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イギリスのへき地小規模校研究-「The Small Rural Primary School」の抄訳と考察-

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(1)Title. イギリスのへき地小規模校研究-「The Small Rural Primary School」の 抄訳と考察-. Author(s). 横山, 正恵; 門脇, 正俊. Citation. 僻地教育研究, 50: 199-214. Issue Date. 1996-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/1545. Rights. 本文ファイルはNIIから提供されたものである. Hokkaido University of Education.

(2) 1996.3. No.50. イギリスのへき地小規模校研究 一『¶le SmallRuralPrimarySchooljの抄訳と考察一 横山 正恵・門脇 正俊(北海道教育大学岩見沢校) AStudyonSmallRuralSchooIsintheUnitedtGngdom.. の地域住民は,閉鎖に反対する。政治家や教育計画 はじめに. 者は,さまぎまなことを十分考慮して.閉鎖擢案を. 北海道には,多くのへき地小規模校が存在する。. 打ち出しているはずなのに,なぜ,地域住民は閉鎖. そのような学校には,さまぎまな利点が認められて. に反対するのだろうか。地域住民にとって,学校と. いる。それは.山村留学の実施などの要因になって. はどのようなものなのだろうか。 そこで,これらの疑問について,2つの学校の事. いる。その一方で,不利な点も多い。その不利な点 を克服するために∴交流学習などをはじめとして,. 例を通して考えていく。. さまぎまな工夫が施されている。日本の他の地域に おいても,同様のことが言える。そして,これらの. A.アルドキャスター校 アルドキャスターはイギリスの普通の村である。. ことは,文献を通してたくさん紹介されている。 それでは.諸外国ではどうなのだろうか。それぞ. その村に.ほぼ120年になる学校がある。それが.. れの国では研究がすすめられているのだろうが.日. アルドキャスター校である。この学校は.1870年. 本に紹介されている文献はあまり多くなかった。日. の教育法の前に建てられ.その当時の典型的な学校. 本と同様に,先進国であり島国でもある,イギリス. であった。校長の家に教室が取り付けてあった。30. のへき地小規模校について研究したいと思ったが,. 年代に建てられた別館は,余分な教書をもつ余裕が. 日本に紹介されている文献は皆無に等しかった。幸. あった。. い,イギリスで出版された『The SmallRural PrimarySchool』を入手できたので,この文献を中. この村の西には,73000人の人口を所有するロー ドシートの町がある。この町の郊外の中で,最近建. 心に.イギリスのへき地小規模校について研究する. 築活動が明白で.その家は.若い家族の手の届く魅. ことにした。この本は,まだ日本でも紹介されてい. 力的な値段である。そのため.学校の在籍者数が増. ないようであり.日本のへき地小規模校問題を研究. えた。対照的に.アルドキャスター村の初等学校は,. する上でも有意義であると考えた。本稿で,「Rural」. 衰退していった。. 1981∼82年にかけて,学校の理事と教育委貝と. の訳語を「農村」にするか,「村落」又は「田舎」 にするか等.迷ったが,日本の小規模校閲頗の多く. の間で閉鎖間専が取りぎたされるようになる。理事. を占めるへき地教育との関連を意識して,「へき地」. たちは.さまぎまな理由から学校を維持することを. という訳語を使用した。しかし.十分な学問的吟味. 主張する。. に基づいているわけではない。. 1982年6月柑日に.PTAによって計画された 会合で.SAVE(アルドキャスター村の教育を守. 第1章 へき地小規模校の閉鎖の過程. るという意味)が組織された。. 政治家や教育計画書たちによって議論される,数. SAVEの活動が始まった。まず、児童数や財政的. ある教育問題のlつに.へき地小規模校問題がある。. 蓄えや教育的理由の点から,閉鎖を勧告している当局. 彼らは、時として,経済的または教育的な合理化を. からの情報を探った。そして,公会合にそなえた。. 1984年7月10日,公会合が開催される。これは,. 達成するために,へき地小規模校を閉鎖するという 掘案をする。すると.そういう擢寒が出された学校. 地域諮問分科委貝会の委員長によって主催される。 -- 199 --.

(3) 横山 正恵・門脇 正俊. LEAの代表者による政府の意見とSAVEの意見. (4)本質的に,学問的な優秀さよりも.むしろ安全. が存在する。これらの2つの意見は,数多くの点で. で幸福な雰囲気を親が好んでいること. 異なっていた。. (5)輸送の問題. ◎副教育委貝長による小規模校の利点と不利な点. (6)アルドキャスター校に通うことを村の西にある. 児童数が多すぎる学校の子どもたちに許可するこ. ・利点. (1)年少の子どもたちに対して,特に安全を供給す. とができた通学区域の浸透性. る家庭的な雰囲気. (7瀾失効果の見解. (2)親密な個々への思いやり. (8)児童数の役人の計画についての疑い. (3親密な家庭と学校の連結の発達. (9)学校数の上で閉鎖をはのめかす有害な影響. (4)地域社会の施設の有効性. (10)財源の供給で,特に学校を支える村から生じる 費用節約. ・不利な点. (1)5−11才の集団のために供給している2人の. 公会合の後,SAVEはLEAの主張に反対する. 全時間制教師の職業上の限界. ための証拠をもたらした。. (2)1つの年齢集団での仲間集団の規模が小さいこ. とと子どもたちが同じ年齢.性別.能力の子ども. (1)在籍者数の増加が期待できること. たちとの相互作用をもつ必要性. (2)財政が,短期間で最低限度であるだろうこと.. (3)現職教育に出席する困難から生じる教師の職業. そして.学校が長期間お金を保有することができ. 上の孤立と大規模校にみられるような職員間の議. ること. 論がないこと. (3)子どもの大多数のために,学校の利点が,認め. (4)小規模校の過度に高い設備費用. られている不利な点よりもはるかに重要であるこ. これらの利点と不利な点が.閉鎖を勧めるための分. と. 科委員会の決定で影響を及ぼしている要因であると. アルドキャスター校は.一時的な救済または実行. した。. の延期を勝ちとった。しかし.それは最終的な勝利 ではなかった。. ◎SAVEの代表による言及(閉鎖反対) (1)学校は.地域社会の中心である。. B.インクスタウントン枚. (2)年少の子どもたちにとって,監督されずにバス. イングスダウントン校は,イングスダウントンの. で行動することは不健全なことである。. 魅力的な位置にある。その学校は.その地域の上か. (3)離れた所での学校教育が重圧になったりする。. らすばらしい風景を見渡し,村の施設や川に容易に. 特に,子どもが病気になったり,親が車も電話も. 歩いて行ける範囲内にある。その学校が.州議会か. 持っていなかったりする場合。. らの指示に従って,競売で売り払われた。. (4)閉鎖してしまうと.親は学校との形式ばらない. 競売の通知が,ほぼ明らかになった3年前,閉鎖. 日常の接触を失うことになる。. が示唆される。. (5)学校閉鎖と輸送の損失の効果が疑わしいこ、. 児童の親が受け取った手紙には,へき地′ト規模校. (6)子どもたちがすぐに学校閉鎖に身を固めるとい. に対する教育委員会の考え方が述べられていた。そ. う証拠がない。. れによると.教育委員会は単に経済的理由から行動. (7)アルドキャスター校は,遊牧民の子どもたちに. しているのではなかった。教育委貝会では.親密な. 対してよい教育を供給してきた。. 児童と教師の関係や村の学校に可能である地域社会 との統合という利点があることを認識している。し. ◎LEAの意見に対する村の関心事. かし,とりわけ小規模校では,これらの利点は.広. (l)仲間集団の概念の役人の説明に対する不満. い年齢範囲や限られた人や物質的な財源や子どもと. (2)集団編成の可能性. 教師の孤立という困難によって,価値があると感じ. (3)教師の人数よりもむしろ,児童と教師の割合が. るのである。そういう事情なので,よりよい教育的. 低いことを親が好んでいること. 機会は,より大規模な学校に児童を分けることによ ∬2(X)綱.

