厩一一詞
和訳「ラ'ノタヴイスタラ(改訂版)」 (第13‑14章)
外薗幸一
まえがき
本稿は前号(鹿児島国際大学「国際文化学部論集』第20巻1号)に掲載した和訳「ラリタヴイス タラ(改訂版)」 (第8 12章)」に引き続くものである。 「第19巻1号」 (本シリーズ冒頭の号)所載 の和訳「ラリタヴイスタラ(改訂版) (第1〜3章)」の「まえがき」に記載したように,筆者は,
すでにラリタヴイスタラ全27章の初訳を一応完了しているのであるが, もう少し読み易い和訳にす ることを目標に「改訂版」を作成することにした。そして, これまでに第1章から第12章までを発 表したので,今回はそれに続く形で,第13章と第14章を掲載することにする。なお,拙著「ラリタ
ヴイスタラの研究上巻jに掲載した和訳は第14章までである。
略号
方広=「方廣大荘厳経j (大正新脩大蔵経187). ChineseTranslationoftheLalitavistara.
普曜=「普曜経」 (大正新脩大蔵経186). AChineseTranslationofthe(old)Lalitavistara.
「佛教大辞典』 = 「望月佛教大辞典(増訂版)』 (昭和32年増訂版世界聖典刊行協会)
『梵和大辞典』 =荻原雲来編「漢訳対照梵和大辞典」 (昭和53年,講談社)
「佛教語大辞典』 =中村元「佛教語大辞典』 (昭和56年,東京書籍)
「上巻』 =外薗幸一「ラリタヴイスタラの研究上巻」 (平成6年,大東出版社)
BHSG=B"dd"ぶHy6"daz"s玲γ〃G"wf〃αγα"。αc伽"@wgyVol. I :Grammar,byF.Edgerton, NewHaven,1953.
BHSD=Ditto,Vol. 1I:Dictionary.
Mvyut=M"""zly"妙α"j (翻訳名義大集), Ed.byR.Sakaki,Kyoto, 1916.
括弧符号の使い分け
和訳の文章中において用いる括弧は,原則として,次のように区別する。
1. 「 」は,会話文を示すために用いる。
2. ( )は,直前の言葉を,別の言葉で言い換えるために用いる。
3. [ ]は,訳文を補充して,意味をはっきりさせるために用いる。
4. 〈 〉は,特殊な複合語や,重要な熟語を示すために用いる。
5. 《 》は,東大主要写本に原文が欠落しているが,挿入すべきである部分の訳文に用いる。
6. 〔 〕は,東大主要写本に原文が挿入されているが,削除すべきである部分の訳文に用いる。
7. 【 】は,諸写本に混乱があり,削除すべきか挿入すべきか確定しがたい部分の訳文に用いる。
※なお,第1章から第14章までの訳文の左端に付した数字(268〜696)は, 『上巻」第二部(本文 校訂)における梵語原文のページ数を示すものである。
キーワード:ラリタヴイスタラ,仏伝文学,大乗仏教,混清梵語,仏教思想
『ラリタヴ イスタフ − 』 (大麟戯経)
第13章([出家]勧発品)1
ちゅうぐう
600 かくして,実に比丘らよ 菩薩が中宮の中に住せる時,菩薩を供養せんとの願望を生じたる,無 数の天神・竜・夜叉・ガンダルヴァ (乾閏婆) ・アスラ(阿修羅) ・ガルダ(迦模羅) ・キンナラ(緊 那羅) ・マホーラガ(摩猴羅迦) ・帝釈天・梵天・護世王(四大天王)たちは,各自の歓喜の言葉を
らいし
唱えつつ,来至せり。
そこにおいて,比丘らよ ある時,聚参の2天神.竜.夜叉.ガンダルヴァ.アスラ.ガルダ.
キンナラ・マホーラガ・帝釈天・梵天・護世王たちに,かくの如き思念が生じたり。 「さても, こ
の善壬 (菩薩)があまりに永く中宮に需離れば,彼(菩薩)のく布施.愛語.利行.同事>なる ふせ あいご りぎよう どうじ
ししょうじ じようや じょうじゆく
四摂事4によって長夜(長久)にわたり成熟(教化)せしめられたる, これらの衆生や, また,彼 が菩提を証得せる後に[彼によって]説かれたる法を,彼と共にありてのみ5理解すべきところの,
これら全ての6撚ア [たる衆生]が滅没し去り, しかる後に菩薩が出家し,無上正等覚を現等覚し むじようしようとうがく げんとうがく
たまう [ことになり終わる]べし」 [と]・
ていちよう うやうや いがん ま もう
そこで彼らは,丁重にかつ恭し〈合掌して菩薩を礼拝し,かくの如き意願8を有し,待ち設けつ
しゆしよう
つ住したりき・ [すなわち] 「一体いつ, われらは,殊勝なる清浄衆生(菩薩)が9出家したまうを
ひき
見ることを得んや。出家して, また,かの大樹王(菩提樹)の下に坐し,軍勢を率いたるマーラ(悪
魔)を降伏し,無上正等覚を現等覚したまいて,如来6"''を具足し,如来の曲鮒畏、を具足し,
じゆうはちふく'うぶつぼう さんてんじ⑨うにぎようそうむじようほうり人 だいゆげ
く十八不共仏法>'2を具足し, <三転十二行相無上法輪>'3を転じたまいて,仏陀の大遊戯(神通)
しんげ みようせつ
を以て天神と人間と阿修羅とを含む世間[の諸衆生]を, [それぞれの]信解Mに応じたる妙説を 以て満足せしめたまうを[見ることを得んや]」 【と'5】
あそうぎ じようや わた
602 時に比丘らよ 菩薩は, 阿僧祇(無数)劫[の昔] より,長夜(長久)に亘り,常時不断に,世
!方広は「音樂發悟品」と訳している。
2 「衆多の」 (sambahula) とは「多くの.多人数の」の意である。
3 「善士」 (satpuruSa) とは「立派な人」の意である。 「ぜんじ」とも読む。
4 「四摂事」とは「四つの包容の態度。社会生活上,欠くことのできない四つの徳。人心をおさめる四種の行為」をいう。 「佛 教語大辞典」524頁参照。
5 tatsahaiva(tatsahaeva)で「彼と共にありてのみ」の意と見たが.チベット訳には単に「[法の]演説を」と訳されており.
