経済の国際化と「中小国際企業」
その概念化
―― ――
川 上 義 明
目次 はじめに
1.中小企業の海外進出への研究アプローチ 2.作用・反作用的アプローチ
3.国際調整的アプローチ 4.国際的交換・交流アプローチ
5.経済の国際化と中小企業, 「中小国際企業」
むすび
は じ め に
日本企業は,規模の大小を問わず,国境を越えた活動をますます展開して いる。製品の輸出入はもちろん,国境を越えた生産・販売・サービス活動を 行いつつある。
前々稿で検討したように,従来,「現地法人(現地子会社・関係会社)を 通じて国境・地域を越えて経営活動を行っている企業」(以下,簡単に「国 境・地域を越えて経営活動を行っている企業」という)を取り上げるアプロ ーチとして,「多国籍企業論」からの研究アプローチがみられる。このアプ ローチは1960年代からみられるようになったが,それは企業一般の中からあ る要件を満たす一部の企業を切り取るというアプローチである。研究方法が 一般化しているとはいえないが,「ミニ多国籍企業」として規模の小さい企
業(中堅企業,中小企業)の多国籍化を説く研究もある 。1)
これとは別の立論のもと,「国境・地域を越えて経営活動を行っている企 業」をグローバル企業として捉える研究もある。多国籍企業がグローバル企 業化していくとする研究もある。いくつかの研究からグローバル企業を推論 しえることも前稿で示しておいた 。この場合,2) 「企業一般のグローバル化」
を措定しているようにみえる。
ところで,経済のグローバル化は間断なく進行し続けている。今後もます ます進展しつづけるであろう。発展途上諸国では「富裕層」や「中間所得層」
も拡大し,市場としての拡大が見込まれている。また,低賃金労働力を基礎 に生産国・地域としての意味合いもますます大きくなっている。中小企業と 経済のグローバル化との関連をどのように整理すればよいのだろうか。
本稿では,これまでさんざん議論されてきたことではあるが,「経済のグ ローバル化と中小企業」との関連に言及する前段階の作業の一環として「経 済の国際化と中小企業」を今一度検討し,ついで「中小国際企業」の概念化 についてみておくことにしよう。
1.中小企業の海外進出への研究アプローチ
今日,(最も少ない場合には「1本」から「多数」の)国境を越えて,製 品,サービスや「経営資源」としてのヒト,モノ,カネ,情報・技術を相互 に移転・移動させる企業がますます増加しつつある。「現地法人(現地子会 社・関係会社)を通じて国境・地域を越えて経営活動を行っている中小企業」
(以下,簡単に「国境・地域を越えて経営活動を行っている中小企業」とい う)が数多くみられるようになっている。
こうした中小企業を取り上げるアプローチとして,最も簡単には「中小企
川上義明[2003年 a] 。 1)
川上義明[2003年 b] 。
2)
業の海外進出」として取り上げる研究アプローチがある。巻末の「引用・参 考文献」にもその一部を載せているけれども,理論的研究やまた実態調査を 中心とした研究を挙げる枚挙にいとまがない。これからも「国境・地域を越 えて経営活動を行っている中小企業」がますます多くなるにしたがっていよ いよ数多くの研究がみられるようになるであろう。
これらの研究では,中小企業が国境・地域を越えて経営活動を行うこと,
すなわち国境を越えて,製品,サービスや経営資源としてのヒト,モノ,カ ネ,情報・技術を相互に移転・移動させるには何らかの動因や要因があると する。
例えば,多くの論者がその現象をみてかつてよく指摘したのが,中小企業 による為替変動への対応の1つ(円高回避)が中小企業を海外進出させる1 要因であったとする視点である 。3)
さらには,中小企業の海外進出の意義や進出先国への経済的貢献が説かれ ることがある。ちなみに,中小企業の海外進出は「狭い国内市場から広く海 外市場に向かうグローバル戦略の展開のためとか,保護主義・地域主義対応 のためとか,海外消費者ニーズ対応とかサービスの充実のためとか,諸々の 要因に基づいて行われる。受け入れ側の雇用増・技術収得のための積極的勧 誘,規制緩和措置等がこれを助長する」という見方がある。4)
ところで,最初は国内で経営活動を行っていた中小企業が国境・地域を越 えて経営活動を行うようになるその要因や背景などを探っていくと結局は経 済の国際化,またグローバル化との関連を抜きにしては断片的な研究になら ざるをえない。
