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伝習館判決と教科書使用義務

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Academic year: 2021

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(1)Title. 伝習館判決と教科書使用義務. Author(s). 明神, 勲. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 30(2): 125-140. Issue Date. 1980-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4819. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 伝習館判決と教科書使用義務. 明. 勲. 神. は. じ. め. に. 本件は, 教師の日常の教育活動そのものが直接処分の対象とされるという特異な事案を対象とし ており, これにかかわっ て, (1) 学習指導要領の法的拘束性の有無およびそ の性格, (2) 学校教 育法第21条解釈 -- 教科書使用義務の有無および使用の法的意味,(3)成績評価権 の性格, の三 点を主要論点としている. これらの論点について, 傍論として でなく直接, 具体的な判 断が示され たのは本件が最初でありその意味でも注目されるところである, 1 )で試みたので 本稿 では教科書使用義務の 学習指導要領の法的性格について判 旨の検討は別稿( , 解釈に限定し検討することにする.. 〔 事. 一. 概. 実 〕. 要. 原告×.-- X3は, 福岡県立伝習館高校の社会科の教師であっ たところ,1970年6月, 福岡県教 育委員会(被告Y)により地方公務員法第29条第1項各号違反を理由に懲戒免職処分に付された. これに対し原告 である三 人の教師×.-- X3は, 処分を不服として同年12月Yを相手 どり処分取 消しと執行停止を請求する訴えを福岡地裁に起こした, この事案をめ ぐる福岡地裁判決 (19 78年7 月 28 日) が所謂 「伝習館判決」 である. 県教委Yの処分事由およ び処分の根拠の主なものは次のとおりである. X.……①特別教育活動(学校新聞・演劇部 パンフレッ ト等への寄稿)において生徒に特定思想の 鼓吹を行なっ た -- 学校教育法第42条 (高校教育の目的) および学習指導要領違反, ②授 業において特定思想の鼓吹をはかり窓意的な教育を行なっ た -- 同上違反.③生徒の指導監 督を怠り授業時間に自習をさせた -- 地方公務員法第32条,同35条違 反.④担当科目の「倫 理・社会」 および「政治・経済」 の授業において所定の教科書を使用 しなかっ た -- 学校教 育法第21条, 同51条違反. ⑤成績評価にあたり所定の考査を実施せず一律評価を行なっ た -- 学習指導要領違反, 福岡県教育委員会規則および校務運営内規違反. ⑥許可なく休業日 に生徒を登校させ学校施設を利用 した -- 地敢行法第23条5号違反, 福岡県教育委員会規 55条の 則違反, ⑦勤務時間中にビラを作成, 印刷, 配布 した -- 地方 公務員法第35条, 同・ 2 の6 項違 反. 125.

(3) . 明. 神. 勲. X2……①担当科目の「日本史」の授業において所定の教科書を使用 しなかっ た. 前出, ②学習 指導要領の 「目標」 から逸脱する内容の授業を行なっ た -- 学習指導要領違反. ③学習指導. 要領の「目標」に 逸脱した内容の試験問題を作成しこれをもとに 成績評価を行なっ た. 同. 前. ④生徒が授業を放棄 したにも拘らずこれを放任し指導監督を怠っ た -- 前出. X3……①学習指導要領の「目標」から逸脱する内容の授業を行なっ た -- 前出.②担当科目の「政 治・経済」の授業において所定の教科書を使用 しなかっ た -- 前出. ③成績評価にあたり所 定の考査を実施せず一律評価を行なっ た -- 前出. これに対し原告X・-- X3は, 学習指導要領違反については, 現行教育法制は教師の教育の自由 を保障し教育内容に ついての 国家介入を禁じているの で学習指導要領は法的拘束力 を有せずした がっ てこれへの違反をもっ て処分理由にすることは できないこと, 教科書使用義務は存在せず仮り に存在したとしても原告らはいずれも教科書を使用 したこと, また処分にあたり事前聴聞の機会を 与えなかっ たこと等を理由に処分は実体上・手続上達法 である旨主張した. 判決は, X.の①の一部 およ び②, X2の①および④, X3 の②を事実誤認とし, X.の①の一部, X2 の ②, X3 の①については事実認定を正当としながらも学習指導要領の 「目標」 , 「内容」 等は法 的拘束力を有しない訓示規定 でありこれに違 反しても処分の対象とはなしえないとし, 結局, 処分 に 該 当 す る 事 由 と して X, の ③ ~ ⑥, X2 の ③, X3 の ③ を 認 定 し た. こ の う ち, X. に つ い て は 処 分. の違法性はないと して原告の請求を棄却し, X2およ びX3については, 成績評価に関する学習指導 要領違反だけ で懲戒免職にするのは被告Yの裁量権の濫用 である, として処分取消しを命じた, 原告X.および被告Yは, これをそれぞれ不服として控訴したため高裁段 階 で係争中 である.. 教科書使用義務についての原告主張 以下の理由により, 教育条理上あるいは法律上, 教科書使用義務は存在しない, (一) 教科書は, ひとつの教科全般にわたり一定の価値 基準に 基き教材の選択, 組織化が行なわ れ体系化さ れた教材, という点に他の教材との相違 がある. ところ で, 教育の本質は生徒の 「自己教育活動」 にあり, 教師はその契機と場を創造する責任を 負っ ている. このためには, 生徒の実情に即 した最も適切 な局面と教材を選択し用意し能動的自律 的な授業構成がなされなければならない. この意味では, 教科書は重要な教材となりえ,「よい教科 書」 は教師に対する大きな援助 となりうるが必ずなければならないものではなく, 教師の自立的な 授業構成活動のひとつの参考指針と考えるべき で教育条理上は使用義務は でてこない. (二)学校教育法第21条・ 1項は一見教科書使用義務を肯定するかの如くみえるが, 本条項制定当 時と現在 では制定の趣旨を異に している, 制定当時の趣旨は, 国家による教育統制という趣旨で検 定を認め, 検定教科書の使用義務を肯定したの ではなく, 地方分権を前提に, 国定教科書制度とこ れにもとづく軍国主義教育の復活をチェッ クする趣旨であり, 検定の実態も製本, 活字, 装丁等に 重点がおかれており, 同条項が 「不当な支配」 の制度化として問題にされることもなかっ た. しか し, その後の法改訂によりこの趣 旨が没却され再び中央集権的画一化による教育内容統制として作 用するように なっ た. このような経過に照らすなら, 学校教育法第21条1項は, 教育に対する 「不当な支配」 に該当し 教基法1 0条, 憲法23条, 26条を侵害するも のとして無効といわなければならない. (三)「教科書の発行に関する臨時措置法」(以下, 教科書法, と略) 2条は, 教科書の用語を定 126.

