九州大学附属図書館記録資料館九州文化史資料部門 所蔵「九鬼根元記」翻刻
著者 北上,真生
雑誌名 同志社国文学
号 92
ページ 246‑269
発行年 2020‑03‑20
権利 同志社大学国文学会
URL http://doi.org/10.14988/00027198
︿ 資 料 紹 介 ﹀ 九 州 大 学 附 属 図 書 館 記 録 資 料 館 九 州 文 化 史 資 料 部 門 所 蔵
﹁ 九 鬼 根 元 記
﹂ 翻 刻
北 上 真 生
本稿 にお いて は︑ 中世 末期 から 近世 初頭 にか けて 志摩 国︵ 現在 の 三重 県鳥 羽市
・志 摩市 周辺
︶を 本拠 とし た九 鬼氏
︑と りわ け織 田信 長や 豊臣 秀吉 のも とで 水軍 力を もっ て活 躍し た九 鬼嘉 隆を 中心 に九 鬼家 の盛 衰を 描い た軍 記﹁ 九鬼 根元 記﹂ の翻 刻を 試み た︒ 本記 のほ かに 九鬼 嘉隆 とそ の子
・守 隆に 焦点 を当 てた 軍記 とし て﹁ 志摩 軍 記﹂ や﹁ 志州 にて 九鬼 弐代 家物 語﹂
﹁九 鬼家 戦斗 記﹂
﹁志 州七 嶋軍 記﹂ など が知 られ る︒ 本記 は﹁ 志摩 軍記
﹂に 章立 てや 本文 が酷 似し
︑
﹁志 摩軍 記﹂ を祖 本と する もの とも 考え られ るが
︑こ のこ とに つい ては 稿を 改め て検 討し たい
︒ さて
︑本 記に つい てで ある が︑ 縦二 十四
・三 糎︑ 横十 六・ 六糎 の 竪帳 で︑
﹁先 祖書 并親 類書 控﹂
﹁志 州に て九 鬼弐 代家 物語
﹂が 同冊 と なっ てい る︒ 一丁 表に は﹁ 長沼 賢海 集蔵
﹂と 陽刻 され た蔵 書印 があ り︑ 九州 帝国 大学 国史 学科 初代 教授 の長 沼賢 海氏 によ って 九州
・瀬
戸内
・北 陸・ 北陸
・紀 州に また がっ て収 集さ れた 写本 類の 一本 であ るこ とが 確認 でき る︒ 長沼 氏の 旧蔵 書は 長沼 文庫 とし て九 州大 学附 属図 書館 に引 き継 がれ
︑九 鬼水 軍や 村上 水軍 など の海 事関 係資 料が 多く 含ま れて いる こと に注 目さ れる
︒な お︑ 本稿 執筆 にあ たっ ては
︑ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 にご 便宜 をい ただ いた
︒厚 くお 礼申 し上 げま す︒ 翻刻 にあ たっ ては
︑旧 字体 を新 字体 に改 め適 宜に 読点 を付 し︑ 判 読不 能な 文字 や異 体字 等は
■で 示し た︒ また
︑傍 点な どの 見せ 消ち は取 り消 し線 に改 めた こと を断 って おく
︒
︻翻 刻︼
︵表 題︶ 九鬼 根元 記
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二四 六
「九鬼根元記」ઃ丁表
「九鬼根元記」ઃ丁裏・丁表 電子データのため不掲載
電子データのため不掲載
先祖 書并 親類 書控 志州 にて 九鬼 弐代 家物 語
︵一 丁表
︶ 九鬼 根元 記
︵一 丁裏
︶
︹白 紙※
﹁九 州大 学図 書﹂ との 蔵書 印あ り︺
︵二 丁表
︶ 天津 児屋 祢御 廟裔 中関 白道 隆末 大織 冠鎌 足公 後胤 也︑ 藤原 九鬼 藤原 氏隆 基法 名椿 山︑ 大和 守隆 法名
星伝
︑山 城守 泰隆 法名 泰雲
︑宮 内少 輔 浄隆 法名 浄名
︑大 隅守 嘉隆 法名 常安
︑ 長門 守守 隆法 名善 光︑
︵二 丁裏
︶ 目録 一︑ 志摩 国御 神領 之節 の事 一︑ 磯部 中よ り九 鬼殿 を頼 事 一︑ 波切 殿夏 并汗 かき 地蔵 乃事 一︑ 大隅 殿岩 戸に 籠り 御城 を造 る事 一︑ 信長 公柴 田と 合戦 の事 一︑ 明知 信長 と合 戦の 事
︵三 丁表
︶ 秀吉 公御 生国 并御 他界 之事 治部 家康 と合 戦の 事 一︑ 九鬼 父子 田城 合戦 の事 一︑ 浅野 合戦 之事 一︑ 大坂 落城 并三 国丸 之事
︵三 丁裏
︶ 抑磯 部と いふ は往 昔人 皇十 一代 の御 世 天照 大神 自㆑
天く だり 給ひ て御 鎮座 し
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二四 七
たも ふに より 神戸 とも 申︑ 則志 州五 十六 郷 御神 領な りし 所追 々武 家の 押領
︑終
ニ
残申 九ケ 村相 残り 慶長 年中 より 浅野 軍 起り て九 鬼大 隅守 押領 せら れし ハ︑ 志州 の 内に 地頭 十三 人あ り︑ 小浜 に久 太郎
︑荒 嶋左 衛門
︑
︵四 丁表
︶ 浦の 豊後
︑千 賀の 志摩
︑的 屋の 治郎 左衛 門︑ 国府 の三 浦新 助︑ 安乗 内膳
︑甲 賀の 雅楽
︑波 切弥 五郎
︑ 越賀 隼人
︑和 具豊 前︑ 加茂 太城 左馬
︑鳥 羽 主水 有け るか
︑後 の禍 を帰 りみ ず彼 地頭 等 磯部 九ケ 村を 押領 せん とふ つず
︑其 所の 百 性ゐ んぼ うき ゝて 波切 殿を ぞか たら いけ る︑ 弥五 郎申 され ける ハ︑ 我舎 弟紀 州九 鬼と いふ 所に 有︑ 其心 さし いか なれ バ名 将ニ もく らか らす
︵四 丁裏
︶ 彼を 守護 可致 と申 けれ ば︑ 百性 共承 りい そ ぎ九 鬼ゑ ぞ右 馬丞 を頼 ける
︑右 馬之 丞き こし めし 我し をき 先祖 を尋 るに 天津 児 屋祢 の御 すへ 大織 冠鎌 足公 の苗 裔藤 原 第一 の類 たり
︑い かで かも つて じせ んや と︑
永禄 三年 三月 廿日 ニ磯 部に こと そハ 着れ けり
︑か くて 右馬 丞申 され ける ハ︑ 我此 度 当所 のし ゆご とな るか らハ 十三 嶋の 侍達
︵五 丁表
︶ に振 舞申 度候 間金 子拾 三両 持参 有べ き と申 さる れハ
︑早 速ニ 相調 右之 金子 ニて 酒 肴を 取そ ろへ 十三 嶋の 衆中 をさ ま〳 〵に もて なし ける
︑右 馬之 丞申 さる ゝハ
︑我 身ふ せ しな りと いへ とも 此度 七郷 の守 護と なり 候へ は︑ じこ ん以 後人 数一 ぶん に召 加ら れ被 下 候︑ いく 何程 か喜 悦に 候と 申さ れけ れは
︑誰 か異 儀に 及者 もな く皆 一統 した りし が︑ 連中
︵五 丁裏
︶ 申さ るゝ ハ︑ 我々 勢州 多気 の国 司へ 毎年 出仕 致し 候や
︑此 上は 貴殿 一人 名代 ニ頼 べ しと 頻に 申さ れけ る時
︑う んと は云 なか ら うた てか りけ る次 第也
︑右 馬丞 きこ しめ し かく こん いむ に致 す上 ハ何 角い はい 申べ きと て︑ 其後 右馬 之丞 只一 人毎 年出 勤致 され ける
︑或 時多 気国 司仰 出さ るゝ
︑毎 歳
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二四 八
出勤 おこ たら ず候 段神 妙に ぞん ずる なり
︑
︵六 丁表
