• 検索結果がありません。

記紀歌謡における寿歌の周辺について

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "記紀歌謡における寿歌の周辺について"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 記紀歌謡における寿歌の周辺について. Author(s). 土田, 知雄; 石山, 宗晏. Citation. 北海道学芸大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 16(2): 106-116. Issue Date. 1965-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3798. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道学芸大学紀要 (第一部A). 第 16 巻 第 2 号. 0年12月 昭和4. 記紀歌謡における寿歌の周辺について 土田 知 雄・石 山 宗 髪 北海道学芸大学旭川分校国文学研究室. ChikaO TSUCHIDA, M[uneyasu ls日工YAMA ; on the Back‐ground of the poe lns for. ’ ’ i賃cat i 一Kay6 on in ”Kiki glor ,. I. 1首中, 讃国, 讃酒, 天皇讃美, な どを本質とするいわゆる宮廷寿歌と目されるも 記紀歌謡24 のは, 全体の10%以上の頻出度を有 し, 極めて 特色ある存在であり, これらの発想と形式が後代 に与えた影響も大きいと考えられる. 宮廷寿歌は, その醸成された具体的な背景をなす宮廷的儀礼の場と古代人の感性に支えられた 寿歌特有の詩語のもつ呪的要素が融合し, 発展した所産 と考えられる. したがって筆者はその両 側面について本稿の課題と したい, 1 l. 讃国歌の要因をなすものは農耕的生産に関連した民俗行事であっ て, その発生の場が必ずしも 宮廷内部に限定できないのは周 知の事実である, われわれが今日国見歌, 国をまめの歌と呼ぶとこ ろのものは, 久しく民俗の間に伝承と類 型とをふまえたごく一部分 のものに過ぎないのであろう が, この混沌の中 から荘重な韻律と叙景 詩的観照の態度が萌芽していっ たことは看過できないの である. 記紀歌謡中, 説国歌的要素を持つと見なされるものには, おおよそ次の歌謡が挙げられ よ う.. 記 31, 33, 42, 54, 59 紀 21, 22, 34, 54, 77 日本書 紀においては, 古事記の襲用 が著しいので, わずかに紀77のみ国ばめ的要素を備えた山 岳称美の歌と目さ れる. 種々の起伏をたどっ て遣存した国見行事の歌謡が比較的固有民俗の否定 的立場に立つ日本書紀にも記録され得たのは, 当時の社会的な特 色を物語るものであろう. 例え ば皇極紀三年の記事などを見ると明らかなように, 俗信仰排斥の記述 がなされ, 大陸文化はよう やく古代的憧帳を没却しようとしている, しかし, 同時に呪術的祭式と血縁的社会観念の総合的 な思念と, 合理的法治国家的観念の対立的状態を現出していたであろうことも否定できない. 風 巻景次郎氏の言をかりるならば 「実質的には悠遠の太古からつづ いていると思念された農耕儀礼 ) その痕跡は記紀・風土記を通 と呪術的祭式と血縁的社会観念とが支配的」 であったので あり, ー じて 看 取 で き る の で あ る. -106-.

(3) . 土 田 知 雄・石 山 宗 髪. 前掲のような数首の讃国歌は原初 的な性格の把捉, およ び解明 を試みるとき われわれは万葉 , 集に継承された痕跡を認めなが らも, 記紀のそれを万葉と同範蒔に入れるわけにはいかない 因 . み に 万 葉 集 の類 例 は, 巻 3, 6, 17 13 などの各巻に散在するとは言え記紀との相 違は実用性 , , 有用性の喪失が著 しいと言えよう, もっとも巻1の巻頭の二歌は原初的な雰囲気をたたえ ている が, 次のようなものはもっ と発展的位置にある と考えられる , 1 ) やすみしし わが大王 神ながら 神さびせずと 芳野川 激つ河内に 高殿を 高知り ( まして 登り立ち 国見を為せば 畳はる 青垣山 (後略) (巻1 ,38) 2 ) 皇神祖の 神の命の 敷きいます 国のことごと 湯はしも 多にあれども 島山の 宜 ( しき国と 凝しかも…………… (後略) (巻3・3 22) 万葉集の類想はただちに天皇讃美的な終末をもち易く , 寿詞の対象が天 皇であり, その典型は 1 ( )にみるような 人麻呂の作品 であろう, 要するに記紀の現実的な志向性 および有用性を帯びた , 呪謡の文学的発想の一側面のみ を転生させたのが万葉集には見 られる のである 記紀歌謡が挿入 , されている前後の詞章から国見歌の原初的機能は漠然と知ることができるが 単に山野海河の体 , 勢を望み見て, その国土を讃え るという形式的なものと断定はできないであろう 「望千山川」 , という記載が書紀, 舜典などその他の漢籍にも見 え, 望妃, 望秩, 望桐さ らに郊ネ 己への関係から ) 記紀にあらわれた国見はむしろ大和朝廷の豪 国見の儀礼を考えるのも一つの見方ではあるが,2 族としての遺制 的名残りを示すものであり, 民間行事の宮廷化されたものと見るべきである 万 . 葉集中, 巻3・382 筑波の岳に登りて, 丹比真人国人の作れる歌や巻10・1 971「雨間関けて国見 もせむを故郷の花橋は散りにけむかも」 などを見ると国見系寿歌の民間性を窺う こ と が で き よ う. 武田祐吉博士は国見は火田の ト定の慣習に起源するとされ,3 ) また折口信夫博士 は, わが国 の国見行事は単に天子巡狩の義ではなく, さ らに農村の収穫状 況を見ることでもなかっ たと断言 され, 国ばめの歌が多く讃詞のみの羅列の多いことを指摘され 「聖者が邑落に近い高 処に立っ て 土地の精霊及び土民に命令を宣下して行なわれる風があった, 其の効果が, 土地, 人間の上に及 んでその年は祝福せ られたのであり, これが多くは変化して讃め辞の形を探っ たものが残 った」 ) ま た, F国見」 は歳時記類に見られる歳末大晦日の夜を意 味する季題であるこ と説 明 さ れ た, 4 とから, 古代民間習俗としての国見は大晦日の夜, または正月元旦の早暁な どに里を見おろす丘 山に登って, 一年間の邑落の生活を祝福することであり, 宮廷・民間共通の行事であったと推論 ) さ れ た の で あ っ た, 5. これらの民俗 学的説明をふまえて記紀の代表 的な国見歌を見るとき, その意義が極めて明確に なることが認められよう. (a) 倭 は. (b) 千葉の. 国 の ま ほ ろを. 葛野を見れば. たたなづく 百千足る. 青垣. 山隠れる. 家庭も見ゆ. (c) おしてるや 難波の埼よ 出で立ちて も見ゆ 佐気都島見ゆ (記54 ). 倭し美し. 国の秀も見ゆ. 我が国見れば. 淡島. (記3 1) (記4 2) 形能碁呂島. 槙榔の. 島. (a) は言うまでもなく山岳重畳のさまを描出してあますところなく, 大和の美しさを称讃して いる. 悲劇的英雄の姿を叙述するにあたって, この歌の物語中で果している効果は, 実に前述の 分析か ら切離したところでは大きいと言わね ばならない. また(b )は, ほ ぼ短歌型を持し, 二句目 で<見れば >, 四・五句目に<見ゆ >を重ねて用 い, 内 容的には素朴である が, 視点のおきかたにやや叙景的配慮が察知される. そして形式的に見るな らば万葉への叙景歌的な祖型として認 め得るのではあるまいか. -107-.

