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和訳「ラ'ノタヴィスタラ(改訂版)」 (第15章)

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(1)

厩 −詞

和訳「ラ'ノタヴィスタラ(改訂版)」 (第15章)

外薗幸一

まえがき

本稿は前号(鹿児島国際大学『国際文化学部論集』第20巻2号)に掲載した和訳「ラリタヴィス タラ(改訂版)」 (第13 14章)」に引き続くものである。 「第19巻1号」 (本シリーズ冒頭の号)所 載の和訳「ラリタヴイスタラ(改訂版) (第1〜3章)」の「まえがき」に記載したように,筆者は,

すでにラリタヴイスタラ全27章の初訳を一応完了しているのであるが, もう少し読み易い和訳にす ることを目標に「改訂版」を作成することにした。そして, これまでに第1章から第14章までを発 表したので,今回はそれに続く形で,第15章を掲載する。なお,第15 21章は,拙著「ラリタヴイ スタラの研究中巻」の「第三部」に掲載したので, これらの章は『中巻』を底本とすることにな

る。

略号

方広=『方廣大荘厳経j (大正新脩大蔵経187). ChineseTranslationoftheLalitavistara 普曜=『普曜経』 (大正新脩大蔵経186). AChineseTranslationofthe(old)Lalitavistara.

「佛教大辞典』 = 「望月佛教大辞典(増訂版)」 (昭和32年増訂版,世界聖典刊行協会)

「梵和大辞典j=荻原雲来編『漢訳対照梵和大辞典」 (昭和53年,講談社)

『佛教語大辞典』 =中村元「佛教語大辞典j (昭和56年,東京書籍)

「上巻」 =外薗幸一「ラリタヴイスタラの研究上巻」 (平成6年,大東出版社)

「中巻』 =外薗幸一「ラリタヴイスタラの研究中巻』 (2019年,大東出版社)

BHSG=B"dd〃ぶHy6γ趣W"sたγ〃G"〃〃αγα"dac"0"α7fyVol. I :Grammar,byF.Edgerton, NewHaven,1953.

BHSD=Ditto,Vol.II:Dictionary.

括弧符号の使い分け

和訳の文章中において用いる括弧は,原則として,次のように区別する。

l. 「 」は,会話文を示すために用いる。

2. ( )は,直前の言葉を,別の言葉で言い換えるために用いる。

3. [ ]は,訳文を補充して,意味をはっきりさせるために用いる。

4. 〈 〉は,特殊な複合語や,重要な熟語を示すために用いる。

5. 《 》は,東大主要写本に原文が欠落しているが,挿入すべきである部分の訳文に用いる。

6. 〔 〕は,東大主要写本に原文が挿入されているが,削除すべきである部分の訳文に用いる。

7. 【 】は,諸写本に混乱があり,削除すべきか挿入すべきか確定しがたい部分の訳文に用いる。

※なお,第15章から第21章までの訳文の左端に付した数字(40〜446)は, 「中巻」第二部(本文校 訂)における梵語原文のページ数を示すものである。

キーワード:ラリタヴイスタラ,仏伝文学,大乗仏教,混清梵語,仏教思想

(2)

『ラリタヴイスタラ』 (大遊戯経)

第15章(出家品)↑

40 さて, その時,比丘らよ 菩薩にかくの如き思念が生じたり。 「われ, もしシュドーダナ王に知 らせることなくして出家するならば, それは, われにふさわしからず,忘恩の行為となるべし」

しんしん お せいでん

[と]。彼(菩薩)は,深々たる夜半に, 自らの宮殿より降り, シュドーダナ王の正殿に来たりて,

立てり。しかもまた2,菩薩がそこに立つや否や,かの3正殿は, あまねく光明に照らされたり。そ

じしん たず

の時王は目覚めて,その光明を見たり。更にまた, [それを]見るや,直ちに,急ぎ侍臣に訊ね

じしや

たり。 「おお,侍者よ,太陽が昇りたるや。そのために.かくの如き光明の輝けるや」 [と]・侍臣 は答えたり。 「王よ,今なお,夜の半分も経過せず。しかもまた,王よ,

1. [日中には]太陽の光によって樹木や壁の影が生じ4,

また, [太陽の光は]身体を焼き,熱を生ぜしむ。

夜明けには,ハンサ5 (鴬鳥)やマユーラ(孔雀)やシュカ (鶏鵡)や,

コーキラ (郭公)やチャクラヴァー力 (養養)等が各々の鳴声を発する。

2. されど,王よ, この光明は, 人に安らけく,快適にして,

清凉ならしめ,愉悦を与え,熱悩を生ずることなし。

また,壁も樹木も突き抜けて,影は全く存在せず。

必ずや[誰か]功徳を有する者が,今, ここに到来せり」 [と]。

3.かの王は,不安げに,十方を観察したり。

まな二

かくて,蓮華の眼を有する,かの清浄衆生(菩薩)を見たり。

た な え

42 彼(王)は寝台より起たんと欲したれども,為し得ざりき。

心意清浄にして高貴なる者ア (菩薩)は.父への敬意を穂きたり。

4.彼(菩薩)は,王の前に立って,告げたり。

しようなん な しのうのう

「もはや障難を為すことなく, また,愁悩したまうことなかれ。

王よ, われの出家すべき時機が到来せり8°されば,王よ,

親族・国民もろともに, [わが出家を]忍受されたし」 [と]。

5.王は目に涙をためて,彼(菩薩)に言えり9.

いんとん いか

「汝の隠遁(出家生活)には,如何なる目的のあらんや。

1

方広も「出家品」と訳している。

チベット訳には「しかもまた」 (capunar)に相当する訳語がない。

チベット訳には「かの」 (asau)に相当する訳語がない。

チベット訳は「太陽の光は樹木や壁の影を作り」という意味の訳文になっている。

hamsaは「インド文学において最も親しまれた脇で,古くは白鳥と訳されたが,鴬 粥の一種である」 (中村元編著『図説 佛教語大辞典」 140頁参照)。

cakravakaは「赤き驚烏[夫婦愛の典型として考えらる。この鳥の雄雌は夜を別れて過しその間悲しく鳴き叫ぶと云はる]

(「梵和大辞典」参照)」。 「中巻」には「鴬′13」と袖i沢したが「鴛繕」と訂正する。

チベット訳は「厳も心意清浄なる者」という愈味の訳文になっている。なお, 「中巻」には「心意清浄なる,高貴なる者」

と訳したが. 「心意清浄にして尚黄なる者」と訂正する。

チベット訳は「出家すべき時の到来を迎えたり」という意味の訳文になっている

「彼に言えり」は, チベット訳には「かくの如く誘えI)」という意味の訳文になっている。

34P⑩

6

89

(3)

われに如何なる所願を乞わんとするや。告げよ,何なりと与えん。

われと,王室と, この王国とを継承せよ」 [と]・

みみよう ご人おん

6. その時,菩薩は美妙なる言音を以て語りき。

「王よ, わが欲する四つの所願あり。それをわれに与えたまえ。

も かな

若し御身にその能力があって, われに与えること叶わぱ,

いざ'o, [われは]常に家の中に居住して, 出家せざるくし。

ろう そんもう

7.王よ,われは老のために損耗せられることなく,

しんしさびれい せいしゅん

永遠に,身色美麗にして,青春に住せんことを。

むびょう びょうげん ひつのう

また,無病たることを得て,病患に逼悩せられることなく,

また,寿命は無量にして,死することなからんことを欲す。

【また,広大なる繁栄より衰亡の生ずることなからんことを''】」 [と]・

いた

8.王は[この]言葉を聞くや,甚<苦悶して[言えり],

「王子よ, [汝は]不可能なることを願えり'2。われにその能力なし。

老・病・死の危難から, また.衰亡からは.

