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Regions Table 1. Regional Division of Nepal Population ('000) Annual Population Growth Source: Population Monograph of Nepal, 1987.

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(1)

小 林 正

* 山間 ネパールでは

,人

口増加 による土地資源の制約か ら

,従

来の生活基盤が変 動 している。1970年 前後 には

,新

しい土地への展開や

,非

熟練労働力 としての他 出が見 られた。対応には階層による差が大 きいが

,1980年

代 に入 って

,有

力農家 の間で,恒常的な勤務など農外就業への傾斜が二段 と進んでいる。農業の育成あ るいは農業基盤の拡充に重点をお く農村開発計画は

,

こうした村人の動 きの一面 に しか対応 していない。現状でその振興策の恩恵を受 けるのは

,地域的にも階層

的にも限 られ,実状に応 じた対策が望 まれる。

1

は じめ に 発展途上国の開発において,地域開発 は有力 な手段の一つ とされる。地域開発の基本理念 と して

,1960年

か らの第一次国連開発 の十年で

,成

長の極理論(Growth pole theory)がとり

あげられた。欧米の経験 に基づ き

,工業化を開

発の中心 にすえた計画手法であった。 しか し, 途上国では

,核心地域の相互や,核心地域 と周

辺地域を結ぶ交通・ 通信や,電力・ 用水などの インフラが不十分で

,か

,社会経済構造 も工

業化には未成熟だ ったため

,多

くの国で十分に 成果をあげないままに終わ った。 1970年 代末か らは,こ れに代わって農村開発

(Integrated rural development)が 開発パ ラダイ

ムの前面 に出て きた。解消 されない貧困に対 し

,衣

食住,保健・ 教育・ 交通など基本ニーズ を確保 し

,農業生産や農村工業の振興で発展の

基礎をつ くろう, というものである。 しか し,「農村開発方式」とは,さまざまな論 者の多様な戦略・ 目的・ 計画を総称 した ものに す ぎず,拠点開発方式のような明確なイデオロ ギ ー はな い

,と

も言 われ る(Baral&Koirala 1989,pp。 7-9)。 内容が変わ っただけで中央集権 的・ トップダウ ン的な姿勢 はそのままの計画 と

,権

力 も含 めた地方分散 (Decentralization) を志向する動 きと

,さ

らには両者が混同されて いる場合す らある(Simon 1990,p。 7)。 東南 アジ アの経験 を踏 まえた長峯の都市一農村 モデル (長峯 1985)は

,両

者,すなわち トップダウン的 な計画地域 とボ トムアップ的な生活地域を融合 しようとす る試みの一つで,市のたつ供給セ ン ター的な中心町 と周辺農村を一体 とした生活圏 を単位に基本ニーズの充実をはかる際に,住民 の関与 と主体性を重視 し

,自

立的な地域発展を 意図 している。 一般に,地域開発 は生活圏など一つのまとま りのある地域を計画の対象 とす る。ただ,「周辺 地域」のすべてが

,伝

統的な生産様式か ら市場 経済 に移行す るにあた り

,生

活 の基盤 をその 「地域」の枠内におき続 けるとは限 らない。数多 くの研究がすでにつみ重ね られているが

,高

度 経済成長 という外部要因が強い契機だったにせ よ

,戦後の日本の山村の多 くは,極論すれば

,

*東

京大学教養学部人文地理学教室 一- 87 -一

(2)

一部の居住機能だけを村に残 して主要な経済基 盤 は外部に求めた。後進地域 ほど

,

トップダウ ン的な計画地域 と

,ボ

トムアップ的な住民の意 志決定・ 経済活動が関わる地域 とのずれが大 き いのではないだろうか。 経済 は国家の枠を も超えて広域化 し

,

こうし た動 きは途上国において も顕在化 している。生 態学的・ 立地論的に見て農村開発の恩恵が限定 されるであろう地域・ 社会階層を対象に した開 発 シナ リオでは,従来の「地域」の枠を超えた 他の地域 との不可分の関係を前提 とする取 り組 み も必要であろう。 本稿 は

,国

の過半が こうした地域にあたるネ パールの山間地域を対象 として

,お

もに農外就 業や域外への人口流出

,そ

の社会階層による差 など

,外部地域 との経済的依存関係の実態を村

落の住民の生活基盤 と意志決定に重点をおきな が ら明 らかに しようとするものである。

2

ネパ ー ル にお ける人 口流 動 ネパールは表 1お よび図1に示す とお り

,地

勢 上,北イ ン ド平 原 の一 部 で あ る タ ラ イ (Tarai),気候に恵 まれ古 くか ら居住の中心だっ た丘陵部 (Hi11),米作不可能で少数民族が多 く 住む ヒマラヤ (Himalaya)と

,三

つに地域区分 される1)。 地形・ 水利に恵 まれたタライは

,1954年

か ら 始 まり60年代 に入 って効果をあげは じめたマ ラリヤ撲滅計画を受けて

,密林が開かれ穀倉地

帯 となった。 イン ドに近 く

,商工業,交通が発

達 している。 この地域 は北 イ ン ド農村同様,土 地所有規模の差にもとづ く世帯間の貧富の問題 があ るが,地域 と しての 自立 の条件 は比較的 整 っている。 これに対 して,平坦地が広 く商工業 も発達 し ているカ トマ ンズ盆地を除 くと

,山

間ネパール では

,厳

しい地形条件の もと

,山

腹に狭い棚田 を開 き

,畑

作に林野利用や牧畜を組み合わせた 複合経営で生活が維持 されてきた。 しか し

,地形か らも水や林野などの資源的な

制約 か らも

,耕地 の拡大 には限界が あ る。 ネ

パールの総人口は

,1930年

までは550万人でほ ぼ一定 だ ったが

,1954年

には826万人 を記録 し

,

以降年率

2%以

上の割合で増加 し続けてい る。 1981年 には 1502万 人に達 した。 この急速 な人口増加 は

,消

費経済の浸透 とともに, とり わけ山間部の伝統的自給経済に大 きな変動をも た らした。森林破壊を中心 とした環境問題 と, 停滞する食糧生産 との関係で生 じた人口過剰の 問題である。 かつてのチベ ッ ト交易や 19世 紀か らのグル カ傭兵など

,自

然条件が厳 しい ヒマラヤでは, もともと外部への出稼 ぎも生活の有力な手段の 一つだった。近年 はそれが丘陵部の農耕社会に まで浸透 してきたのである。今では山間ネパー ルは,農産物をは じめあ らゆる物資で流入超過 を示す。政治・ 文化的にはネパールの中核地域 であるが,国内経済においては, カ トマ ンズ以 外 はもはや周辺地域 にす ぎない(ShreStha 1990, p.17)。 こうした状況下

,山

間ネパールの住民 は生活 基盤の確保に必死である。 これに関する研究は

Table

1.

Regional Division of Nepal

Regions

Population ('000) Annual Population Growth

Altitude (1961) (1971) (1981) (1954-61) (1961-71) (1971-81) Taral Hill Hilnalaya <300 rr1 3422

3町

:囲

1 }5991

2.0426 2.3996 4.11%

2%い

5%[露

%

4346 6071 1139 6557 7163 1303

Source: Population Monograph of Nepal, 1987.