これに当たる訳語はない。
6チベット訳には「全ての」 (sarvani)に当たる訳語がない。
7 「法器」 (dharmabhajana) とは「仏法を受けるに堪える能力の人」を意味する。 「佛教語大辞典」 1230頁参照。
8 「意願」 (abhipraya) とは「意向.願望」の意である。
9チベット訳は「殊勝にして満浄なる菩薩が」という意味の訳文になっている。
10「十力」については. 第19巻第1号所載の拙訳(註36)を参照されたい。
'! 「四無所畏」については. l司上拙訳(註37)を参照されたい。
'2「十八不共仏法」については,同上拙訳(註38「十八不共法」)を参照されたい。
'3「三転十二行相」とは,釈蝋が鹿野苑において四聖諦(苦・集・減・道)を説くに際して, 「示・勧・証の三つの段階(三 転)によったことをいう。 (1)示転。これこそは苫である. これこそは集である, これこそは減である, これこそは道で ある, と四諦をそれぞれ示すこと。 (2)勧転。苦は知るべきものである,集は断ずべきものである,減は証すべきもので ある,道は修すべきものである. と四諦の修行を勧めること。 (3)証転。苦を自ら知り,集を自ら断じ,減を自ら証し、
道を自ら修した. と釈尊自らが自己について証すること」である。 「佛教語大辞典」483頁参照。
'4「信解」については,第19巻第1号所載の拙訳(註103)を参照されたい。
'5東大写本はいずれも「〜と」 (iti)を欠いているが.チベット訳にはこれに当たる訳語がある。
しゅじゅう
間と超世間との一切の法において,他者に導かれることなかりき。あらゆる善法を修習するに際し
じょうじ じ き こころえ
て自らのみを師となし, また,長時(長期間)を通じて時を知り,時節を知り,時機を心得たり。 [自
身の]締を謹実'6することなく。孟総"を具足せり。神通によって遊戯し,一切のis感官に通達 し,蒔と非蒔1,とを知り.時機を伺菫し,大海の[干満]の如く。到来せる時機を逸することなか
じんずうち
りき。彼(菩薩)は神通智の力を具足して, 自己みずから,一切を了知せり。 [すなわち] 「今は受
じょうぶ<
容すべき時なり。今は調伏すべき時なり。今は攝受すべき時なり。今蝿蓋"すべき時なり。今は しょうじゅ
棄捨すべき時なり。今は説示すべき時なり。今は沈黙すべき時なり。今は出家すべき時なり。今は
ゆぎよう どくじゆ しようしゆい どくしよ
遊行すべき時なり。今は読調すべき時なり。今は正思惟すべき時なり。今は独虚2'すべき時なり。
しゅえ
こ今はクシャトリヤ(刹帝利)の衆会に赴くべき時なり,等々,乃至,今はバラモン(婆羅門)や居
じ
士型の衆会に赴くべき時なり。今は天神・竜・夜叉・ガンダルヴァ・アスラ・ガルダ・キンナラ・
うぱそく うば上、
マホーラガ・帝釈天・梵天・護世王・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の衆会に赴くべき時なり。今 は説法すべき時なり。今は独居黙考すべきときなり」 [と]・菩薩は,如何なる場合にも,常に時を 知り,時機を伺察したり。
しか じれん ほつしよう
然るに, また比丘らよ これは自然の法性(常法)なり。すなわち,最後身の四菩薩が中宮の中 に住する時,十方の世界に住する諸仏世尊によって,歌詠と楽器との音響により, これら,かくの
ほうもん かんぼつ
如き種類の法門を以て勧発せられるべきは必定なり24。
[すなわち]そこにおいて,かくの如く言われる。
さいしようしゆじよう
l.十方世界における最勝衆生(仏陀)なる,
みようゆう
彼ら(諸仏)の妙用25の故に,その時,楽器の音に合わせて
うた かんぎみみよう げじゅ
詠われたる, これら歓喜美妙の偶頌は,
かんぼつ
殊勝なる人(菩薩)を勧発せり。
ひやくよ
2.百余の(多くの)苦悩に満たされたる衆生を見て,
おうしやく な
汝は,往昔, この誓願を為せり。
ひごしや く どしや あんそくしよ
「[われは]世間の庇護者・救護者・安息処となり,
りやくしや き えしょ
また,最高の利益者たるく帰依処〉とならん」 [と]。
3. いざ勇者よ,汝の往昔の所行と,
せけんりやく
世間利益の誓願との,如何なりしかを想起せよ。
今は,汝の[出家すべき]時なり,時節なり,好機なり。
ひじり
殊勝なる聖よ, 出家したまえ。
604
'6「退失」とは「修行によって得た境地を捨てること」である。 「佛教語大辞典」 907頁参照。
'7「五神通」とは「五種の超自然的な能力」であり. 「一般的には,天眼通・天耳通・他心通・宿命通・神足通をいう」。 「佛
教語大辞典」370頁参照。
'8「一切の」 (sarva)に当たる部分のチベット訳は「衆生の意楽と」 (semscangyibsampa)となっており,梵文と合わな
いo
l9「時」は「適切な時間」, 「非時」は「不適切な時間」の意である。
20「饒益」 (anugraha)とは「(人々に)利益を与えること」である。
2! 「独虚」 (praviveka)とは「静かな場所に独りで住すること」である。
型「居士」については,第19巻第1号所載の拙訳(註223)を参照されたい。
23 「上巻」には「一生補虚の」と訳したが,誤訳につき「最後身の」と訂正する。
24チベッ卜訳には「必定なり」 (avaSyam)に相当する訳語がない。
25「妙用」とは「不思議な働き」の意である。
じようご
「人間と天神を調御する,世間の最勝者,
ひやくよ
百余[もの多く]の功徳に満ちた仏陀に成るべし」とて,
そのために汝は.往昔,
きしや
種々の貴重なる財物や, [自分の]頭や手足をも棄捨せり。
じかい どんかい
汝は,持戒を以て,禁戒と苦行とを修習せり。
にんにく りやく
汝は,忍辱を以て,世間を利益せり。
汝は,精進を以て,清浄なる26徳を積み,
禅定と智慧(般若) とにおいて,三界に並ぶ者なし。
念怒I鏡涛"せられ,悪意の垢稜に満ちたる, < え
ぜんぜい
彼ら (衆生)は,善逝よ 汝の慈に遍満せられたり。
じゃしよう <・にん
邪性錫にして,浄善の徳を欠落せる愚人をも,
汝は, さまざまに,悲懲せり。
[汝は]清浄なる福徳と智とが身体"に遍満し,
ひじん
無塵なる禅定・神通の輝きを有する。
しょうよう さま
これら[世界の]諸十方を, あまねく照耀せる様は,
雲より離れたる月の無垢なるに似たり◎
みみよう
これやあれやの,種々の美妙なる音が,
しょうしゃ ごんお人
諸の楽器より,勝者(仏陀)の言音を響かせて,
「出家されたし,今は汝の好機なり」鋤と,
かんぽつ
人間と天神とに尊崇せられたる者(菩薩)を勧発せり。
4
5
6
606 7
8
しようみよう きゅうじよう
実にまた,比丘らよ 菩薩は,かの勝妙なる宮城に, [すなわち]あらゆる資財を豊富に所有し,
ろだい しようとう とうもん そうか りょうぼう
願望に応じて安楽に居住するに適し,天界の宮殿の如くにして,露台・小塔・塔門・窓架・涼房・
じゅうかく こうろう
重閣・高楼は秀麗なる, あらゆる3'多彩なる宝石の装飾物によって種々の部分が美しく飾られ,
さんがい き し どうばん れいもう どんじき きいひも