いつこう

一劫もの[永き]間生存する仙人たちですら,決して解放されることなし」 [と]。

〔王子は言えり。'3)

9. 「老・病・死の危難と,衰亡のなからんことをとの,

ほどこ

[これら]四つの所願を,王よ, もし今ld10施し得ざるとすれば,

せめて15,王よ.別の,一つの所願を間きたまえ。

みようじゆう

[すなわち]われ16, ここより命終して,再び生を受けることなからんことを」と。

に人ち◎う

10.人中の牡牛(菩薩)の,かくの如き言葉を聞くや,

かつあい びはく あいじゃく だん

[王は自らの]渇愛を微薄ならしめて,息子への愛著を断じたり。

「福利を与える者よ, [汝が]衆生を度脱せしめることを, われは随喜す。

いがん

汝の意向のままにl7,汝の意願を成就されたし。

44

その時また,比丘らよ 菩薩は戻りて, 自らの宮殿に登り,寝台に横たわれり。されど,彼が外 出せることも, また帰来せることをも,誰も気づくことなかりき。

かくして,実に比丘らよ シュドーダナ王は,その夜が明けるや,全てのシヤーキヤ族(釈迦族)

'o「いざ」は,幾つかの写本によれば「その場合」と読むことが可能である。

'! 【 】内の一行については.論写本の間に混乱が見られる。元来の原文は4行より成るもので,老・病・死・衰亡の各々 に一行を配当するものであったに速いないが, 後に.死と衰亡とを同一視して。いずれかを削除する写本が現れてきたも のと思われる。それは老に関する文を2行に増やしたことと関係があったかもしれない。チベット訳では.第4行が衰亡 に関するものとなっており,死に関する文はなく.第5行に当たる訳文は見当たらない。

1ユチベット訳は「願うが故に」という意味の訳文になっている。

!:;レフマン校訂本には. ここに「これなる父の言葉を聞いて.王子は告げたり」という文を挿入しているが. この挿入文は 東大主要写本にはなく.チベット訳にも相当訳文がないので.削除すべきである。

'! 「今」の原文daniは.チベット訳[jdidag]によればtani (これらの) と読むべきであるが.写本の支持がない。

'5「せめて」の原文hantall(?)は不明である。ここではhantaに│司意と見て「せめて」と訳したが, チベット訳にはgsol gyis (乞うが故に) と訳されており.梵文と合わない。

'{;チベット訳には「われ」 (me)に当たる訳語がない。

'7チベツト訳には「汝の懲向のままに」 (yanmatamte)に机当する訳語がない。

(4)

てんまつ いか な

衆を召集して.この事の顛末を語りき。「王子は出家せんとす。されば,われらは如何に為すべきか」

[と]・シャーキヤ族の者たちは言えり。 「王よ,われらは警護すべきなり。それは何ゆえか'8.これ

おおぜい ひとり

らシャーキヤ族の衆は大勢にして,彼(王子)はただ一人なり。されば,力づくにて(強引に)出 家する,如何なる能力が彼にあらんや'9」 [と]。

そこにおいて,彼ら, シャーキヤ族衆とシュドーダナ王とは, シャーキヤ族の王子にして,武芸

ひい

46に秀で,実践の訓練を積み鋤, 弓術に熟達し,大力士の如き力を具足せる者五百名を,菩薩を警護

ごひや〈じよう

するために,東の城門に配置せり。また,それぞれのシャーキヤ族の王子には五百乗の戦車が随伴 し, さらに,それぞれの戦車には五百名の随兵が,菩薩を警護するために配置せられたり。同じく,

南と西と北との城門にも,それぞれ.武芸に秀で,実践の訓練を積み,弓術に熟達し,大力士の如 き力を具足せる, シヤーキヤの王子五百名が, また, それぞれのシヤーキヤ族の王子に五百乗の戦 車の随伴と, さらに,それぞれの戦車に五百名の随兵とが,菩薩を警護するために配置せられたり。

また, シヤーキヤ族の[男女の]長老たちも,全ての十字路・交差路・岐路2'に,見張りのために

ひき いによう

立てり。また, シュドーダナ王は五百名のシャーキヤ族の王子を率い, [彼らに]囲続せられ随従

おこた

せられて, 自らの宮殿の門において,馬や象にまたがり,警備を怠らざりき。

また,マハープラジャーパティー・ガウタミーは, 自分の侍女衆に告げたり。

とうか ほうじ、

ll. 「明浄なる燈火を燃やし,全ての宝珠を旗の先端に付けよ。

ようらく た か

諸々の理路を垂れ懸け, この宮殿を. くまなく光明あらしめよ。

ぎがく こよい

12.伎楽を演奏し,今宵怠ることなく警備せよ。

知らぬ間に,王子が去り行くことのなきように. よく見張るべし。

やづつ と

48 13. [汝らは]武装して,手に矢筒を執り,剣や弓矢や槍や識塑を持ち。

ふんれい

愛する息子(王子)を守護するために,みな,大いに奮励せよ。

かんやく

14.剛強なる関鋪を以て厳重に[門扉を]固め,全ての門を閉鎖せよ。23

時至らずして[門を]開くことなかれ。この最勝衆生(菩薩)を去らしめることなかれ。

もろもろほうじゆようらく はなかんざし よんげつほう ‐

15.諸の宝珠理路,真珠理路,花答24や半月宝2.,獅子.ターラ樹葉の[図案の]宝飾を,

金帯や指環や耳飾りを26, [また]諸の足環を,美麗に装着せよ。

にんてん りやくしや

16.人天の利益者幻(菩薩)が,狂象の如<に駆け回り, たとえ突然に出走せんとするとも,

l8チベット訳は「それは何故かといえば」 (decihisladdushena) と訳している。

l9チベット訳は「彼は. ただ一人なるが故に,力づくで出家する能力は.彼にはなければなり」という意味の訳文になって いる。

動)原文krtayogyaは辞諜に見当たらず,意味不明であるが.Faucauxの仏訳(1884) "soldatsaguerrig(p.176)を参考に「実 践の訓練を祇み」と訳す。チベット訳にはhossugyurpaと訳されている。

z'pUgarathyaは「多くの大道の集まるところ」の意であるが, ここでは「岐路」と訳す。チベット訳にはlampocheman pOと訳されている。

22「矛戟」 (tomara)は「ほこ」の意である。 「矛」も「戦」も「ほこ」であるが, 「戟」は「二つの枝のあるほこ」である(「新 漢語林」参照)(

2:}この一行のチベット訳は「全ての門を閉ざし,厳戒に鍵をかけ.剛強なる枢木の関鋪を[扉の]中央に差し込み」という 意味の訳文になっている。

2;「花群」 (mukhapuStaka)についてはBHSDを参照。方広は「花擶」と訳している。

錫「半月宝」 (ardhacandra)についてはBHSDを参照・方広は「半月垂」と訳している。

鋤チベット訳は「金帯や指環や耳飾I)を結び留めて」という意味の訳文になっており, 「結び留めて」 (chinsSinthogs)が 挿入されている。

幻「人天の利益者」とは「人間や天神に利益を与える細の意である。

(5)

こうむ

[彼が]傷害を被ることのなきように, [汝らは]いよいよ, ますます奮励努力せよ。

17.槍を[手に]持てる女人たちが,無垢なる者(菩薩)の寝台を囲続せよ。

しゆうば<

睡魔に囚縛せられることなく28,戯[の眼]の如き眼を以て見張りせよ。

,8.王子を警護するために, この宮殿を宝石の羅網を以て誌潅せよ鋤。 らもう じ人く

また,笛の音を吹き鳴らし割),今宵 塵垢なき者(菩薩)を監視せよ。

19.互いに目を覚まし合い,眠ることなく、 この夜を徹して警戒せよ。

[王子が]王位も王国も振り捨てて, 出家することの断じてなからんことを31o 20.彼(王子)が去りゆかば, この王宮の一切は楽しからず。

久しく存続せる王家の家系も,ついに断絶すべし」 [と]。

50

やしゃたいしよう

さて,その時比丘らよ パーンチカ32(股遮迦)夜叉大将を筆頭とする,二十八《大郷》夜叉将軍と,

五百名のハーリーテイー鋤(鬼子母)の息子たちとは,一処に集会して,かくの如く談義をなせり。

「諸君今日,菩薩は出家したまうべし。汝らは彼(菩薩)を供養せんとの願望を起こすべきなり」

[と]。

また 四大天王(護世四天王)はアダカヴアテイー鰯なる[夜叉の]王都に入りて,彼ら36,夜叉 の大衆に呼びかけたり。 「諸君,今日,菩薩は出家したまうべし。汝らは彼の37乗馬の脚を持ち上 げて銘, 出城せしめよ」 [と]。 【しかし39】かの40夜叉衆は答えたり。

