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1930 年代のモンゴル・ナショナリズムの諸相
――満洲国の内モンゴル「知識人」の民族意識と思想――
ウユンゴワ(烏雲高娃)
目次
序論 問題の所在/先行研究/方法と構成・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 第1部 モンゴル知識人の誕生
第1章 モンゴル知識人ヘーシンゲーとその教育啓蒙活動・・・・・・・・・・・・25 第1節 清末新政以降の内モンゴル人社会の変容と知識人の登場・・・・・・・・・27
―開明的な王公グンサンノルブの試みとモンゴル知識人
第2節 中華民国におけるモンゴル知識人の思想・活動・・・・・・・・・・・・・32
――『奉天蒙文報』(ムグデニー・モンゴル・セトグール)を中心に――
第3節 満洲国期時期のヘーシンゲーの活動と思想・・・・・・・・・・・・・・・51
(一)「青年たちへの提言」(1939年)と 書道・・・・・・・・・・・・・・・・・53
(二)蒙文編訳館(1941~1945年) ――『蒙文補助読本』を中心にして・・・・・58 第2章 内モンゴル人ナショナリズムの文化活動・・・・・・・・・・・・・・・・67
――1920年代のモンゴル語出版事業を中心に――
第1節 モンゴル語活字印刷の成功と蒙文書社の設立
――テムゲトの活躍――・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・67 第2節 東蒙書局(1926~1932年)と東部内モンゴルの文化活動・・・・・・・・75 第3節 モンゴル語の教科書編纂と知識人の民族意識・・・・・・・・・・・・・・86
(一)『満蒙漢三体合璧教科書』とモンゴル語教科書の編纂・・・・・・・・・・ ・86
(二)『初学国文』と『蒙文教科書』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・88
(三)モンゴル語の教科書の国家観・民族意識・・・・・・・・・・・・・・・・・91 第2部 知識人の成長と成熟
第3章 モンゴル人ナショナリズムの高揚と留学生の思想・活動
――東京と北平・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・97 第 1 節 国 民 政 府 下 の 内 モ ン ゴ ル と 北 平 留 学 生 ナ ム ハ イ ジ ャ ブ と ダ ワ ー オ ソ ル
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・97
2 第2節 新式知識人の文化活動――『モンゴル/蒙古』・・・・・・・・・・・・・103 第3節 満洲国成立直前のモンゴル人日本留学生の民族意識・・・・・・・・・・・122
――『イジャグリタン・ウルス/祖国』を中心に
第4章 モンゴル知識人とナショナリズムの発展・熟成――ハーフンガー・・・・・133 第1節 新式知識人ハーフンガーとかれの民族意識の形成・・・・・・・・・・・・134
――メルセー、ヘーシンゲーとのかかわり
第2節 満洲事変直後の「モンゴル独立軍」時のハーフンガー・・・・・・・・・・141 第 3 節 満 洲 国 時 期 の ハ ー フ ン ガ ー と モ ン ゴ ル ・ ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 発 展 ・ 熟 成
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・147 第 4 節 満洲国崩壊後のハーフンガー――モンゴル人ナショナリズムの高揚と行方
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・153 第5章 1930年代の内モンゴル・ナショナリズムにおける文化と経済・・・・・・158
――ブフヒシグとハダー――
第1節 満洲国の建立と内モンゴル人の文化活動・・・・・・・・・・・・・・・・159
――「モンゴル文学会」と『モンゴル・セトグール』
第2節 モンゴル新式知識人の日本観と民族意識―ブフヒシグの場合―・・・・・・165 第3節 満洲国の内モンゴル知識人の民族意識と経済観・・・・・・・・・・・・・173
――ハダーの思想と活動――
(一)新式知識人ハダーとその文化活動における経済思想・・・・・・・・・・・・173
(二)ハダーの民族意識の特徴と限界・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・181 第6章 内モンゴル知識人の近代的軍事思想と日本――アスガンと郭文通・・・・・184 第1節 満洲国の建立と新式モンゴル軍人の登場と育成・・・・・・・・・・・・・187
――興安軍(興安警備軍)と興安軍官学校―-
第2節 新式モンゴル軍人の活動――郭文通――・・・・・・・・・・・・・・・・193 第3節 アスガンの民族意識と軍事思想・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・197
(一)アスガンの民族意識――その「演説」(1945年3月)・・・・・・・・・・・200
