哲学的な智慧の構造
‑不知の知と無知の知との差異‑
井上義彦
Construction of the Philosophical Wisdom
‑The Difference between Not Knowing and Ignorance‑
YOSHIHIKO INOUE
§1.哲学という訳語
哲学という学問は、古代ギリシアにおいて誕生した。その時、 「哲学」と翻訳され ることになる¢iλooo¢iaが、語源的にuo¢ia智慧を¢lλ0愛求するとい う言葉から造語されたものであることは周知のことである。そして¢lλooo¢ia を「哲学」と邦訳したのが、西周であることは既に旧聞に属する。
西周は、その『百学連環』の中でこう言う‑。
「Philosophyなる文字のPhiloは希胤の¢lλ0にして、英のLove愛なり、又 SophyはcTO¢iaにして、英の智Wisdomなり。其意は賢なるを愛し希ふの 義なり。 ・ ・ ・ヒロソヒ‑の意たるは、周茂叔の既に言いし如く、聖希天、賢希聖、
士希賢との意なるが故に、ヒロソヒ‑!の直訳を希賢学となすも亦可なるべし」 (I) 西周は、このように哲学をまず希賢学と直訳している。彼は、哲学する者の境位を、
天希ふ聖人あるいは聖人たらんとする賢人に見ずに、志を有する士に見たのである。
かかる士はまさに賢を希ふと考えたのである。そして古来求道者の道は、賢哲の道と 考えられてきたことを受けて、賢と哲を入れ替えて希賢学を希哲学と新造語訳したの である。そして希哲学が哲学と略称されたのである。
こうした西周によるPhilosophyの造語翻訳の歴史を辿ってみると、 「哲学」とい う新しい言語の導入と共に、そこに一種のパラダイム変換が日本に起こったのではな
いかと推察される。
伝統的に主として実践哲学に定位する東洋思想に対して、実践哲学をも哲学の思想 体系に取り込みつつ理論の整合的首尾一貫性と厳密な論理性を重視するPhilosophy の翻訳にあって、従来の東洋恩憩の学術用語には適訳の該当語が見当たらず、新造語 の必要にせまられたということは、取りも直さず、旧来の伝統的な思想や思考方式に 対して、一つの捉え直し、見直しを迫ったといえるのではないか。
以後、西洋文化の導入の下に、西洋の諸学問を受容するにあたって、哲学の下に秩 序づけられた西洋の諸学問の現実を前にして、日本の伝統的な恩想精神文化は、確実 に恩想の配列や順序の見直しを迫られたのではないか。そこには、パスカルが『パン セ』で言うような事態が見出されないだろうか。
「同じ言葉が異なった配置によって別の思想を形づくるのと同様に、同じ思想でも 配置が異なれば、別の論旨を形づくるのではなかっただろうか」(2)
言葉の配置が変わり、思想の配列が変わると、 「内容の配置が新しい」思想が出現 する。 「哲学」という新しいパラダイム造語を基に、言葉の配置が変わり、伝統的な 恩想や学問の配列が変わる。そこに、従来の価値観や世界観の異なる配置変えが起こ り、新しい見方の変換が起こったのである。明治日本の文明開化は、そういうパラダ イム変換の下に生起したのではないか。乱礫の発生は今日から見れば、そう思える。
「一つのパラダイムを捨てると同時に、それに代わるパラダイムを採用しなければ、
科学自体を放棄することになる。この作用は、パラダイムに現れるのではなくて、
人間に現れる」 (3)
ところで、西周が希哲学から希を取って哲学と略称したことは、結果的に見逃せな い問題を惹起したといえる。それは何かと言えば、哲学という言葉は、哲理の学とし て名詞化され、哲学を実体化してしまい、哲学が本来有する哲理(智慧)を希求・愛 求する学という動詞的な部分が見失われ、哲学の根源的な機能性(関係性)の自覚を 稀薄にしてしまったのである。
「哲学(Philosophie)は学べないが、哲学すること(Philosophieren)だけは学 びうる」というカントの言葉は、この間の事情を見事に指摘していると言える。哲学 (名詞)と哲学すること(動名詞)とが対比され、実体化された哲学は学べず、機能 化(関係化)を旨とする哲学することだけが学びうるのである。
哲学は、語義通り「智慧を愛求する学」としての希哲学から希を失うことにより、
気(ェスプリ)を失ったビールと同じく、生ぬるく横たわり実体化のイメージを固定 化してしまった。しかし哲学精神は本来批判精神であり、智慧を愛求し希求する希哲 学として、機能性をその本質とするものである。我々が、現在哲学を何か既存の思想
体系を固定化・実体化して前提してしまうのは、哲学するという哲学精神の機能性を 忘却した結果なのである。
パスカルが、やはり名詞と動詞を使い分けて、 「哲学(philosophie)を軽蔑するこ と、それが真に哲学すること(philosopher)だ」(4)と言ったのは、カントと同じ哲学 精神に発すると言いうるであろう。
ヴィトゲンシュタインは、 『論理哲学論考』で、こう言っている。
「哲学は学説(Lehre)ではなく、活動(T左tigkeit)である」 (4.112)(5)
§2.哲学と「驚き」
哲学は、古代ギリシアに生まれた。そして、古代ギリシアの哲人は、 「哲学は驚き から始まる」と喝破した。これはさすがに卓見と感嘆せざるをえない。誠に、真に知 るもののみが吐ける真実の言葉である。
プラトンは、後期対話篇『テアイテトス』の中で、こう言う。
● ●