(4) . 伝習館判決と教科書使用義務. 義して 「学校において, 教科課程の構成に応じて組織排列された教科 の主たる教材として, 教授の 用に供せられる児童又は生徒用図書であっ て, 文部大臣の検定を経たもの又は文部省が著作の名義 を有するものをいう」 としているが, 本条項をもっ て教科書を 「主たる教材」 として使用 する義務 の存在を根拠づけることは できない. 教科書法は元来, 主として文部大臣と教科書発行者の関係を 規律したものであっ て, 教師の教科書の使用義務や使用形態を規定したもの ではない. すなわち, 同条項は 「主たる教材」 として教科書の使用義務を定立するという趣旨ではなく, 単に同法上の教 科書の定義をするにあたり, 実際上教材の主たる地位を占めることが多いと思われる教科書につき 叙述したにとどまる. 以上のとおり教科書使用義務はないが, 原告らは, 事実として教科書を使用 している, 教科書 を 使用する, という意味は, 授業時間中一度も教科書を開かず, 生徒にとっ て現在の授業と教科書と の対 応が判然としない場合があっ ても, 客観的に, ないし結果的に教科書の内容に相当していれば, 「教科書を使用 した」 と解釈すべきであり, 具体的には次のような場合が相当す る . (イ) 教科書を年度初めに家庭に おいて予め通読させておいたり, あるいは各授業時間 の前に予 習させておく, (ロ) 資料集中に教科書に掲載されている史料と同一 の史料が形態を違えてあるばあいにこれを 利用する. (ハ) 教科書内容も含めて授業用ノートあるいは プリントを作成し, これにもとづいて授業を行 なう場合. (ニ) 授業の最初に教科書の該当部分を読み, その後, その項目に関する講義, 説明討論等を行 な う場合. (ホ) その他教師が説明した内容が客観的には教科書内容に相当する場合.. 三. 教科書使用義務についての被告主張. 学校教育法第21条, 同51条の規定により小学校, 中学校, 高等学校においては必ず教科用図書 を使用 しなければならない. かつ, その使用する教科用図書は, 文部大臣の検定を経たも の又は文 部省が著作の名義を有するものでなければならない. (一)「教科書」 とは 「学校において, 教科課程の構成に応じて組織排列 された教科の主たる教材 として, 教授の用に供せられる児童又は生徒用図書」(教科書法2条) として法律上観念されている ことから, 学校教育法第21条1項の使用義務の本来的意義は, 教師に対して当該教科・科目 の教授 に際しては, 検定教科書を主たる教材として使用すべきことを命ずる点にある. (二) 教科書が主たる教材として使用される, ということの具体的意味は, 教授方法の面におい て教科書が主たる教材として活用され, かつ, 教授内容の面においても教科書の内容に従っ ている ことを指す. すなわち, まず, 教授方法の面においては, 教科書が常に中心的教 材として使用され, 教科書以 外の教材は中心的教材として使用することは許されず仮にそれが使用さ れる場合 でも教科書との対 応関係に留意し補足的にのみ使用されねばならない. 授業の進行にあたっ ては, 教師およ び生徒が 教科書を持参し机上に携え授業と教科書の部分との対応が生徒の側からみても客観的に明確 である というような形態が, 授業の全体を通じてほぼ確保さ れていることが必要 である , また, 教科書使用義務は, 如上のような方法論ないし形式論として使用 を義務づけるにと どまら 127.

(5) . 明. 神. 勲. ず, 教師の授業内容が教科書の内容をふまえながらそれと基本的に合致したものでなければならな いという 趣旨を包含しており, 授業内容の面においても教科書の内容に従うことを要求している. (三) 以上の意味 での教科書使用義務は, 学習指導要領の法的拘束性とともに教育の公的性格に 由来する. もし, 教科書を教科の主たる教材として使用 しなくてもよいものとすると, 教科書を検定にかか らしめ (学校教育法第21条等, 教科用図書検定規則) , その使用を教育委員会の採択にかからしめ 3条6号) 法令の規定はすべて 無意味になる. た (地教行法第2. 〔 判. 一. 旨 〕. 学校教育法第21条1項の沿革. 1条は「小学校においては, 文部大臣の検定を経た教科書図書又は文部省が 現行の学校教育法第2 著作の名義を有する教科用図 書を使用 しなければならない. ② 前項の教科用図書以外の図書その 他の教材 で, 有益適切 なものは, これを使用することができる」(同法第40条, 51条においてそれ ぞれ中学校, 高等学校に準用) と規定している. ところ で本法制 定当時 (昭23年) の本条は, 「文 06条1項) と 部大臣」 は 「監督庁」 とされ, 「監督庁」 は 「当分の間これを文部大臣とする」(第1 3年) で都道府県教育委員会に教科 書検定権を付 読みかえられていた. これは, 教育委員会法 (昭2 与し (同法第50条1, 2項)「用紙割当制 が廃止されるま で」 暫定的に文部大臣が検定権を行使す る (同法第86条) 旨の規定をおいていたことに対応する. このことからすると, 本条の本来の趣旨は, 戦前の国定教科書制 度, 中央集権的画一主義を反省 し, 戦前は許されなかっ た教科書以外の諸教材の自由使用を認め, 軍国主義の復活を阻止し, 地方 の実情に即した 多様な教科書の出現を期待したものと解される. しかし, 用紙割当制 が廃止(昭和27年4月1日以降) されたにも拘らず検定権限は都 道府県教育 委員会には移行さ れず, 昭和28年には 「監督庁」 は 「文部大臣」 と現行のように改められ都道府県 の教科書検定権が否定され,昭和31年の地教行法により教育委員の公選制 が任命制に改められ教育 内容に関する法制の転換が行なわれた.. 教科書使用義務 (-) 教科書使用義務は存在する. 学校教育法第21条1項は, 検定又は文部省著作教科書がある 場合は, 教師は当該教科・科目の授業において 必ず教科書を使用 しなければならず, 使用される教 科書は検定教科書か文部省著作教 科書でなければならないこと, を規定したもの である. (二) このことは, ① 学校教育法第21条1項の文言上から明らかであるのみならず, ② 教科 書の検定制度がとられ(教科用図書検定規則) , 教科書の使用を教育委員 会の採択にかからしめまた 3条6号, 同33 または承認制の定めを設けていること(地教行法第2 教科書以外の教材につき届出制, 条1・2項) およ び教科書法の存在等の教育法制度をみても教科書使用義務の肯定を前提としてお り, ③また, 普通教育においては, 教育の機会均等の要請, 全国的な一定水準の維持の要請等から 128.

