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日中戦争期における学生運動の一事例・春川常緑会事件 - 『春川常緑会事件訊問記録』をとおして -(2)

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(1)日中戦争期における学生運動の一事例・春川常緑会事件.          一r春川常緑会事件訊問記録』をとおして一(2)                            飯 沼 博  春常緑会事件は日中戦争期、朝鮮における学生運動の研=究である。この時期の学生運動 についての本格的先行研究はなく、ほとんど明らかになっていない。.  そのためr春川常緑会事件訊問記録』をとおして、この時期の学生運動の一事例を紹介 し、三〇年代後半の厳しい植民地支配下での朝鮮の学生・民衆の姿の一端を検証しようと したのである。. 序論  一、春川常緑会事件(前回報告)  二、常緑会(前回報告)  三、読書会(前回報告).  四、常緑会事件と啓蒙運動    ①梧井敬老会    ②梧井共同組合    ③開門婦人会・牟谷婦人会    ④夜学会    ⑤朝起き会    ⑥梧下に常緑樹(桐)を植える    ⑦牟谷少年団.  五、常緑会事件と治安維持法 結論.  r春川常緑会事件訊問記録』は朝鮮の江原道春川郡の公立中学校の学生が1937年 (昭和12)、学校内に朝鮮民族の独立を目的とする「常緑会」を組織し同志を拡大し、 更に民族独立意識拡大のために読書会を結成し、そして地域に入り婦人会・敬老会(老人 を敬う会一日本の青年団にあたる)・少年団・夜学二等に積極的に参加し、幅広く啓蒙運 動に取り組んだ様子を記録している。.  私たちは、ややもすればこの時期、日本の徹底した植民地政策のため、むなしく逃げ惑 う朝鮮民衆の姿を勝手に想像してしまいがちであるが、官憲側の記録ではあるものの『春 川常緑会事件訊問記録に登場する多くの学生・民衆は現状と対峙して活躍しようとしてい る。前回に引き続き、今回は春川中学生等の啓蒙運動の姿と、それに対する朝鮮における 治安維持法の報告である。. 一34一.

(2) 四 常緑会事件と啓蒙運動  常緑会・読書会の啓蒙活動は南宮甜が中心になり組織した少年団の活動と、三門雨が中 心になり組織した三井敬老会の活動が中心になり展開されるが、まず敬老会の活動を取り 上げたい。. ① 梧井敬老会  「敬老会」は高齢者を敬う若者の組織である。即ち、村の青年たちの活動部隊である。 この敬老会が誕生した直接のきっかけを阿智陽(農業・三十三才)は次のように述べてい る。. 「昭和十二年十二月頃、居里、’二二奎、李仁教二人ノ発議デ、即チ当時居里、徐順福. 当時二十二、三年ノ者ガ、四十以上ノ二二鐘二対シテ飲酒暴行シタ事例ガアリマシテ、 村ノ青年達ハ其ノ如若イ者ガ、年寄リヲ侮辱スルコトハ、如何ニモ不都合ナ行為デア リ、尚、最近梧井村ノ青年ハ、自分ノ生業二精励セズ、其ノ上、飲酒、賭博等ヲ敢テ 為ス如キ、軽挑浮薄ノ行為二丁ル傾向ガアルノデ、下等ノ悪風ヲ打破シ、敬老尊重ノ 美風ヲ助長セシムル為、組織シタノデアリマス。…  」.                      (『常緑会事件訊問記録』第七巻)  梧井村には修養団という既成の団体があったが、活動が停滞しているのに目をつけた李 燦雨は村の青年達に民族意識を注入サるための団体にするために、修養団を解散させ、若 者が年寄りを侮辱した事件を利用して、敬老会を組織している。  問 泉田部落二修養団ナルモノガアリタルヤ。  答(李鐘王玉).   左様アリマシタ。 (昭和)五年位二設立サレテ、里内ノ青年が団員ニナリマシテ、賭.   博等ヲセズ、禁酒禁煙・良俗美風ヲ助長スル事ヲ目的トシ、会ノ資金ヲ得ル為、団員   ノ共同耕作及石油等ヲ販売シテ、利益ヲ得テ、資金二当テテオリマシタ。   昭和十二年四、五月頃自然解散トナッタノデアリマス。.                        (『常緑会事件訊問記録』第八巻)  昭和初期「禁酒・禁煙運動」が民族主義運動側から提起されており、修養団もそれらに 影響された団体のようである。.  修養団に代って李燦雨が中心になり組織した敬老会は、一九三八年(昭和十三)一月十 日に発会式を挙行している。その日の様子は次のようである。. 一35一.

(3) 問 該、敬老会、発足式ノ状況及役員会員ノ事目付キ詳述セヨ。 答(朴智陽).   (旧)昭和十二年十二月二十二、三日頃、雪ノ降ル昼頃、居里公会堂二集合シ、   先ず李仁教から主旨説明をやった後役員選挙ヲヤリマシタガ、ソノ結果      会 長   李 光 雨      副会長   李 仁 教      管理者   李 鐘 奎   其ノ外二、該当ハ敬老会即チ老人ヲ尊敬スル会ニアルカラ、同一会員ノ中デモ相   当ナ年輩者、三十以上ノ会員ハ協議員ニセヨト云フ訳デ、私ノ外九名ヲ協議員ト   云フ役員二選定シタノデアリマスカラ、平会員ハ十名門デ、役員迄アワセルト組   織当時ノ会員数ハニ十三名デアリマス。以上申立テマシタ、役員ノ外二居里内及   面内ノ有力者デアッテ、該敬老会ヲ指導シ得ベキ人物ハ十名ヲ推戴シテ顧問ニシ   タノデアリマス。.   (該顧問は)泉田里区長(1)及ビ面協議会員(2)ノヨウナル人物デアリマス。                        (『常緑会事件訊問記録』第八巻) 敬老会の趣旨・目的については、.   一、青少年が年長者ヲ侮辱シ、.   二、又ハ年長者ノ面前デ飲酒、喫煙ヲナシ、   三、自己ノ生業二精励セズ無駄浪費ヲ敢テ為シ、   四、賭博ヲヤッタリ、.   五、向学心二乏シク啓蒙運動二後シテ行ク、.  ト云ウ、総テノ悪傾向ガアルノデ、之等ノ弊害ヲ矯正打破シ、梧井村ヲ更生セシム ル目的ヲ組織サレタノデアリマス。      (『常緑会事件訊問記録』第八巻)  以上のように、敬老会は悪傾向を打破し、敬老尊:重の美風を助長せしむることを目的と. した組織であった。即智陽は引き続き、敬老会の活動状況を、次のように述べている。 ◇敬老会の活動 一、愛親敬長ノ美風ヲ助長スル為、年二回里内居住六十歳以上ノ老人ヲ招待シ饗応シ、 二、青少年ハ絶対老人ノ前デ飲酒・喫煙ヲ禁止シ、若シ如斯ナ不都合ナ者ガアル場合ハ、   役員及会貝集合ノ席上閉門ビ出シテ、訓戒ヲ加へタリ、始末書ヲ徴シタリシテ、弊   風打破馬肥メ、. 三、会員デ販売組合ヲ設ケ、泉田金融組合カラ低利資金三十円ヲ借出シテ、農家二於ケ   ル日常必要品、憐寸、石ケン、石油、明太魚等ノ物品ヲ購入シ、之ヲ会員当テニ販 一36一.

