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― ― 文書偽造罪における名義人の特定について

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(1)

Ⅰ 問題の所在

 文書偽造罪における有形偽造の意義について、以前は、作成権限のない 者が作成権限を逸脱して文書を作成すること、と定義されることが多かっ たが、最近は、判例の言い回しを参考として、人格の同一性に不一致を生 じさせることという定義がもちいられることが多くなってきている。

 近時、こうした表現が用いられるようになってきたのは、名義を偽るこ とこそが、有形偽造において、より本質的な問題であることが明らかにな ってきたからだと思われる。以前よく用いられた、作成権限のない者が作 成権限を逸脱して文書を作成することが有形偽造だ、という表現は、作成 者特定の側からみた有形偽造の本質である。しばしば、人格の同一性に不 一致を生じさせるといった方がわかりやすいからだ、といった説明がなさ れることがあるが、それだけではない。

 ただ、いずれの定義を用いるにせよ、文書の本当の作成者と文書にあら われている名義人とに不一致を生じさせるという意味では、作成者の存在 論 説

文書偽造罪における名義人の特定について

松 澤   伸

Ⅰ 問題の所在

Ⅱ 作成者の特定という作業について

Ⅲ 名義人概念の再構成

Ⅳ 具体例を用いた分析

(2)

が前提とされているといってよい。そして、従来は、“文書の名義人はそ の文書の作成者として文書に接した者が認識する者なのだから作成者の概 念が先行する”とか、あるいは、“文書に接した者が作成者と考える者が 誰かは、文書を見れば明らかなのであるから、問題となるのは文書にあら われていない作成者をどのように把握するかである”、といった理解から、

作成者の特定が、有形偽造の理論における最重要問題とされ続けてきた。

 しかし、近時の判例を読んでいると、名義人の特定を問題とするものが 多くなってきている一方、作成者の特定にはあまり関心を払っていないよ うにも見受けられる。それならば、これを一歩進めて、名義人の特定から アプローチし、端的に、“有形偽造とは公共の信用の対象となる名義を偽 ることである”と定義すること、すなわち、“信用の対象となる他人に

「なりすます」ことが有形偽造である”、という形で理解した方が、有形偽 造の本質に合致するのではなかろうか。―筆者には、以前からこうした 問題意識があり、かつて、拙稿においても触れたところであったが(1)、ごく 最近になって、実務家の論考にもこうした記述がしばしば見られるように なってきている(2)。本稿は、こうした問題意識に基づき、名義人の特定とい う視点から、有形偽造の概念と定義を再構成しようとするものである(3)

( 1 ) 松澤伸「文書偽造罪の保護法益と『公共の信用』の内容」早稲田法学82巻 2 号

(2007年)67頁注41参照。なお、そこで「名義人」とあるのは「名義」の誤りであ る。記して修正する。

( 2 ) たとえば、大塚仁ほか『大コンメンタール刑法第 8 巻』(第 3 版、2014年、青 林書院)59頁〔松田俊哉〕参照。

( 3 ) なお、本稿執筆のきっかけは、法学教室に掲載した「文書偽造罪における『人 格の同一性』」法学教室453号(2018年)41頁以下を執筆する中で、あらためて名義 人の概念について考えたことによる。上記論稿は、学生に対する解説を意図して書 いたこと、また、紙幅に限りがあったことから、踏み込んだ説明をすることのなか った点があった。また、本稿で述べるような理論に執筆期間内に確信を持てなかっ た点もあった。これらの点について、その後、検討を深め、一応の形にしたのが本 稿である。本稿と重なる記述が見られるのはそのためである。

(3)

Ⅱ 作成者の特定という作業について

1  序

 作成者の特定の問題は、私文書偽造罪に関する諸学説の主戦場であり、

これまで、多くの議論が積み重ねられてきた。このうち、通説と呼ばれて きたのが、意思説、すなわち、文書作成の意思の主体をもって作成者と考 える見解である(4)。意思説によれば、問題となる事案において、作成者と名 義人が一致すれば、私文書偽造罪は成立しない、という結論になる。作成 者と名義人が一致するということは、名義人が、作成者の意思を担ってい るということであるから、名義人に対して文書の内容についての信頼を寄 せることができるのであり、文書に対する公共の信用は失われないのであ る。

 そのため、私文書偽造罪の成否が争われる事案というのは、名義人と作 成者の一致・不一致が争われる事案ということになる。そうして、名義人 との不一致を生じさせたところの作成者が、私文書偽造罪の実行主体とし て(すなわち被告人として)法廷に登場するのが通常だということになる。

―このように述べると、なにを当然のことを述べているのか、と思われ るかもしれない。確かに、人格の不一致を生じさせた者、すなわち被告人 あるいは文書偽造罪の実行者は、通常の場合は、文書の作成者である。し かし、意思説に従った場合、そうならないと思われる場合もある。たとえ ば、「名義人の承諾」として知られる事例がこれである。

( 4 ) 反対説は事実説(行為説、物体化説ともいう)である。現在はほとんど主張さ れていないが、基本的に事実説から出発する見解として、山中敬一『刑法各論』

(第 3 版、2015年、成文堂)303頁以下、高山佳奈子「文書の名義人」山口厚編『ク ローズアップ刑法各論』(2007年、成文堂)228頁以下。

(4)

2  名義人の承諾事例における作成者

 周知の事例であるが、名義人の承諾事例とは、以下のようなものであ る。

 事例( 1 ):交通違反をした甲は、そのような場合に備えてあらかじめ 同意を得ていた A の名前で、交通事件原票中の供述書欄の末尾に署名し た。

 こうした事例について、判例(5)は、私文書偽造罪の成立を肯定している。

その理由は、「交通事件原票中の供述書は、その文書の性質上、作成名義 人以外の者がこれを作成することは法令上許されないものであって、右供 述書を他人の名義で作成した場合は、あらかじめその他人の承諾を得てい たとしても、私文書偽造罪が成立する」というものである。

