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異文化コミュニケーション・エシックスに向けて ~脱文化相対主義の勧め~

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異文化コミュニケーション・エシックスに向けて

―― 脱文化相対主義の勧め ――

佐 生 武 彦

はじめに

至るところで新しい倫理が求められている。例えば、「可能な限りの患者の延命」という 医療にまつわる従来の観念(生命至上主義)が、近年の目覚ましい医療技術の進歩によっ て突き崩され、「殺」の正当化をめぐって新たな倫理の確立が急がれている。また、環境破 壊と資源枯渇の問題は、生存権の自然への拡大を要求するとともに、「未来世代への責任」 という近代化によって失われた倫理の再生を要請している。それぞれバイオエシックス及 び環境倫理学が扱う領域である。これらの研究分野では相当数の研究者を配し、技術の進 歩に見合う新しい倫理の創造に向けて、欧米に限らず日本においても活発な議論が行われ ている。

倫理の在り方が技術革新によって確実に影響を受けるもう一つの領域に国際交流がある。 輸送技術の進歩は地球規模での人の移動を容易にし、文化を異にする人々が日常的に接触 する状況を作りだした。我が国でも文化背景を異にする、短期或いは長期の滞在者がここ 数年の間に急増している。かつては書物や映像の中にその姿を見せるに過ぎなかった異文 化が、いまや等身大で我々との関係を紡ぎ出すに至っている。異質な文化の接触は、何ら かのコンフリクトを生まずにはいられない。我々は如何にして「文化摩擦」を解消し、関 係の修復を図ればよいのであろうか。「郷に入れば・・・」の黄金律を盾にとって他者の振 る舞いを咎めることでよしとすればよいのか。それとも寛容の精神を発揮して他者の文化 を受け入れることが最善の策なのであろうか。

今日、異文化コミュニケーション・エシックス(Intercultural Communication Ethics)と でも称する社会倫理が切に求められている。しかしながら、この分野での系統だった研究 は、異文化の領域を「倫理上の空白(An Ethical Void)とバーンランド(1984)が十数年前に記 述して以来、進んでいないようである。「我々が直面する『倫理上の空白』は、単にこの分 野の専門家の不首尾を反映するものでもなければ、倫理の研究に対して外部機関が援助を 怠っているというものでもなく、『異文化間(the cross-cultural context)』に元来備わる困難 さにその原因がある(1)。」文化がそれぞれ独立した道徳律を有し、少なからず他に対して 排他的な傾向を持つことを考慮すれば、確かにこの認識は重要であり、通文化的に適用可

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能な倫理の確立は決して容易な作業でないことも確かなことである。しかし、バイオエシ ックスの領域にあっては、すでにキリスト教の枠を越えた「非宗教的倫理学(secular ethics) の創造が模索されていると聞く(2)。「困難さ」を理由に異文化倫理の探求を先送りするこ とを、もはや状況が許さないであろう。

本小論は、異文化コミュニケーション・エシックスの創造という遠大なテーマに向けて のささやかな一試論である。但し、一連の具体的なメタ倫理を提唱するのが小論の目的で はない。それは筆者の力量を遙かに越えた作業である。ここでの作業は、むしろテイクオ フ前の「助走」、或いは今後の議論をより実り多きものにするための「除草」と位置づける ことにしたい。そして除去されるべき草といえば、いまや人心に深く根を張った文化相対 主義という「幻草」である。従って、小論が主な目的とするところは、「文化相対主義はエ シックスの創造にとって有害である」という命題を考証することにある。また、副題にあ たる「脱文化相対主義の勧め」は、日本人に向けての警告である。このため、以下の議論 では日本人との関係を中心にこの思想を論じることになる。

