• 検索結果がありません。

著者 田和 正孝

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "著者 田和 正孝"

Copied!
23
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

兵庫瀬戸内におけるアナゴ延縄漁の終焉 : 漁業者 からの聞き取りを中心として

著者 田和 正孝

雑誌名 人文論究

巻 69

号 3/4

ページ 25‑46

発行年 2020‑02‑20

URL http://hdl.handle.net/10236/00028806

(2)

兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

││ 漁 業 者か ら の 聞き 取 り を中 心 と して

田 和 正 孝

は じ め に 筆者

は︑ 一九 七九 年か ら一 九八

〇年 にか けて

︑愛 媛県 の来 島海 峡に 面し た漁 業集 落に おい て︑ 延縄 漁業 の漁 場利 用 形 態を 生態 学的 な視 点に 立っ て調 査し たこ とが ある

︵田 和 一 九八 一︶

︒こ の調 査に よっ て︑ 漁業 者が 有す る魚 群の 行 動 に対 する 豊か な知 識︑ それ らに 応じ た漁 業者 の出 漁時 刻の 決定 にい たる メカ ニズ ムや 海上 での 漁業 活動 の体 系を 理 解 する こと がで きた

︒結 果と して

︑漁 業活 動の 諸形 態や 漁業 者が 有す る技 術は

︑人 間│ 環境 関係 にか かわ る知 識の 総 体 であ り︑ これ らの 知識 を体 系づ ける こと は漁 業地 理学 に与 えら れた 課題 であ ると 考え た︒ その 後も 複数 の地 域に お い て漁 業者 に焦 点を あて て︑ 共時 的な 立場 から 漁場 利用 の生 態学 的研 究を 進め てき た︒ とこ ろで

︑か つて 隆盛 を極 めた 様々 な漁 業種 類︵ 以下

︑漁 種と 略記 する

︶が 衰退 して しま った 状況 を︑ 各地 での 調 査 にお いて 繰り 返し 目の 当た りに して きた

︒こ のよ うな 場合

︑漁 業の 変化 の過 程に 注目 して

︑既 成の 統計 類や 資料 類 か らそ れを 読み とっ たり

︑こ の漁 種を すで に退 いた 漁業 者か ら着 業し てい た当 時の 話を 聞い たり

︑先 代︑ 先々 代の 頃 の 漁 業 生 活に つ い て聞 き 取 りを 重 ね た りし て き た︒ これ は

︑あ る 時 間軸 を 設 定し て

︑漁 業 形態 を 復 原 す る 作 業 で あ 二 五

(3)

る︒ また

︑同 じ調 査地 に時 を違 えて 調査 する 機会 を得 る に お よん で

︑漁 業 を通 時 的 に考 察 す る 重要 性 を 理 解 し

︑ 変化 する 漁場 利用 形態 に注 目す るよ うに もな った

︵田 和 二〇 一三

︶︒ 近 年 は

︑こ の よ う な 視 点 に 基 づ い て︑ 近 代 期 の 史

︵ 資︶ 料 を通 じ て 当時 の 漁 場利 用 を 考 察す る 研 究 に 関 心 を持 つよ うに なっ た︒ その ひと つは

︑兵 庫県 に残 され て い る 一 八 八 九

︵明 治 二 二

︶年 刊 行 の

﹃兵 庫 県 漁 業 慣 行 録﹄ と一 八九 七︵ 明治 三〇

︶年 に作 成さ れた

﹃兵 庫県 漁 具図 解﹄ を分 析し

︑漁 業誌

︵史

︶的 な記 述を 進め る作 業 で あ る︒ 具体 的 な 試み と し て︑

﹃ 兵 庫 県 漁 具 図 解﹄ か ら 旧摂 津国

︑旧 播磨 国︑ 旧淡 路国 の延 縄漁 をと りあ げ︑ 各 図解 の説 明に 掲げ られ てい る﹁ 使用 法﹂ の記 述に 注目 し なが ら︑ 当時 の漁 業活 動と 漁場 利用 の一 端を 明ら かに し た︵ 田 和 二

〇 一

︶︒ さ ら に︑

﹃ 兵 庫 県 漁 業 慣 行 録﹄ に 記 載 さ れ て い る 県 内 各 地 の 延 縄 漁 を 取 り 上 げ

︑そ の 漁 具︑ 漁業 活動

︑漁 場利 用の しき たり など につ いて も考 察 を試 みた

︵田 和 二

〇一 八︶

︒ 二

〇 一 一 年か ら は︑ 以 上 の 史︵ 資︶ 料 調 査 に 加 え て

1

兵庫瀬戸内

注)図中の●印は、これまでに聞き取り調査を実施した漁業協同組合地区(支所等を 含む)を示している。

1.須磨浦(神戸市漁協) 2.明石浦 3.林崎 4.江井ヶ島 5.西二見 6.播磨町

7.高砂 8.伊保 9.室津 10.坂越(赤穂市漁協) 11.坊勢 12.淡路島岩屋

13.湊 14.南あわじ

兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

二 六

(4)

県 内の 瀬戸 内海 海区

︵以 下︑ 兵庫 瀬戸 内と 略記 する

︶に 位置 する 漁業 地区

︵明 石市 明石 浦︑ 同市 江井 ヶ島

︑加 古郡 播 磨 町︑ 淡路 市岩 屋︑ 南あ わじ 市阿 那賀 など

︶に おい て︑ 延縄 漁業 の技 術や 延縄 漁業 者が 有す る知 識に つい て聞 き取 り と 漁業 活動 の参 与観 察を 進め てき た︒ さら に︑ 二〇 一六 年九 月に は県 内の 各漁 業協 同組 合に 対し て﹁ 延縄 漁業 に関 す る アン ケー ト﹂ を実 施し た︒ すで に衰 退し つつ ある この 漁業 を︑ 将来

︑引 き継 ぐ者 が極 めて 少な いこ とは 明ら かで あ り

︑そ のた め︑ この 漁業 の実 態と 漁業 者の 知識 を理 解し

︑記 録し てお くこ とは 喫緊 の課 題と 考え たか らで ある

︒ 小論 では

︑以 上の こと をふ まえ たう えで

︑お およ そ一 九五

〇年 代か ら現 在に かけ ての 約七

〇年 間と いう 時間 軸を 設 定 し︑ 兵庫 瀬戸 内の アナ ゴ延 縄漁 につ いて 考察 する こと を目 的と する

︒明 石浦

︑淡 路岩 屋︑ 播磨 町の 各漁 業協 同組 合 地 区に おい て漁 業者 から 聞き 取り をし て得 られ た資 料に 基づ いて

︑こ の延 縄漁 の漁 業活 動︑ 技術 知や 環境 知︑ さら に は 漁業 生活 に関 する

﹁聞 き書 き﹂ を試 みた い︵ 小川

一九 九一

︑森 本 一九 八六

︑安 室 二

〇一 一︶

︒ 聞き 取り 調査 は︑ 漁業 者の 自宅

︑漁 具の 準 備 施設

︵作 業 小 屋︶

︑漁 業 協 同組 合 事 務 所内

︑漁 港 周 辺お よ び 漁船 上 で 実 施し た︒ 聞き 取り 方法 は︑ 地区 の漁 業の 実態

︑漁 業者 の漁 業経 験︑ 漁業 技術 など につ いて

︑筆 者が 尋ね

︑そ れに 漁 業 者が 答え る方 法で 進め てき た︒ 質問 紙を あら かじ め準 備す るな ど︑ 特に 構造 化し たも ので はな い︒ な お︑ 海 況や 漁 具 等の 表 記 につ い て は︑ 一 般的 な 名 称と と も に︑ 地方 名 を カ タカ ナ 表 記 で 用 い た︒ 併 記 す る 際 に は

︑地 方名 を︵

︶ 内に 付し た︒ 第一 章 明石 浦 の アナ ゴ 延 縄漁

│ 一 九五

〇 年 代︑ 六

〇 年代 年 代 の記 録 延縄

は︑ かつ て明 石浦

︵明 石浦 漁業 協 同 組合 地 区︶ の 主た る 漁 業で あ っ た︒

﹃ 兵庫 県 漁 業慣 行 録﹄ に よる と

︑こ の 地 区 が 新 濱と 呼 ば れて い た 明治 中 期 に は︑ タイ 延 縄︑ チ ヌ延 縄

︑ハ マ チ 延 縄︑ エ イ 延 縄︑ ア ブ ラ メ 延 縄︑ ア ナ ゴ 延 兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

