虚しい優等生を卒業してから教師になろう!
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(2) 在している「数」、それを表示するための道具として. う。でも、あくまでテストでいい点がとれるだけで、. の「数字」、現実世界の中で意味を持つ「数値」の 3. 本当に算数・数学がわかっている子どもになるわけで. つです。あなたはそういう区別をして「数」を捉えた. はない。その一方で、自分が専門とする教科ではそれ. ことがあるでしょうか。. なりによい授業をするから、そういう人たちが「ダメ. この区別を小学生に強いる必要はありませんが、教. ダメ先生」と非難される機会は少ないでしょう。. 師が数の三態について理解していることは重要です。. ちなみに、「どこかの塾」で算数を仕込まれた子ど. 1 対 1 対応の考え方に基づいて数詞を使わずに個数の. もたちは、やり方が決まっている問題は得意でも、文. 大小を意識すること、その根底に数の概念があること、. 章題と応用問題には弱いと言われています。それなの. それを十進数で表現すること、その表現は単位を伴っ. に、自分は数学ができると勘違いして、数学を専攻し、. て物の個数や計量の値としての意味を持つこと。そう. 苦労している人たちをたくさん目撃してきました。. いうことを意識して指導をしないと、子どもたちは数 詞を唱えられる行為を学ぶだけになってしまいます。. ●数学者は小学生と似ている. 要するに、数学者が言うところの「数学を知らない」. 現場の先生を「数学を知らない」と批判している数. という批判は、数学的な事柄を概念的に理解しようと. 学者ですが、専門的な数学の内容を知っているだけと. する態度がないという意味なのです。物事を概念的に. いう人も少なくありません。素人が知らない定理や公. 理解するということ自体は、数学に限ったことではな. 式を知っていて、標準的な問題の解法や定理の証明方. く、どの分野を学ぶ上でも大切でしょう。しかし、教. 法もいろいろと知っている。でも、所詮は先人が生み. 員の中には算数・数学では、計算する手順や問題を解. 出した解法や証明の手順を間違えずに説明できるだ. く手順さえ教えてやればいいと思っている人が多い。. け。そう捉えてしまうと、子どもたちに手順を仕込ん. 子どもたちに伝えられることはしょせん手順でしか. でいるだけのダメダメ先生と大差ありませんね。. ないという考えもあるでしょう。しかし、大人である. もちろん、大学で授業をするだけなら専門的知識を. 教師がその手順の整合性や原理、それを支えている数. 持っていれば十分ですが、自分は数学者だと胸を張る. 学的な概念や理論を理解していないのだとしたら情け. ためには、やはり自ら数学を生み出す力がないと恥ず. ない。にもかかわらず、この悲しい状況を「子どもた. かしい。数学の神髄に触れ、数学とともに存在してい. ちを数学者にするわけではないから」と言って正当化. る自分を感じていないとだめ。. したがる人が多いのですよ。. そういう数学者は、未だかつて誰も解いたことのな. 不幸にして、教員養成系学部に入学してくる学生た. い問題をうまい方法で解いて、それを論文にまとめて. ちは小学校の算数ならできると思っています。大学受. 公表するという活動をしています。でも、標準的な方. 験レベルの数学だと自信はないけれど、算数の問題な. 法が決まっていて何かを計算すれば答えが出るという. らすらすら解けると。. 程度の問題を解いたところで、専門家の間では相手に. その自信自体には偽りではないけれど、あくまで問. されません。何をすれば問題を解いたことになるのか。. 題が解けるだけで、上で述べた意味で算数を数学的に. そこから考えることができないといけない。. 理解しているわけではない。教師の視点で算数を見た. 私はこの数学者の営みは、算数を学ぶ小学生のあり. 経験もない。大学で数学教育を専門に勉強することに. 方とよく似ていると思います。もちろん、扱っている. なるのなら、子どもの理解に焦点を当てて算数を見直. 数学のレベルは違いますが、自ら数学を生み出すとい. すことになるけれど、そういう機会がないままに大学. う部分が共通しているのです。. を卒業して小学校の先生になってしまうと、自分が子. 実は、小学校の算数の教科書は発見学習的に書かれ. どもの頃に持っていた算数のイメージだけで子どもた. ています。たとえば、子どもたちは単元の冒頭で掛け. ちを指導してしまう。その結果、問題を解く手順を仕. 算をしなければいけない状況にそうとは知らずに追い. 込むだけのダメダメ先生になってしまう。. 込まれます。そして、掛け算ができれば直面してい. どこかの塾のように、やり方だけを仕込んで表面的. る問題が解決できることを発見する。でも、2 桁の掛. には成績のよい子どもを育てることはできるでしょ. け算は今までにやったことがない。さてどうすれば 2. 教育デザイン研究 創刊号 65.
