龍谷大学龍谷学会 「龍谷大学論集」第490号 按 刷 平成29年11月 (2017
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11)発行烏のさえずり記述と聞きなし表現
にみる擬音性と音韻的拡張
塩 田 英 子
鳥のさえずり記述と聞きなし表現
にみる擬音性と音韻的拡張
塩 田 英 子
1.はじめに
ひとが何かの存在を感覚でとらえ,理解するためには,まずその対象を心的 に表示する必要がある。しかし,未知の事物の場合,その対象を心的に表示す ることは論理的には不可能である。そもそも未知とは知覚できないことを意味 するからである。ところが,初めて出会う未知の事物であっても,ひとはそれ が「何か」の存在であるということを認め,理解することができる。これは, ひとが,未知の存在に出会った際に,既知の存在との類似性を探り,相対的な 関係の中でカテゴリ化を行い,理解しようと努める認知傾向をもつためである。 しかし,赤外線や超音波は,コウモリにとっては知覚可能であり,理解でき るが,人間にとっては,直接知覚できる対象ではなし」いわば完全に未知の存 在である。このような生物による世界認識の違いを,日高 (2007) は Uexkull (1970) の環世界 (Umbelt) を参照することで説明している。 Uexkull(1970) によると,「いづれの主体も主観的現実だけが存在する世界に生きており,環 世界自体が主観的現実にほかならないJ (日高・羽田訳 2005: 143) という。 つまり,それぞれの動物は,固有の認知世界を持っていて,世界のとらえ方や 分節の仕方が異なるため,違った景色を見ているということになる。このこと から,絶対的,客観的な現実は存在しないという結論に至る。 では,違った世界認識を持っている存在を,環世界という自らの主観的な世 界認識の中でとらえ,観察するにはどうすれば良いのか。たとえば,先にあげ たコウモリの環世界にある赤外線の場合,カメラのレンズを通せば人間にも知 覚できる。ひとは超音波を聞くことはできないが,専用の機器で数値を測定し, 視覚化することならできる。つまり,ある感覚でとらえられないことでも,特 殊な機器の助けを借りて可視化をはかれば,別の感覚を通してとらえることが できるのである。しかし,そうすることで認知された事物は,あくまでも元の事物と類似して いるというだけであって,元の対象の環世界での位置づけと完全な一致を見る ことはな":¥0 このことは,言語による自然音の描写にも当てはまる。自然界に 存在する言語音以外の音を聞き,その音を,言語を使って記述するということ は,あくまでも,言語という制度化されたシステムを通した世界の分節によっ て,対象をとらえているにすぎないのである。このように,自然音の記述もま た,ヒトという種が持つ,環世界の中に存在する言語というツールを用いて行 われるため,再現には限界がある。 本稿では,鳥のさえずりを例に,言語音ではない未知の自然音を,ひとがど のように記述してきたのかを概観する。そのうえで,鳥のさえずりの言語化, 中でも,擬音語と聞きなし表現に注目したい。そして,鳥のさえずりと,擬音 語や聞きなしを,言語音としてひとが発声した場合の音声を比較することで, 言語による制約下において,世界の分節がどのように行われているのかを観察 する。さらに,ひとが言語以外のものを言語でとらえる際の仕組みゃ音声情報 を利用した暗記法についても言及していきたい。
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自然音の記述と言語化
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1.擬音語の窓意性と幼稚性 自然、音を直接写す表現として,まず考えられるのが擬音諮 (onomatopoeia) である。かつて,言語学の分野においては,自然音を描写する擬音語は周辺的 な事象として軽視されがちであったことがしばしば指摘されている。その理由 は大きく分けて2つある。まず,擬音語は,近代言語学の礎となったSaussure (1916)が唱えた,記号表現と記号内容の聞の窓意性 (arbitrariness)の例外 だと考えられてきたこと,そして「日常的で格式に欠けるとか,子供じみた幼 稚なことぼであるといった先入観や偏見J(田守・スコウラップ 1999: 1)が あったことである。たとえば,丸山(1986)は,擬音諸に重複形が多い理由と して,幼児は母親から与えられた言葉を模倣や反復によって習得していくため であると指摘している(丸山 1986: 100)。 しかし,擬音諾はSaussure(1916)のいう記号の窓窓性,つまり言語に備 わった慣習性から大きく外れるものではない。このことについて,山口編 (2015)は,擬音語は音を似せただけの「物まね」ではなく,ある特定の言語 で用いられる音声の範囲で表現されることを指摘している(山口編 2015: 99)。ここで,図1の松尾芭蕉の句の情景を表した4コマ漫画で用いられてい 鳥のさえずり記述と聞きなし表現にみる擬音性と背蹴的鉱張(塩田)-143-る擬音語に注目してみたい。 図1 俳句の擬音語(水野編
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)
図1で音を写している擬音語は2コマ目の「チャポツ」であり,それ以外の3 つは様態をあらわす擬態語である。この俳句の読者は,表現されていないはず の「チャポツ」の音を,俳句を読むことで聞くことになる。 図1
では「チャポツJをはじめとする擬音語や擬態語はすべてカタカナで表 記されている。しかし,水野編(
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では,それぞれの英語表記として,p
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をあげている(水野編2
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。まずこ こからわかるのは,同じ音を写す場合でも,大前提として写す側の言語で用い られている文字体系を利用しなければならないということだ。つまり,自然音 は言語記号を用いて表記した時点、ですでに,当該言語の表記体系の制約を受け ることになる。 また,3
コマ自に示された俳句について,2
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年
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日から2
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日までの期 間,京都府内の3つの大学に通う大学生を対象にアンケートを実施し,この俳 句から想像できる音を調査した。図2
は,日本語を母語とする回答者1
2
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名の 回答をまとめたものであるo 図 2 蛙が池に飛び込む音 図3 狸の腹鼓図
2
からわかる巡り,蛙が池に飛び込む音についての表現は,かなりパタン化 されているo というのも,たとえ日本語を用いたとしても,「チャポツJrポチ ャンJrドポン」などさまざまな表現の可能性があるにもかかわらす,回答者 の半数以上は「ポチャンJrポッチャーンJiポチャンツ」というように,「ポ チャン」に類する表現を用いているからだ。このような表現の選択もまた,言 語の恋意性(言語内の制度化された慣習性)によるものと考えられる。 また,このほかにも「狸の腹鼓」という,実際には存在しない音についても, 日本語の表現を問うたところ,図3
に示すようなパタンが見られた。図3
は図2
ほど顕著な差はないものの,狸の腹鼓のように現実には存在しない,聞いた ことがない音でも,既存の言語的慣習に従って表現することができるというこ とを示している。さらに,狸の腹鼓に対するイメージとして, 8割近くが「ポ ン」や「ポコ」または両者の組み合わせからなっているととらえていることが わかる。図2や図3からもわかるように,文字の聞からも,また慣用性の点か らも,擬音語による自然音の転写は,言語による世界の分節とまったく無関係 ではないため,記号の窓意性の例外ではないといえるo このことはまた,2
