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中小企業の革新適応 (河野稔教授追悼号)

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中小企業の革新適応ee

金 井 頼        序        D  最近,BUsiness Week誌が,「スモール・イズ・ビュー’一ティフル」というテ ー一・}で特集を組んで,アメリカのスモール・ビジネスの急成長企業100社のリ ストとその成功要因を紹介している。アメリカばかりでなく,日本でもこの種 の記事が,多くの経済誌を賑iわし,スモーール・ビジネスやベンチャー・ビジネ スに関する出版物が,次から次へと刊行されている。正に,「スモール・ビジ ネス,花やかなりし」という感じがする。  しかし,こうした状況を目の当たりに見るたびに,次のような疑聞がわいて くるのである。「テイクオフし,成長している企業とそうでない企業の違いは, 一体どこにあるのであろうか。」「中小企業から出発しながら,短期間のうちに 中堅企業や大企業へと急成長をとげた企業は,そうでない企業とどのように違 うのであろうか。」  このような疑問に答えるためには,中小企業の環境適応行動を統一的な視点 から検討することが必要とされる。しかし,同じ環境適応行動であっても,テ イクオフするための条件と急成長するための条件とでは,質的に異なった要件 が必要であると考えられる。  そこで本稿では,まず,中小企業がテイクオフし,一定の成長を確保するた *本稿は,1984年10月6,7日の両日にわたって,学習院大学で開催された組織学会年  次大会における報告原稿を加筆訂正したものである。同学会にお㌦、・てコメンテーター  を引き受けて下さった小松陽一先生(甲南大学)はじめ,貴重なコメントをいただい  た方々に,記して感謝する次第であります。 !) Business LYeek, May 27, 1985.

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 20 彦根論叢第233号 めの要件とそのプロセスについて,具体的な中小企業の環境適応行動のケー ス・スタディを通じて検討することにしよう。  ケース・スタディを行うにあたって,本稿が拠り所としている考え方は,基       カ 本的には,すでに2つの拙稿で議論したものと同じである。つまり,経営戦略 論や組織論の分野で蓄積されてきた,企業の環境適応についての研究成果を, 中小企業の環境適応行動の実証研究に適用してみようとするものである。  以下,次のようにケース・スタディを展開していく。まず次節において,こ のケース・スタディの基礎となっている理論的フレームワークが提示され,説 明される。続く第fi節では,調査対象の企業となった北海道の中小企業6社の 歴史的な事業展開のプロセスとその基本的な考え方が,詳細に示される。これ らのケースは,各社とも2∼3回のインタビューと社内資料,雑誌・新聞記事 などの公表資料によるデータ収集によって構成されたものである。  第皿節が,本稿の中心となるケース・スタディの部分である。前節において 提示された6つのケースが,理論的フレームワークに基づいて検討される。こ れによって,テイクオフし,一定の領域において成長を確保している中小企業 に共通の適応パターンとともに若干の相違点が明らかにされる。  そして,最後の結びにおいて,ケース・スタディによって明らかになったフ ァイソディングを要約することにしよう。 1 理論的フレームワーク  われわれが,ケースを検討する際に基礎においている視点とは,最近の経営 戦略論や組織論の分野で展開されてきている環境適応の理論である。  われわれの問題意識や分析目的にとって,既存の中小企業研究が,なぜ有効        のな分析のフレームワークとなりえないかについては,すでに拙稿において検討 を行っているので,ここでは簡単にその要点だけを述べるに止める。その理由  2) 拙稿「中小企業論の新展開」,『文革論叢』,第18巻第2号,1983 a,pp.1−19;拙  稿「中堅企業の経営戦略とイノベーション」,『弘前大学経済研究」,第6号,1983b,  pp.!−17を参照。  3〕 金井,前掲論文(1983a)。

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       中小企業の革新適応  2! とは,これまでの中小企業庁の多くは経済学を基礎にしているために,分析レ ベルがマクロ的すぎて,個々の中小企業の具体的な環境適応行動を分析した り,相互に比較検討できるようなフレームゾークを欠いていることである。  また,次のような理由も存在する。つまり,既存の中小企業研究のなかには, 個々の企業の具体的な成功例をとりあげて,そのなかからいくつかの共通する 成功因を抽出している研究もあるが,理論志向がないために,統一的な視点が 欠如した単なる経験的事実の羅列に終ってしまっている。それゆえこのような 研究によっては,中小企業の有効な環境適応パターンを識別するということは 不可能と考えられる。  いずれにしても,既存の中小企業研究は,われわれの分析目的にとって有効 なフレームワークを提供しえないのである。企業の環境適応の分析のために は,既存の中小企業研究の議論に存在するマクロ的視点と特殊的,アドホック 的視点の中間をいくような理論が必要なのである。経営戦略論や組織論の分野 で展開されてきた環境適応の理論は,さしあたりこうした要請に答えることが でき,現在われわれが利用できる知識在庫を提供してくれるものと考える。  それでは,最近の経営戦略論や組織論における企業の環境適応についての基 本的な考え方とはどのような特徴をもつものであろうか。  ただ,一口に環境適応の理論といっても,たとえば伝統的なコンティンジェ        のソシー理論と最近のネオ・コンティンジェンシー理論とでは差異があるし,ま たそれぞれの理論のなかでも論者によってバリエーションが存在している。そ れゆえ,その特徴を簡単に要約することは難かしいが,われわれの本節での目 的は理論の比較検討ではなく,あくまでもケースを分析するための武器(フレ ームワーク)を準備することであるから,その基本的な考え方を次のように概 括的に述べることも可能であろう。  第1の特徴は,環境,経営戦略,経営資源,組織などの諸要素の間に緊密な 相互依存関係が存在することを認識し,それらの諸要素を個々ばらばらに捉え  4) しばしば,コソティソジェソシー理論は環境決定論として,また,ネオ・コンティ   ソジェンシー理論は戦略的選択論として特徴づけられている。

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るのではなく,1つの全体像として捉えようとすることである。たとえば, Miles = Snowの適応サイクルのモデルとそれに基づく4つの適応類型(防衛

      5) 6)