傘蓋や旗幟や瞳幡が掲げられ,無数の宝石の鈴網を以て厳飾せられ,数百千の絹紐が垂れ懸けられ,
種々の宝石を以て象眼せられ,真珠の32蝋が垂れ懸けられ,種々なる宝石の鞘劉より成る橋に ぞうがん
ぞうざぃ た うすぎぬ
荘厳せられ,繪絲34や花環や帯の束が懸けられ,香炉には香が懐かれ, [霜を防ぐための]薄絹の
ちようがい
広き帳蓋35を有し, あらゆる季節の花が最妙なる芳香を放ちつつ美しく咲き乱れ, 白蓮の蓮池や新
弱「清浄なる」 (Subha)は.チベット訳には「百の」 (brgya)と訳されており,梵文と合わない。
訂「冥縛」とは「道理に暗くして囚われること」である。
錫「邪性」 (mithyatva)とは「無間地獄に堕ちるような悪業を犯し,覚ることのない衆生」を指す。
鱒原語atmanは,通常「自我.霊魂, 自性」等の意であるが, ここではチベット訳[lus]を参考に「身体」と訳した。
釦チベット訳は「まさしく,汝の出家の時は今なり」という意味の訳文になっている。
3!チベット訳には「あらゆる」 (sarva)に当たる訳語がない。
錘「象眼せられ.真珠の」という部分のチベット訳は「象眼せられたる真珠の」という意味の訳文になっている。
麹原語paUaには「(銅等の番画用の)板または薄片」 (「梵和大辞典」参照)の意味がある。ここではチベット訳[span
leb]に倣って「平板」と訳した。
鋼「繪練(あやぎぬ.いろどったきぬ)」の原語もpa"aである。この部分のチベット訳は「多くの花環や練吊(さいはく)
が垂れ懸けられ」という意味の訳文になっている。
お「帳蓋」とは「隔てるためのとばり」である。方広には「露鰻」と訳されている。
鮮なる36睡蓮の水辺がある歓楽の場所に富み37,パツトラグプタ.シユカ.サーリカ.コーキラ.ハ ンサ.マユーラ.チヤクラヴアー力.クナーラ.カラヴインガ38.ジーヴアンジーヴアカ39等の諸種
さえず
の鳥群による甘美なる噛りが響き, [人々は]青琉璃より成る地面の上にて生活を享楽し, あらゆ
えいしよう あ
る色像の光影を映照し,見る者をして飽くことなく喜ばしめ,至上の歓喜と喜悦とを生ぜしめる,
かの勝妙なる宮城に在りて,菩薩は,広大にして華麗なる住居たる宮殿に住し40,身体は浄潔・無垢・
けまん ふくいく ずこう じようびやく
清浄にして,華鍾や装身具を解くことなく,最妙なる芳香の馥郁たる塗香を身体に塗り,浄白。清
さらさ
浄・無垢・純美にして汚れなき衣服を身に着け, [また]繊細なる天界の更紗が幾重にも敷かれて,
柔軟なることカーチリンデイカ衣の如く快き感触の[かつ]端厳なる支分を以て造形せられたる,
かし
優美なる椅子の上に坐し, [また]天女衆の如く [優雅]にして, あらゆる点において暇疵あるこ
みめうるわ みようれい ちゆうぐうさいにょしゅう
となく [かつ]見目麗しき上品なる物腰の振舞いをなす,妙麗なる中宮採女衆の中に在りて, シヤ
らがい
ン力 (螺貝) ・ベーリー(太鼓) ・ムリダンガ(小鼓) ・パナヴァ (小太鼓) ・ツナヴァ4! (一弦琵琶) ・ ヴイーナー(琵琶) ・ヴァッラキ42 .サンパ(シンバルの一種) ・ターダ(シンバル) ・キンパラ・ナ クラ・スゴーシャカ・ヴェーヌ43 (笛) [等]が奏でられる美妙なる音響と,種々の楽器と伎楽の合 奏とによって目覚ましめられ, また[それに加えて]かの採女衆が優雅にして甘美なる愛らしき声 と笛とを吹奏する音響とによって菩薩を起床せしめたり。 [然る時]彼ら,十方に住する諸仏陀世
いじんりき かんばつ
尊の威神力によって,それら楽器の奏でられる音響の中から,菩薩を勧発する,かくの如き偶頌が 出現せり。44
9.悦意ありて,浄心を具有せる採女衆が,
優雅にして美妙なる笛を吹奏せる時45,
十方における,無上なる46諸勝者(諸仏陀)の念力47により,
たぐい
種々様々なる類の,かくの如き偶頌を生じたり。
えこ
10.常に,依'│古なきものとなれる, これらの衆生を見て,
おうしゃく
勇者よ,汝は,往昔かくの如き誓願をなせり。
「[われは]老なく48憂愁なき,至上の地位を正覚して,
608
鋪チベット訳には「新鮮なる」 (nava)に当たる訳語がない。
訂「上巻」には「新鮮なるプンダリーカ(白蓮)や睡蓮の群なす蓮池の[ある],享楽の場所に富み」と訳したが, 「群なす」
と訳した原語jalaはチベット訳によれば「水の」の意であるので, これに従って, 「白蓮の蓮池や新鮮なる睡蓮の水辺が ある歓楽の場所に富み」と訂正する。
38通常は「カラヴインカ」 (kalavinka)であるが, ここでは東大主要写本に従ってkalavingaと校訂した。
39以上の鳥名の原語は前から順にpattragupta,Suka, sarika,kokila・hamsa,mayUra,cakravaka,kunala.kalavinga. jivam‑
jivakaである。
4Oチベット訳は「広大なる最勝の宮殿に住し」という意味の訳文になっている。
4!チベット訳にはtunavaに相当する訳語がない。
42通常はvallaki (ヴァツラキー:琵琶の一種)であるが, ここでは写本に従ってvallakiと校訂したつ
43以上の楽器名の原語は前から順にSankhabheri,mrdanga,papavatunava,vina,vallaki.sampa."a,kimpala.nakula,
sughoSakavenuである。
" 以下に記載される偶頌(第9偶〜第13213)は, 同様な内容を異なる韻律で反復しており.複数の詩人が競作した偶頌を 集め,適当に並べて編集した形式となっている。
45チベット訳は「優雅にして美妙なる楽器の音を奏でたる時」という意味の訳文になっている。
46Uttamaを「上巻」には「賢妙なる」と訳したが,通常の意味に戻して「無上なる」と訂正する。
47aVeSaを「念力」と訳したが.チベット訳[mthu]によれば「威神力」であり.方広にも「威神力」と訳されている。
48ajara (老なく)は.チベット訳にはrdulmed(=arajas;塵垢なく) と訳されている。
老や死や49, またその他の苦悩より [衆生を]解脱せしむくし」 [と]・
ll.それ故に, いざ,速やかに, この都城より
い
いにしえ ・ おうけい
出でて,古昔の諸仙人(諸菩薩)の往詣せる釦,
ちしょ ふ のぼ
[かの]地虚(菩提の座)に踏み上りて,
しようとく
比類なき勝者の智(仏智)を證得したまえ。
12.汝は,往昔,種々の財物や宝石,
いと しやせ
手・足や,愛しき身体をも捨施したまえり。
大仙人よ,今や, これ,汝の[出家の]時なり。
うすい
無量なる法の雨水を,衆生に分与されたし。
;ナつろう
13.汝の持戒たるや,清浄無垢にして, 欠漏な<,
往昔,常に「最勝なるものを得ん」と努めたまえり5'・
大仙人よ,汝の持戒に匹敵するものなし。
衆生をして,種々なる煩悩より解脱せしめたまえ。
ひやくよ にんにく しゅじゆう
14.汝は,百余[もの多く]の生において,忍辱を修習し,
あくごん にんじゆ
汝は,世間の種々なる悪言を忍受したまえり。
忍辱[行]によって, 自らよく忍耐と自制とに専心せり52.