(4) No.50. イギリスのへき地小規模校研究. って捷供されるというのであった。さらに,手紙に. 他の子どもたちを犠牲にしているからだというので. は,閉鎖提案について議論するための親のための会. ある。. 1996.3. 落胆していたKIDSであったが.いくつかの出. 合の予定や転校先の学校見学についても書かれてい た。. 来事により再び旗を揚げる精神をよみがえらせた。. 授業は,教育学校分科委員会の一員でもある地方議. そして.KIDSは.教育科学省(DES)へ閉鎖 反対の訴えの通知を正式に捷出した。DESの反応 は,州レベルの会合とは大きく異なり,KIDSの 主張をきちんと聞いてくれた。しかし,KIDSは. 員や当局の上級役員により説明された。. 成功の見込みはわずかであると感じた。. 親のための会合が開催された。この会合は.在籍 している児童の親だけではなく.就学前の子どもを 持つ親も招待され,大勢の人々が出席した。閉鎖の. 会合の後.イングスダウントン校を維持するため. 5カ月後,KIDSの訴えを却下するDESから. KIDSが,結成された。KIDSは.KeepIngs DowntonSchoolの頭文字をとったものである。K IDSは,地域の活動を越えて.全国組織であるD OVE(DefbndersofVillageEducation)や教育諮 問センター(ACE)と連絡をとり,さまぎまな激. 考 ♯ アルドキャスター校とインダスダウントン校とい. 励や助言を受けた。. う2つの学校の閉鎖する過程を見てきたが,これら. さらに.KIDSの要請により,多くの村人が教. の手紙を受け取る。結局,学校はたった2カ月だけ 長く存在することになった。. の2つに共通していることは,地域住民が学校閉鎖. 育委員会の教育長に手紙を送った。その手紙は.揺. に反対しているということである。このことから,. 寒された閉鎖に反対する地域の感情の深さを示して. 地域性民にとってどんなに学校が大切であったかが. いる。その中でも特に重要な指摘は.「村に住む親. わかる。一方,閉鎖を授業する側にもそれだけの理. は.自分の子どものために学校を適ぶことを許可さ. 由がある。ここで気づくことは.どちらも同じこと. れるべきだ。親たちは,自分の子どものために選ん. に目を向けているが,そのことに関してのとらえ方. だものが.不適当であるとみなされたため.情報を. が適うということである。つまり.「子どもにとっ. 多少侮辱しているのである。」というものだった。. て.よい教育とはどのようなものか」ということを. 確かに勧められている閉鎖への主な理由では.小さ. 仲間集団や教師の立場や設備費用などに基づいて述. な学校は.施設が限られていることや子どもたちが. べているが,とらえ方については異なっている。そ. 同年齢の子どもたちによって供給される交わりや競. れは.政治家や教育計画書など閉鎖捷案をする側に. 争心を奪われているということが主張されている。. は,適切であると考える学校傾があり,それは都会. しかし,KIDSの調査では,親や児童からそのよ. の学校であるとみなすことができる。したがって,. うな批評を問いていないし,子どもにとって∴下位. さまぎまな面で都会の大規模校と異なっているへき. の教育であるとみなしているものを維持するため.. 地小規模校では.よい教育をすることができないと. 嘆願書に署名したりKIDSを携助したりする続は. いうことになるのである。一方,へき地の住民にと. いないだろうということになる。. っては.自分たちの地域の学校という感情が強い。. 分科委員会の会合が開催されたが、KIDSは質. そして,自分たちの「子どものために」ということ. 問と操業のほとんどを退けられ、ショックを受けた。. を念頭に置いて.考えているということが特徴的で. この後.KIDSのメンバーは落胆していたが、. ある。そのため,小さな子どもにバス通学させるこ. ある日,KIDSの書記が教育委員会の委員長に手. とへの心配や教師との親密な関係が奪われるなどと. 紙を書いた。この手紙に対する教育長からの返事に. いうことから閉鎖を反対している。つまり,閉鎖提. は,へき地小規模校の利点が認められる一方で.教. 案をする側がtへき地小規模校の不利な点としてあ. 師や理事としての長い経験を持つ委員会のメンバー. げているものは.地域住民にとってはそんなに不利. による不利な点も認めなければならず.彼らの助言. な点ではないのである。また、地域住民にとっては.. は委員会の教師のメンバーによって支持されている. たとえ不利な点があったとしても,不利な点以上に. と善かれていた。なぜなら.もし,極小規模校が財. 利点があることを強調しているのである。 以上のことから.政治家や教育計画官など閉鎖を. 源の不相応な分け前を吸収するなら.それらは州の ー201−.

