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近代日本における盲人の職業的自立への歩み : 岩橋武夫の足跡をたどって

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全文

(1)

近代日本における盲人の職業的自立への歩み : 岩

橋武夫の足跡をたどって

著者

小西 律子

学位名

博士(人間福祉)

学位授与機関

関西学院大学

学位授与番号

34504甲第474号

URL

http://hdl.handle.net/10236/11380

(2)

関西学院大学審査博士学位 申請論文

近代 日本 における盲人の職業的 自立への歩み

―岩橋武夫の足跡をたどって一

指導教授 室 田 保夫 教授

2012年

11月

関 西 学 院 大 学 大 学 院 人 間福 祉 研 究 科

小西 律子

(3)

要 旨 近 世 において盲人 は,当 道座 などの全 国規模 の 自助組織 を作 り,幕府 や諸 藩 の庇護 のも と一 定 の職 業 的 自立を得 ていた。明治 に入 ると盲人 の官位 である「盲官 」は廃 止 され ,当 道 座 は解 体された.そ して,晴眼者 が盲 人 の伝 統 的職 業 を徐 々に蚕 食 していくなか,盲 人 は職 業 的 自立 の危機 を迎 えた。これ に対 し,盲人 達 は明治 の末から按 摩 を盲 人 の専 業 とす るた めの運動 を始 めた.しかしこの運動 は一 定の成果 を見たものの,結局按摩 を盲人 が独 占する には至らなかった.このように盲人の職 業 問題 が切迫 する中で登場 したのが岩 橋武 夫 である. 早稲 田大 学在 学 中に失 明した岩橋 は,盲 人 が伝 統 的職 業 に執着することに限界 を見いだし, 別 の道 を模 索す る。本論 文 では,岩 橋武 夫 の足跡 をたどつていくことで,近代 日本 にお ける 盲人 の職 業 的 自立 に向けた歩 みの一端 を解 き明かし,もつて岩 橋 武 夫と盲人達 が社会福祉 の歴 史 に果たした役割 を明らか にすることを目的 とする. まず 第 1章 では,近 代 に入 り盲人 に迫 つてきた職 業 的 自立の危機 と,そ の危機 を克服 しよ うとす る試 み の一 つとして,岩橋 武夫 と大 阪ライトハ ウスを取 り上 げ,そ の設 立過 程 を追った. 近代 に入 り職 業 的 自立の危機 を迎 えた盲人 の中にあつて,昭 和 の初期 に異 色 の存在 として 登 場 したのが岩 橋 武 夫 である.岩 橋 は失 明後,盲学校 を経 て関西 学 院 高等 学 部 文科 へ進 み ,そ の後 英 国エジンバ ラ大学 に留 学 した.そ こで欧米 で盲人 問題 の解 決 が進 んだ背 景 に, 盲人 をそのハンディキャップを補うことで 自活 可能な者 として肯定する,「合 理 的保 護 」概 念 の 発 見 があることを見 出した。そして,英 国で調 査した盲人 のための社 会事業を 日本 にもたらそ うと,日 本 の実情 に即 した「日本 型 盲人社 会事業」を構想 し,そ の実験場 として大阪ライトハ ウ スを設 立した。岩橋 は同事業を「愛盲」事業と呼んだ. 続 く第 2章 では,設 立 間もない大 阪ライトハ ウスが愛 盲事 業 の一環 として取 り組 んだ,職業 リハ ビリテーションの黎 明ともいえる早川 分 工場 の設 立の過 程 とその後を追った.岩 橋 はまず, 大阪ライトハ ウス設 立後 間もなくヘ レン0ケラーを招聘 した.これ によつて盲人 に光 を当てるとと もに,大 阪ライトハ ウス,そ して 自らの知名 度 を上 げることに成 功 した.また,女史の来 日は, 後援 会発 足 につながるなど,大 阪ライトハウスの財 政基盤 を固める結果 となつた.やがて 日中 戦争 が勃発 す る。同戦争 を盲人 問題解 決 の好機 ととらえた岩 橋 は,国 とのつながりを強 めつ つ ,失 明軍人対策 に乗 り出す 。建物 の増 改築などの準備 を終え,1943(昭 和 18)年 10月 ,失 明軍人講 習会を実施.翌年 1月 には,シ ャープ株 式会社 の創 業者 早川徳 次の協力 を得 て, 失 明軍人

6名

からなる「早川 分工場」を設 立した。同工場 は,日 本 型盲人社 会事 業を職 業リ

(4)

ハビリテーション分野で実現 させたものであり,職 業訓練の場 と,訓 練 の有効性 を実証するた めの実践 の場 を併せ持つ ,当 時としては画期 的な取 り組 みであつた。同工場 は終戦 による閉 鎖等 の曲折 を経 て,ライトハ ウス金 属 工場 およびシャープ特選 工業へ とつながつており,同 工 場 での経 験 は今 日なお生き続 けている. 続 く第 3章 では,日本 盲 人会連 合(以下「日盲連 」と略記)の結成過 程 を追った.岩 橋 は,少 数 派である盲人 の声を政 治 に届 けるには全 国組織 が必 要だとして,1939(昭 和 14)年の関西 盲 人 事 業連 盟 設 立を皮 切 りに,紀元 二 千六 百年 奉 祝 全 日本 盲人 大会,軍用機「愛 盲 報 国 号」献納運動 などを指揮 し,1942(昭 和 17)年,大 日本 盲人会を設 立した.戦 後 になると,ヘ レ ン・ケラー に再 来 日を求 め,そ の受 け入 れ母 体として再び全 国組織 の設 立を企 図する。そし て

,GHQの

バックアップとライトハウス金 属工場の経済的支援 を得て1948(昭和 23)年 8月 , 日盲連 を設 立 .岩 橋 はその初代会長 に就任 した. 続 く第4章では身 体 障害者福祉 法の成 立過 程を追った.同 法 は

,GHQに

よつて特権 を奪 われ生活 困窮 に陥った傷庚 軍人を救 済するために生まれたとされてきた.しかし,非 軍事化・ 民主化 を占領 政策 の基礎 に置 く

GHQを

前 に,政府 が限定的 に行つた傷庚者保 護 対策 を身 体 障 害者 福祉 法 へ と発 展 させ るためには,戦争 を連 想 させ にくい対象 者 が必 要 だつた.ここ に登 場 したのが岩 橋 と盲人 達 である.近代 に入 り職 業 的 自立 の危 機 に苛 まれてきた盲 人 達 は,戦前から法律 制 定を求 める運 動,日 本 型 盲人社 会 事 業や職 業リハビリテーションの実践, 全 国組織 の結成 などに取 り組 んできた.戦後 になると,ヘレン・ケラーを招聘 し,そ の受 け入 れ母胎 として 日盲連 を設 立 した。そして,ヘレン0ケラー・キャンペ ーンを通 じて盲人福祉 法 の 実現 を訴 えた.政 府 および

GHQは

,盲 人を傷庚者 対策 の中心 に据 え,同 キャンペ ーンを演 出 し,身体 障 害 者 福 祉 法 の実 現 へ と歩 み を進 めた.やがて岩 橋 と盲 人 達 の働 きは実 り, 1949(昭和24)年 12月 ,盲 人達が望んでいた政策をほぼ網羅する身体 障害者福祉 法 が成 立 した. 続 く第5章では,身体 障害者 福祉 法 を手 にした盲人 達 が 日本 盲人 社 会福 祉 施 設 連 絡 協 議 会(以下「日盲社 協」と略記)を日盲連 から分離 して設 立するまでの過程 を追った。1949(昭 和24)年 11月 ,岩橋 は米 国調 査 に旅 立った.岩 橋 はそこで盲人 の更生施策の中に米 国流 の 合 理 性 を背景 とする現実解 を見た.岩 橋 はこれを「愛 盲リアリズム」と呼び,身体 障 害者 福祉 法 の適 正 な運 用や 日盲連 の発 展 に活 かそうとした.ま た同じ時期 に発 生した按 摩 単独 法等 の問題 に対 しても,盲 人達は按摩 単独 法反 対という合理 的判 断を示 した.これ は戦前 に按摩 専 業 運 動 を永年 にわたって続 けてきた同じ集 団とは思 えない変化 であつた.さらに,社会福

(5)

祉 事 業 法公 布 に呼応 し,米 国の例も参 考 にして,盲人 の運 動 体 である日盲連 から,事業者 を分離 し,事 業体 としての 日盲社 協を設 立した.こうして,盲 人達 は組織 として合理 的判 断が できるまでに成長 し,組織 体制も合 理 的 に整備 されたのである. 続 く第 6章 では,世界 盲 人福祉 協議 会(以下「世 盲 協」と略記)への加 盟 とアジア盲人福祉 会議 の開催 に至る過 程 を追った。国 内の体制整備 と並行 して岩橋 が取組 んだのが,わ が国 の盲人達を世界 につなげることであつた.英国で 目の 当たりにした欧米 の進 んだ社 会 事業 に 触発 され ,大 阪ライトハ ウスを設 立した岩橋 にとつて,そ れ は最 後 の仕 上 げともいえる仕 事で あつた。1954(昭和29)年8月 ,第 1回 世 盲協会議 がパリで開かれることになった.岩 橋 はこの 会議 に 日本代 表 を派遣 すべく,同 年