 この判例では、誰が作成者となるのかについて、明示的には述べられて いない。しかし、その説示の含意するところを分析すれば、作成者は、甲 ということになろう。本件の調査官解説は、作成者について、「現実に本 件文書を作成した被告人と認めてよいであろう(6)」としている。この考え方 は―調査官自身は「いわゆる観念説によっても」という留保をつけてい るにせよ、実際には―、事実説的な考え方によるものである(7)。佐伯仁志 は、同判例の解説において、「『作成権限』を法律上文書作成が許されてい るかどうかで判断するならば、事実説が違法性段階で行う判断を作成権限 として構成要件段階で行なっているだけで、実質的には事実説と同じ見解 となる。判例の立場は、このような修正された事実説として理解するの

( 5 ) 最決昭和56・ 4 ・ 8 刑集35巻 3 号57頁。

( 6 ) 『最高裁判所判例解説刑事篇昭和59年度』(1985年、法曹会)97頁〔中川武隆〕。

( 7 ) 飛田清弘「判批」研修398号(1981年)49、51頁も同様な説明をするが、その 内容は事実説の論理そのものである。

(5)

が、もっとも実態に近いように思われる(8)」と分析している。

 こうした考え方は、最近の学説においても、共有されているように思わ れる。同事案について私文書偽造罪の成立を認める(すなわち、当該行為 が有形偽造になるとする)高橋則夫は、作成者は甲であるという。すなわ ち、表示内容についての責任の引受けがおよそあり得ないことから、甲が 作成者であると解するのである(9)。しかし、表示内容についての責任の引き 受けがおよそありえないことと、作成者が甲になることは直結しない。作 成者の特定について、意思説が適用できないのであれば、別の理論を用意 しなければならないが、それについては述べられていない。結局、なぜ作 成者が甲となるのかについては、不明なのである。ここでは、事実説的な 発想があらわれているように思われる。

 また、同じく私文書偽造罪の成立を認める山口厚の見解においても、作 成者は甲とされる。山口は、いわゆる替え玉受験事例を例に挙げて説明し ているが、本件でも同じである。すなわち、「一定の状況を前提として作 成される文書については、そうした前提条件を充足しない文書の作成名義 人に意思・観念の表示を帰属させることが許されないため、私文書偽造罪 となると解すべきである」とし、「替え玉受験の場合には、答案の作成名 義人は出願者 A であるが、替え玉受験生 B が作成した答案は A に帰属さ せることはできない(10)」とするが、その論理を用いれば、本件の名義人は承 諾を与えた A であり(答案作成の承諾を与えた出願者 A に対応)、作成者は 甲だ(実際に答案を作成した替え玉受験生 B に対応)、ということになる(11)。 しかし、ここでも、なぜ甲が作成者となるのかについては、説明がなされ

( 8 ) 佐伯仁志「判批」『刑法判例百選Ⅱ各論』(第 4 版、1997年、有斐閣)177頁。

( 9 ) 高橋則夫『刑法各論』(第 3 版、2018年)549頁。

(10) 山口厚『刑法各論』(第 2 版、2010年、有斐閣)466頁。

(11) なお、山口「文書偽造罪の現代的展開」山口厚ほか『理論刑法学の最前線Ⅱ』

(2006年、岩波書店)165頁では、「一定の状況・属性を満たさない作成名義人には

…一定の状況・属性を満たす現実の作成者との間で人格の同一性に齟齬が生じるこ とになるのである」と説明されているが、この記述からも、作成者は甲という帰結 が導かれる。

(6)

ていない。有形偽造であるとする以上、名義人と作成者に不一致が生じて いる必要があるが、だからといって、A に帰属させることができないか らという理由から、おのずと作成者が甲になる、という結論を引き出すこ とはできないであろう。ここでも、事実説的な発想がとられているのであ る。

 要するに、判例や、高橋・山口の見解は、A に文書に表示された観念 の帰属ができない場面であるということから、この場面においてのみ、事 実説の考え方にシフトしている(12)。これは、いわば意思説と事実説の併用と いうことになるが、もしそのような併用を認めるのであれば、それについ て、理論的な説明が求められることになる(13)

 やはり、意思説を適用すれば、作成者は A になるであろう。そして、

意思説の立場からすれば、そもそも、この場合には、有形偽造とはならな いはずである。なぜなら、A は甲が自分の名義を用いることを承諾して おり、自己の意思を文書に表示させる意思を有しているからである。この ような場合、意思説によれば、意思の主体が作成者として把握されるので あるから、当該文書の作成者は A であり、名義人も A であることにな り、作成者と名義人の不一致は生じておらず、人格の同一性は偽られてい ないため、有形偽造とはならない、という結論に至るのが論理的なのであ る。現に、意思説を採用する学説の多くは、判例の結論に反対している(14)

(12) こうした状況について、今井猛嘉ほか『刑法各論』(第 2 版、2013年、有斐閣)

367頁〔今井猛嘉〕は、判例をそのままの形で支持する学説の説明を、「修正された 物体化説である」と論評するが(物体化説とは本稿でいう事実説である)、極めて 正当な指摘である。また、野村稔編『刑法各論』(補正版、2002年、青林書院)319 頁〔酒井安行〕が、「こうした文書では『行為説』が妥当するとすることになる」

と分析しているのも(行為説というのも本稿でいう事実説である)、事態の正確な 認識ということができる。

(13) 酒井「作成者・名義人の概念とその承諾」現代刑事法35号(2002年)42 頁参 照。

(14) たとえば、林幹人『刑法総論』(第 2 版、2007年、東京大学出版会)354頁、伊 東 研 祐『刑 法 講 義 各 論』(日 本 評 論 社、2011年)312頁、 松 原 芳 博『刑 法 各 論』

(2016年、日本評論社)450頁等。

(7)

 しかし、近時、意思説を前提として―すなわち作成者を A としたう えで―、本件について、有形偽造の成立を肯定する構成が提案されてい る。西田典之は、「交通事件原票は交通違反行為の現場で……作成される ことが予定されている。だとすれば、これらの文書の名義人は、単なる

