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第9回研究会資料 原因論 原因論研究会

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Academic year: 2018

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原因論 第十五章 改訂版

小林 剛

129 限りが無い1すべての力が、力の中の力である第一無限2に依存するものであるの は、それらの力が、存在する諸事物において獲得され、確立され、存立している3からで はなく、むしろ確立を有して存在している諸事物にとっての力だからである。

Omnes virtutes quibus non est finis pendentes sunt per infinitum primum quod est virtus virtutum, non quia ipsae sunt acquisitae, fixae, stantes in rebus entibus, immo sunt virtus4 rebus entibus habentibus fixionem.

130 そしてそれゆえもし或る人が、第一に創造されている存在者すなわち知性体は限り が無い5力であると語るならば、創造されている存在者は力ではなく、むしろそれ[創造さ れている存在者]にとっての何らかの力が在ると我々は語るだろう。

Quod si aliquis dicat quod ens primum creatum, scilicet intelligentia, est virtus 6cui non est finis, dicemus quod non est ens creatum virtus, immo est ei virtus quaedam.

1アラビア語原語はlā nihāyat。アラビア語原文ではこのlā nihāyatghayra

mutanāhiyatは区別なく「無限」の意味で使われているように思われる。それと同様にラ テン語訳においてもnon finis, non finitum, infinitumは区別なく「無限」の意味で使われ ていると思われる。

2 ライデン写本のアラビア語原文では、この第一無限を表すlā nihāyatだけに冠詞を付け てal-lā nihāyatとし、他の無限と区別している。ただしイスタンブール写本にはこの冠詞 はない。

3 アラビア語原文lā3 mustafādataaw thābitataqā’imatafī al-ashyā’i al-huwiyyatiは、対 応するプロクロス『神学綱要』との関係で、「獲得され、あるいは、存在する諸事物のうち に確立され存立しているからではなく」と訳すべきであるようだが、ラテン語訳では「あ るいは」awに当たる語が訳されていないので、「存在する諸事物において」を「確立さ れ、存立している」だけにかけて読むのは(旧和訳はそのように訳しているが)難しいと 思われる。ちなみに、プロクロス『神学綱要』において「獲得される」に当たる語は「分 有されている」μετεχομένη

4 Pattinはここをnon quia ipsa sit acquisita, fixa, stans in rebus entibus, immo est virtusと一貫して単数形で読んでいるが、これに対応するアラビア語原文の女性単数形 は、内容からして冒頭の「すべての力」を指し、複数形を表していると思われるので、 Taylorに従って複数形で読む。

5 ここもアラビア語原語はlā nihāyat

6 イスタンブール写本のアラビア語原文ではここにaidan(「~も」)が在るので、Taylor はここにetiamを読む。

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131 そしてその[創造されている存在者の]力が無限7になっているのはただ下位に対して のみであって、上位に対して8ではない。なぜならそれ[創造されている存在者の力]は、た だ力であるがゆえに力であり、下位に対しても上位に対しても有限ではない9事物10であ るところの純粋な力ではないからである。ところで第一に創造されている存在者すなわち 知性体は限りを有しており、その[知性体の]力には限りが在り、その限りに即して11その [知性体の]原因[第一無限]はとどまる。

Et virtus quidem eius non est facta infinita nisi inferius, non superius, quoniam ipsa non est virtus pura quae non est virtus nisi quia est virtus, et est res quae non finiutr inferius neque superius. Ens autem primum creatum, scilicet intelligentia, habet finem et virtuti eius est est finis <…>12 secundum quem remanet causa eius.

132 それに対して第一に創造する存在者は純粋な第一無限である13。 Ens autem primum creans est infinitum primum purum.

133 なぜならもし、強い14諸存在者に限りが無い15のは、それらが、それのゆえに存在 者であるところの純粋な第一無限16からの獲得のゆえであるならば、またもし第一存在者 が、限りが無い17諸事物を措定するものそのものであるならば、その場合それ[純粋な第一 無限・第一存在者]が無限18を超えているのは疑いないからである。

7 ここのアラビア語原語はghayramutanāhiyat

8 ここでは「下位に対して」「上位に対して」と訳したが、英訳は「下位から」from below

「上位から」from aboveと訳している。「下位から観て」「上位から観て」というようなニ ュアンスであろうか。

9 ここのアラビア語原語はlā nihāyat

10 ここでは単数形だが、アラビア語原語では複数形になっている。

11 アラビア語原文には「その限りに即して」とは書いていない。

12 アラビア語原文にはaidan「~も」)が入っている。

13 これはプロクロスの考えからは相当離れているように思われる。プロクロスの体系で は、「無限」はそもそも存在者ではなく、「第一に創造する」者でもないからである。

14 ライデン写本のアラビア語原文では「近い」qarībatとなっている。イスタンブール写 本では「強い」qawwiyyatとなっている。

15 ここもアラビア語原語はlā nihāyat

16 ここのアラビア語原語は、ライデン写本ではal-lā nihāyatと冠詞が付いている。ただ しイスタンブール写本には冠詞はない。

17 ここもアラビア語原語はlā nihāyat

18 ここのアラビア語原語はal-lā nihāyat。ここで冠詞が付いているのは、この「無限」が 第一無限を意味するからではなく、手前の前置詞fawqa(「~を超えて」)との関係による と思われる。ここでの「無限」は文脈上第一無限ではなく、獲得されているかぎりでの無 限のことだろう。

(3)

3

Quod est quia, si entibus fortibus non est finis propter suam acquisitionem ab infinito primo puro propter quod sunt entia, et si ens primum ipsum est quod ponit res quibus non est finis, tunc ipsum procul dubio est supra infinitum.