型,先取型,分析型,反応型)の識別,伊丹のストラテジック・フィットや       ei) Normannの事業アイディア(bttsiness idea)の概念は,このような特徴を端的 に表わしている。  そして,これらの理論によると,有効な環境適応を行っている組織には共通 の特徴があり,それは上記の諸要素の間に整合的な関係をつくり出していると いうことである。つまり,「フィット」や「一貫性(consistency)」ということ ばが,成功を示すキーコンセプトとなっているのである。  第2の特徴は,組織の環境適応を進化現象として捉えるということである。 野中は,組織の進化を「新しい情報を獲得し,創造し,その結果,新しい思考・       8) 行動様式と構造を形成するということである」とし,その本質を「情報の創造」 にもとめている。つまり,組織が進化するということは,絶えず新しい情報が 創り出され,それが組織のメンバーに共有され,組織の知識となっていること を意味している。換言するならば,組織の進化の本質は,組織が学習すること にあるといえよう。  Duncan=Weissによると,組織の環境適応が有効であるか否かは,組織にと        9) って利用可能な知識の質に依存しているという。組織の環境適応のカギである s) Miles, R. E., and C. C. Snow, Organi2ational Strategy, Struet”re ancl Process.  McGraw−Hi1正,1978(土屋守章他誌『戦略型経営』,ダイヤモンド社,1983)。 6) 供丹敬之『新・経営戦略の論理』,日本経済新聞社,!984を参照。伊丹のストラテ  ジッタ・フィットの概念は,戦略とそれをとりまく要因である,企業環境,経営資源,  企業組織とのフィットとして捉えられている。 7)Normann, R., Manαgevnent.for俳。臨11, John Wiley&Sons,1977。 Normannの  事業アイディアを構成する主要な要素は,細分化された市場,製品及び会社の組織,  資源,コントロール・システムである。 8)野中郁次郎『企業進化論』,日本経済新聞社,1985,p.131。 9) Duncan, R, and A. Weiss, “Organizational Learning. lmplications for Organiz−  atienal Design,’ in B. M. Staw (ed.), Research in Organiz2tional Behawior: An  ∠4nnual Seriesげ∠4nαlytical Essα.y∫and Critieal Reviezvs, Vol.1, JAI Press,1979,  pp. 75−123.

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      中小企業の革新適応  23      の 組織の知識は,学習の結果として作り出されるものであり,したがって組織の 環境適応とは,組織の知識が獲得され,蓄積され,更新されていくという組織 学習のプロセスとみなすことができるのである。  経営戦略論の文献において,経営戦略の有効性を規定する重要な要因として しぼしば登場する独自能力(distinctive competence)のなかで,組織の環境適 応にとって特に重要な意味を持っているのは,技術やノウハウなどのここでい う組織知識であり,伊丹(1984)は「見えざる資産」とか「情報的経営資源」 と呼んで,特にその重要性を指摘している。  それでは,どのような条件によって組織学習は促進されるのであろうか。 Miles= Randolphは,これまでの研究をレビューし,組織学習を促進させる要        因として次の3つの条件をあげている。  第1の条件は,適度なストレスが存在することである。これは,組織論の分 野において,しばしばパーフォーマンス・ギャップといわれてきたものである。 望ましい状態と現実の状態,あるいは将来起こると予想される状態との間に差 異があると知覚することによって生み出されるストレスが,組織学習の契機と なることを示している。  第2の条件が,触媒的リーダーシップである。加護野は,飛躍的進化をなし とげた日本企業3社の分析から,経営者の戦略的要因への働きかけが,従業員 の主体的知識創造を活性化し,こうした進化を促進させるテコの役割を果たし       ユの ていたと結論づけている。また,野中は,ビジョンの創造や絶えず新しい問題 を投げかけることなどによって組織の情報創造活動を活性化させることがりー 10) ここで組織知識とは,組織の意思決定者が利用可能で,組織活動に関連する知識の   ことであり,行為とその結果の関係およびこれらの関係に影響を与える諸条件につい   ての知識を含んでいる。たとえば,Duncan=Weiss(!979), pp.84−87を参照。 11)Miles, R H=W. A. Randolph,“Influence of Organizational Learning Styles on  Early Development,”in J. R. Kilnberly et aL(eds), The Organizational L∫∫乙CycJe,  Jossey−Bass,1980, pp.44−82. 12)加護野忠男「企業進化と戦略的要因」,『国民経済雑誌』,第151巻第4号,1985,pp.   27−44.

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      ラ ダーシップの役割であると指摘している。いずれにしても,リーダーは様々な 方法によって,個々人の主体的な知識創造を促し,方向づけ,組織学習を活発 化させることができるのである。  最後に,組織学習にと.って重要な実験や問題解決を遂行するためには組織ス ラック(余剰資源)が必要である。スラックを創造するためには,パーフォー マンス基準の一時的な緩和が必要であり,その具体的な方法としては,新しい 能力や技能を外部から導入したり,内部で関発するために資源を転換するなど      14) の方法がある。  以下では今レビューしてきた基本的な考え方を基礎にして,次節で紹介する 中小企業6社のケースを検討するわけであるが,それを通じてこの2つの考え 方を相互に関連づけてみるという試みも行ってみたいと考える。  なお,次節へ進む前に,ここで革新適応の概念を規定しておくことにする。 通常,革新は当該組織にとって新しい変化の採用と実施であると定義される。 そこで,革新適応とは当該組織にとって新しい戦略的パターンを形成し,実行 して,環境適応をはかっていくことであると規定しておく。革新適応の具体的 内容については,ケース・スタディを通じて一層明確になっていくであろう。        15)       ∬ 中小企業の革新適応のケース  ここでは北海道の中小企業6社を例にとり,どのようにして環境適応をはか り,どのようなプロセスを経てテイクオフし,成長してきたかを具体的にみて いくことにしようQ 13)野中,前掲書,第4章および第6章参照。 14) Miles, R. H., Co.ffin Nails and Corporate Strategies, Prentice−Hall, 1982, p. 158. 15) このケースをライティングするまでには,筆者のインタビューの申し入れを快く受  けてくださった人々の積極的な協力がありました。何度となく訪問し,仕事を中断さ  せることになったのにもかかわらず,極めてオープンに筆者の質問に答え,いろいろ  と教えて下さった人々に感謝いたします。なお,ケースのなかで,インタビューによ  って得たデータには『……』を,文献的資料によって得たデータには「……」を付し  て記述した。

