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[Report of the Visit to Southeast Asia]

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Academic year: 2021

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稿

東 南 ア ジ ア 旅 行 の 報

京都 大学総長

今 日ここで,東南 アジア研究 につ いて特 にど関心の深 い皆 さまのお集 まりの席で,岩村教授 に ど同行を願 って視察や連絡を行 って来 た このたびの東南 ア ジア旅行 についてお話 しす る機会 を得 ま した ことは,大変 あ りが たい ことで あ ります。旅行 の 日程 は, ただ今岩村教授 か らお話 しがあ った通 りで あ ります。 なに よ りもまず,私 は旅行中終 始変 りないお骨折 りを戴 いた岩村教授 に対 して,心 か ら厚 く お礼を 申 し上 げ ます。 また旅行中 いろいろの ところで, いろいろのお方 にお会 い して,数 々の お世話 にな りま した ことは感激 にたえないところで あ ります。 なお今 日ここで はか らず もお会 い したので あ りますが,荻野君 に もバ ンコ ックで非常 にお世 話 にな り,甲斐君 ,工藤君,な どに もまた,会 ってお世話 にな りま した。 バ ンコ ック, ラングー ン, クア ラ ・ル ンプール ,香港 な ど各地 の大使 または総領事を始め, 館員 の各位 に も短 日の滞在 に もかかわ らず, いろいろ心 の こもったど心配 を いただ き,暑 いこ とは大変 に暑 か ったのではあ りますが,旅行全体 と しては, たい-んあ りがたい旅行で あ りま した。特 に強調 したい ことは, 自分で出か けて大変 よか ったとい う実感で あ ります。 このたび の旅行 は短 い時間であ り, しか もその大部分は飛行機 とか 自動車 に乗 っておるとい うよ うな こ とで充分 プライヴェイ トな時間を も持 って考 え るとか,味わ うとい うことは出来 なか ったので あ りますが,それで も不思議 なもので ただ現地を卓で走 っただ けで も, 日本で本を読ん だだけ では, とて もピンとは こないあるものを掴む ことがで き,本 だけで考え る十数倍 もの効果 があ ったと思 い ます。やは り行 って よか ったと,今 に して しみ じみ と私 は思 います。時間の関係 も あ りますので,あ まり細か な ことを くど くど申 しあげ る ことはやめて,総括的 に,結論的 な こ とだけを 申 しあげ ます。 まず, なに よ りも 私 が うけたなまの 印象 は, こん な ことにび っくり して は恥 ずか しいので すが,東南 ア ジアとい うふ うに言葉で い うと, いか に もこじん ま りとまとま っておるよ うに思 われ ますが,決 して言葉で うける感 じほ ど狭 くはな く, またまとまって もお らず,現在 もなお, 現地 はまった く激 しい変化 の中にあ り, この激動の中でそれぞれ遥 しく明 日の国づ くりに懸命 の努力を して おるとい うことで あ ります。 タイ国は,東南 ア ジアの中で は, ど承知 の とお り,

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も っと も安 定 した と ころと申 して よいか と思 うので あ ります が, その タ イ国 に現在 の革命政 権 た るサ リッ ト内閣 がで きて僅 か5年 で あ り, ビル マの革命政 権 た る ネ ・ウ ィン内閣 は僅 か 1年 5ケ月前 で あ り,更 にマ ラヤ に至 って は ご承知 の とお り, 目下 マ レー シア連 邦を つ くるために 切 角努 力 中で あ ります。 マ レー シア連 邦 の ことな どは, 日本 の新 聞で はあ ま り細 か く出て お り ませ ん が, もち ろん現 地で は大変 な, 国 の運命 を か けて の大 きな仕事 で あ ります。 マ ラヤの ラ ーマ ン首 相 は一方 で は イ ン ドネ シアの ス カル ノ大統領 , フ ィ リピ ンのマ カバ ガル 大統領 ,他 方 で は イギ リスお よび国連 な どを相手 に して 目下交 渉 中で , は じめの予定 で は この8月31日に マ レー シアをつ くりあげ たい とい う希 望 で あ りま したが, これ は も う不可能 にな りま した。 きの うの新 聞を み ます と,果 して マ レー シアがで きるか, で きないか に就 いてやや悲観 的 な言葉 さ え も書 いて あ りま したが,私 は詳 しい歴史 的,政 治 的背景 な どを よ く知 りませ ん ので, この問 題 の帰結 とい うよ うな ことにつ いて は確言 はで きな いので あ ります。 しか し現 地 の新 聞を読 ん だ り, この問題 を 大局的 に見 ます と,前途 に い ろい ろの困難 はあ りま し ょうが,結 局 はや は り 出来 るだ ろ うとい うよ うな感 じで あ りますQ 国連 の り ・タ ン ト事務総 長 が動 いた り, イギ リスが その構想 に賛 成 した り して い る とい うこ とは, この問題 の肯定 的方 向を 暗示 す るよ うに思 われ るので あ ります。私 はマ フ イ リン ドな ど とい う言葉 がで きた如 く, マ ラヤ, フ イ リッピ ン, イ ン ドネ シアの三 国 が, 自主 的 な話合 いに よ って,平 和裡 に, かつ建 設 的 に この問題 を解 決 され る ことを祈 る もので あ ります。 以上 の よ うに, このた びわれわれ が訪 ね た三 国, す なわ ちち ビル マ に して も, タ イに して も, またマ レー シアに して も, まだ正 しい意 味で の国づ くりが完 全 に は終 って はお らず, いわ ば ま だ国づ くりの最 中で あ ります。私 は, そ うい うふ うな激 しい息 吹 きと申 します が, とにか くそ うい うもの に胸を しめつ け られ るよ うな感 じで ,帰 って きたので あ ります。百 聞一見 に しかず, な どと申 します が, この度 の旅行で は, しみ じみ とそ う恩 い ま した。 こん な ことはわ か りき っ た よ うな ことで はあ ります が,私 は欧米 の旅 で は,実 は最 初行 った ときか ら, それ ほ どに は感 ぜ ず , この たびの旅行 ほ ど驚 いた ことはあ りませ んで した。 しか し, この たびの東南 ア ジアの旅 行 は,わず か二 週 間で はあ りま したが,私 の人生 に何 か 一 つ の大 きな変 化を与 え た, と申 して もよい よ うな感 じで あ ります. もっと も更 にひ ろ く考 え れ ば,激動 して お るの は ただ東 南 ア ジアだ けで はな く, この世 紀 は世 界 全体 が激動 して お ると も言 われ ます。 た とえば ヨー ロ ッパ に お け るEECの問題 , ア フ リカにお け る諸 問題 ,西 ア ジア に お け るア ラブ連合 , また米 ソの問題 な ど,問題 は無限 にあ りますo現 代 は,一 国 の, あ るい は民族 間 の 分裂 と結合 とが柏 か らみ あ って行 われ て い る時代 で すが, これ は一 面 の地球 の狭小 化,人類 全体 の デモ ク ラシー化 の方 向 な どと無 関連 な問題 で は あ りませ ん。 とにか く激動 して お るの は決 して東南 ア ジアだ けで はあ りませ ん 。 しか しこの中で も,世 界 的 に見 て,東 南 ア ジア の激動 は最 も注意 すべ きものの一 つで あ り, また 日本 と して は最 も関係 の深 い もの と思 い ます0 3