(5) 横山 正恵・門脇 正俊. 捷案する側は,子ども全体について考えている。こ れは,イングスダウントン校の事例での財源につい. ・1959年 教育省「初等教育」 ・1967年 プラウデン・ギッティンズ報告. ての「もし,極小規模校が財源の不相応な分け前を. ・1985年 「よりよい学校」 となる。. 吸収するなら,それらは州の他の学校や子どもたち を犠牲にしているからだ」という教育長からの返事. 1931年のハドゥの第2の報告「初等学校」では,. から明らかである。つまり.教育の機会均等という. 「コベットメソッド」や能力別編成を支持した。ま. 考え方から.州さらには国を通して考えなければな. ず,ハドゥは.「コベットメソッド」を支持するこ. らないのである。しかし,これは機会均等と言える. とで,教訓的な指導を率直に拒否し.「コベットメ. のだろうか。また,本来,機会均等はみんなが利益. ソッド」がすでに作用しているところや自然に適し. を得るためにあるのではないか。それなのに,へき. ているところとして「へき地校」を示した。また,. 地の子どもたちは不利益を受けるのはどうしてかと. 能力別編成については,精神年齢を重視して,10. いう疑問が浮かんだ。これに対して,閉鎖に反対す. 才ごろの子どもは少なくとも3つのクラスに分ける. るへき地の住民は,自分の地域の子どもについて考. べきだとした。そして,この分類は一般に大規模初. えているのである。ここに,双方の遠いが生じるの. 等学校ではできるが,小規模校では,それぞれの年. である。これらのどちらが正しいかということをは. 齢集団のために2つのクラスで十分かもしれないと. っきり結論を下すことは∴容易なことではない。ど. した。このことから.ハドゥは,幼児学校と下級学. ちらも.子どものことを十分考えているという点で. 校が分離して存在するべきであるということを示し. は一致していて、このことは学校の役割を考える上. た。そして.規模・タイプ・内部組織・心理学的適. で最も重要なことである。学校は、子どもにとって,. 応の点で適切なものは320−400人の児童数の都会. 家庭では学ぶことができない多くのことを学ぶ大切. の下級学校であるとした。さらに.指導方法につい. な場所なのである。このことから,学校について考. て,子どもたちに自分のペースで勉強させることに. える時.「子どものために」ということを念頭に置. よって,子どもたちの個人的な努力の効用を満たさ. いて考えなければならないのである。そこで,次の. せ、児童が能力を示すことができるとすぐ.年齢に. 章では,へき地小規模校についての政府と地域住民. 関係なく他のもっと上級の勉強に進むことが許され. の見解をもっと深めていく。. るとした。そして.年上の子どもたちは,年下の子 どもたちの勉強を手助けするのであった。へき他校 ではこうした個人学習と集団指導を実厨発していると. 第2章 へき地小規模校に対する見解. して,都会の大規模校よりも若い教師が見習い期間 を過ごすにはよい施設であるとした。しかし.へき. 第1節 政府から見たへき地小規模校 政府は.さまぎまな理由からへき地小規模校を不. 地校が必要であると考える訓練施設の不足とへき地. 利なものとみなし.閉鎖を授業してきた。また,へ. で無資格の助教師の割合が過度に高いという心配が. き地小規模校の利点を認めながらも.州の他の学校. ハドゥにあった。1929年.合計7462人のうち5565. や子どもへの犠牲という点から,閉鎖せぎるを得な. 人の無資格の教師がへき地で教えていた。. い状況でもあった。このように,政府は,へき地ば. 1937年の「揺案の手引き」は,教育院が適切な組. かりに目を向けるのではなく.州や国の子どもたち. 織,カリキュラム.指導方法について教師に助言す. 全員に目を向けなければならないのである。. ることを計画した文書である。その中では,へき地. そこで,政府は「子どものために」どんな教育を. 校は小さな必要のない学校としてみなされていた。. 望んだかを調べることによって,へき地小規模校に. そして,カリキュラムについて.2つのことに関連. 対する見解をとらえていく。. づけて考えらゎた。1つめは,それぞれ子どもたち. 過去60年間の政府の報告や教育省の出版物の中. を年齢段階に所属させることを授業した。これは,. で,へき地小規模校はさまぎまに描写されている。. 3−4才の集団を含むクラスの必要に応じることが. 年代順に主なものをあげると.. できる時間割を組み立てることに関連しているよう. ・1931年 ハドゥの第2の報告「初等学校」. に,年少の子どものための学習課程と年長の子ども. ・1937年 教育院「提案の手引き」. のための学習課程を計画することを提案した。2つ ー202−−.

(6) No.50. イギリスのへき地小規模校研究. めは,男女共学についてである。男子と女子には社. 齢とともに増える学級担任を要求したのである。そ. 会的役割で伝統的な適いがあるのでカリキュラムを. うすることで.子どもはもっと専門的知識を受ける. 区別するということである。しかし,人数の少ない. ことができるのである。しかし,教師の資格や財政. へき地校では共学にする必要があるとしている。. や学校の規模という拘束があるのは明らかである。. 1959年,教育省は,「揺案の手引き」にかえて. これらの拘束は,小規模校ほどより一層重大である。. 「初等教育」を出版した。その中では,へき地校は. そこで,最小限度の学校規模が定められている。い. 大規模校の小型の種類として見ているにすぎなかっ. くつかの孤立した地域を除いて,児童数は.一般に. た。また,能力別相成の不利な点を確認している。. 正当化された3人の教師の定員での水準を下回って. このような能力別編成はそれを用いることが難しか. はいけないとしている。. ったへき地小規模校からなくなった。「初等教育」 では,工夫を念頭に置いていたが.その中にはへき. 考 察. 地校で使われていた個人学習と集団学習の順応性の. ハドゥ報告から「よりよい学校」までみてきたが,. ある利用があった。でも,その著者たちは気づかず. へき地小規模校に対する考え方は,さまぎまである。. に,最近の新考案として紹介した。. 著者も言っているように.それは.それぞれの報告. 1967年のプラウデン・ギッティンズ報告は、初等. や出版物が,義務教育の長さや学校教育の管理構造. 学校の全体的な主席と中等教育への移行について考. やカリキュラムなど焦点にしているものが異なるた. えるため,イングランドとウェールズの中央教育者. めに.考え方も異なってくるのであるし 考え方は違. 議会による教育大臣の要求で設立された委員会か. っても,全体としてへき地小規模校は不利であると. ら,プラウデンとギ、ソティンズによってそれぞれ出. いう点では一致している。. 版されたものである。両方の報告は,へき地校に特. ハドゥにとって,主な関心事は能力別編成であっ. 有の注意を払っている。1960年代,適切な初等学. た。それは.精神年齢を強調していたことによる。. 校のカリキュラムの定義が変わり,新しく強調され. この点で,自分のペースで勉強することができたへ. た点は生徒の相互作用に置かれていて,暗黙のうち. き地小規模校はよい評価を受けたが.その一方で.. に年齢段順の仲間集団に唯一の価値があると考えて. 人数が少ないため3つのグループに分けることが困. いた。プラウデンにとっての学校の役割は.子ども. 難であるとして.へき地小規模校は欠陥があるとみ. たちのために,正しい環境を工夫することや彼らに. なされた。これは,一般に言われているへき地小規. ふさわしい方法やペースを見つけることであった。. 模校の不利な点と関係しているように思う。それは. この点で,へき地小規模校での小さな集団の規模は,. 「仲間集団の規模が′トさく競争心が奪われている」. 重要なカリキュラムの財源をはるかに制限している. というものである。ハドゥが精神年齢を強調したの. ことを意味した。また.能力別編成について.プラ. は.似たレベル同士を競わせて.ある水準を達成で. ウヂンは否定して,年齢集団によって過ごすことを. きると.さらに上へ進むことで知的能力の障れた子. 主張した。ギソティンズは,能力別編成を否定しな. どもに育てようとしているのだろう。また,1937. かったが,能力別編成ができないへき地小規模校を. 年の「揺案の手引き」では,社会的役割で伝統的な. 欠陥があるとみなされる可能性を取り除いた。. 違いがあるとして男女別学を主張している〔、これら. 1985年の「よりよい学校」という自書は.学校. のことから,この時代は,似た能力や特性を重視し. での教育は若者が自分で職業を見つけたり則り出す. て子どもを教育していたということがわかる。この. 機会を増やすための企画や適応性を促進するぺきだ. ように分類して教育することには,どんな利点があ. として.カリキュラムを改善するために発行された。. るのだろうかと考えてしまう。1959年の「初等教. 「よりよい学校」では.プラウデン委員会のカリキ. 育」が確認しているように,能力別編成はあまり好. ュラムに対する考えをさらに効果的に改善して.教. ましくないことだと思う。なぜなら,子どもは社会. 育水準を引き上げようとした。教育水準を引き上げ. の一員として生きるために.毎日の生活からさまぎ. るために「カリキュラムを導く職員配置」が必要に. まなことを学ばなければならないからである。その. なった。というのも,多様なカリキュラムを指導し. 時,学校の役割はとても重要である。このことにつ. たり,必要な区別をして指導することは.児童の年. いてプラウデンは,「子どもが,バランスがとれて −203…. 1996.3.

