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真宗教学研究 第21号(2001)

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現代と蓮如

講 演 蓮師の夢幻について 華厳の視野で 真宗の活力源 真宗の繁昌 シンポジウム 現代と蓮如 教化 蓮如の教化 中世という時代 蓮如の教化 刑 判 蓮如の教化 現代の視点からー 講 演 会 インドにおける業論 業報輪廻 釈尊の業論 1997年度教学大会発表要旨 1998年度教学大会特別研究発表要旨 1999年度教学大会発表要旨

真 宗 教 学 学

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荷 利 麿 12 寺 川 俊 昭 29 53 名 畑 崇 60 池 田 勇 諦 66 寺 川 俊 昭 73 目lj 田 専 皐 97 小 JI

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講演 一九九七年度

教学大会

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只今御紹介に預かりました鍵主でございます。御紹介 にございましたように、長い間華厳教学、主に賢首法蔵 という人物について学んできた者であります。この度、 現代という視野、もしくは宗教思想史的な観点から蓮如 上人を見直すとどう見えるかという側面からの考えを申 し述べるようにという御要望を頂きました。二週間程前 の印度学仏教学会におきましでも同じ問題で、私自身が 考えておりますところを述べさせて頂いたことでありま した。それで、蓮如上人について考えるということにな ゆめまほろし りますと、夢幻という観点が気になっていたと申し上 げたいと思います。前回は特に﹁白骨の御文﹂を通して 大変身にしみる問題を取り上げました。 蓮帥の夢幻について

︵ 細 谷 大 学 教 一 一 ︶

ところで蓮如上人と私自身との関係というようなこと になりますと、身で受けると言、つのでしょうか、何か胸 に迫ってくる、いわゆる無常観というものを幼な心に感 じさせられた記憶があります。それは一体何に根ざして いたのか。そのことが、念頭から離れなかった青年期の 想い出があるということであります。これは次のような ﹃御丈﹄に特に強く表れている何かに対する幼少期の感 覚 で す 。 人間はただゆめまぼろしのあいだのことなり ︵ 第 一 帖 十 通 ・ 真 宗 聖 典 ・ 七 七 一 頁 ︶ 人聞はただ電光朝露の、ゆめまぼろしのあいだのた の し み ぞ か し ︵ 第 一 帖 十 一 通 ・ 前 向 ︶

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2 ただいたずらにあかし:::くらして、老のしらがと なりはてぬる身:::わが身ありがおの体を、つらつ ら案ずるに、ただゆめのごとし、まぼろしのごとし ︵ 第 四 帖 四 通 ・ 真 宗 聖 典 ・ 八 一 七 頁 ︶ ﹁夢の如し幻の如し﹂とか﹁電光朝露﹂とか﹁老少不 定﹂とかという言い方で、人生の惨さを仰っておられ るわけであります。けれども、そのことがいわゆる虚し さとか、あるいは単なる惨さとか頼りなきとかという観 点からだけで見るのでは不十分ではないかということが、 仏教や真宗の教えを学び始めるうちにずっと問題になっ ていたということなのであります。 そういうことを思っていました時に、一週間ほど前 ︵一九九七・六・二九︶の朝日新聞・日曜版の四面で清 水克雄という編集委員の﹁閑話休題﹂という項目の記事 を拝見いたしました。それは﹁夢もこの世もまぼろし も﹂というテーマの評論といいますか、閑話ですから無 駄話的問題提起ということにもなるのでありますが、考 えさせられる論点が一不されていると思ったのであります。 つまり、中世の日本人、我々の先輩達は夢というものを 非常に大事にしていて、﹁夢はあいまいな空想ではなく、 実体のあるものだと考えたらしい﹂というのです。前回、 印度学仏教学会で研究発表しました時には、いわゆる平 家物語の冒頭の﹁祇園精舎の鐘の声:::﹂といった無常 観とか、また謡曲敦盛の﹁人間五十年下天のうちをくら ぶれば夢まぼろしの如くなり:::﹂という言葉しか思 い浮かばなかったのであります。けれども、この論説委 員は小野小町の歌とか、あるいは和泉式部の和歌などを 紹介しながら、現代の我々は金とか権力などに振り回さ れて、かつての日本人が感じ取っていたような夢幻とい う、人生そのものを夢に託して感じ取って﹁自らの欲望 やおごりの心をいましめ﹂るような感性を見失ってしま ったのではないだろうかという問題提起なのであります。 その点から考えまして、特にこのレジュメの四帖目の 四通の﹁秋もさり春もさり﹂という御丈などを読ませて 頂きますと、蓮如上人の生涯そのものは波澗万丈という ことでありますのに、いつの間にか年を取ってしまった というのか、あるいは歩んできた道のりの中に楽しいこ ともあったし、いやなこともあったと言いましょうか、 振り返ってみますと、これこそというようなことが一つ もないという、徒に明かし徒に暮らすというような無常 観は、本当に響いてくるものがあります。私自身が今自 分自身を振り返ってみて、間もなく定年ですけれども、

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蓮師の夢幻について 本当に﹁夢の如し幻の如し﹂という言葉が胸の底にズ シ

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ンとこたえてくるような感触は否定できません。 ﹁夢の如し幻の如し﹂ということは、事実上そうなので あります。けれども、単なる夢幻というような傍さだけ の側面のみではなくて、そのような事実の成り立ってく る本と言いますか、何か確かなものを踏まえながら、蓮 如上人はこのお手紙を書いていらっしゃるのではなかろ う か c 従ってそのような、夢幻のような人生であるから こそ、いわゆる生死出離の一道、生死の一大事という課 題が持っております観点、あるいはものを見る目を研ぎ 澄ますという課題が、あらためて我々の大きな問題にな ってくるのだろうと思います。 そこで、自分自身が華厳を学んできた者でありますか ら、今申しましたような点を﹃華厳経﹄もしくは華厳教 学という観点から見直すとどうなるのであろうかという ことを考えてみたのであります。するとそのような問題 提起ということになりますと、その本には、一言で言え ばやはり三法印・四法印ということ、仏教の原点といわ れている諸行無常、あるいは諸法無我という問題を含め てもいいのであろうと思うわけです。 ここに資料としてお示ししてありますように、﹃華厳 3 経﹄という経典の言い回しとか問題点の押さえ方は、確 かに色々と難しい点もあります。現代においては金だ権 力だと言いますけれども、そのことそのものがまことに 泡雪の如しと一言うのでしょうか、惨いものという側面を 持っているのが事実であるにも関わらず、それを見抜く 眼を我々自身が結局見失ってしまっているのではないか と思います。その辺を見直すということで、親鷲聖人に 還ってと言いましょうか、あるいは大乗の至極としての 浄土真宗といえばよいのでしょうか、または、大乗仏教 そのものの持っている課題であり、仏陀が最も明らかに なさろうとされた根本仏教の主題である三法印というよ うな系譜、といったところから蓮如上人の御生涯を見直 してみるとどうなのかということになったのであります。 そこで有名な﹃末燈紗﹄の一文を拝見してみたいと思い ま す 。 選択本願は浄土真宗なり。定散二善は方便仮門なり。 浄土真宗は大乗のなかの至極なり。方便仮門のなか にまた大小権実の教あり。釈迦如来の、御善知識者、 一百一十人なり。﹃華厳経﹄にみえたり。 ︵ 真 宗 聖 典 ・ 六 O 一 頁 ︶ ﹁選択本願は浄土真宗なり﹂というところから始まって、