二 七

(5)

︑ス ズキ 延縄

︑ノ ソ延 縄な どが 活発 に お こな わ れ てい た

︵田 和 二

〇 一八

︶︒

﹃ 兵 庫 県漁 具 図 解﹄ にも 新 濱 で調 査 さ れ たフ カ延 縄︑ ハモ 延縄

︑ア ナゴ 延縄

︑ア ブラ メ延 縄︑ タイ 延縄

︑ノ ソ延 縄が 収録 され てい る︵ 田和

二〇 一〇

︶︒ こ の 地区 が当 時︑ 旧播 磨国 で最 も規 模の 大き い釣 漁村 であ った こと がわ かる

︒ しか しな がら

︑そ れか ら一 二〇 年を 経過 した 二〇 一六 年九 月現 在︑ 延縄 に従 事す る漁 船は 一隻 のみ であ った

︒し か も 七〇 歳代 の三 人兄 弟が 春季 を中 心に 約二 か月 間 就 業 する に す ぎな か っ た︵ 写真 1︶

︒ 明 石浦 の 現 在の 主 要 な漁 船 漁 業 は︑ 小型 底曳 網︑ 船曳 網︑ 一本 釣り

︑曳 縄な どで ある

︒さ らに 冬季 のノ リ養 殖漁 業が 漁船 漁業 とと もに 基幹 漁業 に な って いる

︒ 聞き 取り をし たE 氏︵ 一九 三二 年生 まれ

︶は

︑明 石浦 で三 代目 とな る漁 業者 であ った

︒父 親は 幼い 頃か ら﹁ 縄船 で 育 った

﹂延 縄漁 業者 であ った

︒E 氏自 身も 幼い 頃か ら︑ 夏季 には 父親 に連 れら れて 延縄 漁船 に乗 って いた とい う︒ 昭 和 一〇 年代 のこ とで ある

︒ 第二 次世 界大 戦後 には 父の あと を継 ぎ︑ 延縄

︵ノ ーハ イと 呼ぶ

︶に 着業 した

︒明 石浦 では

︑戦 災で 多く の漁 具・ 漁 船 を失 った が︑ 幸い 延縄 の道 具は 数多 く残 った とい う︒ 戦後 はそ れら を用 いて 漁に 出た

︒延 縄以 外の 選択 肢は なか っ た⑵

ので ある

︒延 縄に は一 九六

〇年 代前 半頃 まで 従事 し た︒ その 後

︑小 型 底 曳網

︵テ ン グ リ︶ 漁業 へ と 転業 し た︒ 一 九 六六

︑六 七︵ 昭和 四一

︑四 二︶ 年頃 には 明石 浦に ノリ 養殖 が導 入さ れ︑ 今度 はこ れに も着 業し た︒ それ 以降 は︑ 夏 場 は底 曳︑ 冬場 はノ リ養 殖と いう よう に二 つの 漁種 を併 営し てき た︒ その 後︑ 長男 がこ れら を引 継ぎ

︑E 氏自 身は 二

〇九 年に 漁業 から 退い た︒ 延縄 漁業 に関 する 以下 の聞 き取 り内 容は

︑し たが って 昭和 二〇 年代 から 三〇 年代 にか け て の事 例で ある

︒ 延縄 の道 具は 以下 の通 りで ある

︒縄 を収 め る 桶 はノ ブ タ と呼 ん だ︵ 写 真2

︶︒ か つ ては こ れ を作 る 商 店が

︑現 在 の 国 道二 号線 の北 側に あり

︑そ こか ら購 入し てい た︒ ノブ タは 修理 しな がら 使っ てい た︒ 延縄 をや めた 漁師 から 譲り 受

兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

二 八

(6)

写真4 延縄漁具の後始末:播磨町

作業小屋にて、幹縄や枝縄のよじれや破損箇 所を丁寧にチェックし、補修する女性。2011 12月撮影。

写真1 延縄漁具を保管する倉庫:明石浦 明石浦漁業協同組合の事務所近くにある漁具 倉庫。70歳代の高齢な延縄漁業者が数多くの漁 具を保管している。20169月撮影。

写真5 アナゴ延縄漁に用いる鉛製の沈子:播 磨町

沈子の上部にフック型の針金がついている。

これらの沈子は、漁具の準備段階で縄とともに 縄桶に収めておくのではなく、操業中に漁業者 が判断して幹縄に引っ掛けてから海中に投じて ゆく。201112月撮影。

写 真2 縄 桶(ノ ブ タ)に 収 め ら れ た 延 縄 漁 具:明石浦

漁具の後始末を終え、次の出漁に向けて幹縄 や枝縄、テグス、釣針がきれいに整えられてい る。20169月撮影。

写真6 アナゴ延縄用の餌:播磨町

冷凍イカを解凍し、細かく切り分ける。その 後、これに塩をまぶす。201112月撮影。

写真3 延縄に使用する沈子(テイシ):淡路岩

海岸で採取された丸みを帯びた天然石が利用 されている。これは、現在もキス延縄漁に使用 されているものである。20168月撮影。

兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

二 九

(7)

写真10 出漁の準備:播磨町

出漁時刻がいよいよ近づき、漁船内に積みあ げた縄桶の縄を湿らせるために海水を汲んでこ れにかけてゆく。20166月撮影。

写真7 餌づけ作業:播磨町

縄桶の側板につき刺してあった釣針をひとつ ずつはずし、その釣針の先に細かく切り分けた 餌をつけてゆく。201112月撮影。

写真11 海上での延縄の投入:播磨町 いったん縄を投げいれ始めると、漁具は引っ 張られるようにして海中へと落ちてゆく。2016 6月撮影。

写真8 餌づけが完了した縄桶:播磨町 餌づけしたこれらの縄桶を漁船に運び入れて、

出漁の準備が整う。201112月撮影。

写真12 アナゴの漁獲:播磨町

針にかかったアナゴは、「活け」の状態にして おく。生簀の上に設えた枠型には刃がつけられ ており、テグスがこの刃で切れ、アナゴは生簀 へと落ちる。20166月撮影。

写真9 出漁の準備:播磨町

作業小屋で餌づけした縄桶を漁船に積み込む。

20166月撮影。

兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

(8)

け るこ とも あっ た︒ ノブ タの 底は

︑割 竹を 縦横 に組 んで とめ てあ る︒ こう する とノ ブタ を干 す時

︑風 がよ く通 り︑ 乾 く のが 早か った

︒幹 縄は

︑通 常︑ ナワ と呼 んだ

︒枝 縄は 太い もの で径 三ミ リメ ート ルほ どの もの を長 さ一 メー トル つ な いだ

︒そ の先 にテ グス

︵チ モト と呼 ん だ︶ を 約三

・五 メ ー トル く く り︑ その 先 に 六 分か 七 分 の長 さ の 釣針

︵ツ リ

︶ を ノブ タ一 桶に 約二

〇〇 本つ けた

︒農 家か ら稲 藁を 譲っ ても らい

︑ノ ブタ の側 板に 穴を あけ て︑ これ を糸 でく くり つ け

︑そ こに ツリ を引 っか ける よう に工 夫し た⑶

︒ なお

︑ツ リは 小野 市 から 売 り に 来て い た︒ 沈 子に は

︑握 り こぶ し よ り やや 大き めの 丸石 を用 いた

︒こ れは 淡路 島の 海岸 まで 拾い に行 った とい う︒ 餌に は︑ イカ ナゴ や冷 蔵サ ンマ を使 った

︒イ カナ ゴの 新子

︵体 長五

〜六 セン チメ ート ル︶ は︑ 船曳 網漁 業者 から 入 手 し︑ 一尾 ずつ ツリ に刺 した

︒新 子の 利用 は︑

﹁ ひ と月 ほ ど のシ ョ ー バイ

﹂で あ る︒ 新 子 が大 き く 成長 す る 頃に な る と

︑サ ンマ の利 用に 切り かえ た︒ これ は三 枚に おろ して

︑骨 の部 分を 除去 し︑ その 後片 身を さら に小 さく 切っ て使 っ た

︒ツ リに 刺す 前に はあ らか じめ 塩を まぶ して おい た︒ 身か ら水 分を 除き

︑身 を固 くし てお かな いと 刺し にく かっ た か らで ある

︒冬 はイ カナ ゴの 成魚

︵二 年魚 ある いは 三年 魚

フル セと 呼ぶ

︶を 使っ た︒ これ は底 曳網 の漁 業者 から 購 入 した

︒二 セン チメ ート ルほ どに 切っ て刺 すが

︑刺 しや すく する ため に︑ 砂を まぶ した とい う︒ 砂は 明石 川河 口に 堆 積 した もの を︑ 砂採 取を 専門 とす る業 者か ら購 入し た︒ 餌を ツリ につ けて しま うと

