教育意識の階層分析と公教育
荒 井文 昭
1 本論の課題と構成
1−1 高度経済成長以降の社会構造 1−2 「私事の組織化」
1−3 教育意識分析の課題 2 教育意識の「分化」
2−1 自由志向と統制志向 2−2 競争志向と反競争志向 2−3 教育意識類型の階層的特徴 2−4 教育意識の分化
3 父母の教育要求と公教育
3−1 教育専門家の自律性と父母の教育要求 3−2 教育における民主主義
3−3 自由反競争型意識と政治参加体験
1 本論の課題と構成
本稿は、公立学校に対する父母の教育意識を、社会階 層分析の視点をくわえて検討しようとするものである。
そして、その教育意識とのかかわりにおいて、今日にお ける公教育のあり方をさぐろうとするものである。
1−1 高度経済成長以降の社会構造
父母の教育意識を分析しようとするのは、次の二っの 理由による。
まず第一点目の理由は、現代の日本社会における競争 秩序意識の拡大が、父母の教育意識にどのような影響を 与えているのかを、明かにする必要が高まってきている
と思われるからである。
国家制度としては民主主義の形態を維持しながら、社 会システムとしては権威的な統合をっくりあげていると いう社会の矛盾構造を、 「企業社会における権威的秩序 の拡大」として分析してみせたのは渡辺治の論文であっ た。高度経済成長以降の、企業社会における権威的な競 争秩序意識の拡大とは、 「誰でも企業のために働いて昇 進を繰り返せば生活が改善できるという意識」(渡辺)
のひろがりである。それは、労働者個々人の競争で昇進 の階段を登り、生活を改善できるという生活展望のひろ がりでもある。この競争秩序意識が、市民社会レベルで 広がり、それが、権威的秩序として機能し、制度として の民主主義を形骸化させているという分析がおこなわれ
たのである。こうした渡辺の分析は、教育意識分析に とっても重要な意味をもっているだろう。なぜならば、
企業社会における競争秩序と学力競争との関連を回避し ては、父母の教育意識をめぐる問題は語れないことを指 摘しているからである。したがって、今日、父母の教育 意識の動態を分析する場合には、こうした競争秩序意識 から教育意識がどのような影響を受けているのかを検討 する必要がある。(1)
教育意識の階層分析をおこなおうとする第二点目の理 由は、社会階層格差の表面化が、父母の教育意識にどの ような影響を与えているのかを明かにする必要が生まれ ているからである。
高度経済成長以降の社会構造の変化の中で、今日、平 等化にはたす公立学校の機能にかげりが現れてきている。
すなわち、近代社会にあっては、本人の教育機会が、出 身階層からの影響を受けないことが前提とされる。しか し実際には、進学の機会は家庭の経済的条件に左右され、
「一流大学ほど高所得層、専門職層が多い」(2)という 問題が指摘されてきている。このように社会の平等化に 貢献すると期待されてきた教育の役割が、むしろ反対に 社会的不平等を再生産しそれを正当化しているという事 態が、問題とされるようになってきているのである。こ の、公立学校の機能に対する疑問は、現在の社会におけ る基本理念とされてきた平等理念がゆらぐということで あり、これは、社会システムにとって重大な問題である。
したがって、このような社会システムにとっての正当性 の危機が、父母の教育意識にどのような影響を与えてい るのかいないのかが、明かにされる必要がある。
以上述べてきた二っの点にかかわる社会構造の変化は、
高度経済成長をへながら形成されてきたものであり、議 論の対象とされるようになったのは1970年代の半ば以降 であろう。したがって、こうした社会構造の変化が、父 母の教育意識にどのような影響を与えているのかは、こ れから問われなければならない問題であろう。本稿の課 題は、まず第一に、この高度成長以降の社会構造の変化 が、父母の公立学校に対する教育意識に、どのような影 響を与えているのかを、実証的に分析する点にある。
1−2 「私事の組織化」
次に本稿が課題として取り上げてみたいのは、 「私事 の組織化」をめぐる議論を検討することである。なぜな
らば、高度成長以降の社会構造の変化が父母の教育意識 になんらかの影響を与えているとしたら、それらは、公 教育論に対しても、新たな課題を提起していることが考 えられるからである。そこで、これまでの公教育論を リードしてきていると思われる教育権論を取り上げ、こ れを先行する理論として検討してみたい。ただし、教育 権論は、1950年代の末から1970年代にかけて形成され、
かつ、今日においても生成されつつある議論であろう。
本稿では、高度成長以降の社会構造の変化という側面か ら、堀尾輝久の1970年代なかばまでの「私事の組織化」
にかんする議論を、検討していくこととしたい。
ところで、論者による読み取りによれば、堀尾の「私 事の組織化」にかんする議論では、基本的人権を行使す
る能力は平等に保障されなければならないということと、
個々の親の教育要求が集団化されなければならないし、
また、されうるということとが、予定調和的に論じられ ている。(3)
たとえば、堀尾は次のように述べていた。この論文は、
1958年から59年にかけて発表されたものである。
「私事を組織するということは、すべての個人の幸福 の追及と教育とが直接に結びあうことであり、子どもの 幸福追及の自主的能力の成長に、教育が責任をもつとい うことである。そして、なにを幸福とするかはすべて個 人がそれを定めることを承認しっっ、その能力の開花に 平等の機会を保障する組織をっくることである。」(4)
