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白 主 規 制 と カ ム フ ラ ー ジ ュ − 『 男 色 大 鑑 』 と

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(1)白主規制とカムフラージュ ﹃武道伝来記﹄の差異−. 脇. 理. 史. に︑今も変わらぬ事態ながら︑弥次馬的な関心は上層階級に向いや. −﹃男色大鑑﹄と. 谷. ちが︑武家に︑武家の世界の話題に関心を持たないはずがない︒む. しろ︑武家の世界の情報や噂咄︑武家の論理や心情のあリ方を知る. 西鶴はもとよリ︑その作晶を買って読むような読者も︑当然生活. すい︒支配者として地位も名誉もある武家の事どもは︑恰好の話題. ことは︑商機を得る上にも必要なことであったはずである︒と同時. に余裕のある人たち︑いわぱ上層の町人︵商人︶に属する者である. 西鶴にも︑当時の西鶴作品の読者たちにとっても武家の世界が︑. として︑読者の興昧をひくことになるであろう︒ましてやそれが︑. な関係を持たざるをえない立場にある町人たちであった︒しかも相. すこぷる興昧ある対象だったことは︑右の状況を考えれぱ明らかで. こと︑云うまでもない︒従って︑その廠客の中心︑上得意たるもの. 手は上得意で身分も上︑その意に従わざるを得ず︑語をあわせ御機. あリ︑今更云うまでもないことのようなのだが︑﹁町人文学﹂﹁庶民. 日頃腰を低くしながらも付合わざるを得ない武家を種々の側面から. 嫌をとリむすぷ必要もあリ︑それと付合うには面自からぬ思いをす. 文学﹂といった西鶴作晶のとらえ方がなされてしまう時︑右のよう. の多くが武家階層であった人々である︒彼らは︑武家と無縁に切り. ることもあったであろう︒しかし︑南級な品を買ってくれるのは武. な視点は︑現在必ずしも一般的にはなっていないように見うけられ. とりあげるものであれぱ︑なおさらのことである︒. 家階層︵元禄期が近付き町人層の生活が賛沢になったとは云っても︑. る︒おそらく庶民︵たとえぱ惜屋・長屋の住人たち︶には武家は無. 離されているどころか︑むしろ好むと好まざるとにかかわらず密接. その数は隈られ︑武家に比して僅かであったことは確実である︶︑嫌. 縁︑あるいは︑敬して遠ざけるのみで足リようが︑上層の町人^商. 人一は︑そのような訳にはいかないのである︒そして︑西鶴作晶は. でも武家と付合わねぱ商売がなり立たぬ人たちなのである︒. そのような立場にある︵あった︶西鶴︑当時の西鶴作品の読者た 自主規制とカムフラージュ. 三.

(2) は武家︑といった見方はおそらく不可︑むしろ作者西鶴は︑上層の. るわけにはいかない︒従って︑武家社会に取材する西鶴作晶の読者. る作者と読者を前提に武家物作品が書かれ読まれていることを忘れ. 彼らにとって最も関心をひかれる対象であリ︑武家と日常的に接す. むのも上層の町人と兄るべきものなのである︒いわぱ武家社全は︑. 実は︑そのような町人の上層にある^あった︶者が書き︑それを読. トラプルの発生を防ぐための出版規制が行なわれ︑作者は自主規制. すれぱ︑トラプルの生ずる可能性があったということであリ︑その. るのが武家︑その社全の情報や樽を現代︵当世︶の事として書くと. を得ない事情があったのである︒すなわち当時は︑地位も名誉もあ. う疑問も生じて来るであろう︒が︑それには当然のことながら止む. である︒それでは︑当時の読者の関心をひきえぬではないか︑とい. ^2︺ こととして時代を設定する作晶がほとんどすべて^例外若干あり︶. やカムフラージュを行う必要があったということである︒従って︑. 町人が読者なれぱこそ︑武家社全に取材することに町人読者が興味 ・関心を持つと考えていたと兄ていいであろう︒︵ただし︑武家の. わに書くことを避けるためのカムフラージュ︑それは実は当世の武. 一見昔の事とされる時代設定のほとんどは︑当世のこととしてあら. る以上︑武家にも西鶴作晶に注目し読む人がいるのは当然︑そのよ. 家のこととして読むべしという前提で菩かれているのであり︑西鶴. 読者はなかったなどといいたいわけではない︒出版され売られてい. うな例はすでに報告されてもいる︒しかし︑西鶴の武家物を読んだ. 現代小説浮世草子として書いているのである︒. は︑他の系列の作品と同じく︑音語リとしてではなく︑あくまでも. 武家は︑その内容から見て︑おそらくそれを楽しめなかったのでは ^1︺ ないかと思われる︒その点については︑別稿で若干考えてみたこと. が︑右の云い方は︑少しく唐突に感じられるかもしれない︒何故. 以前︑あるいは五十年も前の寛永期頃の武家の話題などは耳遠いも. がら︑現代︵当世︶の武家に興味・関心を持ってはいても︑江戸期. だが︑右のような状況下にある西鶴やその読者は︑当然のことな. いからである︒ここでは︑やや脇遣になるが︑以下︑本稿の問題と. いるように兄受けられ︑一般的な了解塾項となっているようではな. 点をいくつかの側面から間題にして来たが︑これ又犬方黙殺されて. のではないかといった仮説は︑全くといっていい程に黙視されて来 ^3︺ ているからである︒また︑私自身は近年︑若干の拙論によってその. がある一︒. なら︑従来︑西鶴の出版規制への配慮といった問題︑また︑そこで. の︑それらにさしたる興昧・関心は生まれぬはずである︒にもかか. 関連する範囲内で武家物を書き始める貞享三年頃までの出版規制の. はカムフラージュがしたたかな戦略としても有効に利用されている. わらず︑西鶴の武家物は︑一見浮世草子らしくもなく︑はるか昔の. 二.

(3) 状況︑それまでの西鶴作品での武家の取リ上げ方などについて概略 を記すこととする︒. る︒しかも︑この取締り令の発令時には︑貞享元年四月の町触に. ﹁此以前も御触有之︑板木屋共証文致置候所﹂とあるように︑﹁板木. 屋共﹂^書躰たち︶がこの令を連守する旨の﹁証文﹂まで差出すと. いう念入リな取締リが行なわれているわけだから︑﹁板木屋共﹂は︑. ら︑その規制が軍菩類を対象とするものである以上︑そこで取り上. 事を契機に発令されたものと推定される︒現在その事件は不明なが. から近世初頭の時期の戦乱を取リあげる作品からトラブルが生じた. ^4︺ 明暦三年二月の﹁和本之軍書類﹂の新版に対する規制は︑戦国期. らぬという調子でお叱リを受けるだけの重みのあるものだったので. 致置候所Lにもかかわらず︑今度の事態を出来させたのはけしか. のではなく︑十一年後の貞享元年時において︑﹁此以前﹂に﹁証文. いずれ江戸期のこと三日法度のごときものかと︑軽視されてよいも. ク機能を働かせることになるであろう︒一片の町触が出されたのみ︑. その出版物が﹁仰公儀﹂﹁諸人﹂に云い及ぷ場合には︑当然チェッ. げられた武家の名誉にかかわる点が閉題になって生じたものである. ある︒. の対象範囲はほぽ同じと見ることに問題はないであろう︶︒従って︑. 現在未詳︒ただし当時の町触のあリ方から見て︑その文言や取締リ. が寛文十三年以前にも行われていることは明らかだが︑その文言は. い︒︵なお︑この出版取締リ令は︑﹁此以前﹂と始まリ︑同様の発令. のことまで視野に人っているはずがないと推定しても誤リはあるま. の武家︶を中心とする^含公卿・僧侶︶ものであリ︑一般の町人層. いとして︑﹁諦人﹂と称される対象は武家^地位も名誉もある上層. 外何二而モ珍敷卒﹂へと拡大されるが︑﹁御公儀﹂は云うまでもな. 令は︑その対象範囲が﹁御公儀之義ハ不及︸︑諸人迷惑仕候俵︑其. 実状と兄られるのである︒小心翼々として奉行所の命に従う書緯・. 従順︑トラブルを生じさせないように自主規制しているというのが. 出すような熱意は持っていないようであリ︑書離︵そして作者︶も. がなけれぱ動かぬことを常とし︑中国の御役人のことく筆禍を作リ. うる︒しかし︑別稿でも記したように︑江戸の当時の役人は︑訴え. した時の︶などには︑取締リの手は及んでいないという兄方もあn・. ものはあるものの︑仮名草子・浮世草子に直按かかわるような事例 モうし は︑現在兄出しえない︒従って︑いわゆる冊子︵物の本に対して称. 元年四月の時点まで︑若干の出版トラブル・取締り事件と兄られる. もっとも︑現在までの所︑ほぽ同様の取締リ令が発令される貞享. ^7︺. 一6■一. ^5︶. 公儀や武家︑あるいは公儀の政策︑武家の所行等を取リ上げる際に. 作者というこのような構図は︑誠に恰好の悪いサッソウとしない兄 自主規制とカムフラージュ. 五. は︑この時点でよリ一屑の注意・警戒が必要とされていることにな. ﹂巾つたい. ことは確実であろう︒また︑寛文十三年五月に発令された出版取締. 三.