(7) 横山 正恵・門脇 正條. 大人になる望みをもったり,子どもが形成した社会. とがわかる。そこに.地域住民の見解がでてくるの. で暮らすことができたり,その社会に黄献すること. である。そして,地域性民の考え方が発展して.州. ができたり.その社会を批判的に見ることができた. の閉鎖反対の取り組みがでてくる。そこで,次の節. りする望みをもった教育のすべての段階において,. では,へき地小規模校の割合が多い州での閉鎖反対. そういう雰囲気の中で成長する」ということを主張. に対抗する取り組みを中心に,地域にとってのへき. している。また.「よりよい学校」では.「学校での. 地小規模校の存在を見ていく。. 教育は.若者が自分で職業を見つけたり創り出す機 第2軒 2つのイデオロギーの中でのへき地小規模校. 会を増やすための企画や適応性を促進するべきであ る」としている。これらのことからもわかるように.. 前節では,政府の報告などを通して,政府は子ど. 子どもが社会で立派に生きて行くためには.能力別. ものためにどんな教育を望んだかを調べてきた。こ. 編成や男女別学にしない方がよいのである。いろい. のことから.政府は都会の大規模校を基準にして考. ろな能力の子どもたちが,お互いに協力したり助け. え,へき地小規模校を不利なものとみなす傾向にあ. 合ったりという関わりを通して,生きて行くために. ることがわかった。それは,産業革命の発生により,. 必要なものを身につけるべきなのである。この点か. 大多数がへき地であった社会から大多数が都会であ. ら考えると.早くから能力別絹成をしなかったり男. る社会へと変化したことによるものである。したが. 女共学にしていたへき地小規模校は,子どもの成長. って,社会問題は都会の条件で定義されるようにな. にとってよい教育をしていると言えるのである。し. り.それは教育についても例外ではなかったのであ. かし.規模を考えると必ずしもよいとは言えないと. る。このような状況で.閉鎖する小規模校がでてき. みなされているのである。ここで.規模についての. た。ここに.中央政府と地方政府の存在がある。地. 考え方に疑問が残った。確かに少人数であれば.出. 方政府は.中央政府の教育政帝に基づき閉鎖を提案. 会いの機会に制限があり.受ける刺激も少なくなり. するのである。しかし,その一方で,閉鎖に反対す. がちである。しかし,考え方を変えると,少人数で. る勢力があった。. あれば1人1人の存在感が大きくなり.それにつれ. そこで,地方政府の戦後の教育政籠におけるへき. て1人1人の役割も増し責任感や自立心が身につく. 地小規模校の存在をとらえながら.閉鎖に反対する. と思うのである。. イデオロギーを考えていく。. さらに,「よりよい学校」では,カリキュラムの. 閉鎖授実は,一般にLEAの役人によって引き起. 専門化を要求していた。このような傾向は,プラウ デン報告でも見られるが,なぜなのか考えてみた。. こされる。その授業は,児童数が定義された最小限. それは.きっと世の中があらゆる面でどんどん神経. 度を下回った時引き起こされるが,児童数の低下は.. 化していったからだと思う。そういう禎雑化した世. 国家の人口変動または出生率の低下のためだけでは. の中に対処できる能力.そしてさらに高レベルなも. なく, 親が学校に対して不満を抱き子どもを他の学. のを創り出す能力を子どもたちにつけようというの. 校に転校させるということもある。. であろう。そして,学校ではそれに必要な教師を配. (1地方政府の戦後の教育政策. 置しなければならなかった。確かに,禎雑な世の中. ノーフォーク州は,イギリスの中で最もへき地小. に対処するため,子どもにとって専門的知識をもっ. 規模校の割合が高い州の1つであるが,そのノーフ. た教師から学ぶことはよいことである。しかし,へ. ォーク州における戦後の教育政策の歴史がある。. 1948年から1965年までの間に,63校のへき地小. き地小規模校では適当な職員配置がなかなかできな い。このことは不利な点として認められるが∴改善. 規模校が閉鎖した。これは,1944年法の制定によ. 法もあるはずである。このことは.第4章で詳しく. るものである。. 見ていく。. 次の8年間に.3()の村の学校が人口の移動に応. 政府にとって,「子どものために」必要だと考え. じて閉鎖した。. 1974年から1984年の間に,75校が閉鎖した。こ. る教育では,何らかの形でへき地小規模校を不利な ものとみなしている。でも,焦点に当てるものを変. れは,児童が30人を下回った時閉鎖を勧告すると. えると,必ずしも不利なものとは言えないというこ. いう政策によるものであった。閉鎖した75校のう 一204−.

(8) No.50. 1996.3. イギリスのへき地小規模校研究. ちの67校は,閉鎖間際の名簿で30人にはほど遠い. を越えて知られるようになった。書紀は.有志組織. ものであった。. の全国会議のロンドン事務所によって転送されたも. 1979年ACEの調査によって最小規模が報告さ. のの多くである国の他の地域からの助言を求める電. れた。それによると.. 話の規則的な流入を受け始めた。. ・デポン. 12∼15人. ・ノーフォーク. 30人. (3)子どものために大切なものは何か. 政府の閉鎖のイデオロギーと反対するイデオロギ. ・ノッティンハムシヤー 80人. ーとの間の争いは.供給される教育制度は.大規模. というように州によって異なっている。エドワーズ. でなければならないと信じている人と小規模である. によれば、1976年にさかのぽったこの数字の適い. ぺきだと信じている人との間の衝突にすぎないとい. は.カリキュラムの洗練された評価または財政的な. う仮定は,必ずしも正しいとは言えない。反対する. 実行力を基礎にしないで.2人の全時間制の職員を. イデオロギーには.初等教育後の子どもが小規模な. 引きつけることができる最も低い水準としてみなさ. 施設で教育されるぺきだという信念がない。そして,. れたというのである。それは,限界であった。. 彼らの主張にはふさわしい背景での大規模初等学校. 1985年の「よりよい学校」を受けた「ノーフォ. の批評を含んでいない。一方,政府のイデオロギー. ーク構造計画」によって,初等学校では,教師7人,. は,産発革命によって都会の条件で考えられた世の. 児童150人という最小規模が要求された。しかし,. 中で,へき地小規模校の不利な点を都会の特徴や規. ノーフォークのさまぎまな現実に出くわしなかなか. 模を模範として解釈しているのであった。したがっ. 成就できなかった。そこで,教師3人,児童60人. て,都会の学校で欠陥が発見された時,助言者を送. 以下の初等学校の維持が正当化された。. る,現職教育の計画を確立する.必要であれば.教. (2瀾蘭反対のイデオロギ岬. 師を転任させるというように何らかの調整がなされ. 州の教育政策によって閉鎖するへき地小規模校が. る。そのため,最も悪名の高いウイリアムティンデ. あったが,もちろんその閉鎖に反対する動きもあっ. イル校の場合でさえ,閉鎖が解決法ではなかった。. た。特に,1970年代のはじめは.村の学校の閉鎖. でも.へき地校で欠陥が発見された時,固有のもの. に反対する反撃のイデオロギーがはっきりと現れる. として都会の展望から定兼され閉鎖が主な解決法に. 時期であった。1970年以来の変化を特徴づけたも. なる。. のは.個々の地域社会の防衛の組織的な運動によっ. 1972年のト岬マスの主張にも現れているように,. て配置された大きな組織や桔術だけでなく.反対の. へき地校に都会の基準を応用したり,学校組織に都. イデオロギーに等しい見解の一般的な体系を創造す. 会の模範を採用するようにへき地校に勧めることほ. るへき地の声の増加する合体についてもなのであ. ど狂気なことはない。ノーフォークのようなへき地. るr その主なものは.DOVE,CARE,ム∼ア ランド校活動グループである。ここでは,DOVE. 当局にとって重要なことは.都会とへき地の遠いに 鋭い焦点を当てた状態にして.両方の状態で子ども. について取り上げる。. にとって等しい教育機会を成就する方法の疑問を考 慮することである。. 1976年後半.有志初等学校の経営者の会長であ. 1983年のフォーシー. るノーフォークの教区牧師は,ある土曜日の午後の. スによるスコットランドの. 会合に出席する村の学校の減少数について関心があ. へき地の親における調査報告がある。その結果.へ. る人を招待することを地方新聞に載せた。. き地の親が.地域の学校の質について判断する時.. その結果.約70人が出席し,その会合から「村 の学校の友(theFriendsofⅥllageSchool)」が現れ. 彼らは職員の数や専門性やカリキュラム構造や組織. た。1977年.村の学校の友は,「村の学校を守るた. ではなく.彼らや彼らの子どもたちが関わる教師が. めの組織(theorganizationtoDefendersofVillage. 持っている個性や技術を知ることに基づいてするの. Education)」という名前に変えた。それは,頭文字. である。だから,いくつかの小規模校が大規模な学. をとってDOVEと呼ばれた。DOVEは,新聞や. 校に合併された学校での親を含む回答者の多くが、. テレビの編集団に訴えた。たくさんの短い記事が出. 大規模校に欠陥があることを認めている。つまり,. 版され.規則的な公報や情報誌が作られ,それが州. へき地には.「よい教育」を構成するものについて. と関係がある「嘗観的な」データに基づいてするの. −205一.