「私事の組織化」論とは、市民社会における教育の自 由の原則が、公教育制度の展開の中でどのように変貌す るのかを検討する作業の中から生み出されてきた論理で ある。すなわち、古典的市民社会における自由の原則は、
労働者階級がその主体的な担い手となることによって実 質化する可能性をもったが、まさにその時点で、市民社 会にとってr必要悪』である国家が、道徳的国家として 登場し自由の救済者の位置にっいたと、堀尾は分析して みせた。このような自由の原則の変質を批判し、本来あ るべき古典的市民社会における自由の原則を、現代社会 において実現させることを、「私事の組織化」として堀 尾は述べたのである。
そして堀尾は、すべての市民に基本的人権を行使する ための条件としての能力を保障する責任を、公教育に与 えようとする。 「私事の組織化」として公教育を組みか えるという試みは、このような市民的権利を行使する能 力の、公教育による保障を求める論理として展開されて いるのである。
だが、この「私事の組織化」論には、もう一つの意味 も含まれている。堀尾は、この論文のなかで「私事の組 織化」論にっいて次のようにも述べているのである。
「教育の私事性の自覚が、単にそこにとどまるかぎり、
そして父母の教育への私的関心が、本質的な意味での共 通項の自覚を通じて連帯感を発展させえないかぎり、私 事性の意識は、親のエゴイズムに堕落し、子どもたちの 排他的出世主義を助長するだろう。そして、そこから生 まれる不当な競争意識は、試験地獄、準備教育に拍車を かけ、かえって反動的教育政策を支えるテコとして利用 されている。だから、私事は組織化されなければならな いし、組織化されることによって、自由のための抵抗も また方向性を獲得するのである。」(5)
ここには、 「私事」として現れてくるであろう多様な 父母の教育要求の中から、共通な要求をさぐりあてるこ とが目指されるべきであるということが、「私事の組織 化」論として述べられている。そして、この教育要求の 共同化が、さきにみた、基本的人権を行使しうる能力を 公教育により平等に保障する必要を訴えることと同時に、
「私事の組織化」論として論じられているのである。だ が、これら二つの意味は、予定調和的にとらえられると いうよりは、異なった文脈からの意味が述べられている というべきではなかろうか。(この点については、3章 で検討を加えてみたい。)
ところで、公教育を私事の組織化として組み変えてい くという実践的課題を達成していく筋道にかんして、堀 尾は次のように述べていた。
「この[父母との一引用者]緊張関係を教師はその創 造的活動への障害とするのでなく、公教育の組みかえの ための必然的な課題として受けとり、これを解決するた めには、父母の教育の場における関心を、自分の子ども のそれから、それを媒介としながら、自分の子どもの成 長のための学級、あるいは学校集団のそれへと拡大する 努力が必要になる。それは、教師とともに父母に教育を 自己のものとする意識が成長しそれが、自分たち[原文 には「たち」に傍点]のものへと発展し変化する過程で
ある。」(6)
本稿で注目したいのは、「私事」として現れてくるで あろう、階層差にもとつく違いをも含めた、個々の親の 教育要求のなかから、子どもの発達の意義を中核とした 共通する部分をさぐりあてる仕事を、専門家である教師 の課題として提起している点である。すわなちここには、
教師のイニシアティブを中軸として、父母の教育要求の
集団化を実現しようとする筋道が述べられていると言え
よう。そして、こうした議論は、以後、教育裁判が進め
られる60年代から70年代にかけて、主に、教育専門家の 自律性として、展開されていくことになるのである。
この堀尾の議論に対して批判をおこなっている一人に、
後藤道夫がいる。後藤は、 「『古典的近代』の諸原則に は、能力主義競争、業績競争を忌避する思考はもともと は存在しない」と述べて、 「私事性原則」という論理は、
現在の社会状況においては、結局のところホワイトカ ラーの論理への事実上の接近となると、論じているので
ある。(7)
後藤が述べているように、はたして「私事性原則」が、
競争秩序に接近したものとなっていると、言えるのかど うかという点は、教育要求自体を批判的に検討すること によって、実証的に検討されるべき重要な問題であろう。
いずれにしてもこのような後藤の批判は、先にみた市民 社会レベルにおける競争秩序意識の拡大により、制度と しての民主主義が形骸化されているという渡辺の分析と、
分析視角の点で共通のものである。そして、父母の教育 要求自体を批判的に分析する作業の必要性を述べている 点で注目される。
ただ、 「私事性論」は、今日の実践的課題との関連だ けではなく、近代教育の本質認識にかんする問題、基本 的人権論にかかわる議論でもある。本稿では、 「私事性 原則」そのものの検討ではなく、教育要求の「組織化」
にかんする議論、及び、それにかかわる、教育専門性の 議論に検討が絞られるはずである。(8)
1−3 教育意識分析の課題
以上のように、高度経済成長以降の社会構造の変化、
そして「私事の組織化」をめぐる議論をふまえれば、今 日、父母の教育要求のあり方を考察する課題は、次の二 点になろう。
①高度経済成長以降広がってきているとされる競争秩 序意識が、実際に父母の教育意識の上に、どのような形 で現れているのだろうか、あるいは現れていないのだろ うか。それを実証的にさぐる必要がある。このことはま た、近代学校の平等化機能に対するかげりの問題が、実 際に父母の教育意識の上に、どのような形で現れている のか、いないのか、ということにも関わってくるだろう。
