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ドラッカーの責任労働者論 (陵水六十年記念論文集)

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ドラッカー一の責任労働者論

進 藤 勝 美 1 序  経営学課程が設置されているわが国の多くの大学のカリキュラムには,「経 営学総論」に対する各論の1つとして,「経営労務論」なる科目が設けられて いる。いうまでもなく,「労務」は「財務」と並んで企業経営の問題領域を二 分する基本的な概念と目されてきた。「労務」は「人」と「仕事」を含む概念 であり,したがって「経営労務」は,企業経営において,なんらかの「仕事」 を担っている人間要素を意味している。そして「経営労務管理」は,「経営労 務」を対象とする管理活動に他ならない。  「経営労務論」ないし「経営労務管理論」は,経営の人間要素,つまり経営 の下問問題を研究主題としている。しかし,経営の人間要素,人間問題を主題 とする経営学研究は,「経営労務論」に限るものではない。r経営組織論」と 「経営管理論」も明らかに経営の人間問題に深くかかわっている。然らば,こ れら二者は「経営労務論」とどのように異なる研究領域なのだろうか。いな, 「経営労務論」そのものが載然とした研究領域を有するに至っていないのでは ないだろうかQ  わたくしは以前から,労務論にしろ労務管理論にしろ,中核となる「労務」       の概念が狭すぎるのではないかと考えてきた。本来「労務」は「人」と「仕事」 を含む概念である。ところが,「労務」における「人」の範囲も「仕事」の種 類も,必ずしも明確とはいえない。たしかに,企業経営においては,それを構 1) この点については,進藤著「現代経営労務論」  照されたい。 (昭和57年,森山書店)第1章を参

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 40 彦根論叢 魚水60年記念論文集(222・223号) 成しているすべての成員が,なんらかの仕事ないし任務を担っている。しか し,だからといって,社長以下すべての成員と,かれらの担当するすべての仕 事が「労務」の概念に含まれ,「労務管理」の守備範囲にはいるとはいえない だろう。そこで,どこにその線を引くかが,問題となる。  ところが,最近の「労務論研究」ないし「労務管理研究」は,もっときびし い,より追い詰められた状況におかれているように感ずる。というのは,「経 営管理論」や「経営組織論」が取り上げているテーマが,「り一ダーシヅプ論」 や「動機づけ論」などにみるように,より経営の人間問題の核心を衝いてい           るように解される。まことに,「労務論」は「人」と「仕事」がいかに結びつ いているかの解明を狙いとしている。そして労務を対象とする管理論は,より 適切な両者の結びつきを実現し保持してゆくための人間的原理いかんを問題に しているのであり,「リーダーシップ論」や「動機づけ論」は避けて通ること ができないテーマではないか,と考えるからである。なにゆえに,従来の「労 務論」,「労務管理論」では,これらの問題が軽視されてきたのであろうか。  このことと関連して想起されるのは,ドラッカーが<The Practice of Man− agement(1955)〉の21章で掲げているショッキングな表題,「労務管理は破産 したのか(ls Personnel Manageエnent Bankrupt?)」である。いうまでもなく, 同書が出版されて,すでに30年近い年月が経過している。はたして,現在の 「労務論」ないし「労務管理論」が,未だに破産に近い状態に陥っているのだ       ヨ ろうか。この小論は,ドラッカーの「労務論」,とくにその人間観,労働観を 明らかにし,以て「現代経営労務論」のかかえている問題点とその体系をいか に再構築するか,その方向を探るのが狙いである。 2) たとえば,昭和29年発行の山本安次郎教授の「経営管理論」と占部都美教授の「.経  営管理論」(昭和44年)では内容的に大きく異なっているのが注目される。 3) ここでドラッカーの「労務論」と称しているのは,主として,<The Practice of  Management>の第4部「働く人と仕事の管理(The Management of Worker and  Work)」とくManagement:Tasks・Responsibilities・Practices(1973)〉の’‘Productive  Work and Achieving Worker”で展開している所論などである。

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ドラッカーの責任労働者論  41 2 2つの先駆的業績とその功罪  「手のみを雇うことはできない,手の持ち主がつねについてくる(one can一         not‘hire a hand’;its owner always co皿es with it)。」 これはドラッカー が,<The Pract三ce>のなかの「全体人の雇用(employing the whole man)」 なる表題の章の冒頭に掲げている言葉である。手はいうまでもなく人間労働に 欠くべからざるものである。しかし,手だけを切り離して,専ら単純かつ定型 的な繰り返し作業をやらせるのは,決して人間労働の本質に叶ったものでな い。1一l問は他の資源のもっていない一組の能力(one set of qualities)をも っている。調整し,統合し,判断し,想像する能力(the ability to coordinete, to lntegrate, to ludge and to imaglne)カ∼それである」とドラッカーは主張す る。この能力は全体人としての人間労働の本質に根ざすものであり,「手」だ けからはでてくるものでないというのである。「手だけを雇う」という考え方 は,いわば人間を機械や道具と同一視するものに他ならない。以下,こうした 考え方の先駆と目されている科学的管理について,ドラヅカーの見解をみてみ よう。  科学的管理法爾露点  テイラーの「科学的管理法」は, 「ノ\問を機械と同 一視している」として労働側にぎびしく批判されたことはよく知られている。 ドラッカーも,テイラーの「人間の仕事に関する洞察(iusigint)」を高く評価 しながら,なおそこに重大な2つの盲点が在することを指摘している。その1 つは技術的なもので, 「仕事はもっとも単純な要素勤作に分析しなければなら ない。それゆえ,個々の動作も一続きのものとして組織する(organize it as aseries of indiVidual motions)必要があり,そうしてこそ個々の労働者によ       うって有効に遂行されるのである。」 これが科学的管理法の考え方である。これ に対してドラヅカーは,「これは分析原理と行動原理を混同しており,……仕       ヨラ 事は分析された如くに執行されるのが最善である」と即断している。明らか 1)Drucker, The Practice of Management(以下Practiceと略称), p.231. 2) 3) lbid,p 24Lj.

