近代詩運動と民謡 : 大正・昭和初期における富山 県の動向からさぐる地方性の現出
著者 長尾 洋子
雑誌名 表現学部紀要
巻 15
ページ 154‑132
発行年 2015‑03‑20
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00004083/
はじ めに 本稿 は、 一九 一〇
~三
〇年 代の 富山 県に おけ る近 代詩 運動 が当 地 を代 表す る民 謡の ひと つ「 おわ ら節
」と どの よう な関 係に あっ たか を探 り、 それ がい かな る地 方性 を現 出さ せた かを 考察 する もの であ る。 ここ でい う地 方性 とは
、地 域的 個性 を意 味す るだ けで なく
、〈 地 方〉 に対 して 想定 され る〈 中央
〉と の関 係を 含ん だ表 象や アイ デン ティ ティ のあ り方 をも さす
。つ まり
、ど のよ うな 地方 性が 現出 した かを 問う こと は、
〈中 央〉 との 間に どの よう な関 係や 距離 感が 存在 し たか を問 うこ とで もあ る。 今日 知ら れる 多く の民 謡は 一九 二一
(大 正一
〇) 年頃 から 北原 白 秋、 野口 雨情
、西 條八 十、 中山 晋平
、藤 井清 水と いっ た詩 人・ 作曲 家に よっ て創 作さ れた
。在 来の 伝承 歌謡 とは 区別 して 新民 謡と よば
─要 大 旨 正期 に興 隆し た近 代詩 運動 は、 文学 の領 域に とど まら ず、 地域 の文 化や
〈中 央〉 と〈 地方
〉の 関係
・表 象の あり 方に 影響 をお よぼ し た。 富山 県で は日 本海 詩人 連盟 が発 足し
、そ の機 関誌
『日 本海 詩人
』 は県 下の 詩人 にと って 重要 な発 表と 交流 の場 であ った
。近 世以 来親 しま れて いた 在来 の民 謡お わら 節は 明治 期か ら歌 詞改 良が 試み られ てい たが
、近 代詩 運動 に接 触し たこ とに よっ て新 たな 方向 に向 かう
。 創作 民謡 に求 めら れた 純朴 さや 平明 な表 現を 重視 する よう にな った ので ある
。『 日本 海詩 人』 同人 とし て民 謡の 創作 には げみ
、同 時に お わら 節の 振興 に力 を注 いだ 小谷 恵太 郎は
、こ うし た転 回に 関与 した 人物 と考 えら れる
。本 稿で は近 代詩 運動 とお わら 節の 接点 とし ての 小谷 の役 割に 注目 し、 おわ ら節 の変 化を 探る
。さ らに
、お わら 節の 本場 とさ れる 八尾 町の 表象 を考 察し
、ど のよ うな 地方 性が 現出 した かを 地理 的想 像力 の観 点か ら明 らか にす る。
近 代 詩 運 動 と 民 謡
─ 大 正・ 昭和 初期 にお ける 富山 県の 動向 から さぐ る地 方性 の現 出 長尾
洋子
れる 作品 群で ある
。「 民族 的伝 統的 表現 への 強い 志向
」を 基礎 に「 庶 民た ちの ため に新 しい 民謡 を作 る運 動」 とし て新 民謡 創作 の動 きを とら えた 小島 美子 は、 その 作品 を三 種類 に分 類し た���
。す なわ ち、
① 当時 もっ とも 先進 的な 作曲 家が 西洋 から 直輸 入さ れた 作曲 法に 深い 反省 をも ち、 新た な芸 術歌 曲と して 創作 した 作品
(た とえ ば中 山晋 平
「出 船の 港」
、)
②農 村の 人び とや 都会 の市 民が 自ら 歌う 歌と して 作ら れた 作品
、③
「各 地の 観光 宣伝 的な 新民 謡」 であ る。 昭和 期に 入る と観 光宣 伝用 に人 気を 博し た作 品以 外は ほど なく 姿を 消し
、新 民謡 運動 にお いて 開拓 され た表 現方 法、 様式
