【論 説】
資本蓄積と経済成長
―資本の再生産関数と商品の生産関数の統合―
大 野 節 夫
は じ め に
資本主義は自分を再生産する資本の原理であって,資本による商品生産す なわち資本主義的生産ではない.資本主義の探求においてわれわれが獲得し た結論は,再生産する資本主義を構成するには第 1 図にみられる四象限が必 要であり,これによって資本の蓄積・貯蓄・金融・投資を連関させることが できるということであった.第I象限に姿を現しているのは利潤率を独立変 数とし,資本成長率を従属変数とする資本主義である.これが対極の第Ⅲ象 限に,他人金融の利子率と経済成長率に相関する資本による使用価値の生産 の原理すなわち資本主義的生産も成立させ,なにが第Ⅰ象限と第Ⅲ象限との
* 四象限グラフの試論は「資本蓄積と産業循環」と題して「独占研究会」(2008年5月24日)
で最初に報告した.研究会でコメントされた出席諸氏に感謝する.
はじめに 1 交換と分配
2 貨幣賃金との交換にもとづく剰余価値 3 資本の再生産関数――蓄積表式 4 蓄積・貯蓄・金融・投資の四象限グラフ 結びに替えて
関連を成立させるのか,という新たな謎をも提起している.
なにが蓄積・貯蓄・金融・投資を統一しているのかを見いだすときに謎は 解ける.
統一しているのが社会的総資本か自立した資本かの二者択一になるかどう かを検討すれば,社会的総資本では商品を生産し,商品を分配する資本主義 的生産を成立させるから,むしろ資本主義的生産と表現したほうが適切であ ろう.また,自立した資本では資本の自立の根拠がなにに求められるか,に 転回するから資本それ自身に求めるかぎり解決をみいだすことが困難である.
これらのいずれも謎を解くことにはならないのであって,これに代替する二 者択一は自分を再生産する資本か商品を生産する資本かにあるというべきで ある.商品を生産する資本はそれ自身客体であり,資本家の所有物あるいは 所有の対象となる社会的総資本ないし社会的総商品であるが,資本が自分を 再生産している主体であることからは資本の自立が導けるからである.第Ⅰ 象限で交換と再生産によって生成する資本は第Ⅲ象限で「成長戦略」と金融
g
i
Ⅱ.
貯 蓄
金 融
Ⅲ.
投 資
Ⅳ.
Ⅰ.
蓄 積
G r
第 1 図 再生産する資本主義の四象限グラフ
政策とを統一する商品を生産する資本の相関関係に帰着する.われわれは資 本が自分を再生産する資本であることを緒にして第1図の謎解きに進もう.
1 交換と分配
資本主義分析をなにから始めるべきだろうか,なにから始めるときに第1 図に到着できるのだろうかにおいて,商品生産か商品交換かの二者択一が提 起される.前者は商品から貨幣そして資本の展開を,後者は商品交換から資 本の再生産の展開を予定する.
商品生産は資本主義的生産の結果としての商品に接合する.周知のように マルクス『資本論』は次のような文言から体系展開を始めている.
「資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は,『商品の巨大な集積』として現 れ,個々の商品はその富の元素形態として現れる.それゆえ,われわれの研究は商品 の分析から始まる.」(Marx, Karl (1989) S. 49)
自然からの富の生産が資本主義的生産様式として取り上げられ,最初から 富は商品形態をまとっている.彼は自然からの生産の結果としての商品から 分析を開始し,資本主義的生産様式の結果として商品を位置づける.だが,
これによってはなにが使用価値と交換価値を統一しているかには答えられな いままである.
商品交換から開始すれば,他人から富を取得する交換が使用価値と交換価 値を統一して商品を成立させること,商品交換と再生産が主体によって統一 されることがあきらかになり,交換比率に関する交換主体の合意の必要性を 浮かび上がらせることができる.
われわれは交換が使用価値と価値とを統一して商品を成立させるととらえ,
貨幣と商品との交換から交換に立脚する資本の分析をおこなう.資本は貨幣 との交換にもとづいて生成し,労働者とは貨幣賃金での交換がなされ,機械
設備や原材料とも貨幣での交換がおこなわれる.実際商品を構成する使用価 値と交換価値を統一しているのは交換であり,生産ではない.裸の使用価値 に価値ないし価格の衣類をまとわせ,商品とするのは交換である.
経済学の対象が生産・分配・消費の関連であることは自明なこととみなさ れているが,これらを統一しているのは使用価値あるいは効用であって,価 値あるいは価格ではない.生産と消費を分配が統一する結果,商品の分析か らは使用価値を尺度単位とする「分配の三角形」すなわち生産された商品の 総体が個別商品と特殊な商品に分割されることが不可避となる.個別商品に 特殊な商品すなわち個別使用価値に特殊な使用価値の商品を等置し,両者を 共通の第三の商品一般に還元する「三位一体」が成立する.
資本主義分析を商品からでなく,商品交換から始めるならば,自他の交換 主体が交換客体である商品の価値あるいは価格を尺度単位として交換する,
交換の四角形を成立させる.交換の四角形はA,Bという交換主体が自他の 富を引き替えにして交換によって他人の富を取得するものであり,第 2 図の ように提示可能である.交換関係のなかで引き替えにされる自他の富は商品 形態をまとい,Ca,Cbになる.ここでは交換主体A,Bの自他の交換客体
Ca,Cbに対する関係を実線で,交換主体がただ他人の交換客体の使用価値に
欲求をもつことを破線で表現していてもまだ交換を予定しているだけで自他 の商品の交換比率は表示してはいない.
交換の四角形は,さしあたり相互に交換欲求を抱くような交換客体をもつ B
Ca A
Cb 第 2 図 交換の四角形
二人の交換主体が出会う事態を表現しているが,交換主体相互にはもとより なんら関係が成立していない.そこで一方の交換主体Aが交換関係を現実化 しようとすれば,Cbを尺度単位として自分の商品の価値を表現することから 始める.これが第 3 図の交換関係(1)である.
なぜ商品交換の四角形から始めるのかということには,第一に,さしあた り交換比率の手がかりはこれ以外にはなく,交換比率を直接に表現していな いからであり,第二に,交換のプロポーズは,自分の商品でなく,他人の商 品Cbを尺度単位としておこなわれ,相手の答えを期待するからである.こ
うしてCa/Cb=2という交換客体の交換比率が表現されるならば,第三に,交
換主体Bがこの交換比率に合意するときにはじめて,交換関係(2)へ移行し,
交換比率が成立する.
両者が合意した交換比率での交換が行われれば,最後に到達点として表示 した「持ち手の変換」としての分配が成立する.ところが,マルクスは「持 ち手の変換が諸商品の交換である」(Marx, Karl (1989) S. 100)として,交換と分 配とを同一視し,区別していない.これがマルクスの商品生産から分析を開 始することの根本的な欠陥なのである.これによって彼は交換と分配とを区 別することができなかったこと,同時に,このことはいままでだれによって も指摘されていないから,彼以後の経済学者も交換と分配とを区別する術を 知らないといっても過言でない.経済学者は交換と呼びながらも,使用価値 を尺度単位とする分配を取り扱っているのである.