(4) . 記紀歌謡における寿歌の周辺について. 60) (巻7・11 (i) 難波潟潮 干に立ちて見わたせば淡路の島に鴎渡 る見ゆ 9 4 1 1 ) ( 巻7・ の間ゆ見ゆ i) 紀の国の雑賀の浦に出で見れば海人の燈火浪 (i これら万葉の叙景 歌の形式は前掲の(b)(c)の推移したものであり, その叙情的 な質度におい て異っ てはいるが一応伝統的形式の上に立っ ていると見 られよう, 次に掲げる歌と(b)(c)とを 比較すると, この<見れば><見ゆ 〉の形式 が昇華した姿が判然となる, i i i ) 磯に立ち奥辺 を見れば海藻刈舟海人核 ぎ出らし鴨翻る見ゆ (巻7・1227) ( i i i ) もこの古集の中に含まれるか ど 6の左註に 「右の件の歌は, 古集の中に 出づ」 とあり ( 124 うかはわからないが, 前掲(b)(c)のもっている口承 性が形式の上で も内容上でも 一段と整斉さ れ, ある作者の技価によ っ て決定的詠法 の一つとなり得たのではあるまいか, このようにして国 i i i ) にみるような 一を叙景にし他を推量をもって構成する, すなわち情・ 見歌の伝統的詠法は ( 景あわせ て効果をま す万葉の叙景的作品に 展開されていく のである, (c)はおそ らく大和から難波にでる時 の実感から生 れたのであろうが, 前述の(b)のような <見 れば><見ゆ>の桔抗的表現の類 想はゆる がせにできない, 即ち, この歌は幸多き島があたかも 備徽できるという, いわば誇張的な詠法に生命 があっ たのであろう, 要は現実的実景の描写句を 案出することより は祝福的な呪謡の要素の方 が先行するのが, 実際的機能を ともなっ たこれら歌 謡の生命で あっ たのである. (d) 隠り国の 泊瀬の山は 瀬 の山 は. あ や に う ら麗 L. 出で立ちの. 宜しき山. 走り出の. 宜しき山の. 隠り国の. 泊. (紀77). 「天皇 (雄略天皇) , 慨然興し感, 歌日」 と記さ れているよ , 観二山野之騰 勢- , 遊二乎泊瀬小野‐ うに, この泊瀬山を讃美する歌は, 一見国ぼめ歌と同様 であり讃 詞の対句的, リフ レイ ン的方法 をとる極めて口承性の濃い古歌謡と 考えられる, 泊瀬山につい ては万葉 集に例 があるように, 巻 3 ,428 巻 7,1 07などいずれも挽歌中に見られ, この意味か らすると少なくとも死者を葬る場 4 ,. 所であっ たと推 定される, それでは死者を 抱く山がなぜ讃美の対象となり得るのか, この矛盾に 」 とされ 「多 ついて安永寿延氏は 「この讃歌は少くとも山に 対する日本人の情感の表現ではない. 分 (イ ーリアス) 第三書での べられた (いのちを あたえる大地 が死者をいだく) という有名な言 葉にみ られる, 石器時代の信仰の遺産と同 じような, 人類学的な信仰の背景が認められそうだ」 と指摘さ れ大地の上限としての山 を讃めるのは, 生命と豊銃の母なる大地の予祝としての意味が 司義性において山ぼめの性格を持つこの歌謡と あると論 じられ, またその呪話的機能の関連性, 1 ) 国見歌との同 列化を主張されている, 6 このように (d) について前掲(a)~(c)を見ると国説め 系統の歌の起源は, なりものの母で ある大地の更新を願う古代人共通の心 情から発していると考えられる のである, 国見歌の類型的手法は先にや や述べたの であるが記59 , 紀54は前掲 (c), 即ち記54の手法をさ している. 出しようと らに道行き的趣向を加え, 視覚的範囲を移動的に描 (e) つぎねふや 山代河を 宮上り 吾が上れば あをによし 郡良を過 ぎ 小楯 倭を過 ぎ 吾が. 見 が欲し国は. 葛城. 高宮. 吾家のあたり. (記59). このような道行き的発想は, 例え ば紀94の影媛の歌や万葉集巻13・3230などにおいても察知さ れるように視野を移動することによっ て <枕詞十地名十過ぎ> の定型的表現を豊富に挿入させる 特徴 がある. このような技法が国見歌に顕著なのは国見 の習俗 が巡行的性格を保持していたもの であって, この常 套的手法が紀94の影媛の歌の挽歌的な 性格を有するものと軌を一にするのは, 呪謡的効果を古 代人が認めていたためであろう. 一1 0 8一.

