• 検索結果がありません。

比較教育社会史研究会通信, 第6号

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "比較教育社会史研究会通信, 第6号"

Copied!
9
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

比較教育社会史研究会通信, 第6号

著者

橋本 伸也, 岩下 誠, 神代 健彦, 蝶野 立彦, 長谷

部 圭彦

発行年

2007-07-15

(2)

ヒ較教育社会史研究会通信

2007年 7月 15日 第 6号

シンポ ジウム 「歴史 のなかの教育 と社会 一比較教育社会史研究の来 し方行 く末」

言已 録 と

雑 感

2007年 5月 12日 (土)、青 山学 院大学 において開 催 された本 シンポ ジウムは、 タイ トルの通 り、発足 か ら現在 までの比較教育社会史研究会の成果 を総括 し、今後 を展望す るとい う内容 であ った。広 田照幸 氏 (日本大学)の 司会 の下、橋本伸也氏 (関西学院 大学)、小 田中直樹氏 (東北大学)、今井康雄氏 (東 京大学)、森直人氏 (岐阜聖徳学 園大学)に よる報 告 が行 われた。 始 めに、本研究会 において中心 的な役割 を果た し て きた橋本氏 か ら、現下 の研究の到達水準 と今後の 課題 につ いて報 告がな された。 まず、 先行す る教育 社会 史研究 に対す る本研究会 の位置づ けがな され、 続 いて これ までの研究会 の活動 と現在の到達点が示 された。最後 に、今後の展開 と して、1990年代以降 の世界状況 のなかで教育 をめ ぐる課題 を歴史的に ど う把握す るか、 とい う問いが提起 された。続 いて小 田中氏 は、本研究会の成果を、伝統的な教育 史か ら 明 らかに脱却 していると評価 した。 その Lで 氏 は本 研究会の対象が近代に偏 っていると指摘 し、前近代 ・ 近代 ・現代 の差異が意識 されて い るか、 「教 育」概 念 に対す る自己反省 は十分か、学際性 の問題 として 隣接領域 の成 果や理論をツール と して有効 に使 えて いるか、教育学 固有 の視点か ら従来 の歴史学の方法 論 が どう捉 えなお され るのか、 とい った論点 を提示 した。今井氏 は、研究会 の成果を、近代教育 に対す る事実 の レベルでの相対化 を達成 していると評価 し た。他方 で、教育政策 な どのマ クロ レベルでは、教 育者側の意 図の屈折 と意 図せ ざる結果 とい うプロセ スを描 くことができているが、 ミクロ レベル、相互 行為 の レベルでの実証 が弱 い と指摘 した。森氏 は、 近年 の研究会の成果が、「統合 と排除」「支配 と従属」 とい った一元的なマ クロ構造 に還元 されない重層的 な諸相 を解 明 している反面、機能への視点がやや弱

下 言 成 (日本学術振興会特別研究員 ・青山学院大学)

め られ 「構造変動」 を描 ききれていないのではない か と指摘 し、併せて、教育 の構造、機能、主体の相 互連 関を明 らかにす るため、社会化機能 の具体的な 描 出の必要性 があると した。 その後の質疑応答で提 出された論点 は、主 として 次 のよ うにま とめ られ る。 まず、大 きな枠組み と し ては、従来の教育 史研究 に対す る総括 および本研究 会 がそれ らを どう乗 り越 えてい くか とい う点が、方 法論 や フ レーム ヮー クの観点 と、教 育学 の理論 的な 観点の双方 において問われた。 それ と関連 して第 二 に、比較教育社会史 とい う学際的な研究領域 の性格 と、今後 の展望 を どのよ うに考 え るか、 とい う論点 が提 出 された。具体 的 には、教育 の経済的機能 を ど のよ うに説明す るか、教育 の公共性 を、 国家のプ レ ゼ ンスの低下 とい う事態 と絡 めて どう考え るべ きか、 学習主体 の経験 や、 ミクロな相互行為を どのよ うに 描 きうるか とい った論点が出され、 いずれ もフロア と報 告者 の間で活発 な議論 がな された。 個人的には、橋本報告 の、過去20-30年 に蓄積 さ れてきた歴史像 (近代教育批判)を 前提 としつつ も、 それ らの議論 か ら論点を大 き く移す必要があるとい う指摘 に大 き く頷 いた。恐 らくは少 なか らぬ教育 史 研究者 が感 じている閉塞感 を適切 に言 い表 している と感 じられたか らである。護教論的教育史は政治史 0 経済史 と噛み合 う議論 がで きていない と広 田氏が発 言 していたが、 それ らを批判 していたはずのポス ト モダ ン的な教育 史研究 もまた観念的な批判 に終始 し た (今井氏)と い う点では、広 田氏の指摘 がそのま ま当てはま って しま うだろう。 その ことが、 ポス ト モダ ン的近代教育批判 もまた、現在政治 的に去勢 さ れている一 因であるよ うに思 われ る。 そ して他方、 近代学校教育 の普及 を 目指 している多数 の国や地域 が存在す ることを考 え るな らば、教育 の経済機能 を

(3)