……」A「……ではなく、警察官により違反者として認定された……」A

「……だといわねばならない。したがって、……意思説の意味では……」

A「……が作成者であるとしても、そこではなお名義人と作成者の同一性 が偽られているから本罪の成立を認めてよいように思われる(15)」とする。こ の見解によれば、名義人は“警察官により違反者と認定された A”であ り、作成者は“違反行為を行なっていない A”である、ということにな る。意思説からすれば、この事案を有形偽造と構成するには、このような 構成しかあり得ないであろう(16)

 しかし、ここにまた新たな疑問が生ずる。当然のことであるが、ここで は、作成者(違反行為を行なっていない A)と私文書偽造の実行者(甲)と は一致していない。被告人甲は同時に作成者であるという直感(17)は維持でき ないことになる。それでも直感を重視すると、すでに放棄された事実説に 陥ってしまう。意思説の理論を推し進めると、甲は無罪となるか、あるい は、作成者と文書偽造罪の実行者がズレて把握されることになってしま う。実際に、本件において、作成者として把握される「違反行為を行なっ ていない A」は―偽造文書を作成した者のはずなのに―訴追されて いない。

(15) 西田典之(橋爪隆補訂)『刑法各論』(第 7 版、2018年、弘文堂)398頁。

(16) こうした理解については、もちろん、もはや意思説ではない、という位置付け の仕方もありうる。同旨の見解をとる今井は、観念説の中の、いわゆる責任追及説 として位置付ける(今井ほか・前掲注(12)〔今井〕344―345頁)。ただ、どういう 呼び方をするにせよ、事実説によらない形で本判例の結論を根拠づけるには、―

従来の議論を前提とする限り(本稿は、のちに別の構成を提案するが、それについ ては後述Ⅳ 2 参照)―おそらく、この構成しかないように思われる。

(17) きわめて自然なこの感覚が、判例や高橋・山口の見解の根底におかれていると 思われる。

(8)

 ある意味で、さらに重要なのは、この事例においては、結局、作成者が 誰かを特定しなくても、有形偽造であると判断することができる、という ことである。事実説をとっても意思説をとっても、結論的に、本件を有形 偽造と判断することができる。意思説をとる学説が、急に事実説を併用し ても問題は生じない。意思説を推し進めても、これを有形偽造とする構成 が十分に考えられる。事実説と意思説が、本来は全く異なる学説であるこ とを考えれば、これは驚くべき帰結である。

 すなわち、この議論を追ってきてわかるのは、①意思説から作成者を特 定しようとすると、作成者と文書偽造罪の実行者が一致しなくなる(作成 者概念がすでにその本質的な内容を失っている)こと、②作成者を決めなく ても偽造であることがわかる、ということ、である。

3  意思説の破綻と作成者概念

 意思説の理論の側面から、同じ問題を見てみることにしよう。

 意思説は、作成者特定において、重要な意味を持った学説であったが、

もともと、意思説における“意思”の意味はそれほど明確ではなかった。

この点、わが国では、それを法的効果の観点から再構成する規範的意思説 がまず有力となった(18)。規範的意思説というのは、意思の内容を規範的にと らえて、事実として文書作成意思がなくとも、文書の法的効果が帰属する のであれば、それをもって作成者ととらえる見解である。意思の存在につ いて規範的擬制を認める意思説ということができる。法的効果に着目する ので、効果説と呼ばれることもある。

 わが国で規範的意思説がまず有力となった理由のひとつとして、かつて の判例の立場(あるいは判例の説示)とうまく符合するということがあげ られるであろう(19)。一時期、規範的意思説は、通説と呼べるほどの支持を集

(18) 平野龍一「文書偽造罪の二、三の問題」『犯罪論の諸問題(下)』(1982年、有 斐閣)400頁以下等。

(19) 代表的な判例として、大連判大正11・10・20刑集 1 巻558頁。

(9)

めた時期があった。しかし、規範的意思説には致命的弱点があった。法的 効果が問題とならない事実証明に関する文書を(ほぼ)念頭に置いていな いため、その場面での適用において、破綻が生じるのである。すなわち、

事実証明に関する文書については、効果の帰属が判断できないため、規範 的意思説は適用不可能なのである。仮に、この場合に、効果帰属が判断で きないことを理由に有形偽造を認めると、事実証明に関する文書について 内容虚偽の文書を作成すれば、すべて有形偽造となってしまう(20)。こうし て、規範的意思説を支持しえないことは明らかになった。

 そこで、より本来の意味での意思の存在を強調する事実的意思説が現れ

(21)た

。事実として文書作成の意思が存在したことをとらえて、その意思を持 っていた者を作成者とするのが事実的意思説(意思が事実として存在するこ とを要求する純粋な意味での意思説)である。確かに、事実的意思説には規 範的意思説が直面した問題は生じない。しかし、本人が表示意思を持って いることを前提として議論を組み立てるため、本人においておよそそうし た意思が認められない場合に破綻が生じることになる。たとえば意思能力 を欠く者についての法定代理はその典型例であろう。この場合、本人が表 示意思=事実的意志を持ち得ない以上、本人を作成者とすることはできな い。しかし、文書に接した者は、本人を名義人だと認識するであろうか ら、そこで、作成者と名義人との間に不一致が生じ、有形偽造ということ になってしまう。

 こうして、意思説によらない(22)作成者特定の理論が必要となった。今井猛 嘉による責任追及説は、その理論のひとつであり、また、山口厚による帰 属説も、そのひとつである。責任追及説は、作成者の特定にあたり、作成

(20) 林「有形偽造の新動向」『田宮裕博士追悼論集上巻』(2001年、信山社)460頁 以下参照。また、松澤・前掲注( 1 )42頁以下。

(21) 二つの意思説の違いを指摘し、事実的意思説を主張したのは、林「有形偽造の 考察」『現代の経済犯罪』(1989年、弘文堂)119頁以下。

(22) なお、従来、意思説と同様な意味で用いられてきた観念説あるいは精神性説と いう呼び方は、その表現が意思に偏っていないため、維持することが可能である。

(10)