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 42 彦根論叢 二水60年記念論文集(222・223号) に,人間の仕事に対する静態的かつ機械論なアプローチであり,首肯できない というのが,ドラッカーの見解である。        の  第2の盲点は,「計画すること(planning)と実行すること(doing)の分離」 の誤れる適用である。計画と実行が企業経営における異質の職能であることは 明らかであり,これらを区別することは正しいが,だからといってこれらをす べて別の人に担当させるべきだとするのは誤りであり,およそ人間の仕事は, 「それがどのようなものであれ,計画と実行の2つの要素を含んでいなけれ ば,有効に遂行できるものでない」,これがドラッカーの見解である。ところ       う  がテイラーは,「管理者と労働者の間で仕事と責任を均等に区分すること」こ そ管理者の重要な任務の1つだと主張している。つまり「計画」と「実行」の 担当者区分であり,工場内に「計画室」を設置するという構想はその具体策で あった。  まことに,機械化の進展は,計画の仕事と実行の仕事の明確な区分をもたら し,後者すなわち「手」を使う生産現場の仕事は,フォード・システムにみる ような,「一動作一職務(one motion one job)」tlこまで細分化されるように なった。それは,「人間の仕事」に機械原理を適用した結果であり,工業化の 発達に伴う人間疎外(alienation)の最大の要因となっている。最近注目を集 めている,職務拡大(job eniargement, JEL),職務充実(job enrichment, J ER)の方策は,これを克服するために案出されたものであり,とくに後者の場 合は,組立ラインで働く人びとの職務を再編し,計画と実行の両面を含んだも のとすることを目指している。  テイラーの労働観はまさしくエンジニィアの考え方である。コモンズはこれ を「労働の機械理論(machinery theory of labor)」と称している。つまり, 「労働者は,その価値がそれぞれの生産物の量(quantity of its product)によ        う って決められる一種の機械である」との労働観である。たしかに,人間によっ 4) lbid., p 250. 5) Frederick W. Taylor, Principle of Scientific Management, 1911, p. 37. 6) Jhon C. Commons,, lndustrial Goodwill, 1919, p. !4.

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      ドラッカーめ責任労働老論  43 てなされる仕事を,機械のやる仕事と同じ方法で分析し,標準化することが可 能であるという発見は,仕事の管理においてきわめて重要な意義を有してい る。しかし,ある仕事が科学的に分析され,標準化されたとしても,それを担 当する者の活動が,機械の運動と同じく標準化さるべきだとはいえない。けだ し,人間の仕事と機械の仕事では,適用さるべき指導原理が異なるからであ る。そしてドラヅカーぱ,機械の仕事に対する機械化原理(principle of mec− hanization)と,人間の仕事に対する統合原理(principle of integration)を明       7) 確に区別すべきことを主張しているのである。なお,統合の考え方については 後に触れることにする。  ドラッカーの人間関係論批判  ハーバード学派の人間関係論(初期人間関 係論)は,テイラーの労働観とは対蹟:的な,没論理的な(nonlogical)人魚感 情を経営組織における人問行動の決定因(determinant)とみる人間観ないし労 働観を提示した。ドラッカーも,「人間関係論は“人間は本来働くことを望ん でいる”という正しい基礎概念をもってスタートしている,……それは“手だ        8) けを雇うことはできない”という語に要約される深遠な洞察に根ざしている」 と述べて,その功績を高く評価している。しかし,「人間関係論は経営者を誤 れる考え方の支配から解放したが,それに代わる新しい概念を打ち出すことに         の は成功しなかった」と称し,その限界を指摘している。そしてその理由として 以下の3点を挙げている。   [ユっの理由は自発的動機づけ(spontaneous motivat!on)を信じたことである。“恐  怖心を取り去れ,そうすれば人びとは自ずから働くようになるだろう”というのが人間  関係論者の主張である。これは,経営者たちが,人びとを動機づけるには恐怖心をもた  せるより他ないと考えていた時代には,大き’な意味をもっていた。それだけでない。も  つと重要なのは,人間ぽ本来働くことを望んでいないという誤った仮定を打破するのに  役立ったことである。しかし,誤った動機づけをなくするだけでは十分でない。しかる  に査問関係論は,積極的動機づけ:(positive motivations)については,殆んど触れてい 7) Practice, op. cit., p 20”8ff. tS) g) lbid., p, 245,