つ目の理由である擬音語の幼稚性についても当てはまる。 擬音譜が単純に自然音をそのまま写しとった物まねにすぎないのであれば,擬 音語化の際に利用される音声の模写能力は,幼児よりも知識や調音器官が発達 した大人のほうが長げているはずである。そのため,大人のほうが,より高度 で自然音に近い擬音語を用いるのではないか,また,より容易に使いこなせる のではないか,という推測が生じる。けれども,予想に反して,幼児よりも擬 音諮化が得意なはずの大人は,日常のコミュニケーションにおいて,幼児ほど 擬音語を使わない。これは,「音を反射的にそのまま真似るのではなく,豊富 な諸説や修辞を用いて周辺から表現するほうが,高度な言語能力である」とい う言語的価値観によるためなのかもしれない。つまり,模倣という描写的言語 使用よりも,解釈的言語使用のほうが高度な言語事象としてとらえられてきた ともいえる。また,今井・針生 (2014)は,大人が同じ大人よりも子どもに対 してよく擬態語を使用するというデータを示したうえで,以下のように述べて いる。 (1)大人が子どもに向かつて,無意識のうちに擬態語を多用してしまうの は,それを話すときのリズミカルな調子のよさもあるだろうが,やは りどこかで,擬態語は音で対象の状態や様子をなぞったものなので, 鳥のさえずり記述と聞きなし表現にみる擬音性と音韻的拡張(塩悶) -145一たとえその擬態語を耳にするのがはじめてでも,聞き手はその意味を たやすく推測できるのではないかと考えているからだろう。 (今井・針生
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さらに今井・針生(
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は,擬態語について,普遍的な音象徴(
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である側面を認めながらも,後天的に学習される「その言語なら ではの音韻的感覚J (今井・針生2
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が含まれていることも指摘して いる。これらのことからも,擬音語や擬態語は言語の恋意性を破る例外的な事 象ではなく,言語の慣用的使用(恋意性)の影響下にあるということができる。2
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2
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自然音の記述法 自然界に存在する音を記録する際には,擬音語のような,ことばを用いる場 合と,ことばを用いない場合がある。まず,ことばを用いない例を,本稿の考 察対象である鳥のさえずりを例にみておきたい。これまで,鳥のさえずりを記 録し,再現するために,様々な方法がとられてきた。昨今ではI
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レコーダー や集音器による録音・再生が身近となった。またそれ以外にも,鳥のさえずり を再現するために,バードコール(
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ll)と呼ばれる器具(図4)や,子 ども向けの水鳥笛(図5
)と呼ばれる玩具も売られている。さらに,オートマ タ(
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ゃからくり時計などもある(
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。 図4 バードコール 図5 水鳥笛 加えて,楽器の音色で鳥の声を表現することもあるoたとえば小西(
1
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)
は ベートーベンの田園交響曲第2
楽章の末尾で,ナイチンゲールがブルート,ヨ ーロッパウズラがオーボエ,カッコウがクラリネットによって表現された例を 紹介している(小西1
9
9
4:
6
)
。また,日本でもウグイスのさえずりを音符と して記述し,再現した童謡や唱歌がある。以下,著作権・版権がすでに失効している作品から,「梅に鴛J(図
6
)
と「梅の小枝J(図7
)のそれぞれ一部を あげておく。事 的
量童
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7-ラムを用いることで,個々のさえずりの特徴を可視化できるほか,個体差や地 域差を識別することもできる。図
8
の場合,横軸は時間,波形の振幅は音の強 さをあらわす。また,下段に示したスペクトログラムでは,どの周波数の音が 強く示されているかということ,つまり,物理的な音の高低や,その模様で音 色を知ることができる。これらの記述法により,音という聴覚刺激をグラフと いう視覚刺激で理解するのが容易になった。さらに,鳥のさえずりの場合,人 間の聴力では聞き分けられない,個別の特性等も明らかになる(蒲谷・松田 1996 : 4-5)。
以上は,いわばことばを用いない鳥のさえずりの記録方法である。これらに 加え,ことばを使った記録方法もある。次節では,本稿のテーマである言語表 現によるさえずりの記述について,先行研究を概観しておきたい。2
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3
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ことばは自然音をどう写してきたか 音を文字で表示する際の,転写(
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と呼ばれる方法がある。こ の用語は,狭義には音声学の分野で音素表記と音声表記のふたつを使って,音 声を表記すること,社会学的にはより広義の転記,文字化,書き起こしに位置 づけられ,「言語音声を一定の慣習的記号群に沿って書き起こすことJ(中野ほ か監修2
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ととらえられる。 また,文字化に際しては,音声記号ではなく,言語表現として表記する場合 は,t
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(文字化)という表現が当てられることもある(
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。さらに,t
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には,異なる文字間での言い換えにあ たる翻字の意味もある。たとえば,表記のための複数の文字を持つ日本語の場 合は,漢字,ひらがな,カタカナそれぞれの聞で翻字が可能となる。もちろん, この2
つの操作には段階性が見られる。たとえば,犬の鳴き声を/wan/
と聞い てから「ワンJや「わん」と表記し,さらにここからダジャレとして「椀Jや ワン r 1Jとする,といった具合であるo2
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2
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で概観したように,これまで,鳥のさえずりを記録するために,さま ざまな方法がとられてきた。その中には,もちろん,ひとの言葉を用いて記録 するという試みもあった。たとえばP
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は,言葉によるさえ ずりの記述方法として文字化(
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,類推(
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をあげている。また,Y