(9) 横山 正恵・門脇 正俊. ければならないのである。そのためにも,州を越え. の根本的に異なる見解があるのである。. た結束や協力が必要なのである。このような状況を 考えると.へき地小規模校の閉鎖問題は,単なる地. 考 ♯ まず,教育政策の歴史を振り返ってみると.いう. 域の問題ではなくイギリス全体の問題であることが. までもなくそれぞれの時代の社会背景や教育理論に. わかる。また,どんなに政府が子どもにとって大切. 基づいていることがわかる。それは,1870年法の. だとしてカリキュラムの専門化などの教育政策を打. 制定や農業不況や出生率の低下などである。これら. ち出したものが,へき地小規模校では実行しにくい. によって,へき地小規模校は閉鎖していった。学校. 状況にあったとしても,閉鎖を反対する結集した活. は,「子どものため」にあるのだから.子どもがい. 動があるのだから,それぞれの地域住民にとって地. なくなってしまっては閉鎖するのも当然である。し. 域の学校がどれほど重要であるかわかる。. かし,子どもがいなくなる要因の中には「学校に対. 一般に.へき地に住む人々は,その地域の学校に. する不満」というものもあることを知った。学校に. 閉鎖授案がもたらされた時.その閉鍬二反対する。. 不満を抱いた親が、子どもを他の学校に転校させる. それは、へき地小規模校での教育が子どものために早. というのである。私は.今までへき地の地域住民は. さわしいと考えているからである。これに関して.ス. 自分の地域の学校を尊重し,その学校に子どもを通. コットランドに住む親が大規模校をどのようにみな. わせることを望んでいると思っていた。しかし,そ. しているかという調査報告がある。これを見て.私. ういう学校ばかりではないことがわかった。やはり.. はなるほどと思った。というのは、回答者の多くが大. 政府の教育政策の影響によるものなのだろう。自分. 規模校には欠陥があると考えていることである。. の子どものために,十分な同一年齢の仲間集団の中. 著者も言っているように.へき地の親は「職員の数. で競争心を養ったりもっと専門的知識を得ることが. や専門性やカリキュラム構造や組織に基づくのでは. 必要だと考えた結果なのだろう。このように,閉鎖. なく.教師の個性や技術に基づいて」学校を判断し. する学校があるのに対して,第1章にでてきたアル. ているのである。ここから,へき地の親は,教師と. ドキャスター校やイングスダウントン校など閉鎖す. の人間的なふれ合いを重視していることがわかる。. ることを反対される学校もあった。いずれにしても,. さらに.披らにとって「子どものために」よい教育. 「子どもにとって.何が大切か」を考えてのことな. とは.各教科の指導以上に精神的なものなのだろう。. のだろう。ここまでみただけでも.地方政府は.中. とはいうものの,このことは初等学校段階のことで. 央政府の政策に基づいて政策を実行する一方で,そ. あり,初等学校緩も小規模な施設で教育されるべき. れぞれの地域住民の存在も考えなければならないと. だという信念はないという。このことから,親は単. いうことがわかる。. に小規模校を支持しているわけではないことがわか. 「ノーフォーク構造計画」は「よりよい学校」の. る。子どもの発達段階を考えているのである。へき. 影響を受けたものであるが.ノーフォーク独自の工. 地小規模校の利点にもあるように.年少の時には家. 夫も見られる。3人の教師や鋭)人以下の児童数と. 庭的な雰囲気の中で教師が子どもたちそれぞれに十. いう変則的なものが認められているのである。ここ. 分気を配ることができることを望んでいるのである。. から.ノーフォーク州政府は,地域にとっての学校. そして.子どもが成長するにつれて,競争心やカリ. の重要性を理解し,できるだけ学校を維持しようと. キュラムの専門性に目を向けていく傾向にある。. いう考えがあることがわかる。政府が考える「子ど. したがって,政府はへき地小規模校の閉鎖に反対. ものため」と地域住民が考える「子どものため」を. する声にもっと耳を傾けるべきなのである。. 十分考慮した結果なのだろう。 しかし,十分考慮しても閉鎖する学校がある。そ. 第3手 数育的関心事. こで,閉鎖反対を要求するわけだが,ただ.子ども のために大切だという思いを主張するだけでは何も. へき地小規模校が閉鎖するのは.教育的に不利な. ならないことに気づいた。地方政府もそれなりに地. 点があるからである。一方,閉鎖提案を反対するの. 域にとっての学校の重要性に気づいているのであ. は.教育的利点が認められるからである。. る。だから,もっと学校を維持できる状況を示さな. このへき地小規模校の利点と不利な点をまとめて −206−.