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 44 彦根論叢 陵水60年記念論文集(222・223号)   10)  ない」のである。   「第2に,人間関係論は仕事に適切に焦点を合わせていないことである。積極的な動  機づけは仕事と職務に焦点をおかねばならない。しかるに,人間関係論は人と人との関        11)  係やインフォーアル・グループを専ら強調している。」   「第3に,人間関係論は問題の経済次元に関する理解(awareness of the economic  dimension)を欠いていることである。・・…それは環境に適応できない人びとを現実  (reality)に適応させようと試みているため.全体として強い操縦的傾向(manipulative  tendency)を有している。……それは経営者の行動を正当化するための単なる用具に堕       ユ    する恐れがある。」以上である。  ホーソン・リサーチ(Hawthome Research)を中心とするバー一 ■〈 一ド学派 の調査研究は,企業における人間間題の研究に一時;期を画した,すぐれた業績 であったといってよい。その成果の1つは,経営組織における人聞行動の最大 の決定因はその人の感情ないし態度(sentiment or attitude)であるという発 見である。“組織における人間行動の多くは,論理的(iogical)でも反論理的 (illogical)でもなく,没論理的(nonlogical)である。,“社会システムとして の経営組織を構成している部分ないし変数で,もっとも重要なのはインフォー マル組織であり,その行動を規定しているのは感情の論理(logic of sentiments) である,,,これが人間関係論の基本命題である。  経営の人間問題に関するこのような理解は,テイラーの「機械モデル」に対 し,いわば「感情モデル」とも称することができよう。ところが,ドラヅカー はさらに一歩進めて,人間労働の特質を踏まえた「全体人モデル」とも称すべ きものを提示しているのである。上記のように,ドラッカーの初期人間関係論 に対する批判の第1点は,動機づけにおける消極的な姿勢である。後にみるよ うに,ドラッカーは「働く人に達成感を与えるには(to enable the worker to achieve),なによりも先ず,自分の職務に対し責任を負うことができるように        13) しなければならぬ」という,いわゆる「責任労働者論(the responsible worker)」 10) !bid,, p. 245. 11) 12) lbid., p, 246. 13) Drucker, Management:Task, Responsibiiities, Practice(以下Managementと略  材こ),1973,p.267.

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       ドラッカーの責任労働者論  45 を提唱している。すなわち,「責任を負わせること」によって,より積極的な 動機づけの方途を見出だすことができるとみている。そして,第2の「仕事に 焦点を合わせていない」という批判は,「職務に対する責任」を重視する見地 から,当然予想されるところである。  第3の,人間関係論は「経済次元の理解を欠いている」という批判は,どの ような文脈において捉えらるべきか。ドラッカーは《rhe Practice>の冒頭で, 「企業経営の本質は経済的成果にある(the essence of business enterprise is          ユの economic performance)」と述べている。それゆえ,「経営者はあらゆる決定,        エう  あらゆる行動において,経済的成果を第1としなければならない。」経営労務 管理すなわちドラッカーのいう「働く人と仕事の管理」も,もとよりその例外 ではなく,したがって経営における人間労働も,この観点から捉えられねぽな らない。そしてハーバード学派の人間関係論は,経済的成果の問題を安易に且 楽観的にみすぎているというのが,ドラヅカーの批判である。「幸福な労働者 は能率のよい,生産的な労働者である」と人的関係論者はいうが,それは半面 の真理にすぎない。「企業経営は幸福を創造するのが任務ではなく,商品を生 産し,それを売るのが任務であり,」それは決して容易なことではないのであ る。然らば,ドラッカーの主張する全体人としての人間労働をいかに動機づけ て,経済的成果の達成に貢献させるかが問題である。わたくしは,上記の「責 任労働者論」が,ドラッカーのこの問いに対する解答となるのではなかろうか と考える。そしてこのテーマは4章で取り上げることにする。残された問題 は,「人びとは働くことを望んでいる」という基礎概念を「全体人モデル」に おいてどのように理解し位置づけているかである。 3 マグレガー人間観の批判  X理論とY理論  企業の人間問題を扱った最近の図書で,マグレガーの 〈The Human Side of Enterprise(1960)〉ほど広く読まれたものは稀だろう。 人事・労務関係の著書・論文にも広く引用されている。そして同書の中心をな 14) 15) Practice, op. cit,, p. 5.

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 46 彦根論叢 陵水60年記念論交集(222・223号) しているのは,よく知られている「X理論」と「Y理論」である。  X理論とY理論のもっとも特徴的な違いは,「普通の人はもともと仕事を嫌       っている(an inherent dislike of work)」とみるか,そうではなくて,「仕事        2) は満足を与えてくれる源となるので進んでやろうとするものだ(will be volu− ntarily performed)」とみるかである。そのもととなっている人間観は, X理 論では,「普通の人は命令される方を選び,責任を負うのを避けようとし,       き  大して野心をもたず,なによりも安全を望むものだ」であり,したがって,か れらを仕事に駆り立てるには,外からの強制や統制・処罰などが不可避とな る。これに対してY理論では,「人は自己指揮(self−direction),自己統制(self− control)を行使できるだけでなく,……想像力や創意工夫をこらして問題解決         に取り組んでゆく力を備えているものだ」とみている。したがって,そのよう な能力や意欲を大いに発揮できるような環境を創出してやるのが,経営者の任 務ということになる。  「X理論から導き『出された組織の中心原則は,権限の行使による指揮・統制 であり,いわゆる葉状原則(the scalar principle)である。他方, Y理論から 導き出されたのは統合原則(the principle ef integration)である。すなわち, それは組織の成員が企業の成功のために努力することによって,成員自身の目        の 標を最:高度に達成できるような条件を創出してやることである。」マグレガー によれば,「統合と自己統制の考え方は,組織が企業目標と,成員の欲求と目 標とを,意味のあるやり方で調整すれば,組織の経済目的がより効果的に達成       の できるということを含意している」という。まことに,マグレガーにおいて は,「統合」は「仕事と人」ないし「労務」の管理における,Y理論実践の指 導原理として位置づけられている。  ドラッカーの見解  以上がマグレガーのX理論,Y理論の概観である。と 1) D McGregor, The Human Side of Enterprif e, 1960, p, 33 2) lbid., p, 47 3) lbid., p. 34. 4) lbid., pp. 47一一48. s) 6) lbid,, p. Jr l.

