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第15号 市民学芸員 みはら玉手箱 三原市ホームページ

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(1)

成27 4月1ホ日 日 開講 た 成27 市民学芸員実践講 1画カ月 カ キュ ムを全 終了 成2ペ 1月24日 日 たく閉講式を迎え た

市民学芸員活動報告 成28(2016)年3月 第15号

隆景公

成27 各 プ 感想 報告

成27年 市民学芸員講

閉 講 式

1. 開会挨拶 文化課 2. 公開講 里海 ォ ラム

Ϩ 講演 里海文化の資源化―三原のタコを中心に 印南敏秀 愛知大学教授

ϩ 発表 報告

宮本常一がみ 海の文化 瀬戸内写真の資源化 高木泰伸 宮本常一記念館 学芸員

三原の民俗学徒 鮓本虎夫と宮本常一の交友 友宗邦夫 らア カイ ス

3. 講評 三原市文化財協会会長 橋本敬一先生 4. 成28年 の実践講 予 文化課

印南敏秀先生 高木泰伸氏

橋本敬一先生

質問受付

この み ら玉手箱 への

質問等 三原市教育委員

会文化課

[email protected]. hiroshima.jp

にお寄せく さい 情報 信 プ 活動成果を紹 文化

課 ム ら玉手箱 い

第12号~第14号 行済 第15号を準備中

三原古写真収集 プ 収集範囲を 行済 旧市内 ら新市内 拡大 い

個人蔵 協力要請を考慮中

宮本常一写真収集 プ 同氏 生 故郷 あ 周防大島 協力をあ い

成29 2月 企 展を開 催 く 写真 情報収集を

城下 体験 プ 第 3回城下 ウォ 経験 ら 客層 合わせたコ 設定 や説明内容 工夫 必要性を 感 た 感想を述 た

城館体験 プ 成28 3月27日開催予定 高山城見学

向 マップ作成や 山道 整備等 準備中

三原遺産研究 プ 次世代 伝えたい100 三 原遺産 録を目標 掲 候 補を捜索中 後 市内 他団体 協力を要請

市民学芸員運営 プ 講演会や展示会 受付 補助 作業 多忙 あった中 大 正時代 橋 昔 を調査 た

(2)

解答 4町11頁 欄外にあ ます

戦国時代の医学書 啓迪集 と三原

本年1月にNHK テレビ番組 歴史秘話ヒストリア 毛利元就 病気を治した戦国時代 名医曲直瀬道三自筆 医学書 広島県三原市に保管さ てい と 紹介 あ ました 書 本町 松林小路 晇名 水野松林軒 道三 弟子 小早川隆景 侍医 に道三 贈 た

広島県 要文化財に指定さ ています

こ 書 全8巻行別冊1巻 保管さ てい 三原市立中央図書館 実物を拝見し 色々知見 を得た 報告します

1. 保管状態

(1) こ 桐 箱に保管さ て 一般に 閲覧 ま (2) 代わ に 東京大学史料編纂所によ 全頁をデ タル 像

デヸタ(DーD切⑨)に収録さ てい こ 図書館 パ ソコン 内容を見 こと ます

2. 解説書 三原市立中央図書館蔵

(1) 現代語訳 啓迪集 (ㄥ)(ㄦ) ㈱思文 出版発行

啓迪集 漢文 漢語 た 当用漢字に い漢字 殆 現代 々に 難解 す こ 著書 巻一 巻八ま 現代語に訳さ て 記述内容 専門的詳細 と く

あ 程 理解 ます 貸出 ま 館内閲覧 ます

(2) 曲直瀬道三と近世日本医療社会 益財団法人 武田科学振興財団発行

道三 紹介や 毛利一族や信長ヷ 吉等と 関わ 啓迪集 部分解説や戦国時代に け 医師 位置 け等 興味深く記述さ ています こ 館内閲覧に っています 3. 啓迪集 位置付け …解説書(2)よ

(1) 現代 総合病 全て 科を網羅す 道三 著作 すこぶ 多い 代表作 啓迪集 天 正2(1574)年に正親町天皇に献ㄥさ ました 道三 当時中国 行わ た医学を日本に 入

みはら おもしろクイズ

巻一 巻五 別冊

曲直瀬道三 解説書(2) り

巻二 巻三 巻四 巻五

巻六 巻七 巻八

けい てき しゅう

し うり し う うさ

おお

(3)