けんご ふえ ナーラーヤナ

21. 「その身たるや,金剛の如く堅固,不壊にして,那羅延神41にも似て重厚なる,

かの,一切衆生中の最尊者(菩薩)は,精進力を具足して,不動なり。

52 巨大なる山王メール42を引き抜いて,空中に持ち上げることは, よしんばかなうとも,

あチベット訳は「睡魔に囚縛せられることのなきように」という意味の訳文になっている。

麺「掩覆」とは「おおいつつむ」ことである。 「中巻」には「この宮殿に.宝石の羅網を掩覆せよ」と訳したが,文法的に適 切でないと思われるので訂正する。

釦チベット訳は「諸の笛をみやびに吹き鳴らせ」という意味の訳文になっている。

3!チベット訳は「[王子を]家より出離せしめることなかれ」という意味の訳文になっている。

32paricikaは「yakSa (夜叉;薬叉)の首領の名」である。 「二十八大薬叉」とは「十方国土を守護する鬼神で,上下.四方 にそれぞれ四神あり, これに四維の四神を加えた二‑'一八である」 (「佛教語大辞典」 1046頁参照)。

33「大」 (maha)は東大主要写本には欠けているが.チベット訳によれば, これを挿入すべきである。

31日本で安産の女神とされるhariti (鬼子母神)は「訶利底」と音写される。 「繋悪であり,他人の幼児を食らう夜叉女で.

後に仏の教化を受けて仏法および幼児養育の神となった」「もと鬼神の妻で五百の子を生む。前身が邪悪で.王舍城に来 て幼児を取って食べていた。仏はこれを戒めるために,その一子を隠すと.悲嘆痛傷してかぎりがなかった。そこで仏は 説いて. 「五百人の子の中の一子すら汝はこのように悲しむ。汝に食われる親の胸中はどうか」とさとしたので.身につ まされて納得し、以後は仏教に帰依し、蒋願を立てて安産と幼児保護の神となった」という。 「佛教語大辞典」207頁参照。

35adakavatiは. a!akavati(=a1akavati).alakavatiとも呼ばれる。ここでは「夜叉の王都の名」とされている。cfBHSD,

adakavati.

郡チベット訳には「彼ら」 (tam)に当たる訳諦がない。

37チベッ卜訳には「彼の」 (sa)に当たる訳語がない。

錦チベット訳は「脚を手で持ち上げて」という意味の訳文になっており. 「手で」 (lagnas)が挿入されている。

「しかし」 (ca)は東大主要写本に欠けており.チベット訳にも相当訳語が見当たらないので.削除すべきかもしれない。

4Oチベット訳には「かの」 (sa)に当たる訳語がない。

41narayapa (那羅延)は. ヒンドゥー教ではヴイシユヌ神やクリシュナ神の異名とされるが. 「仏典一般では金剛力士.堅 固力士, あるいは力士ともいい.大力を有する神の意。天上界の力士」 (「佛教語大辞典」 1029頁) と説明される。cf BHSD,Narayapa.

12

meruは「猟弥山」 (Sumeru)に同じ。 「仏教宇宙観で,宇宙の中心をなす巨大な山」である。愈訳して「妙高山」とも

いう。中村元他編「岩波仏教辞典」413頁参照。

(6)

勝者(仏陀)の功徳ありて.幾多のメール山を絶して重き43,

え じ

福徳と智に依止せる者(菩薩)を, いずこへなりと運ぶことは不可能なり」 [と]。

ヴァイシュラマナ

毘沙門天↓'は言えり。

22. 「高慢にして尊大なる人々,その者たちに大師(菩薩)は重く,

さようあん

絶えず愛念と敬意を払う者たちには.軽安に感ぜられるべし。

ちゅうし人

衷心より尊重心を以て精励するならば.

わたげ

彼の肉体を,空中に舞う綿毛の如く軽きものと知覚すべし。

23. われは,先に立って[先導して]行かん。汝らは馬を運ばれたし。

菩薩が出家したまう時に, [汝らは]多大なる功徳を獲得されよ」 [と]。

てんしゆたいしゃ< とうりてん

その時. また比丘らよ 天主帝釈(帝釈天)は三十三天( │刀利天)の天神たちに呼びかけたり。 「諸 君,今日,菩薩は出家したまうべし。汝らは.みな,彼を供養せんとの願望を起こすべきなり」[と]。

そこにおいて. シヤーンタマテイ15 (寂意) と名づける天子あり,彼は,かくの如く言えり。 「わ

こんすい

れは. まず16,大都城カピラヴアスツの,全ての女.男.童児・童女をして,昏睡せしむくし」 [と]・

ラリタヴユーハ47 (遊戯荘厳) と名づける天子あり,彼は,かくの如く言えり。 「われもまた,全

ろば らくだ いんぼっ

ての'8馬・象・離馬・酪駝・牛.水牛.女.男.童児・童女の,音声を隠没せしむくし」 [と]・

ヴユーハマテイ19 (厳慧) と名づける天子あり.彼は,かくの如く言えり。 「われは.天空上に

七台分の戦車の広さを有し30.宝石の欄干に囲まれ、に熊若副の珠宝の光明に輝き,傘蓋・旗幟・嘘

幡が掲げられ,種々の花が散り敷かれ,種々の香炉より芳香の焚かれたる,荘厳なる道を造作すべ し。その道によって,菩薩は出城したまうべし」 [と]。

アイラーヴアナ52と名づける象王あり、彼は53,かくの如く言えり。「われもまた 自分の鼻の上に,

ゆじゆん ぞうりゅう

三十二由旬の大きさの54重閣を造立すべし その上に, アプサラス(天女)たちを載せ 楽器や伎

けいが

楽の音を響かせ,大いなる歌詠と器楽とを以て菩薩を慶賀し,供養をなしつつ進行すべし」 [と]・

てんしゆたいしゃ〈

また.天主帝釈は自らかくの如く言えり。 「われは[城]門を開かん。また,道を指し示すべし」

[と]・

ほうぎよう ‐‐

ダルマチャーリン(法行)天子"は言えI)。 「われは中宮採女衆の醜態を示現すべし」 [と]・

た まつ

サンチョーダカ (勧発)天子論は言えり 「われは菩薩を寝台より起たせ奉るべし」 [と]。

54

':;チベット訳は「勝者の功徳あるメール山(菩薩)は聴く」という意味の訳文になっている。

'$vaiSramana (毘沙門)は「北方の世界を守渡する神」であI).四大天王の頭目に位置づけられる。

InSantamatiは.方広には「静慧」と訳され.藩I服には「寂意」と訳されている。

'1;チベット訳には「まず」 (tavat)に当たる訳語がない。

'7 1alitavyuhaは,方広には「荘厳遊戯」と訳され, :WfIIM!には「光音」と訳されている。

1脚チベット訳には「また,全ての」 (apisarva)に柵'iする訳語がない。

'()vynhamatiは,方広には「厳慧」と訳され・ :淵珊には「ii'i浄」と訳されている。

剛!チベット訳は「七台の大戦車の」という意味の訳文になっており. 「広さ」に当たる訳語がない。

副「日災石」 (snryakanta)は「日水晶」とも訳される。 「太陽の愛人」の意であり, 「日光に照らされると熱を放出するとい う榔話的特性をもつ水晶の一種」 (「梵和大辞典」参照)である。

