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偽証罪における実行と危険

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(1)根. 威. 彦. 偽証罪における実行と危険. 六三. しかし︑偽証罪の本質・処罰根拠に関しては︑ 犯罪・違法性の実質をめぐる学説の対立を反映して︑必ずしも意見. は姿を消している︒. においては︑これを宗教犯罪︑ 偽造罪︑詐欺罪等の一種と解する立法・学説も見られたが︑現在ではそのような見解. 偽証罪︵刑法一六九条︶ の保護法益が国家の審判作用であることについては︑今日ほとんど異論がみられない︒過去. 曽. 偽証罪における実行と危険 −刑法における実行と危険・その一ー. はじめに. 語. じめに. 結. 偽証罪における故意. 偽証罪における危険. ﹁虚偽の陳述﹂の意義. 五四三二一 は.

(2) 早法六三巻三号︵一九八八︶. ︵1︶. 六四. の一致をみるには至っていない︒﹁義務違反﹂としての犯罪観を採る立場と︑﹁法益侵害﹂としての犯罪観を採る立場. との対立がこれである︒前説は︑偽証罪を宣誓・供述義務違反罪と捉え︑後説は︑これを審判作用の適正を害する. 罪と解する傾向にある︒この︑義務を強調する立場と法益を強調する立場の対立は︑特に偽証罪の実行行為である ︵2︶ ﹁虚偽の陳述﹂にいう﹁虚偽﹂の意義をめぐる主観説と客観説の対立と結び付けて議論される︒主観説の論者は︑供. 述そのものの意義を追究し︑自己の体験に基づく主観的記憶を述べることだけが供述者の義務であって︑これに違反. する行為が偽証であると主張し︑客観説の論者は︑客観的な真実に反する事実の供述が﹁虚偽の陳述﹂であって︑そ れによって初めて審判作用の適正を害する危険が生ずる︑と説くのである︒. もっとも︑義務違反を強調する論者も︑今日︑偽証罪を形式犯的に理解して︑およそ法益侵害の危険のないところ. にも犯罪の成立を認めようとしているわけではなく︑宣誓した証人による虚偽の供述はそれだけで審判作用を害する ︵3︶ 危険を生ぜしめるから犯罪として処罰しうる︑と解しているのである︒その限りで︑主観説も偽証罪が危険犯である. ことはこれを認めており︑主観説と客観説の対立も︑法益侵害の﹁危険﹂をどのように理解するかという︑危険概念. の把握の仕方に関する争いに移ってぎているといえよう︒抽象的危険犯的に捉えるか︑具体的危険犯的に捉えるか︑ という対立がこれである︒. 主観説と客観説とは︑このように﹁虚偽の陳述﹂の意義︑偽証罪の危険犯としての性格について見解が対立してい. るが︑﹁虚偽の陳述﹂︑すなわち偽証罪の実行行為の確定︵構成要件該当性︶がただちに行為の危険性︵違法性︶を. 決定すると解している点では︑共通の理解に立っているのである︒逆に言えば︑偽証罪をめぐる違法観の対立がその.

(3) ままの形で﹁虚偽の陳述﹂の意義をめぐる解釈論に持ち込まれているといえよう︒本稿は︑構成要件該当性と違法性. とは相互に独立した固有の意味をもつ犯罪概念要素であると解する見地から︑偽証罪における実行行為と危険概念と の関係について考察し︑併せて故意の問題にも言及しようとするものである︒. ︵1︶内田文昭﹃刑法各論﹄︹第二版︺︵昭五九︶六六一頁︒. ︵2︶福山道義﹁偽証罪における主観説と客観説﹂︵北海学園大学︶法学研究一〇巻一号一五四頁参照︒. O頁参照︒. ﹁虚偽の陳述﹂の意義. 問題の所在. 二. ︵3︶福山﹁偽証罪に関する二つの問題ー宣誓の意義︑供述の実質性﹂︵東北大学︶法学四七巻五号一四一頁︒ 同・前掲法学研究一〇巻一号一七. ︵隔︶. 偽証罪における実行行為である﹁虚偽の陳述﹂の意義については見解が分かれ︑主観説と客観説とが対立してい. る︒主観説は︑証人の主観を基準とし︑自己の記憶に反して陳述することが虚偽であるとするのに対し︑客観説は︑ ︵1︶. ︵2︶. 陳述の内容が客観的真実に反することが虚偽であるとする︒我が国の判例は︑大審院以来一貫して主観説を採り︑多 数説もこれを支持している︒. 通常の場合︑証人の記憶に従った陳述は客観的真実にも合致しており︑反対に︑記憶に反する陳述は客観的真実に. 六五. も反しているから︑主観説と客観説の対立が表面化することはない︒しかし︑次のような場合には両説の結論が異な 偽証罪における実行と危険.

(4) 早法六三巻三号︵一九八八︶. 六六. ることになる︒第一に︑証人が自己の記憶に反した陳述をしたが︑客観的には真実であった場合である︒この場合︑. 主観説によれば偽証であるが︑客観説によれば偽証とはならない︒また︑自己の記憶に反する陳述が客観的にも真実. でなかったとしても︑証人が客観的には真実であると考えていた場合は︑客観説によれば︑虚偽の陳述をするという. 認識︵故意︶を欠くからやはり偽証罪を構成しない︒これに対し︑第二に︑証人が自己の記憶に従って陳述したが︑. 客観的には真実でなかった場合は︑主観説によれば偽証ではないが︑客観説によれば偽証罪の成立する余地がある︒. 主観説は︑かつてその根拠の一つとして︑証人が﹁良心に従って﹂供述するという宣誓形式における言葉の問題に. 結び付けて考えられたこともあったが︑良心に従って供述するという宣誓の言葉によって供述自体が真になったり偽 ︵3︶ になったりすることはない︑ということから︑このような根拠づけは今日影を潜めるに至っている︒そこで︑主観説. と客観説の争いは︑その後︑犯罪の本質観に根差すものとして理解されることとなった︒すなわち︑主観説は︑犯罪. の本質を義務侵害という非理性的−倫理的要素の中にみる立場から︑偽証罪の核心を証人の真実供述義務の侵害の中. に見い出すことになった︒これに対し︑客観説は︑犯罪の本質を法益侵害の中にみる立場から︑偽証罪の不法内容を ︵4︶ 純粋に理性的f合理的に司法作用の侵害または危険化の中にみることになったのである︒しかし︑法と倫理を峻別す. べしとする観点から︑犯罪を純粋に義務違反とみる立場は今日の学説として主張されることはなく︑問題の要点は︑. もっばら︑主観説の主張するように︑自己の記憶に反する証言がはたしてそれ自体で国家の審判作用を害する危険性 ︵5︶ を有するか︑という点に集約されてきているといえよう︒.

