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北九州産業技術保存継承センター

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Academic year: 2021

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(1)

ニホン ニ オケル テッコツ コウゾウ ケンチク ノ ドウニュウ ト ハッテン カテイ ニ カンスル ケン キュウ

開田, 一博

北九州産業技術保存継承センター

https://doi.org/10.15017/14001

出版情報:Kyushu University, 2008, 博士(芸術工学), 論文博士 バージョン:

権利関係:

(2)

77

第 5 章 第二期拡張計画 (明治 44 年以降)

ここで明治末から大正初期にかけてのわが国の鉄骨工構造建築について概観して みる。

村松貞次郎博士によると、明治 42 年(1909)に辰野金吾設計の旧国技館と佐野利 器設計の丸善書店社屋が竣工したように、明治末から大正初期にかけて、わが国の鉄 骨構造技術が一応成立した。しかし、その大部分は鉄骨と煉瓦を合成した構造材であ ったとされる1 )

それに対して明治 42 年(1909)においては官営八幡製鐵所の工場建築は鉄骨と煉 瓦を合成した構造材ではなく、本格的な鉄骨構造であり、その年に日本人技術者最初 の「景山齊」による設計で「ロール旋削工場」が竣工している。2 )

以下、ここでは日本人機械技術者「景山齊」が明治 42 年(1909)に「ロール旋削 工場」を設計した後の、大正期初期における官営八幡製鐵所の工場建築と設計者につ いて述べ、官営八幡製鐵所における工場建築の設計が、官営八幡製鐵所職員による設 計から、民間からの技術者の招聘による設計へと変わった経緯と、それに伴って工場 建築の設計が機械技術者から建築技術者に移行した経緯を明らかにする。

国策によって、官営八幡製鐵所では明治 39 年(1906)の第一期を皮切りに拡張計 画が始まり、明治 44 年(1911)には第二期拡張計画が決定され3 )、それに伴って建設 された主な工場建築4 )、設計者、使用鋼材および建築概要を表5-1に、配置は図5- 1に示す。

表5-1 官営八幡製鐵所第二期拡張計画の工場建築一覧

工場名 竣工 設計者 鋼材 建築概要

1 第二製鋼工場 大正 5

グーテホフヌ ンクスヒュッ

グーテホフ ヌンクスヒュ

ッテ

スパン 18.625m+19.556m+18.225m、

軒高 16.27m、最高高さ 27.376m 小屋組:ワーレントラス

2 第三分塊工場 大正 5

グーテホフヌ ンクスヒュッ

グーテホフヌン

クスヒュッテ 設計図面不在のため、詳細不明

3 第二中小形工場 大正 5

グーテホフヌン クスヒュッテ

グーテホフヌン

クスヒュッテ 設計図面不在のため、詳細不明

4 第三小形工場 大正 6

グーテホフヌン クスヒュッテ

グーテホフヌ ンクスヒュッ

設計図面不在のため、詳細不明

5 第二厚板工場 大正

9 横河工務所 八幡 スパン 17.48m、小屋組:フィンクトラス

(3)

78

図5-1第一期、第二期拡張計画の工場配置図(八幡製鐵所土木誌より転載)

外輪工場 第三高炉

第二製鋼工場

第三小形工場 , 第二中形工場 ,

板用鋼板工場第二厚板工場 ロール旋削工場 第三分塊工場

(4)

79

5-1.各工場の設計者

表5-1に示すように、官営八幡製鐵所の第二期拡張計画に伴う工場建築の設計者 は、操業開始時から担当してきたドイツ企業 G・H・H が主体であり、他に横河工務所と いうわが国の建築設計事務所が採用されているのが注目される。

明治 42 年(1909)の官営八幡製鐵所において、最初のわが国技術者の設計による 工場が竣工したにもかかわらず、依然、外部に設計を依頼しており、その理由として 以下のことが考えられる。

1.中心人物である「景山齊」が大正 4 年(1915)に工作科長となり5 )、時間的余裕 がなかった中で、他に設計すべき設備などがあったこともあり6)工場設計まで手 が回らなかった。

2.「景山齊」に代わる人材が不足していた7 )

3.横河工務所など民間においても鉄骨構造の設計技術を保有していた8 )

これ以外に、製鋼工場のような大型構造物の設計には、重荷重による振動対策とい ったより高度の技術が要求されるため、官営八幡製鐵所の設計技術がそれに対応でき る力量としては、まだ十分には信用されていなかったことが推察される。