意思に頼らず、法的な責任が追及される主体をもって、作成者として理解 する。すなわち、責任追及説によれば、作成者とは、「文書を作成したこ と自体に関する法的責任を追及される者(23)」である。また、帰属説も、作成 意思ではなく、文書の帰属主体に着目する。帰属説によれば、作成者と は、「文書上表示された意思・観念が客観的に帰属する主体(24)」である(25)。  しかし、ここまでくると、作成者という概念の語感から、かなり距離が 感じられるようになる。法的責任の主体あるいは帰属の主体といっても、

それがその文書の作成意思と無関係となれば、そもそも、作成者は、“意 思表示を文書に固定化させた者”(従来の通説的見解)とは定義され得なく なるであろう。責任追及説や帰属説においては、そうした者を、そもそ も、作成者と呼んでよいのかどうかが問われなければならない。

4  作成者概念の限界

 従来の理論は、近時の判例にあらわれている有形偽造の理解としても、

古くなってきているようにも思われる。すなわち、近時の判例のいうとこ ろの“人格の同一性を偽る”ということは、実質的には、“別人格の者に なりすます”ということであり、ここでは、作成者が誰かということより も、“なりすまし“とはなにか、ということの意味が問われるのである。

 そこで、作成者概念の定義付けを一旦ペンディングし、“なりすまし”

ている名義人の観点から、新たな理論を構築する必要があるように思われ る。判例をより実態に即した形で理解するには、文書偽造罪の保護法益 を、文書に接する者の公共の信用と解する観点から、文書に接する者が最 初に出会う信用の対象、すなわち、名義人の視点から、有形偽造の概念を

(23) 今井ほか・前掲注(12)〔今井〕347頁。

(24) 山口・前掲注(11)159頁。

(25) 責任追及説や帰属説の示した方向性は、最近の見解においても支持されてお り、たとえば、成瀬幸典は、「文書に表示された意思・観念の規範的帰属主体」と 定義する(伊藤渉ほか『アクチュアル刑法各論』(2007年、弘文堂)362頁〔成瀬幸 典〕)。

(11)

組み立てる方法が必要であろう。すなわち、有形偽造の理解の新たなルー トとして、名義人の側からこれにアプローチし、最終的に、作成者概念を 問題としない(作成者概念を放棄する)、という方向性を考えるのである。

 以下の理論は、こうした問題意識から組み立てた一つの仮説である。も ちろん、仮説ではあるが、ヴァリッド・ロー(26)を最も適切に記述するもので あると―現状において―考えるところである。

Ⅲ 名義人概念の再構成

1  問題点

 名義人の定義は、“文書の作成者として認識される人格主体”とされて きた。文書に接した者が、その文書の作成者であると認識する人格主体が 名義人である、といってもよいであろう。そこでは、人格が特定されれば よいのであるから、文書上において、人格を特定する記載があれば、それ を根拠にして名義人が特定されることになる。そして、その最も基本的な ものは、自然人であれば氏名であり、法人その他の機関であれば名称であ る、ということになろう。

 ここで、仮に、氏名・名称が人格特定の決定的な情報であると考えてみ よう。そうすると、肩書を冒用した場合(たとえば弁護士でない者が弁護士 と書いた場合、あるいは、法学博士でない者が法学博士と書いた場合)は、文 書にあらわれている氏名と本人の氏名が一致するのであるから、すべて偽 造ではない、ということになりそうである。逆に、偽名を用いた場合(た とえば限られた範囲で通用する通名を用いた場合、あるいはペンネームを用い た場合)は、文書にあらわれている氏名と本人の氏名が一致しないのであ

(26) ヴァリッド・ローとは、裁判官のイデオロギーを言語化し構成したものをい う。詳細は、松澤『機能主義刑法学の理論』(2001年、信山社)117頁以下及び273 頁以下参照。

(12)

るから、すべて偽造である、ということになりそうである。

 しかし、こうした形で一律に判断するのは妥当ではない(上掲例の前者 と後者を比較されたい)。名前・名称は、人格特定の最も基礎に置かれるべ きものであるが(文書に接した者が最初に見るのは名前・名称なのであるか ら)、それ以外の事情も、人格特定について重要な意味を持つ場合がある と考えられる。

 この点は、従来も指摘されてきたことである。すなわち、名前・名称 は、名義人を特定する際、通常それによって名義人を知りうるものとして 利用されるものである。しかし、決定的な情報ではない。それはあくまで

「人を特定するためのいわば符徴にすぎないのであって、符徴(氏名)と その符徴によって特定される人格者とは必ずしも常に一致するわけではな い」。すなわち、名義人とは、「文書に記載された氏名、文書の内容、筆跡 など、その文書自体から知り得られる特定の表意者のことであって、氏名 そのもののことではないのである(27)」。

 こうして、文書自体から知ることのできる名前・名称、その他の情報に より、一定の人格を特定するわけであるが、それらによる特定度が不十分 な場合はどうするか。その場合は、「文書外の知識・情報を援用しなけれ ば一定の人格が特定され得ない場合(28)」となる。このことを指摘する伊東研 祐は、これを、「文書外在的情報の利用」という形でいいあらわしており、

学説はその「一般あるいは類型的準則の定立」に取り組んでいくべきであ るとする(29)

 こうした考え方を推し進めていくと、現在の文書偽造罪の理論は、有形

(27) 江家義男「代理資格の冒用と文書偽造」早稲田法学30巻(1955年)492頁。

(28) 伊東「偽造罪」芝原邦爾ほか編『刑法理論の現代的展開―各論』(1996年、日 本評論社)321頁。なお、伊東は、「そのような知識の使用は許されないとする見解 は恐らく存在しないと思われる」(同頁)としており、こうした認識が、理論にお いても実務においても、一般に共有されていることを示唆している。

(29) 伊東・前掲注(28)325頁。なお、最近でも、山科麻衣「文書偽造罪における

『人格』の偽りと重要な属性」法学会雑誌(首都大学東京)56巻 1 号(2015年)695

(13)

