――目次――
1,
村落の社会生活と頭家,池上広正,Hiromasa IKEGAMI,pp.1-8.
2,
天地と日月,宇野円空,Enkū UNO,pp.9-14.
3,
宗教的権威,その特質と形態,小口偉一,Iichi OGUCHI,pp.15-23.
4,
戦争に関聯する宗教的儀礼について,加藤章一,Shōichi KATŌ,pp.24-29.
5,
宗教心理学における教理の位置,岸本英夫,Hideo KISHIMOTO,pp.30-34.
6,
神話の論理,久保淳成,Zyunsei KUBO,pp.35-40.
7,
回教神秘主義について,柴野恭堂,Kyōdo SHIBANO,pp.41-47.
8,
児童宗教の発達と迷信との関係,関寛之,Hiroyuki SEKI,pp.48-52.
9,
禁忌と禁制,竹中信常,Shinzyō TAKENAKA,pp.53-60.
10,
霞,戸川安章,Anshō TOGAWA,pp.61-67.
11,
宗教発生因としての社会について,中村康隆,Kōryu NAKAMURA,pp.68-74.
12,
物を匝る民俗の起源に関する一考察,中西定雄,Sadao NAKANISHI,pp.75-81.
13,
悟の表現,宗教心理学的考察,西沢頼応,Raiō NISHIZAWA,pp.82-87.
14,
宗教々育における道徳と宗教,藤本一雄,Kazuo FUJIMOTO,pp.88-93.
15,
民間文芸の信仰史上の意義,堀一郎,Ichirō HORI,pp.94-99.
16,
人格神と自然神,諸戸素純,Sozyun MOROTO,pp.100-105.
17,
謡曲における神道と仏教,姉崎正治,Masaharu ANEZAKI,pp.106-114.
18,
万葉歌人と宗教,石橋智信,Tomonobu ISHIBASHI,pp.115-120.
19,
天理教々祖伝における年代区分について,上田嘉成,Yoshinari UEDA,pp.121-124.
20,
碧巌録の書誌学的研究,緒方宗博,Munehiro OGATA,pp.125-135.
21,
回教の「キブラ」について,鏡島寛之,Kanshi KAGAMISHIMA,pp.136-143.
22,
全真教の清規,金山龍重,Ryūzyō KANAYAMA,pp.144-148.
23,
安南竹林派の仏教,久野芳隆,Hōryū KUNO,pp.149-157.
24,
曹洞宗授戒儀式の特色及起原,来馬琢道,Takudō RAIBA,pp.158-160.
25,
堅意の入大乗論について,塩田義遜,Gison Shioda,pp.161-174.
26,
熊野信仰の一面,竹園賢了,Kenryō TAKEZONO,pp.175-179.
27,
復古神道の一考察,特に理性論を中心として,西村祝善,Noriyoshi NISHIMURA,pp.180-186.
28,
復飾者の態度,古田紹欽,Shōkin HURUTA,pp.187-191.
29,
東北・北陸地方神社の修験着彩,溝口駒造,Komazō MIZOGUCHI,pp.192-198.
30,
太政官諜者の禁制下基督教の内情探索,村田格山,Kakuzan MURATA,pp.199-205.
31,
日蓮聖人の上行菩薩自覚の経路,山川智応,Chiō YAMAKAWA,pp.206-207.
32,
日本・支那における子供と祖先,和歌森太郎,Tarō WAKAMORI,pp.208-215.
33,
宗教の根拠について,石津照璽,Teruji ISHIDSU,pp.216-221.
34,
聖婆伽梵歌と浄土教,伊東信海,Shinkai ITŌ,pp.222-227.
35,
如来蔵思想と阿頼耶識思想との交流,勝又俊教,Shunkyō KATSUMATA,pp.228-236.
36,
仏教教理史より見たる五姓各別論,加藤精神,Seishin KATŌ,pp.237-243.
37,
本覚概念のコペルニクス的転回,河合陟明,Takaakira KAWAI,pp.244-249.
38,
ゴーガルテンの神学観,菅円吉,Enkichi KAN,pp.250-259.
39,
無明の根本性格,坂本幸男,Yukio SAKAMOTO,pp.260-269.
40,
無常無我二法印の施設的意義,佐藤密雄,Mitsuo SATŌ,pp.270-282.
41,
南方論書における善不善論,佐藤良智,Yoshitomo SATŌ,pp.283-287.
42,
宗教的観念の特異性,島原逸三,Itsuzō SHIMABARA,pp.288-293.
43,
基督教における神学的欠陥と其改訂,鶴藤幾太,Ikuta TSURUFUJI,pp.294-296.
44,
歴史の宗教性について,長沢信寿,Shinzyu NAGASAWA,pp.297-303.
45,
巴利仏教の禅定,増永霊鳳,Reihō MASUNAGA,pp.304-312.
46,
法観の一考察,宮本正尊,Shōson MIYAMOTO,pp.313-318.
47,
宗教的信の本質と構造,諸井慶徳,Yoshinori MOROI,pp.319-324.
第7回大会記事,pp.325-331.
Posted in 1942
(昭和17)年
我国の村落に於て氏神を祭るに常り、神主と共に極めて重要な意味を持つものに頭家がある。然し頭家といふ
名桐は歴史的に、見地域的に直々である。例へば﹁とう﹂﹁御とう﹂﹁とうや﹂﹁とう人﹂﹁頭役﹂とも呼ばれ、文
頭家が二軒で行はれる時は﹁本宮、脇嘗﹂或は﹁大頭豪、小頭家し等其の他種々に呼ばれ、更に二面で行はれる
時は﹁はな頭、中宮、おち常﹂或は﹁前官、中宮、後宮﹂とも呼ばれ、種々な名栴と複雑な形態とを持って靡く
各村落に分布してゐる。又﹁とう﹂を現すにも種々の字が用ひられ﹁常﹂﹁預﹂﹁塔﹂﹁瞞﹂等があ=∴ 叉﹁とう や﹂の﹁や﹂も﹁屋﹂又は﹁豪﹂等が用ひられる。然し頭豪の賓際の活動を見るに.他の氏子を指揮して氏紳の祭を主宰するのが任務であり、又頑豪を務める資格は個人にあるのでなく﹁家﹂に附隠する場合が多いと息はれ
以下述べんとする所は頭豪の歴史的考察であるから、具髄的寮費を塞げなくてはならぬ。熱し時間の抑係上止 むを得す之を省略する。随つて充分意左恵L得す極めて概括的な話になる寄と息ふが御諒承願ひ庇い。 村落の祉食生活と両家村落の赦曾生活と喪家
池
廣 正
上
66ァ村落の祉骨盤満と頭家
二
る。随って主宰者又は指埠育といふ意味を持つ﹁璃﹂と﹁豪﹂を雷てゝ﹁碩家﹂とするのが適切な表硯と児はれ
る。且つ又現に之を用ひてゐる場合もあるから演題にも之を便宜上用ふる事とLた。拗之等種々の名柄と形態とを持つ弼家を二つに分ける事が出番よう。第一は宮塵に属する者が〓様に、一定の
順番に二軍期間頭豪に就く場合で、之を﹁交替頭家﹂と呼ぶ事とする。第二は∵足の衰格の者のみが一人猫占的
に、又固定的に累代礪豪に就く場合で、之を﹁専任鍼家﹂と呼ぶ専とする。此の二つの形態の弼豪の何れかが各
