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デフレ期の物価動向とマネーの役割

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Academic year: 2018

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5

デフレ期の物価動向とマネーの役割

宮尾龍蔵

要 旨

(2)
(3)

1

問題意識

日本の長期にわたるデフレーション(物価下落)は,近年の日本経済を理 解する 1 つの重要な現象である.GDP デフレータで見たインフレ率は, 1990 年代以降,マイナス値を取り続けている.図表 5 1 に示されているよ うに,物価下落は 1993 年近くから始まっているが,その下落が持続的と なったのは 1998 年ごろからといえる.デフレは,近年の(2002 年からの) 実体経済の回復にかかわらず,緩やかなペースながら現在も続いている.

「デフレは貨幣的現象である」というフレーズに代表されるように,イン フレあるいはデフレを説明する 1 つの伝統的な考え方は,マネーの量が物価 を説明するという貨幣数量説に基づく.すなわち,貨幣の需給一致関係が成 立し,かつ貨幣の流通速度が一定という仮定のもと,一般物価は貨幣量に比 例する.しかしながら日本では,ゼロ金利政策(1999 年 2 月 2000 年 8 月)・量的緩和政策(2001 年 3 月 2006 年 3 月)という未曾有の金融緩和政策 により貨幣数量は大幅に拡大し,その一方で緩やかなデフレは続いた.日本 の物価動向の説明要因として,とりわけ近年のデフレ期において,貨幣量は どのような役割を果たしたのだろうか?

このような問題意識に基づき,本稿では,貨幣量と物価の間の実証関係を 時系列分析のフレームワークを用いて検証し,上記の問いに対する回答を試 みる.ここでは一般物価の実証モデルとして「誤差修正モデル(error-correction model)」を利用し,マネーの役割を検証する.

(4)

測(out-of-sample forecasts)を計算し,将来の物価変動を予測する際の貨幣量の役割 について検証する.

主要な実証結果は次のように要約される.第 1 に,M1 需要に関する共和 分関係の存在はデータから支持される.この関係はサンプル期間を通じて安 定的であることも示される.これらの結果は,短期の物価変動分析に誤差修 正モデルを応用する根拠となる.第 2 に,マネーは,持続的なデフレーショ

1) この論文では,広義の貨幣集計量(M2+CD)ではなく,狭義の M1 に焦点をあてる.先行研

究において,M2+CD に関する共和分関係や短期の予測力については支持されていない(Miyao

[2005],宮尾[2006](7 章)など).

1975 78 81 84 87 90 93 96 99 2002 05

56 63 70 77 84 91 98 105

(年)

図表 5 1 GDP デフレータ(1975 2005 年) A 物価水準(指数:2000 年=100)

B インフレ率(前年比,%)

1976 79 82 85 88 91 94 97 2000 03

−2.5 0.0 2.5 5.0 7.5 10.0

(5)

ンが始まる直前の 1998 年ごろまでは物価変動に対する説明力を有していた. 第 3 に,誤差修正項を含む短期モデルは 1998 年以降の物価を過大に推計・ 予測してしまう.より一般に,貨幣量を予測モデルに含めても,外挿予測の パフォーマンスを改善させる効果はない.

本稿の構成は以下の通り.第 2 節では日本のデフレーションに関する簡単 なサーベイを行う.第 3 節では分析アプローチについて説明する.実証結果 は第 4 節で報告され,その解釈は第 5 節で議論される.最終節では結論とと もに残された論点について言及する.

2

日本のデフレの要因

――簡単なサーべイ

本節では,わが国のデフレおよび長期停滞の真因をめぐる論争について, 簡単なサーベイを行う2).1990 年代初頭以降の長期停滞およびデフレの要 因については,多くの論者からさまざまな見方が提示されてきたが,それら は需要サイドと供給サイドに大別できる(たとえば岩田・宮川[2003],浜田・ 堀内[2004]などを参照)3)

需要サイドでは, 不十分な金融緩和, デフレ予想による実質金利上昇, 消費・投資の低迷, 財政引締めによる公的需要の減少, 銀行の貸し渋り による投資低迷(資金制約下にある中小企業の投資など),などが挙げられ る.供給サイドでは, 企業部門の生産性低迷(背後の要因としてはグロー バル競争・安価な輸入品との価格競争による収益力の低下など), 産業構 造調整の遅れ, 銀行の不良貸出などに起因する資源配分の非効率化(本来 なら破綻もしくはスリム化して再生されるべき非効率企業の存続など),な どが挙げられる.通常の総需要 - 総供給分析を用いれば,負の需要ショック

( )は生産と物価を共に減少させる.負の供給ショックは( )が

2) 本節のサーベイは宮尾[2006],(8 章 2 節)にも依拠している.