(5) 例えば︑大判明治四二年六月八日刑録一五輯七三五頁︑大判昭和七年三月一〇目刑集二巻二八六頁など︒. ︵5︶. 川端博﹁偽証罪における﹃虚偽の陳述﹄﹂植松u川端H曽根H日高﹃現代刑法論争H﹄︵昭六〇︶三五入頁︒. 福山・前掲法学研究一〇巻一号一六七−八頁参照︒. 主観説とその問題点 ︵1︶. 証人の記憶と陳述内容との食い違いを﹁虚偽﹂と解する主観説は︑その主たる根拠を訴訟における証言の意. 偽証罪における実行と危険. 六七. 主観説は︑客観説の主張するように︑証人が︑自己の記憶している事実が客観的真実に合致するか否かを判断して. 識︑経験︑性格等を考慮して自ら決定すべぎ自由心証の問題である︑という理解が前提となっているのである︒. ︵3︶. 期待されているのであって︑その証言が信葱力を有するものであるか否かは︑裁判所が証人の観察.判断能力︑知. 認められることになる︒すなわち︑主観説においては︑証人には自己の記憶している事実をそのまま陳述することが. であるから︑証言は︑証人が五感の作用によって実際に感知したところを正確に再現させるところにこそその意義が. 価値は︑単にその内容の結論的な部分にだけあるのではなく︑証人の実験の内容が全体として評価の対象となるべき. 何を客観的真実と認定するかの問題は裁判所の任務であって証人の任務ではない︑と解するのである︒また︑証言の. ︵2︶. 陳述することによって︑その証言を裁判所による適正な事実認定に資せしめる任務をもつと考えられるのであって︑. 義・機能ないし証人の本質に求める︒すなわち︑証人は自己の実験した事実︑つまり自己の記憶する事実をそのまま. 1. ︵二︶. ︵4︶. 福山・前掲法学研究一〇巻一号一五四頁参照︒. ﹃刑法講義各論﹄︵昭五八︶五七九頁など︒. 21. ︵3︶. 例えば︑団藤重光﹃刑法綱要各論﹄︹改訂版︺︵昭六〇︶九九頁︑大塚仁﹃刑法概説︵各論︶﹄︹改訂版︺︵昭六二︶五八入ー九頁︑大谷実. (( )).

(6) 早法六三巻三号︵一九八八︶. 六八. 陳述することはーたとえ証人が自己の記憶の方が間違いで︑現に陳述する内容の方が客観的真実であると信じてい. たとしてもー︑かえって裁判所の心証形成を誤らせる虞れがある︑と考える︒また︑証言内容が要証事実につき客. 観的事実に一致しても︑証人は自ら実験した事実をそのままに陳述しなければならないのであって︑実験しない事実. を実験したと証言すること自体が虚偽の陳述になる︑と解する︒自己の記憶に反する証言をすることは︑それ自体裁 ︵4︶. 判を誤らせる抽象的危険を常にもっており︑したがって自己の記憶に反する陳述がたまたま客観的真実に合致してい. ても偽証罪を構成することになるのである︒記憶に反する陳述は︑証言の信愚性・証明力を著しく損なうことによっ. て裁判官の心証形成に重大な影響を及ぽし︑ひいては審判作用に悪い結果をもたらす危険性をもっている︑というの. がその理由である︒反対に︑証人が主観的に自己の記憶に忠実に陳述したのであれば︑陳述した事実が客観的な真実. に反して誤りであって︑かつ︑そのことを認識していたとしても﹁虚偽の陳述﹂とはならない︒. 主観説は︑行為者の主観的な心理状態を基準とし︑陳述が虚偽か否かを証人の外部的な陳述と内心の記憶とを比較. して決定しようとするものであるから︑行為者の心理状態は主観的構成要件要素となる︒しかも︑通説の採る違法類. 型論は構成要件を違法性の原則形態と捉えるから︑行為者の心理状態は︑同時に主観的違法要素ともなるのである︒. 主観説に対する批判は︑次の二点に集約されよう︒偽証罪の本質にかかわる問題と実際上の結論にかかわる問. この立場で︑偽証罪は︑内心の体験を表現しないことが犯罪要素となる﹁表現犯﹂の典型と解されている︒. 2. 題とがこれである︒. 第一は︑その犯罪観ないし違法観に対する本質的な批判である︒すなわち︑偽証罪の実体は証人の誠実義務を前提.

(7) とするものであるとしても︑その違反に尽きるものではなく︑審判の適正を危うくする証言の提出を禁ずる点にあ. る︑という見地から︑主観説は︑偽証罪の本質を証人の誠実義務違反と捉え︑客観的事実よりも証人の主観を重視す ︵5︶ る結果︑記憶に反する陳述のすべてに危険を認めることになり︑あまりにも抽象的な危険を問題としている︑と批判. する︒主観説が証人の主観的な記憶そのものを基準とし︑それが客観的な事態︵真実︶を正しく反映しているかどう ︵6︶ かをまったく考慮しないことに対する批判である︒主観説は︑﹁自己の記憶に従って陳述すべき義務に遠反したとい ︵7︶ う︑いわば行為反価値性の一面だけを捉えて処罰する﹂ものであって︑行為者刑法に陥っている︑という批判も同趣 旨のものであろう︒. 以上の点に関し︑主観説の側からは︑主観説も単に真実供述義務違反を根拠にして偽証罪を処罰しようとするもの. ではなく︑あくまでも行為者の記憶に反する事実を供述することによって国家の審判作用に誤りを生じさせる危険・. 虞れを惹起させる点にこそ偽証罪の処罰根拠が存すると解するのであって︑主観説にとっても︑審判作用に対する危 ︵8︶ 険という結果反価値性がきわめて重要な意味をもっている︑という反論がなされている︒しかし︑少なくとも従来の. 主観説が︑例外を認めることなくおよそ自己の記憶に反する証言のもつ法益侵害の危険性一般︵一般的危険性︶を偽. 証罪の処罰根拠と解してきたかぎりでは︑行為無価値︵反価値︶性だけを考慮していることは否定できないであろ うQ. 第二は︑右の点とも関連して︑主観説によると︑証言が自己の記憶には反していたが︑客観的真実には合致してい. 六九. た場合にも︑偽証罪が成立してしまうことに対する批判である︒すなわち︑法廷で真実が語られる以上︑事件の判断 偽証罪における実行と危険.