(3)

Table 2。 Migration in Nepal(unti11 1981)

Origin

Destination Tarai Hill Himalaya lmmigrants Net

Taral Hill Hirnalaya 35,669 2,196 561,211 33,423 162,832 134,254 724,043 169,923 35,619 +686,178 -424,711 -261,467 Emigrants 37,865 594,634 297,086 Source:Population(Census 1981. 多い。代表的な ものには

,近

代化 によって発生 した商業や運輸に農民が零細業者 として入 り込 む動 きとその厳 しい実態を示 し

,市場経済化の

もとで従来の自給農村を再生 させる新たな政策 の必要を説いたもの(Blalkie et a1 1980),資本 と技術を もつ社会上層 と生存 ぎりぎりの人々で は移住を選択する動機が異なり

,そ

して移住の 結果 も対照的であった,と

,1960年

代か ら国を あげて取 り組んだ山間部か らタライヘの開拓移 住を社会経済的に分析・ 評価 した もの(ShreS― tha 1990)な どがある。 このように

,山

間ネパールの住民 は

,新

たな 分野・ 土地への進出で厳 しい状況を打開 しよう として きた。 タライは暖かな気候 と豊富な地下 水で冬の乾期にも耕作が可能であ り

,そ

の開拓 は

,マ

ラリヤ撲滅後

,ネ

パール政府にとって, 地域問題・ 開発の切札だ った。表2に示 したよ うに

,山

間ネパールか ら大量の人口が この地域 に移 ってきた。時期的には

,特

に 1971-81年 に その移住が急増 し(表 1),日 論見どお リタライ はネパールの穀倉になった。 しか し現在では, タライの開拓適地 はほぼ開発が終了 し

,開拓移

住 という形で大規模 に山間部の過剰人口を吸収 することは期待で きな くなっている。そ して, 内陸国 という地理的な条件 に加え

,ネ

パールを 自国の工業の市場 に しようとするイン ドの強い 圧力のために, これに代わって過剰人口を吸収 するだけの工業をネパール国内に飛躍的に発展 させることも難 しいのである。 いずれにせよ

,山

間ネパールでは

,1970年

以 降

,人

口移動 は一つの大 きな社会現象 となって いる。当然,地域計画において も, これを十分 に考慮する必要がある。本稿 も, こうした農村 部か らの人口移動 に注 目するが, とりわけその 発生 に関す る住民の意志決定 とその背景を重視 する。

3

対 象集 落 の設 定 ガ ンダキ県 ゴルカ郡 は

,ネ

パールのほぼ中央 か ら北よりに位置する。首都カ トマ ンズか ら郡 の中心 ゴルカまで

,入

口にあたる部分だけ1980 年 に自動車道路が通 じ

,150 km(バ

スで約

7時

)の

距離である。図 1に 見 るように,郡の南 半 分 は丘 陵部 に あ た る。主 要 な集 落 は標 高

1000-1800mの

尾根上あるいは山腹に分布 し, ネパールを構成する中心的な民族であるパルバ テ・ ヒン ドゥーのほか

,マ

ガール・ グル ン・ ネ ヮールなどが住む。川沿いの標高

500m前

後の 低地 にはクマ リなどの後進 カース トが僅かに住 むだけだったが,道路開通後 は居住者が増えつ つある。一方,北部 は山地 に属 し人口密度が極 端に小 さい。標高2000-3000mに かけてはグル ン族

,そ

の上にはチベ ヽソト族がお もに住んでい る。郡内にはとくに鉱工業 もな く

,典型的な山

間地である。 この論文では, このゴルカ郡南部丘陵の農村 における経済基盤の外部依存の状況をつかむ こ とを目的としている。全体の傾向をつかむため に

,一つの村に限定 して深 く調査する手法をと

らず, さまざまな条件にある小集落をいくつか 一- 89 -一

(4)

Figure

1.

Physical Settings of Studied Area

7

Deural i lrloter Road

Foot Path GorkhaB azar Snal I Bazar Kairen i Studied Settlemen LIST OF THE STUDIED SETTLEMENTS lo KATTELDADHA 2.RANI―BAN 3.PASH―LANG 4。SISNERI 5。ASRANG 6.TIN―MANE 7.SIMPANI Hinalaya Hlll Taral

A

Hain Road A 出 0 100 200kロ Pokhara ―- 90 -一

(5)

Table 3。 Tilme lDistance between Market Place and Studied Settlements Name

of

Altitude

Settlements

(m) Time from Gorkha Bazar (hours on foot) Dominant Castes No.

of

No. of

Households

Persons

l.

Katteldadha 2. Rani-ban 3. Pash-lang 4. Sisneri 5. Asrang 6. Tin-mane 7. Sim-pani 940 1200 1000 730 1050 11∞ 970 nCar(0。7h) near(0・6h) near(0・3h) far(4.5h) far(4。Oh) far(4.5h) far(5.5h) Bahun Chetri Newar Bahun Bahun Magar Newar 15 12 15 17 14 15 8 91 97 88 104 133 98 62 Source:Author's Fieldwork. とりあ│ダる。バ フン, チェ トリ2), ネワールと いった高位 カース トが ゴルカ・ バザールの周辺 に住み

,お

もに農業を行 って きた。 グルカ兵な どによって昔か ら外部 とかかわ ってきた北部地 域 と異な り

,最近の近代化の影響を急激に受 け

て変動 しているのが この地域 である。カース ト

,お

よび地域の中心地であるゴルカ・ バザー ル (郡庁所在地・ 人口約8千

)と

の距離によっ て選定 した 7カ 所の調査集落の位置 と性格 は, 図 1お よび表 3に 見 られる通 りである。調査 は 聞 き取 りにより, 1988年 9月 か ら89年9月 に かけて断続的に行 った。

4

村 の生 活基 盤 はじめに

,家計の基盤である農業 について検

討する。今回の調査地域 はいずれ も標高

1000m

前後の尾根上の緩斜面 に位置 し

,周

辺 は何段に もおよぶ狭い段畑が作 られ,一方,水田は集落 か ら遠 く

,標

高6∞

m前

後の沢沿いの小平地 に 広がる。 水田では3月か ら6月 まで とうもろこし

,そ

の後

H月

まで水稲

,そ

して冬作 は菜種 または 小麦だが, このへんは水利が非常に悪 く

,冬

は 休耕 されることが多い。一方

,畑

では4月 か ら 陸稲またはとうもろた し・ じゃがいも, 7月末 か らシコクビエまたはマース(スープにす る豆 の一種)・ 大豆 などが作付 され る。冬 はやはり 休耕が多い。青物野菜や唐芥子などは家の回 り の菜園で栽培 される。農産物 は基本的には自家 用で余剰が出れば販売 されるが

,そ

の多 くは村 内の自給で きない世帯 に売 られ

,市場 に出る量

は多 くない。 現金収入のための作 日では

,近年 ミカ ンが最

も増えている。道路開通後

,100 km離

れた観光 地 ポカラや 150 km離れたカ トマ ンズの市場 に 向けての仲買人が訪れるようになって

,換金作

物 と して注 目され るよ うにな った。苗木・ 駆 虫・ 施肥など技術 と資本が要求 されるが

,山

腹 の土地 で もよ く

,マ

ーケテ ィングによ つて は 二・ 三本の成木で下級公務員の月給に相当する 収入になる。 このほか,市場が近いと野菜 と生乳(水牛)・ ギ_3)が

,そ

して採草地が十分 にあ って飼料が 安 く確保 されれば山羊等の肥育が,現金収入に つながる。 もっとも

,果

樹 もそ うだが,大規模 化するには交通の問題が大 きい。 自動車道路 は ゴルカ街道が一本あるだけで

,そ

れ以外の地域 では細 く

,登

り下 りの激 しい山道を人の背 に載 せて運ぶ必要があり

,

しぜん輸送量 は限 られる し

,コ

ス トも高い。 調査地域内では

,郡庁所在地の ゴルカが唯一

の町 らしい町である。道路が通 じているのはこ こまでのため,人と物の流れの中心になってい る。 また,行政機能が集中 していて公務員や学 生など外部出身者 も多 く滞在 し

,常設のバザー

ルがある。野菜等が店で取引されることは, ゴ

(6)

-91-Table 4。 Class IDistribution of Agricultural Landholdings Whole Land (in ropani) Average Holdings (in ha) Total(Wet) Name of

Settlements

Wet

Dry

Class Distribution (No. of Households) Landhold per

Household

Cultivated Land per

(in

ha)

Capita (in ropani)

0-0.5 0.5-1。0 1.0-3。0 0-2.5 2.5-3.5 3.5-Kattledadha Rani-ban Sisneri 156 119 78 1。14(0.53) 1.27(0。50) 0。81(0.23) 4 8 2 10 13 2

Notes: l. According to Central Bureau of Statistics, His Majesty's Governrnent of Nepal, class of farmers is

defined by landholdings per household as follows:

G{.5ha:"Landlessand

nearlylandless";

3.0-5.0ha:..Mideum',:

0.5-1.0 ha:

"Subsistant";

5.0 ha-:..Large', 1.0-3.0ha:"Small";

2. Cultivated land includes rent/borrow lands.

3. I ropani:0.0509ha.

Source: Author's Fieldwork.

