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宮良長包の音楽教育活動に関する研究(6)-作品研究3(昭和篇-(2))-: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Title

和篇-(2))−

Author(s)

大山, 伸子

Citation

沖縄キリスト教短期大学紀要 = JOURNAL of Okinawa

Christian Junior College(37): 31-60

Issue Date

2009-02-27

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/9729

(2)

宮良長包の音楽教育活動に関する研究(6)

−作品研究Ⅲ(昭和篇一②)−*

大 山 伸 子

Abstract 宮良長包の作品は、現在、169曲が確認されている。しかし、いまだ埋もれている未発掘作品の可 能'性や、曲名は判明しているが旋律不明のもの、作曲年が確認できないものもあり、作品研究はさ らに進めていかなければならないだろう。 筆者は、宮良長包の作品研究について、「宮良長包の音楽教育活動に関する研究(4)−作品研究 I(明治・大正篇)−」(1)、※「宮良長包の音楽教育活動に関する研究(5)−作品研究Ⅱ(昭和 前期篇)−」(2)を発表してきたが、本論文はその後続研究として、昭和7年から10年に作曲した37 作品について、※「昭和篇一②」とし、作品解題を行うものである。 長包の作曲活動における昭和期(昭和元年∼14年)は、もっとも充実した時期であり、昭和元年 から6年は40曲、昭和7年から10年は37曲、昭和11年から14年は25曲を作曲し、作曲数からも活発 な時期だったことが窺える。特に、県内外で知られている代表作「安里屋ユンタ」(1934)や、唯一 のオーケストラ曲「嵐の曲/嵐の歌」(1934)は昭和期の作品である。 本論文で述べる「昭和篇一②」(昭和7年から10年)の作品の特徴は、声楽曲が圧倒的に多い長包 作品の中では異色ともいえるオーケストラ曲の創作や、沖縄民謡を元歌にした作品が多いこと、校 歌作品はヨナ抜き旋法に加えて7音音階もあること、問答形式の曲が確認できること、混合拍子が依 然として多いこと、作曲数は37曲と多いが、曲名のみ確認でき旋律不明の曲が14曲もあることなど が挙げられる。 また、戦前の校歌歌詞が戦後になって、時代にそぐわないとして1部分を手直ししている学校や、 統廃合により新しい学校へと移行する中で、長包の校歌が姿を消す学校も見られた。 今後、長包の作品研究を継続して行うことにより、長包音楽の全容が徐々に明らかにされるだけ ではなく、沖縄県の音楽教育の変遷をも烏撤できることになるだろう。 * * I・作品研究 長包作品の作曲年区分について(要旨※の説明)、 長包作品の作曲年区分について(要旨※の説明)、先行論文では昭和期を昭和7年以前と以 降に分けたが、本論文からこれを改め、3期に区分し、昭和元年から6年を「昭和篇一①」 (「昭和前期編」で既発表)、昭和7年から10年を「昭和篇−②」(本論文)、そして、昭和11年か ら14年を「昭和篇一③」(未発表)とする。 本論文の「作品研究Ⅲ(昭和篇一②)」は、昭和7年∼10年に作曲された37曲の作品解題で あり、(1)声楽曲、(2)オーケストラ曲、(3)校歌、(4)団体歌について時系列に分類、 整理し、旋律が判明している23曲を【宮良長包作品表V】に、旋律不明の14曲を【宮良長包作 品表Ⅵ】に表記し作品表にまとめた。さらに、旋律が判明している23曲について、曲名、作曲 年(発表年、推定年)、作曲年齢、作詞者名、曲の音楽的特徴、作品に関連する事項を作品ご とに解題し、長包作品をより明らかにする。 *AStudyofChohoMiyara'sWorkinMusicEducation(6) −AnlnterpretationofWorksⅢ(ShowaEra-②)− **NobukoOyama 3 1

(3)

-また、『宮良長包作曲全集』(3)(以下『作曲全集』という)に収録した作業過程や、埋もれ た作品の発掘研究にも言及する。 作品解題は主に『作曲全集』所収の楽譜に基づいており(本論文巻末に表記)、各々の曲番 号は、【宮良長包作品表V】と一致させている。曲名には、その作品の特徴やエピソードを付 した。 1−1.昭和篇一②

(1)声楽曲

1.唐船…沖縄民謡をモチーフにした混声四部曲… 【楽譜1】唐船(1∼8小節)

唐 船

泉 国 夕 照 作 詞 昭和7(1932)年に作 曲(49歳)、作詞者は泉 国 夕 照 。 曲 は 、 ホ 長 調 (調号は#3つで記入きれ ている)、16小節、4/4拍 子 で 、 歌 詞 は 3 番 ま で あ る 。 長 包 は 、 元 歌 の 沖 縄 民謡「唐船ドーイ」のメ ロ デ ィ ー を モ チ ー フ に し て、混声四部に作曲して いる。【楽譜l】 カ ノ ン 形 式 で 旋 律 を 構 成 、 出 だ し 「 と う せ ん ド ー イ さ ん さ ん ひ が て る い つ さ ん は え ひ と の む れ」の箇所は、第1、2, 4 の パ ー ト が 揃 っ て 始 ま るが、第3パートはl小節 遅れのカノンで始まる。 10∼13小節の「ハイヤセ ン ス ル ス リ セ ン ス ル イ ヤ サ サ サ サ 」 の 嚇 子 部 分 も カ ノ ン 形 式 で 構 成 き れ 、 長 包 の 得 意 と す る 作 曲手法である。 今日では、琉球の締め 太鼓でリズムを打ち鴫ら 宮 良 長 包 作 曲 一一 J必 116 ‘ 公 n L

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111

1 1 里 1 1 8 U しながら、エイサーで演じられることが多い。カノン形式は、長包作品の中で随所に現れ、 「綾雲」(1924、「駅路」(1928)、「猫ユンタ」1930)などの作品に見られる。 = 0 画 ロ ■ ■ ■ │■■● ロ■ ロ■ 、 =‐ ■ 一= T I ” a 声 門 。 ■ 声 lロ 戸 n 〃 1 1 〃 ロ ロ =印可且■■ロロロ ロロ pHロ ■一訂ロ”ユ三三三●一。 ゴー ヨ■■三』 = ■ n℃、〃■幻一一 一二 = ー = = U T L ロロロ、 ■ ■ 一 一 一 I■■ 画一訂■ロユ ロロロ〃 ー 昨 』 ■ P I ー ” ● , 庁 l 函 ■ ■ ■ ■ ■ ■ 1 , 戸 ■ ■ ■ ■ ■■ 〆 TL 〃 西 = = ●。 = ■ 10 Ⅱ ザ I D I I l ■ T U n 〃 一 ー ー ー ー 11 Ⅱ。咳ロロ u , 、 0 ■ ロ ■ ■ ■ 一 ■ 釘 L 四 ・ -一 1 0 一 岬 ー 四 = 四 ■ 軒 = ■ “ = ■ 『 へ 0 ” 凸 〃 一 L I 戸 一 ■ 』■ ー ノ ー ー ■ 〃 ー 、、1ノ 己 〃 F − 卓 ー F ー = ’ 二 Qj 、 I L

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(4)

2 . 母 の 声 … 作 詞 者 が 二 人 ? … 昭和7(1932)年に作曲(49歳)、作詞も宮良長包。曲は、変ホ長調、38小節で、拍子は2/4 拍子のアウフタクトで始まるが、18小節は3/4拍子に変わり、19小節で再び2/4拍子に戻るo22 小節で3/4拍子、29小節で4/4拍子、30小節で3/4拍子、31小節は2/4拍子、33小節は3/4拍子、34 小節で2/4拍子と変化し、頻繁に拍子が変わる長包独特の作曲手法である。歌詞は2番まであ る。 作 詞 者 に つ い て は 、 こ れ ま で 長 包 と さ れ て き た 。 事 実 、 長 包 が 存 命 中 に 自 身 で 出 版 し た 楽 譜 集『首里古城一宮良長包創作曲集第1編』にも「宮良長包作詩」と明記されている(4)とこ ろが、「沖縄県師範学校学友会演奏会」(昭和8年2月19日)の「プログラム」によると、「大漬 孫佑作歌」と明記され、歌詞も記載きれている(5)。以下、両者の詞を記述する。 大 漬 孫 佑 作 歌 〈 ば 1 . そ よ ぐ よ 蒲 葵 の 葉 が み な み の 風 に