Ⅰ.文化相対主義は如何に理解されているか

我が国に広く流布するところの文化相対主義の考えを述べると、「自文化を基準にして異 文化を優劣評価する態度を排除して、すべての文化はそれなりの存在価値を内在してい る・・・(3)」ということになる。ここには明らかにハースコビッツやベネディクトが提唱 する“ cultural relativism” の受容が見られるわけであるが、ことの必然として、「・・・ みずからのものとは異なるものであっても種々の慣例に対して寛容さをもって臨む必要 性・・・(4)」という相対主義が掲げるもう一つの重要な主張も確実に継承されている。日 本におけるこの思想の布教の痕跡は至る所で散見できる。異文化コミュニケーションにと っては従兄弟ほどの関係にある国際理解教育の分野に次のような記述が見られる。「・・・ 自分と異なる考え方や生き方をする他者の存在を認め、それを尊重する能力や態度を育成 することが肝要である(5)。」「・・・他国、他民族、他文化の理解では、世界文化の多様性、 価値観の多様性を受容する相互尊重と、寛容な態度及び共感的な理解ということが重要に なるであろう(6)。」価値の多様性、自文化の尺度を以ってする優劣評価の排除、寛容さの 必要性、これらが我が国において一般的に理解され、受容されている文化相対主義の内容 である。

ここで明白にしておく必要があるのは、上で見た相対主義に関する言説は、ハンソン (1980)が指摘する「評価的相対主義」のそれであるということだ。文化相対主義の是非を論 じた『文化の意味』で、ハンソンは「文化相対主義の命題に評価的系は含まれないとみる のが正しい・・・」(7)と述べ、「相対主義が求めているものは、われわれが文化現象を内側 から理解することである。(中略)そうした観念や実践を完全に理解したうえで、われわれ

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は、なおかつ、それらを凶悪なこと、正しくないこと、ばかげたこと、退屈なこと、など と考える。こうした判断をわれわれはわれわれ` ` ` `の基準(中略)に従って形成するのである」

(8)として〔傍点原著〕、評価の基準が観察者の側にあることを示唆している。更に、「寛容」 に関しても、「・・・われわれの評価を告げ知らせる寛容さのどんな標準もわれわれ` ` ` `の標準 である」(9)と述べている〔傍点原著〕。文化相対主義をあくまでも認識論上の立場(異文化 を内在的に理解する)と捉えるハンソンの考え方は、我が国ではあまり普及していないよ うである。じつのところ、このハンソンの相対主義理解が日本において広く受け入れられ ておれば、筆者としても筆を置かざるをえないのであるが、上で見たように、我が国では 文化相対主義といえば即ち評価的相対主義というきらいがあるため、批判的考察を止める わけにはいかない。

Ⅱ.文化相対主義はなぜ受け入れられるのか

評価的文化相対主義が広く受け入れられていることについては、とりあえず2つの理由 が考えられる。まずは、文化相対主義が「・・・自民族中心主義(ethnocentrism)と対立す る概念である」(10)と考えられているためである。「これはみずからの国家・文化・民族が 世界の中心であるという主観的な価値基準を当てはめて、他の国家・文化・民族を判定す る無意識傾向である」(11)とされており、いわば異文化コミュニケーション上の最たる障害 だといえる。障害ならまだしも、他の文化を自文化の尺度で「低劣」或いは「未開」など と断定しようものなら、コミュニケーションそのものが発動せず、「異文化から学び、自文 化を知る」という貴重な経験の機会を逸することになるやもしれない。このような状況を 避けるためにも、自民族中心主義の愚を戒め、寛容の精神を説く文化相対主義が支持され、 また「・・・それを信じることがより寛容な心の枠組みを生み出すという理由でこれを擁 護する」(12)ことになるのだろう。筆者としても、異文化間におけるコミュニケーションの 不在を回避するという目的に限っては、文化相対主義が説く「優劣評価の排除」及び「異 文化に対する寛容さ」の有効性を認める用意はあるが、それ以上の執拗な係わりに対して はいささか懐疑的な立場にある。

2つ目の理由としては、文化相対主義を「・・・民主主義と平和を旗印として掲げる社 会においては、少なくとも表面的には社会の“ 常識” として受け入れざるをえない」(13) とする一頃のアメリカ社会に見られた風潮が、現代の日本にも確実に存在するという事情 がある。「愛国心」なる言葉を吐けば「国粋主義者」と見做され、「憲法改正」を唱えれば

「好戦家」と罵られる我が国の言語空間においては、「人間と社会に対する平等主義的アプ ローチ」(14)を標榜する文化相対主義を却下する者には、「人種差別主義者」のラベルが容 赦なく貼り付けられることになろう。異文化コミュニケーションや国際理解教育等々、異 文化に関する教育や研究に携わる者にとって、これ以上致命的なラベルはない。文化相対