︑準 備し たそ のノ ブタ は基 本的 には 沖で さば かな けれ ばな らな い︒ 塩を つけ てお いた 餌 は 長持 ちす る︒ しか し︑ 餌の 水気 が抜 けて

︑そ れ自 体が 硬く なっ てし まう と︑ 魚の 食い が悪 くな る︒ この よう な場 合 に は魚 が食 いつ くと 想定 する 時間 帯よ り早 めに 縄を 海中 に投 げ入 れ︑ 餌を 通常 より 長い 時間 海水 に浸 して 柔ら かく す る 工夫 をし た︒ 冬場

︑餌 づけ の準 備を した もの の︑ 時化 のた め出 漁を 見合 わせ たよ うな 場合 には

︑餌 をつ けた ノブ タ は 船倉

︵イ ケマ

︶に 入れ て︑ 布を かぶ せ風 に当 たら ない よう にし てお けば

︑数 日間 はも った

︒ 秋に はア ナゴ の新 子が どこ でで もわ いた

︒新 子を ビリ ンコ と呼 んだ

︒ア ナゴ は海 底が 砂泥 地︵ イソ カケ

︶に 多く い 兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

三 一

(9)

︒集 落の 前の 沖合

︵イ エノ マエ

︶か ら西 側の 二見 の沖 へ行 った り︑ 東側 の神 戸沖 に行 った りし てこ の漁 をし た︒ 東 へ 行 く と きは

︑下 げ 潮 流︵ シッ シ ョ︶ の 時︑ 西へ 出 漁 す ると き は 上げ 潮 流︵ ニ チ︶ の 時 を ね ら っ た︒ 水 深 は 三 二 尋

︵四 七〜 四八 メー トル

︶ほ どの とこ ろで

︑こ れよ り浅 くな ると

︑ア ナゴ は夜 には 餌を くう が︑ 昼間 には くわ なか った

︒ 使 用す るノ ブタ の数 は約 二〇 桶で あっ た︒ 出漁 から

︑海 上で 漁を 続け

︑帰 港す るま での 漁業 活動 時間 はお およ そ四 時 間 かか った

︒ 魚 価 は安 か っ たが

︑大 量 に 漁獲 で き た ので

︑そ れ な りに 儲 け はあ っ た

︒ノ ブ タ二

〇 桶 を使 っ て 約 二

〇 尾 は 釣 っ た

︒体 重一

〇〇

〜一 五〇 グラ ム︵ 三〇

〜四

〇匁

︶程 度の もの が美 味で ある

︒二 六〇 グラ ム︵ 七〇 匁︶ ほど の大 型の も の も混 じっ たし

︑デ ンス ケと 呼ぶ かな り大 型の アナ ゴ も 混獲 さ れ るこ と が あっ た

︒ア ナ ゴ の漁 獲 量 が減 っ て くる 四

︑ 五 月頃 には

︑同 じ漁 場で ガシ ラを ねら った

︒水 温が 上昇 する 六月 から 九月 頃ま では タイ 縄を する こと もあ った

︒ 海上 で縄 を入 れる 際に は︑ たと えば

︑シ オが 西に 流れ てゆ く場 合は

︑西 に向 かっ て入 れた

︒縄 は転 流後 に流 れが 反 対 にな るシ オ︵ シオ バナ

︶が 来る 前に 引き あげ た︒ 最初 に入 れた 方の 縄に 戻っ て引 きあ げる のか

︑や り終 えた 方か ら 引 きあ げる のか

︑シ オの 具合 を見 なが らい ずれ かに 決め た︒ シオ の流 れに 逆ら うよ うに して 引き あげ ると

︑縄 がシ オ に 引っ 張ら れ︑ 重た くな るか らで ある

︒ 漁業 者は シオ の流 れの 速さ を知 る時 には

︑遠 近両 方に 位置 する 陸上 の山 や建 築物 など の目 標物 を見 たと いう

︒こ れ は

︑自 身が 乗る 漁船 のエ ンジ ンを 止め てシ オに 流さ れる 時︑ 前方 の目 標物 は漁 船か ら離 れて ゆく が︑ 後方 の目 標物 が 漁 船と 同じ よう に動 いて ゆく よう に見 える とい う︑ 目の 錯覚

︵運 動視 差︶ を利 用し たも ので ある

︒二 つの 目標 物の 離 れ 具合 の速 さが

︑シ オの 流れ る速 さと 読み かえ る こ とが で き た︒ ただ し

︑こ れ でシ オ の 速 さが 十 分 にわ か ら ない 時

︑ す なわ ち﹁ 山が いの けへ ん︵ 動か ない

︶﹂ 時 には

︑い っ たん 止 め てあ っ た 漁船 の エ ン ジン を か け︑ スク リ ュ ーを 回 し た 結果

︑海 面に 生じ た泡 が︑ どの よう に流 れる のか を見 て判 断す るこ とも あっ た︒

兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

三 二

(10)

漁場 の位 置を 認知 する 際に も山 や建 築物 を見 た︒ いわ ゆ る ヤマ タ テ とい う 簡 易三 角 測 量 技法 を 使 用し た の であ る

︒ 東 西を 見る 時に は明 石︑ 神戸 の陸 側に ある 目標 物を 用い た︒ 後方 の主 要な 目標 物と して 雄岡 山︵ おっ こさ ん︶ と雌 岡 山

︵め っこ さん

︶⑸

をあ てた

︒南 北を あて る時 の主 要な 目標 物は

︑北 は一 の谷

︑南 は淡 路島 の灯 台⑺

な どで あっ た︒ 漁 場 の水 深 を 知る た め には

︑金 属 製 の 重り の つ いた タ ダ シと 呼 ぶ 縄 を用 い た︒ 縄 には 一 尋 ごと に 目 印 を つ け て あ り

︑縄 がど こま で入 った かを 確認 でき た︒ シオ の流 れが 緩く なっ てく るこ とを

﹁や えて くる

﹂や

﹁や らこ なっ てく る﹂ と表 現し た︒ 明石 海峡 付近 では

︑転 流 後 に反 流が 生じ るこ とが ある

︒こ れを

﹁シ オが 回る

﹂と 表現 する

︒た とえ ば︑ 東流 から 西流 へと 転流 した のち

︑シ オ が 回 る と 東へ と 流 れた

︒そ れ が また 西 流 と なっ て

︑波 が 生じ た

︒特 に 水 深が 浅 い とこ ろ で は大 き な 波 が 生 じ た と い う

︒上 層を 流れ るシ オ︵ ウエ ノシ オ︶ の速 さと 下層 を流 れる シオ

︵シ タノ シオ

︶の 速さ とに 差が 生じ るこ とか ら︑ こ の よう な状 態に なっ た︒ 漁業 活動 時に シオ が回 る状 態に 出会 うと

︑縄 が海 底の 岩礁 によ く引 っか かっ た︒ この よう に な ると

︑縄 が海 底で 擦り 切れ てし まう 場合 があ った

︒そ こで 船上 で一 端を 切っ てし まい

︑海 中に 残る 方の 縄の 端に は 浮 樽を 結わ えて おい た︒ そし て︑ 縄を 放っ た場 所を 覚え てお くた めに ヤマ タテ をし た︒ あと で︑ 漁船 を同 じ場 所に つ け