幸いにして,こうした先行研究すなわち「経済の国際化と中小企業に関す る研究」や「経済のグローバル化と中小企業に関する研究」に容易に出会う
商工総合研究所[1990年] ,6ページ。
3)
商工総合研究所[1990年] ,6ページ。
4)
ことができる。以下,みていくことにしよう。
2.作用・反作用的アプローチ 日本中小企業の海外進出の2要因 1
a.中小企業内の要因
中小企業が,何故に 国境・地域を越えて経営活動を行うのか ,国境・
地域を越えて商品としてであれ経営資源としてであれ,何故にヒト,モノ,
カネ,情報・技術を相互に移転・移動させるのかについて解答を与えることは,
結局のところ中小企業をどう捉えるのかということと関連することになる。
そうした点にまで掘り下げて中小企業の海外進出に迫ろうとする研究成果 がまとめられたのが『中小企業の海外進出』(瀧澤菊太郎編)である。その 中で瀧澤教授は,「中小企業が抱える問題性」と「経済の国際化」という2 つの側面から日本の中小企業の海外進出を説こうとする。すなわち,日本で
「中小企業への関心が高まったのは,国民経済の中で大きな割合を占め重要 な役割を果たしている膨大な数の中小企業が,様々な問題を抱えて悩み苦し んでいるからであった。したがって,日本では,まず何よりも先に,その問 題の解消・改善との関連において,中小企業の海外進出が考えられる」と。5)
「日本の中小企業が抱える問題性」はむろん固定的ではなかった。日本経 済の展開に伴って,日本経済の国際化の展開に伴って,その問題の内容は変 化してきたといってよいだろう。
であるとすれば,中小企業自身の経営問題への対応も,当然,変化せざる をえなかったであろう。つまり,中小企業が国境・地域を越えて経営活動を 行うのも,中小企業のそうした取組みの一環として考えることができる。中 小企業からみて,ポジティブな(積極的な)経営活動の展開である。
瀧澤菊太郎[1982年] ,6〜7ページ。
5)
b.海外からの進出要請
言うまでもなく,日本経済が発展し,その国際化が急速に進展していき,
諸国経済の中で日本経済のプレゼンスは高まっていった。と同時に,諸国・
地域経済と日本経済との相互作用(作用・反作用)も強まっていった。
日本は自国経済の利益を優先させて考えざるをえなくなった。と同時に諸 国・地域経済社会との協調(=国際協調)や協力(=国際協力)も考えざる をえなくなった。他方,経済発展を遂げた日本における中小企業へ世界の関 心が高まっていった 。6)
こうして,自国の経済発展に貢献し,ことに発展途上諸国では貧困と失業 の問題を改善するものとして,日本の中小企業の現地進出への要請が急増し た。また,欧米諸国からもそれは急増した 。7)
つまり,中小企業からみて,必ずしも積極的な経営活動の展開とはいえな かった。ネガティブな(消極的な)それであったといってよいであろう。
日本における経済の国際化の展開 2
それでは,こうした論脈において「経済の国際化」はどのように捉えられ るのであろうか。
瀧澤教授は,「経済の国際化」とは,「国民経済が国際経済社会に組み入れ られることである」とし,「人,物,金および無形のサービス,技術,情報 などの国際的移動が促進され,自国の経済が国外からの影響を受けるように なるとともに,自国の経済が国外に影響を与えるようになることを意味する」
といっている 。8)
このように経済の国際化を捉えるとすれば,日本における経済の国際化は
瀧澤菊太郎[1982年] ,29ページ。
6)
瀧澤菊太郎[1982年] ,2〜3ページおよび6〜8ページ。
7)
瀧澤菊太郎[1982年] ,8〜9ページを参照。
8)
すでに徳川末期の開国の時に始まったといえるであろう。とはいっても,経 済の国際化は第二次大戦によって言わば中断された。戦後になって日本経済 の国際化は再び始まったとみることができる。
日本経済の国際化の第1段階 「消極的・他律的」国際化
3 ―― ――
瀧澤教授は,第二次大戦後における日本経済の国際化を次の2つの段階に 区分する 。9)
㈰「消極的・他律的(受け身の)国際化」の段階(1970年頃までの段階。
ここでは「第1段階」と呼ぼう)
㈪「積極的・自律的国際化」の段階(第1段階以降1980年代初頭までの段 階。ここでは「第2段階」と呼ぼう)