3月

,世盲協 日本 委員 会を設 立し委員長 に就任 した. そして世 盲協 に加 盟するとともに,同 会 議 に代表 2名 を派遣 した.同 会議への 日本代表の派 遣 は,翌 年 に計画 していたアジア盲人福社 会議 の準備 の意 味合 いもあつた.同 年 10月 26 日,更 生課 長 松 本 征 二からアジア盲人福社 会議 は厚 生省 が責任 を持って開催 する旨の報 告を聞いた.そ れ に安心してか,10月 28日 ,岩 橋 は

56年

の生涯 を閉じた. 最 後 の第 7章 では,岩 橋 が構 想 した 日本 型 盲人社 会 事 業 がその後 どうなつたか,岩橋 が 提 唱 した「愛 盲 」の精神 が今 日的な盲人福祉 施 策 にどのように位 置付 いているかを見てきた。 このうち 日本型 盲人社会 事 業 については,多 くの事 業者 が小 さく産んで大きく育てる方式 で 事 業 を拡 大 していること,日 盲連 結成 とヘ レン0ケラー

2度

目の来 日の 1948(昭和 23)年前後 の数 年 間 に多くの事業者 が設 立されてお り,これら事 業者 の多くが直接・間接 に岩橋 の影 響 を受 けて設 立されていること,しかもこれ らの多くが当事者 団体から始 まり,後 に盲人社 会福 祉 事 業 を始 めていることなどか ら,日本 型 盲 人社 会 事 業 は 日本 に広 がり根 付 いていることが わかつた.また今 日の盲人福祉 施策 を

15種

類 に分類 し分析 したところ,ほ ぼす べての分野 に岩 橋 の生涯 の取 り組 みが何 らかの形で貢献していることがわかった。岩橋 の生涯 の活動 は 愛 盲精神 を具 現化 するものであり,この意 味で岩 橋 が唱 えた「愛 盲」の精 神 は,今 日の盲 人 福祉 の中 に息 づ いている.さらに関西学 院や燈影 女 学院からは多くの盲学 生 が巣 立ってい つた.これらの人 々は岩橋 の愛 盲精神 を引き継 ぎ,そ の後各界で活躍 した.

(6)

*目

次 * 序 章.……… ……… ………¨……… …1 第 1節 研 究 の 目的と背景 。………・……… 1 第 2節 先行研 究 レビュー.……… ……… … ……… ……… …6 第 3節 研 究対象 時期 と研 究 の視 点 および研 究方法.………… …

H

第4節 検 証課題 と論 文の構 成 .……… … … … …… … … …… … … … …

H

第 1章 盲人 の職 業 的 自立 の危機 と岩 橋武 夫 による大 阪ライトハウス設 立.………18 第 1節 盲人 の職 業 的 自立の危機 .¨……… ……… …18 1。 自立していた近世 の盲人.‥………18 2。 職 業 的 自立の危機 を迎 える盲人 .………… ……… …19 3。 按 摩 専業運 動 。……… ……… …20 第 2節 岩 橋武 夫 の出現.……… … … …… … … …… … ……… … … …21 1。 岩 橋武 夫 の生い立ち.…… ……… ……… …21 2。 盲人 として学 問の道 を 目指す岩 橋武 夫.………¨………23

3.英

国留 学..…………・………・…・…23 第 3節 英 国調 査.……… ………25 1.英国盲人 法.‥………25 2。 英 国々民盲人協会.…………・………・……・26 3。 世界 のライトハウス.…… … … …… … … …… … … …… … … … …27 第4節 盲人 問題 解決 のためのグランド・デザインの樹 立と 日本型 盲人社会事業 の構想.…… ………¨……… ………¨…¨¨………28 1。 欧米 にお ける新 しい保護概念.……… …29 2。 盲人 問題 解 決 のためのグランド・デザイン.…………・…・…………・……・29 3.日 本型 盲人社会事業の設計.……… ……… ……… …30 第 5節 大 阪ライトハウスの設 立 .…………・………32 1.小さな歩 みを始 めるライトハウス.…………32 2。 講 演活 動 と著作活 動 。… … … …… … … …… … … …… … …33 3。 大 阪ライトハ ウス設 立.……… ………¨………¨………034

(7)

第 2章 職 業リハビリテーションの黎 明としての早川 分 工場.………40 第 1節 大阪ライトハウスによる失 明軍人施策 の始まり.¨………40 1。 ヘ レン・ケラーの招聘 とその背景.………040 2。 失 明軍人 と岩橋武 夫 の戦 略.…… … ……… … … …… … … …… … …42 3。 国との関わりを強 める大 阪ライトハ ウス.…………44 第 2節 早川 分 工場 の設 立.…………46 1.愛盲会館 から失 明軍人会館 へ.……… ……… ……… …46 2。 失 明軍人講 習会.…………・………・…・……0…………・……048 3。 早川徳 治 と早川 分 工場設 立.…………‥…………49 第 3節 早川 分 工場 の拡 大 とその後 .………51 1。 早川 分 工場 の拡 大と終焉 .………… ……… …51 2。 早川 分 工場 のその後 .…………・………53 第 3章 日本 盲人会連合 の設 立.………… ……… ………… ……… …59 第 1節 中央 盲人福祉 協会 と大 日本 盲人会 の結成.…… ……… …59 1。 中央盲人福祉 協会.……… ……… ………60 2。 全 日本 盲人事業連盟 および全 日本 盲人協会連盟 の結成 .…………62 3。 紀 元二 千 六 百年奉 祝 全 日本 盲人大会の開催..…………・………0……・63

4.署

名 運 動 と軍用機「愛盲報 国号」献納運動.…………¨…………65 5。 大 日本 盲人会の結成.…………67 第 2節 日本 盲人 会連合 の設 立過程.…………68 1。 鍼 灸存廃 問題 .……… ……… ………68

2.ヘ

レン0ケラーの

2度

目の来 日 .………¨¨……… ……… …71 3。 日本 盲人会連合 の設 立.………73 第4章 身 体 障害者福祉 法成 立 に盲人達 が果たした役割.………… … ……… …82 第 1節 政府 および

GHQ側

から見た身体 障害者福祉 法成 立過程.………… ………82

1.GHQ占

領 政 策 による傷庚 軍人特権 の剥奪.……… …82

2.傷

庚者 保 護 対策 に向けた動き.…… … … … …… … … …… … … … …83

(8)

3.厚

生省 による身体 障害者福祉 法案 作成 と

GHQの

関与.……… ……… …85 第 2節 盲人 の側 から見た身 体 障害者福祉 法成 立過程 .………86 1。 盲人達 の 中に見られた身体 障害者福祉 法 の萌芽 と 政策 につながる実践 的取り組 み.………¨………86 2。 日本盲人会連合 の結成 とヘレン0ケラー再 来 日.…¨………¨……89

3.身

体 障害者 福祉 法成 立 .………… ……… …92 第 5章 日本 盲人社 会福祉 施 設連絡協議会 の設 立.………… ………… 106 第 1節 米 国調 査.¨………¨……… ………¨……106 1。 渡米 と受難 の岩 橋武 夫.……… … … ………‥………… ……… 106 2。 米 国調 査結 果 .…………108 第 2節 按摩 単独 法と療術 の問題 .……… … …… … … …… … … …… … 111 1。

PHWか

らの問い合わせ.………

H2

2。 按摩 単独 法 に反 対する盲人達.‥………‥………¨………

H3

第 3節 日本 盲人社会福祉 施設連絡 協議 会の設 立過程.……… ………

H5

1。 大 阪ライトハ ウスと大 阪盲人 協会 の分離.………

H5

2.日 本盲人社 会福祉施設連絡協議会 の準備.……… … …¨………‥…

H7

3。 日本盲人社 会福祉施設連絡協議会 の設 立.…… … … …… … … …… 120 第 6章 世 界へ の飛 躍.¨………‥… ………¨………¨…… … ……124 第 1節 世 界 につながる盲人 達.………¨… 124 1。 世 界 に 目を向け続 ける岩橋武夫.…… … … …… … …… … … ……124 2。 世 界 盲人福 祉 協議会への加 盟 と世界盲人福社 会議 への参加 .………126 3。 点字コンサイス英 和辞典の発行 と世界盲人 百科事典 の編纂.……… …… 129 第 2節 アジア盲人福祉 会議 の開催.‥………130 1.ア ジア盲人福社 会議 の開催 に至る過程..…………130 2。 アジア盲人福社 会議 の開催 とヘレン・ケラー

3度

目の来 日.………… …………¨…133 第 7章 日本型 盲人社会事業 と愛盲精神 の広がり.………141 第 1節 岩 橋 武 夫 が行つてきたもの.………… ……… … … ………141

(9)