「まことに、その驚異iOaufia^ecv)という情(こころ)こそ、智慧を愛し求める
● ●
者(哲学者)の情なのだ。つまり、哲学(求智)の始まりは、それより他にはないの だ」 (155D)(6)
真に驚く者こそ、求智者・愛智者として真に智慧を愛求し、探究する者と言える。
人は、珍奇な現象や思いもかけない出来事に出会えば、誰しも簡単に驚くことはで きる。しかし大事なことは、驚くと同時に「なぜ」という疑念を抱くことである。こ の意味では、智慧を愛求する者としての哲学者の営為は、日常のあらゆる疑念を率直 に口に出して、 「なぜ」と問う子供の所行を想起させる。
好奇心旺盛な子供、特に知的好奇心に目覚めた幼児は、何でも一応知っていると思 い込んで常識の世界に安住している両親・我々大人達に、ひっきりなしに予想外の質 問の矢をあびせて困惑させるのである。これは、子供を得て親になった大人が誰しも 経験することである。最初は子供の成長に嬉しい悲鳴を上げていたのが、段々に問い の鋭さに本当の悲鳴を上げてしまう。例えば、 「なぜ、雪は降るの?」。 「なぜ、雪は 白いの?」。 「なぜ、雪の結晶はあるの?」。生かじりの自然科学の知識を子供に分か り易く教えるのは、本当に難しい。しかもその知識そのものの知り方が不十分だから、
なお更のことである。
最初の「なぜ」に対する一つの応答が、次の「なぜ」を誘発し、その返答がまた次 の「なぜ」を誘発する。子供の留まることのない問いかけの前に、我々は自分の生半 可な知識とその貧困さの正体を暴露して、ぱっの悪い沈黙の内にやがて終わる。
この典型的な例は、 『徒然草』の最終節に見事に再現されている。
「八っになりし年、父に問ひて云はく、 「仏は如何なるものにか候ふらん」と云ふ。
父が云はく、 「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、 「人は何として仏には成 り候ふやらん」と。父また、 「仏の教によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、 「教‑
候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、 「それもまた、先の仏の教に よりて成り給ふなり」と。また問ふ、 「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何 なる仏にか候ひける」と云ふ時、父、 「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と 言ひて笑ふ。 「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。」(7) ここで、 「その教へ始め候ひける第‑の仏」は、お釈迦様であると答えても、その 答えにはなっていない。引用書の注釈には、 「ここの問いは、仏がどのような存在で あるかを尋ねたので〔あって〕、仏の実体論・本質論ではない」(8)とあるが、はたし て「仏の実体論・本質論ではない」とすれば、では仏の現象論・化身論を問うたこと になるのだろうか。答えになっていない答えというか、何かもうーっ釈然としない註 釈である。
お釈迦様と答えても、質問の解答にならない理由は、まさにお釈迦様が人間である 以上、 「人は何として仏には成り候ふやらん」以下の問いの系列を再び誘発するから である。従って、ここで問われているのは、お釈迦様を仏にするもの、即ち仏を仏た
らしめる所以のこと、つまりそのことわりが問われているのだ。人間お釈迦様の教え が、なぜ仏の教え(仏教)として正当なのか、その教義の正当性の根拠が問われてい るのだ。これは、哲学的に考えて「仏の実体論・本質論」以外の何物でもないのでは ないか。
この問いに対する最終的な解答は、万巻の仏教教典を子供の前に投げ出すか、それ とも「教外別伝・不立文字」とっぶやきながら沈黙するしかない。しかし本当の最終 的な解答は、恐らく上の両者の解答を考え合わせるところ以外にはないであろう。す ると、これはまた回答の始まりになる。
いずれにせよ、子供には驚きから始まり、驚きと共に、 「なぜ」という疑問が誘発 される。そこに、哲学は始まる。兼好法師の幼児期に典型的に見られた事例は、 「子 供は、小さな哲学者である」という事態を推察させる。
アメリカの哲学者マシューズの"Philosophy and the Young Child"という作 品は、 『子どもは小さな哲学者』の題名で邦訳されているが、内容はその名に相応し い。例えば、こういうのがある。
「パパ、パパが二重に見えないのはどうして?だってぼくには目が二っあるし、
片目ずっあけてもパパが見えるよ」(9)
マシューズによれば、この「質問は、光学、神経生理学、心理学、そして哲学を結
びつける」uO)として、アラビアの物理学者「アル‑‑ゼンやロジャー・ベーコンのよ うな中世の視覚理論家たちは、映像は左右の目から視神経を通って、二つの視神経が 交叉している視覚交叉に達し、そこで二つの像が一つに合わさる、と考えた」uuとい
う一つの答えを提出している。
我々は、これに、デカルトの答えも付け加えることができよう。つまり、デカルト は人間の主要な身体及び感覚器官は対をなしてあるから、その二重の刺激感覚を統一 する共通感覚が存在する部分として、松果腺(glans pinealis)を考えたのである(l劫o