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-なお,東南 ア ジアを まわ ってい る問 にひ しひ しと感 じた ことは,固定 した 日本 的の感覚 , 日 本 的の もの さ しだ けで , ものを見 て はな らん とい うことで あ ります。例 えば, この二三十年 だ けの 日本 を見 て も, 日本 には5.15事件, 2.26事件 ,安保騒動等 々とい うよ うな, い ろい ろの 事 件 が あ りま したが, ただ これを 日本 的 に見 , 日本 の物指 しだ けで計 って お るので は不十 分 な ので, もっと落 ちつ いて世界史 的視野 を も った もの さ しで計 って見 ねば な らん と思 うので あ り ます。5.15事件 ,2.26事件,安 保騒動 な どは既 に過去 の ことで,現 在 とは何 の関係 もないな ど と考 え た ら大変 な間違 いで, そ うい うものを起 した根元 的 な思考 とか,性 格 とか,社会 的事情 な どにつ いて は, なお今 後 も考 えねば な らぬ数 々の ことが あ ると思 い ます。幸 に も 日本 はい ろ ん な困難 を の りこえて は来 ま したが, しか し, その 日本 と して も鋭 い 目で みれば,決 して, た だ安 心 しき って おれ るよ うな状態 で はあ ります まい。 む しろ,今 こそわれわ れ は 日本 の置かれ て い る現実 その ものを しっか りと掴 み, ただ政 治家 だ けに まかせ ず,われわれ 自身 それぞれ国 民 の一人 と して, ま じめ に正 しく対 処 して行 けるだ けの 自信 を持 たねば な りませ ん。東南 ア ジ アを見 に行 って,私 は 日本 は これで いいのか とい うよ うな妙 な ことを, あ るいは妙 な ことで は ないか も しれ ませ んが, とにか くそ うい うことを も考 えず におれ ぬ よ うな気持 で,帰 って まい りま した。 タイ国で は,バ ンコ ックの大使館 で, 島津大使 を始 め多 くの方 々にお世 話 にな りま した。殊 に 島津大使 は岩村 教授 と も旧知 で , い ろい ろと うちとけてお話 しも承 わ りま した。 バ ンコ ック で訪 ね た大 学 は タマサー ト大 学, カセ ツ ァー ト大学, チ ュラロンコー ン大 学の三 つで , も う他 に二 つ あ る との ことです が, これ は行 きませ んで した。 大使館で話 を聞 きます と, タイ国で は研究, と くに外 国 との協 力研究 につ いて は,文部省 は 殆ん ど関係 して お らず, これ は NationalResearch Councilが責任 を もって お るとの ことで あ りますので,私 どもはそれ と連絡 を とる ことに しま した。 NationalResearch Councilの会 長 はサ リッ ト首 相で あ ります が, 実権 を もって お られ るの は, 事務 総長 た る ネー中将, (Lt.