(8) 早法六三巻三号 ︵ 一 九 八 八 ︶. 七〇. を誤らせる危険はないはずであり︑真実を述べても罰せられるとすることは妥当でない︑というものである︒特に︑ ︵9︶. 自己の記憶が間違っていたと思った場合︑﹁その誤った記憶に従い虚偽だと思う事実を陳述しなければ処罰するとい. うのは不当である﹂とされる︒もっとも︑この点に関しては︑主観説の側から︑﹁記憶ちがいのばあいには︑それな ︵10︶. りの証言をすべきであって︑記憶ちがいが存在しないように記憶に反した陳述をすることは︑⁝⁝国家の審判作用を. あやまらせるおそれがある﹂との反論がなされている︒これは︑偽証罪における故意にかかわる問題でもあり︑四で 詳論することにしよう︒. 3 主観説の問題性は︑﹁虚偽の陳述﹂の意義を自己の記憶に反する陳述と解した点にあるのではなく︑自己の記 ︵11︶. 憶に反するすべての陳述に︑すなわち主観説のいう虚偽の陳述に常に可罰的違法性を認め︑これを偽証罪として処罰. の対象としうる︑と解した点にあるといえよう︒なぜなら︑偽証罪の処罰根拠を国家の審判作用の適正に対する危険. に求めるかぎり︑自己の記憶に反する陳述であっても客観的真実に合致する陳述であれば︑審判作用の適正を誤らせ. ﹁自己の記憶に反する陳述﹂と解し. る虞れがなく︑これを可罰的違法行為として処罰する必要がないからである︒構成要件該当行為である﹁虚偽の陳 述﹂の意義につき︑これを︼般に審判の適正を誤らせる虞れのある行為として︑. たことは︑構成要件のもつ一般的・抽象的性格からして是とすべぎであるが︑個別具体的にも︑記憶に反する陳述を 常に処罰に値する行為と解したところに主観説の問題とすべき点があるのである︒. そこから︑基本的には主観説によりながら︑記憶に反する陳述の内容が客観的真実と一致するとぎには︑客観説と ︵12︶ 同様︑偽証罪の定型性を欠き構成要件該当性がない︑とする折衷説が唱えられることになる︒この見解に対しては︑.

(9) 記憶に反する陳述自体に審判作用の適性を害する抽象的危険を認める主観説の基本思想と相容れず︑この点を回避す. ︵13︶. るために﹁客観的に真実であったこと﹂を処罰阻却事由と解するとしても︑それは現行法の解釈としては無理であろ. う︑との批判がある︒虚偽の陳述も︑客観的真実に反することによって初めて︑その潜在的に有していた国家の審判. 作用の適正に対する危険性が顕在化するのであるから︑後述するように︑﹁客観的真実に反すること﹂はこれを偽証 罪における独自の違法要素と解すべぎである︒. 団藤﹃注釈刑法︵4︶﹄二四七ー入頁︒ルドルフィーは︑その根拠として︑偽証概念の解釈のための出発点を構成するのは︑単にドイツ刑. 法一五三条以下︵宣誓しないでする偽りの供述および偽りの宣誓︶によって保護されている法益だけではなく︑種々の手続規則によって供述. ︵1︶. 嘗すω遂帯誉&ω魯巽閤oヨ筥︒目鶏N琶ωけ琵臓留9昏暑ダω身Nω08&霞円①芦這o︒ρく禽㈱窃僧ψ冨︶︒我が国で︑主観説の論者. 者に割り当てられた立証の役割︑すなわち彼に義務を課している訴訟上の供述義務および真実義務も決定的なのである︑としている︵幻且oり. 川端・前掲論文三五九頁︒. 小松進﹁偽証および証愚浬滅﹂中山口西原H藤木. 宮沢編﹃現代刑法講座第四巻﹄︵昭五七︶三五三−四頁参照︒. により︑刑事訴訟規則一一八条二項︑同一九九条のニニ等が援用されるのも同様の趣旨である︒ ︵2︶. 団藤・前掲﹃刑法綱要各論﹄九九頁︒. ︵3︶. ︵4︶. 中山研一﹃刑法各論﹄︵昭五九︶五三七頁︒. 内田・前掲書六六三頁︑小松・前掲論文四六頁︒. 目高義博﹁偽証罪における﹃虚偽の陳述﹄﹂植松旺川端H曽根目日高・前掲書三五六頁︒. ︵5︶. ︵7︶. ︵6︶. 平野龍一﹃刑法概説﹄︵昭五二︶二八九頁︒. 川端・前掲論文三五七頁︒. 福田平﹃刑法の基礎知識︵2︶﹄︵昭五八︶二六三頁︒. ︵8︶. 中山教授は︑﹁証人が主観的に虚偽と思えば虚偽の陳述となり︑それだけで違法とみることは明らかに行ぎすぎであ﹂る︑としている︵中. ︵9︶ ︵10︶. 七一. ︵11︶. 偽証罪における実行と危険.

(10) 早法六三巻三号︵︸九八八︶ 山・前掲書五三七頁︶︒. 客観説とその問題点. 小松・前掲論 文 四 五 頁 ︒. 七二. ︵2 1 ︶小野清一郎﹃新訂刑法講義各論﹄︵昭二八︶四〇1一頁︒同旨︑青木清相﹁偽証および証愚潭滅﹂﹃刑法講座5﹄︵昭三九︶九一頁︒. ︵13︶. ︵三︶. ︵1︶ 1客観的真実と陳述との食い違いを﹁虚偽﹂と解する客観説は︑主観説が証言の本質︑供述の基本構造に目を向 ︵2︶ けるのに対し︑偽証を犯罪として認定する判断者の立場から供述を捉えなおすことが重要である︑と指摘する︒たし. かに︑供述がその性質上︑供述者の主観を通じて行われることは否定できないが︑単なる主観を刑法の領域で考える ︵3︶. ことは困難であって︑供述が誤っているということが我々の目に見える形で提示されなければならない︑と考えるの である︒. 証人が裁判を誤らせる意思で自己の記憶に反する供述をすることは︑宣誓に違反し︑その心情は悪いかもしれない. が︑内容が客観的真実に合致しているかぎり国家の審判作用が害される︵具体的︶危険は惹起されておらず︑このよ. うな行為をも処罰するのは立法趣旨の限界を超える︒したがって︑国家が刑罰で干渉しうるのはやはり事実が客観的. に虚偽である場合に限られるべきであって︑その場合に初めて︑裁判所が証拠価値の評価を誤る︵具体的︶危険が惹 起される︑と解するのである︒. 客観説は︑偽証罪を危険犯と解するとしても︑これを処罰するためには︑虚偽の陳述が通常国家の審判作用を害す. る一般的危険性を有するというだけでは足りず︑現実に︵具体的︶危険を発生させたことが必要であるとし︑かつ︑.