我々は、これらに更に現代科学の最新の解答を付加できよう。もっとも、我々は具 体的にはその解答を知らない。我々は現代科学者の解答とその正当性を信じるだけで ある。しかしそこにまた、子供の問いの可能性が残る。本当の答えを知っているのは 一体誰れなのか、と。
アンデルセンの『裸の王様』は、驚きから始まって、納得のいくまで問いを続行し 根拠を問い直す「子供は哲学者である」ことを童話の形に物語化したものと見なせる であろう。 『裸の王様』のポイントは次の点にある。
「その織物でこしらえた着物は、まことにふしぎな性質をもっておりまして、自分 の役目にふさわしくない人や、どうにも手のつけられないようなばかものには、こ の着物は見えないのでございます」個
我々は、この童話を読んで、何んと愚かな王様と笑うが、果たして笑う我々が裸の 王様ではないと、なぜ言えるであろうか。
独栽者(ヒトラーやスターリンなど)に歓呼の声を挙げ、天皇を現人神と信じたの は、我々自身ではなかったのか。
見えないものは見えないと言うこと、知らないことは知らないと言うことは、本当 は非常に困難な勇気のいる行為なのである。
詐欺師の仕掛けた巧妙な民、すなわち我々常識人が目に見えないものを正直に見え ないと言わないように仕掛けた昆こそ、実をいえば、我々が自分自身で自分にヴェー ルをかけて真実を見えなくさせてしまう自己幻想の民でもある。
我々は誰しも、自分自身を自分の役目や地位・職業にふさわしいひとかどの人物、
自分は社会にとって必要な人間であると自他ともに見なしたいのである。 (そうでな いと、アイデンティティ・クライシスが起こる。)従ってまた、自分はそれにふさわ しい知識や技術を持っており、立派な社会人・職業人として決してばかものでも愚か 者でもないと確信しているのである。では、なぜ自分がばかものでも愚か者でもない かというと、目に見えないものは見えないと言うことや知、らないことは知らないと言 うことくらい当たり前で、そんなことは簡単なことだと知っているからである。これ に対して、ばかものや愚か者は、目に見えぬものを見たと、あるいは、あらぬものが
あったと口走るからである。
だが、裸の王様の虚妄をあばいたのは、何でも知っているつもりの常識人の大人で はなくて、偏見や権威や前提にとらわれない純心な子供によってであった。
ヤスパースは、 「子供とばかは真実を語る、という諺には深い意味がある」u心と言 いっつ、次のように解釈している。
「それはちょうど、私たちが年を取るに従って因襲や臆見や隠蔽や無疑問性などの とりこになってしまって、子供がもっているような、何ものにもとらわれない心を 失っているようなものであります」u9
§3.アリストテレスと哲学
アリストテレスは、師プラトンの提言を受けて、 『形而上学』の中でやはりこう言 う。
● ● ● ● ● ●
「けだし、驚異すること(Gav〟aJeLv)によって人間は、今日でもそうであるが、
● ● ● ● ● ●
あの最初の場合にもあのように、知恵を愛求し〔哲学し〕始めたのである。ただし その初めには、ごく見近の不思議な事柄に驚異の念をいだき、それから次第に少し ずつ進んで遥かに大きな事象についても疑念をいだくようになったのである。 ・ ・ ・
ところで、このように疑念をいだき驚異を感じる者は自分を無知な者だと考える。 ・ ・
・従って、まさにただその無知から脱却せんがために知恵を愛求したのであるから、
かれらがこうした認識を追求したのは、明らかに、ただひたすら知らんがためにで あって、なんらの効用のためにでもなかった。そしてこのことは、その当時の事情 がこれを証明している。すなわち〔単なる生活のためにのみでなく〕安泰な暮らし や楽しい暇つぶしにも必要なあらゆるものがほとんど全く具備された時に初めて、
● ●
あのような思慮(如∂LJ叩iS,知恵)が求められ出したのであるから。だから明 らかに我々は、これ〔この知恵〕を他のなんらの効用のためにでもなく、かえって 全くあたかも他の人のためにでなくおのれ自らのために生きている人を自由な人で
あると我々の言っているように、そのようにまたこれを、これのみを、諸学のうち の唯一の自由な学であるとして、愛求しているのである。けだし、この知恵のみが それ自らのために存する唯一の学であるから」 (982bl2‑b27)(
長さをいとわずに、引用を重ねたのは、この部分に、我々の小論の取り扱う問題の 骨子と思考法の枠組みが明解に呈示されていると思われるカ,tらである。
アリストテレスの提言の素晴らしさは、第‑に、 「驚き」と共に、その疑念を抱く 時に初めて哲学が始まることをはっきり指摘した点である。驚き、 「なぜ」と問いか
ける子供は、大人(戟)に問うだけであり、自らはその解答を出そうと努めない。こ れに対して、我々大人は自ら問いかけると共に、自らその解答を出そうと努めねばな
らない。
第二のポイントは、無知からその根拠としての知恵を愛求する哲学的営為が、 「た だひたすら知らんがためであって、何の効用のためでもなかった」ことの指摘である。
哲学は後述するように、有用の用、効用の用としてではなくて、 「無用の用」として 存在するのである。
第三のポイントは、如何に生きるべきかの知恵、即ち哲学的思慮(フロネ‑シス、
如∂v叩lS)が、 「衣食足りて、初めて礼節を知る」ように、当時の社会の衣食足 りた段階で初めて探究され始めるという、現代社会の有様と少しも変わらぬまざれも ない人間的現実の鋭い指摘である。ここには、いっの時代も変わらぬ人間の偽装され た美徳の裏面を見抜き、人間の真実を洞察する冷徹なレアリストの目が光っている。
