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適用違憲「原則」について : 猿払事件を端緒とする再検討

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(1)適用違憲「原則」について 一猿払事件を端緒とする再検討. 君壌正臣. はじめに. 適用違憲とは,法令違憲と区別され1),. 「法令自体は合憲でも,それが当該事. 件の当事者に適用される限度において違憲である」もの2)だとされている。そ の類型として第1に,. 「法令の合憲\限定解釈が不可能である場合」に「違憲的. 適用の場合を含むような広い解釈に基づいて法令を当該事件に適用するのは違 憲である」とするもの,第2に,こ「法令の合憲限定解釈が可能であるにもかか わらず,法令の執行者が合憲的適用の場合に限定する解釈を行わず,違憲的に 適用した,その適用行為は違憲である」とするもの,第3に,. 「法令そのもの. は合憲でも,その執行者が人権を侵害するような形で解釈適用した場合に,そ の解釈適用行為が違憲である」とするものがあるとも言われる3)。しかし,第 2と第■3の類型は法令の解釈適用を誤ったと評価できる4)ものであり,適用違 憲の典型は第1類型であると言ってよい。何れにせよ,適用審査に基づく適用 違憲は,当該事件の具体的事情に密着した司法判断であると言えよう5)。そして, それはしばしば,司法消極主義の手法であるように理解され6),司法消極主義 の中で人権を救済する役割を果たしてきたと許され7)てもいる。或いはそれは, 法令違憲の脇役のように8),もしくは,最高裁の締めつけが厳しい中での下級 1.

(2) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). 審裁判官の護身術,. 「生活の知恵」 9)と捉えられてきたきらいがないではない。′. 憲法学界でも,適用違憲の判決に対する態度には,一応は賛同するが諸手は挙 げず,純粋な法令合憲判決よりはましなものだという,冷めた賞賛ムードが漂 っていたように思われるのである。 そのような中で,適用違憲が論じられる際に,上述の第1類型の例として盤 上に上ってきたのは,何と言っても猿払事件であった。同事件は,政治的言論 規制,白地委任立法,過度に広汎な表現規制規定,暖昧・漠然とした表現規制 規定, LRA(の)基準,.特別な公法関係の理論,刑罰法規の明確性,刑罰の謙抑 性などに関する,多くの憲法上及び法律上の論点を含むものであったが,時囲 康夫裁判長による旭川地方裁判所の1審判決10).は,その中でも,適用違憲とい う手法を語る際に外す土とのできない判決として,今でも燦然と輝いている。 そこで>. まず,猿払事件の事案と,. 1審から上告審までの各判決を追うことが,. 何れの立場に立つにせよ,必要であろう。 その上で,まずは適用違憲とは何であるかを再度確認し,関連する法理など と絡めて,これに村する種々の議論を検討し,果たして,適用違憲に村する消 極的肯定論は妥当なのかを再考したい。そして本稿では最後に,このような憲 法訴訟上の手法の再評価を行いたいと思うものである。. 1猿払事件 猿払事件とは,鬼志別郵便局に勤務する「内勤事務,電話交換事務等に従事 する非管理職の職員」で,猿払地区労働組合協議会事務局長を勤めていた者が, 衆議院議貞選挙に際し,同地区労協の決定に従い,日本社会党を支持する目的 の下,勤務時間外に私服セ11)同党公認候補者の選挙用ポスター6枚を6カ所の 公営掲示場に掲示し,同局内や北海道電力事務室で,そのポスターの分配や掲 示を依頼して配布したことが,国家公務員法102条1項及び,その委任を受け た人事院規則14-7に反しないかが争点となった刑事事件である。この種の行為 2.

(3) 適用違憲「原則」について. が国公法違反で起訴されたのは稀であったが,この時期,官公労組合による選 挙運動が活発になったことと無関係ではなかったようである12)。. (1)下級審判決 旭川地方裁判所は,以下のように述べて,被告人を無罪とした。 国公法102条は「昭和23年法律22号の改正による条文であり,当時官公庁 労働組合の反政府的政治活動が活発になったのを憂慮した占領軍総司令部の強 い示唆により,国会による独自の審議の許されない状況下に作られた条文であ. り,」これは「一般職に属するすべての職員に適用せられるのである.しかし て,同法102条1項をうけ,・昭和24年9月19日施行され現在に至っている人事 院規則14-7,. 1項は,政治的行為の禁止に関する規定は,すべての一般職に属. する職員に適用すると定め,同4項は,右の禁止は6項16号のものを除き,職 員が勤務時間外において行う場合にも適用される・旨規定している。」そして, 「国公法については法律の形式を採っていたため,同法102条1項および110条 1項19号が実際には特殊な要因によって生れたものであることにつき検討が加 えられず,改正の措置を講ぜられないまま今日に至り,また同条をうけて制定 された人事院規則14-7もポツダム政令の形式を採っていなかったためそのまま 現在に至っているものである。」. 13). だが,母法となったアメリカ「1■939年のハッチ法9条は,」. 「政治活動の禁止. につき」 「もともと刑事罰による制裁の定めはない」こと,同7325条からも 「罷免が『即時に』なされるものとし、う文言が削られたほか,制裁の下限もゆ るやかにされてきている。」イギリスや西ドイツでも広く「政治活動の自由が 認められている。」. 「更に, Ⅰ.L.0.105号条約1条(a)は,政治的な見解若しくは. 既存の政治的,社会的若しくは経済的制度に思想的に反村する見解を抱き,若 しくは発表することに対する制裁としてすべての種類の強制労働を禁止し,か つこれを利用しないことを加盟諸国に求めるものであり,我国としては,批准 する方向で検討する旨国会で,政府の見解が示されている。」また,公務員の 3.

(4) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). 争議権に関する判例変更14)や,. 1964年9月の臨時行政調査令の「公務員に関す. る改革意見」などからも,国公法102条は疑問である。 「政治活動を行う国民の権利は,立法その他国政の上で最大の尊重を必要と する国民の基本的人権の中でも最も重要な権利の-であ」り,そ「の民主主義 1、. 社会における重要性を考えれば国家公務員の政治活動の制約の程度は,必要最 小限度のものでなければならない。」. 「公務員中国の政策決定を密着した職務を. 担当する者,直接公権力の行使にあたる者,行政上の裁量権を保有する者およ び自分自身には裁量権はないが,以上のような職務の公務員を補佐し,いわゆ る行政過程に関与する非現業の職員については,これら公務員が一党一派に偏 した活動を行うことにより,これがその職務執行に影響し,公務の公正な運営 が害され,ひいては行政事務の継続性,安定性およびその能率が害されるに至 る虞が強いことはいうをまたないところである。これに反し行政過程に全く関 与せず且つその業務内容が細目迄具体的に定められているため機械的労務を提 供するにすぎない非管理職にある現業公務員が政治活動をする場合,それが職 務の公正な運営,行政事務の継続性,安定性およびその能率を害する程度は,. 右の場合に比し,より少ないと思料される。」 「国公法102条1項人事院規則147,. 6項13号により,職員が政治的目的を有する文書を掲示し若しくは配布す. る行為は,勤務時間内たる勤務時間外たるとを問わず,又現業職員たると非現 業職員たるとを問わず,一律に禁止されているのであるが,」. 「このような行為. を行政過程に関与する公務員が行う場合,その活動は,職務の中立性が害され,. ひいては公務の継続性,安定性および能率やゞ阻害され るに至る政治活動といわ なければならない。その故にこそ人事院規則14-7,. 6項13号において禁止され. ているわけであるが,行政過程に全く関与せず,かつその業務内容が細目迄具 体的に定められているため機械的労務を提供するにすぎない現業公務員が,勤 務時間外の施設を利用することなく,かつ職務を利用し若しくはその公正を害 する意図なしに行った場合,その弊害は著しく小さい」。 国公法110条は, 4. 「免職停職減給又は戒告の処分」に加え,・. 「1項19号におい.