(10) No.50. 1996.3. イギリスのへき地小規模校研究. みると.以下のようになる。. 「イギリスの初等教育」.ガルトンとシモンの研究な. ◎利点. どである。これらのことから.小規模校の規模が児. ・特に年少の子どもたちに対して安全を供給する. 童の成績を低下させる要因になるという考えは疑わ しいものになり.学習は小規模な指導集団によって. 家庭的な雰囲気. 高められることが言われている。. ・親密な個々への思いやり. ・親密な家庭と学校とのきずな. 一般大衆と政府の見通しにはかなりの速いがある が.仲間集団は子どもが社会化する過程のとても重. ・地域社会の施設の有効性. 要な一部分であると考えていることでは一致してい. ◎不利な点. ・幅広いカリキュラムが供給できない. る。そこで.仲間集団とへき地小規模校を考える上. ・仲間集団の規模が小さい. で2つの疑問がある。 1つめは,社会化する過程とは何であり仲間集団. ・教師の孤立. はそれとどのように関わっているかである。ジョー. ・設備費用が過度に高い. このように利点と不利な点があるわけだが.これ. ジハーバードメッドは,1934年,子どもはウエン. らの不利な点は本当に不利なだけなのだろうか。こ. ディーハウスを用いることによって,いろいろな役. のことを考えるため,仲間集団と教師の孤立に焦点. 割や人々が社会的世界の中でどのように活動してい. を当てて見ていく。. るかを理解する形を試したり身につけ,アイデンテ ィティーを確立すると主張している。さらに.メッ ドは,「意兼深い他人(signiBcantothers)」と呼ぶ. 第1節 仲間集団 プラウデン報告の「仲間集団」についての記述に. 人々の存在を重視している。子どもにとっての意義. 「初等学校の年齢.特に8∼12才では,子どもは,. 深い他人は.幼い時は両親や直接の家族であり成長. しだいに同じ年齢や成熟した子どもからなる社会的. するにつれて学校内の人々が含まれるようになる。. 集団の中に交わる。この仲間集団の中で,子どもは. このような人々との関わりが,アイデンティティー. 協力したり競争したりしながら遊んだり生活したり. の確立に重要な役割を果たすというのである。. する方法や感情をコントロールする方法や役割・社. 2つめは.仲間集団とは何でありそれは状況によ. 会的テクニックを確立する方法や一方では家族の親. ってどのように異なうているかである。フランケン. 密な関係の外で他方では学校でのもっと形式化した. バーグによる「仲間集団」の定兼は、「始終,会っ. 関係の中で.自分は誰であり何ができるかを認識す. たり相互に影響し合ったりする同じ年齢や地位の. る方法を学ぷ。学校内の仕事や遊びにおける集団の. 人々の集団」である。したがって.仲間集団には,. 一員であることは、この社会的及び感情的な発達を助. さまぎまな形式があり教育的長所を持っている。つ. 長する。それは、集団の影響を及ぼす評価を通して,. まり.仲間集団は学級集団だけではないので.お互. 個人を定発する過程である。」とある。プラウデン報. いの定兼を混同してはいけない。. 告が出版されてまもなく,当局の1人が仕事で教師. 仲間集団についてのメイアンによる都会の大規模. 2人の村の学校を訪問し.子どもたち自身の工夫に. 校での研究とフィンチによるへき地小規模校での研. よるクリケリトの試合を見た′)この工夫の中で,子. 究がある。どちらもミドルスクールでの研究である。. どもたちは「一方では家族の親密な関係の外で,他. この研究から,大規樺校では,仲間集団での意義深. 方では学校でのもっと形式化した関係の中で,協力. い他人はその子どもの年齢と非常に親密に結びつい. したり競争したりして遊んだり生活したりする」方. ていることが認められた。一方,. 法を学んだが,プラウデンが考える仲間集団とは異. どもたちは年齢段階で区別することに関心を持た. なっていたため,小規模校を不利であるとみなした。. ず.時には年長の子どもにとっての恵美深い他人が. 小規模校では,子. 年少の子どもであることもあった。. CEOは.「仲間集団の相互作用は学習過程にと って重要である」と述べているが.これに関して.. 考 ♯. 大規模校と小規模校の成績水準についてのさまぎま. 子どもは,学校で,家庵では学ぶことができない. な見解がある。バール研究を引用したプラウデン委 貝会,シアーとトムキンスによるアメリカでの研究.. ことをいろいろ学ぷ。それは.学校での仲間集団の ー207−.

(11) 横山 正恵・門脇 正悼. 存在によるところが大きい。また.学校は何をする. 立に非常によい影響を及ぼしていると言える。また.. ところかと言えば,大きく2つあると考える。それ. 著者は.年下の子どもも「意義深い他人」になると. は,教科の勉強とアイデンティティーの確立である。. 言っているが,私もその通りだと考える。一般に.. そこで.これらを仲間集団に関連づけて考えていく。. 年上の子どもは,年下の子どもに援助の手をさしの. 私は,今まで.教科の勉強に関しては.単一の年. べなければならないが,ただ手をさしのべるのでは. 齢集団の方がよいと考えていた。複式学級では.1. なく,どの程度さしのべるとよいか,また,どうす. 時間の授業で複数の学年を指導しなければならない. ればわかりやすく伝えることができるかなど,いろ. ので,単式学級に比べると指導時間が短くなる。だ. いろ考えながら行動することで,年上の子どもも学. から,学力面では単式学級の方が上であると考えて. んでいるのである。このように考えると,へき地小. いた。でも.さまぎまな報告を通して.必ずしもそ. 規模校の仲間集団は同一年齢集団の規模は小さい. うではないことがわかった。「イギリスの初等学校」. が,他の年齢とも親密な相互関係を持つということ. が示しているように.学力は学校の規模や型によっ. を考えると,必ずしも不利とは言えない。むしろ.. て説明されるものではないのである。教科の勉強は.. 利点である。. 一斉学習・小集団学習・個人学習をうまく組み合わ. 学校で学んだことは,社会に出てからも役立つべ. せることをはじめとして.教師の工夫しだいなので. きだと私は考える。だから,子どもはさまぎまな仲. あると考える。また,子どものやる気も大切である。. 間集団に属するべきであり.その中でさまぎまな役. このように.学力面に関して.へき地小規模校の仲. 割をするべきである。都会の学校でも.学親内での. 間集団は不利だということを断言できないというこ. 仲間集団に限らず,もっと他の年齢との仲間集団を. とがわかった。. 形成する工夫をするべきだと感じた。. 一方.学校は教科の勉強をするだけではない。ア イデンティティーの確立にもかなり影響を及ぼして. 第2軒 数師の孤立. いる。そして.メッドが言っているように,アイデ. 教師の孤立が,なぜ不利な点としてみなされるか. ンティティーの確立には「意義深い他人」の存在が. ということには,大きく分けて2つの理由がある。. 重要である。生きて行くためには,さまぎまな人と. (1†子どもが,本来そうあるべきよりも低い教育を. の関わりが不可欠なものだからである。人は、家庭・. 受けているかもしれない。. 学校・社会というように.少しずつ世界を広げそれ. (2)同僚との職業上のやりとりをすることができな. に伴って人との関わりも広くなる。だから.学校で. い,または,するつもりがない教師は,刺激がな. も社会に出た時のことを考えて,できるだけ多くの. い中で,いつも気に入った方法で我博したり同じ. 人と関わるべきだと考えるので.同一年齢集団に限. 楽な方法で伝えている。. 定されがちな都会の大規模校の仲間集団には疑問を. これらの理由から,へき地小規模校の教師は.カリ. 感じる丁 確かに,一般に似た能力を持つ同一年齢の. キュラムや財源での新しい動きの自覚に欠けている. 学級集団の中で.助け合ったり協力したりすること. というのである。このように,「教師の孤立」は,. を学ぶことも重要であるが.社会生活をするために. へき地特有の現象として考えられているが.そうい. はそれだけでは不十分である〔)年下や年上との関係. う仮定には十分警告しなければならない′、というの. も大切である。このような同一年齢に限らず,年. は,へき地問題は,優勢な都会社会において考えら. 下・年上とも相互に影響し合う仲間集団が、フィン. れる傾向にあるからである。. チの研究にも見られるようにへき地小規模校にあ. 教師の孤立について考える時,3つのことについ. る。著者が言っているように,へき地の子どもたち. て考える必要がある。. の関係は学級ではなく学校全体である。いつも学校. まず,指導の性質は孤立に陥っているかである。. 全休で行動するわけではないので,1人の子どもが. 指導方法には確実性がなく,大学や政府などからの. 餞数の仲間集団に属していることがわかる。餞数の. 矛盾した助言があったりする中で,教師は自分を信. 仲間集団に属しているということは.結果としてさ. 頼しながら指導しなければならない。しかし,自己. まぎまな役割をして,さまぎまな意義深い他人と関. 不信に陥ってしまうこともある。このような教師の. わることになる。これは,アイデンティティーの確. 自己不信を解決するには,仲間の教室実厨実家の実行 ー208−.