②「私事の組織化」論で堀尾が展望していたような、
多様な父母の教育要求の中から共通の要求をさぐりだす ことが可能であるということの検証のためにも、現在に おける父母の教育要求のあり方を分析する必要がある。
特に、個々の親の教育要求を集団化する課題を、教育専 門家の自律性を確保することを中核として実現していこ うとする筋道が、今日の状況の中でいかに機能していく ことになるのかを、検討する必要があろう。
以上二つの課題を、本稿では次の構成によって検討し ていきたい。
まずはじめに、アンケート調査によって得られた資料 を、数量化3類の手法を使って解析し、教育意識の類型 化分析をおこなう。そして次に、この分析結果をふまえ て、 「私事の組織化」論をめぐる理論的課題について考 察を加えたい。
本論の結論をあらかじめ提示しておくならば、次のご とくである。
①今日、父母の教育意識には、競争秩序への因われ の意識が拡大しているのと同時に、社会階層の違いを基 盤とした、容易には共同化しえない分化が進行してきて
いる。
②こうした父母の教育意識状況に面して、これまで の「私事の組織化」論が想定してきた、教育専門家の自 律性を中核とすることによる教育要求の共同化は、困難 なものとなってきている。
そしてこの共同化の新たな筋道を、本稿では、教育に おける民主主義の問題として、その展開をこころみるつ
もりである。
2 教育意識の「分化」
親たちの公立学校に対する要求を統計的に見てみるた めに、アンケート調査の結果を数量化3類によって処理 してみたのが次の図である。データとしたアンケート調 査は、東京近郊のM市内の公立学校に、小学校5年生、
または中学校2年生を通わせている保護者を対象として、
1990年2月に行われた。配票数2115、有効回収票数1519、
有効回収票率71.8%であった。(9)
アンケート調査では、後の資料に示したように、父母 の教育意識に関して次の5っの質問項目を設定している。
本節ではこの質問項目を父母の公立学校に対する教育意 識の指標として設定し、その構造を分析することにした い。父母の教育意識の構造を分析するにあたってここで は、私学志向の有無、学校規則の可否、偏差値による高 校ランク分けに対する意識、学力競争に対する意識、そ して塾に対する意識という5っの変数について、それぞ れ2っに再コード化し、それを数量化3類によって分析
した。(10)
表2−1は、析出された1軸とll軸にっいて、それぞ れのカテゴリーのウエイトと相関係数・寄与率とを示し たものである。
この表を見てみると、1軸のプラス領域には、ウエイ
トの高い方から言えば、偏差値による高校のランク分け
に対する肯定、学力競争に対する肯定、塾もやむを得な
表2−1
【教育意識の数量化3類解析表】
1 軸 H 軸
偏差値肯定 1.9641 私学志向あり 1.7179 学力競争肯定 1.4876 塾 肯定 1.4417 塾 肯定 1.3071 学校規則批判 1.1056 私学志向あり 0.7568 学力競争否定 0.5758 学校規則肯定 0.6258 偏差値否定 0.2767
私学志向なし 一〇.5684 偏差値 肯定 一〇.7399 偏差値否定 一〇.7345 学校規則肯定 一〇.7979 塾 否定 一〇.7736 学力競争肯定一〇.8098 学校規則批判 一〇.8671 塾 否定一〇.8533 学力競争否定 一1.0577 私学志向なし 一1.2903
相関係数 0.5330 相関係数 0.4683 寄与率 28.4% 寄与率 21.9%
いとする項目などが並んでいる。マイナス領域には、学 力競争否定、学校規則批判、あくまでも学校で学力をつ けるべきであるという項目などが並んでいる。この軸は、
父母が現状に対して順応していることによって競争志向 を示しているのか、順応していないために反競争志向を 示していると解釈しえよう。(ll)
皿軸のプラス領域には、ウエイトの高い方から、私学 志向ありの項目、塾の肯定、学校規則批判などが並んで いる。マイナス領域には、私学志向なしの項目、塾否定、
学力競争肯定、学校規則肯定が並んでいる。この軸は、
教育に関して父母が自由志向を示しているのか、統制志 向を示していると言いうるであろう。
1軸を縦に、ll軸を横にして二っの軸を直交させると、
4タイプの教育意識類型が導き出せる。図2−1は、分 析の対象としたカテゴリー・ウエイトをプロットしたも のである。
図の第1象限は、私学志向を持ち、塾もやむを得ない と考えるタイプで、現状順応的競争志向と自由志向をも つ親たちの教育意識のパターンを示している。そこでこ の教育意識を「自由競争型」と呼ぶことにしたい。第2 象限は、偏差値による高校のランク分け、学力競争、そ して学校規則に対して肯定的タイプで、現状肯定的競争 志向と統制志向をもっ意識類型を示している。そこでこ の教育意識を「統制競争型」と呼ぶことにしたい。第3 象限は、公立学校への進学を考えており、あくまでも学 校で勉強をというタイプで、現状に対する順応性が低い 反競争志向と統制志向をもっ親の教育意識のパターンを 示している。そこでこの教育意識を「統制反競争型」と
呼ぶことにしたい。そして残りの第4象限は、学力競争、
学校規則、そして偏差値による高校のランク分けに批判 的タイプで、現状に対する順応性が低い反競争志向と自 由志向をもっている親の教育意識を示している。そこで この型の教育意識を「自由反競争型」と呼ぶことにした