単な る選抜機能 のみな らず コンテ ンツまで合 んで解 明すべ きであるとした広 田氏や森氏 の指摘、 および 前近代や現代 まで射程 を伸 ば した上 で近代教 育の概 念定義 を反省すべ きであるとす る小 田中氏や松塚俊 三氏が提 出 した論点 は、最新刊 における帝 国 とい う 枠組 み と並 んで、比較教育社会史の新 たなブ レイク スルーのために、必要不可欠であるように思 われる。 また、今後の展望 として、 ミクロな分析の充実 と、 比較対象 の拡大や世界史の構築 とい う、一見相反す るよ うな提案がな されたが、 この議論 は、 国際教育 史 学 会 機 関誌 Pαθごαgοgjcα risιorjcαで2001年に な された論争 を想起 させた。女性 史を除いて、現在 の教 育社会史 は新 しさを失 いなが ら、他方 で教職科 目と しての レリバ ンス も喪失 したのでないか とい う 」urgen Herbstに よ る挑 発 的 な問題提起 に対 し、 Milton Gaitherはグ ローバ リゼー シ ョンとい う枠 組みを設定す ることによ って、 ト ラ ンスナ シ ョナル な教育史 を再 び描 く可能性 が得 られ ると し、Kate Rousmaniereは 、 クラスル ー ム史 とい った近年 の ミクロな社会史が、学際的で新 しい教育史研究の分 野 を開拓 し続 けていると応答 している。 ほぼ並行す るよ うな内容 であるが、東欧や 日本 まで合 めた 「比 較Jと い う視点を有す る分、本 シンポ ジウムの議論 は さらに深 い射程 を持 ち得 たよ うに思 われ る。 マ ク ロ、 ミクロ、 どち らの路線 を選択す るに して も、領 域、方法の双方 において、今後 はますますハイブ リッ ドな研 究 が求 め られ るで あ ろ う。 そのた め に も、 「知 の ネ ッ トワー ク」 とい うあ り方 を堅持す るとい う方針が、今 回のよ うな総括 と展望 の場 で確認 され た ことは、非常 に喜 ば しく思 われた。 大会 2日 目の午前 中、 『帝 国 と学校』 の合 評会 が 行われた。編者である橋本伸也先生 (関西学院大学) が司会 をつ とめ られ、評者 に平野千果子先生 (武蔵 大学)、木畑洋一先生 (東京大学)を 迎 えての会 で あ った。 まず は編者 であ り司会の橋本先生 よ り、企画 の背 景 を交えた本書 の説 明がな された。 それ によれば本 書 は、 これ までの叢書 ・比較教 育社会史を通低す る 国民国家論 の枠組みの成果 と課題 を受 けた ものであ るとい う。 それが、本書 の タイ トルである<帝 国 > ない し<植 民地 >へ の着 目で あ り、 「一 国史」 的な 研究 とな りが ちな国民国家論 の枠組 みを相対化す る ため、 <帝 国 >や <植 民地 >と かかわ らせつつ、学 校 ・教育 の構造 を新 しい視角か ら見 ることが、本書 の基本的なテーマであるとの ことであ った。 その後評者 2人 か ら、 ご自身 の研究を踏 まえつつ 論評があ った。平野先生 の コメ ン トは、大 き く2つ に分 け られ る。 「<帝 国 >と はなにかJと い う点 と、 「支配 され る側 の主体性」、 ない しその 「重層性Jの 2つ である。 これ らは今 回の合評会全体 を貫 く2大 論点であ った。 またそれ らは、 それぞれ さらにい く つかの個別論点を含んでいた。 内容 は多岐にわた っ たが、前者 に関 しては、 <帝 国 >類 型 の妥 当性 や、 帝 国主義 の展開 と深 い関係 にあると思 われ る<文 明 化 >と い う概念、 また後者 に関 しては、支配者側 の 統制下 にある学校 に被植民者 が通 うとい うことの意 神 代 健 彦 ( 橋大学大学院生)一 味 につ いて、な どの論点 は非常 に印象 に残 った。 続 く木畑先生 か らの コメ ン トは、先 ほどの 2つ の 論点 を別の角度か ら述べた ものであ った。具体的 に は、 「<帝 国 >と は何 か」 とい う点 に関連 して、 あ たか も迷宮 のような様相 を呈す る 「複数 の帝 国の世 界史的な同時代性 のなかでの相互 の連 関 (関係)J を認識す るための 「比較劃 とい う本書 の分析視角 に 対 して肯定的評価 が与 え られ、 また (各章 でそれぞ れ指摘 されている)支 配 に対す る被支配者側か らの 反応 の多様性 を考察す ることの重要性 が改 めて提起 された。 ただ し、本書 の傾 向 と して全体 的 に制度論 が強 く、教 育の内容への踏 み込 みが弱 い ことな ど、 い くつかの批判 も為 された。 新 たな論点や批判を含む これ らのコメ ン トを受 け、 執筆者側か らの応答 は、本書 の もう一人の編者 であ る駒込武先生 か ら順 にな されてい った。以下、 その 大枠 を示 したい。 駒込先生 か らは、 ホブズボームの定義 を基礎 と し つつ展開 された<帝 国 >の 類型 について、執筆経緯 を振 り返 りつつ応答があ った。 印象 に残 った点 を挙 げれば、 <帝 国 >の 類型 0比 較 それ 自体が 目標 とな るので はな く、 (木畑先生 が肯定 的評価 を与 えた) その作業 を経 た上 で描 かれ るそれぞれの連 関 ・関係 が叙述 され ることが、強 く意識 されていた とい う点、 また、抵抗す る主体 と同化す る主体 を二律背反 と し て描 くのではな く、 それ らが並存す る もの として被

『帝国 と学校』 合計会

2

(4)

-教育者がイメー ジされていた とい う点な どである。 その後 の議論 は、 「<帝 国 >と は何 か」 とい う点 に関連 して、橋本、京極、大津留、李、小檜 山の各 先生方が、 また被教育者 の主体性 に関 して北村、古 川、長 の各先生方が応答 され る形 で進行 した。前者 に関 しては、 冒頭 で駒込先生 が設定 した<帝 国 >類 型を もう一度敢えて相対化す る契機 となるような様 々 な差異が、各論者 か ら提起 された。 その過程 では、 「非公式 の帝 国」 とい うネー ミングをめ ぐる木畑先 生 と小檜 山先生 の議論 の応酬 があ った りと、合評会 な らではのエキサイテ ィングな場面が垣間見 られた。 一方後者 に関 しては、具体的な支配一被支配構造の ヒエ ラルキーを前提 に、 その中での学校 の位置づ け や、構造 その ものの重層性 な ど、 よ り教育研究 とし て焦点化 された議論 がな された。 以上 が、今回の合評会 の基本的な流れであ った。 概 して言 えば、 ここまで紹介 した過程か ら垣 間見え るよ うに、最初 に示 された 2つ の大 きな論点が、 フ ロア も含 めた議論 のなかで徐 々に明確 なイメー ジと して深化 してい った と言えよ う。会場 の応答を通 し て、 (さま ざまな異論 を含みつつ)対 象 に対す る認 識 が深化 してい く過程 を体験 しえた ことは、非常 に 貴重 な ものであ った。惜 しむ らくは、 2大 論点 と し て整理 された大枠 の議論 のかげにか くれて、魅力的 な個別論点への言及 が ( 提起 はされていたに もかか わ らず) 聞 かれなか った点である。 それ は例 えば、 言語教育 の問題 であ り、 また帝 国における女性 の問 題な どであ った。言 うまで もな く本書 で対象 とな っ た諸 < 帝 国 > は 、特定 の言語 圏を越境 して拡大 して い った ものであ り、 そ こに様 々な葛藤が含み こまれ ていた ことは、本書 の複数 の論文 が明 らか に した と ころであ る。 また、被教育者 の主体性 と一 口に言 っ て も、 それは様 々な差異 の存在す る人 々の集 団であ り、 そのなかで女性/ 男 性 とい う区分 は重要 な差異 の 1 つ であ る。 これ らの問題 に切 り込 む有益 な視点 は、本書 の各論文 において数多 く提起 されていただ けに、執筆者 のほとん どが一 同に会 した この場 にお いて、 よ り踏み込んだ議論が行われなか った ことは、 非常 に残念 であ った。 しか しいずれ に して も、 や り取 りのなかでは しば しば 「『帝 国 と学校』 第 2 弾 を是非劃 とい う声 が挙 が っていた ことか らもわか るとお り、本書及 び今回 の合評会 は、非常 に刺激 に富み、今後の <帝 国 と学 校 > 研 究 に関 して大 きな可能性 を示す ものであ った といえよ う。 当の私 も、改 めて 自身の研究の 「一 国 史」 的な側面 を強 く反省 させ られた とい う意味で大 い に刺激 を受 けた 1 人 で あ り、 また何 らか の形 で 「第 2 弾 J を 密かに希望す る次第である。 比較教育社会 史研究会大会 のセ ッシ ョン 「識字 と 読書」 は、今回で 4回 目の開催 とな った。 当 日の報 告会 では、 まず 山口美知代氏 (京都府立大学)が 近 代 イギ リス言語教育史の視点か ら 「イギ リスの読 み 書 き教育 と綴 り字改革運動 ― ― ロ ン ドン学務委 員会 の請願運動 (1876-8)と 『読 み書 き能力』 の 意味Jと い うタイ トルで報告 をお こない、次 いで永 嶺重敏氏 (東京大学駒場図書館)が 近代 日本読書文 化史の視点か ら 「東京大学 における左翼学生 の読書 文化劃 とい うタイ トルで報告 をお こな った。第 2回 (2005年10月)及 び第 3回 (2006年3月 )の 大会報 告会 でな された報告 はいずれ も 「読書」 の問題 を中 心 テーマに据えた ものであ ったが、今回の報告会 で は、 山口氏 の報告 が 「識字教育」 の問題 を、 そ して 永嶺氏 の報告が 「読書文化」 の問題 をそれぞれ中心 テーマに据 えてお り、 その点で本 セ ッシ ョンの本来 のテーマ設定 に沿 った内容構成 とな った。 セ

