チャールズ・トムリンソンと米詩
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(2) 28. 後. 明. 藤. 生. たものである。この中の"Poem''2)にある``ontheunstoppedear"という1行に,パウ ンド(``E.. P.. OdePourL'ElectiondeSonSepulcbre". 9行目)のエコーを聞くことがで. きる。. この辺りが,トムリンソンと米詩との付き合いの始まりとなる。彼はこれをアメリカへ (S4,. の"mentalemigration". p.12)と呼んでいる.トムl)ンソンをしてemigrationへ駆. り立てたのは,当時の英国詩壇の実状であった。彼がケンブリッジを卒業した年(1948年) には,いぜんとして形而上詩が勢力を揮っていた。そしてその一方に,ディラン・トマス こうした風潮に反発してフィ1)ップ・ラーキンらのthe. の「華美なロマン主義」3)があったo. Movement派の詩が興ったが,その狭い島国根性はトムリンソンには全く受け容れられな かった。結局,. (これは1951年の状況を指しているのであるが). 「伝統的な詩形では,実際,. 非常に新しいことを表現することができなかった。」4)そうした時に1つの方向を示して くれたのがアメリカのモダニストの詩人たち,ウオーレス・ステイ-ヴンス(1879-1955), (1887-1972),ウイリアム・カーロス・ウィリアムズ(1883-1963)であ. マリアン・ムア-. った。トムリンソンが大学を出た頃,これらの詩人の詩集は,英国では容易に入手できな かったという。 トムリンソンは1947年に,初めてウォーレス・ステイ-ヴンスの詩に接した。大学の指 導教官のドナルド・デイヴイの手引きによるものであった。しかしトムリンソンはその翌 年から--ト・クレイン(1899-1932)に文字通り取り付かれて,一時期ステイ-ヴンスか ら遠ざかる。ただすぐにこの自己破壊型の詩人が自分の肌に合わないのを知る。おのれの 限界を越えて,超絶的な存在に同化しようとする傾向は,対象と自己との関係を厳格に規 定するトムリンソンの詩の世界になじまないからである。「人は感覚経験を越えて何か神話 『私』は〔他者との〕関係においてのみ責任を果たせるもの. 的な統合に向かう必要はない。 (SA,. -」. p.9)トムリンソンはこうした教訓を得て,クレインと訣別する.. クレインの詩が「絶対」との同化を志向するのに対し,ステイ-ヴンス詩は「世界を新 たに見ること」. (SA, p.ll)を敢えてくれたという.それと同時に,ステイーヴンスを読み (SA,. 直すことで,これまでの自分の詩のマナリズムー「先が見えてしまうような詩連」 p.. 9)-から解放してくれそうな作詩法の可能性を見出した。 ステイ-ヴンスからの影響は,トムリンソンの次の詩集TheNecklace(1955)にはっきり. 現われる。 ある。. 1つは対象-のアプローチの方法においてであり,もう1つは詩形においてで. ``Aesthetic''と題した短詩や,ステイ-ヴンスの"Thirteen Variations. Blackbird"を模倣した"Nine. in. a. 次に``Aesthetic"を引く。. Reality. is to. But. in space. The. shore,. Spreading The. be sought, made for. articulate. in concrete, :. instance,. between. sea-voice. not. wall. and. wall. ;. Chinese. Winter. Ways. of Looking. at. Setting"がその例である。. a.