い。
2−1 自由志向と統制志向
図2−2は、階層的特徴を見るために、年収、母親の 学歴、父親の職業といった属性変数の各カテゴリーが持 っ1軸、fi軸での値の平均値(サンプルスコアの平均 値)を、平面上にプロットしたものである。
まずはじめに、この図のll軸、すなわち自由志向・統 制志向を示すと解釈できる軸にそって、階層的特徴をみ てみたい。
この軸には年収が強く反応している。公立への進学を 考えており、あくまでも学校で勉強ができるようにして ほしいと考えていて、かつ、学力競争にもいい面がある と回答しているような統制志向に親近性をもっているの は、年収で600万円以下と400万円未満という階層的属 性変数の項目である。反対に、私学への進学を考えてお り、学習塾もやむを得ないと考えていて、かっ、学校規 則に批判的な自由化志向に親近性をもっているのは、年 収1200万円以上と1600万円以上という項目である。年収 が低いほど統制志向、高いほど自由化志向への親近性を 示している。
またこの1軸には、父親職業も反応している。統制志 向に親近性をしめしているのは、無職パート、運輸サー ビスという項目であり、自由化志向には専門管理職の項 目が親近性を示している。あるいは母親学歴はこの1軸 にやや複雑に反応しているが、それでも、中卒の項目が 統制志向に、そして短大の項目が自由化志向に親近性を 示している。
以上の点から、総じて低い階層ほど、統制志向に親近 性を示し、高い階層ほど自由化志向に親近性を示してい
ると言えるだろう。
2−2 競争志向と反競争志向
次にこの図の∬軸、すなわち現状に対する順応性が高 いか・低いかを示すと解釈できる軸にそって、その属性 変数の特徴をみてみたい。すると、1軸の場合と異なり、
この軸には、階層的属性よりも、子どもの成績が強く反 応していることが読み取れる。
偏差値による高校のランク分けにいい面があると思っ
ており、学力競争にもいい面があると回答していて、か
っ、塾もやむを得ないと考えている現状順応的競争志向
に親近性を示しているのは、子どもの成績が5段階評価
翻串藤以雇纒
○楚癒潮鰹督
尋.㌣
翻串瀬佃皿
博釈蝦甫
円駆塔
尋.O
翻串韻醗爆
翻串韻隠田皿
翻命鰹鷹雇埠
禦
課閏
翻串綴雇爆
で中の上以上という項目である。逆に、学力競争には悪 い面しかないと回答しており、学校規則に批判的で、か っ、あくまでも学校で勉強ができるようにしてほしいと 考えている非順応的反競争志向に親近性を示しているの は、子どもの成績が中以下の項目である。
2−3 教育意識類型の階層的特徴
以上の検討を、四つの教育意識類型の階層的特徴とし てまとめると次のようになる。
私学志向をもち、塾に対してやむをえないと見ている この「自由競争型」に親近性を示しているのは、年収12 00万円以上、母親の学歴では短大卒であり、父親の職業 では専門管理職である。子どもの成績で見てみると、中 の上以上というものが親近性を示している。
この「自由競争型」とは逆に、公立学校への進学を考 えており、あくまでも学校で子どもの学力をっけてほし いと願っている「統制反競争型」に親近性を示している のは、年収600万円以下、父親の職業は運輸サービス関 係または無職であり、子どもの成績は中以下である。
現在の学力競争に対して批判的で、頭髪や服装に対す る学校規則に対しても批判的で、かつ偏差値による高校 のランク分けに批判的な特徴をもっ「自由反競争型」に は、特に親近性を示す階層的属性は見られない。
高校のランク分け、学力競争そして学校規則に対して 肯定的な特徴をもっ「統制競争型」に親近性を示してい
るのは、母親の学歴が中学校卒というものである。
以上の分析結果からは、次のような人タの姿が浮かび あがってくるであろう。その一つのパターンは、低い成 績で悩んでいて学校に対しては基礎学力の要求が強く、
生活指導に対しても要求が強い教育意識をもつ、階層的 にみて低位にある父母の姿である。さきの教育意識類型 で言えば「統制反競争型」と呼んだこのパターンの背後 には、階層が低位で低学力問題の悩みを抱えており、や がては進学達成も低くなることが予想される、いわば閉 ざされた進路展望をもたざるをえない父母が存在してい
る。
他方では、高い成績を獲得し高度な進学学力要求の強 い、かっ、学校規則に対する自由化要求が強い、階層的 にみて相対的に高い父母が一定のはばをもって同時に存 在している。 「自由競争型」と呼んだこのパターンの背 後には、階層が高く、子どもの学校での成績も上位であ
り、今後の進学達成も高いことが予想される父母が存在 している。
われわれが、今日の教育をめぐる過剰な競争秩序意識 をめぐる問題の打開を考えようとする場合、「自由反競 争型」と呼んだ、いわば共同的で自立的な教育意識タイ
プは注目されるべきであろう。しかしこのタイプには、
親近性を示した階層的属性が見られなかった。したがっ て、階層的には多様な層がこのタイプに属していること が予想され、階層とは異なった属性変数をさぐることが 必要となる。
2−4 教育意識の分化
ここで、教育意識の分析結果をふまえながら、1章で 示しておいた、教育意識分析の二つ課題にっいて論じて おきたい。
一つ目の、競争秩序意識の父母の教育意識への影響と いう点について結論を先に述べれば、それは単に拡大し ているというほど単純なものではないというが示されて
いる。