(5) . 土 田 知 雄・石 山 宗 曇. 播磨国風土記などの国見に関する記事が, 概して妻訪いや巡行の形式をもっ て記述されている ことからも国見歌が前掲 (e) の形式を持つ場合も首肯されるのである , 註 1 ) 2 ) 3 ) 4 ) 5 ) 6 ). 風巻景次郎氏 日本文学史の周辺 p ,81 志田延義氏 日本歌謡圏史 p .71 武田祐吉氏 万葉集全註釈 巻第一 p ,32 折口信夫氏 折口信夫全集 第九巻 p ,176~179 同 上 安永寿延氏 「文学」196 l 1 ,29 民謡の成立-民族的感性の源流 p ,7 , Vo ,27 皿. 常陸国風土記において大足日子の天皇が下総の国印波の鳥見の丘に登り, 東を顧みて侍臣に勅 した記事は次のような表現をなしている. 海即青波浩行, 陸是丹霞空隙, 国二在其中- , 朕目所し見者, くが かずみ わ 訓 「海は即ちなみただただよひ,陸は是れ丹霞た なびけり, 国は其中に在りて, 朕が目に見ゆ 」 , いかにもこの風土記特有の漢文ではあるが, この文章には記4 2 , 54 などに代表される国見歌 の余 韻が漂っ ているように思われる, この文章はく 霞の郷>の由来を説明するのであるが 同様なこ , とは次の豊後国風土記, 日田郡石井郷鏡坂の条にも 窺うことができる . むかし. 昔者, 纏向 の日代の宮に御宇しし天皇, 此の坂の上に登り, 国形を御覧して, 即ち勅りたま ひしく, 此の国の地形, 鏡の面に似たろかも, とのりたまひき, 因りて鏡坂といふ , 斯れ其 の 縁 な り.. このように地名の起源を説話をもってなす性格上の共通 点は 両風土記ともほぼ類同 の形式で記 述されているという事実である. 類例は数多く見い出せるが概して, この二例の ごとく風土記中 においては国見歌的余韻が払拭されずに, 天皇や貴人による祝福的な言辞がそのまま地名 の起源 を語る傾向が顕著である, 出雲国秋鹿郡恵曇の郷 の地名の由来は, 磐坂日子命が国巡り坐す時に 「国稚く, 美好しかり, 国形, 画聯の如きかも. 吾が宮は是処に造事らむ」 と宣り給うたので恵 伴と言うとされる, このような類同の記述をなした意図は, 一に続日本紀に見られる ごとく <畿内七道諸国郡郷名 著二好宇-> という理由のみに基づくのであろうか. 筆者はむしろ地名にあらわれた古代人の心情 即ち貴人によっ て <鏡の面に似たろかも >, <画 顛の如きかも>, <朕が目 に見ゆ >の ごとき一 種の祝福を渇仰した心情の一側面を示すものであると考える 従って地名に冠する枕詞の古風土 . 記中に見られる類例も以上に見てきたような 国見的習俗との関連において有機的に考究されるべ き で は な か ろう か.. 「白遠 新治之国」 「筑波 岳黒雲桂, 衣袖漬国」 「握飯 筑波之国」 「水依 行方之国」. 茨城国」 「立雨. 零. などの風俗諺には本縁物語が付随しているが, 土橋寛氏も注意されるように 「こうした風 俗諺 , は周知のことだから, 本縁護は次 第に省略され, その中に忘れられ失なわれた結果<類似の古物 語を求めて, そこに第二の本縁物語が出来上る のである〉と説明された諸平や折口博士が風土記 の地名に冠する枕詞に注目されたのは敬服に値する見識であるが, それが地名伝 説に由来する の は疑わしい」 とされ, 本縁物語は枕詞の母胎ではなくて, 後に説明したものであるととかれた , 1)本稿では細密にこのことについて触れるつもりはないが, 風土記世界にあ ては 民間習俗と っ , しての国見や年 占的季節祭と目さ れる歌垣などの習俗が, このよう な地名称美の固定的な語句を -109-.