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4 ﹁大乗のなかの至極﹂という非常にはっきりとした問題 提起をなさって、真実と方便仮門というこつの関係の中 から﹁釈迦知来の、御善知識者、一百一十人なり。﹃華 厳経﹂にみえたり﹂という﹃華厳経﹂の読み方をなさい ます。善財童子が釈迦如来であるといった観点を親驚聖 人はお持ちになっていて、そこに方便と真実を見ておら れるわけです。従って人生そのものの持つ様々な課題、 その中には真実もあれば方便もある。そして﹁一百一十 人﹂という言い方は﹃華厳経﹄の言い方であります。つ まり、五十三人の善知識の中でご承知の通りお二人が二 度出て参りますから五十五人です。その裏表と申しまし ょうか、善知識それ自身を法蔵は﹁自分﹂と申しますけ れども、それと﹁勝進分﹂と言われるような、その方の 教えの中から次の所へ展開していくような二重構造をも って、善知識というものが我々と関係するというおさえ 方なのだろうと思います。従って表面に見えているとこ ろ と 底 に 隠 れ て い る 問 題 、 と で も 一 三 一 口 う の で し ょ う か 、 隠 顕釈とまでは言えるのかどうか解りませんけれども、要 するに実際上の数は五十五が倍になって一百一十という ことです。それを通して人生の課題そのものが問い直さ れるという、ヒントがあったのであります。 特に第十善知識の﹁方使命婆羅門﹂などには、方便と して現れているいのちという名告りそのものにも非常に 象徴的なものを感じます。その善知識に出遇いました時 に﹁万の山に登って火の中に飛び込め。そうすればさと りを得ることができる﹂とその善知識が申す訳でありま す。五十五と言われるような善知識でありますから、 色々な形で問題提起をしています。その中でも方使命婆 羅門は、非常に特色のある善知識でありますが、﹁万の 山に登って火の中に飛び込む﹂といったことは、蓮如上 人の生きられた時代と重なってまいります。まさに剣の 林 と も 一 一 一 日 う べ き 、 戦 乱 の 状 況 の 中 で 殺 伐 と し た 争 い 、 そ の中にはもちろん権力闘争といったものも入るわけであ りましょう。しかも、火の中に飛び込むということでは、 本願寺は何度も焼き討ちにあっているのであります。単 なる偶然と言えばそのようなことなのかもしれませんが、 私自身にとりましては何かお一人の歴史の上に現れて下 さった善知識として、目の当たりに生涯を我々の前にさ らしながら仏法を明らかにしていかれたことが思われま す 。 そして、次の善知識として挙げられております﹁満足 王﹂という王様は、蓮如上人の課題そのもの、つまり王

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蓮師の夢幻について 法と仏法と言った問題と重なってまいります。政治的な 状況というものの中で問題を考えなければならない。そ れらはもちろん方便的な要素と一百いましょうか、現実の 我々の日常生活そのものの中で関係しなければならない 課題なのであります。その国王が、いわゆる罪を犯した 人々の耳を削いだり鼻を削ったりすると一一言われているの であります。今で三ヲんば死刑問題とでも言うような、犯 罪の問題であります。最近もそういった観点から、、びっ くりするような出来事が起こっているわけであります。 その時にこの王様が﹁幻化の法門﹂、夢の如し幻の如し というような﹁幻化の法門﹂を私自身は知っているので あり、それを善財童子に教えようとするだけであって、 人聞を傷つけるとか痛めつけるとか、そういうことでは 決してないのだと一百うのであります。 これも大変有名な善知識でありまして、私自身にとり ましては﹃華厳経﹄の立場によって人間を見る時に、非 常に関心をもった善知識であります。かつてこれらの善 知識につきましてはお話申し上げたこともあります。そ の時には、この﹁満足王﹂という善知識が説こうとする ことは人間に生まれたということがすばらしい意味を持 っていて、人間であるということがそのまま福田なのだ、 という内容が非常に問題となっていました。従って、満 足王自身はアリ一匹も殺そうというような気はないと言 いながら、人を傷つけるような形の血みどろの刑罰を行 うといったところに目が向いておりまして、その全体が 無生法忍に支えられた幻の如く夢の如き幻化、まさに夢 幻というような法円であり、それこそが善知識自身の立 っている場であるということにはちょっと気がつきませ んでした。この度見直してみまして、蓮如上人の夢幻と いわれることには、一体どのような内面的意味があるの だろうかといったことを問い直さざるを得なくなりまし た時に、あらためて問題になってきたというわけであり ま す 。 そういったところを踏まえまして、﹁十忍品﹂という 箇所がお経の中にありますものですから、その中での幻 の如しという認識とかあるいは夢の如しという認識につ いてどのような見方ができるかということを考えてみた い と 思 い ま す 。 此の菩薩は深く諸法は皆悉く幻の如くなるに入り、 縁起の法を観ず。一法の中に於て衆多の法を解し、 衆多の法中に一法を解了す。:::種々なる衆は幻に 非ず、幻も種々なる衆に非ず、ただ幻を以つての故

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6 に衆の色像を示す。︵﹃華厳経﹄巻第二十八︶ これは十忍品の中の如幻忍の丈章であります。﹁忍﹂ というのは、いわゆる無生法忍の﹁忍﹂でありますが、 要するに縁起法を観ずると言えば良いのでしょうか。幻 の如しということは、もののあり方そのものが縁に依っ て成り立っているということです。従って、時間的に縁 によって成り立つようなものは無常であるし、ものその ものとしては無我であるという観点が﹁華厳経﹄の場合 にもあるかと思います。そして、それらの全体が夢の如 し幻の知しというような一点において成り立つ時と言い ましょうか、一法の中に多法を理解する、多くの法の中 に一法を領解するということが﹃華厳経﹄の中心的な課 題であります。この度の蓮如上人の御遠忌を迎えるにあ たりましての﹁バラバラでいっしょ﹂というテlマと重 なるものであります。まさか﹃華厳経﹂をお読みになっ てあのテ

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マをお作りになったとは思いませんけれども、 要するに私から見ますと、多法ということはバラバラ、 様々なあり方であります。しかし、その全体がここにし かないということであります。このことで全部が収まっ てしまうということになりますと、この如幻忍の場合に は菩薩自身が﹁幻の如し﹂という一点で、全てが見える と言うのでしょうか、はっきりと領解されるというよう なことになるかもしれません。満足王という一人の政治 家の行っている全ての事柄それ自身が幻化の法円である という、そういった関係を一即一切というような言葉で 括ってしまいますと、非常に抽象的になってしまいまし て、事柄の持っております意味がなかなかはっきりとし てこないという面もあります。 具体的に経文を見てまいりたいと思います。これは非 常に読みにくい経文でありますが、次のような意味です。 つまり様々に現れている事柄それ自体は、種々なるもの、 多くのものというあり方でありますけれども、それらは 単なる幻ではない、単なる幻が様々な事柄となって現れ ているわけではないのであって、ある種の実質をもって いる。しかしながら幻が様々な形をとって現れているだ けなのだという点も否定できないということです。従っ て、夢の中と言いましょうか、幻の中身そのものは色々 あるけれども、そのことを成り立たせているのは単なる 世間ではないのだと言うのです。夢であるという、まあ これは次のところの﹃探玄記﹄巻第十五の 真妄門とは、:::一には夢は是れ真実なり、是れ夢 なるを以つての故なり。:::聖智の所知たる夢の性