歌ふよ親鳩の税の誉

2 . そ よ ぐ よ 蒲 葵 の 葉 が 南 の 風 に き こ え ま す 故 郷 の 母 の み 誉 宮 良 長 包 作 詩 1 . そ よ ぐ よ く ば の 葉 が 南 の 風 に 歌 ふ よ 歌 ふ よ

親鳩の税の聾

I』ざ 親 烏 の 祝 の 聾 2 . そ よ ぐ よ く ぱ の 葉 が 南 の 風 に 聞 え ま す 聞 え ま す ふ る 里 の 母 の み 替 ふ る 里 の 母 の み 誉 両者の歌詞は、全く同じである。これまで「長包作詞」という認識であったが、大漬孫佑の 作詞の存在が判明したことにより、どのように解釈するべきだろうか。大漬の歌詞には、長包 作曲の別の旋律が存在するのだろうか。今後、その背景を明らかにしていきながら、明確な答 えが見出せるまでは、従来を踏襲し長包の作詞としたい。また、この曲には「ふる里にましま す 母 上 の み 前 に 此 の 歌 曲 を 捧 ぐ 」 と 副 題 が つ い て い る 。 大漬孫佑とのコンビ作品は、「夜雨」1931がある。 3 . 桑 の 実 … お し ゃ べ り の 旋 律 … 昭和7(1932)年に作曲(49歳)、作詞者は宮里静湖。曲は、嬰ト短調、16小節、4/4拍子で 歌詞は2番まである。長包作品で唯一の嬰ト短調であるが、並行調のロ長調に「沖縄県立第三 中学校」(作曲年不明)がある。作詞者の宮里は久米島出身で、長包の沖縄県師範学校時代の 教え子である。 曲想は、木から落ちる熟れた桑の実を、スカートの裾を広げながら拾うイメージである。沖 縄師範学校付属小学校の音楽の授業で、「子ども達はスカートの裾を広げながら、歌詞に添っ た身振り手振りの振り付けで指導を受けた」との教え子たちの証言がある(6)。このことは、 『夏季音楽講習要項』で、長包自身が「ダルクローズのリズム教育の思潮」として記述してい るように(7)、長包自身、エミール・ジャック・ダルクローズのリトミック音楽教育法に関心 −33−

(5)

ツクは音楽を身体で感じ、考え、表現するという音楽教育 ,ては資料不足もあり、詳らかではないが、今後の研究課題と を持っていたことがわかる。リトミックは音楽を身体で感じ、考え、表現するとい』 法だが、長包のリトミック実践については資料不足もあり、詳らかではないが、今後のイ したい。 ところで、13∼16小節目の「たんとうれたよ」→「たんとうれたよ」の旋律は、 「答え」の問答形式が認められ興味深い。ここで、2通りのパターンを考えてみよう。 ※パターン① 13∼14小節・右手旋律(問)→「D*G*A*BD*ED#」たんとうれたよ 15∼16小節・右手旋律(答)→「BD*EG*D*BA#G*」たんとうれたよ ※パターン② 13∼14小節・右手旋律(問④)→「D*G*A*BD*ED*I(たんとうれたよ) 14小節・左手旋律(答④)→「D*BA*G*EJ(伴奏) 15∼16小節・右手旋律(問、)→「BD*EG*DBA*GJ(たんとうれたよ) 16小節・左手旋律(答<→「G*D*BA#G*I(伴奏) 【楽譜2】桑の実(13∼16小節) 問(パターン①) (パターン②)

I

E

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「問い」と 【楽譜2】 答(パターン①) (パターン②)

-

筆者は、この会話調の問答形式を、「おしゃべりの旋律」と名付け、長包の作曲技法で最も 特徴的なものとして位置付けている。また、他の作品、「母恋し」1925)にも確認でき、18 20小節の「母上います」EAG*ABABC*→21∼23小節の「ああ恋し」C*DBG#Aの部 分が、問いと答えの「おしゃべりの旋律」として確認できる。

4 . 月 の 出 汐 … 歌 謡 曲 風 で 粋 な 旋 律 …

昭和71932)年に作曲(49歳)、作詞者は宮良高夫。曲は、二短調、15小節で4/4拍子で始 まり、12小節目で3/4拍子、13小節目で4/4拍子に戻る混合拍子で、歌詞は、4番まである。前 奏はピアノ伴奏の4小節で始まり、16分休符、16分音符、8分音符、4分音符のリズムパターン で構成。歌に入り、8分音符と2分音符、付点8分音符と16音符、8分音符を組み合わせたメロデ ィーラインは上行下行形を駆使し、歌謡曲風なイメージを醸し出している。12小節3拍目の嚇

子「ホイ」は、続く8分休符と下A音からD音、E音を経てオクターヴ上のA音に導かれ、「粋」

な旋律とリズムを表出している。

(6)

5 . 若 夏 祭 … ラ ラ ラ が 効 果 的 … 昭和71932)年に作曲(49歳)、作詞者は泉国夕照。曲は、二長調で始まるが、G音で終 止する。25小節で、拍子は2/4拍子、歌詞は2番まであり二部唱で構成されている。8分音符を 主体にしたリズム構成。2つ目のパート「ラララ」が効果的で、加えて、ユニゾン、カノンが 入れ替わり出てくる手法で展開している。 作詞者、泉国夕照とのコンビでは、「鷲の烏」(1927)を手始めに、「駅路」(1928)、「春小雨」 (1928)、「コイナユンタ」(1929)、「稲刈歌」(1930、「だんじゆ嘉利吉」(1930)、「万才かふす」 (1934/楽譜不明)など数多くある。

宮 良 長 包 作

(昭和篇一②)

表 V

口叩 【旋律が判明している作品】 注115∼21【校歌】15,16,17,19,21は現在も歌われている。 注222∼23【団体歌・祝歌】 −35− No 曲名 作曲・発表左一一一 (椎定含む) 年 冷 ,ノ 一一二 同ロ者 イ三曲集・論文

123456789mⅡ岨旧

14

56789011111122

22 23 唐船 母の声 桑の実 月の出汐 若夏祭 献穀田田植歌 八重山音頭 名護小唄 安里屋ユンタ 春深し しく、れ 宮良橋の歌 荒磯の歌 嵐の曲/嵐の歌 南城市立玉城小学校 那覇市立真和志小学校 今帰仁村立兼次小学校 今帰仁村立兼次中学校 南城市立知念小学校 沖縄県立女子工芸学校 糸満市立真壁小学校 具志川小学校五十周年 記念奉祝歌 石垣町歌 頃頃

年年年年年年年年年年年年年

(1932) (1932) (1932) (1932) (1932 (1932 (1933) (1933) (1934) (1934) (1934) (1935) (1935) 昭 和 7 昭 和 7 昭 和 7 昭 和 7 昭 和 7 昭 和 7 昭 和 8 昭 和 8 昭 和 9 昭 和 9 昭 和 9 昭和10 昭和10 昭和9(1934)年 頃 作 補 , ● 1932)年 1932)年 1955)年 1933年 1933)年 1934)年 1934)年 1935)年

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エ→エィギ→ギイエ小エイ季小手小 刀口刀口刀口刀口刀口刀口刀ロ刀口

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昭和7(1932)年 昭和10(1935)年 ■ ■ ー ー 一 一 l ■

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99001124455555

49 52 泉国夕照 宮良長包 宮里静湖 宮良高夫 泉国夕照 神田精輝 名嘉地用挙 嶋袋全幸(島幸太) 星 迷 烏 不明 不明 大浜信光 宮里静湖 瀬名波長宣(合唱部) 新屋敷幸繁 上原晃・補作/ 真和志小学校

平平松勝比

敷敷根連嘉

兼兼盛盛俊

仙仙秀英成

古波蔵保昌 伊波南哲 1932「八重山民謡」 − を琉球新報紙面に 執筆 1932「歌の国・八 重山への音信」を 八重山民報紙面に 執筆 1933宮良長包・金 城侍英篇「夏季音 楽講習要項」を国 吉弘文堂印刷より 発行 1936作曲集「首里 一 古城」を共益商社 書店より出版 (2月)14曲収録 1936作曲集「琉球 一 の新民謡』を大阪 開成館より出版 (7月)12曲収録