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       中小企業の革新適応  25  1,A   社:  同社は,畑に苗を植える機械,つまり移植機を製造し,特にビート移植機の 分野では市場をほぼ独占している会社である。しかし,創業当初から現在のよ うな明確な事業コンセプトを持って出発したわけではなかった。まずは食べて いくことが先だった。ただ,創業者である現会長は,これまでの体験を踏ま え,農業や林業用の機具を製作することを選んだ。「道具が不足していた時代 だったから,なんでもつくった」という。そのうちに,ストーブ類も製作する ようになり,当時のA社は,ちょうど町の鍛冶屋のような状況であったと考え られる。  同社が,このような状況から脱出し,大きく飛躍するうえでのキッカケにな った出来事は,N社の開発したペーパーポヅト用のビート移植機の開発に成功         したことであった(昭和40年)。当時,同社は2度にわたる開発の失敗の影響 によって,経営状態はどん底にあっただけに,このことはその後の同社の成長 にとって決定的な意味をもつ出来事であった。  ただ,ここに至るまでの創業期の混沌としたプロセスのなかに,このような 飛躍のカギがあることを忘れてはならない。第1のカギは,昭和29年の台風に 引き続いて起こった野ネズミの異常発生に対処するために,ネズミ捕獲機具を 考案し,実用新案特許を取ったことである。このことは,金額的には大きなも のではなかったが,目的をしぼって集中すれぽ大きな成果をあげることができ ることを学び,「アイディアに生きる」という理念を会社全体に浸透させる効 果をもった点でその後の経営に大きな影響を与えている。そして,このことの 具体的な結果として,昭和33年に株式会社に改組したのを機会に専門家をリク ルートしてきて,早くも技術研究部を設置しているのである。以来,同社は研 究開発費として売上の10パーセント以上を充てることをポリシーとしている。  飛躍に導いた第2のカギは,前述した技術研究部の成果の1つとして,36年 に林業用の苗木移植機を開発したことである。このことによって同社は,移植 機に関する基本的な技術の蓄積をすることができたのである。 16) ビート移植機の開発には,昭和37年に着手している。

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 こうした創業期におけるいくつかの試みは,会社の能力を高めるという点で は大きな意味を持っていたが,それ自体が会社を飛躍させるような直接的な要 因にはならなかった。ちょうど小さな空のタンクにはけ口を求めて水(資源) が溜まってきた状態に似ている。小さな容器であるから,多数の穴(事業領域) をあけたのでは水の出る勢いが弱い。穴をあける位置の選択(どの事業にする か)とその数が重要となる。  当社にとって飛躍のキッカケは偶然に生じた。林業用の移植機では需要が限 られているために,新たな事業展開の道を模索している時であった。たまたま 立ち寄った道立の甜菜研究所でN社の開発したペーパーポットの存在とその移 植機を開発してくれるメーカーを探していることを知り,他のメーカーととも にその開発にチャレンジすることになったのである。37年のことであった。同 社にとって前年に苗木の移植機の開発に成功していたことが大きな自信になっ ていたQ  しかし,前述のように簡単には成功しなかった。2度の失敗ののちゃっと開 発に成功し,性能の面で他の競合メーカーに圧倒的な差をつけたのである,こ の成功は,次のような点で同社を大きく飛躍させた。第1に,この成功が同社 に「畑で物を植える機械に徹する」キッカケを提供し,そのことによって「よ ろずや的経営」から脱却し,少ない経営資源を有効に適用するための焦点が与 えられたことである。  第2に,ビート移植機の開発プロセスを通じて, 「カラ振り三振は許すけれ ども,見送り三振は許さない。失敗と根気の積み重ねが成功につながる」とい う雰囲気が会社内につくり出され,しっかりと根づいたことである。  第3に,最も重要なことと考えられるが,これまでどちらかというと相互に 明確に関連づけられることなく会社内につくり出されてきた様々な要素が,こ の成功をキヅカケにしてシンクロナイズされ,同社独特のパターンが形成され ることになったことである。そして,それは組織の適応能力をひとまわり大き くするという効果をもっていた。  このように,偶然のチャンスをつかむことによって同社は,農業機械(移植

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      中小企業の革新適応  27 機)の分野に特化していった。もちろん,現在のような「畑で物を植える機械 に徹する」,「1つの作物の耕作面積が10万ヘクタール以上の機械は開発しない …… P万ヘクタールから9万ヘクタールあたりまでの作物を植える機械に専念  まり する」という明確な事業領域の定義になるまでには若干の試行錯誤のプロセス があった。  ともかく,前述のようにフォーカスが与えられ,独自能力が形成されて以降 の同社の事業展開は,ある意味で論理的でさえある。現在は,ビート移植機に 続いて藪菜やタバコ(当時の呂本専売公社との共同開発によるもので49年にビ ニール・ポット用の移植機の開発に成功)の移植機へと事業が拡大してきてい る。当面の目標は,先端技術を組み込んだフル・オートマチックの製品を開発 し,それによって欧米市場を開拓することである。これまでの技術的蓄積によ って,『世界的にみてもプランターでは競争相手はいない』というのである。  以上のように,A社のテイクオフのキヅカケとなったのは,ビート移植機開 発への挑戦とその成功であった。これによって,それまでは相互にルーズな結 びつきしがなかった諸要素(創業期において生じた様々な問題に対する試行錯 誤の結果として会社内に蓄積された成果)が,相乗効果をもつような形で関連 づけられていったのである。そして,このようにして形成された独特のパター ンが,テイクオフ以降の成長の基礎となっているのである。  2. B   社  昭和22年,現会長が不凍給水栓の道内自給を目標に創業。現在では全国市場 の30パーセント以上のマーケット・シェアをもつトップ・メーカーである。  不凍給水栓によって事業をおこすことになったキッカケは,当時現会長が勤 務していた会社の親会社が販売していた不凍給水栓が終戦後の混乱で入手困難 になったことである。そこで不凍給水栓を製造販売するために会社をやめ,独 17) 「対談,北海道の企業と経営者」,北海道拓殖銀行調査部編『北海道8Q年代の可能  性』,北海道新聞社,1980より,なお,当社は農業機械部門のほかに施設部門をも有  しており,後者の事業領域は地理的に「空知地方から道内」という形で定義されてい  る。