交換関係(1) 持ち手の変換=分配
Ca = 2Cb
A B
Ca / Cb=2
交換関係(2)
Ca = 2Cb
A B A B
第 3 図 交換の経緯
とはいえ,マルクスが『資本論』初版の付録に記した交換主体の交換比率 についての合意の成立の経緯は,貨幣と商品の交換が交換比率の,価格の合 意にもとづくことを示唆している.自他の富の引き換えは交換比率を不可欠 にし,交換主体による交換比率の合意を不可欠にする.マルクスは交換主体 ではなく,生産者としてであれ,交換の四角形と合意を交換成立にあたって 十分認識していたのである.
「そこで,われわれはリンネル生産者Aと上着生産者Bとのあいだの物々交換を考 えてみよう.彼らが取引で一致するまえには,Aは20エレのリンネルが二着の上着 に値すると言い,これにたいして,Bは,一着の上着が22エレのリンネルに値する と言う.……長い間商談したあげく,彼らは一致する.Aは,20エレのリンネルが 一着の上着に値すると言い,Bは,一着の上着が20エレのリンネルに値する,と言う.」
(Marx, Karl (1976) S. 765)
この文章をたびたび引用している広松渉(広松渉(2010)159ページ参照)も 交換と分配とを区別する交換主体の合意の有無を問題にしていない.交換比 率は商品の等置関係に内在しないで,交換者の価値表現にもとづく合意によっ て確定されるはずである.
もちろん交換比率は無根拠なのでない.マルクスは商品を生産する労働に 根拠を求めたが,われわれは商品の交換力の根拠を,商品を取得する労働に 求める.商品を取得する労働が価値あるいは価格での交換比率の根拠になり,
使用価値の分配が根拠づけられる.交換関係(1)は,交換の四角形を表現し,
交換主体A,Bとそれぞれの商品Ca,Cbの取得関係を実線で,また交換主体A,
Bが交差的に,それぞれの商品の使用価値Ca,Cbに欲求を抱いていることを 破線で表示する関係において成立する.交換主体Aが自分の商品Caの価値を 他人の商品CbでCa/Cbと尺度しCa/Cb=2と表現する.一方の交換主体Aの 価値表現に他方の交換主体Bが同意し,合意が成立すれば,それぞれの商品
を引き替えて取得する交換Ca=2Cbに現実化され,交換関係(2)に移行する.
しかし,マルクスは交換主体の合意を結局明示しなかった.このためもあっ て,商品交換での交換比率に関する合意の必要性は無視されてきた.むしろ 交換比率に関する合意に替わって彼が重視したのは価値形態であり,価値関 係に潜む価値表現であった.すでに指摘したようにここに潜む問題が交換と 分配とを区別しなかったことにある.マルクスは貨幣形態を交換の尺度形態 でなく,分配の価値形態に求めたからである.長文であるが,引用する.
「いまここでなしとげなければならないことはブルジョア経済学によってけっして 試みられることがなかったこと,つまりこのような貨幣形態の生成を立証すること,
それゆえ諸商品の価値関係に含まれている価値表現の発展を,そのもっとも単純な,
もっとも目立たない姿態から目をくらませる貨幣形態にいたるまで追跡することで ある.これによって,同時に貨幣の謎も消え失せる.
もっとも単純な価値関係は,あきらかに,一商品の,どんなものであろうと種類を 異にするただ一つの商品にたいする価値関係である.二つの商品の価値関係は,した がって一つの商品にとってのもっとも単純な価値表現を与える.
……
x量の商品A=y量の商品B すなわち x量の商品Aはy量の商品Bに値する」
(Marx, Karl (1989) SS. 62-63)
ある使用価値の商品に異なる使用価値の商品を等置するマルクスの価値形 態によっては交換比率でなく,分配比率が表示されるだけである.なぜこの ようにいえるのであろうか.「ある商品を異なる使用価値の商品に等置する」
価値関係は
「x量の商品A=y量の商品B」 (1)
であり,これに含まれる価値表現が
「x量の商品Aはy量の商品Bに値する」 (2)
ことである.これがある使用価値にたいして異なる使用価値の商品を交換可 能にする価値表現である.だから,(1)式に(2)式が潜んでいる.すなわち二 つの商品の価値関係に一つの商品の価値表現が潜んでいる.
だが,これは逆ではないのか.(2)式の価値表現が(1)式を措定するのでな いか.交換が交換比率に対する合意を必要とするならば,交換主体による交 換比率の表現に合意することでもって交換が可能になるはずである.
ところが,マルクスの価値形態の特徴は(1)の等式=等置式にあり,これ でもって一方に対し他方を価値単位に措定せずに双方を同時に同じ単位に還 元することにある.等置式でのマルクスの価値形態は,商品を生産する労働 を社会的に同等な労働として社会的に分配している.マルクスは価値形態の 展開で,「ある一つの商品の価値表現が二つの商品の価値関係のうちにどのよ うに潜んでいるかを見つけ出すためには,……異なった諸物の大きさは,そ れらが同じ単位に還元されてはじめて量的に比較されうるものとなる」(Marx,
Karl (1989) S. 64)とのべる.われわれは二つの商品の一方の商品を尺度単位と
して,他方の商品を尺度する,とするが,マルクスは異なった諸物すべての 大きさを一挙に「同じ単位に還元されて」比較可能になるという.これがマ ルクスの価値形態論を決定づけている.瞥見のかぎりでは交換と分配との区 別と同様にだれからもこの欠陥が指摘されていない.
「諸商品は貨幣によって計量可能となるのではない.逆である.すべての商品が価 値として対象化された人間労働であり,それゆえそれ自体が計量可能であるからこそ,
すべての商品は共同でその価値を同じ特殊な一商品で計り,そうすることによって,
この商品を諸商品の共同の価値尺度または貨幣に転化することができる.価値尺度と しての貨幣は諸商品の内在的な価値尺度である労働時間の必然的現象形態である1).」
1) ここでの最後の表現「価値尺度としての貨幣は諸商品の内在的な価値尺度である労働時間の 必然的現象形態である.」について言及しておけば,だれも商品に内在的な価値尺度である労 働時間を確認できないことを知るべきであろう.マルクス自身がこのような労働の規定を「幽 霊のような」(Marx, Karl (1989) S. 52),「たんなる幽霊―労働なるものが現れるが,これは↗
(Marx, Karl (1989) S.109)
「ある商品を異なる使用価値の商品に等置する」ことは「x量の商品A=
y量の商品B」であり,直接に同等な使用価値にすることを意図していない.
商品Aが相対的価値形態にあり,商品Bが等価形態にあるという価値関係が 成立させられる.商品Aに潜む価値は異なる使用価値の商品Bを交換可能に することで表現される.これによってそれぞれの使用価値をつくる労働,有 用労働を等置し,リンネルをつくる織布労働に上着をつくる裁縫労働を等置 し,抽象的人間労働に還元することによって,これによって上着はリンネル と同じ労働からなると表現される.異なる使用価値の等置は両方の労働を抽 象的人間労働に還元するという回り道をおこなわせる.回り道は異なる使用 価値を直接に同等な使用価値にするのでなく,有用労働を抽象的人間労働に 還元させ,同等な労働にするという媒介を意味する.
