NII-Electronic Library Service 駒 澤 大 學 佛 教 學 部 研 究 紀 要 第 四 十 八 號 不 成 二 年 三 月
社
会
主
義
中
国
の
宗
教
政
策
抄
訳
『中
国
社
会
主
義
時
期
の宗
教
問
題
』そ
の 二 へ永
井
四 二政
之
N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
は
じ
め
に 一 九 八 九 年 六 月 四 日 は 、 天 安 門
事
件 の あ っ た 口 と し て、 現 代 中 国 に 関 心 を 寄 せ る 者 に 忘 れ 難 い 口 と な っ た 。 そ の 政 治 的 な 結束
が ど う な る の か 予 想 も で き な い が 、 と も か く か の 事 件 以 後 、 「 自 由 」 が 、 文 字 通 り の 「自
由 」 で は な く 、 「 限 ら れ た 」 も の であ
る こ と は よ り鮮
明 と な っ た 。 政 治 思 想 の 学 習 会 が 各 単 位 で頻
繁
に 行 わ れ て い る こ と は マ ス コ ミ の 報 道 の と お り で あ ろ う 。 とす
る と、 こ の 小 論 で 採 り 上 げ て い る 「 宗 教 政 策 」 は ど う な の であ
ろ う か 。 八 月 末 、 筆 者 は 一年
ぶ り で 上 海 社 会 科 学 院 宗 教 研究
所 を 訪 問 し た 。 高 振 農 氏 を は じ め と し た 諸 先 生 と の 話 、 ま た 陳 耀 庭 氏 の案
内 を 受 け て の 上 海 市 内 の 白 雲 観 訪 問 な ど を 総 合 す れ ば 、 少 な く と も 表 面的
に み れ ば 、 事 件 の 以前
も 以後
も 、 庶 民 と 宗 教 と の 関 係 は 不変
で あ る よ う に 見 え る 。 実 際 、 上 海 で の デ モ に 参 加 し た 某 氏 に よ れ ば 、 「 汚職
追 放 と べ ー ス ア ッ プ を要
求 し て 参 加 し た 」 と い う か ら 、 臼 本 で 捉 え る 北 京 の 運 動 と 、 上 海 の 庶 民 の 感 覚 と は 違 う の か も し れ な い 。 そ こ に は 北 京 とL
海 と い う 地 域 差 、 あ る い は 民 主 化 運 動 を 指 導 し た 人 々 と 庶 民 と の 意 識 の 差 な ど が 多 面 的 に 表 わ れ て い る と も 言 え よ う 。 と も か く 、 そ の よ う な現
状 の 中 で 、 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 が ど の よ う に カ ジ 取 り さ れ て い く の か 皆 目 見 当 が つ か な い と い う の が 本 音 で あ る 。 に も か か わ ら ず 、 あ え て 天安
門 事 件 以 前 に 成 っ た 本 書 の抄
訳 を、 『 紀 要 』 に 連 載 し よ う と す る の は 、 や は り 、 あ る 時点
で の 宗 教 政 策 を 確 認 し て お き た い と い う 気持
ち か ら で あ り 、 い ま 一 つ は 、 政 治 思 想 の 学 習 が 強 化 さ れ た に し て も 、 そ れ が 直 接 的 に 宗 教弾
圧 と い う 形 に ま で は 至 る ま い と い う 予 想 か ら で あ る 。 再 三 言 っ て き た よ う に 、 現代
中 国 で は 、 政 治 の 方 向 を 左 右 す る ほ ど 、 宗 教 が 力 を持
っ て いNII-Electronic Library Service る わ け で は な い 。 本 編 は 『 紀 要 』 前 号 で 抄 訳 し た 『 中 国 社 会 主 義
時
期 の 宗 教 問 題 』 の 「付
録 」 の 部 分 の 続 き で あ る 。 前 回 は 仏 教 が 中 心 に な っ た が 、 今 回 は 道 教 、 キ リ ス ト 教 、 で あ る 。 仏 教 学 部 の 紀 要 に 、 仏 教 以 外 の 宗 教 を 対 象 と し た 論 文 を 紹 介 す る こ と に は 躊 躇 を お ぼ え る が 、 よ く よ く 読 ん で い く と 、 中 国 人 が 宗 教 を受
容
す る と き 、 一 つ に は 民 族 と い う 固 有 な 部 分 で の 信 仰 と 、 い ま 一 つ は 現 実 の苦
悩 に ど う 対 処 し て い く か と い う 点 か ら の 信 仰 と 、 二 つ の 側 面 の あ る こ と が 大 凡 理 解 でき
る よ う に 思 わ れ る 。 そ し て そ の 時 、 宗 教 の い か ん を 問 わ ず 手近
か に あ る も の と 簡 単 に 結 び つ い て い く と い う感
が あ る 。 早急
に 結 論 す る の は や め よ う 。 と も か く こ の 小 論 は 、 こ こ 一 年間
、 仏 教 学 部 の 演 習IH
の テ キ ス ト と し て 講 読 し てき
た 成 果 が そ の 一 部 と な っ て い る 。 受 講 し た 学 生 諸 氏 に と っ て は あ ま り 面 白 く な い 授 業 で あ っ た に 違 い な い が 、 筆 者 と し て は 教 え ら れ る 点 の少
な く な い 授 業 と な っ た 。 記 し て 謝意
を表
し た い 。 ま た 文 章化
の 中 で 、 種 々 御 教 示 賜 り 、 八 月 の 上海
行
き も 御 一 緒 し 、 天 安 門事
件 以 後 の 中 国 事 情 に つ い て 教 え ら れ る 点 が多
か っ た 、 内 山 書 店 三 浦 勝 利 氏 に 対 し て も 謝意
を 表 し た い 。N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
〈 本 文
V
四 川省
青
城
山 の道
教
の現
状
青 城 山 は 四 川 省 灌 県 の 西 南 〕 七 キ ロ の 地 に あ り 、 道 教 で は 、 こ こ を 「 第 五 洞 天 」 と か 「 宝 仙 九 室 の 洞 天 」 と 呼 ん で い る 。漢
代 の 張 道 陵 が、 山 に 上 っ て 廬 を 結 び 、 道 を 伝 え た と い わ れ 、 つ い に 青 城 山 は 、 我 国 道 教 の 発 生 地 の 一 つ と な っ た の であ
る 。青
城 山 と は 青 い 色 の 城 廓 と い う 意 味 で あ る。 青 城 の 第 一 峰 の 彭 祖 峰 を 軸 と し て 、 二 つ の 青 い 峰 が う ね り な が ら南
に向
い 、 左 右 に 分 か れ て、 抱 く よ う に 、 あ る い は 椅 る よ う に 、 あ る い は箕
の よ う に 、 あ る い は廓
の よ う な 形 を し て お り 、廓
の外
側
の 崖 は 赤 褐 色 で、 元 気 な 猿 で さ え渡
り ず ら く 、 城 廓 に と て も よ く 似 て い る 。 そ の 内側
は、 木 々 が 青 々 と 茂 っ て お り 、 四 季変
ら な い と こ ろ か ら 、 「 青 城 」 と 呼 ば れ た 。青
城 山 に は 、 歴 代 に わ た っ て建
て ら れ た 宮 観 が 七 〇 余 あ っ た が 、 主 要 な も の 六 つ は今
も あ る 。 す な わ ち 建 福宮
、 天師
洞 古常
社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 四 三NII-Electronic Library Service 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 四 四 道 観 、 祖 師 殿 、 上 清 宮、 円 明 宮 、 玉 清 宮 な ど で あ る 。 一 〇 年 の 動 乱 の
最
中 、 道観
は 閉 鎖 さ れ 、道
士 も 解 散 放 逐 さ れ た 。 党 の 一 「期
三 中 全 会 の後
、宗
教 政 策 が よ う や く落
ち着
き 、道
観
と 道 士 の 生産
の 基 地 は 、 順 次 、 道 教 の管
理 と 使 用 の た め に 返 還 さ れ た 。 宗 教 活動
も復
活 し た。 青 城 山 の 道 教協
会 は 天 師 洞 古常
道 観 に あ り 、 こ こ 数年
、 政 府 の 援 助 の も と に 修繕
さ れ て 、 面 目 を 一 新 し た 。 青 城 か ら 上 清 宮 へ の 山 道 も 幅 が拡
げ ら れ 、 も と は た い そ う危
険 な つ づ ら 折 り の 道 で あ っ た が 、 今 は 二人