(11) 客観説に対しては︑主観説の側から次のような批判が提起されている︒. 主観的逢法要素を否定する立場や結果無価値を強調する考え方と結び付いて論ぜられている︒ 2. 第一は︑証人の本質にかかわる批判であって︑客観説によると︑証人は客観的に真実かどうかを陳述すれば足りる ︵4︶ ことになるが︑それはもはや本来の人的証拠としての意義を失い︑鑑定人などと同じということになる︑とされる︒. 特に︑記憶違いの場合︑客観説が︑本当の記憶をそのまま述べればわれながら不合理なことを述べるものだと思い︑. 自己流にその記憶の内容を是正して陳述する行為を偽証でないとするなら︑それは不当である︒なぜなら︑その陳. ︵5︶. 述はもはや記憶に基づくものではなく︑その記憶を加除・捏造したまったく別個の事実を述べることになるからで ある︑とする︒. 第二に︑客観説が現実に危険の発生することを要求している点に関し︑これは偽証罪を一種の具体的危険犯と解す. るものであり︑自己の確信に反する供述がたまたま当該事件に関して客観的事実に合致していたとしても︑そのよう ︵6︶ な陳述を許容すれば審判の適正を誤らせる危険がいっそう増大する︑と批判する︒これは︑どのような危険に対し国. 家刑罰権が介入すべきかということにかかわる問題であるが︑この点については三で詳論する︒. 第三に︑客観説によれば︑証人が自己の記憶に反する事実をそれにもかかわらず真実と信じて陳述したときは︑そ. れが真実でなかったときも故意を欠くものとして無罪としなければならない︒つまり︑証人が自己の記億に反するこ. 七三. とを知りながら客観的に虚偽の事実を陳述したとぎもなお無罪とされる結果になるが︑これでは︑客観説が偽証罪の ︵7︶ 立法趣旨から立論しながら︑その立法趣旨に反する結果を生み出すことになる︑と批判する︒この点は︑偽証罪の故 偽証罪における実行と危険.

(12) 早法六三巻三号︵一九八八︶. 意にかかわる問題であり︑四で詳論する︒. 七四. 3 客観説の問題性は︑私見によればむしろ︑証人が自己の記憶︵A︶に従って﹁A﹂と供述したが︑客観的には. 誤りでBが真実であった場合︑客観説によると︑客観的に真実でない事実︵A︶を供述したという理由で︑自己の記 ︵8︶. 憶に従って陳述したにもかかわらず︑偽証罪として処罰する可能性が生ずるという点にある︒この場合について︑偽. 証罪の成立に必要な故意を欠くから本罪を成立させない︑という反論もあるが︑それは︑証人が客観的にもAが真実. であると誤信していた場合に限られるのであって︑客観的にはAが虚偽であってBが真実であると知りつつ︑自己の. 記憶に従って﹁A﹂と供述したときは︑客観説によるかぎり︑やはり偽証罪が成立することになるのである︒しか. し︑自己の記憶に従った陳述をも処罰する余地を残すことには疑問がある︒これは︑客観説が﹁虚偽の陳述﹂の意義. を客観的真実に反することと解したことの結果である︒客観的真実に反する陳述は︑国家の審判作用の適正を害する. 危険があり︑その限りで違法であるとしても︑自己の記憶に従った供述である以上︑﹁虚偽の陳述﹂とはいえず︑偽 証罪の構成要件には該当しないというべきである︒. 客観説を採るものとして︑例えば︑平野・前掲書二八九頁︑内田・前掲書六六三頁︑中山・前掲書五三七頁など︒なお︑基本的には客観説. の立場に立ちながら︑伝聞したにすぎない事実を目撃したと述べたような揚合には︑その点において虚偽の陳述になるとするものとして︑植. ︵1︶. 福山・前掲法学研究一〇巻一号一七一頁︒. 内田教授が﹁言葉の本来の意味からいっても︑客観説が妥当である﹂とされるのも︑同様の趣旨であろう︵内田・前掲書六六三頁︶︒. 松正﹃再訂刑法概論H各論﹄︵昭五〇︶五七頁︒ ︵2︶. ︵6︶大谷・前掲書五八○頁︒. ︵3︶ ︵4︶.

(13) 中義勝﹃刑法各論﹄︵昭五〇︶二九一頁︒. (( )). 見. 吉川経夫﹃刑法各論﹄. つき︑後述︵四︶参照︒. 私. ︵昭五七︶三八七頁︒. 偽証罪における実行と危険. 七五. 性を有する行為が問題とされる構成要件該当性の段階では︑右の意味での偽証を考えておけば十分である︒したがっ. 体国家の審判作用を害する一般的危険性を有しているといえる︒犯罪論体系の問題としても︑法益侵害の一般的危険. 構成要件要素となるわけではない︒また︑記憶に反する陳述は︑通常︑客観的真実にも反するのであるから︑それ自. ︵1︶. の食い違いは︑後述のように︑偽証罪の成否にとって重要な意味をもつが︑だからといってそれが必然的に偽証罪の. 客観的真実に合致していることは︑国家の審判作用にとっては重大な関心事であり︑したがって陳述と客観的真実と. 験し記憶している事実をありのままに述べれば︑それで証人としての責務を果たしたと解すべきである︒供述内容が. とを要求することになるが︑それは一私人たる証人に対するものとしては過度の要求というべきであろう︒自己が実. に思われる︒客観説は︑結果において︑証人に供述の内容が客観的な真実に合致するかどうかを判断して陳述するこ. の陳述﹂と解すべきである︒訴訟の場で証言のもつ意義・機能を考えるなら︑従来の客観説の理解は妥当でないよう. 偽証罪の実行行為である﹁虚偽の陳述﹂の意義自体については︑主観説の説くように︑﹁自己の記憶に反する事実. ︵四︶. ︵8︶. 問題からはずして1消極的処罰条件とするほかないであろう︒しかし︑これは少なくとも解釈論としては困難である﹂とされる︒この点に. 団藤・前掲書九八頁︒さらに︑団藤博士は︑﹁かような結論を回避しようとするなら︑陳述が客観的真実に合致することをー構成要件の. 75.

(14) 早法六三巻三号 ︵ 一 九 八 八 ︶. 七六. て︑自己の記憶に合致した陳述は︑たとえ客観的真実に反しておりその限りで違法であるとしても︑偽証罪の構成要 件には該当しないのである︒. しかし︑他面︑構成要件に該当する行為が常に違法だというわけでもない︒そのことは偽証罪についても当てはま. る︒証人が自己の記憶通りに陳述すればよいということと︑記憶に反した陳述をした場合に偽証罪を構成するかとい. うこととは︑別個の問題である︒自己の記憶に反する陳述が国家の審判作用を害する危険を有するものとして違法と. ﹁虚偽の陳述﹂の意義に関する問題と偽証罪の. なるのは︑客観説の説くように︑それが客観的真実にも反している場合だけである︒偽証罪の処罰根拠はまさにこの 点に求められる︒主観説・客観説を問わず︑従来の学説の問題性は︑. 処罰根拠の問題とを混同し︑これを直結させていた点にある︒すなわち︑主観説は︑証言の本質に執着するあまり︑. 国家の審判作用を害する現実の危険が発生しない場合にも偽証罪の成立を認めざるをえなかったし︑他方︑客観説. は︑偽証罪の処罰根拠に固執して︑﹁虚偽の陳述﹂の意義に関し証人に過大の負担を課することになったのである︒. ﹁虚偽の陳述﹂の意義の問題と偽証罪の処罰根拠の問題とは︑一応これを切り離して考える必要がある︒﹁虚偽の陳. 述﹂の意義自体については主観説的に捉えつつ︑客観説の意図は違法論においてその実現を図るべぎである︒証人の. 主観的記憶は︑︵主観的︶構成要件要素ではあっても︑けっして︵主観的︶違法要素ではない︒﹁客観的真実に反する こと﹂を偽証罪の独自の違法要素と解すべきである︒. とって個々の揚合に意義がなくなるということを意味しない︒司法の利益において︑これに従うということは章全体にとりより高い意義があ. ︵1︶ヴィルムスは︑﹁主観説に従うことは︑いずれにせよ︑客観的真実が︵ドイツ刑法︶一五三条以下を適用しなければならない刑事裁判官に.

