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(1)

マルチ・メディア時代の読み書き概念の揺らぎ

将来の図書館・研究室とマルチ・メディア携帯端末の関連をめぐって−

勝俣隆

ヮープロやパソコンの出現は,「書く」という行為に一大革命をもたらしたと言える。従来も,タ イプライターという機器は存在したが,日本語の文書作成という点では,タイプライターは,文書清 書機であって,文書作成機ではなかった。かなタイプなどというものは,梅樽忠夫氏が,『知的生産 の技術』の中で推奨したこともあったが,実際には,殆ど使い物にならない代物であった。梅樽氏が かなタイプを薦めたのは,英文タイプがアルファベット26字だけで文書作成が可能なのに,日本語の 複雑な表記は,タイプで打つのは困難であり,このままでは,西欧諸国に対して,大きな遅れをとっ てしまうという危機感が背景にあった。明治・大正期に,日本の近代化のために,日本語表記を仮名 文字だけにすべきだと主張した,いわゆる「かなのくわい」や「カナモジカイ」等の「かな専用論」

と相通じるところもあったようだ。しかし,「かな専用論」は主流にならなかった。かなだけの表記 では,同音異義語が多い日本語では,語の弁別が困難で,その上,分かち書きなどの余計な労力も必 要だったので,普及しなかったのである。かな専用表記,つまり,日本語の分かち書きによる表音表 記は,小学校低学年用の国語教科書,低学年児童向けの童話作品,ローマ字による文章表記,並びに,

六つの点の組み合わせで音を表わす点字表記ぐらいしか行われていない。すなわち,漢字仮名混じり 文が現在に至るまで,日本語表記の標準となっているのである。そこで,漢字と仮名の複雑な組み合

わせ表記を少しでも能率的に行うために,種々の工夫がなされた。漢字和文タイプライターという機 器もあったが,漠字数が限られていたし,漢字を逆さまから読み取る必要があり,操作に熟練を要し た。ワープロが出現する直前には,漢字をそのままの形で読み取れ,かつ,誤って打った漢字をキー 操作で容易に消すことができる使いやすい和文タイプもでき,筆者も結構ご厄介になったが,とにか

く喧しいし,文書の保存は,コピーを取るしかなかった。だから,ワープロの出現で,和文タイプは,

点字タイプなどの特殊な用途を除いて,ほとんど利用されなくなり,その使命を終えた。

タイプにとって代わったのがワープロやパソコンである。最初,操作も面倒だったし,漢字も第1 次水準しかなかったりして不便であったが,その後,改良が加えられ,値段も安くなり,文書作成に

は欠かせなくなった。今では,打つ方が古くよりも遇に遠くできるし,文書の訂正が容易なのが何と いっても有り難い。原稿用紙で清書している時には,訂正があると,同じ文を二度も三度も書き直し

て,情けなくなることがあった。しかし,ワープロやパソコンの出現によって,そういう煩わしさか ら解放された。何度でも訂正が効くし,挿入・入れ替えが自由で,保存が出来るということは,非直 線的文書作成,すなわち,時間軸から解放されたノンリニア編集が可能だということで,まさに画期 的なことであった。

従来,文字は,その発生段階から,常に「書く」ものであったのに,それが「打つ」ものに変わり つつあるのだ。「書く」は語源的には,「掻く」と同語源で,「手,爪,またはそれに似たもので物

−27−

(2)

の表面をこする

J

(r日本国語大辞典

J )

ことから発生した言葉と考えられるo勿論, ワープロやパソ コンでもペン入力のものがあり,昨夏,アメリカで,ペン入力の携帯端末「ニュートン」がアップル・

コンピューターから発売されたが,

r  2  J

r Z J

の区別も出来ないということで,評判は良くない らしい。マウスを使って入力するのは,却って煩わしい面があるので,画期的な入力方法が開発され ないかぎり,暫くはキーボードで「打つ