(4)   売シ、其ノ利得金ハ借用金ノ還済又ハ老人饗応宴ノ費用二宛テ、. 四、各自生業二精励スル為、早起会ヲ実施シテ、堆肥採集、里内ノ道路修繕、橋梁修繕、   其ノ他自分ノ生業ノ為二働キ、. 五、家計簿記載ノ予備知識、其ノ他ノ常識ヲ得ル為、夜学会ヲ開催シマシタ。  これら活動の内、五の「夜学会」は総督府の農村振興運動の事業を実質的に敬老会員が 指導にあたったものである。.  夜学会その他の活動は別に述べる。ここでは「老人饗応」の活動状況を検討してみたい。 敬老会の饗応宴のプログラムは次のように進行している。  先ズ、梧井村公会堂前広場二集合整列シ、 一、宮城謡拝。. 二、皇国臣民ノ誓詞ヲ斉唱。. 三、老人二対シ会員一同敬礼。.   ヲ行イタル後、室内代入リ着席シタラ、予テ設備シ置キタル餅汁等ノ御馳走   饗応シ、濁酒ヲ飲マセナガラ蓄音機ヲ聞カセマシタ。.                     (r常緑会事件訊問記録』第八巻).  このようにして敬老会による老人饗応のプログラムは進行している。これら開会行事の うち、〈宮城遥拝〉〈皇国臣民の誓詞ノ斉唱〉の二点が注目される。.  これを見るかぎり敬老会を組織し、推進したのが朝鮮独立の理想を掲げ活躍している常 緑会のメンバーであったとは思えないほど妥協した活動といえる。また、敬老会の顧問に 行政側の指導者である里区長、面協議会員等を顧問に据えている。まさに、皇国臣民政策 に便乗しているかのようである。.  しかし、彼等は常に当局と妥協をはかる活動に甘んじていたのではない。このように一 定の妥協を図り、高齢者の信頼を獲得し、他方で民族独立の為の意識注入活動を実施して いるのである。.  李燦雨は公会堂に敬老会の青年を集め、 「禁煙」 (昭和十三年一月二十日)、 「村の進 展と青年の自覚」 (昭和十三年一月二十七日)、「時局に就て」 (昭和十三年三月四日). と題して講演し、文世鉱は「勤勉」 (昭和十三年三月四日)、南宮粥は「農村共同組合組. 織に射て」〈昭和十三年三月四日)と題し講演をするなど啓蒙活動をしている。.  敬老に対する饗応はあくまで表面を繕う活動であり、その目指す活動は別にあり、決し て安易な妥協を図っているものではないといえる。常緑会は当局と一面妥協を図り、実質 独立啓蒙運動を進めようとした活動スタイルを採用している。このような方法は日中戦争 が始まり、取り締まりが一層厳しさをました植民地下の朝鮮で取り得る、ひとつの有効な 方法であったのであろう。. 一37一.

(5) ②梧井共同組合  三井敬老会の経緯:並活動状況(r訊問記録』第二十六巻)に「昭和十三年六月一日、資 金十五円五十五銭を以て梧井共同組合を組織し、…  」とあるが、共同組合についての 訊問記録はあまり多くない。. (李鐘奎について). 被疑者常緑会長、南宮硲、同書籍係、李滋雨ノ指導二基キ、資金調達、団結心養成、 敬老会ノ細胞団体タル共同販売組合ヲ被疑者李鐘奎ハ、同李仁教、李光雨ト相図リ、 同十三年六月一日組織シ、之力責任者トシテ活躍シ、 (李民話について). 昭和十三年六月一日、春川郡新北面泉田梧井村ノ郷里二面テ、常緑会ノ派生団体敬老 会細胞団体販売組合ヲ、 (一部省略)被疑者、痴話教、李鐘奎ト共二之ヲ組織結成シ、 更二、・・ (球面教について). 同六年六月一日、敬老会活動資金、団結心養成並氏族改造改造策トシテノ梧井共同販 売組合組織二当リ(一部省略)被疑者ハ李鐘奎二助力シ、該組織ヲ容易ナラシメ、.                      (r常緑会事件訊問記録』第一巻)  梧井共同組合は李鐘奎・李光雨・李仁教の三三が中心になり活動していが、彼等三名は. 泉田公立普通学校(小学校)の卒業生で、地元で農業に従事にしている者であり、春川中 学校生やその卒業生ではない。彼等は南宮盛や李燦雨の指導を受け、民族主義思想を抱く ようになったと答えている。春川中学校より地域社会へ啓蒙運動が広がっているようすを 知ることができる。共同組合活動の内容にかかわる記録も余り多くないが、活動のようす は次のようである。. 答(李鐘鐘).  会ノ資金ヲ得ルタメ、会員全部シテ、薪運ビノ資金取リ、及ビ、□木、手拭、石鹸、.  染料等ノ販売ヲシテ、利益ヲ会(敬老会)ノ資金トシテ、年二二回還暦以上ノ老入  ヲ招待シテ、饗応シテ勧待シマシタ。.  又老人勧待用、及ビ会員二賃貸ノ為メ、会員ガー円宛出シテ蓄音機ヲ購入シマシタ。 答(朴重陽).  (敬老会)会員デ、販売組合ヲ設ケ、泉田金融組合カラ、低利資金三十円ヲ借出シ  テ、農家面出ケル日常必要品、燐寸、石ケン、石油、明太魚等ノ物品ヲ購入シ、之. 一38一.

(6) ヲ会員当テニ販売シ、其ノ利得金砂借用金ノ還済、又ハ老人饗応宴ノ費用二三テ、   答(成文慶).    尚、公益事業トシテ、部落内ノ道路修繕、橋梁修繕ヲヤリ、又ハ悪習打破ノ為、会    員闇ハ勿論、他ノ部落ノ者デモ賭博等ヲヤル者ヲ発見シタ場合ハ、訓諭ヲ加ヘタノ    デアリマス。外二、会カラ低利資金ヲ融資シテ、農家二於ケル自由必須品ヲ購入シ、    之ヲ会員輪番デ販売シ、其ノ利得金ハ多少ヲ不問、毎月(旧)十五日、三十日、.=二.    回ノ例会席上二藍テ清算シ、会二納付シタノデアリマス。                       (以上『常緑会事件訊問記録』第八巻).  燐寸・石けん・石油・明太魚・手拭・染料等々の販売活動をして得たお金で、金融組合 (3)からの借用金の返済と、老人の饗応のための資金に当てている。この共同組合の活. 動も軌道にのる前に、常緑会事件が発覚しその活動を終えている。ただ、敬老会という組 織を利用して個々の零細農家ではなしえないこと、つまり金融組合から資金三十円を借り、 それを運用している活動スタイルは注目されてよい。.  金融組合から貸し出される資金は、ややもすれば中農以上の地主が低利で資金を借り、. 高利で農民に貸しつける高利貸の資金となり、農民を苦しめたのが植民地下では一般的で あった。. ③梧井婦人会・牟谷婦人会 (イ)期待される農村婦人像.  当局はどのような(農村)婦人像を期待したのであろうか。r朝鮮農会報』の記事「婦 女子の勤労に依り経済更生を成しつ》ある農家之実例」に期待される農村婦人像をみたい。.  そこで忠清南道農会長、サ泰彬は農村振興運動における婦人の役割を次のように強調す る。.    一家の結含は婦人の力に侯つべきものが甚だ多い。若し婦人にして十分の理解がな   かったならば、農家経済更生など恐らく期待しえないと断言するも過言ではないと信   ずる。.    今や各種の施設奨励に刺激されて、男子は漸く覚醒の機に在と認めらるNも、一家   の経済を主催する農家の婦人にして、農村更生運動に対し真の理解を有っものが果た   して幾何あるであらうかを想ふ時、轄た寂真の感あり。農村運動の将来に就ても甚だ   憂儂の念を禁じえない。「婦人よ起てよ、醒める」の警鐘を高く打ち鳴らす所以のも   のである。(4).  続いて、具体的にいくつかの事例を紹介している。. 一39一.