(4) 方だが︑実際は︑それ故にトラブルの発生がないのではないかと思 われるのである︒︵なお︑寛文十三年の取締リ令は江戸で出された もの︑京で同じものが発令されたことは現在確認されていないが︑. 大阪ではこの段階で書離はあれどもなきがごとき状態なのは周知︑. 晶の場合︑その内容上の関係もあって︑武家階層を取り上げること. わけだが︑﹃好色一代男﹄^天和二年︶以後貞享三年までに出版の作. 右のような状況の中で︑西鶴の浮世草子は出版されることになる. 発令はたとえあっても﹁板木屋共﹂が﹁証文致﹂すような事態には. 惑﹂と受けとめられないためと思われる配慮を行なっているように. は少ない︒が︑武家︵とリわけ上流の︶を取リ上げる場合は︑﹁迷. 寛文十三年五月の取締リ令に続くのは︑天和二年五月の高札の一. も見うけられる︒すでに別稿で触れた点もあるが︑ここで簡略に概. 忌令﹄無届け・釈付き開板卒件は︑板木屋︵書離︶の主人にまで手. 強圧的な文言となっていることが注目されないでもない︒右の﹃服. ず﹁和陣﹂も不可︑﹁新板二開候パ﹂が﹁開板一切無用﹂と少しく. る︒ただし﹁珍敷事﹂が﹁可相障儀﹂に変リ﹁諸人迷惑﹂のみなら. 相陣儀︑閉板一切無凧﹂であり︑寛文十三年のものとほぽ同様であ. 取締リの対象範囲は︑﹁御公儀ハ不及巾︑諸人可致迷惑儀︑其外可. 惑﹂を意識せざるがごとくであるが︶を用いているわけだが︑遊客. 人に関しては﹃好色一代女﹄︵貞享三年六月刊︶の頃まで﹁諦人迷. ことはなく︑町人の遊客の場合も多くは遊里での替名︵もっとも町. の範囲に入らぬ人たちだから︑何を書いても公にトラブルを生ずる. 持などの遊里関係者や役者といったいわば公界者であリ︑﹁諸人﹂. に登場する実名の実在人物の大部分は︑遊女︑遊女屋︑揚屋︑太鼓. ﹃一代男﹄は︑その主人公世之介が全くのフィクション︑その巾. ^10︶. 条を別にすれば︑現在知リうる限リ︑﹁服忌令開板致し候者之儀二. 観して置く︒. が及んだ形跡はなく︑ダミーと兄られる﹁出居衆﹂﹁店之者﹂二名. として武家が登場する場含は︑若干趣を異にして︑名前︵替名を含. をとっている︒また︑巻七の四では︑吉原の高尾の客として︑噂に. 六では﹁山の手のさる御方﹂と書き旗本らしき遊客とおぽめかす形. な武士客は﹁尾張のお客﹂﹁尾張の大臣﹂と称されるのみ︑巻六の. ^11︺. が処野されるのみで終っているが︑この発令時にも﹁板木屋共﹂は. めて︶を出すことはしない︒巻七の一の最後で刀を振リまわす野幕. を重く受けとめ︑その連守を改めて誓うことになったであろう︒. ^9︶. ﹁証文致置﹂くことになったであろうから︑﹁開板一切無用﹂の茎言. ^8︶. 付町触﹂として知られる貞享元年四月のものである︒ここでもその. 至っていないであろう︶︒. 出版の先進地京で発令されていないはずはないと思われる︒ただし︑. 、.

(5) 九月十月両月は︑去御方︑市左衡門方にて︑典跡霜月中は利右. あるべし︒⁝﹂と読者に語リかけ︑﹁あらはに記しがた﹂いことを. 合点なるべし︒其里・典女郎に気をつけて兄給ふべし︒時代前後も. ﹁されども替名にして︑あらはには記しがたし︒此遣にたよる人は. 衛門方に御入の約束︑年忘れ三十日は是に御けいやく︑はや正. おぽめかして書いていると自らいう︒とは云いながら︑町人階層の. 高い仙台候とおぽしき人物が登場するが︑そこでは︑. 月も定リ︑年内に御隙とては一日もなし︒此方に年を御取あそ. 場合には実名を出している場合も多いのだが︑武家階層については がい. 一﹁惜や姿は隠れ里﹂のみは︑侍客︵含牢人︶の名も実名らしき姓. 方﹂^五の三︶といったおぽめかし方をしている︒もっとも巻七の. ﹃一代男﹄同様に︑替名すら出さず︑﹁大臣﹂^三の二︶﹁一谷の去御. ^B︺. ばし︑春の卒になされませと中︒いづれもあきれて︑典敵は何 者じゃときけぱ︑小判は木になる物やら︑海にある物やら︑し らぬ人也︒⁝⁝. と記され︑﹁知る人は知るぞかし﹂ではあるが︑一応﹁去御方﹂と. ︑. ︑. 名が記され︑太夫長山の敵討が話題とされているわけだが︑この章. ︑. おぽめかしているのである︒また︑巻四の五では︑﹁去大名の北の. は﹁江戸の遊興町︑本吉原の時﹂と時代設定が行われて当世の事な. ︑. 御方に召つかはれて︑日の目もついに見給わぬ女郎達﹂の一人が休. らずとし︑舞台も後半は仙台として話を展開している故に︑例外と. ︑. 日に錫あさリする暴露記事めいた話を滑稽に展開するが︑ここでも. 兄てよい︒もとよリこの敵討事件の事実は未詳︑従ってあくまで推. 測にすぎないが︑ここでの時代設定のあリ方が﹃武遣伝来記﹄に. もと. ﹁去大名﹂と意識的におぽめかしてている︒もっともこのような書 き方は読者にどの大名かを推測させて興昧を引くという効果も生じ. 類似することから判断すれぱ︑太夫長山も武士の姓氏もおそらくは. 士客を笑いの対象とし︑日頃は乙にすました奥女中をポルノ風短篇. 統く﹃西鶴諸国ぱなし﹄には︑巾広く全国に取材した奇談・珍談. いと思われる︒. 仮名︑モデルを詮索しえぬ程の虚構化が行われている作品と兄てよ. か凸い. ^M︺. ることになリ︑規制を逆手にとったことにもなるわけだが⁝︒. すなわち︑﹃一代努﹄の西鶴は︑右に兄るように一応名前を出さ ず武家階層を禰っているようではあリながら︑権柄づくで野暮な武. のヒロインにして笑いとぱすというしたたかさをも備えているので. 集という内容上当然ながら︑武家階層が登場する作晶も数多い︒と かめい は云え︑巻一の三の貧乏浪人﹁原田内助﹂などは︑おそらく仮名と. おつ. ある︒そして︑規制を逆手にとるこのようなしたたかさは︑以後も. 思われるが︑仮に実名を出しても﹁諸人迷惑﹂﹁相障﹂の﹁諸人﹂. ﹁大河判右衛門﹂︑巻五の四の﹁今川妥女﹂などについては︑仮名と. の範嚇には入らないであろうし︑巻三の一の﹁津河隼人﹂︑同七の. 作品ごとに姿を変えつつ存続一というより作品によっては拡大︶し ^12︺. ているように見うけられる︒. ﹃一代男﹄に続く﹃諸艶大鑑﹄の西鶴は︑巻頭の一章の末尾で 自主規制とカムフラージュ. 七.