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主義を良くて「理想」、悪ければ「単なるキレイゴト」とする本音が「大きな声」では言え ない状況があるようだ。但し、このような社会的或いは職務上の圧力によって文化相対主 義を受け入れざるをえない立場にある人々は、えてして「・・・相対主義は世界の反動的 な見解とも同じように容易に結びつきうるし、怠惰、自己満足、またはもっと野蛮な抑圧 の形態さえも合理化するために容易に利用されうる」(15)等の発言に代表される評価的文化 相対主義が抱える負の側面を十分に承知しているものである。

以上、我が国で文化相対主義が受け入れられる(或いは捨てられない)理由について2 つの視点から論じてきたわけであるが、第一の理由であった自民族中心主義に対する「対 抗概念」としての文化相対主義という考え方に筆者は与しない。この点に関しては後述す る。第二の理由については、もっぱら「悲しい現実」と形容する以外に術がない。ただ、 文化相対主義にまつわる美辞麗句の背後に潜む危険性が社会的に認知されていないだけで あって、「憲法改正」の一声が「好戦家」の大合唱に押し潰されることもなくなってきたよ うに思える昨今の世論を鑑みれば、まったく希望がないわけではない。以下、異文化コミ ュニケーション・エシックスの創造に向けて、小さくない第一歩を踏み出すために、評価 的文化相対主義の批判的考察に取りかかりたい。

Ⅲ.文化相対主義を批判する:文化論の立場から

異文化に対する倫理上の裁断を回避するために、文化相対主義が「文化に優劣はない」 とする立場をとることについてはすでに述べた。諸文化の間に「縦の序列」を認めないと するこの立場は、次に「優劣ではなく、ただ『違い』がある」として、文化を「横の関係」 で眺めようとする。「・・・どの文化特性も『正しい』とか『誤っている』という次元では なくて、自分が慣れ親しんでいるものとはただ単に『違っている』という次元で受容する のが重要である」(16)とする立場である。これは優劣評価の前段階で、「判断を留保する」 という異文化理解における重要な戦略の一つでもある。確かに、「違っている」とするこの 認識は、倫理的には中立の立場にあると言えるであろう。だが、この「倫理上の中立」を 可能にする、「諸文化に優劣の差はなく、ただ『違っている』だけである」とする相対主義 の文化観は一つの重大な疑問を投げかける。

つまり、この「違うもの」として把握される価値観や行動様式等が、はたしてその文化 にとって恒常的な文化特性であるのだろうかという疑問である。それらはむしろ、ある歴 史的時点で観察された支配的な価値観や行動様式等を、それらの潜在的可変性を考慮せず に半ば乱暴に固定したものに過ぎぬのではなかろうか。文化相対主義は「『異』を根幹に据 えたスタティックな文化観である」と筆者が見做す理由がこれである。この立場は、文化 を「生成するプロセス」として捉える視点からはほど遠い。また、文化の概念から「変化」 というダイナミズムを奪い取るこの考え方は、同じく生成する異文化との交流を通して、

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互いに変容させあう可能性の欠如さえ示唆する。無論、物事を知覚し認識する際には生成 の過程を一時中断させ、固定せざるをえないとする考えに異論はない。しかし、文化相対 主義は、生成の途中で固定させて得た、本来は可変的で暫定的なものでさえも、その文化 に固有の特性であると説き、かつそれを尊重せよと勧めることで二重に固定するのである。 文化相対主義に静的文化観を見る西川(1992)の次の意見は傾聴に値する。

文化相対主義は世界のあらゆる文化の独立と固有の価値を認め主張する ことによって、結局は文化的な世界地図を描き、文化の国境を作りだして しまったのではなかったか。文化相対主義は国民国家のイデオロギーの批 判として出発しながらも、結局は国民国家の固定的な文化モデルを受け入 れている。こうした観点からは、移動しながら変容する世界の諸文化の姿 をとらえることはできないだろう(17)