偽造に無形偽造の一部を取り込んでいるが、その限界を定めることが重要 になる、と理解されるようになるであろう(30)。しかし、仮に、ここで構築さ れている理論が、無形偽造を有形偽造の中に部分的に取り込んでいくもの なのだとすれば、それは形式主義を潜脱するものとして、許されないであ ろう(31)。そうではなく、有形偽造の判断において文書外在的事情が考慮され る論理を説明できると同時に、その外在的事情がどのようなものであるか についてまで演繹的に導き出せる理論を、新たな有形偽造の理論として組 み立てる必要があるのである。

2  解決

 文書偽造罪の保護法益は何か。文書に対する公共の信用である。そうだ とすれば、公共の信用が裏切られたとき、文書偽造罪が成立する、という のが一番シンプルで当然の考え方といえる。

 ところで、公共の信用の内容とは何か。これ自体が争いのあるところで あるが(32)、それは、ヴァリッド・ローとしては、文書に接した者一般がその 頁以下は、同様の趣旨を前提として、名義人の属性という観点から問題を整理し、

名義人の属性として考慮してよいものにはどのようなものが含まれるか、その意義 と限界を検討している。

(30) 伊東のいう「(取って付けたような)名義人属性を取り込むことによって(不 合理な?)処罰欲求の形式的な正当化をしているだけのように思われる」(伊東・

前掲注(28)323頁)という表現には、そのような趣旨が見うけられる。

(31) むしろ、その場合は純粋に無形偽造であるから無罪という結論に赴くべきであ る。私もそのように見られうる問題設定をしたことがあったが(松澤「文書偽造 罪」伊東研祐=松宮孝明編『リーディングス刑法』(2015年、法律文化社)497頁)、

その問題設定は厳密にいえば妥当ではない。

(32) 近時、公共の信用の内容とは文書が証拠として用いられることができることに 対する信用であるとする証拠犯罪説が主張されており、それが実務とも合致した見 解であるかのように紹介されることがしばしばあるが、有形偽造の理解としてだけ ならともかく、文書偽造罪全体の理解としては、実務とは到底一致していない。そ の理由は多数に上るが(詳細は松澤「作成権限の濫用・逸脱と有価証券偽造罪・文 書偽造罪の成否」立教法学79号(2010年)146頁以下参照)、重要なものを一つだけ あげておくと、証拠犯罪説が証拠となり得ないフォト・コピーの文書性を説明でき

(14)

文書の名義人に対して寄せる信用である、と考えられる(33)。名義人に対して 寄せる信用というのは、名義人が信頼できる人物かとか、そのような意味 ではない。それは、文書に表示されている名義人が、その種の文書に対し て寄せられる信用に鑑みて、その信用を担いうる名義人なのかどうか、と いう意味である。

 文書に接する者は、通常、その文書の名義人が、文書における信用の対 象であると信頼して次の行動を開始する。そこでは、その文書の通常の用 途は何か(誰に対して何を示そうとしているのか)が重要となる。すなわ ち、当該文書が、誰を名宛て人とし、どのような信用を保証しているのか を明らかにしない限り、名義人は特定できないのである。つまり、名義人 の特定とは、当該文書に対する信用の内容を確定するプロセスにほかなら ない。信用の対象となるのは名義人であって、名義人の特定は、それぞれ の文書が担う信用の内容の確定と不可分である。したがって、それは、当 該文書の性質にしたがい、当該文書に寄せられる信用を分析し(34)、個別的・

具体的な検討を経て、行われなければならないのである。

 このように考えた場合、重要なのは、問題となる文書に対する公共の信 ないことにある(フォト・コピーを「文書」と解するのは周知のように確立した判 例である)。最近、フォト・コビーの文書性について、「偽造罪…を証拠犯罪…と位 置付けるのであれば、コピーが様々な面で証拠として用いられる現状…にも鑑みる と、これを処罰することには、やはり十分な合理性があるように思われる」とする 解説があるが(大塚ほか編・前掲注( 2 )〔松田〕99頁)、この解説は、証拠犯罪説 の主唱者である山口厚が正当にも証拠犯罪説の本質からフォト・コピーの文書性を 否定することからわかるように(山口『問題探究刑法各論』(1999年、有斐閣)242 頁以下参照)、証拠犯罪説の本質を誤解したものである。もし、上記解説の述べる ような意味、すなわち、証拠犯罪説における証拠の意義が、一般の社会生活におい て強い証明力を有するという程度の意味であれば、通説に対抗してあえて証拠犯罪 説を唱える意味はない。

(33) 筆者は、かつて―責任追及説の影響を受け―別の定義をしていたが(これ に対する批判として、成瀬「文書偽造罪の本質」川端博ほか編『理論刑法学の探究

❼』(2014年、成文堂)149頁注 4 参照)、より直截に、上記のように定義すべきだ と考えるに至った。

(34) これを特徴とするため、松澤・前掲注(32)では、信用内容分析説とした。

(15)

用が、どのようなものか確定することであり、これが全ての出発点とな る。すなわち、名義人の確定が作成者の確定に論理的に先行する―さら には作成者の特定を不要とする―ことになる。

 こうして名義人が確定されると、次に考えなければならないのは、その 名義人が、他人の“なりすまし”であるかどうかである。なりすましであ れば、人格の同一性に不一致が生じ、有形偽造となる。従来は、ここで作 成者概念が登場し、名義人と作成者との不一致が生じているかが問題とさ れた。“なりすまし”という形で判断する場合も、“なりすまされている 者”と、“なりすましている者”との間にズレが生じることが前提となっ ている。従来の言い方でいえば、後者は作成者ということになるであろ う。しかし、必ずしも、“なりすましている者”を作成者と定義する必要 はない。むしろ、“なりすましている者”が、文書の作成意思の主体でな いことは―前章で見てきたように―往々にしてある。そうであるとす れば、“文書から読み取れる名義人(見かけ上の名義人)”と、“文書に接し た者が信用を寄せるはずの者(本来の名義人)”という形でこれをとらえ て、その間の不一致こそが有形偽造の本質である、と解すべきであろう(35)。  このように、作成者の概念を有形偽造の理論から外し、名義人の方向か ら有形偽造を構成する理論を考えることができる。すなわち、この理論に よれば、有形偽造とは、公共の信用の対象となる名義を偽ることである、