(3) 29. チャールズ・トムリンソンと米詩. Tearing. the. from. silence. the. silence.. (CP,. p.3). (現実は具体の中にでなく/区画された空間の中に求められる/. 例えば壁と壁の間に/広がる海岸/沈黙から沈黙を引き裂く/潮騒。) これは確かにステイ-ヴンスの腹話術のように聞こえる.しかしここにトムリンソン固有 の主題が展開されていることも指摘できる。ものは単独で孤立して存在するのでなく,他 のものとの関係によってその実体を現わす。これは後にトムリンソンの作品に再起する主 題となるのである。 また"Nine. Variations. in. a. Winter. Chinese. Setting''の場合,厳しく抑制された視点. と純化されたイメージは,多くをステイ-ゲンスに負うている.しかしものとものとの二取 り合わせを描いたところがこの詩の眼目だとすると,ここにもトムリンソン独自の主題が 見られる。それはこの詩の結末に次のように視覚化されている。. lX Degrees. of comparison. Go. differing. conditions. mellows. lichens. with. Sunlight Whereas. snow. mellows. :. ,. the. flute.. (CP,. p.4). (比較の度合いには/異なった状態が伴う/陽光は苔を成熟させ/また雪は 笛を成熟させる。). トムリンソンは観念化に進む前に,ものの具体性の把握に腐心するのである。 「世界を新たに見ること」をステイ-ヴンスは教えてくれた。しかしその影響は何か決定 的なものを欠いた。トムリンソンはⅠ.. -ミルトンとの対談で,それをこう説明している。. 「私はまた画家でもあるわけです。ということは,風景とか対象の具体性に対して,ステ イ-ヴンスよりはるかに関心があった.ステイ-ヴンスは物質的宇宙について語ることは ■. ●. ●. あっても,めったに何かを詳細に見せてくれないのです」. (p.83.傍点は原文)トムリンソン. はステイ-ヴンスの詩に見られる具体性の欠如に不満を感じたのである。これはさらにい えば,客観的世界を主観的知覚の世界に取り込んでしまう。ステイ-ヴンスの「至上の虚 構」という主観主義への疑問につながる。5). トムリンソンにとって,ステイ-ヴンスからの影響が最初の``Americanism"だったと すると,それに続くのはマリアン・ムア-からのものであった。ステイ-ヴンスによって ハート・クレインの破滅型のロマン主義を警戒するようになったとすると,ディラン・ト マスが過剰な演技で一世を風びしていた時代に,ムア-の詩は「極めて爽快に」見えた。6) ムアーはトマスの「華美なロマン主義」の解毒剤になったのである. ムア-の詩との出会いはケンブリッジ時代に始まっていた。. "TheFisb"のように,詩の. タイトルがそれに続く文章の主語になっていたり,定冠詞が行末に置かれていたり,型破.
(4) 30. 後. 藤. 明. 生. 意表をつく. りな作詞法には驚きを覚えた。その反面,詩行の分割の仕方,正確な知覚九 語句の用い方,絶妙な押韻(SA,. p.4)など,技法上学ぶべき点もあった.. しかし技法を越えた深いところでムア一に共鳴した。トムリンソンは5冊目の詩集 Amen'canScenes(1966)を出した後の1967年に,ピーター・オアとの対談7)で,自分が影響 を受けた作家としてまずジョン・ラスキンの名をあげている。. 「実際に自然を眺めて,それ. が自分に何を与えてくれるかを考えること」これをラスキンから学んだという.ムア-ち (``AnOctopus"の中でラスキンからの引用を裁ち入れているのが示すように)ラスキンの 2人はラスキンから得た「視覚上と文学上の. こうした自然観照の態度を受け継いでいたo 訓練」 (SA,. p.14)を,いわば共有していたのである.. 1969年にトムリンソンはムア-の批評選集8)を編集しているが,この序文にムア-の詩 の特質を記述した個所がある。そこには例えば, (p. 1), 「細心の観察」. 「対象や動物にそれ自身の生命を与える」. (p. 2), 「根本的な描写の正確さ」. (p. 3)などといった評言が見ら. れる。細心の観察とか正確な描写という態度の背後には,対象への思い遣りが表われてい る。人間が万物の基準であるとして対象を「人間化」する傾向,言い換えると対象を象徴 化,寓意化する態度をよしとしないのである。人間は自らを海やジャングルやペリカンや トカゲに適応させなければならない一ムア-はこうした適応について説いている,とトム (p.5)ラスキンの教訓はこうしたところに生きているのである。. リンソンは主張する。. もう1つ,トム1)ンソンはムア-のうちに``probity''(清廉潔白)を見た.かつてムアの"TbeSteeple-Jack''を読んだ時,トムリンソンは「seemliness(品性)という語がふさ わしいような詩において初めて可能な,一種の清廉潔白さがあるのに気づいた」(SA,p.42) と書いているo (SA,. また「seemlinessは,ほとんど彼女のスロ-ガンのようになっていた」. p.41)とも言っている.. "Probity",. "seemliness'tという語は,トムリンソンがムア. (端正さ)とか``rectitude''(廉直) -の批評選集の序文(p.12)で用いている"decorousness" という語と結びつく.こうした美質はムア-の詩の特質を記述するばかりでなく,ムアの人柄にも及ぶ。トムリンソンはこうした面-の賞賛を惜しまないのである。 トムリンソンはムアーと,ムア-の詩が持つ「強じんな道徳的品性」. (ムア批評選集序文. p.12)に,ある種の犯し難さと限りない親しみを感じた.これはSomeAmericansの中のム ア-を回想した文の行間ににじみ出ているばかりでなく,. 、トムリンソンの詩作品にも表わ れているo彼は1959年秋,助成金を受けて渡米し,翌年春にニューヨークでムアーに初め て合った.また1966年春,朗読旅行でニューヨークを訪れた時にも彼女に再会しているo 1963年の詩集A と"Overthe. Peopled. LandscaPeには,ムア一に宛てた``ship's. Waiters"という小品. BrooklynBridge"という作品がある.いずれも最初の渡米の時の経験に基. づくものであるが,前者には船旅の間に見かけたウェイターの姿をユーモラスに捉えた一 節がある.船内を「滑って行く」ウェイタ-を叙したところでトムリンソンは,その動作 を. with. and. the. the. inscrutable. accuracy.
