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第12回研究会資料 原因論 原因論研究会

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原因論 第十九章 改訂版1

小林 剛

155 第一原因は創造されたすべての事物を、それらと混ざることなく統括する1。 Causa prima regit res creatas omnes praeter quod commisceatur2 eis.

156 すなわち、[この]統括は、事物すべてを超えた高みに在るその[第一原因の]一性を

弱めたり破棄したりしない。諸事物から切り離されているその一性の本質3は、[第一原 因が]諸事物を統括することを妨げることもない。

Quod est quia regimen non debilitat unitatem eius exaltatam super omnem rem neque destruit eam; neque prohibit eam essentia unitatis eius seiuncta a rebus quin regat res4.

157 というのも、第一原因は不動で、その純粋な一性によっていつもとどまってお

り、創造されたすべての事物を統括し、それらの上に生命の力と諸々の善性を5、それ らの事物の受容力の在り方と可能性とに従って6流入させる7。実際第一の善性は一つ の流入によってすべての事物の上に諸々の善性を流入させる。ただし諸事物の各々はそ の流入から、その力と存在の在り方8に従って受容するのである。

1 旧和訳は「支配する」と訳しているが、アラビア語原語は、管理する、監督するなど といったニュアンスを持つtudabbiruなので、「統括する」と訳した。

2 アラビア語原文のライデン写本ではtuḥīṭa(取り囲む)となっているが、イスタンブ ール写本ではtakhtaliṭa(混ざる)となっている。

3 アラビア語原文のライデン写本では「その一性は」となっている。イスタンブール写 本では「その本質は」となっている。ラテン語訳は両者を含み込んだような形である。

4 Pattin

eamと読んでいるが、resとする写本もあり、アラビア語原文においてこ れに当たる語は、resに相当するashyā’なので、Taylorに従ってresと読む。

5 アラビア語原文は「力と生命と諸々の善性とを」となっている。

6 アラビア語原文では「それらの力、能力の在り方に従って」(ʻalā naḥwi quwwati- wa-istiṭāʻati-)となっている。

7 アラビア語原語tufīḍuは「流出させる」という意味の語であるが、ここではそれに 当たると思われるラテン語fluit, emanatなどを使わず、敢えてinfluitという語を使っ ていることを重く見て上記のように訳した。この語は以下頻出する。 旧和訳は「影響 する」、Taylorinfuseと訳している。

8 アラビア語原文は、ライデン写本では「その個別存在と普遍存在とに従って」(alā naḥwi kawni-hi wa-anniyyati-hi)となっているが、イスタンブール写本では「その力 に従って」となっている。ラテン語訳はここでも両者を含み込んだような形である。

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2

Quod est quia causa prima est fixa, stans cum unitate sua pura semper, et ipsa regit res creatas omnes et influit super eas virtutem vitae et bonitates secundum modum virtutum9 earum receptibilium10 et possibilitatem earum. Prima enim bonitas influit bonitates super res omnes influxione una; verumtamen unaquaeque rerum recipit ex illa influxione secundum modum suae virtutis et sui esse.

158 そして第一の善性がすべての事物の上に諸々の善性を流入させる11のはただ一つ

の仕方でのみである。なぜなら[第一の善性は]、ただ善性であり、善性と存在者12とが 一つの事物であるという仕方でその存在、その存在者、その力を通してのみ善性だから である。それゆえ、第一存在者と善性が一つの事物であるのとちょうど同じように13、 第一存在者が諸事物の上に共通的に一つの流入によって諸々の善性を流入させるという ことが生じるのである。そして諸々の善性、賜物14が差異化されるのは受容者との結合 によって1516である。というのも、諸々の善性を受容する諸々のものは17均等には受容 せず、むしろ、それらのうちの或るものは或るものよりもより多く受容する。これは受 容者の18寛大さの大きさによる19

9 Pattinvirtutisと単数形で読んでいるが、複数形のvirtutumとするラテン語写本 も存在し、これに当たるアラビア語原語は、イスタンブール写本では複数形になってい るので(ライデン写本では単数形)、後の語との関係でTaylorに従ってvirtutumと読 む。次註参照。

10 これに当たる語は、アラビア語原文のライデン写本には存在しないが、イスタンブ ール写本には存在する。

11 アラビア語原文では「流出させるようになった」となっている。

12 アラビア語原語はhuwiyyat。今まで「存在」と訳してきたesse(アラビア語原文で はanniyyat)と区別して「存在者」と訳す。また、アラビア語原文の訳語としては、 前者をkawnとともに「個別存在」、後者を「普遍存在」と訳す。

13 アラビア語原文では「第一個別存在は一つの在り方で個別存在でありかつ善である ようになったのとちょうど同じように」。

14 アラビア語原文では「卓越性」。

15 アラビア語原文では「受容者によって」「受容者の側から」。

16 アラビア語原文のライデン写本では、ここに「のみ」が入る。ただしイスタンブー ル写本では入らない。

17 アラビア語原文のライデン写本ではここに「諸々の善を」が入っている。ただしイ スタンブール写本にはない。

18 「受容者の」と訳したsuaeは、ラテン語的には少し前の「受容する諸々のもの」

(recipientia)を指すと読むべきだと思われるが、これに当たるアラビア語原語(イス タンブール写本。次註参照)は何を指すのか必ずしも明らかではない。もしかすると第 一の善(性)、第一存在者(第一個別存在)かもしれない。もしそうだとすると、意味 がかなり異なって来る。独訳は後者の意味で理解している。p.116, a参照。

19 この部分はアラビア語のライデン写本には存在しない。イスタンブール写本には

「これはその高貴さの大きさによる」とある。

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Et bonitas prima non influit bonitates super res omnes nisi per modum unum, quia non est bonitas nisi per suum esse et suum ens et suam virtutem, ita quod est bonitas, et bonitas20 et ens sunt res una. Sicut ergo ens primum et bonitas sunt res una, fit quod ipsum influit bonitates21 super res influxione communi22 una <…>23. Et diversificantur bonitates et dona ex cuncursu recipientis. Quod est quia

recipientia bonitates non recipiunt aequaliter, immo quaedam eorum recipiunt plus quam quaedam, hoc quidem est propter magnitudinem suae largitatis.