三怠闘(人間)の主よ, 出家の決意を為したまえ。 な
15.汝の精進は堅固にして,確乎・不動なるが故に,
善逝よ 往古において[その精進は]偉大なるものとなれり。
ごうぶく
邪悪なるナムチ(悪魔)を,その軍勢もろともに降伏して,
さんあくしゆ あま けんこ
三悪趣を,余すところなく乾枯せしめたまえ。
ぼんのうじよく ぜんし
16.その[衆生済度の]ために,悪世の煩悩濁を禅思して別,
ごんかい
汝は,禁戒と苦行とを修習したまえり。
汝は[今や]有益なる甘露の水を雨降らしめて,
え二 まんきつ
久し<渇ける,依│古なき者ども (衆生)を満喫せしめたまえ。
17.かの,往昔の殊勝なる言葉を想起して,
この都城より,速やかに出離されたし。 [すなわち]
うしゅう しょうとく
「不死にして憂愁なき [仏陀の]地位を證得して,
610
49「老や死や」は.チベット訳には「生や老や」 (skyedanrgadan) と訳されている。
"cirnaを「往詣せる」「行ける」の意と見る。チベット訳にはshabsbcagspa (足に踏まれたる) と訳されている。
3'abhnsiを「〜を得ようと努める」の意と見るが.チベット訳は「[最勝なるものによって]飾れり」という意味の訳文になっ
ている。
52「自制に専心せり」の部分は,チベット訳では「自制によって確固たる心あり」という意味の訳文になっている。
認「二足」とは「二つ足をもつもの.人間のこと」であるが. 「二足尊(にそくそん)」という場合は. 「二足を有する生類(人 間・神)の中で最も尊いものの意」とされる。 「佛教語大辞典」 lM8頁参照。
別「上巻」ではdhyayitvaを.BHSD(dhyayati)及びチベット訳[bsregsgyisla]を参考に, 「焼き尽くして」の意と見て, 「そ の[衆生済度の]ために.汝は禁戒と苦行とを修習せり。悪世の煩悩濁を焼き尽くしたまいて.汝は……」と訳した。し かし,菩薩による過去世の六波羅蜜行の偉大さを順次に稲場していく文脈から推して, この偶は「禅定修行の偉大さ」に 言及するものでなければならず, dhyayitvaは「禅定によって深く思惟して(禅思して)」の意と見ることができるので.
「悪世の煩悩濁を禅思して」と訂正するとともに,第一行と第二行の訳文を入れ替えた。なお,方広にも「以勝定除諸垢(勝
定を以て諸の垢を除き)」と訳されている。
かんろみ
渇きに苦しむ者たちを甘露味にて満足せしむくし」 [との言葉を]◎
ちえ はんにゃ
18.汝は,最高なる智慧(般若)の所行に通達し,
汝の智は偉大なりて,広大にして55無辺なり。
ひょうはく <′もう やから
疑惑の道に漂泊せる愚蒙の輩をば,
みようじようかくやく
汝は,明浄赫突たる〔至上なる弱〕智慧の光明を以て照らしたまj
ひやくよ じ しゆじゆう
19.汝は,百余[もの多く]の生において,慈を修習し,
ひ き しや
[また]悲と,殊勝なる喜と捨とを[修習したまえり]。
汝が修習せるところの,最勝なる所行,
まさに,その所行を衆生に分与されたし。
20.十方の諸勝者(諸仏陀)の威力により,
うた
これらの偶頌の[中に詠われたる]色々な功徳の花は,
諸々の楽器[の音]に,様々に反響して57, 寝台に横たわりたる王子を勧発せり。
智慧の光明を以て照らしたまえ 612
。
21. また,快楽を与える採女衆が愉悦に満ちて,
甚だ美妙にして,優雅なる楽器を奏でたる時,
じようごしや
天神と人間との調御者たる,十方の勝者(仏陀)たちは,
その楽器の音に合わせて銘,殊妙なる言葉を反響せしめたり。
22.多くの功徳を有し,衆生を利益する[者よ],汝は,
きょうがい
諸の境界"に転生せる時に.勝者の徳を常に自ら釧藍笠をり。
おも
往昔[汝が]修習せる, あれこれの禁戒や苦行を想い起こして61,
速やかに樹王のもとに往詣し,不死なる地位を證得したまえ。
23.勝者の功徳に与らざる天神や人間は,甚だ渇望せるも,
大勢力を有する汝は, [常に62]甘露味を施せり。
しょうよう
十力の妙味を有し",諸賢人に稻揚せられたる,
[かの]甘露を,天至よ",汝は速やかに分与されたし。
ほうじゆ しやせ
24.汝は,前世において,諸の財物や宝珠や黄金を捨施し,
弱「広大にして」 (vipula)は,チベット訳にはdrimed(=vimala;無垢にして) と訳されている。
56「至上なる」 (vara)は,韻律上余計であるから削除すべきであるが,チベット訳にはこれに当たる訳語(dampa)があり,
逆に「赫突たる」 (rucira)に当たる訳語がない。
57チベット訳は「種々美妙に響きわたり」という意味の訳文になっている。
銘「その楽器の音に合わせて」の部分のチベット訳は「諸の楽器より過度に大ならざる(静穏なる?)」という意味の訳文に なっており,梵文と合わない。
弱「境界」 (gati)とは「業の果報として生まれ変わっていく世界(輪廻の所趣)」の意である。
6onijinitUという原文は不明であり, 「上巻」には「[常に?]自ら」と訳したが,チベット訳のgnugmarはnija (自ら)の
訳語と思われるので, nijinitu(=nijanitya?)と分けて, 「常に自ら」の意と見なす。
6! 「上巻」には単に「禁戒や苦行を想起されたし。」と訳したが,原文には「想起せよ」 (smara)が反復されているので, 「あ れこれの禁戒や苦行を想い起こして.」と訂正する。チベット訳は「それらを想起して」という意味の訳文になっている。
鼬チベット訳には「常に」に当たる訳語(rtagtu)がある。
侭チベット訳は「十力の味は最妙にして」という意味の訳文になっているので. これを参考にgLma(功徳)を「妙味」と
訳した。
卿「人王」とは「人間の王」の意である。
じゆらぐ
愛する妻や息子や,都城や聚落を含む国土や,
自分の頭や,手や足や眼をも,捨施したまえり。
[汝は]勝者の功徳を喜び,衆生を利益する者なるが故に"・
さいしようにん
25.最勝人よ,汝が往昔,有徳なる王たりし時,
ある人が汝に向かいて, この語を語りき。 [すなわち]
「この国土を,都城や聚落ともども, われに与えよ」 [と]・
きんぜん
その時, [汝は]欣然として捨施し",心に動揺なかりき。
26.人王よ,汝は,往昔, スヴァカなる[名の]婆羅門たりし時,67 両親に孝養を尽くし, また,他者を害することなかりき。
優れたる婆羅門[たち錦]や,多くの人民を善に導き,
その生存より [命終して],天界の住処へと再生したり。69
な
27.往昔,汝が王子[の身分]を捨てて高貴なる仙人に成りし時,
激怒せるカリ王70が,汝の身体肢節を切断したるも,
汝は,心に動揺することなく,命終を取りしかば,
その時,汝の身体より,乳が流出したり71.