(二)自治政府へ――満洲国崩壊後のアスガン・・・・・・・・・・・・・・・・・203 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・206 補論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・215 参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 227
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要約
本論文はナショナリズムとは政治的単位と文化的単位を統一しようという運動であると いう視点から、文化的分野に焦点を当て、1930年代の内モンゴル人のナショナリズムを研 究するものである。すなわち、内モンゴルの代表的な「知識人」の民族独立・自治のため の思想的社会的活動を取り上げ、かれらの思想と活動に対する分析を通じて、当時のモン ゴル人ナショナリズムの諸相を明らかにした。本研究は内モンゴル人の民族思想意識の源、
そのナショナリズムの歴史的事実を明らかにすることだけではなく、現在の中華人民共和 国内におけるモンゴル人の固有文化を重視することに対しても大きな示唆を与えられると 思う。モンゴル人ナショナリズムにおける従来の研究は主に政治や民族運動を中心とする政 治史になっているが、政治の具体的な表現である基底的な文化にも及ぶモンゴル人社会の 具体像を通じ、その全体像を考えてなおす必要がある。
1930年代の内モンゴル人の状況からみると、日本との協力は内モンゴル人の独立・自治 にとって欠かすことのできない段階であったことが分かる。モンゴル人にとっては中華民 国、ソ連、日本が近代への窓口だったのだが、そこでは満洲国・日本を介した教育・出版事 業の振興、新しい啓蒙思想や経済・軍事思想などの受容を通じて、民族の自立を模索しよう とする内モンゴル知識人たちの懸命な努力がみられた。本論文では満洲国・日本を通じて思 想形成したこれらの知識人の軌跡を考察し、その両義性を考慮しながら彼らの民族意識を検 討した。
内モンゴルの独立や自治の運動に対する従来の研究は、1910,20年代の政治史や第2次 世界大戦終結後の民族運動ないし1930年代のデムチグドンロブ王の蒙彊政権が中心になっ ている。本研究はむしろ文化活動に光を当てて、モンゴル語文学作品の歴史的意義と民族 思想の役割を視野に入れながら満洲国の内モンゴル知識人の民族意識と民族思想を中心に 検討した。民主化が重視されている今日のグローバル化した国際社会の中で、少数民族と しての内モンゴル人の民族思想意識についての研究は非常に重要である。
本論文では、反漢族民族意識は単純な民族意識であり、普遍的意識のモンゴル人ナショ ナリズムとは異なる問題を指摘しながら先行研究を検討し、研究の方法と論文の構成を決 めた。満洲国の内モンゴル知識人の民族意識を研究するには、満洲国成立前と成立後のモン ゴル語の刊行物、モンゴル語の教科書などを収集し、その中からモンゴル知識人の書き残し た文章を整理分析することが必須である。資料的に限界があるが、丹念に集めた資料を丁寧 に読解分析した結果、時代的に、地域的に、分野的に、それぞれ異なることに気が付き、そ れらを分類して検討する方法をとった。時代的には、知識人と新式知識人に、地域的には留 学グループと非留学グループに、分野的には文化教育、経済、軍事とに分けて検討し、次の ように論文を構成した。1、2章の第1部では、知識人の誕生を、3、4、5、6章の第2 部では新式知識人の成長と成熟について論じた。これを通じて、内モンゴル人の民族意識は 危機意識から生まれ、1910、20年代には同化から自己を守る自己防衛運動として、教育啓
4 蒙を中心にして形成され、1930年代には文化教育の枠を超えて、経済・軍事など多方面を 含めた広いナショナリズムの大きな流れになってピークをなした。その結果、1940年に独 立・自治運動が高揚したが、挫折した、と結論つけた。
第1部(第1、2章)では、清末新政の新式教育を受け中華民国初期に登場した第一世代 のモンゴル知識人のヘーシンゲー(非留学グループ)とテムゲト(日本留学グループ)を取り 上げ、新しい内容を持ったモンゴル語の文章、モンゴル文字での出版、モンゴル語文の教 科書編纂などを中心としてモンゴル人ナショナリズムにおける教育啓蒙思想および活動の 様相を考察した。
第 1 章では、内モンゴルの文化・教育・出版分野において代表的なモンゴル知識人ヘー シンゲーの活動を、満洲国成立前と満洲国時期とに、大きく2つに分け、かれの民族意識 と教育啓蒙思想を考察した。20 世紀の世界情勢、中国情勢により、社会進化論、人種進化 論は錯綜した経路で内モンゴル人社会に浸透し、モンゴル知識人は漢人に同化される危機 を感じていた。そのため、モンゴル語による教育・文化活動の充実は非常に重要な手段と 考えられ始めた。知識人たちは、モンゴル興衰の歴史に鑑みて、教育啓蒙活動に力を注ぎ ながらモンゴルの未来の道を探索すべく努力しはじめた。ヘーシンゲーは満洲国時期も一貫 して、モンゴル人は「軍事力」で歴史上に強かったが、現在は「教育力」で立ち上がるの だという考えを持ちながら教育・出版に力を注いだこと、かれの教育啓蒙思想が主に「危機 意識」、「集団意識」、「文化(歴史、言語)意識」として現れていることを明らかにした。