第1段階は,敗戦によって壊滅した日本経済が再建され,日本が国際経済 社会の一員としてその地位を確立する段階であった。
この段階では,国内経済の発展が最優先と考えられた。1日も早く欧米先 進国に追いつくことがいってみれば至上命題であった。国際経済社会におけ る日本経済の地位は相対的に高くはなかった。
日本経済の外国経済への「作用」はまだ小さく弱かった。外国経済から強 い「作用」を受ける状態にあった。したがって,日本経済にとって不利と考 えられる国際化も少なくなかったので,総論的には国際化に賛成し,そして それを望みつつも,各論的には不利と考えられる国際化には消極的なことが 多かった。例えば,貿易・為替・資本の自由化や関税の引下げ,特恵関税の 供与などについて,その傾向がみられた 。10)
つまり,この意味でこの時期の経済の国際化は,「消極的・他律的国際化」
だったのである。
瀧澤菊太郎[1982年] ,9ページ。
9)
瀧澤菊太郎[1982年] ,9ページ。
10)
日本経済の国際化の第2段階 「積極的・自律的」国際化
4 ―― ――
第2段階に入ると,それまでの高度成長によって日本経済は国際経済社会 の中で地位を高め,外国からの「作用」を一方的に受けるという立場にはな かった。日本経済は外国に対してかなりの「作用」を与えるほどにまで強ま っていった。
日本からの対米輸出が急増し,繊維,鉄鋼,カラーテレビ,自動車といっ た分野での貿易摩擦が生じた。また,日本の国際収支の継続的黒字が一因と なっての国際通貨調整も行われた。そのため,日本経済の利益だけを最優先 に考えるわけにはいかない。国際経済社会との協調や国際協力を積極的に考 えざるをえなくなっていった 。11)
この第2段階では,国際通貨調整や円高,あるいは2度にわたるエネルギ ー危機(第1次・第2次石油ショック)といった国際経済からの「作用」が あった。だが,この「作用」をただ単に外国からの与件とみなして「反作用」
したのではなかった。
国際経済への「反作用」がまた日本経済に「作用」してくるというように,
日本経済と国際経済との相互作用(作用・反作用)といった,日本経済の国 際化であった 。12)
つまり,この時期の国際化は,第1段階とは対照的に経済の「積極的・自 律的国際化」の段階にあったのである。
中小企業問題への対応策としての中小企業の海外進出 5
こうして経済の国際化との関連で日本の中小企業を考察する場合,第2段 階においては,「経済の国際化の日本中小企業への作用」と「経済の国際化へ の日本中小企業の反作用」といったフレームワークにおいて中小企業の海外
瀧澤菊太郎[1982年] ,9〜10ページ。
11)
瀧澤菊太郎[1982年] ,10ページ。
12)
経 済 の 国 際 化
中 小 企 業 の 問 題 性 作 用
反作用
(資料)瀧澤菊太郎[1982年]より筆者作成。
進出を捉えることができるであろう(作用−反作用アプローチ。図表2−1)。 第1段階における経済の国際化への中小企業の「反作用」(対応策)とし ては,当初は近代化・合理化による生産性向上,コスト削減が重視されてい た。
これは同一製品でコスト面からの国際競争力強化を狙ったものであった。
しかし,第1段階を終え,第2段階になろうとする頃(1965年以降)になる と,しだいに品質向上,製品の高級化・個性化・ファッション化,新製品・
新技術の開発,市場転換・事業転換・多角化といった対応が重視されるよう になってきた 。13)
第2段階において中小企業は,コスト競争力強化だけでは対応しきれなく なり,競争の回避,新分野への進出・転換などを重視せざるをえなくなって きた。つまり,国際的な分業化を図る方向が摸索されるようになった 。14)
このように日本国内における「中小企業企業問題」への対応策の1つとし て,中小企業の海外進出が捉えられているのである(補注)。
図表2−1 作用−反作用アプローチ
瀧澤菊太郎[1982年] ,28ページ。
13)
瀧澤菊太郎[1982年] ,28ページ。
14)
(補注)なお,日本において「中小企業への関心が高まったのは,国民経済の中で大きな 割合を占め重要な役割を果たしている膨大な数の中小企業が,様々な問題を抱えて悩 み苦しんでいるからであった。したがって,日本では,まず何よりも先に,その問題 の解消・改善との関連において」 ,中小企業の国際化の一環としての海外進出が考
15)えられたのである。