文化相対主義に備わるスタティックな文化観は、もう一つの看過できない問題を提示す る。相対主義は「未開の保存を望んでいる」として、かつてミードが批判の矢面に立たさ れ、途上国からは「先進国の傲慢」として非難を浴びた問題である。つまり、ある文化の 多くの構成員が「誤っている」或いは「劣っている」と自認し、できるなら改善したいと 考える事柄でさえも、その文化に固有の価値と認め尊重することを以って結果的に「変化」 を阻止してしまう可能性である。文化相対主義を「振り回す」行為は、常に「余計なお世 話」に陥ってしまう危険性を伴っており、振り回す側の論理の無理強いとは裏腹の関係に ある。文化相対主義の美名を借りた自民族中心主義の見易い一例である。近藤(1989)は、文 化相対主義にまつわるこのジレンマを「貧困」という極端ではあるが分かり易い例を引い て次のように述べている。

第三世界の貧困を当該文化の一側面であると見ることができる。すると、 その文化の特徴のひとつに貧困というものがあり、しかもその文化は他の

文化と比べて優劣はないのだから、貧困をなくそうというのも異文化の押 しつけ、いわば文化帝国主義ではないか、となってしまう(18)

Ⅳ.

Cross- cu l t u ra l V S . I n t e rcu l t u ra l

文化相対主義は「変化」を排除するところに成立する。これは生みの親である人類学の 学問的性格を見れば分かり易い。バレット(1984)は、フィールドワークと呼ばれる異文化に おける人類学の作業目的を次のように述べている。

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彼等が現地で遭遇する、時に奇異に映る風習や習慣が個々の成員にとっ ていかなる意味を持つかを発見し、その文化全体の文脈の中でいかなる機 能を担うかを見極めることであり、それら慣習等に関する客観的記述や解 釈をもって多様な人間文化の理解を促進することにある(19)

上の記述からも窺えるように、フィールドワークに際しては、観察の対象にある文化と は常に不即不離の関係(或いは超然とした態度)を堅持することが人類学者に要求される。 言うまでもなく、その文化に「変化」を及ぼすことは原理的に許されることではない。さ もなければ、記述された文化は「当該文化+α (人類学者の影響による所産)ということ になり、人類学の営みは根底からその価値を失うことになる。

「変化を排除する」という視点から見れば、比較文化論も同じ土俵にある。もちろん前 述したように「ある歴史時点で固定した暫定的な特性」を比較するという意味でも「変化」 とは疎遠な関係にあるのだが、いま一つ別の観点がある。つまり、乙という文化と甲とい う文化を比較・検討してみたところで、一方から他方への影響は一切ないということだ。 分かり易い道理であるが、机上の文化比較に「変化」が発生する契機はない。筆者は、こ のように「変化に関与しない状態」を総じて“ cross-cultural” と呼ぶことにしている。 翻って、“ intercultural” は「文化が交流する状態」を表し、文化間での「受容」、「反発」、 そして「変化」が必然的に発生する領域である。「変化」というダイナミズムを前提とする コミュニケーションが加わる“ intercultural communication” ともなれば、もはや「変化」 は常態である。

書物や映像の中に見る異文化との接触は、あくまでも“ cross-cultural” な体験の域をで ることはない(勿論、異文化からの新しい情報が読者や視聴者の人生観や世界観を変容さ せるという知的レベルで起こる片務的な変化は考えられるが、この文脈では関係ない)。そ こでは、文化相対主義に倣って、自文化の基準に従えば確実に「劣っている」或いは「不 衛生」と断定せざるをえないような事柄に遭遇しても、持てる限りの寛容さを発揮し、た だ「違っている」と構えることもできれば、固有の文化特性として尊重することも大いに 可能である。なぜなら不快感や危害等が直接身辺に及ばない限り、そんなことは「お安い 御用」なのであるから。

Ⅴ.文化相対主義を批判する:コミュニケーション論の立場から

異文化との接触の在り方が、輸送技術の進歩や日本の経済・技術大国化等々の理由から、 いまや“ intercultural” の領域に突入してしまっていることの意義を、我々は十分に認識す る必要がある。文化背景を異にする人々との交流に際して、人類学者が持つ「異文化に対 する超然とした態度」は、当然、要求されてしかるべきである。また、情報が不十分な中

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での早急な優劣評価も、無論、差し控える方が賢明ではある。しかしながら、我々一人一 人は、異文化を記述する目的を持ってフィールドにある人類学者ではない。むしろ、広い 意味での異文化コミュニケーター、換言すれば、潜在的な「変化のエージェント」なので あって、相対する「異文化人」も同様の存在であることを忘れてはならない。

