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〈翻訳〉朱家楨「アジア的生産様式の理論研究におけるいくつかの問題について」 : 経済研究1982年第6号

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145 〈翻 訳〉

     中国社会科学院三二究二朱家禎

「アジア的生産様式の理論研究における

いくつかの問題について」

経済研究 1982年第6号

中 鴬 太 一 訳

 内容要旨 ①アジア的生産様式は人類史上,原始的生産様式一般として提起されたもの であり,歴史的唯物論体系の構成部分である。②アジア的生産様式は具体的階級社会の中 に残存している原始的生産関係に対する理論的概括であって,それぞれの社会の具体的社 会形態ではない。従ってそれを具体的なアジア或は東洋社会と区別しなければならない。 ③アジア的生産様式は主としてアジア就中インドの村落共同体制度に体現されている原始 的生産様式と同じものに基いてつくられた理論的概括である。村落共同体の制度はかって 奴隷制社会と封建社会に存在したが,だからといってその性質を奴隷制・封建制と同一視 することはできない。       ×       ×       ×  アジア的生産様式はマルクス主義の一つの理論的問題として提出され,討論されること になってから内外の学界は広汎な論争を展開してきた。それは20年代のはじめから現在ま ですでに60年以上続いている。理論と史料活動の面ではいつれも一定の成果を獲得した が,論争は終結せず,焦点は主としてその社会的性質にある。初期にプレハーノブ,マジ ャール,ヴァルが等に代表される観点は,アジア的生産様式が西欧社会の発展と異る一種 の特殊な生産様式すなわち東洋的社会であると考える。現代イタリーのメルディ教授はア ジア的生産様式を第6種の生産様式として並べるよう主張しているが,実質的には特殊な 東洋的社会論の継承と発展である。ソ連でマジャールなどの観点が批判された時,ゴーデ スは叛説論”を提出し,アジア的生産様式とはマルクスがまだモルガンの「古代社会」 なる一書を読まなかった前に提出した一つのく板説”であると考えた。またコワレフスキ

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一は”’;ISt2 i語論”を提出し,アジア的生産様式は奴隷制と封建制の東洋的変種であると考え る。しかるにライハルトや早川二郎などはアジア的生産様式とは原始時代から奴隷制に至 る過渡形態であると考える。ドゥブロフスキーは所謂独特のアジア的生産様式に反対し, それは実質的に封建的生産様式であると考える。同時期に我国の郭幅出,王亜南及びイン ドのロイ,日本の森谷克己などがおしなべてアジア的生産様式は奴隷制時代に先行する原 始社会であると考えた。また我国の呂振羽と侯外盧などはJすなわちアジア的生産様式が 古代ギリシャ・ローマの奴隷調と異るもう一つの奴隷鰯であると考える。50年代にソ連の ストルーヴェ,ディヤコフ,アファーシェフなどは皆,古代東洋社会は原始奴隷制或は家 内奴隷制であると考える。すなわち,それは発展段階において古典世界の奴隷制と前後継 承するものである。しかし,ジユーメネフは正に東洋と古典世界ははなはだしく異る, 前後継承関係のない二種類の奴隷制であると考える。同じ時期に我国の学者である血書 業,田田五などは,アジア的生産様式が原始的生産様式を代表しているという論点に対し て一歩進めた検討と論証をおこなった。同時に呉澤,日南などはアジア的生産様式が奴隷 社会を代表するという論点に対して又一歩を進めて検討し論証した。ξ四人組”粉砕以 後.学術的気運が新しく高浅してきた情勢と世界的範囲における第三世界社会の発展の道 を検討研究する必要に適応して,我国の学術界においてもアジア的生産様式の問題に対す る理論的研究が広汎に展開している。数年来,少からざる関連の研究論文が発表され,専 門の学術討論会が召集された。討論を通じて若干の観点がだんだんと傾向的に一致しっっ ある。例えば,多くの同志はアジア的生産様式がマルクス主義の創始者の原始的生産様式 に対する比較的初期の理論的概括であることを承認する。しかし,更に多くの問題におい て不一致が依然存在する。ここで私はアジア的生産様式に関する理論的研究において若干 の検討に値する問題を提出して,学界の同志の指正をまちたい。(訳al) 1 アジア的生産様式の理論と歴史的唯物論の原理  久しきに:亙って多くの人々がひたすらずっとマルクスのアジア的生産様式を,東洋或は 古代東洋社会の具体的社会形態及び社会性質を評価し,評定する理論と思いこんでいる。 私はこれは大変な誤解であり,その上多くの関連する理論的論争が正にこの誤解から発生 していると考える。アジア的生産様式,この一つの理論的概念は,マルクスが1859年にか いた「電敷島経済学批判”序言」において最初に提出されたものである。マルクスは「序 言」において自分の政治経済学研究に従事する過程を叙述する以外に,主として彼が政治