General Netr Khemayodhin)で あ り, ネ-事務総長 の下 に人文科 学系 の主任 と して, ニボ ン 博士 (Dr.Nibondh Sasidhorn) がお られ, 自然科 学系 の主任 と して プ ラデ ィ ッ ト博士 , (Dr. Pradisth Cheosakul) がお られ ます が, これ らの方 々とは一緒 にお会 い しま した。 ネ-中将 を始 め,何 れ も実 に理 解 の あ る方 々ばか りで,私 はわれわれの ためのみ な らず,本 当に タ イ国 の ために も, こうい う方 々が国の研究面 の責任を持 って お られ る ことを,大変嬉 し く恩 い ま し た。特 にその 中で も人文系 の責任者 たるニ ボ ン博 士 には強 い印象 を受 け ま した。Nibondhと書 いて ニ ボ ンと発言 す るのだそ うです が,私 は始 めエポ ンといわれ た時 は, ど うも聞 きまちが い で はないか と恩 い ま したが, そ うで はなか ったので あ ります。実 は相 当のお年 だ ろ うと思 うて お りま した ら,後で32,3といわれ たよ うで, まだ独身 で あ ります。 いずれ結婚 した ら,- ニ ムー ンは 日本 で送 りたいな どと, じよ うだんを言 って お られ ま した。 ネー中将 に して も,ニ ポ

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ン博士 に して も, また プ ラデ イ ツ ト博 士 に して も,東南 ア ジアの研究 に対 して は非 常 に熱心で あ り,協 力的で あ ります。 ここで私 が言 った ことは, 「われわ れ ア ジア人 は,遠 い ヨー ロ ッパ とか ア フ リカの ことは比 較的知 って い るが,残念 なが ら兄弟 分 た るア ジアの ことにつ いて は, おたがいに よ く知 りませ ん。 これ は, いや し くも文 化 な どとい うことを 口にす る以上 は,大変 おか しい こと じゃないで しょうか。 そ うい う意 味か らも,われわれ ア ジア人 はたがいに手 をつ ないで ア ジアの ことを研究 し, たが いに尊敬 しあ って ます ます友情を深 め ま しょう」 とい うよ うな ことで あ りますが, これ にたい して は,深 い共 感を示 して も らい ま した。 尤 も これ につ いて は,タイ国 のみ な らず,どこで もで, 「そん な ことはつ ま らん」 とい うよ う な ことを い った人 は一人 もあ りませ んで した。 その時 の様 子 は BangkokWorld,BangkokPost

な どの英 字新 聞お よび タイ語 の新 聞 な どに出てお りますが,Bangkok Worldの記事 は,次 の通 りで あ ります。

JapaneseProfs.VisitBangkok

Dr.K.Hirasawa,PresidentofKyoto University,andDr.S.Iwamurapaida visittoLt.General Netr Khemayodhin,the Secretary-Generalofthe National Research Councilatthe Government House last Monday.They have come to Thailandtofind thepossibilityof cooperation with Thailandin facilitating the researchprogramsoftheCenterforSoutheastAsianStudiesofKyotoUniversity. President Hirasawaalso requested theNationalResearch Counciltosendsome Thaischolarstoobserve andexchangeexperienceand ideasatKyotoUniversity on theirinvitation.

ttWe,in Thailand,realizetheincreasingroleof SoutheastAsiain inter na-tionalaffairs andare interestedin encouraging intensive studies of Southeast Asia

,

"

saidLt.GeneralNetr.

Beforeleaving theGovernmentHouse,PresidentHirasawatoldtheSecretar y-General,ttEven thoughIhaveseen Bangkokonlyforoneandahalfdays,Iam greatlylmpreSSedbythewisdom oftheThaipeoplein maintaining theircultural originaljtyamidsttherapidmodernization.Bangkok hastheunique harmonyof oldandnew.Thisistheprideandthepromising sign forfutureofThailand.''

なおニ ボ ン博士 か らも, お ととい大変 どていね いな 日本文 の手紙 が きて お ります。 この手紙 には,特 に新 しい ことは書 いてあ りませ ん が,しか し,私 が今 まで 申 しあげ た ことを,エ ポ ン博 士 自身で確認 して お られ る所 に意 味 があ ります。 ニボ ン博士 は, アメ リカで 学位を と られ た方 で,か らだ は,私 よ りも小 さい くらいです が, ものの五 分 も話 しを してお ると, ほれ ぼれ とす る落 ち着 いた味 のあ る方 で あ りますC ひ とつ ニ ボ ン博士 のお手紙 を読んで み ま しょう。 「ど来 訪 い ただ いて, ま ことに うれ し く思 い ます。先生 は, ご経験 が多 く, ご親切 で,東洋文化を よ く理解 され て い る ことは,われわれ に深 い印象 を与 え ま した。短時間の会見 で はござい ま した が,一生忘れ られ ない喜 びで ござい ま した。 この手紙 に よ り,京都大 学の東 南 ア ジアセ ンター 5

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-の ど計画 に, 大 いに 協 力す る ことを お知 らせ します。 一 緒 に送 りま し た -の は Government Houseで, NationalResearch Council事務総 長 の ネ-中将 と会見 され た ときの新 聞 ニ ュー

ス で ござい ます。 ご覧 の通 り, か な り くわ しく, は っき り した ニ ュース で ご ざい ま した。

Bankok Post,BangkokWorldとい う二 つ の英語 日刊新 聞の ほか,多 くの タイの新 聞 に も出て い ま した。最後 に岩村先 生 に, よろ しくお伝 え願 い ます。」