(6)

発生すれば,生産は減少,物価は上昇する.日本の「失われた 10 年」の説 明として,生産性低迷など供給サイドの要因を重視する研究者は少なくない

が(Hayashi and Prescott[2002]など),それだけでは物価上昇を示唆するため,

デフレーションとは整合的ではない.また需要サイドの説明も,現実の生産 低迷の深刻さと比べると物価下落は余りに緩やかであり,それだけでは不十 分に見える.追加的な説明として, 経済グローバル化による正の供給 ショック(世界の生産能力上昇,低賃金国への生産移転による限界費用低下 など)も同時に発生し,物価の押し下げ要因となっている可能性も考えられ る4)

貨幣的な要因は,上記の総需要面のリストのなかでもとくに重要である. 伝統的な貨幣数量説によれば,貨幣量は一般物価水準と正の相関がなければ ならない.「デフレは最終的には貨幣的現象である」という主張は,ほとん どの経済学者が同意するのかもしれない.しかし日本では,一連の超金融緩 和政策――ゼロ金利政策(1999 年 2 月 2000 年 8 月)と量的緩和政策(2001 年

3 月 2006 年 3 月)――によって貨幣が大幅に拡大したにもかかわらず,デフ

レは継続した.図表 5 2 に示されるように,マネーサプライ(M1)は 1990 年代半ばからより急速なペースで増大している.近年のデフレ期において, マネーはどのような役割を果たしてきたのだろうか.

貨幣量と物価に関する実証的関係は,他の内生的な要因をコントロールし ながら,注意深く検証されなければならない.貨幣需要の長期的な均衡関係 (共和分関係)も,もし存在するのであれば,その分析に考慮されなければ ならない.次節では日本の貨幣と物価に関する計量分析を行い,この問題を 検討することにしたい.

3

分析アプローチ

本節では計量分析のアプローチを説明する.ここでは時系列分析の 1 つの

(7)

ツールである誤差修正モデルを応用して,物価の短期的変動における貨幣の 役割を検証する.分析に用いる変数は,生産(実質 GDP),物価(GDP デ フレータ),貨幣(M1),そして金利(翌日物コールレート)で,それぞれ 対数を取り,Y,P,M,Rと表す.データは 1975 年第 1 四半期(1975:1)か

ら 2005 年第 4 四半期(2005:4)の四半期データを用いる(図表 5 3 参照)5) 以下の分析は 3 つのステップから成る.第 1 に,M1 に関する貨幣需要の 共和分関係が成立するかどうかを検証する.共和分関係が存在すれば,物価 の変動を説明する際に誤差修正項を含める必要が生じる.次の 2 つのモデル

(年) 1975 78 81 84 87 90 93 96 99 2002 05 0

50 100 150 200 250 300 350

図表 5 2 貨幣量残高(1975 2005 年,M1,兆円)

−8 −6 −4 −2 0 2 4

0.8 1.0 1.2 1.4 1.6 1.8 2.0

図表 5 3M P YR)の散布図(1975 2005 年,対数値) 出所) 日経データベース.

(8)

について検証する.

(MPY) −βR=e (5.1) (MP) −βYβR=e (5.2)

ここでββは貨幣需要の金利弾力性と所得弾力性,eは貨幣需要の残差

項である(記述を単純化するため,定数項は省略してある).金利変数も含 めすべての変数に対数がとられており,「ダブル・ログ」として知られる定 式化である6)

第 2 に,共和分の存在を確認した後,誤差修正項モデルを設定して短期の 物価変動を検証し,そこでの貨幣の役割を調べる.4 変数間に共和分関係が 存在するとき,物価変動を説明する誤差修正モデルは次式で表現される.す なわち,

∆P=a+∑



b∆Y+



c∆P+∑



d∆M

+∑



e∆R

+fEC+ε (5.3)

ここでECは誤差修正項で貨幣需要関係の残差,εは誤差項である. 第 3 に,(5.3)式の誤差修正モデルを用いて,物価の外挿予測(サンプル 外予測)を計算し,将来の物価変動を予測する際にマネーがどれほど有用で あるかを検証する.ここでは 1 期先予測(「静学予測」)を求め,システムの 内生変数をすべて予測するのではなく物価予測に焦点を当てる.