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    〈翻訳〉アジア的生産様式の理論研究におけるいくつかの間題について         中国社会科学院経済研究所 拙家禎      147 経済学の研究に運用する歴史的唯物論の原理並びに,そこから獲得した科学的結論を論述 した。すなわち,創造的に生産力と生産関係,経済的基礎と上層建築などの関係に対して 原典的な論述をおこなった後,つづいてマルクスは「大まかに言って.アジア的,古代 的,封建的及び現代ブルジョア階級の生産様式を,社会経済形態の進展する数個の時代と 見敏すことができる」というその論点を提出した。これによってマルクスがこの中で歴史 的唯物論の原理を運用して考察しているのは入類社会の歴史的発展法則であることを見出 すのは難しくない。アジア的生産様式はすなわち人類社会の歴史的発展において一つの時 代を代表する社会経済形態として提出されたものである。従ってその出発点は決してある 特定の具体的東洋社会ではなく,全体の人類社会史である。エンゲルスはマルクスの「政 治経済学批判」の一書を批評した時,それは「:本質的に唯物史観の基礎の上に建立され ており,唯物史観の要点は本書の序言において既に要点をつかんだ明析な説明がされてい る。」と指摘している。レーニンも又同様に明確に次のように指摘している。即ち「マル クスは『政治経済学批判』の序言において,人類社会と人類社会史まで運用される唯物論 の原理に対して,……精密な説明をおこなった。」エンゲルスとレーニンはいつれも「序 言」が解明したものは歴史的唯物論の原理であり,それが考察したのは全体の入組社会史 であると考えていることがわかる。マルクス自身は「資本論」第1巻第2版践においで 又, 「私の『政治経済学批判』序言(そこで私は私の方法の唯物論的基礎を説明した)」 と述べている。しかし,ある同志は逆にマルクス,エンゲルス,レーニンの「序言」に関 しておこなった説明と論断を無視して,「序言」で提出された社会経済形態の進展のいく つかの時代は「決して全体の人類社会の発展法則の高度の概括ではなく,資本主義経済法 則形成の歴史過程を科学的に総括したものである」と考える。もし「序言」を人類社会発 展の法則をはっきり述べたものと見るとすれば,その場合「アジア的生産様式を一つの社 会形態或は一つの裡会発展段階と思いこみ.無理に社会発展史の前後排列の順序の中にひ き重ねてしまうことは,マルクスが政治経済学の視角から提示した社会経済形態の発展の いくつかの時代を,マルクス主義の全体の人類社:会発展に関する一般的法則と混同して論 じることになる。」 しかし,このような論断はきわめて成立し難いものである。何故なら マルクスは「序言」において社会経済形態の進展のいくつかの時代を提出したあと,すぐ 続けて述べている。「ブルジョア階級の生産関係は社会生産過程の最後の対抗形式である …・・l類社会の前史の時期は正にこの社会形態をもって終りを告げる。」 ここでマルクス は,ブルジョア的生産関係を社会経済形態の進展の一つの時代と見倣すと同時に,又それ

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を人類社会史の前期の一つの社会形態と見散している。マルクス自身が「二つの本来異っ た科学的範疇のものを」「まぜこぜに論じた」と考えることができるか否か。当然考えら れない。マルクスが「序言」において述べた社会経済形態は,人類の歴史において存在し た社会的生産様式一般として提出したものであり,従って社会経済形態の進化も,とりも なおさず人類社会形態の進化であり,歴史的唯物論の原理を用いて,歴史上の人類社会経 済形態の進化を観察して,はじめて正確に全人類社会史の発展を理解できる。マルクス主 義以前の歴史学者と社会学者にあっては人類社会史に対する叙述は乏しくないけれども, 彼等は歴史的唯物論を理解できないことによって正確に人類社会経済形態の進化の法則を 把握する方法をもたない。従って全体の人類社会史の発展を正確に説明することは全くで きない。マルクスは「序言」において歴史的唯物論の原理を運用して,生産力と生産関 係,経済的基礎と上層建築,社会意識と社会存在の関係を正確にはっきりと説明した。こ れによって人類社会経済形態進化の客観的法則を発見し,そこから全体の人類社会史の発 展法則を最初に正確に説明した。マルクスのこの思想は,彼が「資本論」初版序言におい て述べていること,すなわち,「私の視点は,社会経済形態の発展を一つの自然史過程と みることである」という視角と完全に一致する。故に「序言」が説明するものは,正しく ぴったりと「人類社会と人類社会史の唯物論の原理である」のであって「資本主義経済法 則形成の歴史過程」ではない。アジア的生産様式の理論的意義は,それが人類歴史上の生 産様式一般として,人類社会有機体の進化過程における一つの時代として提出されたもの である点にある。従ってそれはまず歴史的唯物論体系の構成部分であるところに存する。 2 アジア的生産様式とアジア的社会或は東洋的社会  20年代の初めにアジア的生産様式がマルクス主義の一つの理論的問題として提出された 時期に,最初から人々はそれを特殊なアジア的社会或は東洋的社会の理論として検討し た。この後,多くの人がC特殊論”を批判したけれども,依然としてアジア的生産様式自 体は東洋的社会の性質を評価し評定する理論と見倣されており,中国,外国の学術界の多 くの人も又現在にいたるまでアジア的生産様式を,アジア的或は東洋的社会形態と思いこ んで研究している。彼等は,マルクスが「序言」の中で提出したアジア的生産様式は生産 様式一般であってマルクスによる人類の原始時代の社会経済形態の理論的概括であること を理解しないし承認もしない。彼等は往々にしてマルクスによるアジア的形態に関する叙 述の中で言及されている専制制度,君主,奴隷制,農奴制,租と税の一致などの階級社会