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       ドラッカーの責任労働者論  47 ころで,ドラヅカーはこれをどのように理解し,いかに評価しているだろう か。  (!)Y理論は多くの支持者が信じている程寛大な(permissive)ものでない。 「労働者に責任をもたせ,達成を指向させることによって労働者と労働(wor− king)を管理するのは,労働老と管理者の双方に甚だしく過大な要求を課する      り ことになる。」それゆえ,マスロー(Abraham H. Maslow)のいうように,「弱       おう 者は責任という重荷から保護される必要がある。」結局,rX理論もY理論も, マグレガーが主張するような,人間の本性についての理論rtheQries about        の human nature)ではない。」「職務構造や仕事のかんによって,人びとがどの       エの ように行動し,どのような管理を要求するかがきまる」,これがドラヅカーの 見解であり,情況的アプローチ(situational approach)に近い。  (2>第2点はX理論,Y理論を管理者の側からみたらどうかということであ る。今日では,伝統的なX理論的アブP一チ,すなわち「飴と答」の管理方法 (the earrot−and−stick methGd)では,もはや効果がない。「答」は具体的には 「飢と恐怖(hunger and fear)」が用具であった。しかし,現在先諸国では, 飢も恐怖も有効な動機づけの用具たり得なくなりつつあることは疑いない。然 らば「飴」はどうか。ドラッカーによれば,「飴」はまだその効き目を失って いない,いな「効き目が大きくなり過ぎて,管理用具として信頼できなくなつ       11)ている(it has bec◎me too potent to be a dependable tool)」,「人びとは物 質的報酬に背を向けつつある(turning away from materiahewards)という       エヨ  ような主張にはなんの証拠もない」という。それでは,なにゆえに物質的報酬 が有効性を失いつつあるのか。  ドラッカーの見解はこうである。物質的報酬の有効性は疑いないところであ  7)  躍anagernent, op. dt,p.232.  8)  Ibid,p,233.  9)10)Ibid・, P・234・情況的アプローチについては,フォレット(Mary P. Follet)の   Dynamic A.dmin呈stration(1940)ChaPt.2を参照のこと。 11)  Ibid、p.237. 12) !3) /4)  Ibid,p.238.

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 48 彦根論叢 陵水60年記念論文集(222・223号)       ユきう り,「反物質主義(antimaterialism)などは神話にすぎない。」だが,物質的 報酬への期待水準(level of material expectations)が高まるにつれて,経営 者側がコスト面からいって,到底それに応ずることができなくなったとみるの である。けだし,「人びとを仕事へと動機づけることのできる物質的報酬の増        エ ラ 分(increment)は,益々大きくせざるを得なくなった」からである。それで は,このようにして有効性を失いつつある「飴と筈」に代わり得る管理用具は 他にないのか。これに答えたのが,ドラッカーによれば,次に述べる「心理的 専制主義(psychological despotism)」であったという。  (3) 「心理的専制主義」とはなにか。それはY理論に名を借りて心理操作に よるコントロール(control through psychological manipulation)を目指すも のであり,最近の産業心理学(industrial psychology)の文献に多くみられると ドラッカーはいう。しかし,それは決してY理論の人聞観の実践ではなく,逆 にX理論の人間観を基調としている。r人間は弱く,病んでおり,自分の面倒 さえみられない。人間の心は恐怖と心配と心理的抑制(inhibitions)liこ満ちて いる。かれらはこうした心的情況からくる疎外感の恐1布から逃れ,心理的安定 (psychological security)を得たいとつねに考えている。だがかれらは,自分 でこうした情況に立ち向かって進路を切り開くよりも,他人に支配されること を望む(to want to be controlied)ケースが多く,上位者である管理者の心理        ユつ的支配が可能となる。」ただし,それは権限ないし命令による支配ではなく, 心理操作による支配である。かくして,「上位者はかれの部下の心理的召使 (psychological servant)となることによって,かれらのボスとしての支配力        ノ を保持することができる」という転倒した支配関係が生ずると解している。こ れは「啓蒙された(enlightened)アブP一チであり,命令に代えて説得(pers− uasion)が,……金銭的報酬に代えて心理操作が,……恐怖に代えて共感(em一         よつ pathy)が用いられる。」このように,心理的専制主義は一見専制主義らしから ざる色合いにみえるが,内実は専制主義に他ならない。けだし,その人間観は 15) !6) !7)  Ibid., p.243.