ョン 「誡 字 と読 吉」

蝶 野 立 彦 ( 稲 田大学)早 山口氏 の報告 では、公的初等教育 の普及 のための 行政機 関であ った ロ ン ドン学務委員会が 《綴 り字改 革 に関す る王立調査委員会 の設置》 を求 めて1 8 7 0 年 代 にお こな った請願運動 に光 が当て られ、 その請願 運動 の分析 を通 して、1 9 世紀後半 のイギ リスにおけ る 《読 み書 き教育推進派》 の主張がいかな る 《読 み 書 き能力》観 に支 え られていたのか、 とい う問題 が 論 じられた。不規則 な英語 の綴 り字 をよ り表音 的で 規則的な ものに しよ うとす る 《綴 り字改革必要論》 その ものは1 6 ∼1 9 世紀 のイギ リスで繰 り返 し提唱 さ れたが、 1 8 7 0 年代 の請願運動 のなかでは、 そ うした 綴 り字改革論 が とりわけ 《公的な読 み書 き教育 の効 率化 のための方策》 と して唱え られた。 そ して山口 氏 の分析 によれば、 このよ うな 《読 み書 き教育 の効 率化 のための綴 り字改革》 の主張の、 その教育思想 的背景 を成 して いたの は、 《正 確 な書 き言 葉 の修 得》 と 《正確 な発音 の修得》 とを一対 に して不可分

(5)

の課題 と見なす 《読 み書 き能力》観であ り、 しか も、 当時の基礎学校 における言語教育 がデ ィクテー シ ョ ンを主体 とす る ものであ った ことか らも見て とれ る よ うに、 そのよ うな 《読 み書 き能力》観 は、19世紀 後半 の イギ リスの言語教育 の趨勢 その ものを反映 し ていたのである。近代 ヨー ロ ッパ教育 史 0文 化史 に 関す る論述 のなかでは 《公教育 を通 じての大衆 の識 字能力の向上》 と 《文字文化 の浸透》 とい う側面が 強調 され ることが多 いが、今回の報告 は、 《識字能 力 の育成 と書 き言葉 の規範化》 を 目指す19世紀 の公 教育思想 が実 は 《語 り言葉 の規範化》 の思想 によ っ て裏打 ちされていた ことを明 らか に した点で、興味 深 い ものであ った。 永嶺氏 の報告では、明治期以降の 日本 の読書文化 の重要な担 い手 としての 《学生層》 に光が当て られ、 特 に東京 (帝国)大 学 のケースを例 に取 りなが ら、 大 i三期∼戦時体制下∼戦後の東大 の学生 たちの読書 文化の変遷が論 じられた。 同報告 によれば、大正 中 期か ら1960年代 に至 るまで、学生 たちの読書文化の 主た る思想的バ ックボー ンであ り続 けたのは、社会 主義 (ない しマル クス主義)の 思想 であ った。 そ し て この時期 には、左翼図書 の収集 ・回読 をお こな う 「帝大新 人会」 や労働者 階級 へ の読 み聞かせ ・教化 活動 を 目的 と した 「帝大セ ツル メ ン ト」 のよ うな学 生 団体、 あるいは書籍 ・雑誌 の廉価共 同購入 をお こ な う 「学生消費組合」 や 「協 同組合」 な どの組合組 織 が、学生 たちの読書文化の組織 的 ・物質的基盤 と して重要 な役割を果た してお り、 またそれゆえに、 この時期 の学生 たちの読書活動 は 一 ― 自 分 たち の本 を共 同で入手 し、共 同で読 み合 う、 とい う意味 での 一 ― 《 共 同的営み》 と しての性格 を色濃 く 備えていた。 ところが1970年代以降、学生 たちの間 で 《エ リー ト意識 の衰退》 と 《読書 内容の大衆化》 長 谷 部 さる 5 月 1 2 0 1 3 日、青 山学院大学 において、比較 教育社会史研究会 の春季大会が開催 された。 その詳 しい模様 は、本通信 に掲載 されている他 の諸氏 の ご 報告 を参照 していただ くと して、 ここでは、私 の専 門である 「オスマ ン帝 国教育 史」 に即 した、研究会 および新刊 の 『帝 国 と学校』 の感想 を述べたい。 そ のためには、 まず、我が国においてあま りに知 られ ることの少ない 「オ スマ ン帝 国教育 史」 につ いて、 さらには 《孤読化》 が進行 してゆ くなかで、 旧来の 《共読》 の伝統 は失 われ、 さ らにそれ に伴 って 《学 生固有 の読書文化》 その もの も次第 に消滅 してい っ た、 と永嶺氏 は分析す る。 このよ うに今同の報告で は、 大正 期 ∼ 1960年代 の学生 の読 書 文化 の特 徴 が 《左翼思想 をバ ックボー ンとす る共 同的読書》 とい う側面 か ら総括 されて いたが、 (読み聞かせや読書 集会 とい った形態 による)《 共 同的な読書行為》 と い う論点 は実 は近世 ヨー ロ ッパ史の研究のなかで も 盛ん に取 り上 げ られている論点であ り、 そ うした観 点か ら見て も、大変 に興味深 い報 告であ った。 本 『通信』第 5号 の 「識字 と読書」 セ ッシ ョンに つ いての コメ ン トのなかで八鍬友広氏 は 「読書論の なか に識字論 を どのよ うに組 み込 むべ きか」 とい う 問題提起 をお こな ってお られ るが、今回の二つの報 告 に接 して改 めて感 じさせ られたのは、 《個 々人の 識字能力の向上 (育成)》 とい う契機 と 《読書 の実 践》 とい う契機 の間に直線的かつ予定調和的な連続 的関係性 を措定す ることの困難 さであ った。即 ち、 《個 々人 の識字能力 の向上》 を 目指 したはずの近代 ヨー ロ ッパの公教育思想が実 は 《語 り言葉 に対す る 教育 的 ・イデオ ロギー的関心》 によって強 く規定 さ れてお り、 また逆 に、近代 日本の学生 たちの 《読書 実践》 において 《 (個々人 による識字 をかな らず し も前提 と しない)共 同的な読書 のスタイル》が重要 な役割 を果た していた とす るな らば、 これ らの現象 のなか に 《個 々人の識字能力 ⇒ 読 書実践》 とい う単純 な連続的関係性 を読み込 む ことはで きないは ずである。 む しろ、 多様で具体的な歴史現象 を踏 ま えなが ら 《個 々人の識字能力 ⇒ 読 書実践》 とい う従来 の識字論 ・読書論 の基本構図を相対化 してゆ く、 そ うした方 向性 のなか に本 セ ッシ ョンの可能性 が秘 め られているように も感 じられた。 圭 彦 ( 東京大学大学院生、 日本学術振興会特別研究員) ご く簡単 に紹介す る必要があろう。 オスマ ン帝 国 ( 1 2 9 9 - 1 9 2 2 ) は、 ヨー ロ ッパ ・ア ジア 0 ア フ リカの三大陸 を、600年以上 にわた って 支配 した、世界史上屈指の大帝 国である。我が国で は、 かつ て、 「オ スマ ン= ト ル コ」 あ るいは 「トル コ帝国」 な どと呼ばれていたが、 この国家 には、 イ スラーム教徒 ( ムス リム)の トル コ人だけでな く、 ギ リシア正教徒 ・ブルガ リア正教徒 ・アル メニア使 4