(6) . 伝習館判決と教科書使用義務. 教育内容に対する国家の規制が必要かつ要請されることからも裏 づけることができる,. 三. 教科書の使用形態. (一)「教科書を使用 した」 といいうるために は, まず教科書を教材として使用しようとする主観 的な意図と同時に客観的にも教科書内容に相当する教育活動がなされる という両面を併せもっと , き初めて教科書を教材として使用 したといいうる. 従っ て, 教科書以外の教材のみを用いてなした 教育活動が客観的あ るいは結果的に教科書内容に相当している場合 であっ ても法的な意味 で教科書 を使用 したとはいえない. 原告例示のうち (ロ) , (ニ) の場合は教科書を使用 したと評価できる. (二) しかし, 以上 のことは1年間にわたる教育活動 の全体的考察において妥当す ることであっ て, 或る授業時間に教科書以外の講義 (客観的に) や教科書以外の教材を用 いて (主観的に) 教科 書内容に相当する教育活動が行なわれた場合, それを目して教科書使用義務違反とみるのは非常識 であ る.. (三) 教科書が教科書法上 「主たる教材」 と規定されていることを根拠に 被告主張の如く 諸教 , 材の中で中心的教材として使用する義務は肯定 できず, 教科書の教え方や補助教材との使用上の比 重等の使用形態は, 以下の理由により教師の教育方法の自由に委ねられている . ① 教科書法は 「現在の経済事情にかんがみ, 教科書の安定供給の調整をはかり 発行を迅速に , し, 適正な価格 を維持して, 学校教育の目的達成を容易ならしめることを目的」(第1条) としたも のであっ て, 主として文部大臣と教科書発行者の関係を規律 したものであるから, 同法上の教科書 の定義をもっ て学校教育法第21条の教科書使用義務ひいては使用形態を演経することは できない . ② 教育は教師と生徒 の間に展開するものであるから, 特定の教育目的を達成するについても , 生徒の実情に即し, 生徒 の潜在能力を顕在化, 開花せしめるための教育方法 手段は多様 であり , , そこに教師の創意, 工夫が要請される所以があるのであるから, 優れた教科書の存在は教師にとっ ても生徒にとっ ても適切な教材になりうるが, それのみ では教育の成果は期待 できない . ③ 教科書に絶対的な価値を認めることは戦前の例に照らしても危険を包含しており 教師が規 , 格品である教科書のみに頼り機械的に指導したり, 教科書の内 容に拘束され学問的見地にたっ た反 対説につき検討を許されないとすれば, そこに真の教育は成りたちえない . ④ このように法律上, 教育条理上, 教科書を中心的教材として使用する義務は存在せず 教科 , 書の使用の仕方は教育を 掌る教師の自由に任されており, 生徒の実情に即して最もよく教育効果を あげる方法で使用することができる.・従っ て, 単に教科書の記述を説明する方法による場合もあれ ば, 資料集の詳細な資, 史料を説明することによっ て教科書の資, 史料を補足する方法によっ て教 科書を使用 する場合もあり, また, 教科書内容も含めてより詳細なプリ ントを作成配布しこれを講 義することによっ て教科書を使用する方法もある , (四) 学校教育法第21条1項の教科書使用義務の意味を以上のように解すれば 教師の教育活動 , における創意, 工夫, 自主性の要請を阻害するおそれはなく, 教育基本法第10条1項の教育に 対す る不当な支配とはなりえず, また憲法第2 3条・26条を侵害するとは いえない.. 129.

(7) . 明. 神. 〔 研. 勲. 究 〕. 「教科書の歴史は人間形成の歴史である」(唐沢富太郎)といわれ「教科書ほどくり返し読まれ…… 100%近い人が, たとえほかの本は一冊も読んだことがなくても, 教科書だけは読んだ経験をもっ て 2 ) 」といわれるように, 教科書はそれに接する人数においても, また, 与える影響という 点でも いる( 他の書物とは比較にならない位置を占めている書物 である. それは, 99%を超える国民が就学し就 学の場 である学校において殆ん どすべての教師が教科書を主要な教材として使用 し授業を行なうと いう事実による. このよう な中 で, 教科書の内容, 使用の態様は教育ひいては国民文化・思想に決定的な影響をお よぼす問題 でおり, それ故にこれをめ ぐる鋭い紛争がある. 教科書裁判は教科書検定をめ ぐり主と して内容にかかわるもの であっ たが, 本件は, その使用にかかわり主として学校教育法第21条解釈 をめぐるものである. この解釈は, 学校において日常的 でかつ主要な位置を占める授業活動のあり 方を直接規定する性格を有し重要な意味をもつものといえよう.. 一. 学校教育法第21条解釈をめぐる諸説. 学校教育法第21条1項の規定をめぐっ て二つの解釈 があることは周知のとおりである. かつて, 天城勲氏 (当時文部省大臣官房会計参事官) は, 次のような解釈を示していた. 「本条第1項は, 次の二様に解釈することができる. 一つは, 小学校においては必ず教科用図書を使用 しなければならない. この場合, 使用される教 科用図書は文部大臣の検定を経たものか又は文部大臣において著作権を有するもの でなければなら メ し、 .. 二つには, 小学校において, 教科用図書を使用する場合においては, その教科用図書は, 必ず文 部大臣の検定を経たものか又は文部大臣において著作権を有するものでなければならない. 第一の解釈が今日 一般にとられている解釈 であるが, 第二の解釈も亦成立ちうる であろう. 何と なれば, 教科書中心主義の戦前の教育においては, 教科書こそは唯一 のよるべきものであり, 教科 書は必ず学習上用いなければならないものと考えられていたのに対し, 戦後の新しい教育において は, 教科書は, 児童生徒の学習活動を助けるための多くの教材, 教具のうちで, もっ とも内容, 系 統の整っ た重要な教材, 教具の一つにす ぎないと考えられるようになっ たからである. 教科書を全面的に使用 しないということも予想されないの で, 実際問題としては 二つの解釈が問 題を左右する程の影響はないであろう が, 法律の規定としては, 第一の解釈のみを採ることには, 3 ) なお疑問が残るであろう( 」 4 )「学校教育法第21条第1項の趣旨は 『小学 行政解釈は, 二様の解釈の可能性は一応認め つつも( , 校においては必ず教科用図書を使用 しなければならない. そしてその使用する教科用図書は, 監督 庁の検定もしくは認可を経たものまたは監督庁において著作権を有するものでなければならない』 と解せられる……」 とする行政実例 (昭26 . 10委初233号初中局長回答) を援用し, 第一の解 . 12 5 ) 釈を正当とし, 本条1項により教科書使用 義務が規定されていると解釈する( . その論拠は 「小・中学校・高等学校等においては, 公教育制度としての公共性から, 教育内容に 130.