︶ しか しな から 外拾 三人 の者 共相 つと めざ る 処甚 もつ てき くわ ひや 急ぎ ひや うじ 催し 責亡 すへ しと 申さ れけ れバ
︑右 馬之 丞承 り十 三志 摩を 責ん こと 大義 なり と いへ とも 成ル
間敷 義ニ も御 座候 まゝ
︑志 摩二 郡 の所 某ニ 下し 給わ らバ
︑早 速切 とり 申へ しと 言上 せら れけ る︑ 国司 は後 の災 も 帰り 見ず 志満 二郡 ご奉 書を 下し 給ひ
︵六 丁裏
︶ ける
︑是 けん むの 古昔 へ尊 氏東 八ケ 国の 冠 領と 思慮 なく 清位 将軍 の院 宣を 望し に 下し 給ふ に異 なら ず︑ 浅ま しか りけ る次 第 也︑ かく て右 馬之 丞も 磯部 に帰 り軍 の計 謀を ぞし られ ける
︑鳥 羽に は主 水 とて 智謀 勇士 の侍 あり
︑右 馬之 丞に 幸 の娘 あり けれ ハ︑ 是を 主水 へ遣 し親 子の 営し の成 る︑ 右馬 之丞 思し 召ハ
︑波 切殿 主水
︵七 丁表
︶
三人 とし て責 めな ば嶋 々の 侍共 大方 にハ 責 落さ んと 計を し催 けれ ハ︑ 都合 三百 余人 有へ しと 心の 内ニ ゑみ を含 め頓 而弥 五郎 殿主 水殿 をか たら ひ申 さる ゝハ
︑我 此度 志摩 二郡 の所 一 円は いり やう 仕り 御奉 書頂 戴致 した り︑ 然上 は嶋 中江 触状 を廻 し異 儀に 及ハ ゝせ め 落さ んと 評議 一途 に極 り廻 状を 出さ れけ る︑ 此趣 国中 へ触 状一 味な きゆ へ戦 ふ事 此度
︵七 丁裏
︶ 嶋二 郡の 所一 円拝 領仕 り御 奉書 頂戴 の上 ハ 不時 に此 方の 下知 に随 ふへ し︑ もし 違背 の輩 にお ゐて ハす みや かに 退辞 すへ き︑ 上仍 而廻 文の 状一 札如 件︑ 永禄 十一 年辰 八月 日︑ 此趣 をみ るよ りも 昨今 迄明 友の 交り を給 し 身ハ いか でか 手下 につ くべ しと 皆同 心の け しき ハな かり ける
︑右 馬之 丞安 から す思 われ
︑
︵八 丁表
︶ さあ れハ 責寄 んと 其勢 都合 弐百 余人 先 浦殿 を責 かく る︑ 海よ り兵 舩五 拾艘 陸ハ 右馬
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二四 九
之丞 責か くれ ハ︑ 舩と 陸と には さま れて の かれ ぬ用 とそ なか りけ り︑ 多勢 に富 お しま ずし 爰を 最期 と飛 立て 追つ 懸つ 戦バ
︑浦 方終 に付 負て 味方 も数 多討 るれ ハ︑ 浦殿 今ハ 叶ハ しと 高所 にか けあ かり 御 腹こ そハ 召れ けり
︑実 武士 の身 の上 の昨 日に
︵八 丁裏
︶ 替る 有様 ハ哀 れは かな き次 第也
︑亦 荒 嶋の 左門 何と かお もわ れけ ん︑ 一戦 も向 わず して 降参 に出 られ ける
︑其 勢に 責よ とて 小浜 口江 こと そハ 押寄 たり
︑小 浜も 覚悟 し たり けん
︑主 水山 に登 り佐 田八 反田 陳を 取 石火 矢や 炮ノ ひや 打か け〳 〵火 花を ちら して 戦た り︑ 中に も主 水は 智謀 ふか き人 なれ ハ︑ 三ツ 巴の 紋の 簱を さし 懸処 かし この 松
︵九 丁表
︶ にゆ ひ付 大勢 に見 ぜか けお めき て掛 ハ︑ こハ 如何 に百 姓共 歎き 悲し む其 声ハ 大行 願 の苦 みも かく やと 思ひ しら れた り︑ 猶百 千の 電の 今身 の上 に疼 類々 と気 も魄 も身 に
そま す︑ 親ハ 子を すて 子は 親を 捨て 谷よ 崖 よと さま よい しハ むざ んと 云ふ もあ まり 有︑ 主 水ハ 一方 の大 将に て此 所に 支し がい か成 事 にや
︑あ また の狐 とも 処か しこ にて 主水
︵九 丁裏
︶ 〳〵 と啼 こゑ の多 くの 耳に 留り しゆ へ 主水 山と 名付 しハ 此と きよ りと きこ へ けり
︑暫 くあ れハ 小浜 の勢 少し 下に 待か くれ ハ夫 遁す なと 寄か けし
︑無 二無 三に 切さ つ れハ
︑多 勢に 無勢 かな わし と小 浜殿 の智 略に て竹 たば に火 を付 道々 に支 ゑ其 身 は先 へか けぬ けし
︑は や小 せき より 舩に 乗 三州 さし て落 られ けり
︑家 康公 の御 代に
︵十 丁表
︶ 小浜 の民 部と 聞へ しは 此人 の事 なり けり
︑ 其後 千賀 志摩 殿も 落ら れけ り︑ かく と聞 より さき 嶋の 地頭 和具
︑甲 賀︑ 安乗
︑的 屋︑ 右の 衆中 皆々 国府 へ相 詰相 候致 被成 ハ︑ 我々 一途 して さき しま 中の 勢を 招き 兵粮 あま たつ め置 て籠 城せ バ︑ 九鬼 元よ り鬼
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二五
〇
にも せよ
︑五 年十 歳責 とも 中々 以落 まじ き︑ はや たい くつ と見 へた る折 一度 にど
︵十 丁裏
︶ つと 押寄 なば など か勝 負を 決せ んや
︑ 乍去 かゝ る平 地に てハ かな ふま じ︑ 越賀 の宿 にて その 陣所 わけ てハ 隼人 軍 術智 謀人 なれ ハ︑ まつ 〳〵 越賀 江立 越 やと 皆々 同心 した りけ り︑ 道も 程な く 隼人 の館 頼み まし ゆう とて 申さ るゝ
︑取 次 間も なく 隼人 立出 夜ぶ んに 及飛 打そ ろふ て路 来駕 以成 御事 やと 尋ら れ
︵十 一丁 表︶ けれ ハ︑ 右の 趣あ ら〳 〵語 られ ける
︑隼 人よ ろ こび 先こ なた へと 障子 入俄 に軍 にの 用意 し其 勢凡 三百 余人 用心 厳敷 かた め ける
︑早 腹切 には 是を きゝ 先嶌 の勢 求ん と廻 状を 遣し けれ 共︑ 先嶋 の百 性共 何方 へ 付へ きや と随 ふと 云ふ 者も なく 心に みへ にけ る︑ 右馬 之丞 ハ兼 てよ り此 由を きく より も 無二 無三 に責 かく れと も︑ 中々 落へ き気
︵十 一丁 裏︶ 色な かり せば
︑様 々智 略を めく らし 旦 暮軍 をこ とゝ して 二年 三と せ責 らる れ ど︑ いつ れ勝 負も 見へ さり けり
︑か くて ハす まじ と智 略を めく らし 浦村 のを のニ のた つを 儹ヒソカ に遣 し︑ 国府
︑甲 賀︑ 和具
︑此 三人 をか た らんわ れけ れハ
︑是 ハ内 々同 心の けし ゆし るれ ける
︑ 隼人 此志 をみ るよ りも かや うに 人の こゝ ろの こし かへ るも の哉
︑お くひ やう なり かな
︵十 二丁 表︶ とハ 思へ ども
︑我 また いか 成こ とに てか へり 討に あわ んも はか り難 しと 是非 なく 一味 しら れけ り︑ 一時 のは かり こと にて 死す る理 有︑ 扨 にそ 志摩 二郡 はふ じに 成に けり
︑因 茲九 鬼勢 日に 増し けり
︑此 上志 摩二 郡所 我一 人の 押領 にせ んと こゝ ろの 中に 悪心 面に 見せ ず︑ 何心 なく 聟か 主主 水を 呼寄 申さ れけ るは