(15) 1. ㈱5ω.ω ︒ 旨 O ︶ ︒. 偽証罪における危険. >象一︒. り︑それゆえ客観的真実はこれらの規定の適用に際し︑常に視野に入れられなければならない︒しかし︑だからといってそれが法技術的な. <o﹃. 意味での構成要素であることを必要とするわけではない﹂と述べている︵≦罠目p■臥冨蒔醇国o旨営雪3び誓寅齢89浮8F峯. 三. 偽証罪が国家の審判作用を保護法益とする危険犯であると解する点では︑今日︑主観説も客観説と同様の理解. に立っている︒ただ︑主観説は︑証人が自己の記憶に反して陳述するときはすでに司法作用を害する一般的・抽象的 ︵1︶. 危険が存在し︑ただちに行為が可罰的となるとするのに対して︑客観説は陳述内容が客観的真実に合致する以上当該. 事件の審判を誤らせる具体的危険が無いから処罰の必要はない︑と主張するのである︒そこで︑一般に︑主観説は偽. 証罪を抽象的危険犯と捉え︑客観説はこれを具体的危険犯と捉える︑と理解されている︒しかし︑抽象的危険の内容. いかんによっては︑後述のように︑主観説に対する理解も一様ではなくなってくるし︑客観説に立ちつつ偽証罪を抽 象的危険犯と解する立場もある︒. ︵3︶. 他方︑偽証罪における危険をめぐる問題は︑虚偽とされる陳述の重要性を要件とすべきか︑また︑偽証罪の成立を ︵2︶ 当該審判に影響を及ぼす可能性のある重要事項に関する虚偽の陳述に限定すべきか︑という供述の実質性にかかわる ︵4︶. 問題にも関連している︒通常︑主観説︑したがって抽象的危険犯説は供述の実質性を問題とせず︑客観説︑したがっ. 七七. て具体的危険犯説は実質性を重視する傾向にある︑とされる︒しかし︑虚偽の陳述の意義について主観説を採るべき 偽証罪における実行と危険.

(16) 早法六三巻三号︵一九八八︶. 七八. か客観説を採るべきかという問題と︑虚偽の陳述が当該審判に影響を及ぼす可能性を必要とするか否かという問題と が論理的に結び付くものであるかどうかは︑さらにこれを検討してみなければならない︒. 2 偽証罪が抽象的危険犯であるとされる理由の一つとして︑偽証罪は自己の記憶に反する陳述を為すことにより. 成立する犯罪である︑という主観説の理解が前提とされている︒主観説は︑記憶に反した陳述をしたこと︑その意味. での虚偽の供述をしたこと自体に司法作用を害する一般的・抽象的危険がある︑と考える︒主観説は︑記憶に反する. 陳述自体に審判の適正を危うくする抽象的危険を認めるものであるから︑証言事項のいかんを問わず偽証罪の成立を. 認めるのが思考内容としては一貫しているようにみえる︒しかし︑主観説を採ったからといって︑必然的に供述の実 質性を考慮しない立場に至るわけではない︒. 問題の要点は︑偽証罪︑そしてまた抽象的危険犯と呼ばれる犯罪の実体をどのようなものとして理解するかにかか. っている︒偽証罪を抽象的危険犯と解するとしても︑この抽象的危険性にいかなる方向での性格をもたせるかによっ. て︑偽証罪の把握の仕方が異なってくるのである︒まず︑偽証罪の抽象的危険性は擬制された抽象的危険である︑と ︵5︶ いう考え方を採れば︑虚偽の供述を行えばそれだけで偽証罪が成立することになり︑偽証罪は形式犯に接近する︵擬. 制説︶︒この場合︑何故擬制された危険で足りるのか︑ということが問題となるが︑それは︑擬制説が偽証罪の処罰. 根拠を︑虚偽の陳述が当該具体的事件について適正であるべき裁判を誤らせる虞れがあることにではなく︑虚偽の陳. 述というものが一般的にみてもおよそ裁判の適正を誤らせる虞れがある︑という点に求めているからである︒. 偽証罪について証人が自己の記憶に反する陳述をすればただちに抽象的危険が発生すると解し︑あるいは︑抽象的.

(17) 危険犯を実行行為があれば常に危険の存在が認められる犯罪と解するのであれば︑供述の実質性︑重要性について論. ずる余地はない︒この立場では︑﹁其事項の如何に拘はらず裁判所の訊問に対し虚偽の陳述を為すは宣誓証人として. の義務に違背﹂することであるから︑﹁裁判の結果に何等の影響なき虚偽の陳述に対して﹂も偽証罪は成立すること ︵6︶ になるのである︒. この見解は︑権限ある裁判所の前での虚偽の供述は常に訴訟手続にとって実質的である︑とする考え方と結びつい ︵7︶ ているといえなくもないが︑これは︑実際上は︑実質性を問題としない立場であるといえよう︒偽証罪についてのこ. のような理解︵擬制説︶に対しては︑証人の主観・記憶を過度に強調することは︑偽証罪が危険犯であるだけに主観 ︵8︶ 的要素と危険とが結び付くことになり︑危険の範囲が無限に広がる可能性がある︑との指摘がある︒擬制説に対して. は︑証言事項の如何を問わず虚偽性が認められれば処罰するというのでは︑危険概念をあまりに希薄化することにな. る︑との批判が妥当しよう︒そこで︑主観説を採りつつ︑証言事項の重要性を要件としたり︑司法作用や懲戒作用を ︵9︶ 害する抽象的危険さえもない場合は偽証に当たらない︑とする見解が現れることになるのである︒ ︵10︶. 3 この立場は︑抽象的危険犯説に立ちつつ︑したがって虚偽の陳述が現実に裁判に影響を及ぼしたこと︑または. 影響を及ぼす具体的危険を生じたことは要しないとしながらも︑偽証罪における供述の虚偽性がその訴訟手続にとっ. て何らかの実質的影響をもちうるかどうかという観点を重視する︒例えば︑陳述の内容が当該事件との関連性をまっ. ︵11︶. たく欠いている場合のように︑抽象的危険さえ伴わないような特段の事情がある場合は︑虚偽の陳述は偽証罪を構成. 七九. しない︑と説くのである︵関連性説︶︒﹁虚偽の陳述が全く事件の判断を誤らしむ虞︵抽象的危険︶のない場合には︑ 偽証罪における実行と危険.