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 28 彦根論叢第233号 立したのであるが,2つの問題があった。1つは,良質の砲金の鋳物を作る技 術の習得であり,2つ目は競争上の問題で,早く事業を軌道に乗せないと本州 のメーカーが道内市場に再び参入してきて困難な状況に追い込まれることであ る。ともかく東京へ行き,ある鋳造所で勉強させてもらい,自分なりの工夫を 加えて,なんとか本格的に事業をスタートさせることができた。また,本州メ ーカーに対しても一歩先んじることにより有利な地位を築くことが出来たので ある。当時は国の政策もあって炭鉱が重視され,それにともない炭鉱の住宅建 設も増加し,不凍給水栓が大量に使用されはじめた時代であった。  同社は,創業時から独自技術の確立の重要性を認識しており,研究開発をか さね, 『業界の一番手を走る』ことを使命と考えていた。その現われとして, 早くから試作室を設置し技術の蓄積をはかり,昭和27年には初めてパテγトを 出願し,翌年初めてのパテントを取得している。  この試作室は,昭和39年に研究室となり,現社長が室長となっている。現在 ではさらに,商品開発室として発展的に改組され,6名の専属スタッフをお き,毎年売上の3パーセント程度を研究開発費として充てている。こうした努 力のなかから,数々の新製品や新技術が開発されてきている。最近では,同社 の創業時からの技術であるバルブ=不凍給水栓の技術にエレクトロニクス技術         ユさラ を組み合わせた製品も開発され,現社長のいう「バルブトロニクス」の道を進 展中である。  事業の領域に関しては,創業時から道内だけではなく本州の市場をも射程に おいており,昭和26年頃から徐々に市場開拓に乗り出していた。その努力は, 昭和28年から具体的な成果となって現われ,現在では中国,四国地方にまで販 路が拡大している。晶晶構成の面でも,30年代以降,不凍給水栓だけでは大き 18) こうした製品の最初のものは,昭和44年に電磁,油圧,機械,電動の4つのプロシ  =クト・チームを発足させ,開発に取り組み,昭和48年に電動式のもので開発に成功  した,リモートコントP一ル方式の不凍給水栓である。この後,同社はリモートコン  トP一ル方式のコードレス化に取り孕み,新技術開発財団から助成金を得て,ある会  社との共同開発によって成功している。さらに,昭和57年末には,温度センサーによ 、 って無入のまま水抜きがでぎる全自動水抜きシステムの開発も行っている。

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      中小企業の革新適応  29 な発展は期待できないと考え,多様な製品の開発を試みている。しかし,その 多くは商品に結びつかなかった。将来の製品開発に役立った技術的蓄積を行う ことができ『たことも確かであるが,本来の事業の面で立ち遅れるという結果に もなってしまった。この立ち遅れは,その後従来と異った構造を持つ不凍給水 栓を開発することによって挽回することになるのであるが,このことによって 同社は専業化の意義を学ぶことになった。  製品の多様化ぱはかるが, 『水とお湯の制御』に関するものに徹する。それ も,不凍給水栓とその関連機器に絞るというように事業領域が再定義されたの である。「同社の技術は,油送管など他の分野にも広く応用できるが,水と湯 に関するもの以外は扱わない方針,“専門以外に首を突っ込むと,本業で消費         者の需要動向を迅速的確につかめなくなる恐れがあるから”だ」というのがそ の理由である。  このことによって,会社内の各部分のリズムの調和がとれてきた。エネルギ ーが1つの方向に集約するようになってきたのである。「記すぐ役に立たない 勉強をせよ」といった形で個人に蓄積されてきたものが,ユーザーの要求を媒 介にして交錯し,相互に作用しあう。そこでベクトル合わせがなされるのであ る。現社長が従業員に対してしぼしば行う発問は,こうしたベクトル合わせの 具体的な方法にもなっている。  そのために社長は,社外の人々との問に多様なネヅトワーク作りを行い,そ れを通じての継続的な:情報の獲得と共有を重視しているのである。『技術で生 きている会社であるから,常に新しい技術をとり入れることができる体制をつ くることと,どこに仕事があるかを知ることが重要です。そして,このことの ためには,社外の人々とのコミュニケーション・ネットワークの形成,つまり は“人脈づくり”が極めて大切です』と現社長は明解に語っている。 19) 日本経済新聞社『北海道の中堅130社』,!983より,なお,最近同社はある会社の協  力依頼に応じて,灯?Pt 9 一リーの流量計空転防止装置を開発したが,それには,同社  内で相当議論のすえ開発費は依頼会社が負担し,製品販売にも責任を持つという条件  で共同開発を行ったという経緯がある。

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 同社の場合,A社に比較して,より明確な製品コンセプトをもってスタート した。だが,それを実現するための十分な資源をもっていたわけではなかっ た。希望とエネルギーによって当面する問題を1つ1つ解決していった。その 解決のプロセスが,資源を蓄積していくプロセスでもあった。それによって, 事業コンセプトが明確になるとともに拡大していった。そのプロセスのなかで 試行錯誤しながら,事業領域を再定義することによって独特のパターンが形成 されていったのである。  3。 C   社  昭和43年に,現社長が新しい家具創りを目指して旭川で創業。当地は,家具 の産地として地場産業を形成しており,一定の地域技術の集積も行われてい た。道立の林産試験所,旭川市立工芸指導所,北海道東海大学芸術工学部など のバックアップもあって,ほぼ昭和40年代に,現在の旭川家具の製品イメージ も技術も一応の確立をみたといえよう。  C社は,ほぼこの時期に設立された非常に新しい会社である。現社長の西ド イツ留学の経験から,北海道の材料を,ヨーPッパの生産システムをとりいれ ながら,日本人のハンドワークを使って家具創りをすれぽ世界一のものがっく れると考えたという。当初は,北欧家具(デニッシュ・モダン)を製作して, 北海道で販売しようとした。市場開拓は遅々として進まなかった。  そこで,首都圏に販売のターゲットを変更した。そのなかで積極的にアプロ ーチしたのが,輸入家具を中心に販売している小田急ハルクであった。このア プローチが効を奏した。昭和44年,小田急ハルクに展示を許可され,業界紙に もとりあげられ好評を博したことが飛躍のキッカケとなった。以後,都内の各 デパートからも引き合いが活発になってきたのである。  販売のネットワークは,その後,昭和47年頃までに全国へと展開し,札幌 (49年)や東京(55年)にはショールームも開設している。このネットワーク は,さらに昭和55年の北海道家具サンフランシスコショールーム開設への参加 およびサンフランシスコの現地法人の販売会社の設立(59年)というように世