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    〈翻訳〉アジア的生産様式の理論研究におけるいくつかの間題について        中国社会科学院経済研究所 朱家槙       149 の事象を挙げてアジア的生産様式の原始的性質を否定してしまう。このことと彼等がマル クスの提出したアジア的生産様式の方法論を理論的に正確に理解していないことは関係し ていると私は考える。  アジア的生産様式は奴隷制的,封建制的,或は資本主義的生産様式と同じようなもので あることは,具体的な社会経済形態に対する理論的概括であるということであり,従って 一つの抽象的概念である。正確に言えば,それは,アジア,アフリカ,アメリカ,ヨーロ ッパなどの地域の具体的社会の中に残存した原始的生産関係の理論的抽象である。正確に この一点を理解する為に「資本論」において使用された方法論を援用することは絶対に必 要である。「資本論」の分析の対象はブルジョア社会であるが,ただしいかなる具体的な ブルジョア社会でもない。この本の中でしきりに英国に言及するけれども,これはただ 「英国を例証として用いる」ためだけのものである。実際「資本論」は早いかなる具体的 社会をも分析していないし,英国についてさえしていない。それが分析しているのは,た だ資本主義生産様式自身であり,すなわち,資本主義生産様式一般である。それは極めて 真実の,しかし決して純粋ではない存在を意味している。それは実際にすべての具体的資 本主義社会に存在しているが,いかなる具体的資本主義社会もみなそのように純粋に存在 しているものではない。ちょうど英国のそれとフランスのそれが異り,フランスのそれと ドイツのそれが異り,ドイツのそれとアメリカのそれが異っているようなものである。従 って,マルクスが英国に言及する場合,それは英国の具体的社会の分析であり,又如実に 資本主義的生産様式の(抽象)理論を説明するためのものにすぎない,と考えることは決 してできない。マルクスのこの理論的:方法は疑もなくアジア的生産様式研究の方法であ る。19世紀50年代の初めにマルクス主義の創始者は原始時代の生産関係を研究し,かつて アジア,アフリカ,アメリカ,ヨーロッパなどの地域の後進民族に残存している原始的形 態に素材を求めたが,その中で主要なものはアジア就中インドに現存する村落共同体制度 であった。マルクスはこのような村落共同体制度を典型とし,公有制(主として土地公有 制)を基礎とする社会形態に対して理論的概括を与えた。従って彼はアジア的生産様式と いうこの一つの理論的概念をつくりあげた。故にそれが概括しているものはただ具体的階 級社会の中に残存している原始的生産関係でしかありえないのであって,決して夫々の社 会の具体的社会形態ではない。インド人の村落共同体或はロシア人の農村共同体,ドイツ 人のマルク,ケルト人のクラン等それらの夫々が存するところの具体的な社会的歴史的条 件は,マルクスがそれらを研究した時には夫々同じものではなかったことは十分明らかで

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 150  彦根論叢 第225号 ある。即ち,インドの村落共同体が封建制度の下に存在していたこと(英国の占領後は植 民地主義の下に存在した)とか,ロシアの農村共同体が正しく,資本主義条件の下に存在 したとかいうようなことなどである。これらの同一でない社会的・歴史的条件下における 異った社会発展段階に在る具体的社会を,共通のある種の特定社会生産様式として概括す ることは完全に不可能なことであり,その上完全にマルクス主義理論の常識に違反するこ とでもある。故にアジア的生産様式自体について言えば,これらの農村共同体,マルク, クラソ等は専制制度下に在るか,又は民主的政体下に在るものであり,奴隷制条件の下に 在るか或は農奴制条件下に在るか或は資本主義条件の下に在るものであって,これらはお しなべて緊密に関係しているわけではない。従って生産様式一般としてアジア的生産様式 を具体的なアジア的社会とはっきり区分しなければならない。たとえばマルクスは「剰 余価値学説史」の中で「アジア的村落共同体(原始共産主義)」というように述べてい る。ここにあるものは正しく生産様式一般としてのアジア的生産様式である。ときとして 同じようなインド村落共同体に関して彼は又「このような村落共同体内部に存在している 奴隷制とカースト制は……これらの小さな共同体が内部に帯有しているカースト階層と奴 隷制度の標識である」と述べている。ここで述べているのはインドの農村共同体がかつて 奴隷社会を経過し,従って不可避的に奴隷制の痕遊を帯有しているということであって, 村落共同体制度自体が既に原始共産主義であるのみならず奴隷制でもあるということを述 べたものでは決してない。更にたとえば「英国のインド統治の将来の結果」において次の ように述べている。「英国はインドにおいて二重の使命を完成しなければならない。一つ は破壊的性質の使命,即ち旧いアジア的社会を消滅させることであり,他は建設的性質の 使命.即ちアジアにおいて西洋的社会のための物質的基礎を定めることである。」ここで 述べているアジア的社会,或はアジア社会とは,即ちアジア的生産様式の遺制を内部に包 括する具体的なインドに本来在る封建社会であり,所謂西洋的社会とは即ちブルジョア社 会である。又「資本論」の中でたとえば次のように述べている。「正にアジアにみられる ように国家が既に土地所有者として同時に又主権者として直接生産者に対立する場合,そ こでは地租と賦税は正に一体化しうる。」ここでのアジア的国家或はアジア活社会は具体 的な封建社会である。このほかにマルクスがかつて多くの面出で言及した「東洋的専制制 度」もやはり指しているものは東洋の具体的社会制度であり,アジア的生産様式と異った 概念である。生産様式一般としてのアジア的生産様式を具体的なアジア的社会或は東洋的 社会とはっきり区分しなければならない。そうしてはじめて正確にマルクスのアジア的生