3.国際調整的アプローチ
日本経済の国際化と中小企業の調整的アプローチ 1
さらに,「国境・地域を越えて経営活動を行っている中小企業」を捉える のに経済の国際化が進んでいる中での中小企業による国際的調整として捉え ようとする研究がある。
村上 敦教授は,直接「経済の国際化」を規定してはいないが,例えば
「日本経済が国際経済的関わり合いを強くしていくこと」を日本「経済の国 際化」としているように思われる 。16)
先にみたように,日本経済の国際化の本格的な開始は19世紀中頃の開国ま で遡ることができるが,村上教授も中小企業と国際化の問題を日本の歴史的 発展の過程で取り上げようとする。
(補注)村上教授は,中小企業の国際化とは, 「海外進出をも含めて中小企業の経営戦略 に国際的視点を導入し,これを〔中小企業を〕活性化させようとするもの」と捉えて いる 。
17)このような視角から「中小企業と国際化」を検討する際,村上教授は次の 図表3−1のようなフレームワークを構築する。すなわち,日本経済の国際 化に対する国内的調整過程,国際的調整過程という(以下の㈰と㈪という)
瀧澤菊太郎[1982年] ,6〜7ページ。
15)
村上 敦[1985年] ,285ページ。
16)
村上 敦[1985年] ,285ページ。 ( 〔 〕内は筆者による。 )
17)
(資料)村上 敦[1985]より筆者作成。
日本経済の国際化の展開 中小企業の 調整過程
①国内的調整過程
②国際的調整……海外進出・海外直接投資過程
2つの局面である。
㈰国内ではどのような調整過程を辿ったのか(日本経済の国際化に対する 中小企業の国内的調整過程)
㈪さらには国際的にはどのような調整過程を辿ってきたのか(日本経済の 国際化に対する中小企業の国際的調整過程)
日本経済の国際化の展開 2
開港後,日本経済は軽工業化を進めてきた。「在来産業」にせよ「移植産 業」にせよその生産を担当し,輸出指向的工業化を推し進めてきたが,その 中心にあったのは中小企業であった。すなわち,経済の国際化を戦前段階で 主として進めてきたのは中小企業であった。
昭和の初期(10年前後)においてさえ,わが国工業品輸出の実に80%以上 が軽工業品であり,うち65%以上が中小工業製品であった 。18)
戦後になっても日本経済の国際化において労働集約的軽工業品の輸出が果 たした役割は大きかった。日本の民間貿易が再開されたのは1950年であった。
輸出の期待をあつめたのは,戦前の産業構造の延長線上にあったといってよ いだろう,労働集約的軽工業品であった 。19)
図表3−1 中小企業の国際的調整論アプローチ
村上 敦[1985年] ,286〜287ページ。
18)
村上 敦[1985年] ,289〜290ページ。
19)
この労働集約的軽工業品の生産を主として担ったのは中小企業(この当時,
軽工業における中小企業の比重は出荷額べースで約70%。重化学工業分野に おける比率は約40%)であった。日本の輸出(数量)は,大きな伸びを示し,
1959年には戦前水準を回復した 。20)
一方,輸入においては,1949年に制定された「外国為替及び外国貿易管理 法」のもと,日本は保護貿易政策下にあった。
しかして,商品や資本の流入が日本産業の基盤を揺がし,それが中小企業 の存立を危うくするといった事態は生じようがなかった 。21)
このように,日本経済の復興段階においては,輸出を通じて経済の国際化 を進めていったのは主として中小企業であった。
ところが,軽工業化から重化学工業化へと日本経済がその比重を移してい くようになると状況は一変した。
重化学工業化に伴って労働力不足と賃金の高騰がもたらされたが,中小企 業は賃金の高騰を労働生産性の向上によって吸収することができなかった 。22)
1960年代以降,「貿易の自由化」と次いで「資本取引の自由化」が順次進 められていった。
ドル・ショック(1971年)とさらには2次にわたるエネルギー危機(第1 次・第2次石油ショック〔1973年,1979年〕)が日本の中小企業に与えたイ ンパクトには,計り知れないものがあった。
円切上げ(円高)によって輸出は厳しくなった。そうではなくとも比較劣 位化し競争力を失ないつつあった日本の労働集約的軽工業分野の中小企業に とって,このことは致命的打撃となった。逆に輸入条件の有利化はとりわけ アジア新興工業国からの繊維,雑貨の輸入増加を誘発し,この分野の中小企
