〈精神医学基礎講座〉精神療法の本質
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(2) 114. 近畿大学臨床心理センター紀要 第 5 巻 2012年. 性がある。彼らは精神療法における危機状況を、補助的薬物、あるいは積極的干渉、行動指 示などによって抑制しようとする。そのため価値のある治療的体験材料が失われる。 「統合失調質的」治療者は、現実的な共人間的コミュニケーションを作り上げるには、あ まりに冷淡で、疎遠で、抽象的である。感情的関与を欠いた空虚空間での分析に終始する。 以上のような治療者の人格特徴以外に、治療者の経済的必要性、性的欲求不満、成果への 名誉心、満たされない攻撃性、幼児的愛情欲求、嗜癖的態度、あるいは道徳的非妥協派およ び禁欲主義者などへの過度の共鳴も治療者のイメージに合わない。 他方、患者たちも幼児的庇護願望を持つ患者は、甘えを許すような治療者に身を委ねよう とし、強い処罰欲求を持つ患者は、拒絶的治療者に好んで従おうとする。 Condrau はいかなる患者が適当な症例となるかは、本質的には治療者との共同決定に任 されるが、これらの関連をよく知って、「最初の面接」で自らの態度を言語化するように勧 めている。その前提として、治療者自身の問題のある心的態度を治療者自身に明らかにする ために教育分析が求められ、治療関係についてはスーパービジョンが求められる。 Ⅱ.治療者の意義 W.Schulte は治療者像について、裁判官、教育者、道徳家、大学教師、哲学者あるいは牧 師としての働きをするようなことがあってはならず、これこそが治療者の繰り返し陥る誘惑 であると警告している。治療者像としては、古くから治療者の非個人性とともに力動性、特 異性、不可欠性が要請されており、役割として「酵素」あるいは「触媒」という比喩が好ん で用いられる。転移の媒体としての治療者の意義はよく知られているが、W.Schulte はそれ に尽きるものではないとして、「共にある人間」Mitmensch であること、伴侶 Partner とし ての存在を重視して、「受託者」Treuhändler(責任は己に引き受けつつ、他者のために働 く者)というイメージが相応しいと強調している。患者のよく発する質問に、「先生は治療 者として話していらっしゃるのですか、それともありのままのあなた、個人として人間とし て話していらっしゃるのですか」というのがある。ある治療段階では、治療者は転移現象の 媒体として働くばかりでなく、個人的な立場も明らかにして、治療者自身の生の基礎となっ ているものを伝達することが必要になる。そこにおいて「距離を取ること」と「関与するこ と」が一つに結びつき、治療者の二重機能が統合されることになる。 Rollo May は実存的精神療法の貢献のなかで、精神療法の意味するところは、第一に技法 の多様性、第二に心理学的力動、そして第三に「現前」Presence を挙げている。現前とは 治療者と患者との関係が何よりも「現実のもの」a real one として受け取られることを意味 する。すなわち治療者は単なる影のような反射鏡ではなくて、たまたまその時点で、自分自 身のことではなく、患者の実存 the being をできる限り理解し経験することに専念している、 生き生きとした一人の人間だということである。現前という意味には、「関係−のなかの−.
(3) 人見一彦:精神療法の本質. 115. 真実」truth-in-relationship という基本的な実存的概念が準備されている。その結果、真実 とは、常にある物、ある人物との個人の関係を包含しており、治療者はすでに患者との関係 の「場」relationship “field”の一部をなしている。そのように考えるならば、治療者は患 4. 4. 者との 「場」 のなかに参加しない限り、患者を本当にみる really see ことはできないと言え るであろう。 Rollo May は K.Jaspers の言葉を引用している。 「われわれはどんなに見落としていることだろうか ! われわれは理解する機会をなんとま あ見過ごしていることか、たった一度の決定的な瞬間に、あらゆる知識を持っていながら、 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. ただ十全の人間的な現前 a full human presence を欠いていたばかりに ! 」 Ⅲ.精神医学の基礎としての精神療法 Benedetti は精神医学の基礎をなしているのは精神療法であり、精神療法は失敗し、いつ も誤解されてしまう患者の存在の側面を代弁し、それを弁護し、それを看護し、それに生命 を与え、生き生きした存在としての可能性を治療者が信じることにあると主張する。この決 して消滅することのない人間性に対する確固たる信念こそが、精神的病の望みの薄い荒涼と した世界のなかで、治療者と患者という二人の人間が真に結びつくことができる要因である。 精神療法がなければ、精神医学はより低い水準に低下する。精神療法とは、単に異常性を見 つめるのではなく、患者の状況と特質から出発しながら、患者の世界の発展とその生成の希 望に目を向けようとするものである。 Benedetti はわれわれが薬物を投与し、社会的な処置を取り、患者と語り合うとき、われ われは異常なものを消失させたり、限局化したりすることを第一に考えているのではなく、 この異常なものを超えて、患者の生の実体の隠れているところへ向かうのであり、われわれ が薬物や社会的処置によって行うすべてのことは、われわれ自身の姿勢を基礎にしてはじめ て有効となることを強調している。 文 献 シュルテ(飯田 真、中井久夫訳)(1969) 精神療法研究、医学書院 ロロ・メイ、E. エンジェル、HF. エレンバーガー(伊東 博・浅野 満・古屋健治訳)(1977) 実存、 岩崎学術出版 ベネデッティ(小久保享郎・石福恒雄訳)(1968) 臨床精神療法、みすず書房 人見一彦(1991) 人間学的精神医学、勁草出版サービスセンター.
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