J

方法が,文章表記の基本となろう。とにかく,

r

文字は書

くものだ」という概念が揺らぎつつあるのは間違いない。

さらに,現在,文書ばかりでなく,映像や音声も非直線的編集がなされるようになって来ている。

例えば,ビデオカメラで撮影し,ビデオ・デッキで編集することが出来るが,これは,まだ文書で言 えば,切り貼りをしているのと同じで,正確にはアナログ編集であるo コンピューターを使ったデス クトップ・ビデオ・システムによって,初めて,映像のデジタル処理が可能となるo つまり,映像を デジタル化することにより,自由な加工・編集が可能となるのであるo つい最近,郵政省の江川晃正 放送行政局長が,高品位テレビ (HDTV) の方式を NHKのハイビジョン(アナログ方式)からデ ジタル方式に変えるべきだという発言をし, NHKや家電メーカーの猛反対にあったが,これは,郵 政省の発言の方が正しいのであって,アナログ的な方式は早晩廃れてしまうことは,ほほ間違いなか ろうo いつまでも,日本がアナログ方式に固執していては,二十一世紀には,情報産業は完全にアメ リカの支配下に置かれてしまうであろうD それでなくても,情報手段の中心となるコンビューターの ハードの中核部分のマイクロプロセッサーも,ソフトの基礎部分の

OS

,すなわち,

UNIX

MS‑

DOS

W i n d o w s

といったものは,完全にアメリカの支配下にあるのだから。浜野保樹氏によれ ば,アナログからデジタルへ,マスメディア中心からパーソナル・メディアとの併存へ,さらに,ハー ド偏重からソフトとのバランスの取れた産業構造へと変えなければ,また,

r

リスクを回避したり,

リスクを誰かが取り去ってくれるまで待とうという姿勢を取り続けるのであれば, ・・・日本は情報 面での国際的な競争力を失い,情報の流通が停滞し,社会や文化そのものの活力を失うことになるだ

ろう。

J

という。(注1)

全く同感であるロ 「デジタルとアナログはそう簡単に分けて議論できるものではない」とか「デジ タルだろうと何だろうと目や耳に届くときはアナログに換えないといけないのだから

J

等という

NE C

関本会長やソニーの大賀社長の発言(朝日新聞2月23日の記事に拠る)を読むと,浜野氏の予言は 悪い意味で的中しそうであるo よく言われるように,日本のメーカーには,マルチメディアに対する 哲学がないからであるD コンビューターのフロッピーは日本人の発明なのに,日本のメーカーは,リ スクを恐れ生産化を渋り,結局,アメリカのメーカーが製品としてしまい,日本は遅れを取った。日 本人はよく独創性がないと言われるが,それは誤りである。特許の出願数一つをとっても日本はアメ リカの倍の数がある。人口はアメリカが日本の倍あるから,結局,日本は人口比でアメリカの4倍の 発明をしていることになるo しかし,メーカーが新しい発想を受け入れることに慎重すぎるので,せっ かくのアイデアが活かされないのであるD これは,学問の分野でも同様で,新説に対する日本の学会 の保守的な態度は,学問の進歩にブレーキを掛けているに過ぎない。

ともかく, 日本は,新しい時代の変化に今までは何とか対応してきたが,ここにきて,行き詰まっ ているo若年層の人口減少と老齢化,総人口の減少(二十一世紀の後半には,約七千万人に減る)に

‑28

(3)

よる活力の減退,米を初めとする農産物の輸入自由化による農村の疲弊,過疎化,後継者難,地域共 同体の崩壊による第一次産業の衰退と崩壊。第二次産業もデジタル化に乗り遅れ,大企業の支えであ る中小企業の衰退,優秀な技術者の不足,技術力の後退,国際競争力の喪失,工場の海外移転による 産業の空洞化により衰退する。失業者は増大し,全産業は衰退へ向かう。日本に代わって,世界経済 を動かすようになるのは中国で,日本は凋落の一途を辿るであろうロこの平成不況は,日本衰退の第 一段階に過ぎない。昨今の日本を見ていると,こんな暗い未来予測は全くの空言であると言って一笑 に付すことはできないのである。

ニ,電子ブ.ックの出現による書籍革命

近年出版された,電子ブックは,メーカーの宣伝ではないが,まさに「書籍草命

J

と言っても良い 面を持っているo従来,この千数百年にわたって,書籍と言えば,紙に書かれた文字や絵,図表を纏 めた形式のものを指してきた。ところが,今回,紙を使わずにCD ‑R 0 M  (compact disc  read  only memory)という形で,大きさ 8~12cm の円盤に 600M バイト (百科事典約七冊分)ほどの情 報が入るようになったのである(注2)。あの大部で重量感に溢れるオックスフォード・イングリッシュ・

ディクショナリー,所謂O.E・Dさえ,たった一枚のCDに納まってしまったのである。 O.E.