村落に分布L、氏紳の祭に於て紳主を助け又は自身神主ともなつて村落各戸の信仰生活を統制してゐる。随って頭家に就ても、それが如何なる細事を行ふか、叉紳主に封して如何なる関係を拍つかを考へる尊は氏紳の問題を
明かにする上に極めて大きな意義を持つものであるっ然し之等の問題を考へるに先立ち先づ解決さる可きは頑家
の本質の問題である。即ち如上の弼家の二形態の内何れが基本的形態なるかの決定であ三㌔ところが.基本的形態を決定するには何よりも発づ弼豪の基盤たる村落の社命組織と蠣豪とが如何なる相関関係にあるかが明かにさ
れなくてはならぬ。この関係が明かにされて初めて頭家の本質も間明されるのである。依つて之への準備的労作
として以下村落の吐合組織と頭豪とが如何なる関係にあるかを説明L、又その諸関係の形態を分類しようと児ふ。 境づ ︵こ村が一つの同族薬園から成立せる場合、︵二︶村が二つ以上の同族集固から成立せる場合、︵三︶ 村が複数の単一家族から成立せる場合、︵川︶上述の︵三︶の村が黎展せる場合と四大別L、更にそれ等に包含される種々の場合を分類し、説明する事とする。
︵こ、村が一つの同族集固から成立せる場合。之に二つの場合がある。 66S︵ィ︶−同族集票分化せぬ誓。村が︼つの同族集幽から成つて空−村の草の祀宝括が本家を中心 とLて誉れてゐる時にはー村の氏紳を祭る者は本家嘉でありー璃豪には本家がなり、分家筋の者は之にはな
り得ない。随って典型的な専任頭家が行はれる。
︵ロ︶−同族集囲が分化する場合。之に三つの場合があ乏㌔ヘエ・本家が村の中心差す場合。分家が大蒜展して彼等富心とする同族集囲が新に作られても、本
家が依警して村の社食生活の中心となつてゐる時は一本豪が嘗東通り専任頭璽ある。分家は依然として本家
に碓展し頭豪にはなり得ない。
︵b︶、本家が没落する場合。之に三つの場合がある。 ︵1︶ 血縁分家のみの場合。本家が没落して後に血縁分家のみが魂る場合には彼等が相集って首座を形成し交替頭豪となる。
︵ヱ 非血縁分家のみの場合。本家が没落して後に非血縁分家のみ残る晴夜︵土と同じく彼等が集って宮座を形成し交替頭豪となる。
︵ハエ血縁、非血線分豪の場合。本家段落後は血縁分家の中最も本家と血縁が琴\又吐合的勢力も最も強い分家があれぼ・之が本家に代って専任頭家となる場合も稀には雪が、孝トは血縁、非血縁の分家が相集
つて首座をなL交替頭豪となる。 ︵U︶、分家の杜宙的位置が上昇する場合。本家が没落しなくとも分家が吐合的勢力を蓄積Lて奔ると.相 村落の柾食生活と頭家 (−69封的に本家が微力となり、結局︵h︶と同じ結果になるひ之に三つの場合がある。 ︵1.︶ 血縁分家の地位が上昇する場合。分家が本家に匹敵する程の杜脅的勢力を得て来ると.氏紳の祭 にも之が直接参加するに至りノ、維釆の本家猫占の専任頭家制が崩れ、分家を加へた交替頭豪が生れる。 ︵nこ 非血縁分家の地位が上昇する場合︵1︶と同じ結果になり・、非血縁分家が本家と同列に頭家とな り交替頑豪が生れる。 ︵り。︶ 血縁分家及び非血縁分家の地位が共に上昇する場合。両分家は本家と共に宮座の一員となり.夫 か交番頭豪となる。 ︵二︶、村が二つ以上の同族薬園から成立せる場合。之に四つの場合がある。 ︵イ︶、在釆の同族集圃が新発の同族集園を支配する場合。在来の集圃が新釆のそれを支配する時には、新来の 同族集困は在釆の同族集圃の氏紳の祭には参加出奔ぬから弼家の形態も又不攣である。即ち在韓の同族集陶が交 替か専任か何れかの場合には、その形態が指緯す︰㌔村金牌の氏神とLては在死の同族薬園の氏紳が祭ら・れるが、 それは在韓の同族集圃に封してのみ氏紳であつて、新茶め同族薬園に封しては錦守の紳として考へられる。新卒 の同族集園にとつての眞の氏神はそれが蕾雑奉じてゐた氏紳である。随つて村の氏紳が同時に錦守の紳の性格を 持つ事になる。之と開聯して同じ村の内に二種の同族薬園が夫々氏紳を祭るに重り、同じ村内に二重に氏神の祭 が行はれる。 ︵こ、在舜の同族薬園と融合する場合。之に二つの場合がある。 柑浴の配倉曳活と現象 670
︵エ 鋸守の紳を新に設け、乏とは別に各同族集囲が先々氏紳を持つ場合。同族集困が融合して村を再綿 成し、他から由緒ある紳を勧請して錦守の紳として祭る場合には、新嘗桶同族集圃の本家又は之が泣落してゐる 時は分家が集つて宮座を形成し、交番頭家となる。燃し錦守上は別に各々の同族集圏は夫々の氏紳を祭り、彼等 薔釆の頭豪制を踏襲L、交替か専任か何れかの頭家形態が行はれる。 ︵b︶ 他から錦守の紳を勧請して、之に各々の同族集鞠の氏神を合祀する場合。各々の同族集園の氏神は 鋸守の紳に合祀されるから彼等嘗釆の頭豪制も準1なり、新に村金牌としての弼豪制が決定される。この場合に は各々の同族集圏の本家か或は本家が没落せる時には分家が集って交番頭家となる。 ︵ハ︶、在舜の同族集圏が新発の同族集囲に支配される場合。之にあつては結局︵イ︶L﹂同様であり、新発の 同族集圏の氏神が村金牌としての氏神となる。在来の同族集囲は之には直接参加Lない。随つて頭豪の形態も新 来の同族集園の持つ形態が持続する。即ち新釆の集圏が交替か或は専任かに依って決定する。然し斯くの如くし て生れた相室餞の氏紳は在奔の同族集圏にとつては錦守の紳として信ぜられ、在釆の集団に射する氏赫は彼等が 嘗確から奉じてゐた氏紳である。随つて同じ村の内に二重に氏紳が祭られる事になる。 ︵ニ︶、在来の同族集囲と新釆の同族集圏とが封立する場合。之に二つの場合がある。 ︵エ 各々の同族集囲が夫々氏神を持つ場合。新嘗涌同族集圃が封立Lて正に祉愈的結合なしない場合に は、各々が礪立に氏紳を祭り、夫々哲釆の頭家形態を拍繚する。即ち交替か、或は専任かの何れかが夫々の同族 集圃に行はれる。 村箔の恥骨生活と殉家 王乙 67Ⅰ
相浦の恥骨生前と殉家 ︵h︶ 各々の同族集困が夫々氏紳の紳格を上げんとLて他から紳を勧請する場合。之は雨同族集囲が封立 する時に屡々見られる現象で、此の場合には琴られる氏紳の性格が攣って乗るだけで弼家そのものに・は礎化が無 く︵エ と同じ結果となる。 ︵三︶、村が榎数の畢一家族から成立する場合。単一家族が相集って村を新に作る場合で、之に二つの場合があ る。 ︵ィ︶、開墾地主があつて一之が村外に居住する場合。直接村を開くのは畢一家族であるが、之を統制する開 墾地主があり、之が村外に居住する場合で、之に二つの場合がある。 ︵エ 開墾地主が錦守に開興する場合。村内各戸は地主に碓屈してゐるから、恨令地主が村外に居住Lて ゐても錦守の紳を祭る時には地主が専任頭家となる。然し地主が遠隔の地に居る時は錦守の祭を主宰する事が不 可能になる場合が屡々生する。此の場合には村の各戸が相集り地主に代って祭を営む。然L祭祀権は飽く道地主 にあるから、村の各戸は完全に交替頭家にもなり得す、之に至る中間形態とも言ひ得る。 ︵b︶ 開墾地主が錦守に開興せぬ場合。地主が錦守に開興しないから、村の各戸が相集って首座を形成L 交番頭豪となる。 ︵P︶、開墾地主が無く自作農が集つて開墾する場合。社食的に略同一の地位にある各戸の集合であるから、 錦守も彼等が交替頭豪となつて祭る。 ︵四︶、前述の︵三︶の村が蟄展する場合。単一豪族が相集って新に村を作り.漸次各戸の政令生括が点に能く I- ハ 6アユ