第 2節 日本 型 盲人社 会事業 の広 がり.…………144 1。 日本型 盲人社会事業 の定義 の再確認 .…………… …¨……… 144 2。 盲人社 会福 祉 事 業 の拡 大 。……… ……… ………・145 3。 日本型 盲人社会事業の一例 と日本型盲人社 会事 業の広 がり.¨………¨…146 第 3節 愛 盲精神 の広 がり.…… … ………… … ……… ……… 150 1。 今 日の盲人福祉 施 策 の 中に見る愛 盲精神.…………150 2。 愛 盲精神 を引き継 ぐ人 々.………¨…153 終 章.…………・………・……… 161 第 1節 まとめと結論.………… … … ……… …………¨………161 第 2節 岩 橋 武 夫 の評価.……… … … …… … … …… … … …… 173 第 3節 限界 と今 後 の課題 および資料収集 の問題.…………¨………174 第4節 岩 橋武 夫 の福祉 の心.…… … … … …… … … …… … … …… 175 第 5節 最後 に.……….…………・…・………176 補論

1視

覚 に障害 のある人 のための社 会福祉 事 業基礎 調査 ―設 立時期 および各事業の開始 時期を中心とするアンケート調 査を通 じて一.… 178

1

序.‥………¨………178 Ⅱ 調査結果.¨… … …… … … … …… … … …… … …… … … ……182 1。 視 覚 に障害のある人 のための社 会福祉 事 業の始まり.…… … ………182 2。 視 覚 に障害 のある人 のための社会福祉 事業設 立の時 間的推移.………185 3。 事 業種別 ごとの事 業者数.……… ……… ………188 4。 各 事業種別 の先駆者.…… … … …… … … … …… … … ……189 5。 各 事業種別 の始動期 ,最 盛期 ,充 足期 .…………190 6。 各 事業者 が営んでいる事業種別 の数 とその時 間的拡大状況.…………191

7.視

覚 に障害のある人 のための社 会福祉 事業の地域 的0時間的拡 大状 況.………194 8。 事 業種別 の組 合せ.……… … … … …… … … … …… … … …194 9。 事 業を始 める際 に参考 にした法人0団体等 および指 導を受 けた人物.¨¨¨……198 Ⅲ 結論 .…………・………・……0199

(10)

補論 1添 付 資料 アンケートから得 られた基礎 データ.………… 210 補論

2民

間組 織 が保 有する歴 史資料 の調 査 と保 全 一 日本ライトハウスにおける電子化 事例報告 一.………221

1

序.…… …… … … …… … … …… … … …… ……… … 221 1。 目的および背景.…………・………・………0221 2。 着 眼および方法 の概 要 .…………221 3。 用語 につ いて.…………222 4。 倫 理 的配慮.………¨………223 Ⅱ 日本ライトハウスの資料保 全 の実情 と問題 点およびその解決 に向けた取 り組 み.223 1.日 本ライトハ ウスと同法人 が保 有する歴 史資料 の概 要.…… … …… … ‥… … 223

2.資

料調 査 に入つていく過 程 で見えてきた 日本 ライトハ ウスにお ける 資料保 全 の実情 と問題 点.…… … … …… … … …… … … …… 224 3.資料整 理 計 画書.………… ……… ……… ……… 225 4。 資料整 理・電子化 の経過 と作業で見えてきたもの.…………¨……… 226 5。 検 索システムの製 作.…… … …… … … …… … …… … … … …… 230 Ⅲ 結論 と今後 の展 開.…………・………・………・…………・…・……231 年表.…… … …… … … …… … … … …… … … …¨… …… … … … …… … 236 岩橋 武 夫 文献 目録.…… … … …… ……… … … …… … … …… … … …… 240 主要参 考文献 目録.…………249 謝辞.…… … …… … … …… … … …… … … ……… …… … … … …… … 269

(11)

序章 第 1節 研 究 の 目的と背景 大航海 時代 に始まった西洋諸 国 による植 民地化 の波 は

,18世

紀 の産業革命 を経 てます ま す加 速 し

,19世

紀 の半 ば,世界 地 図上 の東 の端 に位 置する我 が国 にも及 ぼうとしていた。日 本 の近代 はこのような時期 に始 まる。維 新 を成 し遂 げた明治新 政府 は,「攘 夷 」という革命 思 想 を翻 し,国 を開き,国 を強 くすることで独 立を維 持 す る道 を選 んだ。そして,「富 国 強兵 」, 「殖産興業」のかけ声のもと,諸 外 国から技術や諸制度を導入するとともに,政治 的 には天 皇 を中心 とする立憲君 主制 のもと強力な中央集 権体制 を 目指 し,経済 的 には 自由主義体 制 を とつた.そ の過 程 で,新 体制 にそぐわないものは,次 々に改革 されていつた.そ の影 響 は,国 民 のすべての階層 に及 び,盲 人1をはじめとする弱者 には,とりわけ重くのしかかつてきた. 近 世 において盲人 は当道座 などの全 国規模 の 自助組 織 を作 り,幕府 や 諸 藩 の庇護 のもと 一 定 の職 業 的 自立2を得 ていた3.明治 に入 ると,封建 的諸 制 度 撤 廃 の一 環 として盲 人 の官 位 である「盲 官 」は廃 止 され ,当 道座 は解 体 された.そ して,晴眼者 が盲人 の伝 統 的職 業4を 徐 々 に蚕食 していくなか,盲 人 は職 業的 自立の危機 を迎 えた.これ に対 し,盲 人達 は明治 の 末から按摩 を盲人 の専業 とす るための運 動 を始 めた。しかしこの運 動 は一 定の成 果を見たも のの,結 局按摩 を盲人 が独 占するには至らなかつた。5 このように盲人 の職 業 問題 が切迫 する中で登 場 したのが岩 橋武 夫である。早稲 田大学在

1本

論 文では,視 覚 に障害 のある人 に関する歴 史的な事象 を表 現 したり,そ れをもとに論 証 したりする際 ,視 覚 に障害のある人を指す用語 として「盲人 」を用 いる.これ は,引 用 文 中や 組織 の名 称 に「盲人」が多用 されており,論 文の統 一感 を保 つ には同用語 がふさわしいと考 えたためである.な お,補論 等 で今 日の事象 を扱 う場 合 には,同 用語 に「視 障者 」を用 いてい る.

2本

論 文では,た とえ年 金等 の福祉 サービスを得 ていたとしても,自 らの労働 による収入 があ り,これら収 入や福祉 サービスによつて経 済的 に 自立した生活 を送つていける状態を指す用 語 として,「職 業 的 自立」を用 いる.これ は,筆 者 が,障害 のある人 の職 業 的 自立 とは,そ のハ ンディキャップを補 ったうえでの 自立であるという立場 に立つためである. 3こ こで「

_定

の職業的 自立を得ていた」とは,近 代 に入つてからの盲人の「職業的 自立の危 機」に比較しての相対的表現であり,詳 しくは『 日本盲人社会史研究』∽日藤 1974)を参照.

4本

論文では,歴史的に盲人の経済的 自立を支えてきた按摩 ,鍼,灸,琴三弦,盲 僧 ,盲 人 高利貸し等の職業を指す用語 として,「伝統的職業」を用いる. 5『2007年 度 修 士論文 盲人集 団の職業的 自立の危機 とその克服への試み 岩橋武夫と 大阪ライト0ハウス設立を中心に』の「第1章 盲人集 団の職業的 自立の危機と岩橋武夫の出 現」(小西 2008:9-27)を参照.

(12)

学 中 に失 明した岩 橋 は,盲 人 が伝 統 的職 業 に執着 することに限界を見いだし,別 の道 を模 索す る.岩 橋 は盲 人 の問題 を教 育 問題 と社 会 問題 とに分 け,このうち教 育 問題 につ いては 「盲学校及 びその他 の教 育機 関は,単に盲人 に対 し職 業 的訓練 を与 ふるを以て能 事 終れ り となし,卒業後 の後援 を疎 にす る傾 向甚だ大いなるものあるが故 に,日本 目下の盲人 大衆 の 生活様 式及 びその内容 は,決 して楽観 を許 さないのである」(岩橋 1932b:216-7)と当時 の 盲教 育を批 判 す る.そ して,「我 が国十 万 に余 る盲人 中のその大 多数 の者 は無 産者 にして, その 日稼 ぎをなしつつある」,「盲人 大衆 は,一 般 正 眼者 よりも更 に低 き生活様 式を強ひられ, 国 民 的 文化 の享 楽 に当つても,甚だ不 平等 なる待 遇 を受 けつ つある」,「故 にこれ ら盲 人 大 衆 に対 して,何等 か の社 会 問題 的解 決 の必 要なることは,敢て高遇 なる理想 を説 かず とも, 会得 し得 らるる現 実 の問題 である」(岩橋 1932b:218)と した.さらに盲 人 の社 会 問題解 決 に は盲人社 会 立法 と盲人社 会事 業6が必 要だとし,1935(昭 和 10)年 の大阪ライトハ ウス7(現在 の社 会福 祉 法人 日本ライトハ ウス)設 立を皮 切 りに,岩 橋 はその実現 に生涯 をかけて取 り組 むのである. 一方 ,今 日に続 く障害者福祉 は,1949(昭和 24)年 に制 定 された身 体 障 害者 福祉 法から 始 まった8。 この身 体 障害者福祉 法成 立 に 自分たち盲 人が重要な役割 を果たした,そ のような 話 が盲人 の間で語 り継 がれてきた.す なわち,岩 橋武 夫が1948(日召和 23)年 にヘ レン0ケラー

6本

論 文では,盲 人 のための社 会事 業を指す用語 として「盲人社 会事 業」を用 いる.戦 後 , 社 会福祉 事業 法 が制 定されて以 降,同 法 により認 可された法 人等 が営む事 業 は社会福祉 事 業 と呼ぶことになるが,戦前からの流 れで戦後 を論 じる場合 には,戦後 の記述 であつても 「盲人社会事業」を用いる場合がある.