(6) される語の主人公︑仮に実在していても﹁迷惑﹂﹁相陣﹂というこ. ルの起リようがないであろう︒また︑津河隼人は立派な武士と賞賛. 津河隼人を除き今は故人︑その子孫も絶えたとされる人物︑トラブ. 思われるものの確認のしようがない︒が︑少くともそれらの人々は. 本章は︑頼宣そのものの舟遊ぴとその際の一奇談を記すもの︑頼宣. のみあえて意識的におぽめかしているごとくなのである︒もとよリ. い浮ぷ読者も多かったにはちがいない︒しかし作者は︑頼宣の場合. に仕えた関口柔心︶などによって︑その主君が紀州公とただちに思. のような書き方が行われている︒とすれぱ︑これを西鶴が最上流の. にとって﹁迷惑﹂﹁相障﹂る恥ではないはずだが︑その場合でもこ. もっとも右の者たちは︑武家階層とはいっても巾下層︑上流とは. と同時に︑﹁関口の何がし﹂の場合︑姓のみとは云え実名で登場. 武家を作中に登場させる際の警戒心︵規制への自覚一の現れと兄る. 俄坊主﹂のことき作品もある︒が︑この場合には︑その舟遊山の主. している点も注目される︒が︑その理曲はほぽ明らか︑すなわちそ. 称しがたいが︑﹃諸国ぱなし﹄には︑加犬の浦を舞台に紀州公頼宣. 人の名は記されず︑その人物の存在は敬語を多胴して示されるのみ. れが︑頼宣ほどには薔戒を要さぬ武家であリ︑しかも武芸者として. ことも可能なのではないだろうか︒. である︒もちろんこれも﹁知る人は知るぞかし﹂で現在の諸注のご. 著名な人物の武功談・名誉話︑当人の﹁迷惑﹂﹁相障﹂となリトラ. なわち︑﹁関口の何がし﹂の技量に感嘆する最初の部分に︑﹁御前は. かねないが︑武家階層︑その社全での話題をとりあげる時︑西鶴. なるであろう︒右の一例のみによって断ずることは勇み足ともなリ. プルが生ずるはずのない話ゆえに実名が出されているということに. じめて→をはじめとして︑の意一おのく一と初めて他の家臣ら. ︵及び書摩︶は︑当人または当家の﹁迷惑﹂﹁和障﹂となる事態が生. ︑. ずるか否かについて注意を怠らぬ配慮を行って書いているように見. ︑. 統くのである︒これは︑﹁御公儀﹂につらなる御三家の主君を作中. うけられるのである︒そしてそのような配慮が︑作者の書き方に何. ︑. にあらわに登場させることを傾リ︑あえておぽめかそうとする姿勢. らかの影響を与えることは確実︑種々の側面からの考察が今後も必. 世界が話題となる作晶がもう一つある︒著名な巻四の二﹁忍ぴ扇の. ところで︑﹃諸国ぱなし﹄中には︑犬名クラスの最上級の武家の. ^15︶. が︑このような書き方をさせたと兄てもいいのではなかろうか︒そ. 要とされることになるであろう︒. もっとも︑加太の浦での豪勢な舟遊ぴ︑﹁関口の何がし﹂︵頼宣公. として他の章とは異質な描き方がなされているのである︒. のような推測が生まれる程に︑この章での主君は一見隠された存在. と並記されて登場するまで︑主語を記さずに敬語を多用する描写が. ︵動作主︶さえも記さぬ書き方が続くことは注目するに足りる︒す. とくに頼宣公と分かる人には分かるわけだが︑名前はもとより主語. とおぽしき人物が舟遊ぴをした折の奇談を記す巻二の二﹁十二人の. とになる心配はなさそうである︒. 八.

(7) しみの者有﹂として記されるのみ︑それによってこの大名家を特定. 所のみ﹁かはらけ町﹂の﹁うら棚﹂と書かれるが︑それも努に﹁よ. れを特定する手がかリを与えようとはしない︒二人が駆落ちした場. る大名家の所在は︑﹁さてはと其所をしリて﹂と記されるのみ︑そ. 当然ながら名前を記すことはない︒しかも︑男が尋ねあてて奉公す. もに無名︑﹁さる御大名﹂も﹁大殿﹂として後に登場はするものの︑. さま﹂と記し︑その柵手も﹁中小姓ぐらいの風俗﹂の努と記してと. といってよいと思うが︑西鶴は︑女主人公を﹁さる御犬名のめいご. て﹁迷惑﹂﹁柵曄﹂るものであること︑いうまでもない︒それ故に︑. のスキャンダルとも兄られる内容であリ︑特定されれぱ当家にとっ. 長箭﹂である︒が︑この場合は巻二の二とは異なり︑いわぱ大名家. してその面白さを考えるべきなのではなかろうか︒. 逆手にとって大名の世界一般のこととする作者のしたたかさを感得. ようとした︶ままに読み解いていくだけで十分︑むしろ出版規制を. モデルにこだわるよリ︑作品そのものを︑与えられた^作者が与え. 的に虚構を加えている作品を問題にする場合は︑少しくあやふやな. ているということであろう︒実説化・実録化を避けようとして意識. 説を奇談として提示︑それも又一理あリと読者に納得させようとし. のあリ方を読者に実感させ︑そのあリ方に存する矛盾をつく姫の言. 制をクリヤァし︑同時に︑大名家一般のことに転化して︑その現実. 謡に仕立てているということである︒そして︑それによって出版規. 御大名L家の話︑それはどの家でもあリえ︑どの家でもないという. もちろん私は︑本章のモデルは︑天和二年に起った大和松山藩の. は右の二章によって明らか︑ただし︑トラプルが生ずる心配のない. なし﹄の場合︑上層の武家に対する和応の配慮が兄受けられること. 無用とも思われる若干のコメントを加えてしまったが︑﹃諸国ぱ. 八都姫事件かとする金井寅之助氏説︑それを前提として本章の虚構. 場合︑中下層の武家や浪人に対しては︑さ程注意を払っているよう. できるはずもない︒. 化を精細に論ずる井上敏幸氏説も存することを承知している︒そし. ではないと︑一応の結論を出しておくことができると忍う︒. ^17︺. ^16︶. てその研究方向が意昧を持たないとも思わない︒しかし︑﹁忍ぴ扇. る故省略に従うが︑本稿にとってこの章を兄る上で大事なことは︑. いないと思う︒今︑その説に対する当否の検討は本稿の目的と離れ. いとは思っても︑右のモデル論は︑若干似た話という域を超えては. われるが︑その簡略に触れられた問題を詳細に論ずる用意が︑今の. 持統朝のことと設定していることは︑野間光辰氏御指摘の通リと思. 貞享暦改暦をめぐる保井算哲と土御門家との確執をかすめ︑時代を. ﹃諸国ぱなし﹄出刊と同時に上演された西鶴作の浄瑠璃﹃暦﹄が︑. の長冊﹂に何かの話の種︑モデルとするに足る話があったに相異な. 西鶴が︑この大名を特定されぬような菩き方をしていること︑すな. 私にはない︒が︑当時の浄瑠璃は︑当世に時代を設定しないのが常. ^18︺. わち︑意識的に実説化・実録化することを避け︑あくまでも﹁さる 自主規制とカムフラージュ. 九.