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    〈翻訳〉アジア的生産様式の理論研究におけるいくつかの間題について        中国社会科学院経済研究所 朱家槙      151 産様式の理論を理解することができる。しかし,ときとしてマルクスは又「東洋的社会」 の概念を生産様式一般として使用している。たとえば「監敏治経済学批判”序説」におい て「ブルジョア経済はブルジョア社会の相互批判が既に始まった時になってはじめて封建 社会,古代社会と東洋社会を理解できる」と述べている。この場合のブルジョア社会,封 建社会,古代社会と東洋社会はすべてある特定の具体的社会ではなく,生産様式の理論的 抽象であり,生産様式一般である。これと「序言」中で述べられたアジア的,古代的,封 建的,ブルジョア的社会の生産様式は完全に一致する。故にここでの「東洋的社会」はす なわちアジア的生産様式である。何故なら両者はともに相ひとしい意義において生産様 式一般を代表しているからである。しかし,我々は上下をひっくりかえして生産様式一般 としてのアジア的生産様式を,どのような具体的な東洋的社会とも同等賦することはでき ない。  マルクスのアジア的生産様式に関する:方法論の問題を説明する為に我々は又マルクスの 「資本主義生産に先行する諸形態」というこの重要文献を引用することができる。この論 文が考察するのは所有制(主として土地所有制)の歴史的形態であって,具体的社会形態で はない。理論的範疇から言って.それと具体的社会形態とは関係はない。従ってマルクス は常に文中において奴隷制と農奴制を差別のない同一類型の所有制形式とみなし併せ論じ た。けれども両者は社会的生産様式の歴史的発展からいえば,同一の発展段階に属さない のみならず又同一性質の社会でもない。たとえば「奴隷顎関係と農奴制の附随的関係にお いては……労働自体はその奴隷的形態であると農奴的形態を聞わず,すべて生産の無機的 条件としてその他の自然物と同類のものである。」「奴隷制と農奴制はただこのような部 落体を基礎とする財産の継続的発展である。」マルクスがここで論じている奴隷制・農奴 制はすべて具体的社会形態を捨象し,ただ所有制の形態について言っているのである。ち ょうどマルクスが資本主義生産様式を考察した際に,具体的な資本主義社会の発展状況を 捨象したのと全く同じである。「問題自身は資本主義生産の自然法則が引起す社会対抗的 な発展度の高低にあるのでは決してない。問題はこれらの法則自体にある。」マルクスの 理論的研究の方法は,マルクスの理論的抽象を具体的な社会的分析と決して同一視でぎな いこと,そうでなければ必然的に理論的概念の混乱が発生することを我々に告げる。 3 アジア的生産様式と奴隷制・農奴制 前述したように,アジア的生産様式はマルクス主義の創始者が世界の,主としてアジア

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 152 彦根論叢第225号

就中インドの村落共同体制度の体現している原始的生産様式一般にもとづいておこなった 理論的概括である。しかし,農村共同体自体は決して一つの独立した社会経済形態ではな く,「古代的形態の最後の段階或は最後の時期」であり,「公有制から私有制への,本源的 形態から派生的形態への過渡期」である。階級社会に入った後,多くの地方就中東洋各国 では農村共同体はかつて長期にわたって保存され,あるものは奴隷社会,封建社会を経過 し,はなはだしきにいたってはある場合ずっと資本主義時代まで存在している。東洋の村 落共同体制度のこの突出した歴史的現象はヘルツェン,バク一八ン,トカチョフ等にそれ を理解せしめなかったのみならず,それを一種の全く奇妙なものとして世界中に大ぼらを 吹かせたし,その上,若干のマルクス主義歴史家を惑乱せしめた。彼等は或は農村共同体 がかつて奴隷社会に存在した史実に基いて農村共同体を奴隷制度と同一視し,更に進んで アジア的生産様式が即ち東洋の奴隷制度であるという論断を下したり,或は農村共同体が かつて封建社会に存在した史実に基いて農村共同体を封建制度と同一視し,更に進んでア ジア的生産様式は即ち東洋的封建制度であるという断案を下している。我国においては, 郭沫若も,我国古代の村落共同体は「奴隷社会においてその内部構造が奴隷生産様式によ って決定されるものである」と考える。奴隷社会の中の農村共同体も奴隷制度であること を肯定する為彼は又所謂「集団奴隷制」という論点を提出し,村落共同体の成員はすべ て「集団奴隷」であると考える。ソ連のゴーデス,ドウブロフスキーなどの人々も正に封 建社会の中の村落共同体制度を根拠として,アジア的生産様式は即ち東洋の封建制度であ ると考える。我国のある若干の学者達も類以の視点をもっている。これはアジア的生産様 式の別の一つの誤解であると私は考える。  村落共同体制度は本質上,奴隷制,農奴制と同じものではない。歴史上奴隷制度は村落 共同体制度の対立物として出現したものであり,それは村落共同体内部の関係から転化し たものでは決してないのであって,それは一種の村落共同体にあらざる関係であり,村落 共同体関係に対する否定である。村落共同体の内部においては,村落共同体制度自体は成 員間の平等互助関係の保障であり,階級分化の条件ではない。エンゲルスは次のように指 摘している。「土地公有制を実行する氏族共同体或は農村共同体において……かなり平等 に生産物を分配するということは言わなくても全く明らかである。もし成員間に分配の面 で比較的大きな不平等が発生すれば,それは正しく共同体が既に解体を開始している標識 である。」共同体の内部では,土地の均等分配,成員間の晶々,等しい生産条件の保証が 共同体の存続する基本原則である。故にそれは自己の成員を奴隷仕事を通して剥奪する条