-レ

ヒ較教育社会 史研 究会 に参加 して

(6)

徒教会教徒 ・ユ ダヤ教徒 とい った非 ムス リム も多数 存在 し、 さ らに、 同 じムス リムではあるが、 ト ル コ 語 とはま った く異 な る言語系統 に属す るアラ ビア語 や クル ド語 を母語 とす るアラブ人や クル ド人 も存在 して いたので、近年 で は この王朝 を、 「オ スマ ン帝 国」 あるいは 「オ スマ ン朝」 と呼称す るのが一般的 である。 このよ うな多様性 を もつオ スマ ン帝 国の、前近代 における学校教育 は、原則 と して宗教共 同体 ごとに な され るものであ り、 国家が直接介入す る営 みでは なか った。 た とえば、 ムス リムのための初等教育機 関であるク ッターブでは、聖典 『コー ラ ン』 の暗誦 をは じめ と して、 アラ ビア語 の読 み書 きやイスラー ムの初歩 的な戒律が教え られ、高等教 育機関である マ ドラサでは、解釈学 ・伝承学 ・法学 ・アラ ビア語 文法学な どが教授 されたが、 いずれ も、宗教寄進財 産 (ワクフ)に よ って運営 され、国家が これ らを直 接管理 していたわ けではなか った。非 ムス リムの教 育機関 において も、 ほぼ同様 に、基本的 に宗教 と関 わ りのある諸学が教 え られ、 オスマ ン政府の干渉 は 受 けていなか った。 しか し、18世紀後半以降、 こうした宗教共 同体 ご との学校 と併存す る形で、国家 による教育機関が設 立 されは じめた。すなわち、西欧の軍事的脅威 に対 抗す るために軍事諸学校が まず設立 され、つ いで、 中等 レベルの学校 や、文官養成 のための学校が、相 次 いで設立 された。 さ らに、 中央政府 のなかに、教 育行政 を扱 う部局や省庁 も設置 され、体系的かつ包 括 的 な教育 行政法規 も制 定 され た。 この よ うに、 「近代」以降、 オ スマ ン帝 国 において も、 同時代 の 他 の地域 において も見 られ るよ うな教育改革が遂行 されたのであ る。 これを以 って、近年 のオ スマ ン史 研究者 は、教育現象の 「世界史的な同時性」 を強調 して い るが、興 味深 い ことに、 この表現 は、 『帝 国 と学校』 において も散 見 され る。 したが って、 この 「同時性」 へ の着 日は、 オ スマ ン史研究者 と教育史 研究者 との間の有意義 な対話 を可能 にす る一つの手 段 とな るであろ う。 そ こで、 この 「世界史的な同時性」 に着 目してみ る と、 「比較」 を名称 に冠す る本研究会 な らで はの 魅力的なテーマを設定す ることが可能 にな る。すな わち、 こう した 「世界史的な同時性」 を経験 した地 域の教育 史を、他 の地域 の事例 を視野 に入れつつ叙 述 したな らば、 あるいは、 なん らかのテーマ、 た と えば、初等教育 の法制化、総合大学の設立、女子教 育の制度化、教 育行政法規 の制定、改革 モデル国の 選択、秩序原理 と学校教育 とい ったテーマについて、 比較 史的 に議論 したな らば、従来 の教育 史を書 き換 え ることが可能 にな るであろ う。 また、 そ こで得 ら れた知 見は、教育 史のみな らず、歴史学一般 に も有 用であろう。 さ しあた りここでは、上述 のテーマの うち、「初等教育 の法制化」 と、「秩序原理 と学校教 育Jの 二点 につ いて、 ご く簡単 に触 れたい。 オスマ ン帝国 における初等教育 の実質的な法制化 は、1869年であ った。 これは、ハ プスブル ク帝 国に おけるそれ と、まった く同年である (『帝国 と学校』)。 オ スマ ン帝 国について言 えば、法制化のアイデア 自 体 はそれ以前か ら存在 した ものの、 その実現が両帝 国でま った く同年 であ った とい うことは、非常 に興 味深い。 また、秩序原理 と学校教育 について言 えば、 その前年 の1868年に、 オスマ ン帝 国において もロシ ア帝国 において も、従来の秩序原理 とは異 な る学校 が設立 された。すなわち、 オスマ ン帝 国では、上述 のよ うな宗教 ごとの学校 ではな く、 ムス リム と非 ム ス リムが ともに学ぶ 「帝室学校」 が設 立 され、 ロシ ア帝 国 においては、従来 の 「身分や宗派要件 に代 え て…財産資格 を入学条件」 とす る、 「皇太 子ニ コラ イ記念 リツェイ」 が開校 した (橋本他 『エ リー ト教 育』)。 こう した、 まさに 「世界 史的な同時性」 と言 い得 る現象 は、単 な る偶然 とは考 えに くい。 おそ ら く、 三国 とも、 同 じよ うに悩 みを抱 え、 同 じよ うに 解決手段 を模索 していたのであろう。 この ように、 オスマ ン帝国は、ハ プスブル ク帝国や ロシア帝国 と、 極 めて興味深 い類似点 を有 して い る。 「比較帝 国史 研究 とい うア レーナ」 に、私 も参加 したい と願 う所 以である。 最後 に、 「オ スマ ン帝 国教育史Jの 重要性 が記 さ れていた 『帝 国 と学校』 の 「あ とがき」 を拝読 し、 気持 ちを密 やかに昂ぶ らせた こと、 そ して、 その状 態のまま研究会 と懇親会 に参加 し、知 的好奇心 が大 いに刺激 された ことを、 申 し上 げたい と思 う。諸先 生方 に、心 よ り御礼 申 し上 げます。

(7)

【資料 1】

ヒ較教育社会 史研 究会 のあゆみ (2001-2006)