価値形態になじんでいるものには以上の展開が自明にみえ,したがって価 値形態が(1)式の交換等式あるいは等置式のかたちで表現され,ある使用価 値に異なる使用価値を等置することで成立させられる価値関係に価値表現が 含まれている,とみえる.これによってはある使用価値を生産する労働が異 なる使用価値を生産するのと同等な人間労働に還元される.ある使用価値に 異なる使用価値を等置することは使用価値を同等な使用価値,第三の使用価 値に還元させる.「第一の使用価値=第二の使用価値」の等置式を成立させ るのは両項を第三の,共通なものに還元するからである.しかし,異なる使 用価値が 直接に 一挙に 一般的使用価値に還元されることはないから,
使用価値を生産する有用労働を,人間労働に還元することで媒介させる.あ る使用価値の商品に特殊な使用価値の商品を等置し,等価物にする,異なる
一つの抽象以外のなにものでもなく,それ事態としては見ればなんら実在しない」(Marx, Karl (1978) S. 470)という.二人の交換主体相互では商品を取得する自分たちの労働時間を相互に確 認できるが,三人以上では不可能だから労働時間に代替する貨幣が価値の尺度単位として必要 なのである.
↘
使用価値を等置することは共通な第三のものに媒介させ,これらを生産する 労働の同等性,抽象的人間労働に還元することに媒介させる.しかし,ここ に成立するのは交換の四角形ではなく,分配の三角形である.
分配の三角形は使用価値の分配を表現し,貨幣に媒介されるとして商品流 通=素材変換を成立させる.持ち手の変換に貨幣の持ち手が付加され,貨幣 の持ち手に媒介された配分が成立する.使用価値の持ち手変換としての配分 論は二種類の異なる使用価値の比率を第三のものに還元され,使用価値が配 分の尺度単位となり,使用価値の分配が表現される.自動車の使用価値量に 自転車の使用価値量が価格となり,種類の異なる使用価値量を共通の,第三 の尺度単位に還元して配分がおこなわれる.第三の尺度単位は第 4 図のグラ フに姿を現し,表現される.
グラフに交点(c,b)を求め,一台の自動車と一台の自転車の配分が可能に なる.クロスするdd線,ss線を想定すれば,商品の使用価値が分配の尺度単
d
s
自転車 一台 =P
s
d
c
o 一台の自動車=Q
a
(c, b)
b
第 4 図 商品の使用価値の配分
位をなす需給関係のグラフが描かれる.需給関係のグラフは使用価値の配分 のグラフであり,分配される商品数量(一台の自動車商品)が横軸に,尺度単 位となる貨幣商品(自転車商品一台を尺度単位とする)が縦軸に措定される.
商品量と商品価格の需給関係のグラフは,横軸が数量Qを表示し,縦軸が 価格Pを表示するかたちで描かれる.x軸y軸で表現される自動車の使用価 値と自転車の使用価値には共通性がないが,これらを結ぶ太い直線上の,原 点から直交する点aで区分させて比率として表現することが可能になる.ob とocの異なる使用価値が太い直線bc上に転写され,三平方の定理により,計 量可能commensurableになる.
ob2:oc2=ab2+oa2:ac2+oa2 (3)
需要関数および供給関数のグラフは社会的な結果としての使用価値の分配 を表現するが,交換を表現するものではない.二者の交換でなく,使用価値 の社会的分配のモデルは,ある使用価値の数量をx軸に,異なる使用価値の 数量をy軸に設定し,これらを等置することでつくられ,二者を置き換え可 能とする.異なる使用価値量の等置は,第三の線(第4図ではbc)を引き,こ の線上に二つの使用価値量を分割して表現することを可能とする.これが分 配の三角形(それぞれの使用価値量という,直角をはさむ二つの数量が第三の辺を分 割比率として表現する三角形)であり,ddである需要関数とssである供給関数 をつくりあげる2).
だが,グラフにおける横軸の数量と縦軸の価格の大きさを逆転する,入れ 替えれば,われわれは異なるモデル,同一の交換主体が異時の交換を媒介す るモデルに変化させることができる.以下に図示される自動車と交換される 自転車の価格の比率を表現する第 5 図は商品交換のグラフである.これが考 察の起点をなす.
これは何の変哲もないグラフに見える.しかし,この交換のグラフでもっ
2) IS-LM分析も所得Yを横軸に,利子率iを縦軸に配置する.そして貨幣量が所与であれば,
IS曲線とLM曲線の交点で利子率と所得水準が同時に決定されるとする.(伊東光晴(2006)
181ページ参照)
て自動車一台という商品が,最初には製造する原材料商品であり,最終的に は自動車一台という完成品商品の価格を,これらの異時の価格の変動の単位 価格でもって,自転車の一単位でもって表現するとき,自動車製造の事業モ デルを表現できるものに発展する.われわれは後にこれに出会うであろう.
第5図の交換のグラフは交換の尺度単位である貨幣価格を独立変数とし,
実現する使用価値の数量を従属変数とするものである.価格を独立変数とす る交換は客体の分配と消費ではなく,主体の再生産すなわち自動車製造の事 業主体となる資本の再生産と結合する.交換は価格ないし価値を独立変数と し,分配は使用価値量を独立変数とすることに帰結する.
しかし,交換の四角形の上下を転倒させる「持ち手の変換」が意味するのは,
所有関係論したがって物象化論であり,物象を主体とする取り違え=転倒を 表現するものとして,主体を排除するものとして批判されなければならない.
交換主体による尺度形態での価値表現が価値関係を措定するのであって,反
自転車 (c, b)
一単位量
c
o 自動車一台の価格P
b
第 5 図 交換主体による商品交換
対に価値関係に価値表現が含まれるものではない.
2 貨幣賃金との交換にもとづく剰余価値
政治経済学の資本主義分析は商品交換から開始する.交換主体である資本 と雇用労働者との貨幣賃金での交換が資本主義を特徴づける.貨幣と商品と の交換の分析に引き続く,貨幣賃金と雇用労働者の交換の分析が再生産の主 体である資本の再生産と雇用労働者の再生産の分析を可能にする.
これにたいし,社会的総資本による商品生産から始めるならば,その分析 に接続するのは産出商品の社会的分配,そして消費である.労働力商品の交 換が価値どおりの交換あるいは「価値価格」での交換であるとみなされても 価値を前提にする交換は生産物の分配しか導けない.労働力商品の価値を前 提とすれば,労働力商品の使用価値の消費としての労働過程が形成する価値 は労働力の価値を形成し,次いで超過する剰余価値を形成する,とみなされ,
必要労働時間と剰余労働時間と呼ばれても,だれもそれぞれがどれほどの長 さの時間になるかを決定するものを示すことができないでいる.前提をなす 労働力の価値が交換の関係ではなく,分配関係であり,相関関係でしかない からである.労働力の価値が実質賃金として表示されることにあきらかなよ うに,生産された生活手段商品量によって労働力価値を規定するという分配 の規定でしかない3).