32ai,・avanaは.方広には「伊鉢羅王」と訳され,WIlll!には「伊羅末龍王」と訳きれている。

3:'チベット訳には「彼は」 (sa)に当たる訳語がない

5'チベット訳には「大きさの」 (pramapam)に当たる訳語がない。

、E'dharmaCaridevaputraは方広には「法行天子」と沢されているが.普曜には「法行菩薩」と訳されている。

samcodakodevaputraは方広には「開発天子」と訳されている。普曜にはこれに当たる訳語がない。

詞)

(7)

そこにおいて,ヴァルナ竜王と,マナスヴィー竜王と,サーガラ竜王と。アナヴァタプタ竜王と,

ナンダとウパナンダ57の両竜王とは,かくの如く言えり。 「われらもまた, 《菩薩を供養せんがため に銘》カーラーヌサーリン59の雲を化作し, ウラガサーラ(龍勝)栴檀60の香末の雨を降らしめん」

[と]・

ガンダルヴァ いがん

かくの如く,実に比丘らよ 天神・竜・夜叉・乾闘婆たちもまた, これと同様なる類の意願の決 定を思念し, また, [その実行に]着手せり。

ごにゅう ぎがくでん

また61,菩薩が法の思念に悟入し,伎楽殿62において,安楽なる寝台に横たわり, 中宮妖女衆の中

あ し人ち、う

に在りて,過去仏の所行を思念しつつ,衆生の福利を"念慮せる時に,四種の本願の句が[心中に]

おうしやく じそんしや

現前せり。 [その]四種とは如荷なるものか。 [すなわち] 「往昔, われ, 自存者"中の王たる地位

ほつ がんぐ がいこう

を欲し,一切智[性]を願求して,かくの如く鎧甲に身を固めたり侭。苦悩せる衆生を見て,願わ

ぱ<せつ

くは,われ,輪廻の大牢獄の縛継髄に留置せられたるく世間〉なる俗界の67,輪廻の牢獄を破りて,

せいめい じようきく あしかせ けばく

獄舎解放の声明を発すべし。また,渇愛の繩索と牢固たる足柧とに繋縛せられたる,諸々の衆生を 解脱せしむくし」 [との侭], この第一の本願の句が[心中に]現前せり。

しようまく あんえい

「願わくは,われ, 【輪廻の ,】獅の盲闇なる大密林に迷入し",無智なる障膜と暗蒻とに眼を覆

ちえげん ぐち

われて智慧眼を喪失し,無明と愚爆とによって盲目となれる世間に,法の大光明を投ずべし。また,

智の燈明を煮すべし。三解脱門71より成る智の点眼薬を処方し, また,方便と智慧と知識とを調合

して72,無明の盲闇と愚癌の暗冥と 【暗鶚と73】障膜と汚濁との全てを取り除き, [衆生の]智慧眼を 明浄ならしむくし」 [との74], この第二の本願の句が[心中に]現前せり。

「願わくは,われ,驍慢の旗を掲げ,我見と我所75とに執著し, 〈自我〉及びく自我の所有>76[あり]

56

57以上の竜王名の原語は,上から順にvaruna,manasvi,sagara.anavatapta・nanda.upanandaである。

58《 》内の原文は東大主要写本に欠けているが,チベット訳によれば. これを挿入すべきである。

59kilin,,Ririnは「時に随順する」の意味であり,栴檀の一種で. 『梵和大辞典」には「安息香」と訳されている。cf

BHSD,kalanusari.

60uragasara.candanaも栴檀の一種で, 「蛇心檀」「龍勝栴檀」等と漢訳される。

6】チベット訳には「また」 (ca)に当たる訳語がない。

鯉「伎楽殿」 (samgitiprasada)は,方広には「音楽殿」と訳されている。

侭チベット訳は「衆生に対する利益の行為を」という意味の訳文になっている。

例「自存者」 (svayambhn)とは「独立自存する者」の意であり, 「仏陀」の呼称として用いられる。 「中巻」には「自尊者」

と誤記したので訂正する。

衝「鎧甲に身を固めたり」は,普曜には「被弘誓鎧」と訳されている。

「縛縦」とは「縄で縛ること」である。

67チベット訳は「世間なる住処に縛られ,輪廻の大牢獄に留置せられたる[衆生]を」という意味の訳文になっている。

侭チベット訳には「〜との」に当たる訳語(shesbyaba)がある。

69チベット訳によれば, 「輪廻の」 (samsara)は不要であるが,写本N4以外の全ての写本に, これが挿入されている。

原文prakSiptaは「投げ込まれた」の意であるが,チベット訳[shugspa]を参考に「迷入し」と訳す。

71方広は「三解脱門」を「空無相無願」と訳している。

72「方便と智慧と知識とを調合して」の部分は,方広には「成就如是方便智門」 (是の如きの方便智門を成就せん) と訳され

ている。

73写本T3 5には「暗譜と」 (timira)が欠けているが.チベット訳によれば. これを挿入すべきである。

74チベット訳には「〜との」に当たる訳語(shesbyaba)がある。

75「我見」 (ahamkara)とは「我ありという意識(自我意識)」であり, 「我所」 (mamakara)とは「我がものという意識(所 有欲)」である。 「中巻」には「我所(自己の所作)」と訳したが,適切ではないので「(自己の所作)」を削除する。

76atmanは「永遠不滅であると妄想される自己の本体(自我)」であり, atmiyaは「自己の所有するものと執著する錯誤(我

所)」である。atmiyaとmamakaraとは同意と見なされうる。

(8)

ぴゅうけん そう しん けん てんどう

58 との謬見に従う意識を有し,想・心・見の顛倒によって錯誤を生じたる,愛護を受けることなき 世間に, 《聖78》道を顕示して,我慢(自尊心)79の旗を帥投降せしむくし」との, この第三の本願の 句が[心中に]現前せり。

「願わくは, われ,静穏なることなく, たて糸がもつれたるが如くにして糸玉に謹羅8'せられた

しょうじ

るが如きものとなり,生死を往来しては, この世からあの世へ, あの世からこの世へと流転し輪廻

せんかり人 たいまつ

して,輪廻より超出することなく,旋火輪(回転する炬火)82の如きものとなれる世間に,安穏を 与え[かつ]智慧の満足を生ぜしめる法を郷説き示すべし」との, この第四の本願の句が[心中に]

現前せり。 [以上]これら四種の本願の句が[心中に]現前せり。

【また】その刹那に, ダルマチャーリン (法行)天子と浄居天に属する天子たちとが, 中宮嫁女 衆をして醜悪なるものに変現せしめたり。醜態斜や忌むべき姿を示現せしめたるのち, また彼ら は鶴,天空に立って,菩薩に偶を以て呼びかけたり。

24.時に,大神力を具足せる諸天子は,

まなこ

開花せる蓮華の如く長き眼の彼(王子)に錨言わく,

「この。瑳鬘8? [に等しき場所]の中に住しながら,

如何にして,御身に喜楽の生ずることやあらん」 [と]・

しゆちよう かんぽつ

25.天神の首長たる者たちに勧発せられて,彼は, その時酩,

瞬時,かの89中宮[採女衆]を見回せり◎

それらの忌むべき姿を観察するや,

「われは真実に塚墓の中に住する」と見なしたり。劇)

し、うへん さいによ

60 さてまた,菩薩は周遍一切の採女衆に注目し91,子細に眺めたり92.そこにおいて93,ある女たちは 衣服が脱げ落ち, ある女たちは髪が乱れ, ある女たちは装身具が散乱し,ある女たちは頭冠が落下