NationalResearch Councilの方 々におあい したのはバ ンコ ック-到着 後一 日半 の ことで し たが,バ ンコ ックのパ ゴダな どに深 い印象 を受 けてお りま した。 そ こで私 が 「た しか にバ ンコ ックには, まだ独創的 な ものが残 ってい ます。 この独創的 な ものが残 って お るとい うことは, い ろい ろの歴史 の流れ のなか において も, 自 らを喪 わず に きた とい う証拠 で あ り, この ことは, タイ国文 化 の将来を約 束す る極 めて重要 な ことだ と思 い ます」 とい うよ うな ことを 申 しま した ところ, これ が タイ国 の方 々の気持 にぴん と来 たので あ りま しょうか,ニ ボ ン博士 が新 聞 に出 され たので あ ります。 さて ビル マの ほ うで あ りますが, ラングー ンには, 八月一 日に まい りま した。 ところが, ここは岩村 教授 が前回 おいで にな った ときとは,政治 的 に非 常 に事情 が違 って お り,共 産系 と の和平公渉 の ため,政 府 の全閣僚 が も う一 ケ月 もラングー ンを あ けてお るとい うよ うな緊迫 し た状態 で あ りま した。 こうい う事情 は出発前 ,外務省 で もよ く分 りえ ませ んで したが, これ は ビルマが厳重 な報道管制をや ってい るためで あ ろ うと思 い ます。 たまた ま私共 が着 い た晩,外 務省 か ら小 田部大使 の方 -返事 があ り, い まは重 大 な国家 的事件一和平交 渉 とは書 いてあ りま せ ん けれ どもー があ り, 且 つ予算提 出期で 緊急解 決を要 す る 重 大事 があ るので, 大使 か ら申 込 みのあ った京 大提案 の問題 につ いての交 渉 に は,不適 当の時期 だ とい うよ うな知 らせ が あ っ たので あ ります。 しか し私 どもはそれ はそれ と して,事前 に了解 を得 て お った予定 の通 り,文 部次官,農 業局長, ラングー ン大学 の学長 な どの方 にお会 い いた し, こち らの研究 の主 旨を 申 しあげ ま した。 この訪 問 に よ って,私共 は ビル マ政府 内には,われわれ の問題 につ いて横 の連 絡 が全然 なか った とい うことが,分 ったので あ ります。 それ は外務省 か らの大使館 に対 す る回 答 が否定的 なるに もかかわ らず ,文部次官,農業 局長、 ラングー ン大学長 な どの態 度 は,すべて われわれ の 申 し込 み に たい して,極 めて積極 的で あ り,協 調 的で あ った とい うことで あ ります。 特 に農業 関係 の研究 に対 して は,農 業局長 は, 「自分 は ま った く貴学の研究 には大賛成で あ る し, それ は,いずれ は ど うして もや らねば な らぬ ことばか りで あ る。 しか し,最後的決定 は, - イ レベルで行われ るので あ り, この最後的決定 につ いて は私 は何 も直接 力を もって いない」 とい うよ うに,極 めて卒直 に, は っき りとものを言 って お るので あ ります。農業局長 はただの 役人で はな くて,農業方面 につ いて の知識 を十 分 もって お る人 で,話 の焦 点 もよ く合 い, おお いに感心 しま した。個 人的見解 だ とい う注釈を つ けなが らも,氏 は ビル マの農業 が まだ劣 って お り,農業政策 と して もまだや らね ば な らぬ ことが非 常 に多 い とい うよ うな,筋の通 った話 を

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バ ンコックの タイ国首 相官邸にて

Liか らプ ラデ ィツ ト科学 研究 会議 自然科 学 部長 , ネ-科学 研究 会議 事務 長 ,平 沢京都大学 総 長 , 岩村 京都大学 教授 ,安藤 在 タ イ 日本 国大使 館書 記官 , エ ポ ン科学 研 究 会 議朴 会科学 部長

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して お りま した。 文部次官 は, もと ラングー ン大学の教授 を され た方 だそ うで,私共 と話 がぴ った り合 い,東 南 ア ジアの研究 は ど うして もや らねば な らぬ ことで あ り, 出来 る限 り,京大 の研究 に も協 力 し よ うとい うことで あ りま したO ラングー ン大 学長 との話 につ いて は,大 学の思 い はみ な一 つで, 協 力を お しまない とい うことで あ りま した。 マ ラヤの クア ラル ンプールで は, マ ラヤ大 学の総長 は見 えないので,副総長 に会 い ま したo 研究 にたい して は, もちろん協 調 的で あ りま した。 なお この大学 は現地 の教授 と外 国 の教授 と が, ほぼ半 々 ぐらいだが,む こ うか らも教授 の交換 な どにつ いて話 があ りま した。 ここの大使 は大 隈大使で, い ろい ろマ レー シア連邦 な どにつ いての話 な どもあ りま したが, 特 にお伝 えす るほ どの ことはあ りませ んで した。 香港で は,われわれ の訪 問を本 学の卒業生が 聞 きま して,現在香港 にい る二十数人 の卒業生 が, ほ とん ど全員集 まって,着 い た晩に歓迎会を 開いて, い ろい ろ話 を聞かせ て くれ,大変嬉 しうご ざい ま した。香港大学 のほ うは,休 暇中で総 長が不在 で あ り,その代理 に も時 間的の都 合 で会 いませ んで したが, しか し,教養部 の尾 崎助教授 がお られ ま したので, い ろい ろと現地 の事情 な ど,承わ る ことがで きま した。 結 局, 全休 の旅 行 と して まず感 じた ことは, 現 地 につ いて は, 現 地で なけれ ば なか なか正 確 詳細の情報 を入手 し得 ない, とい うことで あ ります。先程 も申 しま した よ うに, タ イ国 も, ビル マ も軍政 で,聞 くところで は いずれ もまだ戒厳令下 にあ るそ うで あ ります。 もっとも戒厳 令下 にあ ると言 って も,何 もか もが, それ程 やか ま しい とい うので はな く,われわれ は戒厳令 下 にあ る, とい うよ うな ことを,直接肌 で感ず るよ うな ことはあ りませんで した。 しか しあ る 方面 で はや は り厳 しいので,特 に ビル マで は,新 聞 ラジオな どの報道管制 が, きび し く, また 入 国時 な ども非 常 に困難 だそ うで あ ります。つ ま りビルマは漸 次 その鎖国政策 を強 めつつ あ り, イギ リスの技 師 な どを お っば らった り,医者 が足 らんで 困 って お りなが ら,私共 が行 く一月位 前 か ら,150人 ない し200人 もイ ン ドに追 い返 した りして いるとい うことで あ ります。 まあ, そ うい う風 な情勢で あ りま して,実 は,小 田部大使 には,行 った一 日の晩 と, 出発 の前 日の三 日 のお昼 の二 回,お招 きを戴 いて, い ろい ろとざっ くば らん な御話 しや らお願 や らを致 しま した。 結 局,私共 が は っき り大使 にお頼 み して きた ことは,ほかの国で仕事を しよ うとい うことだか ら,すべ ての点で 自分の思 うよ うにのみ研究 がで きない ことはやむを得 ないが, しか し,われ われ と して は,あ くまで も この ビルマ研究 はや り遂 げ るつ も りで あ るとい うこと,着手 が難 し い とい うよ うな ことを聞 くとど うい うものか,かえ って ます ますや りた くな るとい うよ うな研 究者 の気持 な どを卒直 に述 べて,大使 始 め大使館一 同の今後 の格別 の御援助 をお頼 み したので あ ります。 もちろん これ には,何 よ りもわれわれ も フ レキ シビ リテ ィーを持 ち, や ると計 画 し た ことはあ くまで もや り通 さねば な りませ ん。決 して単 なる言葉で はな く,ねぼ り通 さねば な