︑角 まて し給 ふ聞 しに わ
︵十 二丁 裏︶ ずか 成志 摩国 兄弥 五郎 殿と 貴殿 と我 三人
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二五 一
の分 取に して ハ少 地な り︑ 其元 向て 弥 五郎 殿を 打取 へし
︑さ あれ ハ或 弐人 の 横領 に聞 んと 何心 なく も申 ける
︑主 水は 計略 とハ つい 知ら す︑ 何条 子細 のあ らん や と荒 嶋左 門加 茂左 右馬 其外 あま た引 具 して 仁義 をそ むか し︑ おぢ の討 手心 なら すも 向わ れし ハ不 運と は云 なか ら後 にそ 思ひ
︵十 三丁 表︶ しら れた り︑ 波切 殿御 夢并 汗か き地 蔵の 事 有夜 波切 殿御 夢に 魚鼡 まて 猫を 喰と 云 文字 なげ しの 上に あり 〳〵 とあ らわ れた り︑ 如何 成者 のわ さな らん と怒 御声 にて 其 侭夢 ハ覚 にけ り︑ 尚も 不思 儀に 思召
︑常 に御 信仰 有し 地蔵 菩提(薩カ
を)
汗に ひた して おわ しま す︑ 是よ り今 に至 まて 汗か きの
︵十 三丁 裏︶ 地蔵 とて 波切 の里 に残 し有
︑さ れは 大 剛心 人な れハ
︑あ やし みを 見て あや しま す あや しみ まて 破る とか や︑ 何条 事の
有へ きと 押は かり しと 浅ま しき
︑ほ どな く 主水 どつ と押 寄︑ 大音 上し ゆう と右 馬 之丞 の下 知を 受道 なら ぬ討 手と ハ云 なが ら無 是悲 推参 仕乍 恐御 覚悟 御腹 をと 呼わ つた り︑ 波切 殿御 夢夢 の告 とそ 思ひ
︵十 四丁 表︶ あた れと も︑ 兼て 覚悟 も有 され ハ︑ 弓よ 鑓 よと ひし ぬて うち 早切 かく る敵 の大 勢 あわ てふ ため き戦 たり
︑寄 手は 聞ゆ る 剛の 者ぎ より ん
(魚 鱗に 陣の こと カ)
くわ くよ く入 れ候
︑討 つ討 れつ 戦ば 手負 ハあ また 其数 しれ す︑ 遁難 なく 見へ けれ ハ終 ニ波 切殿 も御 腹こ そハ めさ れけ り︑ ちん しん 未舟 津迄 来ら さる に又 九鬼 より 主水 への 討手 あま た
︵十 四丁 裏︶ の軍 勢時 をど つと そ上 にけ り︑ 主水 方に ハ思 ひも よら す扨 こと そ討ハカリ こと にて 有け るか
︑無 是 悲も 次第 也と 無二 無三 に切 て出 命 おし ます 戦へ バ︑ ふせ ぐへ きよ ふな し︑ ぜひ なく 是も 討死 被成 候は 哀は かな き有
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二五 二
様な り︑ 福は 人の 員来 らざ るを 招く は 禍の もと ひと 世の 諺も おし はか り︑ 兄を 討聟 を討 後の 員行 すへ のい かのニ あ
︵十 五丁 表︶ らん と野 も山 もさ ゝや く人 ニそ 多か りけ り︑ され とも 九嶋 の人 数と て天 の乙 部大 富小 作 長野 雲林 院田 丸九 鬼一 統に て多 気 国司 のば つ家 にこ そハ 成に けり
︑は や世 も納 りし と見 ゑに ける に︑ 国司 より 仰出 さる ゝハ
︑此 上志 摩二 郡の 年貢 の処 五分 壱此 方へ 上納 有へ きよ し︑ 右馬 之丞 心 外に や思 われ けん
︑
︵十 五丁 裏︶ 九鬼 信長 公に 戦面 し多 気亡 す事 其頃 尾張 国に 小田 信長 と云 ふ人 有︑ 此先 祖を 尋れ ハ︑ 平相 国清 盛よ り廿 一代 の後 胤な り︑ 武剛 他に こへ 給ふ ゆへ 先駿 河国 今川 義元 を討 とり 三州 遠江 をし たか へ 美濃 の岐 阜に 居城 仕給 ふ︑ 爰に 勢州 大河 内中 納言 友則 とい ふ人 有︑ いま た信 長
に仕 勤な かり けり
︑信 長や すか らず 思
︵十 六丁 表︶ めし 頓而 討手 を遣 され ける
︑其 人ニ 九嶌 不残 責か くれ と落 へき 気色 見へ され バ︑ 信長 公使 者を 以て 申出 さる ゝハ
︑此 度の すい さん 中々 其許 にて きた ひ致 すニ あら す︑ 世を しづ め誠 にお さめ んと の事 なり
︑ 頓而 信忠 を聟 に遣 され けり
︑其 時右 馬之 丞信 長公 へ初 て対 面被 成け り︑ 其よ り 近付 に致 され たり
︑友 則思 召す ハ︑ 信長 の
︵十 六丁 裏︶ 孫聟 なれ ばと て田 丸に そ居 城被 成 けり
︑信 長き ゝ給 ひ悪 くき やつ かな と思 し めし 右馬 之允 を討 手に 頼れ ける
︑ じす る に詞 なく 其勢 弐百 足余 騎多 気の 御所 ゑ ぞ押 よせ 無二 無三 に切 立れ ハ︑ 兼て 覚 悟も あら さる ゆへ たま りも あへ ず責 落す
︑ 夫よ り今 に至 るま て国 司の 跡ハ 古木 斗 りそ 残り ける
︑其 時の 勲功 によ つて 九鬼
︵十 七丁 表︶
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二五 三
大隅 守と 改名 す︑ 誠に 名将 也︑ 末世 に其 名を のこ しけ り︑ 大隅 守殿 岩戸 に籠 り城 を造 る事 有時 大隅 守殿 恵 利 原
(志 摩市 磯部 町恵 利原
天)
の岩 戸に いさ ゝか 神領 有之
︑神 々に こそ 祈ら れけ る︑ 夫猿 田彦 大神 ハ天 神七 代の 御時 うづ らの 鳥尊 御尊 躰本 地を 尋れ バ︑ 愛染 明王 とも げん じ 亦ハ 山祇 の神 とも 承て あを き︑ 願わ くハ
︵十 七丁 裏︶ 城槨 にす へき 所御 しん げん あれ とか ん たん のく だき 祈祷 けり
︑神 慮な どか あや また さの んと ろ〳 〵ま どろ み給 ひし か︑ 年八 十斗 の老 翁立 出給 ひ如 何に 大隅 汝に あた ふる 山あ り︑ 其形 ち須 祢山 をか た どり 前に は海 をか ゝゑ 後に は山 をか ゝゑ 須祢 に四 州を かた どり しゆ へ志 州と なそ ろふ 也︑ 白鳥 と成 て飛 去給 ふ︑ 大す み殿
︵十 八丁 表︶ 夢覚 てふ しぎ に思 召給 ふ︑ 折ふ し何 国 より とも 知ら す山 鳥一 羽飛 来る
︑大 隅殿 見
給ひ 此鳥 のと まら んか たゑ おも むく へ しと
︑是 まさ しく 神の おし へな りと 旧 を慕 ふて 程も なく 戸羽 山に てそ おり 居た り︑ 是そ と立 よつ て見 給ふ やに
︑萱 葦の 庵あ り︑ かゝ る人 家も なき 所に 寺 の有 ける こと そ不 思儀 やと 立寄 見給 ふ
︵十 八丁 裏︶ に︑ 御た け八 尺余 りの 千手 観音 おわ し ます
︑い かさ ま堂 寺も 可有 哉と 尋ら れけ るに
︑ こと すさ まじ き鬼 女あ らわ れ出 其声 琶 琵を 弾に 似た り︑ 大隅 見給 ひ汝 如何 成者 成そ 名乗 と有 けれ ば︑ うん とも いわ ず飛 か ゝり 得た り︑ やお ふと 飛違 ひ水 もた まら ず 首打 落し どふ ハ此 方に たち まち に首 は谷 へそ 飛行 ける