5-2.各工場建築の特徴

表5-1から第二製鋼工場と第二厚板工場を取り出して述べる。

5-2-1.第二製鋼工場

明治 34 年(1901)の操業開始時における工場建築と比較して、設計者は同じ G・H・

H であるが、操業開始時の工場建築の屋根形状は丸屋根であったものが、今回は三角 屋根となっている点が大きな違いである。

理由は不明であるが、丸屋根は鉄骨加工及び建設上、何かと不都合であったことが 一因と推測される。以降、新設の工場には丸屋根形状は見らない。

操業開始時の第一製鋼工場と今回の第二製鋼工場の屋根形状の違い と各部位寸法 を図5-2、図5-3に示す。

この工場のディテールはわが国でも昭和 30 年代初期頃まで大学の教科書として使 用されたことのあるドイツ人著書の専門書9 )に書かれているものと酷似しており、柱 脚部分の図面などから(図5-4)、そのディテールは芸術品的な印象さえ受ける。

建物の設計寸法はセンチメートル単位であり、それに対応してドイツ G・H・H 製の センチメートルサイズの鋼材が使用されている。

そのロールマークは以前の“GUTEHOFFNUNGSHÜTTE NO30”から“GUTEHOFFNUNGSHÜTTE 20

G

”のタイプへ変化し、さらに工場の拡張とともに“G・H・H NP 24”や“UNION D.N.45”といったドイツ鋼材が使用されていたことが確認できたが(写真5-1)、現 在は解体されて存在しない。

字 架

(5)

80

すでに生産を開始していた官営八幡製鐵所の鋼材が採用されなかった理由は不明 であるが、官営八幡製鐵所の鋼材はインチサイズであったことも一因かと考えられる。

図5-2 第一製鋼工場断面図

(八幡製鐵所図面センター所蔵)

操業開始時の丸屋根の工場建築である。右側の棟は平炉用スクラップ溶解のためのガス発生炉建屋で、中央棟 が転炉棟および平炉棟である。そこで生産された溶鋼を左の造塊棟で受け、鋼塊にする。その吊り上げのため、

天井クレーンが架設されている。(設備を記入した図は資料編に記す。)

図5-3 第二製鋼工場妻側図

(八幡製鐵所図面センター所蔵)

5-2と同じG・H・Hの設計であるが、丸屋根ではなく三角屋根形状となっている。高さも最高27.376m

操業開始時の工場に比べて、大型になっている。(設備を記入した図は資料編に記す。)

18,225 19,556 18,225

16,270 2,770

2,376 2,813 3,147

▼27,376 13,550

15,500 7,300

▼13,100 ▼14,500

10,500

(6)

81

第二製鋼工場竣工時の大正5年(1916)になると、構造体は大型化して、リベット の本数も多くなり、施工精度の向上と相まって、表5-1 に示す工場建築はまさにリベ ット構造の芸術品的様相を呈していたが、全て解体されて現存しない。

写真5-1 ドイツ鋼材ロールマーク

(1983年筆者撮影)

GUTEHOFFNUNGSHÜTTE 20 G(左写真)や UNION D.N.45(右写真)のロールマークを読み取ることができる。

図5-4 第二製鋼工場柱脚図

(八幡製鐵所図面センター所蔵)

リベット接合による精緻な柱脚の図面が描かれている。

(7)

82

5-2-2.第二厚板工場

官営八幡製鐵所では従来、プラント一式購入という立場から、工場建築も外国に設 計を依頼する事が大半であったが、表5-1に示す大正9年(1920)竣工の第二厚板工 場は横河工務所に設計を依頼している。

その理由としては、明治 35 年(1902)に竣工した旧三井本館設計者である横河民 輔が、明治 24 年(1891)の濃尾地震からの教訓とアメリカでの鉄骨構造調査を踏まえ て 10)、旧三井本館に鉄骨構造を採用した。以降、横河工務所設立に伴って、明治 40 年(1907)竣工の鐘淵紡績洲本工場8 )(図5-5)など一連の鉄骨建築設計の実績を重 ねた8 )ことから当時、わが国の鉄骨建築の設計では、横河工務所が秀でていたことが 推測される。

図5-5 鐘紡洲本工場小屋組トラス図

(横河建築設計事務所所蔵のものを筆者撮影)

図面から非常に詳細で、洗練されたディテールが読み取れる。

鐘淵紡績洲本工場の図面を調査した結果、工場は大半が木造建築であったが、一部、

汽罐室などに鉄骨構造建築が採用されていた。

このことから、鐘淵紡績洲本工場が建設された明治 40 年(1907)当時は、まだ鉄 骨構造は木造に比較して高価であったので、鉄骨構造は耐震、耐火などの機能的に鉄 骨構造が相応しい建物に限定して、採用されていたものと推測される。