159 だから戻って次のように言おう。自らの存在だけで働く作用者すべてと、それが

生み出すものとの間には、つなぐものもなければ、他の媒介物もない。作用者と生み出 されるものとの間をつなぐものはただ存在への付加だけである。それはすなわち、作用 者と生み出されるものとが道具を通して在り、[作用者が生み出すものを]自身の存在に よって生み出すのではなく24[作用者も生み出されたものも]複合物である場合であ る。このため受容者は、生み出されるものとそれを生み出すものとの間のつながりを通 して受容し、これを生み出すものは自身が生み出すものから切り離されている。 Redeamus ergo et dicamus quod inter omne agens, quod agit per esse suum tantum, et inter factum suum non est continuator neque res alia media. Et non est

continuator inter agens et factum nisi addition super esse, scilicet quando agens et factum sunt per instrumentum et non facit per esse suum <…> et sunt composita. Quapropter recipiens recipit per continuationem inter ipsum et factorem suum et est hunc agens seiunctum a facto suo <…>.

20 Pattinはここにカギ括弧付でet virtusを挿入しているが、アラビア語原文にはこれ に当たる部分がなく、この部分がないラテン語写本も存在するので、Taylorに従って 読まない。

21 アラビア語原文は、ライデン写本では単数形だが、イスタンブール写本ではラテン 語訳と同じく複数形である。

22 communi

に当たる語は、アラビア語原文では、ライデン写本には存在しないが、イ スタンブール写本には存在する。

23 アラビア語原文のライデン写本ではこの箇所に「しかし一部の諸事物の上にはより 少ししか流出させず、一部の諸事物の上にはより多く流出させる」という文が入る。た だしイスタンブール写本にはない。

24 アラビア語原文(ライデン写本)では、この部分から後、159の終わりまで次のよ うになっている。「その属性の一部によって生み出し、その普遍存在が複合的な場合で ある。このためこの作用者は、それとそれが生み出すものとの間のつながりによって作 用し、能動者の定義はその作用と異なっており、[作用者は]それ[生み出すもの]を完 全に徹底的に統括することもないのである」。

(4)

4

160 しかし、それとそれが生み出すもの25との間につなぐものがまったくないところ

の作用者は真の作用者、真の統括者26であり、究極の美しさ27で諸事物を生み出すもの である。この背後に他の美しさが在るということは不可能であり、[真の作用者・統括 者は]自らが生み出したもの28を究極の統括で統括するのである。

Agens vero inter quod et inter factum suum non est continuator penitus, est agens verum et regens verum, faciens res finem decoris, post quod29 non est possibile ut sit decus aliud; et regit factum suum per ultimum regiminis.

161 なぜなら[真の作用者・統括者は]諸事物を、それによって生み出すところの仕方

で統括し、ただ自らの存在者によってのみ生み出すからである。だから、その存在者は またその統括でもあるだろう30。それゆえ、究極の美しさ31と、そこにおいては差異も 歪曲もないところの統括とによって統括し作用するということが生じる。そして第一諸 原因による諸々の働きと統括が差異化されるのはただ、受容者の価値32に従ってのこと である。

Quod est quia regit res per modum per quem agit et non agit nisi per ens suum; ergo ens eius iterum erit regimen eius. Quapropter fit quod regit et agit per ultimum decoris et regimen in quo non est diversitas neque tortuositas. Et non

diversificantur operationes et regimen propter causas primas nisi secundum meritum recipientis.

25 アラビア語原語では「それが生み出すもの」ではなく「その作用」。

26 アラビア語原文の、イスタンブール写本ではこのようになっているが、ライデン写 本では「真に作用者、真に統括者」となっている。

27 「美しさ」のアラビア語原語は「確定性」(iḥkām)。次の「美しさ」も同じ。

28 アラビア語原語では「自らが生み出したもの」ではなく「自らの作用」。

29 確かにアラビア語原語のalladhīは、ラテン語訳のdecorisに当たるiḥkāmを指して いる。それゆえか諸訳もこのquoddecorisを指しているかのように訳している。し かし関係代名詞quodは中性なので、ラテン語の通常文法では、男性名詞である decorisを指すことはできない。それゆえここではquodfaciensあるいはregensと いう中性語を指すものとして理解する。quodに始まる関係代名詞節は、文法的には 160節末尾まで続いている。

30 この一文は、アラビア語原文では「[真の作用者・統括者は]それ[諸事物]を統括しも する」となっている。

31 ライデン写本のアラビア語原語は「作用」。イスタンブール写本では「確定性」。

32 ラテン語訳meritumは多くの場合「功績」と訳される。諸訳もそのように訳してい るが、ここは人間に限った話ではないので、存在するもの一般に用いるのにより相応し い和訳語として「価値」を用いた。アラビア語原語のistiḥqāqにももともとそのよう な意味がある。

参照

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