(5) 適用違憲「原則」について. て同法102条1項所定の政治行為の制限に違反した者に対し3年以下の懲役又 は10万円以下の罰金を法定している。」. 「法がある行為を禁じその禁止によつ. て国民の憲法上の権利にある程度の制約が加えられる場合,その禁止行為に違 反した場合に加えられるべき制裁は,法目的を達成するに必要最小限度のもの でなければならないと解される。法の定めている制裁方法よりも,より狭い範 囲の制裁方法があり,これによってもひとしく法目的を達成することができる 場合には,法の定めている広い制裁方法は法目的達成の必要最小限度を超えた ものとして,違憲となる場合がある。」. 「懲戒処分に加え刑事罰を科する定めを. する場合に比し,懲戒処分の恵めのみをすることは,より狭い制裁方法を定め るものであり,米合衆国の例は,通例の場合,懲戒処分のみというより狭い制 裁方法で十分法目的を達成することができることを示すものである。」. 「公務員. が職権を混用し人をして義務なきことを行わしめた場合に刑法193条は2年以 下の懲役又は禁鋼を定め」ていることや,. 「地方公務員法が地方公務員に対し. て政治的行為の禁止を国公法同様に定めながらも,罰則を定めていか、こと,. 並びに現業公務員と同様公労法の準用をうける3公社の職員については政治的 行為の禁止およびこれに伴う罰則のないこと,を併せ考えれば,公務員の政治 活動の禁止違反に対して科される刑罰は決して軽いものではない。」. 「国の政策決定に関与する高級公務員等が勤務時間中に組織的に反政府的政 治活動を行い,これが国の行政の能率的運営に重大な影響を及ぼすことがある. 揚合」は兎も角,. 「非管理者である現業公務員でその職務内容が機械的労務の. 提供に止まるものが勤務時間外に国の施設を利用することなく,かつ職務を利 用し,若しくはその公正を害する意図なしで人事院規則14-7,. 6項13号の行為. .を行う場合,その弊害は著しく小さいものと考えられるのであり,このような 行為自身が規制できるかどうか,或いはその規制違反に対し懲戒処分の制裁を 課し得るかどうかはともかくとして,国公法82条の懲戒処分ができる旨o)J規 定に加え, 3年以下の懲役又は10万円以下の罰金という刑事罰を加えることが できる旨を法定することは,行為に対する制裁としては相当性を欠き,合理的 5.

(6) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). にして必要馴、限の域を超えているものといわなければならない。」加えて, 「国公法110条1項19号の刑事罰を科することは,. 5現業に属する非管理職であ. る職員に対する労働関係の規則を,国公法から公労法に移し労働関係について の制約を緩和した趣旨に沿わないものであり,ひいては公労法の適用を受ける 労働組合の表現の自由を間掛こ制約するに至るもので」もある。 結局, 1審は, 「国公法110条1項19号が適用される限度において,同号が憲 法21条および31条に違反するもので,これを被告人に適用することができな いと云わざるを得ない」として,適用違憲の手法により被告人を無罪とした。 ・札幌高等裁判所も,検察側控訴を棄却した15)。ト般的にはできる限り司法 審査の介入はこれを差し控え,ひとえに国民の多数意思を反映する政治過程自. 体の裡において是正修復されるべきものとする民主政の基本的機能に期待する のが,まさに三権分立の建前と民主政の仕組に鑑みて司法審査の原則といわな ければならない」. 「にも拘らず,原判決が,」. 「『同じ目的を達成できる,より制. 限的でない他の選びうる手段』という基準に準拠したゆえんを考察するに,凡 そ民主政はその自らの政治過程の裡に前記の如き柔軟な復元機能を襲うことな く保持する限りにおいて生存しうるという意味において,言論の自由ないし政 治活動の自由こそがまさに民主政の中核としてその死命を制する根本原理とい うべきであるから,如何なる理由原因によるにせよひとたび右の自由が制約さ れるにおいてはそれ丈右の復元機能は柔軟性を喪い,民主主義政治過程に本質 的な是正修復の方途を喪い果は麻痔硬塞という事態を招来することもありうる とし1う重要性の故に,言論の自由ないし政治活動の自由をめぐる司法審査につ いては立法府の広汎な裁量を前提とする合理性の基準は必ずしも適切でないと の配慮に基くと理解される」ことから,. 「本件所為の如きにまで」. 「刑事罰を加. えることを予定することは必要最小限の城を超えるものと評価し,国家公務員 法第110条第1項第19号が本件所為に適射される限度において憲法第21・条およ び第31条に違反するから適用することができないと判断したのは,まことに 相当ということができる」として,. ■1審判決を肯定したのである。. 6. しJ.

(7) 適用違憲「原則」について. (2)最高裁判決 これに対して,最高裁は,被告人を有罪,罰金5000円とする判決を下した16)。 表現の自由も重要であるが,他方,. 「『すべて公務員は,全体の奉仕者であって,. 一部の奉仕者ではない。』とする憲法15条2項の規定からもまた,公務が国民 の一部に対する奉仕としてではなく,その全体に対する奉仕として運営される べきものであることを理解することができる」のであり,. 「行政の中立的運営. が確保され,これに対する国民の信頼が維持されることは,憲法の要請にかな うものであり,公務員の政治的中立性が維持されることは,国民全体の重要な 利益にほかならないというべきである。したがって,公務員の政治的中立性を 損うおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは,それが合理的で必要 やむをえない限度にとどまるものである限り,憲法の許容するところである」 などとして,まず,. 1958年の先例17)を維持した。. 「公務員の政治的行為のすべてが自由に放任されるときは,おのずから公務 員の政治的中立性が損われ,ためにその職務の遂行ひいてはその属する行政機 関の公務の運営に党派的偏向を招くおそれがあ・り,行政の中立的運営に対する 国民の信頼が損わ′れることを免れない。また,公務員の右のような党派的偏向 は,逆に政治的党派の行政-の不当な介入を容易にし,行政の中立的運営が歪 められる可能性が一層増大するばかりでなく,そのような傾向が拡大すれば, 本来政治的中立を保ちつつ一体となって国民全体に奉仕すべき責務を負う行政 組織の内部に深刻な政治的対立を醸成し,そのため行政の能率的で安定した運 営は阻害され,ひいては議会制民主主義の政治過程を経て決定された国の政策 の忠実な遂行にも重大な支障をきたすおそれがあり,このようなおそれは行政 組織の規模の大きさに比例して拡大すべく,・かくては,もはや組織の内部規律 のみによってはその弊害を防止することができない事態に立ち至るのであるo したがって,」 「公務員の政治的中立性を損うおそれがあると認められる政治的 行為を禁止することは,禁止目的との間に合理的な関連性があるものと認めら れるのであって,たとえその禁止が,公務員の職種・職務権限,勤務時間の内 7.