(6) . 記紀歌謡における寿歌の周辺について. 生む, 生産的な場をになっ たのではなかろうかと推測される, 古代人の生活経 験の実感から生まれた素朴な 称美の言辞は, おそらく前掲の風土記の例文にみ られるように, 極めて直輪的要素に満ちていたで あろうし, その比較的呪的 生命の感 じられた短 少句は次 第に暗示的, 暗噛的な過程を経て固定するので はなかろうか, 結局は音律 上 の 整 斉 さ と, 慣用的呪的生命 と が無意識に感得される時, 既に枕詞としての使用 がはじまったと見ること は不可能で あろうか, 記紀歌謡に あらわれた枕詞 <つぎねふ>の一語にしても, われわれは万葉 の く次嶺経> を手がかりとして解 する以外に発生的な意義を的確に把捉する ことはできない. 筆 者は種々の推測をもま じえて以上のように国 見歌系統の寿歌について考察してきたが, それらは 呪謡性を剥落させることによって,修辞的な面に おいては後代の叙景歌の手法に影 響をおよ ぼし, 加えて地名 称美的性格 は伝承語の固定化, などこの二方面の培養土的役割 をなしたと考え られる の で ある. ) 土橋 註 1. 1 寛氏 古代歌謡論 p ,42. 筆者は先に国見 歌系の歌謡について考察し, 宮廷寿歌 は民間習俗の 導入によっ て可能になり得 た証 左を求めた. 本章では比較的後代への文学的影 響力は持たないが, より安易に宮 廷寿歌的要 素とその存続 性をもち得たと見 られる記紀の酒讃歌系の歌謡について 触れたい, 記紀においては 記 4O, 41, 49, 5O, 紀 31, 33, 39 な どが酒讃歌系統の歌謡と認め られよう. これらと比較 対照できる資料と して, 常陸国風土記中 に収載されている香島神宮の酒宴歌 があることは, これら酒讃歌の背景を知るのに幸いなことで ある. (f) 新栄の. 神のみ酒を. 飲げと. 言ひげを かもよ. 我が酔ひにけむ. 四月十日 の恒例の 祭礼で, ト氏の種属 が男女集会し飲楽した時に唱うとされるこの歌は, おそ らく歌垣の前行行事の歌謡で あろうと想像される. そのことは歌謡に続く次の文章からも類推さ れ る.. 春, 共村を経れば, 百脚の艶花あり, 秋, 其の路を過 ぐれば, 千樹の錦葉あり, 神仙幽居の境, 霊異化誕の地と調ふべし, 佳麗の豊なる, 委しく記すべか らず, このような場所は歌垣の場として適 切であっ たで あろうことは, 常陸の国のこの記事を例証と して挙げるまでもなく, 同国の久慈郡久 慈河のほとりの記述や, 同郡高市な どに共通して見える ように <男女集会ひ, 休遊び, 飲楽めり> と言っ た表現が特徴的であるような場なのである, そ のような場は清泉の流 れをともない, かつてグラネーが鄭の国の祭礼について考察したように, 清泉は約婚の場に必須であり, 悪気, 虫毒をはらう私的な板除の儀礼, 集団的核 除, 遊楽をなす 場1)は前掲の美 女をもっ て表現されるべき処ではなかったろうか. さて (f) の歌謡について見るに, 傍線部分の く我が酔ひにけむ> とあるように, 謝酒歌の類 型をなしている. またこの歌謡の前文に 「設し祭酒し酒」 の語句 があり瀧酒は, 勧酬, 勧酒の意で あろうから くあらさかの 神のみ酒を, 飲げ> の部分は勧酒の常套句と見られよう. この種の歌 謡は民間の祭事にともなう宴席における主客の言辞が歌謡化されるのであろうが, その根抵をな すのは, 共同で共通の情緒の影響下に食 べる食事 が祭事となる傾きがある2)とする見解に したが え ば, 祭事的意義が強く感 じられねばなるま い. ‘ *ひにけり 事和酒 咲酒に われ酔ひにけり :浬が 酸みし御酒に われ西 な (g) 須須言 - -11 0-.

(7) . 土 田 知 雄・石 山 宗 髪. (記50) 記50は五句目が音数不足であるが, ほぼ旋頭 歌体をもち三・五句に (f) と同様 <われ酔ひに け り > を繰返し用いてはる典型的な謝酒の歌 として注目される これに対して勧酒歌は記4 0など , に見 られるように <あさずをせ, > の語が慣用であっ ただろう, 琴歌譜にも記4 0は酒坐歌として収 めてあるから曲節をともなっ て唱詠されたこ とも確かである , 謝酒・勧酒歌に見られる特徴は以上のごとく慣用句の使用であるが 同時にまた神楽歌の杖・ , 幣・篠その他に形 式化されているように, 酒そのも のが神聖であることを強調する伝承的な句法 も注目されよう, ・この御酒は. 吾が御酒ならず. 酒の神. 常世にし ・ます. 石立たす. 少名御神の …… (後略). (記4 O) ・幣は. 我がし こはあらず 天に坐す 豊岡姫の 宮の幣, 宮の幣 (神楽歌 幣,本) このような様式 を示すところに 讃酒歌が元来神事的行事の歌謡である特殊性を見 せている ので ある,. 因みに万葉集における讃酒歌について検すると, ここでは既に記紀における 集団性や明朗さは 存 在 しな い と 言 っ て よ い, 巻 3 ・338よ り350 のいわゆる 「大宰 の帥大伴の脚の. 酒を讃むる歌十 三首」 は, 作者旅 人の仏典, 漢籍の知識が遺 憾なく投入され, この一連の最初3 38の初句に く験 無きものを思はずは〉 と言っているところに, 当時の知識人たる特色が示されていよう 13首全 . 体に老後の寂家感や不平が窺えるとはいえ, 憂悶のすさびのみ の表出ではなく , もっと明る い讃 酒への心と, 即興的作因さえも感じられるのである 3) ともあれ これらには習 俗と して 寿歌 . , , と しての讃酒歌とは無関係の位置が認め られることは明瞭である . また, 優美腕麓な作風を示した湯原王は 焼大刀のかど打放ちますらをの祷く豊 御酒に吾酔ひにけり. (巻6 ,989) の作があり, この作の題詞に見える 「打酒歌」 には疑義があるとしても 四,五句には先に述べ , た記紀 の伝統的形式を踏 襲した議 す酒歌の特徴は認め られよう. しかし, この作にお いても初句か ら三句にわたっ て湯原王の創意が認められることは 言うまでもないことである , 以上のべてきた酒讃歌の伝統的形式やその意識的な側面は, たしかに民俗的特質によ て支え っ られているが, 宮廷的儀礼歌として定着すると, 例えば全文宣 命体で助字なども小字で表記され ていると言われる万葉集巻19・4 2・46および42 65 く従四位の上高麗朝臣福信に勅 して, 難波に遣 し, 酒肴を入唐使藤原朝臣清河に賜 へる値 弔歌> 虚見都 山跡乃国波 水上波 地往如久 船上波 床座如 大神乃 鎮在国曽 四舶 早渡来而 還事 奏日爾 相飲酒曽 斯豊御酒者 反歌一首 四船 早還来等 白香着 朕裳裾爾 鎮而将待. 鍵 倍奈 平安. のような修辞にまで発展したのであろう. また, 歌にともなったであろう儀礼的な所作は延喜式 に見 られるような謝座, 謝酒 の儀礼として分 化したのではあるまいか , 凡公宴賜二酒食-, 親王以下, 皆列二庭中-再拝 謂二之謝座- 詑行酒 人把二空説二 , , 授二貫主人-, 脆受し蓋再拝. 謂二之謝酒- (延喜式 五十雑) , これまで本章で見てきたような 歌謡が現存する 民謡の中にもその形式が残存していることを考 えると 4) , 民謡の流布性と宮廷寿歌が固定する関係とは, 古代にあっ ては極めて緊密であっ たと 言わねばならない. 註 1 ) グラネー著内田智雄訳 支耕 ~古代の祭礼と歌謡 p 17 ,2 一1 11-.