(7)

け ん こ く で ん た う え う た 6 . 献 穀 田 田 植 歌 … 五 線 譜 見 つ か る … 【写真l】田献穀田植歌(瀬名波長宏氏所蔵) 昭和7(1932)年に作 曲(49歳)、作詞者は神 田精輝。曲は、二長調、 14小節、E音で終止する。 拍子は出だし4/4拍子、3 小節で3/4拍子、4∼14小 節で4/4拍子に変化する 混合拍子である。 し か し 、 こ の 楽 譜 は 【写真l】、拍子やリズム に不正確で不明な点が数 箇所確認できる。例えば、 5∼10小節目、13小節目 の拍子やリズムが不正確 な記譜である。また、楽 譜下の歌詞記述と縦書き の歌詞記述に整合性がな い 箇 所 が あ る 。 長 包 が 記譜をしたのではなく、 そ の 関 係 者 が 書 き 込 ん

鉄 穀

闘 植 歌

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(8)

人の早乙女は清浄な服装に御泥をはねて一列に並び、奉唱者奉耕者交互に節面白<歌ひ交はし つ、赤誠をこめて植えて行き、参列者及び拝観者の襟を正させて、この光栄ある大任を果たし たのであったが‐‐、(略)献穀田田植歌は三高女校長神田精輝氏の作詞、男子師範教諭宮良 包氏(ママ)作曲にか、るものである》と記述がある。 この曲は、天皇が神々に新米を供える宮中行事の「新嘗祭(にいなめさい)」に献上する米を 作るための田植えの際に歌うものであり、その式挙行に「献穀田田植歌」が披露された。 文面に、「郷土色豊かな節」、「交互に節面白<歌ひ交はしつつ」とあるように、沖縄民謡調の 曲で交唱形式によるものだったことが窺えるし、楽譜上の4小節と8小節の「ヨラテコヨラテ .」の嚇子部分や、10∼11小節の「甲」と13∼14小節の「乙」の部分からも読み取れる。交唱 の部分は、八重山民謡の“ユンタ"、“ジラバ”の応答唱歌の手法を応用していると思われる。 作詞者の神田精輝とのコンビでは、「首里第二尋常高等小学校校歌」(1936)がある。 7 . 八 重 山 音 頭 … イ ン パ ク ト の あ る 高 音 の 出 だ し … 昭和8(1933)年に作曲(50歳)、作詞者は名嘉地用挙。曲は、へ長調(調号はb2つで記入 されている)、26小節。出だしは4/4拍子のピアノ伴奏で始まるが、5小節目で2/4拍子に変化、 6小節目から歌が始まるが、最終小節まで4/4拍子に変化している。歌の出だしは二点C音 「ハアー」で勢いよく始まり、13小節の「やえやま−」の歌詞の箇所がB^CDF(二点)と 音階的に上行し、盛り上がるo22小節で二点F音が再び登場するが、下はB^音から上は二点 F音まで1オクターヴと5度の音域が広い曲である。 歌詞は6番まであるが、1番のみ長包が作詞し、2番から6番は名嘉地用挙の作詞となって いるが、なぜそうなのか、詳細はわかっていない。 8 . 名 護 小 唄 … 小 唄 の 先 駆 け … 昭和8(1933)年に作曲(50歳)、作詞者は島幸太(嶋袋全幸)。曲は、へ長調、15小節で 4/4拍子、歌詞は6番まである。リズムが音頭の嚇子「ソラヨイヨイ」、「ソレサッサ」を効果 的に表出、踊りたくなるような曲構成である。 この曲については、作詞者の嶋袋全幸(島幸太はペンネーム)が琉球新報新聞に解説を執筆 しているので引いてみよう。「昭和8年12月、町制10周年を迎えた名護町(町長岸本幸盛)で は、種々の記念行事を催したが、その一つとして名護小唄をつくることになり、ひろく一般か ら募集をした。その時一等当選したのがこの小唄である。作詞者島幸太。それに当時師範学校 の教諭であった宮良長包が作曲し、御園生貢が振付をした。沖縄市町村の小唄や音頭類の先駆 けをなすものだった。記念式典当日、名護小学校で発表会があり、出演者一同で撮ったのがこ の写真である。えりすぐられた名護の美女たちが、白鉢巻(三高女生)と裾模様で一組になり、 円陣をつくって踊った。混じっている男性と婦人は、三味線と琴の弾奏・歌唱者たちである。」('0) この記事から、公募で当選した詞に長包が作曲し式典で披露されたことがわかる。また、演 奏形態は、沖縄の楽器、三線、筆と歌の演奏に加え、踊りもあったようだ。 長包は音頭や小唄をいくつか作曲しており、「八重山音頭」('933)、「酒は泡盛」(1936)、 「具志川小唄」(1930-38?/旋律不明・調査中)」、「久米島小唄」(1934/楽譜不明)がある。 −37−

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9.安里屋ユンタ…沖縄民謡と誤解されている名曲…

昭和9(1934)年に作曲51歳)、作詞者は星迷烏。曲は、へ長調、B^音、E音のない音構 成でヨナ抜き旋法。26小節(前奏1∼10小節)、2/4拍子で歌詞は4番まである。【楽譜3】 「安里屋ユンタ」は、県内外で広く知られている長包の代表作だが、昭和9年、日本コロン ビア蓄音器株式会社が、沖縄民謡をレコード化するために収録された1曲である。 今回、貴重なそのレコードを聞くことができた。【写真2]<"> 【写真2】「安里屋ユンタ」収録レコード(沖縄県公文書館所蔵) レコードには、作曲者は 宮 良 長 包 で は な く 、 「 民 謡・安里屋ユンタ」と記さ れている。「唄・大漬津呂、 崎山用能、仲本マサ子」、 その下に「ピアノ・バイオ リン伴奏」と書かれている。 古今東西、「安里屋ユンタ」 が沖縄民謡として誤解され て い る の は 、 そ も そ も 、 "民謡”として全国的に発 信 さ れ た か ら で は な い だ ろうか。 レ コ ー ド の 「 安 里 屋 ユ ン タ 」 は 、 ピ ア ノ と パ イ オリンの伴奏による2名と(伴奏者無記入)、前述の歌い手、大漬、崎山、仲本の5人で演奏し ている。 レコードの演奏順は以下の通りである。〔採譜楽譜・25小節/巻末掲載〕 ①前奏l∼25小節→l∼9節(34小節の長さ)でピアノ・バイオリンによる演奏 ②1番10∼25小節(16小節の長き)で、大漬、崎山、仲本による歌とピアノ・バイオリン伴奏 ③間奏l∼9小節(9小節の長さ)でピアノ・バイオリンによる演奏 ④2番10∼25小節(16小節の長き)で、大漬、崎山、仲本による歌とピアノ・バイオリン伴奏 ⑤間奏I∼25小節→l∼9小節(34小節の長さ)でピアノ・バイオリンによる演奏 ⑥3番10∼25小節(16小節の長さ)で、大漬、崎山、仲本による歌とピアノ・バイオリン伴奏 ⑦間奏l∼9小節(9小節の長さ)で、ピアノ・バイオリンによる演奏 ③4番10∼25小節(16小節の長さ)で、大漬、崎山、仲本による歌とピアノ・バイオリン伴奏 ⑨後奏1∼9小節(9小節の長さ)でピアノ・バイオリンによる演奏 歌い手の仲本マサ子は長包の実妹であるが、レコードの吹き込みに長包自身も直接関わった 可能性は極めて高い。三木健著『宮良長包一沖縄音楽の先駆』の記述によると(12)、このレコ ードの吹き込みに合計68曲が収録きれたというが、今回、筆者は、57曲、「鷲の烏節」、「古見 の浦節」、「ションガネー節」、「ションガネー節(改作)」、「白保節」、「港節」、「安里屋節」、 「赤馬節」、「シュウラ節」、「月の真昼間節」、「鳩間節」等を聞くことができた。 レコードには発売年月日の記述がなく昭和9年であるかどうかは確認できなかったが、もし、