ホワイトカラー層がその主な担い手として考えられる 自由競争型と同じく、競争志向を持ちっつも、かつ統制 志向も同時にもっ統制競争型の教育意識には、母親中卒 という項目が親近性を示していた。このことは、渡辺が 指摘していたごとく、企業に勤めて競争によって上昇し ていくことを展望できる家庭のみならず、相対的に低い 階層の父母にまで、競争秩序意識が広がっていることを、
予想させる。
また、このことは、今日、経済格差の「成績」への影 響が問題とされっっあるにもかかわらず、現在の学力競 争に対する「不公正」感が生まれているようには思えな い状況との関連をも予想させる。多くの者にとって不利 な競争が、繰り返し続けられているにもかかわらず、現 在の競争に対する「不公正」感は現れているようには見 えない。出発点においても、その過程においても、公正 とは言えなくなっているこの競争に対して、 「不公正」
感があらわれないことの背景には、渡辺が指摘している ような、企業社会における競争秩序意識の存在が考えら
れる。
しかしその一方では、職業で言えば、運輸・サービス 業や、年収では600万円以下という属性項目が、現状に 順応している競争志向とは逆の、反競争志向に親近性を 示している結果も示された。こうした層には、企業に勤 めることと異なった、自営的な生活展望を背景とした、
競争秩序に対する一定の批判意識が見られるとも言える。
したがって、相対的に低い階層の父母の教育要求の動 態は、競争秩序の影響をうけっっも、独自の矛盾を抱え ており、この矛盾は、逆に言えば、競争秩序から一定の 自律性を獲得しうる可能性を秘めているともいえるであ ろう。いずれにしても、この競争秩序意識の拡大状況を 明かにするためには、アンケート調査の分析のみならず、
より質的な資料を加えた、さらなる検討を要するものと
思われる。
次に、二つ目の点にっいて検討してみたい。
「私事の組織化」論では、子どもの発達という価値を 中核として、階層差をも含めた父母の「多様な」教育要 求の中から、共通の要求をさぐりだすことが可能である とされていた。また、それは、教育専門家の自律性を確 保することを中核として実現されうることが述べられて いた。ここでは、教育意識分析の結果をふまえて、まず、
教育要求の組織化・集団化という目的そのものの検討を してみたい。そして次に、章をあらためて、教育専門家 の自律性と教育要求の集団化との関係について検討をこ ころみたい。
今回のアンケート調査からは、子どもをこの社会で
「一人前にする」という共通の目的のためであっても、
それぞれの階層の親たちが、学力競争や学校規則、そし て私学志向に対して異なった意識を持っようになってい ることが示されている。階層差による教育要求の違いは、
単に「多様」というよりも、それぞれの階層の家庭にお ける生活展望の違いを背景にもった、 「分化」と言える
ものになっている。
例えば、学校規則を求める父母の要求を見てみた場合、
これは、教育の自由の原則からすれば、公教育にとって 決して積極的には肯定されるものではない要求としてと らえられよう。だが、この学校規則の肯定意識の背後に は、相対的に低い階層の親の教育要求が存在しているこ とを我々は考えなければならない。また、自由志向をも ちつつも、同時に競争志向をもっ、自由競争型とさきに 名付けたタイプの教育意識には、ホワイトカラー層の階 層的属性が親近性を示していた。企業に勤める家庭がこ のタイプの教育意識を支えていることが予想できる。
すなわち、先に示した教育要求の四類型にそって言え ば、 「私事の組織化」論では、自由反競争型の教育意識 と自由競争型の教育意識との区別が論理的にはつけられ ず、それらが同一視されてしまう問題が生じている。そ して逆に、統制反競争型の教育意識が批判的にしか捉え られないという問題が、今日生じているのである。この ことは、先に後藤が予想していたように、ホワイトカ ラー層の教育要求に、 「私事性」原則が親和的であるこ とを、裏付けることにもなる。(12)
また、これとは別に、競争志向とは逆の反競争志向と 自由志向とを同時に示す意識類型の存在が、競争志向に 対抗的で、かっ統制志向とも異なる意識類型として注目 される。今後、階層的属性以外の何らかの特徴をさぐる ことが求められるだろう。この意識類型に示されるよう な、競争秩序意識から一定の距離を保てており、かつ、
自由志向をもっているのは、いかなる父母たちなのであ ろうか。
3 父母の教育要求と公教育
3−1 教育専門家の自律性と父母の教育要求
ここでは、検討課題として残してきた、教育要求の組 織化と教育専門家の自律性の確保との関係について論じ てみたい。
教育専門家が自律性を確保されなければならない根拠 は、もともとは、子どもの学習権を充足させるためには 何よりも教育専門的力が必要とされてくるという点に求 められきた。すなわち、文化価値というものは、子ども の発達をうながす限りにおいて、その子どもにとっての 教育的意味をもっのであり、それを専門的技術をもって 遂行していくのが、教育専門家の役割であるととらえら れてきた。(13)
本稿で問題としたいのは、この、学習権保障のために 教育専門家の自律性が必要とされるという根拠それ自体 ではない。問題としたいことは、こうした文脈から主張 される教育専門家の自律性の主張が、教育要求の共同化 と、予定調和的に論じられている点にある。
堀尾は、1977年に出版された兼子仁との共著のなかで、
たとえば、次のように述べていた。
「親は教師(保母)と協同で、子どもの発達を保障する 責務をもっている。したがって、もし親の期待に反する 教育が行われていれば、親は教師に要求や批判を出し、