7大

阪ライトハ ウスは,1922(大 正 11)年 ,「点字 文 明協会 」の名 称で創 業 した.1935(昭 和 10) 年 にライトハ ウスが建設 された当時の名 称 は,「大 阪盲人 協会ライトハ ウス」であつた.そ の後 1942(昭和 17)年には「大 阪盲人協会愛 盲会館 」に改称 され,1943(昭 和 18)年 9月 1日 には 恩賜財 団軍人援護 会大阪支 部 に建物 と設備 を寄付 し「失明軍人会館 」と改称 された. 1946(昭和21)年 5月 15日 には先 の恩賜財 団より建 物 と設備 が戻され「ライトハウス」と改称 さ れ ,1947(昭 和22)年 4月 1日 には「社 団法人ライトハ ウス」となつた。1952(昭和27)年 5月 10 日には,社会福祉 事業 法制 定 にともない「社会福祉 法 人ライトハ ウス」となつた。1960(昭和 35)年 11月 4日 には「社会福祉 法人 日本ライトハウス」と改称 され,現在 に至っている.このよ うに大 阪ライトハ ウスはこれまで 7回 の名 称 変 更を経てきたが,資 料 中には「大阪ライトハウス」 の名 称 が見られるものの,正 式 にはこの名称 を使用したことはない。1935(昭和 10)年の大阪 ライトハウス建設 当時の人 々は,大 阪ライトハ ウスを単 に「ライトハ ウス」と呼んでいた.今 日の 日本 においては「ライトハウス」を名 称 に含 む事 業者 が多数 存在するため,他の「ライトハウ ス」との混 同を避 けるため,本論 文では現在 の「社 会福祉 法人 日本ライトハ ウス」とその前身 を 「大阪ライトハウス」と呼称するものとする. 8(村 1987)参 .

(13)

を 日本 に招 いたことで,身体 障害者福祉 法制 定の機 運 が高まり,そ の結果 同法 が成 立 したと いうのである.このため,盲人 の側 か ら身 体 障害者 福祉 法 の成 立過 程 とその背 景 を見ていき, 先 の 口伝 が事 実であることを証 明できれ ば,障 害者 福祉 政 策 の成 立過程 の研 究 に一石 を投 じることができる. しかし,岩 橋 は単 に身体 障害者福祉 法 の成 立 に関与 しただけではない.身体 障害者 福祉 法 の実現 は,彼 の遠 大な計画の一コマに過 ぎなかつた.岩 橋 は,1948(昭 和 23)年,日本 盲 人 会連 合(以下「日盲連 」と略記)を設 立 し,そ の会長 として盲 人 の諸 団体 を東 ね ,盲 人 達 の 意 志 を結集 した。1953(昭 和 28)年 には 日本 盲人社 会福祉 施 設連 絡 協議 会(現在 の社 会福 祉 法 人 日本 盲 人 社 会福祉 施 設 協議 会 ,以 下「日盲社 協 」と略記)を設 立 し,委員 長 となって 盲人社 会福祉 事業9者の意 志を代表 した。1954(昭 和 29)年 3月 には,世 界盲人福祉 協議会 日本 委員 会(現在 の社 会福祉 法 人 日本 盲人福祉 委員 会,以 下「日盲委」と略記)を結 成 し委 員 長 に就任 す るとともに,同 年 8月 に開催 された第

1回

世界 盲人福社 会議 に代 表 2名を送 つた.そ の後 1955(昭 和 30)年 に第 1回 アジア盲人大会を開催すべく病を押して準備 に奔走 するが,同 会議 の開催 に 目処 がついた 1954(昭 和 29)年 10月 28日 ,つ いに帰 らぬ人 となる. このように岩橋 は盲人社 会 事 業を興 し,盲 人 の全 国組 織を作 り,身体 に障害 のある人 のため の法律 制 定 に貢 献 し,盲 人社 会福祉 事 業者 を束 ねた.そ してその 目はアジアに,さらには世 界 にまで向 けられていたのである.しかも日盲連,日 盲社 協,日 盲委 は今 日でも盲人 の主要 な全 国組織 として重 要な役 割 を果 たしてお り,そ の初代代表 を務 めた岩橋 は,近代 以 降の我 が国で最も注 目す べき盲人 の一人 といつてよいであろう. 本 論 文 では,岩 橋 武 夫 のこれらの足跡 をたどつていくことで,近代 日本 にお ける盲人 の職 業 的 自立 に向けた歩 み の一端 を解 き明かし,もつて岩 橋武 夫 と盲人 達 が社 会福 祉 の歴 史 に 果たした役割 を明らか にすることを目的とする. ところで,な ぜ 盲人 の職 業 問題 なのかである.岩 橋武 夫 が失 明したのは,1917(大 正 6)年 のことであった.この当時,失明した者 が選 択 できる職 業 は,鍼・灸・按摩 等 限られたものしか なく,盲 人 の数少 ない適職 であるこれらの職 業です ら,晴 眼者 に蚕食 され続 けていた.しかし, そのような盲人 にも,過 去 には比較 的恵まれた時代 があつた.近 世 において盲人 は当道座 な どの 自助組織 を作 り,幕府 や 諸藩 の庇 護 のもと,一 定の職 業的 自立を得 ていたことは冒頭 に も触 れた.これ が,明 治維 新 を迎 えて一変 した。明治 に入 ると封建 的諸 制度 が廃 止され ,そ 9社 会福祉事業は戦後の用語であるが,本論文において戦後のことを中心に述べ,そ れに付 随して戦前のことを述べる場合 には,戦前の記述 においても「社会福祉事業」を用いる場合 がある.

(14)

れ とともに当道座も解 体 されたが,このとき盲 人は従来 に代 わる何 らの保護も得 られず貧窮 し てゆく。また,職業 選択 の 自由という新 政府 の方針 が,盲人 の伝 統 的職 業 である鍼 治や按 摩 へ の晴 眼者 の進 出を許 したのである.これ に対 し,過去 の良き時代 へ の憧 憬 から,制 度・政 策 を変 え,そ れ によりかつ てのように職 業 的 に 自立できれ ば,盲人 問題 の多 くを解 決 できると の思 いが盲人 達 に生まれた.そ してその思 いが明治 末期 からの按 摩 専業 運動 につながり, 盲人 の全 国組 織 化 へ の強 い動機 となり,さらには身 体 障 害者 福 祉 法 を勝 ち取 るための運 動 の力 となつたと考 えられる.つ まり,盲 人達 が身 体 障害者福祉 法 に関わつた背 景 には,近代 に入 つて早 々 に始まった職 業 問題 が横 たわっている.岩 橋 の活 躍 は,盲 人 のこうした事情 を 背 景 にしているのである.以 上 のことか ら,近代 からの盲 人 の職 業 問題 を見ていくことで,当 時 の盲 人 問題 の根 幹 部 分 を浮彫 りにでき,身体 障 害者 福 祉 法 に始 まる障害 者 福 祉 の黎 明 期 の一端 を明らか にできる.また,盲 人 の職 業問題 を基調 に据 えることで,多岐 にわたる活 動 をした岩 橋武 夫 の社 会福祉 史上 における役割 を,明 瞭 にとらえることができるのである. また,内 閣府 による「平成 18年度 障害者 施策 総合調 査 」によると,障害 のある人 の

18.9%

が「働 いて得 る収 入 」だけで生活 したいと答 え,45。

3%が

「年金 と働 いて得る収入 」を合わせ て生活 したいと答 えている.両者 を合 わせ ると64。

2%に

もなる。これ に対 し,「年 金 」だけで生 活 したいと答 えた人 は8。

9%で

あり,「家族 などからの支援 」だけで生活 したいと答 えた人 はわ ずか 1。

0%だ

った.この結果 は,年金 を受 けながらも,可 能な限 り自らの力 で生きていきたい という,彼 らの強 い意志 を現 しているのであろう.あ るいは年 金 を受 けられない人や 家族 に頼 れない人 がお り,ま たは年 金 だけでは生活 できないという現 実もあるのであろう.い ず れ にせ よ,障害のある人 の多くは,障害 がありながらも働 きたい,または働 かなけれ ばならないと考 え ているのである.このように,年金 等の福祉 制度 がそれなりの水 準 に到 達した今 日においても, 障害 のある人 の働 くことへ の強 い思 いは薄 らいでいない.まして,福 祉 制度 に見るべきものの なかった近 代 にあつては,そ の思 いははなはだ大 きかったであろう.働 くことは,今 も近代 に おいても,障害のある人 の中心課題 を占めているのである. 一 方 ,岩 橋 は,社会 事 業家 のほか にクエーカー教徒 というキリスト者 としての顔 ,大 阪市 立 盲 学校 の教諭 ,関 西 学 院 の講 師,燈影 女 学 院 の経 営者 という教 育者 としての顔 を持 つ .不 首尾 に終 わつたとはいえ,政治 家 を志 したこともあり,日 盲連 設 立 前 後 の彼 の動 きは政 治 活 動そのものだった.また彼 は,小 説や翻 訳 ,点 字雑 誌『 黎 明』10への毎月の寄稿 等 を手がける 10本論文には点字雑誌 『 黎明』からの引用が多い.同誌の原本は点字で書かれているため, 研究および引用する際には墨字訳が必要である.本論文執筆に当たつては,日 本ライトハウ