(5) 31. チャールズ・トムリンソンと米詩. of the bat,. intuition that by. even. (CP,. dark.. collision. avoids. p.100). (暗がりでも/衝突を避ける/こうもりの/正確さと/測り知れない直感力 で) とムア-の独壇場ともいうべき動物の比倫を用いて描いている。また"Over. Brooklyn. Bridge"では,トムリンソンはムアーの常套である「引用」を盛んに行なっているoマヤ コフスキーやマラルメを裁ち入れるばかりでなく,ムアー自身の会話の断片まで引用する のである。. `No', live. `I do not l live. I you. she. said. in town. in Brooklyn. was. wouldn't. afraid like. it's gotten. so. it hereugly.'. (「いいえ」彼女は言った/「私は町に住んでいません/ブルックリンに住ん でいます。 /ここがお気に召さないのでは/と思っていました/こんなに汚 くなってしまって」). トムリンソンはこれに対して"I and. behind. balconies. trees/the. liked. its. Brooklyn/with. survival/of wooden. houses/. (ブルックリンは気に入りました/木造. colonnaded.''. の家が/残っているし/並木のうしろには/列柱のあるバルコニー)と応じている。これ がトムリンソン流の礼儀であり,他者とのねんごろな関係の確立という,彼の詩観の一端 がこんなところにもうかがえる。そしてこの詩の結末近くに,. 2人の共通の話題であるラ. スキンへの言及がある。これによってブルックリンと(これから詩人が帰って行く)グロ スタ-との地理的な距離は,広まるどころか逆に近くなる。. Goodbye Miss. Moore lbope the peacock's. at. the. house has. kept. feather. you. once. saw. of Ruskin its variegations.. (CP,. p.102). (さよなら/ムア-さん/あなたがかつてラスキンの家で/ごらんになった くじゃくの羽根/あのまだらがまだあせていないと/いいですね。). "sbip'sWaiters"と``over. Brooklyn. Bridge"は,. 40歳年長の大先輩に送った,敬愛に.
(6) 32. 後. 明. 藤. 生. 充ちた挨拶の詩である。 3. Peopled. マリアン・ムア一に宛てた詩2編が収められているA. Landscapeにはまた,初. めてウイリアム・カーロス・ウィリアムズの韻律を試みた作品"SeaPoem"が収められて 1963年出版のこの詩集は重要な意味を持. いる。トムリンソンと米詩との関係を考える時, つ。. トムリンソンはステイ-ヴンスやムア-を読み始めたケンブリッジ時代から,ウィリア ムズの詩に接していた。当時の英国詩壇では,ディラン・トマスと並んで形而上詩の流れ を汲んだ詩が盛んだったが,この伝統に培われたものに,ウィリアムズの詩は読めなかっ たとトムリンソンは述べている.. (SA,p.6)このようにウィリアムズの詩が受容される素. 地は全くなかったのであるが,それにもかかわらずトムリンソンは本気でウィリアムズの 詩に取り組むようになる.これは1956年のことであり,ウィリアムズにとってはTheDeseyi. Music. and. Other. Poems(1954)とJourney. Love(1955)を発表した後に当たる。トム. to. リンソンはウィリアムズの詩形をこれらから学んだ。 トムリンソンにとって最も魅力的だったのは,ウィリアムズのいわゆる"three-ply poems". (3重詩)であった。9)この形式は,. (SA, p.16)という。. 「より院想的な運動の可能性を示してくれた」. (ちなみにトムリンソンは,. 1963年に-ンリー・ギフォードと共同でア. ントニオ・マチャードの詩を翻訳した時,この詩形を採用した。)生得のクイーンズイング リッシュを,ウィリアムズの韻律に合わせることには,困難があった。それにウィリアム ズの詩の特殊なレイアウトが,伝統的な英詩のそれと比べて奇異な印象を与えるところか ら,編集上からも抵抗があったo. それでも,トムリンソンは本格的にウィリアムズの詩の. 研究に取り組み始めてから約1年後の1957年2月,ウィリアムズの「向こうを張るような」 (SA,. p.16)詩を書き出した。その1編が"SeaPoem''であった.. トムリンソンはウィリアムズとの文通が始まった直後,この詩をウィリアムズに送った。 ウィリアムズから読後感が送られてきたが,そこには「イギリス英語でいうscholarlyな作 詩法,そしてアメリカ英語のイディオム-の寛大さのために印象づけられる,優れた作品」 (S4, p.20)とある. 「アメリカンイディオム」という評言にトムリンソンは当惑したが,こ れは無理もない。 ``sea poem"で使われている用語はクイーンズイングリッシュであり, おまけに「英詩人」ワ-ズワスからの引用もある。海の運動をまさに「現象の正確な記述」 で追ったこの詩は,レイアウトを別とすれば完全にトムリンソン固有の詩なのである。 トムリンソンは"Sea. Poem''と同じ時期にウィリアムズに宛てた詩"Letter. Williams"を書いている.これはアメリカで刊行されていた雑誌, 秩,ウィリアムズ自身の作品と共に掲載された。. to. Spectmmにこの年の. (これが契機となって,ウィリアムズとの. 文通が始まった。)しかしトムリンソンは,この詩よりは先の``seapoem''の方が優れて いると考えて,後にこれをウィリアムズに送った。それが上に引用したウィリアムズの感 想を引き出すのであるが,ウィリアムズの詩の「模倣」という点から言えば, Williams"の方が優れているのである。. "LettertoDr. Dr.
