン トに対す る看護師の意識調査 ‑日本 と韓国の比較 ‑安藤 ( 成人看護学)
3.ター ミナル期のがん患者の家族 のニー ド‑韓国 と日本の比較郡司 ( 成人看護学)
4.大腿骨頚部骨折患者 をもつ家族への退院後の支援 に関す る日韓の比較調査岡田 ( 成人看護学)
5.児童虐待 とケアに関す る国際調査 花 田 ( 精神看護学)
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報
ホス ト学生 とともに8 :0 0に大学 に集合 .教職員 の方 も 見送 りに来て くれた.韓 国の人 たち と別れ を惜 しみ,バ ス に乗 ったが,ホス ト学生 はほ とん どが釜 山 までついて きて くれた.釜 山で竜頭 山公 園, ジヤガルチ市場 な どを 観光 し,最後 の シ ョッピングを楽 しんだ.釜 山港 で別れ る時,学生 たちは抱 き合 い,涙 を流す もの もいて,感動 的であ った.
学術交流
1 .教員 の共 同研究
長崎大学か らは 6 つの共 同研 究希望 ( 表 3 )があ り, 訪韓前 に研究計画書 を晋州保健大学看護学科‑提 出 した.
2日目の午後か ら,滞在先 のホテルで晋州保健大学看護 学科 の先生 と協議 を行 った.晋州保健大 学 の先 生 は,
「ター ミナル期 の看護」 と 「 児童虐待」 の研 究 に強 い関 心があ り,人工関節 に関す る研 究 を行 っている先生が現 在 はいない とい うことであった.今後 の共 同研究の可能 性があるテーマ として 「ター ミナル期 の患者 の家族‑ の ケア 」 「 児童虐待 と看護」 を中心 にデ ィス カ ッシ ョンを 行 った.韓国語一 日本語通訳 と専 門分野 に関 しては,つ たない英語でのデ ィス カ ッシ ョンであ ったが,児童虐待 に関 しては,韓 国は取 り組みが遅 れているが潜在 的な虐 待被害児童 は多 くいる との ことであった.韓 国には, 冒 本 の児童 セ ンターや児童相談所 に該当す る機 関が ない と 聞 き,驚 きと共 に家族観 や ジェ ンダーな ど文化差 の影響 もあることが理解で き,有意義 な時間 となった. ター ミ ナル期の看護 に も強い関心 を示 されて,特 に家族へ のケ アの必要性 についてデ ィス カ ッシ ョンを行 った.韓 国で は家族 の幹が非常 に強 く,入院中 も家族 の付 き添いが 慣 例 となってい る との ことであった. しか し,高齢化 や核 家族化 は 日本 同様 に進 んでいるため家族 の負担が大 きい ことも問題 となって きている とい うことであった. 日本 と韓 国の宗教 ・文化 の違 い もあ り, ター ミナル期 の看護 で重要なス ピリチュアルなケアに今後取 り組 んでみたい とい う共通認識 をもっ ことがで きた.帰国後 ,共 同研究 のデ ィス カ ッシ ョンに参加 していた小児看護学の助教授 よ り,本学小児看護学 の宮下教授 の研 究 テーマ について
』二 l 二 1
問い合 わせがあ り,宮下教授 との連絡調整 を 3 度行 った.
今 回は,研 究テーマ にはあが ってい なか ったが,大学 病 院見学で,ヘルス プロモー シ ョン部 門での看護 の役割 やケア環境 ,病棟 の病床数 に対す る看護 師数がか な り少 な く,看護基準の 日本 との較差 に少 なか らず驚か された.
看護師のメンタルヘルスやス トレスに関する国際研究テー マ として興味深いのではないだろ うか.
2.学生の卒業研 究
本学 の学生が卒業研究 のテーマに希望 していた 「日韓 看護学生の死生観 の比較」 は鄭宗権学長の承認が得 られ, ア ンケー トの韓 国語訳 を国際観光科 の雀路赫先生,韓 国 学生 に対す るア ンケー ト調査 を看護学科長の自明和先生 が担当 して くれることとなった.