(8) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). 外,国の施設の利用の有無等を区別することなく,あるいは行政の中立的運営 を直接,具体的に損う行為のみに限定されていないとしても,右の合理的な関 連性が失われるものではない。」この.ことで,公務員の「意見表明の自由が制 約されることにはなるが,それは,単に行動の禁止に伴う限度での間接的,付 随的な制約に過ぎず,かつ,国公法102条1項及び規則の定める行動類型以外 の行為により意見を表明する月由までをも制約するものではなく,他面,禁止 により得られる利益は,公務員の政治的中立性を維持し,行政の中立的運営と これに対する国民の信頼を確保するという国民全体の共同利益なのであるか ら,得られる利益は,失われる利益に比してさ・・らに重要なものというべきであ」. 声。よって,. 「国公法102条1項及び規則5項3号,. 6項13号は,合理的で必要. やむをえない限度を超えるものとは認められず,憲法21条に違反するものと いうことはできない。」また,. 「個々の公務員に村して禁止されている政治的行. 為が組合活動として行われるときは,組合員に対して統制力をもつ労働組合の 組織を通じて計画的に広汎に行われ,その弊害は一層増大することとなるので あって,その禁止が解除されるべきいわれは少しもない」と言う。 そして,. 「特に基本的人権に関連する事項につき罰則を設けるには,慎重な. 考慮を必要とすることはいうまでもなく,刑罰規定が罪刑の均衡その他種々の 観点からして著しく不合理なものであって,とうてい許容し難いものであると きは,違憲の判断を受けなければならない」が,. 「国民全体の共同利益を損う. 行為に出る公務員に対する制裁として刑罰をもって臨むことを必要とするか否 かは,右の国民全体の共同利益を擁護する見地からの立法政策の問題であって, 右の禁止が表現の自由に対する合理的で必要やむをえない制限であると解さ れ,かつ,刑罰を違憲とする特別の事情がない限り,立法機関の裁量により決 定されたところのものは,尊重されなければならない」とした。その上で,昭 和25年制定の地方公務員法で罰則規定が削除されたこととの不均衡について ち, 「政治的行為の禁止に対する違反が行政の中立的運営に及ぼす幣害に蓮庭. があることからして,罰則を存置することの必要性が,国民の代表機関である 8.

(9) 適用違憲「原則」について. 国会により,わが国の現実の社会的基盤に照らして,承認されてきたものとみ ることができる」ので,. 「決して不合理とはいえず,したがって,右の罰則が. 憲法31条に違反するものということはでき」ず,. 「弊害が軽微なものについてまで. なる道理は,ありえない」とした。そして, 一律に罰則を適用することは,」憲法21. 「憲法21条に違反することと. 「条に違反するという」判断を,. 「違. 法性の程度の問題と憲法違反の有為の問題とを混同するものであ?て,失当」 だと断じた。比較法的根拠を挙げた1審判決を,. 「それぞれの国の歴史的経験. と伝統はまちまちであり,国民の権利意識や自由感覚にもまた差異があるので あって,」 「外国の立法例」を「社会的諸条件を無視して,それをそのままわが 国にあてはめることは,決して正しい憲法判断の態度ということはできない」 と論難した。その上で,. 「懲戒処分と刑罰とは,その目的,性質,効果を異に. する別個の制裁なのであるから,前者と後者を同列に置いて比較し,司法判断 によって前者をもってより制限的でない他の選びうる手段であると軽々に断定 することは,相当ではない」と述べた。また,. 「政治的行為の定めを人事院規. 則に委任する国公法102条1項が,公務員の政治的中立性を損うおそれのある 行動類型に属する政治的行為を具体的に定めることを委任するものであること は,同条項の合理的な解釈により理解しうるところである」から,. 「憲法の許. 容する委任の限度を超えることになるものではない」とも述べた。 そして,下級審「各判決は,また,被告人.の本件行為につき罰則を適用する 限度においてという限定を付して右罰則を違憲と判断するのであるが,これは, 法令が当然に適用を予定している場合の一部につきその通用を違憲と判断する ものであって,ひつきよう法令の一部を違憲とするにひとしく,かかる判断の 形式を用いることによっても,上述の批判を免れうるものではない」として, 適用違憲の手法を拒絶し.,逆転有罪判決を下したのであった。 これには,大隅健一郎,関根小郷,小川信雄,坂本吉勝の4判事による反対 意見がある。. 公務員「の多様性に応じ,公務員の特定の政治活動が行政の中立性に及ぼす 9.

(10) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). 影響の性質及び程度,並びにその■禁止が公務員の個人的基本権としての政治活 動の自由に対して及ぼす侵害の意義,性質,程度及び重要性にも大きな相違が 存する」ので,その「相違を考慮し,より具体的,個別的に両法益の相互的比 重を吟味検討し」なければならないこと「は,ひとり国会の専権に属する立法 政策上め問題であるにとどまらず,また,憲法の要求するところでもあるとい うべきである。」そして,公務員規律が合憲であるとしても,. 「違反に対し刑罰. が科せられる場合における禁止行為の規定に関しては,公務員関係の規律の場. 合におけると同一の基準による委任を適法とすることはできか、。けだし,前 者の場合には,後者の場合と,禁止の目的,根拠,性質及び効果を異にし,令. 憲的に禁止しうる範囲も異なること前記のとおりであって,その具体的内容の 特定を委任するにあたっては,おのずから別個の,より厳格な基準か-しは考 慮要素に従って,これを定めるべきことを指示すべきものだからである。」そ して,. 「国公法102条1項の規定が,公務員関係上の義務ないしは負担としての. 禁止と罰則の対象となる禁止とを区別することなく,一律一体として人事院規 則に委任し,罰則の対象となる禁止行為の内容についてその基準として特段の ものを示していない」. 「無差別一体的な立法の委任は,少なくとも,刑罰の対. 象となる禁止行為の規定の委任に関するかぎり,憲法41条,. 15条1項,. 16条,. 21条及び31条に違反し無効であると断ぜざるをえない」とした。これは主に, 刑罰法規の白地委任を理由とする法令違憲の判断であった18)。. 2. 猿払事件再考一諸法理の中での適用違憲. 猿払事件1審の適用違憲の判断は,法令そのものは違憲とはせずに,目の前. の被告人を救済したものである。地裁の判断ながら,その後の公務員の政治活 動の刑事処罰の合憲性が問われたいくつもの判決に影響を与えた19)。そこでは, 国家公務員法102条1項がアメリカのハッチ法を母法としていること,戦後占 領期に占領軍総司令部の強い意向を受けて立法されたという立法事実が,詳細 10.

(11) 適用違憲「原則」について. に検討された20)。当該政治的行為が党派的か否か,自発的か否か,勤務中か否 かなどが検討され,肌理細かい審査が行われたと言えよう。組合活動の一環で あることは,被告人に有利に掛酌されていたと思われる21)。これに対して,最 高裁は, 1958年の判決などで,死文化していた条文を思い出したようにとき 「全体の奉仕者」性から一律に公務員の政治的権利や労働基本. どき用いて22),. 権を制約23)していた。本件でも最高裁はこの判決を先例としつつ, 立的運営」を強調し,. 「行政の中. 「国民の信頼」論で補強する24)というように,抽象論を. 前面に出して,現業公務員の勤務時間外での私服での選挙ポスター貼り等がい かなる問題をどの程度発生させるかなど,規制目的と手段の合理的関連性を具 体的に検討せぬまま25),公務員の基本的人権の一律的制約を正当化したと言え る。背景には,この当時,官公労組合における特定政党支持の全国的な政治的 偏向の強い政治活動26)であることを忌み嫌う心理があったようにも推測でき た。. そのため,猿払事件については,適用違憲の判断を行った下級審判決の方が 最高裁よりも人権擁護的な判断と評価され,相対的に評判もよいこともまた首 肯できよう。. 「人権保障を強める働きをしている」. 現しようとする」 一つの表現」. 28),. 27),. 「実質的に人権保障を実. 「裁判所の自己抑制を通しての人権保障に重きをおいた. 29)であるなどの評価があり,憲法学説は概ね好意的である。行政. 法学説もほぼ同傾向である■と言ってよy、30)。抽象的な法令を見るだけでは当該 法令が禁じる行為の範囲を明確に知り得ないため,裁判所が当該事案の解決の 中でその範囲を画定する意義があるという指摘もある31)o.また,最高裁が違憲 判断を極端に避ける傾向がある以上,ここでの下級審の対応を,被告人救済を 実現する方法として期待する向きもあった32)。 だが,その1審判決についても,違憲の法令が放置されるとして,適用違憲 という手法を否定する見解もないではない33)。表現の自由などを制約する法令 に違憲的適用の余地であるなE,ば,端的に当該法令を違憲と言うべきであると いう批判もあろう34)。そして,本件を発端として,適用違憲の判決が,表現の 11.