が な ら ん で 石 段 を 登 る こ と が で き る 。 現 在 の 青 城 山 に は 道 士 五 〇 余 人 が い て 、 各 宮 観 に 分 か れ て 住 み 、 そ の う ち 一 〇 余 名 の年
老 い た 道 士 を 除 く と 、 の こ り は 皆 な 若 い 男 女 で あ る 。 こ の 外 一 〇 〇 余 人 の さ ま ざ ま の 年 令 の居
士 が い て 、 各宮
観 の仕
事
を助
け て い る 。最
近 、 青城
山 で は、 廟 を す み か と し て 、 一生
道 に 従 う 全 真 教 徒 を 募集
し 、 そ の 条件
と し て は 、自
ら の 志 願 で あ る こ と 、 家 庭 が 同 意 し て い る こ と、 未婚
で あ る こ と 、 三〇
歳
以 下 で 高 等 学 校 程 度 の 文 化 を 有 す る こ と 、 試 験 で は 道 教 に つ い て の 論 文 一 編 を書
か せ る こ と 、 そ の 後 食費
は 自 弁 で 、 道 観 で 学 習 、 労 働 と 生 活 を 三 箇 月 し て 、 道 士達
の 試 験 を 受 け る と い う も の で あ っ た 。 採 用 し た 青 年 の 道 士 と 道 姑 は 、 全員
が 道 士 の 身 な り を し 、 も と 成 都 の青
羊 宮 の高
功 で あ っ た 江 至霖
法 師 か ら 、 科儀
と 誦 賛 を 教 わ り 、 張 志 一 法 師 か ら 武 功 を 伝 授 さ れ る 。朝
と 晩 に鐘
・ 太 鼓 を な ら し て 諷 誦 し 、 昼 は 雑 務 を す る 。 彼 ら の う ち の 一 〇 人 は 、 北 京 の 中 国 道 教協
会 に 送 ら れ て 、 道 教 知 識 専修
班 で 学 習 し 、 卒 業 し た も の は 、古
常 道 観 で 管 理 責任
老
と 食 堂 管 理 の 仕 事 に 当 っ て い る 。 調 べ た と こ ろ で は 、 そ の 中 の あ る 女 性 道 士 は 、 母 は も と 教 師 で あ っ た が 、 文 化 大革
命 で あ ら ゆ る 侮 辱 を 受 け て 死 ん だ た め 孤 児 と な り 、 生活
の あ て も な く な っ た の で 、 俗 世 に 見 き り を つ け て 、 道 姑 に な っ た と い う 。 ま た あ る 道 姑 は 、 も と中
学
の 国 語 の 教 師 で あ っ た が 、病
気 に な っ て 青 城 山 で 保養
し 、 病 気 が治
っ て の ち 、 道教
に 入 っ た と い う 。 青 年 道 士 た ち に 、 ど う し て道
教
を 信仰
す る の か を 質 問 す る と、皆
な 道教
の 後 継者
が で て く る よ う に す る た め と 答 え る 。 も ち ろ ん 、 各 人 に も そ れ ぞ れ の 望 み が あ り 、 あ る 者 は 山 の 中 の 清 静 で 自 由 な こ と を 喜 び 、 あ る 者 は 太 極 拳 や 武 術 を 練 習 し た い と望
み 、 あ る 者 は 生き
る た め だ と い う 。 青 城 山 の 道 教 の 、 現 在 の 経 済 基 盤 に は 二 つ あ る 。 「 つ は 生 産 に よ る 収 入 で 、 道 家飲
料 工 場 を開
設 し て 、 洞 天 乳 酒 と 洞 天 ジ ュ ー ス 、 サ イ ダ ー を 生 産 し 、 道家
茶 工 場 を 開 い て 洞 天 貢 茶 を 生 産 し て い る 。 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 洞 天 乳 酒 の 生 産 に は 、 道 家 の
秘
方 を 用 い 、 青 城 山 で た く さ ん 採 れ る 中 華 瀰 猴 桃 を 原 料 と し 、 山 上 の泉
の 水 で 醸 造 し て い る 。醸
造 し た 乳 酒 は 、 「 酒 の 香 り、 甘 み 、 き れ い な 色 、高
い 栄 養 、 副 作 用 が な い 」 な ど多
く の優
れ た 点 を持
っ て い る 。 一 九 八 二 年 、 三 万 元 を 借 金 し て 飲 料 工 場 を 創 設 し 、 自 分 た ち で 「 洞 天牌
」 と い う名
の 洞 天乳
酒 を 生 産 し た 。 こ の 洞 天乳
酒 は 、 四 川 省 の高
級 な宴
会 に も 進 出 し て 、 す で に 必備
の 飲 み 物 と な り 、 さ ら に 四 川 省 の 重 大 科 学技
術 成 果賞
も 獲 得 し た 。 一年
の 生産
を 経 て 、借
金 は す べ て 清算
さ れ た 。 現 在 、青
城 山 の刺
梨
( 瀰 猴 桃 ) の 年 産 は 、 六 万 キ ロ で 、 つ く ら れ る 刺 梨 ジ ュ ー ス は 一 〇 万 キ ロ 、乳
酒 は 二 〇 万 キ ロ で あ る 。 洞 天 貢 茶 は 、 青 城 山 の 道 観 の 茶 畑 か ら 採 れ る 。青
城 山 は 海 抜 、 気 温 と も に 適 当 で 、 雲 や 霧 が多
く、茶
の 葉 の で き も 良 い 。 お 茶 作 り は 唐 代 に 初 ま っ た が 、 清 の 康熙
の時
に 献 上 茶 に 定 め ら れ た 。青
城 山 道 家 茶 工 場 で は 、現
在
す で に フ ル セ ッ ト の 製 茶機
械 を 備 え 、 年 産 は 一 千 キ ロ に 達 し た の で 、 よ う や く 売 り 出 せ る よ う に な っ た 。 も う 一 つ は 、 サ ー ビ ス に よ る 収 入 で 、 入 場 料 、食
堂 の サ ー ビ ス 、 宿 泊 費 な ど で あ る 。 青 城 山 の 一 年 の観
光 客 は 一 〇 〇 万人
に達
し、 か り に 一 人 二 角 と 計 算 を す る と 、門
票 だ け で 二 〇 万 元 に達
す る こ と に な る 。 宿 泊 の 収 入も
ま た か な り の 額 に な ろ う 。 青 城 山 の 道 教 は 、 自 給 自 足 の 方 向 で道
を 開 い た が 、 こ れ は 青 城 山 に か な り の 発 展 の 実 力 を蓄
え さ せ た 。 青 城 山 道 教 協 会会
長 の傅
元 天 は 「 解 放 後 の 道 教 は 、 解 放前
の よ う に 、布
施 と 念 懴 に す べ て 頼 っ て 維 持 す る こ と は でき
な い 。 自 ら の 力 で 自 給 自 足 し よ う と し て こ そ 、 自 分 が 生 存 す る 手 だ て を 創 り 出 せ る の だ 」 と語
っ て い る 。 建 国 以 来 、 周 恩 来 、 朱 徳 、 陳 毅 、 鄲小
平 な ど の 同 志 は 前 後 し て 山 に 上 っ た 。外
国 の 友 人 、 た と え ぽ ス ウ ェ ー デ ン 国 王 力 ー ル ] 六 世 コ ス タ ノ フ と 皇 后 、 カ ナ ダ 、 オ ー ス ト ラ リ ア 、 フ ラ ン ス 、 束 ド イ ッ の 友人
も た く さ ん や っ て 来 て 、 そ の 景 色 の 素 晴 ら し さ を 賞 で た 。 一 九 八 五 年 六 月 二 一 日 、 趙 紫 陽総
理 も 、 青 城 山 天 師 洞 を 遊覧
し て 、 山 の 名 勝古
跡 、 お よ び そ の 発 展 管 理 に 大 い に 興 味 を抱
い た の で あ る 。青
城 山 の 問 題 の 解 決 を さ ら に 進 め る た め に 、 四 川 省 の 党 委員
会 と 人 民 政 府 の配
慮 の 下 に 、 一 九 八 五 年 の末
、 政 府 は 山 を 、 道 士 は 道 観 を 管 理 す る こ と 、 廟 外 か ら の 観 光 を 盛 ん に す る こ と と い う 正 確 な 原 則 が 確 定 し 、青
城 山 に 残 さ れ た 問 題 が 、 さ ら に 一 歩 解 決 に 向 っ た 。 宗 教 界 の 人 々 と 、多
く
の 教 徒 の疑
惑 は 打 ち 消 さ れ 、 団結
が 強 ま り 、 祖 国 を 熱愛
し 、 四 つ の 現 代 の 建 設 へ の 積 極 性 へ と転
換 し た の であ
る 。 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 四 五 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 )
ヒ
海
のあ
る街
区 に お け る退
職
職
工 の キ リ ス ト教
信
仰
に つ い て 上 海 の あ る 地 区 の 町 は 、 工 場 労 働 者 の 居住
が 比 較 的集
中 し て い る 地 区 で あ る 。 関 係方
面
の 報告
は 、 近年
、 こ の 地 区 の 退 職 し た 労 働 者 ( 多 く は 綿紡
工 場 の 女 工 ) の 問 で 、 キ リ ス ト 教 を 信 じ る 人 が 増 加 し て お り 、 路 地 で の 宗 教 活 動 も 盛 ん で あ る と 伝 え て い る 。 私 た ち は 、 一 九 八 一 年 、 関 係 部門