(8) . 記紀歌謡における寿歌の周辺について 7 2 ) ハリソソ著佐々木 理訳 古代芸術と祭式 p .2 8~324 3) 沢奪久孝氏万葉集注釈 巻第三 p .29 4 ) 土橋 寛氏前掲書 p .155 V. ( 1 ) つ ぎねふや 樹. 山代河を. 其が下に生ひ立てる. 河の辺に. 葉広. 斎つ真椿. 其が花の. 朝日の. 日照る宮. 夕日の. 日代の宮 は. 日陰る宮. 根蔓ふ宮 (中略) 新嘗屋に 生ひ立てる 百足る 中っ枝は 東を覆へり 下枝は 郡を覆へ り 上っ枝の ば へ……… (後略) の. 倭の. 鳥草樹を. 照り 坐し 其が葉の. 根の. 圏. 生ひ立てる. 鳥草樹の. 広り坐すは. 8) (記5. 大君ろかも ) 纏向の 2 {. 川上り吾が上れば. この高 市に. 広り坐し. 竹の根の. 根足る宮. 上っ枝は. 槻が枝は 枝の末葉は. 木の. 天を覆へり. 中っ枝に. 落ち触ら. (記101) 小高る. 新嘗屋に. 市の高処. その花の照り 坐ず. 高光る. 生ひたてる. 日の御子に. 豊御酒. 葉広. 斎つ真椿. そ が葉. 献 らせ……… (後略) (記1O2 ). 1 例と して掲げた記58 , および紀58などのいわゆる典型的な天皇讃歌とみなさ れ , 記102 , 記10 , (八十の る歌謡は, その表現形式が対句による点, 内容においては (鳥草機の樹) , (斎つ真椿) 葉) な どの植物の花や 葉の形状を叙することによっ て比轍的 効果をたかめ, 天皇を寿 ぐ性格のも のである. そ して記101のような天語り歌系の歌謡は寿歌の最 も代表的な修辞様式, ならびに内 容を有する点で注目さ れるものである, - 徐的に用いた例はいくつかあるが, 例えば記44な どは解釈上やや難点が 記紀歌謡中, 植物を比- ある が, 現在のと ころでは独立的歌謡と認められよう. 土橋氏も指摘されるように応神天皇が太 子に姫を与えるという物語に あっ て, この野遊びにおける老人の媒介歌と目さ れる記44が適切で ) このような見解にたつならば野遊 びの行事である春菜摘みな どに, 老人が あっ たのであろう. 1 若者 らを引きつれて行く途中の景物, つまり野遊びの即境的景物を叙 述するにあたっ て, 人々 は どんな関心をよせたのであろうか. 古代人は無意識に 祝言をとりな らべ, しかも樹木など植物に関連せしめ明 瞭的技巧による, 寿 歌の方式を探っ たことについて既に先学の卓説がある が, 特に折口信夫博士 が古代信仰の面から この点に言及されたのは注目されよう. 例えば まぐと ぞ まよ取りてかざしつらくは千年を あしひきの山の木 末のを. 6) (万葉集巻18 , 413 8の吉野の国主の歌について く由紀能須> はく布由紀能須〉と考える べきで<ふ を例証として記4 ) 仮 ゆ き〉 は 殖 ゆ, み た ま ふ ゆ の く ふ ゆ >, し か し て <をまよ き > の変 化 した も の で あ ろ う と い う2. 8の結句 説などは充分 示唆に富むものである. すなわち, この見解は記75の志都歌の歌返しと記4 のくさやさや>に注目され, 前者記75は採り物の木の方にうつる歌, 国主の歌と同類の謡いおさ め歌とするもので, この両者の寿歌性を追求したものと して注意されよう. 因みに グラネーは詩経, 桃夫 (周南) の解釈として, 従来の道徳的合理 観に基づくところの女 王の徳化によっ て, 結婚 が正 しく行なわれたために生まれた詩とする説を検討し, その中で象徴 的な解釈が歪曲することの最もすくない歌謡においてさえ, 誤謬を導入することを批 判 し て い る. すなわち 「結婚の思想は植物の成長の思想, 特に若々しい桃の木の見事な成長の思想と関連 ) とし, 彼が田園的主題と名付けるところの歌謡に は十分成長 している樹木のことを詠 じ する」3 -1 12-.