(18) 早法六三巻三号︵一九八八︶. ︵12︶. 八○. 本条に関する行為の定型性︑従って構成要件該当性を欠くものと考へる﹂とし︑あるいは︑虚為の陳述は﹁当該事件 ︵13︶. の実体的部分⁝⁝すなわち︑刑事事件についていえば︑刑罰請求権の存在及び範囲の確定に関係ある事項につき存す ることを要すると考うべきである﹂とする︒. ところで︑供述の実質性の程度をその段階に応じて分類すると︑①供述が明らかに争点と関連性がなく︑およそ事. 件の判断を誤り導くおそれのないとき︑②供述が争点と関連しこれに影響を与えうるが︑必ずしも裁判に影響を及ぼ ︵14︶. しうる重要事項に関連しているとはいえないとき︑③供述が重要な事項に関係して争点に密接な関連性をもち︑裁判. に具体的な影響を及ぼしうるとき︑の三つが考えられるが︑このうち︑③の段階での虚偽の陳述は具体的危険であ. り︑②の状況での虚偽の陳述が実質的意味での抽象的危険であるといえよう︒これに対し︑①の段階での虚偽の陳述. は︑擬制という意味での抽象的危険︵虚偽供述のもつ一般的危険性︶を意味し︑実質的にみれば︑抽象的危険すらな い場合である︒. 右の見解︵関連性説︶によれば︑①の明らかに事件の判断を誤り導く虞れのない虚偽の陳述と︑③の裁判に影響を. 及ぼす具体的危険のある虚偽の陳述との中間領域︵②の場合︶が抽象的危険の領域となる︒ここでは︑偽証罪の抽象. 的危険は︑具体的危険に至らない程度の危険と解され︑抽象的危険と具体的危険との差は︑危険の量的程度の間題に ︵15︶. 帰着する︒この意味での抽象的危険性は︑擬制された危険ではなく内容を持ったものであり︑その存否は︑個々具体. 的な判断に委ねられることになるのである︒関連性説が偽証罪の構成要件該当性判断において危険を論ずる意義は︑. 争点に影響のない虚偽供述を偽証から除外しようとすることにあるのであるから︑虚偽の陳述の意義に関連して考慮.

(19) ︵16︶. されなければならないのは︑②の︑虚偽供述が争点に影響を有するかどうかであって︑③の︑供述が重要なものであ るかどうかではない︑ということになる︒ ︵17︶. この︑主観説を採りつつ︑抽象的危険もない行為は偽証罪に当たらないという見解に対しては︑いやしくも記憶に ︵18︶. 反する陳述をすれば﹁常に﹂抽象的危険があるとした前提にそぐわない︑この立場で﹁抽象的危険性さえもない行 ︵19︶. 為﹂とは︑いかなる行為をさしているのであろうか︑主観説の立場から陳述対象によって偽証の成立する範囲を限定. するのは論理が一貫しないのではないか︑ζいう批判がなされている︒しかし︑陳述内容が証人の記憶に反している. か否かという間題と︑それが事件の争点に関連しているか否かという問題とは︑一応別個の事柄に属するものと考え. られるから︑証人の記憶に反している陳述内容も︑それが事件の争点に関連している場合に初めて抽象的危険のある 行為として偽証罪の構成要件に該当する︑と解することはなお可能であろう︒. 4 ﹁虚偽の陳述﹂の意義に関する客観説の立場は︑偽証罪における危険として︑これを具体的危険と呼ぶか抽象. 的危険と呼ぶかは別として︑主観説︵関連性説︶よりも高度の危険︑すなわち上述の③の意昧での危険を要求してい. るように思われる︒例えば︑抽象的危険と解する立場からのものとして︑﹁主観説のような意味における危険までを. 処罰すべきかには疑問がある﹂としたうえで︑﹁供述の内容が当該の事件との間の関連性を欠くことなどによって︑. 事実認定にとって重要性を欠くものであることが明らかであるとぎには︑そのような﹃虚偽の陳述﹄からは︑誤判の. 八一. 抽象的危険が生じたとは言えない︑と解することが可能であろう︒このようなときには︑処罰根拠をなす抽象的危険 ︵20︶ の発生を認めることはできないのであるから︑偽証罪の成立は否定されるべきなのである﹂とするのがある︒もっと 偽証罪における実行と危険.

(20) 早法六三巻三号︵一九八八︶. 八二. も︑右の揚合︑偽証罪の構成要件該当性が否定されるとするのか︑それとも構成要件には該当するが違法でないから 不可罰であるとするのかは必ずしも明らかでない︒. この点︑偽証罪における危険が違法要素であることを明言する見解がある︒すなわち︑﹁偽証罪の違法性は︑司法. 作用︵準司法作用︶に対する﹃危険﹄のなかに求められるべきである︒仮りに︑証人がその﹃誠実義務﹄に反して. ﹃虚偽の陳述﹄にでたとしても︑審判に影響を及ぼす可能性のある重要事項に関する﹃虚偽の陳述﹄でない限り︑危 ︵21︶ 険は微弱であり︑﹃可罰的違法性﹄に欠ける﹂というのがそれである︒しかし︑﹁虚偽の陳述﹂の意義に関して︑国家. の審判作用に対する現実の危険を問題にする客観説の立場からすれば︑審判に影響を及ぽす可能性のない事項に関す. ︵22︶. る陳述は︑客観的真実に反する陳述であってもおよそ﹁虚偽の陳述﹂とはいえず︑初めから偽証罪の構成要件に該当. しない︑とみるべきであろう︒右の場合に違法性を否定した結論は妥当であるが︑これを従来の客観説の立場から基. 偽証罪は︑国家の審判作用を保護法益とする危険犯である︒抽象的危険さえない行為は偽証罪にいう﹁虚偽の. 礎付けることは困難と思われる︒. 5. 陳述﹂ではない︒したがって︑まず︑少なくとも自己の記憶に反する供述が﹁虚偽の陳述﹂として偽証罪の構成要件. に該当するためには︑当該行為が国家の審判作用を害する抽象的危険︵上述の②︶を有していなければならない︒自. 己の記憶に反する供述であって︑かつ︑裁判上の争点に関連してこれに影響を及ぼしうるもの︵抽象的危険行為︶の. みが﹁虚偽の陳述﹂に当たることになる︒けだし︑証言義務の範囲は立証事項により制限を受けるわけであるから︑. 明らかに争点との関連性をまったく持たない供述は最初から偽証罪の構成要件該当性を問題にする余地がないのであ.