図5-5の小屋組トラスの図面からわかることは、

1.官営八幡製鐵所で設計されていた小屋組トラスと比較して、特別な違いは見ら れず、「ロール旋削工場」と同じ形状のオーソドックスなフィンクトラスの設

(8)

83 計となっている。

2.ディテールが非常に詳細で、洗練されており、「備考 リベット径ハ 四吋アン グルハ六分 其他凡テ五分トス」「目板ハ特記ノ外凡テ三分厚トス」といった記 述も見られる。

3.設計寸法はすべてインチサイズであり、縮尺について「壱吋(インチ)ヲ以テ 壱呎(フィート)トス」という記述が見られる。

4.横河民輔はアメリカの技術を学んだとされているが、この鐘淵紡績洲本工場で の設計では、ガセットプレートを詳細に設置する方式がとられており、例えば 先述の「厚板工場」の事例にある T 形の断面を使って人件費を尐なくするとい った工夫は特に見られず、むしろ鋼材を極力尐なくするドイツの考えに近いも のが感じられる。

上記の鐘淵紡績洲本工場の設計者である横河工務所が、官営八幡製鐵所の第二厚板 工場建築(図5-6)を設計したが、第二厚板工場建築の特徴は、他の建築の設計寸法 がすべてミリメートル単位であるのに対し、第二厚板工場建築の設計寸法は鐘淵紡績 洲本工場と同様にインチ単位となっていることである。

また図5-7からわかるように、小屋組上弦材の丈を大きくとり、ガセットプレー トを省略して、使用鋼材量は増加するが、加工手間を減らす効果が図られており、鐘 淵紡績洲本工場の場合とは異なった設計である。

これは「3-4-2-1.厚板工場」の項で述べた、アメリカのモルガン社設計による 明治 38 年(1905)竣工の厚板工場の事例と酷似しており、アメリカの設計技術を活用 したものと考えられる11)。(図5-8)。

図5-6 第二板工場断面図

(八幡製鐵所図面センター所蔵)

41ft1/8in 57ft5in

(9)

84

図5-7

第二厚板工場上弦材詳細図(八幡製鐵所図面センター所蔵)

T型断面にすることで全体に鋼材量は増えるが、ガセットプレートが省略できるメリットがある。

図5-8 厚板工場上弦材詳細図

(八幡製鐵所図面センター所蔵)

以上のことは横河民輔が学んだアメリカの設計技術が横河工務所の技術として伝 えられ、この第二厚板工場建築設計に活用されたことを示している。

(10)

85

5-3.「景山齊」たちの機械技術者の設計状況

明治 44 年(1911)以降の第二期拡張計画時には、「景山齊」は新たに建設すること となった東田第四高炉の熱風炉(写真5-2)や、製鐵所から発生する高炉スラグの埋 立用運搬船「運滓丸」(図5-9)といった工場建築以外の鋼構造物の設計を担当して いた12)。また、大正 5 年(1916)には、景山齊が責任者である工作科の管轄下にある 工作工場の中の、堂山製缶工場と堂山ロール鋳造工場の建設を設計及び建設主任とし て担当した12)

写真5-2 東田高炉群(大正 5 年頃撮影)

(八幡製鐵所史料室所蔵)

右端の櫓が第四高炉で、その右側の円塔が第四高炉熱風炉である。原料装入には操業開始当時は垂直捲揚塔方 式であったが、効率および安全上から第四高炉より、傾斜塔方式が採用された。(一番奥は一高炉であるが、

改修されて傾斜塔方式となっている。) 高炉櫓に隣接して丸屋根の鋳床建物と周辺には現場事務所、運転室な どの建物が見える。

図5-9 運滓丸図面

(八幡製鐵所図面センター所蔵)

(11)

86

このうち堂山製缶工場(図5-10)はスパン 20m、軒高 12m の東棟が大正 6 年(1917)、

スパン 15m の中棟が大正 12 年(1923)に竣工した。そしてその設計図には「景山」と

「片岡隆」13)の名前が記載されている。

堂山製缶工場の小屋組トラスは景山齊が設計した国産第一号のロール旋削工場の小 屋組トラスと酷似したフィンクトラスである(図5-11)。ロール旋削工場と異なる 点は、上弦材に山形鋼と鋼板を組合わせた T 形断面を構成し、ガセットプレートを省 略した、即ちアメリカのモルガン社設計の厚板工場、および横河工務所設計の第 2 厚 板工場に類似した方式としているところである(図5-11)。