した功労 日本医学中興 祖と称さ ています

(2) 道三 そ 豊富 自著を 学ぶ人 医学知識 程 に応 て 九段階に設定していました 第一段階 切紙 初 第二段階 切紙 中ㄥ 第三段階 切紙 ㄦ 第四段階 切紙 奥端 第五段階 切紙 奥 第 段階 切紙 外 第七段階 三家流 第八段階 大徳済陰秘訣 第九段階 啓迪集 4. 三原市立中央図書館蔵 啓迪集 位置付け …解説書(1)(2)よ

以ㄦ 理由によ 現 啓迪集 中 そ 価値 高いと思わ ます (1) 全8巻を通 て 道三自筆と認 箇所 多い

印刷技術 い当時 大勢 門弟 師道三 筆に近 け 努力をしていた 現 啓 迪集 以ㄦ 10点 主 あ 道三 筆に酷似した門弟 書写した頁 多い

杏雨書屋新収本 東博亨徳 本 杏雨書屋貴乾昏本 三原市立図書館本 東大総合図書館本 杏雨書屋杏九九四本 静嘉堂文庫本 石原明旧蔵本 宮内庁書陵部本 内 文庫本

(2) 巻三晘尾に 天正11(1583)年 京都に いて門ㄦ 松林軒 姓 水野 出雲 人 に贈与した 旐 自筆奥書 あ

5. 訳文例 …解説書(1)よ (1) 啓迪集 自序

1行目…吾儕稟生縁於洛澨而学醫術於 2行目…利陽勵志於救恤 業於宇内ㄥ

吾儕 生縁を洛澨に稟けて 醫術を利陽に学び 志を救恤に勵まし業を宇内に とす ㄥ 意味 京都にうま て 医術を足利 勉強し 志

を病人をあわ 救うことに専念し 医業を天 ㄦに しようと努力して た そこ ㄥ

 啓迪集 自序  (2) 巻八 奥書

道三 弟子 松林軒に贈 旐 巻晘に記載 就當流醫道執心勵憤悱之志頃

遂於在洛晨无列講庠而勉学無 懈矣予感彼至勤而援之以啓迪 一部猶謹救済之志而可仰可信勿 輕勿忽云

于旹天正十一歳舎癸晗菊節 洛ㄦ翠竹 一渓叟道三 花王 松林軒 薬局

訳文4行目 援 授 校正ミス い し う

 巻八の奥書 

わ み きゅう ゅ

らく う

う い

ふえ せいえ

おくがき

奥書;

書物の終わりに 発行あ い 書写 の経過その他のこ とを書い 文章 解説書(2)よ

日本 医学 歴史 唐医学を丹念に学 安時代 宋元 印刷医書を次第に 吸収していった鎌倉室町時代を通して 長いあい 中国 倒的 影響ㄦに生成した 戦 国~安土桃山時代を生 た曲直瀬道三 明代 医学理論と治療学をよく吸収したㄥに 独自 治療学を樹立して 江戸時代に け 日本医学 独自化へ 道を拓いた

(4)

6. 戦国時代 武将と医師と 関わ …解説書(2)よ

(1) 戦国大名 戦傷 緊急手当て 必要性と家督相続と妻子へ 養生 必要性 仕医 番医 を常置さ ていました

戦傷 緊急手当て

関ヶ原 合戦 1600年 傷者 数万人

川中島 第四次合戦 1561年 武田軍 戦死者 4千余人 傷者6千5百人 ㄥ杉軍 戦死者 3千余人 傷者6千人 朝鮮出兵

冬 ㆯい温 や厳しい寒風を防 衣料を備えてい った 多く 兵 凍傷 た 手足や耳を失った

水 いやビタミンㄧ足 脚気や夜盲症 あったという

ㄥ杉景勝 兵 15% 病気 吉川領地 派遣さ た船長 半分 病死

50人 医師集団 派遣さ たこと あった

吉 軍師黒田孝高に 曲直瀬流 医師3人を送った

総大将毛利輝元 渡海後間 く病気に った 数カ月して 治 い 小早川隆景 吉に知 た 吉 即座に道三 一番弟子玄朔を 派遣した

輝元 体調 好転 吉 何回 帰朝要求 あった 応 文禄

3(1594)年4月ま 在鮮した

時期に小早川隆景と吉川広家 病気に ㄧ健康 状態 合計2年間 悪環境 中 在 した

(2) 朝鮮出兵 医学ㄥ 収穫

水野松林軒 小早川隆景 侍医として渡海し 現地 朝鮮古活字版 医学書 黄帝内経 素門 を手に入 ています

輝元 とに派遣さ た曲直瀬玄朔 蜜陽県 元 注汝懋 著述した 山居四要 を入 手し 輝元治療 参考にしました 輝元 依頼によ 玄朔 和訳して要点を 山居四要 抜粋 にまと ました