(7)  r朝鮮農会報』で紹介された時期は一九三四年(昭和九)で、農村振興運動が計画通り に進まない中で発表されている。農村振興運動が成果を上げ得ないのは、高率の小作料を そのままにし、地主・小作関係を改善しないままに、農民に自力更生を強制したことにあ ったが、総督府は農村振興運動の成否の一端を、女子の労働に求めている。.  一番、女子に期待したことは、女性も男子同様戸外に出て働くことであった。従来、朝 鮮婦人は田畑での労働は期待されていなかった。 「女性は男子が養うもの」という儒教道. 徳が社会に根強く生きていたのである。総督府は女性が戸外で働くこと、つまり女性を労 働力として期待したのである。.  その他、農村啓蒙運動を進める必要から、農村に婦人会を組織させ、多くの課題の解決 を期待している。. (ロ) 梧井、牟谷婦人会.  梧井村の場合、一九三八年(昭和十三)、第六次の更生部落に指定されたのにともない 組織されている。.  更生部落というのは一九三三年から展開された農村振興運動で毎年、数個の部落を指定 して集中的に、個々の農家の改善に取り組んだが、それに指定された部落のことである。 更生部落に指定され場合、どの部落も婦人会を組織したようで、梧井部落も他の更生部落 の例にならい婦人会を組織している。  「活動状況」では、.  .昭和十三年六月一日、資金十五円五十五銭ヲ以テ梧井共同組合ヲ組織シ、昭和十三.  嘉応井村婦入会ヲ組織シ、専ラ李鐘奎之が指導二当リ、                       (r常緑会事件訊問記録』第二六巻) とあり、そのようすは次のようである。 問 然うバ婦人会組織ノ顛末ヲ述ヘヨ。 答(李嘉島).   昭和十三年六月十三日、春川新北面泉田里字梧井村集会所二於テ、   春川郡新北面長魚心穆ガ、.   春川幽幽北面泉田里謡梧井村第六次更生部落二江原道特別指定サレタガ、指定   更生部落ニハ是迄婦人会ヲ組織シナケレバ行ケナイト申スノテ、組織シタノデ   アリマス。ソノ席テ新北面長、迎鐘穆が左ノヨウナ講演ヲシマシタ。     朝鮮人ノ生活状況ヲ見ルニ、戸主男子丈が仕事ヲ為シ居ル習慣ガ、之ハイ     ケナイト、男女共二活動シナケレバ、現在ハ到底生活安定ガデキナイタメ     前面当局ハ更生部落指定スルト共二、婦人会ヲ組織シ、男女共二野仕事モ. 一40一.

(8) スル為メ、本組織スルト申シマシタ。 (r常緑会事件訊問記録』第十二巻) 以上は泉田里の婦人会についての記述である。. 三川二二谷婦人会については、あまり活動的でなかったようである。                     (r春川常緑会事件訊問記録』第十三巻).  以上のr訊問記録』から言えることは、婦人会は農村振興運動を進めてゆく必要から結 成されている。総督府は農村女性に期待した第一の点は、朝鮮の風習を破り女性が田畑に 出て、男性と同様に労働することであった。泉田里梧井村の面長(村長)は、そのことに ついて「朝鮮人ノ生活状況ヲ見ルニ、戸主男子丈が仕事ヲ為シ居ル習慣ガ、之ハイケナイ ト男女共二活動シナケレバ、現在ハ到底生活が安定ガデキナイタメ、郡面(村)当局ハ、 更生部落指定スルト共二、婦人会ヲ組織シ、男女共二野仕事モスル為、本組織スル。」 と述べている。.  事実、その後門里梧井村婦人会の場合、田畑で農作業をやり、その外の時は、棉作・臥 織などの副業にも取り組むようになっている。.  総督府としては、是が非でも婦入会を組織しなければならない事情があった。それは、. 農村振興運動が取り組まれると、たちまち多くの障害に直面したのである。その原因のひ とつに農村、特に農村婦人の識字率の低さがあった。.  農村を更生させるためには個々の農家が家計簿を記帳することは避けて通ることはでき なかったが、多くの場合それが不可能であった。.  つまり、総督府も農村婦人が「文字」を学ぶことの必要を痛感している。文字を知らな いことには、総督府にとっても、農村更生の策を打てども、遅々として成果が上がらない ことを認めている。.  ここに農村婦人が「文字を知る」ということについて、総督府の必要性と常緑会の目指 している要求が合致するのである。.  常緑会は官製の組織である婦人会の主催する識字運動を利用しようとするのである。.  女性の場合、特に文字学習の必要性が強調されたが、文字学習の必要性は他の分野でも 同様であった。各機関で夜学会が組織されたのである。.  なお農村啓蒙について有利なことは、この文字学習は「家計簿の記帳」と言う現実の必 要性から出発していることもあり、学習困難な日本語の学習ばかりが強要されたのではな かった。文字習得に要する時間的なこともあり、諺文も一定認められていた。. 一41一.

(9) ④夜学会  梧井村に夜学会が開設されたのは、昭和十二年十一月頃のようである。遅くとも十二年 の年内に開設されている。敬老会が梧井村に結成されたのは昭和十三年一月十五日である. から梧井敬老会は、明らかに敬老会によって始められたのではなく、訊問の中で李鐘珪が 「農村振興会の方で夜学会がありました」と答えているように、官製の事業として夜学会 が始められている。.  しかし、夜学会実施の段階で時聞の余裕と知識を必要とする事業であるため、常緑会員 の李燦雨等が夜学会の指導に参加している。.  以下の訊問記録は、あくまで警察での訊問であり、事実を正確に答えてはいない面もあ ろうが、官製の組織を利用した活動のためか、常緑会の本来の主張と大きく異なる意見も 多くみられる。. 〈李鐘王玉に対する訊問〉. 問 李燦雨が講演シタルコトガアルカ。. 答 同月末(昭和十二年十二月)夜学ノ時、李燦雨ハ高普生(中学生)二人ト共二来テ、   李燦雨ハ左ノ意味ノ講演ヲシマシタ。.    「勤倹貯蓄ヲシテ、子弟ノ教育二心掛ケヨ、今日本ハ支那二於テ戦ッテオルカラ、   国防献金、油兵慰問等二心掛ケヨ、又泉田部落皆貧乏デアルカラ、一家族ノミナラ.   ズ、里内ノ農民ハ皆一致団結シテ、自作農ニナル様働ケ、三・四年間働ケバ、必ズ   為シ遂ゲルコトが出来ル。」.   他ノー人ノ高斜生(中学生)ハ、左ノ意味ノ講演ヲシマシタ。.    「内地二於テ翻心家族、男モ女モ分二応シ協力シテ、農事副業二従事シテヨク働   キ富ミ、強イ国民ニナッテオル。.    然ルニ朝鮮二於テハ、男ノミ働キ遊ンデオルカラ内地人ノ如ク、一家協力シテ働   カネバナラン。又部落ハ部落デー致協力シ、移入全部が協力ノ上、内地人ノ如富ミ、   強クナケレバナラン。」他ノ高普生(中学生)ノ事ハ忘レマシタ。 問 敬老会二等学会が設ケラレタルカ。. 答 ソレハ敬老会ノ方デハナク、農村振興会ノ方デ、夜学会ガアリマシタ。   ソノ夜学会ハ、昭和十二年十二月頃カラ約三ヶ月許リアリマシタ。 〈梁春成に対する訊問〉. 問 証人ハ夜学デ如何ナル事ヲ学ンダカ。. 答諺文ハ全部判リマシタ。算術モ少シ判りマシタ。. 一42一.

(10) 問 夜学ノ時、雲外講演ガアッタカ。. 答 前述ノ通り、氏名ハ知ラナイガニ・三回講演ガアリマシタ。 〈朴蘇陽に対する訊問〉. 問 証人ハ梧井村ノ夜学会二通学シタル事実アルヤ。 答 左様ナ事実カアリマス。 間 然うバ開催年月日、度数ハ、. 出血カニ記憶シナイカ、昭和十二年内九月カラ同年ノ旧十二月中頃迄、一回開催シタ   ノテアリマス。. 問 開設者及教師ノ氏名ハ、. 答 開設者ハ心痛奎テ教師ハ、李仁教チアリマス。 問 該夜学会ハ男子ノミナルヤ。 答 女子班モアリマシタ。. 問 証人ハ男子班ノ血忌ナルヤ。 答 私ハ男子班ノ乙組チアリマス。 問 男子溜出学生ノ人数ハ、. 答 男子班が甲・乙組十七・八名、女子班力甲・乙組約二十名チアリマス。 問 夜学会ノ場所ハ、. 答 居眠梧井村公会堂チアリマス。 問 教科目及授業数ハ、. 答 毎日昼間ハ各自ノ仕事ヲヤリ、夜二成レハ、夕食後出三時間位農村教本二依ッテ、   国語・算数・朝鮮語ヲ学ヒマシタ。. 間 然うバ、該教科目ノ他、会期中教師、李仁教ヨリ何力面白イ話ヲ聞キタルコトナキ   ヤ。. 答 教養時間ノ他二、三回教師、李仁教カラ話ヲ聞キマシタカ、何時モ、    一、現代ハ農夫テモ、相当知識カナケレハ到底暮ラシテ行カレナイ。    二、殊二我力梧井ハ、更生部落二編入サレルカラ、先ス家計簿記載ノ基礎知識ヲ.      学習シナケレハナラナイ。故二皆様ハ昼働イテ夜疲レモ忘レテニ、三時間宛. 一43一.