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       中小企業の革新適応  31 界へと拡大してきている。  前述のように,同社はもともとデニッシュ・ファニチュアの製造,販売を意 図したが,昭和53年頃からポリシーの変更を行い,現在の事業の中心はイタリ アンモダンへと移ってきている。このポリシーの変更のキヅカケは,昭和53年 に:東京で開催した,創立10周年の記念ファニチュアショーにおいて,参加者か ら受けた忠告によって与えられたものである。つまり,デニッシュー辺倒で は,ライフスタイルの多様化に対応できないということである。  このポリシーの変更によって,当社は製品構成の多様化へと向っていくこと になる。昭和58年頃からポストモダンの製品を追加したことも,この現われで あった。しかし,そこには変わることなく,一貫して流れている考え方も存在 する。それは,「ボリュームゾーン」に追従することなく,「ステイタスゾー ン」をターゲットとする戦略である。ここに,この会社のもつ独自性の1つを みることができる。  前述した製品構成の多様化というのは,多様な「ステイタスゾーン」を一定 の組合せで持つことを意味し,海外進出は「ステイタスゾーン」の地理的拡大 を示している。「ステイタスゾーーン」という限定された領域のなかで,一定の 成長,発展をとげていくための方法といえよう。  同社の第2の特徴は,最初の点とも密接に関連しているのであるが,「開発 重視」ということである,つまり「ステイタスゾーン」を構成する人々の感性 に訴えるために,昭和50年頃から他のメーカーに先駆けて,国内外のデザイナ ーやマーチャンダイザーと契約し,それに相応しい製品の開発を行っているの である。  同社の第3の特徴は,流通の面におけるイノペーシ・ンである。創業時,製 品は地元の問屋を通して流すことが主流であったのを,デパートの指定する問 屋と直接取引を行ったりした。また最近ではインテリアデザイナー・マ_ケッ トの開拓を進めている。これは,顧客がどのような家作りを望んでいるのかを まず聞き,それと調和する家具を提供していくという,いわばコンサルティン グ活動をともなった販売方法である。そして,こうした販売の拠点となる店舗

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 32 彦根論叢 第233号 を各地のディラーと共同出資で設立していっている。昭和58年5月には,こう した新しい試みの会社が東京代々木に完成した。  このようなソフトな販売方法は,従来のハードなプレゼンテーションに対し て,メーカーとユーザーが直接接触できる場を提供し,それによってユーザ ー・ニーズを吸収できるといったメリヅトを持っているのである。マーケット が次第に成熟化L,顧客の自己主張化が進むとともに,これから益々このよう なマーケットが拡大していくものと考えられる。当社にとって,このような戦 略の当面のターゲットとなるのが建築事務所やディベロッパーである。  以上みてきたように,当社は家具業界のなかで後発でありながら,従来の業 界にはない新しい発想によって次々と実験を行ってきているのである。

 4.D   社

 昭和26年,現社長がある機械メーカーをスピン・オフし,機械部品の加工を 目的に創業した。特に,S社とは創業当初から密接な関係をもっており,同社 の仕事の多くはS社向けのものであった。  同社の飛躍にとって必ずしも直接的なキッカケではないが,その基礎を築く うえで重要であったことは,昭和28年頃からS社の依頼で各種の試験機類を製 作するようになったことである。これはS社の社員からアイディアを提供さ れ,それをもとにそのニーズに沿った機器を製作するというものであった。  当社の飛躍のキッカケも偶然に生じた。それは,昭和38年にS社からの依頼 でローラーガイドを開発,製作したことである。ローラーガイドは,圧延精度 を高めるため,鉄鋼メーカーにとっては極めて重要な機械である。ところが, 当時,この機械は輸入品しかなく,高額であることと,納期がかかるという問 題があった。S社が当社に開発依頼をしたのも,輸入品の納期を待っていられ ないような状況が生起したからであった。これまで,S社からの依頼で試験機 類を製作していたことから,当社にP一ラーガイドの開発の要請がきたのであ る。  開発の作業は,S社と共同で進められ,数ケ月後に完成した。外国メーカー

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       申小thA業の革新適応  33 の特許に抵触しないで,しかも使用しやすい工夫をこらした。『ものを触発し ていくソフトの技術の蓄積という点で,試験機類を設計,製作していたことが ローラーガイドの開発にも役立った』と周社の専務.は語っている。ともかく, ローラーガイドの開発の成功は,同社の進路に決定的な影響を与え,成長の推 進力となった。現在,同社のP一ラーガイドは,国内のマーケットシェアの70 パーセントを占めるまでになっている。  それでは,後発でありながら,当社が成長できた理由は何であろうか。同社 には,創業時から,r顧客のために仕事をする』というユーザー志向の考え方 があった。採算的にはそれほど妙味のある仕事ではなかった試験機類の製作を 引き受けたのも,このようなユーザー志向の現われの1つであった。このよう なユーザー志向が,ローラーガイドという有望な製品の発見と結びつくことに よって,先発メーカーにはない差別的利点をつくりだしたのである。この差別 的利点は,初期の頃と現在とでは若干その中身が異なっているが,このような 強味をつくり出したことが,当社の成長の要因となった。  製品の販売先にも変化がみられる。菅平部贔の加工を事業としていた時は, 道内中心であったのが,ローラーガイドを手掛けるようになってからは,道外 の納入先が大半を占め,現在では売上の80パー一・セントぱ道外需要となってい る。こうした変化は,前述のユーザー志向との関連で,新たな問題を引き起こ した。それは,製品が機械部品からローラーガイドに変わることによって,ユ ーザー志向に徹するためには納期や品質の他にアフターサービスが重要な要件 となり,そのネットワークを整備する必要性が生じてきたということである。        ヨの 現在,この規模の会社にしては多い位の営業所をもっているのも,こうしたこ とを考慮してアフターサービス網を整備してきたからである。  昭和51年からは,市場もさらに拡大し,海外へと展開していっている。輸出 国も13ケ国におよび,売上の35パーセントは輸出が占めるようになってきた。 海外とは商社を通じて取引しているため,技術者を駐在させてはいない。アフ ターサービス体制は,訪問頻度を増加させることによって維持しているが, 20)現在,札幌本社の他に,7つの支社,営業所を持っている。

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『不十分さを感じている』ということである。  海外市場におけるもう1つの問題点は,製品の高度化とともに初期の頃の当 社の強みであった外国製品との価格差は今日ではほとんどなくなり,特に低開 発国市場のニーズに適合しなくなってきたことである。これに対して同社で は,低開発国向のランクダウンした製品を開発してこれに対応しようとしてい るのである。  5. E   社  昭和21年目,現社長が各種機械の製造を目的に創業。しばらくの間,可能な 限りいろいろな機械の製作や修理を引き受けていた。社長自身が,自分で図面 を書けることが強味であった。こうした様々な種類の仕事のなかに,ある鉄工 所を仲介して持ち込まれた土地改良区の水門の仕事があった。図面が書けると いうことから持ち込まれたものであった。昭和26年に,この水門の仕事を引き 受けたことが同社のその後の成長の基礎をつくったのである。  しかし,同社はこれをキッカケにすぐに専業化の道を選択したわけではなか った。むしろ,時間をかけてじっくりと見極めながら選択していった。当社が 水門専業のメーカーに脱皮したのは,最初の水門の仕事を手掛けてから11年後 の昭和37年になってからであり,これと同時に株式会社に形態変更している。 この時,水門事業の売上げは全体の60パーセントを占めていたという。この11 年間の間に,当社は事業構成を徐々に変化させるとともに,水門事業に関連す る知識やノウハウといった資源を蓄積していったものと考えられる。  同社が,水門事業に特化するにあたって重視したことは,水門づくりは出来 が悪いと一大災害さえ引き起こしかねないものであるから,まず品質重視であ り,そして工事期間のスピードアヅプとコストダウンであった。  同社は,このことを実現するために多様な試みを行っている。第1に,昭和 39年頃からこれまで河川によってその都度設計,製作していたものを,類型化 によって標準化可能なものは標準化し,それを閑散期を利用して生産できる体 制をつくった。