(15)

文筆 家でもあつた.さらに,彼 が設 立した大阪ライトハ ウスでは,点 字 出版や 点字 図書館 事 業 に始 まり,数多くの事 業 分 野 を手 がけてきた.加 えてヘ レン・ケラー との親 交も厚 い.このよう に岩 橋 の才能 は多彩 で,か つその活 動範 囲 は広 い.このため岩橋 のす べてを扱 うことは,本 論 文 の範 囲を超 える.そ こで本論 文では,岩 橋 の活 動 の中でも盲人 の職 業 分 野 にまず は 目 を向け,そ こを中心軸 に論を広 げていくことにしたのである. しか し実 際 のところ岩 橋武 夫や彼 が設 立 した大 阪ライトハ ウスは盲 人福祉 史上 ,あ るいは 社 会福祉 史上 ,ど のように位 置付 いているのであろうか.自分 の研 究テーマが,研究分 野 の 中心 に近 い所 にあるのか,端 のほうの取るに足 らない存在 なのか,は たまたそれらの間 にある のか,で あれ ばどのあたりに位 置付いているのかは,研究 の評 価 に関わるだけに気 になるとこ ろである.後 に詳述 するが,この問いに回答 を示す先行研 究 は見 当たらなかつた.そ こで,全 国 の盲 人 社 会福 祉 事 業者 にアンケー ト調 査 を行 い;そ の解 答 を探 った.そ の結 果 は「補 論 1」 として添付 したが,大 阪ライトハ ウスは,先駆性,事 業の規模 などいくつかの点で我 が国の 盲人 社 会福 祉 事 業者 の先 頭 を走ってきたこと,ま た他 の事 業者 に与 えた影 響 が回答 のあつ た全 事業者 のうちで最も大きかつたことなどがわかつた.しかも,盲 人社 会福祉 事 業者 を東 ね る日盲社協 の初 代委員長 は岩 橋 である.このように,岩 橋 武夫 と大 阪ライトハ ウスは,盲 人福 祉 の成 立 と展 開 の過 程 において,際 立った存在感 を示 していたのである.さらに調 査 の結果, 盲人社 会福祉 事 業者 とその前身 の設 立数 は,日 盲連 が結成 された 1948(昭 和 23)年 に急速 に伸 び,身体 障害者福 祉 法成 立を機 に本格 的 に拡 大 していることもわかつた.この 日盲連 の 初 代 会長も岩 橋 であり,加 えて先 にも触 れた通 り,岩 橋 率いる盲人 達 が身 体 障害者福 祉 法 成 立 に大きな役割 を果 たした可能性 があるのである。これ らのことから,岩 橋武夫 の一連 の活 動 を見ていくことで,障害者 福 祉 政 策 の成 立と展 開過 程 の一側 面を明らか にできることが示 スが墨字訳したものを主に使用したが,一 部に視覚障害ボランティアの協力を得て筆者が墨 字訳したものも含まれている。日本ライトハウスの墨字訳 は巻頭言のみを集めた「巻頭言集」 とその他記事を部分的に墨字訳したものが存在する.このうち「巻頭言集」には,原 本の点字 雑誌 における頁が付記されていない.このため,これを引用する際には「巻頭言集」に先頭か らふられた頁を記載した.そ の他の墨字訳は元の点字雑誌の頁を記載してある.点 字は仮名 文字だけで構成されているため,これを墨字訳する際には適宜漢字を当てなければならない. これについては同法人が墨字訳したものも含め筆者の判断で漢字を当て,あ るいは修正した. 同法人が墨字訳したもののうち,旧 漢字は新漢字 に直し,意 味的に見て明らかに誤つている 漢字,当 て字 は適宜修正した.句 読点は,現代の表現 に比して少ないため適宜補つた.な お 点字雑誌『 黎 明』には奥付がないため,編 集 ,発 行所が明確ではない.しかし,実際に発行 を行つてきたのは 日本ライトハウスおよびその前身であるので,編集兼発行所を「大阪ライト ハウスJとした.

(16)

唆 された. 第2節 先行 研究 レビュー 先 行研 究 であるが,岩橋 武 夫 の足跡 を通 じて近 代 日本 にお ける盲 人 の職 業 的 自立を扱 お うとする研 究 は,聞 き取 り調 査 および 国立 国会 図書館(NOL―

OPAC),国

立情 報 学研 究所 (GeN五)などを中心 に調 査 した限 りでは,着手 されていないようである.以 下では関連 分 野 に 範 囲を拡 大 して先行研 究を見ておく. まず,岩橋武夫 自身を扱った研究としては,杉山博昭(2003)「岩橋武夫と盲人運動」『 キリ スト教福祉実践の史的展開』,室 田保夫(2009)「岩橋武夫研究覚書:その歩みと業績を中心 に」『 関西学院大学人権研究』がある.このうち前者は,キリスト教者の立場から,岩橋武夫の 戦争責任を論じており,後者は,日 本の社会事業に功績を残した者の人物史として岩橋を描 いているが,これらは本論文とは視点を異にしている。 続いて,第1章の盲人の職業的 自立に関する研究としては次のものがある。まず,近 世に おける盲人の職業的自立に触れた研究として,加藤康昭(1974)『 日本盲人社会史研究』があ る.明治期の研究としては,松永真純(1998)「近代視覚『 障害』者の按摩専業運動『 盲人保護 法ノ請願』」『 大阪人権博物館紀要』(2),組織とネットワーク研 究班編・杉野昭博著(2000) 『「盲人保護法案」に関する帝国議会資料(1905年 ∼

1914年

)視

覚障害者による「あんま専 業運動」「調査と資料 第

91号

」』がある.さらに,近 世から第

2次

世界大戦後に至る盲人の 職業史や福祉史に触れた研究として,谷 合侑(1997)『盲人の歴史』,(1999)『 盲人福祉事業 の歴史』,本 間伊二郎(1987)『源流を探る ―大阪の盲人福祉 ―』,島田信雄(1956)11『 盲人 の業権擁護闘争史』などがある.また近世から現代までの盲人の職業について述べた研究と して,鈴 木正行(2010)『視覚障害者をめぐる社会と行政施策 職業選択の変遷を視座 にし て』もある. また盲教育の歴史に関する研究としては,加藤康昭(1972)『盲教育史研究序説』,(1989) 「日本における盲人運動の成立とその要求」『 障害者問題史研究紀要』(32),(1994)「 日本の 障害児教育成立史に関する研究 成立期の盲聾唖者問題をめぐる教育と政策」『 茨城大学 教育学部紀要(教育科学)』(43),中 村満紀男(1971)「S.G.ハウの障害児教育思想について 初期における盲教育論を中心に」『 特殊教育学研究』9(2),(1972)「 パーキンス盲院教育にお けるハウの精薄観」『視覚障害児教育研究』(5),楠本実・梶本勝史0井谷善則(1985)「盲学校

H再

版は ,『 日本の視覚障害者の職業小史』(島田 2000)のタイトルで刊行されている.