3) スミスの分業の進展は自給自足の社会での剰余生産物の交換論を展開させる.「ひとは自分自
身の労働の生産物のうち自分自身の消費を上回る余剰部分を,他人の労働の生産物のうち自分 が必要とする部分と交換することによって自分の欲望の大部分を充たす.このようにして,だ れでも,交換することによって生活し,……そして社会そのものもまさしく商業社会とよべる ものに成長する.」(Smith, Adam (1991)第Ⅰ部第4章)これが古典派経済学のみならずマルクス,
新古典派にも共通し,社会を主体とする剰余生産物の分配論を成立させる.ここに実質賃金と みなされる「必要生産物+剰余生産物」を表現する,v+mのドグマがささえ,なぜ資本主義が 貨幣経済であるにもかかわらず,実質賃金や実質利子率を展開するのかの謎は,スミスの自給 自足の経済人を起点とする剰余生産物の分配展開を未だ批判できずにとらわれていることにあ る.マルクスは最後の経済学草稿Ms.VIIIで,スミスの蓄積論(『諸国民の富』の第「2」部「3」
章「資本の蓄積について,……」)を批判しつくせないまま,資本前貸しと復帰での「資本その ものの再生産過程」Marx, Karl (2008) S. 16を再構成しようとする.これに示唆される,資本主 義分析を発展させることがわれわれの課題である.
市場での商品の分配を表現するモデルは価格を基準にした交換のモデルに 変換するべきである.自動車一台の原材料商品から完成商品への価格の変化,
したがって高まる交換力から生じる差益を自分のものとして,交換主体,事 業主体である資本が統一する場合には,同時に自転車一単位で尺度すること で明確にすることができ,単位価格として自転車価格を設定することができ る.
このために商品の交換のグラフを交換力の高まりを表現するために,継起 的に,第 6 図のように時間進行の順に配列しよう.このさい縦軸の自転車で Qt+1 Qt
Pt Pt+1
第 6 図 異時の商品交換
Pt+1
Pt
第 7 図 異時の交換を媒介する資本の事業
表示される単位価格をグラフの左端から右端に移動してt時の自動車の原材 料の価格表示に,t+1時の完成自動車の価格表示を併存させよう.そして異 時の交換における原材料から完成品への変化が共通の尺度単位である貨幣の 価格によって第 7 図で表現されるとき,これらを一つのグラフに統合するこ とが可能になる.ここでの矢印の線分が表現するものは異時での交換を媒介 する資本の事業である.
このグラフは資本の自動車製造の事業での価格変化を表現する.原材料の 価格Ptから完成品価格Pt+1への価格変化が資本の事業の内部で生じること を表現する.それゆえ資本の事業がK=Pt→X=Pt+1と表記される.資本を 前貸しし,自動車の原材料や雇用労働者を購買するのはt時の市場において であり,完成した自動車を販売するのはt+1時の市場においてである.異時 の市場での売買を資本の事業活動が媒介し,統一する.これによってPt< Pt+1となり,事業の主体である資本は交換の差益を取得することができる.
このようなモデル,需給の分配から商品の交換のグラフへ転倒させ,さら に異時の交換のグラフでの価格の変化を示すことができるときに,資本前貸 しと復帰を軸にして資本の再定式が可能になる.
ここに資本の再生産を考察することが可能なモデルを見出される.貨幣価 格を尺度単位として転売の価格を高める,すなわち買ったときよりも高く売 ることを可能とするのが資本の再生産のモデルであり,一方で貨幣賃金を尺 度単位とする雇用労働者の再生産の生活モデルに発展し,他方で産業利潤率 を尺度単位とすることで自立した資本の再生産と蓄積のモデルに発展する.
経済学が使用価値を分配する市場モデルすなわち分配の三角形を展開して いるのにたいし,政治経済学は異時での交換を統一する資本の事業における 果実の商品の交換力を高めることを表現することをめざす.
ところが,商品流通の定式に資本流通あるいは資本の循環の定式を見いだ すものは市場に資本の事業が潜むことに導かれるほかない.
C=M・M=C (4)
上記の商品流通に始まる定式に,生産過程(P)を潜ませれば,次のように 展開される.
C=M・M=C …(P)… C=M・M=C (5)
下線部分をとりだせば,貨幣に始まり商品生産に媒介される資本流通の定 式が見いだされる.
M=C …(P)… C=M (6)
貨幣資本の循環の定式とみなされているにしても,資本流通の定式と表現 したのは貨幣に始まり,商品と交換され,生産過程に媒介されても資本が定 式化されているわけでないからである.
資本は貨幣と商品との交換に始まり,資本の前貸しKによる事業とこれか らの復帰Xとして,そして復帰資本を構成する商品の販売に終わるものとし て直接に定式化できないだろうか.資本の事業K→Xが商品の転売を統一す るかたちが定式化できないだろうか.
Pt=KとX=Pt+1となるものとして,Kを横軸に,Xを縦軸に措定し,資 本の事業が進行する時間空間を措定する.資本の事業が進行する時間空間で,
Pt<Pt+1が成立するかどうかを見ることができる.
C1 M1
|
Kt Xt+1
|
=
M1 = C1
M2 = C2
C2 = M2
C3 = M3
M3 = C3
|
第 8 図 転売に媒介される資本の事業の定式
二つの時間空間を,異時での価格を尺度単位として商品と交換がおこなわ れる市場空間を媒介するものとして,一方の貨幣での購買の価格をPtとし,
他方の商品の販売の価格をPt+1とする.
資本の前貸しKと資本の復帰Xからなる資本の事業によって二度にわたる 貨幣と商品の交換が媒介され,交換力を高め,交換関係=交換比率を高める ことを可能にする.
第 8 図ではt期の価格の大きさを,Kt=前貸し資本の大きさとし,t+1期の 価格の大きさをXt+1=復帰資本の大きさとして比較の対象とし,これらの価 格がそれぞれ座標軸をつくり,前貸しと復帰の資本の事業が交換される時間空 間で商品を転売する事業を統一すれば,再生産の主体として資本が生成する.
この場合,資本前貸しKと資本復帰Xで構成される資本の事業が再生産の 果実である商品の交換力を高めることができるかどうかを見極めることが鍵 をなす.なにによって資本の再生産の果実である商品の交換力を高めること ができるのか.資本の事業を進行させる雇用労働者の労働が果実である商品 の交換力を高めるのであり,このさいに資本の事業の生産力が商品の使用価 値量を増大することと交換力を高めるかどうかは区別されなければならない.
労働者を雇用する貨幣賃金が資本の商品の交換力を高める.貨幣賃金と同 じ大きさの価値を資本の商品に付加し,これでもって資本の商品はその価格 を高めて販売することが可能になる.