第四のポイントは、哲学以外のあらゆる学問が、特定の目的や効用のためにという 技術知(専門知)の性格を有するのに比して、 「魂の世話」としての哲学的智慧・思 慮は、 「他の何らの効用のためにでなく」、まさに「それ自らのために存する唯一の自 由な学」として、あるのだという注目すべき指摘である。これは、やはり後述するよ
うに、第三のポイントの「無用の用」という哲学的智慧の性格と密接不可分離に連結 した考え方である。これは、根源的な智慧・原理・根拠を愛求する学としての哲学が、
対象的な技術知としての自然知(¢vg川丘, physica,自然学)を越えて(〝」za, meta) 、その根底や背後にある根拠(哲理)としての永遠不変の原理を探究する学
としては、文字通り「形而上学」 (usTCL¢uoifta)の性格を明瞭に示していると言 えよう。
茸4.不知の知と無知の知
では、智慧を愛求すること、即ち哲学するということが問われ、語られる場は、如 何なる構造のもとにあるのか。哲学的智慧の成立する哲学的営為の場は、如何なる構 造を有することになるのか。
プラトンは初期対話篇『ソクラテスの弁明』の中で、こう言っている0
「その人より、私は智慧がある。なぜなら、この男も私も、おそらく善美なること (Kaλ∂v teaγaOov)は、何も知らないらしいけれども、この男は、知らないの に、何か知っているように患っているが、私は、知らないから、その通りにまた知 らないと思っている。だからっまり、このちょっとしたことで、私のはうが智慧が
あることになるらしい。つまり私は、知らないことは知らないと患う、ただそれだ けのことで、まさっているらしいのです。」 (21D)任の
この件の部分は、周知のように、ソクラテスの「無知の知」として、哲学の誕生を つげる場面を示すものと従来解釈されてきたものである。しかし私は、その解釈は正
しいとは言えないと思う。
ここでソクラテスに起こったことは、何一つも知らないことを知っているという
「無知の知」ではなく、 「魂の世話」に関する智慧を知っていないことを、知っている とはとても言えないことを知っているという「不知の知」であるということである。
従って、ソクラテスに関してここで言うべきことは、 「無知の知」ではなくて、む しろ「不知の知」ということである。
だからこそ、 「ソクラテスより智慧ある者はいない」というデルフォイの神託に対 して、ソクラテスが自らを省りみて、 「自分が智慧ある者だなどということはほんの 僅かなりとも自分の身に覚えのないことだ」 (21B)と反省的に述懐しているのであ
る。
ソクラテスは、自分は何一つ知らない、何の知識も持たない、全くの無知であると いうことを言っているのでもなく、またそういう自分を知っていることを言っている のでもない。ソクラテスの証言は、自分は智慧ある者といえるほどの智慧を持ってい ないのではないかと反省して、少なくともそのことをわきまえている点で相手より少 しは智慧があるといえるかも知れないと合点がいった次第を示唆しているのである。
加藤信朗氏は、適切にこう指摘している。
「ttソクラテス''がそこで証言しているのは、自分が何一つ知らないということで も、何一つ知らないということを自分が知っているということ(いはゆる無知の知) でもない。 ・ ・ ・何程かなりと自分が智慧ある者だと思えるほどの智慧を何も持た ないこと、 ・・・ 〔これ〕である」q印
ソクラテスの証言に関しては、智慧者(フイロツフオス)と知者(ソフィスト)と を明白に識別して区別することが肝要である。さもなければ、無益な誤解を生むだけ であろうから。
例えば、大工や医者のように、技術知(rex所,テクネ‑)を学習することによっ て、その専門知を修得できる。従って、自分の専門分野の技術知・専門知をマスター することによって、その人はその領分の技術者(技師)あるいは専門家になる訳であ
る。
この図式で考えれば、ある専門領分の専門知識を学習すれば、その知識を持った者 になる。すると、ある人は大工の技術知を知得して、大工になり、またある人は医学 の技術知・専門知を知得して、医者になることになる。
問題は、これと同じことが哲学という智慧についても当てはまるかどうかというこ とである。つまり、果たして人は、哲学を学習して哲学者になると言えるのだろうか。
恐らく大学の哲学という学問を学習して、学校の哲学教師になるとは言えても、哲学 者になるとは到底いえない。これだけは確かである。
それは、次のカントの言葉から明らかである。
「哲学者とは、理性技術者ではなくて、人間理性のための立法者である。その意味 では、自分自身を哲学者と自称し、理念のうちにのみ存する原型と同等であると僧 称することは、甚だしい高慢なことと言えよう」 (A839,B867)a功
プラトンは、大工や医者の場合のように、 「それぞれの事柄についての知者を認め ている」aOことは明らかであるが、 「魂の世話」に関する哲学(智慧)については、
物知りといった知者(ソフィスト)はいうまでもなく、「智慧者・愛智者(フイロソ フオス)」が、 「智慧を愛求する者」であるということだけで、直ちに原型としての