(8) するねらいもあったと推定して誤らないであろう︒時代を逆上らせ. ても︑時代をあえて上代とする時に︑トラプルの発生を避けようと. 作者が︑適当な付全を行いやすいのが持統朝という点はあったにし. 套とは云え︑右の﹁御公儀﹂にも関わる事件をかすめて作品を書く. 層のあり方が︑下半身︵性︶の問題からとらえ直されることで兄事. である︒しかも︑日頃権威を持ち恰好をつけて町人に対する武家階. 平然と︑おそらくは多分に虚構を交えて可笑しく描きあげて行くの. 定の家・人物のこととして菩けぱトラブルが生じかねないことを︑. などとして︑犬名・旗本などの世界のことに一般化しつつ︑もし特. 一〇. 昔のこととするのはカムフラージュの常套︑浄瑠璃の世界で︑この. え当家・当主の事かと思った場合でも訴え出れば恥の上ぬリ︑名乗. にからかわれ課されているそれらの作晶は︑決して特定されてトラ. 同年二月刊の﹃椀久一世の物語﹄には︑武家の登場はないから︑. り出る愚をおかす者はあリそうにない︒西鶴の戦略は見事に成功︑. 作以前にアクチュアルな箏件をかすめて時代設定を意識的に逆上ら. ここで間題にする必要はあるまい︒翌貞享三年二月の﹃好色五人. 特定の名前を出さず自主規制を行うことを逆手にとって︑特定の誰. ブルが生じることがないように書かれている︒すなわち︑登場する. 女﹄は︑巻五の主人公薩燦の源五兵衛が武家︵といっても浪人︶だ. かを課刺したり批判したリする段階を超えて︑日頃而白からず思っ. せる作品の存在は知られていないようだが︑一応この作品に西鶴の. が︑もはや流行歌で知られる伝説的人物︑その描写に配慮は要さぬ. 晴らしているがごとくなのである︒︵なお︑﹃一代女﹄は︑武家階層. 武家︵大名など︶の裏側が卑小化され滑稽化されているから︑たと. であろう︒巻四のお七の恋人吉三郎も武家と兄られるが︑もし﹃天 ^19一 和笑委集﹄の伝える生田仙之介が事実とすれぱ小野川吉三郎は仮名︑. 以外に対しても︑とリわけ最上屑の町人をも含めた当時の上流階級. 規制に対する配慮を兄ることは許されるであろう︒. 怖報が少なかったと思われる江戸のお七の話に自在な雌構を加えて. を椰楡し瓢する姿勢を強く持っているが︑町人層の場合は︑その人. は中o. 書いた巻四の場合も︑甥主人公を仮名とする以上の配慮の必要はな. 物にとって﹁迷惑﹂﹁柵障﹂ると兄られる場合であっても︑それが. 特定されるような書き方をしているようである︒その点については. ていた^のではないかと推定される︶武家階層全体に対する蟹憤を. かったと兄てよいであろう︒. が︑同年六月刊の﹃好色一代女﹄は︑少しく趣を異にする︒拙稿. 別稿で触れたが︑この段階までの西鶴は︑取締り令の﹁諦人﹂の巾. 少しく詳述したように︑それぞれの犬名・旗本などを特定されない. 研究︑百二十五集︑98・6︶で巻一の三﹁国主艶妾﹂を中心として. が生じた嬰実は現在見出しえないが︑以後︑例えぱ﹃永代蔵﹄^貞. 出してからかっているわけである︒そのことによって何かトラプル. を武家階層以上としておリ︑﹁呉服所﹂クラスの町人層をも実名を. ^20︺. ﹁﹃好色一代女﹄の自主規制−武家階層への誤楡の視点−﹂︵国文学. ように﹁ある大名﹂︵一の三︶﹁殿﹂^三ノニ︶﹁典御屋形﹂︵三の四︶.

(9) 享五年正月刊︑﹃一代女﹄出刊の一年半後である︶で﹁迷惑﹂﹁相. 別Lな判定を何とも評してはいないが︑﹁国守﹂の目の付け所はさ. ︑. すがに違うと賞賛していると兄てよく︑﹁国守﹂の一美談としてい. ︑. 陣﹂ると見られることを菩く場合︑名を伏せたリ仮名を用いている. るのであろう︒この章の場合︑﹁松前﹂の﹁国守﹂と書かれたいる. ︑. 等の配慮を行っていることを考えると︑﹃一代女﹄の出刊直後に何. 以上特定でき︑諸注のごとく当世であれば﹁松前矩広﹂をさすわけ. ︑. かがあったことを憶測させる︒ただし︑それは︑前述の武家階層全. だが︑これは美談として書かれた話で﹁迷惑﹂﹁相障﹂とは無縁︑. ︑. 般への誤楡となる部分から生ずるとは思われず︑やはリ実名を出さ. おそらく特定されることからトラブルが生ずるとは考えられなかっ. ﹃本朝二十不孝﹄は刊記に従えぱ貞享三年十一月の刊︵但し序文. 規制・カムフラージュを行う場合とは逆に︑そこで誤楡・批判等の. 作者︵と同時に書緯︶が考えていたと見られることは︑前述の自主. ︑. れてからかわれた上流の町人からの何らかのクレームが原因だった. たのであろう︒また︑﹁松前﹂は当時僻遠の地︑その﹁国守﹂に対. の年記は貞享二二年→四年︶の正月︶︑貞享四年正月の刊記・序. 意識がないことを意昧することにもなる︒すなわち︑そのことは︑. 一21一. のではないかと考えても誤らないであろう︶︒. して前述の頼宣公ほどの配慮は要さぬものであったのであろうが︑. 同時に簡単にその人物が特定されることを揮らぬ書き方が行われる. を持つ﹃努色大鑑﹄との執筆の先後が問題となるが︑ここではその. 作晶を読み解く上で︑作者の意図・意識をさぐリ判定するための一. 作品の場合︑それが当人・当家の﹁迷惑﹂﹁相陣﹂とならぬものと. 点に触れず︑﹃二十不孝﹄の武家説話を問題とする︒とは云っても︑. 指標ともなる可能性があるということであリ︑本章の場合でいえぱ︑. ^22︺. それは巻四の四﹁本に其人の面影﹂をのぞけば︑若干武家の世界と. ﹁下々に思ふとは各別﹂の﹁国守﹂の判定に︑作者は全くアイロニ. 巻四の四は︑松前の城下の話とされる︒芙少年の兄弟の両親の死 後︑母親の亡霊︵実は﹁年ふリし狸﹂︶が現れたが︑兄は手を合せ. ︵同様の問題は﹃努色大鑑﹄にもあるが︑それについては後述す. 弟をほめたが︑﹁国守﹂の詮義は﹁下々に思ふとは各別﹂で︑兄を. ﹃二十不孝﹄巻四の一︑巻五の四には姓名の与えられた武家が登. る︶︒. 孝とし弟を不孝と判定したとする︒﹁下々﹂とは﹁各別﹂の﹁国守﹂. 自主規制とカムフラージュ. の判定後︑弟は﹁此国を立退ける﹂とあるのみで︑西鶴はその﹁各. 場するが︑前者は乞食に落ぷれた老人の出世した息子︑後者は明日 かめい の食事にも事欠く浪人という設定︑いずれ仮名と見るよりなく間題. て成仏を願い︑弟は半弓で射とめて︑亡霊の正体を現す︒人々は皆. ィを込めて話を作っていないことを証することになるであろう︒. 関わリを持つ巻二の二︑巻四の一︑巻五の四のみということになる︒. 五.

(10) は生じようがない︒巻二の二は︑女主人公小吟が﹁和冊山の姥のか. あげる後半四巻^五−八巻︶の前に置いて︑男色の大鑑を称するに. かかわる︶話題を広く集め︑歌舞伎の世界での逸事・逸聞等をとリ. 二一. た﹂へ逃げて行くものの︑﹁所に置かね︑屋敷方の腰元づかひ﹂に. 前半部を一括して武家物の始発点と把握するのは少しく不適切であ. 足る作品の形を整えようとする側面を持っているもののようであリ︑. ﹁屋敷﹂︵おそらくは大身の武家︶も特定は不能︑﹁所に置かね﹂は. るようにも兄うけられる︒もちろん前半部に︑武家の男色をとリあ. 出て︑その主君を誘惑︑奥方殺害という語が後半にあるが︑この. ﹁姥の所﹂とも﹁和研山﹂とも解せる不分閉ないい方ながら︑もし. 障﹂といった來態は生じないように配慮して武家を取リあげている. 以上︑﹃二十不孝﹄に武家の登場は少いが︑少くとも﹁迷惑﹂﹁相. っぱらそれが行われて来たわけである︶だが︑後述のように︑その. 始発点としての意味を強調することは簡単^というよリ︑従来はも. 的な武家物﹃武遣伝来記﹄へ継承されるものを兄出して︑武家物の. げた作晶が多いことは云うまでもなく︑その中の数編にいわぱ本格. と見ていいであろう︒とリわけ︑巻四の四のように︑姓名は出さず. ような作品の場合でさえも︑﹃伝来記﹄とは︑その意図や方法︑話. 後者とすれぱ一屑特定されぬ書き方をしていることになる︒. とも簡単に特定されうる人物や家を作中に出す場合︑それが﹁迷. の展開や形象の過程に少なからぬ差異が感得されるようでもある︒. 男色をめぐる大鑑︑しかも後半四巻には歌舞伎若衆の逸塾・逸聞. か︒. 前には︑その全二十章を素朴に兄直してみる必要があるのではない. ﹃男色大鑑﹄前半部を武家物の始発点と概括的に押え込んでしまう. 惑﹂﹁和陣﹂となる班態を生じない話となっている︵というよリ︑. 作者がそうしている︶点は注目しておく必要がある︒地位も名誉も. ある武家からのクレームが生ずるような作晶の出版には︑作者も ︵そして書躰も︶相応の注意・警戒を行っているように見うけられ︑. 武家を取リ上げることの少い﹃二十不孝﹄までの作品の書き方にも それが十分にうかがわれるのである︒. などをとリあげるという全体の構想がある以上︑前半四巻では︑当. 然巾広く男色にかかわる話題をとリあげて全体としての整合性を持. たせることが必要となるわけだが︑作者は︑当然のことながら︑そ. ^一−四巻︶に兄定められるのが通例である︒しかし﹃男色大鑑﹄. 章としての男色女色優劣論︑作品全体の形︑いわぱ大鑑としての整. 巻一の一﹁色はふたつの物あらそひ﹂は︑﹃男色大鑑﹄全体の序. のような配慮を行なっている︒その点をまず問題にしよう︒. 前半部は︑あくまでも男色をめぐる^あるいは男色にいささかでも. 西鶴のいわゆる武家物の始発点は︑従来﹃男色大鑑﹄の前半四巻. ノ、.