Dは持ち運びが出来ないということで, C. O. DやP・O・Dで代用していた英語の教師や学生は,

電車の中でさえO.E・Dを引くことができるようになったのであるo また,電子ブックという形式 の 書 籍 (

)では,単に文字だけでなく,図表や画像,音声も享受できるのである。今までの辞書類 では,図像もスペースの関係で少ししか載っていなかったし,まして,音声を開くなどということは 思いも寄らないことであった。ところが,電子プックでは,烏や動物の図を見たければ,図の項目を 押すだけでその姿が見れるし,その鳴き声を聞きたければ,音声の項目を押すだけで,その声が聞け るのであるo

その上,検索機能を利用することで,ある小説なら小説の中で使われている用語を簡単に探せるし,

辞書ならば,キー・ワードで,記憶の瀧気な言葉の検索も可能なのであるD

例えば,激石全集や鴎外全集等が,それぞれ一枚のソフトに納められ,使用語棄の検索,使用頻度 の調査等が瞬時にできれば,文学研究や国語研究に果たす役割は絶大なものがあろうD 古典文学なら ば,作品の異本ごとの使用語棄の違いまで,容易に調査できることになろうo

勿論,電子ブックそのものは,まだ出始めだから,改良すべき点はいろいろあろうo動物の図もカ ラーで,かっ動きを伴う映像が欲しいであろうし,画面白体が液晶で見にくい面があるから,さらに 粒子が細かく鮮明な画像にする必要があろうo恐らく,電子プックの普及を妨げるものとしては,ま だ価格が高いことの他に,液晶画面では,本の活字を読む場合よりも,見にくくて疲れるということ が挙げられようo この点を改良しない限り,完全な意味において,現在の紙でできた書籍に取って代 わることはできないであろうo しかし,それほど遠くない日に,見やすく疲れない画面が開発されて,

現在の紙の書籍に取って代わるようになることは,恐らく間違いあるまい。

何故なら,何といっても,電子ブックは紙の書籍と比べて,場所を取らないから,情報量が今後ま すます増加していく点から考えれば,収納スペースの点で電子プックに変わらざるを得ないと思うか

‑29

(4)

らであるD また,百科事典や大辞典の類を,数枚のソフトを持つことで書斎や研究室は勿論のこと,

乗物の中や布団の中でさえ手軽に利用できる便利さは,紙の書籍とは比べ物にならない程優れている からであるo また,電子ブックは,従来の書籍が,単に読むことを目的としていたのに対して,読む ばかりでなく,様々に利用することが大きな付加価値として存在しているo今後,検索や通信,その 他の機能が充実することによって,小型のコンピューターとして,種々の利用法が登場するであろう。

今は,軽量のコンピューターとして,ノート型パソコンがあるが,そのさらにコンパクト化したもの が,電子ブックの将来の姿と考えて,差し支えないであろうロソニーの電子ブック・プレーヤー「デー タディスクマン

J

とシャープの電子手帳「液晶ペンコム・ザウルス

J

が合体し,さらに超小型パソコ ンとしての機能が充実したような軽量な機器が求められよう。まさに「書籍革命」なのであるo貸本 屋と同じように,電子ブックのソフトを料金を取って貸し出す商売が出てくるであろうし,公共的に も,図書館が,電子ブックの貸出を始めるであろうoその時,問題になるのは,著作権や利用料金の 問題で,自分で電子ブックを購入する場合と,借り出す場合の料金が違いすぎると,電子プックの生 産が成り立たなくなるから,何らかの規制が設けられることになろうO フロッピー版は,