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    〈翻訳〉アジア的生産様式の理論研究におけるいくつかの間題について         中国社会科学院経済研究所 朱家禎      153 件にはなりえない。正に逆であって村落共同体にあっては「一歩の田畑は八軒の家ごとに それぞれ同じ一井を耕」し「田畑への出入りにもお互いに誘いあって仲良く」し「盗賊・ 変事などの見張りや防禦もともに力をあわせて扶けあい」「また病気のときはお互いに看       (訳注2) 護しあうよう」な状態があり,村落共同体成員間の互助協同は直接生産者が生産において 占める地位と相互関係の体現である。共同体内部での階級的差別の出現は生産力の進歩, 商品交換の発展,貧富の差の拡大,氏族中の貴族の出現によるものであり,これらによっ てはじめて次第に剥奪と奴隷仕事の関係が発生したのである。しかし,このような関係は 先づは同族の人々の問においてではなく,氏族,部落,共同体以外の人々に対して発生す る。生産力の発展が一定の高さに達し,労働力の生産できるものが労働力を単純に維持す る必要数量を超過し,同時にこのような労働力を使用する条件が客観的に準備され,しか も共同体自体も又余分の支配下の労働力を提供できないような時に,戦争が正にこのよう な労働力を提供したとエンゲルスは指摘している。過去に捕虜は殺されるか食用にされた が,現在ではすなわち「彼等を活かしておいて,彼等の労働を使用する。このようにして ……z隷制が現われた。」故に捕虜は奴隷の本当の起源である。奴隷は先づ戦争から生ま れ,共同体の外で生まれる。そして共同体内部の同族の人々の間は習慣に基いて依然とし て相互に平等である。原始的民主制の下では財富を利用して共同体内のその他の成員を剥 奪するのは許されない。反対に,裕福な者はむしろ同族の人々を援助する義務を有する。 我国の雲南杣下宏地区の景頗族の農村共同体においては,生活困難な村落共同体の成員 は,その他の成員の家にいって,はなはだしくはほかの村の同氏族の家にいって「米飯を 食べる1ことが出来るし,又村落共同体の首長に対して援助・救済を要求できるし,村落 共同体の首長も又,生活の困難な世帯を援助するある種の義務を有する。このような遺風 は,村落共同体の制度が本質上,奴隷仕事と剥奪の関係ではなく,平等互助の関係である ことを説明する。故にただ村落共同体の制度が存在しさえずれば,村落共同体の成員の身 分が存在しさえずれば,彼等の問では奴隷主と奴隷の関係が成立することは不可能であ る。すなわちJ古典古代の条件下で平民を債務奴隷に倫落せしめる現象が出現したが,債 務奴隷自体は,いまだ社会的生産様式の基礎を形成したことがないのであり,それは奴隷 社会においては,一種の副次的関係にすぎない。奴隷社会生産様式の基礎となるものは戦 争の捕虜奴隷である。奴隷制の起源をはつぎりさせれば,ここから奴隷再生産様式に特有 な生産関係の特徴を企確に解釈できる。つまり奴隷は屠殺されうるものである。人類の歴 史において所有の社会形態の中でただ奴隷制下の奴隷だけが屠殺の対象に列せられるもの