「哲学者」として承認されるのではないのである。 「智慧を愛求する者」としての愛智 者は、単なる哲学研究従事者としては「知者」の段階にとどまり、原型の「哲学者」
に少しでも近づこうと苦闘する求道者としては「智慧者」であることになる。
なぜであろうか。プラトンは、 『国家』篇における比職を用いれば、鳥小屋から小 鳥を出し入れするように、知識を学習し修得できるのは大工や医者における技術知・
専門知であって、哲学的な智慧は物のように出し入れ可能な知識の在り方と違うこと を指摘している。それどころか、プラトンの現存する第七書簡では、哲学の大切なこ とは書物に書いたり、口で伝えたりできない性質のものであることを記しているので ある。
「私が大切に恩っている事柄について、 ・ ・ ・これだけのことは言うことができま す。すなわちそれは、私の見解によれば、′それらの〔知っているという〕人々が、
そのことがらについて何物かを理解していることはありえないということです。そ の事柄について私の書物は決してありません、また今後もあることはないでしょう。
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
というのは、その事柄はその他の学科と違って、語ることのできるものではなくて、
事柄そのものに関してなされる多くの共同研究と共同生活とから、いわば飛火によっ て燃きっけられた光のように突如として魂のうちに生じてきて、やがて自分で自分 を養うものなのです」(21)
この書簡文から窺われることは、田中美知太郎氏が指摘する次のことである。
「プラトンは、哲学の最も大切なところは、自分で見つけ出すよりはかには仕方が ないのであって、話したり、書いたりして、これを他に伝えることの出来ないもの であると信じていたようである」(22)
§ 5.哲学と不立文字
プラトンは、哲学の最も大切なことは、言葉で言表したり、文字で書き表わしたり できず、従って他にこれを伝達できないから、自ら体験する以外には修得する方法が ないと考えている。
哲学の最も大切な哲理は、言葉や文字で表現できないという事態は、興味深いこと に、禅(仏教)の根本宗義をあらわす「不立文字・教外別伝」を想い起こさせるもの である。
『岩波仏教辞典』によれば、 「不立文字・教外別伝」とは、 「教説の外に、体験によっ て別に伝えるものこそ禅の神髄であり、経論の文字をはなれて、ひたすら座禅によっ て釈尊のさとりに直入する意」とあり、 「この禅宗は不立文字・教外別伝なり。経文 に滞らず、ただ心印を伝ふ」 〔興禅護国論6〕と「教外別伝にして言ふも言はれず、
説くも説かれず」 〔謡・放下僧〕とを例証として挙示している。
我々は、これと関連して、 「哲学は学びえないが、学ぶことができるのは哲学する ことだけだ」と述べたカントの考え方を考え合わせて検討する必要があろう。
カントによれば、一般に認識が成立する場合、認識者の認識の仕方(知り方)に応 じて、認識に歴史記述的(historisch)と理性的(rational)の別が生じる。歴史記 述的な知り方は、与えられたものだけを知る「所与からの認識」 (cognitio ex da‑
tis)であり、また理性的な知り方は、知識を根拠や根源から知ろうとする「原理から の認識」 (cognitio ex principiis)である。だから、たとえ客観的に理性的な認識で あっても、原理から知ろうとしない限り、その認識は歴史記述的な認識に転落するの である。それ故にたとえ客観的に立派な哲学的な智慧(哲理)があったとしても、そ れを原理・根拠から把握しない限り、その智慧は修得されたとはいえないのである。
しかもカントは、哲学は客観的には何処にも存在しないと考えているのである。
「このような〔原理的な〕意味では、哲学は何処にも具体的には与えられていない 可能な学の単なる理念にすぎない」 (A838,B866)(23)
我々は、様々な道を通って、この哲学の理念に近づこうと努めるのである。それに 到達するまでは、誰れも哲学を学ぶことはできないのである。
「人はあらゆる理性学(ア・プリオリな)の内で、ただ数学をのみ学ぶことができ るが、しかし哲学(Philosophie)をば、 (それが歴史記述的でない限り)決して学 ぶことはできない。理性に関しては、せいぜいただ哲学すること(Philosophieren) を学ぶことができるだけである」 (A837,B865)(24)
カントは、 『論理学』の中でも、よく知られた次の言葉を記している。
「いかなる哲学的な思想家も、いわば他の哲学的思想家の廃城の上に自分自身の建 物を構築するのである。しかし全ての部分が恒久的であるような建物の出来上がっ た例はなかった。だから哲学は末だ与えられていないのであり、既にこの理由から だけでも、我々は哲学を学ぶことはできない」(25)
哲学は、このように未だ具体的に与えられていない以上、存在しない哲学は学習し ようがない。だから学べないのだ。
しかし、カントの発言はそういうごく当たり前のことをのみ述べているはずはある まい。哲学理念の実現された完全な決定版の哲学は、原理的に完成するはずはない。
′・
哲学は、完成を目指して永遠に未完成に終わる途上の学であるはずである。
従って、理念の実現を目指して、途上に終わる哲学が現実の哲学の姿であろう。こ の意味では、たとえどれほど秀れた哲学の古典であろうとも、我々がその古典を歴史 記述的でなく、理性的に原理から認識しない限り、哲学を学ぶことはできない。しか したとえ我々がそれを理性的に原理から認識したっもりでも、哲学が本質的に未完成 の学問である限り、それを学習しても、我々は哲学というものをすべて学んだなどと は決して言えないのである。