(17)

の校歌・校章に関する考察 聾学校との関連において」『 障害児教育研究紀要』(7),河合康 (1992)「新潟県盲教育史 明治0大正期における高田盲学校を中心にして」『 上越教育大学 研究紀要』12(1),平田勝政0久松寅幸(2003)「戦前 日本の盲学校教育における職業教育と 進路保障に関する歴史的考察 明治末∼昭和戦前期の各種盲教育大会等の議論の検討 を通して」『 長崎大学教育学部紀要 教育科学』(65),中 村満紀男(2005-2007)『 日本最初 期の点字雑誌「六つ星の光」「点字世界」における戦前の盲人の教育論・生活論』,大塚美 紀(2007-2012)12『東京社会福祉史研究』(1)一 (6)など多数ある. 盲人の歴史に範囲を広げると,当道座,芸能,盲僧などの研究,人物を中心にした研究な どがある.まず当道座に関する研究としては,中山太郎(1965)『 日本盲人史』,(1965)『続 日 本盲人史』がある.また盲人の芸能に関する研究として,網 野善彦・大隅和男(1990)『 日本 歴史と芸能 第 6巻 中世遍歴民の世界』がある.盲僧に関する研究は,中野幡能(1993)『歴 史民俗学論集

2盲

僧』がある.当道座,芸能,盲僧などを幅広く扱った研究としては,谷合 侑(1989)『チャレンジする盲人の歴史』がある.また,盲人の人物を扱った研究として,鈴 木力 二(1969)『 中村京太郎伝』,森 田昭二(2009)「近代盲人福祉の先覚者好本督 『 真英国』と 『 日英の盲人』を中心に」『 人間福祉学研究』2(1),(2010)「好本督と『 日本盲人会』の試み 盲 人福祉事業の先覚者が描いた夢」『 社会福祉学』51(2),(20H)「 中村京太郎と点字投票運動 『 点字大阪毎 日』の論説と記事を通して」『Human welfare』3(1),(2012)「中村京太郎と盲女 子の保護問題『 関西盲婦人ホーム』を中心として」『 福祉文化研究』21が ある. また,第 1章の岩橋武夫と大阪ライトハウスに関する研究や著作物としては次のものがある. まずはじめに,岩橋武夫 自身による著作物である.岩橋は,哲 学書,キリスト教関係の著作, ヘレン0ケラーに関する著作,そして盲人関係の著作などを著している.そのうち大阪ライトハ ウス設立に関係するものとしては,(1931)『光は闇より』,(1932b)『愛盲(盲人科学 ABC)』, (1932a)「盲人福祉及び失明防止に関するウインフレッド,マザー夫人の講演内容」『 岩橋武 夫講演集

2暗

室の王者』などがある.『光は闇より』は,岩 橋が失明し苦悩の末,自 殺を図 ろうとしたときに,「闇の中に光を発見」し,その光明に感謝しながら学問の道に進んでいった 自らの体験を記述したものである.『愛盲(盲人科学ABC)』は

2部

構成となつており,第

1部

はウィニフレッド・ホルト(後に結婚してウィニフレッド・マザーとなる)による『 盲人とその友のた

めへの本』(〃A Handbook fOr the BHnd and their F五ends〃 )を全訳したものである.第

2部

は,

12大塚美紀の

『 東京社会福祉史研究』に掲載された資料紹介のタイトルおよび頁は,章 末の 文献欄を参照.

(18)

岩橋が,1929(昭 和4)年 2月から12月 の間,『大阪府社会事業研 究』に掲載した論文を収録 したものである.「盲人福祉及 び失明防止 に関するウイニフレッド・マザー夫人の講演内容」 は,1929(昭 和4)年 6月 4日 ,内 務省社会局小会議室においてニューヨークライトハウス創設 者マザー夫人が行った講演を岩橋が通訳し,そ の内容を収録したものである。その他,日 本 ライトハウスが刊行していた点字雑誌『 黎明』にも岩橋が執筆した記事や論文などがある.な お,岩 橋が投稿 した雑誌記事 については,先の著作物などに収録されているので省略した. また岩橋の著作物は他 にもあるが,ここでは本論文に無関係なものは省略した. 岩橋武夫の没後

8年

目の 1962(昭37)年には,岩 橋英行(1962)『 日本ライトハウス

40年

史』が出版された.これには,大阪ライトハウスの歴 史や,ライトハウス事業をしる手がかりとし て参考となる資料が納められている.このほかに大阪ライトハウスの関係者が岩橋武夫の足 跡をたどった論文0書籍として,岩 橋英行(1978)「異国で善意の重みを知った 日本ライトハウ スの創設者・岩橋武夫の足あと(福祉 の遺産)」『 月刊福祉』61(3),関 宏 之(1983)『岩橋武夫 義務ゆえの道行』がある.

2000年

代 には,日本ライトハウス

21世

紀研究会(2002)『わが国の障害者福祉 とヘレン0ケ ラー 自立と社会参加 を目指した歩みと展望』および,高 橋秀治(2003)「特集 自立と社会参 加 のためのパートナーシップ 倉J立

80年

の光を掲げる日本ライトハウス」『 視覚障害』(184), 木塚泰弘(2003)「列 島縦断ネットワーキング 大阪

80周

年を迎えた 日本ライトハウス」『 ノーマ ライゼーション』(258)が出される.このうち『 わが国の障害者福祉 とヘレン0ケラー 自立と社会 参加 を目指した歩みと展望』は,日 本ライトハウスの創 立 80周 年を記念して出版 されたもので あり,『日本ライトハウス

40年

史』では,明 らかにされていなかつた岩橋武夫やライトハウス設 立に関する新たな記述が見られる. 第2章 の大阪ライトハウス早川分工場 に関する先行研究であるが,同 工場を職業リハビリテ ーションの歴史の観 点で研究したものはなかった.職 業リハビリテーションの歴史に関する研 究では,松井亮輔(1987)「職業リハビリテーションの歴 史」『 総合リハビリテーション』15(4)があ る.同 論文では,第一次世界大戦以降

,1980年

代までの職業リハビリテーション施策の展開 を

4期

に分けて概観し,職 業リハビリテーションが第二次世界大戦後,身 体障害者を対象 に 発展していつたことを明らかにしている。職業リハビリテーションの歴史の研究には,他 に精神 障害者の職業リハビリテーションに関するもの

2件

,作業療法士に関するもの

1件

があるが, 盲人 に関するものは見あたらない.早川分 工場の研 究がこれまでなされなかつたのは,資 料 の多くが点字であり,そ の発見が困難であったこと,墨字資料 にも早川分工場の存在を示す

(19)

ものがいくつかあるが,そ の多くが重要文書扱 いとして 日本ライトハ ウス内 に保 管 されてお り, 研 究者 の 目に触 れることがなかったことなどが考 えられる.年報 等 比較 的入 手 しや す い資料 にも同工場 のことは若 干触 れられているが,点 字 資料 等 による内容 の補完 がなけれ ば,そ の 実態 を描 くのは困難 である. 早川分工場設 立の協力者である早川徳次 に関する書籍 としては,早川徳次(1970)『私の 考え方 早川徳次』,早 川徳次(1980)「早川徳次」『 私の履歴書 経済人 6』,平 野隆彰(2004) 『 早川徳次伝 シャープを創 った男』などがある.また早川分工場の後身であるシャープ特選 工場株式会社 に関する書籍としては,シ ャープ特選工業株式会社(1990)『シャープ特選と私 創 立40周年記念誌』がある. 第3章 の 日盲連の設 立過程を研究したものもないようである.これまで 日盲連の設立過程 の研究がなされてこなかったのは,早川分工場 同様 ,当 時の資料の多くが点字であり,そ の 発見が困難であつたためであろう.しかも資料 のほとんどは,日 盲連 にではなく,日本ライトハ ウスに所蔵されていた. 日盲連 に関する書籍 としては,日 本盲人会連合(1978)『 日本盲人会連合

30年

史(点字 版)』(1-3),日 本盲人会連合

50年

史編集委員会(1998)『 日本盲人会連合

50年

史』がある. 第4章の身体障害者福祉法の成立過程の先行研究であるが,これを当事者側から見た研 究はないようである.同 法成立過程を政府および

GHQ側

から見た研究としては,村上貴美 子(1987)『占領期の福祉政策』,矢 嶋里絵(1997)「身体障害者福祉法の制定過程 総則規定 を中心に その 1」『 人文学報』(281),(1999)「身体障害者福祉法の制定過程 その 2」『 人文 学報』 (300),熊 沢 由美(2004)「被 占領期 日本 における傷庚者保護対策 身体障害者福祉 法の制定をめぐって(1)」『 東 北学院大学論集 経済学』(156),(2005)「身体障害者福祉 法の 制定過程 身体障害者福祉法の制定をめぐって(2)」『 東北学院大学論集 経済学』がある. このうち村上(1987)は,厚 生省職員という著者の立場を生かして当時の史料発掘の限界を打 破 し,貴重な一次資料を基 に,「生活保護法」「児童福祉法」「身体障害者福祉法」,すなわ ち社会福祉 三法の成立過程を明らかにしたものである.矢嶋(1997,1999)は ,村上が本村文 庫 に所蔵されていると言及していた同法の複数の法律 草案を用いるとともに,衆参厚生委員 会国会会議録の審議経過 ,お よび

PHW記

録用覚書の英文を翻訳して検証している.また熊 沢(2004,2005)は ,第 一次資料の一部を,国 立国会図書館憲政資料室が所蔵 している

PHW

記録用覚書のマイクロフィッシュおよびフィルムを用いて検証している. それから,丸 山一郎(2006)「障碍者対策ことはじめ 身体障害者福祉法はこうして誕生した

(20)

ミクラウツ氏と金 田会長 による回顧談」『 ノーマライゼーション』26(10),田 中徹 二(2006)「フェル ディナンド・ミクラウツ氏の講演から考える

GHQの

施策と日本の障害者福祉」『 月刊 視覚障 害』(220),福 山博(2006)「

60年

前の記憶を手がかりに『 身障法』や岩橋武夫を語る フェルデ ィナンド・ミクラウツ特別講演」『 点字ジャーナル』(436)がある.これらは,後 述するフェルディナ ンド・ミクラウツを,埼 玉県立大学の丸山が 2006(平成 18)年 7月 に 日本 に招聘した際の講演 等をもとに

,PHWで

身体障害者福祉法を直接担 当した氏の貴重な証言を綴つたものである.