NEC

等が 売り出しているが, CD‑ROMに比べて,情報量が圧倒的に少なく,まだゲームや実用書,通俗的 読み物がやっと入る程度の域を脱していない。これでは,文庫本と比べても,質量ともに勝っている とは言いがたい。情報量から言って,フロッピーよりCD‑ROMの方が将来性があろうoいずれに しても,図書館に行っても,電子ブックばかり並んでいるという時代は,いずれ必ずやって来ょうo

さらに,パソコン通信のような形で利用する方法も当然出てくるだろうoつまり,図書館に行かな くても,電話回線や光ケープルでつないで,図書館の図書(電子プック)を利用できるようになるで あろう。現にアメリカは情報スーパーハイウェイ構想によって,

2 0 1 5

年までに光ファイパーで家庭と 電子図書館を結ぶ計画を進めている。日本も将来的には,その模倣をするであろう。

研究室の姿も一変しよう。文科系の教官研究室は,図書が所狭しと並んでいるのが,従来の一般的 な姿であった。ところが,図書が電子ブック化すれば,新刊書から, CD‑ROMに代わって行き,

二十一世紀も半ばにならないうちに,専門的な少部数しか発行されない特殊な書物や古書(和装本な どそれ自体に価値があるものは残る口)を除いて,研究室から,紙の書籍は消えてしまうであろうD

殆どの専門書が電子ブックに収められるからであるo研究室には,超小型のコンピューターがあって,

大部分の情報は通信回線から得られるようになっていようo

勿論,だからといって,紙の書籍が全く姿を消すことには,恐らくならないだろう。長年親しんだ 習慣を短時間で放棄することは難しいし,何よりも,機械が嫌いな人には,紙の本は気楽であるo そ れに,書籍が電子ブック化されれば,紙の本は売れなくなって,在庫があるうちは,大幅に値引きさ れるから,今まで手に入らなかった高価な本も廉価で入手できる。それに, CD‑ROM化には手間 暇が掛かるから,すべての書籍がCD‑ROM化されるわけではない白紙の形でしか入手できないも のも,相当多数残ろう。だから,当分の聞は,まだ紙の本も健闘するだろうo

しかし,長期的に見れば,新規に紙の形で出版される本が減っていくことは恐らく間違いない。電 子ブックがコスト・ダウンすれば,紙の書籍より安く,同じ情報を手に出来るようになることも,恐

らく疑いえない。とすれば,あらゆる面から,書籍は紙から電子ブックに変わって行くであろうo

‑30

(5)

幼児から,紙の書籍より電子プックに親しんだ階層が成人すれば,書籍の電子ブック化は加速され ようo

2 0 2 0

年ごろには,紙と電子プックは数量が逆転し,

2 0 5 0

年頃には,書庖から,紙の本は殆ど姿 を消している可能性もありえよう。あるいは, もっと早くこうした状況になるかも知れない。

もっとも,紙自体は書道などの伝統芸術を始めとして,あらゆる分野で今後も使われて行くであろ う。だから,ペーパー・レス時代というのは,恐らくやって来ないであろうoパソコンやワープロの フロッピー・ディスクが普及しても,コピーが減るどころが却って増えてしまった事実がそれを裏付 けているo 察倫の発明した紙は偉大な発明として,今後もしぶとく生きつづけて行くであろうo しか し,その察倫の発明に匹敵する革命的発明が電子ブックの発明なのであるoまだ,この事実はメーカー 自身も正しく認識していないのではないか。東芝が

CD‑ROM

を使ったマルチメディアプレーヤー

「スイートピー

J

の商品化を時期尚早として断念したことが,日本のメーカーが知何に将来を正しく 認識していないかを象徴している(注3)。われわれの,読書環境・研究環境は,大変革期を迎えてい るといっても過言ではないのに,それが十分理解されていないのである。