(11) のは当然︑そして武家以外の階層を取リ上げる作晶が四分の一を占. 外の一般社全の男色の大鑑たる以上︑その話題が種々の階層に及ぷ. 官の子供たち︑とその取材範囲は︑武家に限らない︒歌舞伎若衆以. は重ての恨﹂は僧侶の世界︑巻四の五﹁色に兄寵は山吹の盛﹂は神. リ﹂︑巻四の一﹁情に沈む鴉鵡盃﹂は町人の世界︑巻三の一﹁編笠. 差異を生んでいることは︑いうまでもない︒従って︑前述のごとく︑. くだが︑そのような姿勢が︑本格的な武家物﹃伝来記﹄との犬きな. して前半部を書いているというすこぷる当リ前のことを証するごと. の存在は︑武家社会のみを対象とせず︑むしろ男色そのものに注目. 物ではないか︑その実質を持たないこと︑一目瞭然である︒これら. 以上︑﹃男色大鑑﹄前半部二十章中の八章は︑内容的に見て武家. バラエティを導入すぺくとりあげられていると見られる︒武家の世. めるという右の事実は︑﹃甥色大鑑﹄前半部がいわゆる武家物とし. これらの諸章を黙殺することなく﹃男色大鑑﹄前半部を現在全体的. 合性を保持すべく置かれたものであることは云うまでもない︒が︑. て書かれたわけではなく︑歌舞伎界以外の一般社会の男色の話題を. にとらえ直すべきことが必要とされるわけだが︑従来注目されるこ. 界を対象とする武家物作品というよリ︑努色奇談を称すべきものと. 広く取リあげようとしていたことを意昧することになるであろう︒. との多い他の十二章にしても三ケ月後に刊行されている﹃武遣伝来. 他の十九章中においても︑武家以外の階層を話題とする作品が少く. これらの諦章を黙殺︑武家の意気地としての男色︑男色の唯美主義. 記﹄を視野に入れつつ兄直してみる時︑その塞異は少くないように. 見るぺきであろう︒. などを強調する従来のあリ方は︑悉意的に論じやすい作品をとりあ. 兄うけられるのである︒むしろそこには︑作品を書く姿勢︑意図や. ない︒巻二の四﹁東の伽羅様﹂︑巻三の三﹁中脇指は思ひの焼残. げて作者の意図の一面を臆測したにすぎないというべきではなかろ. 方法の上で︑不審をすら抱かせるような違いを感得させる程の印象. 予屋の師匠となった㎜力がわずか九才の少年^地侍の子︶どうしの男. る︒例えぱ巻一の二﹁此遭にいろはにほへと﹂は︑元町人︑今は寺. 晶全体に変化をつけるために取リあげられたかと兄られる章も存す. また︑武家階層を取リあげてはいても︑男色の大鑑たるべく︑作. てしまった感じだが︑以下︑残る十二章をとリあげて両者の差異を. 程に近い関係を有しているといえるのかどうか︒やや前置が長すぎ. が︑果して残る十二章は︑﹃伝来記﹄の意図や方法に比した時︑さ. に近づけようとする論のみが一般的であったことは云うまでもない. の差があるのである︒従来︑﹃㎜力色大鑑﹄前半部を何とか﹃伝来記﹄. ^23︺. うか︒. 色のさまを兄て感暎する咄︑巻四の四﹁詠めつ︐・けし老木の花の. 間題にしてみよう︒. ニニ. 比﹂は︑六十三と六十六の老人^今は浪人︶どうしの男色︑女嫌い の一例を描く咄︑これらは︑少しく珍らしいこととして︑男色語の 自主規制とカムフラージュ.

(12) 一四. たに虚構を積極灼に加えているようには兄受けられないのである︒. 右の二章のような事例があることは︑当然︑他の十章巾にもあり. 従﹂︵﹃藻履物語﹄では﹁桜川侍従﹂︶を西鶴が﹁何がしの侍従﹂と. すでに詳細な比較・検討も行われている︒また︑その巾で﹁佐倉侍. 野間光辰氏説がある︶を流用・改変して用いていることは明らか︑. 写本^﹃雨夜物語﹄と﹃藻雁物語﹄の巾間に位置する写本かとする. ﹃男色大鑑﹄巻三の四﹁薬はきかぬ房枕﹂が︑それ以前に存した. が全く異っていると兄られるからである︒今︑若干の事例によって. というのは︑実説あるいは実在球件を種として虚構化して行く姿勢. き﹃武遣伝来記﹄には︑このような歌例はないと考えてよいと思う︒. ないのではないかとも考えられようが︑私は︑例えぱ当面対比すべ. それはこれまでの研究の不足︑今後兄出されることがないとはいえ. は現在までの所︑他の西鶴作品には知られていないものである︒が︑. うることが予想され︑今後の博捜が期待されるが︑このような事例. 名を伏せていることに﹁多少の遠慮があったのであろう﹂という指. その点をうかがってみる︒. しての削除と見ることになる︶︒が︑文章や作品の構成を含めて︑. る点には仰を見ていないが︑私の立場からすれぱ︑出版規制を配慮. とが明らかとして確認できるものは︑巻八の五﹁行水でしる︑人の. ﹃伝来記﹄の中で︑実在來件が実説と称するものを記しているこ. 上野の敵討が取リ入れられている部分のみといってもよいであろう︒. 身の程﹂の最終場面に︑渡辺数馬・荒木又右衛門による著名な伊賀. ︵野間氏は﹁改⁝㎜の方法﹂とする︶であることは︑野間氏の御指摘. それは作巾に﹁伊賀上野﹂の地名が明確に記されていればこそ確認. の文章を含めて継承されておリ︑西鶴がその写本の実録性を一部改. でも実説・実録的な側面は︑その登場人物の姓名等を始め︑時にそ. ことが︑すでに詳細に比較・検討されていて疑う余地はない︒ここ. と兄られる写本︵野閉氏蔵本他︒氏は﹁実説聞書に属する写本﹂と ^%︺ いう︶を種として﹁改㎜・塗改・点寛を加へて成った﹂ものである. いたかは分からないが︑本章のごとき︵人名・発端・途中経過など. 記﹄執筆時の西鶴が︑どのような記録を読みいかなる実説を聞いて. だが︶︑その事件の起った年時も記されていないからである︒﹃伝来. せず︵ということは︑西鶴が大巾に虚構化していることになるわけ. 討事件の発端・動機︑途中経過等︑敵討の場面を除いては全く一致. また︑巻一の四﹁玉章は館に通はす﹂も︑同作成立以前に存した. 変︵鐘の縁で舞台を備前から出雲にする等︶してはいるものの︑新. できることである︒というのは︑作巾には︑伊賀上野の敵討の実説 かめい や記録に登場する実在人物は︑すべて仮名で書かれておリ︑その敵. の通リ︑間然する所はない︒. 実録・実説風に実名を多く生かした︑流用・副窃とも称すぺき物. 一乃︺. ^〃︺. 摘も行われている︵但し︑将軍の寛永寺御成りの一条を削除してい. 七.