お互いの意見を調整して、協同で子どもの成長を保障す るというのが、今日の公教育のとらえ方の基本にならね ばならない。」(14)
本稿では、この発言のなかの次の点に注目したい。す なわちその一っは、教育専門家の自律性に加えて、父母 の権利を、学校や教師に要求や批判をだす権利として述 べている点である。これは、70年代になって明確にされ てきた点であろう。そしてもう一つは、父母の要求する 権利に続けて、 「お互いの意見を調整」する必要性をも 同時に述べている点である。
もちろん、 「私事の組織化」論には、教師と父母との あいだに緊張関係が存在していることにかんする言及は、
随所でみられる。だが同時に、「私事の組織化」論には、
あくまでも教育専門家の自律性を確保し、この権利と矛 盾しない限りにおいて、父母に要求する権利を認めるこ とにより、両者のあいだで討論を媒介とした要求の共同 化ができるという想定がある。たとえば、堀尾は、同じ この共著のなかで、PTAについて次のように述べてい
た。
「PTAには、学童をもっすべての親の参加が望まれ、
その活動が、従来のボス支配の具としてのPTAから、
自主的な父母集団と教師集団による、教育についての合 意の形成の場であり、相互批判と励ましの場になること が、国民の教育権を現実に生かすもっとも確実な筋道の 一つだといってよい。」(15)
50年代末以降、緊張感をもって展開してきた議論が、
要求の共同化の必要性にっいて論じた途端に、リアリ ティをなくしてしまうように感じるのは、論者だけであ ろうか。そうではあるまい。
今日の社会構造のなかでは、教育専門家の自律性の主 張は、父母の教育要求が組織化されるうえで必要な要素 ではあっても、それだけでは、かえって、その意図とは 逆の機能を、はたしかねないのである。すなわち、高度 経済成長以降の社会構造においては、教育専門家の自律 性を、父母に向かって論じることは、それぞれの階層の 親たちに、学校や教師に対する不満を蓄積させる結果に なりかねないのである。実際に、公立学校に対する不満 が父母の間に広がっているという問題は、教育要求の分 化に対する学校の対応がなされていないという問題でも あろう。
また、これまで検討してきたように、父母の教育意識 が「分化」してきている中では、教師の専門性を支える はずの父母からの「信託」のあり方が、問題とされてこ ざるを得ない。どのような専門性の内容が、どの階層の 教育意識と適合的になっているのかという問題が起こり うるのである。例えば実際に、しっけを学校に要求する 層の声を軽視することは、現在の状況のもとでは、やや もすると中間層の教育意識に適合的で、下層の教育要求 には必ずしも適合的ではなくなっている。
3−2 教育における民主主義
いずれにしても、さまざまな階層の親の教育要求が、
今日どのような形で存在しており、それをどのように結 びあわせることが可能なのかという問題は、じつは、教 育専門家の自律性を確保することを中核として教育要求 の共同化をはかるという、当初、私事の組織化論が想定 してきた筋道自体を、根本的に再検討することを必要と する。すなわち、教育要求の共同化は、教育専門家の自 律性を確保するのみではなく、それとは別の論理によっ て、実現されるものであることが、論じられなければな
らない。
教育要求を共同化することと、教育専門家の自律性と が、予定調和的にとらえられたままに終ってしまってい
る要因としては、50年代末に論文が執筆された社会状況 のなかでは、国家に対して教育の専門性を確保すること
が当面の課題であったことがまずあげられよう。(今日 においても、この点にかんする教育の専門性がもっ意義 は非常に大きいであろう。)また、父母の教育意識には 今日のような競争秩序が現れておらず、 「子どもの発 達」という普遍的価値を、父母が自覚することにより共 同が可能であるという判断がはたらいたことも考えられ よう。しかし本論では、次に示すような、教育の自律性 を制度化する構想が断念されたこととの関係に注目した い。堀尾は58年の論文で、次のように述べていた。
「教育の自律性は、子どもたちや親たちの幸福の追及と 本質的に結びあうのであるが、しかし、確信をもたない 追従は、かえって、その本来の任務を遂行するのを妨げ る。むしろ、自律性は指導としての性格を放棄すること はできない。したがって教育は、権力に対して自律を要 求すると同時に、子どもや親たちに対してもまた、指導 を有効にはたすために、自律的なのである。確信的・自 主的でありえない教師は、親の委託にこたえられないの である。/この二重の条件に照らして、公教育の組織が 評価されるだろう。たとえば、地域の住民を教育的要求 の組織者とする教育委員会制度があるし、あるいは別の 調整の機構、たとえば教育・学問・文化の専門家たちに よる専門的指導の組織によって、教育の自律性を制度化 する構想も考えとしては成立する。しかし、前者によっ ても、現実の利害や要求の相違を最終的に調停すること はできないことは、日本でもアメリカでも明かにされて いる。地域の支配的勢力が、より大きな権力と結び、法 の適用にさえかくれて、 『公共性』を独占し、枠づけよ
うとするからである。…」(16)
ここでその地域支配の実態として引用されていたのは、