従って我々に言えるのは、哲学は学べない、しかし哲学することだは学びうるのだ、
ということになるのである。
カントは、 「哲学すること」を『論理学』の中で、こう定義している。
「哲学することは、理性を訓練し、自ら理性を使用することによって学ぶはかはな
い」(26)
この定義は不十分なものである。なぜなら、理性をどのように訓練し、使用するか が明示されていない以上、我々には学びようがないからである。またたとえ学んだっ もりでも、それが正しい理性の訓練や使用であるかどうかという判定のしょうがない からである。
『純粋理性批判』から推察されることは、 「哲学すること」とは、常に原理から整 合的に認識しようとする理性の一貫した主体的な営みである、ということである。
§ 6.知行合一としての哲学的智慧
では、哲学とは決して学ぶことのできない学問であるのか。もしそうだとすれば、
どうして哲学という学問が存在することになるのだろうか。学習できない学問が学習 すべき学問として存在しているということは、それ自身背理であろう。
プラトンもカントも、この意味では哲学の学問的な性格を否定した訳ではない。
プラトンは、 『国家』篇の中で、太陽の比噛、線分の比職、洞窟の比職を用いて、
イデアと現象の関係、エピステーメーとドクサの関係などを説明しようとした。それ は、見えるものを用いて、見えざるものを象徴的に類推させようとする試みと考えら れるのである。哲学的な智慧(哲理)は、直接的に語ることも、書くこともできない 点がある。だから、それを間接的に、比職やミュートス(神話という物語)の形式を 活用して何とか象徴的に説明しようと努めているのである。
このことから、話をもう一度、智慧者と知者のことに戻して考えてみよう。
人は、技術知(専門知)を学習することによって、大工や医者になる。それと同様 に、人は哲学を学習しても、哲学者にはならない。なぜなら、そもそも哲学は学習で
きないのだから。
かのソクラテスの「不知の知」の問題は、このことを問題にしているのだろうか。
そうではあるまい。なぜなら、ソクラテスが智慧者であることは、デルフォイの神託 によって既に実証済みだからである。
ソクラテスは、すでに智慧者になっているのである。だから、いっの間にかソクラ テスは、哲学的な智慧を学習し習得していたのである。そしてそれは間違いなく彼自
ら哲学することによって体現されているのである。
すると、問題は、一体どうしてそれは可能なのかということになる。つまり、ソク ラテスの場合、彼は哲学を既に学習したという事態が生じているからである。従って 哲学はこの意味では、学習できると考えられねばならなくなる。
人は、技術知・専門知を学習することによって、大工や医者になる。同様に、人は
・・・・・・・・
よい技術知・よい専門知を学習することによって、よい大工やよい医者になる。一応
● ●
はそう言えそうである。この場合の大工や医者の「よさ」は、技術や腕前といった職
● ●
人的な技量のよさであり、良心的なよい人といった人間的な人柄や人格のよさを殆ど 合意していないのが普通であろう。我々は、大工や医者に対してまず技術(専門的な) を期待しているのである。
・・・・
では問題は、よい技術知・専門知は必ずよい大工・医者を作り出すのか。つまり、
・・・・
技術知・専門知のよさは、大工や医者の技術のよさを生み出すのか。もしそうだとす れば、どうして技術の下手な未熟な職人が大勢いるのだろうか。同じ技術学校(例え ば、自動車教習所)で、同一の授業を学習した生徒の中に、どうして技術の優劣が出 てくるのだろうか。
推察されることは、技術知はある一定の職人を作りだすだけのことであって、各人
● ●
の技術のよさ(優劣)はその人の能力にかかわるものだと考えられることである。
すると、これは、哲学を学習することによって、人格的に立派な智慧者・哲学者に なれるのかという問題と重り合う部分があると考えられる。
ある人が哲学を学習して、哲学者・智慧者になったとする場合、問題は、哲学的な 智慧がその学習者をして哲学者(智慧者)にならしめたということの意味である。
大工や医者の例で判るように、技術知・専門知はある程度の技術所有者としての職 人・技術者を生み出す必要条件であることは判明した。だが、それはよい職人やよい 技術者を生み出す十分条件ではなかった。
同様に、哲学的な智慧も、単なる知識としては一定の知者(物知りのソフィスト) を生み出すことは可能であるが、生きた智慧として生きる智慧者(哲学者)に化する には、智慧を知識として所有することは智慧者としての必要条件であろうが、ただ知 識を所有するだけでは知者(カント的には理性技術者)ではあっても、智慧者(理性 立法者)としては不十分なのであり、従って十分条件たりえないのである。
だが、腕のよい職人や医者がそのままよい人間である訳ではない。腕がわるくても 人柄のよい職人や医者はいる。だから、ここで留意すべきことは、よい職人やよい技 術者を直ちにそのまま智慧者と同じ意味に理解することはできないことである。
では、智慧者は如何に考えられるべきか。それは、つまり、智慧がテオリアとして 原理から首尾一貫して徹底的に観想されるばかりでなく、そのテオリアを通して、そ の智慧がその人の血となり肉となるほどに、生き抜かれるプラクシスを伴ってこそ、