︑そ こで スマ ルと 呼ぶ フッ クの つい た金 属製 の道 具 を 海底 に 沈 め︑ 海底 に 残 され た 縄 の 一部 を こ れに 引 っ かけ て

︑ 縄 を引 きあ げた

︒ 漁獲 物を 卸す 際に は︑ 胴丸 かご に入 れて 活か して おい たも のを 信用 売り

︵ツ ッコ ミ︶ で値 段交 渉し た︒ 仲卸 商人 と は

︑﹁ 買 い値 が安 い﹂ とい って よく 喧嘩 した もの であ る︒ アナ ゴを 扱う 商店 とし ては

︑大 善⑻

と 林喜 があ った

︒ 使用 済み のノ ブタ の後 始末 をし

︑次 の出 漁の ため に準 備す る作 業が 縄繰 りで ある

︒こ の作 業お よび この 作業 をお こ な う人 をノ ーク リと 呼ん だ︒ E氏 が頼 んで いた ノー クリ は︑ 七︑ 八人 いた

︒ノ ーク リは いく つか の縄 船の 縄を 掛け 持 ち で繰 って いた ので

︑E 氏自 身は

︑一 人の ノー クリ に対 して あま り多 い数 のノ ブタ を依 頼し なか った とい う︒ 兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

三 三

(11)

冬季 にな り海 水温 が低 下す ると

︑ア ナゴ は餌 を食 わな くな る︒ そう なる と 紀 淡海 峡 の 淡 輪⑼

の 沖 まで 出 漁 する こ と が あっ た︒ これ は︑ 昭和 三〇 年代 に電 気着 火に よる 焼玉 エン ジン を搭 載し た木 造船 を使 用し てい た頃 であ る︒ 一二 月 か ら二 月中 旬く らい まで の間 に出 漁し た︒ とは いえ

︑海 が時 化る こと も多 く︑ 一か 月に 二︑ 三回 の出 漁回 数に とど ま っ た︒ 漁 船 は四 人 乗 りで

︑一 三 時 頃に 明 石 浦 を出 港 し た︒ 三時 間 半 ほど の 航 海 であ っ た︒ ノ ブタ は 約 八

〇 桶 積 ん で い っ た

︒日 没前 に一 時間 半ほ どか けて すべ ての 縄を 入れ 終え

︑日 没後

︑た だち に引 きあ げた

︒引 きあ げ作 業は かな りの 重 労 働で

︑三 人が 交代 しな が ら 仕事 を し た⑽

︒ 水温 の 低 下 が著 し か った 一 九 六三 年 の い わゆ る 三 八豪 雪⑾

の時 に は︑ 和 歌 山市 の沖 まで 出漁 した こと もあ った とい う︒ 第二 章 北淡 の ア ナゴ 延 縄 漁│ 父 親 の漁 の 記 憶 淡路

島の 北端 にあ たる 岩屋 は古 くか ら延 縄 が さか ん な 漁業 集 落 であ っ た︒

﹃ 兵 庫県 漁 業 慣行 録

﹄に よ ると

︑こ の 地 区 は岩 屋浦 と呼 ばれ てい たが

︑旧 津名 郡内 の由 良浦 とと もに

︑普 通漁 業者

︵自 営漁 業者

︶と 雇わ れ漁 夫の 合計 が一

〇人 を超 す︑ 淡路 島で 一︑ 二を 争う 規模 の大 きい 漁村 であ った

︒当 時︑ ハモ 延縄 従事 者一 五〇 人︑ タイ 延縄 従事 者 六

〇人

︑ア ナゴ 延縄 従事 者五 一人 を数 えた

︵田 和 二

〇一 八︶

︒ 二〇 一六 年八 月に 聞き 取り をし たN 氏︵ 一九 六八 年生 まれ

︶に よる と︑ N家 は代 々﹁ 権七

﹂と いう 屋号 をも って い た

︒八 代前 から 延縄 を始 めた とい う伝 承が ある

︒江 戸時 代末 期に はす でに 就業 して いた と推 察さ れる

︒ N氏 は︑ 父親 と伯 父︑ いと こ︵ 伯父 の息 子︶ の三 人 が 乗り 組 ん で操 業 す る延 縄 漁 船 に︑ 子供 の 頃 から 乗 っ てい た

︒ 一 九七

〇年 代後 半か ら一 九八

〇年 代前 半に かけ ての こと であ ろう

︒た だし

︑N 家で はN 氏の 父親 の代 で︑ 縄船

︵ナ ブ

兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

三 四

(12)

︶の 操業 を終 えた

︒N 氏自 身は 中学 校を 卒業 後︑ 小型 底曳 網漁 船に 乗り 組み

︑船 頭か ら漁 業技 術を 学ん だ︒ 二〇 歳 の 時に 漁船 を手 に入 れて 独立 した とい う︒ 現在 も小 型底 曳網 に従 事し てい る︒ 字神 ノ前 地先 の船 溜ま りに は︑ 一九 七〇 年代 まで

︑五

〇〜 六〇 隻の 延縄 漁船 があ った とい う︒ しか し︑ 二〇 一五 年 に は六 隻︑ 二〇 一六 年に は四 隻と なっ てし まっ た︒ 岩屋 では 現在

︑ア ナゴ 延縄

︵ア ナゴ バエ

︶は おこ なわ れて はい ない

︒海 底が 泥質 の﹁ アナ ゴ場

﹂が なく なり

︑資 源 量 が減 少し たか らで ある

︒ア ナゴ 場は 水深 一〇 メー トル ほど の浅 所で

︑ア マモ

︵ヘ ビモ

︶が 多く 繁茂 して いる とこ ろ で あっ た︒ 現在 では アナ ゴは

︑カ サゴ を ね ら う延 縄

︵ガ シ ラバ エ

︶で 混 獲さ れ る の みで あ る︒ た だし

︑N 氏 自身 は

︑ 近 年で も︑ 年末 に二 回ほ どア ナゴ バエ に出 ると いう

︒岩 屋で はか つて アナ ゴは タコ とと もに 祝儀 魚と して 欠か すこ と が でき なか った

︒﹁ 昔 はア ナゴ なか った ら

︑正 月 が迎 え ら れん か っ た﹂ とい う

︒そ の 伝 統を 受 け 継ぎ

︑N 氏 は自 家 消 費 用お よび 近所 に配 るア ナゴ を獲 る目 的で 出漁 して いる

︒ N氏 が 中 学 生の 頃

︑す な わち 一 九 八〇 年 代

︑父 を 手伝 っ て 乗船 し た ア ナゴ バ エ では

︑一 隻 が 四 人 乗 り で 構 成 さ れ た

︒舵 取り 一名

︑縄 を引 く者 一名

︑生 簀︵ イケ マ︶ まわ りで 二名 が作 業し た︒ 縄の 引き あげ には

︑ロ ーラ ー型 の動 力 巻 きあ げ機 を使 用し てい た︒ ア ナ ゴバ エ は︑ 秋︵ 一

〇月 頃

︶か ら 春︵ 翌年 の 三 月 いっ ぱ い くら い ま で︶ の漁 で あ っ た︒ 風 が 強 く な る と 休 漁 し た

︒延 縄を 収め る容 器を 縄桶

︵ナ オケ

︶と 呼ん だ︒ 細い 幹縄 を使 用し

︑八 引き

︵半 尋× 八

約六 メー トル

︶ご とに 枝 縄

︵モ トエ ダ︶ を結 わえ た︒ モト エダ の先 にサ ツキ ヤ マ と呼 ぶ ナ イロ ン 製 のテ グ ス を 結び

︑そ の 先 に釣 針 を つけ た

︒ ナ オケ 一つ の幹 縄に つけ る針 数は 約二 二〇 本で あっ た︒ 沈子

︵テ イシ

︶は 海岸

︵ナ ダと 呼ぶ

︶で 丸石

︵写 真3

︶を 採 っ てき て利 用し た︒

﹁ ナダ に石 拾い に行 こか

﹂と いっ た具 合で ある

︒一 桶に 五〜 六個 つけ た︒ アナ ゴバ エは シオ の速 さに 合わ せて 入れ てゆ く︒ 大阪 湾側 はシ オが 遅く

︑明 石海 峡あ たり はシ オが 速い

︒縄 は︑ シ 兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

三 五

(13)