(11) 習フノテスカラ、例へ諺文一字テモ、数字一字テモ、人ヨリ余計二学フト云 フ覚悟テ、一心不乱二勉強シナケレハナラナイト云フ話テアリマシタ。. 問 当時、我等朝鮮人ハ、一致団結シテ何事ニモ勇進スルニ非サレハ、到底生存競争二   対抗シ得ラレストノ講話ナカリシヤ。. 答格別朝鮮人ト云ウ事ハ謂ハナカッタカ、兎角我力梧井村ヲ更生村二為スニハ、村ノ   者全体カー心同体二成ッテ、農事改良副業等二精励シナケレハナラナイ、ト云ウコ   トハー・二回聞キマシタ。. 問 読書部ノ書籍ヲ輪読シタ事実ナキヤ。. 答 夜学会二二ヶ月余リ通ヒマシタケレドモ、諺文モ緑二読メズ、数字モヤット、一カ   ラ十迄ノ読ミ方ヲ知ル位テアッテ、読書等私ニハ全然不可能チアリマス。 問 歯入ハ皇国臣民ノ誓詞ヲ知ルヤ。. 答 敬老会・早起会又ハ夜学会ノ時常二斉唱シタノデ覚エテ居りマス。 〈成文慶に対する訊問〉. 問 梧井村二於テ、開催シタル夜学会ノ状況及目的如何。. 答 直立奎、李仁教主催ノ下二、昭和十二年十一月頃泉田村が更生部落二成ッタノデ、   家計簿記載常識ヲ得サセルタメ、開催シタノデアリマス。 問 教養科目ハ、. 答 国語、算術、朝鮮語、農村教本、体操ノ教養ヲ受ケマシタ。 問 教科書ハ如何。. 答 国語ハ普通学校ノ教科書デ(二年生)、朝鮮語ハ四年生ノ教科書デ、体操ハ「ラジ.   オ」体操ヲ学ビマシタ。        以上(r緑会事件訊問記録』第八巻)  その外r常緑会事件訊問記録(九巻)』も夜学会について訊問を記録している。内容的 にはよく似ているが、若干つけ加えておきたい。 答(李相弼).  ・先生ハ李鐘奎デアッテー・二・三ノ算術ト、国語ノ「アイウエオ」ト諺文ヲ習ヒマシタ。   夜学デ習ウ以前ハ、何モ知りマセンデシタガ、今ハ少シ判ルヨウニナリマシタ。 (李相順). 一44一.

(12) ・オト「ウサン・オカアサン・ウシ・オヤウシ・コウシ等ノ言葉ヲ学ビマシタ。. ・朝鮮語ハ普通学校一年生程度テ、算術ハーカラ百迄ノ書方、数へ方、其カラ寄セ方 ヲ学ビマシタ。. ・月謝ハナク、夜学生徒:達力十銭宛、二・三回出シ合ッテ石油ノ費用二使ヒ、教師ノ 給料モ払ヒマセンテシタ。.  以上のように各種夜学会は婦人会の場合と同様、農村振興運動の一環の事業として組織 されたものであった。農村振興運動を進めるためにはどうしても家計簿記に記載ができる 程度の基礎知識が必要であったのである。.  動機はどうであれ夜学会は「文字を知る」ための合法的組織であったのである。文字の 学習は常緑会啓蒙運動のひとつの大きな目標であり、、ここに農村振興運動の必要性と常緑 会の要求が一致することになった。 学生たちは夜学会に参加し、国語・算術・朝鮮語・ 体操等を教え、時には授業の後、授業の合間にいろいろな話をしたり、本を紹介したり、 愛郷歌を歌ったりと啓蒙活動を試みているのである。.  夜学会の活動期間は、昭和十二年の十一月頃から翌年の三月までの農閑期を利用して開 催されている。短期間であったため、どれだけの効果があげ得たかは疑問であるが、梁春 成(農業・二六)は「(教育ハ全ク受ケタル事ハアリマセンガ)諺文ハ全部判リマシタ、. 算術モ少シ判りマシタ」と答え、また、李相順は「…  習フ以前ハ何モ知りマセンデシ タガ、今ハ少シ判ルヨウニナリマシタ。」と答えている。誇らしい、喜びの姿が目に浮か ぶようである。夜学会では何よりも諺文の学習が認められていたことは注目してよい。.  昭和十三年四月、第三次朝鮮教育令により正規の学校では朝鮮語は正課から随意科に転 落し、,随意課とはいいながら当局はこれを禁止した。私立学校にも国語(日本語)の授業 を強制し、朝鮮語はまさに受難の時期であった。. ⑤朝起き会  (泉田里)梧井村の敬老会では「朝起き会」の行事を実施している。「朝起き会」につ いて朴智陽は、次のように説明している。 問 早起キ会ノ実施ノ状況ハ如何。. 答 時間ハ知ラナイガ、何時モ朝薄暗イ時、起床シ公会堂二集合シテ、     一、宮城謡拝。.     二、皇国臣民ノ誓詞斉唱。     三、ラジオ体操。     四、愛郷曲合唱。.   後、各自ノ生業二精励シタノデアワマス。. 一45一.

(13) 帰省シテ有様ヲ見ルニ、左ノ如ク、年々穎退的気分ガ、濃厚ニナッテキマシタ。 1 部落内二二・三十才ノ既婚ノ婦人中、二二常民階級ノ七・八名ハ、飲酒ノ風助長シ、  当時二二リ終夜飲酒太鼓ヲタタキ喧騒スル事。. 2 尚ホ、ソノ上二、十・五六才ノ少年ヲ使嚇シテ、自宅ヨリ金品ヲ盗マセ、酒ヲ買ハ   セー団トナリテ飲酒喧騒スル事。. 3 部落ヨリ半里離レタル牟谷公立小学校二通学スル少年ハ、自宅ヨリ金品ヲ盗ミ、帰  途船着場ノ商店ノアル「二二沼」二二テ、買食ヲ為シ、又学校往復二喫煙ヲ為ス事5 4 部落民一二二亘リ、勤倹力行ノ風ナク、頽廃気分が漸次濃厚トナリシ事。 二、ソコデ、私ハ李燦雨が指導セル梧井村ノ如ク、団体ヲ組織シテ之ヲ改革スル意向ハ、   春川中学校在学中ヨリアリ。而シテ、昭和十三年八月六日、牟三里二行キ、前述実   情ソ益々濃厚ニナリツツアルヲ実見シ、少年団ヲ組織スル決意ヲ生シマシタ。   尚ホ、少年団ヲ組織シテ、漸次団体組織ヲ広範囲二及ボシ、以テ牟山里部落二勤倹   力行ノ風ヲ助長シ、部落民ヲ更生セシメ、経済力ヲ養ヒ、余裕アル生活ヲ為サシム   ル目的デアリマス。.   尚ホ、ソノ上デ、私が常二品持スル、民族主義ノ意識注入ヲ為シ、意識分子トナシ   テ、同志獲得スルツモリデアリマシタ。. 三、以上ノ如キ理由ヲ以テ、里内二於テ、腕白ニシテ、不乱ノ風アル少年崔基俊、当時   十五才二丁目シ、此ノ少年ヲ団長トシテ、少年気風ヲー変サセ様トシテ、少年団組   織スルニ至ッタノデアリマス。  南宮王日は村の道徳的な退廃の原因を、十字架党事件ににより、村の指導者を失ったため. であると分析しているが、若干想像を交えて言えば、日本の植民地政策により、ますます 生活は厳しさを増し、前途に希望を持てなくなった若者の欝積したエネルギーの爆発と言 えるのではないだろうか。南宮蚤は、これら若者の道徳的な「荒れ」は朝鮮独立の目標と その見通しを持つことができれば、むしろエネルギーに転換しうることを感じたのかもし れない。「里内二於テ、腕白ニシテ、不可ノ風アル少年崔基俊(当時十五才)」を少年団 の団長に指名している。.  ともかく、表面は村を建て直すために少年団を組織するのであるが、その本当の目的は 少年団員に民族主義の意識注入し、同志を獲得するためであった,. 一46一.