結合し合ひlより完全な組織を持つ村へ蟄展し、之が更に膨脹する場合。之に二つの場合がある。 ︵ィ︶、新に単二家族が移住Lて釆た場合。新に一家族が移住して村に土着するには在来から居住せる家と従 属関係を結ぼなくてはならない。随つて移住嘗初は吐合的な力も弱いから.宮座にも加入出奔ないっ然L後にな って社台的勢力を得れぼ宮座に加入L交替頭家の二負となる。 ︵こ、単一家族が同族集囲に蟄展する場合。開墾常初単一家族であつた者が勢力を得て多数の分家を持つ様 になると自分を本家とする同族集国を作るに至る。之に二つの場合がある。 ︵エ 各々の同族集囲が氏紳を持つ場合。 ︵ュ.︶ 本家が専任頭豪となつて氏神を祭る場合。単一豪族から蟄展Lて新に本家となつた豪は夫々の同 族薬園の氏赫にあつ.ては専任頭家であり、鎮守に封しては従釆通り交番頭家である。分家は氏紳に於けると同様 錦守に封しても閥興し得ない。錦守の宮座は本家筋の者のみが集って組織する。 ︵りi︶、本家、分家が共に氏紳に参興する場合。此の場合には分家も本家と共に氏神の祭に蓼興し、交番 頭豪となる。叉斯る場合には分家は本家と共に操守にも開輿L宮座に加入Lて交替頭家の;月となる。 ︵ト︶ 同族集囲が氏紳を持たぬ場合。 ︵ュ.︶ 本家筋の者のみが集って錦守の官・座をなす場合。之にあつては本家筋の者のみが首座を形成L、 交番頭豪となる。分家は之には関輿出来ない。 ︵りこ 分家が本家に匹敵する社台的勢力を得て葬る場合。分家が本家に匹敵する程の杜愈的勢力を得て 村落の配合生清と頸家 ¢73
乗ると、本家と同等の資格で錦守の宮座に加入L交替頭家の一月となる。
ゎ
以上の諸形態に依り頭家が如何に同族集圃即ち家族制度と深く聯開トてゐるかが分ると息ふ。随つて頭豪の関 越を考へる場合には尭づその基盤をなす同族集圏の組織の蟄展過程を明かにする事が必要である。交番頭豪と専 任頑豪との先後関係の問題乃至何れが基本的形態なりやの問題も、此の組織の黎展が明かにされ得た後初めて解 決され得るであらう。 村落の祉曾塵活と頭象 八天紳地祀といふ熟語のもつ音味は、支那と日本とでも大分ちがつてゐる。太陽崇拝が原始的な宗教に普遍的に
行はれるかのやうに説く常識論は多くlまたそれには常然月の崇拝が伴ふとする推断も行はれてゐる。Lかしこ れら信仰封象の観念を相首席義に解繹しても、それは人類宗教の或る段階竺般的に現はれるものではな′\民族とその文化的素質によつて出入があり、文化の俸播による尭後と主件の関係が異ってゐる。これを主としてイ
ンドネシア諸民族に於ける事貿について、こゝではその蔑生の関係や系統竺督しょうとするのである。
第一にこのインドネシア諸民族の基本的な大紬観念が、母組油ともいふべき女性の相克となつてゐる事賀は注
意すべきである。それはこの地の住民に特に福著な母権的農耕文化の宗教的特徴として、後に系統を異にする他
の民族文化やインドの高度文化の流俸によつて多少の欒化消長を示しっゝ.現在なほ最もひろくその根砥に見ら れるものである。これが農耕文化に於て姦に大地の女神とLて表果されるとい、㌫は、主としてクレク島を中心とする先取時代の地中海文化に於けるヒ釦などの所謂冒⊇主旨︼・の観念に基いての推論である。本葬農如
天地と 日月日 月
天 地 と
空
固
宇 野
九 (・75一〇
天地と日月
文化の大紳はインドネシアにも見るやうに単なる母組であつて、それが大地の紬となるのはその中柳に天紳との
封立が生じてからのことであるらしい。少くともインドネ、ンア諸民族には一般的にたゞⅠ宣き母、ぎ邑′∵租母、
冒lbOq老女、Ⅰぎ母等と呼ばれる大神観念が今なほ靡く行はれてゐて、紳話の上でもこれらは自然紳といふよりは、部族或は民族の大絶となつてゐるのが多い。
勿論これらの紳名は屡々他の多くの細々にその稲睨として各自の固有名の上に附加するので、その場合には大
夫具鰻的な性格をもつ紳とLて種々の所願の封象となる。しかLそれが特殊な固有名を持つ場合でも、一つの大 紳もLくは至上紳となつてゐる時には、往々所謂○苦笑GO■一lとして直接これに祭祀を行ふことは少l\むLろ宇宙観的俸承や神話の上で観念的に有力な大紳として現はれてゐる傾向がある。この鮎は父権的な牧畜文化に於
ける天の紳に於ても同様であるが、この方がより重く原始的な至上者観念からの直接の派生と認められるだけに、
世界創成の知的な説明に役立つのであつて、インドネシアに於てこの天紬が母紳と結合された時には、大部分そ
れは宗教的信仰の封象であるよりも、創成紳話の主役となつて物語られてゐるのである。Lかもこれらの神話は祭司や巫女が俸承し、主として祭儀の桜台に語り諦へるのではあるが、その中に現止れる赫々に封して人々はあ
ま且示教的な信仰をよせす、世俗的な昔話や童話を聞くと同じやうな態度でゐるのが多い。
かやうに天紳に封する一般住民の宗教的無関心に封して、祭司や首長或は王族の階級等がその祭祀行事の常尊
者たる上からも、比較的に強い信仰誓﹂れに向けてゐることは、インドネシアの苧∼の民放に於て見られる郭社である。そこでこれら上骨の階級は、他の日常生括に緊密な師係をもつ紳々や憶紳を率する先住民の後に、天沖
h7(信仰をもつて外部から移住Lて釆た民族の末裔であり、政治的に土着民を征睨または支配したけれども、その信
仰や儀踵は大衆化し得ないで、たゞ博詭の上忙残ったといふ解繹も行はれてゐる。このことは一々の場合に確讃
天紳観念が後期に於ける移入または附加によ
はないが、仝鰻的には十分あり得る史的過程であつて、それだけ又
るものであることを裏書きするのである。たゞそれが何時、如何なる民族によつて琴bさ机たかは急に断言でき ないけれども、天神の敬栴が賢l壬こっ≡l⋮二l已Jご二1ワニ︸っlき11ぎ二⋮二きル等大嘩王人、主君、支配者を窟昧 するインドネシア語系の諸方言であり、また従、々︼し卓ニ▼︶已ハeこ斉iなど父、純友、夫等の意味の嗣泥を付せ・りれ てゐる鮎からは、父権的な牧畜文化に顆著な主または父とLての天神信仰の混入であることは明かであ∵㌔ 従つてこれが母組紳と結合されて天地に封配されるのは、Ⅰ害毒きl笠Oiユと呼ばれる原束亜人の第二次農耕文化に兆し、北部後印度から西南支那の遵に始つたと推定されるのであるが、これが東印度諸島に行はれるのは遥
か後代のことらLい。けだしこの庶東亜人と接髄混合してその文化の大部分を受容した︰費ぇま と特楢される原南島人に於ては、何らかの原因から太陽神の信仰が有力であつて、これが母組紳もしくは月紳との結合に於て、
種々の形での日月の紳の封立となつてゐることが多いやうである。これは既に初期農耕女化に於て母組紳と共に
多く月の祭祀があり、やがて月そのものを母組紳とするか、或は母租の子、兄弟讃しくは夫としての月紳の信仰
を蟄展せしめてゐる蔑め、そこにさらに太陽の崇挿を加重した時には、日紳は月の女神の夫或は兄弟となるか、
男性の月紳の要或は姉妹であるか、稀には母組紳の千若しくは親としても表鬼されるのである。
例へばアッサム地方のガロ族では日と月とが共に母組紳の子であつて兄妹となり、マライ人に於ける日面蟄