第 9 図で横軸に前貸し資本を産出商品単位で,機械設備Meと貨幣賃金w を費用価格kとして表記する.そして縦軸に復帰資本Xを貨幣賃金と同一の 価値を剰余価値=利潤πに,さらに前貸し資本を回収するkを上積みするこ とで価格設定Pt+1をおこなう.
ここで生産力と交換力とを区別することができる.生産力は自然から取得 する,すなわち使用価値を生産する力として自然力であるが,交換力4)は他
4) アダム・スミスには見いだせる「交換力」(Smith, Adam (1991)第1部第4章)がマルクスに は直接には見いだせないということで,交換力をスミスの支配労働価値説と同様な謬見とする のは拙速であろう.交換力は交換価値と同義とみなすことができる.
人から取得する力であり,社会力である.
機械設備は商品の使用価値をつくりかえ,その生産力は使用価値量を生産 する速度を速めることができ,使用価値量を増大できる.機械設備の生産力 で使用価値を変化させ,使用価値量を増大させることができる,しかし,機 械設備はその価格を商品に再現するだけで,交換力すなわち交換価値を高め ることはできない.機械設備と雇用労働者から構成される資本を対象化され た労働としてとらえてはならない.雇用労働者の労働は商品を取得する生き た労働として,交換主体である資本の労働となり,資本の商品の交換力を高 めることができるのである.
資本の商品を取得する雇用労働者の労働は貨幣賃金で尺度されることに よって貨幣賃金と同一の大きさ,一致する大きさだけ商品の交換力を高める が,小事業主の労働は貨幣賃金という尺度単位をもたないため,その商品を
X=Pt+1 Pt+1=k(1+r)
k
+
π π/w=1
K=Pt
K= Me + w
資本構成K=機械設備Me:雇用労働者の貨幣賃金w 第 9 図 y軸での価格設定
取得する労働,自家労働を交換力に転化する契機,現実的契機が欠落してい るため,交換力を高めることにはならない.雇用労働者の労働は貨幣賃金に 尺度されることによってこれに比例して資本の商品の交換力を高めるのであ る.
ここであきらかになるように,交換力を高める労働は雇用労働であり,そ の費用である貨幣賃金に比例する.だが,商品を生産する労働は有用労働で あり,一定量の使用価値量に対象化される有用労働として,雇用労働者と資 本の取り分は相反するにすぎない.
商品の交換力が高まっただけ高く売ることができれば,資本は労働者の雇 用労働を転売の差益として取得する利潤にすることができる.異時の市場で 高く売ることができるためには,その商品の交換力を高めなければならない.
市場の価格関係を変動させる需給関係はあたかも重力のように,商品の交換 力に対応する価格にひきもどすというべきである.資本の事業は市場の需給 関係という重力に抗しなければならず,異時での交換で買ったときよりも高 く売ることが可能なのは商品の交換力を高める場合だけである.
資本は自己を再生産する事業の主体であり,そして同種の事業の集合が産 業を構成し,資本の再生産の果実が市場で交換され,分配される.これによっ て事業をおこなう資本が市場に潜み,労働者も労働市場に潜み,あたかも労 働商品を販売するという新古典派の市場主義的把握の狭隘さから免れること ができる.
労働力商品の価値利用も産出商品の投入による商品の生産もおよそ投入産 出分析は商品生産にしかならない.これが構成するのは生産関数であり,生 産力と生産関係すなわち自然から富を生産し,分配し,消費することである.
資本主義的生産の分析において,マルクスは労働力商品を用い,労働力商品 の特殊性として,それ自身の価値よりも大きな価値形成が可能であり,これ をもって剰余価値の可能性が生まれるとみなした.しかし,このさいの労働 力商品の価値は,この商品の生産に必要な生活手段商品の価値と規定するた
めに,必然的に労働力商品の価値である賃金を実質賃金とみなすことになり,
生活手段商品を生産する一部門を想定し,生活手段生産物全体を労働者と資 本家に分配することにならざるをえず,分配の三角形を想定する循環論法に 陥った.商品を生産する労働に関連しては,商品に対象化される労働を価値 とみなしても,同じく商品貨幣の価値との同等性は相関的でしかない.商品 を生産する労働の自然力は交換力の根拠にはなりえないのである.
貨幣賃金は現代の貨幣が国民的な価値単位として生成するから,なお国民 的な貨幣賃金であり,したがってマルクス『資本論』第1巻20章で構成して いるように,貨幣賃金の「国民的な差異」をなす.マルクスが「出来高賃金」
に還元しているように,実質賃金の規定であり,貨幣賃金が雇用労働者の労 働時間を価値に転化する尺度単位とはしていない.われわれは資本の商品を 取得する雇用労働者の貨幣賃金が雇用労働者の再生産を可能にする独立変数 であるならば雇用労働時間を剰余価値として取得することで資本の再生産が 可能になると位置づける.貨幣賃金にもとづく労働者雇用は交換の四角形に 立脚する.貨幣賃金による資本の再生産と雇用労働者の再生産は主体の再生 産の形式をとり,交換力を高め,転売の差益を取得するのである.
貨幣賃金で雇用される労働者の労働時間が尺度されて同一の大きさの価値 すなわち交換力に転化し,資本の価格で実現される利潤を成立させる.これ は商品を生産する労働の価値法則ではなく,資本に雇用されて商品を取得す る労働者の価値法則すなわち交換力の法則である.
それゆえ労働力商品の投入と産出にもとづく商品の生産は分配の三角形に,
貨幣賃金にもとづく資本と雇用労働者の再生産は交換の四角形に帰結する.
前者が「剰余労働時間/必要労働時間の比率」として分配の剰余価値率をつ くり,後者が「雇用労働時間全体/貨幣賃金の比率」として交換の剰余価値 率をつくる.
第 10 図では貨幣賃金が雇用労働時間の長さを決定する.単位貨幣賃金が 一時間の雇用労働時間の価格を表現するのであるから,雇用労働者の再生産
を可能とする貨幣賃金であるかどうかが雇用労働時間の長さを規定する.
第Ⅳ象限に45度線をひく.w/A≧1は労働者の再生産に値する貨幣賃金で あり,雇用労働者は残業をおこなうインセンティヴに欠ける.だが,w/A<1 であれば,残業によって再生産に不足する貨幣賃金を取得しようとし,雇用 労働時間の延長を歓迎する.
階級闘争が労働時間の長さを決定するのでなく,労働時間の長さの規制を 含む社会制度を創出する原動力をなす.雇用労働時間の長さを決定するのは 貨幣賃金の交換力でなく,生活手段を生産する生産力であることが取り違え られている.貨幣賃金の交換力が自分を再生産するのに十分な高さにあれば,
雇用労働時間を延長し,貨幣賃金を増大しようとしない.
雇用労働者は自分自身を交換し,貨幣賃金で再生産する.したがって労働 者自身が日々の再生産の分身すなわち果実であり,雇用する資本によって消 尽されても,貨幣賃金で再生産される.さらにまた再生産の果実を子供すな
わちoffspringとすれば,次世代の主体である労働者に成長する.