(14) 昭和十三年四月、民族主義団体敬老会組織記念行事トシテ、梧井ノ梧ハ桐二同シト 為シ、桐五本ヲ植樹シ、将来桐ノ成長ト民族意識ノ成長ヲ比較対照ノ資二母国ント シ、                 (r春川常緑会事件訊問記録』第二六巻).  常緑樹を活動のシンボルとして植えるという発想には、小説『常緑樹』の影響があった からであろう。彼らは小説r常緑樹』に感激し、自らの会の名称を常緑会としたほどであ る。また、植樹が行われたのは、昭和十三年の四月であり、春川中学生にとつは新しい学. 期が始まる時期である。訊問記録は常緑樹の植樹に関して多くを語っていないが、常緑会 員にとっては新たな決意とともに、特別な気持ちが込められていた植樹であったことであ ろう。. ⑦ 塩谷少年団 (イ) 荒廃する村.  昭和十三年八月十四日、南宮油日は少年団に民族意識注入することを目指し、少年団を組 織した。. 彼は「神学校(京城)の夏休みを利用して、郷里・牟谷里に帰省してみると、村は経済的 に荒廃し、風紀的にも、その荒廃が目についた。上谷里では既に述べたように、昭和九年 「十字架党事件」があり、その事件により、晶出里の牧師・劉幽囚をはじめ、数名が検挙 され、特に村の中心人物、金春岡、李起蔓等は事件後村を離れて、村は中心入物を失って しまった。そのためか、村の風紀は大きく乱れ、疲弊した。南四王鄙ま、その乱れた村の風 紀を建て直すために、少年団を組織したと述べている。. 間 然うバ、被疑者(南宮王凶が供述セル、牟谷里少年団ヲ組織スルニ至リタル顛末ヲ   述べヨ。. 答 ソノ:事二就イテハ、最初ノ発端ヨリ、供述シマス。.   一、私ノ郷里ナル牟谷里ニハ、昭和九年二十字架党事件ナル、共産主義ヲ加味シタ     ル、宗教改革ラシキ事件ヲ惹起シ、検挙サレ、.    牟谷里礼拝堂ノ牧師、劉子薫ハ懲役三年。私ノ親族ナル、南宮幽翠懲役一年、三    ヶ年執行猶予。里内ノ有志金春岡ハ懲役一年六ヶ月、三年間ノ執行猶予。里内ノ    有志、導電蔓ハ、起訴猶処分ニセラレタル事ガアリマス。.    而シテ、部落ノ指導者的中心人物ナル、金春岡、陣起蔓ハ、其ノ後直チニ、他所    へ移居シマシタ。.   .其ノ関係ニテ、部落ノ風紀ハ乱レ、疲弊シマシタ。.    私ハ、ソレ以前ヨリ、学校ノ暑中・寒中ノ両休暇ニハ、常二牟谷里ノ実母ノ許二. 一47一.

(15)   問 愛郷曲トハ何力。.   答 如何ナル唱歌デアルカ、其ノ意味ハ知ラズニ、他ノ者が歌ウカラ、私モー緒二歌 ッタ訳デアリマス。. 問 誰か作成シタルモノナルヤ。. 答知リマセヌ。 問 該愛郷曲ヲ記憶シ居ルヤ。. 答 一部ダケ記憶シテ居りマスガ、即チ、.     一、真紅ナ朝日ノ光         馬跡山ニサシ昇レバ       男女老少ヲ問ワズ         皆共二仕事ヲヤロウ トイウノデスガ、以下第二・三節ハ忘レテ仕舞ヒマシタ。.                     (r常緑会事件訊問記録』第八巻).  確かに、愛郷曲には民族独立の言葉はない、しかし「朝起き会」では皇国臣民の誓詞を 斉唱し、ラジオ体操がその間あるとはいえ、その後でこの愛郷曲を歌っている。愛郷曲に あるく青年が峰火を熱した時の泉田人の幸福〉の内容は当然「皇国臣民の誓詞」の精神と 大きく異なっていたであろう。皇国臣民の精神はさりげなく否定されているのである。.  「朝起き会」は各地で行われていた実践であろうか、小説r常緑樹』にも「朝起き会」 についてあ場面がある。主人公、朴東赫は朝起き会について「…  一日中働いても食べ るものがなくてどうしょうもない我々には、必要なものは栄養であってデンマーク運動で はないんです。・・しかし、一EIに一度さわやかな気持ちでひとところに集まろうじゃな. いかということなんです。… みんなが一体になって体を動かし、心を一つにして愛郷 曲を歌うことに、ぼくらは生きているんだという意識を求め、勇気をとりもどそうとして いる。・・」と語っている。梧井村の「朝起き会」もこのような精神が流れていたのであ ろうと想像される。. ⑥梧井村に常緑樹(桐)を植える  (泉田里)梧井村の敬老会員による常緑樹の植樹については、次のように簡単に触れて いるだけである。. 一48一.

(16) (ロ) 「牟谷少年団」の結成 問 然うバ少年団組織ノ事実ハ如何。. 答 一、私ハ(昭和十三年)八月六日二面谷里二行キ、実母方デ起居シ、水曜日及日曜     日ニハ、午前十時頃ヨリ十二時頃マデ、及ビ八時ヨリ同九時迄、礼拝堂二礼拝     二行キ、又時々礼拝堂二備付ノ「オル.    ガン」吹奏二行ッテオリマシタ。又自宅二於テ勉強シ、或ハ思索二耽リ、又ハ畑    仕事等ヲ為シマシタ。   二、同(昭和十三年八月)十二日、午後一時頃私(南宮王日)ハ礼拝堂二行キ、 「オ.    ルガン」ニテ賛美歌ヲ吹奏シテオルト午後二時頃.          部落少年団前述        ・   崔 基 俊            同                鄭 起 千            同                南 宮 録            同                愈 在 福            同                朴 允 興  等七・八名が礼拝堂二遊ビニ来タカラ、主トシテ、.                崔 基 俊                鄭 起 千  争奪ヒ、. 「少年が遊ンデオルヨリ、夏ハ草刈リ、冬ハ臥織等ヲ為シ、協力シテ部落ノタメニ. 尽シテ如何。之ヲ草刈突撃隊卜名付ケ、少年団ヲ組織シテハ如何。」ト梧井村ノ例ヲ挙ゲテ 少年団組織ヲ勧誘シマシタ処、崔基俊、鄭起千ハ「然うバ組織ショウ。団名ハ少年団ニシテ 呉レ。」トノ事テアッタカラ、私ハ入団者ノ氏名ヲ書イテ来ルベク指示シマシタ。. 三、翌十三日正午頃、崔基俊、鄭起千ノニ名ハ私方二来テ、入団者名簿ヲ持ッテ来タカラ、私   ハ「夜公会堂二全部集レ。」ト指令シマシタ。 四、当夜午後八時頃公会堂二、.             鄭 起 千             崔 基 俊             南 宮 録             朴 花 興             南 宮 勇 外約旧名集会シタカラ、午後九時三十分頃マデ、私ハ此ノ指示ナシマシタ。. 一49一.

(17) 1. 「ワシントン」「エジソン」ノ正直ナル事ヤ、研究心二富ム事。. 2. 梧井村ノ少年団が草刈臥織リ為シ、勤倹力行シ、村内ノ淳風美俗ヲ為シタル事。. 3. 現在迄、自宅ノ物ヲ盗ミ、買食ヒ、喫煙当ヲ為シタル事ヲ止メル事。. 4. 而シテ、団員一致シテ草刈リ、臥織等ヲ為シ、勤倹力行シ、村内ノ弊風ヲー掃 スル事。.    而シテ、三二私が指示シテ、団名を「牟谷少年団」.        団 長     崔 基 俊        副団長     鄭 起 千    決定シ、薙二少年団ヲ組織シタノデアリマス。    而シテ、.    「明日ヨリ少年団ハrラジオ体操』ヤ草刈リヲ為スカラ、rチゲ』持ッテ、早朝礼拝    堂ノ集合ノ鐘が鳴レバ、集合セヨ。」ト指令シテ、解散シタノデアリマス。.    私ハ少年団二対シ、何等私ノ役名ハツケマセンデシタガ、少年団ノ総テヲ指導スル    ツモリデオリマシタ。    以上、富谷少年団ヲ組織シタ事実デアリマス。.    尚ホ、千乗植ハ小学校二通学スル団員ヲ、イジメルト云フ崔基俊ノ申立二依リ、千    乗植ヲ団ノ総務ニシテ、入団サセ。尚ホ、小学校ノ六年生ナリシ、全順天ヲ会計ニ    シタ。                  (r常緑会事件訊問記録』第十三巻)  南宮王δは牟谷里の少年に対して、少年団を意義を若干訴えたところ、それに応え、直ち. に少年団が結成されている。若者の道徳的な「荒れ」の中には、むしろ健全ささえ感じる ことができる。小学生をいじめている千乗植に対して、少年団の総務としの役割を与え、 活動の場を与え活動に参加させている。.  牟谷少年団が最初に始めた活動は梧井村の敬老会が取り組んだ「朝起き会」である。毎 朝五時に南宮粥が鳴らす教会の鐘の合図で、礼拝堂の前に集まり、歌を歌い、体操をやり、 少年団の誓を斉唱し、そして朝食前に団員が協力して草刈り等を行い、その後散会するの である。.  日中戦争下の植民地の中にあって、少年の健全が発揮されている。これらのら活動を見 る限り、少年たちから暗さは感じられない。 (二) 「四谷少年団」団則決まる.  昭和十三年八月十四日、南宮蛋は少年団の団則をつくり団長・崔基俊、副団長・鄭起千 に渡している。南宮鉗も言っているように、第二条第三号の「私を殺し、犠牲・奉仕の精. 神を養ふ事」に重きを置いている。犠牲・奉仕の中身については語っていないが、これは 民族独立につながる民族意識注入のことであろうあろう。二条は特に、少年団の誓詞三項. 一50一.