28. また,往昔,汝が仙人の子にして, スヤマ72なる[名の]者たりし時,
最勝なる山の住処にて禁戒に専念し,父母に孝養せる時,
[ある]王が,毒矢を以て,汝を射たれども,
汝は,その王を哀感して,心に瞳檎3を生じざりき。 あいみん
29.往昔汝が,功徳を有する鹿王たりし時,
ざんがい
ある人が山崖の大急流に押し流されたるを,
汝は,好意を以て[助け],岩地に立たしめたるに74,
[その人が]汝の敵を連れ来たれるも,心に瞑恨を生じざりき。
30.最勝人よ,往昔汝が婆羅門の息子たりし時,
汝の宝珠が広大なる大海に落ちたれば,
汝は「大海を汲み尽くさん」と企てたり。その時,
牡牛の如く剛力堅固なる者よ, [汝は]再び宝珠を得たり。
614
616
鯛チベット訳には「勝者の功徳と衆生を利益することを喜ぶ者よ」と訳されている。なお, 「上巻」には「[汝は]衆生を利 益し,勝者の功徳を喜ぶ者なるが故に」と訳したが,語順を入れ替える。
髄チベット訳には「捨施し」 (tyaji)に当たる訳語がない。
67この一行のチベット訳は「往昔,汝が,浄潔なる.王の婆羅門となりし時,」という意味の訳文になっており. svaka (人 名)をSubha(dgeba;浄潔なる) と見たものと思われるが,方広には「輸迦(しゆか)」という人名として訳されている。
narapati (人王よ) もチベット訳では「王の(婆羅門)」と訳されているが,上掲の第23偶に合わせて「人王よ」と見る のが妥当である。
68dvijavaruは単数の形と思われるが.チベット訳にはbramzedampadag(優れたる婆羅門たち) と訳されている。
的この一行のチベット訳は「それから命終して,生存の領域たる天界に再生したり」という意味の訳文になっている。
7okali‑nrpaをBHSD(kali)ではevilkingと訳しており, kaliを「邪悪な」という意味の形容詞と見ているようであるが,方
広には「歌利王」という人名として訳されている。
71方広には「所傷之虚皆流乳」と訳されている。
72syama=Syamaであるc方広には「蓉摩仙子(箸摩仙の子?)」と訳されている。
73「順恨」とは「うらみの思い」の意である。
74チベッ卜訳は「その人を救出し,陸地に立たしめたるに」と訳しており,文意明瞭である。
31.善士よ,往昔,汝が高貴なる仙人たりし時,
[一羽の]鳥75が「われを庇護したまえ」とて,汝のもとに来たり,
「仙人よ,最勝なる婆羅門よ われを敵より逃れしめよ」と言えり。
汝は, 自らの身体を捨施して,その烏を捨てざりき。76 32.往昔, スヤマ仙人を樹木の住虚に訪問し,
「この樹の枝葉が如何ほどあるか数えよ」と, ルチは言えり。77
りょうち
その枝葉のあるがままに, よく数え, よく了知して,
な
そのままに, [仙人たりし]汝は,誤りなく,適正に返答を為せり。
33往昔功徳ある叢織る78雛となりて, [ある]樹に止住せる時,
こきゅう
[その樹が]枯朽せるもなお,かつての恩恵を想いて,離れざりき。
てんしゅ たいしゃ< おくれん
天主(帝釈)は,汝の功徳を憶念して,歓喜し,
以前の如く, [その"]端厳なる樹を,菜食あらしめたり。
34.かくの如く,汝の禁戒と苦行との修習は比類なく,
功徳ある者よ,功徳の道にて修習せるが故に,功徳多大なり。
今や,汝の[出家の]時なり。都城ともども国土を捨てて,
速やかに,衆生を,勝者(仏陀)の功徳行に導きたまえ。
ほうぎよく さいにょ ごんじき
宝玉の[如き]妹女衆が,美麗なる衣服を着け, 身体を厳飾して,
しゅみよう
殊妙なる楽器の,甚だ甘美なる音を奏でたる,その時,
十方の勝者(仏陀)の威力によって,種々なる偶頌が,
よ
美妙の音響を以て,楽器の音より,かくの如く詠み出されたり。即
とうみよう せいがん
世間の燈明なる者よ,多数劫の昔,汝の誓願ありき。
のうわく く どしや
「老・死に悩惑せられたる世間において, われ救護者とならん」 [と]・
にんちゅう し し
人中の獅子[なる者]よ,汝の立てたる.往昔の誓願を想起されたし 人中の獅子[なる者]よ,汝の立てたる,往昔の誓願を想起されたし 35.
618 36.