(12) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). 自由の制約が問題となった事例に集中していることが理論的混乱の元凶ではな かろうか35)。被告人の人権救済の一面はありながらも,法令自体の合憲性を椎、 持し,法令を救済しているという点では,司法消極主義的な手法だという評価 も否定できなかった36)。適用違憲の方法は,法令の意味が不明確になる37),規 制されな■い行為が何であるか,いつまでも画定しない38),将来に対する基準を 殆ど示さない39)などの批判を招くこととなったのである。 確かに,法令違憲ではなく適用違憲を原則と考えると,自己の権利を擁護す るために戦う多くの者は,多くの時間と費用を費やさねばならず,また,その 決着までの間,戦わない者には萎縮的効果を存続させ40),この間,差別的執行 の危険性も生じさせることになろ}41)。この点,猿払事件1審の裁判長であっ た時囲康夫自身が,言論制約立法において,. 「そのものに対する適用が違憲と. なるものが攻争するたびに,その限度で適用違憲あるいは法の一部違憲の判断 をくりかえしてみても,違憲の範囲が大きく,その範暗も多岐にわたるため, 違憲な適用の部分を全部抹消,消除するには,時間がかかりすぎ」るときには, 「政策的配慮」から「法を文言上違憲と判断するという態度が考えられる」,と 述べている42)のは示唆的である。学説は,適用違憲の手法は認めるものの,そ れを裁判所が法令違憲と言うべき場面で用いることを警戒してきたのである。 問題は,裁判所が適用違憲と言うべき場面,法定違憲と言うべき場面をどのよ うに画定するかという点にあったのであろう。 ところで,猿払事件1審判決に対しては,それは合理性の基準を採用したも のであって,米判決の用いるLRA基準とは異なるものであるという批判43)ち ある。但し,. 1審はLRA基準をはっきりと用いた形跡はなく,後の評価から2. 審がそう読み込んだものと言うべきものである44)。兎も角,適用違憲にするた\ めには,. LRA基準のようなものを媒介にする必要はあった。だが,. LRA基準は. いかなる場において働くものか,必ずしも明らかでなかった45)。このことがま た,適用違憲と.いう手法の守備範囲を暖昧にしてきたように思える。そこでこの合憲性判断基準が何であったかを,簡単にではあるが再検討してみたい。 12.

(13) 適用違憲「原則」について. ときにLRA基準は,美観風致の保持などを目的とする屋外広告物規制など, 表現の時・場所・態様規制の法令46)や,労働基本権規制の法令47),更には薬事 法違憲判決48)に見られるような経済的自由の内在的制限立法49)の合憲性判断 基準と言われ50),その結果,中間審査基準と連動していることも示唆されてき たが,これは妥当ではない51)。. 「より制限的でない他に選択し得る手段」を考. えるということは,必要最小限度の手段審査を厳しく要求する厳格審査と寧ろ マッチする52)。また,単に過度に広汎や痛かを判定する基準のように捉えられ ることもある53)が,それならば単に「過度に広汎ゆえ違憲」と言えばよいだけ_ のことであり,これも妥当でない。司法積極主義もしくは厳格審査に連動する ものだとしても,そのような原則の言い換えに過ぎないものと捉えるべきでな く,合憲性判断基準としては,特定の意味を有するものだと考える方が適切で あろう。 そう考えると, LRA基準は,国家公務員法が勤務時間だけでなく勤務時間外 も規制しているというような,一般的な「過度に広汎」な規制を禁ずるという. 要請を超えて,行政処分で十分54)な際に刑罰は不要,罰金刑で十分な際に自由 刑は不要というように,過剰な制裁を禁ずる趣旨の基準であると解されるべき であろう55)。猿払事件1審が「より狭い範囲の制裁方法」の有無を検討してい るのは,前後の文脈から察すると,より厳しくない制裁方法の有無を検討して いるように読み取れる。確かに,科料と懲戒解雇はどちらが重いのか,という 批判もないではない56)。だが,必要以上の刑罰を科すことが違憲であるという. のは,その保障する条文につ†-ては見解が分かれるものの通説的見解であり57), そのことからしても,少なくとも,刑罰が不要な場合の科刑は違憲と言うべき である58)。都教組事件59)と同じように,懲戒は許容されるが,刑罰は許されな いという判断は,一般的に可能であろう60)。軽微な違反行為に一律に刑罰で臨 むというのが「適切さを欠く,ということは詳しく説明するまでもないほど, はっきりしている」 61)ように思われる。 これに対して,どのような行為にどのような制裁を科すかは立法政策の問題 13.

(14) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). であるという見解62)もあり,確かに,一般論としては,法定刑の最高が1年違 うからと言って違憲と評価されることはあり得ないように思われる。しかし, 少なくとも,猿払事件で問題となっているものは,表現の規制であり,なおか. つ科刑が必要か否かということであるので,そこでもなお立法裁量を大きく見 積もることはできない。刑罰による制裁である点を問題にした意味で,猿払事 件1審の判断は首肯できる。そして,この基準を厳格に用いること,必要最小 限の手段であることの立証は検察側に求められるべきであろう。可罰的違法性 のない行為に刑罰を科すことは刑法解釈上も疑問であるし63),そう考えれば, このケースでは,少なくとも適用違憲にはなろう64・)。最高裁判決批判の焦点も, このような事例において,刑罰による威嚇は制限されるべきであるという点に 集約できよう65)。 LRA基準は,違法性のない行為-の処罰を憲法レベルで禁じ ながら,そのようなケースへの適用を違憲無効とする判断と強く結びつき易い のであり,このような局面で用いられる合憲性判断基準として再認識すべきも のであったのである。. そして,次に問題となることは,.公務員の種類によって,表現活動の違法性 の有無は変わるだろうか,という土とである。確カミに,当該公務員の裁量に比 例して市民的自由の制約が大きくなってもやむを得ないという見解66)′もある。 しかしこの考え方は,裁量権を有する公務員がおよそそれを悪用し,国民も影 響されるということを前提にしていよう。しかし,公私の区別をわきまえる強 い公務員は,政治的行為を仮に行っても行政の中立は崩さないだろうし,その 道も言えそうである67)。確かに,自己の政治的立場ははっきりしながら,一度 仕事となればそれから離れて粛々と法の執行に励む公務員は,表彰されこそす れ懲戒される筋はないように見えるし,総体としても行政-の信頼は寧ろ増す のかもしれない。職務遂行と無関係のところでなされた政治的行為が,職務上 一党一派の利益に与するとは,必ずしも言い難い6釦。逆に,国公法に反しない 行為,例えば,当時であれば行政指導の悪用により,政治的圧力をかけること は可能であったであろう。最高裁が本件で判示している,そこでの因果関係は, 14.