最近 研究 山居四要 道三 手許に 朝鮮出兵以前 あったよう す

クイ 解答

おもしろクイズ

日本医学中興 祖といわ 曲直瀬道三自筆 医学書 啓迪集 広島県 要文化財として三原市に保管さ ています

そ 保管場所 次 う い し う

( ) 三原市立中央図書館 ( ) 三原市歴史民俗資料館 ( ) 三原市役所 日本軍総勢16万人 中 毛利勢 1/4を占 た

毛利輝元 3万人 小早川隆景 1万人 毛利 包 千百人

(5)

2015年調査 小さ 集落 町 す

亀山八幡神社 あ ます

座しています

神社 す

し 寂しく ってい と こと

して行わ ます

こ 終わ と 境内にて 恵方 逆 方角に設置さ た た的 約1m四方 大的と直

径約40cm 小的 に 先 宮 1年 豊作と島民 穏無事を祈 矢を射 ます 続いて日本弓道連盟教 師 向田出身 田中さ 模 範演技を披露さ た後 総代 長 世話役 還暦者 頭屋組 順に よそ5m離 た的を 射ます

弘安10(1287)年 須波 ㆰ人 あった正五位ㄥ

鯛や野菜 15 供え物を手渡し 奉納す 献饌を行い 家内安全 無病息災 五穀豊穣を祈 ます

昭和31(1956)年9月 日 三原市に合併さ た 鷺浦町 周囲18.2km 人口 773人 425戸

三原港 南に約 km 小さ 佐木島 南側に

16m 幅広い階を登 と 神社 楠や樫 大木

雰囲気 中参拝者 息 いよう榊 葉を口に挟 御弓神事 例年 月11日に行わ 初祈祷 中 行事と 初祈祷 拝殿内にて関係者 本殿ま 並び し や

生い茂った亀 甲 よう 小山 ㄥに厳 に鎮

ㅻ回 成20(2008)年5月19日 三原市無形

丸山朝臣 相模 源 歳国 京都石清水八幡宮 御分霊を勧請して祀った 始ま と伝え

弓祈祷 芸予諸島を中心とした愛媛県ヷ広島県ヷ香川県 沿岸部 地域 盛 に行わ 県内 尾道市百島八幡神社また福山市沼名前神社 行わ ています ここ三原市内 唯一 こ 亀山八幡神社 行 わ す し し高齢化と人口減少 波にさ さ 参加者 減少

丸山歳国 京都御所に仕えていたこ 弘安5(1282)年 冤罪によって備後国栗原に配流と ました 後に許さ て弘安7(1284)年 角南村 現須波町 に移ㆰしたといわ ています

民 俗 文 化 財 に 指 定 さ た こ 神 社 御 弓 神 事 本年2月11日 土 に催さ た 紹介します

三 原 の お 祭 り

亀 山 八 幡 神 社 御 弓 神 事

[亀山八幡神社]

[亀山八幡神社]

[献饌 参加者]

山田宮 話

初 弓道 心得

く 的に当た

った

宮 うして 的を

射抜 け

当た い年 凶作と 苦肉 策 少し前 に出て 矢を射てやっ と当てたこと あった

と話して ました

豊作と島民 平穏無事 祈

矢 射

あそ もと と く いわ

(6)

てい す

ったことを報 太鼓 ます

こ 神事に用い 大的や小的 そ 年1年間 神事 主担 当 あ 頭屋 当屋 組 中心と って 数回にわた 会議を開 役割を決 て準備万端整えます

こ 日 最後 参加さ た皆さ に い い と用意ヷ工 さ た餅 ま 行わ 和や 雰囲気 中 楽し ました

御弓神事 起源 定 い 数百年 続いてい うといわ てい と宮 さ 話 また近所 古老 話 神社 杜に 昔山城 あったと 武士 弓 稽古 名残と また 人々 高台にㆰ 周囲に矢竹を植えて戦に備え 攻 来 海賊 襲来を弓 撃退した そ 名残 神 事に ったと ㅻ 神社 一隅に 矢竹 繁茂していました