後 日,韓 国の看護学生 1 91 人か らア ンケー ト調査 の回 答が得 られ,研究結果 は平成1 7 年度卒業研 究論文集 にま
とめ,その後 ,保健学研究 に投稿 した
7.8).3. 韓 国か らの調査協力依頼
国際観光科 の径路赫先生か ら 「日本 ・韓国 ・中国の生 活基礎漢字の規範化」 に関するアンケー ト調査依頼があっ た.帰 国後,長崎大学医学部 の保健学科 と医学科 の学生 約5 0 0人 にア ンケー ト調査 を実施 し, 回収 した調査票 を 径路赫先生 に送 った.
韓国の食文化
野村亜由美 1. 食 は百薬 の長
韓国 に到着 して最初 に頂 いたのが,サムゲ ダン ( 参鶏 港)で した.一人用 の釜 に若鶏が丸 々一匹.若鶏のお腹 の中には炊 いた もち米や高麗人参,ナツメ,ニ ンニ ク, 栗が入 ってい ます.本場 で初 めて頂 く韓 国料理 に どう手 をつければよいのか考 えている と,ホス トの先生が 「 混 ぜ て くだ さい」 とひ と言.混ぜ る ?と疑問 に思いなが ら, お箸 で若鶏 を突 くと身が ほろほろ とほ ぐれ,良い感 じに スープ と混 ざ り合 い ま した.
もともと韓 国は 日本 と同 じ 「 発酵」 の文化 を持 ってい
表 3. 長崎大学か らの共同研 究希望 テーマ
研 究 テ ー マ 担当研究者
1.がん性痔痛 に関する看護師の知識の現況 ‑日本 と韓 国の比較 ‑ 安藤 ( 成人看護学)
2.がん性痔痛マネジメン トに対す る看護師の意識調査 ‑日本 と韓国の比較 ‑安藤 ( 成人看護学)
3.ター ミナル期のがん患者の家族 のニー ド‑韓国 と日本の比較郡司 ( 成人看護学)
4.大腿骨頚部骨折患者 をもつ家族への退院後の支援 に関す る日韓の比較調査岡田 ( 成人看護学)
5.児童虐待 とケアに関す る国際調査 花 田 ( 精神看護学)
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報
ます. 日本で も肉 ・魚類や野菜 を保存食 として発酵 させ る地域があるように,同 じ文化圏に属す る韓国で も発酵 食品は数多 くあ ります.一番印象的なのはキムチですが, そのほかに基本調味料 としてみそや しょうゆ も使 われ ま す. これは自然の恵みである発酵の力 を体内に取 り入れ ることによって, 「 食 」 を鋭気 を養 う 「 薬」 とす る考 え か らきているのか もしれ ませ ん.
一般的に韓 国料理 と言 えば 「 辛い」 とい うイメージが あ りますが, このサムゲ ダンス‑プに殆 ど味がついてい なかったのは,一緒 に出 された副菜のキムチや数々の調 味料 を使 って,オリジナルのスープを作 るためではない で しょうか.つ ま り, 自分の好みの味 を調合す る とい う 目的だけでな く, 自分の体調 に合 わせて食材 を吟味す る とい う古い伝統の名残ではないか と思われ ます.
2. 韓国は 「 混ぜ る 」 文化
日本食 には見て楽 しみ,味 わって楽 しむ とい う文化が あ ります.韓国 も同様 に色彩豊かな盛 り付 けと,深い味 わい を楽 しむ食習慣があ ります.ただ日本 と違 うのは, 一つのお皿 ( 器) に‑種類の食材 を盛 り付 けるとい うこ と.そのため韓国料理 を頂 くときは数十種類のお皿が と ころ狭 Lと並べ られ,中にはお皿同士が重 なっている光 景 も目にしま した.
そ して もう一つ 日本 とす こ し違 っていたのが, 「 混ぜ る」 とい う行為です. 日本で も混ぜ ご飯や玉子かけご飯 の ようなものがあ りますが,韓国ではただ混ぜ るだけで はな く,そ こに 「 控ねる」 とい うひと手 間 も加 え られ ま す.韓国の方 々が 「 混ぜ て」 , 「 提ねる」理 由は,すでに 混ぜ合 わさった味 を,口の中で より長 く楽 しむためだそ うです .そ して もうひ とつ細かい ことですが,例 えば, 日本ではご飯 に汁 をかけるということが多い ようですが, 韓国では汁物 にご飯 を 「 混ぜ る」 ことが多かった ように 思い ます.そのため,食卓 には必ず金属製の箸のほか に スプーンが用意 されていました.これ らは自分か ら向かっ て右側 に縦 に置かれます. 日本食の場合横 向 きに して置 くのに,なぜ縦 に置かれるのか最後 まで理 由は分か りま せんで した.