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68曲収録されているとすれば、他11曲のレコードの所在を調査し、確認することが今後の目標 である。 歌い手が民謡歌手で、伴奏は、ピアノとバイオリンの西洋楽器で演奏されているコラボレー ションは、西洋音楽と沖縄音楽が絶妙に混ざり合い、新鮮な音色である。 「安里屋ユンタ」は八重山民謡の「安里屋節」が元歌とされているが、「安里屋ユンタ」に 「安里屋節」と酷似したメロディーラインがあるかといえばそうでもなく、元歌とは言い難い。

【 楽 譜 3 】 安 里 屋 ユ ン タ ( 1 ∼ 2 6 小 節 ) む し ろ 、 「 安 里 屋 節 」 が 原

曲と言えるかどうか疑問で 安 里 屋 ユ ン タ 星 迷 鳥 作 詞 ある。 宮 良 長 包 作 曲 「安里屋節」をヒントに した長包の創作曲と見なし て も よ い の で は な い か 。 そ の事は、今後、理論的に立 証する必要があるだろう。 現在は、「サー沖縄(地 名で変わる)よいとこ−度 は お い で サ ー ユ イ ユ イ

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− リ ヌ チ ン ダ ラ カ ヌ シ ヤ マヨ」の5番歌詞が歌われ 『 『 ひ 琴 ・ ● ロ ひ き と め る マ タ ハ − リ ヌ チ ン ダ ラ カ ヌ シ ヤ マ ョ マ ヨ 」 の 5 沓 歌 詞 か 歌 わ れ ま ま な ら ぬ マ タ ハ ー リ ヌ チ ン ダ ラ カ ヌ シ ャ マ ョ み ず い ら ず マ タ ハ ー リ ヌ チ ン ダ ラ カ ヌ シ ャ マ ヨ る こ と が よ く あ る が 、 こ た − す − き マ タ ハ ー リ ヌ チ ン ダ ラ カ ヌ シ ヤ マ ヨ れ は 、 沖 縄 県 の 観 光 誘 致 のための補足歌詞であり、星迷烏の創作は、4番までである。 ところで、映画監督の篠田正浩著『私が生きたふたつの「日本」』に、「安里屋ユンタ」につ いての記述があるので引用してみよう(13)。「前の戦争末期、学徒動員で私は陸軍の飛行場で働 ア サ ド ヤ いていた。その合間に歌われたのが沖縄民謡の安里屋ユンタであった。エキゾチックな音階を なぞりながら、私たちは敗戦を迎えた。今になって、なぜ、沖縄の歌が岐阜の各務原に届いた のか。多分、沖縄の戦況の悲惨ざが、パイロットとともに飛行場の滑走路に着陸したのではな かったか」。 戦時中は、時代を反映してか、「マタハーリヌチンダラカヌシャマヨ」を「マタハーリヌ死 んだら神様よ」の戯れ歌でシニカルに歌われていた。 戦前、戦中、戦後、そして現在に至るまで、県内外で広く歌われている「安里屋ユンタ」は、 戦場でも人々に愛唱されたが、戦争を鼓舞するための日本の音楽教育に抵抗した長包だったが、 自身の曲が、戦場で人々を慰撫する歌になろうとは、長包自身予想していなかったのではない だろうか。

10.春深し…日の目を見た発掘作品…

昭和9(1934)年頃に作曲(51歳)、作詞者は不明。曲は、ハ長調、33小節、4/4拍子である。 この曲は、旋律さえも知られていなかった埋もれていた作品で、記憶を辿って歌った玉代勢秀 子さん(14)の歌唱を録音採譜し、楽譜化した発掘作品である(2002/8/1録音)。玉代勢さんによ −39− 一 一 一 FF ー I PP一 ー = = ■ ⅡI P ■ ■ ■‐ ■ 11 ■ ■ ■ ■■ ■ ー ■ ー ■ ー ロロ■Iロロ I, ロ ロ 両 、 L I L d■ = = 1 1 ■ Ⅱ ● I ロ = 画 I D 。 ■ 。■ =り ー。 I I J ’ 二。 ■ ■ H ■ ー ー I ■ ■ ロ ■ ■ ロ − 〃 Ⅱ ー ー 1 口 ■ ー 、 、 一﹄ 、 ■ ■ 、 Ⅱ 、 、 ■ = J ■ = = J ■ L T , ノ ■ = 『 = ー ■ ■ ー ■ ー I I J ■ ー ー ■

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ると、小学校の登下校に友人とよく歌ったというが、「春深し」が果して長包の作品かどうか を採譜の照合や資料調査を行ったところ、長包の作曲手法の一つとして、自身の作品のメロデ

ィーモチーフを、他の曲にも転用していることがわかった。そこで、長包の既成曲「石垣町歌」

の出だし旋律フレーズに酷似したメロディーが、「春深し」に使われていることが判明、長包 の作品と断定したのである。

採譜から楽譜化を経て「作曲全集』に収録、長包没後の初演として演奏会等で発表きれ(15)、

長包の発掘作品として広く知られるようになった。 曲の特徴は、音域が下G音から二点E音と音域が広く、八重山の素朴な自然が映し出される

旋律である。この曲については、拙稿「宮良長包の音楽教育活動に関する研究(2)−発掘作

品のパフォーマンス化一」(16)で詳述した。 11.しぐれ…埋もれていた長包メロデイー…

昭和9(1934)年頃に作曲(51歳)、作詞者は不明。曲は、変ロ長調(採譜時の歌唱者の音

高)、40小節(間奏7∼8小節、23∼24小節、後奏35∼40小節)のアウフタクトで始まる2/4拍子

の曲で、歌詞は、1番のみである。【楽譜4】 この曲は、旋律さえも知られていなかった埋もれていた作品で、記│意を辿って歌った玉代勢 秀子さんの歌唱を録音・採譜し、楽譜化した発掘作品である(17)。

玉代勢さんは、「幼い頃、友人と良く歌った曲で、長包先生の曲と聞いていた」と、述壊した。

【 楽 譜 4 】 し ぐ れ ( 1 ∼ 4 0 小 節 ) 旋 律 は 、 1 点 D 音 か ら

ていた」と、述壊した。 旋律は、1点D音から 2点F音までの音域があ り、歌と歌の間に間奏、 そして、後奏がある。 歌 詞 の な い 間 奏 部 分 や後奏部分も玉代勢ざ んは、「ラララ」で正確 な音程歌唱で表現した。 この曲を長包の作品 と 判 断 す る 手 段 と し て、それに酷似する、 あるいは全く同じ旋律 の既存の曲が存在する かどうかの調査を行っ た 。 明 治 期 以 降 に 出 版 されている音楽教科書 をほぼ全部調べ(東京

I U刀 し く ゙ れ 作 詞 不 明宮 良 長 包 作 曲 歌 唱 玉 代 勢 秀 子 録音・採譜大山伸子(2002.8.1) ’---‐間奏一一---, 詞 V / - 、 一 詞 ‘ 一 詞 1 1 k 竺 一 一 一 ■ ロ ■ p rIl 一 型 ロ 、 一 一 ■ ■ ■ ■ ■ ■■ 1 口 ■ p ー I み よ や ふ − る さ と の − ふ − る さ と の − ー 、一 ロ ロ 、 、 ロ 且 . 一 ア〃■

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た録音テープを長包の教え子たちやゆかりの方々に聴いてもらい確認した。教え子たちからは、

長包の曲であると決定付ける有力な証言はなかったものの、玉代勢さんの記憶が鮮明だったこ とや、既存の他の曲には見当たらなかったことから、長包の作品であると結論付けた。

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12.宮良橋の歌…工工四譜で記譜…

【楽譜5】宮良橋の歌(工工四譜)→豊里脂桓 (石垣市教育委員会文化課所蔵)

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(13)

昭和10年(1935)年頃に作曲(52歳)、作詞者は大浜信光。曲は、工工四で記譜されており、 歌詞は5番まである【楽譜5】。「宮良」とは、石垣島の東部にある地名で、生活の交通手段と して欠かせない宮良川にかかっている架橋を「宮良橋」といい、それが自然災害で幾度となく 崩壊したが、初の鉄筋コンクリート橋として完成(昭和8年)、記念の頒徳碑の除幕式にこの 曲が披露された。 除幕式当日は、白良小学校(現・白保小学校)の児童が合唱で出演している。楽譜が工工四 であることから、演奏形態は三線や太鼓、横笛などの琉球楽器で演奏されたと思われる。 煩徳碑の除幕式に披露するための曲であり、いわゆる、ポピュラーソングとして、日常的に 頻繁に歌ったり演奏されることはなかったと考えられる。「宮良橋の歌」の由来については、 三木健著『宮良長包の世界」(18)に詳しい。 尚、工工四譜を五線譜に作成したが【楽譜6】、工工四譜が73年前のものであり、解読が難 しい点や不鮮明な箇所が多々あったが、慎重に精査し楽譜化した。五線譜は、へ長調、13小節 で、l∼6小節は4/4拍子、7小節で2/4拍子、8∼12小節は4/4拍子、13小節は2/4拍子の混合拍子 である。覚えやすいメロデイーで、賑々しく軽快な曲想である。