(15) 適用違憲「原則」について. 「一種の被害妄想の所産」. 69)とも言えるものであって,実質的関連性すらない. ものに思えるのである。. もしそうだとすれば,そこからは,そもそも法令そのもe)が不合理ではなか ったか,と いう疑いが浮上してこよう。しかも,猿払事件で問題とされたのは 表現◆の自由を刑罰によって過度に制約する法令なので,本来的には厳格審査さ れることが正当70)であり,文面違憲が正論であるということになろう71)。国家 公務員法_110条は懲役刑も用意しており,当初の簡易裁判所判決の宣告刑が罰 金刑であったことに留まらず,法定刑の萎縮的効果の大きさをもって,■法令違 憲で臨むべき事案だったようにも考えられた。確かに,仮に高級公務員-の適 用は是認されるとしても,法令により,高級官僚の範囲が画定できるならば, 合憲限定解釈が望ましい。もしそれを適切に画定できないときでも,だから全 ての公務員に規制を普く及ぼすということには論理の飛躍があろう72)。寧ろ逆 と考える方が,この場面では適切である。また,このような国公法はⅠ.L.0.105 号条約違反73)でもあり,上位法である国内法化された条約に違反する法律,規 則,条例等は国内法として無効であることを裁判所は宣言すべきでもあっただ ろう74)。 しかしこれに対して,仝公務員に対する全面的で一律の政治活動禁止は違憲 であるが,およそ政策決定に関わる非現業公務員の政治活動,特にいわゆる高 級官僚の政策誘導は許容されない75)のであるから,法令全部違憲ではなく,現 業公務員の勤務時間外括動に適用した限りで違憲と判決を下す余地はあったと いう反論もある76)。そればかりか,労働基本権の制限に関する公務員の細分化. を見れば,そのような2分法では不十分であり,職務内容に応じた細かい分類 こそが必要であるという主張77)もある。これらは,現行公務員法の規定の仕方 を問題にしており,政治活動が規制されるべき高級官僚の範囲を適切に画定で きれば,法令全部違憲は回避すべきだと-いう主張である。これらの主張は,刑 罰が予定されていなくても,規制の人的ないし時間的範囲が過度に広汎である が故に,違憲部分を切り取ることは可能だという主張だと解される。 15.

(16) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). このような主張を筆頭に,学説は全体に,猿払事件1審の適用違憲の判断に 好意的である。法令違憲が無理であれば,判例に触れない78)次善の策として, 適用違憲判断を妥当と考えてきたようである。これは,法令違憲により高級官 僚の政治的誘導を認める結末を危倶しつつ,現行法が現業公務員の微細な政治 活動までも処罰することを非難して,その救済のみが可能な法理に共感したか らであろう。学説は,法令違憲判決の続発に期待できないためか,猿払事件1 審判決を旗印に,適用違憲の活用に積極的だった■ように思われるのである。 しかし,それはなお,今なお残る特別権力関係理論の残淳ではなかろうか。 およそ非現業公務員の政治活動によってすら国民の政治判断が最早揺らぐもの ではないことや,そもそもこれが表現の自由の規制立法であることを強調すれ ば,原則に戻って法令違憲の判断が妥当であったのかもしれなかった。その結 莱, 「上級公務員は公務員であることがすでに政治的であり,下級公務員は,. 極く平凡な市民的権利の行使が政治的と見られやすい状態」. 79)は脱却せねばな. らず,上級公務員もまた法の執行に職務を限定する方向に転換すべきであった80)。 政治改革や度重なる行政改革を経て,官僚支配は終わり,官公労組合の力も微 弱となったことを悟るべきと言うべきか。仮にこのような状況が当時としては 正当な政治活動規制理由だったとしても,現在では理由がないことになろう。 過去にそのような現場が蔓延しながら,国民がその影響を強く受けたとは思え ないことは,そのような根拠付けの希薄さを逆に証明しているようにも思える。 国家公務員法には白地委任の問題81)もあり,法令の合憲性を救済せず,国会に. 当該法令の作り直しを求めるのが本来だったように思われるのである。 ところが,最高裁判所大法廷は,公務員の労働基本権を巡って,全逓東京中 郵事件最高裁判決の方向で示された「画期的」な82)¶■F級審の判断を覆し,全面 合憲の判断を示していた。そもそも「適用」. 「違憲」など眼中になかったので. ある。この頃の論争的な憲法裁判について「裁判官の行動様式」を観察すると, 「人権」派と■「公益優先」派はそれぞれ一貫しており,前者の退潮が見られる という83)。猿払事件最高裁判決はその中で下されたので,仝農林警職法判決と 16.

(17) 適用違憲「原則」について. 酷似した論理構造を持つという評価84)などがなされた。要するに,まず法令を 合憲と認定して,その適用は常に問題が生じないと信じるのである.。 猿払事件の最高裁大法廷の多数意見と少数意見は,緩やかな審査基準の下で85)■, 公務員の政治活動の一律制限は合憲であることでは一致しながら,違反行為の 内容による質的区別をせずに刑罰を科すことを巡ってのみ分かれたと,評釈で きよう86)。少数意見も,法令が公務員に選挙で投票する程度以外の政治活動を 禁じていることは容認しており,過度に広汎な規制87)の側面は表向き問題にし ていない。白地委任の刑罰法規であることが少数意見による違憲の理由であり, それだけが両意見の違いであった。多数意見は,公務員の政治活動の禁止につ いては比較衝量の手法により,刑事罰の選択については立法者の広汎な裁量を 認め,罪刑法定主義を逆手に取って,下級審の唱えていた通用違憲論を葬り去 った88)。そこで多数意見は;行政の中立性と公務員個人′の中立性を単純に等置 していること89),表現の自由に比べて行政の中立的運営に対する国民の信頼が 過度に重視されていること90),禁止により得られる利益が「国民全体の共同利 益」としてしまうとこれより重要な利益はないのだから比較衝量の意味がない, つまりはおよそ公務員の政治的権利を否定する意思の表れに過ぎない91'こと, などについて,批判を浴びることとなった92)。法令を違憲とするか合憲とする かしか判断できない場合に合憲判断を導くとすれば;無理は当然生じると思わ ざるを得ない。当該事案の解決が「司法」の主役剖であるということがその最 高位に位置する最高裁において省られず,憲法判断においても.,まずは適用審. 査が原則だという観念がそこに古事欠如していたように考えられた。猿払事件最 高裁判決は,それが表現活動の間接的・付随的規制に過ぎないことを理由に, 包括的制限を許容したのではないかという指摘もできよう9-3)。しかし,仮に LRA基準を採らないとしても,表現内容に即した個別具体の判断が必要である ことを,裁判所は認めるべきだったように思われるのである94)。 これを裏返すと,猿払事件1審が適用違憲の手法を採ったことは,. 「司法」. 権が当該事件の終局的解決を第一義としていることを体現したものだったと言 17.