︑仍 此所 をび わか 首と そ名
︵十 九丁 表︶ 付た り︑ 暫有 て南 無奇 妙ち やう らい 大 慈大 悲の 観世 音菩 提ね かわ くは 此山 たま われ とく わん 稔無 し︑ 御尊 躰を 堀の 上に 移し 奉り 堂を 立観 音を あん ちし 給ふ
︑誠 ニ
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二五 四
有難 き次 たひ なり
︑ 鳥羽 之城 を建 る事 并ニ 大坂 責之 事 其後 十三 所の 城を 集め 一国 壱城 と造 られ ける
︑夫 より 山祇 神の 社を 立武 運長 久の
︵十 九丁 裏︶ ちん しゆ とこ とそ ハし られ けり
︑夫 神ハ 敬ふ によ つて 位を 増人 は神 の徳 によ つて 運を 与ふ
︑陰 徳終 ニあ らわ れ丹 誠無 二の 御宿 願 実有 難き 次第 也︑ 其頃 大坂 には 御坊 と て門 徒坊 有︑ 西国 四国 の年 貢を 納さ せ中 々 繁昌 とき こへ けり
︑信 長思 召は 我天 下の 政道 をし て何 くら から ぬ身 なれ とも
︑大 坂 御坊 を亡 し我 すみ かと して 諸士 に
︵二 十丁 表︶ 仰け り︑ 皆々 承り 実は なる 御事 也︑ 其勢 五 百余 騎大 坂さ して 押寄 る︑ 御坊 方に もあ また 討死 して 一先 さつ とひ きた りけ り︑ 信長 も いか ニせ はや と大 隅云 ひけ れハ
︑元 より 大す み 軍剛 の人 にて 申さ るゝ ハ︑ 只此 上ハ 堺口 ニて ふせ がせ 兵粮 責ニ 致し なば 只一 戦に 責落
さん 事我 たな 心の 中に 有と 詞を のこ さる す申 され ける
︑さ あら ハ其 元向 て打 取よ
︵二 十丁 裏︶ と︑ 下知 に随 ひ押 寄て 頃ハ 天正 四年 三月 朔 日に 程な く境 に着 にけ り︑ 日本 丸の 八方 に石 火 屋を しか け置 今や 〳〵 と待 居た り︑ 御坊 方ハ かね て此 よし を聞 より も西 国四 国 の軍 勢を 催し けれ ハ︑ はや 兵粮 七百 艘 大坂 に漕 寄て 弓鉄 鉋石 火矢 炮火 屋打 かけ し︑ 爰を せん とそ 戦ひ しか
︑大 隅は 下 知を なし 兼て 用意 の石 火矢 を一 度に
︵二 十一 丁表
︶ どつ とき りは なせ ハ︑ さし もに 勇む 西国 勢 四方 八方 に逃 ちつ たり
︑の がさ し者 をと 追懸 て爰 に切 ふせ かし こに 切捨 切立 〳〵 戦ハ 海ハ 血汐 に染 なし て紅 を流 する こと く也
︑扨 其後 ハ西 国の 通ひ も絶 けれ バ︑ 兵粮 につ ゝれ はて 今ハ 是迄 叶し と降 参と ぞ申 され け る︑ され 共信 長は 情有 人ニ て京 都六 条を わた され けり
︑今 の東 し門 跡是 なり
︑夫 より
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二五 五
︵二 十一 丁裏
︶ 大す み殿 ハ加 給ぞ くし ゆと 成給 ふ︑ 其時 伏見 門ニ て門 徒を 取︑ 今の ふし 見門 是也
︑ 信長 公柴 田と 合戦 之事 比ハ 天正 十三 年︑ 越前 国柴 田勝 家と て武 勇の 達者 有︑ 諸士 をか たら い日 本半 国柴 田に 同心 し たり しか
︑九 鬼も 明知 日向 守藤 藤大 学柴 田 の一 類を かた らい ける
︑然 処に 明知 被申 ける は︑ 近々 に急 き責 なば 信長 をや 用意 をし たり
︵二 十二 丁表
︶ けり
︑去 程に 信長 ハ九 嶋二 嶌迄 二ツ にせ んと 五月 廿日 ニ尾 張国 を立 給ふ
︑亦 爰に 誰誰 告た りけ ん︑ 九鬼 新宮 柴田 こそ 明早 々御 所へ 押よ せん と着 致し 候と 申け る︑ 信長 公御 聞 にお とろ き給 ひ︑ 早く 討手 を遣 され と家 康公 へ仰 渡さ るれ ハ︑ 間宮 権左 衛門 小浜 民部 を初 とし て其 勢都 合五 百余 騎爰 やか し こに 時を どつ とぞ 上火 花を ちら して 戦
︵二 十二 丁裏
︶ ば︑ 何角 ハも つて たま るへ き柴 田が 首ハ
忽に 枯木 の枝 と飛 ちつ たり
︑此 勢に 責 寄れ ハ︑ 九鬼 新宮 ハけ つ気 の勇 士鉄 鉋石 火矢 打か け〳 〵時 の声 矢さ けび の音 天地 を動 かす
︑此 にて しゆ らど うじ やう もか く やと おも ひ知 られ たり
︑寄 手も 聞ゆ るこ う の者 討つ 討れ つ戦 ば︑ 九鬼 新宮 も討 負て 尾張 さし て落 んと せき 舟に 乗う つれ ハ︑ 川
︵二 十三 丁表
︶ 口に 竹網 をは り舩 を出 さん やう もな かり けり
︑大 隅と んち の人 なれ ば︑ 塩の よと みし 其折 ふし 古ご も古 笘ひ ろひ あけ 竹あ みに なけ かけ させ 塩干 にさ れて 焼捨 たり
︑ 敵の 大勢 是を 見て した り〳 〵と いふ 声 にし ばし ハな りも やま さり しか
︑遁 さし 者 と立 出る は︑ 小浜 民部 の内 有竹 弥左 衛門 是に 有と 名乗 かけ
︑い かに 大隅 小兵 なれ
︵二 十三 丁裏
︶ 共さ び矢 一す し参 らせ ん︑ 受取 て御 覧候 へ と︑ 三人 張に 十五 息さ し告 ひや うど 切 ては なせ ば小 舩の 帆を まく には 勢障
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二五 六
らぬ てひ にて おわ しけ る︑ 追手 の人 ニ是 迄 見て 戦ふ にも どろ ふか く人 馬の 通ひ あら され は︑ しば しね てい たり ける
︑は や 程も なく 満汐 ニ敵 も味 方も 舩う かみ け れバ
︑中 ニも 間宮 権左 衛門 小浜 民部 はや 舩
︵二 十四 丁表
︶ を押 立さ せけ つ気 には やる 権左 衛門 やぐ らの 上に 懸上 り押 や〳 〵と ざい 打ふ り てき せん ま近 く成 けれ ハ︑ 弓と 矢取 て 打つ がひ 切て はな せバ
︑あ やま たず 村田 七 太夫 がも ゝに すつ はと 立ら れ面 目も なき て いな るが
︑元 より 七太 夫鉄 鉋の 名人 なり しか
︑大 筒に 拾六 匁玉 薬を こみ 弐丁 あと より ねら ひか ため 切て はな せば
︑忽 に間 宮か むな 板イタ
打と をし
︵二 十四 丁裏
︶ 海え かつ はと 落入 たり
︑此 勢に 恐れ てや
︑跡 より 寄く る者 もな く︑ さあ 押出 せ軍 兵共
︑ 虎の 尾を ふむ 毒蛇 の口 をの かれ たる 心ち して 志摩 の国 へそ 急き 行こ ゝろ の内 そ 無念 なり
︑
信長 公明 知に 討る ゝ事 其こ ろ信 長公 は九 州二 嶌を しづ めん と京 都ニ て諸 軍勢 を待 給ふ
︑爰 に明 知ハ 信長
︵二 十五 丁表
︶ のば つか につ かす 丹波 の亀 山よ り引 返し 六月 二日 の夜 軍中 ニ本 能寺 へ押 寄け り︑ 信長 方 にハ 御覚 悟も あら され ハ︑ ふせ ぐひ やう しも なか りせ ば︑ 終ニ 明知 に討 れけ り︑ 此勢 に二 条の 御所 へも 押寄 する