従ってその智慧が生きた智慧としてその人の生き方に人格的な変様を生起して生きら れる時にこそ、初めて智慧者を生み出すといえるのではないか。
この意味では、禅宗の「不立文字・教外別伝」の思想は、智慧(悟り)が智慧者 (悟達者)を生み出す所以のことわりを明快に示唆するものと考えられるのである。
智慧(悟り)は、ただ認識の対象として単なる知識として自己外在的にテオリアの 内にある限りは、それは末だ真の智慧とは言えない。それは、まさに奥義は「教外別 伝」にありで、その人が自己の真実として、その智慧を主体的に全身全霊に生き抜く 修業のプラクシスの中で、生きられた智慧と体得・貝現され、その人がその智慧を生
き抜くことによって、その生きられる智慧のまざれもない真理性がそのプラクシスを 通して自証されるのである。実践的行為者の生きるプラクシスの自証性以外に、その 智慧の真理性を実証するする術はないのである。智慧の真実は生きられる智慧者の内 以外では死んだ言葉にすぎない。
生きる智慧者なしに、生きる智慧はない。智慧は、それが生きられるプラクシスに よってのみ、生きる真理なのである。
ソクラテスの「不知の知」の問題は、ソクラテスの「真に悪を知る者は、悪をなせ ない」という思想に教示されるように、我々に陽明学の「知行合一」説を思い起こさ せる。
それが何処まで恩想的に対応しているかは別にして、やはり恩想の共通性として興 味深いことである。
王陽明は、 『伝習録』の中で、こう言うO
「痛みを知るという場合も、痛みの体験があってはじめて知るといえるのだし、寒
● ●
さを知るというのも飢えを知るというのもそれぞれ体験してのことだ。知と行とを
・・・・
切り離すことなどできるわけがない。そしてまさにそれが知行合一の本来的なあり 方なのであり、人の私意〔悉意〕によって隔断されうるものではない」(27)
王陽明にとって、知行合一説の核心的な思想は、 「知は行の主意、行は知の功夫、
また知は行の始、行は知の成である」(28)ということであ ̄る。そこには、西洋哲学の 二元論、即ちテオリアとプラクシス、理論と実践、事実と価値という二元論的立場の
限界を超克する思想の可能性が開示されているのではないか。
§7.不知の知
『ソクラテスの弁明』から、もう一度「不知の知」の件の文を引用する。
「この人より、私は智慧がある。なぜなら、この男も私も、おそらく善美なること は何も知らないらしいけれども、この男は知らないのに、何か知っているように思 っているが、私は知らないから、その通りにまた知らないと思っている。だからつ まり、このちょっとしたことで、私のはうが智慧があることになるらしい。つまり 私は、知らないことは知らないと患う、ただそれだけのことで、まさっているらし
いのです」(29)
前節で、哲学的な智慧のテオリアは、生きられる智慧のプラクシスにおいてのみ、
生きた智慧者になることを見た。そこに、智慧と智慧者との関係が、いわば知行合一 の関係にあることを言及した。
では、この「知らないから、その通りに知らないと思う」というソクラテスの「不 知の知」が、どうして「知行合一」と等しい関係にあると言いうるのであろうか。
ソクラテスが、 「自分が智慧のある者だなどということはほんの僅かなりとも自分 の身に覚えのないことだ」と賢明に自覚すればするほど、 「く善美なること)につい ての知は、人間には拒まれている」(30)のだからして、ソクラテスの「不知の知」の 自覚は、それ自身まさに真実の「哲学的な智慧」であることを自証的に示しており、
「不知の知」を生きるソクラテスは、 「善美なる智慧」をま草に生きているのである。
ソクラテスの「不知の知」の自覚は、彼の無智を実証しているのでなくて、逆説的に 彼の智慧を自証しているのである(31)この意味で、ソクラテスはまさに智慧者には
かならないのである。
ソクラテスの「不知の知」に智慧者・賢者を見る思想は、ギリシア哲学に特有のも のではなくて、むしろ意外にも、多くの偉大な恩想に共通な思考方式であることは、
そこにある本質的なものが在することを教示しているのではないだろうか。
老子は、プラトンと同じ紀元前五世紀末の思想家だが、 『老子』の中で、こう言う。
「知不知上、不知知病、夫唯病病、是以不病、聖人不病、以其病病、是以不病」
〔知って知らずとするは⊥なり。知らずして知るとするは病なり。それただ病を病 とす、ここをもって病ならず。聖人は病あらず、その病を病とするを以て、是を以 て病あらざるなり〕。
文意はこうである「知っていても(本当の所は)知っていないとする(そ う自ら考える)ことが最上である。知らないのに知っているとすることが欠点である0 欠点を欠点とするゆえにこそ、欠点とはならない。聖人には欠点がない。 〔何故かと いうと〕自分の欠点を欠点と(自覚)する。それ故に(欠点はあっても)欠点とはな
らないのである」。(32)
ここに、奇しくもソクラテスの「不知の知」とまったく同じく、老子の「不知の知」
がある。 「知って知らずとするが上なり、知らずして知るとするは病なり」。知っては いても本当の大事なことは知ってはいないのではないかと自ら考えることが大切なこ となのである。
老子の「知者不言、言者不知」、(33)すなわち「知る者は言わず、言う者は知らず」