豊作を願い吉凶を占ったこと 神事に ったと思わ ます

参考とした資料

町三原 成20年5月号

三原市教育委員会 御弓神事

亀山八幡神社 パンフレット

い にして 新しい年を迎え節分を過 頃 農作業 始ま 前年 収穫に感謝し 秋 入 こ と考え

的に矢 当た と 歓声 と拍手 起こ 的に当た ドドドヸンと打 鳴 さ 恵方 対方向に矢を射 こと こ 方角 邪悪

[模範演技]

[弓 射 総代長]

[餅 ]

[準備 たも ]

[楽 参加者達]

(7)

三原城 東惣門跡 石柱 旭町東端 り石柱を望む      印 石柱

前号 道 駅 神明 眼ㄦに広 糸崎に いて紹介しました 糸崎 天然 良港 広島県 最初に開港指定を受け 大正 初 に 輸入税 全国第6位 港 した また 鉄道に い て SL時代に岡山 広島 中間位置 特急 貨物列車 含 全列車 停車す 第1級 駅 した

港と鉄道 街として栄えた糸崎を本号 続いて紹介します

西国街道 東野村を通って ここ 城ㄦ町に入 ました 城ㄦ町 入口に東 惣門 あ ました 原へ護衛を兼 て案内をした新宮水軍 一部 定着した集落 といわ ています

観 会 によ 成10(1998)年に建て ました

江戸時代に 現在 糸崎 東野村ひがしのむらといって 三原城付しろつき5カ村 中 一 した 西 三原城ㄦ町 東町 東端 現在 旭町に隣接していました こ 旭町 集落 初代三原城主浅野忠吉 を 新宮 三

ここに 三原城 東惣門跡 と彫 た18cmX15cm角 高さ120cm 石柱 歴史と

石柱 大 い道路 傍に建て ています こ 道路 戦時中に敵 空襲に備え 鉄道に沿って行

当時 様子 想像 ま 街 中 い道路 わ に西国街道 面影を残しています こ 集落 海岸にあ ました 南面 拓さ て古浜塩田 ました 現在 鉄道と港 隣接 わ た建物疎開 後に設け た 実際 門 町 中を通ってい 旧西国街道にあ ました

した最適 地として糸崎に誘 さ た三菱 工業 工場 拡張さ 古浜塩田 跡に ています 西国街道 一部 城内を通過し 城ㄦ町 西 惣門 約3km西 西宮ㄦにあ ます

道 標

旧西国街道

新道

(8)

[広島県糸崎鉄道学校跡碑] [第二中学校跡地碑]

ています 裏面に 建立委員長松本明 識 森岡峻山書として糸崎鉄道学校 由来 創始者 校長 三菱 工業 北 国道2号線に 道 駅 神明 へ 連絡道 交差点 あ ます ここ 古 城通 園 南に高さ90cm 幅120cm 台座高さ140cm 広島県糸崎鉄道学校跡 碑 昭和

正面に ㄥ部に校章 あ そ ㄦに 広島県糸崎鉄道学校跡 記念碑 窓会一 字 彫

二中学校 成15(200 )年に新築移転し 約半世紀経ってようやく学区内 地に落 着 ました 国鉄 SL時代に 糸崎 鉄道 街として駅 機関区 車掌区 電力区等あ ゆ 部門 置 て

第一中学校 第三中学校 第四中学校等 翌年 学区内に独立校舎を建設して独立しました いました こ 鉄道関連 職員養成 た 全国 数校し った鉄道学校 造 た す

1942 年に現在 古城通 園 地に新築移設さ ました 昭和24(1949)年に学制改革と 創始

廃校に ました 習っていた教科 ユニヸク あ SL 投炭実習場やモヸルス信号

元三原市長 揮毫によ 第二中学校跡地 碑 成15(2003)年に建て ました

広島県糸崎鉄道学校跡 碑に隣接して高さ115cm 幅200cm 台座高さ25cm 五藤康之

敗戦 翌年 昭和21(1946)年に占領軍 ㆋ 学制改革 行わ 義務教育 三制と

糸崎 こ 地 第二中学校 学区 く 義務教育 学校 学区外にあ 全国 珍しい学校に っていました 中之町にあった三原工業高等学校 如水館高等学校として深町に移転した跡地に 第 54(1979)年に糸崎鉄道学校 窓会によって建て ています