と 単位
の 支持
と 協 力 の も と 、 調 査 を進
め 、 若 干 の 教徒
を 訪 問 し 、 そ の 街 の さ る 居 民 委 員会
を 重 点 と し て 、 一 つ の統
計 を 作 成 し た 。 こ の 居 民委
は 、 世 帯 数 一 、 二 九 六 戸 、 人 口 五 、 一 七 九 人 が お り 、 そ の う ち 、 退 職 労 働 者 は 八 〇 〇 余人
、 独 立 し た 党 の 支 部 が あ り 、 党 員 の 数 は 九 八 人 で あ る 。 現 在 、 キ リ ス ト 教徒
は 四 〇 人 を 数 え 、 そ の う ち 老 人 が 三 四人
で 、 教 徒 の 八 五%
を 占 め 、 そ の 三 四人
の う ち 女 性 が 八 二%
を 占 め る 。 退 職 労働
者 の 教 徒 は 全 部 で 二 九 人 で 、 退 職 者 の 三 ・ 六 % と な っ て い る 。 こ の 情 況 は 、 こ の 区 に お け る 代 表 的 な も の で あ る 。 こ の 四 〇 名 の 教 徒 の 中 、 文 化 大革
命 の 前 か ら の 信徒
で あ る 「 老 」 教 徒 と 、 文 化 大革
命 の 中 、 後 期 の 「 新 」 教徒
・ の 数 は 、 ほ と ん ど 同 じ で あ る 。 彼 ら は 、 ど う し て 退職
後 、 宗 教 に 興 味 を 持 ち 、 教 え を 信 じ る よ う に な っ た の で あ ろ う か 。 こ れ が 今 四 六 信 教 時 間 (人) 教 徒 人 数 (人) ‘ ‘ 文革” 中, 后 文革 前 合 計 女 男 合 計\
\ 人 数 ・ 時 間 \ 対 象 分 類 15 14 29 236
29
退 休 職 工3
2
5
5
5
家 庭 婦 女 年 老2
4
6
2
4
6
在 職 職 工20
20
40
30
10
40
50
%50
%100
%75
%25
%100
% 中 青 年 計 総 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 回 の 私 た ち の 調 査 の 目
的
で あ る 。 一 、 老 工 場労
働
者 の 信 仰 の原
因 年 と っ た労
働 者 は 、 退 職後
、 誰 も が 晩 年 は 健 康 で あ る こ と を希
望 し て い る 。 病 気 に 罹 らず
、 健 康 で あ る た め に 、 多 く の 人 は 、 毎 日 、 公 園 や 緑 の 多 い 場 所 に 行 っ て 、体
の ト レ ー ニ ン グ を し て い る 。彼
ら は 、 友 人 や仲
間 を つ く っ て 、 運 動 を し た り 、 世 間 話 を し た り 、 病 の 苦 し み を 訴 え 合 っ た り す る。 信仰
を 持 つ 老婆
た ち は、皆
な 苦 労 を 厭 わず
、 人 々 に 家 庭集
会 に 行 っ て 、教
え を 聞 く よ う勧
め て い る 。 ( 注 、 当 時 こ の 地 区 に は 、 教 堂 が な か っ た の で 、 教 徒 は 家庭
に集
っ て宗
教 活 動 を 行 っ た 。 の ち 教堂
は 開 放 さ れ た ) 。 こ れ ら 年 と っ た 労 働 者 は ふ つ う キ リ ス ト教
の 教 義 に つ い て は 、 ま っ た く 知 識 が な い が 、 し か し 教 徒 か ら 、 何 が神
で 、 そ の神
と 「 出 会 っ た 」 と い う の を 聞 き 、 次第
に 宗 教 信仰
に 対 し て 興味
を 持 つ よ う に な り 、 「 ヤ ソ が 我 を救
う 」 「 ヤ ソ に お す が り す る 」 の が 、 彼 ら が 最 も 受 け 入 れ 易 い 教義
と な る の で あ る 。 そ の 信仰
の 原 因 を 探 る と 、 以 下 の条
項 を 指 摘 し え よ う 。 (1
)身
に病
気 を 患 い 、 医 者 に 行 っ て も 効 果 が な い と、 一転
し て ヤ ソ に す が る 。 退 職 労働
者
の 多 く は 、 子 供 の 頃 か ら の 労 働 者 で あ っ た り、見
習
い 工 の 出身
者 で、 旧 社 会 で苦
労 を な め て い る 。 解放
後
、彼
ら は解
放 は さ れ た が 、 し か し数
一 〇 年 の 肉 体 労働
や 業 務 は 、 彼 ら の体
を い た め 、 退 職 後 に 病 気 の さ い な み が起
り 、 彼 ら は 短 期 の う ち に 、薬
を の み さ え す れ ぽ 病気
が 治 る と 想 う。 こ う し て あ る人
は 、 敬虔
に ヤ ソ の 救 い を 願 い 、 ヤ ソ に 願 う こ と が 、幻
想
に お け る 特 効薬
と な る 。 彼 ら は 教 え を 信 じ る と 、精
神 に 依 り 処 が でき
、 病 気 が 治 る と い う 希 望 が強
ま る。 し か も 精 神 的 な要
素
は慢
性 的 な病
気 に 対 し て か な り の 影 響 力 を 持 つ か ら 、 あ る 人 が 信仰
を 持 っ た ら 病 気 が良
く な っ た と い う 情 況 が 現 れ る 。 彼 ら は ま た 、 も し 信仰
が 真 面 目 で な か っ た ら 、 も と の 病 が 再 発 す る と 心配
し 、 上 帝 が彼
(彼
女 ) の将
来 の 万 事 が 心 の ま ま に 、 一家
が 平 安 で あ る よ う 保 護 し て く れ る こ と を 希 望 し て 、 信 仰 は さ ら に強
い も の と な る 。 た と え ば 、 あ る 退 職 労 働 者 は 重 い 胃 病 で 、 ふ だ ん は あ ま り の痛
さ で食
事
も で きず
、 自 分 の 病 気 は ガ ン で は な い か と 怖 れ 、 恐 怖 と痛
み の 極 み に あ っ た 。人
の 紹 介 で 信 仰 し て か ら 、 希 望 と 信仰
の 心 が 起 き 、自
覚 症 状 も 和 ら ぎ、 彼 女 は 、 こ れ を 神 の奇
跡 と 思 っ て 、 こ れ 以 後 、 敬虔
に信
じ て 疑 わ な い 。 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 四 七 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 四 八 こ の 居 民 委 の 中 で 、
新
た に 入 信 し た 教 徒 の 一 六人
の 中 の 一 一 人 は 、 本 人 、 あ る い は 親 族 の 病気
が 原因
で あ り 、 新 し く 入 信 し た 人 の 六 八 % を 占 め て い る 。 こ れ が 老 人 の 信 仰 の 重 要 な 原 因 と な っ て い る 。 (2
) 家 庭 環境
の 緊 張 に よ る 信 仰 。 あ る 退 職 工 の 夫婦
は 、 姑 と嫁
、 母 と息
子 の 仲 が 悪 く 、 家庭
に つ い ぞ 温 か み が な く 、精
神 的 に苦
悶 し て い た が 、 教徒
の 間 で 互 い を 呼 ぶ の に 、 兄弟
、 姉 妹 と 呼 び 、 関 係 も う ま く い っ て い る の を み て 、 信仰
に 心 の 依 り 処 を 求 め た の で あ る 。 ま た 例 え ば 同 じ居
民 委 の 、あ
る 老 職 工 は 、 も と は 綿 紡 工 場 の 労 働 者 で 、 再 婚 し た 夫 と の 間 に は 子 が な か っ た が 、 前 夫 と の 子 が 、 新 彊 か ら 上 海 に 転 勤 し て来
て か ら 、 子 供 や 部 屋 の こ と で 姑 と よ め の 関 係 が う ま く い か ず 、 夫 は い つ も彼
女 を 罵 り 、 離 婚 騒 ぎ と な っ た 。 彼 女 は と て も 苦 し み 、 そ れ で キ リ ス ト 教 を 信 じ る よ う に な っ た 。 信 仰 後 、 彼 女 は 家 庭 の問
題
に つ い て 我慢
す る よ う に な り 、 心 も 明 る く な っ た 。 彼 女 は 自 分 が 信 じ る だ け で な く 、 人 に も 信仰
を 勧 め た 。 こ の 路 地 の キ リ ス ト 教 徒 の 大 多 数 は 、彼
女 が信
仰 を 勧 め た こ と に よ る信
者 で あ る 。 (3
) 政 治 運 動 の 中 で 受 け た 精 神 的 打 撃 に よ る 信 仰 。 こ の居
民 委 に 住 む さ る 人 は 、 年 は 六 〇 歳 す ぎ で 、 も と は 裁 判所
に 勤 め て い た 。 反 右 派 闘争
の と き 、夫
が 労 働 改 造 所 行 き の 判 決 を受
け た の で、離
婚
の 手 続 き を と っ た が、反