(21) る︒しかし︑他面︑抽象的危険行為である虚偽の陳述がすべて︑常に偽証罪として処罰に値するだけの可罰的違法性 を具備しているというわけでもない︒. 自己の記憶に反する供述︵虚偽の陳述︶が争点に関連せず︑それに影響を及ぼしえない場合は︑もとより国家の審. 判作用を害する危険を生じないが︑反対に︑争点に関連し︑それに影響を及ぼしうる虚偽の陳述であっても国家の審. 判作用を害する具体的危険を生ぜしめない場合がある︒自己の記憶に反する供述であっても︑それが審判に影響を及 ︵23︶. ぼしうる重要事項に関連せず︑また客観的真実と合致している場合には︑国家の審判作用に対する具体的危険は生じ. ないのである︒偽証罪固有の違法要素として︑供述内容が審判に影響を及ぽしうる重要事項に関連して客観的真実に. 合致しないこと︵上述の③︶を考慮すべきである︒審判に影響を及ぼしうる重要事項に関連する供述であって︑か. つ︑それが客観的真実に合致しない場合に初めて当該偽証行為は可罰的違法性を獲得することになるのである︒. 小松・前掲論文四五頁︒. (( )). 福山教授は︑﹁供述が実質的であるか否かの判断は︑その供述が争点に影響を有するかにより決定すべきであって︑より広く裁判所に対す. 偽証罪の保護法益である審判作用が軽視される危険性がある︑というのがその理由である︒ 小松・前掲論文四六頁参照︒. 福山﹁危険概 念 と 偽 証 罪 ﹂ 法 学 三 七 巻 三 H 四 号 一 三 頁 ︒. 54. 偽証罪における実行と危険. 八三. る影響の有無によって判断すべきではない﹂とされる︵福山・前掲法学四七巻五号一四九頁︶︒争点に対する重要性の程度をも論ずることは︑. ︵3︶. 能性を認めていた︒. 一頁以下参照︶︒なお︑ドイツ刑法一九六二年草案四四〇条は︑虚偽の表示が本来明白に無意味な事実にかかる場合について︑刑の減免の可. 事件の実質性という観点から偽証罪の成立に限定を加えるという考え方は︑英米法に由来するものである︵福山・前掲法学四七巻五号一四. 21. (( )).

(22) 21. 早法六三巻三号︵一九八八︶ 大判大正二年九月五日刑録一九輯八四四頁︒. 匁﹃刑法各論﹄︹訂正版︺︵昭五九︶三六頁︒. 福山・前掲法 学 三 七 巻 三. 四号五二頁︒. 入四. 内田教授は︑﹁いわゆる主観説では︑記憶に反する陳述にでたことで構成要件該当性が肯定され︑証人義務違反として違法性が認められた. あるまいか﹂とされるが︵内田・前掲書六六五頁︶︑少なくとも従来の主観説からかかる結論を導き出すことは不可能であろう︒. としても︑結局において客観的真実を述べたことになるような場合には︑危険が現実化しなかったものとして︑未遂︵不可罰︶となるのでは. ︵23︶. ︵22︶. 認定する必要がある︑とされる︵前掲書六六五頁︶︒. 内田・前掲書六六四頁︒このような見地から︑内田教授は︑偽証罪が既遂となるためには︑所定の危険性︵違法要素︶に達したかどうかを. 山口厚﹃危険 犯 の 研 究 ﹄ ︵ 昭 五 七 ︶ 二 三 八 頁 ︒. 内田・前掲書 六 六 五 頁 ︑ 註 ︵ 1 ︶ 参 照 ︒. 内田・前掲書六六六頁︒. 中山・前掲書五三七頁︒. 福山・前掲法学三七巻三開四号一三ー二頁︒福山教授は︑小野博士の見解を擬制説と捉えているが︑むしろ関連性説とみるべきであろう︒. ︵16︶福山・前掲法学四七巻五号一五〇頁︒. 佐伯千. 小野・前掲書四一頁︒ここでは︑抽象的危険の存在が不文の構成要件要素とされている︒. 大谷・前掲書五八一頁︒. 団藤・前掲﹃刑法綱要各論﹄一〇〇頁︒. 団藤・前掲﹃ 刑 法 綱 要 各 論 ﹄ 九 九 − 一 〇 〇 頁 ︒. 福山・前掲法学三七巻三匹四号三二頁︒. 福山・前掲法学三七巻三匪四号三八頁︒. 20 19 18 17 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 ((((((((((((((( ))))))))))))))).

(23) 四. 偽証罪における故意. 1 主観説と客観説の対立は︑故意論にも反映される︒主観説では︑陳述内容が自己の記憶に反することの認識が ︵1︶ 故意であるのに対し︑客観説では︑陳述内容が客観的事実に反することの認識が故意である︒. 故意論における両説の対立は︑自己の記憶に反する陳述が客観的にも真実でなかったが︑行為者が客観的には真実 ︵2︶ であると誤信していた場合に際立ったものとなる︒主観説によれば当然に偽証罪が成立するが︑客観説によれば︑陳. 述内容が客観的にも真実でなかったとしても︑真実でない事実を陳述するという認識を欠くため︑客観的には真実で. まず︑主観説の立場では︑証言内容が自己の記憶に反する事実であることの表象・認容が偽証罪の故意の中核. あった場合と同様︑偽証罪とはならないのである︒従来︑客観説に対する批判点の一つがここに置かれてきた︒. 2. をなすことになるが︑記憶が不明確なのにかかわらず明確であるかのように証言する意思も︑やはり記憶に反する事 ︵3︶ 実を証言する意思だということになる︒主観説においては︑自己の記憶に反する事実を証言する意思で足りるから︑ ︵4︶ 本罪の故意が成立するためには︑客観的に真正な事実を熟知していることを要しないのは当然である︒. 主観説が︑たまたま真実に合致していてもおよそ記憶に反することの認識をもって陳述すれば故意が認められる︑ ︵5︶ としていることに対しては︑この場合︑真実に合致した﹁虚偽の陳述﹂の故意を肯定するのは不当である︑という客. 観説からの批判がある︒また︑かりに客観的真実にも合致していなくても︑証人の主観においては︑﹁記憶に反する﹂. 入五. との認識のほかに︑﹁真実を述べる﹂との意図が併存する場合に︑これをなお全体として偽証の故意と呼べるかとい 偽証罪における実行と危険.