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りませ ん。われわれ の努 力が短兵急 な弾 力 のない もので はな く,われわれ の願 いがあ くまで も 真実で あ るな らば, これ は必 ずやれ ると信 ず るので あ ります。 現 地 の事情 に就 て は,外 務省 で もわ か らん ことが あ り, こ うな ると, ど うして も現 地 にセ ン ターの出張所 の よ うな ものを おいて直接現 地 の情報 をつかむ とい うことの必要 に迫 られ るので あ ります。 もちろん全部 の国 に,か よ うの ものを 置 くわ けに は まい りませ ん か ら,比較 的交通 の便利 な,連 絡 の都合 の よい土 地 に, 置 くよ りほかあ りませ ん。結 局す ぐ考 え られ るの は,交 通 の便利 な,バ ンコ ックに一 つ,至急 そ うい うものを 置いて,現 地 の情 況を に らみ なが らす ぐ に仕事 を開始す るとい うことで あ ります。バ ンコ ックに リエゾ ン ・オ フ ィスをつ くるとい うこ とにつ いて は,バ ンコ ックが,航 空 の要衝 に当 ってい るとい うほか,大使館 ,ニ ボ ン博士 , 陳 大人 な どあ らゆ る便利 があ るか らで あ ります。 陳大人 とい うのは本 学の眼科 の浅 山教授 の執刀で網膜 剥離 の手術を して も らわれ て,失 明を 助 か った中国 の華僑で元 来清朝 の名門で あ り,浅 山教授 か ら紹介状一本 だ けで, ま った く,鶴 身 も及 ば ない世 話を して下 さった方 で あ ります。私 は中国の大人 のすぼ らしさはかね て よ く知 ってお り, あ る意 味で は, この こと も,東南 ア ジア研究 のス ター トに,私 の覚悟 を決 め さ した ものの一 つだ った とさえ言 って もいいので あ ります。 昭和

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年 秋 ,太平洋 戦争 が は じまる前 に, 私 は北 京 の 日華 医学大会-行 き,人 間 と しての 中国人 の偉 らさに しみ じみ感 じ入 ったので あ り ますが,今度 はか らず も,バ ンコ ックで, さ らに この印象 を強 め たよ うな ことにな ったのであ ります。 た しかに人 間 には,国 を超 え,言葉 を超 え た,心 か ら心- の交 わ りがあ り, た しか に 陳大人 はそ うい うものを持 ってお られ,私 は,人 間いか にあ るべ きか を, あ らためて この大人 か ら教 え られ たよ うな気 がいた しま した。 陳氏 はい ろい ろ仕事 を してお られ ます が, もちろん, バ ンコ ックで は一流 の人 であ ります。 この陳氏 が私共 の研究 に対 して で きるだけの援助 を しよ う, オ フ ィス も必要 な ら, 自分のビルデ ィングの一部 をす ぐ明 日か らで も貸 してあげ よ う, と 言 われ る ことは,誠 にあ りが たい ことで, いわ ば浅 山教授 の余徳 が,われわれ に及んだのであ り,浅 山教授 に も深 い敬意 を表 したい と思 い ます。 先程 か ら申 して お ります よ うに,バ ンコ ックには理 解 の深 い大使 は じめ大使館員一 同,ニ ボ ン 博士 ,大学 関係者 ,陳大人 な どがお られ るので,バ ンコ ックに出張所 を設 け る ことは,や ろ う と思 えばす ぐに もで きる ことだ と思 い ます。 ど うか一 日も早 くその方 向に進ん で,現 地 での研 究 に着手 して も らい たいので あ ります。 もちろん細かい ことは,いずれ ,それ ぞれ 委員会 で ご 相談戴 かねば な らぬ ことです が,私 と して は, ここまで きたな らば,一刻 も早 く仕 事 に着手 す る ことが大事 だ と思 うのであ ります。 そ して 日本 において とれ ない よ うな情報 を もとって東南 ア ジア全体 の研究 をいつ も広 い視野 か ら考 えて行 くべ きです。 す ぐビルマに入 る ことは,先程 も申 した よ うにむつか しい ことですが, しか し,バ ンコ ックを中心 と して,旅行者 と して ビル マ に入 る ことはで きるそ うですか ら, こん な方法 でで きるだけの現 地 の情報 を集 めて迂 回作戦 8