一方、堂山ロール鋳造工場の図面(図5-12)には「1918」の記載と設計者の欄に

「工作科」とのみ記されている。このことから堂山ロール鋳造工場は大正7年(1918)

に景山齊が中心となって設計されたと考えられる。

堂山ロール鋳造工場はスパン 12m、軒高 10.662m の建物が 2 棟、スパン 10.65m、軒 高 14.2m の建物が 1 棟の 3 連棟の建物である。設計図としては 12 枚の図面があるが全 体的に理解しづらい表記となっている。その中で妻部分だけの小屋組かは明記されて いないが、小屋組に特徴があり(図5-13)、上弦材から垂直に束を出して、それを 大きな部材の下弦材で受ける梁構造であり、これは今までにないタイプである。

尚、基礎図は堂山製缶工場および堂山ロール鋳造工場とも、一連の図面の中に納め られていることから、基礎も景山齊たちが設計したものと推測される。

この基礎図には尾倉修繕工場図面にある上部壁を受けるためのアーチ状にした構造と 似たものが見られる(図5-14)。また材料はすべてロール旋削工場と同様にコンク リートを使用している(図5-15)。

以上のことから、景山齊はいろいろな技術を取り入れて、試行錯誤しながら設計し ていたことが考えられる。

図5-10 堂山製缶工場断面図

(八幡製鐵所図面センター所蔵)

中棟と東棟が新たに建設されたもので(両側は既存工場)、ロール旋削工場と酷似したフィンクトラス である。

東棟 中棟

15,200 20,000 15,000 2,500 9,550

10,000

12,000

(12)

87

図5-11 堂山製缶工場中棟小屋トラス

(八幡製鐵所図面センター所蔵)

上弦材をT形状に設計しているところが特徴である。

図5-12 堂山鋳造工場妻側図

(八幡製鐵所図面センター所蔵)

トラス状ではない小屋組に特徴が見られる。

図5-13 堂山鋳造工場小屋組

(八幡製鐵所図面センター所蔵)

構造の特徴は水平材が上部からの荷重を支える梁となっていることである。

10,650 12,000 12,000

10,662

14,200

12,000

(13)

88

図5-14

堂山製缶工場基礎アーチ図

図5-15 堂山製缶工場基礎図

(八幡製鐵所図面センター所蔵) (八幡製鐵所図面センター所蔵)

図5-14は数タイプある基礎の中心線から半分の断面を示しており、その基礎間をアーチで繋ぎ、上部の壁 などの荷重を支える構造となっている。上端水平面が GL を示す。上部寸法線上の各数字は各基礎間の距離が バラついているため、そのすべての数値を列記し てい るもの で ある。 図5 -15 は数 タイプ の 基礎の 一つ で、

基礎材料はすべてコンクリートである。

5-4.小結.

1.官営八幡製鐵所における工場建築の設計は、明治 42 年(1909)に「景山齊」が 日本人最初の設計を行ったにもかかわらず、大正 6 年(1917)竣工までのすべて を、依然として G・H・H に依存していた。

2.大正 9 年(1920)に竣工した第二厚板工場のみは、横河民輔が設立した横河工務 所が設計した。その手法はアメリカ技術を活用したものであった。

3.「景山齊」は、建築以外の鋼構造物を中心に設計を担当していたが、工作科の管轄 となる工作工場の建築の設計も担当した。

以上から、官営八幡製鐵所では、明治 42 年(1909)に「景山齊」が日本人最初の 工場建築の設計を行ったが、その後、大正 4 年(1915)までは即、国内技術のみで対 応する状況にはなく、依然として外国依存中心であった。そのような中、横河工務所 設計の工場が出現したという事実は、民間技術の発展が見られるという点で、わが国 の鉄骨構造建築の発展過程を考える上で、注目すべきことと言える。

(14)

89

1)『日本建築技術史』(村松貞次郎:㈱地人書館、昭和34年)pp.176-177に記述されている。

2)『製鐵むかしがたり』(景山齊:昭和392月、非売品)pp21-23記述されている。

3)『八幡製鐵所八十年史』(八幡製鐵所所史編さん実行委員会編集、八幡製鐵鉄所発行、昭和 55 年、非売品)の総合編に「国内の鉄鋼需要の激増のため、明治 44 年(1911)、第 7議会で協 賛を得て工事に着手した」とある。p43