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は聞きなし(mne
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,類推(
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, 聞 き な し(mnemonics)
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(2010)では擬音語の一覧(lexicon)と聞きなし (mnemonics)をあげている。 これらを整理すると以下のようになるo
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先行研究による鳥のさえずり表現のパタン a.文字化 (transcription):擬音諸による記述 b.聞きなし (mnemonics):諮日合わせの暗記法 c.類推 (analogy):類似する存在への言及による比轍的記述 d.分析的記述 (analytic description):ピッチ (pitch).音質 (tone quality).リズムパターン (rhythmicpattern).音放 (volume) などによる記述 (参考:Young 2003; Pieplow 2007. 2010; Weisshaupt 2015; Bevis 2010) 上記のうち, Pieplow (2007. 2010)は, (2b)の聞きなしを文字化 (transcrip -tion)に含めているが,本稿ではWeisshaupt (2015)や Bevis (2010)の分 類をもとに,両者を分けることとするo また,上記は言語化についてのみ扱っ ているが,もちろんIPA (lnternational Phonetic Alphabet)などによる音 声記号への書き換えも広い意味でのtranscriptionに入る。 (2)で,直接さえずりを言い換えたのは(2a)と(2b)であるが, (2c)と(2d)は 音そのものを,他の事物との聞の関係で記述しようとするものである。また, (2a)は文字化とはいえ,音声を表わす記号に置き換えたり,直接背をあらわ すために創造された擬音語を利用している。これに対して(2b)の聞きなしは, 表示に用いられる言語に存在するさまざまな制約を守りながら,自然音を記述 しようとする方法である。いわば,未知の存在を言語という既存のツールを使 ってとらえようという傾向が強い。これは(2c)の類推も同じである。たとえば, 図9は,上回 (2012)で用いられているさえずり表現を分類したものである。 擬音語 類 推 聞きなし。
100 200 300 400 図 9 上回 (2012)で用いられている擬音語・類推・聞きなしの記述数 烏のさえずり記述と聞きなし表現にみる擬音性と音韻的拡張(塩Ifl) ー149-上回 (2012)では120種類の鳥の声を図鑑として示しているが,鳥の声を記 述するためにもっともよく用いられていたのが,カタカナ表記の擬音語であっ た。擬音語は,図鑑で言及されている120種すべての烏について用いられてお り, 398例あった。その次は他の事物との類似性から記述する類推であり, 41 種の鳥で63例,聞きなしは一番数が少なく, 13種の烏で18例にとどまった。 図
9
にあげた類推は,個別性が高い。類推による例について,Young
(2003)は「言語表現により表現しきれない場合(“When words f
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2003 :4
)
に用いられる,いわば苦肉の策であるとしている。また,P
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(2007)はこのような類推による記述の問題点を以下のように指摘す る。なお,以降,引用する英文の和訳は,すべて著者による私訳である。(
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2007:4
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類推の問題点は,受け手が限定されるということにある。言及された 音をよく知る者の頭の中では,音のイメージを思い描くのに,類推は とても効果的であるが,実際,それ以外の者にとっては役に立たない。 ハイイロフタスジモズモドキのさえずりを頭の中で再生するというよ うな,優れた心的記録を持っていない者が,ハイイロモズモドキのさ えずりが,ハイイロプタスジモズモドキよりも速く,不明瞭であると いうことを知っても仕方がないのだ。 このように,P
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(2007)はある鳥を基準に して,別の鳥を記述しても,そもそも比較の対象 となる鳥を知らないと,伝わらないと指摘してい る。そこで,先にあげた上回 (2012)の類推で用 いられていた表現をさらに分類すると,図10のよ うな結果が得られたロ 図10 上回 (2012)で用い 図10からわかるように,鳥のさえずり表現は, られている類推表現の内訳 -150他の鳥との区別を行うために記述されるため,通例,他の鳥との比較において 記述されることが多い。そのため,他の烏の特徴をあらかじめ知っていて,そ の特徴との類推によって,鳥のさえずりが理解されることが多いのがわかる。 ここでウグイスについての記述を例にあげておく。 (4) rホーホケキヨJrホーォーホケキヨ」 さえずりのほかに,繁殖期の轡戒声は谷渡りと呼ばれ「キョキョ…ケ キョケキョ…」。地鳴きは笹鳴きと呼ばれ「ヂヤッヂヤツ」。……笹 鳴きと呼ばれる「ヂヤツヂヤツJ という地鳴きは,似ているミソサ ザイより濁っていて力強日ρ さえずりは「法法華経J と聞きなされる。 (上回 2012: 58)[下線引用者] 擬音語には下線,類推には二重下線,聞きなしには破線を施した。ここで二重 下線部の類推では, ミソサザイとの比較において鳴き声が記述されている。こ のような記述は, ミソサザイとウグイスの鳴き声を聞き分けるには有効である が, (3)のように,ミソサザイという別種の烏の鳴き声を知らない場合は,ま ったく役に立たないのである。 このように,類推による自然音の記述は,ことばで表現しきれないことを, 類似性に言及することで伝えようとする表現である。しかし,たとえて用いら れる対象を受け手が知らないと,伝わらないという問題もある。 最後にあげた (2d)の分析的記述は,音声一般について用いられる手法を, 鳥の声の記述に当てはめようとするものだロいわば音そのものを,言語以外の, 理論や法則という世界の切り取り方を通して記述しようとする方法であり,ス ペクトログラム分析等によって得られる内容を言語化したものとしてとらえる ことができる。たとえば, (5)はヤプサメに関する記述である。 (5)rシシシ……Jrシーシーシー…」 虫の音と聞き間違えるほどの細い声。轡戒声は「チュチュ…Jo .• このさえずりは
8kHz
と高音声.で,日本の鳥の中でも最も高い声の 持ち主。加齢などで聴力が低下してくると人の耳では聞こえなくなる。 (上回 2012: 59)[下線引用者](
5
)
では「細い声J
(音量),r
8
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J
(周波数),r
高音声Jr
高い声J
(ピッチ) 鳥のさえずり記述と聞きなし表現にみる擬音性と音韻的拡張(塩田)-151-というような分析的記述が見られる。 (2)にあげた 4つの記述法のうち,「自然音を言語音に置き換えて描写する」 のは,擬音語と聞きなしによる記述法である。 (2c)の類推は,そのまま描写す るのではなく,類似性によって解釈しようとするものである。また (2d)につ いても,そのまま言葉に置き換えるのではなく,言語外のルールを適用するも のである。本稿では「自然音を言語音に置き換えて描写する」という側面に注 目するため,以降の部分では, (2a)の擬音語と (2b)の聞きなしに焦点をしぼ って考えていきたい。
3
.
言語表現としての自然音
3
.