◇ 2 0 0 1 年 研 究 会 発 足 準 備 会 ( 2 0 0 1 年 3 月 3 1 日 、 京 大 会 館 ) ◇ 『高等教育 の変貌』『エ リー ト教育』合評会 駒 込武 ( 京都大学) 、 研 究会発足 に向 けた打合会 村 岡健次 ( 甲南大学) ◇ 2 0 0 2 年 発 足 大 会 ( 2 0 0 2 年 3 月 2 3 0 2 4 日 、 同 志 社 大 学 ) ◇ 記念講演 望 田幸男 ( 同志社大学) 「比較資格社会論 の問題水域J 第 2 分 科会 ネ ー シ ョンとエ トノスの教育社会 史 研 究報 告( 1 ) 沢 山美 果子 ( 順正短 期大 学) 「歴 史のなかの女 の身 ( 1 ) 典 田純 ( 高松 高専) 「 ス コ ッ トラ ン ド・ナ シ ョナ リズム と歴 史 体 一 日本 にお ける性 ・生殖 ・身体 の社会 史のために一J 教 育 - 1 9 ∼ 2 0 世紀転換期 を中心 に 一」 研 究報告( 2 ) 松 塚俊 三 ( 福岡大学) 「民衆 に とって公教育 とは一 ( 2 ) 渡 辺和行 ( 奈良女子大学) 「近代 フラ ンスの歴史教 育J 1 9 世紀 イギ リスの公教 育史 と歴 史学 ―J 第 3 分 科会 実 業世 界の教育社会 史 第 1 分 科会 身 体 と医療 の教育社会 史 ( 1 ) 広 瀬信 ( 富山大学) 「 イギ リスにお け る技術者養成 の歴 史的展 ( 1 ) 小野直子 ( 富山大学) 「 ア メ リカ合衆 国 における医療 の専 門職 開 J 化 と医学教育 改革J ( 2 ) 森 直 人 ( 東京大学大学 院) 「鶴 岡工業学校 につ いてJ ( 2 ) 西尾達雄 ( 鳥取大学) 「植民地朝鮮 における身体教育J ◇ 2 0 0 2 年 秋 季 例 会 ( 2 0 0 2 年 9 月 2 3 日 、 京 都 府 立 大 学 ) ◇ 第 1 分 科 会 身 体 と医療 の教育 社 会 史 ―叢書刊行へ の報告検討 の 報告検討 会 △ 3 分 科会 実 業世界の教育社会史 ―叢書刊行への報告検討会 第 2 分 科 会 ネ ー シ ョンとエ トノスの教育社会 史 ―叢書 刊行ヘ ◇2 0 0 3 年春季大会 ( 2 0 0 3 年4 月 5 0 6 日 、同志社大学) ◇ 記念講 演 村 岡健次 「教育 と宗教 ―近 代 イギ リス民 衆教育 史ヘ セ ッシ ョン 2 帝 国 と学校J の一視角」 ( 1 ) 駒 込 武 ( 京都 大学 ) 「 「帝 国 と学校J を め ぐる座長 か らの問 セ ッシ ョン 1 「 教師 と教職 の社会史」 題 提起」 ( 1 ) 松塚俊三 ( 福岡大学) 「 イギ リスの労 働 者は何 を どの よ うに学 ( 2 ) 大 津留厚 ( 神戸大学) 「ハプスブル グ帝 国における教育 と民族J ん だか、学校 の中で も外 で もな く―読書 の社会 史 と教育史J ( 3 ) 並 河葉子 ( 神戸市外国語大学) 「女性 を対象 とした ミッシ ョン ・ ( 2 ) 高木雅 史 ( 福岡大学) 「学校 ・家族 の関係 をめ ぐる一断面 ―戦 ス クールの役割」 後初期 「教育相談J で 教 師 ・親 は何 を相談 したか ―」 ( 4 ) 橋 本伸 也 ( 広島大学) 「報告 へ の コメ ン トー ロ シア帝 国の場合 ( 3 ) 槙原 茂 ( 島根大学) 「P e a s a n t s i n t o F r e n c h m a n 再考」 と の比較 を通 じて 一J 叢書 『比較教育社会史』編 集打 合 ・検討会 ◇ 2 0 0 3 年 秋 季 例 会 ( 1 0 月2 5 日 、 同 志 社 大 学 ) ◇ 『身体 と医療 の教 育社会 史』 合評会 三 成美保 ( 摂南大学) ・ ( 2 ) 青 木利夫 ( 広島大学) 「2 0 世紀前半 の メキ シヨにおける農村学 田間泰 子 ( 大阪産業大学) 校 と農村教師J 全体 セ ッシ ョン 「教師 と教職 の社会史」 「 教師 と教職 の社 会史J 部 会 ( 1 ) 天野千 恵 子 ( 愛知 県立大学 ) 「ア ンシ ャ ン= レ ジーム期 フラ ン ( 1 ) 石 垣里枝 チ ( フェリス女学院大学 ・院生) 「アイルラ ン ドのヘ ッ スの農村 における初等学校教師J ジ スクールにつ いて」 ◇2004年春季大会 (2004年3月27028日、同志社大学)◇ 記念講演 辻 本雅史 (京都大学)「く教育の メデ ィア史 >の 試み― 『 ネ イ シ ョンとナ シ ョナ リズムの教育社会 史』 合評会 増 井二 日本近世 の場合 ―J 夫 (上越教 育大)0中 谷猛 (立命館大) 全体 セ ッシ ョン 「帝 国 と学校J 「 教 師 と教職 の社会 史J部 会 (1)井野瀬久美恵 (甲南大学)「 ミッシ ョン ・ス クールの顛 末 ―ア (1)塚 本有紀 (奈良女子大学大学 院)「 ヴ ィク トリア時代後期 にお ベオ クタ ・グラマー ・ス クールの子 どもた ち―」 け る女性教師J 12)典田 純 (高松工 業高:専)「井野瀬報告への コメ ン トー人英帝 12)11時 員貴子 (尚細大学)「191世紀 イ ングラ ン ドにお け る視学官 国史の視点 か ら一」 制 度 ― クロス委員会報 告 書を手がか りに一J (3)橋本伸也 (広島大学)「教育 システ ムの帝 国的構造 ― ロシア帝 国 と中央 ア ジア朝鮮 人の事例 に則 して」 「 女 子教育 の比較社会 史J部 会 (4)駒込 武 (京都大 学)「報 告への コメ ン トー 日本教育 史の視点 香 川せつ子 (西九州大学)「 「女子教育Jの 比較社会 史をめ ざ し か らJ て 一新 しい部会の発足 に当た って」 ◇ 2004年 秋 季 例 会 (2004年 10月 16日 、 同 志 社 大 学 )◇ 橋 本伸 也 『エ カ テ リー ナ の夢 ソ フ ィア の旅 』 合 評 会 畠 山禎 『 実 業世 界 の教 育社会 史』 合評会 渡 辺和行 (奈良女 F大 学)・ (名城大学非常勤)・ 阪本佳代 菊 池城 司 (吉備国際大学) ◇ 2005年 春 季 大 会 (2005年 3月 26027日 、 同 志 社 大 学 )◇ セ ッシ ョン 1「 高等教育 とジェンダー」 セ ッシ ョン 2「 識字 と読 書」 (1)小山静子 (京都大学)「女子高等教育論 の地平 ―女子用高等教 (1)松 塚俊三 (福岡大学)「セ ッシ ョンヘの問題提起J 育機 関 と しての短期大学 の成立 ―J (2)山 之 内克 子 (神戸 市外 国語大学)「18-19世 紀 ウ ィー ンにお け (2)堀内真 由美 (大阪大学大学院)「イギ リス女子教育の海外展開 ― る 読書文化 J 19世紀末か ら大戦 間期 を中心 に一J (3)八 鍬 友 広 (新潟大 学 )「近世 日本 にお け る 『読 む こと』 『書 く (3)コメ ン ト 濱 名篤 (関西 国際大学)・ 河村 貞枝 (京都府立大 こ と』J 学) セ ッシ ョン 3「 帝 国 と学校J (1)奥村庸一 (元北海道大学 院)「19世紀 ロ シアの初等学校 とムス 6