村上 敦[1985年] ,289〜290ページ。
20)
村上 敦[1985年] ,290ページ。
21)
村上 敦[1985年] ,290〜291ページ。
22)
業に国内市場での競合激化を強いることとなった 。23) さらに,貿易摩擦が起こった。
日本の貿易黒字の拡大(石油ショック期を除く)と特定商品にみられる強 い輸出競争力をめぐって,日本と米国・EC 間でしばしば貿易摩擦問題が発 生し,1980年代に入るとこれが一層深刻化するようになった 。24)
このように,村上教授は中小企業との関わりで開港から1980年代央まで,
日本経済の国際化を描いている。中小企業は自ら生き延びていくには,日本 経済の国際化の展開に対して自ら国内的・国際的調整を図ってきた。このよ うに,中小企業による国際的調整の1つが海外進出・海外直接投資であると 考えられているのである。
日本経済の国際化に対する中小企業の調整 3
a.国内的調整
国内において経済の国際化に対して調整を必要とするのは,輸出中心の中 小企業であろう。実際,輸出中心の中小企業は輸出環境が悪化するに伴い,
内需向け生産に転換した。
もとより内需向け生産は輸入品との競争を伴うものであったが,多くの中 小企業はこの競争を回避し,同時に多様化した高度な国内消費者のニーズに 応えるべく,商品の高級化,高付加価値化,あるいは差別化を図っていった 。25)
加えて,国内市場向けに商品を高級化していった結果,その新商品が再度 国際的に通用するようになることも少なくなかった。このことは伝統的な軽 工業品の内部でもみられたし(ちなみに,合繊織物,縫製品,魔法瓶,作業 工具,自転車および同部品),軽工業品から重化学工業品への転換という形
村上 敦[1985年] ,296〜297ページ。
23)
村上 敦[1985年] ,297ページ。
24)
村上 敦[1985年] ,299ページ。
25)
においてもみられた 。26) b.国際的調整
村上教授のフレームワークでは,先にみたように,もう1つの国際的調整 が中小企業の海外進出である。
日本の海外直接投資は第二次世界大戦後1951年から再開されたが,1972年 以降急増した。この1972年が「海外直接投資元年」と呼ばれることがある。
中小企業の海外進出は国際環境の変化に即応する中小企業の調整的対応に ほかならない 。27)
その間の事情は以下のとおりである。
これまでのところ,中小企業の海外進出の主流は日本で比較劣位化した労 働集約的軽工業分野の中小企業による近隣発展途上国への投資という形をと っている。こうした分野の中小企業は,最初,国内で低賃金労働力を求め,
中央から地方に工場を移転させるという対応を図った。これに限界がみられ るようになった段階で次には近隣発展途上国の低賃金労働を目指し,海外進 出を企図するようになったのである 。28)
国内的調整に限界がみられたことから日本の中小企業は国際的調整に乗り 出したというわけである。
このアジア新興工業国の場合のように,成長に応じて賃金が高騰したり,
現地企業が日本の技術を習得したところでは海外進出の基盤が失なわれ,い わゆる「撤退」を余儀なくされるケースも存在する。しかるに,低賃金を武 器に軽工業レベルでの工業化に着手しようとする発展途上国がつぎつぎと現 れ,日本の中小企業にそこへの進出を求めるといってよいであろう 。29)
村上教授は,当時(1985年時点)における日本経済の国際化の進展状況を
村上 敦[1985年] ,299〜300ページ。
26)
村上 敦[1985年] ,300〜301ページ。
27)
村上 敦[1985年] ,301ページ。
28)
村上 敦[1985年] ,301ページ。
29)
みて,今後も中小企業は積極的に調整の道を進むだろうとみている 。30) 海外進出・海外直接投資を行ったあとで,中小企業は新しく国際的調整を 図るだろうというわけである。
4.国際的交換・交流アプローチ
経済の国際化 ヒト,モノ,カネ,情報の国境を越えた移動
1 ―― ――
経済の国際化に対してどのように日本の中小企業が対応してきたかについ て,上とは異なるアプローチがある。すなわち,経済の国際化の要因をヒト,
モノ,カネ,情報の国境を越えた移動に求め,それと中小企業がどのように 関るかという松永宣明教授の研究アプローチである。
松永教授は,「一般に『国際化』とは,国境を越えてヒト・モノ・カネ・