1.音の文字化と意味の文字化 先述の通り, Pieplow (2007, 2010)は聞きなしを,擬音語と同じ転写に含 めている。なるほど,どちらも自然音を文字に写すという意味では同じであるロ しかし,擬音語と聞きなしには大きな違いがある。たとえば,山口編 (2015) は以下のように述べている。 (6)r擬音語J は,実際の鳴き声とそれを表す言葉との聞に音感の似寄り が感じられる。ところが「聞きなし」は,両者の間の音感の類似より も , 言 葉 の 意 味 を 最 優 先 さ せ る 。 ( 山 口 編 2015: 209) 同様に, Y oung (2003)も聞きなしが音声面での正確さを犠牲にして,馴染 みのある表現に置き換えることで成り立っていると指摘している。(7) The l1se of familiar words or phrases in some mnemonics
involves a sacrifice of accuracy so that birders can more easily remember the songs. (Y oung 2003 : 3) 聞きなしの中には,正確さを犠牲にしてでも,馴染みのある語を使用 することで,愛鳥家がさえずりを簡単に覚えられるよう,作られてい るものがある白 また, Pieplow (2007)は, transcriptionによる表記の問題点について,以下 のように述べている。
(8)
…
phonetic transcriptions usually end up conveying mostly rhyth -mic information, with little or no regard to pitch, tone quality, variation,
or any other crucial components of birdsong. (Pieplow 2007 : 49) 音声の転写はたいていはリズム情報を伝えるにとどまるo ピッチや音 質,変異など,鳥の声に関する重要な要素は,ほとんど考慮されない。 ここでいう phonetictranscriptionとは擬音語と聞きなしを含む,広義の文字 化である。後に Pieplow (2010)では「鳥の声のピッチや抑揚を示す一貫した ノレールにしたがって母音が選択される(“their choice of vowels almost always follows a consistent set of rules for indicating the pitch and inflection of the bird sound")J (Pieplow 2010)と訂正してはいるが,擬音 語についての言及にとどまっているo そもそも日本語の「聞きなし」は,「見なし」からの類推で生まれた表現で あり,川口(1921)による使用が最初とされる(小林 2000: 186)。また,小 林 (2000)によれば,このほかにも, r[時声の翻訳」や「章句仮充法」などと いう表現が用いられることもあった(小林 2000: 187)。また,中西(1956) は,烏の声の言語化を「章句あてはめJ と呼ぴ,自然音の特徴を保持している とも指摘する。 (9)r章句あてはめ」は日本各地から蒐集できるが,鳥声の抑揚長短が表 現されるほか,鳥声の地方差(即ち鳥語の方言であって,模倣から発 達した別個の系統)も或る程度わかる便利があるo (中西 1956: 36) このように,聞きなしは自然音の特徴をある程度保ちつつ,方言をも持つ言語 表現の変種としてもとらえられていたことがわかる。 以上より,擬音語と聞きなしの違いは,概ね(10)のようにまとめることがで きる。 (10)先行研究による鳥のさえずりの擬音語と聞きなしの関係 a.類似性:文字化(擬音語化)(transcription)においては鳥のさ えずりの音声,聞きなし (mnemonics)においては転 烏のさえずり記述と聞きなし表現にみる擬背性と背削的拡張(梅田) ~ 153~写先の言語的意味が優先される。 b.音韻性:擬音語も聞きなしも元のさえずりの抑揚,リズム,長短 など,何らかの類似性を伝える。 たとえば日本語の場合,擬音語は,カタカナで表記されることが多いロこれは 通常の言語表現とは違う,音を写した擬音語であると解釈するための手がかり ともなる。これに対して聞きなしは,既存の表現に自然の音を当てはめるので,
(
6
)
,(
7
)
,(
8
)
にあるように,音声面での類似性が,ある程度犠牲にされるこ とが多い。しかし,だからといって,聞きなしは,表示の元になった音とまっ たく違った自由な表現なのでは決してなし何らかの点で元の音を写していな ければならない。擬音語も聞きなしも自然音を写す表現であるという点では共 通しており,転写先の言語の特徴と無関係ではないのだ。では上記のような特 徴は,実際,両者に見られるのだろうか。また,聞きなしはどのようにして, 音と意味のバランスをとりながら「見立て」を行っているのだろうか。次の部 分では具体例を挙げながら探っていく。3
.
2
.
さえずり表現の諸相 本稿では, 6種類の鳥のさえずりを例に考えてみたい。ここでとりあげるの は①ウグイス(Ja
p
a
n
e
s
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Bush W
a
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b
l
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)
,②イカル(Ja
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n
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)
, ③オオヨシキリ(
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e
n
t
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l Reed W
a
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b
l
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r
)
,④コジュケイ(
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s
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a
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g
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)
,⑤シジュウカラ(Ja
p
a
n
e
s
e T
i
t
)
,⑥ホオジロ(Meadow
B
u
n
t
i
n
g
)
であるo この6
種を選んだ理由は,身近にみられる鳥であるという こと,またそれゆえに,音声の採取が容易であること,擬音語と聞きなしの両 方が存在することなどである。3
.
2