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蓮師の夢幻について は甚深なるが故なり。 問 、 っ 、 夫 れ 一 言 、 っ と こ ろ の 夢 は 、 是 れ 虚 妄 の 法 な る に 何 ん が 豚 ち 是 れ 真 実 な り と 一 言 、 つ こ と を 得 る や 。 答う、此れは是れ虚妄の法なりと了知して顛倒なら ざるが故に是れ実なるなり。二には夢は是れ妄なり。 是れ夢なるを以つての故なり。若し虚妄に非ずんば 是れ夢ならざるが故なり。:::︵﹃探玄記﹄︶ などの示唆とか、もしくは﹃華厳経﹄巻第二十八﹁如夢 忍﹂の次の経文 此の菩薩は一切の世間は皆悉く夢の如しと解す。睦言 えば、夢の如きは世間に非ず、世間を離るるに非ず。 二切の世間は皆悉く夢の如しと覚悟し、夢を壊 せず、夢に著せず、夢性は寂滅す。夢に自性なく一 切法を受持し、皆悉く夢の如く、夢を壊せず、虚妄 に夢を取らず、一切世間は皆悉く夢の如しと覚悟す。 ︵﹁十忍日間﹂︶ 7 との関係でも三中えるかと思います。この経文で申します と、夢の如しというように領解すると、その夢の如しと いうのは単なる世間ではないのだと言っています。従っ て迷いの世界でもいいですし、様々な状況そのものでも いいかと思いますが、夢のように事柄が見えているとい うこと、つまり蓮如上人がおっしゃるところの、いつの 間 に か 過 、 ぎ て し ま っ た と い う 何 と も 一 百 え な い 、 胸 に 迫 っ てくる感慨は、ある意味で世間を越えているわけです。 夢の状態というようなところを抜け出したところから夢 を見直しているという意味ではなかろうかと思うのであ ります。つまり、夢の中では夢ということは解らないと いうことであります。従って単なる世間そのもの、流転 の世界そのものではない、ただの虚しきそのものでもな いということになります。しかし、だからといって単に 越え出てしまったというものでもない。 こういった言い方も﹁華厳経﹄独特の言い方です。従 って蓮如上人が、﹁生死を出ずべき道﹂、あるいは﹁後生 の一大事﹂、あるいは﹁弥陀如来をひしと頼みまいらせ て﹂という言い方で、そこに何かはっきりとした手応え のようなものを示そうとなさっている。そのことが唯の 世間でもないし、あるいは世間から超絶してしまったも のでもないということですね。従って、夢の如し幻の如 しというように覚悟するわけです。だからはっきりとそ こに見えているように、その夢に捕らわれないし、また 夢そのものを壊してしまうというのでもない。そのよう な観点を持って夢であるということが明らかになれば、

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8 夢であるということ自身も消え失せていくということに な り ま し ょ う 。 夢自身が消え失せていくということになりますと、あ る種の確かさを持つと言うことができます。つまり、夢 の如し幻の如しという、それ自身の中での、単なる虚し さを越えた人生そのものがそれだけだという自覚です。 そしてその夢幻のような、一見頼りなく見えることは、 時の流れと共にということも関係しますし、あるいはい つの間にかその内実を失ってしまうという面もありまし ょう。そういう意味において、非常に頼りないというの か、惨さということは確かなのですが、敢えてその中に 飛び込んで、そこに﹁身を棄てるぞ﹂という覚悟も生ま れてくるのではないでしょうか。それはただ高い所にい てそこから下へ降りてくるということではなくて、まさ に最も頼りないようなものの中にこそ生きる道があると いう逗しさのようなものを思います。そしてそのことが 単なる夢ではないというように言われております。この ﹁華厳経﹄の知夢忍の経文をそのような意味に読めない であろうかと思うのであります。つまり、蓮如上人は ﹁夢の如し幻の如し﹂という、その覚悟によって、あら ゆるものを受持すると言いますか、波澗万丈の人生その ものをまさに自らの業縁と受け止められてご自分の人生 そのものにされたのだと言えるでしょう。 そこで先程の満足王のところでしたけれども、もう一 つ私自身が蓮如上人を見直すということで気付かされま したことは、その王様の為していることが﹁幻化の法 門﹂と言われていることであります。これもどのように 掘り下げていくべきなのか、私自身に必ずしも結論が出 ているわけではありませんので、問題提起として何かお 考え下されば結構であると思います。とんでもない悪人 だ、悪党だ、悪魔の身代わりじゃないか、というように 善財童子が満足王を見る。この問題は蓮如上人に対しま しでも口にするのも俸られるような形での批判があると いうことは皆さんご承知の通りだと思います。そういっ た誤解には、ある音川味での拠り所がないわけではありま せんし、そのように解釈して言えないことでもないと思 います。しかしながら、本当に身を棄てるとか、自分自 身の全体をかけて自分の為すべき課題に向かって突き進 むという意味におきましては、蓮如上人の場合には宗祖 親驚聖人の﹁浄土真宗﹂﹁大乗の至極﹂をこそ匙らせたい という強い志願に基づくものであったことに間違いはあ りません。しかもそれを解る人だけの問題ということで

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蓮師の夢幻について はなしに、誤解されるかもしれないようなところへこそ 身を棄てていくような生き方での表現であったわけです。 そういう点から見直しましたときに、﹁難しいことを 易しく﹂明らかにすると一言、つんですか、﹁易しいことを 深く、深いことを面白く﹂というのは、井上ひさしとい う大変筆が遅いことで知られている劇作家の自戒の言葉 だそうです。私は彼の作品を一つしか見たことがありま せん。従って、その言葉に当てはめて蓮如上人を見ると いうのはどうかとも思いますが、同質の主題に触れてい るような気はするのです。 ﹁ただ念仏﹂と親鷲聖人が仰られでも、これはとても 解りにくい。しかし、この解りにくく難しいことを非常 に端的に誰にでも解るように、いわばお手紙を拝読した だけで、聞いているだけで解るというのが蓮如上人の ﹁御丈﹂です。ご自分が申しておられますように﹁我な がらよくできた﹂という、ああいつた表現力は一体どこ から生まれてくるのでしょうか。原稿を読んでいるのを 聞いていてもちっとも聞いている方は解らないというの は、よくあることです。眼識と耳識というのは働く領域 が違いますから解らないはずなのですけど、それがあの お手紙にふれますとひしひしと身に迫ってくるというよ 9 うなものが感じ取れる。よほど深い浄土真宗に対する、 あるいは大乗の究極に対するご領解というものがあって、 そこから溢れるような表現となって現れているからこそ、 あのような確かさを持って我々に訴えてくるものがある の だ と 思 い ま す 。 それは﹁大衆もろともに﹂という精神なのであって、 これは三帰依丈だけではないかとも思いますが、そうい った生きとし生けるものに対する、全てをそこで支える というような生き方、そしてそこで果たさなければなら ない業縁といったものを自覚した人だけの心境かと思い ます。ただしそれはある意味で方便的なあり方にならざ るを得ないと思いますから、大変な誤解を受けるかもし れないという面を持っている。けれども、敢えてそれを こそ自らの人生そのものとして逃げ隠れしない生き方と いうことになるのであろうかと思うのであります。 以上のようなことを思いながら先に示しました﹁探玄 記﹄の如夢忍に対する法蔵の領解を考えてみたいと思い ます。その他にも色々と夢とか幻に対しまして申してい るわけでありますが、ここで最後に申し上げたいと思い ますのは、夢というのは真実なのだという法蔵の主張で す。﹁真妄門﹂というのでありますから、真実という面