︑信 忠ハ 軍術 あれ とも 多勢 ニ叶 わし と御 生害 被成 けり
︑ 運の 極そ 是悲 なけ れ︑ 此信 忠ハ 神社 佛閣 を 焼は らい 給ふ ゆへ 山王 権現 の御 たゝ りと
︵二 十五 丁裏
︶ そき こへ けり
︑積 悪の 家に は陽(余カ
殃)
有と は 何や らの 事を 申へ きや
︑夫 より 光秀 天下 の せい ばい をし たま ひし か︑ 国の おこ り一 日も やす から す︑ 天正 十三 年三 月廿 日山 﨑に て 軍の 仰定 なさ れけ り︑ 爰は し羽 筑前 守 西国 え趣 かれ しか
︑此 由を 聞よ りも 急き 帰洛 し山 﨑を 取か こみ 無二 無三 に切 立れ
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二五 七
ハ︑ 光秀 勢ひ 絶し とい へど も︑ 天罰 の加 るゝ 所
︵二 十六 丁表
︶ なく
︑終 ニ羽 柴筑 前守 久吉 に討 れけ れ︑ 此明 智か おゐ たち ハ 久保
公 方
のヘ
足軽 たり しか
︑有 時大 黒を ひろ ひけ る︑ 藤堂 仁右 衛門 是を 見 て大 黒ハ 日に 千人 のか しら をす へき す いそ ふや と申 ける
︑明 智き ゝて 日々 千人 のか しら をし て何 にせ ん︑ ねか わく ハ三 日 でも 天下 をと らん こと そと 彼大 黒を すて けり
︑去 によ つて 明智 か天 下て 三日 持と ハ此
︵二 十六 丁裏
︶ 事な りと 云伝 へけ り︑ 其時 又藤 堂仁 右衛 門 ハ舛 を枕 にし て居 られ しか
︑明 智か いわ く︑ 其元 此由 を今 より 日々 千石 づゝ 取ら んと 云 ふ︑ 其夫 より 日々 ニ千 石宛 卅五 万石 余ニ なり 給ふ
︑去 に依 て羽 柴筑 前守 久吉 ハ 信長 公の 御子 信孝 公を かく まい おわ せ しか
︑去 共世 ハ静 謐に にお さま らず
︑依 之尾 張の 野間 の内 海に 忍び おわ せし か︑ 久吉
︵二 十七 丁表
︶
つく 〴〵 思し 召ハ
︑天 下ハ まわ り持 とい ふ こと 有︑ 我信 孝を 討取 べし と思 ふ心 そ道 なけ れ︑ 信孝 さと くさ とり 給ふ て︑ 御辞 昔 世 より 主を 内海 の野 間な れば おわ りを まて やは じハ ちく ぜん とあ そは され 御年 弐拾 六歳 にて 御腹 こ そは めさ れけ り︑ 主の 御お んを わす れた る
︵二 十七 丁裏
︶ 後の 報そ 恐ろ しき
︑さ れ共 羽柴 筑前 守 ハも らい 勇猛 の人 なれ ハ︑ 国々 をし たが へ御 名を たい こう 秀吉 と改 天下 を心 の侭 に納 給ふ
︑然 とこ ろ︑ 相州 小田 原ニ ハ北 条左 京大 夫云 者あ り︑ かれ ハ出 仕な かり けり
︑よ つて 秀吉 忠を 討手 に取被 遣け り︑ 舩手 にハ 九州 嶋津 其外 九鬼 大す みわ き坂 中将 先陣 後ぢ んを あら そひ 一度 にど つ
︵二 十八 丁表
︶ と押 寄れ ハ︑ 舩と 陸と にか こま れて のが れ 難な き小 田原 勢死 物狂 と戦 へと も︑ 何か
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二五 八
わ持 てた たる へき
︑同 し枕 に死 てけ り︑ 位勢 ハ猶 もゆ ふし けれ
︑頃 文禄 元年 春の 半成 しか
︑世 もお さま りし 御よ ろこ びと て 諸士 を招 き御 酒宴 の折 から
︑太 甲仰 出さ るゝ ハ︑ 其神 宮功 牛后 ハ三 韓を 責給 ひ右 大 将頼 朝は 富士 のま きか り有 てこ そ
︵二 十八 丁裏
︶ 名を 後記 に伝 たり
︑我 又三 韓を 責な ば 代々 ニ其 名を 残さ んと の給 へバ
︑中 にも けつ きの 勇士 九鬼 大す み承 り︑ 是ハ おも しろ き思 しめ し立
︑我 々ま ても 末世 のほ まれ 旁い かに と有 けれ バ︑ 実尤 なる 御事 とて 皆々 一統 した りけ り︑ 世に 高麗 陣と ハ 此事 也と 聞へ たり
︑夫 より 大甲 秀吉 公ハ 軍 勢催 し那 護屋 迄急 給ふ
︑諸 士あ また
︵二 十九 丁表
︶ 有中 にも 九鬼 脇坂 をせ んぢ んと して 九 州さ して 押寄 る︑ 打ふ し順 風に て程 なく 朝鮮 国ふ さん かい の湊 にこ そハ 着し かば
︑ 脇坂 大隅 にも 申け るハ
︑い かに 大す み殿
明宣 の一 天よ り押 よせ 唐人 共と 一戦 せん
︑ 兼々 御心 得被 成へ しと 申置
︑我 壱人 の手 柄に せん とは や抜 かけ の其 用意
︑大 舩に 取乗 小舩 四五 艘漕 つれ させ 唐人 方へ 押寄 ける
︑
︵二 十九 丁裏
︶ 夜も 天明 と明 がた に唐 人共 ハ是 を見 て およ しぬ
︑日 本舩 何に もせ よの かす なと
■(火+亡 火)
矢を 打か くれ ハ︑ 何角 ハい てた まる へ き︑ 今ハ 叶わ しヤ レ押 と一 円ニ てそ こぎ もと す︑ 跡に ハ唐 人声 々に おく 病な る日 本人 かへ せも とせ とこ ゑか くれ ハ︑ 跡も 見す して 逃か へり 面目 なげ に大 隅 殿に 打向 ひ其 に抜 懸致 し候 故御 めん
︵三 十丁 表︶ あれ と申 さる れハ
︑大 隅殿 くる しか らす とて から から と打 わら ひ︑ さぞ 見事 成御 手柄 被成 しや 御物 語候 へと 嘲笑ロウ
せら れ けれ ハ︑ 中々 はげ しき 軍立 いか 様ニ 被成 て も叶 まし 且此 度は 御無 用ニ 致さ れて 然へ しと 被申 ける
︑大 隅聞 て我 ニ先 陣
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二五 九
を蒙 り縦 唐人 はん くわ ひが 勢た り共
︑御 先祖 鎌足 公の 智謀 を持 て戦 ば何 条事
︵三 十丁 裏︶ の有 へき や︑ 計事 にそ 大事 なれ
︑続 け や〳 〵と 云ふ 声に 早乗 出す 諸軍 ぜい
︑九 鬼の 家に 名を 得た る渡 辺数 馬越 賀 隼人 和具 豊前 其外 軍勢 前後 を争 ひ日 本丸 をか ざり 立た る︑ 其け しき 三か いに やく らを 上三 ツ巴 の紋 のき し三 重に はり あけ 蓬莱 山を かざ り上 伊勢 磯部 両太 神宮 の御 祓を 納さ せ蓬 莱山 にな わ
︵三 十一 丁表
︶ あみ を三 重に はり 小高 丸波 切丸 其外 岩下 里山 はら すと いふ
︑早 舩あ また 催し はや 貝を 吹立 〳〵 唐人 方へ 押寄 た り︑ 実蓬 莱山 もか くや と斗 夥し
︑ 唐人 方に は是 を見 て遠 かゝ りよ り責 かけ よと 鉄砲 石ひ や打 かく れハ
︑縄 あみ に請 とめ て皆 海中 へ落 入ハ
︑舟 に障 りハ なか りけ り︑ 間近 くな れハ
︑半 弓に て受 留て
︵三 十一 丁裏