各ステップについて,1990 年代終わり,あるいは 2000 年代初めに終点と なるサブサンプルについて検証し,構造変化の可能性についても調べる.シ ステムの動学的な依存関係については,2 期と 4 期ラグを仮定する.

5) M1 は季節調整済みの月中平均データ(出所:日経データベース,コード:MONEYA @)を 3 カ月の平均を取って四半期データに変換.実質 GDP,GDP デフレータは季節調整済み 93SNA データ(1980 年以降,それ以前は 68SNA データを用いて,1980 年第 1 四半期で接続,出所は内 閣府の国民経済計算(SNA)関連ホームページ).コールレートは,1985 年 7 月以降,無担保翌 日物コールレート(月中平均,出所は日本銀行ホームページ),それ以前は有担保翌日物コール レート(同)で,3 カ月の平均を取って四半期データに変換.2 つの系列の接続の際には,それ ぞれの期間に対応した両者の標本平均の差を有担保レートに追加している.

(9)

4

実証結果

4.1 共和分テストの結果

では実証結果を説明しよう.まず予備的な検証として,システムに含まれ る各変数,すなわちM P YM PYR.に対して単位根テストを行った. テスト手法としては,Augmented Dickey Fuller[1979]test (ADF) と Elliot, Rothenberg, and Stock[1996]によって提唱された GLS トレンド除去に基づ く Dickey-Fuller test (DF-GLS)の 2 つを用いる.M P YR.のテストに ついては定数項を,M PYについては定数項に加えて時間トレンドも含

め る.ラ グ 次 数 に つ い て は,と も に シ ュ ワ ル ツ 情 報 量 基 準(Schwarz Bayesian information criterion,以下 SBIC)により選択する.図表 5 4(A レベル)に示されるとおり,レベル変数に対しては,単位根を 1 つ含むとい う帰無仮説は棄却されない.一方,1 回の階差を取った場合には,ADF と DF-GLS の両方からすべてのケースについて帰無仮説は棄却された(同図表

〈B 階差〉).これらの結果から,各変数は単位根を 1 つもつ 1 次の和分過程

(integrated of order one, Ⅰ⑴)であることが示唆される.

以上を確認した上で,(5.1)式と(5.2)式の貨幣需要モデルに関する共 和分分析に進む.ここでは Johansen[1988],Johansen and Juselius[1990]の システムに基づく共和分テスト(ここでは maximal eigenvalue テスト, JOH)を行う.ラグ次数は 2 期と 4 期を仮定する7).臨界値には Osterwald-Lenum[1992]の臨界値表を採用するが,小標本のサイズの問題(帰無仮説 を過剰に棄却してしまう危険性)を考慮して Chenug and Lai[1993]の修正 をしたうえで用いる.図表 5 5 には共和分テストの結果が報告される.テス ト結果から,(M-P-YR)と(M-PYR)の両システムの共和分関係の

存在が一貫して支持された.この結果は,いずれのサンプル期間(終点が 1998:4,2000:4,2002:4 のサブサンプル,そして 2005:4 のフルサンプ ル)についても成立し頑健である.以上の結果から,わが国の M1 需要の共 和分関係は全般的に支持されることが確認された.