4)『八幡製鐵所八十年史』(八幡製鐵所所史編さん実行委員会編集、八幡製鐵鉄所発行、昭和 55 年、非売品)の総合編p45に依った。

5)八幡製鐵所史料室所蔵:「高等官 官記辞令録」に依った。

6)『鋼構造物施工の変遷(総合編 明治29年~昭和25年)工作事業部歴史資料原稿集NO5』(清 水泰:昭和5812月、新日本製鐵(株)エンジニアリング事業本部プラント事業部) p29 に「工作工場の中の製缶工場拡張及びロール鋳造工場の設計及び建設主任となった」とある。

7)『鋼構造物施工の変遷(総合編 明治29年~昭和25年)工作事業部歴史資料原稿集NO5』(清 水泰:昭和5812月、新日本製鐵(株)エンジニアリング事業本部プラント事業部) p39 に「工作課長就任で鉄骨設計の中心人物がこの方面に手を出せなくなった」とある。

8)『横河建築設計事務所-80年の流れー』(株式会社横河建築設計事務所昭和5810月)の中の 年表に依った。

9)ブライヒ著書『「鉄骨構造上下」(ブライヒ、 コロナ社 1953年)

10)『横河橋梁八十年史』(株式会社横河橋梁製作所発行、昭和62年)のp57には「当時のほとん どの建築家たちが流行の最先端であるヨーロッパ志向であったのに対し、三菱の曾禰と三井の 横河民輔の 2 人だけがアメリカから学ぼうとした点に注目したい。・・・地震国日本の怖さを 骨身にしみていたのであり、・・・地震の多い先進国としてのアメリカを見てきたわけである」

「当時のアメリカ、とくにシカゴでは鉄骨を主体とする高層建築が盛んに 建てられており、こ こで民輔はカーネギ-社製の鉄骨を導入することに成功した」、p63 に「アメリカのカーネギ ー社と提携して、同社と民輔との共同設計に成るカーテンウォール工法を三井総本店の建築に 応用した」、p85「構造計算ほか学ぶところ大であった」とあることから、鉄骨構造調査におい ては、シカゴ周辺の建築視察やカーネギー社などとの各種検討があったと考えられる。

11)3-4-2-1.厚板工場 の項でモルガン社とカーネギー社の関係に触れたが、 10)で記したよ うに横河民輔のカーネギー社との関係を通じて、当時のモルガン社との接点が想定される。

12)『鋼構造物施工の変遷(総合編 明治29年~昭和25年)工作事業部歴史資料原稿集NO5』(清 水泰:昭和5812月、新日本製鐵(株)エンジニアリング事業本部プラント事業部) p22 に依った。

13)八幡製鐵所図面センター所蔵の図面に記載されている。尚、「片岡隆」についての辞令記述は 見当たらないので、詳細は不明であるが、技手リストにも存在しないので、「雇」以下の人物 と推測される。

(15)

90 図版

表5-1 官営八幡製鐵所第二期拡張計画の工場建築一覧は筆者が作成した。

図5-1 一期および二期拡張計画における工場配置は「八幡製鐵所土木誌、新日本製鐵㈱八幡 製鐵所、土木誌編纂委員会、昭和 51 年 11 月」から転写した。

図5-2 第一製鋼工場断面図は八幡製鐵所図面センター所蔵図面より掲載した。

図5-3 第二製鋼工場妻側図は同上。

図5-4 第二製鋼工場柱脚図は同上。

図5-5 鐘紡洲本工場小屋組みトラス図は横河建築設計事務所所蔵の図面を筆者が撮影し、そ れを転写した。

図5-6 第二厚板工場断面図は八幡製鐵所図面センター所蔵図面より掲載した。

図5-7 第二厚板工場上弦材詳細図は八幡製鐵所図面センター所蔵図面より掲載した。

図5-8 厚板工場上弦材詳細図は同上。

図5-9 運滓丸図面は同上。

図5-10 堂山製缶工場断面図は同上。

図5-11 堂山製缶工場小屋組トラス図は同上。

図5-12 堂山鋳造工場妻側図は同上。

図5-13 堂山鋳造工場小屋組トラスは同上。

図5-14 山製缶工場基礎アーチ図は同上。

図5-15 堂山製缶工場基礎図は同上。

写真5-1 ドイツ鋼材ロールマークは 1980 年頃に筆者撮影。

写真5-2 東田高炉群写真は八幡製鐵所史料室所蔵のものを筆者が撮影し、転写した。

参照

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