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-で ビル マの研究 に も進 ん だ らよい と思 うの-であ ります。 日本-帰 って,岩村 教授 は ビル マの様 子 を くわ し く外 務省 -報 告 され ま したが, これ は外務省 もホ ッ ト・ニ ュースであ った よ うであ ります。 とにか く仕 事 を進 め るに は,現 地 の情報入手 が絶対 に必要 であ ります か ら,一 目も早 くバ ンコ ックに リエゾ ン ・オ フ ィスを 置 くことで あ ります。 なお,つ いで なが ら, コ- ネル大 学 も ビルマ で人 類 学的研究 を行 った折 も, その セ ンターはバ ンコ ックに 置いて お りま した。 さ っきの NationalResearch Councilを訪 問 した時 ,所長夫妻 に もお会 い しま したが細か い話 は 省 きます。 それか らも うーっ不思議 に感 じま した ことは, さ っきも一寸触 れ ま したが, 日本 で本 を読 ん だだ けで は ピ ンと こなか った よ うな ことが, ほ とん ど現 地人 とは話 しもせ ず , ただ飛行機 で飛 ん だ だけで も,現 地 の空気 には,何 かわれ われ の心 に グ ッと訴 え る ものがあ る とい うことであ ります。 そ うい う経験 か ら,私 は将来 どの よ うな研究 , どの よ うな専 門的 な,一見他 の研究 と は殆 ん ど関係 が ない よ うな研究 を され る方 も, で きるだ け広 く東 南 ア ジアを見 るよ うにすべ き だ と思 うのであ ります。 日本 にお ると,そん な ことをい って も,言葉 だけがか らまわ りす るよ うに響 きます が,一 回 出か けて見 ると, そ うい う気持 ちにな るのであ ります。 どん な特殊 な研 究 をや るに して も,東南 ア ジア全域 の動 きと,更 に は また世 界 全体 の動 きの中におけ る東 南 ア ジアの動 きを,頭 に入 れ て お るの と, そ うで ないの とで は,大 きな開 きが 出て まい りますO そ れ か ら現 実 に即 した社会 学的 な研究 をす るよ うな場合 は, ただ研究室 におけ る重 箱 の 隅をほ じ くるよ うな ことだ けで はだめだ ろ うと思 い ます。 それ はなに もただ広 く浅 くな どとい うことで は な く- ,広 く,浅 く, とい うよ うな ことは,私 は本来嫌 い であ ります。私 が い うの は,動 的 に ダ イナ ミックに, しか も広 い視野 に立 った綜合 的思 索 を も って研究 を進 めねば な らぬ とい うことで,人 文社会 系 と 自然 系 の綜合 的研究 とい うよ うな ものに なれ ば, なお さ らそ うであ り ま し ょう。 すべて の研究者 を東南 ア ジアの全域 に廻 らす とい うことは, もち ろん経費 の上 か ら 不可能 で あ りま し ょうが,管理 運営委員会 な どで よ く検 討 され て研究者 の全部 で な くともまた 東南 ア ジア全 域 でな くて も,せ めて専 攻 問題 の主 任 を これ に関係 の深 い国 々-廻わ す ぐらいの ことは考 えね ばな らぬ ことと思 い ます。 旅行 とい うと, ち ょっと浪費 の よ うな印象 を与 え ます が,決 してそ うで はな く, も し廻 って みて ただ面 白か った とい うよ うな気持 だ け な ら,その人 は研究者 た るの資 格 の ない人 であ りま す。諸君 が お廻 りに なれ ば,面 白さは面 白 くと も, 同時 に また必 ず その前 に考 えて い た何倍 か の迷 いや, 困難 な どを もお感 じにな るだ ろ うと思 い ます。 それ は, あ る意 味 で はそれ だ け一 歩 現 実 に近 づ い た ことに もなるの であ ります。 とにか く,現実 をな まの ままで掴 む とい うことは 絶対 に必 要 であ ります。 研 究者 の交換 につ いて も, あ る程 度 ,具体 的 に意見 をかわ して きま した。 も っとも これ は, いずれ委 員会 な どで くわ し くど検 討 に な る ことであ りますか ら,私 は ここで は細か い ことは申