(7) 33. チャールズ・トムリンソンと米詩. 2つの詩の冒頭の部分を比較すると違いが分かる。まず``sea. A. bone. whiter the. poem". -. :. sea-voice in. a. multiple. towards. crowding. monody. that. (CP,. end.. p.87). (さらに白い骨/海の声は/多重のモノデイとなって/その目標に向かって 殺到する。). 主題と技法の点で,これは当時トムリンソンが刊行を準備していたSeeing (1958)の諸作品に共通している。. (すなわち自然現象の描写,抑制された感情,. 着語法などo)それに対して``Letter. There. being. no. is Believing. to. Dr. 3行目の撞. Wi11iamst'は次のように始まる.. immediate likelihood of reading. the. under. your. poems. impress Faber. Faber. and. a. may. and(at that) an. poet. English poet,. salute. them?10). (あなたの詩を/フェイバー・アンド・フェイバー社版で/読む機会は/当 面/ありそうもか-ので/未知の/. (しかも)イギリスの詩人が/敬意を表. することをお許しいただけますか。). この書き出しは,客観的描写に貫かれた"SeaPoem''とはかなり異なっている。この詩は トムリンソンがSeeing. is. Believing(1958)に続くA. PeoPled. Landscape(1963)やAmerican. Scenes(1966)で多く書くようになるcommunicativeな詩の最初の例の1つなのである.こ こで詩のトーンを比較するためにウィリアムズのCollected "This. is. Just. I have the that. Say''と題した短詩を次にあげてみる。. to. eaten. plums were. the. icebox. and. which. you. were. in. probably. Poems1921-1931(1934)から.
(8) 34. 後. 藤. 明. 生. SaVlng. for breakfast. ForglVe they so. me. delicious. were. sweet. and. so. cold. (冷蔵庫に/入っていた/プラムを/喰べてしまった//これは/多分きみ. が/朝食に/取っておいたものだろう/ごめん/うまかった/実に甘くて/ とても冷たかった). communicativeな詩とは,このように相手に親しく語り掛ける詩をいう。言うまでもな く,ディラン・トマス風の``bardic''な詩とは対象を成す。11) ウィリアムズはトムリンソンの書簡詩を読んで感動し,「-あなたが私の詩形-を模倣さ れたことに,いっそう感銘を受けました。英詩を解放する詩形に影響された人は,誰であ ろうと私の友達です」. (SA,. p.18)とトムリンソンに書き送ったo翌1958年に. is. Seeing. Belieuingが出版された時,ウィリアムズはこれを読んで絶賛し,その書評まで書いた.こ の詩集は,実際は,トムリンソンがウィリアムズから直接影響を受ける以前に書かれた作 品から成っていた。従ってウィリアムズからの過分の誉め言葉は,トムリンソンにとって こそばゆいものであった。ともあれウィリアムズは,この若い英詩人を自分の「一族」と 見なした.そしてこれはトムリンソンにとってとにかく,. 「完全な詩的孤立」(SA,p.18)か. ら抜け出す助けとなった。トマスのロマン主義,エンプソンの形而上詩,ラーキンのリア リズム,そのいずれにも染まらない,新しい詩を創造する手掛りを得たのである。 トムリンソンがウィリアムズの詩形から学んだのは,ためらいながら進行する思考の動 きを,そのまま空間に視覚化する方法である。われと対象との出合いが含む偶然性,意外 性,いわば知覚と認識の経験というプロセスそのものを表現する方法を,彼はこの詩形を 通して体得した。これによってトムリンソンの詩の世界はより柔軟に,. open-endedなもの. になっていく。 Seeing. is. Believingに続くA. Peopled. Landscape(1963)は,ウィリアムズの影響を最も. 強く受けた時期に書かれた作品を収めている。ウィリアムズの詩形を模倣した作品は,全 体の約3分の1を占めているo. これに続くAmerican. Scenes(1966)は,主題は北米と南米. での経験をうたったものが大半を占めているにもかかわず,ウィリアムズの詩形による作 品はわずか1,. 2偏にとどまる。ウィリアムズの影響が薄れたというよりは,トムリンソ. ンがその影響を消化したと見るべきであろう。 「軽. ウィリアムズとの出合いの後,トムリンソンの詩に変化が生じる。ひと口で言うと, み」を帯びてくる。風景が中心だった主題は広がりを増し,詩人の態度はより大らかにな るo. これはAmen'can. などの,. Scenesに収められた``Mr.. Brodsky''や"Chief. Standing. 2つの文化の出合いを軽妙に語った詩によく表われている。これは,トムリンソ. Water".