貨幣需要関係の共和分が存在するというもとで,次に共和分ベクトルの推

(10)

図表 5 4 単位根テストの結果

変数 ADF DF-GLS 変数 ADF DF-GLS

A レベル B 階差

M P Y 2.15(1) 1.88(1) M-P-Y) −6.74(0)** −6.72(0)**

M P −0.75(1) −0.20(1) M-P) −6.33(0)** −6.28(0)**

Y −0.78(0) −1.03(3) ∆Y −3.84(2)** −3.85(2)**

R 2.06(5) 2.90(5) ∆R −7.84(4)** −7.82(5)**

注) この表には,M1 流通速度の逆数(M P Y),実質 M1 残高(M P),実質産出量(Y),コールレー

ト(R)――すべて対数値――に関する単位根テストの結果が報告されている.ADF は

aug-mented Dickey-Fuller[1979]テスト,DF-GLS は Elliott, Rothenberg, and Stock[1996]が提唱した GLS detrending に基づく Dickey-Fuller テスト.両テストともM P YRに対しては定数項を含

み,M PとYについては定数項と時間トレンドが含まれる.各テストのラグ次数はシュワルツ情

報量基準 SBIC により選択した(選択されたラグ次数は括弧内に示されている).サンプル期間は 1975 年 第 1 四 半 期 2005 年 第 4 四 半 期.テ ス ト に 用 い た 臨 界 値 表 は,Fuller [1976],Elliott, Rothenberg, and Stock[1996]から引用した.具体的には下記のとおり.

10%(†) 5%(*) 1%(**) ADF −2.58 −2.89 −3.51 DF-GLS −1.611.952.6

図表 5 5 共和分テストの結果

ラグ 1975:1 1998:4 1975:1 2000:4 1975:1 2002:4 1975:1 2005:4

A (M-P-Y,R)モデル

(ラグ=2) 22.41** 24.53** 22.29** 18.44*

(ラグ=4) 19.95* 20.32* 15.93† 13.22

B (M-P,Y,R)モデル

(ラグ=2) 23.91* 32.37** 38.85** 35.32**

(ラグ=4) 21.24† 34.38** 21.2220.37

注) この表には,M1 需要システム(M-P-Y,R)と(M-P,Y,R)に関する共和分テストの結果が報告さ れている.テスト手法は Johansen[1988]の共和分テスト(maximal eigenvalue テストである.). GH は,Gregory and Hansen[1996]が提唱した構造変化を容認する共和分テストである.全期間 (1975 2005 年)とともに,1998 年,2000 年,2002 年で終わるサブサンプルも用いられる.テスト に用いた臨界値表は Osterwald-Lenum[1992]を採用し,Cheung and Lai[1993]に従って小標本修 正が施されている.臨界値表は下記のとおり.

(ラグ=2) (ラグ=4)

10%(† 5%(* 1%(** 10%( 5%(* 1%(**

2 変数 1975 1998 14.3 16.3 21.0 14.9 17.1 22.0

1975 2000 14.2 16.3 21.0 14.8 16.9 21.8

1975 2002 14.2 16.2 20.9 14.7 16.8 21.7

1975 2005 14.2 16.1 20.8 14.6 16.7 21.5

3 変数 1975 1998 19.7 22.3 27.1 21.1 23.9 29.1

1975 2000 19.6 22.2 27.0 20.9 23.6 28.8

1975 2002 19.6 22.1 26.9 20.7 23.4 28.5

(11)

定,すなわち(5.1)式と(5.2)式の金利弾力性βと所得弾力性βの推定

を行う.ここでは dynamic OLS の手法(Saikkonen[1991],Stock and Watson

[1993])を用いて推計する.2 期あるいは 4 期のリーズ・ラグ次数を仮定し,

Newey-West の標準誤差を計算する(ラグ・トランケーションは 2 期または 4 期を想定).推定結果は図表 5 6 に示されている.2 変数システムのもとで 推定された金利弾力性βは,サンプル期間を通じて安定している.点推定 値は 2 期ラグでは−0.091 から0.103 の間であり,4 期ラグでは0.097 か ら−0.111 の間である.3 変数システムではββが共に推定される.推

定結果から点推定値は,若干のばらつきはあるものの,おおむね同様である. 全体として M1 需要の共和分関係は,とりわけ 2 変数システムの場合,安定 していることが示された.前出図表 5 3 はM P YR.の散布図を示して いる.両変数の関係は,近年のデフレーションと景気停滞期においても,き わめて安定していることがうかがえる.