Lt
貨幣賃金に値する雇用労働時間Ltを取得し,
1=Lt+Ft 資本を再生産する剰余価値に変換する
w
雇用労働者 再生産可能なwか の再生産 A / Ft
Ⅲ.
w/A=1 A
Ⅳ.
Ft
Ⅰ
Ⅱ
第 10 図 雇用労働者を再生産する四象限グラフ
資本主義が支配する社会こそ再生産の主体である資本とこれに雇用される 労働者の再生産関係の総体である資本主義社会である.これによって生産関 係の総体が社会の経済構造=存在構造をなす,意識と存在の関係を社会と歴 史に適用する唯物史観の限界を克服することができる5).
雇用労働者の再生産関数は貨幣賃金を独立変数とするものである.第一に,
労働力の価値の関数は分配の規定でしかないが,雇用労働者の貨幣賃金の関 数は貨幣賃金での交換の関数である.第二に,これは労働力商品の生産関数 と分配と消費の関数に対し,雇用労働者主体の再生産の関数である.第三に,
雇用労働者の再生産関数はしたがって需給均衡の市場での生産への労働力商 品の分配に帰結するのでなく,相対取引として資本と労働者との価格での合 意に始まるのである.
貨幣賃金を独立変数とする雇用労働者の再生産のクワドラントは資本の事 業内部の時間空間で,第Ⅰ象限で貨幣賃金に値する雇用労働時間によって規 定される資本の再生産の運動を表現し,雇用労働時間を剰余価値に転化する 資本の再生産を予定する.貨幣賃金によって媒介される主体としての雇用労 働者の再生産であり,また資本の再生産である.
ところで貨幣賃金でなく,労働力商品の価値規定を前提にすれば,買い手 の資本による労働力商品の使用価値の消費すなわち「労働による諸商品の生 産」(Marx, Karl (1976) S. 177)になるであろう.労働力商品と生産手段商品によ る商品の生産―資本主義的生産が成立するのである.
オルタナティヴは貨幣賃金による労働者雇用か労働力商品の価値どおりの 交換かにある.後者は客体の商品の生産の社会的システムである資本主義的 生産を成立させ,前者は主体である資本と雇用労働者を再生産する原理であ る資本主義を成立させる.貨幣賃金による労働者雇用では雇用労働者の雇用 労働時間全体が剰余価値に転化するが,労働力商品の消費による商品の生産
5) ここで唯物史観の限界とは存在規定以外のなにものでもない階級を主体とすることである.
大野節夫(1977)では階級を主体とすることにとらわれていた.
では労働力の価値を再生産する必要労働時間と超過する剰余労働時間とに分 割され,これらは相反関係にあるにしろ,それぞれの大きさを確定する契機 を見いだすことができない.
第Ⅰ象限に貨幣賃金で雇用した労働者を貨幣賃金に値する労働時間に労働 させることで成立する剰余価値の資本による取得が描かれる.
第Ⅱ象限では貨幣賃金が一日を雇用労働時間と自由時間に分割する.労働 時間の長さを決定するのは貨幣賃金であり,労働者の再生産に必要な貨幣賃 金が一日の生活時間を雇用労働時間と自由時間に分割する.これを制度とし て成立させる政治的な力関係,したがって階級闘争が労働時間を規定するの ではない.労働時間の外延的限界は一日12時間,一週60時間であり,日本 の雇用労働者はこの限界に接近し,その生命を消耗あるいは消尽するまでに 至っている.
第Ⅲ象限は労働者の再生産に分配・分割される時間である自由時間=余裕 の時間,自分のリフレッシュや,自分の家族のために,さらには少ない収入 を補うための追加労働時間として費消される自由時間に値するかどうかが示 される.これらは労働者の再生産のための必要条件であり,ミニマムの必要 条件と規定される.自由時間が短くなれば,悪循環が始まる.長いときには 十分な貨幣賃金とともに労働者の再生産の好循環になる.生活主体である労 働者の再生産の循環が規定される.第I象限での雇用労働時間は資本の貨幣 賃金の支出に値するかどうかが問われ,資本の再生産の十分条件として規定 され,ミニマムが規定されずにマクシマムが問題にされる.
雇用労働者の一日が分割されて表現される雇用労働時間と自由時間はあき らかに相反関係にある.だが,雇用労働時間が必要労働時間と剰余労働時間 に分割されるとみえるのは「結果を前提に措定する」論理のなせる虚構であ り,ドグマである.再生産できない貨幣賃金で雇用される労働者は労働時間 を延長し,長時間労働の結果として労働者を再生産する自由時間が短縮され る.このことが第 11 図でのように第Ⅳ象限での45度線の下部にあるw/A<1
に対応して,第Ⅱ象限での生活時間の分割で雇用労働時間が自由時間よりも 長く分割されることに表現される.あるいは再生産できない貨幣賃金を補う べく,本人または家族の雇用口をふやすしかない.再生産できない貨幣賃金 で労働者を雇用することができるのは使い棄てられる労働者に代替する労働 者が見出される場合の資本主義であり,裸の資本主義と呼ぶことができる.
しかし,第Ⅲ象限で雇用労働者の生活時間が雇用労働時間と自由時間とに二 分割されても,分割=分配は主体の再生産の前提条件を表現するだけで運動 を表現するものではない.
労働者が再生産できない貨幣賃金で雇用されれば,雇用労働時間は生活時 間(16時間を想定する)の過半をしめることになり,貨幣賃金の増加を図り,
これによって自由時間が減少する結果をもたらす.
Lt
交換と再生産の時間空間
Ft
A
生産・分配・消費の空間 w / A<1
裸の資本主義の領域 w
第 11 図 過小な貨幣賃金と過大な雇用労働時間のクワドラント
貨幣賃金と雇用労働時間のクワドラントは再生産の主体としての労働者を 基準とする.独立変数の貨幣賃金が労働者の再生産を可能とするかどうかを 明示する.ここで雇用労働者は交換主体であると同時に生活の主体であり,
再生産の主体である.労働者は資本を再生産できる雇用労働時間を提供しう るかどうか,を基準にして雇用される.雇用労働者の再生産の価格=貨幣賃 金は独立変数であり,資本に依存するのでなく,また雇用労働者が自由にで きるのでなく,市場で決定されるのでない.再生産の主体である資本と雇用 労働者との相対取引で決定されるのである6).
着衣の資本主義は標準労働時間で雇用労働者の再生産が可能なものであり,
残業を指向する低水準の貨幣賃金の資本主義が裸の資本主義である.
資本を構成する機械設備と雇用労働者は技術で結合されることによって技 術構成と呼ばれる.機械設備と雇用労働者を結合し,一体化するためには,
技術すなわち自然法則を利用するために「機構化する」術あるいは「機構に 組みこむ」術が必要である.雇用労働者の手の延長である道具を用いるには 労働者の技能が必要であるが,機械設備と労働者を結合するには技術が必要 である.ここに技能と技術の差異が現れる.