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       中小企業の革新適応  35  第2に,Y社との共同によって自動溶接機を開発したり,昭和57年には溶接 ロボッbを工場に適合するように改良を撫えて導入したりしている。  第3に,詳細な予算書を作成し,それに基づいて運営する体制を相当早くか らつくってきたことがあげられる。  また,水門は受注生産であるから,受注体制を整備することも重要である。 水門という製品の特性から,輸送上の問題もあり,当社の場合取引先は北海道 に限定しており,道南,道東,道北の3つの代理店と札幌事務所,帯広出張所 を設置して受注活動を行っている。  こうした内部体制の確立と営業網の整備によって,現在同社は,小型水門の 分野で道内の60パーセントのマーケヅト・シェアをもっており,昭和41年には 中型水門の分野にも進出している。  ただ,道内の河川整備も相当進んできていることから,同社では新しい事業 分野への進出を意図し,昭和57年に他社から2名の人材をスカウトしてきて新 事業開発に専念させている(昭和58年に設計室内に開発係を設置)。 さしあた り注目している分野は,自動車用クレーンであり,同社が水門で蓄積してきた 重いものの昇降や油圧に関する技術を生かすことができる分野であるという。  こうした他の事業への進出によって社長が意図していることは,水門という 20年のサイクルを持つ事業をもっとサイクルの短い事業である自動車用クレ・・一一 ソと結びつけることによって,事業展開に幅をもたせることができるというこ とである。  6, F   社  昭和8年の創業であるが,その後政令による合併,終戦による解散を経て昭 和23年に有限会社として再スタートしたのが現在の会社の始まりである。 「農 業の発展を工業が手助けする」という考えのもとに,酪農の省力化に役立つ農 機具の製造,販売を中心に事業を展開してきた。創業者でもある現社長の夢 は,かって酷農であった酪農を楽農に変えることであるという。  初期の頃は,酪農家の使用する容器や器具および乳製品会社の機械の付属品

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 36 彦根論叢第233号 などをつくっていた。同社の技術力の評価を決定的にしたのは,欧米の雑誌か らヒントを得て開発したウォーターカップであり,昭和41年に全国発明協会よ り優秀賞を受けている。また,45年にはアメリカのU社の自動搾乳機を,ステ ンレスパイプの溶接技術を自主開発することに成功し,同社と提携のうえ国産 化しているのである。こうした数多くの技術開発の結果,同社は40件を超える 特許を取得している。  ところで,同社は昭和48年∼50年頃をさかいにして,従来の小物類から大型 酪農機器,システム製品へと事業の中心を変化させた。酪農の大型化に対応す るためである。  こうした大型製品,システム製品への転換にともなって,それを支えている 技術戦略にも基本的変化がみられる。これまでの独自技術中心の考え方から, 提携,合弁によって技術を導入し,それを改良していくやり方への転換である。  その第1弾が,アメリカの会社との合弁で,自動給餌システムとふん尿処理 システムの導入を目的にT社を設立したことである。昭和50年代前半の同社の 業績に大きく貢献したサイロの建設も,こうした導入技術のノウハウから生ま れたものである。  同社は,さらに,今後の主力製品になると考えられる「キャトルコード」をオ ランダのP社との提携によって送り出している。これは,給餌システムと搾乳 システムに各種の測定機器をつけてコンピューターで結んだ,乳牛の群管理シ ステムのことで,同社にとって最新の先端技術を応用した最初の製品である。 皿 ケース・スタディ  本研究の目的は,中小企業がどのようなプロセスを経てテイクオフし,一定 の成長を確保するようになったかについて,実際の事例を通じて検討すること であった。本稿でとりあげた6つの企業のテイクオフのプロセスとその方法に は,いくつかの共通点とともに相違点がある。以下,それらをとりあげて,理 論的検討を加えていくことにしよう。  第1に,各祉とも共通して有望なドメイン(活動領域)の発見とその特定化

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       中小企業の革新適応  37       21) , が,テイクオフの契機となっていることである。ドメインの定義は,経営戦略 の基本をなすものであり,全般的環境のなかから企業が資源展開を行う特定の 環境を選択することを意味している。  それでは,なぜドメインの定i義が中小企業のテイクオフにとって重要な要因 となるのであろうか。  (1) ドメインを特定化することによって,中小企業ぱ「よろず屋」的体質か  ら脱皮することができるようになる。よろず屋的中小企業は,自らの組織で  は対応できないような環境多様性に直面している。それゆえ,環境から入っ  てくる情報は,相当多義的であり,専門性も複雑性も低いこのレベルの中小  企業では,その多義的な情報を有効に処理することができない。このような  状況にある企業が有効な環境適応を行うことができるためには,何よりも自  らの組織多様性に見合った環境を主体的に創造することが必要である。具体  的には,前述のようにドメインを特定化し,適応すべき環境を選択すること  である。こうしたプロセスによって,環境の多様性と情報の多義性が削減さ  22)  れ,中小企業が適応できるような状況が創り出されるのである。  (2) ドメインを定義することによって,組織メンバーが情報の獲得と知識を  蓄積すべき方向や領域が明らかになる。つまり,ドメインの定義は,企業が  存続していくうえで必要な独自能力形成のキッカケとその場を提供するとい 2!) ドメインの定義には,その抽象化の程度において様々なレベルのものが考えられる   が,形式的には,業種(製品市場),垂直段階(業務活動分野),地域的にみた市場の   3つの基準によって定義される。たとえば,土屋守章『企業と戦略』,リクルート,   1984, pp.29−38 を参=照。 22)Weick, K. E,The Socicel Psツchology of Organfzi zg Addison−Wesley,1969(金   児暁斜方『組織化の心理学』,誠信書房,1980)を参照。Weickは,イナクトメント・   プロセスが,進掌中の経験から何らかの多義1生が除去される初期段階であり,これに   よってシステムが適応する情報がつくり出されると述べている。また,かれは情報点   力から多義性を除去するためには,いったん多義性が把持されたうえで,次いで除去   されるという手順を踏む必要があるといい,多義性が把持されるためには,情報の入   力される過程内部の秩序が,その入力の秩序の程度と調和していなければならないと   主張している(前掲訳書,p.135およびpp.173−!75)。