(8) . 伝習館判決と教科書使用義務. ついても全国的に 同一性を確保することが要請されるの であり, 教科書はその要請にこたえる最適 6 ) のものであるが故に, 使用が義務づけ られている( 」 と説明され, 教科書法 (「教科書の発行に関す る臨時措置法」)第二条「教科書とは, 小学校, 中学校, 高等学校及 びこれらに準ずる学校において , 教科課程の構成に応じて組織排列 された教科の主たる教材として, 教授の用に供せられる児童又は 生徒用図書」 の規定から演鐸した教科書の次のような法的性格に求められている , 「この規定からみて, 教科書に ついては, 次のような法的性格があるといえよう . 第一に, 教科の主たる教材であること. 教科書は小・中・高校の教育において 各教科の指導を , 行うにあたっ て必要不可欠なも の であり, かつ, 中心的教材として使用されるものだ この点 で補 . 助教材とは性格を異にする. 第二に, 教授の用に供する児童又は生徒用の図書 であること 教科書は個々の 児童・生徒のすべ . てが, これを用いて学習するものであり, かつ, その使用 が強制されるもの である この点で 教 . , 師用図書や一般参考書とは性格を 異にする. 第三に, 教育課程の構成に応 じて組織配列されていること 教科書は一定の教育課程の編成を前 . 提とし, これに即応するため, 教育課程の基準 である学習指導要領 に準拠して編集されたもの であ る. 副読本等にもカリキュ ラムを前提にして編集されたものがあるが, 教科書のように その範囲 , 7 ) 程度等が学習指導要領 に即 応したものはないと いえる( 」 教科書法から教科書 の法的性格を演鐸することについては本件判 旨のような批判 が可能であり , また演鐸が許さ れるとしてもこの規定から教科書使用義務が一義的には結論づけられない等の問題 もあるが, ともあれ, 国家の責務・権能として全国的に一定の教育水準・内容の確f呆一学習指導要 領の法的拘束性→教科書検定→検定教科書 の使用義務という図式 のなか で使用義務 が説かれてい る.. しかし, 教科書が「主たる教材」 でありかつ「中心的教材」 とし使用義務を有するということは , 戦前のよう に教科書を唯一絶対の教材として 「教科書を教え る」 のではなく 「教科書で教える」 と いう教科書観の転換を前提にしていわれることであるから「教科書の始めから終わりの ページま で , 8 } 残るくまなく, 満遍に, しかも同じ密度 でこれを扱{ 」うことを意味するものではないとされる. 学 校教育法第21条2項の教科書以外の教材の使用 を認めた規定はこの趣旨にもとづくもの であり 文 , 部省通知 (昭4 『教科書 で教える』 ことを, あらためて確認したもの」 とされる 同 7 )は「 . 27 .10 . 時に,「教科用図書以外の図書その他の教材」 は 「教科用図書を補充しかつこれと一体になっ て使用 されるものである. つまり, これらの教材を主たる教材としてすなわち教科用図書として使用する 9 ) ことは できないが, 有益なものは教科用図書に加えて使用 することができ( 」るのであるから「教育 課程の自主編成運動の一環として, 検定教科書 の使用を拒否し 自主教科書を作成し これを使用 , , 1 0 〉 して授業を行おうとす るもの……これは明らかに教科書の使用義務違反( 」 であり 「教科書につい ては主たる教材として使用する義務 が課せられているの であるから 教員は児童・生徒に各教科を , 教授するにあたっ ては, 通常教科書を使用 し, 教科書の内容を教授することを主体とすべき である …… これ以外の取扱い, 例えば教科書 を参考書程度に使用 したり 教科書を一部使用 しなかっ たり , 1 1 ) することは許されない( 」 とする. 教科書が中心的教材として使用 が強制され, 一方 で 「補助教材は, 教科書を補充するために使用 される従たる教材」 として 「補助的な使 い方」 に 限定されるのは 教科書が 「教育課程の基準 であ , 1 2 ) る学習指導要領 に準拠して編成され」「多く の専門家による厳密な検定を経た権威性{ 」を有するの に対し補助教材は 「編集がずさ んで, 正確性を欠く ものが多く, 学習指導要領の内容と即応して い 1 3 ) なかっ たり, なかには, それから著しく逸脱したりするものもある( 」こと, つまり検定による「権 131.

(9) . 明. 神. 勲. 威性」 を有しているか否かにもとめられる. 渡辺孝三氏は如上の行政解釈とほぼ同旨の解釈を行なっ ている. すなわち, 教科書使用義務は存 在し, これはただちにその使用方法まで規制 しようとするものではないが 「教科書があるにもかか わらず, 教科書を使用 しないで, 副読本あるいは教師が自由に選んだ教材を使用 することになり, 教科書のような教育上適切 であるという公の証明 (検定) のあるものを退けて, それ以外の教材を 採り上げるということは, 教育的見地から好ましくない」 の で 「もしある教科について, 教科書も 教科書以外の副読本もともに公刊されている場合……最も適切 である教科書を使用することが第一 であっ て, 教科書を使用 しないで副読本に頼るということは, 理由のとおらないところ であろう. ……このような場合には, 教科書の使用 を優先させるべ きであろう. したがっ て教科書を使用しな 1 4 } がら, 他の副読本を参考として使用することは妨げない{ 」 としている. 一方, 教科書使用義務は認めつつも使用方法には一 定の自由度 があり 「使っ ているうちに副読本 の比重、が大きく なっ て主客転倒するようなことになると, 『主たる教材』(教科書発行法2条1項) としての教科書 の性格に反するという批判も できそうだが, あまり立ちいっ た干渉は教職の専門性 1 5 } からして問題 がある( 」 とする見解もある. これに対し, 天城氏の第二の解釈を正当とする反対説がある, 兼子仁氏は, 教科書使用およびその使用方法は 「授業内容編成にかんする教師の教育権に属し, 1 6 } 大幅に各教師の教育専門的裁量にゆだねられている( 」とし,「法的には, もし教師が授業内容編成 において 『主たる教材』 を決めない方法をその教育専門的計画として採るようなときには, そのゆ えに検定教科書を使用 しない自由が認められてよいであろう. もとよりそれは, 十分な教育研究の うらづけをもっ て指導助言上の吟味にも耐えうる授業でなければならないが, かような教科書ぬき 授業の教育的裁量の余地を検定教科書制度の法的拘束によっ て全く否認して しまうべきではなかろ 1 7 ) う( 」 とし教育条理解択としては第二の解釈が教育法的に正しいと している. この見解は, 現行教育法制の教育条理的解釈として教育内容, 方法等の内的事項に属する領域は 教師の教育の自由, 学校の教育自治に任ねられており教育行政は条件整備的教育内容行政として指 導助言行政に限定さ れるとする解釈を前提としている. このことに照らして, 教科書検定も 「教科. 書内容の当否を権力的に決定する検定制度(権力的検定制) 」でなく, 原稿の事前届出と指導助言的 1 8 } 」できるの であり「検定教科書の学校教 調査による「届 出制的・指導助言的検定制としてのみ是認(. 師に対する制度的意義も, まさに各教科教育の主教材の指導助言的提示 であっ てはじめて, 教師の 9 1 ) 教育の自由・教育権の保障にマッチするものと解される{ 」 とする. また, 平原春好氏は, 学校教育法第21条の立法趣旨が「それま で集権的なしくみのなかでつくら れた, 画一的な内容の教科書を改め, 多様な民主的なものとし, 地域に即 した教科書を作成するこ とが主たる目的であっ た. しかも……教科書を唯一絶対の教材とする考え方が改められ, 補助教材 の自由使用 が認められる状況のなか では, 教科書を教授過程 で必ず使用 しなければならぬとする解 2 0 } 釈はなされなかっ た{ 」 と解される点から, あるいは教育の自主性・自律性を尊重した教育条理解 釈の立場からすれば 「当局が一方的に, 教科書を必ず使用 しなければならないときめるのは, 避け られるべきことであり, 仮りに教科書を使用するにしても, 教師が教授活動にとっ て必要 であるか ら使用するという, 教育根拠にたっ た教科書の使用 を法制的に保障することこそ本筋であっ て, そ のことを抜きにして外部から使用をあらかじめ義務づけることは, 行政による教育の侵害ともいえ 2 1 } る こ と であ る( 」 と し 第 二 の 解 釈 を 正 当 と し て い る.. 1杉本判決″(教科書検定第二次訴訟東京地裁判決 昭45 7 1 判例 では,\ , . . 7) が傍論ながら教科 書使用の義務づけは教師の教育の自 由に反し妥当 ではないと判示している. 132.