を勤 た青影正遵先生へ 顕 言葉 書 ています

練習 していたよう す

戦後 混乱期に各小学校 講堂を仕切 して 新制中学校 設立さ ました

第二中学校 昭和24(1949)年 廃校に った糸崎鉄道学校 校舎跡に移転しました

創設 昭和3(1928)年 糸崎機関区 南 海岸にあ ました 機関区 拡張によ 昭和17

者青影正遵先生 逝去によ 全国 鉄道現場 活躍す 窓生に惜しま 21年間 幕を閉

(9)

[今川了俊詩碑]

糸�神社 境内に多く 石碑 あ ます そ 中にㅻ川了俊 糸崎を通過した時 詠 といわ 高さ180cm 幅80cm 台座高さ25cm 立派 詩碑 あ ます こ スヸパヸ

歴史と観 会 創始者 あ 勝原博三氏 遺志 遺族 成10 1998 年に建て た 碑文 勝原氏と一緒に 歴史と観 会 を創始さ た福岡幸 氏 書 た す 戦国 世に活躍した晇名 ㅻ川義元と 族 ㅻ川貞世 遠江 護 あったㅻ川範国 次男に生ま ま した 貞世 文武に通 て了俊と号し 冷泉歌学 担い手と ました 弟に与えた家訓 ㅻ川状と

江戸時代 寺子屋 教科書として大いに普及したそう す

了俊 足利幕府 鎮西探 に任 て 九 任地へ赴く途中に尾道に宿 応安4(1371)年5月 に糸崎に立 寄 ました 陸路を通ったと云わ ています 当時 道 っ していま

沼田に 二カ月 滞在したそう 安芸 国 護に っていました

了俊 護職として 働 傍 紀行文や歌作を多く残しています こ 石碑 碑文 紀行文 道ゆ ぶ 中にあ 北よ 南にさし出た 山さ に 松や檜ハ しけ て いと し

へあ いとさ とそい す あま 手引 糸崎 し た 衣を にそ晇け ひにひ たをへたてた 山を い しまとい そ 行過て 備後と安芸 国 さ ひを出 ヷヷヷ と 書 た一部 す

こ 碑文を糸�神社 竹田宮 潜って漁をしていた海女に所を聞いた いとさ といって案 内をしてく た 海辺 濡 そ 着物 し くを垂 して働いてい 人た いた と解釈さ

ています

か つ

き す

あ ま

ほ た

に そ

了 け

(10)

概略マップ

     

     

東惣門跡

至ㄦ木原 至中之町

県道55号線

糸崎鉄道学校跡ヷ第二中学校跡地碑

至幸崎

道 駅 神明

三原バイパス

糸崎

糸崎港 至新倉

山陽本線 国道 号線 至尾道

ㅻ川了俊詩碑 須波

至本郷

いと

小佐木島

佐木島

宿祢島 裸 島 国道185号線

呉線 す

糸�神社 新道

旧西国街道

(11)

ㅻ回 本郷地区 狛犬を紹介します 神社 由緒説明文 広島県神社誌によ

4.大歳神社 三原市本郷町善入寺577

慶長5(1600)年 毛利輝元寄進状 楽音寺文書 善入寺領4石余 とあ 当社

ことといい 小早川家崇敬 社と伝わ ます

5.霹靂神社 通称 香久山太神宮 三原市本郷町船木字中之谷 177

文久 (1863)年現在地に神殿を新築し 東約 所に鎮座した香久山太神宮と

須佐神社を遷座合祀して香久山太神宮としました 明治45(1912)年に中野坪

霹靂神社を合祀して社号を霹靂神社に改 現在に至 ます

三原にあ 狛犬

[社殿 前] [参道石段 中途]

[参道 入口] 単位 cm 高さ 幅 奥行 阿形 5 5 吽形 年代 昭和 1 1 年 10月 石工 不明

石材 花崗岩 型 玉乗り型

単位 cm 高さ 幅 奥行 阿形 5 55 吽形 年代 大正 1 1 年 月 石工 不明

石材 花崗岩 型 構え型

単位 cm 高さ 幅 奥行 阿形 吽形 年代 大正 1 1 年 月 石工 不明

石材 花崗岩 型 玉乗り型

単位 cm 高さ 幅 奥行 阿形 5 5 吽形 1 年代 昭和 1 年 月 石工 不明

石材 花崗岩 型 玉乗り型

おお とし

へき れき

参照

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