“ Intercultural communication” とは、畢竟、「自分が相手を変え、相手に自分が変えら れる」、相互作用のプロセスなのである。従って、この文脈で語られる「異質性」に対して、 持てる限りの寛容さで臨み、それを尊重することの必要性を説く文化相対主義なる思想の 行き着く先は、残念ながら異文化に対する「内政不干渉」の機運とニヒリズムの増長でし かない。

文化相対主義が遍く世界に受け入れられ、文化交流の際の規範的支柱を形成することに でもなれば、この思想は一挙にその本性を露呈することになる。つまり、異文化に対する 批判は、いかなるものであれ反相対主義的な発言として「合法的」に葬られる運命に至る のである。異文化に固有の価値を見いだすことを説き、コミュニケーションを通して互い に学び合うことを教えるはずの文化相対主義は、ここに至って、自文化に不都合な批判を 封じ込めるために最も都合の良い「盾」と化すのである。「それぞれの文化は、他文化の尺 度では測り得ない固有の価値を有するのではなかったか」というわけである。この揚言の 前に、批判の矢は折れる。文化相対主義と自民族中心主義、一見して対極にあると思われ たこれら2つの思想は、最終的に「反コミュニケーション」という地平にて収斂する。換 言すれば、文化相対主義は必然的にもう一つの自民族中心主義を己の内に抱え込んでいる のである。

Ⅵ.文化相対主義と日本的コミュニケーション型

上で見た文化相対主義が抱えるパラドックスが最も顕著に表出する文化があるとすれば、 それは日本である。文化相対主義をやたらと褒めそやすかに映る昨今の我が国の風潮に対 して、警笛を鳴らす必要がここにある。以下、日本社会に支配的なコミュニケーション型 の考察を通して、我が国に広く流布する評価的文化相対主義の弊害と危険性を検討する。 日本人が古来より久しく培ってきたコミュニケーション型は、「両立志向型」(20)のそれ であると言われる。両立志向型コミュニケーションの特徴を、遠山(1988)は次のように述べ ている。

・・・コミュニケーション・フローが、コミュニケーターAもBも、ど ちらも生かして、一方だけの流れにならないように、弱者も生きることを 志向していることである。AかBか、という二者択一方式ではなく、Aも B、という二者共存の方式なので、覇権をかけて争うこともない。旧情報

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と新情報が強く対立することもなく、次々に情報が加わり、まるで大河の ごとく何でも受け入れてしまう(21)

「タテマエとホンネ」或いは「清濁併せ呑む」等、日常的に見られる日本人の行動様式を 背後で支える一方で、「神と仏」の共存を可能にする志向性である。

「両立志向型」、即ち、「異質なものを併存させる能力」。これはすでに相対主義の世界で ある。この両立志向型コミュニケーションに久しく慣れ親しんできた日本人の「肌」に、 文化相対主義が合わぬはずがない。そしてこの思想は、ともすれば近年に至って西洋から 輸入されたものと考えられがちであるが、元禄・享保年間の日本においてすでに同様の見 解を示した人物があったことを知る人は少ない。当時の朝鮮外交を長く担当した対馬の儒 者、雨森芳洲(1668∼1755)その人である(22)。ハースコビッツやベネディクトなど、米国 の人類学者に先立つこと、ほぼ2百年である。ここでは、とりあえず日本人と文化相対主 義(的考え方)とは、因縁浅からぬ仲にあることを確認しておきたい。

日本人の間で慣用される両立志向型のコミュニケーションに対して、日本以外の諸文化 においては「両立志向型」(23)のコミュニケーションが優勢であると言われる。この型の 特徴はコミュニケーション・フローがどちらか一方の流れになる「二者択一型」の志向性 を持つことにある(24)。古来ギリシャの時代より、西洋人がレトリックの名の下に追求し てきた説得型のコミュニケーションがこれにあたる。両立志向型が、異質なものに対して、 良く言えば「寛容」、そうでなければ「無頓着」という特性を備えているのに対して、極め て「排他的」になるのが片立志向型の特徴である。片立志向型の排他性は、キリスト教に おける異端排斥の歴史にその典型を見ることができる。西洋人自らが、自らを戒めるため に、あえて文化相対主義を打ち出す必要があった理由も、この片立志向型コミュニケーシ ョンと無縁ではない。この事との関連で一言加えておけば、伝統的に相対主義的な志向性 を持つ日本人が、己の文化的傾向を考慮せずに、西洋人と同様(或いはそれ以上の)仕方 と濃度において文化相対主義の摂取を図ることは、のっけからすでに相対主義的教説から の逸脱である、とは言えまいか。