(10) . 伝習館判決と教科書使用義務. 教育の本質と教育内容・方法 教科書使用についての法的解釈は, 法文の単なる文理解釈にとどまらず教育の本 質に照らした教 育条理的解釈がなされなければ十全とはいえな い. ここでは, 教育の本質が教育内容・教材, 教育 方法の創造, 選択に どのような規定性を与えているかを検討する, \発達可能態″ としてのひとりひとりの子どもの能力 の可能性の (一) 教育が, ①人間とりわけ 、 全面的開花をめ ざす高度の精神的・文化的営為 であり, ②子 どもの能力の開花=成長・発達は人類 の文化遺産 (文化価値) の伝達を媒介とする大人・教育者の指導・援助のもとでの学習によっ て達 成され, ③成長・発達 は子どもの生来的権利 (学習権) であり教育は学習権を充足するため の保障 として親, 教師等の責務 であること, は広く承認されているところである. (二) 教育の本質をこのように考えるとき- 教育内容, 方法について 次の二つの要請は教育を教 育たらしめる不可欠の要件とされる. その一は, 真理教育 の要請である. 教育は文化遺産の伝達を媒介に子 どもがそれを内在化・主体 化することによっ て成立するのであるから, 教育内容・教材は人類が到達 している最高の精神的・ 物質的文化価値の水準に依拠して組織されねばならず誤っ た知 識や真理にもとづかない文化を子ど もに与えることは子どもの学習権 を充足するものとはならない. その二は, 「文化価値は, 発達をうながし, 人格形成に役立つものである限り, その子どもにとっ 2 2 ) て教育的意味をもつ{ 」 のであるから教育においては 「学問研究の成果をそのまま与え ることは妥 当でなく, したがっ て, 教育は児童, 生徒の心身の発達段階に応じ, 児童が真に教えられたことを 理解し,自らの人間性を開発していくことが できるような形でなされなければならない」 (杉本判決) という要請である, すなわち, 「教材は, 文化価値独自の体系性と子ども の発達法則にもとづいて再 2 3 } 編成されることによっ て, 教育的価値を担う( 」 ことがはじめて可能になり, そのような意味での 「教育的真理」 の要請といえよう↓ さらに, そのような教育的価値を体現した教材 が子 どもの発達を確実にする方法を駆使して教授 されねばならないという要請もつけ加えられよう. 文化遺産あるいは教材は一方的に伝達されるの ではなく, 子どもが内在化, 主体化するのであり,「すべての授業が知識の習得をもたらすものでは 2 4 ) ないし, 教授すれば, たちまち知識が習得されるものでもない{ 」 からである. コスチュ ークが指 摘するように, 子どもの発達の原動力は 「子どもの生活, かれの活動, まわりの社会的環境とか れ ) との相互関係のなかに生じた内的矛盾は5 」 によっ ておこされる「自己運動」 でありこの「自己運動」 を巧みによ びおこしそれに方向を与える指導, 教授が要求される.・学習は教師 (大人) の指導の下 におこなわれる子どもの活動 であるが,「子 どもの活動のなかに組み入れられないようなものは, あ 2 6 ) とに何の痕跡も残さない( 」 といわれるように, 子どもの発達における自発的・能動 的性 格への注 目は教育を効果的ならしめる重要な条件 といえる. 子どもの学習活動は, 子ども自身にとっ ては大 2 7 ) そのような能動 人の学問研究活動と同一 で学習・研究意欲と主体性・創造性を伴う活動 であり( , 2 8 ) 的活動は 「常に驚きや感動を伴う新しい発見{ 」 の喜びがありそうであっ てはじめて文化遺産の内 在化.主体化が可能となるといえる. (三) 教育の本質から導かれる教育内容・教材の創造, 選択と使用方法 への要請をこのように考 えた時, これらが誰によっ てどのような方法で決定・実施されるかと いうことが問題になる . 一つには, 先の行政解釈に示されているようにそれは国家の責務と権能 であるとする考え方があ る. これによると最適の教育内容・教材の決定は文部大臣が定める学習指導要領→ 文部大臣の教科 133.

(11) . 明. 神. 勲. 書検定というルートによっ てなされ,「権威性」を賦与された検定教科書を中心的教材として使用す ることが義務づけられる ということになる. しかし, この考え方は次のような批判を免れえないであろう. すなわち, 文化的価値・真理とい い 「教育的真理」 といい教育内容, 方法に要請されている事柄はいずれも文化的学問的領域に属す るものであり, その創造, 選択は不断の文化的, 学問的実践そのものの 意義を有している. このよ うな性質に属する事柄は国家の権力的な方法での規制, 決定になじむ性格のもの であろうかという 批判 である. 学界において どの学説が正当かの確定は, 学問研究の論 理にそっ た批判・論争によっ てその理論 的, 実証的内容の説得性によっ て学界の中 で自律的に貫かれていくのが通常 である. もし, それを 議会における多数決原理に委ねたり国家をその判定者とすることを主張する ものがあらわれたとし たなら, 人はそれを事柄 の性質に 反した狂気の沙汰として決して許すことは ないであろう. しかし, こと教育内容・教材・教育方法に関する場合には, 国家を 「教育上適切 であるという公の証明 (検 定) 」”度辺孝三) の判定者として容 認し疑わないことは, 「学問と教育の分離」 という戦前教育に支 配的であっ た思 惟によっ ているといっ ても過言 ではないであろう. 教育価値をになう教材の創造・ 選択とその使用方法の究明は, 一の学問的研究であり, 各学問分野と教育学の協同でなされるべき 研究課題 であり教育学という 学問研究の中核的研究領 域をなすものである. 文化, 真理の領域に属する教育内容・教材, 教育方法の創造, 選択は, その事柄 の性質にみあっ た主体と方法を要求しているというべき であろう. それは,「権力によっ てではなく, 文化, 真理に たずさわるものの手によっ て. 具体的にいえば, 文部省によっ てではなく, 学者・教育者の協同作 2 9 } 業によっ て( 」 , また, 一方的な強制 ではなく科学的真理としての内容の優秀さにより教師をはじめ 学者, 教育関係者に共通に納得されることによっ て教育界に自律的に貫かれていくという方法を基 本とすることと考えられる. (四) 教育活動の直接的にない手 である教師は, 教育の専門家として日々 子どもに接しひとりひ とりの子どもの心身の発達, 特性, 要求, 生活等を最も良く知りうる立場にあり教育内容・教材, 教育方法の最適を判断しうる教育的専門性を有していることから して教材の創造, 選択において第 一の責任と能力 をもっ ており 主要な地位が与えられるべきといえよう. この点から教材の選択と使 用方法は教師の教育の自 由に委ねられるべきと考えられる. 教師に教育の自由の保障が必要 なことは,子どもの発達 が子どもの心理過程における《内的矛盾= 自己運動》 を原動力とし, 学習活動 が自主性, 能動性を不可欠の要件とすることからも要請される 条理 である. 子どもの自主的・能動的学習の保障は, これを指導する教師の 研究・実践=教育労働が自主労働 として保障される べきことを要求している. 斎藤喜博氏は,「教育とは, 子どもたちに教える とか, 助成するとかいうなまやさしいものではなく, 子どものなかにあるものを, つかみ とり, 引っ ぱり 出 してやる激しい作業……地下に眠っ ている石 炭を地上に掘り出し, 火をつけてもやすような作業 0 3 ) 」 でありそれは 「日々起こることがみな驚 ……子どものなかにないものま で創り出してやる作業( き であり, よろこびであり, また不安 であるというような, 精神的緊張が教師にも子どもにも起こ るような授業や行事をしては じめて できることである. ……そのためにはまず教師が, き びしい追 求者になり創造者になっ ていなければならない. 絶えず自分を問いつめ, 自分とぎりぎりのところ で対決している人間……教材や子どもと, 自分自身の ぎり ぎりのところ で対決し, どんな思いでも 3 1 ) 」 と自らの実践, 経験のう して子どもの事実を動かそうとする人間になっ ていなけ ればなら ない( らづけをもっ てこのことを強調している. 強制され教師自らの納 得を欠いた非自主的, 受動的教育 134.