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である。これは決してほかの低い身分の階層にはないものである。というのも奴隷が本来 は敵方の人間であるからである。敵人が少ければ少いほどよいという原則に基いて捕虜は 本来必づ消滅されなければならないが,生産力の進歩によって捕虜は殺されず奴隷仕事に 供された。しかし,その身分は本来敵人であるから奴隷は依然として屠殺されうるのであ る。政治経済学においては屠殺されうるか否かを奴隷と農奴を区分する主要な標識の一と する。何故なら正しくそのことが奴隷制生産関係に特有な本質的特徴を反映するからであ る。ただし,共同体内部においては,氏族成員相互或は部落の成員相互を問わず,貴族と 平民の間を論せず,彼等はすべて同一共同体の成員であり,すべて敵人ではないから,当 然屠殺するものと屠殺されるものという関係も存在しないのである。       (訳注3)  村落共同体捌度と奴隷制度は,二種の本質的に異る生産関係であり,村落共同体の中に 富裕な世帯や蓄えをもつ奴隷という現象を出現せしめたのは,村落共同体成員の関係が転 化して主人と奴隷の関係になったからでは決してないし,また村落共同体制度が奴隷制度 に転化したからでも決してない。村落共同体制度と奴隷制度が夫々持っている異った特性       かたわらによって,村落共同体の奴隷社会における特徴が決定される。即ちそれは奴隷制の傍にあ るものであって奴隷制の内側にあるものではないということである。それは奴隷主政権の 剥奪と奴隷仕事を受けることはありうるが,村落共同体の成員自身は自由な或は不自由な 農民であって絶対に奴隷ではない。彼等が蒙る剥奪と奴隷仕事の性質はやはり奴隷制の範 疇には属さない。  しかし,我国歴史学界の「集団奴隷説」の主張者は,剥奪と奴隷仕事を負わされる村落 共同体の農民と奴隷を混同してしまい,従って村落共同体制度と奴隷制度を同一視する。 彼等は,我国の西国時代の村落共同体が「集団労働兵営に非常に以ている」し,村落共同 体の成員は「奴隷主支配下の集団労働兵営」における「集団奴隷」となっていると述べ る。これは適切ではない。村落共同体の成員が種々の剥奪と奴隷仕事を受けるにもかかわ らず,これによって成員と奴隷を同一視することは決して出来ない。ロシアの農奴制下の 農奴身分は極めて重い剥奪と奴隷仕事を負ったし,レーニンは彼等が「奴隷の地位と大き な区別はない」と述べた。しかし,我々はこれによってロシアの農奴を奴隷であると言う ことは決して出来ないし,農奴制を奴隷制と解釈することも決して出来ない。西周の村落 共同体はよしんば「集団労働兵営に非常に似ている」としても,村落共同体は畢寛するに 集団労働兵営ではなく,奴隷主はよしんば村落共同体を「支配」したとしても,村落共同 体の成員はやはり決して「集団奴隷」ではない。古代では奴隷は一種の明確な特定の階級

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    〈翻訳〉アジア的生産様式の理論研究におけるいくつかの間題について         中国社会科学院経済研究所 朱家槙       155 身分を有する人間であり,剥奪と奴隷仕事を負う程度によって決して決定されない。ある 奴隷,例えばある家内奴隷或は干場のようなものは生活とその他の待遇において一般の 直接的な労働奴隷に比べて若・F優越しうるが,彼等の奴隷身分はこれによって決して改変 されない。社会経済形態の意味における奴隷制は,一つの極めて確実な範疇である。即ち 奴隷主の奴隷に対する直接の完全な人身占有であり,奴隷は奴隷主の一つの生命をもつ 「物」にすぎない。ここでは奴隷に対する剥奪と奴隷仕事の程度に言及する必要性は全く ない。故に「集団奴隷」説は理論的に正確なものではない。しかし,「集団奴隷」論者は 常にマルクスの「東洋的・総体的奴隷制」を引用して自分達の理論的根拠とするが,我々 は,これも誤解から出ていると考える。その実マルクスがいっている「総体的奴隷制」と は決して社会経済形態の意味における奴隷制ではなく,専制君主の統治下における村落共 同体の農民が受ける奴隷仕事を指すものであって,それは一つの具体的な提示の方法にす ぎない。これと似た提示方法はマルクスのその他の多くの著作においてさえ見出すことが 出来る。例えば,マルクスの「哲学の貧困」とアンネンコフへの書簡の中で,ともに「間 接奴隷制」と「直接奴隷制」という説明の仕:方を使用していた。彼は次のように述べてい る。「ここで述べていることは間接奴隷制ではなく,無産老に対する奴隷仕事でもない。 ここで述べているのは,直接奴隷制である。即ち,スリナム,ブラジル及び北米南部各州 の黒人奴隷制である。」 彼は労働者階級が負う資本主義制度の奴隷仕事を「間接奴隷制」 と称し,他方資本主義の黒人奴隷に対する奴隷仕事を「直接奴隷制」と呼称する。明らか に我々はこれによって資本主義制度を奴隷制度の転化した一つの形態一間接奴隷制である と解釈できない。更に「共産党宣言」において労働者階級は「ブルジョア国家の奴隷」で あると称しているように「資本論」第13章の中では労働者階級を「労働奴隷」と称してい ることなどがあげられる。これらの「奴隷」と「奴隷制度」はおしなべて具体化の提示方 法にすぎないので,決して社会経済形態の意味における奴隷と奴隷制度ではない。マルク スはかつてエンゲルス宛の書翰の中で「米国の経済学者ケイリーが『国内・外の奴隷制』 という一冊の新著を出版した。ここで述べている『奴隷制』はいろいろな形式の奴隷仕 事,雇用奴隷欄などを指すものである。」と述べた。マルクス自身は,多くの場所でやは りこの意味で「奴隷制度」という単語を使用している。所謂「総体的奴隷制」も又「間接 奴隷制」などの単語と同じように,一つの具体化の表現法にすぎないし,絶対に社会経済 形態の意味における奴隷欄ではない。もし人がこのようなことを根拠として中国歴史にお いて一つの特別な奴隷制の種類「集団奴隷制」を創造してしまうとすれば,それは只誤解