(13) 鑑﹄の二章と全く異った意図や方法から生まれていることは明らか. 云うまでもない︶なのである︒このような事例が︑前記﹃努色大. リ入れた可能性は考えられるが︑それも虚構化の方法であることは. 面以外は全くの西鶴の虚構︵もちろん他の敵討事件の発端などを取. の全く異なる︶記録・実説があるとは考えられないから︑敵討の場. とする姿勢が全くないことを示しているといえるであろう︒. ま継承しようとする意図︑何か一つの写本などから流用しようなど. わけだが︑そのことは︑西鶴に実説化の志向︑実説や記録をそのま. 上︑一つの話の種︵敵討事件︶を分割して用いても一向差支えない. 場所・人名を全く変えて書いていると兄られる﹃伝来記﹄である以. いということを意味する︒もとよリ︑事件の起った日時を記さず︑. 一27︺. であろう︒この﹁伊賀上野﹂と閉碓に記しての実在事件の導入は︑. の二章のようなやり口で書かれた作品は︑おそらく今後も発兄され. 右のごとき事例より見て︑﹃伝来記﹄中には﹃男色大鑑﹄の前述. 化する︑また︑その流れを継承する意図や方法を兄ることはできず︑. ることはないであろう︒もっとも資料豊富にして博捜による発見も. ﹃伝来記﹄中では唯一の例外に属するのだが︑そこには実説・実録. むしろ実説化を切り拾てる方向での虚構化が行われていると云える. 時として生まれる近世のこと︑断定は避けた方が無難かもしれない のだが⁝⁝︒. のである︒. また︑右の例ほどに確実とは称しがたいものの︵というのは︑前 例の﹁伊賀上野﹂のような地名などの一致がないためだが︶︑寛文 十二年の奥平源八郎らによる浄瑠璃坂の敵討事件︵これ又著名で諸. 書に記録され︑後年の物と推定される実録も多数現存する︶を取り. るのは矛盾と難ぜられるかもしれない︒が︑﹃男色大鑑﹄の他の十. ところで︑﹃伝来記﹄の場合には今後の発兄はあるまいと称し︑. 巻七の二﹁若衆盛は宮城野の荻﹂の最終部に取リ入れられていると. 章にも野間氏の云う改㎜⁝・点鼠があリうると予想するのは︑すでに. 入れていると兄られる部分も存する︒すなわち︑その敵討事件の発. いうのである︒ともに楽件の場所や登場人物名は全く変えられてお. 前科が二件あるからという理曲のみではなく︑その文体の間題があ. ﹃努色大鑑﹄中の他の十章に対しては今後の博捜が期待されるとす. リ︑類似するのは話の内容のみ︑疑義を提することもできそうだが︑. るからである︒. 敵討事件の発端と結末を︑別の作晶のそれぞれに用いているとすれ. ﹃男色大鑑﹄の文体が﹁緑語・掛言葉はもとよリ︑和歌・漢詩な. 一五. どをちりぱめた装飾的なもの﹂であるのに対し︑﹃武遭伝来記﹄の 自主規制とカムフラージュ. ぱ︑そこにはもはや実在事件を事実として書こうという志向すらな. 一28一. この場合は私もその指摘を認めていいように思う︒しかし︑実在の. 端は巻八の一﹁野机の煙くらべ﹂の発端部に︑その敵討の場面は︑. 八.

(14) 此人七歳の時よリ︑形さだまって揮娼に︑一笑百媚の風情︑. ニハ. ^四︺ 文体が﹁非装飾的﹂な﹁説話体﹂であることは一読すれぱ明らかで. 見し人努子とは思はず︒今十五歳迄念人のなき琢は︑すぐれ. たお宇か. あるが︑とリわけ︑武家の努色をとリあげる章︵前出の改剛・点鼠. ︵巻一の五︶. たる芙少是をゆるせリ︒離花の芙花は人も折ずと︑李太白も. たよo. ム上く. ︵巻二の二︶. 美景棚々維二胡蝶一︑見る人詩魔に便を付られ︑腐復化する. く︑た呂つな. しざし⁝. わざとならぬ自ハぱせ︑遠山に見初る月のことし︒髪は声なき 皇な 宿鳥にひとしく芙蓉の瞼じり︑鶯舌のこはね︑梅すなほなる. つくれリ⁝ か咀. の二章と当面の十章巾の後述の章︶に右の﹁装飾的﹂な側面が顕著 であることも一兄確実︑論証を要さぬであろう︒. もとよリ︑かかる﹁装飾的﹂な文体は︑努色物と称される仮名草 子類の文体の特色︑それを継承し影響を受けているものであること. は︑云うまでもない︒︵その点からも﹃男色大鑑﹄前半部^後半部 にはかかる文体は僅少︶が︑武家の世界を問題にするよりも努色そ. ︵巻三の二︶. さ害宇かな;こLばせ. を忘れ︑樽の出し口を仕掛︑少人まじりに:・ た圭ぶち. のものに重点が置かれていて﹃伝来記﹄とは大きく異なることを証. 風流なる美少︑玉縁笠に浅黄紐⁝⁝此取まはしの小細支︑. 中. Lづ. うつ. けf. ︵巻三の五︶. ︵巻四の二︶. 厳密さを欠くいい方だが︑ここでは︑以下のようなレペルのものと. もっとも︑他の西鶴作品に見られぬ﹁装飾的﹂な文体とは少しく. も同様なことが行われていたと考えるぺきなのではないかと思われ. の二章が写本の文章を流用・瓢窃している事態がある以上︑ここで. らは︑仮名草子男色物系の文体をあえて模したというよリは︑前出. 他にも西鶴の文体としては不審と兄られる例も少くないが︑これ. 目やとまらんと︑世のあリ様迄心にふくみ⁝. 螺蛎鈴虫のほそ声︑はや露霜にいたむかと︑草の葉すゑの風 ^マこ をだに我袖によけて見るは人はなき野菊も夜明なぱ遭行人の. はたおリ. 遠の礎のみつ抽子︑賎も打やとやさしく︑所がらの加賀絹も. をち. 思はれず︑姑射の神人︑牡丹に化かとうたがはれ⁝. ︐﹄. ひだり手に山吹の姻郷花をかざして静に豊なるを︑人間とは. 中昔しく. しうるのであるが︑ここでは︑その点を指摘するのみに止どめ︑ ﹃男色犬鑑﹄全体の文体を間題とする別の機全に詳論する︶︒が︑同. 時に論究した前趾の二章が︑その拠リ所としたとする写本の﹁装飾 的﹂な文体を継承しているこど︑あえて云えば︑他の西鶴作品にま. ず見られぬ︵﹃伝来記﹄にも勿論全くない︶文体のほとんどが︑そ の写本からの流州︑瓢窃に近いものであることは︑今当面する十章. を間題とする上で重要な意味を持つ︒すなわち︑そのように﹁装飾 的﹂な︑他の西鶴作晶に見うけられぬ文体が︑この十章中のいくつ. お考えいただけれぱ十分と思われるので︑顕著な例若干を掲げる︒. る︒今後︑これらの章には︑拠リ所とした写本などが発兄される可. かの章に多出するからである︒. 姻螂心入感じて自然と沙汰して︑若遺の随一と申も愚なリ︒. やさL;.