3. 食の作法 と儒教
韓国滞在 中は,本当に美味 しい ものばか り頂 きました.
なかで も 「 宮廷料理」 は絶品で した. もちろん一流の料 亭 といった趣 のあるお店での会食です.先 にも書 きま し
たが, ここで も食材が乗 ったお皿がテーブルに乗 り切 れ ない くらい次か ら次へ と出て きます.
韓国流 の作法 と言 えば,食器 は持 ち上 げず置いたまま 箸 とスプー ンで頂 きます.そ して食事 をす るときは, 冒 上の人 より先 に箸 をつけてはいけない とい うのがルール です.お酌 をする ときに もルールがあ ります. まず基本 的に女性がお酌 をすることはタブーだそ うです. しか し ホス ト側の先生方 ( 女性)は,私 たちにお酌 を して下 さ
』二 l = 1
いま した.その際 に気 をつけなければな らない ことは, お酌 をす る人 もされる人 も, コップを両手で支 えるので はな く,必ず左手 を右手の肘 に添 えることです.見慣れ ない光景で したが,その手の添 え方 に,何 とも優雅で慎 み深い印象 を持 ちました.それ もそのはず, ここ韓国は 儒教 の影響 を色濃 く残す国. 目上の人あるいは客人 に対 する礼儀 は厳守 され ます.最近の若者の間では儒教 の精 神 も薄れつつある と言 われる ものの,やは り食事の礼儀
は厳 しい ようです.
また韓国では,出された もの全 てを食べつ くす ことは 食事が足 りなかった とい うことを意味 し,ホス ト側 のお もてな しに対す るマナー違反 になるそ うです. これな ど は日本 とは全 く逆の発想で, どこで箸 を止めればいいの か正直迷い ました.
4. 医食 同源
「 宮廷料理」 と言 えば,NHK総合テ レビで放送 されて いた 「 宮廷女官チ ャングムの誓い 」 で一躍有名 にな りま した.主人公の医女チ ャングムは 1 6 世紀初頭 の朝鮮王朝 時代 に実在 した人物 だそ うです.彼女 は もともと宮廷料 理人 として働いていま したが,後 に医学 を学 び王の主治 医 とい う地位 まで登 りつめ ました. この ことか らも韓国 には 「 医」 と 「 食」が密接 に関係 していることを窺 わせ ます.
「 宮廷料理」 の真髄 は 「 五味五色」 にある といわれ ま す.五味 とは 「 塩 ・甘 ・辛 ・酸 ・苦 」 の五つの味 を指 し ます.また五色 とは 「 青 ・赤 ・黄 ・白 ・黒」 の ことを指 します. これ らは単 に味覚や色彩 といったことに止 まら ず,栄養のバ ランスを取 ることで身体 の調整 を図る教 え として古 くか ら韓国に伝 わる ものだそ うです. この教 え のルーツは,古代 中国の戦国時代以降 に盛 んになった五 行思想 に基づ くものです .五行 思想 に よれ ば,人 間の
「 病気」 は五臓肝の機能がバ ランスを崩 した ものであ り, このバ ランスを五行 間の関係性の法則 に則 って補正 され るわけです ( 表 4).
近年の韓 国 も日本 と同様 ,生活ス タイルや食生活が欧 米化 され,伝統 的な習慣が薄れつつある と言 われてい ま すが, 日本で も 「 食べ合 わせ」の習慣が残 っているよう に,韓国で も自分の健康状態 に合 わせ た 「 五行思想」の 食習慣が受 け継がれていることは嬉 しく思い ます.
5. 食の恵み
韓国での最終 日,す こし大 きめのスーパーマーケ ッ ト に全員で出かけました.ここでは食料 品以外 に,雑貨, 電化製品,衣類 な どを販売 してい ま した.バス を降 りて 私が真 っ先 に向かったのは地下 1階 にある食料 品売 り場 です.私のお 目当ては,韓 国です っか り虜 になった 「コ チュジャン」 と 「チヂ ミの素」,そ して 「 五味茶 ( オ ミ ジ ヤ) 」 です.