︶ さわ ぐ気 色ハ なか りけ り︑ 唐人 共ハ 歯 かみ をな し石 火矢 はな して 打み じや け︑ 火な わよ 玉よ とひ しめ きて どつ と はな せば
︑其 響き 日本 丸の 中棚 を三 尺 四方 打や ふら れ︑ 用意 の大 工此 時と 片 時に 切は ぎ塩 の入 来る 事な けれ ハ︑ さわ く気 色ハ なか りけ り︑ 其折 ふし 大 隅殿 ハ左 馬殿 と碁 を打 て居 られ し
︵三 十二 丁表
︶ か︑ 兼て 八方 にか まへ たる 石火 矢一 度ニ き つて はな せハ
︑此 勢に 恐れ 一さ んに こと そ 逃去 つた り︑ 夫の かす なと 隼人 豊後 爰を せん とそ こぎ 出し 黒舩 目か けて 押よ する
︑ま ちか くよ せて ハか なわ じと さん 〳〵 に討 かく る︑ 矢に おも てを むく へ きや うぞ なき 所ニ
︑隼 人の 内に 曽祢 谷善 七西 岡平 作小 高丸 の先 に立
︵三 十二 丁裏
︶ 押や 〳〵 とさ い打 ふり 飛か こと くに
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二六
〇
寄か くる
︑早 和具 豊前 こぎ 着て 黒舩 壱艘 取乗 けり
︑そ 祢や 善七 はた の耳 に矢 を弐 本い かけ られ 西岡 平作 ハ右 の足 に鎧 とふ しを さし こま れ さあ らぬ てい にて 居た りけ り︑ 爰に わき 坂中 将ハ 大隅 のと り黒 舩を 見て 隼人 か取 たる 舩に 手を とら んと す︑ 隼人 声
︵三 十三 丁表
︶ かけ て是 ハ中 将殿 に似 合ざ る致 しか たと 刀の 柄に 手を かけ 己に ぬか んと せし 所に 向よ り隼 人を 見か け鑓 八本 にて つ かん とす
︑大 すみ 殿御 らん 有︑ 隼人 ひけ と有 けれ ハ相 別に 引た り︑ 加茂 左馬 浜 嶌豊 後両 人し て小 舩一 艘に 取乗 て 其日 の軍 ハは てに けり
︑其 時四 くわ んと 云唐 人六 人生 捕鳥 羽へ 召れ ける
︑今 に至
︵三 十三 丁裏
︶ まて 其子 孫鳥 羽の 里に 有と かや
︑ 扨に そ大 隅の 手柄 の程 にそ たく ゐな き︑ 頓而 目出 度帰 朝の 太閤 御覧 有て 其日 の
軍奉 行ハ 誰な るら むと 仰け る︑ 藤堂 大 学承 りは たの ほり の早 き遅 きハ そん せね とも
︑具 足の かた に紅 のだ んだ ら すじ 付た るに そせ んぢ んな りと てそ 申さ れけ る︑ 大隅 きこ しめ し夫 は誰 か侍
︵三 十四 丁表
︶ 成ぞ と仰 ける
︑戦 の矢 のも ん付 たる ハそ ねや 善七 だん たら すじ ハ西 岡平 作 ニて 候と も申 けれ ハ︑ 御前 よろ しく 御ほ う び給 わり けり
︑加 茂左 馬は 小舩 の手 柄 にそ 加茂 左馬 頭と 改十 八石 にな られ ける か今 はあ とた へて なし
︑此 時大 隅殿 も二 三ケ 所も 御加 増を 有へ きを 田丸 に有 し 稲葉 蔵人 さわ りを なし 一国 も加 増な
︵三 十四 丁裏
︶ かり けり
︑此 稲葉 蔵人 は多 気国 司の もん やう 成し か︑ 日頃 のい しゆ をは らさ ん為 とそ きこ へけ り︑ 大隅 殿の 無念 のほ ど 後に そ思 ひ知 られ たり
︑ 秀吉 公御 生国 并ニ 御他 界ノ 事
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二六 一
大公 秀吉 公ハ 慶長 三年 八月 廿日 ニ御 他界 被成 ける
︑此 秀吉 公の 生国 ハ尾 張の 国知 多 郡中 村筑 阿弥 と云 ふ人 の子 にて 木下 藤
︵三 十五 丁表
︶ 吉と 申せ しか
︑お さな き時 より はつ めい 成 ゆへ
︑尾 張国 の守 護織 田備 後ノ
三郎 不 便に 思し 召︑ 御子 信長 公へ 付置 れし ニ︑ 主の 恩賞 をお もひ なば 信長 公の 御子 信孝 公を 守奉 んへ きに
︑恩 をわ すれ 栄 耀ニ ほこ り御 子秀 頼の 行す へも 今さ ら おも ひし られ たり
︑去 程に 家康 公ハ 天下 に心 さし 有け れば
︑国 中多 くは 下知 に
︵三 十五 丁裏
︶ した がゐ けり
︑爰 に永 尾景 勝ハ いま た 出仕 せさ りけ り︑ 家康 公ハ 福嶌 太夫 池 田三 左衛 門九 鬼長 門御 供に て其 外越 賀 隼人 青山 豊前 九鬼 豊後 有嶋 越中 豊田 五郎 右衛 門此 人々 にも 御供 にて 追々 下り 給ひ けり
︑頃 ハ慶 長春 の頃 成し か︑ 石田 治部 少輔 三成 とて 秀頼 の近 臣有
︑
此由 を聞 より もい かさ ま家 康公 ハく わん
︵三 十六 丁表
︶ 東を した かへ 天下 取ん との くわ 立な らん とし やく し内 通す
︑其 時九 鬼へ も書 翰 を以 て内 通し
︑其 口上 家康 公謀 叛く わ だて 有よ し承 て秀 頼の 御代 万歳 を祈 らん とそ んす る也
︑貴 殿同 心被 致 候て 目出 度帰 国仕 候ハ て紀 伊国 を加 増な るへ しと 使者 を持 て申 され ける
︑大 隅聞 給ひ て三 国を とれ ば爰
︵三 十六 丁裏
︶ 捨て ハ詮 なき 事と 暫く 思案 し︑ 思し めし ハ兼 ての いし ゆ稲 葉蔵 人を 此節 ニ 打取 候で はと 思ひ 絶な ん事 あら しと 治部 へ同 心な され ける 心の 内に そ浅 まし き︑ 打ふ し蔵 人家 康公 の御 供に 下ら れけ る︑ 又大 隅の 供に は越 賀隼 人渡 辺数 馬的 矢次 郎左 衛門 村田 七太 夫 此人 々を 先と して 其勢 都合 弐百 余騎
︑
︵三 十七 丁表
︶
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二六 二
三州 さし て出 らる ゝ家 康公 も関 東よ り馳 上り 岡崎 大じ ゆ寺 ニお わせ しか
︑九 鬼新 宮ハ 吉田 を争 て岡 崎へ にそ 押よ せけ る︑ 多勢 に無 勢た まら ばこ そ家 康公 もわ ずか 十八 騎に 討な され 今は 是ま て是 非な しと 己に 御生 害と 見へ けれ ハ︑ 寺僧 共刀 を添 我 々一 ふせ き仕 らん と四 句の け(偈) のは た指 出し
︵三 十七 丁裏
︶ いの ちを 捨て 戦ば
︑此 勢に 恐を なし 皆ち り〳 〵皆 ちり に成 ける ハこ ゝち よく こそ 見へ にけ る︑ 然処 に酒 井与 四郎 も 申ハ
︑出 はた の色 もあ しく 見へ 殊に 兵気 たち のぼ らず いか さま 御心 かゝ り御 座候 ハん と申 上け れハ
︑家 康公 きこ しめ し夜 ぜん あし きも んく を見 てこ そ有
︑ま づた へて 名た ぐひ なき 者と こそ 心か ゝり とぞ
︵三 十八 丁表
︶ 仰け り︑ 酒井 承り 御同 気に 被遊 と申 上る
︑ 家康 公頓 而書 給ふ
︑与 四郎 是を 読に 松た へて 石た ぐひ くさ なき はと こそ
浅か らね
︑其 時よ り酒 井雅 楽頭 と申 なり