(12) . 伝習館判決と教科書使用義務. 労働が子どもの能動的学習活動を組織 しえないことは自明の理 であり, 現下の学校教育の最 大の課 題とされている 「わかる授業・楽しい授業」 の保障は教師自らが教材の創造, 選択, 指導 が 「わか り, 楽しい」 という状態が授業に先んじて確保されているの でなければ虚しい空文句に終ることは 確実 である. 結局, 子どもに獲得されることを期待する概念, 法則, 事実, 技術・技能, 道徳的・芸 術的価値 等を体現するに最適の教材, 教育方法を教師自らが創造, 選択し指導するという主体的意欲, 確信 , 喜び, 責任感等の存在は教育活動の有効性を保障する上 で不可欠といえる. 第一次アメリカ教育使節団報告書が格調高く宣した 「教師の最善の能力は, 自由の空気において のみ十分に現はされる, この空気をつくり出すことが行政官の仕事なの であっ て, その反対の空気 をつくること ではない. 子供の持つ測り知れない資質は, 自由主義といふ日光の下においてのみ豊 かな実を結ぶもの である. この自由主義の光を与へることが教師の仕事なの であっ て, その反対の ものを与 へること ではない」 という一節はこの文脈の中 で理解される. 教師の教育の自由は, 如上の教育条理により保障されるべき であり, 憲法23条,26条, 教育基本 法1条, 2条, 10条およ び学校教育法・ 28条6項等により法的に保障されていると解釈される , (五) 一方, 教育行政の教育内容, 方法 への関与の形態は, 如上の教育条理からして 「他の行政 分野には一般にはみられない教育行政ないし教育行政権にのみ特有な……戦後教育行政の制度 内 , 3 2 ) 容, そして方法の原理( 」 たる指導・助言に限定されるべき である. 指導・助言は, 指揮・監督と異なり 一切の法的拘束力, 権力的強制作用 を有せず 「内容の教育専 3 3 ) 門的水準のゆえに教師等にた いしおのずから指導性を有するという形の文化的な実効性を予定( 」 した作用 であり, 文化的営為 である教育の場 ではそれ故に 「なされた指導助言が本当に教育論的に 4 3 } すくれていれば, 法的拘束力がある以上に教育について本格的な効果をあげる( 」 という特徴を有 して い る.. 教育内容, 方法については権力的強制 ではなくこのような特質をそなえた指導助言によることに よっ て, 教育の本質の要請にこたえ教師の教育 の自由を保障することが可能となる このような真 . 理をめぐる自由競争の原理に立脚することによっ て,行政の側では指導性をつらぬく べく 絶えず教育専 門的水準の向上に努めることになる であろうし教師の側 では自主的, 能動的に教育研究・実践の意 欲と力量を高めることに努め, 教育内容, 方法のより科学的な真理に向っ ての発展を組織すること が可能とされる, (六) このように考えると 「全国的に一定水準の教育内容の確保」 という課題も, 国家による権 力的規制を当然のこととして結論づけられるのではなく 「教師の自由を土台とした自主研修と真に 5 3 ) 専門的水準の高い指導助言とを通じ, 教育界にふさわしい文化的ルート{ 」 によっ て自律的になさ れるべき であり, またこのような方法によっ てそれが可能 であるといえよう,. 三 教科書使用義務の解釈 (一)既にみたように本判決は, 学校教育法第21条は教科書使用義務を規定したものと解釈しそ の論拠を三点あげている. ここ では, これま での考察をもとに判決の論拠と結論を検討する. 第一の論拠は 「同条1項の文言上……明らかである」 ということであっ たが, 文言上複数の解釈 が成立し争いがあるの であるからこのような単なる文理解釈は 「法の解釈にお いて不可欠な前提的 方法であるが, 字義に だけこだわっ て, 目的論的解釈を失すると, 法解釈としては意味をもたない, 135.

(13) . 明. 神. 勲. 6 3 } 」 との批判をまぬがれないであろ 文理解釈は, 目的論的解釈の手続的方法としてだけ重要 である{ つ.. 第二の論拠とされていた 「教育法制度をみても教科書使用義務の肯定を前提としている」 との理 由も説得性に欠ける といわねばなら ない. 現行教育法は, 教育条理にそっ て憲 法, 教育基本法の 精神, 趣旨に適合するよう解釈することが要 請されており, この逆 ではないからである. この点か らすると現行教育 法に検定制度等の規定が存在 すること自体からは一義的に使用義務が肯定される もの ではないといえよう. 結局, 事実上の論拠とされるのは「教育の機会均等の確 保のため……全国的に一定の水準を維 持」 するために 「公権力による規則が必要かつ要 請される」 という第三の論拠である. これは憲 法23条 「学問の自 由」 解釈の判示として述 べられたもの であるが, 判決は憲法解釈の結 論として 「国は…… 児童生徒自身の利益の擁護のため, あるいはその成長に対する社 会公共の利益 と関心にこたえるため, 必要かつ相当と認められる 範囲において, 教育内容についてもこれを決定 する権能を有するものと解する」 と判 示している. 同時に 「必要かつ相当と認められる範囲」 につ いては次のような限界を設定している. すなわち, ①教育は人間の内面価値に関する文化的営為の 側面を有するため, 教育の内容を規制する場合, 党派的観念を盛りこんだり党派的な利害によっ て 左右されるべき でない. しかし, 多数決原理による議会制民主主義下 での意思決定にはこのような 危険があるので国家的介入は できる 限り抑制的かつ慎重さを要求される. 教育内容については教育 課程の大綱的基準の設定にと どめられる べきである.②さらに,大綱的基準は次の二つの原理によっ て限定される. その一 は, 教育基本法1条および10条は教師の教育内容活動の自 主性の尊重を規定 しており, これに対する侵害は法令に基づく教育行政機関の行為 であれ 「不当な支配」 に 該当す る. その 二は, 現行教育法制は地方分権の原則が採用されており教育に関する地方自治の原則を考 慮 しこれを侵害することは許されない. ③結局,「必要かつ相当と認められる 範囲」 は, 全国的に- 定の教育水準の維持・確保 の要請と教師の自 主性の尊重, 教育における地方自治の原則の尊重とい う二つの要請を共に充足する大綱的 基準ということになる. ④これを学習指導要領について判断す ると 「教育課程の構成要素, 各教科, 科目及 びその単位数, 高等学校卒 業に必要な単位数及 び授業 時数, 単位修得の認定等いわば学校制 度に関連する教育課程の規制に関する条項」 が該当し, これ. は法的拘束力を有するが, 各教科・科目の「目標」「内容」「指導計画作成上及び指導上の留意事項」. 等は該当せず法的拘束力を有しない訓示規定である, ということ である. 「全国的に一定水準の教育内容の確保」 の必要性が公権力による教育内容の規制, 決定を当然の こととするのではないことについては前述したとおり であるが, 本判決は規制の範囲を以上のよう に限定的に解釈 しているの であるから, なおさら, このことをもっ て使用 義務の存在を一義的に結 論づけることは一考 を要するといわねばならない. (二) 教科書は, 教材の一 つであり同時に当該教科・科目の教育内容に即して一 定の観点から選 択, 整理された教材が組織的に体系 づけられている点 で他の教材から区別され, 文化的価値・科学 3 7 }はその性格ゆえに教師の教育活 的真理性と教育的価値・教育 的真理性の要件をそなえた教科書{ 動を支える有効な手段 として授業における教材の中 心としての役割を期待される. しかし, 現行の検定制度とその運用の下で検定教科書がこのような要件をそなえているか否かに ついてきびしい批判 があるのは周 知のとおり である. 教科書の内容の科学性, 真理性と教育的専門 性の水準を問うことなく, また, 教師の判断, 確信, 意欲等と無関係に外在的に 一律に使用を義務 づけることは, 教師の自主的な教育 活動を損なうのみならず, その土台となる 意欲までをも萎縮さ せるおそれがあり正当とはいえない. 136.