情報などの交換や交流が盛んになること」 であるとする。そのうち,31) 「経済 の国際化とは,経済活動の国境を越えた拡大・活発化であり,その結果,国 家間の経済的相互依存関係が緊密になって,貿易依存度の上昇,国際的資本 移動・労働移動の活発化,技術移転や資本援助等の経済協力の拡大,海外直 接投資の増加などが生じること」 であるとする32) (補注)。
(補注)さらに,松永教授によれば, 「企業の国際化」とは,㈰貿易(輸出,輸入) ,㈪海 外からの技術の導入,㈫海外への技術輸出や技術提携,㈬海外直接投資(海外生産を 行う場合は逆輸入)および㈰〜㈬に必要な海外情報の収集など広範囲な活動を企業が することである ,としている。
33)さて,「歴史的にみれば,資源小国で『加工貿易立国』への道を選ばざる をえなかった日本は,もともと貿易を通じた〔経済の〕国際化を避けること
村上 敦[1985年] ,305ページ。
30)
松永宣明[1992年] ,221ページ。
31)
松永宣明[1992年] ,221ページ。
32)
松永宣明[1992年] ,221ページ。
33)
はできなかった。海外から原材料を輸入し,それを国内で加工して製品に仕 上げ,それを輸出することによってのみ,土地や天然資源に比して過大な人 口を養い,その生活水準を継続的に向上させることができた」 のである。34)
したがって,「企業の国際化もまず輸出入の拡大,そのために必要な海外 の情報収集や営業活動を中心に始まった。この段階の国際化といえば,輸出 を拡大するために必要な海外情報の収集であり,外国技術の導入であり,海 外販売網の展開であり,輸入原材料確保のための海外進出であった。」35)
「受け身の国際化」と「積極的国際化」
2
a.「受け身の国際化」
1950年代において日本経済の国際化は,ほとんど問題とされることはなか った。戦後経済の復興が最優先とされ,輸入と外国為替は厳しい制限下にお かれたからである。
ところで,戦後,日本に国際化の時代が到来したのは,経済復興が完了し,
高度成長が始まる1960年代であった。60年に政府は,「貿易・為替自由化大 綱」を発表して制限措置の撤廃を内外に示し,これに沿って63年には「貿易 の自由化」を,64年には「為替の自由化」を,67年には「資本の自由化」を 開始した。米国を中心とする「外圧」によって,日本の国際化が始まった戦 後最初の時期である。そして,この時期の国際化は貿易,とりわけ輸出を中 心とした国際化であった。その後も,貿易・為替・資本の自由化は着実に進 められていったが,これは外圧によって進められた「受け身の国際化」であ った 。36)
松永宣明[1992年] ,221ページ。 ( 〔 〕内は筆者による。 ) 34)
松永宣明[1992年] ,221ページ。
35)
松永宣明[1992年] ,222ページ。
36)
b.「積極的国際化」
これに対して,70年代は海外直接投資の急増に象徴される「積極的国際化」
の始まった時期といえる。
高度経済成長の実現による賃金の上昇と貿易黒字の定着によって海外進出 の内部要因を生み出した日本は,ニクソン・ショック(1971年)以降の円高 という外部要因に遭遇して積極的に海外進出を図っていったのである 。37)
日本経済の国際化は貿易を中心に始まり,海外直接投資を中心に進んでき た。
この国際化を推進した外部要因を70年代以降についてみると,71年以後い くどにもわたった円高,73年と78年に生じたオイル・ショック,70年代に本 格化したアジア NIES の追上げ,年ごとに広範かつ深刻の度を増す貿易摩擦 などであった 。38)
中小企業の経済の国際化に対する対応 3
一口に中小企業といっても非常に多様である。様々な分野にそれぞれの顔 をもった企業があるといってもよい。したがって,中小企業ごとに経済の国 際化の影響は大きく異なるであろう。中小企業と経済の国際化を検討する場 合にもこうした点を,当然,考慮しなければならない。そうした中小企業が 経済の国際化に対応する方向には大きく2つの方向がある。
その1つは,輸入を保護政策によって規制するよう政府に働きかける「消 極的対応」である。もう1つが,比較劣位産業から比較優位産業への業種転 換(高付加価値産業への転換,サービス業などの非貿易財産業への転換など)