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       ドラッカーの責任労働者論  49 決してX理論の範疇をでるものでないと解するからである。  然らば, 「心理的専制主義」ははたして「飴と答」の管理に代わって,有効 に機能し得るであろうか。これに対するドラッカーの答えは,否定的である。 その理由はこうである。心理的専制主義者は,18世紀の啓蒙的専制君主(enli− ghtened despot)と同じように,大きな成果をあげることはできないだろう。 その理由は両者とも,「支配者の側が万能の天才(universal geniUS)たるこ        とを要求されるからである。」すなわち,心理学老のいう通りにしようとすれ ば,「管理者はあらゆる種類の人たちの心を見抜く力をもたねばならぬし,… …部下全員と同じ気持になれねばならない。……要するに管理者は全知全能        ゆ(omniscient)でなければならぬだろう。」しかし,それは到底期待できぬこと だというのである。  最後にもう1つ,心理的専制主義の前提している経営者的偏向(pro−mana− gement bias)が問題だと指摘している。すなわち,経営者,管理者は知識もあ り,経験も積んでいるので,かれらの考え方や行動は合理的ないし論理的であ るが,部下の労働者は知識経験も乏しく,怠惰で,無知で,弱い存在であると きめてかかっている点である。このことは,曽ってミラーとフォームがメイヨ       の一派批判できびしく指摘したところであり,マグレガーのY理論も未だこれを 克服していないと,ドラッカーはみているように推測される。  若干のコメント 以上,ドラッカーの「X理論・Y理論」の評価ないし批 判を3点に分けてみてきた。第1点は,Y理論は決して寛大なものでも,労働 者を喜ばせるためのものでもなく,責任の達成と自己規制(self−control)とい うぎびしい課題を割当てるもので,弱者にとってはむしろ苛酷に過ぎるとみる べきだという批判である。しかし,後に触れるように,ドラッカーは労働者自 身に責任をもたせることを強く主張している。それと,Y理論の責任の割当て とどのように異なるのだろうか。Y理論は「人と仕事」の管理において到底受 18) !9) lbid, p. 244 20) 詳しくは,DCM三11er and W H. Form, lndustria1 Sociology,1951, PP.64∼72  を参照のこと。

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 50 彦根論叢 陵水60年記念論文集(222・223号) け容れられぬ,現実離れの理想論であるとドラッカーはみているのだろうか。  第2点は,X理論が志向している「飴と答」の管理は,今日ではそのいずれ も,すなわち「答」による管理も「飴」による管理も,もはや実践性を喪失し ているという見解である。豊かなる社会生活を享受している先進諸国において は,飢と恐怖の答は,すでに現実のものでなくなってきつつあることは否定で きない。しかし,飴すなわち,物質的報酬が効きすぎて(overly potent),管 理用具として信頼できなくなったというのは,はたして当を得た評価といえる だろうか。もとよりわれわれは,物質的報酬も効用逓減の法則を免れることが できないことを知っている。しかし,同時にわれわれは,物質的報酬ないし金 銭報酬の有効性が,金銭の多寡のみによって規定されるものでなく,その金銭 が何を象徴している(synbolize)かによって大きく違ってくることを見逃して はならないと考える。マグレガーは,〈Professional Manager(1967)〉のなか で,誘因(incentives)としての賞罰を,外在的(extrinsic)賞罰と内在的 (intrinsic)賞罰の2種に区分している。前者は「環境の特性として存在し, 行動との関係が比較的直接的である。金銭はその代表的なものである。……こ れに対して,内在的賞罰は活動そのものに内在している(inherent in the the activity itself)。その報酬は目標の達成である。……それは外部から直接に統制 することはできないが,環境の特性を介して,個人が報酬を得る機会を促進し       う たり制限したりすることはできる。」 わたくしはこの内在的な誘因こそ,今後 重視されるべきだと考える。けだし,このような誘因は,人びとのより高次な 欲求の充足を目指すものだからである。たとえば,労使協力の成果分配プラン        として知られているスキャンロン・プラン(Scanion Plan)は,金銭報酬を伴 うものであるが,それは外在的な賞としてよりも,問題解決,目標達成への貢 献といった,より高次欲求の充足と結びついた,内在的な賞を象徴するものと しての性格を色濃くもっていると考える。ドラッカーの批判では,この点に気 21) D.McGregor, The Professional Manager,1967, p 7. 22) スキャンロン・プランについては,レジュア編,進藤訳「スキャンPン・プラン.」   (昭和36年 日本能率協会)を参照のこと。

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       ドラッカーの責任労働者論  51 付いていないように思われる。  第3は,「飴と筈」の管理に代わるものとして登場した「心理的専制主義」 の批判である。これは,ドラッカーによれば,Y理論に賛同している最近の多 くの産業心理学者が述べているもので,その内容は心理的操作による支配であ り,Y理論というよりも「心理的専制主義」にすぎないものであるという。そ の最大の理由は,かれらの労働者観がX理論のそれと本質的に変わらないとい う点にある。なぜそのような混同が生じたのであろうか。1つぱ,マグレガー が動機づけ論の基礎としている「欲求階層論」についての考察が不十分だった からではないだろうか。マグレガーの欲求論は,マス・一の階層説に拠ってい る。以下の如くである。   マスμ一は入間の基礎的欲求として,①身体的欲求,②安全欲求,③帰属と愛清の欲  求.④自尊の欲求,④自己実現の欲求の5つをあげている。重要なのは,これらの基礎  的な欲求は,「相対的優位の階層(ahierarchy of relat・ve prepotency)へと組織化さ         れている」という認識である。すなわち,上記の欲求は重要度の順位に応じた階層体系  を形づくっており,低位階層の欲求が充足されるにつれて,より上位階層の欲求が,        おの  1行動の積極的な決定因ないし組織者となる」と解している。かくして,「充たされた  欲望は,もはや欲望ではなく,有機体は充たされざる欲求によってのみ支配され,かつ       25)  その行動が組織化される」ことになる。  以上の論述は,人間はより高次の欲求の充足を求めて,成長し発展する可能 性をもった存在であることを示唆している。マグレガーはY理論の説明のなか で,「人は自分がコミットした目標のためには,自己指揮(self−direct{on),        自己統制(self−controDを行うものである」,「自我欲求や自己実現の欲求の満 足といった最大の報酬が組織目標に向かって努力したことの直接の産物といえ 27) る」と述べており,決して心理的専制主義ではない。ドラッカーはマスローの 著謬に触れながら,かれの提示した上記の欲求階層論には全く言及していない のばなぜだろうか。そもそもY理論の人間観は,ドラッカーの「責任労働者論」 の労働者観とどのように異なるのだろうか。 23)24)25)A.H. Maslow, Motivat{on and Personality,1954, PP 83∼84 26)27) McGregor, The Human Side of Enterprise, PP.47∼48.