革
命 家 族 と さ れ 、 姑 や 子 供 と と も に 甘 粛 へ送
ら れ た 。 一 九 六 〇 年 、 上 海 に 帰 っ た が 、 生活
は 困 窮 し 、 辛抱
す る こ と 数 年 し て 、 や っ と 町 内 の 服務
所 で 仕 事 が み つ か っ た 。 し か し 文 化大
革
命 の 中 で 批 判 さ れ て 、 財 産 は 没 収 さ れ 、自
分 も 中 風 と な っ て し ま い 、 子 供 も嫁
も 彼 女 と の 同 居 を 望 ま な か っ た 。 一 九 七 七 年 、 夫 の 名誉
は 回 復 さ れ 、彼
女 も 安 定 し た生
活
を 得 る は ず で あ っ た 。 し か し 夫 は 、 別 に 愛 人 を つ く り 、 彼 女 の 心 は さ ら に 傷 つ い た 。 そ の結
果
、 人 の 勧 め で 信 仰 す る よ う に な っ た の で あ る 。 私 た ち が 訪 問 し た と き 、 彼 女 は 「 今 、私
は 何 も 考 え ま せ ん し 、 何 も 求 め ま せ ん 。 主 の も と で 平 安 と 慰 め を求
め る だ け で す 。 現 在 の 私 に は ま だ ま だ な す べ き こ と が た く さ ん あ り 、 心 に 雑 念 も 多 す ぎ ま す 。 主 の御
前 で だ け 、 心 の 安 らぎ
を得
る こ と が で き ま す 」 と述
べ て い る 。 (4
) 晩 年 の 生 活 は安
定
し て い て も 、 死後
の 「 帰宿
」 を 求 め て 信 仰 す る も の 。 老 人達
の何
人 か は 、人
生
は す べ て う ま く い き 、晩
年 も 幸 福 で満
足 し て い る が 、 し か し 彼 ら も 同 じ よ う に 信 仰 し て 、熱
心 な 教徒
で あ る 。 七 〇 余 歳 の 胡 と い う お婆
さ ん は 、 一 九 七 九 年 に 入 信 し た 。 彼 女 は 、今
生 の 幸 福 に は た い へ ん満
足 し て い る が 、 「 来 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 世 」 も ま た 幸 福 で あ る よ う に 望 ん で 入 信 し た 。 彼 女 は 、 自 分 が 毎 週 数 回 、 家
庭
集 会 に 参 加 す る だ け で な く 、 到 る 処 で 、将
来 一 緒 に 天 堂 に 行 け る よ う に と 、 ほ か の お婆
さ ん 達 を 誘 っ て い る 。 (5
) 熱 心 な 教徒
に よ る 布 教 も 、 一 部 の 退 職 労 働 者 の 信 仰 の 客 観的
な 原 因 と な っ て い る 。 若 干 の 退 職 労働
者 の 信 仰 の 原 因 は 、 生 活 の 中 で 苦 難 に 遇 っ た か ら で は な く 、 熱 心 な 信 徒 の 布 教 を 聞 い た こ と に よ る も の であ
る 。 た と え ぽ 、 公 園 で体
を 鍛 え て い る と き 、 ほ と ん ど の 人 が 熱 心 に布
教 を す る 人 に 出 会 っ て い る 。 あ る 教 徒 は 、隣
の 家 に病
人
が い る の を 聞 く と 、 さ ら に積
極
的 に 訪 問 し て 布 教 し て い る 。 ま た こ の 居 民 委 に は有
名 な 〃 老 ヤ ソ ” と 呼 ば れ る 教 徒 が お り 、退
職後
は 町 の あ ち こ ち に 出 か け て 、 ヤ ソ の “ 不 思 議 ” を 宣 伝 し て お り 、 若 干 の 人 は そ の 話 し を 聞 い て 信 仰 に 入 っ た の で あ る 。 彼 女 の 家 の 近 所 に は 、 退 職 労働
者
が 三 三 人 い る が 、 そ の う ち の 六 人 が信
徒 で あ り 、 一 八 % を 占 め て い る 。 (6
) 心 の 孤 独 感 か ら 信 仰 す る も の 。 年 を と る と 、 孤 独 の 心 理 状 態 に 陥 り や す く 、 こ の 生 理 的 変 化 と 、 死 を 怖 れ る 心 理 と は 、 密 接 な 関 係 が あ る q年
と っ た 労働
者 は 、 一 旦 退 職 す る と 、 い ま ま で の 忙 し く て 、 規 律 が あ る 生 活 が 変 っ て 、 ヒ マ で 物 寂 し く な っ て く る 。 多 く の 人 々 は、 そ の 変化
に す ぐ に 適 応 す る こ と が で き ず 、 生 活 の 上 で も な す こ と が な く 、 つ い に気
持 ち の 上 で も 虚 し く な っ て し ま い 、 ど う や っ て 日 を 送 る か わ か ら な く な る 。 こ れ ら の 教 徒 は 、 一 般 に家
事 が 少 な く 、 ヒ マ な 時 間 が 多 い 。 つ い で 、 二 つ の 世 代 の 隔 た り も ま た 老 人 に 孤 独感
を 持 た せ て い る 。 す な わ ち 、 和 気藹
々 た る べき
家 庭 に お い て 、 二 つ の世
代
に 共 通 の こ と ば に限
り が あ り 、 部 屋 と か 経 済 上 の 原 因 で の ロ 争 い が少
な く な か っ た り す る と、 こ れ も 老 人 の 心 の苦
悶 と 孤独
感
を 増 す も の と な る 、 子 供 の な い 老 人 に い た っ て は 、 生 活 は さ ら に 孤 独 で 、 楽 し み を 欠 い た も の と な る 。 彼 ら は 心 の虚
し さ に よ っ て 悩 み 、 悩 み に よ っ て 虚 し さ を 感 じ、 こ れ ら の状
態 が 彼 ら に 家庭
集 会 に 対 し て 強 い 興 味 を 抱 か せ て い る 。 こ れ ら 退 職 工 信者
の 出 現 に つ い て 分 析 す る と 、 彼 ら ( 彼 女 ら ) は お お よ そ 五 〇 歳 か ら 六 〇 歳 前後
の 人 達 で あ る 。 あ る 女 性労
働 者 は 、 若 い 人達
の た め に と い う こ と で 定 年 に な る 前 に 退 職 し た の で 、 ま だ 五 〇 歳 前 で あ っ た 。 こ の 年 齢 の 人 は 、 一 般 に 言 わ れ る よ う に 、 ま だ精
力 的 で 、 活 動 す る こ と を 望 ん で い る 。 あ る 人 は 、 退 職後
、 ト ラ ン プ に 耽 っ た り 、 ま た あ る 人 は 教 堂 や 家 庭 で の 集 会 に 参 加 し て 、 彼 ら の 悩 み や虚
し さ の 気 晴 ら し さ を し た り、 心 の 依 り 処 を 探 し た り し て い る 。 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 四 九 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 二 、
教
徒
の 行 動 と 人 々 の 反 応 五 〇 (1
) こ れ ら 信 仰 を持
つ 退 職 労 働 者 の 大 多 数 は 、 旧 社会
で 辛 酸 を な め 、 解放
後 、 初 め て 政 治 の 上 で 解 放 さ れ 、 生 活 の 上 で も保
証
を得
た の で あ る 。 現 在、 彼 (彼
女 ) ら の 大 部 分 は 、 自 分 で 造 っ た 家 を 持 っ て い る 。彼
ら は 宗 教 を 信 仰 し て い る に も か か わ ら ず 、党
に 対 し て も と て も 深 い 感情
を 持 っ て お り 、 社 会 主 義 を 熱愛
し て い る 。 あ る 人 は 「 共 産 党 は 、 私 の 肉体
を 救 い 、 キ リ ス ト 教 は私
の魂
を 救 っ た 」 「 生 き て い る と き は 党 に 頼 り 、 死 後 は 上 帝 に頼
る 」 な ど と 言 っ て い る が 、 こ れ は 彼 ら が 、 現 実 生 活 の 中 の党
と 、 信 仰 と い う 幻 想 の 生 活 の 中 に お け る神
の 肖像
を と も に 信 じ て い る こ と を 示 す 。 あ る 教徒
は 、 も と も と は、 た だ ヤ ソ を 信 じ て 積 極 的 に 布 教 し 、 人 が 家庭
集 会 に 来 て 教 え を 聞 く よ う勧
め る だ け で 、 地 元 の 公 共 の 仕 事 に は 関 心 が な か っ た が 、 地 区 の キ リ ス ト 教 三 自 愛 国 会 の 人 が 「 神 を 信 じ 人 を 助 け る 」 と い う 道 を 教 え る の を 聞 い て か ら 、 人 々 の た め に奉
仕 し 、 集 団 の た め に 良 い こ と を す る こ と こ そ 本 当 の 「神