オ の流 れが 緩く なる

︵や えて くる

︶時 すな わち 停 潮 時に 敷 設 し︑ 転流 し は じめ た 後 に 引き あ げ た︒ 一回 の 漁 に五 五

︑ 五 六桶 を使 用し た︒ これ だけ 入れ るに は約 二時 間を 要し た︒ 漁場 は︑ 冬場 は海 底が 泥質 のと ころ

︵ド ロバ

︶で ある が︑ 春に なる とド ロバ 近く の砂 質の 海底

︵ス ナバ

︶へ と切 り か えた

︒餌 は︑ 冷凍 のサ バ︑ サン マを 小さ く切 った もの を用 いた

︒春 に餌 とし てイ カナ ゴを つけ ると アナ ゴの 食い が よ かっ た︒ これ は地 元の 船曳 網が 漁獲 した もの を購 入し た︒ 大き く育 った イカ ナゴ の成 魚︵ フル セ︶ の場 合に は小 さ く 刻ん で針 に刺 した

︒コ ナと 呼ぶ イカ ナゴ の当 歳魚

︵新 子︶ は一 尾づ けし た︒ 切り 身を 用い て餌 づけ する 作業 は︑ 漁 業 者の 配偶 者や パー トの 手伝 い女 性で もで きた が︑ 一尾 づけ とな ると なか なか 難し く︑ 他人 には 任せ られ なか った

︒ 漁場 は大 阪湾 側を 利用 した

︒通 常︑ 一四 時 頃 に出 漁 し た︒ 一五 時 頃 にな れ ば︑

﹁ 海 の底 は 夜﹂ と いう よ う に教 え ら れ たと いう

︒ア ナゴ の活 動が 活発 にな るこ の時 刻以 降を ねら った ので ある

︒シ オの 速さ は︑ 錨を 投入 した 後︑ 縄の つ い た樽 を海 中に 放り 込ん で︑ その 樽の 流れ 具 合 を目 視 す るこ と に よっ て 読 ん だ︒ この 行 為 を﹁ 樽を う つ﹂ と いっ た

︒ 二

〇隻 くら いの 漁船 が一 列に 並ぶ よう な形 で漁 をし た︒ 漁業 者は 海底 の状 況を 熟知 して おり

︑そ の知 識に 基づ いて 縄 を 入れ てい った

︒こ の時

︑海 底の 地形 を勘 案し て︑ 漁船 の進 行方 向を 変え る場 合が ある

︒進 路を 曲げ るこ とを

﹁わ げ る

﹂︑ 曲 がり 角を ワゲ と呼 んだ

︒す なわ ち︑ 縄 を入 れ て いる と き︑ 曲 がり 角 に 差 しか か る と︑ 船頭 か ら﹁ ワ ゲや ぞ ー っ

﹂と 声が かか る︒ 夜間 の操 業で 海中 が見 えに くい 時に

︑ワ ゲで はテ イシ の結 び方 を変 えて 縄を 入れ た︒ 縄を 引き あ げ る時 に︑ テイ シの 結び 方が 目印 とな り︑ これ を目 安に して 操船 した

︒ア ナゴ と混 獲さ れる 魚種 には

︑イ シモ チ︵ グ チ

︶︑ ム シガ レイ

︵ミ ズガ レイ

︑ト サン ボ︶

︑ハ ゼの 仲間

︵ド ロロ バ︶ など があ った

︒ 漁獲 した アナ ゴは

︑生 簀で 二︑ 三日 泳が して おい た︒ 呑ん だエ サと 釣針 をは かせ るた めで ある

︒そ の後

︑仲 買に 出 荷 した

︒ア ナゴ の場 合に は大 札を 入れ た︒ 大札 とは

︑前 日入 札に よる 見買 いで ある

︒大 アナ ゴの 価格 や普 通サ イズ の ア ナゴ の価 格を キロ グラ ム単 価で あら かじ め決 めて おく

︒角 石と いう 屋号 の仲 買が いて

︑買 い取 った もの を明 石の 下

兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

三 六

(14)

村 商店 に卸 して いた

︒岩 屋に は︑ ほか にア ナゴ だけ を扱 う商 売人 もい た︒ 縄 繰 りの 仕 事 は基 本 的 には 地 区 内 に住 む 女 性に よ る 内職 に 頼 っ てき た

︒こ の よう な 仕 事を 請 け 負 う 者 を﹁ さ ば き 屋

﹂と 呼ん だ︒ 一九 八〇 年代 から 一九 九〇 年頃 の手 間賃 は一 桶五

〇〇 円で あっ た︒ 一桶 さば くの に二 時間 はか かっ た と いう

︒縄 をさ ばく 方法 に﹁ どさ さば き﹂ とい うも のが あっ た︒ これ は釣 針の つけ かえ 作業 を省 いて

︑縄 だけ をさ ば く もの であ る︒ どさ さば きの 手間 賃は 通常 の手 間賃 の半 額と なっ た︒ 第三 章 播磨 町 の アナ ゴ 延 縄漁

│ 最 後の ア ナ ゴ延 縄 漁 師 加

古 郡播 磨 町 は古 く か ら延 縄 が さ かん で あ った

︒﹃ 兵 庫 県漁 業 慣 行 録﹄ を み る と︑ 明 治 中 期 に は

︑ハ マ チ

・ブ リ

︑ ハ モ︑ クロ ダイ

︵チ ヌ︶

︑ カレ イ︑ アナ ゴ︑ スズ キな ど を季 節 ご とに 漁 獲 対象 と し な がら

︑延 縄 漁 が周 年 に わた っ て 操 業さ れて いた こと がわ かる

︵田 和 二

〇一 八︶

︒ 延縄 は︑ 近年

︑播 磨町 では ほと んど おこ なわ れて いな い︒ 漁業 セン サス の統 計数 値も 非公 表で あり

︑経 営状 況を 確 認 する こと も困 難で ある

︒聞 き取 りに よれ ば︑ 二〇 一六 年六 月現 在︑ 一名 のア ナゴ 延縄 漁業 者M 氏︵ 一九 四九 年生 ま れ

︶が 操業 して いる のみ であ った

︒二

〇一 五年 まで はも う一 名の 延縄 漁業 者︵ 一九 四二 年生 まれ

︶が いた が︑ 二〇 一 六 年に は着 業し なか った

︒M 氏を まさ に﹁ 播磨 町最 後の 延縄 漁師

﹂と 呼ば ねば なら ない

︒ M氏 は︑ 小さ い頃 に祖 父が やっ てい た漁 を手 伝う こと から 漁業 に関 わっ た︒ 父親 は漁 師で はな かっ た︒ 自身 は︑ 学 校 卒業 後︑ 会社 勤め をし

︑そ れを 辞し たの ち︑ 漁業 に着 業し た︒ 一九 七〇 年代 のこ とで ある

︒主 とし て従 事し た漁 種 は 延縄 と刺 網︵ 建網

︶で あっ た︒ 一二 月か ら二 月頃 まで は秋 アナ ゴの 延縄 漁︵ アナ ゴナ ワ︶ に従 事し

︑こ れを 終え る と 刺網 漁に 切り かえ た︒ 五月 から 七月 にか けて は春 アナ ゴの 延縄 漁を した

︒こ の間

︑六 月か ら七 月中 旬に かけ てマ コ 兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

三 七

(15)

ガ レイ をね らう 延縄

︵カ レイ ナワ

︶に 切り かえ るこ とも あっ た︒ 秋か ら冬 にか けて は刺 網漁 に従 事し た︒ かつ て延 縄 を 専門 にし てい た漁 業者 は︑ 一〇 月か ら翌 年の 七月 くら いま でを この 漁に あて たと いう

︒ M氏 自身 は︑ 一時 期︑ 延縄 をや って いな かっ た が︑ 一 九九 五 年 から 再 開 した

︒こ の 漁 業 が衰 退 し た大 き な 理由 は

︑ 小 型底 曳網 漁船 の増 加と とも に︑ 延縄 と底 曳網 の漁 場 が 競合 し た こと で あ る︒ 結果 的 に 延 縄の 操 業 の方 が 縮 小し た