と定義すること(36)、あるいは、信用の対象となる他人になりすますことであ

(35) もちろん、文書に接した者が信用を寄せるはずの者を、作成者と呼んでも構わ ないが、それは、少なくとも、作成者という言葉の響きからははるかに遠いところ にある。

(36) もともと、「偽造は他人名義をいつわるものである」(団藤重光『刑法綱要各 論』(第 3 版、1990年、創文社)281頁とか、「有形偽造は作成名義を偽る場合」で ある(平野・前掲注(18)400頁)といった形で定義されてきたのである。古い判 例(大連判大正11・10・20刑集 1 巻558頁、前掲注(19)も参照)も、「文書偽造罪 は他人の名義を偽りて文書を作成するに因て成立する」と述べている。そういった 意味では、もとの定義に戻ったようにも見えるが、実際には、様々な事項を検討し たのちにこの定義に到達したのであって、いわば、螺旋状に一段階上に登り、同一

(16)

る、と定義することができるであろう(37)。有形偽造になるかどうかは、有形 偽造の実行の主体が、“見かけ上の名義人”と“本来の名義人”との間の 人格の同一性に不一致を生じさせたかどうかというところ、すなわち、実 行主体の仕掛けにより、文書に対する公共の信用が害されたかどうか、と いうところにあるのである(38)

Ⅳ 具体例を用いた分析

1  序

 以下、判例に表れた事案をもとにして、“なりすまし”、あるいは“人格 の同一性を偽る”ということの意味について、具体的に検討してみよう。

重要なのは、文書の性質をふまえて、当該文書に対してどのような信用が 向けられているのかを分析・明確化し、そうした文書に一般的に接する者 の見地から、その信用が裏切られているかどうかを検討することにある。

その点に注意しつつ、本稿で示した見解の適用を示すことにしよう。

の定義に戻ったともいえるかもしれない。

(37) これに対し、無形偽造は、信用の対象となる文書の内容を偽ることである、と 定義できる。あるいは、信用の対象となる内容を“でっちあげること”、ともいえ るであろう。有形偽造を“なりすまし”と定義することについては、人格の特定に あたって内容の偽りを名義の偽りに忍び込ませ、有形偽造と無形偽造の限界を曖昧 にしてしまうという批判がしばしば行われるが、“なりすまし”である有形偽造と、

“でっちあげ”である無形偽造は、そもそもにおいて異なるものである。むしろ、

“なりすまし”として処罰すべき類型が、“でっちあげ”の中に流れ込まないように することに注意しなければならない。

(38) 人格の同一性に不一致を生じさせることが有形偽造であり、それを生じさせた 者が文書偽造罪の構成要件該当行為を行い、また結果を発生させた者である、とい うことになるのだから、その実行行為者が、人格の同一性に不一致を生じさせた事 実が存在すれば、有形偽造として処罰するにはそれで十分である、ということにな る。やはり、有形偽造の概念において、作成者を定めることには、ほぼ意味がない ということになるのである。

(17)

 以下では、最近の最高裁判所の判例を中心として検討するが、それらの 判例では、「作成者」という言葉が用いられている。そのことは、従来の 有形偽造の定義を前提とする以上当然であるが、それは、偽造認定のため の形式的な論理を整えるのが主たる目的であって、実質的には、作成者を 特定することにほぼ意味のないことが、以下の検討を通じて、理解されう ると思われる。

2  名義人の承諾事例

 まず、先に問題とした名義人の承諾事例から考えてみよう(前掲:事例

( 1 ))。まず、考えなければならないのは、当該文書に寄せられる信用の 内容である。本件で問題となる交通事件原票の供述書に接した者は、その 文書の性質から、供述書に署名のある者が、交通違反の審査対象となるこ とについて、信用を寄せるであろう。そして、署名欄には、A という署 名があるのだから、A が審査対象であるということが信用の対象である。

これに対して、実際に審査対象となるのは、違反行為を行なった甲であ る。甲は、A と署名することにより、A になりすまし、文書に対する信 用を裏切っているわけである。

 本件では、確かに、A が名義の使用について承諾を与えている。しか し、A が承諾を与えたからといって、審査対象が A に変わるわけではな い(同じように承諾があった場合でも、社長が秘書による文書作成に承諾を与 えたときにその文書に対する信用が社長本人に寄せられるのとは異なる)。すな わち、文書から看取できる名義人 A と、信用の対象たる者甲との間に、

不一致が生じている。ここに、「人格の同一性」が偽られているのであり、

当該なりすましは有形偽造になる、ということができるのである。

 従来の言い方でいえば、名義人は A、作成者は甲、ということになる。

その点では、判例の考えている名義人と作成者と、結論的には一致するこ とになるが、判例の説明が、文書の性質上名義人以外の者が作成すること が法令上許されない、という形式的なものにとどまっているのに対し、こ

(18)

こでは、有形偽造の本質により踏み込んだ形で根拠づけを行なっているこ とがわかるであろう。また、作成者にあたる者が甲であるという点につい て、事実説ではない形でこれを根拠づけることができる点にも―判例の 判示を跡付けるという意味では―メリットがあるといえるであろう。

3  再入国許可申請書事件

 事例( 2 ):密入国者である A は、25年以上に渡り、適法な在留資格を 持つ J という通称名で生活してきたが、いったん祖国に戻ったのち、再度 日本に入国するため、再入国許可申請書を J 名義で作成した。

 事例( 2 )について、最高裁判所は、次のように判示して私文書偽造罪 の成立を認めた。すなわち、「再入国…の審査にあたっては、申請人の地 位、資格を確認することが必要、不可欠のこととされているのである。し たがって、事柄の性質上、当然に、本名を用いて申請書を作成することが 要求されているといわなければならない。…再入国許可申請書の性質にも 照らすと、本件文書に表示された A の氏名から認識される人格は、適法 に本邦に在留することを許されている A であって、密入国をし、なんら の在留資格をも有しない被告人とは別の人格であることが明らかであるか ら、そこに本件文書の名義人と作成者の人格の同一性に齟齬を生じている というべきである(39)」。