(18) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). えよう。適用違憲の判断を行うため,事案に即した様々な区別を行ったのであ る。. I」RA基準は,それと連動して,刑罰法規の適用を限定する手法として判示. されたのであった。その意味で,同判決の評価に際して,これらのことは不可 分であった.しかしこめ判決は,決して,.白地委任や,優越的地位にある表現 の自由の侵害であることが強調されてし干るわけではなく,法令違憲という選択 肢はそこに見えない。また,公務員の種類についても,可分であれば,合憲限 定解釈などが採用されるところであった。本来規制すべきものとそうでないも のが区別できるにも拘わらず,当該法令が区別をしていないと見たのではある まいか.。だとすれば,法令の文言の不可分性を理由に,最初から適用違憲とい. う手法が選択されたということには,敵齢がないではなかったのである。. 3. 適用違憲の再検討. 前記のように,最高裁が猿払事件判決で適用違憲の手法を否定した理由の説 明は,ごく簡単で短いものであった。だが,最高裁が適用違憲論を否定したの は,猿払事件ばかりではない。判例はほぼ一貫して,適用違憲という手法を拒 んでいる95)。確かに,. 「関税法118条1項は,同項所定の犯罪に関係ある船舶,. 貨物等が被告人以外の第三者の所有に属する場合においてもこれを没収する旨 規定しながら,その所有者たる第三者に対し,告知,弁解,防禦の機会を与え るべきことを定めておらず,また刑訴法その他の法令においても,何らかかる 手続に関する規定を設けていないのである。従って,前記関税法118条1項に よって第三者の所有物を没収することは,憲法31条,. 29条に違反するものと. 断ぜざるをえない」とする第三者所有物没収事件判決96)を適用違憲と解するこ ともできるという見解もないではない97)。しかし,これを法令違憲とする見解 もあろう。仮にこれを適用違憲と考えても,それは異例の判断だったか,黍明 期の気紛れとでも言うべきものである。 197.3年の仝農林警職法事件98)において反対意見が,合憲的制限解釈「が困 18.

(19) 適用違憲「原則」について. 難な場合には,具体的な場合における当該法規の適用を憲法に違反するものと して拒否する方法(適用違憲)によってことを処理するのが妥当な処置という. べきであ」ると述べたこ■とがあったが,この事件でも多数意見はこのような点 に触れることなく,法令を全面的に合憲とする判決を下した。猿払事件で下級 審の適用違憲の判断を否定した後,羽田空港ビル内デモ事件第2次上告審判決99) でも,上告趣意書に反駁する形で,. 「指導者・煽動者として処罰できると言う. ならば,もはやそれは違憲の法規と断ぜざるを得ない」として,最高裁はまた も適用違憲の可能性を否定した。第3次家永教科書裁判100)において多数意見が, 「教科書の検定が,教育に対する不当な介入を意図する目的の下に,検定制度 の目的,趣旨を逸脱して行われるようなことがあれば,適用上の違憲の問題も 生じ得る」と述べたのは,小法廷とはいえ,そして,当該事件ではその主張を. 斥けたものであるとはいえ,最高裁の多数意見が適用違憲の可能性を示唆した ほぼ唯一の例であると思われる。だが,これも仮定の設問に村する回答という. 性格にとどまり,最高裁が積極的に適用違憲という手法を用いた例はおよそな い101)。最高裁は, ■本来,\具体的事件の解決を主任務としている筈であるが,ド イツの憲法裁判所のように102),文面審査ないし法令審査が正しい憲法判断の方 法であるかのように考えているように思える 103)。結果として,最高裁判所の行. う法令審査に,その射程を超えて下級審が萎縮的に拘束されるという現象を生 み,その結果,これを「事実の拘束力」. 104)であるとか「強い拘束力」. 105)と呼. ぶ誤解が生じたのであった106)。 少数意見では,. 1982年の外国人登録法違反被告事件107)の横井大三,伊藤正. 己両判事による補足意見が,外国人登録に関する「現実の取扱いにおいて,右. の限度をこえて秘密の開示を求める取扱いがされていると認められるときに は,いわゆる適用違憲の問題を生ずる余地があると解すべきである」と述べた ことがある。伊藤判事は,ビニール本事件to8)でも,. 「これらの文書図画のうち. には,芸術性や思想性の要素を含み,ある程度の社会的価値をもつものがあり うるから,それらは憲法上の表現の自由の保障の範囲外であるという・こと-はで 19.

(20) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). きない。そこで,準ハ⊥ド・コア・ポルノを『栄泰』にあたるとして刑法175. 条を適用することになると,適用違憲の間琴を生ずる余地がある」と述べたほ か,一般旅券発給拒否処分取消等請求事件109)の補足意見でも,. 「不服申立てに. は,適用違憲を主張することも当然に含まれており,したがって,外務大臣が. 申請者の海外渡航には法の定める害悪発生の相当の蓋然性が客観的に存在する と判断した根拠が拒否の理由のうちに示される必要がある」と述べ,大分県屋 外広告物条例事件110)の補足意見でも,同条例の運用面における注意規定に目 を向けつつ, 「場合によっては適用違憲の事態を生ずることをみのがしてはな らない」 111),地方公務員法及び地方公営企業労働関係法に基づく徴戒処分が問 題となった事件112)でも,一部反対・一部補足意見の中で,. 「争議行為の違法性. の程度について評価を行う場合の基準となるべきものを明らかにし,また適用 違憲を考える余地があるかどうかを判断するためには,争議行為の禁止の法令 を合憲とする論拠についてその正当性の範囲を検討しておく必要がある」と述 べている。ほかには,. 福田博判事反対意見が,. 1999年の東京都議会議員定数不均衡訴訟113)において, 「配当基数0.5ないしそれを下回る選挙区を定めること. は,ほとんどの場合,そもそも憲法で許される裁量の幅を既に超えてい■るので はないかとの疑念を強く持つが,配当基数0.5を下回る選挙区を定めることが 許される場合があるとの立場を採る場合であっても,それは特段の事情に基づ く極めて例外的かつ暫定的な場合にのみその可否が検討されるべきもので(さ もなくば適用違憲の問題を生ずる。)」と述べた例がある。だが,少数意見の中に 適用違憲の手法の可能性に言及した例ですら,ほぼこれらにとどまるのである。 つまり,現時点では,伊藤正己判事114)の関わった複数のものと福田博判事に よる1つ程度に限られているのである115)。. 猿払事件多数意見が適用違憲の手法を拒絶したことについては,下級審は最 高裁判例を前提に被告人を救済しようとした苦しいものであるのだから,その 限りでは最高裁の姿勢は妥当だとする見解116)もある。だが,それはいかにも ドイツ憲法裁判所的な憲法裁判観に執着し過ぎている117)。確かに,刑罰法規の 20.

(21) 適用違憲「原則」について. 明確性は重要であるが,それは行為者にとって必要なことなのであって,解釈 者は,当該刑罰法規を合憲限定解釈したり,適用違憲としたりして被告人を救 済することが当然に許され,かつすべきことであらた。また,当該法令の意味. の確定と事案への適用は別問題であり,当該法令を当該事町に適用できるかは, 憲法の観点からも検討されるべきであった。そして,付随的違憲審査制の下で は,まずは事案の解決が第一であり,それにJJZ、要な限りで憲法判断がなされる のが原則であろうから,適用違憲という手法が許されないというのは寧ろ断じ て不自然である。この判決以降,適用違憲論が否定されたため,法令を救済し てなおかつ当事者を救済する知恵が封じられた118)ことは,不合理で不健全で 不条理なことであった。下級審が「正面から最高裁判例に挑戦する形が増える」. という予想119)は当たちず,司法による人権擁護の活性化は生じなかった。 要するに,一般論としては,適用違憲の手法は肯定されるべきである。だが, 表現抑圧的な立法の合憲判断の場面でこれを全面的に受容すると,表現行為が 有罪か無罪かは判決が出るまでおよそ解らないという,疑問の残る解が出てし まう。その結果,予測機能の阻害,許される行為とそうでないものを不分明の ままにすることによる萎縮的効果が生じてしまう120)。特に,_表現権規制立法に ついての「漠然不明確ゆえ無効」,. 「過度に広汎ゆえ無効」の両法理からすれば,. 当該法令は限定解釈の余地はない筈である121)。そう考えると,猿払事件では, その適用が極めて例外的な事例だとは認識されていないのであるから,、文面違 憲と考えるべきだったのではないかという批判122)が成り立とう。 ここで,過度に広汎な規制であるとき,罪刑法定主義(憲法31条)の見地123) からは,当該法令を縮小解釈(合憲限定解釈や適用違憲)して可罰的な行為の範 囲を限定する努力をしつつ124),法令を残しながら被告人を救済することがある のに村して,表現権の保護(憲法21条)の見地からは,仮に被告人の行為の違 法性が明らかであっても,将来の表現行為への萎縮的効果を残さぬため,文面 違憲によって被告人を救済すべきである125)という違いがあることには注意す べきであろう126)。付随的違憲審査制の下にあるアメリカでも,そうである127)。 21.