13.荒磯の歌…久米島民謡をモチーフに…

昭和10(1935)年に作曲(52歳)、作詞者は宮里静湖。曲は、変ホ長調で、一句、16小節 (前奏l∼3小節、後奏15∼16小節)、4/4拍子で、歌詞は、2番まである。久米島は、沖縄本島の 那覇市から西に約100kmに位置する離島である。実際に長包は久米島に赴き、この曲の元歌、 久米島民謡「久米の阿嘉の髪水」の旋律を採譜し、そのメロディーモチーフをベースに作曲し た。長包はピアノ伴奏譜で作曲しているが、三線と歌で演奏されることが多い。 作詞者の宮里静湖と長包とのコンビでは、「船路」1928)、「桑の実」(1932)、「久米島小唄」 (1934/旋律不明)、久米島小学校校歌(1938)がある。 (2)オーケストラ曲

14.嵐の曲/嵐の歌…唯一のオーケストラ組曲…

昭和9(1934)年に作曲(51歳)、合唱パートの作詞者は瀬名波長宣。曲は、「嵐」をテーマに した情景描写がストーリーによって展開される標題音楽的な構成で、オーケストラ部(実際の楽 譜はピアノ譜)、合唱部からなる組曲である。【写真3.4】【楽譜7.8】 そもそも、創作の意図は、長包の故郷、八重山諸島(石垣島)が、昭和8年9月に超大型台風 の襲来に見舞われ未曾有の大被害にあうが、その惨状を見るに見かねて義援金を募るために作曲、 演奏会で発表されたものである。今日の、チャリティーコンサートの先駆けといえるだろう。

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【写真3】嵐の曲/嵐の歌(原楽譜)出だしl∼5小節(石垣市教育委員会文化課所蔵) 【楽譜7】嵐の曲/嵐の歌(校訂譜)出だしl∼5小節校訂:大山伸子 。E■F 宮口皿 二軍 ■

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【楽譜8】嵐の曲/嵐の歌(校訂譜)合唱出だし34∼38小節校訂:大山伸子 へ 34A I k L k L k L k L l I #J 1 ∼ 3 . ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ A I

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曲構成を詳しく見よう(三木健・大山伸子編著『宮良長包著作集』p.250∼261楽譜)。

全小節数は、313小節である。 ①前奏部は変ロ長調、33小節(1∼33小節)の長さで、出だしは4/4拍子で始まり、21∼33小 節は6/8拍子。 ②合唱部1番は、変ロ長調、26小節(34∼59小節)の長きで、4/4拍子の同声四部。 ③間奏部の出だし60小節はハ短調で始まり(楽譜はフラット2つの調号であるが、曲中A音 にbを書き込んでいる)、68∼72∼92小節は変ロ長調。拍子は、出だし60小節は4/4拍子で 始まり、68∼74小節は6/8拍子、75小節は3/8拍子、76∼77小節は6/8拍子、78小節は3/8拍子、 79∼92小節は6/8拍子で頻繁に拍子が変わる混合拍子。 ④合唱部2番は、変ロ長調、26小節(34∼59小節)の長さで、4/4拍子の同声四部(②と 同じ)。 ⑤間奏部の出だし60小節はハ短調ではじまり、68∼72∼92小節は変ロ長調、さらに、93∼ 108小節も変ロ長調である。拍子は、出だし60小節4/4拍子で始まり、68∼74小節は6/8拍子、 75小節は3/8拍子、76∼77小節は6/8拍子、78小節は3/8拍子、79∼92∼95小節は6/8拍子、96 -108小節は2/4拍子で頻繁に拍子が変わる混合拍子。 ⑥合唱部3番は、変ロ長調、26小節(34∼59小節)の長さで、4/4拍子の同声四部(②④に 同じ)。 ⑦後奏部は、89小節(109∼189小節)の長さで、出だし109∼147小節はへ長調、148∼152小 節は変ロ長調、153∼189小節は変ホ長調。拍子は、109∼114小節は2/4拍子、115小節は3/4 ロ 〃 』 1 国 や '■■ 。P I■■■ ■■■ ■ロ■■一 = 一 '一 = 『 夕 』 L ー 画 ー 画 ー 画 ー ■ ー 一 正 画 I 〃 ー b﹄ 』’ Ⅱ 〃 凪1 , Lロ ” ■ 弓 r ” ■ ■ ■ ■ ■ ■ 』 、 、ロ r〃 I巳F ■l 公 』 川 込、1' 弓 r も 。■ 。■ ロ ■ 刃 屍 五 〃 』 国 ← P ” ■■■ 、 L L 〃 W 局 ア 』 l = 1 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 公 廷、、』 r 口 。 ■ I 1 〃。。 、 U 1 I 1 1 ” ロ 〃 口 ヨ 。 弓 百 一戸 囚 I■ 唾 画 一 ﹃﹄ t 、 ロ

(16)

拍子、116∼147小節は2/4拍子、148∼150小節が5/4拍子、151小節は3/4拍子、152小節は5/4 拍子、153∼156小節は3/4拍子、157∼166小節は4/4拍子、167小節は2/4拍子、168∼189小 節は4/4拍子で頻繁に変わる混合拍子。 ⑧終奏部は、7小節(148∼156小節)の長さで、出だし148∼152小節は変ロ長調、153∼156 小節は変ホ長調。拍子は、148∼150小節が5/4拍子、151小節は3/4拍子、152小節は5/4拍子、 153∼156小節は3/4拍子で頻繁に拍子が変わる混合拍子。 次に演奏順を以下に記す。 ① 前 奏 一 ピ ア ノ 譜 l ∼ 3 3 小 節 ②合唱一合唱譜(1番)34∼59小節 ③間奏一ピアノ譜60∼72小節→61∼72小節くり返す∼92小節 ④合唱一合唱譜(2番)34∼59小節 ⑤間奏一ピアノ譜60∼72小節→61∼72小節くり返す∼108小節 ⑥合唱一合唱譜(3番)34∼59小節 ⑦後奏一ピアノ譜109∼114小節くり返す∼150"-'可→148小節→152^可∼189小節 ⑧終奏一ピアノ譜148∼152「2可∼156小節 原楽譜は、合唱譜とオーケストラ部(実際はピアノ譜)のパート譜になっているが、通常の スコア譜のように各楽器のパートを楽譜化しているわけではなく、個々の箇所に書き込みや、 口頭によって演奏を指示するという、極めて変則的な譜面である。原楽譜は74年も前のもので 読み取りにくいが、長包の意図を考慮しながら楽譜解読を行い、『宮良長包著作集一沖縄教育 音楽論一』(19)に収録した。 長包が作曲した直筆の楽譜は、昭和19年の那覇10-10空襲で焼失したが、「嵐の曲/嵐の歌」 の原楽譜は、長包の自筆譜の可能性がきわめて高い貴重な楽譜である。 楽譜はピアノ譜で記入しているが、前奏部、間奏部には「オーケストラの部」と朱書きされ ており、おそらく、長包は楽器をその都度調達し、オーケストラ風に演奏したと思われる。当 時、演奏に参加した長包の教え子たちは、「オーケストラだった」と述懐している。又、当時 の演奏会プログラムには、ヴァイオリン、セロ、クラリネット、トロ(ママ)ンペット、コルネ ット、トロンボーン、大太鼓、小太鼓、タンボ(ママ)リン、カスタネット、シロホン、オルガン、 ピアノ、アルト、バリトン、バスなど楽器編成や声域が記載されている(20)長包が指揮をとる など直接関わった「嵐の曲/嵐の歌」の演奏会は、当時のプログラムから3度確認できる。(21) (3)校歌 15.南城市立玉城小学校(玉城尋常高等小学校)…現在も往年のまま… 昭和7(1932年に作曲49歳)、作詞者は新屋敷幸繁。楽譜については、筆者が録音・採 譜した採譜楽譜(22)と記念誌掲載楽譜(23)の二通りがある。 採譜楽譜は、イ長調(歌唱者の音高による採譜)、24小節、出だし2/4拍子で始まり、7∼8小 節は3/4拍子、9∼18小節で再び2/4拍子、さらに19∼20小節は3/4拍子に変化し、21∼22小節は 2/4拍子、最終23∼24小節では3/4拍子となり、頻繁に拍子が変わる混合拍子である。歌詞は5 番まであり、付点の多いマーチ風のリズミカルな曲で、音階は、D音とG#音が使われていな いヨナ抜き旋法である。 −45−