(8)

-リム問題 ―帝 国 による 『異族人』統合のあ り方 を巡 ってJ ( 2 ) 京極俊 明 ( 名古屋大学大学 院) 「ハ プ スブル ク帝 国 の初等教 育 「帝 国 と学校J 部 会 ( 1 ) 小檜 山ル イ ( 東京 女 子 大 学 ) 「 東 ア ジア にお け るア メ リカ的 < 非 公式帝 国 > の 形成 と女性宣教師の役割」 ( 2 ) 長志珠絵 ( 神戸 F l i 外国語 大学) 「 ツー リズムの空 間 ―女高 師 の 「満鮮 1 修 学旅行J ( 3 ) 北村嘉恵 ( 北海道大学) 「 日本植民地下 台湾 にお け る先住民教 育の普及過程 一台湾総督府 の就学 「督励」策 の諸相J 「識字 と読書」部会 ( 1 ) 蝶野立彦 ( 早稲 田大学) 「宗教紛争 と教化 の狭 間の読書行 為 ― 1 6 ・1 7 世紀 の ドイ ツ ・プ ロテ ス タ ン ト地域 にお け る読 書 の社 にお ける言 語 ・民族問題 ―モ ラヴ ィアの事例 よ り」 ◇2005年 秋季例会 (2005年 10月22・ 23日 、同志社大学 ・京都府立大学)◇ 会 的位置 をめ ぐって 一J ( 2 ) 長友千 代治 ( 仏教大学) 「近世 日本 にお ける読書 と読者J 「帝 国 と学校J 部 会 ―執 筆者打合会 「高等教 育 とジェンダーJ 部 会 ( 1 ) 佐々木啓子 ( 創造学 園大学) 「戦前期 日本 の女子 高等教 育 にお ける レジテ ィマ シ ィーの構造」 ( 2 ) 阪本仕代 ( 鹿児 島純心 女 i 中 学 ・高等学校) 「1 9 世紀 フラ ンス 女子教育 における F 講座』J ◇2006年 春季大会 (3月 27028日 、東京大学) 記念講演 尾 高燈之助 ( 一橋大学 名誉教授) 「2 0 世紀 日本経済 シ ステムを振 り返 る一今後の展望 を得 るために一」 セ ッシ ョン 1 「 高等教育 とジェンダーJ ( 1 ) 高橋 俗 子 ( 津田塾 大学) 1 日 米 の女性 と高 等教育 ―女 子英学塾 とブ リンマー大学 の周辺 か ら一J ( 2 ) 報告 へ の コメ ン ト 有 賀夏紀 ( 埼玉大学) 『国家 ・共 同体 ・教師の戦 略』合評会 寺 田光雄 (埼玉大学名誉 教授 )・ 木村元 (一橋大学 ) セ ッシ ョン 2「 識字 と読書」 (1)山田史郎 (同志社 大学 )「建 国期 ア メ リカにお け る印刷物 と読 者J 12)横田冬彦 (京都橘大学)「近 世の軍書 と<歴 史 >J

【資料 2】 『

叢吉 ・レ

ヒ較教育社会史』鯰 日次

望 田幸 男 ・田村栄子編 『身体 と医療 の教育社会史』 ( 2 0 0 3 年) 序 「身体 と医療 の教育 社会 史J に よせ て ( 望I I l 幸F / 7 ) 第 I 部 身 体教 育 と身 体 の規律化 第 1 章 食 をめ ぐる身 体 の規 律 化 の進 展 ―近 代 ドイツにお け る 栄 養学 と食教 育 ( 南直人 ) 第 2 章 身 体教育 と国家 ・カ トリック ・共和派 ― フ ラ ンス第 1 共和政期 に見 る ( 亀高康弘 ) 第 3 章 五 月祭 の くメ リー ・イ ング ラ ン ド) 像 ―一 九 世紀英 国 にお け る祝 祭 の変容 とフ ォー クソ ング復興運動 ( 松井 良 明) 第 4 章 植 民地支配 と身体教 育―朝鮮 の場合 ( 西尾達雄) 第 Ⅱ部 医 の制度化 によ る統 合 と排 除 第 5 章 医 師 の 「量 J と 「質J を め ぐる政治過程 ―近代 日本 に お ける医師の専 門職化 ( 橋本鉱市) 第 6 章 専 門医制度 の成 立 とオ ル タナ テ ィブ医療 ― ドイ ツの ホ メオ パ テ ィー 医 に と って の 医 師 職 業 団体 と患 者組 織 ( 服部イ中) 第 7 章 医 療 の専 門分化 と産 科学 の台 頭 ―ア メ リカ医学 界 にお ける産科学 の地位 ( 小野 直子) 第 Ⅲ部 医 の世 界 とジェンダー 第 8 章 在 村 医 の診 察記 録 が語 る女 の身 体 一 日本 にお け る近世 か ら近代への展開 ( 沢山美果子) 第 9 章 女 性 医 師 課程 の誕生 と消滅 ―帝 制 期 ロ シア にお け る女 性 医師 と医学教 育 ( 橋本伸 也) 第 1 0 章 医 学 と女 子 高 等教育 の相 克 ― ヴ ィク トリア期 にお け る 「女性 の身体J ( 香 川せつ子) 第 1 1 章 「 医 の既 存世 界J を 越 え る 「女性 個 人の身 体J 論 ― ワ イマル期 「ドイツ女性医師同盟J に 見る ( 国村栄 F ) 望 田幸 男 ・橋本伸也編 『ネ イ シ ョンとナ シ ョナ リズムの教育社 会史』 ( 2 0 0 4 年) 序 章 ネ イ シ ョンとナ シ ョナ リズムの教 育社会 史 ―主題 と問題 群 ( 橋本伸 也) 第 I 部 近 現代 ドイ ツの ネイ シ ョンと教 育 第 1 章 田 園都 市運動 にお けるナ シ ョナ リズムの変容 ― ドイツ ・ ヘ レラウの教育施設 にみ るナ シ ョナ リズム (山名淳) 第 2 章 ワ イマル期 の 「ネ イ シ ョンJ と ギ ムナ ジウム ー ドイ ツ 語授業 によせて ( 望田幸 男) 第 3 章 ク ライザ ウ 0 グ ル ー プ とキ リス ト教 教 育の復権 ( 封馬 達雄 ) 第 4 章 「西 ドイ ツ国民」 創 出 と政 治教 育の試 み 一連 邦政 治 教育 セ ンターの足 ど り ( 篤政雅代) 第 Ⅱ部 マ イ ノ リテ ィとネイ シ ョンの教育 第 5 章 ラ イ シテ と宗 教 的 マ イ ノテ ィー フラ ンス第 二共 和政 初 期 の教 育改革 とプ ロテ ス タ ン ト ( L 垣 豊) 第 6 章 移 民 と母語 教育 の条 件 - 1 0 1 H 紀 初頭 フ ラ ンス ・ポー 第 7 章 第 Ⅲ部 第 8 章 第 9 章 ラ ン ド人炭坑移民 の場合 ( 中村年延) 帝 国 とネイ シ ョンと学校 ―帝 制 期 ロ シア西 部 国境 地 域 の教 育構造 と 「ロシア化J ( 橋 本伸 也) 歴 史教 育 とネイ シ ョン ジ ェ ン トルマ ンの教養 とシテ ィズ ンシ ップーイ ングラ ン ドの国民形成 と歴史教 育 ( 中村勝美) ス コ ッ トラ ン ド・ナ シ ョナ リズム と歴 史教 育一九 ∼二 〇世紀 転換期 を中心 に ( 輿田純) 第 1 0 章 英 雄 とナ シ ョナル ・ア イデ ンテ ィテ ィー第二 共 和政 フ ラ ンスの歴 史教 育 とナ シ ョナ リズム ( 渡辺和行) 第 1 1 章 ブ ル クハル トの歴 史教 育活動 とバーゼ ル大学 ( 森田猛) 望 田幸 男 ・広 田照幸編 『実業世界の教育社会史』 ( 2 0 0 4 年) 序 章 「 実 業世 界の教育社会 史J の 可能性 ( 広円照幸 ) 第 I 部 ビ ジネスエ リー トの世界 第 1 章 近 代 企業 エ リー ト層 と教育 の機 能 につ いて 一_ 二〇 世紀 初 頭 の 日本 0 ド イ ツ ・イギ リスニ 国 の 比 較 の視 点 か ら ( 中岡俊介) 第 2 章 就 職 委 員会 と実 業 界 に向か った卒 業生 た ち 一二 〇世 紀 前半にお けるケ ンブ リッジ大学 の変容 ( 福石 賢 一) 第 3 章 マ ー ルベ ル ク家 の 人 び と一近 代 ドイ ツにお け る商科大 学 の社会 的機能 につ いて 一 ( 早島瑛 ) 第 4 章 高 等 商 業学 校 にお け る ビジネ スマ ン養 成 ―戦 前期 日本 の地 方都市 にお け る高等教育機 関の社 会 的機能 ( 山田 浩之 ) 第 Ⅱ部 テ クノロジーの担 い手 第 5 章 一 九世 紀 フラ ンスの エ ンジニ ア養 成 と実 業世 界 ( 堀内 達夫 ) 第 6 章 技 術 者 の教育 ・訓練 歴 の変容 ―一 八 八〇 年 代 ∼一 九三 〇年 代 のイギ リスの場合 ( 広瀬信) 第 7 章 ド イツにお け る技 師 の 多層性 ―技 師学 校 の展 開 と消滅 ( 佐々木英 ^ )