も 人 も 栄 え る 」 道 だ と わ か っ た 。 こ れ 以 後、 彼 女 は 、 積 極 的 に 地 元 の た め に 良 い こ と を 行 い 、 地 元 で 困 難 な物
事 を 解 決す
る の を 手 つ だ い 、 路 地 の 大 掃 除 な ど に も参
加 し て 、 居 民委
の 称 賛 を受
け る よ う に な っ た 。 (2
) こ れ ら の 教 徒 は 、 礼 拝 堂 で 宗 教 生 活 を過
ご せ な い た め 、 家 庭 集 会 に 参 加 し て い た 。彼
ら の絶
対
多 数 は 皆 な 三 自 愛 国 運 動 を擁
護 す る こ と を 表 明 し て い る 。 党 の 宗 教 政 策 が さ ら に根
を お ろ し 、 礼 拝 堂 が 回復
す る と い う 過程
で 、 彼 ら は熱
心 に 一 部 の 労働
を 奉 仕 し 、 ま た 礼 拝 堂 の 復 興 と 装 飾 の た め に 喜 ん で 献 金 し た の で あ る 。 (3
) あ る 教 徒 は 、 彼 ら の 信 じ る 宗 教 道 徳 の 通 り に 、 「 人 を愛
す
る 心 」 と 忍 耐 と 謙 譲 の 精 神 に 基 き、 家庭
や 隣 近 所 と の 関 係 を処
理 し て い る 。 退 職 労 慟 者 のあ
る 人 は 「 私 は か つ て お 金 を 大 切 な も の と 思 っ て い た 。 だ か ら 家 は ま と ま らず
、 子 供 と の 関 係 も う ま く 行 か な か っ た 。 主 を 信 じ て 後 は、 主 が 人 を 愛 す る 心 を 持 つ べ き だ と 説 い て い る の を 知 り 、私
の 心 も寛
大 な も の と な っ て 、 隣 近 所 や家
の 中 の 問 題 も解
決 し、 関 係 も 改 善 さ れ た 」 と 述 べ て い る 。 別 の 一 人 は 、 あ る 時 ビ ー ル を 買 っ た が 、 帰 宅 し て 、 営業
員 が 一 瓶 多 く よ こ し た の を 知 り 、 気 が か り で 一 晩 眠 れ な か っ た 。 翌 朝 、 店 の 開店
を 待 っ て 、 そ の ビ ー ル を 店 へ 返 し に 行 っ た 。 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 三 、 教 徒 の 占 爪
教
生 活 の 形 式 こ の 居 民 委 の 教 徒 の 生 活 に は 、 三 つ の 形 式 が あ る 。 (1
)年
老 い て い た り 、 出 か け る の に 不 便 な 者 を 除 け ば 、 大 多数
の 信 徒 は 、 日 曜 日 に は 教 会 に 行 っ て 礼 拝 す る 。 あ る 者 は か な り 遠 い 大 教 会 に 行 っ て い た が 、付
近 の 教 会 が 回復
し て か ら 、 大 多 数 は 付近
の 教 会 へ 出 か け て い る 。 (2
) 三 〜 五 人 が 一 個 所 に 集 っ て 祈 り を 行 い 、 今 日 は こ の 家 、 明 日 は あ の 家 と 、 固 定 的 な 場 所 、時
間
、 目 標 は な い 。 あ る 熱 心 な 教 徒 は 、 家 の仕
事
を 片 付 け て か ら 、 あ ち こ ち の 冢 を 訪 問 し 、病
人 の た め に 祈 り 、身
の 回 り の 世 話 を し 、 人 々 の 評判
も 悪 く な い 。 (3
) あ る 程 度 固 定 し た 家 庭集
会
も あ る 。 老 教徒
の 某 と 某 の 家 に は、 い つ も 二 、 三 人 か ら 五 、 六 人 の 人 が 集 り 、祈
り を 捧 げ た り 聖書
を 読 む の を 一 緒 に 行 っ て い る 。 付 近 の 教 堂 が 回 復 す る 前 は 、 こ の 居 民 委 の 地 区 に は 、 二 つ の 固定
的
な 集 会 の 場 が あ っ た 。 一 つ は真
面 目 な 教徒
の 某 の 家 で あ っ た 。 夫 婦 は 老 教 徒 で 、 入 信 の 後 、 や っ と 子 供 が で ぎ 病 気 も 治 っ た の で 、い っ そ う
信
仰 を 厚 く し た と い う 。 彼 ら の 家 は 広 く、 毎 週 数 回 、夜
の 集 会 が あ り 、 一 〇 余 人 の 参 加 者 は 、 皆 な 近 所 の老
人 で 、 中 に は病
気 の 後 遺 症 の た め 行 動 不 便 な 者 も あ っ た 。 私 た ち が 初 め て 訪 れ た と き 、 丁 度 集 会 の 礼 拝 の 最 中 で 、 彼 ら は 区 の キ リ ス ト 教 三自
愛国
会 の 連 絡 員 の 同 志 に 対 し て 大 層 好 意 的 で あ っ た 。 町内
の 幹 部 も 、 ま た 彼 ら が集
会 の と き に 、厳
粛 で 静 か で あ る と 伝 え て く れ た 。 別 の 一箇
所 は 綿 紡 工 場 の 退 職 し た 女 工 の 某家
であ
っ た 。 彼 女 に は 、 二 階 建 て の家
が あ っ た が 、 母 と 娘 の 二 人 が 住 む だ け で 、 四 人 組粉
砕
の 後 、 家 の 集 会 は 毎 週 固 定 的 に 二 、 三 回 は あ り 、 人 数 も 比 較 的 多 い 。 一 九 八 一年
、 最 も 多 い と き で 一 〇〇
余
人 で あ っ た 。 集会
の と き 、 あ る 人 は 道 を 説 き 、 あ る 人 は賛
美
歌 を 指導
し 、 あ る 人 は 奉 献 箱 (賽
銭 を 入 れ る ) を 管 理 し て い る 。 集 会 参 加 の 人 は 、 多 く は 老 人 で 、 こ の 居 民 委 の 人 の ほ か 、 こ の 地 区 の ほ か の 居 民委
か ら の 教 徒 も い る 。 そ こ へ や っ て 来 て道
を 説 く 人 の 中 に は 、 外 か ら の 〃自
由 伝 道 ” の 人 も い た り す る 。N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
四 、 い く つ か の 見
方
(1
) 我 国 の 漢 民 族 の 中 に は、鬼
神 を 信 じ る 人 が 少 な く な く 、 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 正 し い 信 仰 の 人 が 占 め る 割 合 は 大 き く な く、 こ の 分 析 は実
際 と 五 一NII-Electronic Library Service 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 五 二 符 合 し て い る 。 当 該 の 居 民
委
の 統 計 に よ る と 、 キ リ ス ト教
徒 は 、 居 民 の 総 数 の わ ず か ○ ・ 八 % 前 後 で 、 信 仰 を持
つ退
職 労働
者 も 、 退 職 労 働者
総
数
の 三 ・ 六 % に し か す ぎ な い 。 私 た ち は 、 信 仰 を持
た な い 退 職 労 働 老 に は 、 お お よ そ 三 つ の情
況 の 有 る こ と を 知 っ た 。第
一種
の 人 は 、 政 治 経 済 の 上 で解
放 さ れ 、 ま た 党 の 長 期 の 教 育 で 宗 教 を 信 仰 し な い と い う も の で 、 主 と し て党
員 と、 町 の 一 部 の幹
部 で あ る 。 第 二 種 の 人 は 、 退 職 し て も 一 日 中 、孫
の 世 話 な ど で 忙 し か っ た り ( 主 と し て 女 工 ) 、 あ る い は カ ル タ や 将 棋 に ふけ
り ( 男 性 ) 、 彼 ら の 精 神 の 依 り 処 が 宗 教 で は な く な っ て い る 人 た ち で あ る 。第
三 種 の人
は 「 命 中 注 定 論 者 」 で あ る 。 「 命 中 注 定 」 の 思 想 は 、我
国 の 伝 統 的 な 「 天 命 」 観 念 の 通 俗 的 な 表 現 で あ る 。 「 天 命 」 を 信 じ る 人 の 一 部 も ま た 宗 教 を 信 じ る こ と に反
対
す る の で あ る 。 こ の 居 民委
に 八 〇 歳 の 老 婆 が い る 。 長 い 間 、 居 民委
の 小 組 長 を 務 め 、 四 人 の 娘 が あ っ て 、 孫 も 多 く 、 家 中 う ま く い っ て 、 毎 日 充 実 し て い る 。 彼 女 は 、 自 分 が 、 ど う し て 信 仰 を 持 た な い か に つ い て 「 神 仏 を 求 め る こ と な ど 無 用 で す 。私
は も と か ら 信 じ て い ま せ ん 。人
の 運 命 は 、 良 く も 悪 く も 決 ま っ て い る の だ か ら 、 神 を 求 め て も 、 運 命 の 良 し 悪 し を変