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記念誌掲載楽譜は、卜長調、27小節、拍子は曲全体を通して2/4拍子、歌詞は5番まである。 音階は、C音とF*音が使われていないヨナ抜き旋法である。 採譜楽譜は、伊江栄子さん(那覇市在住/1932.9.25生まれ)、大城好子さん(那覇市在住 /1933.2.18生まれ)から「母校の玉城尋常高等小学校の校歌は、宮良長包の作曲ではないだ ろ う か 」 と い う 情 報 提 供 が あ り 、 お 二 人 に 聞 き 取 り 調 査 と 歌 唱 採 譜 を 行 な っ た も の で あ る (2006/7/8)。 採譜楽譜をもとに、長包の曲であるかどうかを精査するための資料調査を行った結果、玉城 尋常高等小学校(現・南城市立玉城小学校)の記念誌『玉城小学校百周年記念誌』に戦前のコ ピー校歌楽譜(記譜に不正確な箇所あり)が掲載きれていた。伊江さんと大城さんが記憶を辿 って歌った歌唱の採譜楽譜と、戦前のコピー楽譜と比べ、一部差異は見られたものの、ほぼ一 致していた。 この校歌には、踊りの振り付けもあり、運動会でも演じていたと伊江さん大城さんはいう。 今でも、同窓会ではみんなで必ず演じて友好を深めるために欠かせない曲だそうである。 玉城小学校の沿革は、明治151882年に玉城小学校として創立、その後、玉城尋常小学校、 玉頭尋常小学校となり、明治39(1906)年に玉城尋常高等小学校に改称、昭和16(1941)年、 玉城国民学校となり、戦後、昭和201945年には玉城初等学校、昭和27(1952)年に玉城小 学校に改称され、現在に至っている。 現在も校歌として歌われている長包の校歌は、「玉城尋常高等小学校」の校歌として作曲さ れたことになるが、校名変更後も「校歌」として77年間も歌われ続け、現在も健在である。 この校歌については、「沖縄キリスト教短期大学紀要35号」(2007)で詳しく論述した。(24)

16.那覇市立真和志小学校(安里尋常高等小学校)…戦後歌詞の一部を手直し…

昭和71932)年頃に作曲49歳)、作詞者は上原晃(補作・真和志小学校/昭和30年)o曲 は、変ロ長調、12小節、4/4拍子で歌詞は4番まである。音階は長包作品で多く見られるヨナ 抜き旋法で、>>音とA音が使われていない。付点8分音符と16分音符のスキップのリズムを 主に構成されたマーチ風で、1小節のC音、3小節のF音、7小節のF音、11小節のC音に見られる 刺繍音の音使いが特徴的である。 真和志小学校の変遷は、明治13(1880)年3月5日に真和志小学校として創立、明治21(1888) 年に真和志尋常小学校に校名変更し、明治361903)年に校名を真和志尋常高等小学校に変更、 大正51916年、真和志尋常小学校に高等科を設置、安里尋常高等小学校と改称する。昭和 16(1941)年、真和志国民学校となるが、沖縄戦で学校が全壊し、昭和21(1946)年、沖縄戦 の激戦地となった南部の摩文仁村米須で、真和志初等学校として開校される。昭和27(1952) 年、真和志小学校に校名が戻り現在に至っている。沿革誌によると、昭和7(1932)年の個所 に「このころ、校歌制定と見られる」と記述があり(25)、「安里尋常高等小学校」の校歌として 作曲されたことになる。戦火をくぐりぬけて今なお、長包の校歌は歌われ続けているのである。 歌詞は、昭和30(1955)年に、一部分が変更されているが、戦後になって時代にそぐわない 歌詞として、一部分が手直しされた校歌は、「真壁小学校」、「久茂地小学校」、「与勝中学校」 にも見られる。

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17.今帰仁村立兼次小学校校歌(兼次尋常高等小学校) …兼次中学校と旋律・歌詞が同じ… 【楽譜9】兼次小学校校歌

兼 次 小 学 校 校 歌

平 敷 兼 仙 作 詞 宮 良 長 包 作 曲 せ い し − い ろ ど る ほ く ざ ん の

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一 、 ⑪ 1上 可 貢 一●一 ●■ 列 r R d ■●■ 砂 、 I 奥 じ ょ う か に そ び ゆ る ∼ − 一

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Ⅱ、 可 ノーI ロ ノ =ノ ■● 戸 I ■ ■ ● ー 1 判 ロ ミーノう之一一うは ほ く ざ ん け 一 はん じ つ む , く が

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ロロロ ロロロロロ。 ■ ■ ● ゴ ゥ l U ー ″ ● 昭和8(1933)年作曲 (50歳)、作詞者は平敷兼 仙 。 曲 は 、 二 長 調 、 1 6 小 節、2/4拍子で始まるが、 13小節から4/4拍子に変化 す る 混 合 拍 子 で 、 歌 詞 は 4 番まである。音階は、7小 節と13小節のG音、14小 節のc*音が経過音的に使 わ れ 7 音 音 階 で 構 成 さ れ ている【楽譜9】。 こ の 校 歌 は 、 兼 次 中 学 校 校 歌 と 調 が 異 な る が 、 ち と く を み が く ま な び の や イ 又 イ 又 可 入 こ 調 刀 ユ ヂ 得 ノ ヨ ミ ノ O 刀 塾 、 歌 詞 、 旋 律 は 全 く 同 じ で ある【楽譜10】。このように、同じ旋律と歌詞で、小学校は二長調、中学校はへ長調という異 なった調の事例も珍しい。長包が作曲上意図的に行ったものなのか、学校で偶発的に起こった ものなのか、その経緯を調べる手立てとして、兼次小学校の沿革を緒解いてみた。 兼次(かねし)小学校は、明治32(1899)年、兼次尋常小学校として創立した。大正8(1919) 年、兼次尋常高等小学校に改称、昭和16(1941年には兼次国民学校、昭和23(1948)年には 6.3.3教育制施行に伴い中学校を初等学校に併置、その後、昭和47(1972)年、兼次小・中 学校併置を廃止し、兼次小学校、兼次中学校として各々分離独立した。 長包が校歌を作曲した昭和8年は兼次尋常高等小学校の時であり、昭和23年に中学校が併置 された際、現存する兼次小学校の校歌がそのまま歌われ、その後、昭和47年、兼次中学校が分 離した時点で、兼次中学校はそれまで歌ってきた兼次小学校の校歌を継承したのではないか、 と推測が可能である。しかし、そういう経緯を確認できる資料が見当たらず、現時点では推測 にとどまる。 また、作詞者の平敷兼仙について、ご子息の平敷令治氏(元沖縄国際大学学長)が記述して いる(26)「父が兼次小学校の校歌の作詞者であることを私たちキョウダイは物心ついたころに は知っていたし、歌うこともできた。(略)父は、山紫水明の地「今帰仁」を讃え、歴史のロ マンに触れ、そして教育の普遍的理念である「知・情・意」を培うことを高らかにうたいあげ ている。懐かしいひびきは宮良長包先生のすばらしい作曲の賜である」とある。しかし、文中 に、「制定は昭和7(1932)年」とあり、小学校の沿革誌記録と異なっている点は気になる(27)。 兼次小学校では現在も、宮良長包作曲の校歌が歌われている。 18.今帰仁村立兼次中学校校歌(兼次尋常高等小学校)…姿を消した長包の校歌… 昭和81933)年に作曲(50歳)、作詞者は平敷兼仙。曲は、へ長調、16小節、2/4拍子で始 まるが、13小節は4/4拍子に変わり、歌詞は4番まである。音階は、3小節と7小節、13小節のRb 音、14小節のE音を経過音的に使い7音音階で構成されている。 −47−