、作 家、 歌手 は結 局「 レコ ード 歌謡
」と いう 商業 主義 的な 新ジ ャン ルに 投入 され た。 小島 はそ の要 因を
、新 民謡 運動 に参 加し た作 家た ちが 明確 な理 念や 見通 しを 共有 する こと がで きず
、一 方で 民衆 自身 は自 らの 音楽 的要 求を 十分 に組 織化 でき なか った こと に見 出し てい る。 そも そも この 運動 の社 会的 基盤 とな るべ き条 件が 未成 熟な 段階 にと どま って いた とい うの であ る���
。 小島 によ る研 究は
、新 民謡 運動 を音 楽史 上に 位置 づけ
、大 正期 以 降の 文化 産業 の急 成長 と関 連づ けた 点で 重要 であ る。 しか し、 新民 謡運 動が 資本 主義 の浸 透ば かり でな く、 国民 国家 の建 設と 不可 分で あっ たこ とを 考え れば
、た んに それ を「 商業 主義 に堕 した
」と する 見方 は一 面的 であ ろう
。 新民 謡運 動は
、文 学史 的に は近 代詩 運動 の一 環と して 位置 づけ る こと がで きる
。な ぜな ら、 詩人 の民 謡創 作は 民衆 芸術 論が 勃興 し、 口語 自由 詩が 主流 とな る大 正期 にお いて
、詩 の形 式、 韻律
、題 材、 内容
、語 彙、 作者
、享 受者
、芸 術性
、社 会性 につ いて の議 論と 切り
離せ なか った から であ る���
。詩 人に よる 民謡 調の 作品 が現 れは じめ た のは 明治 三〇 年代 にさ かの ぼる���
。一 九〇 五( 明治 三八 年) には 野口 雨情 の民 謡集
『枯 草』 が刊 行さ れ、 創作 民謡 では 後に 雨情 と双 璧を なす 北原 白秋 が「 秋の 鄙唄
」を 発表 した のは 一九 一六
(大 正五 年) であ った
。運 動と いえ るほ どの 伸展 をみ せた のは
、神 田の 女子 音楽 学校 で民 謡講 演演 奏の 会が 開催 され た一 九一 八年
(ま たは その 翌年
) であ る���
。そ の中 心と なっ たの は、 馬場 胡蝶
、野 口雨 情、 霜田 史光
、 藤森 秀夫
、藤 沢衛 彦と いっ た文 学者
、研 究者 らで あっ た。 この 時期
、 雨情
、白 秋ば かり でな く、 三木 露風
、白 鳥省 吾、 霜田 史光
、藤 森秀 夫ら の創 作民 謡( 新民 謡) が次 々と 発表 され
、一 九二 一( 大正 一〇
) 年以 降は 音楽 家と の協 同に より 一種 の流 行現 象と して 展開 され るに いた った
。 近年
、新 民謡 運動 には 学際 的に 展開 され てい るナ ショ ナリ ズム 研 究に おい て新 たな 光が 当て られ
、そ の意 義が 問い 直さ れつ つあ る���
。 たと えば 民謡 を「 歌謡 や観 光に かか わる 資本 主義 とい う『 近代
』が 国土 空間 に一 元的 に浸 透し てい く上 での 最前 線」 と位 置づ ける 武田 俊輔 は、 大正 末か ら昭 和初 期に かけ て人 びと の音 楽的 欲求 は着 実に 組織 化さ れつ つあ った とみ る���
。資 本主 義は
、歌 の商 品化 より も、 む しろ
、ど んな 形態 であ ろう と歌 を求 める 人び との 欲望 のあ り方 を前 景化 し、 一定 の普 遍性 をも った ナシ ョナ ルな 空間 へと 地域 や人 びと を再 配置 した 点に おい て重 要で あり
、新 民謡 運動 はそ うし た近 代化 の過 程を 端的 に示 して いた
。 一方
、中 野敏 男は
、北 原白 秋の 抒情 性に 着目 し、 大正 デモ クラ シ ーの 現れ とさ れる 童謡 運動
・新 民謡 運動 から 国民 総動 員体 制に 即応