。
にそく
二足(人間)の主よ,今こそ,汝の出家すべき, その時なり。
ナユタ な
汝は,今まで那由多もの生において,種々多大なる布施を為せり。
財物や黄金や,宝石や,宝石に飾られた美しき衣服や,
手や足や,眼や,愛する息子や,繁栄せる王国を,
しやせ らいこつしや しんに
汝は捨施したるも,汝には,来乞者に対する悪意も腹悪もなかりき。
37
75dvijaを,チベット訳はbramze (婆羅門) と訳しているが,方広に「鵠」と訳されているように, 「烏」の意と見るべき
である。
76これは「P毘王」の捨施行(鷹に追われた鳩のために自分の肉を割いて聡に与え,鳩を救ったという物語)を指している。
77 「上巻」では, 「往昔, スヤマ(シユヤーマ)仙人が, [汝の]樹木の住虚に来詣し, 「この樹の枝葉の如何ほどあるかを数 えよ」と,気ままに言えり。」と訳したが, 「気ままに」と訳した原語ruciは人名であることを知らなかったがための誤 訳であるので訂正する。岡田真美子(1994)「大樹の葉数を知る智者の物語」 (「神戸女子大学紀要(文学部篇)j27巻1号,
71 86頁) :山口周子(2013) 「<仏の物語〉の伝承と変容」京都大学学術出版会, 26頁参照。
78 1asu(lasaのnom.sg.)を「敏捷なる」と訳したが.チベット訳にはこれに当たる訳語がない。
杓チベット訳には「その」に当たる訳語(de)がある。なお, 「上巻」では「憶念」を「思念」と訳し, 「以前の如く」を「端 厳なる樹を」の後に置いていたが,チベット訳に従って訂正する。
鋤この一行のチベット訳は「かくの如き美妙なる言音が,楽器の音より反響せり」という意味の訳文になっている。
汝は, これまでシヴァ81王, シャシケーツ, スダンシュトラと成り,
クリパカルナーマナス,マニチューダ,チャンドラプラデイーパ,
ドゥリダスーラ。 スネートラ82王,かくの如きを初めとして,
いくナユタ
幾那由多もの王が布施への愛好を様々に示現せり,それ汝なりき。
ぜんぜい
善逝よ 汝は,多数劫において,戒行を修習し,
ほうじゆ
無垢なる宝珠の如くに,戒を清浄ならしめたり。
ヤク
汝は,蓬牛鍋が[自らの]尾を愛護するが如く,戒を守護し修習せり。
じかい あいぎよう りやく
持戒を愛楽するが故に,汝はこれまで,世間を大いに利益したり。
かつて汝が高貴なる象たりし時,敵なる猟師に矢で射られたるも,
暴悪なる敵に悲慰の心を生じて,実に彼は[汝によって]護られたり。
じようみようかくやく
[象たる汝は]浄妙赫突たる牙を捨施したるも,戒を捨てざりき。
かくの如きを初めとして,汝は多くの持戒[の行]を自在に示現せり。
にんにく
忍辱を愛楽するが故に,汝は,世間からの数々の別危害や,
せんよ あくば せつがい ほばく
千余[もの多く]の苦悩や,多くの悪罵や殺害や捕縛を忍受せり。
かつて汝があらゆる安楽を与えて奉仕せるところの人々,
その者たちが,後に汝の殺害者となれるも,汝はそれを忍受せり。
庇護者よ,汝が熊錨と成りて,最勝なる山に住したる時,
雪が降り,洪水のために恐怖に脅えたる人を,汝は助けて,
おんよう
色々の果実や根茎を与え,あらゆる安楽を以て温養なせるに,
彼は直ちに,汝に殺害者を連れ来たれるも,汝はそれを忍受したり。
しょうじん かっこ
汝の精進[行]は堅固に維持せられ,確乎として不動なりき。
禁戒と苦行によって種々なる功徳と智と菩提とを希求するが故に,
[欲界の]自在天なるナムチ(悪魔)をも精進力によって無力たらしめ [欲界の]自在天なるナムチ(悪魔)をも精進力によって無力たらしめ 38
39.
40.
620 41.
42.
43.
たり。
人中の獅子[なる者]よ,今や,汝の出家すべき,その時なり。
汝が, この世において,昔,金色に輝く鶴壌践る馬たりし時,
ひみん
悲慰[心]を生じ,天空を飛んで,羅刹女の島87に速やかに至れり。
ちんりん あ人のんしょ
その時,苦境に沈倫せる人々を救い上げて,安穏虚に導けり。
かくの如きを初めとして,汝は多くの精進[の行]を自在に示現したり。
44.
81シヴァ (Siva)はSiviと見るべきであるが,写本の支持がない。方広には「首紳」 (「P毘王」に同じと思われる) と訳さ れている。恐らくSiva=Sivi(=gibi)と見ることが許されるであろう。
82以上の王名の原語と意味は上から順にSiva(P毘),SaSiketu(月嘘),sudamstra(善牙),krpakarunamanas (悲慾心), manicUda(宝髻),candrapradipa(月燈),drjhasUra(堅猛). sunetra(妙目)である。方広には「首紳嘘牙王月燈 珠響及大悲堅猛妙目諸王等」と訳されている。
鍵「琵牛」 (camara)の尾は「蝿払いとして用いられる,王位の窓章の一つ」 (「梵和大辞典」参照) とされる。 「上巻」には
「箪牛」と誤記したので訂正する。
8'チベット訳には「数々の」 (aneka)に当たる訳語がない。
櫛「熊」 (rksu)は,チベット訳には「牝熊」 (dredmo)と訳されている。
閉「金色に輝く」の部分のチベット訳は「雪の如き色の」という意味の訳文になっており,原文のhema(金の)をhima(雪 の) と読んだものと思われるが, himaとする写本は見当たらない。
87チベット訳は「羅刹の島」という意味の訳文になっている。
45鑿瀞こして鯛移ろい易く,感官の対象に愛著して動揺する心を調御し,
おも
禅定に入りて, 自制と寂止によって主なる煩悩を抑圧し滅除せる的
あ(、ぎよう りやく
汝は, これまで,禅定を愛楽するが故に, 自ら功徳ありて,衆生を利益せり。
622
最勝なる衆生よ,今や,汝が禅定を自在に示現すべき,その時なり。
46.往昔,汝は,禅定を愛楽し, [心の]安定せる仙人なりき。
つ
王を失える人々は,汝を選びて,王位に就かしめたり。
ぼんどう じゅうぜん
人民は,汝によって梵道に導かれ,十善を行じたり。9」
みようじゅう
その時,命終せる人々は,みな,梵天界に赴きたり・
しほうし い きようがい
47.汝は,四方四維の,種々なる境界における知識の規則を熟知し,
他者の所行[の智]や衆生の言葉の智, [諸]感官の智[の保持],92 道理93や礼儀種々なる英知の保持において91,汝は彼岸に達したり。
王の子息よ,今や,汝が出家すべき,その時なり。
48.汝は,往昔,邪見を生じたる, これら[世間]の民衆が,
老や死や,多種多様の苦悩のために,苦難に陥りたるを観察し
しようしん しようち
有(老死)を消滅せしめる正真の道を, 自ら證知して,
闇冥を減したる者よ,汝は, この95世間に大利益をもたらせり。
しようみよう
49.かくの如き,多彩かつ勝妙にして功徳ある,様々の偶頌が,
かんぽつ
楽器より反響し, それらは勝者の威力を受けて勇者(菩薩)を勧発せり。
「ここに,苦悩に満ちたる民衆を見て,汝は捨てたまうことなかれ。
無上の覚知を有する者よ,今や汝の出家すべき,その時なり」 [と]。
ようらく けまん
50.様々の美服・宝石・理路.香.華裳を以て身を飾りたる 採女衆が,浄心を有し,愛情を生じ,歓喜に満ちて,
最勝なる衆生(菩薩)を,楽器を奏でて, 目覚ましめたる時,
勝者の威神力により,それらの楽器より,かくの如き偶頌を発したり。
いくこう
51.そのために,汝が,幾劫もの間,捨てがたきを捨施し,
持戒・忍辱・精進をよく修行し,禅定.智慧を修習せる,
りやく
衆生利益を目的となせる汝の,その時が,今や到来せり。
ちゅうちょ
導師よ, 出家の覚悟を速やかに思量し,蹄路することなかれ。
おうしゃく
52.往昔,宝蔵や金や銀や,装飾品を捨施し,
624
郷「軽捷にして」 (laghu)は,チベット訳には「不意に生じて」 (myurduhgyurshin) と訳されている。
8,チベット訳は「諸々の自制・平静・寂止によって主なる煩悩を滅除し」という意味の訳文になっている。
側この一行のチベット訳は「汝は, これまで,禅定を愛楽するが故に, 自分の功徳によって衆生を利益せり」という意味の 訳文になっている。
9!この一行のチベット訳は「汝によって.人民は,十善と梵道とに導かれたり」という意味の訳文になっている。
92この一行のチベット訳は「他者の所行や衆生の言葉を知り. また.感官を知り」という意味の訳文になっている。
93 「上巻」においてはnayaを「分別」と訳したが, 「道理」に訂正する。
9$チベット訳は「種々なる英知の活動の[彼岸に]」という意味の訳文になっている。
蝿チベット訳には「この」 (iha=iha)に当たる訳語がない。
ぜん しよう
汝は鰯, あれこれの[前]生において,様々の祭式を睾葹したり。
汝は,妻や息子や娘や, [自分の]身体や王国や生命を捨施し,
ぼだい
菩提のために,無数の捨てがたきものを,汝は捨てたり。
53.汝は, アディーナプンヤ王, ヴィシュリタシュリヤ,ニミンダラ,
ニミ, クリシュナバンドゥ97,ブラフマダッタ, ケーシャリン,
サハスラヤジュニヤ, ダルマチンテイン98, アルチマット,
ドウリダダナ船, スチンテイタールタ'㈹[王] と成り,
彼らは,哀れなる衆生のために,捨てがたきを捨施したり。
54.かのスタソーマ,デイープタヴイールヤ, プンヤラシュミ'0! [王]に成り,
力勢ありて大捨施をなせるクリタジュニヤ'02 [王]に,汝は成れり。
月の如き色相を有する,勇猛なる王仙サトヤヴァルダナや,
スバーシタンガヴェーシン。 スマティ, スーラタ'03王に成れり。
55.チャンドラプラバ, ヴィシェーシャガーミン. レーヌ,デイシャーンパティ'例に成り,
カーシ国の玉プラダーナスーラ, ラトナチューダ, シャーンタガ105, これらの, また,その他の大王と成りて,捨てがたきを捨施したり。
汝が捨施の雨を降らせたるが如く, その如く法の雨を降らしめたまえ。
56.往昔,汝はガンガー河の砂に等しきほど[多く]の無上士'06 (仏陀)を見て,
むりようふかし ざ
汝は,それらの仏陀に,無量不可思議なる供養を捧げたり。
じ人ぐ
衆生を解脱せしめんがために,無上の菩提を尋求するが故に'07.