︒ 延 縄漁 場は

︑現 在で はノ リ養 殖の 区画 漁業 権漁 場周 辺に 限定 され てし まっ たと いう

︒ アナ ゴは 夏季 には 脂が のっ て美 味な 魚で ある

︒近 年︑ 大型 のも のは ほと んど 底曳 網に よっ て漁 獲さ れて いる

︒そ の た め︑ M氏 は︑ 夏・ 秋生 まれ の﹁ 新子

﹂を 漁獲 対象 とし てい る︒ 体長 三〇 セン チメ ート ル程 度の 小型 のア ナゴ がほ と ん どで ある

︒ 漁具 の準 備や 後始 末は

︑古 宮漁 港の 西側 に あ る 作業 小 屋 でお こ な う︵ 写真 4︶

︒ 漁 具は 以 下 の通 り で ある

︒縄 を 入 れ る桶

︵ノ オケ

︶に 収ま る幹 縄約 三〇

〇メ ート ルに 一六

〇本 の枝 縄︵ エダ

︶を つけ てそ こに 針を つけ る︒ 沈子

︵オ モ リ

︶は 鉛製 のも の︵ 写真 5︶ を使 用す る︒ 海上 での 操業 ごと に幹 縄に 引っ かけ てゆ く方 法で 用い る︒ 一回 の出 漁で 使 用 でき るノ オケ の数 は︑ 播磨 町漁 協の 行使 規則 によ って 最大 八桶 まで と定 めら れて いる

︒し たが って

︑針 数は 最多 の 場 合で 一二 八〇 本と なる

︒ エサ は冷 凍イ カや 冷凍 サン マの 切り 身を 使 用 す る︵ 写真 6︶

︒ たと え ば 冷凍 サ ン マ の場 合

︑一 箱 一〇 キ ロ グラ ム 入 り のも ので 三〜 四回 の出 漁分 をま かな うこ とが でき る︒ エサ は細 かく 切っ た後 で塩 を振 りか ける

︒こ れは 滑り 止め の 役 割を 果た す︒ 以前 は同 じく 滑り を止 める ため に︑ 細か な砂 をま ぶし たこ とも あっ た︒ 餌づ け︵ 写真 7︶ は出 漁前 に す べて 整え てお く︵ 写真 8︶

︒ 漁場 には

︑所 有す る三

・五 トン

︵三

〇〇 馬力

︶の 漁船 で一

〇分 も航 行す れば 到着 する

︒延 縄の 場合

︑自 由漁 業で あ り 漁業 許可 証は 特に 必要 とし ない

兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

三 八

(16)

漁具 はシ オの 流れ に沿 うよ うに 直線 的に 敷設 して ゆく

︒沖 は底 曳網 の漁 場と 競合 する ので

︑縄 を入 れっ ぱな しに し て おく と︑ この 漁船 に漁 具を 引っ かけ られ てし まう こと があ ると いう

︒底 曳網 漁船 は明 石方 面と 高砂 方面 から 入漁 し て くる

︒ま た︑ シオ の﹁ 止ま り目

﹂に 操業 した 方が よい が︑ 敷設 され てい るタ コツ ボの 縄と 引っ かか るこ とも ある と い う︒ 沖で の操 業に は︑ 夕刻 の四 時か ら五 時頃 にか けて

︑す なわ ち﹁ 晩の まじ め﹂ をね らう

︒ア ナゴ が夜 行性 のた めで あ る

︒縄 を入 れる 時間 は三

〇分 間︑ 縄あ げに かか る時 間は 一〜 一・ 五時 間で ある

︒漁 場へ の往 復時 間を 含め ると

︑海 上 で の漁 業活 動時 間は 二・ 五〜 三時 間と なる

︒縄 は二 桶 ず つ四 筋 に 分け て 入 れた り

︑四 桶 ず つ二 筋 入 れた り す るな ど

︑ 工 夫を する

︒八 桶分 を一 筋と して 敷設 する と︑ 漁場 が狭 隘で ある ため 底曳 網漁 場と 競合 する 場合 が生 じた り︑ 長い 距 離 に入 れた 縄の うち 最初 に放 り込 んだ 方の 浮標 を船 上か ら目 視で きな かっ たり する から であ る︒ ノリ 養殖 の区 画漁 業 権 が数 多く 設定 され ノリ 網が 張ら れて いる 海底 にも アナ ゴが 多く 生息 する

︒し たが って

︑ノ リ網 の間 に縄 を敷 設し て ゆ くこ とも ある

︒ 二〇 一六 年六 月七 日に M氏 の漁 船に 同乗 し︑ 漁業 活動 を観 察す る機 会を 得た

︒以 下で は︑ 船上 での 聞き 取り によ っ て 得た デー タも 加え なが ら︑ 漁業 活動 につ いて 記述 しよ う︒ M氏 の配 偶者 が︑ 作業 小屋 から 餌を つけ たノ オケ 七桶 を一 輪車 にの せて M氏 の漁 船ま で運 んで きた

︒M 氏は 船上 か ら こ れ らを 受 け と る︵ 写真 9︶

︒ 出漁 直 前 に本 日 の 使 用数 を 六 桶に 切 り かえ た⒀

︒シ オ の 加減 や 天 候の 具 合 を考 え て の 決定 であ る︒ 本日 の天 気は 梅雨 時で あま り良 くな いと いう

︒淡 路島 の上 に白 い雲 がか かっ てお り︵ この 状況 をM 氏 は

﹁帽 子き とる

﹂と 表現 した

︶︑ こ れが 雨︑ 風が 強ま る 前兆 を 示 して い る から で あ る︒ 残 る一 桶 は その ま ま 冷蔵 庫 に 保 管し て︑ 次回 の操 業の 際に 使用 する

︒海 水を バケ ツで 汲み あげ

︑こ れを 準備 した ノオ ケに かけ て︑ 縄を あら かじ め 湿 らせ てお く︵ 写真 儗︶

︒ 縄を 海中 へ投 入し やす くす るた めで ある

︒ 兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

三 九

(17)

一七 時四 九分

︑漁 船の エン ジン を始 動し て古 宮漁 港を 出港 した

︒埋 め立 て地 に沿 って 東へ 進み

︑一 八時

〇二 分に は エ ンジ ンを 低速 に切 りか え︑ 一八 時〇 六分 にエ ンジ ンを 停止 した

︒ 出漁 場所 は︑ 東へ 航行 した 明石 市魚 住町 に あ る住 吉 神 社の 沖

︑通 称﹁ 住 吉さ ん の 前﹂

︑ ある い は 神社 の 西 に位 置 す る 薬師 院ぼ たん 寺に ちな んで

﹁ぼ たん 寺﹂ とも 呼ぶ 漁場 であ る︒ 縄の 敷設 場所 は︑ 現在 では 漁船 にプ ロッ ター を搭 載 し てい るの で︑ この 機器 に入 力し てあ る位 置情 報に よっ て決 めて いる

︒ち なみ にプ ロッ ター の表 示は

︑北 緯三 四度 四

・四 六八

︑東 経一 三四 度五 三・ 五三 五で あっ た︒ かつ ては ヤマ タテ によ って 敷設 位置 を認 識し た︒ 前述 した 明石 浦 の 漁業 者と 同様 に︑ 雄岡 山︵ オト コヤ マ︶ と雌 岡山

︵オ ンナ ヤマ

︶の 山景 を後 方の 主要 な目 標物 とし て定 め︑ 前方 の 目 標物 には

︑特 徴的 な建 物や 臨海 部に 立地 する 工場 群の 煙突 など を利 用し た︒ シオ の動 きが 速い 時に 縄を 入れ ると

︑餌 を他 の魚 にと られ てし まう とい う︒ シオ を見 なが ら︑ 最初 に投 入す る浮 標 の 準備 に取 りか かる

︒西 へ流 れる 現在 の潮 流の 流速 は毎 時約 一ノ ット であ る︒ 本日 はや や早 目に 出漁 した

︒住 吉さ ん の 前で は明 石浦 漁協 地区 およ び江 井ヶ 島漁 協地 区所 属の 小型 底曳 網漁 船と 競合 する こと があ るの で︑ それ らの 漁船 よ り 早め に漁 場に 到着 し︑ 良い 場所 を占 めよ うと 考え たか らで ある