と国内で比較劣位化した産業を海外移転して海外で比較優位産業として再生 させる「積極的対応」(海外直接投資)である 。39)
松永宣明[1992年] ,222ページ。
37)
松永宣明[1992年] ,223ページ。
38)
望ましいのは,後者の「積極的対応」であろう。
商品・サービス・経営資源の国際的交換・交流アプローチ 4
a.フレームワーク
松永教授は,1国レベルにおいて,経済の国際化に商品やサービス,経営 資源といった内容を与えている。
すなわち,㈰貿易における「モノの国際化」,㈪海外直接投資や金融によ る「カネの国際化」,㈫技術の輸出入や海外直接投資に伴う経営者と技術者 の派遣による「ヒトの国際化」である。「ヒトの国際化」は「出の国際化」
と「入りの国際化」にさらにブレークダウンされている 。40) (なお,「情報・
技術の国際化」は直接取り扱われてはいない。とはいえ,当然,国境を越え た情報や技術の移転・移動もあるであろう)。
このうち「カネの国際化」の中で対外・対内直接投資が扱われている(図 表4−1)。
b.日本経済の国際化と中小企業
こうしたフレームワークのもとで,松永教授は,戦後経済の復興が最優先 とされ,輸入と外国為替は厳しい制限下におかれた,1950年代の日本経済の 国際化がほとんど問題とされることがなかった段階から貿易・為替・資本の 自由化が外圧によって進められた「受け身の国際化」の段階における経済の 国際化と中小企業の関連を分析する。
その上で,ニクソン・ショック(1971年)以降の円高という外部要因によ って中小企業が積極的に海外展開を図っていくという「積極的国際化」の時 期から90年代初頭までを松永教授は,「積極的国際化」の段階と規定し,分 析を進めていくのである。
松永宣明[1992年] ,225ページ。
39)
松永宣明[1992年] ,226ページ以下。
40)
図表4−1 1国経済レベルにおける商品・サービス・経営資源の国際的交換・
交流アプローチ
ヒトの国際化 モノの国際化
「入り」
の国際化
「出」
の国際化
「入り」
の国際化
「出」
の国際化 受け身の国際化段階
(〜ニクソン・ショック〔1971年〕 ) 積極的な国際化段階
(ニクソン・ショック〔1971年〕 〜)
カネの国際化
「入り」
の国際化
「出」
の国際化 受け身の国際化段階
(〜ニクソン・ショック〔1971年〕 ) 積極的な国際化段階
(ニクソン・ショック〔1971年〕 〜) 対内直接投資
対外直接投資
(中小企業の 海外進出)
(資料)松永宣明[1992年]より筆者作成。
カネの国際化と中小企業 中小企業の海外直接投資,中小企業の海
5 ――
外進出 ――
図表4−1に示されたように,松永教授の研究フレームワークにおいては,
日本経済の「積極的な国際化段階」における「カネの国際化」の中で中小企 業の対外直接投資・中小企業の海外進出が位置づけられている。
その上で日本の中小企業の海外直接投資・海外進出の特徴を抽出しようと している。
先にみたように,一口に中小企業といっても多様である。そうした多様な中 小企業の海外直接投資(海外進出)は次のような3つの形態をとるであろう 。41)
㈰中小企業の単独海外進出(自らの意思決定による海外進出),㈪他の中
松永宣明[1992年] ,232ページ。なお,松永教授自身はあくまで「カネの国際化」
41)
の1つとして捉えており,海外進出の3形態といっているわけではない。
小企業や大企業と合同した海外進出,㈫親企業へ追随した海外進出である。
ヒト・モノ・カネ・情報/技術の国際化 6
松永教授は,「経済の国際化とは,経済活動の国境を越えた拡大・活発化 であり,その結果,国家間の経済的相互依存関係が緊密になって,貿易依存 度の上昇,国際的資本移動・労働移動の活発化,技術移転や資本援助等の経 済協力の拡大,海外直接投資の増加などが生じること」 であるとしていた。42)
中小企業の国際化については,「経済の国際化」と日本国内の中小企業と の対応関係からみた視点からの立論であった。したがって,図表4−1での 整理に言わば留まってしまった。
松永宣明[1992年] ,221ページ。
42)
図表4−2 1国レベルにおける商品・サービス・経営資源の国際的交換・交流
ヒトの国際化 モノの国際化
「入り」
の国際化
「出」
の国際化
「入り」
の国際化
「出」
の国際化 受け身の国際化段階
(〜ニクソン・ショック〔1971年〕 ) 輸入 輸出 積極的な国際化段階