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【 楽 譜 1 0 】 兼 次 中 学 校 校 歌 前 述 し た が 、 兼 次 小 学 校

兼次中学校校歌

の校歌と、歌詞と旋律は同

平敷兼仙作詞じだが、調が異なる。この

宮 良 長 包 作 曲 差異について、拙稿「宮良 長包の音楽教育活動に関す せ い し − い ろ ど る ほ く ざ ん の る研究(1)−校歌作品を

■ ● ■ 一 ● 局−■ ● ■ ロ1J一 ■ ● ロ■■ロ l ロ 』 ■●属 ロロユ 「 『 。 。 『 『『 『 。 じ よ う か に そ び ゆ る こミ ー ノ と _ ノ は − 中心に−」(28)でも触れた が、もともと、小学校と中 学校の校歌の調号は同じで はなかっただろうか、とい ほ く ざ ん け ん じ − は つ む 。 く が う仮説を立てていた。 ■ F ■ ■ ■ ■ ' ■ ■ ■ ■ ■ l ■ ■ ロ ■ ■ ■ ■ ■ 。 ' ■ ■ ■ I ■ ■ = ■ ■ ■ ■ ロ ■ ー ■ ■ ■ ■ ■ ■ 一 一 = 一 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ I ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 一 一 ■ l ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ロ ■ ■ ■ ■ ■ ロ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ー ■ ■ ■ ■ ■ ー と こ ろ が 、 ご く 最 近 の 記 念誌『兼次中学校五十五 ち と く を み が く ま な び の や 芯 同 志 I 兼 勤 ク ハ J ド 子 イ 父 血 T n 年の記録』(平成15年)を見ると、小学校と同じ二長調に訂正きれており(29)、おそらく、間違 いに気づき手直ししたものと見られるが、その経緯については記述されていない。つまり、原 調は二長調であったと結論付けられる。 へ長調で歌い継がれてきた兼次中学校校歌は、2004年4月から近隣の3中学校と合併し廃校、 現 在 は 今 帰 仁 中 学 校 と な っ て い る 。 そ の た め 、 新 し い 校 歌 が 制 定 さ れ ( 作 詞 : 黒 島 直 太 作 曲:島袋正雄)、長包作曲の校歌は姿を消して現在は歌われていない。 このところの市町村合併や学校の統廃合で、公立学校の合併化が現実的になり、新校歌が制 定されている。兼次中学校のように、長包が作曲した校歌が、「現在歌われていない校歌」に 分類されることが徐々に増えていくのは、今後の社会情勢から避けられないかも知れない。

19.南城市立知念小学校(知念尋常高等小学校)…素朴で歌いやすい旋律…

推定、昭和91934)年に作曲51歳)、作詞者は松根盛秀。曲は、ハ長調、12小節、4/4拍 子で歌詞は4番まである。付点8分音符と16分音符のリズムパターンを主に、構成きれている。 音階は、F音とB音が使われていないヨナ抜き旋法で、12小節の短い曲だが、素朴で歌いやす い旋律である。 知念小学校の変遷は、明治16(1883)年11月16日知念小学校として創立し、明治21(1888) 年、知念尋常小学校、明治23(1890年、佐知尋常小学校、大正5(1916)年、知念尋常高等 小学校に改称、昭和16(1941年4月には知念国民学校に改称され、昭和21(1946)年、知念 初等学校、昭和27(1952年に知念小学校に校名が戻り、現在に至っている。 長包が作曲(発表)した年は必ずしも正確ではないが、昭和9年11月16日の創立50周年記念 式典の時と思われる。記念誌の沿革史によると「昭和9年11月16日校歌ノ制定」(30)と記述し てあるだけで、作者の名前は明記していない。おそらく、この記念式典に校歌制定されたのが 長包の作曲した校歌ではないかと推定できる。 知念小学校は創立以来、学校の統廃合がありながらも、校歌はその影響を受けることなく 脈々と受け継がれており、長包が作曲した「知念尋常高等小学校校歌」が今日まで歌われ、校 歌として健在である。

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20.沖縄県立女子工芸学校…おしゃれな音階的旋律… 【 楽 譜 1 1 】 女 子 工 芸 学 校 校 歌 昭 和 9 ( 1 9 3 4 ) 年 に 作 曲 (51歳)、作詞者は勝連盛英。

沖縄県立女子工芸学校誉賛篭鰯雲音・漫譜奏岱葎子曲は、変ホ長調、24小節、

(2002.10.21Re)

一 I . 4/4拍子で歌詞は3番まであ る 。 こ の 曲 は 、 女 子 工 芸 学 す . サ ノ ー ’ ' 1 さ し い づ る と ら づ や ま ′ ・ ノ o 、 一 V / I ユ I v つ 、 、 ク 、 J ヨ ー ー ー コ ー に − ひ ら く ま ど に よ り の − み の り た て に し て 校 を 卒 業 し た 福 仲 文 さ ん の ひかえ さやし あさお ●●e l23

1 1 . 歌唱を録音採譜し(2002/ 10/21)、『作曲全集」に収釣 1 1 1 1 ゆ る け ら ま お き 10/21)、『作曲全集」に収録 た を み か え れ ぱ し を よ こ と な す し た も の で あ る 。 付 点 4 分 はかと ひこみ りぎの にしさ いすし

1 1 r l 音符と8分音符、4分音符、 た か き も ん だ そ え す す む ま な び ご と 8分音符、2分音符の基礎り し き を お り い だ し ら か ご と ま と は に に いひや ズ ム を 組 み 合 わ せ て 、 通 常 マ ー チ 風 な 校 歌 が 多 い 中

0 1 . ー し − げ る に し も り と 、 / ′ ・ 今 w ロ 、 ’ / 、 可 ' 、 二 一 ‐ I ま ー さ る お の が と く で 、 音 階 的 な 上 行 下 行 形 で は − リ も ひ と す じ に ぎてく とつい きのい わりゆ

華=

構 成 さ れ 、 ゆ っ た り と し た 曲想である。11小節、4拍

I『I r 『

毒三三軍

ゆ た か な − る わ 山 l ′ c 』 、 ∼ 唾 ノ ’ 。 ′ o 且 且 ′ J ‐ 厚 1 J , 一 r J L l ち か ら あ − る あ あ や に し − き い 目 の A ^ 音 を A 音 に し 、 刺 ささこ と し ら に め し んよと ぜれこ しこま のりを 一一一

冒妻三

繍 的 音 階 で 変 化 き せ て い る l『 れ ら が ま な ぴ や の − け だ か さ よ ところは「おしゃれ」であ ゆ み を と お − く す − す め な − ん ざ − や か ざ − ら ん − ふ る さ と に る。音階は、D音とA^音を ※昭和18年「沖縄県立首里高等女学校」に改称 駆使し、7音音階で構成さ れている。【楽譜11】 長包は、大正13(1924)年、県立女子工芸学校の音楽の授業を担当し師範学校と兼任してい るが、その時、男子校である師範学校の学生と、女子校である工芸学校の学生による男女混声 合唱団を結成した。「男女7歳にして席をおなじゆうせず」の時代に、男女混声合唱団を結成 することは、当時、画期的であったと考えられる。混声合唱の作曲も多く手掛け、「鷲の烏」 (1927)、「駅路」(1928)、「稲刈歌」(1930、「琉球木遣歌」(1930)、「唐船」(1932)、「嵐の曲/ 嵐の歌」(1934.合唱部)等があり、当時の演奏会で長包自身が指揮をとり盛んに発表している。 21.糸満市立真壁小学校(真壁尋常高等小学校)…歌詞の変更を記録に… 昭和10(1935)年に校歌制定(52歳)、作詞者は比嘉俊成。曲は、ハ長調、9小節、4/4拍子 で歌詞は4番まである。音階は、F音とB音がないヨナ抜き旋法である。 真壁小学校の沿革は、明治13(1880)年9月15日、真壁小学校としての創立、明治21(1888) 年、真壁尋常小学校と改称、大正5(1916)年、真壁尋常高等小学校に改称し、昭和16(1941) 年、真壁国民学校となるが、昭和26(1951)年には真壁初等学校に改称して、昭和27年(1952) 年、真壁小学校となり現在に至っている。 校歌の由来について、『百年の歩み」(31)を引いてみよう。 「本校の校歌は昭和10(1935)年当時、玉城正保校長のころ、県立第一中学校教諭金城増太 郎先生の斡旋で、沖縄県師範学校教諭比嘉俊成先生が作詞され、同校教諭宮良長包先生が作曲 −49− 〃 己 〃 ロ= ■ n 戸 。■ = 二 、ロ” 一 一 一 ロ U ‐ ■ ロ 一 ″ 〃 一●■ ー ーロロ p F d ■ = 一 ロ ー ● 一 〃ロ ー■ロ ー ■ 且 ■ ー ー 、 I 1 1 ■ ロ − ● ロ且 ″ 〃 ■●一ゥ I ロP= ■ = 1 1 , ヂ ー = ロロ一 = ー 。■ ご ● ロ 〃 = ● 、 、 ロ 戸 Jロ 一 ● ■ − ロ ■●=ー ザ一 ■ ロ ■●■ ロ ー ● ロロ、 ■ ■ロ『ロ 一