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に出つるものと言うほかない。        かたわら  奴隷社会においては村落共同体制度は奴隷制の傍に在るものであるけれども.封建社会 においては村落共同体制度は往々にして封建経済と密接に相互に結合して封建経済の構        かたわら 成部分になっている。従って封建社会においては村落共同体は封建制の傍にあるのではな く,封建制の内側にあるものである。もし,村落共同体の生産様式が本質的に奴隷経済と 適合しないと言うのならばそのことは封建経済に関して言えば,逆に十分に適合するこ とのできるものである。それは比較的容易に封建経済と相結合して,封建主義の生産的基 礎となる。何故なら村落共同体経済は一つの独立した小生産者の経済であり,それは比較 的に封建制経済の基礎として適合するからである。奴隷制経済が必要とするものは既に人 格のない,しかも独立経営ではない,身体が完全に生産条件として占有されている労働者 であるが,他方封建制経済が必要とするものは,ある種の独立した人格をもち,生産に自 発性をもつ独立経営の能力をもった人であって,彼は完全に占有されるのではない,土地 に依存している労働者である。故に統治者が土地所有権を纂乱した地域で共同体の成員を 土地の附属物の地位に位置ずけさえすれば,封建的依存関係の基礎が建設されはじめる過 程で,共同体は封建経済の体系に組み込まれ,同時に封建経済の基礎に転化する。マル クスはポーランドとルーマニアの農奴制関係の発生を論じた時に,軍隊と宗教の首領がど のように公田における労働を侵し占有していったか,更に一歩を進めて自由農民を賦役労 働をおこなう農奴に変えていったかを指摘している。マルクスが発表した農村共同体の封 建化過程は,村落共同体制度の変化の性質を理解するために重要な理論的意義をもってい る。封建社会においては農村共同体が往々にして直接的に封建経済の基礎となり,従って 農村共同体が封建的性質を持つにいたったことをそれは表わしている。しかし,農村共同 体の封建化は,ただその既に変化した性質を説明するだけであり,もし既に変化した性質 を用いてアジア的生産様式の性質を論証しようとすれば,それは必然的に理論的な誤にみ ちびくであろう。  アジア的生産様式は唯物史観の理論体系の構成部分であり,マルクス主義の歴史的に形 成された一つの理論的概念である。我々は歴史的にそれを取り扱い,その実質をはっきり させなければならないし,又それを具体的なアジア社会,東洋的社会及び奴隷制,農奴制 などとはっきり区別しなければならない。このようにして,我々ははじめて後人の不理解 或は誤解によって発生した「アジア的迷宮」から脱出できるのである。当然マルクス主 義の創始者がアジア的生産様式を探究した時に,かつてアジアと東洋の具体的社会に対し

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〈翻訳〉アジア的生産様式の理論研究におけるいくつかの間題について     中国社会科学院経済研究所朱家槙       157 て多くの精緻で深い説明がなされたが,これらは疑もなく我々のアジアと東洋的社会の研 究に必要で最も貴重な理論的成果である。我々が本当にアジア的生産株式というこの一つ の理論的概念自体の意義をはっきりさせたあとで,はじめて更に有効にマルクス主義のこ れらの理論的財産を現実の研究活動に応用することができるのである。 (原註は省略) 訳註1 中国におけるアジア的生産様式研究の最:近の状況について,張作隅一によれば,50年代と60  年代の初めに中国古代史の時代区分と結びついて史的唯物論の普遍的意義の検討の過程で論争がお  こなわれたが,統一的認識に至らなかった。   78年中ば以降,論争が再開され,79年末から80年末までに発表された論文は十一編に達し,現在  も続いているQこれらの主張は基本的に五種の見解一原始桂会(原始共同体)説,早期奴隷社会  説,長期に存在した混合社会形態説農村共同体説,第6の独立した生産様式説一に区分できる。  更にこれらの区分に拘る主要な論争の問題として,(1)マルクスにおける「アジア的」という概念の  意味,(2)農村共同体との関係,(3)土地国有との関係,(4)東洋的専制との関係,(5)マルクス・エンゲ  ルスにおける視点・名称便用の変化の問題が夫々指摘され以前の論争に比べて常套を脱したとは  言えないが,多.くの新しい問題提起がおこなわれたと総括されている。張作耀r亜細亜生産方式」  r中国歴史学年竪』1981,人民出版社,北京,190−198頁参照。   朱目凹氏の視角は,上述の第一一Ptの見解に属するといえるが,その方法はその中で極めて独自的  である。朱家槙氏は80年8月に脱稿した長文の論文「アジア的生産様式理論の研究」を83年4月刊  の中国社会科学院経済研究所学術委員会編r経済研究所集刊第四集』に再録発表している。それは  序丈と6回目章より成っているが,ここに訳出したものはこの原論文の凝縮部分であると言えよ  う。アジア的生産様式理論の形成過程(第4章)に関しては,1850年代にマルクスが共同体的所有  制(古代的・国家的所有制)より更に古い原始的な共有制(直接的な土地共有制)を基礎とする農  村共同体に基く原始生産様式(原始共産主義)という史的唯物論の起点たる世界史的な理論的概  括,即ち全世界の具体的社会に残存する原始生産関係の理論的抽象をおこなったと説明する。次に  1880年代にモルガソとコワレフスキーの研究成果によリマルクスが原始共同体を,最も古い氏族共  同体,家族(世帯)共同体,農村共同体に区分し,農村共同体を継起性の最後の局面に位置づけ,  且つ古代における私有の混在を認め,事実上東方における土地私有の欠落という視点を修正したも  のとする。農村共同体の時期は原生的形態から派生的形態への,即ち共有より私有への過渡期であ  るとされるから,「80年代以降マルクス。エンゲルスは疑なくその著作において“アジア的生産様  式”という述語を用いて原始生産様式を表すことは再びなかったし,代りに“原始土地共有制”或  は“土地共有の原始氏族社会”などを用いた」とされる。朱氏によれば,結局農村共同体はこの過  渡期の支配的形態の生産様式であり,階級社会の裡に長期保存され,奴隷制下ではその基礎を構成  しないが,一定の条件下に封建的生産の基礎に転化すると説明される。更に朱氏は古代中国のケー  スに関して土地共有制を基礎とする農村共同体の土地制度の最も典型的なものとして,井田制を挙  げ,懐疑論者と否定論者は多いけれども,マルクス主義の視点に立てば,その存在は当然全く疑う  余地のない筈だと断定する。井田制の特徴としては共同体的所有と私的占有の二面性と土地均分及