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10 と、惨い夢に過ぎない、虚偽に過ぎない、錯覚に過ぎな いというような面とを裏と表のようにして表現しようと しているわけなのであります。しかし法蔵は、夢である ということそれ自身は真実であってしかも聖智、如来の 智慧あるいは菩薩の智慧でもいいと思いますが、それに よって知られるような夢というのは思いもかけない深さ を持っているわけであって、そのことそれ自身の確かさ は否定できないと言うのであります。このような観点か ら、夢そのもの、あるいは幻が真実であると言うのであ り ま す 。 従って、問いのところではそうはいっても夢というも のは惨い夢の中のこと、虚妄に過ぎないのにどうしてそ れが真実だなどということが言えるのかという聞いが当 然出て参ります。それに対しまして虚妄の法だというこ とがはっきりと分かっていることそれ自身は顛倒してい ないんだ、ものを取り違えていない、誤解していないの だと一言うのです。法蔵ははっきりと分かって、踏まえる ところを踏まえて、押さえるところを押さえて、つまり 大乗仏教の真髄である諸行無常をはっきりと踏まえてこ のように主張するわけです。 そこで、一見修く見える事柄そのものの中に身を託す るという点で蓮締の﹁阿弥陀如来の御袖にひしとすがり まいらせて﹂という非常に具体的な表現も生まれてくる のではないでしょうか。いかにも阿弥陀様に衣があるよ うな、その袖に我々もしがみつくと言うのでしょうか、 助けていただくというような、ありありと日の前に浮か ぶような、物語的な表現をとっているために、いのちの 暖かさを感じ取ることができるのだと思います。 ただしそこには、そのことの持っている深い意味と同 時に、ある意味で誤解されるような面もないわけではな い。この点を法蔵は﹃探玄記﹄巻第十五の中で﹁観﹂と いう課題によって明らかにしております。 ﹁観﹂を明すとは、諸の世間を皆悉く夢の如しと観 じて、以って正観と為す。 問、っ、若し夢に在らば、為れ実なりと謂うが故に是 れ夢なりと知らず。夢を見ると名けず。若し夢より 覚むるときは、即ち夢相無く復た所見も無し。是の 故に此れ夢なりと誰れが能く見るや。 答う、夢者は夢なりと見ず、其の是れ夢なるを以つ ての故なり。覚者は夢を見ず、其の覚め巳れば物有 ること無きを以つての故なり。此くの如く了知する こと是れ覚者の故なり。是の故に夢の義は是れ覚者

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蓮師の夢幻について の所知にして、夢者のには非らず。此の道理に由り て夢は是れ観の境なり。経︵大正九・五八一 b ︶ に ﹁菩薩は一切法を受持すること夢の如し﹂と云うは、 此 の 謂 な る な り 。 問う、覚者が無と見て而も夢を了知せば、夢者は有 と見て亦了知するや不ゃ。 答う、若し此の覚者にして夢法を了知すれば、正に 夢みる時に無なるを即ち夢を知ると名く。若し覚め 巳りて無と為すと言わば、此れは是れ覚めたるとき 無にして、是れ夢に無なるに非らざるをもって夢を 識ると名けず。是の故に夢の有と夢の無とは、但是 れ夢のみの時なり。覚時に望むるに非らず。若し覚 め巳りて無と為すと取らば、此れ還って是れ夢にし て、名けて覚と為さず。是の故に夢と覚との前後に、 有と謂い無と謂うは、倶に夢を識らざるなり。之れ を 思 う て 見 る べ し 。 ︵ ﹃ 探 玄 記 ﹄ ︶ ここに言、っ﹁観﹂とは、見直す、正しく立ち止まって 見るということであります。世間、我々の現実そのもの が夢の如しというように見るということは正しい、決し て間違いではないのだということです。文中の問答は、 夢から醒めたものは夢を見ないというようなことなどを 11 問題に致しましたり、夢から覚めて夢だと分かるという ことは必ずしも夢から覚めたことではないのであって、 夢の中にいながら夢から醒めると言いましょうか、夢の 中にいて夢だと分かるというのが本当に夢を了知してい ることだと言っています。これは法蔵の独特の言い方で あろうかとも思いますし、蓮如上人の﹁夢の知し幻の如 し﹂という言い方をこの文脈から見直すとどうなるので あろうか、といった結論なども申し上げなければならな いことなのかとも思います。しかしながら、それらも全 て虚しい夢になってしまって、皆さんの確かなものを見 る眼の助けにならないということになりますと、蓮如上 人に甚だ申し訳ないことになるかと思います。そこのと ころに甚深の意味があるという確かな示唆だけを最後の 結論にさせて頂きたいと存じます。誠に夢のような幻の ような頼りない話しで申し訳ございませんが、些一か私自 身としては蓮如上人を見直す何かの手がかりは与えられ ているような感じが致しております。しかし、はっきり と言い切るのはこれからの課題になっております。以上 のようなことで私の責任を終えさせて頂きたいと思うこ とでございます。ご静聴賜りまして有り難うございまし た 。

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12 一九九八年度 蓮如上人五百四御遠忌記念大会 講演

j

に士, 刀て〈

まるで製薬会社の宣伝文句のようなタイトルですが、 真宗という宗教は自らの内に、﹁活力源﹂を内蔵してい るということをあらためてお話申し上げたいというのが 私の趣旨でございます。 まず、一人の人物をご紹介したいと思います。それは、 えみよう 今村恵猛という人物のことです。今村恵猛といっても、 お束の関係の方には、なかなかなじみのない名前かと思 います。彼は、商本願寺のハワイ開教総長をした人物で、 アメリカにおける真宗開教の基礎を築いた人であります。 一八六七年に生まれ、一九三二年に亡くなっております。 一八歳のころに西本願寺の﹁普通教校三これは今の竜 谷大学の前身でありますけれども、その普通教校で教育

麿

\ 明 治 学 院 / / 大 学 教 授 \ を受け、古同楠順次郎さんと同窓であった。普通教校を卒 業後、彼はもう一度慶応義塾大学の英文科に入りまして、 二七歳になって卒業、それからしばらく中学校の先生な どをしながら三二歳の時に、ハワイへ渡りました。当時 の肩書きでいうとハワイの﹁開教監督﹂になりまして、 以来三

O

余年間アメリカでの真宗の開教に力を尽くしま した。ハワイには、西本願寺の別院がございますが、そ の別院は、ガンダlラ風で、どこか築地本願寺のような 形をしているので、あるいは皆さまもご参詣になったこ ともあろうかと思います。今村は、あの建物をつくった 人物でもあります。 この今村恵猛が、 ハワイの地で、全く仏教とは縁遠く

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真宗の活力i},j¥ なった日本からの移民に真宗の教えを広めることを手が かりにして、アメリカ社会に真宗を根づかせるための努 力をどのように進めていったかについて、お話ししたい と思います。当時のハワイの産業は、ご承知の通り砂糖 キビ、つまり砂糖産業が中心でした。日本人移民の圧倒 的多数は、その砂糖キピ 0 フランテlシヨンの労働者とし て働いているという状況でありました。したがって開教 使の仕事も、砂糖キビプランテlシヨンで働く労働者が、 昼間の仕事を終えて、夜やっと自分たちの自由になる時 分に訪ねていって、いろいろと真宗のお話をするという ものでした。この当時は自動車のない時代でありますか ら、馬に乗るか、広い。フランテ

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シヨンを歩いて布教し てまわったそうです。日本人移民のほとんどは独身者で、 しかも後には大ストライキが起こるぐらい労働条件が非 常に劣悪でしたから、多くの労働者は、酒とばくちと買 春に明け暮れる、といったような状況にありました。そ ういう、とても説教に耳を傾けるような雰囲気ではなか ったけれども、彼は地道に布教活動を続けていったので す 。 13 この今村の名前をハワイ中に知らしめる事件が一九