天地と 日月 /I77天地と日月 一二 冒n粥Om已pと月綿状二ぎーl竺箪一iとは夫婦となつてゐるが、セレべスのトラジヤ人の日紳ど芸︵産地上の女 と婚して諸王家の母組を産み、北セレベスのトンテムポアン人に於ては母鱒紳F竺iごlllご;の娘連の三人の配偶 者ぎど︸竿昌・望乙2・−写1・ltlt一11−1t↓l︻は、何れも英雄とLての日紳だと侍へてゐる。またフロレス島のエンデ一 人は日の女紳冒窒Ⅰ芥⊇、に月紳亡⋮pヨJCい・Pを配し、ウェクル島では大地の女紳冒eの夫たる日紳︼才iL己i W買詩iが父組となり、ケィサル島の日紳こてっ訂旨はリー斉毒〇−−1芦Sl;d と呼ばれて月の女紳 ソ︻旨弓毒︼ 試買昇tlの夫であり、ティモル・ラウ島の日紳已ぎH−弓pとレチ・モア島の日紳ぞu卜つ呈とは、夫々れの地 母紳訂・⋮・−及びq盲写室と封配されてゐる。かくて一般に小スンダ列島から南部モルツカ諸島にかけては 日紳の崇拝が頸著であり、それは屡々神話的にも大帥ヰ養は大組といふべき観念に高められてゐる。この外ボル ネオのダイヤク諸族ヤフィワッピンの異教詣部族の問にも、何らかの形での日紳の信仰や太槻の祭祀が、月に封 するそれと共に廉く行はれてゐるが、これらの民族ではその信仰や祭祀が農耕その他の生拍と結びついて宗教的 関心が強いにも拘らず、耽念的にこれを大帥としたり創峨紳論の主役とするやうなことはむLろ少い。 この郎から考へて太陽崇挿は張正てこれを異民族からの流僻移入として説明すろよりは、原南島人の中期患糾 文化に於ける自尊的派生とも見なし得ろやうである。牧畜文化に特有な天紳や農耕文化の梯帥に封して、トーテ ミズム文化の大紳を特に日紳だとする文化悶詑の指定には柵常の椒描がある。そLて原南島人の比取的古い文化 、 を テミズムに 状態保持Lてゐるといはれるアッサムから北部ビルマのポド、ナガカチン等の諸族に於て、トー 節する信仰や習俗と同時に、日月の祭祀も著しいやうである。それ放これをトーテミズム文化からの睨入と見る 678
ことは仝々理由のないことではないが、日紳の信仰がこの文化圏に固有なものかどうかについては、なは妃寵的
に疑問の飴地が雪。これを古代エジプト文化の僻播に辟する戸旨い・Jの民族移動論には、各島の文化厨の解繹に可なり適切なものがあるけれどもーそこには多少天神観念との混同もあり、あまりに大仙としての日帥の紳
話を重要視する嫌ひがある。
それでこの信仰や祭祀がたとひ異系の民族文化から取入れられたにしても、庶南島人に於てそれはすでに大越
に於て母組紳や月紳と結合封配せしめられ、その東印度諸島への移動と同時に各島にもたらされたのであらう。
現咋日紳の崇拝がダイヤク諸族やトラジャ人、ことに小スング列島から甫響ルツカ諸島に額警あるのは、後
期の冒t?写−董と呼ぼれる南方人系マライシア民族の移動に先だつこと空写。ことにサヴ良人の天赫芋 ︼〇︵lClぎと地神芋夏?邑とは、何れもその本葬の形が日細字−乙こであつて、ノノさ2が論じたヤうに後 になつて天−i︼・ロと地︼・己との封照的性格をつけ加へたこと、及び所謂天紳観念がその資質に於て往々日紳のそれと結合して、先に東印度諸島に停播したことを物語るもので勢匂。
、にけ
かくて天神観念を導入して母組袖に封立させ、そこに天地を主とする創成紳話を蟄展させたのは大陸於
る原東亜人の文化に於てゞあつたとしても、これを群島各地にもたらしたのは、その筏に琴晶方人の移動とそ
の後期農耕文化とであろう。そしてこれがジャワ人の天父紳苦〃宗蔓と地母紳冒Ⅰ互iノ′ふ・トラジャ人の 天神H︵1己と下界の女神H−を㌢チモル島に於ける天綿貫1e−⋮地帥じ争ち及び、アムボン人の天主音︻ ぎ旨地母冒冒Cなどに見るやうに、そこに壷の至上紳が説かれるのは、世界起源の説明が相嘗に進ん 天 地 と 日 月 恒t天地と日月
一凹
だ神話に於てゞある。一般に天または天神は至上紳たるに相臆しい性格をもろてゐるから、人と赫々との起源と 終局が反省される時に、この観念が第這導入されることは極めて自然であつて、そこに顔料文化に於ける本葬 の母組紳を地軸たらLめ、両々相まつて萬物を産み出す過程を説くことになる。LかLそれだけ忘視覚的な母 組が観念化されて、その神話的性格が具髄化するにも拘らず、これに封する宗教的関心や祭儀が後逸する傾向が あることは、その日紳との結合封配の場合にも概Lて認められる寄寓で季Q。 ir,ご0権力、威信、支配、指導といふやうな即同概念の中にあつて、権威といふ百薬からはこれらとはまた興った感
じを受け′ることは事寛である。しかしこれを明瞭に眼界づけることは容易でない。それはこの概念の包括的な、
従つて曖昧な鮎から禿てゐるのであらうが、その用語上の不明瞭さの第諒、権威に興るものと、権威を典へる
ものとの相違に注意をはらつてゐないことによつてゐる。いき﹂ゝで用ゐる宗教的権威といふ言葉にしても、そ
れは同家的構成、政治的椎成、祀台的権威、道徳的椎成等とい声言葉と並行的に用ゐられるのが普通であるが、
この場合、宗教的とか政治的とかいふのは、椿成の性格とその在り喝を示してゐるに過ぎぬのであつて、その在
り方を示してはゐないのである。その在り方が考察される場合にも、それは革﹁或は唯一のものと考へられて
ゐることが孝\在り場と在り方とり錯綜が不用意のうちに現はれてゐるやうである。そして、特に宗教的権威についていふ時には構成を輿へるものと樺成をもつものとが混同されがちである。
宗教的権威権 威
宗 教 的
−き1そ▼ の 特質と形態
一
68工諸政的柿威
〓ハ
一般に権威とは自己以外の力、特に自己以上の力であつて、命令的、規制的なものであると考へられ、この鮎 から﹁構成と自由﹂、﹁権威と自律﹂、﹁権威と無政府﹂といふやうな封立概念による表現が嘩、用ゐられてゐる。 構成は常にその在る喝朋とLて特定の英国に於て在り、権威とこれに服綻するものとの関係はいはゞ上下関係と して現はれるものであるといはれてゐる。LかLひろく宗教的関係に於ては、構成の命令は強制とLてゞはなく、 常尊者はこれに随順し、時にはこれに随喜するといふやうに受容れられることが多い。そこには、他の樺威の関 係に於て見られるやうな拘束的な力の関係は殆ど存してゐない。この鮎については、客観的な見方と、主観の側 との間に非常に大きな開きがあるであらう。他者がこれを強制的と見る場合に於ても、常事者はこれを何等強制 的と感ぜず、自己が非強制的と感じたその感じ方を以て、服従のうちに自由をもつといふやうに表現Lてゐるも のもあるのである。例へば、カトリック的な見方に於ては、構成とは或る人格、或は共同醍に輿へられた稽利と 力であつて、かやうなものを通して、一定の生活領域内の他の人格の行動を規定し、服従を要求するものである。 しかし構成は外的な、或は物的な強制の力ではない。構成者としての教王も、自ら﹁天主の下僕連の下僕﹂とい つてゐるやうに、樺威とそれに服従する者との関係、従ってまた権威と自由とは、人間性に山心賛であることによ って相調和するものである、と考へてゐる。