ルカ・ バザール以外ではほんどない。地場の市 場が限定 されているうえに,交通の基盤が整 っ てお らず,調査地域 は商品経済がまだ発展途上 である。 したが って,農業経営 について聞 き取 りを行 った

3集

落の うち, ゴルカ・ バザールと 日常的に経済関係があるのは距離が近いカッテ ルダラとラニ・ バ ンだけで,バザールか ら遠 い シスネ リでは

,生

産 された農産物の うち村外に 移出 され るのは果実 と家畜 に限定 され る。(こ れ ら

3集

落の位置 と性格については図 1お よび 表3を参照 されたい。 また,全戸の リス トは表 5A一

Cに

示 した。) 1981年 の農業セ ンサスによると

,ゴ

ルカ郡の 一戸 当 り平均耕地面積 は0.40 ha(全国平均 は

1。12 ha),その うち水田は0。16 ha(同 0。65 ha)で

あ る。 また

,世

帯員一人 当 りの農耕地 は0。04

ha,全

世帯の

4分

の3以上が世帯当 り0。5 ha未

満 と

,全国に比較 して大変零細である。 これに

対 し

,調査集落 は上層 カース トが多 く

,カ

ッテ

ルダラおよびラニ・ バ ンでは,一戸当 り耕地が

それぞれ 1.14 ha,1。27 ha(う ち水田が0。53 ha,

0。50 ha)と 郡平均を上回 ってはいる。 といって も

,ネ

パール統計局の基準で分類すればせいぜ い Smallク ラ ス まで で,Mediumク Largeク ラ ス に あ た る農 家 は一 戸 (表4)。 次 に,所有耕地 に貸借地 を加 え (小作料 を もっとも一般的な50%と仮定 し

,貸

方 と借方そ れぞれに半分ずつ案分

),世

帯員一人当 りの耕 作面積を算出 した(表4)。 この地域における作 目と収穫 は,耕地 によってかな りの差がある4) が

,平

均的には,たとえば水稲は1ロパニー(約 5。la)当 り3ム リ(1ム リは約91リ ッ トル)と いった数値が得 られる。水田と畑の比,農作業 の雇用の有無や下位カース トヘの契約払いなど にもよるが

,

おおむね世帯員一人当 り3.5ロパ ニー(0。18 ha)前後の耕地が,一年分の食糧 自給 の最低の目安 とされる。 これを上回る農家は場 合によって販売 にまわせ るし

,逆

に大幅に下回 る世帯 は

,生

存のために畜産・ 果樹あるいは給 与等,別の収入が必要 となる。表4を見 ると, シスネ リをは じめ,耕地か らの穀物生産ではと うてい生計を満たせない世帯がかなりあること がわかる。 近年,塩や衣料品,食器

,茶

,

ビスケット・ 煙草等の嗜好品,照明用の灯油,子弟の教育費 などの現金支出は近年急速に増加 しつつある。 3集落の世帯表 (表5)をみると,ラニ・ バ ンの 世帯 408e12,カ ッテルダラの9・12,シスネ リの 12014015016な ど

,

食糧 自給が難 しい下位農家 や   い ス   な ラ   4 一- 92 -―

(7)

。 掻 こ 0 ﹁ せ 細 駆 製 黙 。 ヽ R や 軍 Ю ヾ £ 爬 煙 ﹁な ﹂ ぃ 軍 い 爬 煙 ﹁昧 ﹂ .鴇 響 。 卜 K や ﹁ ミ 奮 ﹂ ﹁ 饉 ⊃ 色 ⊃ せ 経 状 ﹂ 。 同 一g 週 ヽ製 く や く や ぃ せ ○ 測 ◎ O 暖 爬 米 皿 ぶ ︵f 8 8 . o = ︱ ︲I K 口 じ 。 ︱ ︲I K 口 週 暑 。 0 0 収 o 雨 ︶ 轟 颯 # コ ﹀ 坐 掏 榊 ョ 製 ぃ や ︵鯨 邸 ヽ R セ 迦 楓 ︶ 製 薬 加 塑 .せ 製 薬 0 鋼 肛 非 コ ギ 。 O r Ю 捻 O 週 ヽ翠 口 ﹀ 0 後 0 せ ※ 牢 ぃ 逆 ヽ ヽ 心 ︱ ヽ ヽ 卜 収 悩 。 ね 佃 や 静 起 十 煙 諮 暖 .゛ い C 来 響 高 。 0 0 収 3 蚤 掏 基 昨 ・ く N ・ 撫 ョ J .壼 颯 < # 刹 回 Ⅸ ^ 。 ヽ レ ヽ 壼 ∩ .ヽ い く せ m O ム K I 択 。 ︼ 翁 じ ○ ○ ○ ○ ◎

◎ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ◎ ○ ◎ ◎

││││

S S ln ea S cQ F{ ln !n f{ (\l in C! cA 6l C! C{ cA c.) ca cO F{ ea * e{ F{ $ c.) Fr (\ 'f, h $ $ .+ $ ea !f, * * c.) s c! c{ cn l'rrco6lo\ I l\or,^ lc.) i lc\9 llllllF Nめ め N寸 ││い│INI │ │ │││││││││││││卜 │ │工

│││││∞

│││││││

││

191寸

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││││││

∞ い │卜 │││││││││

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9R===R=∞

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]朴

K十

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(8)

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K十

柳 朦 位 さ 製軍 4 m田 製 雲 楓 田 ︵ ︱ ︲ I K 口 一週 糾 ︶ 製 薬 田 ヽ     田   叩 二 K I R 中 蜘 キ コ 製 位 さ H I 推 刹 Ю む 紀 里 官 墾 o︻目 “ ︶ ハ て ・ = い   “ ら 悩

(9)

。 掻 こ s ヽ せ 畑 需 製 緊 。 卜 憮 や 軍 ヾ 黙 £ 爬 連 ﹁ な ﹂ . 0 爬 煙 ﹁ 昧 ﹂ . 響 。 ヽ K や ﹁ 々 士 ﹂ ﹁ 饉 ⊃ 饉 ⊃ せ 経 状 ﹂ ご 一 g 坦 恨 ヾ や ヾ や ぃ 壼 ○ 測 ◎ O 賢 爬 米 Щ ぶ ︵ f 8 8 . o = ︱ ︲I K 口 じ 。 ︱ ︲︱ く 口 週 料 。 0 0 収 o 雨 ︶ 轟 肛 ♯ コ ﹀ 坐 掏 榊 ョ 製 . ︵ 鯨 郭 \ R せ 迦 楓 ︶ 製 薬 和 願 ぃ 煙 製 薬 s 洲 Щ # コ ギ 。 O a Ю £ O 坦 翠 口 ﹀ 0 後 期 購 ※ 牢 . ヽ ヽ い ︱ は ヽ 卜 収 悩 。 わ 佃 掏 計 起 十 壼 諮 暖 . い O 報 響 バ 。 0 0 収 3 蚤 や 逃 昨 ・ < N e 撫 ョ 翠 . Щ く 非 コ 楓 Ⅸ ^ 。 ヽ ミ ヽ 煙 0 . ミ ー 狡 レ 壼 Σ ^ ヽ い く せ m O 二 K I R . ︼ ︵ ︶ ◎ ∞ 。 ︼ い 。 ︼ い 。 ︼ ︼ 。 N ︼ . N N 。 N “ 。 N つ 。 N 卜 . N ∞ . べ ∞ . め “ . め つ 。 め つ 。 一 め . 寸 寸 。 い 〇 。 つ ○ ○ ◎ ◎ ○ ◎ ◎ ○ ○ ◎ ○ ◎ ◎ ◎ ◎ ○ ○ ○

│1謂

││││

││││

│1群

││

<l' $ F'' eO o.l 6l C{ ca cn f- cA ln \O !n ca S + (\ F. | .., (\ r\ | "n \O $ c{ c\ $ cq f- ca O\ (\ 1. C{ 6l c.) C! cA Fr $ ln ca + S $ cA * F{ 1寸 │∞ つ │つ つ │つ い 卜 21 -NHI寸 い H日 N寸 │IHI NINHINI― INIめ IN NIIIIIIII∞ │1寸 つ め 寸 寸 ││││││││││め 1寺 │い │め