(12) No.50. イギリスのへき地小規模校研究. について実行や考えを共有することである。. 教師の関係が職業上の対話を助長しないなら.教師. 次に.初等学校教育の組織や伝統はどのように教. は孤立することになる。その一方で,へき地小規模. 師の孤立への傾向に影響しているかである。初等学. 校の教師は内部的には孤立していないが,学校を越. 校の校舎には.オープンプランのものと一般的な設. えた職業上の接触によってもたらされる刺激という. 計のものがあり,一般的な設計の校舎での配置にお. 点では孤立していることもある。. ける教師に対する結果は,孤立をもたらすかもしれ ないので重要なことである。このことに関して,ウ. 考 察. ェブ・ロス・サヴイルの見解.サイグスワースの研. 教師の孤立について見てきたが,確かに初めのう. 究がある。このうち、サヴイルの見解とサイダスワ. ちは教師の孤立がへき地小規模校の不利な点として. ースの研究はへき地小規模校に関するものである。. みなされる2つの理由を納得していた。この2つは. そして,サイグスワ岬スの研究に使われた3校に関. どちらもへき地小規模校は,教師の人数が少ないこ. する限り,教師の孤立は感じられない。状況が職業. とに関係している。ある程度の人数を持つ都会の大. 上の孤立を妨げている。この3校では.お互いの仕. 規模校であれば,教師が持っている専門的知識も千. 事の実行についての知識を共有していると思われる. 差万別である。だから,必要に応じて,特定の教科. が,この3校をすべてのへき地小規模校に当てはめ. の専門的知識を持つ教師を配置することが可能であ. ることはできない。また,学校には,校長が存在し,. る。しかし.へき地小規模校では,教師の人数が少. その存在や役割は都会の大規梢校とへき地小規模校. ないため限りがある。教師はそれぞれがさまぎまな. では異なっている。校長についての政府の見解はさ. 分野の専門的知識を持っていればよいが,そういう. まぎまである。中でもへき地小規模校の校長に限っ. 教師はなかなかいないものである。したがって.へ. ていえば,2つの役割があるとしている。. き地′ト規模校の子どもは,都会の大規模校の子ども. ・伝統や法律によって.力や権威が授けられている。. に比べて専門的知識にふれる機会が少なくなる。ま. ・実行する教師なので,同僚と職業上平等である。. た,都会の大規模校であれば,同僚の人数がある程. このように,都会の大規模校の校長とは適った役割. 度いるので.それぞれの同僚からいろいろ学ぶこと. もあるので,小規模校で教師の孤立の存在または不. ができるはずだと考えていた。そして,それを自分. 在に関して東大なことは,校長がどの役割を強調し. の教書で生かしていけるはずである。しかし.へき. ているかということである。もし,本来の校長とし. 地小規模校では.同僚の人数が少ないので学ぶ横会. ての役割(私の学校)を強調するなら,他の教師は教. も少なくなってしまう。こうしたことから.教師の. 書の自治に対する伝統的な権利を強調することを選. 孤立は.へき地小規模校の不利な点とみなしていた. ぶということが十分ありうる。もし、教室実践家とし. が.著者も言っているように必ずしもそうではない. ての役割(私の教室)を強調するなら.彼や彼の職員. ことがわかった。そこで.著者のように3つのこと. は学校の利益のため教書実践家として小規模ではあ. に関連づけて考えていく。. るが強大な協力した職業上のグループを構成する。. まず.指導の性質の部分で,私は教師という職業. 最後に.教師がもたらす形式ばらない職貝の文化. の大変さを実感した。「どんなに研究や教室での実. はどれほど教師の孤立に影響しているかであるr・マ. 験に哉目をかけても,指導方法の確実性がない」と. ックフィーソンは,1972年,「干渉しないイデオロ. いうのである。教師は.いつも.どうすればわかり. ギー」と名付けたものについて見解を述べている。. やすく指導できるかなど,さまぎまに考えているは. それによると,干渉しないイデオロギーーは∴平和を. ずである。一生懸命やっているのに,外部からの矛. 保つ機能を満たしているかもしれない仙一方で.難し. 盾した助言がある。こうしたことから.「教師を取. い間顆において教師の協力を阻むため.教師の孤立. り囲む世界は孤独な世界である」と言われるのもわ. に貢献しているというのである。そして,この干渉. かる。だから,教師はよほどしっかりしていなけれ. しないイデオロギーは.へき地よりも都会の方が多. ば勤まらない。そして,同僚と協力することができ. いようである。. れば,お互いに心強いだろう。これは.へき地小規 模校だけではなく.都会の大規模校にもあることで. 以上のように.教師の孤立という現象は,さまぎ まな要因に影響を受けている。都会の大規模校での. ある. −209鵬. 1996.3.