4.2 物価変動の説明要因としての貨幣の役割

上記のとおり貨幣需要の共和分の存在を確認したので,次に誤差修正モデ

図表 5 6 貨幣需要の弾力性推定値

係数 1975:1 1998:4 1975:1 2000:4 1975:1 2002:4 1975:1 2005:4

A (M-P-Y,R)モデル

β(ラグ=2) −0.091 −0.103 −0.103 −0.100

(0.013) (0.007) (0.005) (0.003)

(ラグ=4) −0.097 −0.109 −0.111 −0.101

(0.016) (0.013) (0.008) (0.003)

B (M-P,Y,R)モデル

β(ラグ =2) −0.138 −0.141 −0.132 −0.114

(0.013) (0.005) (0.004) (0.003)

(ラグ=4) −0.136 −0.151 −0.139 −0.114

(0.007) (0.007) (0.004) (0.004)

β(ラグ =2) 0.647 0.637 0.658 0.703

(0.039) (0.037) (0.035) (0.036)

(ラグ=4) 0.666 0.638 0.660 0.700

(0.037) (0.038) (0.037) (0.040)

注) この表は,2 変数モデル(M-P-Y,R)と 3 変数モデル(M-P,Y,R)における貨幣需要の弾力性―― 金利弾力性β,所得弾力性β――に関する推定結果を報告する.推計手法は,Saikkonen[1991],

(12)

ル((5.3)式)に基づいて短期的な物価変動のダイナミックスを推定し,物 価変動を説明する際に貨幣がいかに有用であるかを検証する.誤差修正項は, 各サンプル期間において推定された貨幣需要関係の残差である.たとえば, (M-P-YR)モデル,2 期ラグ,1975 1998 サンプルの場合の誤差修正項

EC)は,EC=(M P Y)−(−0.091)Rである.

図表 5 7 は,(5.3)式でマネーと誤差修正項に掛かる係数がすべてゼロと いう結合仮説をテストするF統計量を報告している.Fテストの結果,貨

幣量と貨幣需要の残差項は,1990 年代終わりまでは有意であったが,2000 年代に入ると有意でなくなったことが示唆される.これは 2 変数システム, 3 変数システム共通の結果である.

1990 年代の終わり(1998 年から 1999 年ごろ)は,図表 5 1 で確認したよ うに,長期的な(しかしマイルドな)デフレーションが始まった時期である. それはまた,異例の超金融緩和政策(1999 年 2 月のゼロ金利政策とその後 の量的緩和政策)が始まった時期でもある.図表 5 2 に示されているように, 1990 年代終わり以降,貨幣残高が大きく拡大している.

以上のテスト結果および考察から,持続的なデフレが始まるまでは物価変 動の説明要因としてマネーの役割は有用であったが,物価下落が持続し始め る 2000 年代以降,その役割は消滅したことが示唆される.

図表 5 7 物価予測式における貨幣の役割――F統計量

Lag 1975:1 1998:4 1975:1 2000:4 1975:1 2002:4 1975:1 2005:4

A (M-P-Y,R)system

(ラグ=2) 4.82** 3.81* 2.04 1.68

(0.004) (0.013) (0.11) (0.18)

(ラグ=4) 2.95* 2.58* 2.11† 1.83

(0.018) (0.033) (0.072) (0.11)

B (M-P,Y,R)system

(ラグ=2) 3.00* 2.31† 1.10 0.94

(0.035) (0.082) (0.35) (0.42)

(ラグ=4) 2.33† 2.031.81 1.60

(0.051) (0.083) (0.12) (0.17)

(13)

4.3 物価のサンプル外予測

この小節では,(5.3)式で推定されたモデルを使って,物価変動の 1 期先 予測(静学予測)を計算する.ここではデフレ期に焦点を当てるため,1998 年以降の GDP デフレータを予測する(2 期ラグを仮定).たとえば,1999 年 1 月 2005 年 4 月の期間について GDP デフレータ変化の 1 期先予測は, 1975 1998 年のサブサンプルに基づく推定モデルに基づき,そこに実際の値 (ラグ値)をモデルの説明変数に代入することで計算される.