(18) 目として、集会の度に斉唱している。 問 少年団ノ活動ハ如何ニシタカ。. 答 一、八月十四日ハ雨天デアリマシタ。ソレデ礼拝堂ノ集会ヲナサズ、午前十一時頃     崔基俊鄭、二千ハ私記二三マシタ。依ッテ私が団則ヲ作りマシタ。    ソノ団則ハ、崔基俊二二シマシタガ、現在認憶シテオル分ハ、. 〈牟谷少年団則〉. 第一条 本四ハ牟谷少年団ト称ス。 第二条 本団ノ目的ハ、    一、正直。.    二、村ノ為メ尽ス事。    三、私ヲ殺シ犠牲奉仕ノ精(神)ヲ養フ事。. 第三条 団員ハ、牟谷里在住ノ少年ニシテ、十二才以上十六才以下トス。 第四条 本団ノ行事ハ、夏ハ草刈。冬ハ臥織ヲ為シ、体操ヲ為シ、訓練スル:事。 第五条 本団ノ役員ハ、.       会長一名 副会長一名.      総務一名 書記一名     及ビ各役員ノ職責ノ明示、     本項二二、三二説明ヲ要スルハ、総務ニシテ総務ハ、     団員ノ融和親睦ヲ図り、兼ネテ懲戒事項ヲ司ル。 第六条・第七条マデアリマスが記憶ニァリマセン。 以上、団則中民族主義ノ意識注入ノ準備工作トシテ、. 第二条第三号ノ、私ヲ殺シテ、犠牲奉仕ノ精神ヲ養フ事ヲ特二高調シ、団員ノ精神 注入ヲシタノデアリマス。. 二、八月十七日頃、少年団ノ誓詞三項目作リ、毎朝ノ集会二斉唱サセマシタ。ソノ誓   詞ハ、.   一、私等バー生正直ニシマセウ。   二、私等自村ノ為メ尽クシマセウ。   三、私等ハ常二私ヲ殺シマセウ。   以上デアリマス。.  右ノ内、第三項目ハ団則第二条第三項ト同様、民族主義ノ意識注入ノ準備工作デア  リマス。                 (r常緑会事件訊問記録』第十三巻). 一51一.

(19)  少年団の団則はは七条まであったようであるが、六・七条はについては分からない。こ の少年団の四則で南宮蛋が最も重視したのは第二条三項の「私を殺し、犠牲奉仕の精神を 養うこと」であり、この精神に基づいて右の「少年団の誓詞三項目」を作り、少年団員が 集まった時に斉唱させている。「少年団の誓詞三項目」は具体的な内容を何も語っていな いが、南宮鉗は「民族意識注入の準備工作であります。」と明確に述べている。  この三項目だけを取り出して見ると、少年団の健全さだけが目立つようであるが、少年 団結成の前年、昭和十二年十月一日、「皇国臣民の誓い」が、制定され、学校ではもちろ ん、各種集会で斉唱することが強制されるようになったのである。.  少年団の朝の集会やその他の集会で「少年団の誓い三項目」を斉唱することは、このよ うな状況下では特別の意味があった行為であるといえる。 (三) 少年団歌決定.  朝鮮の民族運動では、必ずと言って良いほど、意識高揚のために歌を作っている。牟谷 少年団歌の作詩は南宮鋸であり、メロディーは乙組隊歌と同じで、作曲者は春川中学校生 の李建雨である。.   三、八月二十日頃、私ハ少年団歌ヲ作詩シ、中学校乙組隊歌ノ曲トシ、毎朝集合其ノ     他ノ時、団員二合唱サセマシタ。団歌ハ、  〈牟谷少年団団歌〉. 一、赤キ朝日 東ノ空二昇ル時    感激ノ行進曲二歩調ヲ合セ.   後山 前野山仕事二出ル時    少年団員ハ喜ビニ溢レ   歌ヲ唱フ 二、進メヨ前二猛進セヨ    強ク健カニ 少年団員等   一二奉仕 ニハ犠牲 三ハ正直二    少年団員三綱領ヲ   標語トシテ 四、特殊ノ事項ハ以上ノ通りニシテ、少年団組織後、私ハ毎朝雨天ヲ除ク外、午前五   時二礼拝堂ノ鐘ヲ鳴ラシテ、少年団員ヲ集会、約一時間少年団ノ三綱領ノ誓詞斉   唱、「ラジオ」体操ヲ為シ指導シ、 尚ホ、断片的二. 一52一.

(20) 一、正直ノ事二関シ、 二、喫煙ノ事二関シ、 三、犠牲的精神二関シ、. 講話ヲシマシタ。具体的事項ハ記憶シマセン。. 尚ホ、朝集会後、草刈ヲニ回許リサセマシタガ、草刈サセタ為、毎朝集合スル団 員が激減シマシタ。ソレデ、アマリ草刈ハヤリマセンデシタ。 五、少年団員ハ組織ノ時ハ、.   団員十・四五名デアッテ、毎朝ノ集合ハ出席シテオリマシタガ、後ニハ七・八名.   位ノ集合ナリ、団員ノ熱意が漸次サメマシタカラ、私ハ種々ノ方法デ、常二全団   員ノ集合ヲ画策シマシタガ、思フ様ニナラズ、八月二十七八日頃、春川二来ル迄、   指導シタノデアリマス。         (r常緑会事件訊問記録』第十三巻). (四) 少年団に民族主義の意識を注入・その他.  南宮媚は八月十四日に少年団を組織、その後精力的に少年団の活動の指導をしたが、九 月の新学期のために京城の神学校へ帰らねばならなかった。其のため少年団を集め、講話 をしたり、礼拝堂の牧師に後見を依頼したりしている。京城神学校へ帰った後も、諺文の. 雑誌r少年』等や朝起き会の合図に使うラッパを送ったり、何かと少年団の継続のために 気をつかっている。.  問 被疑者(南宮王冒)ガ、牟谷少年団二民族主義ノ意識注入スル計画二付、供述セヨ。.  答 一、第一二少年団ヲ組ヲシタル事、及之二犠牲精神ヲ樹立サ晶晶コトデアリマス。      之ハ已二実行シマシタ。. 二、第ニニハ団員二草刈ヲ云為サシメ、団ノ基金ヲ作り、団ヲ永続セシムル事。   之モ、実行着手セシメタノデアリマス。. 三、第三ニハ、其ノ後丸・五年間、団二諺文雑誌ヲ送り、諺文読書二親シメサセル   事。.   之ハ同年九月初七二、諺文雑誌・小供ノ生活、   十月初旬二、諺文雑誌・少年、.   ヲ京城ヨリ少年団二送付シテ、実行二着手シマシタ。. 四、第四二前述雑誌ヲ送付シ、団員二読書ノ趣味及読書力ヲ養ヒタル上、民族主義. 一53一.