(9) 35. チャールズ・トムリンソンと米詩. ンが得意としてきた描写の詩とは別の範ちゅうに入る。描写の詩の厳格な自己抑制とは反 対に,ここではいわば「ゴシップ」が特徴となる。われと対象との対等な関係の上に立つ communicativeな詩の特色が,ここに発揮されるのである。 トムリンソンがマリアン・ムア一に会った1960年4月,この時はウィリアムズにも会っ ている。帰国後も1962年にウィリアムズが亡くなるまで, Williams". しばらくして,トムリンソンは"Rememben'ng. 2人の文通は続いた。それから (Written. in. Water,. 1972)を. 書いた。ここで彼はウィリアムズにこう語り掛けている。. `Wisb. we. wrote. you. than was. :. on. a. poem. lost. you. it. `that. called. is. a. had. but. written',. forgot. to over. both. to. the. theme. say. she. bad. you. hardbed. mind which. been by. out. worked. while. before. was. som也ing. said. more. `I stumbled. itself, you. had. today'. the time. :. what. we. no. -. that. it. talk. could. half'.. done. but had. working,. her. still lived. to lie. Your. not. wife. mourning Life. on. dying.. (CP,. p.228). (「今日いっしょに話ができたらなあ」/こう書いて,それだけ/その前は/. 「君が書いた詩を/偶然見つけた」 /だが話はそれきり,あなたは/. 「我々. がいっしょにやってきて/まだ半々も完成していなかった/例のことを思い 出した」 /がそれが何なのか/言い忘れましたね。. /あなたの存命中に/奥. 様は喪に服してしまわれたとか/しかばねとなって生きるものに人生という ベッドは固過ぎます。). 14行のうち13行が引用から成るこの詩も,やはり「ゴシップ」の詩である。ただここでは ゴシップは始まるだけで,完結はおろか発展すらしない。. 「余生」の悲しさがその未完のゴ. シップに表われているが,このopen-endedなところが,ウィリアムズを追悼するのにいか にもふさわしい。 4. トムリンソンは1959年から60年にかけて渡米し,その間ムア-やウィリアムズに合った。 その2年後,. 1962年から63年かけて,ニューメキシコ大学の客員教授として再び渡米した.. そしてこの1963年はトムリンソンにとって,「驚異の年」(SA,p.46)となったという.Object-.
(10) 36. 後. 藤. 明. 生. ivismの創始者ルイス・ズーコフスキー(1904-78)とジョージ・オッペン(1908-84)に合っ たことを指しているのであるo. Amer-. ところでObjectivismとは,トムl)ンソンがSome. icansの中でW.C.ウィリアムズから直接引用している部分を孫引きすると,次のようなも のであった。. すでに「イマジズム」. (パウンドの呼び方でいうとAmygism)があったが,これは急速に. 裏返していった。これは詩の領域から冗舌を駆逐するのに役立ったけれども,形式上の必 然性を欠いた.. -・イマジズムはいわゆる「自由詩」一後で気がついたが,これは間違った 呼称だった--と退化した。 -かくして詩は衰弱して,形式上存在しなくなった。 はもの(Object)であるから-言葉から新しい形式を作ることが,詩人の目的とならなけれ. ばならない。. -詩と. -これが,我々がObjectivismて意味しようとしたことだった。ある意味で, (SA, p.47). ルースな詩の中に適当に処方された,裸のイメージに対する解毒剤であった.. これはウィリアムズが1930年にチャールズ・レズニコフ,ジョージ・オッペン,ルイス ・ズーコフスキーらと新しい詩の運動を始めた時のことを回想した一文にあるoトムリン ソンはこれを読んで,パウンド以後のアメリカ詩の展開に係わる重要な事件に,いかに自 分が無知であったかを知ったという。そうした時にオッペンやズーコフスキーとの交際が 始まった。 30年以後米詩壇の隅に追いやられていて,. 