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K十

柳 朦 位 さ 製 雲 迦 田 製 雲 楓 田 ︵ ︱ ︲ I K 口 一週 糾 ︶ 製 薬 日 ネ   田   叩 二 K I R 中 脚 # コ 製 位 さ H I 推 コ Ю む 総 旦 曾 昌 り嘱 9 3 特 K ふ   o 島 憮

(10)

を中心 に

,さ

さやかな規模なが らも果樹や鶏・ 山羊5)の生産 に注力 し

,少

しで も現金収入をあ げて家計を補い

,あ

るいは現金支出に対応 しよ うとしていることが うかがえる。

とくに, ミカ

ン栽培 は

,1980年

の道路開通を機に

,バ

スでカ トマ ンズ等に出荷で きるようになって増えてい る。土地 と輸送手段の制約があるが

,15本

・20 本 と栽培する農家が増えている。牛や水牛につ いては

,農業機械・ 肥料のために経営規模の大

きい農家 ほど必要性が高 い。バザールに近 い カ ッテル ダラ

,ラ

ニ・ バ ンで は水牛の生乳・ ギーが毎 日村人によって販売 され,現金収入 と して非常に大 きな地位を占めている。 穀物生産に飛躍的な進歩が望めないため,農 業の拡充 はこうした現金収入品目に重点がおか れる。ただ,各農家 とも水田や畑 は自給穀物を 第下 に作付す るし

,耕地 に余裕があって もごく

僅かである。その場合にも上層農家はそこに穀 物を植え,村内の自給で きない農家に売 るのが 普通である。輸送の必要がないので。 したがっ て,耕地を利用する商品作物の積極的な導入か ら商業的農業 に変容 してい く兆 しは見 られな い。 ミカンや畜産 は補助的な収益源 として認識 されているのが普通である。 ネパール農村における農業労働 は

,カ

ース ト 制度 ともかかわ り, さまざまな形態の労働交換 の習慣がある。 これについては

,同

じ西ネパー ル で の優 れ た研 究 が あ る (Ishii 1982;石井

1987;南

1990)。 そこに紹介 されている伝統的 な世帯間の労働―報酬関係 は

,今

も残 ってい る6ゝ 近年は

,

伝統的な年間契約による現物払 いとともに,現地ではメラと呼ぶ共同農作業7) や随時必要な作業を中心に

,労働交換の代価に

現金が使われた り

,労働力を賃金で雇用する動

きが目立つようになっている。調査では

,数値

的 なデー タを得 るところまで至 らなか ったの で,表5に は

,労働力を他に依存す る世帯 とよ

く労働力を提供す る世帯 とを定性的に示 した。 農業労働の雇用関係 において

,集落内の上下層

農家間に扶助的な関係が見 られるこは

,マ

ガー ル集落の例で指摘 されている(南 1990,p.67) が,今回調査 した3集落で も

,明

らかに同 じ傾 向が見 られる。農外就業者や核家族の多いカ ッ テルダラでは

,他集落か ら人を入れる農家 も多

い。一方,耕地が狭 く自給で きないシスネ リの 住民 は

,そ

ばにあるネヮール族の不在地主の耕 地での季節的な農作業など

,相

当数が村外にま で出ている。 自分の耕地か ら半年分程度の食糧 しかあげ られず

,バ

ザールか ら遠いために商業 的な農業 も難 しいシスネ リの過半の世帯にとっ て,牛を 自分持 ちで1日 40ルピー(女性 は25 ル ピー)の日当は

,重要な収入源なのである。

最後に

,土地の貸借について。おおむね小作

料 は

50%の

現物払 い

,た

だ し

,そ

こでの耕作に 必要な肥料・ 牛などは地主の負担である。調査 集落での実態 をみ ると

,特

に シスネ リにおい て

,働

き手の数 との相対的な比較において土地 に余裕のある世帯が労働力が多 く低所得の世帯 に耕地を貸す という

,集落内での一種の助 け合

い的な実態が見 られ ることを指摘 してお きた い。 以上 に述べてきたような,市場向けの農産物 の生産や農業労働,土地貸借 は

,現金収入を志

向する動 きと軌を一 に して一般化 している。バ ザールに近 いラニ・ バ ンやカッテルダラでは情 報や人の流動が早 く

,ま

,各農家 は市場の動

きに応 じて対応できる。 これに対 し, シスネ リ で は

,果

樹 の出荷 も仲買 に依存 せざるを得 な い,な ど

,市

場か ら遠 いために選択が限 られる。 半面

,そ

こではより強い集落内相互扶助関係が 見 られることは注 目される。 ゴルカ街道の分岐点であるカイレニ (図 1参 照

)と

いう所に計画 されている乳業工場のプロ ジェク トか ら

,原

料用に水牛の飼育を増やせ, という営農指導が,最近 シスネ リにも回 ってき た。 カイ レニには

,ネ

パール最大のタイヤエ場 一- 96 -―

(11)

も中国の援助で建設 されつつあり

,従業員のた

めの食糧需要が生 じて現金収入があがるように なるのでは, という期待が村人にはある。 しか し

,カ

イ レニには, タライ地方か らの1年中切 れ 目な く生産 され る安 くて大量 の農産物が ト ラ ックで1時間で運 ばれて くる。 シスネ リで は

,冬

は用水がな くて野菜は栽培できない し, 水牛 も乳が極端に減 る。 しか も

2時

間以上

,人

の背で運ぶ となれば, とて も太刀打ちできない と思われる。

5

農外就 業 の現 況 ここでは

,い

ままでの3集落に加え

,パ

シュ ラン

,バ

グワ

,テ

ィンマネ

,そ

して シムパニと いう

4集

落(図 1,表 3参照)を新たに対照集落 に加 え る。バ フ ン・ チ ェ トリの他 に

,ネ

ヮー ル8)集 落を2つ加えたのは

,

ネパールでは

,

こ の3カ ース トが公務員をはじめ高位の就業者の ほとんどを占め

,学

歴 も高いか らである。また, 少数民族で ゴルカ兵の もっとも多数を占めるマ ガールの集落 も加えた。 山間ネパールにおいて村のなかに農業以外の 生活手段があることは稀で,農外就業 は

,有名

なゴルカ傭兵 としての出稼 ぎのように

,人

口移 動の形をとることが多い。 これを国内の土地・ 経済政策 と関連づ けて歴史的 に検討 したのは Shresthaである(Shrestha 1985)。 19世 紀半ば以 降,一方で,大地主たちの圧迫・ 抑圧の結果, 奴隷や借金に縛 られた形でダージリン・ アッサ ム・ ベ ンガルの農園や ビハールの鉱山などに大 量のネパール人農民が流出 し(同上,p.297), 他方で, ゴルカ兵 として英国軍による優れた労 働力の引 き抜 きも始 まった (同上,p。 298)。 当 時の山間ネパールはまだ未開拓地が多 く

,労働

力はむ しろ不足気味だった。 この時期の地域開 発の中核になるべ き若年男子の大量流出が

,耕

地拡大やかんがい基盤の整備などを遅 らせ,現 在の低開発構造の原因を作 りだ した, と指摘 さ れている (同上,p。 302)。 それか ら今 日まで

,外

国出稼 ぎは山間ネパー ルの重要な経済行為であり続けている。その特 徴 は

,ほ

とんどが家族を残 し一時的な移動の形 をとることである。1981年 のセ ンサスに現れた 数字だけで も40万人を超 える人 口が

,ネ

パ ー ルを留守 に してお り9),その8割がイ ン ドに居 る。そ して

,内

容的には

,守衛・ 雑役・ 農園労

働者などの非熟練労働者 と

,英国・ インド・ ア

ラブなどへの兵士が大半を占める。後者 は退役 後 も年金が受 け取 れ るため

,山

間部 の人 々に とって非常に魅力的であるが

,そ

の数は限 られ てお り

,大半 は目減 らしに現金収入を兼ねた消

極的出稼 ぎに従事 している。 村外への人口流出としては

,そ

の後

,1960年

以降国策 としてのタライ開拓が始 まり

,新天地

での農業を目的 とする移住が増えた。 これにつ いてはすでに触れた (第

2節,ま

たはShrestha 1990,chaps 6&7)。 また

,短

期的・ 局所的で統 計には現れない農業労働者などの一時的な出稼 ぎ に加 え て,永久 的 な 移 住 が 増 え て い る (Thapa 1989,pp.10-11)。 遅々とした歩みなが らも