.
1.②ウグイス ウグイスのさえずりには一般的に「ホーホケキ ヨ」という擬音語があてられる。たとえば先掲の, 大学生を対象とした擬音語に関するアンケートで も,図11に示すように 8割以上の回答者が「ホー ホケキヨJ,またはこれに類似する擬音語をウグ イスのさえずり表現として回答していた。 図11 ウグイスのさえずり しかし,ウグイスのさえずりには次節で述べる 表現の内訳イカル同様,バリエーションがある。データ採集の際にも「ホーホケキヨ」の ほか,「ホーホウホケキヨ」なども多く観察された。これらはウグイスの方言 や練習鳴きの一種である可能性もあるが,本稿では,よく知られた聞きなしと 対応する「ホーホケキヨ」のタイプを例に考えてみることにする。 図
1
2
は図8
で示したウグイスのさえずりと「ホーホケキヨJ,聞きなしの 「法法華経」の音声を,横軸を時間,縦軌を周波数であらわした波形である。 ちなみに擬音語も聞きなしも,物まねとしてではなく,単独のことばとして発 声した音声をサンプルとして用いた。つまり,擬音語はカタカナ表記,聞きな しは振り仮名つきの漢字・平仮名表記のものを,物まねではなく言語表現とし て発声した。以下,擬音語ホーホケキョを中心にし,日本語のリズムである韻 脚 (foot)の単位をもとに,1
フ ッ ト (2
モーラ)ごとに区切って示す。 図12 ウグイスのさえずり(上段)と著者の発声による 「ホーホケキヨJ(中段)r法法事・経J(下段)の波形 今回の考察においては,発声の際にはあえて物まねとせず,通常の表現として 発声した。そのため,はじめのr
*
ーJや「法」の部分は短く発声されている。 そのかわり,振れ幅は広く,強く発声されていることがわかる。このことから, 音の長短は強弱と相関関係があると予測される。たとえば,福島(
2
0
1
2
)
によ ると,音の際立ち,つまり卓立 (prominence) は,音の強さ・高さ・長さで 烏のさえずり記述と聞きなし表現にみる擬苛性と背間的拡張(塩田)-155-表現されるという(福島 2012: 84)。ここで,元のさえずりでは「長さ」で表 現され,卓立を示していた部分は,日本語の言語表現としては不自然な長音と なる。そのため,「長さ」のかわりに「強さ」という別の卓立が与えられたと 考えることができる。また,図12の横軸であらわされたフット毎の長さの割合 を示すと表
1
のようになるo 表1 ウグイスのさえずり・擬音語・聞きなしの発声時間(秒)と割合 擬音語のフット さえずり 擬 容 器 t=fn日 ホー 1.010 (64%) 0.442 (37%) 0.417 (32%) 一 % 一 知 一 政 ケ 一 似 一 仰 一ω
﹂ 4-qδ 一 ' ﹀ 一 ヮ “ a H 宅 一 , 司 、 -F 0 3一
4一
4 - n υ -A U -A U キョ 0.225(14%) 0.253 (23%) 0.416 (32%) 聞きなし 別宮 (2005)によると,日本語の音声の基本は 2モーラを 1フットとしたリズ ムであらわされるとい7
0
このことから考えると,聞きなし表現が,日本語 の音声のルールに従って,ほぽ同じ長さで発声されているのがわかる。対する 擬音語の場合は,末尾のフットが短く表現されている。この特徴は,元の鳥の さえずりの末尾のフットが短いことと一致していると考えられる。いっぽう, 聞きなしは2
モーラのフットを成立させるために,最後に母音/
u
/
を付加す ることで,フット聞に等間隔のリズムを持たせている。 ここで,子音よりも聞こえ度が高く目立つ母音がわざわざ付加されるのは, 日本語がcv
型の開音節という特徴を持っていることと関係があるロまた,母 音を付加する際の条件として,前の語と組み合わさり,意味の通る語を作るこ とができるか,また,聞こえ度が低く,元の音との違いを目立たせてしまわな いか,などの条件もあると考えられる。たとえば,川越 (2014)は,借用語に おいても同様の現象が起こり,日本語の音節構造に合わせるため,語末に母音 が挿入される現象を例示している(川越 2014: 55-6)。 以上をまとめると,表示の元となったさえずりの卓立(長音)は言語化され る際には音の強さという,別の卓立に置き換えて表現される。これに対してさ えずりと擬音語を見ると,擬音語はさえずりの末尾のフットの波形を合わせる ことで,類似性を表現していると考えられる。ごく大まかな分類にはなるが, さえずりと擬音諮は末尾のフットで,また,さえずりと言語音(擬音語と聞き なし)は長音による卓立から強弱による卓立への変換という点でつながってい るととらえられる。 次に抑揚のパタンを見ていきたい。本稿では,ピッチ曲線を用いて考察する。なお,縦棒線による区切りは,図
1
2
のフットの境界に相当する。以降,ピッチ 曲線の表示にあたり,下向きの矢印は鳥のさえずりと擬昔話の共通点,点、線で 囲まれた部分は鳥のさえずりと聞きなしの共通点を示す。 側 制 調 図13 ウグイスのさえずり(上段)と著者の発声による「ホーホケキヨJ (中段), 「法法華経J (下段)のピッチ曲線 ウグイスのさえずり表現の場合,擬音語と聞きなしについては,末尾の 「うJ を除いて,すべて同じ音であり,擬音語として読まれるのか,語として 読まれるのかの違いにすぎない。しかしここで,鳥のさえずりを見てみると, さえずりと擬音語の場合はさえずりと聞きなしよりも似通っていることがわか るo第1フットにおいて,やや上昇した後,平坦になり,そのまま第2フット に入る。ここで擬音語は「ほ」の発声のため,一度上昇するが,続く部分です ぐに,さえずりと同様に下降する。その後,「ケJで一度ゆるやかに上昇した あとで,第三フットで下降して終わる。ここで音の抑拐の点からは,たとえ物 まねとして読まなくても,擬音語と元の烏のさえずりにおいては共通点が見ら れるということがわかる。 しかし,聞きなしと擬音語の聞には,さえずりと擬音譜の問に見られるほど, はっきりとした一致はみられない。これは,聞きなしと擬昔話が同音異義,ま たは同音異綴の関係にあるからだと考えられる。「ホーホケキヨJ と「法法華 経」はカタカナと漢字という表記の違いがある。ここから読まれ方の違いがう まれる。ゆえに,鳥のさえずりと擬音語は,抑揚の点でつながっているが,聞 きなしと擬音語の類似性は,個々の音を平仮名で文字化した場合にしか見られ 烏のさえずり記述と聞きなし表現にみる擬背性と背制的拡張(塩田)-157-ないと推測できる。このことを考え合わせても,同じ文字で表記されていると はいえ,元のさえずりという非言語音と擬音語ほど,さえずりと聞きなしが似 ていないのは興味深い。 ウグイスのさえずりを言葉で写す際,鈴木 (2004)は擬音語とその元になっ た音の発声時間と周波数はよく似ているが,ウグイスの場合は周波数が似てお らず,物まねしようにも,せいぜいアクセントを真似るレベルにとどまると指 摘している(鈴木 2004: 66-7)。また,岡ノ谷 (2003)も,人間の発声した 「ホーホケキヨ」とウグイスのさえずりは異なる音型であると指摘している (岡ノ谷 2003: 4)。両者とも,さえずりの擬音語を本稿で扱ったデータのよ うに「言語表現J としてではなく「物まね」として発した場合について言及し ているが,たとえ物まねであっても,正確に写しきれないことは明らかであるロ それゆえに,写し切れない要素を,卓立をはじめとする別の言語的特徴に代替 することで,表現してきたのが擬音語であり,聞きなしであるといえるo 3.2.2.②イカル 鳥のさえずりは,人間の言語同様,個体差や方言が見られる。そのため,ど の音声を基準とするのかは困難である。というのも,人間の言語のように制度 化されたその種の「基準語」がないからであるo本稿では図