(21) ノ濃厚ナル書籍ヲ送付シ、団員二輪読セシメ民族意識注入ヲナス事。.   五、以上ノ道程ヲ経テ、意識分子ヲ作り、同志獲得スル予定デ、     四・五年間ニテ、完成スル予定デアリマシタ。                       (r常緑会事:件訊問記録』第十三巻) 問 少年団ヲ永続セシムル為、如何ナル手続キヲ構シタルヤ。 1答 一、八月二十四・五日以降ハ、団員二対シ「少年団ヲヨリヤッテ永続サセル様」ト、     常二講話シマシタ。.   二、八月二十五・六日頃夕方、私ハ牟春里礼拝堂ノ牧師、朴金山ヲソノ自宅二訪問     シ、「私が塩谷里ヲ立去リタル後、少年団員ハ脱落シテ、団ヲ解散スル様ナ事     ガアッテハ困ルカラ、ト依頼シマシタ。     朴金山ハ心ヨリ承諾シテ呉レマシタ。.     其ノ他二、団長・唐荏俊二同年九月十三日頃、三・四回「少年団ノ永続隆盛二     付」激励ノ手紙ヲオクリマシタ。.   三、尚ホ、団長・崔基俊、総務・千乗植が嘲帆ヲ要望シテオッタカラ、団ノ永継奨     励ノ為メ、昭和十三年十月下旬、私が病気ノ為、神学校ヲ休学シテ、春川二帰     ル時、京城ヨリ、信号添乳九円ノモノヲー個購入シテ、牟谷里二立寄リ、崔基     俊二渡シ、少年団二寄付シマシタ。.     其ノ時数、藩士少年団ニハ話シテオリマセンガ、崔基俊二「少年団ヲヨリヤッ     テ行ク様二。」ト話ヲシテ春川二進マシタ。.                       (r常緑会事件訊問記録』第十三巻).  南宮王着に少年団を作らせた直接のきっかけは、牟谷里の若者の道徳的退廃であったが、. 南宮甜が訊問に答えているように少年団を組織した本当の動機は、少年に対する民族意識 の注入であり、同志獲得であった。南宮鉗の指導により、少年団を結成したのは八月十四 日であり、その夏朝起き会を中心に、共同して草刈りをしたり、歌を歌ったり、南宮瑞の 話を聞いたりする活動を実施している。しかし、南宮鉗が目指した、大きな課題を軌道に. 乗せるには、あまりにも短い期間であった。南宮鉗は九月の新学期のため、京城の神学校 へ帰らなければならなかったのである。そのため、かなりの計画に無理があったのであろ う、朝起き会も十分に成果をおさめないまま、夏の終わり頃には、参加する者が減ってき ている。その後の少年団はどうなったか知ることはできないが、状況から想像すると間も なくその活動を終えたものと思われる。.  しかし、南宮雅は道徳的に退廃する村の状況の中で、少年達の熱意を引き出すことに成 功しているといえるのではないだろうか。. 一54一.

(22) 五常緑会事件と治安維持法  春川中学校の「常緑会事件」により三十八名が起訴されたが、そのうち十二名が治安維 持法等により有罪が確定している。もちろん治安維持法以外の刑も加味されているが、こ こでは朝鮮、主に治安維持法に関して検討しておきたい。. (一)朝鮮における治安維持法の適用.  治安維持法は一九二五年三月七日、日本の議会(衆議院)で可決され、四月二十二日公 布、五月十二日実施された。これと同時に朝鮮・台湾・樺太にも勅令により施行された。.  つまり、朝鮮は勅令により朝鮮人の権利を縛る法律に対して全く発言権を認められなか ったのである。このような方法は治安維持法だけではなく植民地支配においては一般的な 方法であったといえる。.  朝鮮には一九一九年の三・一運動のさなかに制定された制令第七号「政治二関スル犯罪 処罰ノ件」があり、独立運動を弾圧する法的根拠になっていたが、一九二〇年代半ばに共 産主義運動が展開され始めると、従来の制令第七号では間にあわなくなるという判断が総 督府にもあったのであろう。.  この制令七号は第一条では「政治ノ変革ヲ目的トシテ、多数共同シ安寧秩序ヲ妨害シ、. 又ハ妨害セントシタル出納、十年以下ノ懲役幽門禁固二面ス。…  」とあるように、治 安維持法の先駆けになったと言われている。三・一事件は「多数共同シ、安寧秩序ヲ妨害 シ」とし、主としてこの法が適用されたのである。 (二)治安維持法の拡大解釈.  一九二五年忌制定された治安維持法の第一条は、.  「国体ヲ変革シ、又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ、結社ヲ組織シ、又切 情ヲ知りテ之二加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁固二処ス。」と定めている。 一九二八年に改悪された治安維持法では「国体変革」条項と「私有財産制度否認」条項と が分離され、「国体変革」条項に死刑が導入された。 (第一条第一項). 《改正「治安維持法第一条第一項」》. 第一条 国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者、又ハ結社ノ役員、其     ノ他ノ指導者タル任務二従事シタル躍如、死刑、又ハ無期若シクハ五年以上     ノ懲役、若シクハ禁固二処シ。情ヲ知りテ結社二加入シタル者、又ハ結社ノ     目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ、二年以上ノ有期ノ懲役、又ハ禁固. 一55一.

(23) 二処ス。私有財産ヲ否定スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者、結社二. 加入シタル者ハ、結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ、十年以下 ノ懲役、又ハ禁固二時ス。前二項ノ未遂罪ハコレヲ罰ス。 治安維持法一条の内容と刑の適用は次のようである。(5).  《国体の変革》を目的としての結社に付いては、結社を組織した者、結社の役員其他指 導者たる任務に従事した者は死刑又は、無期五年以上の懲役または禁固。情を知りて結社 に加入した者、又は結社の目的遂行の為にする行為をなした者は、二年以上の有期の懲役 又は禁固。.  《私有財産制度》の否認を目的とする結社に付いては、結社を組織した者、結社に参加 した者、結社の目的遂行にする行為(目的を知りながら協力する)をなした者は、十年以 下の懲役又は禁固。以上が治安維持法の適応にあたっての原則であった。 (三)「朝鮮の独立」について治安維持法上の解釈.  日本の場合、共産党は党の綱領にはっきりと「君主制の廃止」を掲げており、これをも って「国体の変革」をめざす結社とみなして、治安維持法益一条が適応されたのである。. 常緑会は共産主義の運動でもないし、君主制の廃止を標榜した運動でもはない。常緑会の 目標は運動のその流れからすると将来(嘉すぐではない)という意味合いを含んでいるが 第二条で「本会(常緑会〉ハ、各自ヲ完成シ、朝鮮民族二献ゲ、以テ朝鮮独立ヲ誓フ」と 朝鮮独立を規定している。.  朝鮮ではこの「朝鮮独立運動」が次のように拡大解釈され、治安維持法の対象になった のである。.  そのことについて、一九三〇年代の初め、仁川警察署で高等警察の実務を担当していた 中川利吉は次のように述べている。(6).  朝鮮の独立とは、朝鮮なる帝国の一地方に対する帝国統治権を排して、政治的独立 を目的とするの謂にして、抑も帝国の朝鮮に於ける統治権を排斥して、朝鮮の独立を 企図し、其の目的を以て、治安維持法第一条、乃至第五条に定める行為を為す者は、. 本法に所謂(いうところの)国体の変革を目的とする行為なることは、解釈上一定せ り。即ち、朝鮮の独立を達成せむとする我帝国領土の一部を僑窃して、其の統治権の. 内容を実質的に縮小し、之を侵害せむとするに外ならざれば、即ち、治安維持法に所 謂国体の変革を企図するものと解するを妥当とす。. 一56一.