(14) . 伝習館判決と教科書使用義務. これについて 一杉本判決″ は 「教師の教育ないし教授の自由を以上のように解する限り 教師に , 児童生徒にもっ とも適 した教材およ び方法を判断す る適格が認められるべきであり 教科書の採択 , についても主要な地位 が与えられるべき であるから……国 が教師に対し一方的に教科書の使用 を義 務づけたり (昭26 0委初33 2号初中局長回答参照) ……する ことは 叙上の教育の自由に照 . 12 .1 , らして妥当 ではない」 と判示して いる .. (三)検定教科書の存在は「各教科教育の主教材の指導助言的提示」(兼子仁)と解するのが前述. した教育条理に そう解釈 であり, 使用 についても天城氏の第二の解釈 が妥当性を有するといえる , もっ とも現実の問題 としては, 検定教科書にかわり教科の全体 をカ バーした教材体系は開発 の途 上にあり,教師の現在 の力量からいっ ても検定教科書 を全く使用 しない授業は考え難い状態にある . したがっ て, 教科書使用義務の問題は使用形態を判 旨の如く解釈すれば現実的には決定的にシリア スな問題 ではないといえるかも知れない しかし 使用義務の肯定は前述 のような問題をはらん で . , おり, 現実的にも教科書よりはす ぐれた指導内容・体系をもっ た教材と して評価さ れている 『わか る算数』 3 8 )ことを考える ,『仮説実験授業書』 ,『にっ ぽんご』 等の教材 の使用をめぐっ て緊張がある{ 時, 「教師が教育活動にとっ て必要 であるから使用する」(平原春好) ということの制度的保障がな お必要とされるであろう. その意味では かつて教育運動のなか で 「教科書を教える」 のか 「教科 , 3 8 }についていえ ば 制度的には 「教科 書で教える」 のかそれとも 「教科書でも教える」 のかの論議( , 書でも教える」 ことを法的に保障しておく ことが妥当といえ る これは 現行の検定制度 採択制 , , , 度の下でのみ妥当することではなく 「指導助言的・届 出制的検定」 にな た場合においてもある い っ は自由発行・ 自由採択になっ た場合にもなおつらぬかれるべきであろう , (四) 以上 の考察に照らして教科書使用義務を肯定する判 旨は なお検討の余地があると考 えら , れる,. 四. 教科書使用形態 の解釈. 教科書使用 の法的意味についての判旨は 原告 被告それぞれの主張を斥け独自の判断を示・ した , , わけであるが, 原告の教科書使用義務否定の部分でのべた論 拠をほぼ全面的に援用 し ①中心的教 , 材としての使用義務を否定し使用 方法を教師の裁量に委ね ②かつ 「授業内容が教科書の内容をふ , , まえながら, それと基本的に合致したものでなければならない」 とする被告主張を否定した点が注 目される. 後者について付言すると, 被告主張は 「教科書使用義務は 学習指導要領 の法的拘束性と表裏一 , 体をなすものであるから, 当該義務は単に方法論ないし形式論として使用 を義務づけ るにとどまら ず……」(傍点-引用者) とし内容の評価 にわたっ て教科書への拘束を義務づけるのに対し 判決は , 「客観的にも教科書内容に相当する教育活動」(傍点- 引用者) という表現をし「学問的見地に立 っ た反対説」を授業にとり いれることを許容し「単に方法論ないし形式論 としての使用 を義務づけ る」 に留まっ ている点で決定的ともいえる相違 がある . また,.教科書の定義を教科書法にもとめることは行政解釈をはじめ 一般的になさ れていること で あるが 「同法上の教科書 の定義をもっ て……教科書使用義務ひいては使用形態を演鐸することは困 難」 と判示した点も注目される これについては既に い杉本判決″ が「 (同法は)教科書の意義一般 . を規定したものというよりは, 同法において教科書の発行に関する臨時措置に関し規定を設けるに 当たっ て, 同法上は教科書とは右のも のをいうと定めたにと どまるものと解するのが妥当である」 137.

(15) . 明. 神. 勲. と判示している. もし現行の検定制 度と採択制度を前提に教科書使用の法的意味を被告主張のように解すると, 教 師の教育活動は戦前教師が強いられたように実質的には 「教科書を教える」 ことに 限定されるであ ろう, 判決 が, 戦前の教科書制度の批判的認識の上に戦後の教科書観の転換に対応し 「教科書で教 える」 解釈を採用したことは, 被告主張との対比 では妥当な判 断といえる. なお こ の 点で行政解釈においても, 戦後においては教科書も目的資料 でなく方法資料 であり 「教 科書 で教える」 ことを正当としているが, 検定制度を前提に, 教授方法上検定教科書を中心的教材 として使用 を義務 づけ,教授内容上も教科 書内容への合致を義務 づける限り,実質的には 「教科書を 教える」という 域を脱しているとは評価 できない.何故なら,教科書 が方法資 料 であり, 「教科書 で教 える」 ということの趣旨は,「狂人拘束服の中に授業を押しこめる」(第一次アメリカ教育使節団報告 書) と評された戦前における教師と 教科書とのかかわり方に対する批判, すなわち, 教科書が使用 方法のみならず内容上も批判 を許さぬ絶対者として教師の教育活動, 子 どもの学習活動の上に君臨 し, これを拘束, 従属させていた状態への批判の上に説かれた原理 であり, それはなによりも教育 における教師の自 主性と子どもの主体性を認め, 教科書の使用方法のみならず内容上も教科書のカ テキ ズムとしての拘束か らの解放を意味するものであっ た. ここ で批判の対象とされた教科書と教 師のかかわり方は, 戦前の一視学が 「公立学校の教授は国の註文書によっ て其註文通りの仕事を為 すべき筈のもの故え法文命令の範囲を出ることの出来ぬもの, 我が随意の裁量は其 範囲内に於て充 3 9 ) 分働かすべきもの である( 」 と述べたことの中に巧みに表現されているが, 教科書内容への従属ま で求める行政解釈の 「教科書 で教える」 見解が 「我が随意の裁量は其範囲内に於て充分働かすべき もの である」 とする戦前の一視 学の言とどれ だけ懸け離れているかは疑問としなければならない. 行政解釈および被告主張は, 〈教育内容に対する権力的規制の肯定→ 学習指導要領の法的拘束性 →教科書検定と検定教科書の使用義務〉 という図式 で教科書使用 義務は, 教育内容に対する権力 的 規制の具体的・制度的保障として解釈されるのであるが, 判決は, 国家の教育内容決定権能を容認 しつつも教師の教育 活動の自主性の保障という点からこれに限界を付し指導要領の法的性格につい ては前述のような 限定的解決を行なっ た.このような解釈の方法は学校教育法第21条解釈について も適用され「全国的に一定の教育水準の維持」 という要請に対して教科書使用義務を肯定し,「教師 の教育活動における自主性の導重」 という要請に対し教科書の使用方法, 使用形態の自由という 結 論を導いたものと考えられる. 特に後者については 「教科書使用義務を肯定することは, 教師が当 該科目の教育活動において教科書不使用 と評価された場合, 任命権者によっ て地方公務員 法上の義 務不履行として懲戒処分の対象となることを意味する」 という記述からも窺えるように慎重な配慮 が示されているものと して評価できる. 少なくとも現行の検定・採択制 度の下では, 教科書使用義務を否定するか, それを肯定する場 合 は使用方 法, 使用形態の自由の保障を厳密に解釈しない限り, 教師の教育の自主性を侵害しひいて は子どもの学習権の保障を損うものとして憲 法, 教育基本法に 抵触するものといわねばならない, この点 で判決は, 教科書を中心的教材として使用する義務を否定し, 教科書の使用 方法, 形態や 教科書以外の教材との使用 上の比重等を教師の自由に 委ねるとしているので,学校教育法第21条2 項の教科書以外の教材の使用も積極的に位置づけられいわゆる 「主客転倒」 を問わないこととも相 僕っ て教師の教育内容, 方法上の自由が相当広い 範囲で保障されることになる. 教科書使用義務を るが, この 意味でほぼ妥当な解釈といえる, 肯定したことへの疑問は残′. 138.