(13) 横山 正恵・門脇 正俊. 次に.組織や伝統に関して.サイグスワースの研. 師は子どもの実態をかなり詳しく知っている。だか. 究が実に興味深い。へき地小規模校の建築構造から. ら,子どもに何が必要なのかわかり.ふさわしい教. 教師の孤立が妨げられているというのであるが.本. 育をすることができるはずである。こう考えると,. 来,他の教室の声が聞こえるような建築は不適切な. へき地の子どもたちは.必ずしも低い教育を受けて. もののはずである。ところが,声が聞こえることで,. いるわけではないと言える。. お互いにしていることがわかり,教師の孤立を防ぐ ことに貢献しているというのである。結果として, 第4章 将来の展望. 利点ということになる。また.校長の役割も教師の 孤立に貢献しているという。そもそも著者によれば.. 第l節 へき地小規模校の教師を支えること へき地小規模校の不利な点のlつに「教師の孤立」. 校長には「私の学校」,学級担任には「私の教室」 という考えがあり,この考えが対立する時,学級担. が挙げられていたが,学校内のことを考えると,必. 任は孤立を選ぶのである。どんな教師も,教師であ. ずしもへき地小規模校に限ったことではないことが. る以上「子どもにとって,どのように教育するのが. わかった。むしろ,都会の大規模校の方が孤立して. 一番よいか」を考えているはずである。そして「こ. いるということもわかった。しかし.学校外のこと. れがよい」と考えたことを実践しているのである。. を考えると,へき地小規模校の教師は孤立する傾向. 教師が考えたことは.「子どものために」という強. にある。そこで.本節では,へき地小規模校の教師. い信念があるはずだから.考えを簡単に曲げること. の孤立を克服するための現職教育に焦点を当てて考. はできない。だから,校長の考えと対立してしまう. えていく。. と.孤立するという結果になるのである。しかし,. 中央政府は、児童数60人以下の小規模校に対し. へき地の校長には,教室実践家としての役割もある. てしっかりと政府の面目を置く一方で,1985−86. ので学級担任と同じ立場でもある。校長が教室実辟発. 年に教育的支援を授与した制度によって「へき地の. 家の役割を強調する時,学級担任は.都会の場合よ. 初等学校に供給されるカリキュラムの質や範囲を改. りも孤立することが少なくなるというのである。さ. 善する」ためという目的を計画した12ほどの地方. らに、職員間に形式ばらない文化の存在がある。驚. 教育当局に資金助成をした。はじめに.中央の政策. いたことに.都会の学校の職員室では.職業上の議. は.へき地小規模校の教師が.都会と本質的に追う. 論はあまり存在しないという。これは,「干渉しな. 支援や発達の体系を必要としていることを明確に認. いイデオロギー」のためである。そして,孤立へと. めた。. 1985年,クロスマンは,20人のへき地の教師が. つながるのである。これでは,せっかくある程度の 人数の同僚がいても何もならない。確かに.あまり. 自分たちにとって役にたつ仕事や地方の現職教育を. 頼りすぎるのもよくないことはいうまでもない。で. 持つという認識を研究した。その教師たちが働いた. も,もっと「子どもにとって,よい教育をする」た. 6校は.主な現職教育の基礎である教師センターか. めには.お互いの実践を見せたり聞いたりする必要. ら20∼35マイル離れたところにあった。そして,. がある。そして、悩んでいることがあれば相談するべ. 教師たちはそれぞれ講座に出席した。しかし.距離. きである。自分の黄に閉じ込もるべきではない。こ. や時間のため失敗した。こうした状況から.へき地. れに対して.へき地には教師間だけではなく地域住. 小規模校の教師たちは.中央を基礎にした現職教育. 民との間にも教育についての対話が生じている。そ. の計画の正式な供給ではなく,むしろ,自分たちが. れも,形式ばらない日常的なものなのである。これ. 行動を要求した優先するものとして定義したものに. は.非常によいことであるが,人数が少ないことを. 関して取り組んでいった二)それが.リッチャム連. 考えると引き出される見解も限られてしまい必ずし. 盟・コーンワル協力指導事業・ノーサンプトンシヤ. もよいというだけではない。. ー小規模校計画・ノソティンハムシャー小規模校計. この節の初めに,子どもが低い教育を受けている. 画である。. かもしれないということが挙げた。確かに.専門的. このうちコーンワル協力指導事業の最初の試み. 知識を受ける機会は少ないが,教師と子どもやその. は.1980年の嘗に行われた。研究の形式は.1週. 耗をはじめとした地域住民との関係を考えると,教. 間のうちの午後2回.3つの方法の交換において. −210−.

(14) No.50. イギリスのへき地小規模校研究. 3人の校長をかかりあいにした。3つの方法とは,. ということには遠いがある。「学校を基礎にした」. 計画に対する貴任をとる・指導を実行する・彼らが. 発展は,教師の個人の専門的必需品を見落としてい. 選んだ専門化において子どもの仕事に採点するとい. る。一方.「学校を焦点にした」発展は,学校自体. うものである。これらから.3人は多くのことを学. が供給できるよりも,はるかに広い専門的な財源を. んだ。しかし∴距離や時間のため変化が生じた。毎. 引き出すことをほのめかしている。. 週午前中2回9:00−10:30の予定に変化した。それ らの午前中.校長は家から直接自分のまたは他の学. コーンワルLEAの独創力に関して.デゲイチョ イス集団があるが.この活動についてのLEAの見. 校へ向かい、自分たちの専門を教え、引き続いての活. 解がある。それによると.LEAは,支援を捷供す. 動を残して午前の休み時間の間に自分の学校に戻っ. る一方で,教師が改善についての基準を決めること. た。このように.校長同志は職業上有益な会合を削. で先行する活動ができるように地方の専門的判断力. っていたが.数学のカリキュラムを発展するために. に対して.かなり自由な尺度を与える骨組みを作っ. 2校の職員の合同会合を開くという試みは成功しな. ているのである。. かった。しかし、協力する人貝や形式の変化にもか. かわらず,事業はコーンワルLEAから学校理事会. 考 察. の承認や支援の方法を得ることを続けている。こう. まず,現職教育が何のために必要なのかと言えば,. したコーンワル協力指議事業をはじめとした活動に. 教師の孤立を防ぐためであるが.もっと言えば,い. 特徴的なことは,現職教育を「受ける」から現職教. ろいろな人と接することで多くのことを学び自分を. 育を「作る」という発展であった。. 発展させるということである。このことが,結果と. また.1983年の学校理事会の報告(ウェールズ). して子どもたちにもよい影響を及ぼすのである。だ. である「協調する学校」に見られる学校間の協力に. から,現職教育は非常に重要なものであることがわ. ついての説明がある。それが報告した研究は,地方. かる。しかし,すべてが重要であるとは限らないこ. の学校の独創力を支撰することをねらいとした理事. とがわかった。それは.都会を基礎としたものであ. 会の計画に任せた中で実行された。クルーイド・グ. れば,へき地の教師にとってはあまり役にたたない. ウェント・ダウイネズ・ボーイスという4つの州の. ということである。それぞれの地域に.そしてまた. 小規模校の集団が参加した。計画は,1980年に資. それぞれの教師に特有のことがあるのである。そこ. 金助成され,1983年3月に会議で結論が下された。. で,クロスマンの研究に見られた失敗からもわかる. だから.計画・実行・評価の時間は,必然的に短い. ように,現職教育を受けるのではなく現職教育を創. ものであった。また.それぞれ特有の展望を現し,. るという考えが生まれた。このように考えることが. 非常に異なっていた。そのうちポ㌦イスでは.8校. できる教師は,自分という存在をよく理解している. の小規模校が参加することを勧められ.地方の計画. 人である。自分には何が不足しているのか,または. が8人の校長・計画指導者(LEA顧問)・主な同. どうすればもっと自分を高めていくことができるか. 等者(学校教育の副顧問)そして学校理事との会合 によって着手された。活動のいくつかが,すべての. など,今の自分の姿を知っている人である。そして, 意欲のある人である。. 学校を引き入れた。その一方で,他の活動は教師の. このように現職教育を創るといっても,さまぎま. 小集団をもたらした。だから.例えば「私たちの学. な形態があることを学んだ。リッチャム連盟・コー. 校」という計画は,すべての学校によってはじめに. ンワル協力指導事業・ノーサンプトンシャー小規模. 着手された。教師の副集団が専門分野で働いた。休. 校計画・ノッチインハムシヤー小規模校計画は,学. 育の顧問や科学の顧問は,小学生や教師に対して連. 校を主体にしている。このため.特にコーンワル協. 続した講習会や研修会を供給することができた。. 力指導事業の数学のカリキュラムを発展するための. この報告には.できるかぎり階椒組織の影響を減. 職員の会合は成功しなかったのだろう。それぞれの. らし「学校を焦点にした」発展を成就するため学校. 教師にとって.あまり重要でなかったのである。こ. を通して職業上の協力の横の形式を目指して.学校. れが学校を基礎にしたものである。これに対して.. 間の仕事の体制を作ろうとする努力ということであ. 学校に焦点を当てたものがある。学校を基礎にした. る。「学校を焦点にした」と「学校を基礎にした」. ものと学校に焦点を当てたものの遠いがあまりよく 一211−. l粥略.3.

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