O

四年の七月に起こりました。今申し上げた砂糖キピプラ ン テ

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シヨンで働く日本人労働者たちが、一大ストライ キを起こした時のことでした。労働者といっても低賃金 で、ほとんど奴隷のようにこき使われていまして、そう いうあまりにもひどい仕打ちが一つのきっかけとなった ようです。ルナとよばれる人夫頭たちが、日本人労働者 を虐待する事件がひんぱんにあったのです。このストラ イキはなかなか激しいもので、当時の日本総領事がスト ライキを収拾するために乗り出したのですが、全然効を 奏さず、にっちもさっちもいかなくなった。ところが、 今村が出向いてゆきまして、。フランテlシヨンでの伝道 で労働者と顔なじみになっていたのでありましょう、労 働者を前に、ここらで手を打ったらどうかという話をし たのです。彼の言葉でいいますと、﹁興奮せる群衆の前 で全く宗教的見地より、ひと先ず鎮静することの正当な ることを説いた。然るに結果は意外にも良好で、さしも 猛りたる同胞も初一念を曲げて業務に就くということに なった﹂。このように今村は述懐しております。彼は、 たいへん話し下手であったそうですが、その今村がとも かくも労働者を前に演説をぶって、そしてストライキは 収拾した。こういうことで、労働者たちの聞にも彼の名 前は広まりますし、同時に、プランテ

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シヨン経営者た

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14 ちにも今村という人物が労働者との仲介のうえでたいへ ん役に立つ人物だということで、彼の存在を認めるよう になりました。加えて、その今村が布教している仏教に 対して寛容になって、自分たちのプランテ

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シヨン内に 仏教寺院を建てることに積極的に協力するようになりま して、真宗の教線が急速に拡大することになったのです。 さしもの大ストライキが本願寺の監督のひと言で解決 したということで、今村の名前はハワイ中で高く評価さ れるようになったのですが、それではなぜ彼がこのスト ライキを収拾できたのかを振り返ってみましょう。今村 は、こう述べています。﹁耕地労働者︵砂糖キピプラン テ

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シヨンで働いている労働者︶は、実に弥陀救済の主 賓たり、正客たるものなり﹂ 0 0 フランテ l シヨン労働者 こそ、阿弥陀仏による救済の﹁正客﹂であるという認識 が今村の中にあったということであります。今村の文章 をみてみますとこういうのです。﹁けだしわが真宗は天 台、真言などの貴族的仏教、禅、浄土宗などの武士的仏 教の後に出で、平民を対機とせる平民教なり。肉食を嫌 わず、妻帯を辞せず、貴賎を選ばず、貧富を問わず、学 不学、賢愚をも差別せざる平等教なり。故に親驚聖人の 眼より見れば、資本家尊ぶべからずに非ずといえども、 労働者最も愛すべく、外人敬すべからざるに非ずといえ ども、同胞︵つまり日本人︶最も親しむべく、移民会社、 日本官憲などの瑚りて田舎者視したる耕地労働者は、実 に弥陀救済の主賓たり、正客たる者なり﹂ 0 私どもは、﹁悪人正機﹂とか﹁悪人成仏﹂という言葉 をしばしば耳にしますけれども、﹁労働者正客﹂という 言葉を用いたのは、おそらく今村が初めてではないでし ょうか。もちろん、﹁悪人﹂という言葉に深い意味があ るのは承知しておりますけれども、今村があえて、﹁労 働者こそ正客だ﹂といいきったことは、彼独自の立場を 表明していると思うのです。しかも今村は、そのほかの 書物でも、真宗は平等教であるということにたいへん力 点をおいて説いておりますし、また自らも真宗をそのよ うに了解しているようです。例えば彼は、こう述べてお ります。﹁我ら互いにその生くる姿を異にしている。し かし、その内なる意味と望みとは一つではないか。一つ なる生命のもとに同胞として相愛する。相愛するのであ る。これ弥陀の大悲が直接にこの世の生活に現れた所以 である。こうしてこれ実に平等の美しい実現ではない か﹂とか、またこうもいうのです。﹁かくして真宗の理 想は絶対平等の原理の上に建てられである。それは我々

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真宗の活力源 の間に如何なる技巧的人為的なる区別をも許容しない﹂ と。つまり、人聞が自分たちで作る区別をいかなるもの でも許すことは、﹁親驚教﹂においてはありえないのだ と述べているのです。こういう言葉が、今世紀の初めに 開教使の口からほとばしり出ていた。これはたいへん貴 重なことだと思うのです。 この一九

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四年のストライキに先立って、本願寺では 一 九

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一年、親驚聖人降誕会にハワイ最後の女王となっ たリリウオカラニを招待しています。日本の宗教団体の 祝典にハワイの女王が出席することは前代未聞のことで、 マスコミにも大きく報道されて、本願寺の評価が変わり ました。またオルコットというアメリカ人を招いて仏教 について講演をすることも行ったのです。ハワイの小さ な社会でありますけれども、英字新聞で次々と発表され るような事業を仕組んでいくしたたかな一面を今村はも っていました。その一方、白人社会への英語伝道に彼は 着手するようになり、例えば阿弥陀仏を三つの

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、つま り

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という三つの

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であらわして、 ﹁ ス リ

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エルス﹂に帰命するのだという表現を用いて、 白人に真宗を英語で伝道する試みも行っております。そ ういう成果があって一九二八年には、白人一一名が仏教 15 徒になっていますし、毎週日曜日には英語の説教を必ず やるようになりました。そして先ほど申しあげた別院を、 一九一一一年に新築するという計画がもちあがったとき、 カンダ

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ラ風の建物をわざわざ選んでいます。日本から 来た門徒たちは、純日本風のお寺を望んでいたそうです が、今村は頑としてガンダlラ風を選ぶ。これは今村自 身が非常に通仏教的で、二一小一派にとらわれない視点を もあわせもっていた、つまり真宗の信仰と同時に通仏教 性を両立させていたことを示しているといえます。最近 この別院も、痛みがひどくなってきて、建て替えたいと 西本願寺のほうでもお考えのようでありますが、残念な がらお金が集まらないそうです。ですから、今村が種を まいたハワイの真宗は一つの曲がり角にきているのでし ょう。そのほかにも彼は、仏教青年会や日本語学校を 次々とつくって、特に仏教は、青年の宗教だということ をたいへん強く主張しております。 少し戻りますが、さきほどお話しした一九

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四年のス トライキのころの移民労働者は、いわば出稼、ぎにきたよ うな状況で、いつまでたってもハワイに定住しようとし なかったようです。そこで今村をはじめ仏教諸宗派やキ リスト教の僧侶や牧師たちは、移民労働者が安心して生

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16 活していけることを第一に考えて、 0 フランテ l シヨンご とに寺や教会を設け、そこに附属の小学校を設けて、日 本から呼び寄せた子どもたちに教育を施すなどの努力を してゆきました。この方針を今村は、﹁安堵主義﹂と呼 んでおります。つまり、一カ所に安心して暮らせるよう な状況を自分たちでつくりあげていくのだということで す。やがて定住する移民労働者が増加してきて、それな りに生活が安定してくるようになりますと、今村はさら に一歩すすんで、アメリカ市民にふさわしい生き方を門 徒たちに説くようになる。 これは東西本願寺を問わず、当時の真宗の考え方でい えば、﹁真俗二諦﹂の応用だということができると思い ます。つまり、真俗二諦では、真宗の信者は信心を得る ︵真諦︶と同時に、現実の生活では社会の提を守ってい くという生き方を説いていたわけですが、それを今村は、 アメリカ社会に応用していわばアメリカ版の真俗二諦を 説こうとしたといえるのではないかということです。し かしながら注意するべきは、彼の真俗二諦が、あくまで も信心中心主義であることです。俗諦にだけ引きずられ ることは拒否し、あくまでも信心為本である。彼は精神 生活の中心は信心よりほかはない、と明確に述べており まして、世俗社会の現状を安易に容認するといった俗諦 論を、決してとらない。 では彼が、どのような俗諦論を説いたのかについて少 しみてゆきたいと思います。そのことを知る手がかりは、 彼が残した数少ない著作で、﹃米国の精神を論ず﹄とい う書物にあります。これは一九二