,ネ

パールにも「近 代化」の影響が浸透 しつつある。従来の形での 農外就業に加えて,近代化 による公務・ サー ビ ス業を中心 とした恒常的な勤務 という新たな農 外就業形態が

,山

間農村の一部にも見 られる。 筆者の勤務 していた大学の学生 も

,多

くはこう した就業を望む農村富裕層の子弟であった。今 回の調査の一つの目的は

,そ

の実態をつかむこ とにある。 表6に

,調査集落の 15歳 以上の世帯員

(但し 15歳 以下で も就業 している者 は含む

)472名

に おける農外就業者(農業出稼 ぎは含まない)の割 合Ю)を示 した。なお

,1981年

のセ ンサスによる と

,丘

陵部 ネパール全体では

,産

業人口中非農 業 は7。

1%で

あった。もっとも経済・ 教育活動 が活発なネワール集落であるパ シュランとシム 一- 97 -一

(12)

Table 6。 NoncariCultural Sector in Studied Settlements

Non-agricultural Sector Place of Work

(Included) Outside the Village

Total (India) Name of Settlements Working Population Within the Village

Students

Over 65 Total (%)

l.

Katteldadha 2. Rani-ban 3. Pash-lang 4. Sisneri 5. Asrang 6. Tin-mane 7. Sim-pani 63 70 67 71 89 69 43 (8) (H) (11) (8) (8) (5) (5) (3) (3) (2) (2) (3) (3) (1) 15(23.8) 7(10。0) 22(32.8) 7(9。9) 27(30.0) 8(11.4) 11(25。6) (2) (2) (2) (8) (8) (3) Total 472 (56) (17) 97(20。 6) 64(25) Source:Author's Fieldwork。 パ ニが高率で

,ま

たバ フ ンの村で も先進 的な (高校を有す)カ ッテルダラとアスランも高い数 値を示す。なお,集計 は現在就業中の者を対象 に しているが, ラニ・ バ ンにはすでに引退 して 年金を受給 しているものが7名いる (他にティ ンマネに

4人,

シムパニに

2人

)。 つ ぎに,農外就業が在村のまま行われている か人口移動 として村外に流出 しているかを見 る と

,仕立屋・ 大工・ 僧侶などの自営者 も含めた

在村就業者の約二倍が村外で職を得てお り

,

う ち

39%が

イン ドである。そ して集落の立地条件 を反映 し

,バ

ザールか ら遠 い村で村外流出が多 い。国内の公務員などは高位カース トの独占が 著 しく

,そ

のため

,マ

ガール集落のテイ ンマネ か らは全員がインドに出ている。 農外就業の職業 と時期を もう少 し検討 してみ よう。表7は職業 と

,特

に村外に流出 して就業 した場合の時期を示す。在村就業者に最 も多い 職業 は地元の教師で

,つ

いで小規模なもの も含 めた商業,先ほどあげた自営職種 と続 く。 これ に対 し村外就業では軍隊が最 も多 く

,つ

いで単 純労働

,中

級以上(高卒の有資格以上)の雇用者 となる。 もっとも

,軍人はいわゆる「 カース ト

規制」で武士 にあたるチェ トリの集落(ラ ニ・ バ ン)と

,

ゴルカ兵の主力民族の一つマガール 族のティンマネに多 く

,バ

フン

,ネ

ワールでは 雇用者の比率が高い。 村外流出の時期を見 ると

,全

体 に増えて来て いるなかで

,バ

ザールか ら遠いシスネ リ以下の

4集

落で比較的早 くか ら村外に出ていることが わかる。 そこで

,7集

落の農外就業者全てを対 象に就業時期について職種 との関連で検討 した のが表8である。今回,調査対象 としたゴルカ 郡の南部 は

,本

来 は農耕社会で, ゴルカ兵の本 場である北部 とは状況が異なる。 また

,移

住の 形態が違 うので現れないが

,後

述するようにこ の地域か らもタライなどへの農業移住 もかつて 行 われて いる。 しか し

,一

般 的 な傾 向 と して 1980年 以降 に農外就業が急速 に増えているの が読みとれる。そ して,職業分類か らは

,1970

年以前か ら見 られた軍隊や非熟練型労務 といっ た何年か後には引退 して村に戻 るのを前提 とし た伝統的な農外就業形態に加えて,近年 は中級 以上の公務員や教員,専門職などの恒常的な勤 務が増えていることが指摘で きる。すなわち, ネパールの近代化にともなって,農村の生活基 盤にも今までと違 う選択が生 まれているのであ る。ただ

,集

落によってその度合 は異なる。マ ガールの村ティンマネでは全員が非熟練型の村 外就業であるのに対 し

,ア

スラン・ カッテルダ ―- 98 -一

(13)

Table 7。 Main Occupations and Periods of Migration AI■ ong Non‐agricultural Sector in Studied Settlements

Place of Work Within the village Outside the village

Name of

Settlements

(Occupation)

Com-Total

Teacher merce

(Occupation) (Periods of Migration) Com… before 1970 1980 after

Total Military merce 1970 -79 -84 1985 8 5 14 2 18 8 9 Katteldadha Rani-ban Pash-lang Sisneri Asrang Tin-mane Sim-pani 1. 2. 3. 4. 5。 6. 7. Total

Source: Author's Fieldwork.

Table

8.

Non.agricultural Sector: Types of Occupation and Periods of Employment

Types of

Occupation before 1970 1970-1979 1980-1984 after 1985 Total

Militaly & Police

Laborer

Lower class* employee

1(9) 5 (1) 7(2) 5 2(1) 22 18 12 6(10) 14(3) 52 Sub‐total

Upper classx* employee Teacher Specialisls***< Commerce 9 11 4 13 Sub‐ total 37 Others+ Total 25 97

Notes:

x

Guard. office servant, etc., (generally not regular staff).

*

Over SLC (School Leaving Certificate: the national exam. after secondary education). As for the

education system in Nepal, see Kobayashi (1988).

*xx 14"6i""1 doctor, engine€r, and pharmacist.

*

Priest, tailor, carpenter, bus driver, etc.

( )

Retired person with pension, (not included in total).

Source: Author's Fieldwork.

ラ・ シムパニでは農外就業の3割以上が恒常的 勤務 にあたる。 こうした新 しい就業 は

,い

わば高学歴型の職 である

,表

9は

,教育水準 と農外就業率の関連

性を見た ものである。

7集

落のうちシスネ リと ティンマネを除 く5集落には,集落内 もしくは 隣接 して中学・ 高校がある。途上国において教 育水準 は

,第

一 に教育機関の利便性に影響 され るが

,さ

らに学校の存在 は教師 という村 には貴 重な就業機会を提供するもので もある。 アスラ ンでバザールか ら遠いのに在村就業者が多いの は

,

地元の高校(ノjヽ ●中併設)に4名の教師 と1 名の小使いが雇用 されているためである。 村の生活のなかで子供を学校にやるのは必ず 一- 99 -一

(14)

Table 9。 Educational Attainment and Non‐agricultural Sector Name of Settlements No. of Person over 15

Illiteracy Educated

Non-agri-cultural Sector Employment (%) M No.of Persons Total

M F (%)

No. of Persons SLC Class class pass 7-10 5-6 Over Class 7(%)

l.

Katteldadha 35 2.

Rani-ban

35 3.

Pash-lang

35 4.

Sisneri

38 5.

Asrang

48 6.