(22) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). 猿払事件1審は,憲法21条の問題であるがゆえに適用違憲の手法を採ったこと が批判されたと思われ128),.適用違憲という手法に普遍的な問題があったのでは なかろう129)。法令の合憲部分と違憲部分が不可分であるならば,規制の線引き が暖味なのであるから,表現規制立法がそうであるときには裁判所は文面無効 と言うべきであろう。公務員であるがゆえに政治的主張がおよそできない,立 候補を前提とした表現ができないというのは,それが高級官僚に対する規制で もあることを含めても,過度に広汎な表現権の規制であり,参政権の過剰な規 制であると言えなくもなかったのである130)。. 確かに,. 「法律の規定を中心に判決形式を選択するのであれば,およそ合憲. 的適用の可能性がないという例外的場合を除けば,法律そのものは合憲とした 上で,後は正しい法律の解釈を追及すればよいということにな」るので,最高 裁は適用違憲という手法に冷淡なのだという指摘131)もある。また,. 「具体的な. 事件の解決のみを任務としているのではない最高裁」は法的安定性の観点から, 当該人事院規則を一部違憲とすべきであるという見解132)もある。この考え方 を延長すれば,適用審査は原則ではなく,憲法判断では法令審査が原則である ことになろう。そして,違憲とされなかった法令の解釈は裁判官に委ねられ, 憲法を離れて,権利混用の禁止などの私法の一般原則や,刑法における罪刑法 定主義などを支配原理として解釈されればよいことになろう133)。だが,憲法上 の機関である裁判所の裁判官の法解釈・適用が,憲法を離れることはあり得な い。その解釈は,憲法連合的でなければなるまい。そのように考えると,適用 違憲という手法は,. 「上位法は下位法を破る」という法格言の下,上位法に適. 合するように下位法を解釈するという,当然の手法と言うべきである。 そして,付随的違憲審査制13i)である以上,そしてそれが憲法76条の「司法 権」の作用である以上,憲法判断についても,原則は通用審査であり,その下 での適用違憲が原則だと言うべきである135)。 まない事件においては,. 「言論・表現等に関する争点を含. 136)とも言えよう ・適用違憲の手法が通常用いられる」 か。そして,いかなる適用を考えても違憲であるときや,違憲的運用の危険性 22.

(23) 適用違憲「原則」について. のある法令を残すことの弊害が大きいときには法令違憲の判断がなされるべき である137)。前者の例として,尊属殺重罰規定違憲判決138)がある。この点,辛. 段違憲とする多数意見の発想や、らすれば適用違憲の余地もあったのではないか という指摘139)もあるが,法定刑が明快である刑法200条を被告人に合憲的に適 用する余地はなく,合憲限定解釈も極めて困難140)であり,他の事情が同じで 被害者が尊属か否かのみの異なる殆どの事例で宣告刑が異なることを命じるこ とになる141)ので,適用審査の後,法令違憲という結論は避けられそうもなか った142).後者は,勿論,表現の自由規制の場合が一般に該当する。 この点,付随的違憲審査制のもつ諸難点は適用違憲の手法にも付随するとし て,その手法を否定的に捉える主張143)もある。それらを難点と言うべきかは 別としても,■付随的違憲審査制の制約は当然にあると言うべきであろう。司法 権に付随する付随的違憲審査制に更に付随する適用違憲の手法が,それらの特 徴を抱えることは寧ろ当然のことであろう。そして,適用審査の判断をおよそ 避けている最高裁は,警察予備隊違憲訴訟144)で抽象的違憲審査制を否定した にも拘わらず,まず法令の合憲を宣言しがちであって,態度が矛盾していると. 言えよう。違憲審査とは法令そのものの合憲性を客観的・一般的見地から問題 にするものだと漠然と捉えられてきているとの批判145)千,その運用が付随的 違憲審査制に基づいているとは言えないとする批判146)も加えることができよ. う。法令審査至上主義は,法令を合憲と宣言したら最後,そのいかなる適用も 合憲であると錯覚する弊害も付随している。法令全体を違憲とすることは重大 なことであり,梼踏もしようが,法令が合憲であっても,なお,適用が違憲と いうことが理論上あり得ることは,忘れてはならない重要な点であろう14・7)。 これに対してゝ. 事実判断,適用上判断,文面上判断の順序は付随的違憲審査. 制そのものからは出てこないという主張148)もある。確かに,積極的に違憲判. 断を行うべきか否かは,付随的違憲審査制そのものからはダイレクト山ま導き 出せない149)。そのためか,適用審査をすべきかどうかは基本的には裁判官の裁 量であると,よく言われている150)。しかし,法令違憲より適用違憲の方が,国 23.

(24) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). 民主権原理に基づいた立法権-の敬譲が見られるのであれば,それが妥当する. 場面では適用審査が採られるべき15')であり,そうでない場面では逆となる羊 とが憲法の要請であって,これは「裁量」と片付けるべき類のものではない。 司法消極主義になるべきときと積極主義になるべきときとは,主に人権の種類 により区別されるべきであり,前者においては適用違憲が優先されるべきこと は,憲法の要請なのである152)。そして,合憲性の統制機能は立法府ではなく法 の執行者にまず向けられるべきであり153),この限りで「二元主義型の議院内閣 制154)」的役割を内閣は担うことにもなるようにも見える。 まとめれば,典型的には,経済的自由が問題となっている,司法消極主義的 場面では文面上判断が他に優先することはないであろうし,司法積極主義的場 面ではその道が司法権への憲法上の要請である,と考えるべきであろう155)。司 法消極主義的場面では,統治行為論ヤプログラム規定など,無審査の可能性が まずは検討される。次に,憲法判断回避156)によっても結論が同じであれば, 違憲判断を避ける。そして,合憲限定解釈の可能性を模索して157),なるべく法 令そのものが違憲となることを避けた上で,なお本件適用が違憲であれば,過 用違憲と言うべきように思われる158)。適用違憲がここで検討されるのは,それ が法令の一部適用を違憲と宣言するのであるから,以上のような,法令自体の 違憲判断を避けるものの中でもより「手厳しい判断」. 159)だからである。この. 結果,適用上判断は文面上判断の間に挟まれることになる160)が,司法消極主 義的場面では,強い違憲判断をなるべく導かない順序であると考えれば問題は ない。法令違憲は最後の手段である。逆に,司法積極主義的場面の代表である, 表現権規制の場面ではこれがほぼ逆の,文面違憲,適用審査法令違憲,合憲限 定解釈,適用違憲の順になるように思われるのである161)。 しかし,これには,最高裁は抽象的違憲審査を行使できると考えるべきだと する説からも反論162)が予想できる。だが,この説は,その帰結としてか, 憲判断の方法」の説明を,. 「裁判所は,適用法令の合憲性を審査して違憲の結. 論に到達した場合には,当該法令を違憲無効と判断して解決を図る」という■こ 24. 「違.