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 38 彦根論叢第233号  うことである。  これまでの説明で明らかなように,エネルギー以外ほとんど資源らしい資源 をもたない創業期の中小企業にとっては,ドメインの定義によって唯一の資源 である各人のエネルギーを集中させ,フォーカスをもった活動によってメンバ ーに共通の知識をつくりあげていくことが必要とされるのである。  第2に,ドメインの特定化に至るプロセスについて,基本的に2つのパター ンを識別することができ,それによってスタ滑トアップからテイクオフに至る タイミングが異なっていることである。  まず,第1のパターンとは,創業者の創業前の個人的経験に基づいて,最初 からドメインをかなり特定化してスタートする場合である。このパターンに相 当するのが,B, C, Fの3社のケースである。  これに対して,第2のパターンというのは,創業以降多くの試行錯誤を重ね ながら,偶然によって得た機会を利用することによってドメインの特定化に至 るケースであり,A, D, Eの3社がこれに相当している。  この2つのパターンのうち,前者は,まずトップが一定の目標を提示し,次 にはそれを達成するような戦略を策定(formulation)し,組織行動をリードし ていくという伝統的な見解に大筋において該当しているのに対して,後者のパ ターンを理解するためには異なった視点が必要である。つまり,企業の目標や 戦略は,事前に明確化されていたというよりは,適応プロセスのなかで創立的 (emergent)に生みだされてきたのである。  Mintzbergは,意図した戦略(intended strategy)と実現された戦略(realized strategy)を区別することによって,こういつた現象を解明する枠組を提出し    う ている。かれの考え方の概略は,図1に示されているように,意図した戦略が 全て実現されるわけではなく,また実現された戦略のなかには,当初意図して いなかった創発的戦略も含まれているということである。  今回のケースにおいては,第1のパターンをとった企業の方が,第2のパタ 23) Mintzberg, H., “Patterns in Strategy Formation,” A4anagement Seience, Vol, 24,  1978, pp. 934−959.

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中小企業の革新適応  39

図1戦略のタイプ

誌〉「辮

      実現され       ない戦略 (Mintzberg,1978, p.945より)

浅藩

創発的戦略 一ンの企業よりも創業からテイクオフまでの期間が相対的に短いことがわかっ た。このことは,いち早くドメインを特定化することによって,その領域と関 連をもつ技術やノウハウなどの知識それも他社と差別的な特徴をもつ知識を 蓄積できるようになり,それが相対的に早いテイクオフを促したことを示して いる。  このファクト.ファィンディソグは,Miles=Randolphが組織学習のスタイ       ルと組織の初期的発展との関係で指摘したこととも一致している。かれらは, 行為に先行する過去の経験や文献などから学ぶプロアクティブな学習と現実の 試行錯誤から学ぶイナクティブな学習とを区別し,前者の方が初期の学習の進 度が早く,その結果後者よりも初期において高いパーフォーマンスを享受でき ることを示している。本稿のケースとの関連でいうと,プロアクティブな学習 に相当するものが第1のパターンであり,イナクティブな学習によって特徴づ けられるものが第2のパターンということができる。  第3に,各社の具体的な経営戦略について検討することにしよう。この分析 を通じて,各社が特定の事業領域において,どのような優位性をつくりだして 一定の成長をとげるに至ったかが明らかになるであろう。  (!)A社:すでに市場に存在していた移植機に対して,移植のスピードァッ  プをはかったポット用の移植機を開発して対抗。高い性能という独自性によ  って大きなマーケット・シェアを獲得。 24) Miles=Randolph, o汐. cit,PP.59−74.

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(2)B社1技術開発に基づいたユニークな新製品を次から次へと発表し,マ t・一一Pット・リーダーの地位を獲i得。 (3)C社:多くの家具メーカーが「ポリa. Hムゾ・一 vjを狙っているのに対  して,「ステイタスゾーン」というドメインを創造し,それにターゲットを 絞り,デザイソカを強化することによって対抗。また,流通面におけるイノ ベーションも同社の特徴。 (4)D社:当初,海外の先発メーカーに対して価格の差(2倍弱)と納期に 焦点をあわせた戦略展開を行っていたが,最近では製品設計とアフターサー  ビスに競争上の力点が移ってきた。  ㈲ E社:製品の輸送上の問題(コスト)もあり,ターゲットをきびしく限 定(小型,中型水門のみで,地理的には北海道のみ)し,標準化できる部分  は標準化し,それを閑散期に生産する方法を考え,コストと納期のスピード  アップに重点をおいて対抗。この戦略展開には,自動溶接機の共同開発やロ  ポットの導入といった生産面でのイノベーションも寄与している。  ⑥ F社:初;期の独自技術による新製品開発から現在では,導入技術に基づ  いて独特な応用を行った先進的製品を提供することによって独自の立場を築  いている。欧米諸国からの酪農に関するノウハウを蓄積し,製品とともに提  供するという方法をとっている。  以上,中小企業6社の戦略展開を検討してきたが,具体的な方法こそ異なっ ているが,各社に共通点が発見できる。つまり,それは独特なニッチの絞り込 みによって大企業に参入障壁を築くとともに,先発メーカーやその他の競合メ ーカーに対して差別的な特徴をもつ製品の開発,ユニークな顧客へのアプロー チ,独自の生産方法といった独自性をもつ戦略展開を行うことによって適応し てきていることである。  なお,こういつた各社の戦略は,Porterのいう集中戦略に該当しているので あるが,これは大きく集中一低コスト型と集中一差別化型に類型化することが     できる。調査企業のなかで前者のタイプに相当しているのは,E社だけであり, 25)Porter, M E., Conipetitive Strategy:Technigues for AuaJyxing lndustries and