︒風 は 南風 で あ っ たも の が︑ 陸 側か ら 吹 く北 風 へ と 変わ って きた

︒M 氏に よる と︑ あと 一時 間も すれ ば波 がや わら ぐと いう

︒こ の漁 場に は加 古川 から 採取 され た砂 が 投 入 さ れ てい る

︒ノ リ 養殖 に は 有機 質 が 与 えら れ る 結果 と な り 生育 に よ いが

︑泥 地 を 好む ア ナ ゴ の資 源 量 は 減 少 し た⒂

︒本 日は

︑で きれ ば大 型の

﹁太 いア ナゴ

﹂を ねら うと いう

︒ 一八 時二 四分

︑シ オの 動き に任 せて いた 漁船 が西 へ流 され たの で︑ エン ジン を低 速で かけ て潮 上す なわ ち東 の方 へ 移 動し た︒ 一八 時二 九分

︑エ ンジ ンを 停止 し︑ 操舵 室か ら出 てき て︑ 延縄 の投 入準 備に とり かか る︒ 漁船 の左 舷側 後 方 から 一筋 目の 縄に 結ん だ浮 標を 投入 し︑ 続い て 縄 を 入れ は じ めた

︵写 真 儘︶

︒甲 板 上 で ボタ ン 式 の遠 隔 式 操舵 装 置 を 使っ て操 船し なが ら︑ 縄を 潮上 から 潮下 へと 入れ てゆ く︒ シオ がや や速 いの で︑ 幹縄 の中 間部 分と 最後 の枝 縄の 近

兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

(18)

く に︑ 前述 した ポー タブ ル型 の鉛 のオ モリ をつ けた

︒シ オの 流れ が緩 い時 には オモ リは つけ ない とい う︒ 一八 時三 五 分 に二 桶分 の縄 を入 れ終 え︑ 末尾 側の 浮標 を投 入し た︒ 一八 時三 六分

︑エ ンジ ンを かけ

︑潮 上へ と移 動し なが ら二 筋 目 の延 縄の 投入 準備 にか かる

︒ 一八 時三 八分

︑エ ンジ ンを 停止 し︑ 二筋 目の 投入 作業 を開 始し た︒ 一筋 目に 並行 する よう に入 れて ゆく

︒一 八時 四 三 分︑ 三桶 分の 投入 を終 了し た︒ 結局

︑準 備し てお いた 六桶 のう ち五 桶を 使用 した

︒本 日は

︑二 筋と も通 常操 業し て い る場 所よ りや や沖 側に 敷設 した

︒底 曳網 漁船 が近 くで 操業 して いな かっ たか らで ある

︒す なわ ち︑ M氏 は︑ この 敷 設 場所 を︑ いつ も利 用し てい る場 所以 上に 大型 のア ナゴ が多 いと ころ と考 えて いた ので ある

︒ 縄を 入れ た後 は引 きあ げ時 まで 待機 する

︒こ の間 にノ オケ を洗 う︒ ノオ ケの 側面 は餌 のサ ンマ の脂 分が 付着 する の で 洗剤 をつ けて 入念 に洗 った

︒ 一八 時五 一分

︑エ ンジ ンを 低速 でか け︑ 潮 上 にの ぼ る︒ 一 九時

〇 一 分︑ 減速 し

︑エ ン ジ ンを ニ ュ ート ラ ル にす る

︒ こ の頃

︑北 風と なり

︑波 はお さま った

︒同 じ漁 場ば かり 使用 する と場 が荒 れて くる とい う︒ タコ ツボ が敷 設さ れて い る 場所 は︑ アナ ゴに とっ ても よい 漁場 であ る︒ こう いう 場所 は﹁ 下底 がよ い﹂ とい う特 徴を もつ

︒し かし なが らタ コ ツ ボが ある ので

︑縄 を入 れる こと はで きな い︒ 一八 時五 二分

︑縄 あげ を開 始し た︒ M氏 は︑ 小さ な椅 子に 腰か け︑ 幹縄 を巻 きあ げ機 にか けて 引っ ぱり あげ る︒ こ の 時も 遠隔 の操 舵装 置で 操船 しな がら の作 業と なる

︒引 きあ げた 縄は 足の 間に 置い たノ オケ に収 めて ゆく が︑ アナ ゴ が かか って いる 場合 には テグ スを つけ たま ま

︑そ れ を 生簀 の 方 に投 げ る︵ 写 真儙

︶︒ 生 簀 の上 に は 刃の つ い た枠 型 が 設 えら れて おり

︑ア ナゴ をこ の枠 型に 引っ かけ ると

︑テ グス は刃 によ って 切れ るよ うに なっ てい る︒ アナ ゴは 針を 飲 み 込ん だま まで 生簀 に落 ちて ゆく

︒縄 の引 きあ げに 要し た時 間は

︑一 筋目 が一 九分

︑二 筋目 が二

〇分 であ った

︒ 桶ご との 漁獲 尾数 を見 てお こう

︒一 筋目 の一 桶目 は未 確認

︑二 桶目 はア ナゴ 六九 尾︑ キス 一尾

︑二 筋目 の一 桶目 は 兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

四 一

(19)

ア ナゴ 七九 尾︑ フグ 類一 尾︑ 二桶 目は アナ ゴ八 八尾

︑三 桶目 はア ナゴ 九〇 尾で あっ た︒ アナ ゴ以 外の 魚種 が混 獲さ れ る 率は きわ めて 低か った

︒桶 ごと のア ナゴ の釣 魚率

︵漁 獲尾 数を 一桶 の針 数一 六〇 で除 した もの

︶は

︑そ れぞ れ四 三 パ ーセ ント

︑四 九パ ーセ ント

︑五 五パ ーセ ント

︑五 六パ ーセ ント であ った

︒ア ナゴ の漁 獲量 はM 氏の 目算 で約 三〇 キ ロ グラ ムで あっ た︒ 二〇 時三 七分 に帰 港の 準備 に取 りか かっ た︒ 二〇 時四 七分 に帰 港し た︒ 出港 から 帰港 まで の漁 業活 動時 間は 二時 間 五 八分 であ った

︒ 船 内 の生 簀 で 活け た ま ま持 ち 帰 っ たア ナ ゴ は︑ すぐ さ ま 水揚 げ さ れ︑ 漁 協が 所 有 する 活 魚 蓄 養 槽 へ 移 さ れ た︒ 翌 朝

︑夫 婦で これ らを 二枚 にお ろし

︑加 工業 者へ 出荷 する

︒量 は夫 婦二 人が おろ せる 範囲 内に 限っ てい る︒ 残り は︑ 通 常 は町 内の 顧客 の注 文に 応じ て販 売し てい る︒ 漁協 への 売り 上げ 申告 は自 己申 告制 であ る︒ 漁協 は申 告額 に応 じて 手 数 料を 得て いる

まと め に かえ て 兵庫

瀬戸 内に おけ るア ナゴ 延縄 漁に 関す る聞 き取 りと 漁業 活動 の参 与観 察を 通じ て︑ 一九 五〇 年代 以降

︑現 在ま で の 約七

〇年 間に この 漁に 生じ た変 化を 見出 すこ とが でき た︒ 延縄 漁の 衰退 化の 原因 は︑ 大枠 とし て以 下の よう にと ら え るこ とが でき よう

︒す なわ ち︑ 兵庫 瀬戸 内の 漁業 は第 二次 世界 大戦 後︑ 漁具 と漁 船が 整備 され る段 階ま では

︑小 規 模 な釣 漁と 網漁 が中 心を なし た︒ その なか で延 縄漁 は周 年に わた る操 業形 態を 維持 しな がら 各地 で活 発に おこ なわ れ た と考 えら れる

︒そ の後

︑漁 業経 済の 安定 化に とも なっ て︑ 動力 型の 小型 底曳 網が 新た に導 入さ れた

︒底 曳網 の漁 獲 強 度は 他の 釣漁 や小 型の 網漁 のそ れと は比 較に なら ない ほど 大き なも ので あっ た︒ 底曳 網の 隆盛 によ って

︑漁 場が こ

兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

四 二

(20)

れ と 競 合 する 延 縄 漁は 操 業 漁場 の 狭 隘 化を 余 儀 なく さ れ︑ 駆 逐 され て い った も の と考 え て 間 違い な い︒ し か し な が ら