しゅうろう

し,ある女たちは肩がよじれ, ある女たちは四肢が露出し蝿,ある女たちは顔面醜晒となり,ある

77「愛護を受けることなき」は.チベット訳では「正しき摂受にあずからざる」という意味の訳文になっている。

78写本T3 5には「聖」 (arya)が欠けているが,チベット訳によれば, これを挿入すべきである。

79「我慢」 (asmi‑mana) とは「自己の中心に我があると考え,その我をよりどころとして心が侭慢であること」 (「佛教語大 辞典」 160頁参照)である。 「中巻」には「我慢(自負心)」と訳したが. 「我慢(自尊心)」と訂正する。

帥チベット訳には「旗を」 (dhvaja)に当たる訳語がない。

8! 「纒絡」とは「まつわりからむこと」である。

鍵原文alatacakraは.方広にも「旋火輪」と訳されている。

鱒チベット訳は「安穏を与える智慧を以て満足せしめる法を」という意味の訳文になっている。

税原文visamsthitaは. BHSDによれば"defbrmed,misshapen'・の意味であるが. ここでは「醜態」と訳す。なお. 「中巻」

では,誤って註番号の位悩を「醜悪なるものに」の後に置いていたので, 「醜態」の後に置きなおした。

弱チベット訳には「また彼らは」に相当する訳語がない。

錨チベット訳には「彼に」 (tam)に当たる訳語がない。

糠「塚墓」とは「墓場」の意である。

鯛チベット訳には「その時」 (atha)に当たる訳語がない。

s9チベット訳には「かの」 (tam)に当たる訳語がない。

帥本偶の下二行のチベット訳は「[それらを]観察して, それらの忌むべき姿を見るや,塚墓の間に住するは真実なり, と 思いなせり」という意味の訳文になっている。

9!チベット訳には「注目し」 (adraksit)に当たる訳語がない。

92「子細に眺めたり」は.チベット訳では「観察したり」という意味の訳文になっている。

93チベツト訳には「そこにおいて」 (tatra)に当たる訳語がない。

9, 「露出し」 (vigopita)は.チベット訳には「雑乱し」 (rnamparhkhrugs) と訳されている。

(9)

女たちは眼を鐘濫せしめ, ある女たちは唾液を垂らし, ある女たちぽ群をかき, ある女たちは暎 こう 笑し, ある女たちは鯛し鴎. ある女たちは識言を発し,ある女たちは縦の音を発し, ある女た

ぎようぼうしゅうかい

ちは顔色青ざめ, ある女たちは形貌醜怪にして, ある女たちは妬腕を垂れ下げ, ある女たちは足 を投げ出し,ある女たちは頭部を露出し, ある女たちは頭部を覆蔽し, ある女たちは顔面の形相が

しんそうわいざつ 室るはだか うつぶ

絶えず変化し, ある女たちは身相狼雑にして, ある女たちは身体丸裸となり,ある女たちは傭し て97喉を鳴らし,ある女たちはムリダンガ(小鼓)を抱いて頭と身体とを[それに]巻きつけ卵,あ る女たちはヴイーナー(琵琶)やヴァッラキー的の上に手を投げ出し,ある女たちはヴェーヌ (笛)

くわ あつあつ

を歯に蛭えて軋々たる'00音を発し, ある女たちはキンパラ・ナクラ・シヤムヤ・ターダ'01なる[名

せんてん かいこう

称の]楽器を引きずり (投げうち)'02,ある女たちは眼を開閉旋転せしめ,ある女たちは口を開広せ り。かくの如く,醜態を現じて地に横臥せる'昭,中宮採女衆を眺めて,菩薩は「[ここは]塚墓なり」

との想念を生じたり。

そこで,かくの如く言われる。

ひごしや きようく

26.世間の庇護者なる彼(菩薩)は, それを見るや,恐權せり。

ひみん

悲懲の心を以て嘆息し,かくの如く述べたり。

「さても,実に悲惨なるかな, この'"室蘋たるもの, げ

らせつにょ きらく

羅刹女[に等しき]衆の中にありて,如何にして喜楽を得んや。

27大いなる!噛譲の書簡に覆われたる蒙昧の輩は, もうまい やから

徳'"なき感覚的享楽を徳あるものと妄想し,

かご

あたかも,篭の中に閉じ込められた鳥の如くにして,

決して脱出する機会を得ることなし。」

62

ほうみようもん れんじよう

時に菩薩は, この(以下の)法明門'07によって,再び中宮[採女衆]を観察し,大悲の憐情を以

あいみん

て衆生を哀感せり。 [すなわち]!肥この世において,彼ら凡愚なる者たちの殺害せられること,刑

あいじゃ<

場における死刑囚の如し'的。この世において,彼ら凡愚なる者たちが愛著すること,無知なる者が

ふんえ どくさいしき

糞稜に満ちたる極彩色の瓶に対[して愛著]するが如し。この世において,彼ら凡愚なる者たちが 95チベッ卜訳では,前後入れ替わって「ある女たちは咳嗽し, ある女たちは喚笑し」という意味の訳文になっている。

鋪チベット訳には, この部分においてのみ, 「ある女たちは」 (kaScit)に当たる訳語がない。

97「附して」は,チベット訳では「身体を縮めて」という意味の訳文になっている。

蝿「頭と身体とを巻きつけ」は,チベット訳では「身体を仰向けにして倒れ」という意味の訳文になっている。

99vinaは「琵琶」であり, vallakiも「琵琶の一種」である。

!(剛「軋々たる」とは「物がこすれあってきしむさま」を表す形容動詞である。

lolヴェーヌ以下の楽器名の原語はvenu・kimpala,nakula,Samyataqaである。Samyaは,写本においてはsamya、sampa,

sampa等と筆写される。samya・sampa,sampa等は書写上の癖や誤写によるものと思われる。

I(IzapakarSitaは「引きずった」または「投げ散らした」の意味であると思われるが, はっきりしない。チベット訳には hdsin (掴み) と訳されている。また.方広には「取諸楽器僚爵L委郷」との訳文が見られる。

1mチベット訳は「地面に醜悪に横臥せる」という意味の訳文になっている。

'(州チベット訳には「この」 (iyam)に当たる訳語がない。

'鴨チベット訳には「大いなる」 (ati‑)に当たる訳語がない。

106gUlJaは通常「徳」と訳されるが.多様な意味がある。ここでは「美点」あるいは「利点」の意であると思われる。

'{"「法明門」については,第19巻第2号所戦の拙訳(註l)を参照されたい。

l蝿以下「凡愚なる衆生」に関する警職は「三十二相」として説明する構成になっているが,方広には「三十二」という数は 意識されず,十六の雷嚥のみがあり,梵文より簡潔な表現になっている。

11遡チベット訳は「死刑囚の殺されるが如し」という意味の訳文になっている。

(10)

沈没すること,水中に沈む象の如し。 【この世において,彼ら凡愚なる者たちが監禁せられること,

牢獄における囚人の如し。u 】この世において,彼ら凡愚なる者たちが楽逸'uすること,鍬の中に らくいつ

とんじゃ< こつがい

おける豚の如し。この世において,彼ら凡愚なる者たちが貴著すること,骨骸の中における犬の如

瞳のお

し。この世において,彼ら凡愚なる者たちが墜落すること,燈火の炎に向かう蛾の如し。この世に

ほばく わな

おいて,彼ら凡愚なる者たちが捕縛せられること,罠にかかりたる猿の如し。この世において,彼 ら凡愚なる者たちが焼かれること。網にすくい上げられたる魚の如し''2.この世において,彼ら凡

愚なる者たちが切り罰まれること,焼き串に刺されたる!'3羊の如し。この世において,彼ら凡愚な

つらぬ きつさき

る者たちが刺し貫かれること,槍の切先に突かれたる罪人の如し。この世において,彼ら凡愚なる

ぼっでき

者たちが没溺すること,泥沼に沈む老象の如し。この世において,彼ら凡愚なる者たちが遭難する こと,大海における難破船の如し''4.この世において,彼ら凡愚なる者たちが転落すること,生来