勇猛なる者よ,今や,都城より出離すべき, その時が到来せり。
57.初めに,汝はアモーガダルシン'鵬[仏]をシャーラ樹の花を以て供養し109,
せんかん
ヴァイローチャナ'10「仏」を,明浄なる心を以て,瞬時鱸観したり。
626
妬チベット訳には「汝は」 (ti)に当たる訳語がない。
97チベット訳には単にnagpo(=krSna)と訳されておI),bandhuに当たる訳語はない。
黙「上巻」には「ダルマチンテイ」と表記したが. 「ダルマチンティン」と訂正する。チベット訳はdharmacintiをarcimat の修飾語と見ているようである (cfBHSD・dharmacinti{nl)。
"drdhadhana(堅財)は. レフマン校訂本によればdrdhadhanu (堅弓)であり,方広にも「堅強弓」という訳語が見られ るが.諸写本にはdrdhadhanaとされ,チベット訳にもnorbrtan(=dr4hadhana)と訳されているので.いずれとも決し がたい(cfBHSD.drdhadhana)。
! 以上の王名の原語は上から順にadinapulpya,viSrutaSriya.nimindhara,nimi,krSpabandhu,brahmadatta,keSarin,sahasra‑
yajha.dharmacintin,arcimat,drJhadhana(。dhanu?).sucintitarthaである。
'01以上の3人の王名の原語はsutasoma.diptavirya,punyaraSmiである。方広には「戒月,光明,進徳光」と訳されている。
lo2krtajriaは「知恩」の意である。方広にも「知恩」と訳されている。
'03以上の4人の王名の原語と意味はsatyavardhana(典実墹上).subhaSitamgaveSin(善説尋求).sumati(妙慧),sUrata(調
柔)である。
'o'Mv(iiip.204if)においては, レーヌはデイシヤーンバテイの息子(王子) とされている (cfBHSD,Renu)。平岡聡訳「梵 文「マハーヴァストウ」全訳ブッダの大いなる物語⑦」323頁以下参照。
'06以上の7人の王名の原語はcandraprabha,viSeSagamin,renu.diSampati,pradanasUra(=pradanaSUra).ratnacUja,Santaga
である。
' 「無上士」 (sattvasara)とは「最良の衆生」の意である。
1碗『上巻」には「尋求しつつ」と訳したが,チベット訳を参考に「尋求するが故に」と訂正する。
I(BamoghadarSinは「不空見」の意である。方広にも「不空見」と訳されている。
'側「シヤーラ樹の花を以て供養し」 (SalapuSpapUjita)は,方広には仏名として「堅固花佛」と訳されている。
llovairocanaは「遍照」の意である。方広には「毘臘遮那」と音訳されている。
ドウンドウビスヴアラl皿 [仏]に,汝はハリータキ−''2 [の実''3]を一つ献上したり。
チヤンダナ''4 [仏]を見て,汝は草炬''5を取って,家まで捧げ持ちたり。
こぶしいっぱい こんまつ
58. レーヌ''6 [仏]が城内に入るのを見て, [汝は]拳一杯の金末117を散じたり。
よきかな
ダルメーシュヴァラ''8 [仏]が法を説ける時, 「善哉」との語を発したり。
サマンタダルシン''9 [仏]を見て, 「竜鍵,南垂'"」との言葉を唱えたり。
マハールチスカンダ'2! [仏]に,汝は,欣躍として,金の蕊'型を散じたり。 きんやく 59 ダルマドウヴァジヤ'愛[仏]に燈芯を奉施し, ローダ12 [仏]に空蒲のl蜜豆を, とうしん ほうせ
ジュニヤーナケーツ126 [仏]にアシヨーカ樹の花127を,サーラテイ1認[仏]に粥を,
ラトナシキン'鱒[仏]に燈火を奉施し,パドマヨーニ'鋤[仏]に薬草を,
サルヴアービブ‑13! [仏]に真珠の瑠略を,サーガラ132 [仏]に蓮華133を奉施したり。
628 60.パドマガルバ'糾[仏]に天蓋を奉施し, シンハ'弱[仏]に雨用寝具'弱を,
そ
サーレーンドララージャ'37 [仏]に酢を奉施し,プシュピタ'郷[仏]に牛乳を捨施し,
'''dundubhisvaraは「鼓音」の意である。方広にはこれに当たる訳語が見当たらない。
''2haritakiは「訶梨勒」と音写される。 「インド・インドネシア地方に産する果樹の名。果実は薬用となり,五薬の一つ」
とされる。 「佛教語大辞典」 154頁参照。
ll3チベット訳には「実」に当たる訳語(hbru)がある。
''4candan2は「栴檀」と音訳される。方広にも「栴檀佛」と訳されている。
''5「草炬」 (trnolka)は「草の炬火」の意。チベット訳にはrtsvahimesgron(藁の炬火) と訳されている。
''6renUは「塵,花粉」の意である。上掲第55偶においては「王名」として出てきたが, ここでは「仏名」として出ている。
ll7チベット訳にはphyema(=cDrpa;香末) と訳されており, svarna (金)に当たる訳語はないが,方広には「金末」 (金
の粉末) と訳されている。
''8dharmeSvaraは「法自在」の意である。方広にも「法自在佛」と訳されている。
''9SamantadarSinは「普見」の意であるが.方広には「普光如来」と訳されている。なお. 「上巻」には「スマンタダルシン」
と誤表記したので, 「サマンタダルシン」と訂正する。
I鋤「南無」 (namas)とは「帰依する,帰命する」の意である。
'2'maharciskandhaは「大焔聚」の意である。方広には「大聚光佛」と訳されている。
'露「金の理路」は,方広には「金花」と訳されている。
'23dharmadhvajaは「法瞳」の意であるが,方広には「光瞳如来」と訳されている。
'2イrodhu(rodhaのacc・ sg.)については不明である。チベット訳[gsal]によればrocuと読み, roca(光輝) という仏名の acc.sg.と見るべきであるが.写本の支持がない(cfBHSD.?Rodha)。方広にはこれに当たる訳語がない。