構成とそれに捉ふ者との関係には、多少ともかうした感じ方が見ら れるが、政治的権威、吐合的権威の如き他の構成に比して、この鮎宗教的槽威には特に著しいものがある。つま り、外的存在でありながら、主観的にはこれに拘束されぬと感ぜられてゐる鮎に宗教的樺威の第一の特質が存し てゐるといへるであらう。しかし、この場合にも宗教的封象との混同が多少は見られる。殊に一般に考へられて 6S二王ゐろやうな権威としての紳は、外的な力としてよりは、直接の信仰の封象、即ち宗教的封袈とLて自己の前に在 るものであつて、直ちに信仰そのものに結びついてゐ旦那に於て、宗教的権威の概念から竺艦除外するのが適 レト 切であっ等即ち、構峨は本釆㌫数的封豪に外在するものであるか\稽域Lこての紳L﹂か幡成そのものが信仰さ れるといふこL′庄いは三つの特化せる現象である。トかト賛掠の信仰にはこれが著し′1見出されろ。椎威信仰 Allt毒i⋮各l乙.︸っといふ言葉が盲信とい\毒味にとられるのも、ニの忘を示してゐるのであつて、封免の摘威 と封象への媒介としての権威との二つの画は、やゝもすれば錯綜トがちである。かやうな混同錯綜も他の樺威に は散り強く見られぬ射であつて、宗教的椎成の第二の特質であるといへる。 一般的考察に於て、権威は力の関係にあるものであり、その根源は人間性に基いてゐるといはれてゐる。しか し、その究極を人間性におくといふことはいはゞ探究の逃避であつて、貴際は何等人々に椚得む輿へてはゐない。 それにも拘らヰ、賃際に構成に服従するものは、如何にしてその権威が造られたかを知らぬであらうL、また敢 てそれを間はないであらう。樺成はかやうな反問を許さないはど峻展なものであるともいへるのである。即ち1樺 ヽヽ 威は常により高きものであり、自己以上のものである。そのものは力として感ぜられることもあれば、事物によ ヽヽヽヽヽヽ って象徴されることもあるが、本源的には見えざるものである。本凍、かやうな見えざるものへの畏敬に宗教の ヽヽ 根源と特質の叫面があるのであるから、権威もまた宗教的存在であるといへるで・あらう。また、かかるものが権 威の根源であ=∴権威あるものをして権威づけるものであるな、h一ば、樺成の宗教性は自ら明かである。現在は政 治的構成、社食的樺威、或は道徳的樺成とLて硯はれてゐるものも、教生的にはたとひ相関的にではあるにして 素数的椎威 hS3
宗教的椎成 一入 も宗教的窟嫌があつたものである。例へば、国家の宗教性とい、・ごJとがいひ得るのもこれに伐描してゐる。Lか し現在では、侍統そのものが樺威となるといふやうに、謂ミの宗教現鬼の中にも宗教以外の形態をとつたものが 権威とLて存在し、宗教的行事も社命的俸統や慣習として行はれ、その権威の前に何等の批判も許されすに服従 せぬばならぬこともあれば、また社台的構成とか集周的椎戌とい、窒[菓があるやうに、社命集圃そのものが構成 となり、成長はこれを通Lて信仰や俵雌を継承してゆく。従つて、宗教的権威を考察する際には、かやうな側面 シ♪トト をも顧慮せねばならぬであら¥ * 現資の椎成ほ常に柏敷存在であるが、信仰に於てはその紀封性、或ほ唯一性すら見られる。 ホ* こゝで試みようとす争琴数軋魯蟹的な考疫に於ては、主観の場面ほしげらく別にする方か.かへって問題の在り揚を明 瞭にすることが附来るであらう。勿論、他何から見れば、宗教的擢衰ほ、人m此所に於ける内面的な信仰に関する事柄で あるので、叶的な現象形態を鍔元する狭義の軋㊥攣的方法のみによつては到底理催し得ないものであるが、これらの仝両 的な粍究は形而上撃的考察に・l少づることにして、こゝでは促氷−右過されて来た形態の岡地に鴨れたいと思ふ。 権威あるものと構成づけるものとの錯綜をそのま1受容L、常識的に考へられてゐる宗教的樺成を盤げてみる と、第一には所謂る超自然的な力。墾一には撃はる言葉とLての経典。第三にはそれらに興る教職者やその組織 醗としての集圃。すべてこれらは、これらの下にあるものが任意的に攻撃し得ないものである。それは稽威が常 に自己の外にあるものであるからである。LかLまた、宗教的な営みに於ては、外にある力は直ちに内に生きる ものであり、これによつて自己が生か昌れるのである。外なるいゴスも内なるノモスとなる。かやうにLて棒戚 (・Sヰ
の自律的な械能が行はれるのであるが、これを関係づけてゐるもの1根砥に横はるものは人間関係の秩序である。 この人開閉係の粍序の主鰭こそ樺威としての人格であつて、一般に構成を武力的な権力から直別して精神的なも のとしてゐるものである。例へば、道徳的構成と呼ばれる親の権威や教師の椎威の根砥が愛であるといはれるや うに、単に宗教的権威にとゞまらす、ひろく権威と呼ばれるものはすべて人倫的関係に硯はれ、その基底は人格 的なものに存Lてをり、この故に権威は構成者と屡、、同義に周ゐられる。従釆宗教的権威とLて、教組、聖者、 レ戸 預言者、呪師等の所謂る宗教的指導者が螢げられたこともき﹂とに常然であ㌢しかし、宗教的権威の社台形態 論的な考察は、かやうな人格たる﹁者﹂のみを観察Lたのでは不充分であつて、﹁物﹂としてあるもの、即ち、 人格の関係的な秩序とLての馴鹿∵冒吏i亘i2−をも度外祓L得な匪が * コアヒム・ケァッ ハが、嘗てその ﹃宗教祀愈壁序論﹄の中で、宗教的稚威の粕型としてあげたものも、架はこの宗数的 人格の顛如であつたのである。 ヽヽ▼ヽヽヽ *車中 既にアルアレッド・フィヤカントは指導関係に於けー0合理的なカとしての椎成を制圧的と人相的との二つに分けてをり、 lヽ▼ヽヽ これに射して、支配銅棒に於ける非合理的なカを威光ワ・空ti駕であるL﹂してゐる。更にルードゲイッヒ・レオボルドは フィヤカントの所説を致展せしめて﹁威光﹄に閲する理論を屁関してゐるが、これはマックス・ヴェーベルの雄賜C訂・ ユ⋮︻pの概念に近い。 殊に宗教的構成を敢棺とい∴言実によつて理解Lてゐる場合には、すべて何等か制度的なもゃ︸字揉恋してゐる のであつて、そこには固定した敢階制度宗≒弓C〓Gが存し、また教権主薬乙C︼・ik已i藍⋮ユをも現出せしめてゐ るのである。教階制度には、それを有する共同醍の成月の意志によつて決定される仙人単位のものと教権によつ 沫数的樺威 685
二〇 栄数的措威 て決定される統合的なものとの二つの型がある。例へば前者はプロテスタントに於け′る組合数ゐゐ如く、その名 碑によつても明かなやうに、個人の集合であるものであり一、後者はカトリック数台の如く、個人の堪合ではなく、 純一醍を形成してをるものである。教権主嚢は敢圏内部の教職者の聞直階級制姥であるが、歴史的には、祉台的 分化に伴って贅展したものであつて、紳覇と政治と分離Lた祉台形琴い下にある宗教にはいづれも何等かの形で 傭ってをり、紳事、祭事に従事する特樺を有する階級の組織であると考へられてゐろ。 かやうに宗教的権威を数樺の意味にとる場合には、それは今日の日常の肘語に於て政治的権威を直ちに改植と 解L得ぬと同様に、仝饉的な樺威を句括し得ぬことになるであらう。LかL﹁政椎と教権﹂、﹁囲腫と琴撃とい ふやうな言葉のうちに、いはゞ封立間係とか縄眉関係が見られることもあるやうに、宗教叩構成には、もと二つ の面があるのである。それは八一加数の内部に於ける椎成と阜バ敢の外部に封する椎成である。例へば日常、宗教的権 威が失墜Lたなどといふのは、多く外部に封Lて用ゐられる周語であぇ。LかL、内的に粍序づけられす、挙措 されぬ宗教的権威が外的権威む有することは全然あり得ない。樺械は先づその開興する粟国F︰I内部のものである。 これが外部に向ふのは、いはゞその拭充であり、輯化である。しかもそれは外部に向、ふとい、忠盛的な攣化のみで なく質的な教化を行ふのである。こゝに非合理的なものの合理化い面がある。けれどもこの合理化は少くとも世 俗化を隷想しなければならない。中ポ敢的確威の外的な喪展交渉の一つの運命として、宗教的撼威と政治的撼鴎と の葛藤の如き歴史的な事件の惹起されることも決しては稀ではないのである。 宗教的構成を右のやうに、人格的或は制度的な秩序の基本的な原理とLて見る時、それらはいづれも小石数的封 ¢S6