 最高裁判所の理由づけは、一見すると、文書の性質上、本名での作成が 必要である、という形式的なものであるが、そこにある実質的な考慮は、

当該文書が、一体何を証明しようとし、この文書に接した者が、一体何を 信用するのか、という点にある。すなわち、文書における信用の内容は何 であるか、そして、その信用が、行為者の行為によって裏切られているの かどうかが問われている。

 問題となっている文書は、再入国許可申請書である。再入国許可申請書

(39) 最判昭和59・ 2 ・17刑集38巻 3 号336頁。

(19)

とは、そこに記載された者が、再入国する資格を有する者であることを証 明し、それに基づいて、その者が、再入国の許可を申請する文書である。

したがって、再入国許可申請書に接する者は、記載された者が、適法な入 国資格を持った者であると信用する。その信用を裏切った場合、すなわ ち、適法な在留資格をもたない A が、適法な在留資格を持つ J になりす ました場合には、人格の同一性を偽った、と評価できる。

 こうして、本件被告人 A は、J になりすますことで、人格の同一性を偽 っているのであり、こうした行為は有形偽造と評価され、私文書偽造罪が 成立する。

4  同姓同名の弁護士事件

 事例( 3 ):大阪にいる C は、同姓同名の別人が東京で弁護士として働 いていることを利用して、弁護士の肩書を使用して弁護士業務を行ってい たが、あるとき、以前から面識があり、C を弁護士であると信じていた不 動産業者から報酬金を得ようと企て、「弁護士 C」の名義で、弁護士報酬 請求書等の文書を作成した。

 事例( 3 )について、最高裁判所は、以下のように判示し、私文書偽造 罪の成立を肯定した。すなわち、「たとえ名義人として表示された者の氏 名が被告人の氏名と同一であったとしても、本件各文書が弁護士としての 業務に関連して弁護士資格を有する者が作成した形式、内容のものである 以上、本件各文書に表示された名義人は…弁護士会に所属する弁護士…」

C「…であって、弁護士資格を有しない被告人とは別人格の者であること が明らかであるから、本件各文書の名義人と作成者との人格の同一性にそ ごを生じさせたものというべきである(40)」。

 ここで注目すべきなのは、本件各文書について、判例が、「弁護士とし ての業務に関連して弁護士資格を有する者が作成した形式、内容のもの」

(40) 最決平成 5 ・10・ 5 刑集47巻 8 号 7 頁。

(20)

という形で、その性質を検討している点である。すなわち、弁護士報酬請 求書に接した者は、通常、その文書が、弁護士資格を有するものによって 作成されたものであると信用する。つまり、文書偽造罪の保護法益である 公共の信用は、ここでは、弁護士資格を有するものによって作成された請 求書である、というところに向けられている。ここで、弁護士資格を有し ない C は、名義人である弁護士資格を持った同姓同名の者とは別人格で あり、C は別人格になりすました、すなわち人格の同一性にそごを生じさ せたといえるから、その信用が裏切られ、私文書偽造罪の成立が肯定でき る、と考えられるのである(41)

5  国際運転免許証事件

 事例( 4 ):D は、国際旅行連盟という組織の名義で、ジュネーブ条約 に基づく正規の国際運転免許証にその形状・記載内容が酷似した文書を作 成した。なお、国際旅行連盟という組織は実在するものの、ジュネーブ条 約に基づく国際運転免許証の発給権限を与えられた事実はない。

 この事案について、最高裁判所は、以下のように判示し、私文書偽造罪 の成立を肯定した。「ジュネーブ条約に基づく国際運転免許証の発給権限 を有する団体により作成されているということが、正に本件文書の社会的 信用性を基礎づけるといえるから、本件文書の名義人は、『ジュネーブ条 約に基づく国際運転免許証の発給権限を有する団体である国際旅行連盟』

であると解すべきである。そうすると、国際旅行連盟が同条約に基づきそ

(41) なお、責任追及説によれば、本件では、同姓同名 C にたどり着くことができ、

その責任を追及できるのだから、私文書偽造罪は成立しないということになりそう である。しかし、論者は、「明らかに別人格を作出したものといえるから」(西田・

前掲注(15)401頁)という理由で、本件について、私文書偽造罪の成立を肯定す る。筆者には、この理由づけは、にわかには理解しがたい。ここでは、責任追及説 の本質的な部分が失われてしまう上に、別人格が作出されたと評価するための基準 も示されていない。

(21)

の締約国等から国際運転免許証の発給権限を与えられたという事実はない のであるから、…本件文書を作成する行為は、文書の名義人と作成者との 間の人格の同一性を偽るものであるといわなければならない(42)」。

 ここでも事例( 3 )について述べたのと同じ判断構造が取られている。

国際運転免許証様の文書を見たとき、人は、そこに記載されている者が、

世界中で運転できる許可を、正当な発行権限者から得ているのだと考える であろう。そこで想定されている信用の内容は、免許証を作成したのは正 当な発給権限のある機関である、ということになる。本件文書は、色も形 も国際運転免許証と酷似したものであった。そうすると、こうした文書に 接した者が名義人として把握するのは、正当な発給権限を持った機関であ る国際旅行連盟ということになる。それに対して、国際旅行連盟は、なん らの発給権限も持たないのであるから、ここに、何の権限も持たない国際 旅行連盟と称する機関が、ジュネーブ条約に基づく国際運転免許証の発給 権限を有する団体である国際旅行連盟になりすましていると考えられるの であり、すなわち、人格の同一性が偽られていると評価でき、私文書偽造 罪が成立するのである。

6  偽名による履歴書事件

 事例( 5 ):D は、指名手配中であったことから、偽名を用いて就職し ようと考え、虚偽の氏名、生年月日、経歴等を記入した履歴書および雇用 契約書を作成した。なお、貼付された写真は、D 本人のものであった。

 これについて、最高裁判所は、以下のように判示し、私文書偽造罪の成 立を肯定した。「これらの文書の性質、機能等に照らすと、たとえ被告人 の顔写真がはり付けられ、あるいは被告人が各文書から生じる責任を免れ ようとする意思を有していなかったとしても、これらの文書に表示された 名義人は、被告人とは別人格の者であることが明らかであるから、名義人