さらに,本は「読むjばかりでなく,

r

見る

J r

調べる

J r

聞く

J r

観る

J

ものへと変質していこ

う。今でも,カセット・テープに吹き込まれた朗読はあるが,これが,

CD

の形で,自分で好きなよ うに,変形して味わえる時代が来ょう。ゆっくりとした太い声で聞いたり,鈴の音のような美しい女 性の声で聞いたり,自由に操作できるようになるのでないか(注4)

これは,視覚障害者の人にも,朗報であろう。ボランティアの朗読奉仕に頼らなくても,自分の読 みたい本を享受できるのだ。かつて日本の物語文学の享受方法として,人に朗読してもらい,挿絵を 見ながら,耳で開いて味わうという方法が一般的であった時代があった。そして,まさに,ある意味 で,朗読者が機械に置き代わって,その方法が復活することにもなろうD

最終的には,電子ブックを立体映像の見える装置と繋いで,立体的映像として味わうことさえ,夢 ではなかろう。一手重のパーチュアル・リアリテイの装置ともなり得ょう。

だが,出版社が造りだした挿絵や映像が,それは精巧になればなるほど,読者の持つイメージと食 い違っていく可能性があるという矛盾も苧んでいる。これは,本が挿絵を伴うようになって以来の大 きな問題であるD 挿絵の絵はあくまで,挿絵絵師の絵であって,読者が文字から想像したイメージと は,一致しないからである口これが,挿絵の段階で止まっていればよいが,動画になったり,立体映 像になったりした時,像が鮮明になればなる程,矛盾が大きくなり,固定したイメージが一方的に押 しつけられ兼ねないという危険も併せ持っているD だが,見方を変えれば,電子プツクは,読書とい う行為の幅を大幅に押し広げた。つまり,読書が本に書かれた文字を読み,文字の組み合わせから,

あるイメージを想像する行為であるという定義が,電子プックの出現により,見直しをせまられてい るのであるo従来の固定観念に捕らわれていれば,電子プックによる読書は読書であって読書でない ことになろうロ画像が含まれた享受を読書でないというなら,挿絵の入った本を読んでも,読書した ことにならなくなるから,これはおかしい。絵が増えて行って,字よりも絵が中心になった時はどう であろうか。例えば,マンガは読書にならないのか。これを否定すれば,文学史上の絵巻物や,先に 述べた物語文学の享受,江戸初期の赤本等は,皆文学でなくなるから,これも問題である。音で聞く 場合は,どうであろうか。平家物語は平曲として,説経は,説経節として,皆,耳で享受されるのが

‑31一

(6)

普通であった。また,能・狂言・人形浄瑠璃・歌舞伎などは,観て,且つ,聞いて味わったのである。

このことを考えれば,文学作品の享受はその方法に種々あって,何も,文字を読むだけが,享受の方 法ではないことがわかろうo だから,広い意味の読書としては,いろいろな味わい方があっても良い のである。そしてまさに,その種々の新しい享受法を与えてくれるのが,読書草命をもたらした電子 ブックなのである。

先にも述べたように,一方向的な享受にならないように,常に主体的に利用しなくてはならない。

そのためには,浜野氏が主張されるように,インタラクテイプ(双方向的)な利用法が開発されなけ ればならないが,電子ブックは,その可能性として,過去二千年の歴史を変えてしまう程の大きな力 を内蔵していると言えようo

注1.浜野保樹氏著『マルチメディア・マインド デジタル革命がもたらすものj1993年12月, BNNに拠る。

注2.正式には, C D ‑1 (compact disc‑interactive media)と呼ぶべきであろう。ソニーが開発した電子 ブックプレーヤー(データディスクマン)に代表されるように,読み出し装置自身にマイクロプロセッサー が組み込まれているので, CD‑ROMと違って,コンビューターの外部記憶装置という形でなく,単独で 使用できるからである。(r94年版情報・通信新語辞典j1994年1月,日経BP出版センター刊に拠る。) 注3. rw E D G E j 1994年3月号の「マルチメディア構想の夢は開くか」の記事に拠る。

注4. (注1)に拠れば,パソコン通信で送られて来た文字を音声に変換することは,英語では実用化されてい るという。筆者も筑波の科学技術博覧会のアメリカ館で実験的なものは見た(聞いた)ことがある。

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