おおあな

盲目なる者が大坑に落下するが如し。この世において,彼ら凡愚なる者たちが枯渇すること,水が

こうめつ

地下の亀裂に流入するが如し。この世において,彼ら凡愚なる者たちが煙に覆われること,劫滅

りんてん ろくろ

[時]における大地の如し。この世において,彼ら凡愚なる者たちが輪転すること,陶工の轆轤が

ほうこう

回転するが如し。この世において,彼ら凡愚なる者たちが坊僅すること,生来盲目なる者が山中に

めいにゅう せんかい かわひも っな

迷入せるが如し。この世において,彼ら凡愚なる者たちが[同じ場所を]旋廻すること,革紐に繋

がれた犬の如し。この世において,彼ら凡愚なる者たちが萎革!l5すること,童奉(乾熱時)におけ いずい げんLつ

る草や樹木''6の如し。この世において,彼ら凡愚なる者たちが[次第に]減失すること,黒分''7に

けつげん <

おける月の[次第に欠減するが]如し。この[妹]女衆によって凡愚なる者たちが喰らわれること,

こんじちょう

ガルダ(金翅鳥)によって龍の[喰らわれるが]如し。この女衆によって凡愚なる者たちが呑み込

まかつぎよ

まれること,大マカラ(摩娼魚)によって小舟の[呑み込まれるが]如し。この女衆によって凡愚 なる者たちが略奪せられること,盗賊団によって隊商の[略奪せられるが]如し。この女衆によっ

とうかい さ ら

て凡愚なる者たちが倒壊せられること, 【大''8】暴風によってシャーラ''9 (沙羅)樹の[倒壊せられ るが]如し。この女衆によって凡愚なる者たちが殺害せられること,毒蛇によって人の[殺害せら

かみそり

れるが]如し。凡愚なる者たちが味覚の想によって傷つけられること,蜜の塗られた剃刀の刃によ るが如し。この女衆によって凡愚なる者たちが押し流されること,洪水によって樹木群の[押し流

けらく ようどう

されるが]如し。この女衆と凡愚なる者たちとが戯楽すること,幼童が自らの糞尿に戯れるが如し。

こういん かぎ

この女衆によって凡愚なる者たちが勾引せられること,鈎によって象の[勾引せられるが]ごとし。

ぎわ<

この女衆によって凡愚なる者たちが欺惑せられること,詐欺師によって稚鈍なる者の[欺惑せられ

64

lIo【 】内の部分は写本T3,T4,N3には欠けており,削除すべきかとも思われるが,チベット訳にはこれに相当する訳文が含 まれている。しかし, これを入れると合計「三十三相」になり, 「三十二相」とする結論に符合しない。

lll「楽逸」 (abhirata) とは「節度なく享楽すること」である。

ll2チベット訳は「凡愚なる者たちが掌捕せられること,魚が網にすくい上げられたるが如し」という意味の訳文になってい る。

''3「焼き串に刺されたる」は,チベット訳には「売肉場の」 (Sahtshongignaskyi)と訳されている。

1Mチベット訳は「大海において船の台基の破壊せるが如し」という意味の訳文になっている。

''5「萎革」とは「しおれやつれること」である。

''6「中巻」においては, vanaspatiを「草木」と誤記したので「樹木」に訂正する。

''7「黒分」と「白分」については,第19巻第1号所赦の拙訳(註86)を参照されたい。

11sチベット訳によれば「大」 (maha)を加えるべきであるが.写本N4以外の写本はこれを省略している。

''9Salaは「家を建築するのに使用する高くて堂々とした木」 (『梵和大辞典」参照)である。 「堅固樹」と漢訳され. 「幹はす

こぶる長くなり,材質は堅固である」 (「佛教語大辞典」6 頁参照)。

(11)

るが]如し。この世において'鋤,彼ら凡愚なる者たちが[自らの]善根を消失せしめること,賭博

らせつにょ

に耽る者が財産を消失せしめるが如し。この女衆によって凡愚なる者たちが喰われること,羅刹女

によって旅商人の[喰われるが]如し。以上. これら三十二相'21を以て,菩薩は中宮嫁女衆を恵臺

よ いざやく ひ けんお

せるのち,身体に関して不淨の想を喚ぴ起こし122,違逆'麹の想を惹き起こし,嫌悪の想を生起せし

しょうさつ かげんしようかん

め, 自らの身体を詳察して124,身体の過患を正観し,身体をして身体への執着より超脱せしめ, 《[身

じよけん

体は]浄なりとの想を除遣し, 1弱》不淨なりとの想を起こし,下は両足の裏から,上は頭頂に至るま

ほつき しゆつしよう ろぜつ

で, 〈不淨より発起し,不淨より出生し,常に不淨を漏泄するもの〉と見たり。また, その時,か くの如き偶を説けり。

28 [身体は]薬苗'26より生長し,雛の水より出現し,有身の想'"より藍膿られ128,

たん てんしつ しずく

涙・汗・痕のために沽湿し,尿のために汚れ,血の滴に満ちたり。

ぼうこう のうじゅう

膀胱や膿汁や脂肪や脳味噌'鱒に, また,諸々の汚物に満ちて,

常に排泄物を流出し,実に[それらの]全てが種々の悪臭を発する。

しゅうぼう ぞうらん

29.骨'鋤や歯や髪毛や体毛による醜貌あり,皮膚に覆われ,身毛雑乱し,

ぜいじゃく ごうしゅう

腸・脾臓・肝臓・粘液・唾液など, これら脆弱なるものが合聚せり'3'・

髄と筋肉とを以て結合せる器械の如きものにして,"'3'を以て美麗に装えるも,

びょうげん うのう きかつ ひつのう

種々の病患に満ちて憂悩を包含し,飢渇のために逼悩せられる。

けつげき

!鋤諸虫の住処にして'鋼無数の穴隙あり,死と老とに占有せられたる[身体]を,

おんてき

誰か賢明なる者が見るならば, 自らの身体を怨敵に等しきものと見なすべし'弱。

66

'20「この世において」 (iha)は,チベット訳では「この女衆によって」という意味の訳文になっている。

12'第四相を含めると「三十三相」となる。チベット訳にも33種の瞥愉が掲げられている。

'22「喚ぴ起こし」の原文vibhavayanは,直ぐ下に逆の意味で用いられている。註125参照。

'幻「述逆」 (pratikUla) とは「不快なる忌まわしいもの」の意である。

1割チベット訳は「自らの身体をも,それと同様に観想し」という意味の訳文になっている。

'鱈《 〉内の原文subhasamjnamvibhavayanのvibhavayanは「想を除く,除遺する」の意味であり,註122における「喚 び起こす」と反対の意味である。同じ語が近接して逆の意味で用いられていることは不可解である。写本T3 5にはこの 部分が欠落しているので,削除すべきかもしれないが. チベット訳によれば挿入すべきである。恐らく, この部分はオリ ジナルではなく,後代に増補付加されたものであって,そのために写本間の異同が存在し, また.同じ語を近接して逆の 意味で用いるというような齪爵が生じたものと考えられる。なお, 「中巻」では「[身体は]浄なI)との想を」を「[身体は]

常なりとの想を」と誤訳したので,訂正する。

'秘「業田」 (karmakSetra) とは「行為(業)が苦楽の果報を生ずることを田にたとえた語」である。 「佛教語大辞典」 408頁 参照。

'27「有身の想」 (satkaya‑samjria)とは「有身見」 (satkaya‑drSti)に同意と見なしうるc 「有身見」とは「五蕊和合の身体を,

常なり一なりと執し, ゆえに我あり, また, その身は我の所有(我所, わがもの)なりと執着することをいう」 (「佛教語 大辞典」84頁参照)。つまり, 「「有身の想」とは「自己の身体を永続的なものと考えて,それに執着する妄想」である。