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年三一月付の序文があ りますので、今からもう八

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年近く前の書物であります。 これはほとんど日本では手に入りませんし、お読みにな ることは難しいかと思います。しかしこれは今読んでみ ても、なかなか内容のある本です。彼はこの本を出版す る二年前に、アメリカ大陸を視察しています。東海岸、 西海岸はもとより、中西部にも足を運んでいます。布教 の対象であるアメリカという国が、いったいどういう固 なのかを非常に子細に、しかし同時に巨視的に考察をし ておりまして、彼はこの自らの経験に照らして、アメリ カ杜会の本質はどこにあるのかということを、自分なり につかみとったのです。今村は﹁アメリカニズム﹂と呼 んでおりますけれども、アメリカニズムとはいったい何 か。今村の理解したアメリカニズムについて詳しくみて ゆ き ま し ょ 、 つ 。 彼によれば、まずアメリカ文化の本質とは、多民族が

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真宗の活力j原 共存している社会である。したがって、何ごとにつけて も多元的で複合的な性格をアメリカの文化はもっている。 その中でいちばん大事なことは、信教の自由。もう一つ は、一言論の自由である。この信教の自由と言論の自由が、 アメリカニズムの根幹にあるのだと述べております。ま た、アメリカ文化というのは何か固定的で完成した、こ れがアメリカだというものではなくて、絶えず変化しつ づけるものである。変化それ自体がアメリカなのだとも いっております。さらには多民族共存ということから、 包容性や網羅性といったことが、アメリカ社会にとって 大事な要件である。つまり、排他性とは何の関係もない ということを重視しています。 この中で特に、信教の自由と言論の自由に関して、彼 の述べていることをとりあげておきましょう。人々がそ れぞれ信仰している宗教が尊重されるのは、アメリカの 特色である。けれども同時に、言論の自由もあるわけで ありますから、それぞれが奉じている宗教に対して、多 くの人から非常に鋭い批判も加えられる。したがって、 自己の信じる宗教に対してあちらからもこちらからも、 批判が加えられる。その批判にたえる力がなくては、ア メリカ社会で宗教を信じることは難しいのだと、彼はは 17 っきりと述べています。単に宗教を信じるということで は・なくて、その宗教を信じない人からあなたはなぜそう いう宗教を信じるのか、とか、こういう問題に対してど ういう答えを用意しているのか、といった問いかけが絶 えずあるということなのです。批評が絶えずあるし、そ ういう批評にたえる内容をもっていることが、アメリカ 社会では要求されている。 そしてアメリカ社会は、あくまでも世論によって社会 の動向が決められていくのですから、時として自己の信 じるところが受け入れられず、少数派にならざるをえな いことがしばしばである。少数派になった場合にどうす るのかというと、今村は、そういう時こそ言論の自由に のっとり、自己の信じるところが反映されるような法律 や制度を自ら築いていくべきであり、そのためにあらゆ る合法的な方法を尽くして努力することが、少数者にと って重要なことであると述べています。今村は、いわば 金剛の信心を得て、アメリカの法律を尊重する人こそ、 アメリカにおける真実の真宗門徒と称することができる と述べていますけれども、それは米国憲法の尊重といっ ても、規制の法制度にやみくもに従うということではあ りません。今申しましたように、少数者であっても自分

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18 たちの信じるところが正しいと思えば、その正しいこと は、法律によって実現できる。つまり自己の所信を貫く ことのできる道が用意されていることを含めて、米国憲 法の尊重ということを述べているわけです。これこそが 同時代の日本の真俗二諦論との最大の違いです。日本で は、よき門徒はよき﹁忠良の臣民﹂でなくてはならない とされていて、﹁臣民の道﹂に無批判に従った真俗二諦 と今村の主張は大いに違う。つまり、世俗社会の構造、 今村の場合アメリカ社会の構造ですが、その本質が何か ということを見きわめる作業を経たうえで、その社会の 中で、仏教徒として最もふさわしい生き方を選択してい くという、そういう社会に処する道を求めたところが今 村の俗諦論の大きな特徴ではないかと思うのです。 今村の考え方はさらに発展をいたしまして、真宗をア メリカに広めていくためには、アメリカ国民の生活にと って﹁親驚教﹂が、いかに役に立つのかを具体的に示さ なくてはいけないということで、彼は、親驚教、つまり 浄土真宗をあらためて考え直して、これから広めていく 地にふさわしく、つかみ直そうと考えるのです。そして ﹃米国の精神を論ず﹄という書物の中では、次の四点を アメリカ社会に広めていく場合に、最も肝要な点として とり出してみせるのです。一つは、親驚の生涯にあらわ れている、﹁革命的精神﹂というものを力説せよ、とい うこと。特に親驚の﹁独立独行の精神﹂というものを大 事にしたいということです。 第二は、﹁偶像破壊の精神﹂。親驚は、南都北嶺の学者 たちの教学や多くの経・論・釈を投げうって、名号に帰 依せられた。いわば既成の権威を全て投げうって、真実 の世界を求める。それを彼は、偶像破壊の精神と呼んで い る の で す 。 第三に、﹁阿弥陀仏の選択主義﹂ということを強調す べきだということ。なぜ阿弥陀仏が本願を発せられたの か、なぜ本願を選択されて衆生に示されたのか、この点 をよく考えてみよ、というのです。これは、彼の残され た言葉だけですと必ずしも十分に理解しがたい面もあり ますけれども、ほぼこのように述べています。選択をす るということは、まず公平無私の態度により、一切を研 究、批判し、各々の価値を明らかにするということであ る。つまり、我々一人一人が、どのような考え方をもっ ているのか、一人一人の価値をまず明らかにして、各々 の価値を組み合わせて統合していく。そのように最終的 な完成を目指すのが、阿弥陀仏の選択というものであっ

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真宗の活力源 て、実は本願というのは、こういう選択を可能ならしめ るための組織であり、そのための方法なのだといってい る の で す 。 第四に、﹁実現主義﹂ということです。これはどうい うことかといいますと、阿弥陀仏は法蔵菩薩であったこ ろからのメリット、つまり功績によって仏になったので あって、生まれつき偉いという仏様ではない。つまり法 蔵菩薩は、以前は一人の人間として発心をして菩薩とな り、そして菩薩としてさまざまな誓願を立てて、それを 次々と長い時間をかけて実現することによって仏になっ たということに注目しているのです。それぞれの時点で さまざまな功績をたてることによって仏になったという ことが大事であって、キリスト教のゴッドやイエスのよ うに、最初から尊いという存在ではない。今村の言葉で いいますと﹁生得権﹂、つまり生まれつき備わっている 力ではなく、努力をして手に入れる﹁修得権﹂によって 仏となったという点が大切なのです。つまり、アメリカ 人に阿弥陀仏を説明するに際して、そういう功績を次々 と実現していくことによって仏になった点を強調するこ とが大事なのだということです。 これまで申しあげた四つの特徴は、親驚自身がそのと 19 おりに主張していたことではないのですけれども、今村 はアメリカ社会の構造に照らしあわせで、真宗の立場か らはこういう四つのことが導き出されてくるのではない かと主張したのです。その四点を中心に、アメリカ社会 で真宗を布教すれば、必ずアメリカ人の心をとらえるこ とができるだろうと考えたわけです。私がここで大事な こととしてとりあげたいのは、彼の結論ではなくて、ア メリカ社会の現実に即して、今村が真宗の教えをつかみ 直そうとしたことなのです。これが肝要な点ではないか と 思 う の で す 。 こうして、アメリカニズムを背景にして新しく真宗を よみがえらせようとした今村の努力をみてきましたが、 他方で具体的な彼の活動をみますと、非常に多様な活動 をしています。一つは、先ほどの一九