(24) ︵6︶. 早法六三巻三 号 ︵ 一 九 八 八 ︶. 八六. う問題もある︒すなわち︑真実と信じて陳述した場合に︑偽証の故意を認めようとするのは不合理ではないか︑とい. う疑問である︒もっとも︑以上の批判は故意論固有の問題というよりも︑むしろ故意の対象としての虚偽の陳述を何. に求めるかの問題であり︑主観説の立場からすれば必ずしも痛痒を感ずるものではないであろう︒しかし︑自己の記. 憶に反しているとはいえ︑﹁真実を述べる﹂という意思を有している証人に対し︑積極的に法秩序に敵対する意思と. 次に︑客観説に従うと︑偽証の故意の存否は︑陳述内容が客観的真実に反するものであることを表象・認容し. しての故意責任を認めることがでぎるか︑という疑問はやはり残るのである︒. 3. ているかどうかによって決まることになるから︑陳述の内容が自己の記憶に反することを認識し︑かつ︑陳述の内容. が客観的真実に合致していなくても︑客観的には真実であると誤信していた場合には︑偽証罪の成立が否定されるこ. とになる︒このように︑客観説が︑証人が自己の記憶に反する事実をそれにもかかわらず真実と信じて陳述したとき. は︑それが真実でなかったときも故意を欠くものとして無罪とすることに対しては︑周知の批判がある︒すなわち︑. そのような見解は偽証罪の立法趣旨に沿うものとはいえず︑かりに客観説の立場に立ちながらこのような結論を回避. しようとするなら︑陳述が客観的真実に合致することを消極的処罰条件とするほかないが︑これは解釈論としては困 ︵7︶ 難である︑というものである︒. この批判に対しては︑客観説の側から︑﹁証人は自分の記憶が間違いだと思ったときは︑真実と信じたところに従 ︵8︶ って証言すべきものなのであって︑それが客観的に虚偽だったとしても処罰すべきではない﹂との反論がなされてい. る︒客観説は︑陳述内容が客観的真実に反することを虚偽と解しているのだから︑その認識がない場合にこれを無罪.

(25) とするのは︑客観説の立場からは必ずしも立法趣旨に反していると断言でぎないであろう︒. 客観説の問題性はむしろ︑証言内容が自己の記憶に反する事実であることの認識がない場合︑すなわち証人が自己. の記憶に従って陳述した場合にも︑客観的に真実でない事実を真実でないと知って証言したときは︑偽証の故意を認. めることになる︑という点にある︒この点も客観説の必然的な帰結ではあるが︑自己の記憶に従った陳述をした場合. 偽証罪の実行行為︵構成要件的行為︶である﹁虚偽の陳述﹂の意義に関して︑自己の記憶に反する事実を陳述. にも犯罪事実の認識があるとして故意責任を認めることにはやはり疑問が残るのである︒. 4. すること︑と主観説的に理解する場合には︑まず︑そのことの認識が要求される︒偽証罪における構成要件要素とし. ての故意︵構成要件的故意︶の問題がこれである︒次に︑﹁虚偽の陳述﹂の意義を主観説的に捉えつつ︑偽証罪の独. 自の違法要素として︑客観説と同様︑陳述の内容が客観的真実に反することを要求する筆者の立場からすれば︑その. 旨の認識が構成要件的故意と共に責任要素としての故意︵責任故意︶を構成することになる︒したがって︑証人が客. 観的に真実でない事実を︑自己の記憶には反するが客観的には真実であると誤信していたときは︑構成要件的故意は. あるが責任故意を欠き︑自己の記憶に反することの認識︵構成要件的故意︶を欠く場合と同様︑不可罰となるのであ る︒. また︑﹁虚偽の陳述﹂の意義として︑本稿のように︑裁判上の争点に関連してこれに影響を及ぼしうる事実につい ︵9︶. て︑自己の記憶に反する陳述をすることをいうと解するときは︑構成要件的故意としても︑その旨の認識が要求され. 八七. ることになる︒すなわち︑ただ単に証言内容が自己の記憶に反することの認識では足りず︑それが裁判上の争点に関 偽証罪における実行と危険.

(26) 早法六三巻三号︵一九八八︶. 八八. 連してこれに影響を及ぼしうる事実に関するものであることの認識も要求されるのである︒さらに︑違法論におい. て︑陳述内容が国家の審判作用に影響を与えうる重要な事実に関連していることが要求される以上︑責任故意の内容. としてもその旨の認識が含まれることになる︒その意味で︑もしその虚偽供述が存しなかったら裁判所は別様な判決 ︵10︶. を下すことになるかもしれないという予見も必要とされなければならない︒虚偽供述を為そうとする意図と司法作用 を現実に害する意図とは必然的に結び付くものではないのである︒. その他に︑法律によって宣誓した証人であるという︑主体性の認識が要求されることはいうまでもない︵内田・前掲書六六三頁︶︒. (( )) 団藤・前掲﹃注釈刑法︵4︶﹄二四八頁︒. 福山・前掲法学三七巻三n四号四七頁︒. 二項︒. この点に関する錯誤︵実質的でないと誤信したこと︶は抗弁︵α無霧︒︶とならないとする立法例として︑アメリカ模範刑法典二四一・一条. 平野・前掲﹃刑法概説﹄二八九頁︒. 団藤・前掲﹃刑法綱要各論﹄九八ー九頁︒. 小松・前掲書 四 五 頁 ︒. 判大正二年六月九目刑録一九輯六八七頁︒. ︵4︶. ︵3︶. 内田・前掲書六六三頁︒. ︵鉛︶. ︵9︶. ︵8︶. ︵7︶. ︵6︶. ︵5︶. 二〇輯六五四頁︶に批判的である︵小野・前掲書四〇ー一頁︶︒. ることの認識があればよいのであって︑それが真実であることを確信していても責任を免れない︑とする判例︵大判大正三年四月二九日刑録. もっとも︑折衷主義的主観説を採る小野博士は︑偽証教唆罪が成立するには︑教唆者において証人をしてその記憶に反する供述を為さしめ. 21. 大.

(27) 五. 結 口口. 連して︑客観的な真実にも反していることの認識が要求されるのである︒ 偽証罪における実行と危険. 八九. ものであること︶の認識︵構成要件的故意︶のほか︑虚偽の陳述が国家の審判作用に影響を与えうる重要な事項に関. なわち︑虚偽の陳述︵証言内容が自己の記憶に反しており︑かつ︑裁判上の争点に関連してこれに影響を及ぼしうる. ほか︑構成要件該当事実以外の事実であって違法性を基礎づける事実︵具体的危険︶の認識がなければならない︒す. 最後に︑責任論においては責任要素としての故意が間題となる︒責任故意が成立するためには︑構成要件的故意の. る︒. の陳述︶が︑国家の審判作用に影響を与えうる重要な事項に関連して︑客観的な真実にも反していることが必要であ. 次に︑違法論においてはもっぱら行為の具体的な危険が問題となるが︑ここでは︑自己の記憶に反する陳述︵虚偽. するものであることの認識が要求される︒. 記億に反する事実であることの認識︑および虚偽の陳述が裁判上の争点に関連してこれに影響を及ぼしうる事実に関. 険行為︶が﹁虚偽の陳述﹂に当たることになる︒また︑主観的な構成要件的故意の問題としては︑証言内容が自己の. は︑﹁自己の記憶に反する陳述﹂であって︑かつ︑裁判上の争点に関連してこれに影響を及ぼしうるもの︵抽象的危. 偽証罪の成立要件については︑次のように考えられる︒まず︑構成要件のうち︑客観的な実行行為の問題として. 蔓左.

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