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      中小企業の革新適応  41 残りの5社は後者の戦略を採用している。ただ,D社は現在,後者の戦略に該 当しているが,初期のころは前者の戦略を採用しており,戦略転換を図ったケ ースである。また,同社は最近では,地域によってこの2つのタイプの戦略を 使いわける試みをしている。  第4に,中小企業の環境適応は,ゲシュタルト戦略によって促進されるとい うことである。Mintzbergは,ゲシュタルト戦略の特微をユニーク性,革新性 と主要な要素間のタイトな結合であると指摘し,強力なリーダーの革新的思考       26)と官僚制の勢いが弱い状態が結びつくことによって形成されるとした。  このゲシュタルト戦略という概念は,前述したNormannの事業アイディア や戦略的適応パターンという概念とほぼ同じ意味を有しており,市場ないしニ ッチ,製品,資源,組織という要素が相互に一貫性をもって結びつき,相互に 強化しあいながら,整合的な:パターンを形成していることを示している。  ただ,この整合的なパターンは,創業当初から形成されていたわけではな い。整合的なパターンの形成にあたって,そのキッカケとなるのが前述した経 営者によるドメインの定義なのである。たとえば,A社ではビート移植機の開 発の成功とそれに続くドメインの定義によって,それまではルーズな結びつき しがなかった諸要素である研究開発,組織文化がそれぞれ相互に強化しあう形 で関連し合い,戦略的適応パターンが徐々に形成されていったのである。  このように,中小企業の戦略的適応パターンないしゲシュタルト戦略は,創 業期における様々な問題を1つ1つ解決し,限界的な状態で対応していくこと によって,試行錯誤的に形成されていったのである。こういつた中小企業の 適応プロセスというのは,いわばこのような整合的なパターンの形成,洗練化 のプPtセスとみることもできるであろう。そして,そのパターンの形成プロ セスとは,正に組織学習のプPセスである。いったん形成された基本的アィデ nアの洗練化のプロセスは,Argyrisのいう「単一ループの学習(single−loop  ComPetitors, The Free Press,1980.(土岐坤他訳『競争の戦略』,ダイヤモンド社,  1982)e 26) Mintzberg, oP. cit., p. 944,

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       27) iearning)」に相当している。この単一ループの学習プμセスによって,企業は 組織性格を益々明確にしてゆき,差別的能力を発展させて競争力を強化するこ とになる。そして,この.ような点画を通じて,..中小企業はテイクオフし,一定 の領域内での成長を確保するようになるのである。  しかし,中小企業がさらに一層の発展をなしとげるためには,このワクを越 えることが必要である。つまり,いったん形成されたゲシュタルトを破壊し, 新たなパターンをつくりあげることが要請される。伊丹は,このような戦略を       28) 「オ・・一 暫く 一一・=クステンション戦略」と呼んでいる。また,先ほどの組織学習 の用語では,このプPtセスを「二重ループの学習(double−loop learning)!と名       29) づけて,「単一ループの学習」と区別している。  最後に,中小企業の環境適応においては,トップが様々な局面において極め て大きな役割を果たしていることを指摘しておく。その役割とは,特に次.の点 においてみられる。  (1)社外の人々との間に多様なインフォーマル・ネットワークを形成し,そ  れが中小企業の「見えざる資産」となっている。  (2) トップの持つ素朴なビジョンや理念が,事業アイディア形成の基礎を提  供することともに,実際の形成プロセスにおいてもトップが中心的な役割を  果たし.ている。この点,多くの論者が,大企業においてミドル・マネジメン       30)  トの役割を強調するのとは対照的である。つまり,大企業におけるミドルの 27) Argyris, C,, “SinglerLoop and Double−Loop Models in Researcli on Decision  Making,” Administrative Science Qzutrterey, Vol. 21, 1976, pp. 363−375. 28)伊丹,前掲書,pp.297−315。 29) 「単一ループの学習」とは,組織の基本的なデザイン.価値,活動を前提にした学  習であるのに対して,「二重ループの学習」は,このような組織の基本的側面を変化  させるような学習である。Argyris, Op cit., p.367. 30)たとえば,野中,前掲書, p. 177およびpp. 258−261。 Kanter, R. M., The Change  Mαsters, Simon&Schuster,1983(長谷川慶太郎訳『ザ・チェンジ・マスターズ』,  二見書房,1984).Burgelman, R. A.“Corporate Entrepreneurship and Strategic  Management: lnsights From a Process Study,” Management Science, Vol. 29, 1983,  pp. 1349−1364.

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       中小企業の革新適応  43  プヅシュに対する中小企業におけるトップのプルによる戦略パターンの形成  ということができる。  以上のように,トップ・マネジメントによるドメインの定義を軸とするユニ ークで,タイトな戦略的パターンの形成を通じての環境適応ということに中小 企業の特徴があり,それは正に中小企業の革新適応と呼ぶことができるもので ある。 Iv 結 び  本稿では,一定の理論的フレームワークに基づいて,中小企業の環境適応の 実証研究を行ってきた。われわれが,研究のスタートにおいて提出した疑問は 創業からテイクオフし,一定の成長をとげた企業の要件とそのプロセスとはど のようなものであるかということであった。  中小企業6社のケース・スタディを通じて,われわれは,いくつかの興味あ るファクト・ファィンディングを行うことができた。テイクオフを果たし,一 定の活動領域内で成長をとげてきた中小企業がもつ共通の特徴とは,細分化さ れた市場,製品,資源,組織の間に一貫した関係をつくり出し,それらがタイ トに結びついていることであった。つまり,ゲシュタル1・戦略の形成が,中小 企業のテイクオフと成長の条件であった。  しかし,このゲシュタルト戦略ないし事業アイディアは,創業者の明確なビ ジョンをもとにして一挙につくりあげられたわけではなかった。様々な試行錯 誤を経て形成されてきたのである。これを形成するにあたって中核となってい るのが,ドメインの定義であった。  ケース・スタディから,ドメインの特定化に至るプロセスには,基本的に2 つのパターンがあることが確認された。第1が,創業前の個人的経験に基づい てドメインを特定する場合であり,第2が,創業後の試行錯誤のなかから直観 的に有望な領域を見極め,ドメインを特定する場合である。前老が,プロアク ティブな学習のケースであるのに対して,後者はイナクティブな学習のケース であった。そして,興味あることに,この両者のケースにおいて,創業からテ

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イクオフまでの時間的間隔に差異があることが発見された。このことは,ドメ インの定義が,組織学習の方向と領域を決定し,知識の獲得と蓄積に大きな役 割を果たしていることを示している。しかし,そのいずれのケースであっても, ドメインの特定化は,ゲシュタルト戦略の形成を推進し,中小企業のテイクオ フの契機となっているのである。  これまで本稿において検討してきたことから明らかなように,中小企業の創 業からテイクオフを経て,一定の領域内で成長をなしとげるプロセスというの は,正にゲシュタルF戦略ないし事業アイディアの形成,洗練化,再調整のプ ロセスであるということができる。        (1985. 7. .?.O)

参照

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