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『異文化コミュニケーション事典』 (春風社、

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Academic year: 2021

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最近のことであるが、 2 年ほど休んでいた日本語教師の仕事に復帰した。この 2 年で日本語教

育の現場も様変わりし、学生の出身国もベトナムやネパール、ウズベキスタンなどの国々が増え ている一方で韓国、中国はめっきり少なくなっていた。学習者の顔ぶれは、日本をとりまく社会 情勢の変化と無縁ではない。日本語教育の現場は事務作業、教室活動、教師養成など、どこをと っても異文化コミュニケーションまたはその情報収集の真っ只中にある。教師養成の現場への復 帰にあたり、頭の片隅に追いやられていた専門用語の確認や最近の日本語教育の現状、国の取り 組みなどの情報を得る必要に迫られた。本棚の専門書は内容が細かく、今は必要としない情報を 省くのに手間がかかる。インターネットに流れる情報は信頼に足るものとは限らない。日々の授 業の準備に明け暮れる日本語教師にとって、異文化コミュニケーションに関する「すぐに欲しい」

情報をまとめて与えてくれるものの存在は何にも増してありがたいものである。

そのような私にとってじつにタイミングよく登場したのが『異文化コミュニケーション事典』

である。記憶のかなたに埋没してしまった、多少専門的なことばの意味を調べようとして項目を たどり、期待どおりに用語を見つけたときの「あった!」という安心感。さらに、読み始めると いつの間にか、知りたかったこと以上の内容に引き込まれ、まさに読み耽ってしまうほどの面白 さである。つい作業の手を止めて、次の用語も目で追ってしまう。項目立てが的確で、関連する 用語が次々と並んでいる。厚さ 3 センチ以上、 617 頁にわたる「事典」なのだが、新書を読む勢 いで「読んでしまう」ことがなんら苦にならないほど面白く、充実した内容である。異文化コミ ュニケーションの領域の広さはつとに知られているが、考えうる分野のほぼすべてが網羅されて おり頁をめくる者の期待を裏切らない。

『異文化コミュニケーション事典』は異文化コミュニケーションにかかわる用語について解説 された事典である。異文化コミュニケーションの広範な領域を 51 の項目に分け、それぞれの項 目には多いもので 40 もの用語が納められ解説がなされている。 51 の項目で計 727 個もの用語 を解説する専門家は総勢 155 名にのぼる。その多彩な専門家一人一人の解説が一頁の半分をも 占めるので、それぞれの個性も垣間見えるミニ新書のごとく読み応えがある。また、興味をもっ て調べようと思った用語の前後には関連する用語が連なり、新たな知識との遭遇に得をした気持 ちになる。

「まえがき」の本書編纂の作業工程説明によれば、 51 の項目は大きく 12 の大項目に分類され ている。それらは 1 .コミュニケーション、 2 .異文化コミュニケーション、 3 .文化一般1、 4 文化一般2、 5 .日本文化、 6 .比較文化、 7 .異文化接触、 8 .共文化コミュニケーション、 9 .国

石井敏/久米昭元 

編集代表

 

浅井亜紀子/伊藤明美/久保田真弓/清ルミ/古屋聡 

編集委員

『異文化コミュニケーション事典』

(春風社、

2013

年、

20.8

×

15.2

×

4cm

617

頁、

7,600

円+税)

内山弘子

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ICR 内山弘子

際ビジネス、 10 .国際紛争・衝突、 11 .異文化教育、 12 .世界規模の諸問題、の 12 項目である。

新聞紙上を賑わす事件やトピックのほとんどすべてをカバーするほどの領域の広さである。言い 換えれば、社会生活をおくる上での事象は『異文化コミュニケーション事典』でその一端を説明 できるといっても過言ではない。

日本語教師の目からすると、「コミュニケーション」 「文化」 「異文化接触」 「異文化教育」などは 現場の活動と密接にかかわってくる分野であり、また、昨今の日本語学習者の日本での就職希望 の増加を考えると「国際ビジネス」や「衝突」なども必要な情報として興味深い分野である。今回 私も、日本語教師養成に関するキーワードの確認としてこの分野を中心に何度か読み返した。た とえば「対人関係」の項目で「自己成就的予言(ピグマリオン効果)」を見つけ、前半の的確な説 明でことばの意味を思い出すことができた。さらに後半に書かれた筆者の見解は、ピグマリオン の否定的な効果をとりあげており、教師が忘れてはならない「生産的でポジティブな成果を目指 せ」という結びには、教師養成では単に用語の意味を提示するのみではなく、ここまで踏み込ま なければ知識は絵に描いた餅になると大いに共感した。「現場」の教師は時として、「ピグマリオ ン効果」という語句は知らなくても、その内容を経験していることがある。ほかにもさまざまな 経験をしているが、これらの経験に研究者が名前をつけていることを知らないことも多い。「知 識」というものは研究され名づけされて初めて体系的に蓄積することが可能になる。漠然と感じ ていることが、 「事典」では研究者によって整然と説明されているので「理論」が記憶に残る。『異 文化コミュニケーション事典』は異文化に関する多くの経験が名づけされ説明されているもので、

その分野に関わりのある仕事をする者にとって、知識の確認と蓄積に最適の書といえよう。

先日、上級クラスで「お詫びは難しい」 (元宮内庁長官 羽毛田信吾 日本経済新聞 2014 6 月 11 日付)という新聞記事のコラムを教材にして討論をした。ドラマ『半沢直樹』の土下座や、