134 それに対して、第一に創造されている存在者、すなわち知性体は、限りが無い19の ではなく、むしろ無限20であると語られるが、無限21であるものそのものであるとは語ら れない。

Ens autem creatum primum, scilicet intelligentia, non est non finitum; immo dicitur quod est infinitum, neque dicitur quod est ipsummet quod est non finitum.

135 だから第一存在者は知性的な第一諸存在者と感覚的な第二諸存在者の基準であ る22。すなわち、それ[第一存在者]は諸存在者を創造し、存在者すべてに適合する基準で 諸存在者を測っているところのものなのである23

Ens ergo primum est mensura entium primorum intellectibilium et entium

secundorum sensibilium, scilicet quia ipsum est quod creavit entia et mensuravit ea mensura convenienti omni enti.

136 それゆえ次のように繰り返し言おう。創造する第一存在者は無限24を超えている が、創造されている第二存在者は無限25である26。創造する第一存在者と創造される第二 存在者との間に在るものが無限27である。

Redeamus ergo et dicamus quod ens primum creans est supra infinitum, sed ens secundum creatum est infinitum; et quod est inter ens primum creans et ens secundum creatum est non finitum.

19 ここのアラビア語原語はlā nihā’iyyat「無限的」

20 ここのアラビア語原語はghayramutanāhiyat

21 ここのアラビア語原語はlā nihāyat

22 ここもプロクロスとはかなり異なる。プロクロスは『神学綱要』第92命題で、無限 は、万物の基準である第一のものではないとはっきり言っている。

23 アラビア語原文では「すべての存在者に適合する尺度を定める」となっている。

24 ここのアラビア語原語はal-lā nihāyat。ここで冠詞が付いているのも注18と同じく、 この「無限」が第一無限を意味するからではなく、手前の前置詞fawqa(「~を超えて」) との関係によると思われる。すなわち、ここでの「無限」は文脈上第一無限ではなく、獲 得されているかぎりでの無限のことだろう。

25 ここのアラビア語原語はlā nihāyat

26 英訳は、アラビア語原文のBardenheberによる独訳、同じくAnawatiによる仏訳を参 考にしたPattinの指摘に従って、内容的理由からここを「無限でない」と修正するが、こ の修正は不適切であると思われる。

27 ここのアラビア語原語もlā nihāyat

(4)

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137 そして残りの28個々の29諸善30、たとえば生命、光輝、それらに類似する諸々のも のも、諸善を有しているすべての事物の原因である。つまり、無限31は第一原因に由来 し32[この]第一結果は33生命すべての原因である。まず最初に34第一原因から第一結果 の上に降りて来る残りの35諸善も同様である。ただし36[後者の第一結果とは] 37知性体の ことである。その後知性体が媒介となって、諸々の知性的なあるいは物体的な残りの38諸 結果の上に[残りの諸善が]39降りて来るのである。

Et reliquae bonitates simplices, sicut vita et lumen et quae sunt eis similia, sunt causae rerum omnium habentium bonitates, scilicet quod infinitum est a causa prima et causatum primum est causa omnis vitae et similiter reliquae bonitates descendentes a causa prima super causatum primum in primis, et est intelligentia, deinde

descendunt super reliqua causata intellectibilia et corporea, mediante intelligentia.

28 アラビア語原語はsā’ir。「残りの」とも訳せるが、「すべての」と訳した方がよい。

29 ラテン語はsimplicesだが、アラビア語原語がmufradat(個々の)なのでこのように 訳した。

30 アラビア語原語はfaḍā’il。卓越性、特に道徳的卓越性を指す語である。

31 ライデン写本のアラビア語原語ではal-lā nihāyatと冠詞が付いており、これが第一無 限であることを示している。ただしイスタンブール写本にはこの冠詞はない。

32 アラビア語原文では関係代名詞を用いて「第一原因に由来する無限は」となっている。

33 アラビア語原文では「第一結果」はその前の関係代名詞節に含まれており、「第一原因 に由来し、第一結果である無限は」となっている。アラビア語原文では、この語句の主格 補語は「降りて来る」という分詞であると思われる。

34 ラテン語はin primisであるが、アラビア語原語がawwalan(「まず最初に」)なのでこ のように訳した。

35 アラビア語原語はsā’ir。「残りの」とも訳せるが、「すべての」と訳した方がよい。

36 ラテン語のet(アラビア語原語はwa)をここでは敢えて「ただし」と訳した。という のも、ここでは「第一結果」という言葉が二回出て来るが、前者と後者で意味が異なると 思われ、et以下はこのことに注意を喚起するための語句であると思われるからである。ち なみに前者の「第一結果」とは無限等の諸善のことである。

37 アラビア語原文には「知性体」の前に「それ」という指示語があり、それは直前の「第 一結果」を指すと思われるのでこのように補った。

38 アラビア語原語はsā’ir「残りの」とも訳せるが、「すべての」と訳した方がよい。

39 アラビア語原文では、「降りて来る」tatanazzalaの主語は「残りの諸善」sā’iru al- faḍā’iliであると思われるのでこのように補った。

参照

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