(42) 最決平成15・10・ 6 刑集57巻 9 号987頁。

(22)

と作成者との人格の同一性にそごを生じさせたものというべきである(43)」。

 ここでは、偽名が用いられているため、偽名の人格になりすまして「人 格の同一性」にそごを生じさせたという判断は、当然のようにも見える。

しかし、偽名を用いてもなんらの問題のない場合は、往々にして存在す る。たとえば、見ず知らずの人に個人名を知られたくないという理由で、

宿帳に偽名を記した場合にまで、私文書偽造罪が成立するとは考えられな い。

 ここでも重要なのは、文書の性質である。履歴書は、そこに書かれた経 歴をもとに、その者が職務にふさわしいかという審査を行うための資料で ある。履歴書に接したとき、人は、当該履歴書が、審査資料としてふさわ しいものであるという信用を寄せることになる。そうであるとすれば、審 査資料として重大な事実が隠蔽されている場合、その信用は裏切られるこ とになる。本件文書では、D は、名義を偽ることで、指名手配中である という重大な事実を隠蔽している。そのことにより、履歴書に対する公共 の信用は裏切られているのである。それゆえ、本件文書においては、指名 手配中である D が文書から読み取ることのできる指名手配中ではない名 義人になりすましていると認められ、「人格の同一性」が偽られていると 評価できるのである(44)

7  代理名義の冒用

 最後に、古い判例になるが、代理名義の冒用として知られる古典的な論

(43) 最決平成11・12・20刑集53巻 9 号1495頁。

(44) なお、本件では、文書に作成者本人の写真が貼付されているのに本人が名義人 として把握されないのはなぜか、という問題もある。この問題は、同じく、文書に 対する信用の内容という観点から解決できる問題である。すなわち、履歴書等に対 して寄せられる信用は、審査資料としての信頼である。貼付された者が面接を受け に来るという信用ではない。そうであるとすれば、信用の対象は、文書に示された 氏名・経歴に隠蔽されている事実がないということであり、文書に示された氏名の 者が名義人となるのである。この問題については、松澤「演習」法学教室376号

(2012年)154頁参照。

(23)

(45)点

について検討しておくこととする。

 事例( 6 ):E らは、ある学校法人の理事であったが、理事会におい て、理事長が選任されず解散になったにもかかわらず、E が理事長に選任 されたとの議事録を作成し、理事録署名人 E と記名した。

 これについて、最高裁判所は、以下のように判示し、E らに私文書偽造 罪の成立を認めた。すなわち、「他人の代表者または代理人として文書を 作成する権限のない者が、他人を代表もしくは代理すべき資格、または、

普通人をして他人を代表もしくは代理するものと誤信させるに足りるよう な資格を表示して作成した文書は、その文書によって表示された意識内容 にもとづく効果が、代表もしくは代理された本人に帰属する形式のもので あるから、その名義人は、代表もしくは代理人である。…」として名義人 は上記学校法人であるとした上で、E らは、「同理事会の代表者または代 理人として同理事会の議事録を作成する権限がないのに、普通人をして、

同理事会を代表するものと誤信させるにたりる理事録署名人という資格を 冒用し、同理事会名義の文書を作成したものというべきである」(最決昭 和45・ 9 ・ 4 刑集24巻10号1319頁)。

 この判例は、ここまで検討してきた最近の判例とはやや趣を異にしてい る。本稿がこれまで採用してきた論理から考えれば、代理名義の文書に接 した者が当該文書に寄せる信用とは、文書から読み取れる代理人が、本人 を正当な権限のもとに代理して作成された文書である、という信用である

(45) 私文書偽造罪における有形偽造の意義について、最も古典的な部類に含まれる 論点であり、戦前のものを含めて、多数の文献がある。最近でも、松原「代理文書 と文書偽造罪」井田良ほか編『川端博先生古稀記念論文集〔下巻〕』(2014年、成文 堂)361 頁以下が二重名義人説という有力な見解を提唱し、新たな展開も見られる ところである。しかし、本稿では、ここまでの議論の関連で、ごく簡単にこの問題 を検討し、本格的な検討については、別稿に譲ることにしたい。なお、現時点での 筆者の見込みを結論だけ述べておけば、江家義男の理論(江家・前掲注(27)参 照)が、現在のヴァリッド・ロー構成の鍵になると考えている。

(24)

はずである。そのように考えると、本件の信用の対象である文書の名義人 は、正当な議事録作成権を有する E であるところ、現実の E はなんらの 代理権限も持たないのであるから、人格の同一性を偽ったといえるのであ り、有形偽造が成立すると考えられることになる(46)

 ところが、判例は、この文書における意思表示の帰属主体が本人である 学校法人であるから、学校法人が名義人であるところ、実際に文書を作成 したのは、文書の作成権限を持たない E らであり、名義人と作成者にそ ごがあるから、私文書偽造罪が認められる、という論理をとっている。結 論においては、有形偽造を肯定するのであるが、その論理が異なるのであ る。筆者は、この判例は、結論においては正当であるが、その判示におい て、有形偽造の理論が十分発展していない過程で起こった、誤りに基づい た判示が行われていると考えている(47)。ここでは現在の裁判官の思考、ヴァ リッドな論理とは異なる論理が採用されてしまっているのであり、実務に おいても、今後、この点のさらなる検討が必要であるといえよう。

(46) ここで重要なのは、秘書のような代筆者と、本件のような事例で問題となる代 理人とは異なる、ということである(江家『刑法各論』(増補版、1958年、青林書 院)139頁参照)。代筆者の場合は、本人が意思の主体であるから、本人が名義人と なる(「F 代筆 G」という署名の場合は、G は単なる意思表示の補助者にすぎず、

F が名義人である)。これに対し、代理人の場合は、代理人が自らの意思表示を文 書に記し、その効果が本人に及ぶのである(「H 代理人 I」という署名の場合、効 果は H に及ぶが、意思の主体は I である)。

(47) 近時の判例の傾向からすれば、本稿のように解するべきことについて、伊東・

前掲注(14)313頁参照。

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