60年代になってようやく陽の目を見. ることになるObjectivismの生き残りとの出合いであるo. しかもこれは,ロバート・ダンカ. ン(1919-88),それにズーコ7スキーの信奉者であるロバート・クリ-リー(1926-)と いう,. Black. Mountain. schoolの詩人たちの仲介によって実現した。トムリンソンはチャ. ールズ・オルソン(1910-70)やクリ-リーの詩は,ウィリアムズを読み始めた50年代の後 半にはすでに読んでいたが,この頃になって初めてBlack Mountain派の詩人たちと近づき になった。ウィリアムズのかつての同志Objectivists,そしてその流れを汲むBlackMountain派,これらの詩人との出会いが起こった1963年は,確かに「驚異の年」だったのであ る。. トムリンソンは1964年にイギリスに帰ってから,アメリカ現代詩の紹介を始めた。 年The. Reviewに``Black. MountainPoetry. Number". ,. AgendaにLouis. いう特集を編集,またTLSにズーコ7スキーのBottonの書評を書いたo リアン・ムア-批評選集,. 1972年のウィリアムズ批評選集,. Zukofsky. 1964. issueと. これに1969年のマ. 1976年のウィリアムズ詩選集. と続けて見れば明らかなように,トムリンソンが米詩の輸入に相当力を入れたことが分か る。. 問題は受け容れる側である。ここでウイリアム・エンプソンが, にあげて,アメリカの自由詩について述べた一節を次に引く.. W.C.ウィリアムズを例 「彼は英語の楽しみを,こと. ごとく放棄してしまった。だから完全にアメリカ人なのである。彼はただ最も退屈なこと しか言わない。だからこそ,完全に民主的になるための苦闘にも,打ち勝ったのである。」12) これは1961年の発言であるが,イギリスを代表する批評家の米詩理解はこの程度だったの である。トムリンソンの努力がほとんど報われることなく終わったとしても,不思議はな.
(11) 37. チャールズ・トムリンソンと米詩. い。. トムリンソンは,ズーコフスキーとオッペンの詩に,「簡潔な行配分と精確さ」(SA,p.50) を見出したという。しかしこれは,ウィリアムズからの影響にさらに何かをつけ加えるこ とを意味しない。. ObjectivismにしてもBlackMountain派にしても,ウィリアムズからの. 影響を経た後に自然に受け容れられたものであり,トムリンソンはこうしたものから改め て別の影響を受けたわけではない。ここで問題は米詩の影響から,トムリンソンと米詩人 との「交流」. -と移る。. こうした交流の実例として,トムリンソンとオッペン,あるいはズーコフスキーとの「合 作」をあげることができる。トムリンソンはオッペンの詩に啓発されて,オッペンに手紙 を書いたことがある。早速応答があったが,その返事の末尾にあった2つの文章がトムリ ンソンの心に触れた。彼はこれに何の変更も加えず,ただ詩行に整えただけでオッペンに in. 送り返した。オッペンはこれに"ToC.T."と題を与えて自らの第三詩集This (SA,. に収録したo. p.50)次に引くのがその「合作」であるo. imagines. One. himself. addressing. his peers. l suppose.. Surely. that. be. might. Which. the definition. of. "seriousness"?. aS. you. I would. like,. in your. response. of being. heard,. See,. to convince myself that. my. pleasure. is not plain. vanity. but. the pleasure. the. pleasure. of companionship more. ,. which. seems. honorable.. (人は自分の同輩に/語り掛けるところを想像するものです/確かに/それ が「真剣さ」の定義なのでしょう。. /できたら/自分に/納得させたい/あ. なたの反応から得た喜びは/ただのうぬぼれ/ではなく/聞き手を見出した 喜び/同志を得た/喜びであると/そしてその方が/もっと名誉なことなの だと。). "ToC.T.''はまさにそ. 「偶然」と「出会い」がトムリンソンの詩の主題の中心にあるが,. の実践例に他ならない。そしてこれはまた,オッペンとの出会いを記念する詩でもある。 (なお1984年にオッペンが死去した時,トムリンソンは"In. Memory. of George. Oppen''.