(3) 虚しい優等生を卒業してから教師になろう!. 桁の掛け算の計算ができるかな、というように話が展. 能力が私のいうところの基礎数学力に対応していて、. 開していくのです。(でも、ダメダメ先生は、教科書. 九九ができるとか、因数分解の公式を知っているとか. が発見学習的に書かれていたとしても、その部分を無. いうことが、お母さんに教わって日本語や英語が話せ. 視して、手順だけを仕込んでします。最低だね。). るようになることに対応しています。. 小学生が自分で問題を作るわけではないけれど、先. 人間が話す言語にはいろいろな種類があるけれど、. 生の導きによって、今までに直面したことのない問題. 数学はある意味で世界統一がなされています。でも、. に子どもたちは遭遇します。そして、そのうまい解法. 昔の日本に和算と呼ばれる数学があったように、みな. を自分たちで作り上げていこうと授業が展開していき. さんがご存知の数式を使った数学とは別の形態もあり. ます。つまり、数学者の場合は人類史上、子どもの場. えます。しかし、それはあくまで知識の体系としてま. 合は自分史において初めて出会う問題にチャレンジし. とめ上げたときの形態であって、数学を創り出してい. て、自ら解法を探究していく。背負っている歴史や世. く際に発揮される能力は、時と場所によらず人類共通. 界の大きさや問題のレベルは違うけれど、数学者も小. だと思います。それが基礎数学力です。. 学生も算数・数学に向き合う構図は同じなのです。 だとすると、小学生も数学者も算数・数学に向き. ●虚しい優等生. 合っているときには同じ能力を発揮しているのではな. その基礎数学力とはどのようなものなのか。その詳. いか。そういう発想に立って、数学者である私自身の. 細は参考文献に挙げた拙著 [2, 3] を参照していただく. 問題解決のあり様をじっくりと観察した結果、次のよ. として、大事なことは、基礎数学力が、知識として提. うなアイディアに到達したのでした。. 供される事柄を受け入れる能力ではなくて、自分の目 の前にある事柄の原理や構造を直接理解する能力だと. ●基礎数学力. いうことです。そして、教え込むことで獲得される能. スポーツをする上で欠かせない基礎体力。それと同. 力なのではなく、誰もが持っていて当然の能力です。. じように数学を遂行する上で必要な基礎体力のような. ところが、学校の現場では、知識やスキルを教え込. ものがあるに違いない。そして、高低に個人差はある. むことが優先されてしまう。その結果、人間が本来持っ. にしても、基礎体力がない人はいない。それと同じよ. ている能力を活用する機会を子どもたちから奪ってし. うに、人間には生まれながらに備わっている数理的な. まう。それは算数・数学にかぎったことではないかも. 能力がある。私はそういう先天的な能力の存在を仮定. しれませんね。そして、子どもたちは習ったことはで. して「基礎数学力」と呼ぶことにしました。. きるけれど、問題を自力で解決し自分独自のものを創. それは算数・数学を遂行していく上で欠かせない能. り上げるという態度を持たなくなってしまう。. 力です。だからといって、九九が言えるとか、因数分. でも、若干ではあるけれど、知識を教え込もうとす. 解の公式を知っているとか、いわゆる「数学の基礎・. る先生とは適当に距離をおいて、独自に算数・数学と. 基本」と呼ばれているものではありません。つまり、. 向き合おうとしている子どもたちもいます。授業中は. 基礎数学力は、大人に教わることで修得できる算数・. 先生の言うとおりに計算練習をしてあげるけれど、計. 数学の知識やスキルではなくて、人間というマシン自. 算を速く正確にできるようになることよりも、その意. 体が持っている機能とでもいうべきものです。. 味を知ることの方がうれしい。あくまで自分の理解を. この発想は、チョムスキーに始まる理論言語学のそ. 優先させて、それと先生が言っていることが一致して. れと似ています。彼は、人間には生まれながらにして. いるかどうかを確認している。. 日本語や英語などの特定の言語を話す能力があるので. 算数の得意でない先生にとっては扱いにくいかもし. はなくて、何らかの言語を習得できるという能力が先. れないけれど、ある意味で理想的な子どもたちです。. 天的に備わっていると考えました。そして、人間が修. 「本当に算数・数学ができる子ども」と呼んでもいい. 得可能な様々な言語の文法が生成される普遍的な仕掛. でしょう。つまり、数学者予備軍です。. けを解き明かそうとしているわけです。. おそらく、落ちこぼれ扱いされてしまう子どもたち. つまり、何らかの言語を習得できるという先天的な. も状況は同じだと思います。算数で習うことの意味を. 66.