4
の例同様,すべ て著者が録音・編集した音声を例にあげるが,この理由から,擬音語や聞きな しのパタンとしては最も近いと恩われるものについて扱いたい。たとえばイカ ルのさえずりには図14から図16に示すようなバリエーションがある。 まず,図14のA-1と図15のA-2は,連続して発せられた同一個体のさえず りのバリエーションであるo それに対して,図16のBは別個体のさえずりで ある。これら 3っすべてに,イカルによく用いられる「月,日,星」や「お菊 二十四」という聞きなしをあてはめることはできない。たとえばA-1は「月, 日,星」や「お菊二十四」と聞けるが, A-2は「お菊二十四」とは聞けても 「月,日,星J とは聞けない。さらに Bについてはどちらの聞きなしにもあ てはまらない。ここでは,人間の耳で聞く限りにおいて,聞きなしに対応して いると恩われる例をとりあげる。以降,イカルの場合は図14のA-1を例に擬 音語と聞きなしを考えてみたい。 「月,日,星」と聞きなされるイカルのさえずりの擬音語には「キョケーキ キョキイJ(上回 2012: 23)などがある。図17は先の図14の波形に擬音語と聞 きなしを追記したもので,中段は「キョケーキキョキイJ,下段は「月日星」図14 イカルのさえずり A-} ,.・ーー圃・-岨・ ・.・闘・ þ:~ 図15 イカルのさえずり A-2 , . 戸 帽 圃 司 ‘ _ _ . 唱 園 一 " 司 船 ・ 『 晦 酷 ・ 一 司 圃 " " " .... 図16 イカルのさえずり B 図17 イカルのさえずりと著者の発声による「キョケーキキョキイJ(中段)
,
「月日星J(下段)の波形 の発声である。なお,ここでの縦棒線は,ウグイスの例と同様,中段に示した 擬音語の2モーラ 1フットの区別に基づいている。まず,図17から,ウグイス 鳥のさえずり記述と聞きなし表現にみる擬音性と音韻的拡張(塩問) -159ー同様に,擬音語でいえば末尾から 3つ自のモーラ「キヨ」や聞きなしの「星」 の「ほ」では,元のさえずりで長く発声されていた部分を強さに置き換えるこ とで,卓立が保たれていると考えられる。 イカルの擬音語と聞きなしはウグイスのように,同じ音が当てられていない ため,ウグイスほどはっきりとした相関関係は見られない。しかし,これはイ カルの個体差・地域差もその原因のひとつである。先述の通り,イカルのさえ ずりには地域差,個体差が見られる。そのため,しばしば聞きなしとして「っ き,ひ,ほし」が「っき,ひ,ほしー」や「っき,ひ一,ほ一,しー」になる ことがある。今回のさえずりはどちらかというと「っき,ひー,ほー,し一J にあたるため,「キョケーキキョキイJ というよりは「キョケキーキョーキイJ に近いのかもしれない。そのため,長音の場所が異なる。 このように考えると,上記は「月」にあたる「い」を伸ばすかわりに,「日」 の「しりが伸ばされていなし h バリエーションとしてとらえられる。では,な ぜこのような長短の違いがあっても「月,日,星」の聞きなしが成り立つのだ ろうか。これは表現全体のリズムが,日本語のルールにならって調整されてい るためだと考えられる。別宮 (2005) によると,日本語話者に身についた内在 律は, 1小節に 8分音符が 8つ入る, 4分の 4拍子のリズムであるという(別 宮 2005: 111)。このことをたよりにイカルの擬音語を示す。なお,以降すべ て.は休符に相当する聞をあらわす。
川 一
/ 引
刀↓﹀︽ト
口 町
1小節に 8分音符が 8つ入る 4拍で考えると, (11)では全体の拍数を守りなが ら,長短が調整されていることがわかる。このことから,長音の位置がたとえ 違っていても,全体のリズムを乱さないのであれば,不自然に聞こえないとも 考えられる。また,日本語の場合,特殊モーラである長音に強勢が置かれるこ とはなく,長音の直前の自立モーラに強勢が移動するという特徴がある(川越 2014 : 37)。これらのことを考えると,第 2フットの「ーキ」を「キー」にし たり,末尾の休符を第3フット後半の長音に置きかえたり,「キイ」の「キ」 を最終フットの前半に持ってくることで,各フットの「強弱」パタンのテンポが調整されることになり,より自然な韻律(語呂の良さ)がうまれるといえる。 これに対して,聞きなしのリズムは「月・日.星・」となるが,ここでも表 現聞に休符が加えられることにより,
4
拍子のリズムが保たれていることがわ かる。ω
十 刀 刀 刀 刀
キョケーキキョキイ. っ き . ひ . ほ し . 次にピッチの変化を見てみたい。 出- F
側 図18 イカルのさえずり(上段)と著者の発声による「キョケーキキョキイJ(中段), 「月日星J(下段)のピッチ曲線 それぞれの第2
フットのはじめにくる「ひ」の下降のピッチは,元の鳥のさえ ずりにも,擬音語「キ」にも聞きなし「ひ」にも共通してみられる。しかし, 先のウグイスの例とは違い,イカルの場合,鳥のさえずりと聞きなしでは第2
プットの官頭と,第:~,第4フットの末尾のわずかな上昇調のイントネーショ ンが同じなだけで,ほとんど共通点は見られなし」これに対して,第1フット の冒頭の下降イントネーションや第4フットの冒頭の下降調など,プットごと に分けると,さえずりと擬音語それぞれのイントネーションが冒頭で似通って いることがわかる。ここで,先のウグイスと同様に,擬音語は冒頭と末尾のイ 烏のさえずり記述と聞きなし表現にみる擬音性と音問的拡張(塩田) --161-ントネーションに共通点が見られるが,聞きなしでは擬音語ほどの一致は見ら れない。先のウグイスの例では擬音語と聞きなしの音声が,聞きなしの末尾に 付加された「う」の音以外はすべて同じだったため,抑揚が似ているというの は必然だったのかもしれない。しかしイカルの例では,擬音語と聞きなしのよ うに,同音性がなくてもイントネーションは,ある程度は,共通している。
3
.
2
.
3
.
③オオヨシキリ オオヨシキリはそのさえずりから「行行子J と呼ばれることもあるほど,特 徴的なさえずりをする(上回2
0
1
2:
4
3
)
。ここでは,その一部を言語化した擬 音語「ケケチケケチ」と聞きなし「仰々しい仰々しい」を示しておきたいロま ず,さえずりのパターンの一例を示す。 図19 オオヨシキリのさえずり このうち,「仰々しい」という聞きなしが当てられるのは中央部である。たと えば,オオヨシキリの擬音語「ギョシギョシJrケケチケケチ」と「仰々しい」 はそれぞれ図2
0
のように対応している。 図20 オオヨシキリのさえずりとさえずり表現の対応 -162以下,さえずりの中央部分にある, 2つめのパタンのさえずり表現をみていき たい。まず,先の例と同様,プットごとに区切った波形を示す。 図21 オオヨシキリのさえずりと著者の発声による「ケケチケケチJ(t:j:l段), 「仰々しい仰々しいJ(下段)の波形 この聞きなしは,同語反復型となっている。そのため, 2つの表現単位から成 ると考え,フットも「ケケ│チケ│ケチJではなく,「ケケ│チ・│ケケ│チ
.