(9) . 土 田 知 雄・石 山 宗 髪. ているのを指摘し, これらの樹木の花や, 果実, 葉, 枝などのことが賞讃されている時には植物 の成長と人間の心情の覚醒とが, 必ず相並べて考えられているという極めて示唆に富む説明をし てい る.. ここで, 既に掲げた( 1 )~◎の寿歌について見ると{ 2 1回は記44と対句表現において共通性を有し てい る.. 柊 } い ざ子ども 枯らし 下枝は 好らしな. 野蒜摘みに. 蒜摘みに. 人取り枯 らし. わが行く道の. 三栗の. 香 ぐはし 花橘は. 中っ枝の を まつもり. 上 っ枝は. 赤ら嬢子を. 鳥居. い ざささば. (記44 ). このように橘の比 輪によっ て少女を叙述しようとしており, ( 1 )は椿の比職をもっ て天皇を寿祝 2 し,{ )は宮讃めから槻の木の巨大さを対句表現で叙し, 盃に葉が浮く瑞兆を もっ て天皇を寿祝し ている, 圏は比ー 除形式において( 1 )と同類性を示していよう. 前掲の( 1 4 1の歌謡にみられる対句表現に ついては, 夙に折口信夫博士が説かれたところであ )~{ 2 1のような<落ち触らばへ〉と言う語句 の重畳されているのは表面の意義以上に持 っ て, とくに{ つものがあるとされた. 即ち, 万葉集巻2・1 94「飛ぶ鳥の 明日香の河の 上っ瀬に 生ふる玉 藻は 下っ瀬に 流れ触らふ ……」 なども同様の類型であり, 単に対句の範噂に入れて考え られ ぬものとされた. おそらくは, 鎮魂詞の系統の表現傾向を持つこれらの歌謡はく植物 (草木) ・ ) は や し こと ば > の型 を 常 用 し た も の で あ っ た か も 知 れ な い 4 .. 斎っ真椿, 斎つ磐村, 斎つ爪櫛などは呪的な表現の典型であるが, いまここで植物とくに樹木 にいだいた古代人の自然観の一端を古風土記によっ て要約すると, およそ次の諸点が考えられる , (a) 神は高い樹木に降臨する. (b) 巨木は神聖なる 霊木として尊崇される, (c) 樹木の繁茂生長と生命力の有無は吉凶を表示する, (d) 樹木の繁茂は両性の二神によっ て促進される. (a) については, 極めて常識的であるが風土記中には, 東の大山を賀田比礼の高峰と謂ふ , 即ち天つ神あり. 名を立速日男 命と称す, 一名は速経和 気命なり, 本天より降りて 即ち松 , 沢の松の樹の八俣の上に坐しき,. (常陸国久慈郡薩都の里) もり 土体豊沃え, 百姓の膏腰なる園 なり, 樹林禾し, 但, 上頭に樹林在り 此は則 ち神の社な , り・. (出雲国秋鹿郡). の如くに見られ, 古代 人の感性を窺えるわけである, チュ ートソ語の研究から, グリムがゲルマ ン人の聖所は自然の森林であっ たと説明したことと思いあわせると5 ) 古代人の共通的感性を知る うえで興味深いことである. (b) はいわゆる豆樹伝説と して残存する ものであるが, 巨木はくあやしき木>, 神木とされ た例は景行紀十八年にも機 の巨木の説話があり, ほぼこれと同種 の説話を筑後国風土記逸文 に見ることができる. また常陸国行方郡の東方にある県 の神(土着神)をまつる神の杜には, 大井と言う寒泉があり, 歌垣の場であっ たらしい連想をともなう記述があり 次のように記 , 述 さ れ て い る.. 郡家の南の門に一大槻有り, 其の北の枝, 自ら垂りて地に触り 還りて空中に聾ゆ 其の地に , . 昔, 水の沢有りき, (中略) 郡の居邑に, 橋樹生れき, (常陸 国 行方郡) これら, 風土記に散見する (b) の類例は, 前掲の記101の発想上での根抵をなすべき彼等 の 感性を把握する資料たる性質のものと考え られよう, 大樹をもっ て寿詞や寿歌を構成 す る 手 法 -1 13-.