(16) . 伝習館判決と教科書使用義務. 980年. (1)拙稿 「伝習館判決と学習指導要領の法的性格」 釧路論集 第11号 1. (2) 山住正己 「勝って兜の緒をしめよ」27頁 教育 252号 1970年. 2頁 19 54年 学腸書房, なお, 天城氏は後には改説し教科書使用義 (3) 天城勲「学校教育法逐条解説」 91一9 1年 第一法規 参照. 9 7 務を肯定している, 天城勲編著 「教育法規解説」 17 7一1 78頁 1 86頁 1 97 6年 第一法規. (4) 菱村幸彦 「教育課程の法律常識」 1 68年 第一法規. 87一2 88頁 19 (5) 菱村幸彦 前掲書 1 86一1 87頁, 今村武俊・別府哲「学校教育法解説」 2 3年. 6巻2号 1 97 (6) 戸田成一 「教科書その他教材の取扱い」 45頁 学校経営 第1 (7) 菱村幸彦 前掲書 1 81一1 82頁. (5) 同上 18 9頁. 0 2頁. (9) 今村武俊・別府哲 前掲書 3 87頁. (1 0 ) 菱村幸彦 前掲書 1 ) 戸田成一 前掲書 45頁, (11 (1 2 ) 菱村幸彦 前掲書 1 89頁. (1 3 ) 同上 1 87頁, (1 4 ) 渡辺孝三 「学校経営管理法」 2 7 8年 学陽書房, 05一2 06頁 19 17頁 19 7 7年 学陽書房. ) 下村哲夫 「教師のための法律相談12カ月」 1 (15 (1 6 ) 兼子仁 「教育法 (新版)」 4 17頁 1 978年 有斐閣. 1 97 8年 有斐閣. (新版) 」 4 7頁 1 (1 ) 同上 418頁, 7 (1 8 ) 同上 39 5頁, (19 ) 同 上 418 頁. 91頁 1 97 0年 国土社, (20 ) 平原春好 「日本の教育課程」 1 ) 同 上 188一189 頁, (21 6年 有斐閣. 96 ) 堀尾輝久 教育の本質と教育作用 56頁 勝田守一網 「現代教育学入門」 所収 1 (22 (23 ) 同上 65頁 国民教育研 (24 ) ゲ・エス・コスチューク・矢川徳光他訳 子どもの発達と教育との相互関係について 1 960年 国民教育研究所, 究所 「国民教育の諸問題 2」 所収 1 (2 ) 同上 17 5 2頁, (26 ) 同上 1 6 7頁. (27 ) 物理学者の湯川秀樹氏は,合同教研全国集会の記念講演において次のように述べている.「研究の意欲と学習 の意欲とは本来別のものではないのであります. ……高等学校, 中学校, 小学校とさかのぼっていけば, 研究 などということを考えたって仕方がないのではないかと思われるかもしれません, それは一応はその通りであ ります. 小学生に代数の研究はできない, 中学生にも高校生にもできないのでありますけれども, しかしそれ は客観的に外からみた話であります.……学習している当人からみたならば,感じは非常に違うのであります. 大学院とか大学とか高等学校, 中学, 小学校と客観的には非常に様子が異っているようにみえますけれども, 私がさきほどいった点は勉強している本人からみれば教育のどの段階にも共通しているの であります. …… どの段階にも主観的にはそれがある,またあるべきであります」(湯川秀樹 創造性と自己制御 6-7頁 日 96 4年 日教組) 3集」 所収 1 教組編 「日本の教育 第1 . (28 ) 堀尾輝久 前掲書 56頁, 61年 岩波書店. (2 ) 宗像誠他 「教育と教育政策」 98頁 19 9 96 0年 国土社. (3 ) 斎藤喜博 「授業入門」 56一57頁 1 0 5-7 969年 筑摩書房, 6頁 1 (31 ) 斎藤喜博 「教育学のすすめ」 7 84頁 教育法規研究会「学習指導要領の ) 神田修,指導助言行政の原則と教育課程・学習指導要領の基準性 1 (3 2 法的批判」 所収 197 0年 勤草書房, 6頁, (33 ) 兼子仁 前掲書 35 85頁 1 97 1年 岩波書店. ) 兼子仁 「国民の教育権」 1 (34 139.

(17) . 明. 神. 勲. (35 ) 兼子仁 「教育法 (新版) 」. 291頁, 072頁 1 9 67年 有斐閣. (36 ) 我妻栄編 「新版 新法律学辞典」 1 (3 ) 山住正己氏は, 教科書がそなえるべき要件を 「第一に, 教科書は科学や芸術など文化の諸領域にむかってひ 7 らかれていなければならない. 教育は学問とは別 であると称して, 科学の発達や芸術のあたらしいうごきから きりはなされてはならない. 同時に第二には, これら文化領域の体系そのままではなく, 子どもや青年の発達 {山住正己「教科書」 155頁 1970 に即した学習内容としての統一性・系統性を確立していなければならない」 岩波書店 年 ) と規定している, 1月, 市議会総務文教委員会における「帯広 7 7年1 (38 ) 帯広市における「わかる算数」事件はこの一例 である.19 1条に違 のほとんどの小学校で『わかる算数』 だけが使われ教科書は使用されていない. これは学校教育法第2 反する」 旨の一議員の発言を発端に各学校に対する実態調査がなされ, 市教委が 「わかる算数」 の使用を実質 的に禁止する通達を出した事件. この例からみられるように教科書使用義務を肯定する限り, 自主的教材の使用が 「偏向教育」 キャンペーンにさ らされる危険が常に存在し, 教師はその使用に神経質になりひいては萎縮せ ざるを得ない. 961 96 0年 国土社, 徳武敏夫 「新教科書論」 1 6号 1 (38 ) 小川太郎 「教科書の役割をこう考える」 教育 11 年 三一書房, 参照. 1年 国土社)7 2 90 5年. なお, これについては持田栄一 「教育管理」(196 (39 ) 山田邦彦 「学校教育行政法」 1 頁よりの重引. (本学講師・釧路分校). 140.

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参照

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