対人間の相互作用を例にとって両立志向型コミュニケーションの特徴を更に述べると、 AB両者の相互作用は、その過程で一方が他方に(主に弱者が強者に)「同化」することで 終了する(ことが多い)が、AがBに同化する場合を例にとると、相互作用の開始点でA が保持していた意見や考えは、終了時においても引き続き保持される。つまり、Aの中に AB両者の意見が「同居」するわけだ。両立的同化型コミュニケーションである。この型 に、相手に「同化」したくない、またはその必要がない場合に起こる、「両立的分立型」が 加わる。AB両者間のコミュニケーション上の分断、或いは決裂である。対人間のレベル では「無視」或いは「相手にしない」、国家間のレベルでは「鎖国」を引き起こすのがこの コミュニケーション型である。片立志向型に見られる「片立的対立型」のコミュニケーシ ョンが、共に覇権を競ってではあるが、AB両者間にコミュニケーション(説得や交渉)

(9)

の継続を認めるに対して、この両立的分立型は「コミュニケーションの不在」という形を 必然的に露呈させるのである。日本の歴史が、外への「同化」と外からの「分立」の絶え 間ない繰り返しであった(25)ことを考えると、日本人の精神構造に同様の性向が奥深く根 付いているであろうことは想像に難くない。

取り立てて問題にしなければならないのは、もちろん両立的分立型である。文化相対主 義が潜在的に抱え込む「反コミュニケーション」なる志向性を共有する型であるからだ。 はたして両者の関係は如何なるものであろうか。また、どのような弊害を日本人にもたら しているのだろうか。以下その概略を述べる。

Ⅶ.脱文化相対主義の勧め

両立志向型コミュニケーションを慣用する日本人が相対主義的教説を受け入れるにあた って、「異文化屈折」(26)または「文化的共鳴」(27)などと呼ばれる現象がほぼ間違いなく 起こる。屈折或いは共鳴の結果、両立的分立との混成型、つまり「相対主義的分立」と筆 者が呼ぶコミュニケーション型が誕生する。この型の特徴は、「他者に対して寛容な相対主 義者を装う一方で、他者とのコミュニケーションを拒絶する」ところにある。別の表現を 用いれば、他者の誤った言動、或いは常識的に判断して明らかに「欠点」と思われる他者 の性格等への指摘や批判は、一切これを慎む一方で、「いいんじゃないの」から始まり「個 性を尊重する」に至る一連の冗句を放って、寛容さを装った無関心をきめこむ。あげくの 果てには「人の振り見て我が振り直せ」とばかり、他者の人格には一切触れることをせず、 反面教師というただそれだけの存在に貶める。日常よく耳にする表現に「人は人、私は私」 というのがあるが、ここにも相対主義的分立の芽が伺える。今日の日本社会に少なからず 散見できる「他者に対する虚無的態度」は、価値相対主義と両立志向型コミュニケーショ ンの両者の結合による産物なのである。

相対主義的分立のスタンスは、必然的に「他者理解」への道を閉ざす。他者の意見や考 えが、そのままで「価値ある尊重すべきものである」とする言説がまかり通る時、他者を

「内在的に理解する」ことが持つ意義はとたんに色褪せてしまうことになる。なぜなら相 対主義的分立にあっては、腑に落ちぬところを他者に問い質し、自分の考えと突き合わせ る等々、「他者理解」への到達に不可欠な議論のプロセスを省略しておきながら、人をして

「良き理解者風」に仕立て上げることができるのであるから。相対主義的分立がもたらす 悪害は、他者の理解を阻むだけに留まらない。それは他者理解のプロセスを抹消すること によって、同時に自己理解の契機も根絶してしまうのである。

