天明二年﹁三春行楽記﹂前後(六)
1 土 山 宗 次 郎 と 朝 田 伴 七 を 中 心 に ー
藤村潤一郎
天明二年 「三春行楽記」前後㈹
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一‑五
六‑九
一〇1一八ロ
一八バーへ
一九 (創価大学人文論集七号)
(同右九号)
(同右一〇号)
(同右=号)
(同右=二号)
二〇天明元年上州絹一件
イ武州上州諸端物井糸真綿端数貫目改所触書
(晒)天明元年六月に次の触書が出された︒
上筋緑野郡
金井村
名主半兵衛
同国同郡
新町宿
問屋源左衛門
同国同郡
同所
本陣兼五左衛門名主
右之者共武州上州村ヒ6織出候端物井糸真綿売捌方︑市場不取締二而買主損失も多キ趣二付︑右弐ヶ国村ヒ四拾七ヶ
所之市場江端物井貫目改所拾ケ所相建度旨︑御勘定奉行江願出糺之上︑諸国江買取候端物員数糸綿貫目を改︑代附共
帳面二記︑売人買人印形取之候者︑銘ζ買請候品員数直段共燧二相知候二付︑買主損質無之様相成︑端物壱疋二付銀
弐分五厘︑糸百目二付銀壱分︑真綿壱貫目二付銀五分宛︑買人6改料取之︑市場之儀も上下市場等有之分者︑不片寄
様上下モ市日相立賑ひ候様可相成由二付︑右願人共申立候通︑先三ヶ年を限︑改所建候儀差免︑当丑七月廿日6端物
等買高改候筈二候間︑諸国6罷越候者共︑端物糸真綿買請候員数貫目等︑改所江申談︑帳面二記︑改料差出︑是迄之
通無異論買請可申候
右之通江戸町々国ぐ御料私領寺社領在町共︑不洩様可触知者也
六月
この武州上州四七ヵ所の市場と︑一〇ヵ所の改所の場所については不明である︒そして御触が実施された結果について
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(鰯)は︑嘉永二年︑林衡総裁︑成島司直撰﹁湊明院殿御実紀﹂の天明元年八月一六日の条に次の通りである︒
〇十六日令せらる・は︒武蔵上野の国々にて織り出す絵絹糸綿改所の事︒三年を限りゆるされしが︒障磯のことあるを
もて︒改所を停廃せられ︒旧のごとく売買心にまかすべしとなり︒これはその国民︒むかしより絵絹を織てなりはひ
とせしに︒さきに五左衛門︒源左衛門︒半兵衛といへる姦民︒もはらをのれらが身の利潤多からんことをはかり︒そ
の国にて作りいだす絵絹︒糸︒綿の貫目を査検し︒絵絹一疋に銀二分五厘をとりて︒そのうちより公に征賦をさ・ぐ
かトロベしと︒勘定奉行松本伊豆守秀持のもとへうたへければ︒これをよしとし︒宿老松平右京大夫輝高にす・め︒この姦
民等が申旨にしたがはれて︒そのよしゆるしありしに︒やがて此としも︒国民等かたのごとく絵絹を織出しければ︒
この月五日より︒例のごとく市場にもちいで︒これを売ひさがんとせしに︒府より商人これをかひに至らしもの︒こ
としは例にたがひ︒絵絹ををのが心にまかせにかひうることかなひがたく︒郡署にもち出て︒査捻をへ︒抽税を出す
べしと聞て︒買に来りし商人ども︒これを心えぬ事に思ひ︒さらば一先府に帰り︒同じ商人等と会議すべしとてかへ
りしが︒府の商人どもこの事を伝へき・︒さらばかの国の絵絹をかふ事をやめて︒しばし事のさまをもみむとて︒た
れも絵絹かひもとめに行ものなかりき︒彼国民等は︒年頃これをもて衣食にあてたりしに︒此交易絶はてぬれば︒す