︑漁 閑 期 に あた る 冬 場に も 好 漁を 見 込 め︑ し かも 砂 泥 地の 海 底 に て選 択 的 に大 量 捕 獲が 期 待 で きる ア ナ ゴ 延 縄 漁 は

︑収 益が 得ら れる 漁と して

︑底 曳網 に対 抗す るよ うな 形で 維持 され た︒ その 後︑ 小型 底曳 網の 周年 操業 が定 着す る に した がっ て︑ 延縄 漁の 衰退 化に 一層 の拍 車が かか った こと はい うま でも ない

︒た だし

︑ア ナゴ 延縄 は︑ 安定 的な 漁 獲 と収 益を 見込 める がゆ えに

︑淘 汰さ れな がら も︑ 季節 によ って は和 歌山 県沖 まで 出漁 する よう な形 態を 見出 しな が ら 維持 され た︒ ノリ 養殖 業が 一九 六〇 年代 に兵 庫瀬 戸内 に導 入さ れる と︑ 漁船 漁業 の位 置づ けは 劇的 に変 化し た︒ ノリ の養 殖時 期 は 冬季 から 翌年 の春 にか けて であ る︒ 漁船 漁業 では 漁閑 期と 考え られ た時 期が

︑む しろ 盛漁 期へ と転 換し てゆ くこ と に なっ たの であ る︒ ノリ 養殖 によ る収 入が 安定 して いた こと から

︑こ れに 参入 する 漁業 者が 各地 で増 加し た︒ こう し た 漁業 者も

︑ノ リ養 殖期 間以 外に は船 曳網 や小 型底 曳網

︑あ るい は釣 漁業 を併 営し た︒ その 中で

︑漁 業者 が高 齢化 を 理 由に 漁業 経営 を次 世代 に譲 り︑ 自ら は︑ たと え収 益が 少な くと も﹁ 楽し み﹂ とし て︑ かつ て営 んだ 延縄 漁を 再開 す る 事例 も見 られ た︒ こう した 動き を他 方で 支え てき たの は︑ 漁業 技術 の革 新で ある

︒か つて の延 縄漁 で必 要と され た四 人あ るい は三 人 乗 り操 業は

︑動 力化 の進 展︑ 縄の 自動 巻き あげ 機や GP Sの 搭載 など によ り省 力化 が可 能と なっ た︒ 一回 の出 漁で 使 用 する 縄の 長さ

︵縄 桶数

︶を 少な くす れば

︑一 人で も操 業で きた ので ある

︒し かし なが ら︑ 延縄 漁船 一隻 分の 漁獲 金 額 を複 数名 で分 配で きる ほど の高 収入 をす でに 得ら れな くな って いた 点も 見逃 して はな らな い︒ 漁業 資源 量の 急激 な減 少を 招い てい る近 年で は︑ 漁船 漁業 の規 模縮 小が 目立 って いる

︒延 縄漁 も同 様に 撤退 し︑ 漁 具 の準 備を 担う 縄繰 りの シス テム もこ れに 応じ て崩 れて しま って いる

︒現 在こ の漁 を続 けて いる 高齢 者は

︑自 身の 代 で 漁の 終焉 を迎 える こと にな るで あろ う︒ 兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

四 三

(21)

アナ ゴ延 縄に みる 一九 五〇 年代 から 現在 まで の変 化の 過程 は︑ 兵庫 瀬戸 内に おけ る漁 業の 変容 とい う大 きな 複合 の な かで は︑ ほん の部 分的 な事 象に しか 過ぎ ない

︒し かし なが ら︑ この 漁業 にも 他の 漁種 との 競合 や漁 場利 用の 変化 な ど

︑様 々な 関係 性の なか に定 位し

︑明 らか にし なけ れば なら ない 事項 が数 多く 見い ださ れた

︒残 され た史 資料 類や 統 計 類は ごく 限ら れて いる

︒こ うし た諸 点か ら見 れば

︑漁 業者 から の情 報に 基づ く﹁ 聞き 書き

﹂は

︑漁 業誌 を精 緻化 す る 意味 でも

︑き わめ て有 効な 方法 とい わね ばな らな い︒

﹇ 付 記

﹈ 小 論 を 作 成 す る に あ た っ て

︑ 各 地 で 多 く の 漁 業 者 の 皆 様 か ら 貴 重 な お 話 を 伺 う こ と が で き た

︒ 末 筆 な が ら

︑ 皆 様 に 心 よ り お 礼 を 申 し 上 げ ま す

︒ 注

⑴ 田 和

︵ 二

〇 一 八

︶ は

︑ 明 治 期 に お け る 兵 庫 瀬 戸 内 の 延 縄 漁 業 に つ い て

﹃ 兵 庫 県 漁 業 慣 行 録

﹄ の 記 載 内 容 か ら 考 察 し た

︒ そ の な か で

︑ 今 後 の 研 究 課 題 と し て

︑ 延 縄 漁 業 が 有 し た 知 識 を 今 後 も 記 録 し な け れ ば な ら な い 必 要 性 を 提 示 し た

︒ そ の た め に 延 縄 漁 業 者

︑ あ る い は か つ て 延 縄 に 従 事 し 現 在 は 漁 業 を 退 い た 高 齢 者 か ら

︑ 漁 業 形 態 全 般 に つ い て 聞 き 取 り 調 査 を 続 け て い る

︒﹃ 兵 庫 県 漁 業 慣 行 録

﹄ の 刊 行 か ら す で に 一 三

〇 年 近 く 経 過 し て い る 現 在

︑ 長 い 年 月 に わ た る

﹁ 漁 業 誌

﹂ を 構 成 す る こ と は 難 し い が

︑ こ の よ う な 聞 き 取 り 調 査 を 続 け る こ と は

︑ 年 代 学 的 把 握 に 必 要 不 可 欠 な 作 業 で あ る

⑵ E 氏 が 居 住 す る の は

︑ 明 石 浦 の 大 西 町 で あ っ た

︒ こ の 町 内 に は 延 縄 漁 業 者 が 集 中 し

︑ 多 い 時 に は 一

〇 隻 の 延 縄 漁 船 が 稼 働 し て い た

︒ 大 西 町 の 漁 業 者 は 現 在 も 共 同 で ノ リ 養 殖 漁 業 に 従 事 し て い る が

︑ そ の 共 同 会 社 に

﹁ 縄 船

﹂ と い う 屋 号 を つ け て い る

⑶ 近 年 で は

︑ 稲 藁 の か わ り に

︑ 厚 み の あ る 合 成 樹 脂 製 の テ ー プ を 貼 り

︑ こ こ に 針 を か け る よ う に し て い る

⑷ E 氏 に よ れ ば

︑ 明 石 浦 で は

︑ ガ シ ラ

︵ カ サ ゴ

︶ の こ と を メ バ ル と も 呼 ん だ

︒ し た が っ て

︑ こ の 延 縄 を ガ シ ラ 縄 で は な く

︑ メ バ ル 縄 と 呼 ん だ

︒ 幹 縄 に 三 尋

︵ 四

・ 五 メ ー ト ル

︶ 間 隔 で 枝 縄 を つ け た

︒ 枝 縄 の 長 さ は 約 二 メ ー ト ル で あ っ た

︒ 釣 針 は 九 分 か

兵 庫 瀬 戸 内 に お け る ア ナ ゴ 延 縄 漁 の 終 焉

四 四

参照

関連したドキュメント

[r]

“being careful not to be hurt by their friends” and “being careful not to hurt their friends.” A survey that measured friendship, concern for others/discreteness, sense

[r]

cludes study of interfaee processes on maero- and micro-seales. Application of electron microseopy to the study of sulfides and sulfate complexes in atmospheric dust, in acidic

et al.: Sporadic autism exomes reveal a highly interconnected protein network of de novo mutations. et al.: Patterns and rates of exonic de novo mutations in autism

  BCI は脳から得られる情報を利用して,思考によりコ

TRIP : Transformation induced plasticity HTSS : High tensile strength steel DP : Dual phase.. ERW : Electric resistance welding HAZ : Heat

PAR・2およびAT1発現と組織内アンギオテンシンⅡ濃度(手術時に採取)の関係を