も、同じ思想に発していると言える。これはまた、プラトンの「哲学の最も大切なこ とは、語ることも、書くこともできない」という考え方に相通じるものである。
ブッダは、老子と同時代人で仏教を開示した『真理のことば』の中で、こう言う。
「もしも、愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者であり ながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、 「愚者」だと言われる」(34)
愚者の愚者たる所以は、愚者がみずから愚者であることを悟らぬところにある。
愚者が自ら己れを愚者と自覚すれば、愚者はすなわち賢者になっているのである。
精神医学でも、精神を病んだ人はなかなか自ら精神病者であると自覚したがらない、
また当然のことながら自己防衛のために自己を精神病者だと認知することを拒否する。
従ってなかなか医師の診察を受けたがらない。受けても医師に心を開かず、病気から 逃れようとして、かえって病気の回復は遅れるのである。ところが、自ら精神病者だ
と認知する者は、既に快方に向かい、回復も早いそうである。
我々は、自己愛に基づく利己的な幻想を捨てて、自己の真実の姿を直視するはかな い。哀れな自己の現実を見定める時に、我々はある意味で、その哀れな自己を超克し
ているのである。
ブッダが言うように、我々愚者が自ら愚者であると自覚する時その時にのみ、愚を 超克して賢になるという境地に立っと言える。しかしそこで、だからやはり自分は賢 者だと思う瞬間に、我々は愚者に舞い戻っているのだ。賢と言えるのは、自らを愚と 感得する心術を抜きにしては、決して成り立たない。その意味で、ソクラテスの「不 知」の自覚は、まさに「不知の知」として、彼の「知」を自証している。その日証性 以外には、ソクラテスが賢者である所以はない。
つまり、ソクラテスは、自らが智慧者であるとは身のはど知らずであると自己否定 する、その自己否定を媒介にしてのみ、逆説的に彼が智慧者であることを自証してい るのである。
註
(1)西周,
(2) Pascal,
(3) T.クーン, (4) Pascal,
(5) Wittgenstein,
(6)プラトン,
(7)兼好法師, (8)兼好法師,
(9)マシューズ, (10)マシューズ, (ll)マシューズ,
『百学連環』、田中美知太郎『哲学初歩』 (岩波書店) からの引用、 5頁
Pensees, Classiques Gamier, §22 ( §431),p79
『パンセ』前田・由木訳(世界の名著Fパスカル』), 中央公論社, §22,73貢
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邦訳, §4,頁
Tractatus Logico‑Philosophicus,S48
『論理哲学論考』,ウィトゲンシュタイン全集、 1、大修館書店、 53 貢
『テアイテトス』田中美知太郎訳、 155D
Fプラトン』 (世界古典文学全集)所収、筑摩書房、 437頁 F徒然草』 (岩波文庫)、 243段、 412頁
前掲書、 413頁
『子どもは小さな哲学者』鈴木品訳、思索社、 21頁 前掲書、 23貢
前掲書、 24貢
(12)Descartes,
(13)アンデルセン,
(14)ヤスパース, (15)ヤスパース, (16)アリストテレス, (17)プラトン,
(18)加藤信朗,
(19)Kant, (20)松永雄二,
(21)プラトン,
(22)田中美和太郎,
(23)Kant, (24)Kant, (25) Kant,
(26)Kant,
(27)王陽明,
(28)王陽明,
(29)プラトン,
(30)松永雄二, (31)加藤信朗,
(32)老子, (33)老子,
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『省察』三木清訳、岩波文庫、 124‑'5亘
「裸の王様」 (矢崎訳『マッチ売りの少女』童話集所収) 新潮文庫、 50頁
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『形而上学』出隆訳、上、岩波文庫、 28‑'9貢
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Logik, Kants Gesammelte Schriften, Bd. IX, S25
『論理学』 , 『カント全集』理想社,第12巻,378貢 Logik,前掲書, S25,邦訳377‑'8頁
『伝習録』 (溝口雄三訳),世界の名著『朱子・王陽明』所収, 中央公論社,328貢
前掲書,328貢
『ソクラテスの弁明』,前掲書『プラトン』, IO責 前掲論文, 2貢,前掲書18頁
前掲論文, 9‑'10頁参照,加藤氏によって、 「この意味では、ソク ラテスの「不知」の自証は決定的である。それは、ソクラテスに おける不知への関はりがまさにそれ自体ソクラテスにおける知へ の関はりでもあることを証しするものだったからである」 (9亘) と的確に指摘されている。ソクラテスの「不知」の自証性に対す る加藤氏の解釈に教示をえた。
『老子』小川環樹訳注,中央公論社,中公文庫,第71章, 130‑1頁 前掲書,第56章,107貢
(34)ブッダ, 『真理のことば』中村元訳,岩波文庫, 63節, 19貢
(平成5年10月29日受理)