さらに蟻塚 昌克(2009)「身体 障害者福祉 法の制 定 Hden Kdler's Vis■ Japan」『 証言 日本 の社会福祉 1920-2008』がある.これは,時代の転換点 にたつた人びとの記録 に焦点 を当て,わ が国の社会福祉 の源流の一角を明らかにしようとしたものである. 最後 に 2008(平 成20)年から2010(平 成22)年には,寺脇隆夫(2008a)「身体障害者福祉法 (1949。 12)の立案過程の検討(上

)木

村文書 中の法立案過程の史資料を通して」『 浦和論叢』 (39),(2008b)「身体障害者福祉法(1949。12)立案過程の史資料(上

)木

村文書 中の身体障害 者福祉 法制 定関係基本資料」『 浦和論叢』(39),(2009a)「身体 障害者福祉 法(1949.12)の立 案過程の検討(中

)木

村文書 中の法立案過程の史資料を通して」『 浦和論叢』(40),(2009b) 「身体障害者福祉法(1949。12)立案過程の史資料(中

)木

村文書 中の身体障害者福祉 法制 定関係基本 資料」『 浦和論叢』(40),(2009c)「身体 障害者福祉 法(1949。 12)の立案過程の検 討(下

)木

村文書 中の法立案過程の史資料を通して」『 浦和論叢』(41),(2010)「 身体障害者 福祉 法(1949。 12)立案過程 の史資料(下

)木

村文書 中の身体障害者福祉 法制 定 関係 基本 資料」『 浦和論叢』(42)を発表した。これらの論文および資料は,1948(昭 和23)年から1952(昭 和 27)年にかけて厚生省社会局長であった木村忠二郎が収集した資料を基 に,厚 生省側か ら見た身体障害者福祉法の立案過程の中,従来未解 明であつた具体的法案の中身を丹念 に追い,そ の変遷を取り上げて研 究したものである.また身体障害者福祉法の法律草案から 最終案までが資料集 としてまとめられており,占 領期の研究にとつて貴重なものである. 第5章 の 日本盲人社会福祉施設連絡協議会 に関する先行研 究もないようである.資 料とし ては,社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会・創 立 50周 年記念誌編集委員会(2003) 『 社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会 沿J立 50周年記念誌』,が ある. 第6章 の世界盲人福祉 協議会やアジア盲人福社会議 に関する先行研 究もないようである. 資料 としては,岩橋英行 (1955)『 世界盲人福社 会議並びにヨーロッパ における盲人福祉 事業施設視察報告書』,世界盲人福祉協議会 日本委員会(1956)『アジア盲人福社会議議事 録こ』がある.

(21)

第 7章 の盲 人社 会事 業 の広 がりなどに関する先行研 究もないようである.社会 事 業 史 の研 究 としては,吉 田久 一(1990)『吉 田久 一著 作集

3改

訂 増補版 現代社 会事 業 史研 究』が詳 しいが,同 研 究 には盲人社 会事 業の事例 は見あたらない. 第3節 研 究 対象 時期と研 究 の視 点および研 究方法 本 研 究 で は

,盲

人 が職 業 的 自立 の危 機 を迎 える明 治 初 期 か ら岩 橋 武 夫 が 亡 くなる 1954(昭和 29)年までの時期 を主 に扱 い,岩 橋武夫 の足跡 をたどることを通 じて,盲 人 の職 業 的 自立 に向けた歩 みを,岩 橋武 夫および盲人達 の視 点で見ていくものとした. 研 究方 法 としては,日 本ライトハ ウスをはじめ,関 係 する法人0団体等 に出 向き歴 史資料 の 調 査・発 掘 を行 うとともに,発 見された資料 を基 に,実証 的 に研 究 していくものとした.資 料 に つ いては,可能 な限 リー 次 資料 に当たり,年史等 の 出版 物も併 せ て参 考 にす る.さらに,各 事 業者 の歴 史をよく知る人物 に聞き取 り調 査 を行 い,研究を補 完することとした. なお,法人・団 体 等 が保 有 す る歴 史 資 料 の調 査・発 掘 につ いては,相 手 が現 に事 業 を営 んでいる民 間組 織 であるだけに難 しさが伴 う.そ れを筆 者 がいか にして克服 し,組織 の 中 に 分 け入 り腰 を据 えて調 査を行 つてきたか につ いて,そ の方法論 を「補 論2」として添付 した. 第4節 検 証課 題 と論 文の構 成 検 証課題 および論 文の構成 としては,第 1章 で,まず 明治から昭和初期 にかけて盲人 に迫 つてきた職 業 的 自立の危機 と,これを背 景 として岩 橋武 夫 が 日本型 盲人社会 事業13の着想 を 得 ていく過 程,さらに 日本 型 盲人社会 事 業を実践す るために,大 阪 にライトハ ウスを設 立して いく過程 を明らか にする.第 2章 では,大 阪ライトハ ウスがシャープ株 式会社創 業社 の早川徳 次 の協力 を得 て先 駆 的 に取 り組 んだ,職業 リハビリテーションの実 践 例 としての早川 分 工場 につ いて,そ の背 景 および 開設 から閉鎖 に至る過程 を見ていく.第3章 では,岩橋 武 夫 が盲 人達 の政 治力 を結集 しようと,盲 官廃 止後

70年

余 りを経 て実現 した盲人 の全 国組 織 である 日本 盲人会連 合 を立ち上 げていく過 程 を見ていく.第4章では,少 数 派 に過 ぎない盲人達 が, 集 団 としての声 を上 げ続 け,身 体 障害者 福祉 法の実現 に深 く関わり,同 法成 立 の要 としての 役 割 を果 たしたことを明 らか にす る.第 5章 では,身体 障害者 福 祉 法 を手 にした盲人 達 が 日 本 盲 人社 会福 祉 施 設連 絡 協議 会を 日盲連 から分離 して設 立す るまでの過程 を見ていく.第 6章 では,日 本 型 盲 人社 会 事 業 を通 して欧米 の合 理 的保 護 概 念 を 日本 にもたらそうとした岩 13「 日本 型 盲人社 会事 業」は,第 1章 で定義する.

(22)

橋 が,ふたたび世 界 に 目を向け,世界 盲 人福 祉 協 議 会 へ の加 盟 およびアジア盲 人福 社 会 議 を開催 していく過程 を見ていく.第 7章 では,岩 橋 が構 想 した 日本型 盲人社 会 事 業がその 後 どうなったかを分析 するとともに,岩 橋 が提 唱 した「愛 盲」の精神 が今 日的な盲人福祉 施策 にどのように位 置付 いているかを見ていくことで,岩 橋 の功績 を評価 する.以 上

,7つ

の検 証 課 題 を解 き明かし,近 代 日本 における盲人 の職 業 的 自立へ の歩 み として岩 橋 の足跡 をたど つていくことで,岩 橋武 夫 と盲人達が社 会福祉 の歴 史 に果 たした役割 を明らか にする. 近 世 において当道 座 などの 自助組織 を作 リー 定の職 業 的 自立を得 ていた盲人 は,近 代 に 入 るとその特権 的地位 を失 い,何らの保 護も得 られないまま,自 由競争 の波 に翻 弄されてい く.これ に対 し盲 人 達 は明治 の末 頃より按 摩 専業運動 を起こすものの,十 分な成果 は得 られ なかった.そ こに登場 したのが岩橋武 夫である.岩 橋 は 1935(日召和 10)年,大 阪 に世界で 13 番 目となるライトハ ウスを建 設 し,今 日の 日本ライトハウスを創 業 した人物 である.一 方,盲人 の間では,1948(日召和 23)年 に岩 橋 がヘ レン・ケラーを 日本 に招 いたことがきつかけとなり,身 体 障 害者 福 祉 法 が成 立 したとされてきた.また,岩 橋 は 日盲連 の初 代 会長,日 盲社 協 の初 代 委員 長 を勤 め,ア ジア盲人 福社 会議 開催 の立役 者 でもある.すなわち岩 橋 は,近代 以 降 の盲人 の中で,最も注 目す べき人物 の一 人 である。にもかかわらず ,岩 橋 の研 究 はこれまで あまりなされ てこなかつた。本研 究 は,岩橋 武 夫 の足跡 をたどつていくことで,近代 日本 にお ける盲 人 の職 業 的 自立 に向けた歩 み の一端 を解 き明かし,もつて岩 橋武 夫 と盲人 達 が社 会 福祉 の歴 史 に果 たした役割 を明らか にしようとしている. 文献 網 野 善彦・大 隅和 男 (1990)『 日本 歴 史 と芸能 第

6巻

中世遍歴 民の世 界』 平凡社.

蟻 塚 昌克 (2009)「 身 体 障害者福祉 法 の制 定 Hden Kdttr's Vis■ Japan」『 証言 日本 の

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60年

前の記憶を手がかりに「身障法」や岩橋武夫を語る 一フェルデ ィナンド・ミクラウツ特別講演一」『 点字ジャーナル』(436),ページ数なし. 早川徳次 (1970)『私の考え方 早川徳次』 浪速社. 早川徳次 (1980)「早川徳次」『 私の履歴書 経済人6』 日本経済新聞社,123-85。 平野隆彰 (2004)『早川徳次伝 シャープを創った男』 日経

BPセ

ンター.