「 五味茶 ( オ ミジ ヤ) 」 は五味子 と呼 ばれる実 を干 して
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ます. 日本で も肉 ・魚類や野菜 を保存食 として発酵 させ る地域があるように,同 じ文化圏に属す る韓国で も発酵 食品は数多 くあ ります.一番印象的なのはキムチですが, そのほかに基本調味料 としてみそや しょうゆ も使 われ ま す. これは自然の恵みである発酵の力 を体内に取 り入れ ることによって, 「 食 」 を鋭気 を養 う 「 薬」 とす る考 え か らきているのか もしれ ませ ん.
一般的に韓 国料理 と言 えば 「 辛い」 とい うイメージが あ りますが, このサムゲ ダンス‑プに殆 ど味がついてい なかったのは,一緒 に出 された副菜のキムチや数々の調 味料 を使 って,オリジナルのスープを作 るためではない で しょうか.つ ま り, 自分の好みの味 を調合す る とい う 目的だけでな く, 自分の体調 に合 わせて食材 を吟味す る とい う古い伝統の名残ではないか と思われ ます.
2. 韓国は 「 混ぜ る 」 文化
日本食 には見て楽 しみ,味 わって楽 しむ とい う文化が あ ります.韓国 も同様 に色彩豊かな盛 り付 けと,深い味 わい を楽 しむ食習慣があ ります.ただ日本 と違 うのは, 一つのお皿 ( 器) に‑種類の食材 を盛 り付 けるとい うこ と.そのため韓国料理 を頂 くときは数十種類のお皿が と ころ狭 Lと並べ られ,中にはお皿同士が重 なっている光 景 も目にしま した.
そ して もう一つ 日本 とす こ し違 っていたのが, 「 混ぜ る」 とい う行為です. 日本で も混ぜ ご飯や玉子かけご飯 の ようなものがあ りますが,韓国ではただ混ぜ るだけで はな く,そ こに 「 控ねる」 とい うひと手 間 も加 え られ ま す.韓国の方 々が 「 混ぜ て」 , 「 提ねる」理 由は,すでに 混ぜ合 わさった味 を,口の中で より長 く楽 しむためだそ うです .そ して もうひ とつ細かい ことですが,例 えば, 日本ではご飯 に汁 をかけるということが多い ようですが, 韓国では汁物 にご飯 を 「 混ぜ る」 ことが多かった ように 思い ます.そのため,食卓 には必ず金属製の箸のほか に スプーンが用意 されていました.これ らは自分か ら向かっ て右側 に縦 に置かれます. 日本食の場合横 向 きに して置 くのに,なぜ縦 に置かれるのか最後 まで理 由は分か りま せんで した.
3. 食の作法 と儒教
韓国滞在 中は,本当に美味 しい ものばか り頂 きました.
なかで も 「 宮廷料理」 は絶品で した. もちろん一流の料 亭 といった趣 のあるお店での会食です.先 にも書 きま し
たが, ここで も食材が乗 ったお皿がテーブルに乗 り切 れ ない くらい次か ら次へ と出て きます.
韓国流 の作法 と言 えば,食器 は持 ち上 げず置いたまま 箸 とスプー ンで頂 きます.そ して食事 をす るときは, 冒 上の人 より先 に箸 をつけてはいけない とい うのがルール です.お酌 をする ときに もルールがあ ります. まず基本 的に女性がお酌 をすることはタブーだそ うです. しか し ホス ト側の先生方 ( 女性)は,私 たちにお酌 を して下 さ
』二 l = 1
いま した.その際 に気 をつけなければな らない ことは, お酌 をす る人 もされる人 も, コップを両手で支 えるので はな く,必ず左手 を右手の肘 に添 えることです.見慣れ ない光景で したが,その手の添 え方 に,何 とも優雅で慎 み深い印象 を持 ちました.それ もそのはず, ここ韓国は 儒教 の影響 を色濃 く残す国. 目上の人あるいは客人 に対 する礼儀 は厳守 され ます.最近の若者の間では儒教 の精 神 も薄れつつある と言 われる ものの,やは り食事の礼儀
は厳 しい ようです.
また韓国では,出された もの全 てを食べつ くす ことは 食事が足 りなかった とい うことを意味 し,ホス ト側 のお もてな しに対す るマナー違反 になるそ うです. これな ど は日本 とは全 く逆の発想で, どこで箸 を止めればいいの か正直迷い ました.