(24)  朝鮮では共産主義の色彩のない独立運動にも、早い時期から治安維持法の「国体変革」 条項が適用されていたのである。.  また、これに関して鈴木敬夫氏は一九二五年治安維持法案が国会へ提出された際の提案 理由説明を取り上げ、次のように述べている。(7).  これ(治安維持法)が「無政府主義者、共産主義者その他の運動」を取り締まる為 の法律であると述べているこの審議過程において、「国体」という抽象的な概念規定 がなされるなかで、政府は、天皇が「総覧する」円満な「統治権」を確保する必要か ら「植民地独立運動が国体変革に括る。」とすることに成功している。このことはま さに国会の場で「治安維持法」を天皇制護持の「植民地統治法」として運用すること を約束したものであった。.  また、植民地運動が「植民地の変革」に該当するか否かの政府側答弁では次のように述 べている。(8).    天皇が総覧する統治権は「円満無欠な統治権」であることが必要で、「その一部を   場所的に否定すると円満無欠の統治権でなくなるのです。」と説明しつつ、とくに植   民地運動は「無論本法に触れるのであります。」と断定している。.  つまり、朝鮮では独立運動は治安維持平野一條の「国体の変革」に相当するという解釈 である。それでは、常緑会事件についてはどのようであろうか。南宮鉗は「常緑会Jの目 的について、次のようの述べている。.    吾が朝鮮ハ、異民族圧制ノ下二野論シ、総督政治施行後朝鮮人ハ、政治的自由ハ奪   ワレ、経済的二日本ノ資本家二男リ、搾取侵略サレアル。コノ朝鮮ヲ往昔ノ朝鮮二為   スニハ、目本ヨリ主権ヲ奪取シ、崩壊セル朝鮮ノ経済ヲ立直シテ、独立国家ノ朝鮮ヲ   建設スルソノ過程トシテ、必要ナル人物二民族意識ヲ注入シ、熾烈ナル民族反抗心ヲ   養成シ全民族一致協力ヲ以テ、朝鮮ヲ日本ノ統治覇絆ヨリ離脱セシム目的デ組織シタ   ノデアリマス。               (『常緑会事件訊問記録』第二巻).  常緑会は確かに朝鮮の独立を目標とする組織であり、治安維持法のいう第一条の前段つ まり「国体条項」にあたるが、南宮門は別の訊問で、常緑会を組織した目的を次のように も答えている。.    朝鮮ハ日本二同化サレテ行クコトハ、見ルニ忍ビマセンカラ、将来朝鮮ヲ背負フ中   堅青年二民族反抗心ヲ注入シ、時期ヲ得テ、朝鮮独立ヲ目的トスルモノデアリマシタ。                         (r常緑会事件訊問記録』第二巻)  また、龍骨琵はその目的を、. 朝鮮ハ日本二国ヲ奪ハレ、又常二搾取圧迫二依リ、農村ハ疲弊シ、社会二二官界二. 一57一.

(25)   ハ日本人ノ為優位ヲ占メラレ、為二朝鮮人ハ何時迄モ幸福二自由ハナイノデアリマス。    之ノ境地ヲ脱スル為、朝鮮独立出血キ得ル同志ヲ養成シ、反抗心ヲ熾烈ナラシメ、   期セズシテ朝鮮ヲ日本ノ画論ヨリ脱スル前提トシテ結社ヲシタノデアリマス。                         (『常緑会事件訊問記録』第二巻) と述べている。即ち、常緑会は確かに独立を目指した組織である。しかし、当面はあくま で「同志を養成する」組織であり、将来「時期を得て朝鮮独立を目的とする」組織である というのである。.  つまり、r朝鮮の現代と将来(李光晶晶)』の思想の延長戦上に展開された運動で、常 緑会会員は将来の朝鮮独立のために、当面春川中学生の間で学習活動の輪を広げ、同志を 獲得し、実際の活動では小説r常緑樹』にあるように、農村での啓蒙運動を中心に活動を 展開している。. 四、刑の重さと朝鮮に対する差別的適用  朝鮮における治安維持法の拡大解釈とともに、刑の重さに対しても日本と大いに異なっ た解釈がまかり通っていた。.  治安維持法以前、独立運動には前述の制令第七号では最高刑が懲役または禁固二十年だ ったのに対し、一九二八年の治安維持法では結社の組織・指導者に対し死刑・無期もしく は五年以上の懲役または禁固、結社の加入者またはその目的遂行のための行為をした者に. 二年以上の懲役または禁固刑を科すと定めている。さらに注目すべきは治安維持法の適用 にあたっては、次のように朝鮮と日本国内とでは違いがあったことである。(9).   「朝鮮の某地方法院の部長の話では思想犯にして内地で懲役三年に処せらる》ものは、.   恐らく朝鮮に於ては懲役五年位には処せらる、であろうとのことであり、又他の地方   法院の部長の話では、朝鮮に於ての思想犯にして執行猶予となるものは、内地の半分   の割合にも達しないであろう。」とのことだった。.  このように朝鮮における刑罰が日本国内よりも厳しい理由はいろいろあるだろうが、同 書で「共産主義運動にしろ、民族主義運動にしろ、朝鮮の独立をめざす運動を厳しく取り 締まり、重刑を科さなければ、朝鮮民衆に対する見せしめにならなかった。(10)」と指摘 している点については肯定できよう。 (五)春川中学校・常緑会事件の経過・判決結果.  以上のように、共産主義運動にしろ、民族運動にしろ朝鮮独立をめざす運動に対して、. 治安維持法は猛威をふるうのである。常緑会事件については、春川警察署における訊問の 結果、次の意見書を京城地方法院(裁判所)春川支庁へ提出している。. 一58L.

(26) 右(三十八名の取り調べ結果).  被疑者等ハ、日本帝国が支那事変勃発以来、新東亜秩序建設二遙進セル非常国難挙  国結束スベキ秋二際シ、偏狭熾烈ナル民族運動ヲ以テ、銃後撹乱ノ不逞行為ヲナシ  タル犯情、洵二憎ムベキモノアリ。.  コトニ、被疑者  南旧刊  李直音  文世鉱  白興基  龍換琵  曹圭爽  ノ行為ハ、治安維持一飯一条第一項ノ結社二該当スル犯罪ニシテ、今尚民族意識ヲ 抱懐シ温品ノ情、認メザルニ付起訴。. 被疑者  棄根錫   車柱環   曹興換      李淵瑚   申碕撤   全洪基 ノ行為ハ、治安維持治山一条ノ結社加入二該当スル犯罪ニシテ、毫モ改陵ノ鼠鳴メ ザルノミナラズ、其ノ抱懐スル民族意識ハ、洵二牢守タルモノアルヲ以テ起訴。 被疑者  威出品. 朴語源. 李画幅.      李露出. 尾島南. 任海鹿.      サ血止. 南利換. 歯面基.      全面穆. 朴泰株. 李霊雨.      李鳳采. 出鉱億. 露血豆.      李漢晋. 李雷雨. 全鼎壷.      崔基株. 朴転換. 金畜産.      鄭仁蔽. 南極元. 李鐘奎. ノ行為ハ、治安維持法第一条ノ結社加入罪二該当スル犯罪ニシテ、改血ノ情ヲ凶刃 ラレルノニ付、特二起訴猶予。. 被疑者、李仁教、李光雨 ハ治安維持法違反被疑者トシテ捜索シタル処、犯罪嫌疑ナキニ付不起訴。・ 各処分相成可キモノト思料ス。.          昭和十四年五月十二日            春川警察署            司法警察官.           江原道警部補 浜野増太郎  印 京城地方法院春川支庁  検事分局. 一59一.

(27)    検事  杉本覚一郎 殿         (r常緑会事件訊問記録』第二六巻) とあり、、この意見書に基づいて常緑会事件の判決がなされているが、事件の経過も含めて. 判決が左記のようになされている。ほぼ春川警察署の意見書に沿っての判決といえよう。  取り扱い注意(秘).   ○高三校生徒の朝鮮独立運動事件      事実概要   春川公立高等普通学校生徒が朝鮮をして日本帝国の霧絆より離脱独立せしむることを 目的として常緑会・読書高等を組織し其の目的遂行の為活躍す。.   (一)経  過 年 月 日. 人員. 庁  名. 受   理. 昭和十四年五月十五日. 春川 警察署. 三八名. 山   分. 昭和十四年五月十八日. 京高地方法院検事局. 求公判  一二名. N訴猶予二三名 刹^なし  高名. 第藩裁判 昭和十四年十二月二十七日. 京城地方法院. 有罪十二名(確定). (二)判決結果. 罪. 刑名刑期 名. 治安維持. 未決勾留 算入日数. 懲役二年六月. 刑執行. 職. 氏. 猶予期間. 業. 年 名. 無職 南宮瑞. 一八○. 齢. ニー. 法違反. 同. 同. 同. 李燦雨. 二三. 同. 同. 同. 同. 文 世鉱. 二四. 同. 同. 同. 同. 二四. 同. 龍換丑. 同. 同. 同. 白 興基. ニ一. 一60一.

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