(4) 知りたい。意味のわからないことはやりたくない。で. 難しい数学を勉強する必要はないのだと主張する。. も、自力でその意味を構成することができないので、. 高くて手が届きそうにないものに飛びつけと言われ. フリーズしてしまう。「どうしてこんなことをするの. ても、うまくできなければ嫌になって当然。なので、. かなあ」と悩んでいるうちに先生は次のことを始めて. 自分の理解を積み上げていって、だんだんと高い所に. しまうから、だんだん授業についていけなくなる。そ. いくというスタイルで数学を学ばせる。つまり、本当. して、本当に落ちこぼれてしまう。. に算数・数学ができる子どもたちがやっているのと同. 一方、先生が言ったことに何の疑問も持たずに、言. じように数学と向き合うことを教えていく。. われたとおりの手順を実行するだけの子どももいま. そのためには「離散数学」を学ぶとよい。それは私. す。先生も手順さえ教えていればよいと思っているか. 自身の専門分野なので我田引水的な主張に聞こえるか. ら、そういう子を算数ができると評価してしまう。本. もしれないけれど、離散数学のよさについては参考文. 人もテストの成績がよいから、算数ができると思い込. 献 [1] の中でまじめに論じています。たとえば、数学. んでしまう。でも、彼らの本当の能力は、本当に算数・. の他の分野と違って、前提とする知識が少ないし、問. 数学ができる子どもたちとは雲泥の差です。. 題を理解するまでの道のりも短い。絵を描き、簡単な. そこで、私は算数・数学がわかっているわけではな. 計算をして、言葉で考えることで問題解決ができる。. いのに成績だけはよい子どもたちを「虚しい優等生」. なので、高校で数学をあまり勉強しなかったという学. と呼んでいます。そして、困ったことに、虚しい優等. 生でも容易にチャレンジすることができます。. 生たちがたくさん教員養成系学部に進学をしてくるわ. 特に重要なのは、離散数学が基礎数学力を活用する. けですよ。そして、小学校の先生になって、自分の劣. 場を提供してくれるという点です。つまり、自分自身. 化コピーを量産していくわけですよ。もちろん、悪意. の中で生まれる理解を積み重ねていくことができる。. に満ちてそうしているわけではないから始末が悪い。. そして、その理解のプロセスを自己観察することを学. 本人はいいことをしていると思っている…。. ばせましょう。学ぶべきものが自分の外にあるのでは なくて、自分の中で理解が生まれ、それを積み上げて. ●教員養成ですべきこと. いっているということを自覚させましょう。. 要するに、学校教育を健全な姿に戻すためには、こ. もちろん、そういう自覚を促せるのなら、離散数学. の悪循環を断たなければいけない。つまり、学校の現. にこだわる必要はありません。小学校で教えることに. 場に虚しい優等生を送り込んではいけない。だからと. なる算数を学び直してもよいでしょう。そうすること. いって、教員養成系学部に入学を希望する虚しい優等. で、本当に算数・数学ができる子どもの在り様が理解. 生を入試の時点で排除できるわけではない。となれば、. できる。つまり、虚しい優等生とは別の子どもがいる. 教員養成ですべきことは、虚しい優等生を虚しい状態. ことを知るのです。そして、自分が数学を理解してい. でなくしてから、卒業させることです。そのためには. くプロセスを徹底的に観察することで、問題解決の手. どうしたらよいか。. 順よりも、概念的な理解を求めている自分を発見する. まず、教科を、親学問を初等的にしたものとは捉え. ことになるのです。. ずに、人間が持っている能力を細分化してものだとい. これで虚しい優等生は卒業です。「数学を知らない」. う発想に立つこと。算数・数学について言うならば、 「数. とは言われない先生になれるでしょう。. 学」という学問を子ども用にしたものと思わずに、基 礎数学力の発露として行われる活動だと考える。 虚しい優等生たちは、学ぶべきものは学問としてす でに存在していると思っている。それを学ぶのが勉強 だと思っている。しかし、レベルが高くて修得するの が困難だと思うと、適当に理由をつけて学ぶことを拒 否する。つまり、自分は小学校の先生になるのであっ て、数学の専門家になるわけでない。だから、こんな. ■参考文献 1. 根上生也、日本の算数・数学教育 1998 算数・数学カリキュ ラムの改革へ、『離散数学で変わる数学教育』、pp.129 - 146、日本数学教育学会編、産業図書、1999 年 3 月 17 日. 2. 根上生也、中本敦浩著『基礎数学力トレーニング』、日本 評論社、2003 年 10 月 25 日. 3. 根上生也、『計算しない数学 ―見えない “答え” が見えて くる』、青春出版社、2007 年 3 月 15 日.. 教育デザイン研究 創刊号 67.
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