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しあげ る必要 はないか と存 じます。 ただ一つ ここで 申しておきたい ことは,東南 アジア研究 と い うふ うな綜合的 な研究 では学問 とい うものを最 もゆ とりのあ る考え方 で と らえ る必要 があ る とい うことであ ります。 たとえば,大学の教授 ではないが,研究 に対 して深 い理解 と関心 を持 ち, しか も, タイな らタイ, ビルマな らビルマ,マ ラヤな らマ ラヤ,な ど現地 において研究面 に対 して大 きな実力 と発言権 とを持 ち,高 い次元 におけ る学問の交換 を可能 な らしめ るよ うな 人 な らば,私 はそ うい う人 も交換 に値いす ると思 うのであ ります。 とい うのはある一つの専門 に秀 いでておるとい うだけで,必ず しも綜合的研究 に適 当でないよ うな人 があるか と思 うと, 反対 に一つの面 だけではそれ ほ どでな くとも,綜合 的研究 に非常に働 いて も らえ るよ うな特殊 の能力を持 った人 もあ り得 るか らであ ります。心せ ねば な らぬ ことは, このたびの東南 アジア 研究 とい うよ うな ことには,われわれ 自身が もっと, もっと,われわれ の心 を大 き くし,人間 を大 き くせ ねばな らぬ, とい うことであ ります。 この度の旅行 でつ くづ く恩 いま した ことは,われわれが余 りに も東南 ア ジアの実情に暗い と い うことと,長 い 目で見 てわれわれが, どれだけ東南 アジアのためになることを したか とい う ことであ ります。 どうも,われわれ の ものの見方 は近視的であ り, なにか気短かす ぎるよ うな 感 じが してな りません。 たとえば 1億 円出 した らす ぐ 1億 円の効果 をね らうとい うよ うな, 吃 ん とな しにそ うい うふ うな匂 いがす るのであ ります。一見捨 てておるよ うで も,必ず しも捨 て ることにはな らん とい う計算の仕方 がないよ うであ ります。 このたびの東南 ア ジアの研究 に当 っては,われわれ は普通 の 日本人的 な考 え方 をすてて,あ らゆる面 で もっともっと大 きな もの を身 につけ,人間的 な成長 を して,現地の 自然 に も人 々に も心か らの友情 と理解 とを持 て るよ うにな らねばな ります まい。 しか も, これ ははん と うに腹 の底 か らそ うな らねばな りませんが, しか し, これ は口で言 うほ ど簡単 であ りません。実 は私 もバ ンコ ック名物の水上 マーケ ッ トを 見 て,身 を もって これ を体験 して参 りま した。バ ンコ ックは運河がた くさんあ りますが,水上 マーケ ッ トとい うのはメナム河 に通 ず る運河の一つで行われてい るもので,い ろい ろの品物 を 舟 にのせ て運び,おたがい同志,あるいは運河の両岸 の人 々との間で品物 を売買す る極 めて原 始的なあ きないであ ります。運河の両側 には, ち ょうど街道 にそ うて家 が並んでいるよ うに, 半分は陸地,半分は運河のは う- と二 股かけた特殊 な家が密集 してお るのであ りますが, その あいだを毎朝七時か ら十時 ごろまで,行 きこう舟で商売 をす るのであ ります。 そ うい うところ へ行 ってみ ると,は じめは本 当にゾ ッとす るので あ ります。人 間のた くま しさとか, ヴ ァイタ リテ ィの強 さなどとい って も, とて もまだ充 分には表現で きず,やは りゾ ッとす る, とい うの が,最 も現実 に近 いよ うで あ ります。 そ うい うよ うな 自然,そ うい うような人 々を相手 に して, これか ら研究 を し,生活 を してゆ かねばな らんのであ ります。 そ こには,現代 と古代,原始 と文化 とい うものが,あ らゆる型で, まった く入 り乱れてお るのであ ります。 おは ぐろをつけた女がい るか と思 うと, 口紅 をつけた - 10