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!58 彦根論叢第:225号  び定期割替えをあげ,更に自給自足的自然経済と一定程度の“原始民主精神”を反映する独特な社  会組織として,所謂里社(里正と里宰を管理者・指導者とする農村共同体一周記,公羊伝,管子),  その中での職業的分業(周礼)の存在をあげ,「事実上,西周時代には農村共同体は正しく全社会  が生産を組織し,生活を組織する主要な基層単位である」と総括している。西周の農村共同体は,  一方では国人という周族自由民一その直接・独立生産者としての庶人を主とする一より成るものが  あり,他方,被征服民の農村共同体として公田を耕作し,揺役と賦税負担を強制される土地に緊縛  された農村共同体農奴(野人)より構成される共同体があった。明転によれば「西周の封建領主経  済は,主として農奴農村共同体の基礎の上に蕪立されたものである。……農村共同体の欄度とその  残余の影響の長期にわたる存在が,中国と東洋的封建社会と西欧封建社会発展の間の重大な歴史的  差異を形成する根源の一つである。」又,彼は,春秋戦国以降,井田制は漸次消減し,代って土地  私有制が発展したとなし,又般商奴隷制時代という表現を肯定的に使っているから,明示してはい  ないが原始的生産様式としてのアジア的生産様式に妥当する段階は当然股商以前の中国社会という  ことになる。しかし一方で中国の地主制封建社会(一高度集中の中央集権的専制制度)という表現  をも用いているし,西周時期は前述の農村共同体を基礎とする過渡的社会であるから,これを西欧  封建社会と異る「封建制」と規定するのは,彼の理論的概括からみても首尾一貫しないことにな  る。つまり,西周は明らかに過渡期であるという意味で未だ「封建社会」ではありえない。これを  整合的に西欧封建制と差異をもった東洋的封建社会とすることは戦前のゴーデス的視角にしかなら  ない。更に朱氏がr旧中国の農民は畢童農奴身分ではない」と述べていることから判断しても,も  し西周の農村共同体成員が国人であれ野人であれ「農奴身分」でありえないとすれば,単純に封建  的領主経済への転化を言うことはできない。特に「国人(その主要な構成部分としての庶人)農村  共同体」を非生産的領主層と同一視することは全くできないであろう。それはあく迄生産的な上位  共同体しかも主要な生産基礎を形成している農村共同体であると考えなけれぽならないだろう。   中国学界で1981年4月に行われたアジア的生産様式に関する学術討論会で開陳された主張に基い  て6種に分類された基本視点,(1)原始社会説,(2)奴隷社会説,(3)封建社会説,(4)混合段階説,(5)東  方に特有の階級社会形態説,(6)経済形式説(中国歴史学年豊,1982,人民出版社,502−505頁参  照)を念頭におけば彼の視点は第1の視点の中の農村共同体段階を重視するものに属するが,他方  農村共同体の歴史的・理論的な相対的自律性を強調する点は先に触れた農村共同体説に近いと言え  よう。   猶,中国古代史研究に占めるアジア的生産様式の問題点と論争については,林甘泉,聖人隆,李  祖徳共著r中国古代十分期討論五十年(1929−1979年)』上海人民出版社1982年8月を参照。 訳註2 出典は「郷田同井,出入相友,守望相助,疾病相扶持」(孟子・膝文公)。朱氏の原文では郷  里となっているが,小林勝人(岩波文庫)訳に従った。ただ論文の基調から考えて使役的な述語を  避けるような引用の方式をとった。 訳註3 朱氏の使用している「村社」という表現は広義で村落共同体,狭義では農村共同体を意味す  る。本論文ではロシアの「農村公社」というもう一つの表現を用いているので,あえて広義に訳し  た。訳註1の原論文では「村社」は狭義に用いられていると考えられるので,農村共同体として狭  義に訳した。

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