(21)

されたものです。そして、毎年の運動会では、女生徒が校歌を歌いながら、いともリズミカル に校歌ダンスを演ずる姿は、校区民の羨望の的でありました。ところが、戦後は、歌詞の意味 が不詳のまま、歌いつがれて来ました。そこで、当時、校歌を作詞された比嘉俊成先生(先年 読谷高校長を退任)にお会いする機会をえ、歌詞の内容を解明してもらうと共に歌詞の中で、 今日の時代感覚にそわない語句の一部についても先生の手で改めてもらいました」。 歌詞を一部手直しした経緯について詳述されており、歌詞の変更に至る状況がよくわかる文 面で、しかも、作詞者の手によって書き直されているという。作者に敬意を払い作品を尊び、 史実を記録に残している。 制定年の昭和10年は、真壁尋常高等小学校の時代であるが、戦前、戦後の教育制度が変わっ ていく中でも、長包作曲の「真壁小学校校歌」は、連綿と歌い継がれている。 (4)団体歌

22.具志川小学校五十周年記念奉祝歌…昭和7年作曲…

昭和7(1932)年に作曲49歳)、作詞者は古波蔵保昌。曲は、ト長調、21小節、2/4拍子で

歌詞は3番まである。音階はC音とF*音がないヨナ抜き旋法である。この曲は、具志川尋常

高等小学校が50周年を迎えた昭和7年10月29日の創立記念式典で披露されている。(32) ところで、筆者は『宮良長包作曲全集』を刊行時、校歌作曲年を昭和8(1933)年としたが、 昭和7(1932)年の50周年記念式典において制定されたことが確認でき、本論文で訂正するこ ととする。 長包と作詞者の古波蔵保昌とのコンビでは、「具志川尋常高等小学校校歌」(1930/推定)がある。

23.石垣町歌…「春深し」とメロディーモチーフが同じ…

昭和10(1935)年に作曲52歳)、作詞者は伊波南哲。曲は、二長調、28小節、4/4拍子で始 まるが、8小節で2/4拍子に変わり、9∼28小節で再び4/4拍子に変わる混合拍子で、歌詞は5番 まである。音階は、G音とc*音のないヨナ抜き旋法である。 この曲は、発掘作品である「春深し」のメロディーモチーフが、石垣町歌の主旋律と同旋律 であることがわかり、「春深し」が長包の作品と断定するヒントになった曲である。この作品 については、拙稿「宮良長包の音楽教育活動に関する研究(2)−発掘作品のパフォーマンス 化について−」(33)に詳述した。 1−2.旋律不明の作品について 「昭和篇一②」(昭和7∼10年)の作品では、曲名は判明しているが旋律不明の作品が14曲 確認できるが、歌詞が判明している曲もあり、ここで3作品について歌詞を記載する。 28.日本国民の歌 昭和81933)年頃作曲(50歳)、作詞者は永井柳太郎。旋律は不明だが、昭和8年2月19日 に開催された演奏会プログラム(主催:沖縄県師範学校学友会於:記載なし時:午前9時 -11時半、午後2時∼4時半)に歌詞が掲載されているので記載する。

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永 井 柳 太 郎 作 歌 なれ こ 1 . 汝 は 日 の 本 光 り の 児 さ か ま く 浪 も 大 空 も 汝 が 舞 台 と 踊 る な る 輝 く 日 本 新 日 本 2 . 汝 は 日 の 本 自 由 の 児 か ひ な そ の 身 そ の 意 気 そ の 腕 わざ 建 国 の 業 に 打 ち 込 ま ん 輝 く 日 本 新 日 本 3 . 汝 は 日 の 本 自 然 の 児 太平洋は 唐けれど 容 る 、 に せ ま し 汝 が 心 輝 く 日 本 新 日 本 4.アジアの一角 大 地 に 耕 す ひ ら いざ拓かん 輝 く 日 本 5.天地悠久 流 れ の ほ と り か て ゆ た か 糧は豊穣に ※ 輝 く 日 本 ※ 欠 落 の 補 足 満 蒙 の 汝 の 鍬 新 天 地 新 日 本 ア マ ゾ ン の 千年の 汝を待つ 新 日 本 あ こ ゆ 35.吾子は逝けり 昭和10(1935)年頃作曲(52歳)、作詞も宮良長包。旋律が不明のこの曲は、昭和10年2月17 日に開かれた「首里至聖廟移築記念演奏会」のプログラム(主催:沖縄県師範学校学友会 於:昭和会館時:午后2時開始、午后7時開始)に、「演奏会曲目と歌詞」が記載されている。 宮良長包作歌 ゆ う べ ( 1 ) ( 合 唱 ) 夕 の と ば り ( 2 ) ( 合 唱 ) 蓮 の う て な い と お ご そ か ( 復 唱 ) い と お ご そ か に ( 復 唱 ) ( 凋 唱 ) 吾 子 の 枕 遥 い と し め や か ( 猫 唱 ) ※ た と し へ も な き 妙 な る 調 べ ( 合 唱 ) い と し め や か 注 : た と へ し の 誤 り か ? ( 合 唱 ) 妙 な る 調 べ て ん ら い み お や の り そ の ( 合 唱 ) き こ ゆ る は 只 天 績 の 書 ( 合 唱 ) 祖 国 の 国 へ 苔 堤 の 花 園 へ ( 凋 唱 ) あ 、 吾 子 は 逝 け り ( 濁 唱 ) あ 、 吾 子 は 逝 け り ( 合 唱 ) 吾 子 は 逝 け り ( 合 唱 ) 吾 子 は 逝 け り いと ( 合 唱 ) 愛 し き 吾 子 は 逝 け り ( 合 唱 ) 愛 し き 吾 子 は 逝 け り 逝 け り 逝 け り ( 合 唱 ) あ 、 あ 、 ( 合 唱 ) 鳴 呼 鳴 呼 37.珊瑚礁 昭和10(1935)年に発表(52歳)、作詞者は瀬名波長宣。旋律不明であるが、昭和10年2月17 日に開催された「首里至聖廟移築記念演奏会」(主催:沖縄県師範学校学友会場所:昭和会 館)の演奏会プログラムに歌詞が記載されている。 瀬 名 波 長 宣 作 歌 めぐ 1 . 島 を 篠 り て 七 重 八 重 2 . か す か に 黒 き 人 の 影 3 . 淀 み も つ る 、 藻 湖 草 千 島 の 庭 は 果 て も な く 抜 き 足 差 し 足 潮 干 狩 島 と 島 と の 行 き か ひ に やけ ほ ら 小 蟹 小 蟹 の 家 隣 り 語 る 日 焼 の 顔 と 顔 潮 侍 船 の 吹 < 法 螺 は わ ら じ お か こだま 鷺 の 歩 み や 日 の 永 き 誰 が 脱 ぎ 捨 て し 古 草 畦 陸 に 響 き て 研 す る ハ ロ ロ は ろ け き 珊 瑚 礁 ヒ ロ ロ ひ ろ け き 珊 瑚 礁 ヒ ソ ソ ひ そ け き 珊 瑚 礁 5 1

参照

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