資本は機械設備と雇用労働者を技術的に結合することで,事業の主体とし て生成する.資本が生成genesisするのである.機械設備と雇用労働者を結合 するために不可欠な技術は増殖活動をおこなう資本の遺伝子geneとみること ができる.それぞれ固有の技術でもって機械設備と雇用労働者を一体化して 資本が生成する.資本が再生産する商品は資本の果実であり,資本の遺伝子
6) 相対取引は市場で成立するとはかぎらないが,競り人のような第三者を必要としない.世界 市場での商品交換は 不等価 交換(ここでの 等価 交換は,商品の生産に必要な労働を国 民的に同等な労働として分配することであるがゆえに,異なる諸国民のあいだでの交換は同等 とはいえない労働の分配を意味している.)というよりも,国内での消費に必要な商品を控除し た残余である剰余の分配というべきであろう.これに対抗するためには労働者の協同組合のグ ローバルな連帯,あるいは国際的な合意にもとづく交換の組織化 フェアトレード が必要と なり,近年,後者が脚光をあびている.雇用労働者の再生産のクワドラントは再生産の主体で ある資本のクワドラントと同型をなすものであり,前者が後者の内的根拠をなすということが できる.
である技術が秘められている商品こそすぐれてbrand商品と呼ばれる.人間 の再生産も異なる遺伝子を組み合わせ,受け継ぐように,資本の再生産も種々 の資本の商品を組み合わせ,遺伝子=技術を受け継いでいく.資本は機械設 備と雇用労働者を結合する「技術の独占」である.資本は固有の遺伝子をもっ て,独自の技術でもって事業を営む.
だが,だれも労働の生産力を発展させることによって剰余価値を高めるこ とができない.
自然から使用価値を生産する労働の生産力を高めることは使用価値量の増 大をもたらす.この場合,いわゆる特別剰余価値の理論は,労働の個別的節 約を可能とし,個別的な労働の生産力を上昇させることによって,資本が商 品の個別的な,例外的な価値と社会的標準的な価値との差額を特別剰余価値 として取得するものである.たとえば,社会的に2時間労働で生産する商品 が例外的に30分労働で生産できる労働の生産力を独占できれば,そして商品 が社会的に平均的な価値で交換されれば,平均的な価値と生産力を高めるこ とで低減した,例外的な個別的な価値との差異が特別剰余価値として資本に 転がり込む.
しかし,例外的な労働の生産力を上昇させたにしても,個別的な価値と社 会的標準的な価値との差額としての特別剰余価値はポテンシャルであり,ア クチャルなものにはなりえない.自然から使用価値を生産する労働の節約に よって労働の生産力を高めても,使用価値量の増大は確認できても,特別剰 余価値なる価値の増大を確認することはできない.
自然から使用価値を生産する力が生産力である.労働の生産力を高めるこ とによっては,産出量が増大する.一人の労働者の熟練が増し,一時間の労 働でパンを倍量生産できるようになっても,パン一個の生産に必要な労働が 半減することによっては,パン一個の労働の節約がおこなわれても利潤率は 高まらない.利潤率は利潤と前貸し資本との比率あるいは商品単位に含まれ る利潤と費用価格との比率である.労働が節約されても剰余価値の増大が確
認されず,前貸し資本が減少するわけではない.自然から使用価値を取得す る力としての生産力が高まることは直接には使用価値量の増大をもたらすが,
間接的にも利潤率を高めることにはならない.
しかし,生産力を高める,しかも例外的な労働の生産力を追求することは 産出使用価値量の増大をもたらし,市場価格で販売するとしても,利潤率を 高めることにはならないが,いわゆる特別剰余価値をもたらすとみなされて きているにしても,これには二重の問題がある.労働の生産力の上昇が使用 価値量の増大をもたらすがゆえに,商品単位の生産に必要な労働時間の低減 をもたらすとしよう.これは生産に必要なものとしての労働量の節約であり,
労働の分配量の変化である.商品の生産に必要な労働量をもって価値と定義 しても,この商品単位に分配される労働の節約は,たしかに,個別価値の低 減をもたらすことが定義として結論される.しかし,個別に労働の節約がお こなわれ,個別価値の低減がなされても,直接にはマイナス価値であって,
剰余価値が増大することではない,だから社会的価値に対応する市場価格と 低減された個別価値との差異が拡がっても,特別剰余価値が成立する根拠,
特別剰余価値の源泉問題は解決されないというべきである.
われわれは,特別剰余価値ではなく,超過利潤としての特別利潤の源泉を バブルの発端形態として「虚価値」(マルクスにおける地代論での虚偽の社会的価 値を想起できる)としてとらえよう.これによって商品を取得する労働を欠如 したところに成立する超過利潤が展開できる.
生産力は使用価値を生産する労働の生産力としても自然力であり,自然が 富の源泉である.生産関係は使用価値の分配関係であり,使用価値を生産す る手段・要因の分配関係であり,社会的物質循環として表現できる.このた めには労働の節約でなく,資本の節約を考察しなければならない.(大野節夫
(1991)参照)
同種事業を営む集合体にほかならない産業で資本の価値増殖率である利潤 率を競争する諸資本,同じ産業で競争する諸資本は市場から商品を購買する
価格も販売価格もしたがって転売の差益の大きさも異なるものにする.諸資 本の競争は,「安く買って高く売る」競争として表現される.とはいえ,ここ で同じ産業の同種商品を製造し,販売する諸資本は購買=仕入れ価格を秘密 にしても,販売価格は市場価格として現実化され,目に見え,それぞれ異な る販売価格から同種商品にとっての一つの市場価格を成立させる.
同じ産業の一つの市場価格にたいして,ある資本が自分の購買価格である 資本費用=費用価格kを他の諸資本よりも例外的に小さくできれば,それだ け大きな利潤を取得することができる.他の資本よりも大きな利潤は超過利 潤と呼ばれる.同種産業の諸資本は超過利潤の競争,前貸し資本を尺度単位 として利潤を計量する,利潤率の競争をおこなう.
経済学は交換主体がだれも市場価格を支配できないこと,価格競争を前提 にする.そこで問題は,どのようにすれば,資本が自分の費用価格kを小さ くすることができるか,を解決することにある.市場で所与の市場価格にた いし,それぞれ独自の前貸し資本に規定される費用価格を小さくすることが できれば,差額である利潤を大きくすることができる.
この解決策が新技術導入であり,イノベーション(innovation)と呼ばれる.
資本の事業は機械設備とこれを操作する雇用労働者から構成され,技術によっ て結合される.新技術を導入して雇用労働者と機械設備の結合の仕方を変え,
全体として資本費用を節約できればよい.資本は価値増殖の主体であり,資 本の価値増殖率である利潤率の競争をおこなう.客体である商品を社会的に 配分するのでなく,資本は独占する技術を導入することによって資本を節約 し,超過利潤を取得する.技術独占しているあいだ,資本は自分が所属する 産業の利潤率を上回る超過利潤を取得することができる.資本の節約の結果 は市場価格と費用価格との差異を大きくすることになり,この差異は「市場 価格―費用価格」として現実的=リアルな大きさとなる.