両立志向型の土壌に移植された相対主義の思想は、日本社会の其処此処で確実に醜悪な 実を結び始めている。文化背景を異にする人々に対しても、日本人が同様の相対主義的分 立のスタンスを取らないとは断言できない。文化相対主義からの脱却、それもできるだけ

(10)

早期における脱却を勧める所以である。西川の言葉に倣っていえば、「文化相対主義の果た した役割を十分に理解し、評価した上で、文化相対主義をいかに越えるかをという問題を プログラムにのせなければならない・・・」(28)

結びにかえて

異文化コミュニケーション・エシックスなる国際社会における倫理は、当然の如く、大 国の強権によって与えられるようなものであってはならず、諸文化による地道な交流の積 み重ねの中から、それに参加する者が作り上げていくものでなければならない。そしてこ の創造の過程で諸文化に要請されるものは、決して文化相対主義が主張する「優劣評価の 排除」でも「異質なものに対する寛容さ」でもない。先に見たように、文化相対主義を押 し進めていけば「コミュニケーション上の断絶」という形で、結局、この思想はそれが誅 伐の対象としたはずの自民族中心主義に、己の姿を変えてしまう。換言すれば、文化相対 主義は、エシックスの創造に不可欠な諸文化の間の建設的な「衝突」をなきものにするの である。さらに、この変貌が開始される時点が、異文化との接触が“ cross-cultural” から

“ intercultural” へとその領域を移行させる時点と合致することも見た。異文化コミュニ ケーション・エシックスなる社会倫理が要請されるそもそもの理由も、世界がほぼその全 身にわたって“ intercultural” の時代に突入したからに他ならない。

“ Intercultural” の時代におけるエシックスの創造に際して、文化相対主義に代わって、 その指針となりえる思想が求められるところである。差し当たって熟考に値するのが「聖 域論」(29)であり、「中間領域論」(30)であると筆者は考える。共に黒川(1991)が提唱する

「共生の思想」の中核を成す概念である。紙面の都合上、以下では両概念の概略を記し、 今後の議論に繋ぐことにしたい。

それぞれの文化は、宗教上、或いは文化的伝統上の「聖域」を持つとされる。ここには

「・・・科学で分析したり、国際的に通用するルールがあるのではなく、むしろ、了解不 可能、神秘の領域、自己アイデンティティの根源、文化のプライドといった側面が」(31) 含まれている。常に変化のプロセスにある文化にあっても、特に変わりにくい部分に相当 するのがこの聖域であり、外部からの批判が「峻拒の対象」と成らざるをえないぎりぎり の領域である。文化交流に際して、各文化は、異文化の中に積極的に聖域を認め、その聖 域の対しては互いに畏敬の念を持って接することが要請される。「聖域がどこから始まる か」に関する決定はそれぞれの文化に委ねられ、その宣告及び「異文化の聖域もこれを侵 犯しない」という宣言が同時に執り行われることになる(32)

この聖域論には、ともすれば「異文化にあるものは『何でもかんでも』尊重せよ」と説 くことによって、文化相対主義が結果的に醸成するニヒリズムの元凶はない。むしろ、異 文化の共生に向けての積極的な妥協の精神さえそこには伺える。また、異文化が宣言する

(11)

聖域に対峙する際の態度としては、正に「畏敬」がふさわしい。この態度との比較で言う ならば、文化相対主義が唱える「寛容さ」などは、むしろ文化や伝統に対する人間の「傲 慢さ」とさえ映る。事実、途上国等の文化に見る異質性に対して人々が示す「寛容な態度」 も、少なからず自文化に対する過剰な自信、言い換えれば、他に対する「優越感」に支え られたものであることが多い。聖域に対峙する際の「畏敬の念」に、この矛盾が入り込む 隙はない。

聖域が文化の中核に位置するものとすれば、その「外苑」に相当するのが「中間領域」 である。さらに付け加えると、中間領域を取り囲む格好で「普遍的領域」がある(図1参 照)。この領域は、通常、文化的普遍子(cultural universals)と呼ばれるものと理解して差 し支えない。通文化的に共有される項目が見られる層である。中間領域とは、この第一層 と第三層である聖域の間に位置する、潜在的に普遍化或いは「多文化籍化」が可能な文化 項目が存在する層である。