'錦チベット訳は「有身の想に結縛せられ」という意味の訳文になっている。

'鋤チベット訳は「脂肪や膿汁や膀胱や脳味噌」という順の訳し方になっている。なお, 「脳味噌」の原文sa‑mastaka‑rasaは,

直訳すれば「脳髄を有する液」である。

'瓢)「骨」 (asthi)は,チベット訳には「皮庸」 (pags) と訳されている。

'3'チベット訳は「これらが合聚して,虚弱なり」という意味の訳文になっている。

'蛇原文mamSaは通常「肉」の意味であるが. ここでは方広に従って「皮肉」と訳す。

この後の二行は, レフマン校訂本においては別の偽として独立させられているが. ヴァイデイヤ校訂本に従って6行で一 偶を成すものとし,第29偶の中に含ませるのが妥当である。

'郷「諸虫の住処にして」 (jantunamnilayam)は,チベット訳では「衆生の身体は」という意味の訳文になっている。

'蕊チベット訳は「[賢明なる誰が]自分の身体を怨敵に等しいものと見なさないであろうか」という意味の訳文になってい

る。

(12)

しか

かくの如く,菩薩は身体に関して, 身体に相応する'調想念をなしつつ,時を過ごしたまえり。而 して,虚空中に住する[かの]天子たちは,ダルマチヤーリン(法行)天子にかくの如く言えり。 「友 よ, このシッダールタ [王子]が中宮採女衆を眺めて微笑を浮かべ, はたまた,心を悩ませ,繰り

ちゅうちょ

返し視線を注いでは驍謄せる[ように見えるの]は,如何なることか。さにあらず, むしろ彼は大

じんじん きりよう

海の甚深なるに似て,彼の器量を把握することは不可能ならんや。あるいは, もしかして執着なき [はずの]者(菩薩)の心が'37快楽の対象に執着せるにはあらざるや。 【また】 もしや諸天神によっ

か人ぽつ ほんぜい ぽうしっ

て勧発せられたる[にもかかわらず]本誓(本願)を忘失せるにはあらざるや」 [と]◎

ダルマチヤーリン天子は[答えて]言わく, 「なんぞ,かくの如きの言をなすや。汝らは,すで

おうしゃく しゅつり きしや

に往昔,彼が菩提のために修行せる時, 出離(世俗からの離脱) と棄捨(布施) とにおいて,かか

さいご

る種類の[快楽に対する]無執着ありと,現に見たるにはあらざるや。まして,今や[彼は]最後

しん いか人

身[の菩薩の段階]に住すれば,如何ぞ執着の生ずることのあるべきや'詔」 [と]。

さて,時に比丘らよ 菩薩は意を決し.心に奮起し,立志勇断'3'し,姜頴こ,かつ,悠々とし ふんき りつしゆうだん ゆうゆう

ほうもう いただ

て140,寝台より降りl.ll。音楽殿において東方に向かって立ち,右手を以て宝網を払いのけ,高楼の頂

きに昇り,雛を合わせ(合掌し)て,一切の仏陀を憶念し,一切の仏陀に嬬語i 2なせるのち,天

おさ せんげんしや

空を仰ぎ見たり。彼(菩薩)は,天神の長たる千眼者(天主帝釈)が,天空にあって百千もの[多

いによう <んこう とゆ さんがい き し どうばん

くの]天神たちに囲饒せられ,花・薫香・花環・塗油・香末・衣・傘蓋・旗幟・瞳幡・玉の耳飾り ・

かが しごせおう

宝石の首飾りを持ち, 身体を屈めて菩薩に敬礼をなしつつ立てるを見たり。また,四護世王(四大

ガンダルヴア りゅう かぶと よろい かぶ

天王)が,夜叉・羅刹・乾閏婆・竜(蛇?)143の衆に囲続せられ, 《堅く》甲を結び鎧を被り,剣・

ぼうげき さんさほこ とうかん べんばつ

弓矢・槍・矛戟・三叉戟を手にして,優美に,宝珠の頭冠より辮髪を垂れ'斜,菩薩に敬礼をなしつ つ立てるを見たり。また,月と日'45 (太陽) との両天子が[それぞれ]右側と左側とに[分かれて]

せいしゆく

立てるを見たり。 [さらに]真夜中に達したるといえども,星宿の王プシュヤ'46が[天空に]昇りた りl'7.また[それを]見るや,菩薩はチャンダカに告げたり。

30. 「いざ,チヤンダカよ ためらうことなく,

ごんそう めおう

速やかに,厳装せる馬王を,われに与えよ。

68

70

'36anUgataを「中巻」では「随順する」と訳したが. 「相応する」に訂正する。

'誘「心が」 (manah)に当たるチベット訳はhdi (彼が) となっており,梵文と合わない。

'錦「かかる種類の」以降の部分は.チベット訳では「[彼が]かかる種類の無執著を得たること,それは汝らに明白なること なるが故に, まして今や.鰻後身に住して執着の生ずべからざることは.あえて言うまでもなし」という意味の訳文になっ

ている。

「立志勇断」 (vyavasita.buddhi)とは「目的を定め・勇気をもって決断すること」である。

「安詳に.かつ,悠々として」は.方広に「安詳徐出」と訳されている。。 「安詳」とは「心が静かで落ち着いた状態をいう」

(「佛教語大辞典」24頁参照)。

'・I'「寝台より降り」 (paryankadavatirya)は.チベット訳には「結珈畉坐を解き」と訳されている。チベット訳に従うべき かもしれないが,方広と普曜には. ともに「従座起」と訳されている。

1.12「帰命」とは「心からのまことをささげて, たのみたてまつること」 「自己の身命をさし出して帰順すること」である。

!43bhujagaは通常「蛇」の意であるが. 「竜」と漢訳されることもある。

'4イチベット訳は「宝珠の冠飾と辮髪とを垂れ」という意味の訳文になっている。

M5「月と日」は,チベット訳には「日と月」と訳されている。

146pUSyaは第六の月宿であり,方広には「弗沙之星」と訳されている。この星宿が昇るのは重大事の前兆と考えられていた

ものと思われる。

,47「中巻」には「星宿の王プシュヤ(第六の月宿)は, [沈むことなく, 日月の」かたわらに仕えたり」と訳したが,誤訳と

思われるので,チベット訳を参考に訂正する。チベット訳は「星宿の王プシュヤが真夜中に昇りたるを見たり」という意

味の訳文になっている。

(13)

われに, これら,吉祥なるあらゆる事象が出現したるが故に,

こよい

今宵,必ずや[わが] 目的は成就せられるべし。」

きょう〈

その時チャンダカは, この言葉を聞くや,心に恐惚して,かくの如く言えり。

31. 「いずこへと行かせたまうや。眉長くして,

主な二

蓮華の葉に似たる清らけき眼を有する者よ。

人中の獅子にして,秋の満月なる者よ,

クムダ(白蓮)や,兎の像(月)を喜ばしめる者よ'48.

かんぱせ

32.若き睡蓮・優美に咲ける蓮華にもまがう顔容の,

あかつき

純粋なる黄金暁の太陽明浄なる月光[の如き者]よ,

そゆ かえん ほうじo

酢油の注がれた火焔,宝珠,雷電の如く輝く威光あり,

ふんや<

奮躍たる象・堂々たる象の如き歩み'49を有し,

みあし

牡牛や獅子やハンサ鳥に似た歩調あり,歩行優雅な御足美しき者よ」 [と]。

菩薩は[答えて]言わく,

33. 「チヤンダカよ そのために, われは前世に,

手や足や目や, また,頭や,愛する息子'帥や妻や,

[自分の]王国や財物や黄金や衣服や,宝石を満載せる車や,

ほんち しやせ

風の如く軽快に奔馳する,剛勇無双の象や馬を捨施したり。

コーティナユタ

[また]われは,拘砥那由多もの幾多の劫にわたって,

ごじ しゅじゅう

戒を護持し,忍辱を修習し,精進力と禅定と智慧とに専念せりl5lo

いかん

しからぱ如何! 寂静にして安穏たる菩提を證得して,

かご

つい

老・死の龍に投げ込まれたる衆生を解放すべき時が,遂にわれに到来せり」 [と]・

おんみ

チャンダカは言えり。 「尊き王子よ. われはかくの如く聞けり。 [すなわち]御身が生: チャンダカは言えり。 「尊き王子よ, われはかくの如く聞けり。 [すなわち]御身が生ま