J
としてとらえた。いっぽう聞きなしは,「仰々│しい│仰々│しい」と 4 分の4拍子の内在律が守られるように作られている。 ここで,一見して明らかなのは, 3者とも共通して「強強弱」のパタンを持 っているということである。これまでの2
例では,聞きなしも擬音語もこれほ ど強弱のパタンが似通っているものはなかった。奇数フットについてはさえず りと擬音語の両者とも,ごくわずかではあるが,2
つ目のモーラが強く発声さ れていることがわかる。また,言語表現の場合,偶数プットは同じ音であるに もかかわらず, 2回目のほうが弱い。これは人の発声の特徴として,時間軸に 沿ってエネルギーの放出が進み,発声がだんだん弱くなりイントネーションも 下がる,自然下降が影響していると考えられる(青木2
0
1
4:
1
0
3
)
。いっぽう 烏のさえずり記述と聞きなし表現にみる擬音性と音韻的拡狼(塩田) -163-でさえずりの波形は濃くなっているが,これは図
2
0
に示したように,その後に さらに強いさえずりが続くからであるo次にピッチを観察しておきたい。 図22 オオヨシキリのさえずり(上段)と著者の発声による「ケケチケケチJ(中段), 「仰々しい仰々しいJ(下段)のピッチ曲線 上記を観察する限りでは3
者の聞に抑揚の共通点は見られない。たとえば,さ えずりは高低低高,擬音語は高低高低,聞きなしは高低高高,あるいはほぼ平 坦である。しかし,フットの前後でみるといくつかの共通点が見られる。まず 第2フットと第4フットのはじめで一度,音が下がるということである。また, これまでと違い,オオヨシキリの例を見ると,元の鳥のさえずりは擬音語より も,聞きなしとのほうが音の類似性が高い。 ここで,先にあげた4
拍子のリズムについて考えてみたい。ω
士 刀 刀 刀 刀
ケ ケ チ . ケ ケ チ .十 刀 刀 刀 刀 刀 刀 刀 刀
詠 う まkう し い . . き 〉 う 訟 う し い . . 擬音語「ケケチ」も聞きなし「仰々しい」も,ともに最後の1拍が休符になっ ている。上記では擬音語と聞きなしのリズムを比較するため,あえて聞きなし1
6
分音符で示した。上記からわかる通り,擬音語も聞きなしも,日本語のリズ 164-ムを守った形になっている。さらに同一表現の繰り返しによって成り立ってい るため,間を挿入することで表現の切れ目を明確に示しているともいえる。 ここで,音節についても考えておきたい。オオヨシキリの擬音表現ケケチは
3
音節,聞きなし表現「仰々しい」は4
音節となり,1
音節余分であるととら えることができる。ここで余分の音節を構成するのは末尾の「いJである。こ の「い」の音の添加は,先に述べたウグイスの聞きなし表現の末尾に見られる 「う」の付加と同様に考えられる。つまり,八./や/i/などは挿入母音として は短く目立たないため,付け加えやすい(川越2
0
1
4:
5
5
-
6
)
。さらに,ここで みると「い」の音,つまり偶数フットの後半部分の高低はわずかではあるが, 上昇調であるという点で,元の鳥のさえずりと共通している。また,直前の 「し」の母音「い」と同じであるので,二重母音化または長音化しでも不自然 に感じられにくいといえるのかもしれない。このような理由から「い」を付け 加え,日本語の表現としても思い出しやすい「仰々しい」という表現になった と考えられる。このように,聞きなしは写す先の言語音の特徴を優先するとは いえ,元の烏のさえずりの音声とまったく無縁ではない白むしろ,擬音語で表 現しきれない部分を補う場合もある。 しかしよく見ると,擬音語は奇数フット,つまり強勢が置かれる部分におい て,元の鳥のさえずりの抑揚と類似している傾向にある。つまり,より強く聞 かれる部分が共通していれば,「弱」の部分のパタンはあまり重視されないの かもしれない。それに対して聞きなしは強弱のリズムでは「弱」の部分の差は 擬音語ほどない。そこで,波形であらわされるような強弱の差がない分,音調 を似せることで類似性を高め,表現全体として元の烏のさえずりと似せている とも考えられる。3
.
2
.4.④コジュケイ オオヨシキリと並び,図2
3
に示すコジュケイのさえずりも特徴的で「ピッポ グィーピッポグィー」という擬音語で表現されるほか,「ちょっと来い ちょ っと来い」という聞きなしも存在する。コジュケイの擬音語と聞きなしの波形 は図2
4
のようになる。擬音語の縦棒線は他の例同様,プットの境界を示す。 まず図2
4
では,元となったさえずりの「グィー」にあたる部分は,聞きなし では「来い」と伸ばさず読まれるが,波形を観察すると,「ちょっ」や「とJ の部分と同様の強さで読まれていることがわかる。ここでも,ウグイスやイカ ル,オオヨシキリの例で観察された,音の長さと強さの聞の卓立における相関 烏のさえずり記述と聞きなし表現にみる栂官官:1と背韻的拡張(塩田)-165-. . . . 図23 コジュケイのさえずりの波形とスペクトログラム 図24 コジュケイのさえずりと著者の発声による「ピッポグィー ピッポグィーJ(中段), -rちょっと来いちょっと来いJ (下段)の波形 関係が見られる。また,擬音語の「ピッポ」にあたるのは「ちょっと」の部分 となる白本来なら「ちょっとJは3モーラになり,フットから外れるはずであ るが図
2
2
の聞きなしの音の切れ目からもわかる通り,「ちょっと」と「来い」 は,ほぽ同じ長さが当てられ, 1フットを形成しているo このことから「ちょ っと」は「ちょとJ,もっといえば「ちと」のように認識され,読まれること もあるのではないかと推測される。-166-コジュケイのさえずり表現において,この「つ」の音は,擬音語と聞きなし の両方に用いられている。「ピッポ」と「ちょっとJである。たとえばこの 「つ」をなくして「ピポ」や「ちょと」とすることも可能である。また,擬音 語の場合は明らかに2モーラ 1フットのリズムを形成するために「ピポ│グィ ー」のほうが座りが良い。しかし,あえて促音を追加することで,「ピッ│ポ グ│ィー・」となり,末尾に空白ができる。これは同じ節の繰り返しが後に続 くため,表現の境界として,有効に用いられる。さらに聞きなしの場合も, 「ちょと」に似た既存の語,「ちょっと」にするため,「つJが付け加えられて いるo そのことによって,「ちょっ│と来│ぃ・」となり,「ケケチJ と同じく, 繰り返しのリズムの聞に,その切れ目として必要な,休符を付加することが可 能となっている。 次にピッチ曲線から抑揚のパタンを観察する。図
2
5
より,擬昔話のフットに 基づく音の切れ目では,第1フットから第3プットまでのパタンが3者に共通 していることがわかる。また,末尾の上昇はさえずりと聞きなしに共通してい る。これはイカルにも見られた特徴でもある。さらに,先ほどの「つ」の追加 を考えると,「つJにあたる部分は三者とも下降調のイントネーションが与え られていることがわかる。つまり,「つ」の追加は,元の烏のさえずりとの類 似性を表現するために必要であったと考えられる。聞きなしにおいては,「つ」 が添加されることによってモーラがふえ,リズムが調整されるが,それと同時 に,抑揚のパタンの類似性が強められている可能性もある。5
3
4
B
図25 コジュケイのさえずりと著者の発声による「ピッポグィーピッポグィーJ(中段), 「ちょっと来いちょっと来いJ(下段)のピッチ曲綿 烏のさえずり記述と聞きなし表現にみる擬音性と背朗的拡張(梅田) 一 167-3
.
2
.
5
.