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52 彦根論叢 竜骨60年記念論文集(222・223号)       4 ドラッカーの責任労動者論  最大成果への動機づけ  動機づけとはなにか。通常の定義では,「個体を ある活動または目標追求に向かわせる力を動因(drive)と呼び,このような状       ユ  態にさしむけることを動機づけという」のである。ところが,アメリカの産業 界では,従業員の満足(satisfaction)が即動機づけだとみなされているという。 しかし,満足は結果であり,動機づけそのものではない。たとえば,デービス はローラー一とポーター(Edward E. Lawler皿and Lyman W. Porter)に 依拠しつつ,行動成果(performance)が職務満足(job satisfaction)をもたら        すプロセスを,以下のように図示している。これは,職務満足が行動成果すな    行動成果一→報  酬一→報酬の公平さの識別一→満  足         内在的  (percept・on         (intrinsic)     of equity)

        外在的

        (extrlnsic) わち生産性の向上をもたらのすか,もしくは行動成果が職務満足をもたらすの か,の問題に対する解答に他ならない。ただし,生産性成果に対する報酬は, 内在的たると外在的たるを問わず,その公平さが本人によって識別されて初め て満足感が得られる。いわゆる公平理論(equity theory)である。  ドラッカーも「満足は動機づけ要因として不適当なものであり,それは受動 的な容認(passive acquiescence)である。……企業が労働者に要求しなければ       3) ならないのは,前向きに,かつ自己没入をもって仕事に当ることである」と述 べている。ただし,満足が動機づけ要因たり得たとしても,満足度を測る適切 な物差し(measure)が得られないという難点が残るという主張は,首肯し難 い。今日多くの意識調査において結果の数量化が種々工夫されているのは周知 の通りであり,ましてや,特定の職場内で日常接触して人びとの心的状態を管 !) 浜島。竹内。石川編「社会学小辞典」 (昭和52年 有望匠閣)p.288. 2) Keith Davis, Human Behavior at Work, /977, p・ 75. 3) The Practice, op. cit., p. 267.

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       ドラッカーの責任労働者論  53 理者,監督者が察知できないわけはないだろう。問題は各職場でのそれぞれの 評定をいかに全社的に調整するかであろう。上述のように,満足は結果であ り,それが直ちに動機づけに直結するという保証はない。しかし,その満足が 仕事の達成感に根ざすものであれば,それを次の活動意欲にいかに有効に結び つけるかは,リーダーの役目に他ならないと考える。この意味で,「満足と生       4) 産性は円環的関係(acircular relationshiD,)にある」というスーターマイスタ ーの見解も無視できない。  ところで,ドラッカーの提唱する動機づけ要因はなにか。「恐怖心」はすで に労働者の動機づけ要因たり得なくなっている。「われわれが必要としている のは,外から強いる恐怖の拍車(spur of fear)に代えて,内面から自発的に行 動へと動機づけること(an internal se!f−motivation for performance),これ        5)である。そしてそれに役立つのは,満足ではなくて,責任だけであるる」と。 ところで,責任とはなにか。一般的には「入が引き受けてなすべき任務」をい うのであるが,社会学では,「一定の地位を担う行為者が,制度化された役割       ラ 期待に即して行為を履行する義務」を称している。  上述のように,組織において,「責任を負わせ,達成を義務づけるjことは, 労働者にとってだけでなく,管理者にとっても大きな負担になる,Y理論はこ の点で配慮を欠いていると,ドラッカーは批判している。そもそも,人は責任 を引き受けることを望むものなのか否かについては,長年議論されてきた。伝 統論は否定的だが,人間関係論は肯定的である。これに対してドラヅカーは, 「このような議論は当面の問題ではない。労働者が責任を負うことを望んでい るか否かに関係なく,企業は労働者が責任を負うことを要求しなければな:らな い。企業は成果(performnornce)を求めている。……そのためには激励し, 4) Robert A. Sutefimeister, “E1iiployee Performance and Epnployee Need Satisfac−  tion: Which Comes First?” California Managethent Review, Summer 1971, pp. 43  −47. 5’) Tl e Practiee, op. cit., p. 267. 6)社会学小辞典,234頁。

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 54 彦根論叢 切水60年記念論文集(222・223号) 説得し,必要とあれば,押しつけとなっても,労働者に責任を負わせねばなら