宗像誠也のr教育行政学序説』の中の、G. S.カウン ツによるアメリカにおける教育委員会委員の社会的構成 を調査した研究を紹介している部分であった。言うまで もなく、このカウンツの研究とは、公選による教育委員 会であっても、その委員の社会階層上の構成は、著しく 有産・有識階層に偏ったものになっていることを、調査 によって明かにしたものである。すなわち、規範よりも、
実態として、教育における民主主義のあり方を問題とし て提起した研究であった。しかしながら、日本において この研究は、教育委員会が任命制に改定されて以後、あ まり注目されてきていない。
今日、教育専門家の自律性を中核とした、父母の教育 要求の組織化が困難になっているとしたら、それに代わ る議論が求められなければならない。その場合、もはや、
今日における父母と学校との関係の問題は、 「教育にお
ける民主主義」をぬきには解決できないのではないだろ
うか。そしてこの、教育における民主主義の原理をさぐ る作業は、政治からの教育の「分離」という規範にまで さかのぼって進められなければならない。学校を、民主 主義社会の要の制度としてとらえ直し、民主主義の原理 からも学校をとらえ直すことが必要となる。
しかし、民主主義の原理から学校をとらえ直すことが 必要であるとしても、民主主義とは何かをめぐる問題は、
それほど自明なものではない。
現在、父母と学校との関係を変更するためのさまざま なプランが議論されている。父母委員会構想、バウチャ ープラン、PTAの活性化、そして公選制教育委員会の 復活などの議論である。こうした議論は、いわば、専門 家にパブリックを形成する課題を担ってもらおうとする のではなく、はばひろい父母の参加によってそれを実現 させようとするものであろう。これらの議論の背景には、
それぞれに、独自の民主主義のとらえ方が存在している と思われる。その一っ一っを検討していく作業が今後必 要となってくると、論者には思われるが、今のところそ れを論じることはできない。ただし現時点で言えること は、こうしたさまざまなプランをめぐる議論においても、
父母の個々の要求をブラックボックスとしていては、そ の実態は捉えられないということである。確かに、自己 決定の権利は、あくまでも個人がもつものであることは、
民主主義の理念として共通に捉えることが可能であろう。
しかし、企業社会における競争秩序意識が、市民社会レ ベルで広がっている今日、個々人の要求は、個々人の要 求ではなくなっていることがありうるのである。従って、
父母の教育要求に対して学校がより応答的になることが、
学校の再生のために必要な条件であるとしても、個々の 父母の要求をブラックボックスとして問わない形では、
その父母と学校との関係は、完全なものとは言えない。
3−3 自由反競争型意識と政治参加体験
企業社会の秩序に対して、徹底した民主主義の原理を 対置させることは容易ではない。それだからこそ、今日 の教育要求に競争秩序意識を相対化させる要素をみるこ とは、どのようにして可能となるのかという課題は重要 である。
教育における競争秩序意識から一定の距離をっくれる 主体の形成は、 「権威的競争的秩序を批判し、その超克 をめざす主体の形成」(渡辺)に結び付けて捉えられな ければならない課題であろう。今日の教育要求に競争秩 序を相対化させる要素をみることは、何によって可能な のであろうか。最後にこの問題についてふれておきたい。
今回は検討することができなかったが、今後さらなる 検討が必要と考えられる「自由反競争型」の教育意識類
型に親近性を示したのは、父母の参加体験を属性変数と してみた場合、議会への陳情・請願の経験があるという 項目であった。今日の教育における改革主体が問題とさ れるとき、学力競争に対して一定の距離をとっている意 識特徴をもっているのが、いわゆる教育参加ではなく、
政治参加と呼びうる議会への陳情・請願行動の経験者で あったことは注目すべきである。確かに、渡辺の議論か らしても、地域・社会への参加は、企業社会における競 争秩序からははみでてくる要素として存在しうる。ある いはまた、競争秩序の中では得られない人間関係の感覚 を、参加者に創り出す可能性をもっているとも考えられ る。その意味からも、今日における自由反競争型教育意 識を支える主体にっいての検討が、今後必要とされる。
ところで、自由反競争型に政治参加が親近性を示して いることは、従来、教育参加からは分離されて捉えられ ている政治参加が、実は教育意識と密接な関係を示して いることを示唆している。
民主主義社会において、自己決定能力あるいは自己選 択能力とは、諸個人が持っべき資質であろう。そして、
この能力の獲得は、ある人間関係の中でしか獲得できな いものでもあろう。民主主義を理念として掲げるならば、
これを社会的に保障する制度が必要である。こうした民 主主義の問題を教育制度論に導入すること、いいかえれ ば、民主主義を人間の共同性を制度的に保障する参加の 制度化として捉えることのためには、これまでの教育制 度論とは異なった新しい研究方法が必要となってくるの ではないだろうか。(17)今後ますます学校と父母、学 校と地域との関係が問題とされる場面が生まれてくるで あろう。そうした場合、「教育における民主主義」のあ り方が問われてこざるをえないのである。
註
(1)渡辺治「現代日本社会の権威的構造と国家」 『権威 的秩序と国家』 (藤田勇編、東京大学出版会、1987 年)。
(2)潮木守一r学歴社会の転換』、東京大学出版会、197 8年。
(3)黒崎勲は、教育の専門職主義と民衆統制とが教育権 論において予定調和的にとらえられている問題を、
すでに1977年に指摘している。本稿は、この論