⑤シジュウカラ シジュウカラは2音または3音のさえずりを持つ。ここでは2音から成る 「ツピーツピー」およびその聞きなしのひとつ,「貯金貯金」を例に考えてみ たい。まずシジュウカラのさえずりの波形とスペクトログラムを以下に示すロ 図26 シジュウカラのさえずりの波形とスペクトログラム シジュウカラのさえずり,および擬音語・聞きなしの波形を並べると図2
7
の ようになる。なお,シジュウカラの擬音語については,短い表現なので,フッ トではなく繰り返しの元になる表現の聞に縦線をつけて示す。 図27 シジュウカラのさえずりと著者の発声による「ツピーツピーツピーJ(中段), 「貯金貯金貯金J (下段)の波形図
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からわかるように,元のさえずりは,3
回目の繰り返しを除いて,基本 的には弱強のパタンをもっ。このパタンは擬音語において保たれている。しか し,聞きなしにおいては保たれておらず,弱強のパタンになっている。ただし, 擬音語で強く発声されている rピーJの部分にあたる「金(きん)Jの音は相 対的に長く発声されているので,卓立が与えられていると受け取ることもでき る。このことから,これまでのパタンと同じく,強弱と長短の互換性がうかが える。また,モーラとして数えた場合,擬音語は「ツピ1-
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J,聞きなしは 「ちょき│ん. Jとなり,フット問の繰り返しの境界として必要な「問Jも保 たれていることがわかる。 (14
)
十 刀 刀 刀 刀 │ 刀 刀 且
ツ ピ ー . ツ ピ ー ・l
ツ ピ ー . . . ちょきん.ちょきん・l
ち ょ き ん . . . (14
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は,図2
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の波形からも確認できるo次にシジュウカラのさえずりと, 化された表現のピッチを示す。 ヨ 間 一 一 百 図28 シジュウカラのさえずりと著者の発声による「ツピーツピーツピーJ(中段), 「貯金貯金貯金J(下段)のピッチ 鳥のさえずり記述とIlH
きなし表現にみる擬音性と音韻的拡張(塩田)-169-図26について,さえずりと擬音語を見ると,各音節の後半で上昇調であるとこ ろ,つまり先の波形でいえば,強く読まれていた部分で抑揚のパタンの類似が 見られる。これに対して聞きなしの場合は,各パタンの官頭で高いピッチがあ らわれるが,あとはほぼ平坦である。このように下降調が用いられるのは,さ えずりや擬音語において,弱強のパタンであらわされている部分が,聞きなし では強弱のパタンになっているためであると推測できる。また,元のさえずり や擬音語は後半の強い部分が高くなっている。ここで,長短・強弱だけではな く高低との聞にも卓立の相補関係があるとわかる。先に述べたように,卓立は 強・長・高で示される。そのため,たとえば「ちょきん」の場合,弱強のパタ ンを強弱のパタンに近づけるために,相対的にみて高い音が選ばれていると考 えれば,抑揚パタンの前後逆転を説明できる可能性がある。 また,元のさえずりは,途中で強弱のパタンが逆転している。このことから, 擬音語は前半部分の音型を,聞きなしは後半部分の音型の類似性を利用してい るとも考えられる。 3.2.6.⑥ホオジロ 最後にホオジロについて見ておきたい。ホオジロは「特許許可局Jや「一筆 啓上仕り候」などと聞きなされる複雑なさえずりを持つことで知られる。図30 を見ると,前半部は,元のさえずりも擬音語も聞きなしもすべて等間隔,同じ リズムで表現されている。このうち,特に第1フット後半の聞は擬音語や聞き なしでは聞こえ度が低い促音の「つ」に置き換えることで表現されていると考 えられる。しかし,後半を見ると, 3者ともそれぞれ,時間もモーラ数もかな り異なっている。たとえば,擬音諮で
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モーラの擬音語で表現されている「チ ュチユ」は聞きなしでは5
モーラの「っかまつりJ,末尾部分に至っては,1
図29 ホオジロのさえずりの波形とスペクトログラムホオジロのさえずりと著者の発声による 「チョッピイチュチュリチュチュチユJ(中段), r一筆啓上仕候J(下段)の波形 図30 モーラの「チユ」が
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モーラで表現されていて,かなり異なっている。しかし, 元のさえずりと擬音語を見ると,各フットの長さの割合はほぼ同じであるD この不自然さについて,上回 (2012)は「ちょっと字余りぎみJ(上回 2012: 45)と表現している。また平岡 (2017)は特に末尾部分の「そうろう」が「そ ろ」と聞こえる不自然さを指摘し,これは,かつて「候Jが「そろJ と読まれ ていたことに由来すると論じている(平岡 2017: 29)。この後半部分の不自然 さはどこから来るのであろうか。まず,聞きなしは窓l床のある表現でなければ ならないということ,また,暗記法として使われるため,思い浮かべやすい, 慣れ親しんだ表現である,ということなどが理由としてあげられる白この覚え やすさ,いわば語呂のよさは,本稿で参照してきた日本語のリズムともまた, 関係がある。 寸 d・
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ピ び 刀 か し -171-烏のさえずり記述、と聞きなし表現にみる擬音性と音韻的拡張(塩田)上記のように,擬音語,聞きなしとも4分の4拍子で表すことができるo この ように, 1つの表現として聞を開けることなく 2小節を構成する聞きなしはリ ズムの点でバランスが良い。ただし上回 (2012)や平岡 (2017)の指摘するよ うに,字余りになる点は否めない。 次に,ピッチ曲線を示す。 図31 ホオジロのさえずり A-lと著者の発声による「チョッピイチュ チュリチュチュチユj (中段), r一筆啓上仕候j (下段)のピッチ 図31を観察してわかるのは第2フットの冒頭において,共通点が見られるもの の,ほとんど共通点が見られないということだ。特に後半 3つのフットにいた っては,元のさえずりが下降下降平坦のパタンなのに対して,擬音語ではほと んど平坦である。第1プットは強弱の聞によって類似性が保たれていた。第2 フットでは抑揚のパタンが保たれていた。このように,前半はさえずりと類似 性が高いが,先に述べた波形と同様,後半は似ているとは言い難い結果となっ たロこのことが,ホオジロの聞きなしの違和感の理由のひとつであると考えら れる。しかし,先述の通り,音の一致が見られないのに,「一筆啓上仕候」は 今 な お , ホ オ ジ ロ の 聞 き な し と し て 広 く 知 ら れ て い る 。 た と え ば , 川 村 (1974)は「一筆啓上仕候Jのような仮充章句(聞きなし)の出来の良否は 「抑揚を模すことの巧拙によって分かれるJ(111村 1974: 93)と述べ,また, 七五調のリズムに通じるとも指摘している(川村 1974: 104)。つまり,言語 表現としての韻律,つまり語呂のよさ,さらにいえばリズムや抑揚が保たれて