 の

ない」とまでいっている。  ドラッカーの責任論は,職務満足とも結びつかず,したがって,行動の決定 因としての欲求階層の上位化とも,人間の未成熟から成熟への成長発展とも結 びつかない。そのため一見専ら企業側の必要によるものといった印象を受け る。ドラッカーの「責任労働者論」は,もともと責任ある労働者の育成という ことではなかったのか。  責任ある労働者の要件  ドラソカーによれば,「われわれが責任ある労働 者の目標に到達するために,とり得る方途は4つある。(1)配置を注意深く行な うこと(carefu1 placement),(2)高い業績基準(high standards of performance), (3)労働者に対し自己統制(control himself)に必要な情報(information)を提供 すること,(4)経営者的視野(managerial vision)をもたせるため参加(particip一       ヨラ ation)の機会を与えること」,これである。  (1)適正配置は古くから適材適所の名で知られており,人事の要諦とされて きたが,これは言うべくして容易に行なわれ難いことも,よく知られている。 その最大の要因は,人間は成長し発展する存在であるという事実である。当初 かなり努力しなければ任務が果たせなかったような従業員でも,何年か経験す れば,熟達して十分余裕をもって任務を遂行できるようになる。そのようなレ ベルに達すれば,その従業員にとっては,その職務ないし職場はもはや適所と はいえないだろう。かくして,新たなる能力の開発と遂行努力が要求されるよ うな,別の職務ないし職場に異動させることが望ましいということになる。ト ラッヵ一は<Management>の「責任労働者論」のなかで,「継続学習(cont一         inuous learning」を強調しているが,そのためには,以上のような配慮がきわ めて重要であると考える。そして,多くの日本の企業経営では,ドラッカーの 指摘する如く,まさしく継続学習が組織的に行われている。  7) The Practice, p.297.  8) Ibエd., p.268.  9) Management, op、 clt,Pp.269∼270.

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       ドラッカーの責任労働者論  55  (2)第2は「高い業績基準」をもたせることである。ドラッカーは「統合の 法則(the rule of integration)が適用されるべき「人間の仕事」については, すべて「なにほどかの挑戦的な要素(some challenge),すなわちなんらかの技       10) 能もしくは判断の要素を包含すべきである」と述べている。まことに,多くの 経営者は,標準的な生産高と称するものが,概ね最低の標準(minimum stan− dard)にとどまり勝ちであることを知っている。しかし, I BMの例では,「個 々の労働者にかれ自身の仕事の責任量(norin)を立案させるのが健全な措置       !1) であり,結果もよかった。」これは,ドラヅカーの「目標管理」,すなわち「目       ラ 標と自己統制の管理(managelnent by oもlecUves anδself−contTo1)」のアイデ アに通じている。  (3)労働者に責任をもたせるには,「フィードバック情報(feedback inform− ation)」が不可欠の要件になるというのが,ドラヅカーの主張である。「責任 は自己統制を必要とする。そしてそれには,基準と比較しての成績について不        へ 断の清報が要求されることになる。」「労働者が必要とする情報は,有効な情報 (effective i且formatめn)という要件を充たすものでなければならない。すな わち,タイムリ・1であり,適切で( 1..”fi.一retevLftnし)かつ利用可能な(operational) ものでなければならぬし,労働者の職務に焦点を合わせたものでなければなら ない」,これがドラッカーの意図する「フィードバック情報」である。  (4) 「経営者的視野をもたせるために参加の機会を与える」ことが第4の要 件である。「経営者的視野」とはなにか。ドラッカーはこう定義している。「労 働者が,企業の成功と存続について責任を負って経営担当者と同じ観点から企 業をみることができること」,これである。曽て,アメリカの産業心理学者カ ッッは,組織の指導者に求められる技能,すなわちリーダーシップ・スキル (leadership skill)のなかで,上位階層にもっとも多く要求されるのは, 「ア 10) The Practice, op. cit., p. 261. 11) lbid., p. 268. 12)詳しくは,Ibid., p.104ff.を参照のこと。 13) Management, op. cit., p. 267.

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 56 彦恨諭叢 陵水60年記念論文集(222・223号)        ヱむ イデア」を主題とする「概念化技能(conceptual skill)」であると述べている。 具体的には, 「全体」を洞察し, 「将来」を見通し,実践的に対処できる能力 ということになろう。もとより,第一線の労働者に,トップの経営者と同等の 概念化技能を要求するのは到底無理なことである。ドラッカーのいわんとする ところは,第一線の労働者といえども,自分の担当している職務との関連にお いて,企業の経営活動全体や今後の方向にも,なにほどかの関心と目くばりが あって然るべきだというに他ならない。然らばどのようにしてそのような技能 を身につけさせることが可能だろうか。  動機づけのすぐれた方法として注目を集めている「職務充実」もその1つと みてよかろう。「職務充実とは,働く人により大なる責任と,その責任を遂行 するためのより多くの自主性(autonomy),ならびにその成果についてのより タイムリィなフィードバックを与えるよう,職務を再設計(redesign)するこ    ユヨ  とをいう。」具体的には,職務の担当者がその職務について,執行面だけでな く,計画と統制の面をも引き受け,さらには自らの所属する組織の方針決定に も参加できるよう設計することが望ましい。かくして,個々の職務に,それぞ れ計画・執行・統制のマネジメント・サイクルが含まれることになり,したが って結果についてのタイムリィなフィードバックが必須となる。  もう1つ, ドラッカーがとくに重視しているのは, 「工場社会(the plant community)」の活動へ積極的に参加させることである。 ドラヅカーは企業を 「経済制度」, 「統治制度」,「工場社会」の3つの制度から成るとみている。 「工場社会」は前二者と異なり,社会的欲求の充足をねがう従業員が集って白 然発生的に生まれるものであり,生成の基盤としては,レスリスバーーガーらの いうインフォーマル組織(informal organizatlon)と異なるものではない。しか しドラッカーは,これを単なるインフォーマル・グループの集合体とせずに, 14) Robert L. Katz, “Skills of Effective Administratoi,” HBR, January−February,  !955, ppi 34’v35. 15) D Sirota and A, D. VVolEson, Job Enrichment Vy’hat A.re the obstaele? Perso−  nnel, liN(larch−April 197L, p 5.