毅からの哀トた流れに滑ってゐる精細の秩序であることがわかる。未開祀/ぼに於けるやうに宗教的権威が直ち 族長や家長が祭司としての完敢的権威を有トたが、成立※敢に於ては、紳に開興す
に治的で
政権威ある場合には
るもの、即ち発づ油の言葉としての経典、遥此ハに参興する祭司が樺成となる。しかも、フリードリヒ∴イラー が明かにしたやうに、教組や換言者等の宗教的人格が決定した槽成は、経典、律法、制度の構成となることによ つて、即ち非人格的超人格的なものにその地位をゆづることによつて、その春接が行はれてゐるのである。特に 特定の教職者によつてそれが相潰され、数台的なものを形造ることによつて、宗教の集固形態とLての蟄展が見 られるのである。 この人格及び制度としての権威は本釆精神的なものではあるが、視覚に於ては前逓の如く特に外部と内部との 二面陀於て質的欒化を釆ト、宗教的なものから世俗的なものへと進みがちである。いまこゝに、三の概念的な 理想像を考へることが許されるなら、かへって内部に於ては制度とトての精紳が優位を占め、特に外部に封してりト
は人格存在としての精神があらねばなら聖何故なら内部に封する人格の精神は既に塀へられてゐるものであつ て、外部忙封してこそ、宗教の威信とそれに基く機能が著輝されねばならないからである。まことに人格と制度 の一鰐化こそ宗教的共同牒の本釆の姿であるべきである。 * しかし、種端な瑚肱化は機鱒王裁たるの非難をうけねばならない。ヨハネス・ヴュンドラントほプロテスタントの立場 から宗教的共同牌として同志共同騰宕訟E″声甥g望をHl邑−彗を志向し、カトリック敦☆を以て調ルる形放であるとし てゐる。 浣数的樵曙 hS7ニニ 宗教的相成 かやうな考察はいはゞ人格或は制度の精紳的秩序の観念的な像であるが、祝賀の宗教的権威を成立宗教につい て見ると、形態論的昼間察に於ては、これ聖二つの型忙分つことが出舛る。第一は統叫的、第二は集合的、第三 は分散的である。統一的なものとLてはカトリック乾かを塞けることが出雑る。もとよりカトリック敢魯に於て も歴史的には内部抗争も行はれ、現寛の数台は常に﹁戦へる数倉﹂であるといはれるが、これはいはゞ宗教一般 の理想と現賓との運命的な性格をいひあらはしてゐるのであつて、権威存在は少くとも、形態の上では統一的な ものである。これに封Lて集合的なものはプロテスタントや沸教に見出される。プロテスタントに於ける経典の 樟威は権威の集中とLては統一的であ・匂けれども、その佃繹上の表出には個別性が著しい。俳敦でも、例へばラ マ教や春闘の俳致のやうに閥数的な形をとつてゐるものは、その間に特殊性を有Lてゐるが、概括的に見れば集 合的であり、ギリシャ敦食も制皮の樺成を否定して思想に重鮎を置いてゐる鮎では集合的であるといへるであら う。これらに封し、特に今日の同数は分散的である。これは教生的には統一的であつたものが、テオクラシーの 襲則的襲展とそれの部族宗教化によつてもたらされたものであつて、地域的特殊性の而が将に強く浮び上つて釆 てゐる。同数の樽成には敢闘的、同家的なものと相並んで憤督的、僻統的なものが、相雷優位を占めてゐること も注意されねばならぬ。こ1には、侍抹が椎減となることの撮も恰好な事例が捉供されてゐ∵︶。 これらの三つの形態論的な分節は、その小小紋の現状に見、その蟄展を跡づけることによつて縛られたものであ るから蟄生的にけ、或は散薬的には否車eれるかも知れぬ。何故なら、成立宗致の数由豆自己の権威を横立L、 他の権威を敢想してをらす、教徒はいづれも教組の人格の構成に服従Lてゐるからであつて、この鮎では、多く 68S
の成立完敦は何れも共通性を有してゐるといへよう。経って、形態の上での相違は人格存在に関はるものではな く、その蟄展相承の制度の上に見られるものである。しかL、組師や宗租の椎威は教組の人格的権威忙興ってゐ るのであるから、こゝには権威の二重性が現はれて乗る。また律法や制度の構成が指摸されても、その創始者が 直ちに宗教的権威とならぬことも注意されねぼならない。このことば、もと宗教的権威が置賜に興り′、威光を有 する人格的存在にあるものであり、制度はそれからの畿生と時化であることを明かに物語ってゐるものである。 浣数的権威 わS〔
戦争は人獅社台の東大の試経である。民族、圃豪はそのために莫大なろ経費と無数山生命し﹂を犠牲として死闘
L、その正邪俊劣を決定せんとする。その結果として戦勝者は一伊興降するが、戦敗者は途に滅亡してし、亨㌔
従つて戦寄に於ては是が非でも勝利を獲得せねばならぬのであるが、執事の振放は決して合理的にのみ得らるる
ものではなく、甚だ多く大祓の支配をうけてゐる。叉戟季は常に民族、閥家等の範囲が基醍となつて行はるるた
め、個人の孤立的立場や批判は殆んど許されす、個人の運命はその屈する集園と鵬五二にLてをり、従軍し戦闘 してゐる兵士の道命の如きは今∼佃人的判断外にあると云はねばならない。こ0やう生息昧に於て戦争のもつ多 くの遥命的な要素は人々をしてことに㌶数的関心を深からしめ、故事に蹄聯した孝トり㌶数的儀綾な殻生せLめてゐる。而してこれらの宗教的儀摘に封する信仰は戟事そのものが腸利か敗北か、生聖些かの決俄雨立場にある
だけに一般にその信仰的態度に於て撃\、純粋率直である。常葉歌人は防人とLて征掟に‖りぼるに際Lて、﹁大 地の紳を所りて幸失貫き、筑紫の畠をさLて行く吾は﹂京菜鮭第二十豪豊・と鮎∴二しゎ■んが、華年に富山すると特 粍甲に閻聯する宗教的燐縫について戦寧に関聯する宗教的儀祀について
カ一
lリ0に吾が国民の心情は宗教的となる傾向が強い。曾て元遥の釆襲に準\毒、亀山上皇が身を以て閥難に代らんと帥
紳に所られたといふことは飴りにも有名であるが、今日荷駄時下囲民の間には各種いエ加数的儀縫が行はれ、戦勝
と武運長久とが赫々に所願されてをり、出征兵士は弾丸除けとしての千人針をはじめ、共他の光符、児物、縁起
等への信仰から種々な叩几術宗教的儀餞を行ってゐる。
これらの多様な光術宗教的儀踵の中にあつて、苗殊より特に信仰せられてきてゐるものは秘密俳敦の行法であ
らう。ことにこれらの行法は密教の特殊な畔督的地位に伴って重用祓され、時には殆んど戟饗と等しい経費がそ