Tin-mane

34 7

. Sim-pani

27 27 35 31 33 41 35 16 5 2 2 11 3 9 4 11 5 16 3 23 2 9 10 8 26 9 13 5 7 18 (37.1) 21 (34.3) 13 (22.7) 24 (49.3) 18 (23.6) 27 (52.2) 8 (27.9) (33.9) (19。4) (63.6) (16.9) (40。4) (10。1) (37.2) (23.8) (10.0) (32.8) (9。 9) (30。0) (11.4) (25。6) Total 252 129 (35。1) (31.3) (20.6) 69 78

Notes:

l: M:

male,

F:

female.

2: "Literacy" is difined as capable to read letters or write own name.

Source: Author's Fieldwork.

Table 10。 Fanliky Types in the studied Settlements

Name of

Settlements

Total No.of

Homesteads

Family Types Total

No.of Persons

Average Person per

Family Conjugal Stem Joint

1. 2. 3. 4. 5。 6. 7. Katteldadha Rani-ban Pash-lang Sisneri Asrang Tin-mane Sim-pani 15 12 15 17 14 15 8 7 4 10 5 5 9 4 7 5 5 10 4 4 1 91 97 88 104 133 98 62 6.07 7.92 5.87 6.12 9.50 6.53 7.75 Source:Author's FieldwOrk. しもたやす くない。経済的には

,初等教育 は学

費 こそ無料で もノー トや制服などに貴重な現金 が費やされる上 に

,家

畜の放牧 と見張 りや農繁 期の交換労働など

,従

来子供の労働力が期待 さ れていた部分を代替する余裕が必要である。子 弟に学業を続けさせることはなかなか難 しく, 恒常的な職 に要求 される高卒あるいはそれ以上 の レベルは村ではまだ普通ではない。っまり, 近代化で恒常的勤務 という新たな生活基盤の可 能性が生 まれたといって も

,そ

れにアクセスで きるのは一部の階層に限 られているのが現状な のである。

6

生 活基 盤 の変動 と意志決 定 最後 に

,人

口増加や近代化のなかで変動する 生活基盤に関する村人の将来展望 と意志決定に ついて

,い

くつかの事例か ら探 ってみよう。そ れにあたっては

,世

帯類型 にも注 目する必要が ある。 表 10に 集落別の世帯類型 を示す。 ネパール 農村 は大家族制をとると一般に言われるが

,今

で は必 ず しもそれ は当た らない (南 1990,p. 37)。 調査集落において も

,兄

弟世帯が同居する 複合家族の形態が多 く残 るのはアスランくらい で

,兄

弟 の うち一 人 が家 を継 ぎ

,他

は独立 す る のが む しろ一 般 的 で あ る。 すで に土地 の限界が

(15)

-100-見えていることがその最大の理由であ り

,そ

こ で,独立す る者 は何 らかの生活手段を新たに確 保 しようとす る。農外就業

,あ

るいは村外流出 の第一のタイプは

,

このような世帯独立に伴 う ものである。 調査集落のなかで,パシュランは, こうして 家を出た者が

,あ

る者は分与 された財産で

,ま

たあるものは給与などの蓄えか ら

,か

つては別 の村の地所だった共有林や田畑を買 って, この 15年 ほどの間に形成 された新 しい集落であり, 核家族が多い。独立の経緯か ら, この形態の世 帯では,農業 は生活の最低保証 という考えが一 般的で,農外就業を重視す るがために

,そ

れほ ど広い経営耕地ではないのに農作業に賃労働を 雇 う例 もある。恒常的な農外就業への志向が強 く

,そ

の手段 と して教育 に も投資を惜 しまな い。 これに対 して,大家族を維持 しようとす る世 帯の場合には

,農外就業を生活基盤の多様化の

一環 ととらえる。そこでは

,男

子が将来 は帰村 する前提で就業するが

,そ

の妻子 は労働力 とし て村に残 る。そのため,経営耕地 も広いが労働 力 も豊富で,村の農業の中核 となる。農業に対 する意識が強 く

,調

査事例では

,

ミカン農園を 展開 した り

,豊富な労働力をいか した畜産経営

が見 られた。村の有力者であることが多 く

,村

に残 る男子 も村内の就業機会を比較的得やす い。村外の就業では,軍や警察などの年金がつ く職業が第一 とされ

,そ

れが土地拡大などの投 資にまわされた。 しか し

,近年 は村の土地資源

の限界が意識 されるようになり

,少

しずつ意識 が変わ りつつあるようである。すなわち

,家族

の「拠点」を都市やバザールにも確保 しておこ う, という思惑 も生 まれている。 アスランのある世帯では

, 5人

兄弟の うち, 農業 と呉服屋経営の

2人

が家を守 り

, 2人

がゴ ルカとタライで商業,残る一人はカ トマ ンズで 薬局を開 く。そ して,村に残 った兄弟の子弟は 叔父を頼 ってすでに就職 している。 また

,別

の 例では, タライでバス運送業を興 し

,同

村の者 を多 く雇用 している例 もある。 このように

,農

業 の新 たな展開 に限界 を見て

,投

資対象 を運 輸・ 商業に変えてい く動 きはかなリー般的で, ゴルカ・ バザールに周辺の村の人々の拠点的な 機能 も持つ「○○村の長者の店」がい くつ もで きたり,「○○村のバス」があった りす る。 有力農家が村の農業に見切 りをつけ

,新

たな 展開を模索す る動 きは

,1970年

代か らすでに あった。 この時には,農外就職ではな く農業で の展開のために新天地が求め られ, これまで再 三触れたタライヘ

,あ

るいはゴルカ郡内で空閑 地があった川沿 いの低地帯(これについては次 節で触れる)に

,ま

ず世帯 の誰かが先行移住 し て条件を整え

,よ

し, ということになれば大家 族の本体が移 る。 こうした例 は

,ア

スラン, ラ ニ・ バ ンそれにカッテルダラで聞かれた。移住 先が好 ましいかどうかを見極めるために時間を かけ

,ま

,移

住後の危険分散のために村 に一 部家族を分離 して残 した り

,土地 は売 らずに貸

して い った場合 も多 い。同 じ傾向を南(1990, pp.48-49)も 指摘 している。最近 までは

,

こう した転出世帯か ら土地を入手 して

,村

で若干な りとも規模を拡大で きた。ただ, もはや タライ もゴルカの低地 もおおかた開発 されて地価 も高 くなり過 ぎHヽ この形での新たな転出世帯 は今 後あまり期待で きない。それを受 けて

,村

で も 土地需給が タイ トになり地価が上昇 している。 有力世帯の間で非農業分野への選択が増えつつ ある背景 には, こうした事情があるのである。 1980年 ごろか ら増えている恒常的勤務 も

,有

力層の選択の一つである。特に地元の教師やプ ロジクェク ト等に雇用があれば

,政

治力でアク セスしやすい。 カッテルダラやパ シュランなど バザールに近 い集落 も有利である。その一方 で

,高

等教育の段階か らカ トマ ンズなど他の都 市 に出て

,そ

こで就職する例 も増えている。後 一-101-―

(16)

者の場合 は

,就職後,家族をともなって完全に

村を出るか

,村

と出先に二重に家族を持つか12) で,単身赴任は少ない。そ してその家族 は

,家

の子弟の教育セ ンター的な機能を持つことがあ る。ネパールは産業に乏 しく (1981年 セ ンサス によれば

,非

農業就業者の

65%が

公務・ サー ビ ス業である),雇用に限界があって

,大

卒者で も 学部によっては就職が難 しい。 こうした情報に 接 している富裕層にとって,子弟の教育 は将来 への戦略的な投資として意識 され,都市の私立 名門校 に子弟を送 る例 は少な くない。 以上 に述べて きた意志決定の類型 は

,村

のな かで も分限者の場合で,現状をさらに良 くしよ うとする主体的な選択である。 このままでは先 細 り, という危機感が,彼らの目を従来の農村 における生活基盤の外部に向けているのが特徴 である。 これに対 して,現存の生活基盤をフルに活用 してようや く生 きている人々は

,戦略的な見通

しな どとは無縁 で,将来への投資の余裕 もな い。下層農民にとって唯一の財産は家族労働力 であ り

,

シスネ リの例で見たように村で も農業 労働に従事 して食糧を補 っている。それが もっ と手取 りが良いという言葉に誘われて農業出稼 ぎにな り, さらに非熟練労働力 としての他出に 行 き着 く