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       ドラッカーの責任労働老論  57 1つの自主的な統治体にまで組織化することを意図している。周知の通り,ど の国でも都市と農村を問わず,住民たちが集って自主的にコミュニティをつく っている。ドラヅ緩目はそれをもっとはっきりした形で工場の従業員社会に導 入することを考えたのではなかろうか。そして,この工場社会の自主的統治に 従業員が積極的に参加することで,経営者的視野に通ずる,より巾広い視野が       ラ 身につくだろうことを期待したのである。  ところで,ドラッカー一の「工場社会」に関する構想は,すでに!949年に刊行 された<The New Society>で詳細に展開されているが,その後この構想を経 営の人事・労務方策として,積極的に取り.とげている例は見当らない。おそら く,最大の難点は,労働組合との関係ないし相互の役割分担が不明確なことに あるのでないかと考える。周知の通り,わが国では労働組合のり一ダーを経験 した従業員が,昇進してトップの経営担当者として活躍している例がきわめ て多い。立場の違う組合指導者としての経験が,経営者的視野を身につけるの に役立っているということは,皮肉なことだが,決して理解できないことでば ない。  以上,ドラッカーの「責任労働者論」を概観した。労働者を最大成果に動機 づけるのは,職務満足でぱなくて職務責任だというのがドラッカーの基本的な 考え方である。そこで,いかにして労働者に職務責任を達成させるかが問題と なる。そしてドラッカーは,これに対し4つの方法,すなわち「慎重な配置」 「高い業績基準」 「情報の提供」「経営者的視野」を提示しているQこれらは いずれも人間資源の考え方を踏まえた「全体人」思考をもとにするものと考え るが,しかし,専ら責任を動機づけ要因と措定するのは,狭きにすぎるのでは ないか。たとえば,・’・一一ツバーグの動機づけ 衛生理論(motivation−hygiene theory)」では,動機づけ要因として,「仕事そのもの」 「達成」「成長の可       の能性」「責任1「昇進」の6つがあげられている。動機づけ問題を論ずる以上, lb) この問題について詳しくは次を参照されたい。拙稿「工場社会の自主的統治と人事  管理」彦根論叢第39号,昭32年9月。 17)Frederick Herzberg, Work and the Nature of Man,1966, P,74.

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 58 彦根論叢 二水60年記念論文集(222・223号) 人間の欲求構造の問題を避けて通ることはできないのでなかろうか。 5 結 び  この小論は「ドラッカーの労務論」という表題としたが,ドラヅカーの数多 い著書にも,経営の労務問題を専ら主題としたものは1冊もない。小論で取り 上げたくThe Practice》も<Management>も企業の経営管理を主題としてお り,「労務」すなわち「人と仕事」の問題も,経営管理の一環として捉えられ ている。それゆえ,大まかにいえぽ,「労務管理」は「経営組織」とともに, 「経営管理」のなかに包摂されているとみてよい。  しかしドラッカーは,他方において,「人間こそ企業の最大の資産である (people are our greatest asset)」ことを繰り返し強調している。それゆえ, 「人間の強さを効果的に発揮させること(making human strengths effective) が経営者の責任となる。そしてこのことは,労務管理から人間指導への思い切 った転換(adrastic shift from personnel management to the leadership of          people)を意味する。」上述のように,ドラッカーは「労務管理は破産したの か」というきびしい問いを提起している。しかし,かれは労務管理が全く不要 になったとはみていない。「労務管理は雇用に付随して必要となる諸活動,す なわ,選考と雇い入れ,訓練,保健,食堂,安全,賃金,給料,付加給与な        うどの管理を整然と体系的に行なう」のが担当職能であり,どうしても必要であ る。しかし,これらの活動は,ハーツバーグのいう「衛生要因」にとどまり, 人びとを責任達成へと積極的に動機づける要因とはいえない。かくして,「労 務管理から人間指導への大転換」が必須だとみるのである。  ドラッカーのいう「人間指導」とはなにか。かれは,必要なのは「実践        ヨ  (practice)」であり,具体的には次の3つであると主張する。  (1)職務と職場(work force)へ責任と達成を組み込むこと。 !) Drucker, ]IVranagement, p, 30−1. 2) lbid., p. 306, 3) lbid., pp. 308一一309.

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       ドラッカーの責任労働者論  59  (2)管理者が一緒に働く人を自分にとっての資源として扱うこと。  ⑧ かれらが力を発揮して業績をあげうる部署に配置すること,すなわち適 材適所の実践である。  (!)と(3>ぱ「責任労働者論」ですでに触れた。問題は(2)である。人びとを資源 として扱うということはどういうことなのか。この問いに対してドラッカーは 殆んど答えていないように思う。わたくしは,人間資源の実体をなしているの は人間の能力(ability)であり,これをいかに開発し,発揮させるかが管理者       の の人間指導の課題であり,生産性向上の目標でもあると考えている。ドラッカ ーも生産性を主要な管理者機能とみているが,その内容は経営資源の活用とい うにとどまっている。生産性を指導原理とする人間資源管理の体系化こそ,今 後の経営労務管理の課題であると考える。 4)詳しくぱ以下を参照のこと。進藤著「現代経営労務論」,第4章。

参照

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