(10) . 記紀歌謡における寿歌の周 辺について. は, 寿詞的表現の伝統性を 維持する上で必須であったのであり, 既に見た古代人の感性の上に立 脚する十分な根拠が存したことも認め られよう, 畏怖す べき神 の天降る樹 木, 偉力を 発 揮 す る あや. <神 しき木>の語り伝えの印 象は恐怖にも似た自然信仰 へと導いたに違いない. しかし, 一方樹木の生命力は古代人の素朴な生命感と共感せずにはおかなかった, 殊に常緑樹 に関するそれは, 生命 への羨望的信仰を保持したものと推測される, 歌垣の 場が, しばしば樹木の生命力 の横溢するところ, しかも清泉の湧き出るところとされた のも以上の事柄と無関係ではあるまい. 山城の国伊奈利の社につ いての逸文の記事は, かかる古 代人の心情を吐露 したものであろうか. 秦中家 忌寸等の遠祖, 伊侶具の秦公は稲によっ て富裕になっ たが, 餅的を用 いて嬬慢さを示し た の で, 餅 は 白 鳥 と 化 し て し ま っ た.. 飛び掘りて山の峯に居り, 伊禰奈利生ひき, 遂に社の名と為しき, 其の苗蕎に至り, 先の過を 悔いて, 社の木を 抜にして, 家に殖ゑて祷み祭りき, 今に其の木を殖ゑ て蘇きば福を得, 其の (山城国風土記逸女). 木を殖ゑて枯れば福あらず.. これを見ると, 明らかに彼 らと樹木との共感・類 感性が窺える ばかりでなく, 彼らが樹木の精 霊の恩沢にい かに細心の注意をはらっ た想像に難く ない. 因みにフ レイ ザーは樹木あるいは樹木の精霊の恩沢と して, 第1に雨と日の光を 与えると信 じ られており, 第2に農作物を生長させる, 第3には家畜を増 殖せしめ, 女には児をめ ぐむ, とお ) 禍福を 樹木の繁茂, 生長に期待する痕跡は万 よそ三点について未開人の 思惟を説明している,6 ) また前述の記紀歌謡的な寿歌発想の技巧的な延長は 葉集においても稀薄ながら認め られよう.7 ) 同様に, 万葉集の長歌に認めることができよう.8 (d) の証左について述べなくてはならない. 常陸の国香島郡の条にある童子松原 の伝説は樹木や草を生きたものとなす考え, および比輪的, ) 痕跡が見られよう. 「年少き童子あり, 俗に加味 或いは 詩的表現ではなく両性の区別を考えた9 乃乎止古, 加味乃乎止売と云ふ」 とある 説話中の人物は神性を有 する男女と解せられ, その場を 構成する耀歌の 会は楚辞な どの引用 がめだつとは言え, 頓に 夜の開けむとするを忘 る. 俄に して鶏鳴き狗吠え, 天暁けて日明らかなり, この女からの印 象は, 当時の妻訪いの 物語において終幕を知らせるものである. 遂に人に見ら れろを椀 じた男女が, 奈美松, 古津松に化すると言うこの説話 は, お ぼろげながら模倣呪術的 な 素地を有し, その変 型的説話 への暗示と類推への道を開いているかに思われる, 祝詞にある次のような表現は, 以上見てきたわが古代人の樹木に関する 自然観に連なる感情を 表示していると言えよう. A 遠山近山に生ひ立てる B. 大木小木を. 奥山の大峡小映に立てる木を. ’て持ち参来て 本末打ち切り. 斎部の斎斧を以ち て伐り株て. 祈年祭祝詞. 本末をば山の神に祭りて. 大殿祭祝詞 このように以上論述 したことは, 記紀の寿歌に投影された古代人の自然観の ごく断片的部分に ついてであるが, 彼等の感性的素因 が, 前掲の寿歌の修辞や様式を支えたであろうことは想像に 難 く な い の で あ る, 註 1) 土橋 寛氏 前掲書 p ,363 2) 折口信夫氏 前掲全集第2巻 p ,436 3) グラネ←著 前掲書 p ,30 1 4ー 一1 ..

(11) . 土 田 知 雄・石 山 宗 曇 4 ) 折口信夫氏 前掲書第16巻 p 0~2 1 7 .27 5) フレイザド著 永橋卓介訳 金枝篇 p 55 ,2 6). 同. 書. p ,271~275. 7) 例えば万葉集巻2・14 1など 8) 万葉集中の長歌, 巻6・10 53 6 6などに著しい. , 巻19・42 9 ) フレイザー著 前掲書 p 15 .3. 寿歌の主流をなすものは, 既に見てきたように, 天皇讃歌と自然的, 物的讃歌との二形式であ るが, 宮廷寿歌として確立し, それを助長した宮廷的な場は, 古代皇室の伝統的支配およびカリ スマ的支配を強化する儀礼的な場と 密接な関連を有したであろう. 記紀の歌謡は, 記紀の本文の 叙述に見られる階層関係が血縁的紐帯を基礎としているように, 古代的服属関係を通 じて成長し た特徴は明らかであろう, 根強く伝承された契機も, 大まかに見るな らば, 大量の国振りの導入 によっ て, 支配関係における共同体的な一体観を深める意義があったからであろう, 宮廷的寿歌 が階級的対立を擬制的血縁で被っ てきたわが国の独自な 階級的関係を表示しているとする見解に は未だ疑義があるように思われる, 記紀歌謡の底流をなす要素は, 階層的意識というよりは民俗的思索の総合された点にあるの で あっ て, 寿歌伝承の荷担者は, 物語に叙情性を投入する効果をいち 早く萌芽せしめた人々であっ たと考えられる. また寿歌の性格から見た前述の二つの側面は, その発想の根抵に信 仰や生活の 経験と寿歌の機能を保持させた農耕儀礼的背景を見すごすことばできない. ここ で は 結 論 と し て, 前章までふれてきた諸歌謡が必要としたであろう培養の場として宮廷的祭礼の場, 即ちその 最大のものとみなされる践詩大嘗祭に焦点をあててみたい, 悠紀・主基の両斎っ国の抜穂をにえとしてなされた新嘗, 大嘗祭礼は伝承久しい宮廷の代表的 祭礼であり, 幾多の地方歌謡, 即ち神秘的呪術の色濃き国振りは, この場に威力を保 ったであろ うし, 宮廷寿歌 は直接, 間接にこのような場で醸成されたことは疑いのないところである, 聖体の永遠なる生命の継続, ならびに復活的な意味を有する大嘗祭礼は, 即位の儀礼と同時に ) また, ここにおいて神優となすべき稲を献上する両斎国を ト定した事 宗教的儀礼でもあった.1 実は, 農耕的儀礼を根幹として成立したことを明示している, 大嘗祭の意義については今日まで詳細な考究がなされたように, 古代的成年式, 鎮魂式という 見方は恐らく正しいであろう, また稲魂を直接取扱う者に酒造児, 稲実の君などの男女の雑色が 存在するのは, なりものの豊穣と性的観念とが 容易に共感し得た痕跡をとどめているものと思わ れる, 故に, 西郷信綱氏も指摘するように即位式たる践許大嘗祭と新嘗祭とは同様の性格を持つ 祭式であったと考えられる. そして鎚魂祭と新嘗祭の時期が冬至 の季節を待 っ て行なわれたのは, ) 自然と人間の容易に融即する共通の面を古代人は信じていたのである.2 農業国家の君主たる大倭根子たる資格は, たえず更新される生命の復活の秘儀を通じて保持さ れたのであり, 政治的安定と対置されるものは, 例えば竜田風神祭祝詞に見られるようなく神等 をば天社国社と忘 るる事なく, 造っる事なく, 称辞菟へ奉ると 思ほし行はすを, 誰の神ぞ, 天の 下の公民の作りと作る物を, 成したまはず傷へる神等は我 が御心ぞと悟し奏れと宇気比賜ひき> と言わしめるような観念に見られる豊穣の有無であった, 左右衛門府申し宮, 命三諸国量し程進二物部門部語部-中略 語部者, 美乃国 八人 但馬国七人因 幡国. 二人出雲国四人淡路国二人 (儀式二) 践辞大嘗祭儀 一115-.