小論が問題とする異文化コミュニケーション・エシックスの創造とは、第一層である普 遍的領域を足場にして、中間領域にある文化項目の中から能う限り多くのメタ倫理を作り 上げていくことに他ならない。この中間領域にあっては、異文化からの評価や批判も、そ れらが共生に向けての建設的性格を有する限りにおいて、大いに歓迎されるべきものであ る。この意味でいえば、エシックスの創造に際して、諸文化に求められるものは、彼我の 類似点に立脚して互いに歩み寄る精神であり、他の批判に耳を傾け、己に非があればそれ を認めるだけの度量であるのかもしれない。

以上、聖域論及び中間領域論に関して、筆者の解釈を異文化コミュニケーション論の立 場に引き寄せて論じてみた。エシックス創造の際の指針として、学ぶところの多い理論で あると思われる。異文化コミュニケーション・エシックスの創造に向けて、両概念のさら なる理論的展開が今後の重要課題になることを、筆者としては望まずにはおれない。

(12)

1) Barnland, D.C. “The Cross-Cultural Arena: An Ethical Void,” in Samovar, L. A., and Porter R.E. (eds.) Intercultural Communication: A Reader. Belmont, CA: Wadsworth Publishing Co., 1984, PP.394∼399

2) 加藤尚武『世紀末の思想』PHP研究所、1990 年、48∼116 頁.

3) 石井敏、岡部朗一、久米昭元、平井一弘『異文化コミュニケーション・キーワード』有斐 閣、1990 年、8 頁.

4) ハンソン、F.A著 野村博他監訳『文化の意味』法律文化社、1980 年、49 頁. 5) 二宮正夫「国際理解の視点」『英語教育』大修館書房、1990 年 4 月.

6) 石井敏、久米昭元、岡部朗一『異文化コミュニケーション』有斐閣、1987 年、253 頁. 7) ハンソン、1980 年、前掲書、91 頁.

8) ハンソン、1980 年、前掲書、71 頁. 9) ハンソン、1980 年、前掲書、71 頁.

10) 石井、岡部、久米、平井、 1990 年、前掲書、8 頁.尚、筆者は通常、この様 な文脈では 自民族中心主義(ethnocentrism)の代わりに、自文化中心主義(culturocentrism)を用いる が、ここでの引用と整合性を持たせるために、本稿では前者の用語で統一した。 11) 石井、久米、岡部、1987 年、前掲書、119 頁.

12) メイランド,J.W他編、戸田省二郎他訳『相対主義の可能性』産業図書、1989 年、430 頁. 13) 青木保『文化の否定性』中央公論社、1988 年、20∼21 頁.

14) 青木、1988 年、前掲書、21 頁.

15) メイランド、1989 年、前掲書、431 頁. 16) 石井、久米、岡部、1987 年、前掲書、120 頁.

17) 西川長夫『国境の越え方』筑摩書房、1992 年、237 頁.

18) 近藤正臣『言語・文化・発展途上国』北樹出版、1989 年、34 頁.

19) Barrett, R.A. Culture and Conduct: An Excursion in Anthropology. Belmont, CA: Wadsworth Publishing Co., 1984, P.20.

20) 遠山淳「文化の生成過程:その2− 情報淘汰とコミュニケーション型− 」(社会学論集、 第 21 巻 第二号、桃山学院大学)、1988 年、60 頁.

21) 遠山、1988 年、前掲書、60 頁.

22) 上垣外憲一『雨森芳洲』中公新書、1990 年. 23) 遠山、1988 年、前掲書、58 頁.

24) 遠山、1988 年、前掲書、58 頁.

25) 増田義郎『純粋文化の条件』講談社、1967 年.山本新『周辺文明論』刀水書房、1985 年. 西川長夫『国境の越え方』筑摩書房、1992 年.

26) 宇野善康他『国際摩擦のメカニズム− 文化屈折理論をめぐって− 』サイエンス社、1982 年. 27) 矢野暢『東南アジア世界の論理』中央公論社、1980 年.

(13)

28) 西川、1992 年、前掲書、237 頁.

29) 黒川紀章『共生の思想』徳間書店、1991 年. 30) 黒川、1991 年、前掲書.

31) 黒川、1991 年、前掲書、100 頁. 32) 黒川、1991 年、前掲書、97 頁.

参照

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