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四年のストライ キから時聞が経った、一九二

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年一月に第三次オアフ島 ストライキが生じたときです。今回は二世を含めた日系 労働者たちが、組織的で大規模なストライキを起こしま した。その原因は前と同じで、低賃金と、人夫頭と経営 者がいぜんとして労働者を虐待してきたことに対する抗 議ですけれども、この時今村はそれまでの立場から一歩 踏みこんで、経営者側にはっきりと労働者の待遇改善を

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20 要求しているのです。必ずサラリーを増やせということ。 それからもう一つは、仏教信仰の自由と日本語教育の 自由を要求しております。つまり今村は、単に日本人労 働者がアメリカ社会の中で安住していくことだけではな くて、彼らが人間としての権利を行使できる存在になる べきであると主張したのです。彼は、はっきりと労働者 側にたったわけです。今の言葉でいえば、人権を要求す る運動をしているのです。彼のこういう労働者への共感 は、はじめに申しました労働者を﹁正客﹂とする態度に 基づくものです。アメリカ大陸で実際に労働争議などを みてきたせいでしょうか、一九一八年に書いた、﹃仏教 より観たるデモクラシー﹄という本では、その発行日を、 わざわざ五月一日と書いています。メイデ!という日を 発行日として記している。ですから彼の労働者に対する 共感というのは、そうした当時の労働運動を背景にでき あがっていったのだと思います。 このように労働者の人権擁護の運動に協力する一方、 彼がもう一つ行った大きな仕事は、日本語学校です。こ れは本願寺が最も力を尽くして学校をあちこちに作った のですが、アメリカ社会は、一九一

0

年代から次第にナ ショナリズムが強くなり、特に西海岸、遅れてハワイで も排日運動が盛んになります。排日運動が盛んになって まいりますと、ハワイ議会で外国語学校取締法案が可決 されまして、日本語学校が、危機に直面するわけです。 つまりアメリカ人にとっては、いつまでも日本人が日本 語にこだわっているということは、アメリカへの同化を 否定する態度だということなのです。外国語学校取締法 案は、明らかに日本語学校をターゲットにしたものでし た。これが可決された時、今村がどういう態度をとった かといいますと、明らかに憲法違反であるとして、訴訟 に踏みきったのです。そして一九二七年に、合衆国大審 院はハワイの外国語学校取締法を違憲であると判断し、 今村たちはハワイにおける日本語学校経営の自由を取り 戻しました。これはキング牧師が黒人の公民権運動を展 開する、四

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年ほど前です。日本人で真宗信仰に生きる 人が、同胞と手を携えてそういう運動を起こし、かっそ の成果を手にしていたということは、記憶されてもいい ことだと思います。私がここまで今村という人物を紹介 してまいりましたのは、まさに今村の中に、真宗の﹁活 力源﹂が備わっていたという、一つの実例をお話したか っ た か ら な の で す 。 今村恵猛は、一九三二年に急死しました。 その後、西

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真宗の活力源 本願寺のハワイ開教は、日本が軍国主義化していくとい うこともありまして、今村のもっていた一種の宗教的リ ベラリズムは継承されませんで、日本の狭いナショナリ ズムをアメリカ社会にもちこんであやしまないことにな ってしまいました。それからというもの現代にいたるま で、今村の再評価は、一度も西本願寺教団では起こった ことがございません。今村恵猛の紹介をすること自体、 今回が最初であろうかと思いますし、しかも大谷大学で 話させていただくということが、不思議といえば不思議 なご縁であります。西本願寺や竜谷大学ではこういうお 話ができなかったというのは、どういうことか。考えこ まされる次第です。そしてこの今村たちが残した文書類 は、実は日米聞の戦争でほとんど失われてしまいました。 ハワイの別院は日本軍の真珠湾攻撃直後から記録をほぼ 全部焼き捨てております。つまり、アメリカ社会から糾 弾されては困るといったことがあったのでしょう。一方、 今村たちが日本へ送ったはずの報告書類、も、ほとんど日 本に残っていない。最近、私が指導しております大学院 の学生が、その聞の事情を詳しく掘り起こしてくれまし たけれども、今村の業績が顧みられないまま、この八

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年の時間を経ているのが実状なのです。 21 私が今日、申しあげたかったことは、今村の実践、あ るいは真宗理解を振り返ってみますと、彼が絶えず心が けていた点は、二つあるということです。一つは、彼自 身がいっていることですが、仏教は機根、それぞれの人 の機根に応じる宗教なのである、だから布教にあたって は個別の事情をそれぞれに即して認識する必要があると いうこと。ですから、十把一からげは、最も仏教精神か ら遠いのです。彼は、多様性の開化する世界が信心の世 界だといっております。偶然ですが、今、東本願寺の標 語が確か、﹁バラバラでいっしょ﹂というものでしたね。 今村も同じようなことをいっているのです。それぞれの 機根に応じて、個別性に即して個別を個別として認識し ようという努力がないとだめだということです。 もう一つは、自分のおかれている現在というもののよ って来るゆえんを明らかにする。つまりそれは、歴史を 学ぶということなのです。彼が布教の対象として選んだ のは、アメリカ社会です。アメリカ社会がどうして今の ような社会になったのかということは、歴史に学、はなく てはわからないということです。例えば、アメリカは、

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リタニズム一色だと思われがちです。特に、今村 が生きていた時代では、日本人の多くは、アメリカには

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22 ピューリタンしかいないと想像されていたでしょう。し かしそうではない。子細にアメリカ社会をみていくとさ まざまな宗教がある。ピュ l リタニズムといってもその 内実は多様であることも知らなくてはならない。さらに 大事なことは、アメリカ社会をリードしている新しい思 想は、ほとんどがピュ

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リタニズムに反抗することによ って生まれてきているのだということ。アメリカ社会の 本質を知れば知るほど、真宗信仰のアピールの仕方がお のずとわかってくるのだとまでいっています 本願念仏の教えは、もともと時機相応の教えなのです。 時代と、その中に生きる人間のあり方とが一致する、機 と時をはかるということが本願念仏の教えの命だと私は 思うのです。この機と時をはかることが、実は私がテー マに掲げました、﹁真宗の活力源﹂そのものなのです。 このことは、すでに親驚が﹁教行信証﹂の中で、そうい うことをはっきりと示しておられるのです。どういうこ とかといいますと、﹃教行信証﹄には﹁方便化身土巻﹂ という、奇妙な名前の一章が最後にくっついています。 ﹁方便化身土巻﹂というものをなぜ、親鴛はわざわざつ け加えておかなければならなかったのか。これは法然の ﹃選択本願念仏集﹄と一番違う点です。﹃教行信証﹄に は﹁方便化身土巻﹂があり、﹃選択集﹄にはそれがない。 この﹁方便化身土巻﹂のもつ意義は、どこにあるのか。 私にいわせますと、真宗という宗教の特色は、﹁方便化 身土巻﹂という一章をもった聖典を、まさに聖典として いるところにあると思うのです。では、そこでいったい 何が問題になっているのかということを振り返ってみま しょう。一つは、一八願を信ずる精神から最も遠い精神、 あるいは一八願を信ずる精神に似て非なる精神を分析し ている。一般的な言葉でいえば、自力とか半自力とか、 非仏教的精神です。仏教ではない考え方、浄土真宗の信 心から最も遠い考え方を対象にして、どうしてそういう 精神が生じるのか、そういう精神を克服するにはどうし たらいいのかということが問題にされているわけです。 これはありがたいことです。いきなり一八願の信心だけ を説かれると、多くの人聞はもはや真宗に手づるがなく な っ て し ま う 。 余談ですけれども、私は今、キリスト教主義教育をう たい文句にしている大学に勤めております。入学式や卒 業式は完全にキリスト教の礼拝の形式にのっとっていま す。その中で、さまざまな祈祷が行われます。また教授 会の初めや終わりにも祈祷が行われ、催しのあるごとに