,

と理解 される。彼 らの流出も先行 し た親戚や知人を頼 る形が多 く

,表面上 は有力者

の他出と似ている。しか し

,彼

らの農外就業 は, 戦略的に選択 しているわけではな く受動的に行 われているのである。 下層の人々にとって

,将

来にわたって安定的 に収入が計算できる年金のつ く職種で資本をっ くり

,農

業基盤 を拡大 して生活 を安定 させた い

,と

い うのが漠然 と望んで いる設計図であ る。しか し, より裕福な人々も農外就業に乗 り 出 して きて

,た

とえばゴルカ兵の出稼 ぎに して も教育 などの用意 を整え られないぶん厳 しく な ったBヽ 近代 的 な農外就業 は

,教

育 が壁 に なっていてる。さらに

,土

地の値上 りによって, 仮に思惑 どお りい くば くかの金がで きて も

,十

分な耕地を入手するのは難 しくなっている。そ の一方で

,消

費は否応な く「近代化」 して現金 支出は増える。今のところは

,借

金や長期分割, 労力による代替返済などの伝統的な村の扶助 シ ステムで下支えされているが,場合によっては 土地の切 り売 りに追い込 まれかねない。 以上,今回の調査を通 じて浮かんで きた,村 人 の生活基盤 の拡充 に関す る選択 を整理す る と

,次

のようになる。すなわち

,1)土

地資源の 拡大

,2)農

業生産の向上

,3)雇

用による現金 収入の確保

,4)メ

ト農業分野への進出,である。 従来 は

,村

の相互扶助的な土地融通・ 労力交換 など自給経済の枠のなかでゃ りくりされてい た。 しか し

,人

口増加 とともに

,上層農家の間

に, このままでは自分達 も小作に転落するとい う危機感が生 まれた。 これに対応 して

,ま

ず, 土地資源の制約を土地購入による規模拡大で個 人的に解決 しようという動 きが出て

,

タライや ダラウディ地域への移住や

,そ

れにともなって 村で も若干の土地流通が見 られた。それ も頭打 ちになると

,1980年

前後か ら

,一

方で道路の開 通を契機に ミカン・ 畜産など新たな農業振興の 動 きと

,

もう一方では

,非農業分野に生活基盤

を広げる動 きが活発化 している。 資本を もたない階層 は

,伝

統的には土地の貸 借や,唯一資産である労働力をいかす農業雇用 を生活の基盤に していたが

,近

年 は非熟練型の 雇用を含めて多様化 しつつある。 しか し

,近

代 的な恒常的雇用は教育が壁になって参入が難 し く

,農

外所得による耕地拡大 も

,限

られた土地 をめ ぐる富裕層 との競合で実現 しに くい。

7

農村 開発 の方 向性

4節

の最後で触れたシスネ リの例に象徴 され るよ うに

,山

間 ネパ ールでの農業振興 は, 1) 市場および交通手段の欠如

,2)土

地・ 用水等 一-102-一

(17)

の資源的制約

,3)技

術・ 資本・ マネジメ ン ト 能力等の欠如, といった問題がある。 ネパール の大部分の農村地域 は

,基本的に自給型の経済

で市場 は限 られてお り

,ま

た市場にアクセスす る交通条件に恵 まれない地域が多い。仮 にそれ らが満たされるとして も, 自家用の穀物等の生 産に必要な農地を除けば

,土地資源にあまり余

裕がない。すでに森林 が後退 して環境問題が 云々される状況で,新たな開拓の可能性 は限 ら れるうえ,水源の不足 とかんがいの未発達 は, 条件をさらに狭めている。 いわゆる農村開発型の援助141は

,

この問題を お もに技術・ 資本の面か ら解決す ることを主眼 としている。具体的には

,個

々の農家への低利 融資

,か

んが いな ど施設面 の援助や多収穫品 種,肥料,農薬等近代技術の導入,共同化 によ る流通の一本化などで,農業生産を高めること が農村振興につながる

,

とする。 しか しそれに は

,第

一 に

,先

にあげた社会経済的 な基盤 が しっか りしている

,あ

るいはそうなる見通 しが 必要で,次に

,個

々の農家に相応の投資能力が 要求 される。 調査 した ゴルカ郡 の丘陵部農村 にお ける市 場・ 交通条件 はすでに述べた通 り非常 に限定的 である。そ して

,よ

り重要なのは第二の点で, 農業を今後 も生存基盤の中核におき

,積極的に

投資 していこうという将来展望を もつ世帯がど れだけいるか, という点なのである。土地資源 の制約か ら

,上層農家が非農業的な分野 に選択

を広げている状況,下層農家がなかなか生存の ための農地 も取得できないでいる状況はすでに 述べた。山の村では

,生活防衛的に農業の活性

化は望 まれるが

,む

しろ農外就業で働 き手 は外 部に流出を強めている。 自立農村的な開発計画 と必ず しも合 う状況ではなか った。 ゴルカで も

,債務返済を別にすれば,農村開

発が成功 した例 はある。 ゴルカ街道の南半分 は ダラウデ ィ川に沿 った標高

500m前

後の沖積地 を通 っている。図 1で 斜線のかか っている地域 である。かつて,病気 と水害か ら高位 カース ト はここに居住せず,漁業などを営むクマ リとい うカース トが広大 な土地 を粗放的 に使 ってい た。 さきに述べたように, タライヘの農業移住 と同 じ時期か ら

,人

口増加であ遮ゝれた山間の農 民の うち資金のあるものが

,山

の村に比較 して 格段に安か った土地を広 く取得 して移 り住む動 きがでてきた。 したが って, この地域に早めに 移住 してきた高位 カース トには

,耕地面積が広

く経営基盤が しっか りしているものが多い。 デウラリという村 もその一つで

,道

路沿 いと いう立地条件に加え

,小農開発計画事業 による

かんがい設備の完成で, これまで難 しか った冬 (乾期)の野菜栽培 と共同出荷がそれな りの成果 を挙げている。現在

,

これに続いて他のダラウ デ ィ沿岸地域にもかんがい計画があり

,基盤整

備が期待 されている。 さらに, これを受けて, 野菜・ 畜産を中心 に

,積極経営のための融資 も

順調 に進みつつある15、 この地域では生活基盤 としての農業の可能性について明るい見通 しを 持てる農家が多い, ということであろう。 ただ

,こ

こで も

,順

調 なの はあ くまで高位 カース トが中′とヽで,小農開発計画が本来の目的 に している経済的に最下層のクマ リたちはなか なかプロジェク トに参画 して こない。現場責任 者によれば

,彼

らはまだ消費 も地味でそれほど 現金収入の必要を感 じていない し

,近

所の農業 賃労働や小作

,そ

れに

,ま

だ土地が残 っていれ ば切 り売 りでや りくりす る傾 向が強 い。 しか も

,低地帯での土地をめ ぐる関係 は

,山

間部以 上 に複雑である。 というの も

,新

しい村なので 相互扶助的な機構が弱 く

,冠婚葬祭などの大 き

な出費やプロジェク トによる商業的農業の導入 が

,土

地 を担保 に融資を受 けて返済 に窮 した り

,貧農の土地切 り売 り

,一部上層農家による

「囲い込み」的状況など

,厳

しい競合を生んでい る。その結果,高位 カース トのなかにも

,結局

(18)

103-山間部 においてそ うであったと同様

,農

業雇用 で暮 らしている世帯 も多い。 ネパールの現状では

,い

わゆる自立農村型の 開発計画は

,条

件の整 った地域

,そ

れ も一部の 層に恩恵が限定 される。 また,振興策が

,限

ら れた土地をめ ぐる地域の階層間の摩擦を招 くお それ もあ り

,運

用に細心の注意が望 まれる。 一方,調査地域のように

,生活基盤の非農業

化が著 しい地域 に対 しては

,農業振興 は

,家

を 守 る婦人・ 老人層を主役に したものであるべ き か もしれない。限定 された土地資源を村全体で どう活用 してい くのか,階層間の関係を含め, 産業 としての農業 という視点 とは別の開発戦略 が必要 とされる。