(12) 38. 後. 〔The. Return,. 藤. 明. 生. 1987に収録〕を書いて彼を追悼した。). トムリンソンはこのような合作をズーコフスキーとも行なっている。彼は1963年ロバー "To. ト・クリ-リーから借りたズーコ7スキーの詩集を筆写している時,着想を得て,. (テキストは. LouisZakofsky''というオマージュの詩を書き,手紙を添えて本人に送った。 sA,. pp.53-5にある.)この詩には"that//solitude/in. the. letters//which. world//of. (あなたのものである//文学の/世界での//あの//孤独)という,独創的な詩人の. yours". 宿命ともいうべき孤立に共感した一節がある。ズコフスキーはこの作品を読み,その一部 を「もっと軽くするために」改訂を提案してきた。 もう1つトムリンソンは,ブルックリン橋から見たかもめを主題にして,ズーコ7スキ tray. the. Worldに収録さ. of ー夫妻に捧げた``Gull"を書いた.これは1969年刊行のThe れているが,決定稿はズーコ7スキーが行の配列をし直してより簡潔にした,いわば2人 の合作であるという。. (SA,. p.56). Flung far down, the. as. gull. rises, black. tbe smile. of. its shadow it. masking underside takes the. heart. into也e to. height. hover. above. the. ocean's. plain-oトmountains' moving. quarts,. (CP,. p.188). (かもめが/舞い上がる時/下で/それを隠す/その影の/黒い微笑は/は. るか下方に/投げられて/心を高みへ/導き/大洋の/山の原野の/移動す る石英の上を/浮遊させる。). パウンドがエリオットのThe. WTaste. Landに対して行なった編集という創造を,我々はこ. こで引き合いに出してもよい。 objectvistsばかりでなく,. Black. Mountain派の詩人との交流も,幾つかの挨拶の詩を生. んだ。ロバート・クリ-リー夫妻に宛てた"SmallActionPoem"には,ウィリアムズの 詩形が使われている。アメリカとの出合いをうたった詩が中心を成すAmen'can 巻末に置かれているが,これはエピローグにふさわしい.. Scenesの. is.
(13) 39. チャールズ・トムリンソンと米詩. BlackMountain派の指導者だったチャールズ・オルソンは,トムリンソンは50年代後半 1970年にオルソンが亡くなるまで,これは続. から読んでいた。その後2人は文通を始め, いたo後にトムリンソンは"The. Littleton. Whale''(1981年のThe. Floodに収録)を書い. たが,これはオルソン追善の詩となっている。この作品は,トムリンソンの住むグロスタ -の岸に鯨が打ち上げられたという2つの実話(1つは古文書からの引用)を物語ったも ので,語り口は(全体120余行からその一部を引用すると)次のように具体的かつ写実風で ある。. The. carcass. had. they. so. and. put. before. it they. to be. up. sent. a. sizeable. boat. it to Bristol. to tow. and. its welcome. overstayed. on. show cut. the. for. manure-. there thing. down. stinking. sold spread. (CP,. p.345). (〔鯨の〕死骸は/永居し過ぎて邪魔になってきた/そこで人々は大型の舟を 向けて/これをブリストル-曳行し/見せ物にしてから/悪臭を放つ死骸を 解体して/肥料として撒くよう/売ってしまった-). この詩はムア-やウィリアムズに宛てた詩と同様,会話風であり,またゴシップに充ちて いる。. (イギリスの)グロスタ-のチャールズが,. (アメリカはマサチュセッツの)グロス. ターのチャールズに送った挨拶の詩として読むと,この作品のしゃれたところがよく分か る.. (なおオルソンはメルヴイルのMoby. Dickの研究書の著者でもある.). 米詩人との交流は,ある意味でトムリンソンを英詩の伝統-連れ戻すことになる。彼は someAmen'cansの中で,自分の初期の詩集の中にはっきりと見られる米詩の痕跡は,パウ ンド,ステイ-ヴンス,マリアン・ムア-である.こう認めた上で,しかしたとえその音 色には「アメリカン」の響きがあるとしても, ぼっていた」. 「作品の伝統はコウルリジの会話詩にさかの. (p.13)と述べている。彼は「ロマン派的エゴ,そして詩は個性と感情の激発. によってもたらされるという考え-の疑問」(SA,. p.14)から,むしろ他者との正しい関係. の確立をめざすcommunicativeな詩-向かった。アメリカのモダニスト詩の大きな流れに 直接触れることで,彼は自ら求めた詩声をついに発見することになるが,これは18世紀以 来コウルリジで途絶えてしまった英詩の伝統との関係に気づかせることになったのである。 最後に,トムリンソンと米詩との係わり合いを,彼の他の詩的実践と関連づけて見てお.