(9)

部 章 ″ 弔 第 第 8 章 染 織学校 か ら 「業学校 ヘ ー学校 機能 の変容 と地域 産業 ( 橋野知 了・) 第 9 章 実 業 学校 の ( 中等学校化〉 の軌跡 ―戦前期 日本 にお け る 「中等学校J の 使用慣行 の成1 立( 米田俊彦) 第 Ⅲ部 ノ ン ・エ リー トの世界 第 1 0 章 中 等技 術 教育 の拡 張 と生 徒 の社会構成 ― ロシアにお け る産業発展 と身分制 ( 畠山禎) 第 1 1 章 鉄 道 従 業 員 の採用 ・昇進競争 ―戦 問期 国鉄 の学歴格 差 を中心 に ( 広田照 幸) 第 1 2 章 ド イ ツ職 員 団体 の教育 活動 ―新 中間身分創 出の試 み と その歴 史的役割 ( 吉岡いずみ) 第 1 3 章 知 の喜 び と仲 間 の た め に 一前世紀 転換期 イギ リスの労 働者 成 人教育運動 ( 松浦京子) 松 塚俊 三 ・安原 義仁 『国家 ・共 同体 ・教 師の戦 略 ―教 師 の比較 社会史』 ( 2 0 0 6 年) 序 章 教 師の比較社会 史 にむ けて ( 松塚俊三 ・安原義仁) 国家 と共 同体 の は ざまで 一 八世紀 フラ ンスの初等学校教師 ― ピエール=ル イ= ニ コラ ・ドゥラエの 「日記J を 読 む ( 天野知恵 子) 共 同体 にお け る農村教 師 と住民 一二〇世紀 前半の メキ シヨ農村教 師の証 言 ( 青木利夫) 地 下 学校 の教 師 ―一 九 世紀 後 半∼ 1 1 0 世 紀初頭 ロシア 帝 国領 ポー ラ ン ドの教育 ( 塚本智宏) 連 合王 国成立期 アイル ラ ン ドの民衆 の教 師 ―ヘ ッジ ・ ス クールか ら国民学校へ ( 石垣 里枝 子) 第 5 章 教 師 の 多様性 と国家 による整 序 化 ― 一九世紀 末 イ ング ラ ン ドの基礎学校教師 ( 三時員貴子) 第 6 章 国 家 の官 吏 か専 門職 業 人か ―一 九一 七年 プ ロ イセ ン教 員試験 規程 の成立 と中等教 員像 ( 吉岡真佐樹) 第 Ⅱ部 教 師 の 日常世 界 と心性 第 7 章 教 育 実 習 と実 習生 の成長過程 一大正 期 イi 川県 女 r 師 範 学校生 徒 の 「教育実習 日誌」 か ら ( 柏木敦) 第 8 章 高 等 師範学校生 の ライ フ ヒス トリー ー戦 前期 日本 にお け る中等教員像 の形成 ( 山田浩之) 第 9 章 日 記 と手紙 にみ る女性 教師 の′ド性― ^ 九 l i t 紀ア メ リカ における教師像 とその実 際 ( 佐久問亜紀 ) 第 1 0 章 女 性 中等 教 育 の改革 と教 師 の苦悩 ―ヴ ィク トリア期 イ ングラ ン ドの女子 中等教育 ( 塚本 有紀 ) 第 1 1 章 教 師 と心 理 学 テ ク ノ ロ ジー ー戦 後 初期 日本 にお け る 『比較教 育社会 史研究会通信』第 6号 をお届 けいた します。 今号 は、 5 月 1 2 0 1 3 日 に青 山学院大学 で開催 した研究会大会の シンポ ジウム と 『帝 国 と学校』合評会、 セ ッシ ョン 「識字 と読書J に つ いての まとめや大会参加記、 シンポ ジウムで配布 した研究会 5年 間の記録 を掲載 しま した。 大会参加者 は初 日6 0 名、 2日 日午前40-50名 、午後40名、受付で記名 された方 は合計90名弱 と、例年 にな く多 くの 方 々に ご参加 いただ くことがで きま した。 昨年 に続 いて 2度 日の東京開催 で したが、若 い世代 を中心 に新参加者 も多 くお られ ま した。 両 日ともたいへん有意義 な時間を持 てた ことを、報告者 の方 々と参加者 の皆 さん に心 よ りお礼 申 し L げ ます。会場 について格段 の ご配慮をいただいた青 山学院大学の北本先生 に も心 よ り謝意を表 させていただきます。 実 は、昨年の第 5 回 目の大会 を終えた時点で、研究会のマ ンネ リ化 を危惧 し、新 たな出 し物 を発掘す る困難 さ もあ いま って、研究会 を継続す るのか どうか、継続す る場合 どの ような主題 と組織 のあ り方が良 いのかを真剣 に考 えま し た。 これ まで研究会のお世話役や叢書 の編者 を務 めていただいた方 々に メールで問題を提起 し、何人かの方 々とは直 接 お 目にかか って議論 もして きま した。 その結果、 これまでの到達 と課題 を明 らか にす る機会 を持つ ことが確認 され、 今 回の シンポ ジウム と して結実 しま した(その うち私 の報 告は、「歴史のなかの教育 と社会 ―教育社会史研究 の到達 と 課題 ―」 と題 して 『歴 史学研究』 8月 号に掲載 され ます。 ご笑覧下 さい)。また、 これ までの共 同研究 と叢書 の作 り 方 の長短 を率直 に反省 して、 ネ ッ トワー ク型 の開かれた研究会 と しての性格 は堅持 しつつ、共 同研究では濃密 な議論 のできる組織化 のあ り方 を追求す ることに しま した。