72

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れて間も

せんそう そうしばらもん いんけん しか

なきころ, 占相のために相師婆羅門たちに引見せしめられたり。而して,彼らは, シュドーダナ王 の面前において,御身について予言せり, 「王よ,陛下の王室に繁栄あり」 [と]。 [王]言わく, 「何 ゆえにj と。 [彼ら]言わく,

34. 「百余もの[多くの]福徳相のある, この王子は,

御身の息子として生まれ,福徳の威光に輝けり。

てんりんじようおう

彼は,四[大]洲に君臨する転輪聖王'52として,

七財(七宝)!認を具足する者となりたまうべし。

<げん

35.あるいは, もし[この王子が]世間の苦患を観察し,

中宮[採女衆]を捨てて, 出家したまうならば,

不老不死なる,菩提の地位を獲得して,

法の慈雨を以て, この[世間の]衆生を満足せしむくし』 [と]。

チベット訳は「クムダの花や月を喜ばしめる蓮池よ」という意味の訳文になっている。

'49「歩み」 (‑gamin)は,チベット訳にはstobs (力;勢力) と訳されており,梵文と合わない。

'釦「息子」 (tanaya)は,チベット訳にはlus (=tanu:身体) と訳されており,梵文と合わない。

'5'「専念せり」 (nirata)は,チベット訳にはdag(浄化せり) と訳されている。

152「転輪聖王」については,第l9巻第1号所戦の拙訳(註91)を参照されたい。

'蝿転輪聖王の「七宝」については.第20巻第1号所職の拙訳(註216)を参照されたい。

(14)

じゆき

まことに,尊き王子よ, この授記(予言)が確かに存在し, これ以外には有りうべからずといえ ども, しかし, しばらく, [御身の]利益を願う,わが言葉を聞きたまえ」 [と]。 [菩薩]言わく, 「何

ごん

をか」と。 [チャンダカ]言わく, 「殿下, そのために, この世において, ある人々は種々なる禁

溌'瓢と苦行とを勤樛し,獣皮.薙髪の房.職'弱.樹皮をまとい,爪.髪.讃を長く伸ばし, [自ら] ひげ

かぎやく げんこく なぜ

身体の種々なる責め苦・苛虐に耐え,厳酷なる禁戒と苦行とを勤修する。何故かならば, 「われら

Lか

は天界や人間界の栄華を獲得すべし」 とて。而して, その栄華が,尊き王子よ, [すでに]御身に

しょくもつほうじょう

は得られたり。しかも, この王国は繁栄し,富み,平和にして,食物豊饒なり,かつ,歓楽に満ち,

たんどんしゅみよう いるど

多くの人民を擁する。また, これらの園林は端厳殊妙なりて, 《とりどりの》花や果実に彩られ,

ちえん うはつら

種々の鳥の群が美妙なる鳴声を発したり。また,諸々の池苑はウトゥパラ(優鉢羅) ・パドゥマ

はづま く むづ ふんだりか じようごん

(波頭摩) ・クムダ(拘牟頭) ・プンダリーカ'調(分陀利華)の花に浄厳せられ,ハンサ(鴬鳥) ・マユー

おしどり たいしゃくしぎ

う(孔雀) ・コーキラ(郭公) ・チャクラヴァーカ(鴛鴬) ・クローンチャ(帝釈鴫) ・サーラサ'釘(鶴)

[等の諸鳥]がさえずり,花咲けるサハカーラ(マンゴー) ・アショーカ (無憂樹) ・チャンパカ

せんぶくげ

(贈葡華) ・クラヴァカ(具羅波劫) ・テイラカ'銘(帝羅迦樹) ・ケーシャラ'59 (鶏薩羅)等の種々の樹

木の態に囲まれ, 《種々の》宝樹の遁鳶!"に議せられ, [縦横]八交の道によって[碁盤目状に] ごばんめじょう

らんかん

区画せられ,宝石の欄干に囲驍せられ,宝網が掛けられ, それぞれの季節に応じた享楽があり,夏 季・雨季・秋季・冬季[の各々]に安楽なる住居あり。また, これら,秋の雲の如くにして, カイ

ラーシャ'6! (カイラーサ)山にも類似せる諸々の大宮殿は, [インドラ神の宮殿たる]ヴァイジャヤ ンタ宮(殊勝殿) さながらに,憂悩は減し去れるのみならず,正法・善法・安穏ありて,露台・小

そうゆう りんもう

塔.塔門.窓編.涼房.重閣.高楼.屋根'62に巖誌せられ,宝石の鈴網より振音が鳴り響けり。ま

た,尊き王子よl",この中宮妹女衆は'例,ツナヴァ(一絃琵琶) ・パナヴァ(小太鼓) ・ヴイーナー(琵 琶) ・ヴェーヌ (笛) ・シャムヤ・ターダーヴァチャラー'髄(拍板) ・キンパラ・ナクラ・スゴーシヤ カ・ムリダンガ(小鼓) ・パタハ[等の楽器演奏] と,舞踊や唱歌や奏楽や伎楽の編成とに習熟し,

ふるまい

譜諺・歌舞・遊戯・娯楽において心地よく [かつ]優美なる振舞をなす'"。しかも,殿下,御身は

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'副「禁戒」 (vrata)については.第19巻第2号所蔽の拙訳(註169)を参照されたい。

'弱「濫襖」 (civara)は,チベット訳にはrtva (=virana;草) と訳されており,梵文と合わない。

'56以上の華名の原語は上から順にutpala.padma.kumuda,pundarikaである。なお, kumudaは「青蓮華」であり,

punqarikaは「白蓮華」である。

'57以上の鳥名の原語は上から順にhamsa,mayUra'kokila,cakravaka,kronca.sarasaである。なお, 『中巻」には「チヤクラ ヴァーカ(鴬鳥)」と記したが, 「チャクラヴァー力 (鴛蒜)」と訂正する。

'錦チベット訳には「ティラカ」 (tilaka)に当たる訳語がない。

'鋤以上の樹木名の原語は上から順にsahakara.aSoka・campaka,kuravaka,tilaka,keSaraである。このうち, sahakaraは「(き わめてにおいのよい種類の)マンゴー樹」 (「梵和大辞典」参照),aSokaは「鮮やかな赤色の花が咲き瑞兆を現わすとき れる樹」, campakaは「黄色の芳香ある花を咲かせる高大な樹の一種」 (「佛教語大辞典」 946頁参照) とされる。

kuravakatilakakeSaraについては詳細不明である。

' 「垣」も「塙」も「(屋敷や庭園などの外側をかこう)かきね」の意である。

161kail"2は通常はk2ilngnと綴られる。 「ヒマーラヤIII脈の一部をなす連山。ヒンドゥー教神話においては, メール山の南 側に位笹する.神々の住む峰と考えられた。特にシヴァ神や富神クベーラの住処として有名で, カイラーサ・ナータ (「カ

イラーサの主」の意) というとシヴァあるいはクベーラを指す」 (中村元編著「図説佛教語大辞典」 130頁参照)。

'"prasada‑tala(高楼・屋根)は,チベット訳にはkhyams (=vithi;回廊) と訳されており,梵文と合わない。

1脚チベット訳には「尊き王子よ」 (aryaputra)に当たる訳語がない。

'6'チベット訳は「[御身は]大宮殿と, 〜〜振舞の優美なる, この中宮採女衆とを所有しており,」という意味の訳文になっ

ている。

l"tadavacaraはチベット訳には単にpheg(=tada;シンバル) と訳されている。

' チベット訳は「遊戯・娯楽・物腰は心地よく,振舞の優美なる[この中宮採女衆とを]」という意味の訳文になっている。

参照

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