ぎはひなすべきやうもなし︒まして土風剛毅果敢なれば︒これひとへに姦民等︒をのが身の潤沢を貧り︒抽税を取立
むとせしよりをこりし事なれば︒かくて飢錫に及ばむより︒抽税の事をはかり出せし姦民等が家をうちやぶり︒怨を
んト トモロ報ぜむとて︒五十三村の農民三千人ばかり党をむすび︒此月九日上野国小幡村吉十郎といへるが家にをしよせて︒う
ちつぶしけるを始とし︒富民豪商の家をみては門戸をやぶり︒家庫に火をかけ︒衣類︒器財を引やぶり︒打こぼち狼
籍し︒はてには右京大夫輝高が高崎の城にをしよせ︒絵絹の抽税をゆりたまふべきよしを︒異口同音にとなへ︒よう
せずば︒ひがごとすべく見えければ︒城中の士等鉄炮をもて︒前にす・みしもの一二人打ころしたれど︒党人はさら
に退かず︒なかにもその首長たるもの六人︒みつから城溝をこえて城近く来たり︒うたへの事を申けるに︒残るもの
等︒もしこの六人をめしとられなば︒皆々生べくは思ひ候はずなどの・しりける︒やうく府に注進することしきり
なれば︒輝高をのがしる所の事ゆへに︒一かたならず聞おどろき︒いそぎ家人をやりて追捕しけるに︒かの党人等︒
とかく府に行て︒関東の郡代伊奈半左衛門忠尊が庁にいで・︒公裁を仰ぐべしと︒ねぎきこゆれば︒そのよし忠尊に
命ぜられ︒忠尊が下吏あまた行むかひめし取て︒ことのさまとひしに︒もとより絵絹の抽税をおこされしより︒州民
飢餌に及びしかば︒この抽税のことは停廃せられぬ︒かくて後︒やうく土民安堵し︒市場も旧に復しけるとそ聞え
し︒(日記︑雑事拾遺︑後見草)
右によると︑勘定奉行松本伊豆守と老中松平右京大夫輝高が姦民に従って絵絹︑糸︑綿について市場での抽税を許可し
たが︑国民側は絹を売って衣食を調達する事ができず五三ヵ村の農民三〇〇〇人が行動し︑富民豪商を襲撃︑ついで老中
の高崎城に押しかけた︒城中から江戸への注進により党入を追捕したが︑党人側は関東郡代伊奈半左衛門忠尊の公裁を求
める作戦を立て︑幕府側がこれに乗って収拾した結果︑抽税は廃止された︒姦民の自己の利潤追求が動機として記述し︑
許可した幕府側については勘定奉行︑老中各一名の責任とされているが︑抽税とあるからには背後に財政上の問題があっ
たからだろう︒
( 7 )
なお﹁湊明院殿御実紀﹂の安永八年七月二八日の条に﹁松平右京大夫輝高に国用の事︒田沼主殿頭意次に紅葉山修理の惣督を命ぜらる﹂とあるから︑松平輝高は勝手方老中である︒
( 8 )
抽税には前史があって︑忍藩秩父領割役松本家文書の﹁御用日記﹂類にある宝暦九年一一月一八日付︑郡奉行︑元〆の申付に
一去ル一二日︑石谷備後守様被仰渡候者︑今度武州児玉郡本庄宿伊左ヱ門︑同郡台河岸新五郎願出候︑武州上州之内︑
市場二而売買仕候絹井糸口銭願之義二付︑障リ有無相糺可申上旨︑被仰渡候(下略)
とある︒石谷備後守は宝暦九年一〇月‑安永八年四月に勝手方勘定奉行であり︑田沼意次は前年の宝暦八年に評定所の
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式日に連席する事になっている︒なお大略同様のものが=月二一日付で会田伊右衛門手代針谷順八から上州尾嶋他二
( 988 )
ヵ町に宛てられている︒具体的な事は宝暦九年卯一二月付︑会田伊右衛門手代針谷順八宛︑絹宿惣代︑伊勢崎町名主︑年寄奥印﹁指上申一札之
(㎜)事﹂に