︑ さる 間石 田治 部ハ 美濃 国せ ぎか 原に そ着 にけ る︑ 石田 治部 家康 公と 戦討 死の 事 其節 家康 公も 馳寄 上り 大垣 仁太 夫
︵三 十八 丁裏
︶ と云 人の 所に て軍 評定 被成 ける
︑亦 治部 ハ其 所に 兼川 金吾 とい ふ者 有︑ 彼を 先陣 に頼 けり
︑明 日は 未明 より 押寄 申さ んと げつ じや うし て旅リヨ
宿へ こそ 帰り ける
︑家 康公 ハ此 事を 聞給 ひ道 に待 受打 取と 池田 三左 衛門 福嶌 太夫 ニ仰 付ら れけ れハ
︑か しこ ま りけ ると 追か へる 程な くせ きか 原ニ て追 かけ 無二 無三 に切 立︑ これ ハ治 部方 覚悟 も
︵三 十九 丁表
︶ あら ざれ ハ︑ 味方 大半 討立 られ 終ニ 治部 も 生捕 けり
︑頓 而御 前へ 引出 し御 意に 任せ 急ぎ 首を そは ねた りし に心 ちよ くこ そ 見へ にけ り︑ 又大 すみ 三河 より 責上 らん 用意 の折 から 治部 殿ハ 討死 と聞 より も
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二六 三
新宮 を同 道に て鳥 羽へ こそ 帰ら れけ る︑ かつ く〳 〵思 案有 し︑ 此上 ハ長 門と 心を 合バ たと い日 本国 中か 責懸 ると も
︵三 十九 丁裏
︶ 只一 戦に 討亡 すへ き者
︑敵 味方 と隔 し事 せひ もな く世 の有 様や とあ んし わず らゐ 居た りけ り︑ 又家 康公 の御 前 にハ 長門 殿を 召さ れ仰 出さ るゝ ハ︑ 御身 の 父大 隅殿 ハ石 田治 部と 同し んし 謀叛 か首 を打 かく るへ しと 御気 色替 ての べ けれ ハ︑ 長門 上意 を承 り父 大隅 にお ゐて
︵四 十丁 表︶ 何条 左様 之義 御座 候ハ んと 再三 申 上け れハ
︑猶 も家 康公 御立 腹ま し〳 〵︑ さあ らハ 三州 を焼 討せ しハ いか 成し よ ぞん
︑ひ つ定 責上 らん 謀と 覚へ たり
︑ 治部 も打 死し たれ ハ帰 国仕 たる に︑ 極た はや 打取 かへ るへ しと 御座 を立 せ給 ひ ける ハ︑ 是悲 もな くこ そき こへ けり
︑ 九鬼 父子 田城 合戦 の事
︵四 十丁 裏︶ 夫よ り長 門守 ちか ら及 はす 鳥羽 をさ して 帰ら るゝ
︑大 すみ 新宮 此由 を聞 より も 長門 を寄 てハ 叶わ しと ふせ きか ゝれ ハ︑ 多 勢に 力不 及し て荒 嶌さ して 落の きし か︑ 此上 鳥羽 へ押 寄て 城受 取て ハ不 可有 と 磯部 と鵜 方の 間成 朝野 に陣 小屋 を構 へ軍 用意 被成 ける
︑鳥 羽に も斯 と聞 より も 加茂 の田 城に 待受 て今 や寄 ると 聞
︵四 十一 丁表
︶ 居た る︑ はや 程も なく 長門 のせ い時 をど つと ぞあ けに ける
︑時 に大 すみ はや しし に被 申ハ
︑最 て
兼 て
長か
門其 心に てあ らん
︑鉄 鉋は なす な玉 こむ な彼 か栄 へ行 とそ 目出 度け れ と有 けれ ハ︑ 承り 候と て弓 をつ かへ と矢 の根 をは つじ 鉄鉋 打と も玉 こま すふ せく 斗と 見へ にけ る︑ かゝ る所 に侍 壱人 ずつ と 出︑ 我を 誰と か思 ふ新 宮の 内に 初政 所と ハ
︵四 十一 丁裏
︶ 我事 也︑ 我と 思わ ん者 あら バ出 合や つと
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二六 四
呼わ つた り︑ 長門 方よ り越 賀隼 人お とり 出お らか まし やそ と引 なと 云ふ まゝ に抜 つ れて 切て 懸る
︑こ わ叶 わし と引 返す 所を 脇よ り鑓 にて 突か くる
︑隼 人か 内に 井上 弥五 郎懸 来り のが さし 者と 政所 か首 水 もた まら す打 落す
︑軍 の始 とし てさ ん〳 〵 にて そ戦 しか
︑楽 に勝 負も つか ざれ ハ︑ 両
︵四 十二 丁表
︶ 勢さ つと 相引 ニ︑ しは らく いき をつ いた りけ り︑ 斯る 長門 も穴 川迄 ひか れし か︑ 上下 諸共 前後 も知 らす 伏居 たる 所へ 新宮 おつ かけ 来り 時を どつ とそ あけ にけ る︑ 長門 方に ハ 覚悟 もな くあ わて ふた めき 戦け る中 にも 青山 豊後 越賀 隼人 まつ さき 懸て 切 立れ ハ︑ 長門 方ニ も叶 わし と跡 をも 見す して 逃か くる
︑ひ きや うな かへ せと 追懸 るハ
︵四 十二 丁裏
︶ あや うか りけ る次 第な り︑ 朝野 合戦 之事 猶も 浅野 引ヘ
んと て座 頭橋 にた ゞよ いし を︑
隼人 の内 ニ西 岡平 作音 ニ聞 へし 大力 なり しか
︑ 座頭 橋に て諸 手を かけ ゑひ 〳〵 やつ と引 返 ゑせ ば︑ 堀へ はま つて 拾人 余り 浮つ しつツ みつ 死て けり
︑此 勢に 戦は 即座 に死 すハ 三拾 余︑ 人々 目の まへ に有 し身 もま た〳 〵内 に消 う
︵四 十三 丁表
︶ せて 露の 命と なり し故
︑今 目坂 とハ 申け り︑ 扨其 後に 死か ひを 集め 山よ り高 く積 上て そう づか 塚と は名 付つ ゝ末 世に 古跡 そ残 り けり
︑時 代う つれ ハ新 宮ハ 今ハ 叶わ しと ぜ ひな く五 ケ所 をさ して 落行 ける
︑大 隅も 鳥羽 へ帰 らん と急 かれ しか
︑は や黄 昏
タソ ガレ
も 過行 ハ︑ くら さハ くら し雨 ハ降
︑荒 嶋山 にふ すま よい 立や すら いて おわ しま す折
︑物 語
︵四 十三 丁裏
︶ 賤女 に逢 給ふ
︑御 娘子 と思 しめ し手 を取 是 今生 のい とま ぞと 有け れハ
︑ふ り切 て逃 に けり
︑是 そま さし く城 山に て退 治有 し 鬼の けし んと 知ら れた り︑ 其時 より 此 山を 手取 山と ハ申 なり
︑世 に落 ふれ ハど ん
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二六 五
に成
■の かと にて 目を 突と かや
︑道 は 何国 とあ んし 煩ひ おわ せし か︑ 所の 者 明松 を捧 けれ ハ︑ 漸々 鳥羽 へ還 られ 其
︵四 十四 丁表
︶ 侭に ふね に打 乗一 まつ 紀州 へ立 のか んと
︑ 御供 にハ 渡部 数馬 九鬼 主膳 同舩 ニて 浦 村の おこ の左 衛門 方へ 立よ り皆 々御 いと ま給 わり けり
︑扨 おこ の左 衛門 申上 ける ハ︑ 他国 へ 御出 被成 候共 叶ま し︑ 我知 縁の 僧答 志村 に御 座候
︑是 へ御 入被 成︑ 是乍 恐御 かみ おろ させ 給へ と申 上る に︑ 大す み殿 なん しい か様 とも はか ろふ べし と答 志村 へ御 出有
︑瀬 音寺
︵四 十四 丁裏
︶ の住 寺を 頼ま れけ れハ
︑御 尤成 御事 とさ ま〳 〵か いぎ やう のも んを さつ け奉 り御 様 をか へよ せ給 ひけ る︑ きの う迄 ハ一 国の 主人 け ふは ひつ かへ せん もん たい と成 給ふ