研究会通信前号で望 田先生の提起 された、後続世代 は比較教育 社会 史草創期 とは異 な る歴 史的状況 に どう応答 しよ うとす るのか との問 いか けには、新 しく 「福祉 国家 と教 育J「保 護 と遺棄 の子 ども史」 とい う相T L に密接 なつなが りのある、 そ しておそ らく目下 の時代状況 を考 えた ときに切実 な主 題 の部会を設定 し、組織化を進 めて きま した。新 しく何人かの方 々にお世話役 と して参加 いただ くこともで きま した。 また、『帝 国 と学校』 につ いては、本 にす るか どうかは ともか く、積 み残 した課題 に応え るための 「帝国 と学校 ¨・そ の後Jと い うよ うな部会を持つ ことも検討 中です。 存続 が 自己 目的化 した官僚制的組織 ではな く、解明 され るべ き課題 を引き受 けて考 え続 ける 「知 の運動Jと しての 役割 はまだ少 しはあ りそ うだ とい うのが 目下 の研究会 の意義 であろうと思 います。 昨年 はお休み した秋 の研究会 は、 今年 は1 1 月頃に関西学院大学で行 う方 向で検討 ・調整 しています。 引 き続 き、 みな さまの ご支援 を心 よ り御願 いいた します。 橋本伸 也 h a s h i n @ m d . n e w e b . n e . j p / h a s h i n @ k w a n s e i . a c . j p 6 6 2 - 8 5 0 1 兵 庫県西宮 市上 ヶ原一番町1-155 関西学院大学文学部気付 「教 育相談J の 導入 ( 高木雅 史) 第 Ⅲ部 共 有 され る知 とその文化 第 1 2 章 独 学 の文 化 ―一 九 ∼二 〇世紀 の イギ リス労働者 は何 を どの よ うに学んだか ( 松塚俊 ■) 第 1 3 章 手 紙 と独 学 ―農民作 家 エ ミール ・ギ ョマ ンと文通 の ソ シア ビ リテ ( 槙原茂) 第1 4 章 大 学拡 張講義 の講 師た ち―前世紀転換期 オ ックスフォー ドの旅す る教師 ( 安原義仁) 駒込武 ・橋本伸也編 『帝国 と学校』 ( 2 0 0 7 年) 序 章 帝 国 と 「文明 の理 想J ― 比較帝 国 史研 究 とい うア レーナ で考え る ( 駒込武) 第 I 部 「 王朝帝 国J に お ける求心 力 と遠心力 第 1 章 帝 国 ・ユ ダヤ ・教育経験 ― 一九 置紀 ロ シア帝 国 にお け るユ ダヤ人教 育の展開 ( 橋本伸 也) 第 2 章 多 民 族帝 国 にお ける多重言 語能 力 の育 成 ―モ ラヴ ィア にお け る民 族 言語 の相 互習 得 を め ぐる論争 よ り ( 京l ・L 俊 明) 第 3 章 帝 国 ・共 和 国 ・帝 国 ―ウ ィー ンのチ ェコ系小学校 コメ ンスキー 0 シ ュー レの現代 史 ( 大津留厚) 第 Ⅱ部 帝 国 日本 におけ る学校 の不在 ・偏在 ・遍在 第 4 章 植 民地 近 代 社 会 にお け る初等教育構造 ―朝鮮 にお け る 非義 務制 と学校 「普及 1 問 題 ( 占川宣 F ) 第 5 章 蕃 童教 育所 にお け る就学 者増 人の 具体相 ―台湾総督 府 の就学督励 とその現実 的基礎 をめ ぐって ( 北村嘉恵) 第 Ⅲ部 文 明化 のエー ジェ ン ト 第 6 章 現 地 人 ミッシ ョン ・エ リー トと教育 の 主体性 ―植民地 ナ イ ジェ リアの 中等教育 問題 を例 と して ( 井野瀬 久美 恵 ) 第 7 章 帝 国 ・近 代 ・ミッシ ョンス クール ー ピ ョンヤ ンにお け る 「帝 国 内帝 国」 と崇実学校 ( 李省展) 第Ⅳ部 帝 国空 間のなかの 女性 た ち 第 8 章 イ ギ リス帝 国 と女性宣教 師 ―一九 世紀 後半 にお け る女 子教 育 と学校 ( 並河葉 子) 第 9 章 「 帝 │ ] J の リベ ラ リズム ー 「ミ ドゥル ・グラウ ン ドJ と しての 東京 女 千大学 ( 小檜 山ルイ) 第 1 0 章 F 満 洲J ツ ー リズム と学校 ・帝 国空 間 ・戦場 ―女 予高 等師範学校 の 「大陸旅行 1 記 録 を中心 に ( 長志珠絵) 第 2 章 第 3 章 第 4 章 8

参照

関連したドキュメント

2.1で指摘した通り、過去形の導入に当たって は「過去の出来事」における「過去」の概念は

[r]

現実感のもてる問題場面からスタートし,問題 場面を自らの考えや表現を用いて表し,教師の

Fiscal Year 1995: ¥1,100,000 (Direct Cost:

小牧市教育委員会 豊明市教育委員会 岩倉市教育委員会 知多市教育委員会 安城市教育委員会 西尾市教育委員会 知立市教育委員会

(公財) 日本修学旅行協会 (公社) 日本青年会議所 (公社) 日本観光振興協会 (公社) 日本環境教育フォーラム

アドバイザーとして 東京海洋大学 独立行政法人 海上技術安全研究所、 社団法人 日本船長協会、全国内航タンカー海運組合会

[r]