一武州児玉郡本庄宿伊左衛門︑同国台河岸新五郎御願申上候者︑武州︑上州弐拾壱ケ所之市場江近村々6絹井糸持出し
商候所二︑右市場絹宿共︑絹壱疋二付口銭五拾文ヅ・取之︑村々及難儀候間︑以来右市場入口々江会所相建︑絹ハ丈
尺を改︑壱疋二付口銭四文ヅ・︑糸百匁二付右同断取之︑年々御運上指上度旨︑御願申上候二付(下略)
とあり︑武州上州で二一ヵ所の市場で絹︑糸につき口銭として運上を取立てるものである︒二一ヵ所の地名については
(109 )
不明である︒この口銭は上野国桐生領三六ヵ村などの赦免願が出されて結局実施されなかった︒なおこの口銭願に際して手代針谷順八が市場絹糸買高を尋ねている︒これに対する書上は伊勢崎については︑卯一二月
(兜)付︑酒井下野守領分上州佐位郡伊勢崎町名主︑年寄﹁指上申一札之事﹂があり第二二表の通りである︒
( 309 )
伊勢崎市日は寛政一〇戊午年五月朔旦序︑関重嶽著﹁伊勢崎風土記﹂巻之上の市廓には︑元亀年時以来毎月六次市で市日は一︑六とあり﹁毎年五六七月之問謬糸絹綿︑遠近商人爲群﹂とあるが︑寛政一一年未年一二月付︑御奉行所宛︑訴訟
人酒井下野守領分上州佐位郡伊勢崎町役人惣代︑同領分同州同郡境町役人惣代﹁乍恐以書付御訴訟奉申上候(新市相建古
( 409 )
来之市江差障候出入)﹂には﹁往古6市場二而壱ヶ月伊勢崎町ハ一︑六︑五︑十之日十二日宛︑境町ハ壱ヶ月六日宛︑二︑七定市仕来二而︑近在々6絹糸繭太織等持出し︑其外糠︑塩︑煙草粉︑諸色売買仕候所﹂とあるから︑一二日宛である︒
六斎市なら絹は九三六〇疋程︑糸は三一八〇貫目程であるが︑一二日宛なら絹は一八七二〇疋程︑糸は六三六〇貫目程
である︒
( 509 )
つぎに富岡については︑古沢氏所蔵﹁絹市場の栞﹂に宝暦九年と推測される﹁差上申一札之事﹂があり︑絹買高は第二84
三表の通りである︒
第22表 宝暦9年 伊勢崎市糸絹買上表 月 壱市二付 六 日 十二 日
絹 疋程 疋程 疋程
3月 301803fiO 4月 30180360 7月 5003000sOOO 8月 50030006000 9月 5003000sOOO
糸 貫匁程 貫匁程 貫匁程
6月 1509001800 7月 1509001soo 8月 1509001800 9月 40240480 10月 40240480
第23表 宝暦9年 富 岡市絹買上表 九度
疋程 2700
・111
・lil 4500 27000 27000 27000 18000 18000 '1/1
壱市 二付
絹 疋程
300 1000 1000 500 3000 3000 3000 2000 2000 1000
月2346789101112
富岡市日は寛政二年庚戌三月付︑恒岡金之丞内茂木武左衛門宛︑富岡上町︑中町各名主問屋︑組頭︑百姓代﹁上野国甘
( 069 )
楽郡富岡町明細帳﹂には﹁毎月三七十之市場二而壱ヶ月九度つ・市相立申候﹂とあるから︑絹一五一二〇〇疋程が宝暦九年分絹買高になる︒
( 709 )
なお堀田家(福島藩)の自貞享元年至元禄十六年﹁年寄部屋日記書抜﹂の元禄元年四月二一二日の条に次の下知がある︒一御領内絹改役として︑荒川多蔵︑塩谷小太夫両人申付︑依之来極月迄小人壱人宛相渡ス
一自今以後町中6織出商売仕候ハ・︑兼而御定之通︑丈尺幅無相違相守可申候
一面々絹織出候ハ・︑荒川多蔵︑塩谷小太夫両人内へ可持参候︑絹丈尺幅改候上︑印判申請商売可致事