P=π′+k′+π′′ (7)
π′は資本の節約によって小さくなった貨幣賃金に一致する利潤であり,
π′′が市場価格と節約された費用価格との差異としての超過利潤であり,特別
extra利潤ということができる.
資本の節約でなく,労働の節約からは,例外的な生産力の開発から生じる 特別剰余価値では,その源泉問題が解決されない.特別剰余価値の源泉はな にかが解決されないのである.
資本の節約がおこなわれるのは資本を前貸しする事業=産業であって,市 場ではない.新機械設備の導入がその生産性を高めるならば,増大した産出 商品量が市場に現れる.しかし,生産性が高い機械は,通例,高価である.
産出商品一単位において問題を設定すれば,生産性の高い機械が産出する商 品一単位を高価にし費用価格を高くする.資本費用を小さくするためには同 じく商品一単位の生産に必要な雇用労働者の費用を削減しなければならない.
雇用労働者を機械で代替するならば,総額で増大しても商品一単位での資本 費用を節約することができる.
導入される新技術を同じ産業の諸資本のなかで一つの資本が独占するなら ば,これによって節約された資本費用と市場価格との差額には通常の差益の ほかに含まれる超過利潤が含まれ,技術独占の状態にある資本が取得するの である.技術導入の目的は商品を大量に生産することでなく,このような超 過利潤の取得である.
第 12 図でのように資本の内外で開発される新技術の開発者は開発の利益 にあずかり,特許権=パテントとして保護される.新技術が産業に普及する につれ,開発の利益=超過利潤も消滅する.新技術を体現する前貸し資本が KからK′へ低減すれば,利潤もπからπ′へ低減し,利潤率も低下する.
この場合,資本の節約によって成立する超過利潤の源泉はなにかとして,
技術独占から生じる超過利潤の源泉問題が解決されなければならない.市場 価格と前貸し資本に規定される費用価格との差異がつくる通常の利潤は,貨 幣賃金で雇用される労働者の雇用労働時間が変換される価値=剰余価値を源 泉とする.だが,例外的に技術を独占する資本が資本節約によって費用価格
との差異を大きくする場合に成立する超過利潤は,雇用労働時間が変換され る価値を根拠にしていない.だからこの超過利潤は労働時間が変換される価 値が根拠でないから,このような価値は「虚偽の価値」,虚価値というべきで ある.
このような虚価値は第一に,標章貨幣の購買力は労働によって取得される 商品世界の実価値(交換による商品を取得する労働を根拠にする場合の価値)の反 射光として鏡に映る虚像とおなじく,虚価値であることが指摘されてきた.
第二に,ここで指摘した自立した資本による技術独占にもとづく資本が取 得する超過利潤の根拠としての虚価値である.
第三に,差額地代の根拠として見出される虚価値については後に言及する ように,土地の肥沃さなどの自然力が富の源泉となる場合であり,土地の自 然力が生産力になる場合とすべきであろうか.
虚価値の第二形態としての資本の節約によって成立する超過利潤は,市場 P
π
k′
π
k′
′
′′
第 12 図 資本節約による超過利潤
価格と費用価格を低減させることができた資本に取得されるものであること によって,バブルの発端形態,原初形態と位置づけることができる.バブル の典型は土地や有価証券などの資産商品の価格の場合,取得する根拠となる 労働を欠いている商品である.この超過利潤は実体を欠くことによって原初 的なバブルなのである.
ここに経済成長率が結果として高まることを見出すべきであろう.経済成 長率が結果として規定され,貯蓄率と利子率とに分解される場合には,市場 での貯蓄される資金の価格としての利子率を成立させる.とはいえ,経済成 長率が相関する貯蓄率と利子率に分解されるのであるから,貯蓄率が見出さ れる場合に対応して,利子率を成立させることになる.経済成長率と貯蓄率 との社会的関係はどのようなものになるかは,ここで展開しえない.
利子率は市場で分配される金融商品の価格である.生産に必要な資金が分 配されてその価格が利子率になる.自立した資本による資金需要と貨幣金融 制度による資金供給から成立する市場価格としての利子率については後に考 察する.
3 資本の再生産関数―蓄積表式 資本の再生産力と再生産関係が展開されなければならない.
解決の鍵は,マルクスの最後の経済学草稿であるMs.VIII(Marx, Karl (2008))
で消失した「社会的総資本」に代替するべき資本を再生産と蓄積の主体に措 定し,資本と果実である商品とを主体の再生産関係に措定することにある.
資本と商品とを主体の再生産関係とするならば,交換主体の合意にもとづく 貨幣と商品との交換が展開され,また雇用労働者と資本との貨幣賃金での交 換にもとづく再生産の関係が展開される.主体の再生産関係にとどまらずに,
主体の,再生産の主体である資本と雇用労働者の再生産関数として展開すべ きである.再生産関数において,生産関数を超え,したがって商品と貨幣と 資本の分配に媒介される生産関数と消費関数を超える,資本の事業と雇用労
働者の生活が貨幣と商品との交換に媒介される再生産関数として展開しなけ ればならない.再生産の主体である資本の再生産関数は資本の成長と経済成 長したがって産業循環,再生産の主体である資本の生成,発展,衰退として 問うことができ,また雇用労働者の再生産関数はw/A<1とw/A≧1のオル タナティヴにおいて問うことができる.オルタナティヴとして雇用労働者の 労働時間を決定する原理が展開されなければならない.
マルクスがMs.VIIIで,スミス蓄積論の再検討をおこなうためにフィジオ クラートの検討から始めているのは単純再生産から始めることを意図したの でなく,資本前貸しと復帰にかんし,その前貸し=「繙種」を確認するため である.このためにフィジオクラートの検討から始め,ついでスミスのv+m のドグマの自己点検に進んだが,自己点検も徹底させることができなかった.
Ms.VIIIでは明示的に「社会的総資本」に貨幣との交換に立脚する再生産の 主体である資本が代替しているとはいえない.v+mのドグマの不徹底はそれ までのマルクスの再生産表式での第Ⅰ部門,生活手段と第Ⅱ部門,生産手段 の生産部門を転換しながらも,転換の理由を明確にしていないことに,また スミスの「見えざる手」による部門の産出量を変更しながらも,スミスの「見 えざる手」の働きを排除していない点にもあらわれている.
たしかにMs.VIIIのS.16では貨幣との交換から,貨幣賃金での労働者雇用 の交換から開始しているから,労働力の価値どおりの交換でなく,前貸し資 本から始めているということはできる.しかし,第II部門の資本家の生産物
=消費手段の売買としてII c=I(v+m)という「回り道」(S.18)を採用して いるから,資本の前貸しから開始することと産出物の均衡的分配の条件I(v+
m)=II cとは両立しないことに気がついていない.
もし二部門での「回り道」を経るものとして資本前貸しの条件を問うならば,
そのときにはII c=I vの条件が浮かび上がるであろう.これは二部門の産出 物の均衡的分配の条件ではなく,二部門での資本前貸しの交換の条件である.
マルクスはMs.VIIIで貨幣との交換として資本前貸しの条件を問うたのにた