文から多くを学んでいる。そして本稿は、黒崎に
よって論じられていた民衆統制の問題を、今日にお
いて、論者なりに展開しようとするものである。黒
崎勲「教育委員会論と教育権論」r東京大学教育学
部紀要』17(1977年)参照。
(4)勝田守一、堀尾輝久「国民教育におけるr中立性』
の問題」 r現代教育の思想と構造』 (堀尾輝久著、
岩波書店、1971年)、411頁。初出は1958年から59年。
(5)同上、448頁。
(6)同上、449頁。
(7)後藤道夫「臨教審批判と国民の教育権論」 r競争の 教育から共同の教育へ』 (吉田千秋ほか著、青木書 店、1988年)、222頁。
(8)近代公教育理念としての「私事性原則」の検討をお こなうためには、今日の社会状況におけるこの理念 の機能分析にくわえて、教育における国家の問題、
および、教育と社会的分業の問題をふくめた検討が 必要とされるように論者には思われる。私事性論が 「二っの側面」をもっているという点については、
次の文献を参照されたい。持田栄一、堀尾輝久ほか 「(シンポジウム)教育理論と教育運動」 r教育』1 35号(1961年11月)。なおこの文献は、児美川孝一 郎(東京大学大学院)氏から指摘していただいて論 者が読んだものである。
(9)アンケート調査の概要及び結果にっいてはr教育に おける競争と共同の意識調査報告書一東京近郊M市 における公立小・中学校父母アンケート調査一』、
東京都立大学教育学研究室「現代と教育実践」グ ループ、1990年12月を参照。アンケートは留置によ る自記式調査である。なお、この調査は、1990年度 「東京都立の大学研究奨励費交付金」の支給を受け て、東京近郊のM市内、合わせて14の公立小・中学 校に子どもを通わせている保護者を対象におこなっ たものである。また、父母の教育意識調査に関する 先行研究として次の論文から、多く学んだ。高口久 明「父母調査」松原治郎r教育調査法』、有斐閣、1 985年、及び同「地域社会における学校と父母一 r父母の教育意識』論の今日的課題一」 r教育学研 究S第54巻第2号、1987年6月。父母の教育意識と その社会階層との関連にっいては、特に87年の論文 で指摘されている、学校依存意識と父母の社会階層 の関係分析をさらにすすめることを、本稿は目指し ている。
地位変数に関する調査票の質問項目、及び集計に 際しての再コード化は、次の要領でおこなった。所 得については家族の昨年度の年間総収入を選択式で 質問した。集計に際しては400万円未満、400万円以 上600万円未満、600万円以上800万円未満、800万円 以上1200万円未満、1200万円以上1600万円未満、16 00万円以上の6段階に再コード化している。父親の
職業については、現在就労している職種について選 択式で質問した。専門・管理職、事務・販売関係及 び自営業、運輸通信・労務関係及びサービス業、無 職その他の、4職種に再コード化した。成績は、上、
中の上、中、中の下、下の5段階で質問した。集計 に際して、中の上以上、中、それに中の下以下の3 段階に再コード化している。母親学歴は、最終学歴 を選択式で質問した。集計に際しては、中学校卒業、
高校・各種学校専門学校卒業、短大卒業、大学卒業 以上の、四っのカテゴリーに再コード化した。
(10)わずか5変数・10アイテムカテゴリーによる分析で は、もちろん今日の父母の学校に対する教育意識の 構造を解明するのに十分ではない。しかしながら、
仮説的なものであるにしても、今日の父母の教育意 識の全体構造を考察する上で、有効であると思われ る相関軸が現れているので、今後の追試調査で意識 構造の分岐軸としての安定性を確認することと、変 数を増やした上での再度の検討が必要であることを あらかじめ限定した上で、このカテゴリーによる分 析を進あたい。
(ll)この1軸の解釈については、 「今日の生活破壊と子 ども・学校」研究会(代表 久冨善之)での、前出 r報告書』合評会で指摘をしていただいたことを参 考にして、 r報告書』で示しておいた1軸解釈を修 正した。
(12)シリアスな現実の問題を含むだけに、慎重に述べな ければならないが、論者には、父母委員会構想にか かわるさまざまな動きの中の一部にも、同様な危険 性がはらまれているように思われる。この点につい ても、いずれ分析する必要があると考えている。
(13)堀尾「現代における教育と法」前掲書所収、323−4 頁。初出は、1966年。
(14)堀尾「第一部 国民の学習権と教育権」r教育と人 権』(堀尾輝久、兼子仁、岩波書店、1977年)、85
頁。
(15)同上、87頁。
(16)堀尾、前掲r現代教育の思想と構造』、414頁。
(17)論者はこの新しい研究方法として、教育政治学とい
う、主にアメリカ合衆国において1960年代以降に展
開してきている動向に注目している。教育政治学の
成立と展開については堀和郎rアメリカ現代教育行
政学研究』、九州大学出版会、1983年を参照。なお
あわせて、拙論rl970年代における教育政治学の展
開一rシステム論』に対する批判的検討一」都立大
学教育学研究室紀要r教育科学研究S第8号、1989
年も参照されたい。
付記 この論稿が依拠している調査は、教育実践にかか わる多数の方々の協力と、報告書に名前を連ねている研
【資 料】
父母の教育意識に関する質問項目
「現在のような学力(成績)競争についてどうお考えですか。次の
、ち、近いものに○をつけてください。」
37%;将来社会で体験する競争の厳しさになれるなど、良い面も ある。