(14) 40. 後. きたい。. 明. 藤. 生. 1つは日本の連歌や連句について言われる,いわゆる「座の文学」の実践である。. トムリンソンは1971年メキシコのオクタヴイオ・パス,フランスのジャック・ルポ-,イ タリアのエドアルド・サンタイネッティと共同で,日本の連歌の形式を模倣したRengaを制 作した.また1981年には,オクタヴイオ・パスと合作でAirbomを物した.これは4,4, 3,. 3行のソネットの連作から成っているが,それぞれの作品は,各連を2人が交互に手紙. を交わしながら書き上げていったものである。すでに見たオッペンやズーコフスキーとの 合作は,こうした国際的な競作(共作,協作). -の道を開いたと言える。. トムリンソンはまた,詩の翻訳を多く行なっている.ロシアのフィヨードル・テエッチ 1963),ペルーのセ-サル・バ. ェフ(1960),スペインのアントニオ・マチャード(共訳,. リュッホ(1970),これらの他に訳詩集Translations(1983)がある.また彼はThe Book. I(e7Se. of. in. English. Oxford. Tmnslation(1980)を編集しているが,この序文には過去の英. 語の翻訳詩について触れた一節がある。そこに「我々は,. 〔翻訳詩の中に〕英語が他の文化. との対話に引き込まれるのを聞く」14)とある。(我々はトムリンソンがアメリカの詩人たち との対話に引き込まれるのをすでに聞いた.)またこの後で彼は,サー・トマス・ワイアッ トはある程度までセネカ,ベトラルカ,詩篇を通して,またクリストファー・マーロウは オヴイデイウスを通して,それぞれ自分の``personal. voice"を発見したと述べている。. (p.xiv)(同様にトムリンソンはステイ-ヴンスらの米詩人を通して自分の"personal voice"を発見した。)こうして見ると,トムリンソ。ンはすでに英詩にとって伝統となってい ることを,彼なりに実践したのだと言える。 他者との対話に引き込まれること。他者を通して自己のスタイルを確立すること。これ はまた,あたかも「座の文学」の方法が意味するところを物語っているかに見える。すな わち他者を生かしつつ,おのれも生きるという呼巧及-ここには-ロルド・ブルームのい う「影響の不安」などないのである。. 注 1. ) Some. Amen'cans. I. A Pe7SOnal. Reco71d, 1981. of California. ,University. Press,序文o以下本書. からの引用は丘4と略してページ数を示す. Tomlinson. 2 )Charles. :. Collected. Poems,1985,oxford. University. Press,p.ix.トムリンソンの. 詩の引用は以下CPと略してページ数を示す。 3 )"Tomlinson Tomlinson. :. Man. and. Conversations". 4)"Four. ber1964). Tomlinson 6 )``Tomlinson. Artist, 1988,University. (Ian. Kathleen. Swiggとの対談),. of Missouri. : Chwles. O'Gorman(ed.) Press,p.229.. London. Hami1tonとの対談). Johnによって指摘されているo ,. 1989 at. Orr(ed.). 8 ) Marianne. (Richard. Magazine,. 4. ,no.. 6 (Novem-. ,p.83.. 5)この点はBrian. 7 )Peter. Sixty". at. Moo71e. ,. University. McGill-Queen's. The. World. Press,. p.. as. Event. : The. Poet秒Of. 10参照o. Sixty",0'Gorman(ed.) :. The :. A. Poet. ,p.229. Speaks,1964,Routledge. Collection. of. Cn'iical Essays. and ,. Kegan. Paul,. 1969,Prentice-Hall.. p.250.. Charles.
(15) 41. チャールズ・トムリンソンと米詩. Paul. 9)トムリンソンとウィリアムズの詩形との関係は, "Tomlinson's Man. A71ist,. and. 10)Charles. pp.364-. ). William. :. 0'Gorman(ed,). Tomlinson. Charles. :. :. Carlos. Wl'lliams. :. Cn'tical Anthology. A. 1972. ,. ,Penguin. 5.. ``Letterto. ll)さらに言えば,. K.. pp.57-71参照.. Tomlinson(ed.. Books,. Triad",. of the Williams. Use. Marianiによって論じられている。. 1. Movemebt派の詩とも対立する。. DrWilliam"はラーキンのtbe. つは,この詩が詩についての詩である点,もう1つは,ラ-キンが嫌ったモダニスト・ピカソ を(ホワン・グリスと共に)詩の革新家ウィリアムズに相当する,絵画の革新家としてあげて いる点であるo 12)C.. Tomlinson(ed.). Empson Chatto. 13)K.. :. &. Ay:gu/Ping Windus,. 0'Gorman(ed.). 14)Charles Clarendon. Wl'lliams. :. :. Essays. on. :A. Wl'lliams. Litey7ature. and. Cn'tical. Culture. Anthology,. (ed・ John. p・365. ;William. Haffenden). ,. 1987,. p.155. :. Charles. Tomlinson(ed.) Press,. Carlos. p.xiii.. :. Tomlinson The. :. Man. Oxfo71d Book. and. of. A71ist, Ve7Se. in. p.ll.. English. T71anSlation,. 1980,.
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