第 2 章では、中華民国初期において内モンゴル知識人は漢文化を受け入れながらもそれに 対抗し、モンゴル語による教育啓蒙活動をはじめ、モンゴル人独自の固有文化を守り発展さ せるために様々な努力しはじめた。この中でも特にモンゴル語による出版活動が必要である と考えられたため、1920 年代から知識人の努力で、モンゴル語の活字印刷、出版社創立、モ ンゴル語教科書の編纂などが実行され、内モンゴルの出版事業の幕が開かれ、文化活動はさ らに展開した。それはモンゴル人という集団意識を持つ人々の育成、文化の普及、教育の発 展に欠くことのできないものであったことを指摘し、1920 年代の内モンゴル人の出版活動を テムゲト(北京の蒙文書社)とヘーシンゲー(奉天の東蒙書局)を中心として論じた。さらに モンゴル語の教科書編纂を中心としてテムゲト(日本留学グループ)とヘーシンゲー(非留 学グループ)の民族意識の相違点を述べ、1920 年代の内モンゴル知識人は独立・自治の希望 を持ち、中華民国を完全には自分の国家であるとは認めていなかったことを明らかにした。
第 2 部(第 3、4、5、6 章)では、若い世代のモンゴル知識人(新式モンゴル知識人)の成長 について見ながら、満洲国の中の新式モンゴル知識人の文化、経済、軍事思想や活動を考察 し、内モンゴル人ナショナリズムの内実を検討した。
第 3 章では、満洲国成立直前の新式モンゴル知識人たちは、中華民国の対モンゴル政策の 本質が大漢民族主義であることを認識し、それに対応する方法を考えていた。彼らは民族の 未来には教育、経済、軍事各方面の実力が欠かせないと意識していた。このような意識を持 っていたので、満洲国時期には内モンゴル人は教育、経済、軍事力を備えるために必死に努
5 力した。彼らは独立する希望を強く持ちながらも実現できない状態に置かれて苦しんでいた。
自らには実力なかったからである。そこで、利害が衝突していない日本が内モンゴル人の独 立に力を貸してくれることを希望し、信じた。日本の軍事力、経済力はある意味で魅力的で あったと言えるだろう。内モンゴル知識人は諸問題を抱えながら満洲国の官吏として活動し ていたのだと指摘した。
第4章では、モンゴルの政治的独立・自治にとっては、文化・教育・出版のほかに、軍事・
経済など多方面の実力が必要であると意識したリーダー的な新式モンゴル知識人ハーフンガ ーを取り上げ、検討した。まず、ハーフンガーの民族意識の形成におけるメルセーの大モン ゴル主義やヘーシンゲーらの教育啓蒙思想の影響を述べ、かれの民族意識の形成を考察した。
次に、満洲事変後のモンゴル独立軍(モンゴル自治軍)への関与や満洲国の中の活動、満洲国 崩壊後の活動などを述べながら、かれの民族意識の成熟を考察し、内モンゴル人の日本との 協力の目的は全モンゴルの統一や内モンゴルの独立・自治であったこと、満洲国の中で内モ ンゴル人は文化活動を行いながら、政治的機運を待っていたこと、ハーフンガーは満洲国の 新式知識人の中で大きな影響力を持ったことを明らかにし、1930 年代の内モンゴル人ナシ ョナリズムの発展を検討した。
第5章では、新式知識人ブフヒシグ(非留学グループ)とハダー(日本留学グループ)を取り 上げ、満洲国における文化 (出版) 活動を考察し、彼らの民族意識の特徴を検討した。非留 学グループのブフヒシグは固有文化を守ることを前提に近代的な文化・知識を受け入れると いう民族意識を持っていたが、日本留学グループのハダーは近代的な文化・知識を受け入れ ることこそ固有文化を守ることができるという意識を持っていたことを明らかにし、「伝統と 近代」という視点からモンゴル人ナショナリズムを検討した。
第 6 章では、日本へ留学し近代的な文化・知識の影響を受けて、満洲国の中で軍事に携 わった新式知識人郭文通、アスガンを取り上げ、彼らの活動・思想を考察し、モンゴル人 ナショナリズムにおける軍事思想の位置を検討した。アスガンの「新京のモンゴル人学生 会」での演説を初めて利用し、また満洲国時期郭文通と接触があった興安軍官学校の学生 に対するインタビューなどを利用しながら彼らの民族思想意識を考察した。内モンゴル人 の近代的な軍事力の形成において、日本・満洲国が大きく関わっていたことを明らかにし た。
結論では、モンゴル人ナショナリズムは満洲国時期に本格的に展開し、自立という近代的 民族意識を持つようになり、その民族意識がさらに発展したことなどを指摘した。すなわち、
満洲国のモンゴル人は、文化・教育活動のみならず経済や軍事など近代的な文化・知識・思 想を、日本を通じて積極的に内モンゴルへ受け入れ、民族的実力の充実に力を注ぎ、軍事的 実力も備え、内モンゴル人としての独立・自治の機運を待ちながらモンゴル・ナショナリズ ムを発展させた。また、満洲国崩壊が内モンゴル人には「独立・自治」の機会を与えたが、
内モンゴル人の独立の希望は叶えられなかった。これには、国際社会の情勢など外的な原 因はあるが、モンゴル人自身の内面的な原因をも考えてみることが必要であると強調した。