え る こ と な ど で ぎ ま せ ん 」 と 言 う 。 こ れ は 乱 暴 で 浅 い 考 え 方 であ
る が 、 し か し彼
女 は 、 漢 民 族 の 一 部 の 人 々 が 宗 教 信仰
を 拒 否 す る 理 由 を 示 し て い る 。 「宿
命
論 」 も ま た 一 種 の 宗 教観
念
で は あ る が 、 し か し そ れ は あ る 種 の 宗 教 と 互 い に 排 斥 し あ う も の で あ り 、 こ れ ら 「命
中 注 定 論 者 」 も 、 自 分 で 克 服 で き ず 抜 け だ し が た い 困 難 に 遇 う と 、 お う お う に し て 全能
の 神 に 希 槊 を 寄 せ て 、 宗 教 に転
向 し て し ま う の で あ る 。 (2
) 私 た ち が 、 こ の 居 民 委 を 選 ん で 調 査 を 実 施 し た の は 、 主 と し て こ の 地 区 の 退 職 労 働 者 に 信仰
老 が 多 い か ら で あ っ た 。 調査
を 通 し て 、私
た ち は こ の 地 区 が 解 放 前 と 五 〇年
代 の 前 期 に、 五 、 六箇
所 の キ リ ス ト 教 会 と 伝 道 所 のあ
っ た こ と 、 そ の せ い で、 こ の 地 区 の 労働
者 に 教 徒 が 比 較 的 多 い こ と 、 多 く の 老 教徒
は み な解
放 後 の 五 〇 年 代 前 期 に 入 信 し た こ と を 知 っ た 。 一 九 五 八 年 、 キ リ ス ト 教 が 連 合 礼 拝 を 実 施 し た の ち 、 教会
に行
く 人 は 、 次 第 に 少 な く な っ た 。 一 つ に は 一 九 五 七 年 以 後 、 宗 教 政策
の貫
徹 に 「 左 」 の 干渉
を 受 け た こ と に よ る し 、 二 つ に は 一 九 五 八 年 以後
、 就 業 人 冂 が 増 え 、 人 々 は仕
事
が 忙 し く 、 教会
に 通 っ て 宗 教 生 活 を 行 う ヒ マ が な く な っ た か ら で あ る 。 一〇
年 の動
乱 の 間 、 教 会 は 閉 鎖 さ れ 、 こ の 地 区 の 綿紡
工 場 は 四 人 組 横 行 時 の 重 災害
工 場 で 、 労 働 者 の 信 徒 も 攻 撃 を 受 け た 。 た と え ば 、 こ の 居 民 委 の 二 人 の綿
紡 工 場 の 労 働 者 は 、 別 の 問 題 で あ る の に 、 反革
命 の 行 為 を 行 っ た と し て 処 分 さ れ 、 工 場 で も 町 内 で も 、 と も に 批 判 さ れ 、 大 衆 の 監 督 を 受 け た 。 こ の 二 人 が 信 徒 だ っ た の で 、 そ N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service の ほ か の 信 徒 に も 影 響 が あ っ た 。 党 の 一 一 期 三 中 全 会 の の ち 、 宗 教 自 由 の 政 策 が 次
第
に 徹 底 し 、 信 徒 も ま た 公 然 と 宗 教 生 活 を送
れ る よ う に な り 、 家 庭 集 会 も 回復
、 発展
し た ( 付 近 の教
堂 が 、 一 九 八 二年
の 聖 誕 節 に閉
放
さ れ た こ と に よ る ) 。 同 時 に 一 九 七 八 年 以後
、 多 数 の 労 働 者 が 退 職 し て 家 に帰
り 、 比 較 的 長 い 時 間 、 宗 教 生 活 を 過 ご す よ う に な っ た 。 も と も と の 老 信 徒 は 、自
分 が 家 庭 集 会 に 参 加 す る だ け で な く 、 人 を集
め 、 信 仰 を 持 た な い 老 姉妹
に 、 一 緒 に 参 加 す る よ う に勧
め 、 わ ず か 四 年 の 内 に 新 し い 信 徒 は 増 え、 も と も と の 信 徒 の 数 と ほ と ん ど 同 じ に な っ た 。 新 老 の 信 徒 を 問 わ ず 、 彼 ら は 私 た ち に 対 し て 、 こ れ は 宗 教 政 策 が 落 ち 着 い て 以後
の 新 し い 現 象 で 、 「 左 」 の 影 響 を修
正 し て の ち に 表 れ た 正 常 な 現 象 で あ る と 答 え て い る 。 特 に 退 職 し た 労 働 者 は 毎 日 家 庭 集 会 に 参 加 す る 時 間 が 十 分 にあ
る か ら 、 あ る 人 は、 一 週 間 の 内 に 数 個 所 の 集 会 、数
個所
の 礼 拝 に参
加 し よ う と す る 。 彼 ら は 、 礼 拝 や 説 教 が 多 け れ ば 多 い ほ ど 、 上 帝 に 近 づ け 、 魂 も 早 く救
わ れ る と 信 じ て い る 。 こ れ ら の 現 象面
で み る と 、 信 徒 の活
動 は 頻 繁 で 活 発 で あ る 。 (3
) 旧 社 会 で辛
酸 を な め 、 新 社 会 で 解 放 さ れ た 多 く の 退 職 労 慟 者 の 信仰
問 題 に つ い て 一 部 の 同 志 は 憂 慮 し た こ と が あ る 。 は な は だ し い 人 は 、 老 労 働 者 の 信仰
は 「 本 質 を 忘 れ た も の 」 だ と 決 め つ け た 。 私 た ち は 、 調 査 訪 問 を 通 し て 、 社会
主義
社 会 で は 宗 教存
在 の 階 級 的 根 源 は す で に 基 本 的 に は 消 滅 し た が 、 し か し 宗 教 の 生 ま れ る 社 会 的 根 源 と 認識
の 根 源 は 、 ま だ 長期
に 存 在 し て い る こ と を 知 っ た 。 こ の 種 の 情 況 下 で は 、 ど の み ち 、 信 仰 を も つ 人 が で て く る こ と に な る 。 退 職 労 働 者 の 信仰
は 、 彼 ら が退
職 後 、 彼 ら が 自 分 自 身 で 出 会 う家
庭
、 社 会 、 経 済 な ど の 種 々 の 問 題 に 関係
が あ り 、 ま た 彼 ら の 政 治 、 文 化 の素
養
と 思 想 認 識 の 水 準 と も 関 係 が あ る 。 大 多 数 の信
仰 を 持 つ 退 職 労 働 者 は 、 そ れ 以 前 か ら 、 一 般 的 に 政 治 に 対 す る 関 心 は薄
く 、退
職後
は 、 思想
の 上 で 簡 単 に 虚 し さ を 感 じ て し ま い 、 ひ と た び 脱 け 難 い 悩 み や 実 際 の 問 題 と 出 会 う と 、 た ち ま ち 簡 単 に 宗 教 を受
け 入 れ て し ま う 。 大 多 数 の 退 職 労 働 者 は 、 文盲
か 半 文 盲 で 、 文 化、 科 学 、 衛 生 の 知 識 に 欠 け て お り 、 そ の た め 病 気 に な っ た り す る と 、 簡単
に 宗 教 を 受 け 入 れ て し ま う 。彼
ら は 退 職後
、 心 身 の健
康 を 求 め 、 「 来 世 の 幸 福 」 「 死後
は 天 堂 に 上 る 」 た め に 信仰
し て い る の で あ る 。 極 端 な 場 合 、 か な り の 退職
労働
者 は 、 や る こ と が な い た め に 、 晩年
の 生 活 を少
し で も 「 充 実 」 さ せ た く て 、 そ の 日 そ の 日 を な ん と か 暮 ら す た め に 信仰
し て い る の で あ る 。 た だ し 彼 ら は 、解
放 に 感 じ る と こ ろ が あ り 、 党 や 社 会 主 義 に 対 し て は 良 い 感 情 を も ち 、 宗教
を 信 じ つ つ 党 を 信 じ、 社 会 主義
を 擁 護 し て い る 。 以 上 の 情 況 に よ っ て 、 こ れ ら す で に 信 仰 を持
つ 退 職 労働
者 に 対 し て は 、 宗 教 信 仰自
由 の 政 策 を 正確
に 貫 き 、愛
国
宗 教 組 織 の 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 五 三 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 五 四 「 神 を 信 じ 人 を 助 け る 」 の 道 理 に よ っ て 、 彼 ら を
愛
国愛
教 に導
き 、 二 つ の 文 明 建 設 の た め に 自 ら 貢 献 さ せ る 、 こ れ は 必 要 で あ る し 、 ま た 可 能 な こ と で あ る 。 私 た ち は 、 常 に 宗 教信
仰
と 、 党 を 信 じ 社 会 主 義 を 擁護
す る こ と の 間 に 、 対 立 を起
さ な い よ う に注
意
す べ き で 、 こ の よ う に し て は じ め て 人 々 を 団 結 さ せ 、 社 会 主義
建
設 の 新 局 面 を開
く の に有
利
と な る 。長
白
山麓
の教