訴訟社会アメリカでは相当数の州で素直に謝っても裁判上不利にならないと定めた法律があると か、日本の電車の遅れのお詫びがじつは計算づくのものであるかもしれないなどと面白い話題が 提供されており、クラスでの討論も活発に行われた。授業の準備にあたって本書の項目を探って みたら、期待どおりに言語メッセージの項目のなかに「謝罪表現」が見つかった。日本人の謝罪 の際の表情やジェスチャーについての原則的な説明が最初にあるが、続けて読むと飛行機の出発 時間が遅れた場合の日本語と英語の謝罪に対する方向性の違いなど面白い記述が目につく。「お 急ぎのところご迷惑をおかけして申しわけございません」と Thank you for waiting の比較で、

日本語は相手に与えた被害について言及するのに対して、英語は肯定的な面を表現するという。

なるほど、と読み進めると、謝罪の際の釈明に対して日本人は否定的な反応をするが、アメリカ 人や中国人、韓国人は事実に反しないかぎり肯定的に反応する傾向があるそうだ。また日本人の

「反復確認型」と韓国の「 1 回完結型」も興味深い。もちろん、「そのとおり」とステレオタイプに 断定することはできないが、傾向としてそのようにとらえなければ話が前に進まないということ もある。ある企業の外国人社員の日本語研修でも「お礼と謝罪」の項目があり、日本人はお礼が 1 回では済まなくて 3 回も言う、と不満そうだった。ごちそうになった場合、支払いの時、別れ る時、次に会った時の 3 回もお礼を言わなければならない、という面倒くささが不満のもとら しいが、日本人にとっては挨拶の一部みたいなものと言ったらため息をついている受講生がいた。

ちなみに彼はシンガポールの出身であった。

辞書や事典はおうおうにしてその用語の説明のみに終始することが多いが、『異文化コミュニ ケーション事典』では具体例の提示と現状の課題まで言及されており、読者の意識が刺激される。

もしかしたら、数学的な解の得られない分野の見解、課題の提起には「え?そうなのか?」とい

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109 書評

う読者の疑問が頭をもたげる場合もあるかもしれないが、それこそがコミュニケーションであり 読者の「異文化コミュニケーション」への関心を否が応にも高めることになる。そういう意味で は本書の細かい用語を索引で眺めた時に、専門的な用語よりは飾らない身近なことばの存在に興 味が掻きたてられる。

「アニメ」 「粋と野暮」 「いじめ」 「宇宙開発」 「うわさ」 「演劇」 「割り勘とおごり」 「暦」 「締め切り」

「信憑性」 「世間」 「ディズニーランド」 「風水」 「味覚」 「容姿」 「靖国神社」などなどのことばを見つ けると、「異文化コミュニケーション」との関わりがどのように記述されているのか興味津々で 頁を繰るのももどかしいほどである。「粋と野暮」などは日本語上級の教室などで出てくる可能 性もあるが、「わび」と「さび」のように教師泣かせの語句の一つでもある。さまざまな解釈の説 明のほかに、その後半にあった『「粋な心についたらされて、嘘と知りてもほんまに受けて」とい う文句に「粋」が表れている。哲学よりも演歌が似合いそう』の記述には口元が緩むが、日本語 学習者にとっては語句の意味を知る以前に、これらのことばを文字どおりことばだけで理解しよ うとしても難しく、ことばの幅を理解し、それが使われる生活文化を知ろうとする貪欲さが必要 になる。「粋」が納められているのは「日本・東洋の宗教・思想」の項目だが、哲学・思想となる と扱いがデリケートにならざるをえない。だがこの分野まで納められているのは読む側の考えを 整理するうえでも、またじつは教室活動ではふれないまでも情報として客観と主観の両面からと らえようと意識することも有意義である。

先日、超上級のアメリカ人のレッスンで、集団的自衛権の新聞記事を読んだ時であるが、彼は 日本には日本にしかできない国際調停のやり方があるはずだから、そこを使えばいいではないか と簡単に言ってのけた。白でも黒でもない、譲歩し合うことの必要性である。彼曰く、アメリカ 人にとって、東アジアのなかでも日本はわかりにくいと言う。中国と韓国は、その内容に賛同で きるかどうかは別として、彼らの言いたいことはじつにわかりやすいという。彼らはアメリカ人 と同じように自己の利益を主張するので「私はこうしたい」という意思表明がはっきり見えると いう。ところが日本はどの方向を向いているのか、誰のことを思いやっているのか、つまるとこ ろ何がしたいのかが見えにくく、腹の探りあいになってしまうというのだ。だが、彼はそのはっ きりしない姿勢を必ずしも「悪い」とはとらえておらず、結論の出ないこともあるのだから互い が譲りあう、互いを慮る日本式が功を奏するかもしれないという。欧米が主導してきた合理性重 視の価値観に対して、それ以外をもっと試してみてもいいのかもしれない。

本書では、異文化コミュニケーション学はもちろんのこと、社会学、心理学、言語学、メディ アとマスコミュニケーション、宗教、哲学、思想、国際問題などなど広範な分野の専門家がそれ ぞれの視点で用語を客観的に解説し具体例で説明し、問題や課題の提起を行っている。誰が読み 手となるのか。この分野の研究に携わろうとする学生はもちろん、教える立場の人たち、企業人、

さまざまなボランティア活動をする人たち、ありとあらゆる社会人がそこから得られる情報と知 識は計り知れない。研究者のみを対象にした専門書にあらず、知識欲旺盛な読者であれば、事 典の一項目から派生する関連用語との出会いで知識の世界が大きく広がるチャンスが与えられる。

そこから日本の立ち位置を探り、かの米国人が言ったように、日本には日本のやり方で外へ発信

する方法があるはずではないか、という可能性をも探れるのではないかと思う。

参照

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