︑世 の因 果 こそ つた なけ れ︑ 去に ても 左衛 門御 なつ かし く 思召 紀州 へ御 こし 有け れと
︑一 夜の 宿も 申者 もな く我 誤り をか へり 見て 是
悲な く跡 へか へら れし か︑ 朝熊 山ニ した しき
︵四 十五 丁表
︶ 人あ れハ しば らく しの ひお わせ しか
︑さ す が人 目を 憚り て又 瀬音 寺へ 帰り 給ふ
︑折 ふし 豊田 五郎 右衛 門ハ 長門 殿の 出仕 の御 供に 来り しか
︑此 由を きく より 家康 公へ 申上 けれ バ︑ 主の そに んを なし ける ハ憎 きや つ かな とハ 思ゑ とも
︑其 こと ゝな し青 山豊 前 を遣 され しに
︑程 なく 答志 へ立 趣上 意 の趣 申上 ける
︑大 隅ハ 住僧 に御 読経 読誦 を頼
︵四 十五 丁裏
︶ ませ 其身 もた から かに も遊 ける
︑又 長門 殿ハ 家康 公の 御前 にて 再三 なげ きし た まへ バ︑ 高野 山の 住居 かな い御 赦免 の御 状も 下候 へけ れハ
︑こ は有 難き と頂 戴し 急き 飛脚 を遣 わせ しか
︑御 生害 の飛 脚と 関の 地蔵 にて 行合 し︑ 残念 さは 限り なし
︑ せん なき 者の わさ 故に ひご ふの 死を し給 ひ しも
︑兄 のむ くひ そし られ たり
︑さ あれ
︵四 十六 丁表
︶
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二六 六
ハ長 門殿 ハ彼 五郎 右衛 門を いか ゝし てか たむ けん と堅 神村 にて 竹鋸 にて 糾せ ける
︑主 の そに んし たり つゝ 因果 の程 ぞお そろ しき
︑ 其後 長門 殿ハ きや くへ いと 云病 を煩 ひ 給い 今を かき りと 見へ にけ る︑ 医術 法術 うか ごふ 所ニ あら ず︑ 忽き やう 気の 如く ニな り︑ 我こ そな んち か氏 神山 袛神 也︑ 然 ニ大 隅ハ 兄を 打聟 を打 其天 ばつ のが れ
︵四 十六 丁裏
︶ 難く 終ニ 汝ニ 討れ にけ り︑ 汝又 親を 討其 咎お もし
︑是 因果 れき ぜん の断 なり
︑ 早々 一社 の神 に祭 り奉 るへ きと さま 〳〵 ニ口 ばし りぼ うぜ んと して 居た りし か︑ 少し 御心 よく 見へ けれ ハ︑ 越賀 隼人 申 され ける ハ︑ こじ ゆく の相 語ニ そ御 座候 ヘ︑ 能々 きこ しめ され べし
︑其 昔天 ぢく にり う わう とて 帝壱 人お わし ます
︑是 限な き
︵四 十七 丁表
︶ 悪王 成し か︑ 彼国 のか たハ らに ゐん ねん ほう しと てに んし ん有 ける か︑ 非道 のち よく
をそ びく とて 親子 三人 切申
︑是 大と ふ のゐ んの 中王 と生 れ給 ひし はゐ んく わの むく わん 為ぞ かし
︑扨 ニそ りう わう 命お わら せた まひ
︑大 とう の米 石公 と 申民 のや つこ と生 れ給 ひ︑ 終ニ ハ仲 王討 れし と也
︑我 朝に ハ新 田大 明神 菅相 丞
︵四 十七 丁裏
︶ 是皆 荒神 と祝 ひ給 ふ︑ 其た めし ふん だ成 と云 申け る︑ 是に よつ て加 茂岩 倉村 に惣 領権 現と 崇め 奉る
︑此 節数 馬主 膳長 門殿 へ奉 公に 成出 られ ける
︑ そも 〳〵 天地 開闢 より 此方 りや う 内に ハ相 あら そい 給ふ なり
︑然 に大 公御 存 生の 内に 聟し ゆう とに て有 しか
︑ 江戸 にて 御城 し給 ひけ れば
︑江 戸大 坂両 方
︵四 十八 丁表
︶ へ立 わか るに よつ て御 中不 和と 成け る︑ う ちに 謀叛 の企 思召 給ふ
︑頃 は慶 長五 年 家康 公ハ 大坂 へこ はつ こふ ある
︑ 大坂 落城 并ニ 三国 丸之 事
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二六 七
其節 長門 守三 国丸 ニ召 れ難 波の 津に 着に けり
︑此 三国 丸ハ 三国 無双 の舩 なれ ば とて 三国 丸と は名 付た り︑ やく らの 上ニ 畑を こし らゑ 菜大 根を 作り
︑舩 の中 ニ
︵四 十八 丁裏
︶ 井戸 を掘 水を 砂こ しに して 井戸 ゑ 流る ゝこ とく
︑え んし やう をし かけ 咽 喉よ り火 を出 させ たり
︑実 目さ まし くも 見事 也︑ 其外 左之 舩と て長 サ壱 丈 三尺 斗の 舟を こし らへ
︑車 ろく ろを 持 て海 中自 由に 漕も どさ せ︑ また へさ きに ハ鉄 鉋の さま をあ け西 国四 国の 兵舩 をふ せか せけ る︑ 頃ハ 元和 三年 五月 七日
︑
︵四 十九 丁表
︶ 大坂 落城 津の 国住 吉大 明神 大和 和泉 堺を こと 〳〵 く焼 亡し 同八 日秀 頼公 御 生害 被成 ける
︑不 運の 程こ そう たて けれ
︑信 よし 公の むく ゐを 侍也
︑羽 し葉 ちく ぜん の歌 のこ ゝろ 今こ そ思 ひし られ たり
︑此 時長 門殿 忠節 あり とい へど も︑
親を そむ く程 の者 なれ ハ︑ 又い か成 たく み仕 出さ んと 終ニ 忠賞 なか りけ り︑
︵四 十九 丁裏
︶ 九鬼 御国 かへ の事 ころ ハ寛 永十 七年
︑長 門殿 御子 を弐 人 有し か︑ 兄は 外し やく にて 朝熊 山に か しき をし たま い名 しゆ りや うと 申け る︑ 此人 を還 俗さ せし ま式 部二郡 の所 を渡 し ける
︑弟 ハ内 しや くに て九 鬼式 部と 申 せし か︑ 此人 を世 に立 んと て二 見七 郷 を切 取弐 万石 をそ 渡し ける
︑去 共御
︵五 十丁 表︶ 兄弟 御中 不和 ゆへ 大和 方式 部方 と申 けり
︑此 事江 戸へ 聞へ けれ ハ︑ 両人 を呼 寄 国替 仰付 られ ける
︑大 和殿 ハ津 の国 三 田︑ 式部 殿ハ 丹波 のあ やべ と聞 へけ る︑ 爰に いか 成者 の業 なら ん︑ 逢橋
(相 橋)
の御 門
(鳥 羽城 堀口 門)
のま へに 落書 な に ら刀 九鬼 を育 てし ゆり やう して 大和 の守 とい ふそ おか しき
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二六 八
︵五 十丁 裏︶ 去ハ 御中 よく まし ませ ハ︑ 是悲 壱人 ハ国 ニ まし ます へき に︑ 国を 捨給 ふ心 のう ちこ そ 本意 なけ れ︑ 一︑ 大隅 殿御 生界 慶長
月三 日よ り宝 歴九 年己 卯迄 凡百 六拾
スミ付
式部 殿よ り答 志村 瀬音 寺大 隅殿 明ヘ
料 とし て丁 銀十 枚寄 附有
︑寛 文九 酉ノ 十 長門 守家 の御 紋代 し︑ 左り 巴之 後七 ツ星 とか わり 幕簱 共ニ 至る まて 右之 通也
︑
︿資 料紹 介﹀ 九州 大学 附属 図書 館記 録資 料館 九州 文化 史資 料部 門所 蔵﹁ 九鬼 根元 記﹂ 翻刻
二六 九