'泌「一掬の」 (mustina)とは「ひとすくいの,手一杯の」の意である。チベット訳にはこれに当たる訳語がない。
!26jnanaketuは「智瞳」の意である。方広にも「智瞳佛」と訳されている。
1万「アシヨーカ樹(無憂樹)の花」 (aSokapuSpa)は,方広には仏名として「無憂花如来」と訳されている。
'28sarathiは「御者」の意である。方広にはこれに当たる訳語はない。
'29ratnagikhinは「宝髻」の意である。方広には「齋髪佛」と訳されている。
'3opadmayoniは「蓮華生」の意であるが,方広には「花光如来」と訳されている。
'3'sarvabhibhUは「一切勝過(全てを凌駕せるもの)」の意である。方広には「無畏佛」と訳されている。
'32sagaraは「大海」の意であるが,方広には「婆砥伽羅佛」と訳されており,梵文と合わない。
1羽「蓮華」 (padma)は,方広には「波頭摩賓」と音訳されている。
'34padmagarbhaは「蓮華蔵」の意である。方広にはこれに当たる訳語は見当たらない。
'35simhaは「獅子」の意である。方広にはこれに当たる訳語は見当たらない。
'"vars2RFImsmr2とは「雨を避けて寝るための天幕」であると思われるが, ここでは「雨用寝具」と訳した。
137salendrarajaは「沙羅樹王」の意であり,方広にも「沙羅王佛」と訳されている。
138pUSpitaは「開花」の意である。方広にはこれに当たる訳語は見当たらない。
国際文化学部論集第20巻第2号(2019年9月)
ヤシヨーダツタ'39 [仏]にクルンタの花140を,サトヤダルシン'4! [仏]に食物を,
ジュニャーナメール'42[仏]に身を屈して礼拝し,ナーガダッタ'43[仏]に衣服を[奉施したり]。
じようみようせんだんこう ていっぱい
61. アテイウッチャガーミン'44 [仏]に上妙の浦檀香を,ティシュヤ'45 [仏]に掌一杯の塩'46を,
マハーヴイユーハ'47 [仏]に蓮華を献上し, ラシュミラージャ'48 [仏]に宝石を,
シヤーキヤムニ'49 [仏]に掌一杯の黄金l釦を, インドラケーツ'5! [仏]に称讃[の言葉]を,
スールヤーナナ152 [仏]に耳飾りI詔を, スーマテイ1劃[仏]に金の冠飾l弱を[奉施したり]。
62. ナーガービブーl弱[仏]に宝珠を奉施し,プシュヤ'57 [仏]に更紗の敷具1銘を,
ほうがい
バイシヤジユヤラージヤ159 [仏]に宝蓋160を, シンハケーツ'6! [仏]に座162を,
ダナーグラダーリン163 [仏]に宝網を, カーシュヤパ'劇[仏]にあらゆる磯を, ほうもう
ガンダーグラ'65 [仏]に香末l"を散じ, アルチケーツ'67 [仏]を花を以て供養したりl鶴。
じゅうかく
63 アクショーブヤラージャ161 [仏]に重閣を, ローカプージタ" [仏]に華鑿を。
139yaSodattaは「施名称(名声を賦与された)」の意であるが.方広には「名構如来」と訳されている。
'・'okuruntaは「鶏頭又はBarleriaの一種」 (「梵和大辞典」参照) とされる。チベット訳にはkunda(=kunda)と音訳されて
いるが,方広には「師子座」と訳されており,梵文と合わない。
'4'satyadarSinは「見真実(真理を見る)」の意であり,方広には「眞實佛」と訳されている。
142jnanamerUは「須弥智(智の須弥山)」の意であるが,方広には「高智如来」と訳されている。
l43nagadattaは「龍施」の意であり,方広にも「龍施佛」と訳されている。
'44atyuccagaminは「極高行(極度に上昇する)」の意であり.方広には「増上行佛」と訳されている。
'45tiSyaは「天界の射手の名」「月宿(第六又は第八)の名」 (「梵和大辞典」参照) とされ,諸種の人名としても用いられる。
方広には「致沙佛」と音訳されている。
l栂「掌一杯の塩」は,方広には「妙鉢」と訳されている。
'.'7mahaviyUha(=mahavynha)は「大荘厳」の意であり.方広には「大駿佛」と訳されている。
118raSmirajaは「光王」の意であり,方広にも「光王佛」と訳されている。
'49Sakyamuniは「釈迦牟尼」の意であり,方広にも「樺迦佛」と訳されている。
'鋤「掌一杯の黄金」は,方広には「金蓮華」と訳されている。
'5'indr2ketuは「インドラの旗」の意であるが,方広には「宿王佛」と訳されている。
'52sUryananaは「日面(太陽の顔面)」の意であり,方広にも「日面佛」と訳されている。
'詞「耳飾り」 (avatamsaka)は,方広には「荘耳花」と訳されている。
'"sUmati(=sumati)は「善意」の意であり,方広には「妙意佛」と訳されている。
'弱「金の冠飾」 (svarnapatta)は,方広には「眞頭花」と訳されており,梵文と合わない。
'36nagabhibhuは「龍調伏(龍を制圧する)」の意であり.方広には「降龍佛」と訳されている。
157puSyaは「第六の月宿の名」であるが,方広には「増益佛」と訳されている。
'弱「更紗の敬具」 (duSyasa'nstara)は,方広には「衆寶蓋」と訳されている。
'59bhaisajyarajaは「薬王」の意であり,方広には「藥師佛」と訳されている。
1脚「宝蓋」 (ratnachattra)は,方広には「勝妙座」と訳されており,前後の仏への施物との混同が見られる。
16'simhaketuは「獅子の旗」の意であり,方広には「師子瞳佛」と訳されている。
'鯉「座」 (asana)は,方広には「衆賓網」と訳されている。
163gupagradharinは「勝徳具足(最高の徳を具有する)」の意であり,方広には「持徳佛」と訳されている。
161kaSyapaは「カシュヤパ(kaSyapa)仙の後商」の意であるが,一般に「迦葉」と音訳される,方広にも「迦葉佛」と訳
されている。