会
ー
東 北朝
鮮
族
に お け る キ リ ス ト 教 の現
状
調
査1
N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
我
国 に は 朝 鮮 族 の 同 胞 が約
一 七 八 万 人 お り 、 主 と し て東
北 三 省 に 居 住 し て い る 。 そ の 中 、 遼寧
省 に 約 二 〇 万 人 、 黒 竜 江 省 に 四 〇 万 人、 吉 林 省 に=
○
万 人 ( 延 辺 の 朝 鮮 族自
治 州 の 七 〇 余 万 人 を 含 む ) が い る 。 い く つ か の 都 市 で は 、 朝鮮
族 が 相 対 的 に集
中 し て い る 区 域 が あ り 、 た と え ぽ沈
陽 の 満 融 屯 で は 、 六 〇 八 戸 の 内 、 わ ず か 一 戸 が 漢 民 族 で 、 他 は す べ て 朝 鮮 族 で あ る 。朝
鮮
族 居 住 区 の 農 業 経 済 は 、 か な り 発達
し て お り 、 文 化 ・教
育 も 普 及 し て い る 。 朝 鮮 族 が 、 我 国 の 東 北 地 方 に 居 を 定 め る よ う に な っ た の は } ○ ○ 余 年 以 前 の こ と だ が、 規 模 の 大 き な も の に 三 つ あ る 。 (1
)早
い時
期 に 貧 農 が 国 境 を越
え て来
て 、 荒 地 を 開 墾 し た も の 。 (2
)今
世 紀 の初
め 、 日 本帝
国 主 義 が朝
鮮
を併
合 し た 際 、 我 国 に避
難 し て 来 た も の で、 多 く が 抗 日 の 志 士 で あ る 。 (3
) 三〇
年
代 、 ロ 本 軍 国 主 義 が 我 国 の 東 北 三 省 を 侵 略 し て の ち、 朝鮮
人 移 民 を組
織 し て 来 さ せ た も の 。 一 九 四 五年
、 第 二 次 世界
大 戦 が 終 っ て の ち 、 半数
以 上 の 朝 鮮 人 、特
に 経 済 、文
化 の 条 件 の 良 か っ た 人 々 は 、中
国 を 離 れ 、朝
鮮
や 日 本 、 北 米 な ど の 地 に 移 っ た 。 し た が っ て 、現
在 の 東 北 の 朝 鮮 族 の 住 民 の ほ と ん ど の 家 も 、 海 外 に 親 戚 や友
人 を 持 っ て い る 。 朝 鮮 族 の 同 胞 は 、 新 中 国 の 建 設 や 中 国 朝 鮮 両 国 の友
好 を 促 進 す る 中 で 、 誰 も が特
別 な 貢 献 を果
た し た 。 延 辺 一 帯 は 、 ほ と ん ど ど の 郷 村 に も 革 命 烈 士 の 墓 を 見 る こ と が で き る 。彼
ら は 、 抗 日 戦争
や 、 解 放戦
争
、 朝 鮮 戦 争 に お い て 英 雄 的 か つ 献 身 的 で あ っ た 。 朝 鮮族
同 胞 は 祖 国 の 独 立 、 解 放 と繁
栄 の た め に 大 き な 代 償 を払
っ た の で あ る 。 一 九 八 四年
六 月、 私 た ち は 、 主 と し て 、 沈 陽 市 と そ の 郊 外 の 満 融 屯 、 蘇 家 屯 、 ま た 延 辺自
治 州 の 延 吉 市 、 図 們 市 、 竜井
県 とNII-Electronic Library Service そ の 農 村 に 行 っ て 、 朝 鮮 族 の キ リ ス ト 教 の 現 状 に つ い て 調 査 し た 。 一 四 、 五 〇 年 前 、 東 北 の 朝 鮮 族 に は 、 多
種
の 宗 教 が あ っ た が 、 し か し 現 在 は、 主 と し て 天 主 教 ( カ ト リ ッ ク ) と キ リ ス ト 教 を信
奉 し て お り 、 そ の 他 の 宗 教 は 極 め て 少 な い 。何
人 か の 同 志 の 紹介
と 、 私 た ち の 調査
の 印 象 で は 、 キ リ ス ト 教 徒 が い る 地 区 は 広 く 、 信 徒 の 数 も キ リ ス ト 教 の ほ う が 天 主 教 よ り は 多 く 、 宗 教 活動
も 活 発 で あ る こ と が 明 ら か に な っ た 。 朝 鮮 族 の キ リ ス ト 教 は 、 } 九 世 紀後
半 に、 朝 鮮 か ら 伝 来 し たも
の で 、 当 初 は 五 、 六 の派
が あ り、 長 老 派 が 最 も 実 力 が あ っ た 。今
で も 朝 鮮 族 の教
会
は 長 老 制 を と っ て い る 。1
ど の 教 会 も 執事
を選
ん で 管 理 し 、 教務
の 責 任 は 長 老 にあ
っ て、牧
師 が 招 聘 さ れ て専
門 に 伝道
、宗
教行
事 を行
っ て い る 。 三 〇 年 代 は キ リ ス ト 教 の最
盛 期 で あ っ た。 の ち 日 本 の 侵 略 者 は 一 方 で は 「 満 州 朝 鮮 キ リ ス ト 教 会 」 を 組織
し て 、 教 会 へ の 統制
を 強 化 し 、 一 方 で は 人 々 に 靖 国 神社
参 拝 を強
制 し 、 キ リ ス ト教
徒 は 残 酷 な 迫 害 を 受け
た 。 日 本 の侵
略
者 が 降 伏 す る 前後
、 キ リ ス ト 教 も ま た 一 し き り 活 躍 し た が 、 し か し ま も な く 反 共 の デ マ を き い て 、 ほ と ん ど の 牧 師 や 長 老 は 教 会 の 金 や 財産
を 持 っ て 国 外 へ 脱 出 し て し ま い 、 教 会 の 活 動 は そ の機
能
を マ ヒ し て し ま っ た 。 解 放後
、 朝 鮮 族 の キ リ ス ト 教 も 「 左 」 の 誤 っ た 影 響 を 受 け て 、 早期
の 一 九 四 五 年 の 光 復 節 の 直後
( 延 辺 に は 国 民 党統
治
の 時 代 が な か っ た ) 、 聖 書 を 焼 い た り 、 教 会 を 壊 し た り す る 事 件 が発
生 し た 。 た と え ば 、 国 の 内 外 の 朝 鮮 族 に た い へ ん な 影響
力
が あ っ た 沈 陽 の 西 塔 教会
で は 、 一 九 五 一 年 の春
、 あ る 礼 拝 が 終 っ て か ら 、 当 地 の 文 化館
の 人 間 が 突 然 や っ て来
て 、 信 徒 を 追 い 払 い 、 門 を 閉 ざ し 、 部 屋 や 財 産 を 占 拠 し 、 礼 拝 は 場 所 を 変 え て 行 う こ と が迫
ら れ た 。文
化 大革
命 の 時 は 、 ど ん な宗
教 活 動 も す べ て 非 合 法 と き め つ け ら れ た が 、 し か し 多 く の 信 徒 の 家 庭 は、 一貫
し て 深 夜 に 行 っ た り 、 あ る い は 穴 蔵 で 、門
や窓
を 堅 く閉
ざ し て集
会 を 行 っ た 。 党 の 一 一 期 三 中 全会
以 後 、宗
教 政 策 は着
実 な も の と な り 、 西塔
教 会 も 一 九 七 九年
の 聖 誕節
に 始 め て 礼 拝 を 回 復 し た。各
地 の 政 府 と 宗 教 政 策 部 門 は 、 政策
遂 行 の た め に 大 変 な 努 力 を 重 ね て い る 。 あ る 幹 部 は 言 う 「 私 た ち は 、 信徒
を自
分 の 兄 弟 と 思 う よ う に し て お り 、 信 仰 し て い る し て い な い に か か わ らず
、皆
な 友 人 で す 」 。 あ る 幹 部 は 、朝
鮮 族 の 教 会 が 大 変 な 打撃
を受
け た の で 、 政 策 遂 行 の 上 で 、 彼 ら に 対 し て は よ り 多 く の 気 遣 い を し、 政 策 を 実 行 す る こ と に 努 め た の で あ る 。 四年
あ ま り の 間 に 、 全 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 五 五 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 五 六 部 で 一 二 の 朝 鮮 族 の 教 会 と い く つ か の 集 会 所 が 回 復 し 、 現 在 、
朝
鮮 族 の牧
師
二 名 、 長 老 八名
が い る 。 し か し い ず れ も 沈陽
、 延吉
、 鉄嶺
、 竜 井 の 四箇
所 で あ り 、 教 会 の 多 く は 、 沈 陽 、 延 吉 付 近 の い く つ か の 都 市 に集
中 し て い る か ら 、 い ま だ 朝鮮
族 教 徒 の 需要
を 満 足 さ せ る も の で は な い 。 一 九 八 二年
と 一 九 八 四 年 、 朝 鮮 族 教 会 は 、 朝 鮮 語 の 聖 書 と賛
美 歌 を続
け て 出版
し た 。 全 国 の 少 数 民 族 の キ リ ス ト 教 の 中 で 、 朝 鮮 族 の 教会
は か な り 発 展 し 活 躍 し て い る 。 新 中 国 の 成 立後