の修行のために草しられたとも侍へらるるほどであつ駕而してこれらの秘密行法の中でも殊にその軍旗の著し
い行法として信仰せられて釆たものは大元法である。
この行迭は既に唐朝に於ても重んぜられてゐたもので、常賦はその講雑目録の中に、
斯法也則如来之肝心、衆生之父母、於尉城撃於人筋肱、是大元帥着都内不輯於十仇奉以外、諸州紙皿於節匪宅、以表紙其
買験不可思讃。
と云ひ、又、﹁今見唐朝常任此焉治国之塞、肪敵之妥﹂と云つてゐるご﹂の行法の俵軌は巳忙弘法大師によつて
請奔せられたが、その詳細は常醍によつて侍へられた。永和六竺八三九∴常瞑がこの行法を本朝に請空三や、
時の聖主仁明帝は特にこの法の零敗を革信せられ、墨承和七年、法規の如く法典、城均等を新調せられ、十二月
始めて常寧殿に於て修行せられた。これ吾が閥に於けこつ大元法権行の濫僻にして文総帝の仁毒元年︵八空︶よ りは闊典とLて定められ、以来、後七日御修法と並んで修行せられて死たものであり・、ことに前者が蟹部の三昧 賊軍に闊聯する宗教的横路について 旬Ⅰ二六 戦争に開聯する宗教的儀祓について に任する増益の行法であるに封して、大元法が調伏三昧の致命輪身の行法として重んぜられ、且中古舜は御伽位 式のあつた年或はその翌年には必ず修行せらるるやうになつてゐた。これこの行法が﹁術団の甲田、防難の紳方﹂ として特に功験があるとの信仰から行はれてゐるものにして、貞観十二年︵八七〇︶の新羅の釆冠を始めとし、 元冠の如き国難、共他天欒地異・五穀不成・疫病流行等の大災害のある際には必ず修行せられた。而もその都度 蛋験は規はれたものの如く、籠寿は大元帥法線超奏状の中に、 専壷身カ所癌国家、更無慨怠、即位隣国峨難己従平服、是維休明之徳化、抑専在大元之扶持老乎。 と云ひ、又諸儀軌裏承録第五には、 爾後討教卒将門、討越平家、挫信長武威等従古至今、掘此法平朝敵牧園非一二三云々。 と讃歌せられてゐるのである。 一饉何故に斯くこの行渡は信仰せられて禿たものであるか、とは誰しも考へさせられるのであるが、以下私は この行法kついてその意義を求むると共に吾が闘に於けるこの種行法のもつ性格の一端を知りたいと思、ふ。 大元法とは大元帥明王を供養念諭する行法である。大元帥明王とは梵に阿咤薄拘患雪已ハ古と云ひ、諾して暁 野鬼又は無比力と云はれるが、これ特にこの明王が天龍八部等の諸鬼紳の絶管者として威力殊勝なりとの意から この名を得てゐるものにして、密教に於ては大日如来の垂越廼化せる紳格とLて考へられてゐる。この行法の所 伐となつてゐる控軌としては古釆拾数種あげられてゐるが、現存する経机のうち顆同乃至重複してゐるものを除 き、直接行法に関係をもつものをあげれば、 G9ヱ
阿咤婆拘鬼紳大将上悌陀羅尼紳光控︵二筍︶失諸︵正臓廿一ノー七八、以下紳光建と云、、3 阿咤簿倶元帥大将上伸陀羅尼控修行俵軌︵三巻︶蘭書無畏繹︵正痛廿一ノー八七、以下本軌と亨㌧○
の二部四巻にして、特に後者は本軌と稲して重用祀されてゐる。然し本朝に於て修行される場合には他の行法の
やう、行法次第として新に編成された次第によるのであり、従って本軌を所依の儀軌とはしながらも柄者の偶に
は相首の相異があり、殊に本軌は土壇による印度侍釆の念訝供養法として組織三れてゐるが、行法攻弟は皆木頓
による大法立の行法となつてをり、本壇の外忙息災、調伏の爾讃嘆撃十二天壇、聖天壇、紳供壁をも併せ設け、
行者も己達の阿閣梨の外十数人の伴伶をつれて行せらるることになつてゐる。又同じ本朝の行法次崩ム中でもそ
の俸承の系統によつて相異があり、西院流のは金剛界、胎痕界の柄大法立からなり、行法する場合甲金乙胎と毎
年交互に行することとなつてゐるが、小野方の次第は大鰻金剛界の大法立となつてゐる。然し何れにしても行法
の中心となる本壇の行法は、本尊大元明王を召講、供養、念謝することからなつてゐるのであり、並修さるる息
災、調伏の粥護塵供、十二天供、聖天供、紳供等は皆本尊壇を結謹するために修法せらるることになつてゐる。
従つてこの行法に於ては絶てが綜合的に大規模に行ぜらるるやうになつてをり、ことに性格上調伏法を表とする
ことになつてゐるためか、その行法上の法器、法具等には甚だ異相があhソ、本壇上には百口の刀・石張の弓・古妻の箭、或は廿四何の織枚・棒、鈎等をも傭ふることになつてゐる。又若し本軌によればその壇甥の様子につき
﹁竪刀肩口、営利如覇云々﹂と云ひ、或は紳児経には﹁二器著少血飲﹂等ともあり、甚だ凄絶な風もある。而も
行迭の箕修に常つてはこれらの事項は皆忠賛に守るべきことが要請せられてあり、本軌上巻には女人不加此法
戦争に開聯する宗教的横磯について hり.;作者傍受鉄鍋﹂と云ひ注意されてある。 なほこの外に行法上の特徴と息はるることはこの行法に秘事・口停の多いことで、結護の秘事或は五鏡の祀撃 八ケ秘印、三ケロ決、予立戯印の租口等あり、儲古非より垂婁な紅梅とされてゐるが、中でも五鋭の秘事は壇極 のものとされてゐる。 以上はこの行法の概要であるが、要するに大元法は形式的には綜合的行法として大塊棟に行ぜら∴γヤとLても、 若しこれを原理的に見るならば通達の行法に比して甚だしい婆化が見らるるとは思はれない。準りて何故 に特に この行法が長年に亙り﹁街闘の甲宙、防難の紳方﹂として信せられて釆たかと云ふ問題が攣Cれ∵︶が、これ一に 大元明王の威力の烈らしむるところであらぬばならぬのであり、その歴史上に於ける数々の蛋賦は充分に本軌に ある十種の勝利︵上巻︶或埜ハ十八種の師光法とその効験︵中萱と相保ってこの信仰を深からLリ〃たものであ らうと息ふ。然し同時にこの行法を偵値づけてゐる重鮎とLて知らねばならぬのは五鏡の秘事である。これに別 Lて衆極一子相停の口停として尊重されて雅たものにして、この秘事とは、壇上に置かれた五鏡中、四角り四鋲 はこれを四彿に配し、中央の一錠を閥王と挿して行法し、阿閏梨は正念師に入るやこの稔伽の妙果む国王に廻向 し、以て玉鰭安全、賓詐無窮を所願L奉ること、及び更にこの口樽につき、﹁中央鏡結楢崎如闘自作法可有之、 古今無相違、外儀之事往古有相違、後資不可疑之、能々秘記開可見之﹂と云うてゐることであゃじ四錆む蝮山川 角に安することは既に本軌中巻の蓬壇法中にも述べられてゐる虔であるが、中央の一錠を国王と観念L、且、外 俄にとらはるることなく行放すベLとはこの口俸を保って始めて明かにされる虎であり、文中央の鏡山作法には 戦争に開聯する宗教的俵祀について 旬4
古今相違無しと云へども外儀の事は佳苗相違ありと云ひ、行法の肝心を明かにし、、言ゐることは木靴上巻の﹁英
人不如此法作者傍受政綱﹂と云ひ、外儀を重税してゐる鮎と比して眞に興味ある封服をなしてゐるのであるが、
息ふにこの負極の秘俸こそはこの行法をして神秘不可思議な光術の世界から紳聖なる宗教の世界へと鮮生せしめ
てゐるものであり、この行法をして特に日本密教の行法として生気あらしめてゐるものと云ふべきではなからう
か。即ち戟率と云ふ超非常時に際して行ぜらるる大元法の肝心が、飴他の兄術的意義作法になく、一に園王む念
することにあつたと云ふことは、この行法が外見甚だ奇異な形式をもち、ながらも、よく吾が園民性と合致し、常