(23)

平田勝政・久松寅幸

(2003)「

戦前 日本の盲学校教育における職業教育と進路保障に関

する歴史的考察

:明

治末∼昭和戦前期の各種盲教育大会等の議論の検討を通して」

『長

崎大学教育学部紀要 教育科学』

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(1987)『

源流を探る 一大阪の盲人福祉―』大阪府盲人福祉協会

.

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(1962)『

日本ライト

ハウス

40年

史』 日本ライトハウス

.

岩橋武夫

(1931)『

光は闇より 盲人哲学者の入信手記』 日曜世界社

.

岩橋武夫

(1932a)『

岩橋武夫講演集

2暗

室の王者』 日曜世界社

.

岩橋武夫

(1932b)『

愛盲 盲人科学

(ABC)』

日曜世界社

.

加藤康昭

(1972)『

盲教育史研究序説』東峰書房

.

加藤康昭

(1974)『

日本盲人社会史研究』未来社

.

加藤康昭

(1989)「

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『障害者問題史研究紀要』

(32),3-7。 加藤康昭 (1994)「 日本の障害児教育成立史に関する研究 成立期の盲聾唖者問題をめ ぐる教育と政策」『 茨城大学教育学部紀要(教育科学)』(43),125-142。 河合康 (1992)「新潟県盲教育史 明治・大正期における高田盲学校を中心にして」『 上越 教育大学研究紀要』12(1),325-38。 木塚泰弘 (2003)「列島縦断ネットワーキング 大阪

80周

年を迎えた日本ライトハウス」『 ノ ーマライゼーション』(258),55-57. 小西律子 (2008)『

2007年

度 修士論文 盲人集団の職業的 自立の危機とその克服への 試み ―岩橋武夫と大阪ライト0ハウス設立を中心に一』 岡山県立大学 . 小西律子 (2009)「盲人集団の職業的 自立の危機とその克服への試み 岩橋武夫と大阪ラ イトハウス設立を中心に」『社会福祉学』50(1),57-67。 小西律子 (2010)「民間組織が保有する歴史資料の調査と保全 日本ライトハウスにおける 電子化事例報告」『社会福祉学』51(1),66-76。 小西律子 (20H)「職業リハビリテーションの黎明としての大阪ライトハウス早川分工場」『 社会 福祉学』51(4),5-17. 小西律子 (2012)「身体障害者福祉法成立に盲人集団が果たした役割」『 社会福祉学』 52(4),3-16。 熊 沢 由美 (2004)「被 占領 期 日本 にお ける傷 庚 者 保 護 対 策 身 体 障 害 者 福 祉 法 の制 定 を めぐって(1)」『東北学院大学論集 経済学』(156),51-86.

(24)

熊沢由美 (2005)「身体障害者福祉法の制定過程 身体障害者福祉法の制定をめぐつて (2)」『東北学院大学論集 経済学』(158),243-68。 楠本実・梶本勝史0井谷善則 (1985)「盲学校の校歌・校章に関する考察 聾学校との関連 において」『 障害児教育研究紀要』(7),13-25。 丸山一郎 (2006)「障碍者対策ことはじめ 身体障害者福祉法はこうして誕生した ミクラウ ツ氏と金田会長による回顧談」『 ノーマライゼーション』26(10),49-51。 松永真純 (1998)「近代視覚「障害」者の按摩専業運動『 盲人保護法ノ請願』」『 大阪人権 博物館紀要』(2),71-9。 森 田昭二 (2009)「近代盲人福祉の先覚者好本督一『真英国』と『 日英の盲人』を中心に」 『 人間福祉学研究』2(1),61-72。 森 田昭二 (2010)「好本督と「日本盲人会」の試み 盲人福祉事業の先覚者が描いた夢」 『社会福祉学』51(2),5-16。 森 田昭二

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中村京太郎と点字投票運動『 点字大阪毎 日』の論説と記事を通して」 『Human welfare』 3(1),79-90. 森 田昭二 (2012)「中村京太郎と盲女子の保護問題 『 関西盲婦人ホーム』を中心として」 『福社文化研究』21,97-107。 村上貴美子 (1987)『占領期の福祉政策』 勁草書房. 室 田保夫 (2006)「岩橋武夫 日本ライトハウスの創設と視覚障害者の福祉」『 人物でよむ 近代 日本社会福祉のあゆみ』 ミネルヴァ書房,206-12。 室 田保夫 (2009)「岩橋武夫研究覚書:その歩みと業績を中心に」『 関西学院大学人権研 究』,27-46。 中村満紀男 (1971)「S.G.ハウの障害児教育思想について 初期における盲教育論を中心 に」『特殊教育学研究』9(2),1-14。 中村満紀男 (1972)「パーキンス盲院教育におけるハウの精薄観」『 視覚障害児教育研究』 (5),23-38。 中村満紀男 (2005-2007)『 日本最初期の点字雑誌「六つ星の光」「点字世界」における戦 前の盲人の教育論0生活論』 研究課題番号17653122。 中野幡能 (1993)『歴史民俗学論集

2盲

僧』 名著出版。 中山太郎 (1965)『 日本盲人史』 ノヽ本書店. 中山太郎 (1965)『続 日本盲人史』 ノヽ本書店.

(25)

日本盲人会連合 (1978)『 日本盲人会連合

30年

史(点字版)』 (1)日 本盲人会連合. 日本盲人会連合

50年

史編集委員会 (1998)『日本盲人会連合

50年

史』 日本盲人会連 合. 日本ライトハウス

21世

紀研究会 (2002)『わが国の障害者福祉とヘレン・ケラー 自立と社会 参加を目指した歩みと展望』 教育出版株式会社。 大塚美紀 (2007)「資料紹介/点字雑誌『 六星の光』掲載論稿(墨字訳

)刊

行初期における 盲人の職業問題に関する論稿を中心に」『東京社会福祉史研究』(1),77-90. 大塚美紀 (2008)「資料紹介/点字雑誌『 六星の光』掲載論稿 〔墨字訳〕(2)刊行初期におけ る盲人の教育問題に関する論稿を中心に」『東京社会福祉史研究』(2),97-HO。 大塚美紀 (2009)「資料紹介/点字雑誌『 六星の光』掲載論稿 〔墨字訳〕(3)刊行初期におけ る点字に関する論稿を中心に」『東京社会福祉史研究』(3),137-149。 大塚美紀 (2010)「資料紹介/点字雑誌『 六星の光』掲載論稿 〔墨字訳〕(4)日 本訓盲学翻案 満二五年記念祝賀会に関する論考を中心に」『東京社会福祉史研究』(4),H7-129。 大塚美紀 (2011)「資料紹介/点字雑誌『 六星の光』掲載論稿「墨字訳」(5)東京盲唖学校分 離期の学校生活に関する論稿を中心に」『東京社会福祉史研究』

(5),103-Hl.

大塚美紀 (2012)「資料紹介/点字雑誌『 六星の光』掲載論稿「墨字訳」(6)干J行初期におけ る地方の盲人の教育や生活状況に関する論稿を中心に」『 東京社会福祉史研究』(6),71 -82. 関 宏之 (1983)『岩橋武夫 義務ゆえの道行』 日本盲人福祉研究会. 社会福祉研究所 (1990)「『 戦前」 0戦中期における障害者福祉対策』社会福祉研究所. 社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会・創 立

50周

年記念誌編集委員会 (2003) 『社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会 倉J立

50周

年記念誌』 社会福祉法人 日 本盲人社会福祉施設協議会。 シャープ特選工業株式会社 (1990)『シャープ特選と私 創立

40周

年記念誌』 シャープ 特選工業株式会社. 島田信雄 (1956)『盲人の業権擁護闘争史』 大阪市立盲学校同窓会. 島田信雄 (2000)『 日本の視覚障害者の職業小史』 島田信雄. 組織とネットワーク研究班編・杉野昭博著 (2000)『「盲人保護法案」に関する帝国議会資 料(1905年∼1914年

)視

覚障害者による「あんま専業運動」「調査と資料 第 91号 」』関西 大学経済・政治研究所.

参照

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8月 職員合宿 ~重症心身症についての講習 医療法人稲生会理事長・医師 土畠 智幸氏 9月 28 歳以下と森の会. 11 月 実践交流会

管理 ……… 友廣 現場責任者及び会計責任者、 研修、ボランティア窓口 …… 是永 利用調整、シフト調整 ……… 大塚 小口現金 ……… 保田

現場責任者及び会計責任者、 研修、ボランティア窓口 …… 是永 利用調整、シフト調整 ……… 園山 小口現金 ……… 保田

麻生区 キディ百合丘 ・川崎 宮前区 クロスハート宮前 ・川崎 高津区 キディ二子 ・川崎 中原区 キディ元住吉 ・川崎 幸区

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7/24~25 全国GH等研修会 日本知的障害者福祉協会 A.T 9/25 地域支援部会 大阪福祉協会 A.T 11/17 地域支援部会 大阪福祉協会 A.T 1/23 地域支援部会