(12) . 記紀歌謡における寿歌の周辺について. 伴佐伯宿禰各一人, 率二語部十五人-. 著二青摺杉亦入就し位奏古詞 (儀式三) この記事に見 られる語部達は, 天皇の斎戒時に風土や国土について請じた者や絵師と同様に地 方伝承を奏上したであろう. 雄略記に見える奨来, 仁徳記の舎人口子臣, 出雲 風土記の諸臣猪麻呂 等々, その具体的な存在はわからないが, 延喜式中の名 篇, 出雲国造神賀詞に見 られるような寿 詞性に満ちた地方伝 承を奏上した人々は, このような人々でもあっ たであろう. 出雲国風土記がある 点では, 出雲国造神賀詞の持っ ている内容を更に級密に表わしているよう な痕跡を考えると, 履中四年紀に見 られる, 始之於二諸国-置二国史ー 記二言事-達二四方志- この四方志が大体風土記の内容に相当する らしいので, 風土記様のものは古く存したとする見 ) とともに, 大嘗祭礼における寿詞, 寿歌を検討する上で示唆的である, 即ち, 前述の諸国の 解3 奏上する古詞の内容や結構について, おぼろげながら類推できるのではあるまいか, 常陸国風土 記に顕著な傾向であるが, 記述において殊更に呪詞, 叙事詩の断篇と見 られる歌, 諺に力を入れ ) のであり, 古詞の結構は ているのは, 儀礼的な場に地方から宮 廷に奏上された習慣に基因する4 宮廷との血縁的紙帯を強調し, かつ地方呪詞の混入された形態 を保ち, 前記神賀詞的な内容を極 めたものであったことが想像される. 大嘗祭の内容は天皇斎戒の秘儀たる河上被蕨の場 が, 幾度となく変 っ たように, 時代的背景に よっ て変化したであろうが, 農耕儀礼を根抵としてあわせて支配 と被支配関係を儀礼的に表示し たであろうことは明 らかである, 8 9 このような場での宮廷寿歌は既に, その修辞的発想の周辺を一部考察した記 4 ,4 , な どの吉 であ 0 ~ 0 などの天皇の寿祝性の極めて明瞭な諸歌謡 野の国主の歌や記58 天語り歌の一連記 1 1 1 3 , っ た と 思 わ れ る,. 復活の儀礼ののちに, 宣下される祝福の言辞は, 国讃歌系の讃美辞が多かっ たと考 え ら れ る が, 重要なより威力ある讃美辞を期待するためには, より呪力ある寿詞や寿歌が臣下や服属の民 から奏上される必要があろう. かかる趨勢からするな らば記101~103など整斉された, しかも長 大な寿歌が成長する理 由も明らかなのだ. 一方, 国見歌や酒讃歌など物的, 自然的讃美を本旨とする寿歌は, あまりにも定着的であり --大和朝廷の豪族性や, 民俗性において普遍性がまさっ ているな どの点で一 修辞上でも固定 ) 40 化がめだち直接的醸成の場は徐々に軽減されていったのではあるまいか. ( .9.30 註 1) 折□信夫氏 前掲書第2巻 p ,169 2). 同. 第12巻. p ,481. 0 3) 西郷信綱氏 鎮魂論 古事記大成所収 (文学篇) p ,23 4) 折口信夫氏 前掲書第8巻 p .189 なお, 本論の歌謡番号は, 武田祐吉博士編岩波文庫本 「記紀歌謡集」 による.. -116一.

(13)

参照

関連したドキュメント

歌雄は、 等曲を国民に普及させるため、 1908年にヴァイオリン合奏用の 箪曲五線譜を刊行し、 自らが役員を務める「当道音楽会」において、

式目おいて「清十即ついぜん」は伝統的な流れの中にあり、その ㈲

管理画面へのログイン ID について 管理画面のログイン ID について、 希望の ID がある場合は備考欄にご記載下さい。アルファベット小文字、 数字お よび記号 「_ (アンダーライン)

(注)

被保険者証等の記号及び番号を記載すること。 なお、記号と番号の間にスペース「・」又は「-」を挿入すること。

Nº Modalidade Título Participante Entidade.. 14 Kayo Buyo 歌謡舞踊 序の舞恋歌 Jo no Maikoiuta. 福井絹代

神はこのように隠れておられるので、神は隠 れていると言わない宗教はどれも正しくな

自分ではおかしいと思って も、「自分の体は汚れてい るのではないか」「ひどい ことを周りの人にしたので