、 朝 鮮 族 の キ リ ス ト 教 も 大 い な る 変 化 を 遂 げ た 。 反 動 が支
配 し て い た時
期 、 少 数 の朝
鮮 族 キ リ ス ト 教 徒 は 、 ロ偽
、 あ る い は 国 民 党 の 勢 力 と 結 び つ き 、 あ る 教 会 の 機構
は 彼 ら の 手 中 に落
ち た 。 た と え ば 、 満 融 屯 の 教 会 で は 、 も と も と 長 老 で あ っ た 韓 某 が 反 動 的 な 独 立党
に 参 加 し 、 国 民 党 の時
代 に は 村 長 と 学 校 長 に な り 、 村 の教
育 、 政 治 、 教 会 の 三権
を 掌 握 し た が 、 彼 は 解 放 後 に鎮
圧 さ れ た 。 若 干 の 信 者 の 政 治 的 立 場 が反
動 的 で あ っ た た め 、 当 時 い く つ か の 地方
で は 、 人 々 の キ リ ス ト 教 に 対 す る イ メ ー ジ は 良 く な か っ た 。 し か し 、現
在 各 地 の 朝 鮮 族 教 会 の責
任
者
は 、 主 と し て 信 徒 の 中 の在
職 中 、 あ る い は 退 職 し た 労 働 者 で あ る 。 た と え ば、 延 吉 市 の 教 会 の 金 長 老 は 州 の 百 貨 店 の 靴 と 帽 子 売 場 の責
任 者 で あ り 、 図們
市 の 教 会 の 金 執 事 は 服 装 工 場 の 工 場 長 で あ り 、 竜 井 県 の 教 会 の 二 人 の 長 老 は 退職
労 働 者 で あ る が 、 彼 ら は 在 職 中 は い つ も 賞賛
さ れ て い た 。 農 村 の 教 会 の情
況 も似
て い る 。 た と え ば 石 井 村 の 教徒
も 多 い が 、 当 地 の 集 会 所 の責
任
者 の 金 執 事 は こ こ の 生 産隊
の 新 任 の隊
長 で あ る 。 朝鮮
族 の キ リ ス ト 教 徒 の 中 に は 、 五 好 家 庭 の称
号 を得
た 者 の 占 め る 率 が高
い 。数
人 の牧
師 や 長老
の家
庭 は み な 五 好 家庭
と し て 評 さ れ て い る が 、 こ れ は 教 徒 が 、 社 会 生 活 や隣
近 所 と の 付 き 合 い の 中 で 、 社 会 道 徳 や 文 明 的 行 為 に優
れ て い る こ と を 表 わ し て い る 。 満 融 屯 の 党 支 部 の 書 記 は 一 つ の 事 件 を紹
介 し て く れ た 。 一 九 八 四年
五 月 一 八 日 の 夜 、 部 落 で大
火 が 発 生 し 、 六 戸 に 災 害 が 及 び 、 そ の 内 の 二 戸 が 全 焼 し た 。 火 災 発 生後
、 一 部 の キ リ ス ト 教 徒 は 、 す ぐ さ ま自
発 的 に 金 銭、 衣 服 、 食料
を 集 め、 救 難 の た め に 送 っ て 姓 名 も 告 げ な か っ た 。 こ れ ら 信徒
の 多 く は 老 婦 女 で あ る が 、彼
女 ら に は ほ と ん ど 独 立 し た 経 済力
が な く 、 送 っ た物
の多
く は 、彼
女 た ち が 長年
個
人
的 に蓄
え た も の で あ る 。 こ の書
記 は 、 キ リ ス ト 教徒
の 行 為 は 素 晴 ら し い と 言 っ た 。 私 た ち は 、 以 下 の こ と を 知 っ た 。 教 徒 の 態 度 は 良 く、 人 々 の 賞 賛 を受
け る こ と も 少 な く な い 。 し か も そ れ だ け で は な く、 一 部 の 信 者 で な い 人 も 信 仰 に 引 ぎ よ せ 、 あ る い は、 初 め て 信 仰 す る 人 に 信 仰 は 良 い こ と だ と 悟 ら せ 、 教 徒 の 行 い を真
似 さ せ 白 分 を変
え よ う と さ せ 、 こ れ ら の 人 の 変 り よ う が 、 さ ら に 宗 教 の 影 響 を 拡 大 し て い る 。 た と え ば 竜 井教
会
の 義 務 工 作員
の 短 期 訓練
班 の 、 あ る 班 員 が 言 う に は、彼
は 一 九 八 〇年
に 入 信 し た が 、 未 成 年 の 娘 は 、 彼 が 信 仰 し 道 を 学 ぶ こ と に 反 対 し た 。 そ の た め 彼 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service は 訓
練
班 に い て も 、 心 は 逆 に農
業
の 忙 し さ を 気 に か け て い た 。 あ る 日 突然
、 彼 女 か ら 彼 の 家 の 草 取 り な ど の 農事
は 、 全部
数
人 の 信徒
の助
け で や り 終 え た か ら 、 お 父 さ ん は安
心 し て 聖書
を 学 ん で ほ し い と い う 手紙
を 受 け 取 っ た 。 こ の 出 来事
で 班 員 は 、 い っ そ う キ リ ス ト 教 を 信 じ る こ と は 素晴
ら し い と 感 じ 、 彼 の 大 ぎ い ほ う の 娘 も 、 信 仰 し た い と望
ん だ 。 別 の 「 女 性 班員
に よ る と 、彼
女 の 夫 は 以 前 か ら 酒癖
が悪
く 、酔
う と い つ も 彼 女 を 打 つ の で 、鼻
や 目 を 青 く 腫 れ あ が ら せ て い た 。 の ち に 「 聖 書 が 、 人 に善
を な す こ と を 勧 め る の を 聞 き 、 ま た 教 え を 信 じ る 者 が 誠 実 で あ る の を 見 て 」 夫婦
二 人 と も 入 信 し 、 夫 は 酒 を や め 、 家 庭 は 平 和 に な っ た と い う 。 そ し て 近年
は 、 働 い た お か げ で 裕福
と な り 、家
の中
に 集 会 所 を 作 っ た 。 こ の 一 家 の物
質的
、 精 神 的 生 活 の 変 り よ う が 、 ま た 多 く の 人 々 の 入 信 を 誘 っ て い る 。 ま た 二 人 の 朝鮮
族 の 青 年 が い る 。 二 人 と も 二 〇 歳 に な っ た ば か り だ が 、 中 学 卒 業後
、 就 職 も せ ず 、 酒 に お ぼ れ 悪 い習
慣 に 染 ま っ て お り 、 そ の 内 の → 人 は与
太 者 の グ ル ー プ に 入 っ て 、軍
隊 の 武 器 を 盗 む 事 件 を 起 し た 。 賠 償 金 を 払 い 、 二 度 監 獄 に 入 り 、 親 威 や 友 人 は だ れ も彼
を い さ め な く な っ た 。 と こ ろ が 入 信 し て か ら 、 人 が 変 り 、 ゴ 戸 ツ キ連
中 と 付 き 合 わ な く な っ た 。 彼 ら は 二 人 と も 「価
値 あ る 人 間 に な り た い 」 「 人 生 の 価値
を 見 つ け た い 」 と 言 っ て い る 。 二 人 の 青 年 が 道 を 誤 っ た 過 程 は 、 一 〇 年 の 動 乱 が 人 々 の 生 活 価 値 観 を攪
乱 し 、 動 乱 が 終 っ て か ら も 社会
は 、 彼 ら の 生 活 問題
を す ぐ に は 解 決 で き ず 、 一 部 の 青 年 が 、 分 別 能 力 を 失 っ た こ と を 説 明 し て い る 。 こ れ ら の 青 年 が 一 旦 立 ち 直 る と 、 人 々 は お う お う に し て簡
単 に 「 神 の 奇 跡 」 と 見 て し ま う の で あ る 。 か の 監 獄 に 入 っ た 青年
の 父 親 ( 生 産 隊 の 幹 部 ) は 子 供 が こ の よ う に変
身
し た の を 見 て 、 子 供 が ヤ ソ を 信 じ る の は 良 い こ と だ と 思 い 、 子 供 を 教 会 の義
務 工 作 員 の 訓 練 班 に 参 加 さ せ た 。 再 び 教 会 が 開 放 さ れ て 以 来 、 朝 鮮 族 の 信徒
の 数 は 、 山 海 関 以 内 の 特 定 地 区 の よ う な き わ だ っ た 増 加 は し て い な い が 、 宗 教政
策 が貫
徹
さ れ る に つ れ 、人
数 は さ ら に 上 昇 の 勢 い で あ る 。 特 に 遠 い 郊 外 や 農 村 で は 、 道 の り や 言 葉 、 体 力 な ど が 原 因 し て 、実
際 に は家
庭 礼 拝 が 多 い 。 一 九 八 四年
四 月 、遼
寧
省 の宗
教 事 務 部門
は 、 人 を 営 口 に 派遣
し た 結 果 、 付 近 に 四 個 所 の 朝鮮
族 の 集 会 所 のあ
る こ と を 知 り 、 ま た 農 村 を 子 細 に 調 べ て さ ら に 少 な く と も = 二 の 集 会 所 が あ る こ と が わ か っ た 。 信 徒 の 数 も 以 前 の 総計
よ り 多 く な っ て い る 。N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
民