(ニクソン・ショック〔1971年〕 〜) 輸入 輸出 カネの国際化 情報・技術の国際化
「入り」
の国際化
「出」
の国際化
「入り」
の国際化
「出」
の国際化 受け身の国際化段階
(〜ニクソン・ショック〔1971年〕 ) 積極的な国際化段階
(ニクソン・ショック〔1971年〕 〜) 対内直接投資
対外直接投資
(中小企業の 海外進出)
(資料)筆者作成。
これをさらに一般化させれば次の図表4−2のようになるであろう。すな
わち,このフレームワークによって,図表4−1の㈰「ヒトの国際化」,㈪
「モノの国際化」,㈫「カネの国際化」に㈬「情報・技術の国際化」の国際 化を加え,さらにこの㈰〜㈬がそれぞれ国境を越えて移動していることを示 すことができる。
5.経済の国際化と中小企業,「中小国際企業」
「経済の国際化」と中小企業 1
以上,本稿第2節から第4節まで検討した問題の核心は,「経済の国際化」
という「作用」に中小企業はいかに「反作用する」のかあるいはいかに「調 整する」のかということであった。
今日の状況を分析するのに当然あるべきは歴史的視点,歴史的分析である。
開港時にまで遡って「経済の国際化」が中小企業に「作用」した側面,中小 企業が「経済の国際化」を推し進めた側面を分析するフレームワークをみて とることができた。
このことは,図表5−1のようにあらわすことができるであろう。
中小国際企業 2
以上の検討を踏まえると,経済の国際化(という「作用」)に「反作用」
するものとして「企業(活動)の国際化」を考えることができる。われわれ はこれを経営環境の国際化に適合しようとして「企業(活動)の国際化」を 考えることができると言い換えることができる。
この場合,企業規模の大小を問わず,1本でも国境を越えた「商品」とし ての製品およびサービスやヒト,モノ,カネ,情報・技術といった「経営資 源」の(相互)移転・移動がなされれば,「企業(活動)の国際化」が行わ れていると考えることができる。例えば,㈰「商品」としての製品およびサ ービスやヒト,モノ,カネ,情報・技術といった「経営資源」の日本国内か
(資料)筆者作成。
今日 1965年 1945年
開港時 戦前の段階
軽工業による経済の国際化
(中心は中小企業)
第1段階
ネガティブな中小企業の国際化
第2段階
ポジティブな中小企業の国際化 経
済 の 国 際 化
ら海外への移転・移動と㈪「商品」としての製品およびサービスやヒト,モ ノ,カネ,情報・技術といった「経営資源」の海外からに国内への移転・移 動を考えることができる。
したがって,ある論者は,「企業の国際化」とは,企業が「2カ国以上で,
生産やサービスのための事業活動拠点を直接投資により設置し,直接的に企 業活動を行っていく〔企業の発展〕段階」であり,未だ国境(border)の存 在が大きい意味合いをもつ場合であるといっている 。43)
しかして,そうした過程にある企業を「国際企業」と呼んでよいであろう。
図表5−1 経済の国際化と中小企業の国際化
折橋靖介[1997年] ,221ページ。 ( 〔 〕内は筆者による。 )
43)
こうして,「国境・地域を越えて経営活動を行っている中小企業」に「中 小国際企業」としての具体的内容を与えることができるのである。
む す び
小稿では,「国境・地域を越えて経営活動を行っている中小企業」を捉え る4つのアプローチを検討した。すなわち,㈰単純に中小企業の海外進出を その一環として論じる場合もあるが,これとは別に,㈪経済の国際化(作用)
に対する「反作用」として中小企業の国際化を捉えるアプローチ,㈫経済の 国際化に対する中小企業の国際的調整とするアプローチ,㈬そして製品や経 営資源の国際的交換・交流の視角からのアプローチである。
これらのアプローチはそれぞれ1960年代から70年代,80年代を検討対象に しているので,「国境・地域を越えて経営活動を行っている中小企業」を捉 えるのには時代的制約があるといってよいであろう。
ところで,ことに90年代以降,取り上げられるのが「経済のグローバル化 と中小企業」の研究である。
「経済のグローバル化と中小企業」に関する研究は今後いよいよ活発にな っていくであろうが,なお「経済の国際化」に関する研究や本稿でその内容 が与えられた「国際企業」,「中小国際企業」も同時にありつづけるであろう。
次稿における検討課題である。
引用・参考文献