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学院附属のチヤプレン、あるいはキリスト教信者の教員 が、教壇に上がってお祈りをされる。しかしお祈りの内 容は、真宗的にいえば一九願です。ですから、それはわ かりやすいのです。例えば、教授会の冒頭では、どうぞ この教授会の議論が実りあるものになりますように、と 祈る。しかし、現実は祈りとはほど遠い結論になりがち です。この点に関して、ハワイの東本願寺の信者で、た いへん熱心な方が、私に、ハワイにおけるキリスト教を みていると、あまりに祈り過、ぎるということをおっしゃ っておりました。しかし、そういう行為がどういう意味 もつのか、一八願の信仰からみれば、自分の願望を神仏 に祈るという信仰のあり方は、どういう位置にあるのか といったことが、この﹁方便化身土巻﹂の中で問題にさ れているのです。あるいは、全く仏教とは関係のない考 え方についても、親驚はさまざまな批判を加えておられ る 。 真宗の活力源 もう一つ、その﹁方便化身土巻﹂で問題にしておられ るのは、その当時の時代状況です。親驚には自分自身の 生きている時代はどういう時代であるのか、という歴史 的な認識がたいへん深いということです。且ハ体的に申せ ば、例えば﹃末法灯明記﹂をほとんど全文引用しておら 23 れるというところにもあらわれております。当時の近畿 を中心とする、貴族社会の中で流行していた道教などの 思想についても考察しておられる。 要するに、先ほどの言葉でいいますと、機と時をはか るということが﹁方便化身土巻﹂という章の中心テl

になっているのです。つまり、一八願の信心にいたらな い人間は、自分の精神の現状と、自分の生きている時代 をよくよく考えよというのです。一八願の信心に生きる 者にとってはどうかというと、その一八願の信心を広め るために、同時代の人間の精神のあり方と、時代の特色 をよくよく分析しなさいということを勧めていると思う のです。それは、ひと言で申せば現実の人間のあり方を、 個人の内面とその個人が生きる社会のあり方の、両面か ら分析している。そういう意味で、現実と絶えず向き合 っている。真宗の信仰に生きようとする者には、そうい う意味での現実との対話が、不可欠だということをこの 一章は示しているのだと思います。 浄土真宗の言葉でいえば、﹁群生海﹂という言葉があ ります。たくさんの生きとし生ける者がいる、海の如き 群生のまっただ中を生きる。そのまっただ中を生きてい くためには、その群生海の本質を知らなくてはいけない。

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24 そこに、親驚がわざわざ﹁方便化身土﹂という一章をつ け加えられた理由があるのではないかと思いますし、私 からいわせれば、﹁方使化身土巻﹂とは、﹃教行信証﹂だ けで終わりというものではなくて、真宗の信仰に生きよ うとする人聞が、一人一人、ご自分の﹁方便化身土巻﹂ を書かないといかん、という性質の書物だと思うのです。 つまり、﹁真宗の活力源﹂という変なタイトルを出しま したが、その活力源がもしあるとすれば、それは真宗に おいては一人一人が﹁方便化身土巻﹂を書くことができ る、また、書かなくては自らの信仰をきたえる事はでき ないという点にある。私たちは私たちなりに、﹁方便化 身土巻﹂を書かなくてはいけないのです。もし書くこと ができなかったら、それは真宗の活力を失っていくとい うことになるのではないでしょうか。 私のような者でもときどき、東本願寺のようすを耳に します。お坊さん方の中に、信心派と社会派という二派 があるそうだといううわさ話が聞こえてまいりますけれ ども、信心派と社会派というレッテルは、まことに意味 のないことです。つまり、人聞は個人で生きることがで きないのはわかりきったことであります。我々はもとも と社会的な存在であります。信心派というのは、おそら く私一人の信心ということを究明していくことが大事だ という意味で使われているのだろうと思いますし、社会 派というのは、信仰を社会的に展開していくことを強調 するという立場だろうと思うのです。しかし、信心派、 つまり信仰とは個人の内面に限られたものだ、限定すべ きものだという考え方自体が、実は一つの立場にすぎな いのであり、また大きな問題をはらんでもいるのです。 信心派か社会派か、というのではなく、真宗の信仰に生 きようとするものは、いやが上でも﹁方便化身土巻﹂を 書かざるをえないわけです。社会の問題に目をつぶるわ け に は ゆ か な い 。 現代は、宗教に関してなかなか難しい時代です。私の 言葉でいいますと、﹁痩せた宗教観﹂の時代だといって よいと思います。その理由はいくつかありますけれども、 一つは、宗教というものや宗教という世界を考えようと いうこと自体が拒否されている時代だということです。 具体的には、科学技術がずいぶん発達をしたせいで、存 在が証明されない事柄は信ずることができないといった ようなことになってまいりました。手に触れ、目にふれ、 生身で知ることのできない神仏を信ずるなど愚かだとい うことになりかねない。これは世界的な傾向であります

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けれども、宗教的認識が拒否される時代。その中で宗教 はどんどん痩せ細ってくる。これはアメリカで顕著な事 ですが、イエスの宗教は、ほとんど道徳になっていると いう一派もあります。つまり、イエスの教えがもし現在 に生きているとすれば、それは道徳なのだと。あるいは、 宗教は人生論だ、という考え方もあります。

NHK

が ﹁心の時代﹂という番組で、宗教放送らしきものをつく っておりますけれども、つまるところ人生論です。 これらはいずれも、宗教という立場からいえば、宗教 が宗教であることをやめた結果、あるいは宗教に替わる 宗教、ある意味では疑似宗教が、現代の宗教の姿になら ざるをえないという一面であります。例えば、この聞か らオウム真理教のことが問題になっております。神秘主 義的経験をもって宗教とする。つまり、神秘的体験こそ が宗教だという、これもまた痩せた宗教観のあらわれで す 。 真宗の活力源 しかし、それともう一つ、宗教観を痩せさせている理 由の一つに、日本近代の特異な歴史があるということも また思い起こす必要があると思うのです。それは、オウ ム真理教事件の時に、新聞紙面をにぎわせた主張が、 ﹁宗教は個人の私事﹂だ、ということに集中していたこ 25 とにあらわれています。﹁宗教は個人の私事﹂だから、 個人の内面に留まるべきであって、社会の秩序を乱すよ うなことがあってはならないといった議論がさかんにな されました。心の宗教という言葉に示されるように、宗 教は個人の内面のものだという考え方は、実は明治の国 家政策によってつくられたものです。日本がキリスト教 の布教を認めざるをえなくなったとき、その布教に歯ど めをかけようとした。その理由は、キリスト教が天皇崇 拝をあやうくする可能性があると考えたからです。つま り、もしもキリスト教に信教の自由を認めるとしても、 心の中だけにしておく。キリスト教徒が心の中でイエス を信じるとか聖書を信じるというのは許すけれども、積 極的に外に出て、布教活動をするとか慈善活動をすると いうことは認めない。これは﹁内想﹂と﹁外顕﹂という 言葉で表現されてきたことですけれども、宗教は心の中 で想うものであって、外にあらわれることがあってはな らないという、内外の区別をするわけです。このように 宗教を内と外に分断して、内だけならば認めるが外にあ らわれるのは認めないということになりました。こうし た宗教を内外に分断する考え方は、旧憲法の二八条にも 貫かれます。杜会の安寧秩序を乱さない限りにおいて信

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