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-人 がい る。 カールを した-人 がい るか と思 うと髪 ボウボ ウの-人 もい るので あ ります。 しか し,不 思議 にですね, は じめは恐 しい よ うな感 じに襲われ た私ですが, ものの三十 分 もす ると,私 の・ 神経 は次第 に鎮 まり,いや鎮 まるのみな らず, この気候 と 自然 にたいす る人 間の適応 に対 して,, なん とい うすぼ らしい適応 か とおのずか ら頭 が さが るので あ ります。文 化の物指 しにはい ろい ろの ものがあ りま し ょうが, ただ現在で き上 った型 の文化の物指 しだけで測 って,高等 だ とか, 下等 だ とい うことには,余程慎重で なけれ ば な らないので はないで しょうか。外見 のみな らず, その うしろにあ る心 や感情 まで も共 感で きる人で なければ,真 の批判や評 価 はむずか し く,一 般 にあ る感覚 の不感症 は,その感覚 に対 して は発言権 はないので あ ります。やや もす ると,わ れわれ は学問の名 において とか く類型 化 され,規格化 され,術語 化 されて, 自己が理解 し,感 じ得 る面 のみか らしか, ものを見 ない傾 きがあ ります。やや もす ると,学者 に,特 にいわ ゆ る す ぐれ た学者 に, こうい う不感症 的現象 がないかを,私 は恐れ るので あ ります。水上 マ ーケ ッ トの顔 は,一見 した と ころ,無表情 の よ うな顔で,決 して無表情 の顔で はな く,注意 して見 る とひん ぽん に,清澄 な心 の動 きがわか るので あ ります。・だんだん時 がたつ につれて, も し若 か った ら,私 もこの研究 に一生 を捧 げて もいいなあ, と しみ じみ と思 った次第で あ ります。 なに よ りも現 地で の研究 は, ただの研究室 の研究 とは,だいぶ趣 きの違 いがあ り,更 に人間 の大 きさ,物指 しを も時 には変 え得 る素朴 さ,相手 の人間 に完全 に とけ きれ る弾力性 ,な どと い ろい ろの ものが必要で あ ろ うと思 い ます。 しか し,私 は,諸君 が現地 に行 けば, きっと現地 のそ うい う状況 に イ ンスパ イアされて,そ うい う巾のひ ろい広 々と した熱情 を もたれ るよ うに な ることを信 じて疑 い ませ ん。 も う一 つ今度の旅行で痛切 に感 じた ことは,先程 もち ょっと触れ たよ うに,いっ も東南 ア ジ アの全域 を頭 にお き,われわれ の研究 をその一 国 とか,一部 に局限せ しめ るよ うな ことをせず, 文字通 りわれわれ の研究 が,東南 ア ジア全域の綜合 的研究 になるよ うに と心 がけねばな らぬ と い うことで あ ります。 このたび,私 が訪れ たのは,東南 ア ジアのほん の一部で あ り,それ に私 は こうい う方面 の知識 には暗 い とい うよ りも,む しろ何 も知 らぬ人間で あ りますか ら,専 門的 角皮か らは何 も申 しあげ る ことはで きませ んが, しか し,東南 ア ジアには無限 の研究問題 があ るとい うことは, この身体で感 じて参 りま した。 東南 ア ジアを綜合 的 に研究 す るとい うことは, なん と して も,私 は, 日本 の学界 にか け られ た一 つ の大 きな使命 だ と思 い ます。われわれ の第一期計 画 は五年 であ りますけれ ども,五年 ぐ らいで東南 ア ジアが全部研究で きるな どとは,私 は夢 に も思 ってはいないので あ ります。 この 研究 によ って,ほん と うに,人類 の文化 に何 か一 つの新 しい ものを加 え よ うとい うには,更 に 十年 ,二十年 と研究 を続 けねば な るまい と思 うので あ ります。私 は諸君 の燃 え る学問的情熱 に よ って,必 ず この使命 を果 しぬ くよ う念 じ, また固 くそれ を信 じて,簡単 で はあ りますが今 日 の報告 を終 ります。 あ りが と うござい ま した。 (8月21日京大楽友会館 にて講演)

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最後にな りま したが,次 に各地 で御世話 にな った各位 の御芳名 を列挙 して厚 く謝意を表 したい と思 います。 東京銀行香港分行支店長代理 三 井銀行バ ンコ ック支店支店長 東京銀行九龍分行副経理 三 井銀行盤谷支店支店長代理 日綿実業株式会社香港支店 兼松株式会社香港支店支店長代理 住友商事株式会社支店 株式会社東食香港支店支店長 雄 俊 彦 幹 章 雄 一 助 幸 茂 知 方 達 修 善 川 田 山 井 井 村 塩 田 滝 太 中 福 友 津 小 柴 喜洋塵紙株式会社輸出部鼻谷駐在 荻 野 晃 大阪商船株式会社香港支店 足 代 清 日本貿易斡旋所(JETRO)繊維部 久 米 武 夫

SonyCorp.ofHong∝ongLtd. Norio ManagingDirector Nakanisbi

出 呂晶 黒 曇珪 取締役社長 山 口 賢 治 株式会社 タイ ・トー レ ・ テキスタイル ・ミルズ社長 扇 原 秀 治郎 〝 副社長 〝 常務取締役 一 章 信 田 林 森 小 ・ 露晶 慧 西 野 順 治郎 〝 取締役 鈴 木 紀 正 香港洛友会 (東京銀行) 菊 池 康 ・ (雫警 雲㌣ :O三 ,;タ」 四 方 緑太郎 〝 (雄 昌行) 笹 谷 哲 也 〝 (中外貿易) 西 尾 新 揚 〝 (東商) 吉 田 瑛 之 〝 (日本 トレーデ ィング)服 部 平吉郎 〝 (三菱商事) 松 浦 康 〝 (香港大学留学 中) 尾 崎 雄二郎 在香港 日本 国総領事館副領事 有 地 一 昭 〝 駒 正 春 ビルマ大使 在 ビルマ 日本国大使館参事官 〝 二等書記官 マ ラヤ大使 在 マ ラヤ連邦 日本国大使館参事官 〝 二等書記官 タイ大使 在 タイ 日本国大使館参事官 〝 一等書記官 一 博 次 渉 明 巌 大 輔 晃 謙 佳 重 久 重 部 本 堂 隈 下 書 津 田 本 田 小 板 階 大 山 有 島 有 山 ⊂ビルマ〕 DirectorofAgriculture ShweThaHtwe OfficeofEducationMinistry,HlaHam Vice-Minister

Univ.ofRangoon,Rector YadanabonHardwareHouse Ltd.,Managing Director U Ba Tbein&Co.,Ltd,

ManaglngDirector ⊂香 港〕 香港珠宝公司副理 香港新江第一商業銀行 香港毅誠有限公司竃事長 新加披華僑銀行香港分行副経理 ⊂タ イ〕 PrimeMinisterOffice,

NationalResearchCouncil, DeputySecretary-General ThammasartUnivり

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Khemayodhin Chakr Jotisalikara Nibondh Sasidhorn JerseyChen 陳 秩 豊 (敬称 略) クア ラ ・ル ン プー ル 着 クア ラ ・ル ン プ ー ル 発 バ ン コ ック着 バ ン コ ック発 ホ ン コ ン着 ホ ン コ ン発 羽 田 着

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