(15) 生かす︵悪くいえぱ流用・瓢窃する︶姿勢を持って菩いている﹃男. の姿勢が大巾に異なっていることになる︒すなわち︑既成のものを. 品との閉では︑実在箏件や実説︵それを記した写本︶に対する西鶴. とすれば︑﹃伝来記﹄と﹃勇色犬鑑﹄前半部の武家に取材する作. 色大鑑﹄前半部には︑右の三例以外に時代設定を明確にする年号は. でも﹁寛永九年十月十二日﹂なる実在の年号が出されている︒﹃男. ている︒また︑流用であったか否かは明らかではないが︑巻二の一. 十七年卯月十七日﹂という江戸期の実在の年号が踏襲され流用され. がら︑巻一の四では﹁寛文七年三月廿六日﹂︑巻三の四では﹁寛永. の二章が実説︵その写本︶を生かす^流用・瓢窃する︶以上当然な. 色大鑑﹄前半部︑仮に実在塾件・実説を種とするにしても自在に改. 出されていないが︑読者は右によって︑年号を記されぬ諸章をも又︑. 能性なきにしもあらずと称した所以である︒. 変︑虚構を加え自らの文体で菩く姿勢を持つ﹃伝来記﹄といった大. 江戸期のものと受けとめることになるであろう︒と同時にそれは︑. を西鶴が持っていないことを意昧するはずである︒実説化を志向す. ﹃伝来記﹄とは逆に︑江戸期の実説と見られることを回避する姿勢. きな差異があることは︑自ら明らかとなるであろう︒そしてその違 いは︑当然のことながら︑その作晶のあリ方を変えて行くことにな るのである︒. る﹃男色大鑑﹄とその姿勢を持たない﹃伝来記﹄との差異は︑作晶. の時代設定の面でも明確に現れているのである︒. リ上げた敵討が近年の実在事件と特定されることを避けるためでも. それらのことが持つ意昧等については別稿で論じたが︑それは︑取. いこと︑四十章中敵討の時点が明記されているものが全くないこと︑. こと︑実在年号は信長時代︑あるいはそれ以前のものしか出されな. ﹃武遭伝来記﹄の時代設定が︑江戸時代以前のこととなっている. る以上当然のことということになるが︑﹃伝来記﹄ではそのように. 説化を目論むとすれぱ有効性を持つわけであリ︑その姿勢を保持す. 特定されてしまうことになるという点が問題となろう︒それは︑実. 戸期のことという前提で書かれ読まれる形をとる﹃男色大鑑﹄では︑. 中の犬名クラスの登場人物が︑名前は出されてはいないものの︑江. 殿︑巻二の二の﹁明石﹂の殿︑巻三の二の﹁伊賀の国の守﹂等︑作. と同時に︑前記の二章はもとよリとして︑巻一の三の﹁全津﹂の. あったことは確実である︒﹃日本武士鑑﹄は﹁虚妄の説﹂と難ずる. 特定される心配のない書き方をしていることを対比してみると︑こ. ^30︺. が︑﹃伝来記﹄は︑むしろ虚構によって実説と兄られることを回避. むが故に︑自主規制を忘れてしまっているのだろうか︒. こにも大きな差異が認められる︒﹃努色大鑑﹄では︑実説化を目論. ^31︶. しかし︑﹃男色大鑑﹄前半部の武家をとリあげた作品には︑前記 自主規制とカムフラージュ. 一七. し意図的に﹁虚妄の説﹂を創作するものだったのである︒. 九.

(16) で﹁桜田あたリの去大名﹂と称したリしていることからも明らか︑. にある人名を変え将軍の登場する部分を削除していたリ︑巻二の五. が︑西鶴が自主規制を行っていることは︑前述の巻三の四で写本. 記﹄の瓢楡・批判については別稿で詳論したのでここでは触れない. り方への瓢楡・批判の姿勢がほとんど兄られないのである︒﹃伝来. すなわち︑﹃伝来記﹄に強烈に兄られる武家へのまた武家社会のあ. り︑それらを詠嘆・感嘆するのみに終っているということである︒. 一八. さらに云えぱ︑右の殿たちも名前を出されぬ形で書かれていること. が︑そこに見られる武家の行為や心情のあリ方への冷徹な視線は︑. ^32︺. 自体が自主規制によっているわけである︒従って︑右のような﹃伝. ﹃甥色大鑑﹄からは感得することができない︒すなわち︑﹃男色大. 鑑﹄は︑一応の自主規制が行われる程度で十分な美談仕立てなるが. 来記﹄と異なるあリ方は︑自主規制の意識を持たないことから生ま. れているわけではなく︑むしろこの程度の自主規制で十分という判. 故に︑カムフラージュによって規制を逆手にとリ︑武家のあリよう. を椰楡し諏するという段階にまでは至っていないのである︒両者の. 断によるものと見てよいであろう︒. そしてそれは︑その作品の内容と当然のことながら関わリを持つ︒. 大きな差異がこの点にあることは十分注目するに価するであろう︒. が︑そうなった理由は︑ほぽ推測しうる︒まず︑﹃努色大鑑﹄前. すなわち︑そこに登場する殿たちに﹁迷惑﹂﹁相障﹂ることが書か れているとは思われぬものが大部分︑巻二の二を除けぱ恩情あふれ. いうことである︒そこでは︑武家をとリあげる章が半数以上を占め■. 半部は︑努色そのものを種々の側面から取リあげることが中心︑武. 合も当時の感党からすれぱ悪いのは処罰される主人公の小輪︑その. るとは云え︑武家の男色も男色の一つとして取りあげられているに. る主君︵芙談の主︑芙談を賞する主君︶として描かれていると見て. 小輪のいさぎよさを印象づけるべく用いられた脇役として登場して. すぎないのである︒また︑作者の本音か題材ゆえの恰好づけかは問. 家あるいは武家社全のあリように焦点を定めているわけではないと. いるに過ぎないとも兄られ︑その主君を難ずる言説も記されてはい. わぬとしても︑そこには男色礼讃の姿勢が強く打ち出されておリ︑. いい︒巻二の二のみは若干間題︑暴君の趣なしとしないが︑この場. ないのである︒この程度であれぱ︑﹁明石﹂の殿と分かる書き方を. 男色を椰楡し諏する視点は兄うけられない︒美談仕立ての作晶が多. 以である︒さらに︑実説を生かそうとする姿勢もまた︑そのような. してもトラプルの生ずる余地はないという判断があったと兄ていい. 実は﹃伝来記﹄と対比した時︑﹃男色犬鑑﹄前半部の武家を取り. 椰楡や課楡を欠く理由となったであろう︒おそらく確認できる二章. くなってしまうわけであリ︑登場する武家への冷徹な視線を欠く所. あげた作品の特色の一つは︑たとえ悲劇的な内容をもつものではあ. の拠リ所とする写本がそうであったように︑実説なるものを記した. のではなかろうか︒. っても︑男色をめぐる美談として仕立てられているということであ.

(17) を方法化したということもあろう︒さらに︑日常生活の中での武家. 生じたということがあろう︒また︑本格的に武家社全の問題を取リ. ともあれ︑﹃伝来記﹄と﹃男色大鑑﹄前半部との差異は少しとし. を面白からず思う感情が︑誤楡・批判の背景としてあリ︑それが随. 当時の菩物の多くは葵談仕立て︑武家への皮肉な見方を示すものな. ない︒この両者を極力按近させようとする従来の兄方は︑むしろ両. 所で冷徹な視線を生み出すこととなった︑ということもあろう︒理. 上げる以上は注意が必要︑カムフラージュを行う必要を自覚しそれ. 者の意図や方法の把握を誤る可能性が高いというべきではなかろう. 由は種々に考えることができる︒. どはなかったであ ろ う か ら ⁝ ︒. か︒その差異に注目し︑両者を兄直すべきことを強調する所以であ. が︑この時点で本格的に武家と取リ組むことになった理由は︑単. たい訳ではない︒それが十指に余る作品で武家の男色を取りあげた. 前半部が︑西鶴武家物の出発点であるということを必ずしも否定し. しかし私は︑右のような差異を両者に認めつつも︑﹃男色大鑑﹄. し︑本格的な武家物﹃伝来記﹄を書く西鶴には︑﹃男色大鑑﹄の場. きへのアイロニィなどを考えるのは無理であるようにも思う︒しか. が︑前述のごとく甥色芙談を仕立てる西鶴を思えば︑綱吉の困力色好. その理由を五代将軍綱吉の悪政やその男色好きの事実に求めている. る︒. に敵討という素材が興味深かったからといったことだけでは解決で. きない何かがあるようにも思われる︒野間光辰氏は︑貞享三年の西. ことが︑西鶴の武家への関心を一層かきたてたのであろうことに疑. 合とは異なリ︑﹁何かに激した﹂ためとも兄られる武家への冷徹な︑. 鶴の方向転換は﹁何かに激した﹂﹁何かに触発﹂された故かと推し︑ ^33︺. 問の余地はないからである︒が︑そこでは易色への関心の方が強く︑. 皮肉な視点が十分に感得できるのである︒. もちろん今︑その何かが何であったか︑私には分からない︒﹃伝. 来記﹄のカムフラージュの少しく過剰とも兄えるあリ方︑﹃一代女﹄. ^羽︺. では上層町人を実名で椰楡しその後はそのような書き方をしない. 何らかの注意が︵書摩などを通して︶あったのではないか︑それを. こと︑その素材の転換などを理曲として︑﹃一代女﹄刊行の直後に. 当然のことながら︑全三十二章で武家の敵討をとリあげようとす. 一九. 面白からぬ事と思いつつも警戒する西鶴を恩い描き︑前述のことく 自主規制とカムフラージュ. る以上︑武家や武家社会のありようを敵討の税点から兄直す必要が. ることになったのか︒. だが︑それでは︑﹃伝来記﹄で西鶴が何故そのような変貌をとげ. 余り重枇する必要はないのではないか︑といいたいだけである︒. 上︑それを本格的に行なおうとしている﹃伝来記﹄の始発点として. 武家︑武家社全そのものへと逸ろうとする姿勢が十分に兄られぬ以. 十.