図表 5 8 は GDP デフレータとその予測(ともにレベル変数)が示されて いる.予測値は点線(VEC)で,現実値は実線(LP)でそれぞれ表記され ている.グラフ A は 1975 1998 年の推計モデルに基づいて得られた予測で ある.このグラフから,1999 年以降,予測された物価は下落ではなく徐々 に上昇している.これは一部には,正の貨幣需要残差が誤差修正メカニズム を通じて物価上昇をもたらすためである.しかし誤差修正項を含むマネーに 関する変数は,2000 年代以降有意でなくなっている.もはや不必要で含ま れるべきではない誤差修正項を 2000 年代以降も含めて使用することで,こ のような持続的な過大予測をもたらしたものと推察される.

同様の予測を,1975 2000 年の推計モデル,1975 2002 年の推計モデルに 基づいて実施した.予測値の系列は,図表 5 8 のグラフ B とグラフ C にそ れぞれ示されている.グラフ B で,予測期間の当初においては過大予測が 見られるが,その後は物価の持続的下落を示しており,GDP デフレータの 現実の動きとおおむね総合的である.グラフ C では,予測系列が現実値の 系列をうまくトラックしており,誤差修正モデルの良好なパフォーマンスが 見てとれる8)

では,誤差修正項あるいは貨幣要因自体,図表 5 8 の一部で示したような 良好な予測値を得るのに必要なのだろうか.この問いに答えるため,同様の 予測を誤差修正項なしで行ってみた.具体的には,誤差修正項を含まない次 の 2 つのモデルを設定する.すなわち,

∆P=a+∑



b∆Y+



c∆P+



d∆M+



e∆R+ε (5.4)

(14)

−0.08 −0.06 −0.04 −0.02 0.00 0.02 0.04 0.08 0.06

1999 2000 01 02 03 04 05 (年)

LP VEC

図表 5 8 GDP デフレータのサンプル外予測〔誤差修正モデルによる

予測(点線),実績値(実線)〕

A 誤差修正項を含む 1975 1998 モデル

B 誤差修正項を含む 1975 2000 モデル

−0.08 −0.06 −0.04 −0.02 0.00 0.02

2001 02 03 04 05 (年)

LP VEC

C 誤差修正項を含む 1975 2002 モデル

−0.080 −0.075 −0.070 −0.065 −0.060 −0.055 −0.050 −0.035 −0.040 −0.045

2003 04 05 (年)

(15)

そして,

∆P=a+∑



b∆Y+∑



c∆P+



e∆R+ε (5.5)

である.(5.4)式は,(5.3)式から単純に誤差修正項が取り除かれている. (5.5)式は,誤差修正項だけではなく貨幣の項も除去されている.これらの

モデルを使って予測パフォーマンスを比較するものとする.

図表 5 9 には,物価予測の結果が示されている(グラフ A,B,C).そこ で VAR1 と VAR2 は(5.4)式と(5.5)式に基づく予測系列である.その 結果から明らかに,誤差修正項あるいは貨幣なしの予測系列(VAR1, VAR2)の方が,ベンチマークである誤差修正項付の予測(VEC)よりも良 好である.デフレ期のマネーおよび貨幣需要残差の役割は非常に限定的であ ると結論づけられる.

5

議論

――実証結果の解釈

以上の実証結果は,日本のマクロ経済およびマクロ政策運営という観点か ら,どのように解釈できるだろうか.

いま仮に,1998 年当時,日本のマクロ経済変動,とりわけ物価変動を説 明するモデルとして(5.3)式が適切であると見られていたとしよう.その 時点までは,本稿の実証結果が示唆するとおり,物価変動の説明要因として 貨幣的側面が重要な役割をもつことが実証結果から見て取れる.もしそれが 事実なら,グラフ A の物価予測が過大で現実値が予測値を持続的に下回る という結果は,当時の人々からすれば「サプライズ」,「予期せざる物価下 落」と解釈できるかもしれない.換言すると,1998 1999 年ごろ,貨幣量の 拡大と貨幣需要の正の残差が続くにつれ,多くの人々は将来の物価下落では なく物価上昇を予想していた.それが予期せざる物価下落が発生し,予想さ れない借り手から貸し手への所得再配分をもたらす.一般に,借り手の方が 貸し手よりも支出性向は高いので,その所得再配分はネットで支出の減少, つまり追加的な景気停滞要因となりうる(Irving Fisher の「負債デフレー ション」のメカニズム).