8

お わ り に 山間 ネパールの場合,人口圧 による土地資源 の限界や環境問題が,住民の目を農業移住にせ よ農外就業せよ

,従来の生活基盤の外部に向け

させた。 タライや低地帯 も余裕がな くなり

,現

状では農外就業に一層傾斜せざるを得ない。 し か し

,1980年

代 に始 まった恒常的勤務 という新 たな形態の農外就業 も

,す

でにネパールでは頭 打 ちの兆 しがみえる。 ゴルカの片田舎の村アス ランに

,23人

もの

SLC合

格者がいることに象 徴 されるように

,

この分野で も競争は激 しい。 農外就業 といって も

,ま

た無限の ものではない のである。 ここで

,

もう一度 日本の山村の経験を思 いお こしたい。日本の場合

,一

方で村の側にpush流 出要因があったが

,そ

れ以上 に

,高度経済成長

という強烈なpull要因があった。山村では過疎 化でさまざまな社会問題が生 じたが,世帯 レベ ルでは

,仕

送 りや土木工事など残村者 も流出者 あるいは都市か ら経済的な恩恵を うけて生活 レ ベルは向上 した。 この牽引役は国の成長であっ て

,一部の産業都市を除けば

,地域計画は所得

向上 というより

,暮

らしの環境整備が中′らヽだ っ た。 生活圏的に地域 は自立すべ きだ, という考え もある。 しか し

,ネ

パールの場合,国レベルに 地域単位を広げて も

,現実には成長 も自立 も難

しい。「周辺地域」 だけで成 り立 っている国に は

,場合によっては国家 という行政領域にす ら

こだわ らず,外部には成長の極を見つけて安定 的な関係を構築する, という開発戦略 も必要で あろう。「 ゴルカ兵」に代わる現代の文脈におい て。援助国にとってそれは労働者の受け入れに あたるか もしれない。途上国サイ ドでは,住民 が選択する生活基盤の空間的な広が りを助長す る, さまざまな レベルでの地域結合の強化 と, 機会均等の政治調整が必要になろう。 一方,地域 レベルでは,村の社会的なケアが 重要 になる。すなわち

,相

互扶助関係の維持や 富裕層 と貧困層の摩擦の回避・ 機会均等

,そ

し て都市 と比較 しての生活環境の向上など。農村 開発では

,ボ

トムアップ的に構成員の自発的な 関与が望 まれるが

,山

間ネパールでは,上層農 民の意識 は多様化 している反面,下層農家 は戦 略的な意識を もちえない状況におかれている。 農村開発の実施課程における各層の関与のあり かたなどをより具体的に研究 していくことが今 後に残 された課題である。 《謝辞》 この研究 は青年海外協力隊員 として 1987年 9月 か ら 1990年 3月 まで

,

トリブヮン 大学 ゴルカ・ キ ャンパ スで教鞭 を とるかたわ ら

,進

めたものである。同キャンパスの地理専 攻の学生諸氏には

,集

落での紹介や宿泊の便を はか って もらつたうえ

,調査に当たって も協力

と助言を得た。 また,快く調査に応 じ

,暖

か く 歓迎 していただいた現地の皆様にも深 く感謝い た します。東京外国語大学の石井薄助教授か ら は

,ネ

パ ールに関 して親切 なご指導をいただ き, さらに駒沢大学の交口善美教授や

,山

口岳 志教授をは じめ東京大学の諸先生には

,終始 は

(19)

-104-げま しをいただいた。以上の方々に心 より御礼 申 し上げます。

8)

圧 1)Hillに ついて「山地」 の表現が使われる場 合 もあるが,本稿では丘陵部 という表現に 統一する。 また

,丘陵部 とヒマラヤとをあ

9)

わせ呼ぶ場合に「山間部」または「山間ネ パール」 という語を用いる。

2)パ

ルバテ・ ヒンドゥーのカース トで

,バ

フ ンはサ ンスク リッ ト語の「 ブラーマ ン」, チ ェ トリは「 クシャ トリア」にあた るネ

10)

パール語である。 3)ヨ ーグル トの油を分離

,固

形化 した一種の バ ターである。

4)南

(1990)はその原因に日照や土質をあげ ているが

,

これに加えて,施肥の影響 も指 摘 しておきたい。

5)本

,厳

格な ヒンズー教では高位 カース ト には禁 じられているのだが,近年規制 は崩

H)

れつつある。同様 に, シコクビエを原料 と す る酒造 は低位 カース トに許 され,最近 は ひそかに飲む高位 カース トが応、えたために 彼 らの収入源になっている。 もっとも

,つ

い自己消費 して しまうことも多い。

6)た

とえば調査集落で はカ ッテル ダラに下 位 カー ス トの混住 が見 られ る(世帯 番号

12)

14015)が

,と

りわけ彼 ら(仕立て屋・ 鍛冶 屋・ 皮細工士 など)との関係 は年決 め

,お

よび当座 ごとの二本だてで,米などが現物 で支払われる。 この

2世

帯 は耕地 は僅かで 13) も生活で きるのである。 この うちバザール にも得意先を もつ世帯 は収入 も多 く

,耕地

拡大の意向を持 っている。

14)

7)一

般 に405軒で構成 され

,全

戸の耕地の耕 起・ 田植など主要な農作業を共同で行 うグ ループである。所有面積に応 じて提供すべ き労働力・ 牛等が割 り当て られ

,そ

れを満 たせない場合には現金等で精算する。 ゴルカ郡におけるネワールは

,当

所 は一般 に知 られた商業民族 として入 ったのだろう が,現在では

,そ

の性格か らはいささか外 れ

,農村の中心集落などに農民 として定着

しているものが多い。 Abesent Populationと いう項 目で

,現

在 ネ パール在住の世帯中の,他出による不在者 の集計で,う ち国外在住者が40万人。地域 的内訳 をみ る と ヒマ ラヤ地域 か ら7.8万 人,丘陵部か らが28。

9万

人である。 ここで

,集

落の人口として算定 した基準を 示 してお く。他出者の うちで

,村外に独立

して世帯を構えたり

,嫁

いだ娘などは

,援

農にかかわることがあって も人口か らは除 外 した。就学のために出ている者

,長

期に わた って出ていて も家族(本来 は違法だが 実際にはままある重婚 も含め)を村 に残 し ている者 は,集落の人口として計算 した。 シスネ リの例で,5年前に比べ

40%以

上, ゴルカ街道ぞいでは倍以上になっている。 かつて

,

タライや低地帯 は山間地の地価の

60%以

下で

,移

住がすなわち規模拡大に結 び付いていた。いまでは,逆に高 くなって いる。特に道路沿いや,水田の値上が りが 著 しい。 本来 は違法であるが

,有

力農家にはよ く見 られ,特に長男に多い。 これは

,両親 らと

ともに兄弟を養 うための労働力 として

,家

族を実家に残す必要性が高いためである。 たとえば

,今

では英軍の傭兵 は

,年金のつ

くクラスな ら

SLC(高

卒)合格が必要条件 である。 さまざまな形があるが

,政

府が全国的に展 開 して い るの は

,小

農 開 発 計 画 (Small

Famers Development Plan)で

,FAOの

言を うけて 1975年 に始 まり, 1985年まで

に全国186カ所, ゴルカ郡内では5村にプ

(20)

-105-ロジェク トがぁる。農業開発銀行が主体 で,小農に資本を貸 し付け農業を活性化す る の が 重 点 で あ る。(概要 は

,Neupane

1986)

15)小

農開発計画 タラナガル事務所(1983年 設 立)での聞 き取 りによる。 参 考 文 献 石井 博「 ネパールにおけるカース ト間分業体 系」

,伊

藤・ 関本・ 船曳編『現代の社会人類学 2:儀礼 と交換の行為』東京大学出版会,1987, 167-195頁 。 小 林 正 夫「 ネパ ール教 育事 情」

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Table  1.  Regional  Division of  Nepal
Table 2。  Migration in Nepal(unti11 1981)
Figure  1.  Physical  Settings  of  Studied  Area
Table 3。  Tilme lDistance between Market Place and Studied Settlements Name  of  Altitude Settlements  (m) Time from Gorkha  Bazar(hours  on foot) DominantCastes No
+4

参照

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