(18) に一応の自主規制を行って来たにもかかわらず政治^行政︶の側か. ら介入して来たことを面白からず思い︑それに﹁激し﹂て︑カムフ ラージュを十分に行う本格的な武家物﹃伝来記﹄を執筆することに. なったのではないか︑といった臆測も生まれぬではないが︑これは もとよリ我田引水︑現在の段階では夢想の域に属する臆測に止まる︒. ここでは︑貞享三年後半の時点で何かがあったのかもしれぬという 漠然とした推測を行うのみで筆をおさめることとしたい︒. ︵紙数の制約もあリ︑本来中心となるべき﹃男色大鑑﹄前半部と ﹃伝来記﹄の対比の記述が︑具体例を十分にあげえない抽象的なも のとなってしまった点︑御寛恕たまわれば幸甚である︒また︑﹃伝 ^35︺. 来記﹄についても︑前出拙稿で触れていない作晶に言及する予定で あったが︑それは別の機全を待つこととする︶︒. ^1︶. ^2︶. この点についての私見は拙稿﹁﹃武適伝来記﹄の読者の問題−その調. 研究と批評﹄^平7・5︑若草書房刊︶所収︶. 楡を受けとめるもの﹂^﹃江戸文学研究L^神保五弥編︑平4・1︑新奥 社刊︶︒のち拙著﹃西鶴 を参胴︒. ︐武家義理物語﹄巻二の一︑二の御堂前の敵討をとリあげた作品は︑同. 書刊行前年の実年号を記す︒この事件のみ実録的に導入されている理血 は︑地元での直近の公許の敵討である故に虚構化する必要を感せず︑ま た︑後述の﹁迷惑﹂﹁相陣﹂の問題が生じないと判断されたためかと恩 われるが︑いずれにしてもこれが最も明瞭に例外となるものである︒ま たこれは︑﹃武家義理物語﹄の成立過程の問題とあわせて考える必要の. ^3︶. ^10︶. ︵9︶. ^8︶. ^7︶. ^6︶. ^14︶. 二〇. ある作品と恩うが︑その点については別の機全を待つこととする︒. 研究と批評L︵前⁝山︶第一部︑第二部の所論︑﹁﹃好色一代. 研究と批評﹄^前出一第一部1・2章参照︒. 女﹄の白主規制﹂^国文学研究︑二一五集︑平10・6︶その他︒. 拙著︐西鶴. 拙著﹃西鶴. 注5の拙稿及ぴ﹁﹃浮世物語﹄とカムフラージュ﹂︵早大大学院文研紀要. 学研究資料館調査研究報告18︑平9・n︶でその若干に触れた︒. 40︑平7・3︶など︒. 出版に際しトラプルの発生を回避すぺく注意深い配慮がなされている事. ^︐近世初期文学と出版文化﹄^平成10・6︑若草書房刊︶所収︶などで. 例は︑市古夏生氏^︐目覚し草﹄の成立過程−写本から版本へー﹂. 具体的に追求されているが︑同様の事例は︑今後も近世初期軍記.随筆. 類などを中心に少なからず見出しうるものと思われる︒. たLか 天和二年五月の高札の巾に﹁新作の憧ならざる書物商売すぺからざる 事﹂の一条がある︒. 注3の拙稿﹁﹃好色一代女﹄の白主規制﹂^前出︶で︑この件につき若干 論及した︒. 川強編﹃近世文学倣鰍L︵平9・5︑汲古書院刊︶所収︶など︒. 拙稿﹁出版規制と自主規制−貞享元年までの西鶴と西村1﹂︵長谷. 研究と批評L^前出一第一部3章︑第二部−章参照︒. その点については注10の拙稿でも一部触れたが︑問題とすぺき作品は他. 拙著﹃西鶴. にも少なからず存するごとくあリ︑今後も追求して行きたいと考えてい る︒. この引畑の前後︑一見弁解口調の一節をどう読むぺきかについては︑拙. 稿﹁自主規制とカムフラージュー﹃諸艶犬鑑﹄首章の一節を巾心に. 井原西鶴﹄^昭62・1︑新典社刊︶所収︶参照︒. 拙稿﹁﹃武適伝来記﹄の時代設定﹂^文学昭58・8月号︑﹃浮世の認識老. ー﹂^文学語学︑一五四号︑平9・3︶で詳論した︒. ^13︶. 拙稿﹁自主規制とカムフラージュー仮名草子から西鶴へ−﹂一国文. 54 11. 12. 注.

(19) ^15︶ 前述の︑好色物の世界で武家の場合に替名をも出さぬという菩き方も︑. が公に遊㎜土に咄入リすることは制禁︑その人物と特定される可能性のあ. 当然そのような配慮と結ぴついていると見ることができると恩う︒武家. 金排黄之助氏﹃﹁忍ぴ扇の長珊﹂の背景﹂^文林1︑昭刎・10︑﹃西鶴考. る場合には︑配嘘が必要となるのである︒ ^16︶. 作品・菩誌﹄^平1︑八木書店刊︶所収︶︒ ^17︶ 非上敏幸氏﹁忍ぴ扇の長珊の方法︶^国語と国文学︑昭㎎・12月号︶︒. ﹃剛補西鶴年諦考誰﹂一昭58・u︑巾央公論社刊︶貞享元年正月の﹃暦﹄. の項︒. ^18︶. 拙稿﹁﹃好色五人女﹄の悲恋﹂^久保靭孝編﹃悲恋の古典文学﹄^平9・. 12︑世㎜介思想祉刊︶所収︶︒. ^19︶. ^20︶ 注uに同じ︒. ^21︶ 拙著﹃西鶴 研究と批評﹄^前山山一第二部7章参照︒. ﹃郷色大鑑﹄の前半部と後半部との軌箏時期には若干の隔りがあると見. ることも可能と思われるが︑確定は困難のようである︒同杳成立過程の. ^22︶. 推測は︑後口考えることにしたい︒ 巻一の二も前半は町人︑後半も後述のように九才の少年の兜色といった. ものである︒. ^23︶. のち﹃西鶴新新孜﹄一昭56・8︑岩波書店刊︶所収︒同書では︑﹁四. 改. ^24・25・26︶ ﹁西鶴五つの方法㈹−㈲﹂^文学昭蝸年5・8・12︑刎年3月号︑. 諸種の記録︑﹃殺報云金記﹄などの実録で︑人名・箏作の日時・経過等. 構・改剛の方法﹂としてまとめられる︶︒ ︵27︶. が踏襲されていることは云うまでもない︒もちろん︑時代が下る程多く の廠構が加えられ拡大するが琳件の骨子は踏襲・流川され続けている︒. ﹃定本西鶴全集﹄第四巻︵昭39・12︑巾央公論祉刊︶耶峻康隆氏解説︒. ぴ︑岩波文庫本︐武逝伝来記﹄一昭〃・前田金五郎氏一解説︑補注︒. 一28︶前旧金五郎﹁︐武遣伝米記﹄の琳実と釧作﹂︵文学・昭41・7月号︶︑及. ^29︶. ^30︶ 注Hに同し︒. 自主規制とカムフラージュ. 31 32. 33 34. 35. 拙著﹃西鶴. 研究と批評L^前出︶第二部第3章−第6章参照︒. 研究と批評﹄^前出︶第二部第2章参照︒. 野間光辰﹁西鶴と西鶴以後﹂^岩波講座﹃日本文学史﹄第10巻︑. 拙著﹃西鶴. 7︑のち﹃西鶴新新孜﹄^前出︶所収︶︒ 注21に同じ︒ 注32に同じ︒. 二一. 昭34.

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