(16)

(年) LP VEC

VAR1 VAR2

1999 2000 01 02 03 04 05 −0.08

−0.06 −0.04 −0.02 0.00 0.02 0.04 0.06 0.08

図表 5 9 GDP デフレータのサンプル外予測〔誤差修正モデルと VAR モデル

による予測(点線),実績値(実線)〕

A 1975 1998 モデル:VEC,VAR1,VAR2

B 1975 2000 モデル:VEC,VAR1,VAR2

(年)

LP VEC VAR1 VAR2

01 02 03 04 05 −0.08

−0.06 −0.04 −0.02 0.00 0.02

C 1975 2002 モデル:VEC,VAR1,VAR2

(年)

LP VEC VAR1 VAR2

2003 04 05

(17)

解消されていく.人々は当初の予測の誤りから学び,物価予測における貨幣 的要因をあまり重視しないように調整した結果かもしれない.そして 2000 年代にはいると,貨幣は物価とまったく無関係であるように見える.これは 伝統的な貨幣数量説とはまったく逆である.

最後に,本稿の実証結果は貨幣需要の均衡関係――貨幣数量説の重要な前 提――を支持しているが,同時に一方で,貨幣量と物価の 1 対 1 の関係とい う貨幣数量説の主張を支持していない.この点について付言しておきたい. これら 2 つの結果は,貨幣の流通速度を観察すれば整合的に解釈できる.古 典派の貨幣数量説の主張には,流通速度が一定で,実質所得が完全雇用水準 で与えられるという前提が置かれる.しかし,図表 5 10 に示すように, 1990 年代半ば以降,日本の流通速度は大幅に低下している.数量方程式

MV=PYV:流通速度)から,Mの増加は,もし同時にVが低下してい

ればPの増加をもたらさない.それが近年の貨幣量と物価の関係の破断を

うまく説明する.そしてその議論において,数量方程式,すなわち貨幣市場 の需給一致の関係は成立していることに注意されたい.金利が大幅に低下し, それに応じて貨幣需要の係数である 1/V(あるいは「マーシャルのk」)が

上昇し,Mの大幅上昇とバランスが取れる,すなわち貨幣の需給均衡は維

持される.図表 5 10 には,推定された流通速度(=1.0*R,点線)は現実

の流通速度(=Y+PM,実線)をうまく説明しており,貨幣の需給が全

期間を通じて一致している様子がうかがわれる.

1975 78 81 84 87 90 93 96 99 2002 05

VEL VELHAT

−0.8

−1.0

−1.2

−1.4

−1.6

−1.8

−2.0

0.4

0.2

−0.0

−0.2

−0.4

−0.6

−0.8

(年)

(18)

6

おわりに

日本の物価動向,とりわけ近年のデフレーションの説明要因として,貨幣 量はどのような役割を果たしたのだろうか? 本稿では,時系列分析のフ レームワーク(誤差修正モデル)に基づき,貨幣量と物価の間の実証的関係 を検証した.主要な結果は以下のように要約される.すなわち, 貨幣需給 の長期的な均衡関係は(M1 需要の共和分関係)はデータから支持される. マネーは,持続的なデフレが始まる 1998 年以前では,物価に対する説明 力を有していた. しかしその役割は 2000 年代以降に消滅した.そして, 物価に対する外挿予測からも,貨幣の役割が限定的であることが示唆された.

では,なぜ物価は貨幣量とは独立に変動するようになったのか? その背 後の理由を解明することは重要である.世界的なディスインフレーションや グローバルな生産体制の構築(低賃金国での生産拡大に帰因する生産性向 上)などの非貨幣的な要因が有力な候補として考えられる.それらの可能性 を詳細に検討することが,本稿に残された重要な課題である.

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図表 5 4 単位根テストの結果 変数 ADF DF-GLS 変数 ADF DF-GLS A レベル B 階差 M P Y 2.15(1) 1.88(1) ∆(M-P-Y) − 6.74(0)** − 6.72(0)** M P − 0.75(1) − 0.20(1) ∆(M-P) − 6.33(0)** − 6.28(0)** Y − 0.78(0) − 1.03(3) ∆Y − 3.84(2)** − 3.85(2)** R 2.06(5) 2.90(5) ∆R −7.84(4)** −7.82(5)*

参照

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