4. 医食 同源
「 宮廷料理」 と言 えば,NHK総合テ レビで放送 されて いた 「 宮廷女官チ ャングムの誓い 」 で一躍有名 にな りま した.主人公の医女チ ャングムは 1 6 世紀初頭 の朝鮮王朝 時代 に実在 した人物 だそ うです.彼女 は もともと宮廷料 理人 として働いていま したが,後 に医学 を学 び王の主治 医 とい う地位 まで登 りつめ ました. この ことか らも韓国 には 「 医」 と 「 食」が密接 に関係 していることを窺 わせ ます.
「 宮廷料理」 の真髄 は 「 五味五色」 にある といわれ ま す.五味 とは 「 塩 ・甘 ・辛 ・酸 ・苦 」 の五つの味 を指 し ます.また五色 とは 「 青 ・赤 ・黄 ・白 ・黒」 の ことを指 します. これ らは単 に味覚や色彩 といったことに止 まら ず,栄養のバ ランスを取 ることで身体 の調整 を図る教 え として古 くか ら韓国に伝 わる ものだそ うです. この教 え のルーツは,古代 中国の戦国時代以降 に盛 んになった五 行思想 に基づ くものです .五行 思想 に よれ ば,人 間の
「 病気」 は五臓肝の機能がバ ランスを崩 した ものであ り, このバ ランスを五行 間の関係性の法則 に則 って補正 され るわけです ( 表 4).
近年の韓 国 も日本 と同様 ,生活ス タイルや食生活が欧 米化 され,伝統 的な習慣が薄れつつある と言 われてい ま すが, 日本で も 「 食べ合 わせ」の習慣が残 っているよう に,韓国で も自分の健康状態 に合 わせ た 「 五行思想」の 食習慣が受 け継がれていることは嬉 しく思い ます.
5. 食の恵み
韓国での最終 日,す こし大 きめのスーパーマーケ ッ ト に全員で出かけました.ここでは食料 品以外 に,雑貨, 電化製品,衣類 な どを販売 してい ま した.バス を降 りて 私が真 っ先 に向かったのは地下 1階 にある食料 品売 り場 です.私のお 目当ては,韓 国です っか り虜 になった 「コ チュジャン」 と 「チヂ ミの素」,そ して 「 五味茶 ( オ ミ ジ ヤ) 」 です.
「 五味茶 ( オ ミジ ヤ) 」 は五味子 と呼 ばれる実 を干 して
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告表 4. 五行思想
五 行 木 火 土 金
水
五 色 ̲≡胃ヒ 赤 黄 自 黒
五 味
醍
育 甘 辛 塩五 食 縁野菜 唐 辛子 卵 黄 卵 白 海苔
五 時 春 夏 土用 秩 .冬
五臓 肺 肝 .胆 心 .小 腸 牌 .冒 柿 .大腸 腎 .
勝 朕
五 感 目 耳 罪良
口
皮 膚乾燥 させ,煮出 して作 る赤い きれいな色 ( ワイ ンのロゼ の ような感 じ) を したお茶です.実際 に飲 む とす こし漢 方の味が しますが,五味茶 と言 われるだけあって,種子 の方は 「 酸味 ・甘味 ・苦味 ・辛味 ・塩味」 の五つの味が す るそ うです.五味子 はアジア東北部の比較的寒冷な山 地 に生 えるモ クレン科の植物で, 日本 にも自生 している ようですが,その実 を食す とい う話 はあま り聞いたこと があ りません.
この五味茶 はなかなかの優 れ もので,韓国では古 くか ら滋養強壮剤 として好 まれ,肺機能の保護 ( 去疾,鎮咳) , 扇桃腺や気管支の病気 に効果がある とされています.韓 国訪問 したのがち ょうど夏の時期で,夏パ テ ・風邪予防 に と帰国後 も愛飲 してい ま した.効果が どの程度 あった か不明ですが, この年は元気 に夏 を乗 り切 れたように思 い ます.「 鰯 の頭 も信心か ら」 とい うことで しょう.
ちなみに 「コチュジャン」 , 「 チヂ ミの素」 , 「 五味茶 」
は私が韓国を訪問 している間,留守 中にご迷惑 をお掛 け した同僚 の先生方 にお土産 として持 ち帰 り,なかなかの 好評 を博 しました.