に中心を失ふことなく、長く行ぜられて釆た理由であつたのではないかと思ふ。
戟季は勝利か敗北か、生か死かの何れかの揖後的決定を血ハへんとしてゐる。従つて故事するものはあく、まで故
ひ、全力を志して闘はねばならない。而もその最後の肪利む得るためには遣と音義とを必要とする。戟ふものの
間に多くの児術宗教的儀他の行はるるのは皆そのためであるが、故事が激烈になればなるはど思何程皮の兇術的
儀縫はその効力を失ひ、あとには挿聖なるべき戦闘意識・む強化するに足る囲民性と合致した宗教的儀槻のみが残
されるであらう。このやうに考、l言占き充分に戦争に開聯する宗数的儀縫は指導研究せられねばならぬと思ふ。 購草に閥聯する宗教的儀祓について h9S宗教の心理的な側面に封する今日までの研究が、之餐示教心理撃と柄ぶに相應はしい捏、畢的閣裁を傭へてゐ
るかどうかは、問題である。併L、宗教現象に射する多角的な研究の中で、心の動きに焦鮎を置くものが、宗教現象自照の本質上、最も基本的な意味を持つことは、論を保たない。心の動きに焦鮎を置いて、宗教現象の観察
を試みようとする企ては、宗教拳史上の早い頃から硯はれ、十九世紀末其のスターバックやジェームス以東、連
綿として横き、一つの流れをなして釆た。此の流れを概括的な意味で組稗して∴.小紋心理撃と順によぶことにする。
叉、こゝで用ひる教理と云ふ言葉の指す魔は、宗教意識構成要素としての知的なもの、或は理論的なもの、と
云ふ程の意味である。斯様な知的要素や理論は、㌶教現象の中では主として教理と云ふ形態をとつて規はれる。
それ故、暫らく、教理と云ふ言葉を頼りて、以って、それ等のものを指すことにする。
宗教心理畢の流れは、既に約半世紀に亙ってゐる。その流れを通観した場合に、それの虎も著しい特徴は、何
詫敦心押塾に於ける数理の位粧宗教心理学に於ける教理の位置
其
岸 本
天
69r人も之を認める様に、所謂El−乏i吉已山壬こ即ち情緒主義的傾向である。宗教的感情乃至情緒に関する研究観察が、 その中心課題となつて雅たと云ふ事資である。単にそれ等の研究が盛んであつたのみならす、㌫致意識を観察す るに雷り、他の心的諸作用を閑却し、宗教現象の心的特質は、情緒的なものの中に於いてのみ見出されると云ふ 立場をすらとる。共虔に、情締偏重の跡が、部署に示されてゐる。 かゝる傾向を生じたのは、何故であるか。 その理由としては、様々の鮎が馨げられようが、その最も重要な⋮牛の原因と思はれるものは、畢史的事情の 中に見出される。宗教心理拳の胎動を促すに至った時代、即ち、宗教心理畢牽生直前の時代の宗教研究の状況を 顧みて見ると、それは明かである。井底では知性の問題が、他の絶てを塵倒し、席捲してゐた。敢園内に於いて は教義の研究が唯一の宗教の研究と考へられ、敢圏外に於ては景教の研究は、宗教常襲に殆んど全く限られてゐ た賞状であつた。斯様な、知に偏した宗教研究の趨向に封する反省、反動の意味を多分に含んで、宗教心理拳は 生れて釆た。宗教の研究は、革なる理論の穿竪や、拾い知性の問題に限らるべきではない、咲い心情の問題こそ、 寧ろ造かに重要である。きっLた立場が、そもくの出番鮎から、宗教心理螢に輿へられて、それを決定的に方 向付けてゐた。勢ひ、過去牛世紀に訳けるその研究に於いては、教義偏重の宗教観正封する闘争が、常にその標 識となつて釆鷲そして、宗教解除に於ける感情的乃至情締的要素の問明に、撮も即著な成果を黎げる結果とな つたのである。 斯様な方向を執ることによつて、宗教心理畢は、確かに一つの使命を果して釆た。今日では、教養のみを宗教 宗教心和琴に於ける政和の位置 6ゥ7
の本質的要素とする見解は、一般に殆んど全く清算されるに室つたと云つてよい。放牧、法敬の情、紳坐感等、 情緒的要素が、宗教意識の中で重妥な低塩を占めることが、充分に認識されて郊た。併し、斯様な成果の反封側 には、宗教心理箪に於いては、宗紋意識内の知的要素の存在とその作用とが、全く閑却︺Cれた結果になつてゐる と云ふ他の面のあることを忘れてはならない。単に紙の上に書かれた教理や、観念的な推理の封象となる数理は、 もとより之を宗教心理事の問題とする必要はない。併し、常事者の心中に抱懐され、そわ︰小牧髄臓の内部に髄液 された教頭が、如何なる心的意義を持ち、宗教的な感情や情緒に如何なる影響を輿へるかと云ふことは、本舛、 極めて重要な意味を持つた問観である。この鮎を看過しては、宗教意識の本質に封して完全適確なる把握を望む
t ことば困難と云つてもよい。此虞に宗教心理撃は、兵衛すべき鯨地む持たないであらうか。此の意味忙於て、知
的要素や数理の作用を、宗教心理畢の分野内の問題として、もう一皮顧みて見る必要があるのではないかと思ふ。 今、関越の所在を簡明にする焉に、一つの例む嚢げて見よう。 靡く一般的に常套れてゐる宗教的な行の形態の一つに、定型をなした短い聖句を繰返へL繰返へし訴唱して、 宗教的醍験を深めて行くものがある。これは、まづ、外形的な立場から視察すれば、比轍的簡革な行為に封Lて、 精細を集中し、長時間に亙つて反復拍緯すると云ふ行の一般的條件を、極めて適切に満たLてゐるものである。 襲撃機能と璃覚とに輿へられる適綿たる刺戦が、行の中心的要素となつてゐ︰/uのである。併L、注意深く槻察す ると、この行を構成してゐるものは、単に、それ等の偉件のみではない。もう一つの重婁な條件とLて働いてゐ るものに、諦唱される聖句の中に盛られ空コロ其の意味内容がある。例へば、ある場合には、南無阿爛陀俳と桝へ ㍍敢心理単に於ける教理の位檻 中挿られ、又、ある場合には、南無妙法蓮聾経と唱へられる、その唱へ言の内容である。今日までのぷ放心迅奥の偶 粘からすれば、詞唱の持緯により、雑念が鋲節し、心は清澤となり一、精紳が統一透徹L、特殊な浦賀感や賀在感 を含む境地が展ける、等々、心的状態の様相とも云ふべき譜鮎に封する検討説明は試みられるが、何故に、ある 人にとつては、諦唱の内容が南無阿爛陀俳でなけれぼならす、他の人にとつては南無妙法蓮華経でたければなら ないかと云ふ理由、その由奔する原因、それの将来する心的準化、等に封Lては、未だ観察で及ぼない。従って、 それに封する充分な説明も興へられぬ億になつてゐる。此等の唱へ言の中には、常尊者の心底に深く信奉されて ゐる教理、理論等が反映されてゐる。︼.示教意識中の知的要素に封する関心の棉薄さが、おのづから綜む引いて、 斯様な唱へ言の内容の意義に封する観察の不足ともなつて現れてゐるのである。 斯様な角度から観察する時、この節畢な一例詑の中に含まれて、宗教心理螢の研究方向にとつて椒本的な問題 が提起せられてゐるのを見る。情緒的車両に封する研究は、もとより托ぎなく重要であるが、それと併せて、知 的要素の役割を充分に観察理解するに非んば、宗教髄鹸の本質の全面的把握は困難ではないかと云ふ鋸であ∵㌔ 例へば、宗教現像の心理的な両に於て澱も中心となつてゐると思はれる信仰と一宇今様な問頗が、宗教心理壊の 分野で比較的疎遠に取扱はれて釆たと云ふ事覚の如きも、その一つの現れと見ることが出奔よう。信仰は、情締