食事 中の学生 さんたちの楽 しそ うな笑い声,ホス ト側 の大学 の先生方 との有意義 な会食 を通 して,「 食」 は文 化 を超 えて万人 に笑顔 をもた らす " 恵み" なのだ と心か
ら感 じました.
学生の感想文
1. 晋州保健大学訪問に参加 して
看護学専攻 4 年 浅田 祥子 3 年前,大学 1 年生の とき韓国か らの学生 を受け入れ, 私 も一度韓国に行 って,彼女達の勉強 している所,生活
している ところを見てみたい と思 っていま した. 3 年前 も彼女達 と4日間過 ご して様 々な話 を し,韓国の文化 に ついて も聞 くことがで きま したが,今 回晋州保健大学や 学生の自宅 に伺 ってその とき以上 に様 々な ものを見て聞 いて感 じることがで きま した.
私のホス 吊ま私 よ り2 歳年上の ドライブ好 きで勉強 も 頑張 る素敵 な女の子で した.そ してその子 の家族 も本当 に素敵 な家族で した.お家 には家族全員で とった大 きな
額縁入 りの写真が飾 ってあ り,家族 の結 びつ きが強いの だ と感 じま した.お父 さんは一家の大黒柱 で どん と構 え ている印象があ ります.私が初めてホス トの自宅 に伺 っ た ときにたまたまお父 さん と帰 りが一緒 になって家の前 で初めて会い ました.私が 慣れない韓国語で挨拶すると, お おお おと言いなが ら笑顔で撞手 して迎 えて くれました.
それか らはほ とん どお話する機会があ りませんで したが, 見ず知 らずの 日本人 を快 く受 け入れていただいて非常 に 感謝 してい ます.お母 さんはいつ も私 を気 にかけて くだ さって,家族 を支 える縁 の下の力持 ちで した.毎朝おい しい朝 ご飯 を用意 して くださった り,本当の娘 の ように 私の こともかわいが って くだ さいま した.ホス トのお姉 さんは銀行員ですが,ユーモアたっぷ りで明 日は何時 に 家 を出なければいけないか ら何時に起 きて朝 ご飯 を食べ るの よとか,キムチは必ず冷蔵保存 してね,冷凍 はだめ よな ど英語で一つ一つ丁寧 に説明 して くれました.ホス トもお姉 さんのことを 「 彼女 はいつ も私の ことに何 々 と いつ も口を出 して きて面 白い人なの よ」 と話 していま し た.ホス トの弟 は小学校 の先生 を目指す私 と同 じ年の大 学生で した.朝早 く出て夜遅 く帰宅するため彼 とは 2日 目の夜 に初 めて会い ました.お姉 さんやホス トとは違 っ てシャイボーイで挨拶 を したあ とす ぐに引 っ込 んで しま い ました.私が 日本へ帰 る日は眠い 目をこす りなが ら私 の荷物 を車 まで運 んで くれ,お母 さん,お姉 さん と共 に 車 を見送 って くれ ま した. こんな素敵 な家族 を見 て,私 も自分の家族 に会いた くな り, また もっと家族 を大切 に しな くてはいけない と感 じました.
ホス トは自分のホームページを持 っていて 2日目の夜 少 し時間があったので私 にホームページを見せ て くれ ま した.韓国へ行 って思 ったことですが,韓国の人は自分 の写真 をよ くとります. 日本 であれば珍 しい場所 に行 っ たか ら記念 に とい うことはあって も普段 に自分が メイ ン で写真 を振 る とい うことはほ とん どあ りませ ん.私のホ ス トも携帯電話で 自分 ひ とりや友達 と一緒 に普段 の写真 を撮 っていました.ホームページも自分の写真 コーナー, 晋州の大学の友達の コーナー,釜山の友達のコーナーな
どた くさんの写真 を公 開 してい ました. どの写真 もポー
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告表 4. 五行思想
五 行 木 火 土 金
水
五 色 ̲≡胃ヒ 赤 黄 自 黒
五 味
醍
育 甘 辛 塩五 食 縁野菜 唐 辛子 卵 黄 卵 白 海苔
五 時 春 夏 土用 秩 .冬
五臓 肺 肝 .胆 心 .小 腸 牌 .冒 柿 .大腸 腎 .
勝 朕
五 感 目 耳 罪良