(25) 通用違憲「原則」について. とから入っ.七いる163)が,抽象的違憲審査権限の付与は法律によるとしており164), 憲法の定める司法権や違憲審査権の内容や権限が下位法令で決まるという矛盾 を抱え,根本的に疑問である。また,この説によるとしても,現状ではそのよ うな法律がないのであるから,付随的違憲審査だけが最高裁の権限であるので, 最高裁は抽象的違憲審査権を行使できない筈である。また,憲法81条が抽象 的違憲審査権限を最高裁に付与したと解する165)のでは,. 76条の司法権の一般. 的な説明と矛盾してしまうので,安当ではないであろう。_やはり,日本の裁判. 所の司法審査は通常,適用審査セあって166),違憲判断も適用違憲を基本とすべ きではないかと思われるのである。これが帰結であろう。. しかし,問題はこれで終わらない。以上を踏まえると,適用違憲が付随的違 憲審査制の下で,司法消極主義的な場面で基本的に用いられるべきものである としても,そこでは緩やかな合理性の基準が用いられるのが常であるから,法 令や適用の目的もしくは手段に何らの合理性もないと被適用者が立証できたと きでなければ,違憲判断はないと思われる。このため,適用違憲が違憲判断の 原則的な手法であると言ったところで,そのような判断を裁判所に下させるた めには,法令は合理的であるが,自己への適用が著しく不合理であることを立 証せねばならないこととなろう167)。この下では,法令は合憲だが,適用が著し く不合理とされ違憲となる例は,多くないことが予想されよう。 だからか,. ・「厳格な審査がなされる」司法積極主義的な場面でこそ,適用違 「二重の基準」論の下 憲の手法は意味がある,とする見解がある168)。しかし,. では,どのような審査基準を用∨、るかは,単に人権「制限は『必要最低限度』 にとどめなければならない」. 169)という一般論を超えることはもとより,司法. 消極主義的な場面と積極主義下では,法令を裁判所が疑う度合いが違うだけで もなく,多くのことが異なってくる筈である170)。司法積極主義の下では,合憲 的部分の適用で十分な事案には当該法令をそのまま適用し,違憲的部分の適用 について適用違憲が宣言される,という審査方法171)と,文面違憲の手法とは 相容れない。司法積極主義的の場面では,審査の方法についても,違憲法令の 25.

(26) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). 萎縮性に鑑みて,法令違憲を軸に考えるべきであった。そうだとすれば,適用 違憲が宣言される余地があるのは,法令はおよそ合憲であるが,僅かに違憲で ある部分がたまたま適用された者に対してのときなどに限定されよう172)。 もしそうならば,適用違憲の判決が下されるべき状況は非常に限定される。 その意味では,経済的自由に関する法令違憲判決の事例173)が,或いは適用違. 憲に相応しかっ■たのかもしれない174)。そして,この考察からすると,適用違憲 の主な守備範囲は,ある程度一般的な文言0)民事・行政法令であり175),刑事特 別法などにはおよそ不向きがあるようにも思える。制限される人権の種類より ち,法令の広狭と不利益の種類の方が,適用違憲判決のあるべき頻度に与える 影響は,意外に大きいのかもしれなかったのである。. おわりに. このように,適用違憲という手法は,まずは当該事件の解決をする中で必要 があれば憲法判断を行うという付随的違憲審査制の下では,寧ろ原則であると いうことが,まずは踏まえられるべきである。比較的多くの場合,憲法判断の 方法の中で,このような方法もある,というような扱いがなされてきたように 思えるのだが,逆であろう。. 「法令の条項そのものを端的に違憲無効とし,その. 事件への適用を排除するのが,いわば正攻法」. 176)ではない。その点,政治的表現. 規制の法令が問題となった,その本来の活動場面ではない事案で,そして最高 裁がそれに全面合憲論を唱える.と予測できる中で,下級審がこれによって村処 せざるを得なかったことは,適用違憲にとっては不幸なデビューとなったよう に思えてならない177)。適用違憲については,確立した判例に対してその誤りを 指摘しつつも,次善の策としてそれが碓持されたときには当事者を救済す■る, 下級審の「知恵」としての意味は認めつつも,やはり,荘漠とした条文を前に, 主に司法消極主義的場面で用いるものとして,その理論を精微化させることが あるべき姿だったように思えるのである。 26.

(27) 適用違憲「原則」について. その意味では,次に,法令違憲に進む例外的な場合の理論化が,筆者の課題 であろう。いかなるときが司法積極主義に転化すべきときなのであり,その際 に何がどう変わるべきなのかを考察することが,その際は,肝要であろう。そ 「二重の. して,合憲限定解釈や適用違憲の守備範囲の広狭は,結局のところ,. 基準」をどこまで厳格に考えるかにかかっていることも見えてきた。このため, 「二重の基準」論を再考することも肝要となっていることを付言したい。. 1)適用違憲は「一部違憲」とも区別される。確かに,アメリカで適用違憲をそう呼ぶ用法があ るという指摘もある。市川正人「適用違憲に関する一考察」佐藤幸治-初宿正典編『人権の 現代的諸相』 309頁, は,. 314頁(1990)。また,藤井俊夫『憲法訴訟の基礎理論』. loo雷(1981). 「適用上一部違憲・相対的違憲」と言い換えている。しかし,一般に「一部違憲」とは,. 可分な法令を可分してその一方を違憲とするもので,法令違憲の手法である。法令の有効性 を維持する適用違憲とは異なる。芦部信喜(高橋和之補訂). 『憲法』〔第3版〕 359頁(2002). 参照o但し,ドイツ憲法裁判所による質的一部無効の判断は,適用違憲にとの違いが微妙で ある。永田秀樹「適用違憲の法理」ジュリスト1037号212頁, 掲註1). 214頁(1994). [以-■F,永田前. 「裁判を含めた公権力の権限講師(処分)そのも. Ⅰ論文,と引用]参照。このほか,. のの合憲性について審査を加え,違憲との見解を示す」という「処分違憲」というものがあ る。戸松秀典『憲法訴訟』. 337頁(2000)な・ど参照。例としては,愛媛玉串料訴訟(最大判. 平成9年4月2日民集51巻4号1673頁)・などが挙げられることが多い。また,永田秀樹「適 用違憲」法学教室125号38頁,. 41頁(1991). [以下,永田前掲註1). Ⅲ論文,と引用]の述. べるように,東京都公安条例に関するいわゆる1審寺尾判決(東京地判昭和42年5月10日下. 刑集9巻5号638頁)のような「運用違憲」と言われるものの多くは,実は法令違憲とすべ き事例であろう。 2)芦部同上357頁。適用違憲と法令違憲の区別は,それほど厳格なものではない,という指摘 もある。井上典之『司法的人権政済論』. 30頁(1992)。しかし,実際の運用は兎も角,概念. としてはこのように区別できると思われる。声部信喜『憲法訴訟の現代的展開』. 45頁(1981). も, 「アメリカの連邦最高裁の判例でも,判文上は適用違憲でありながら実質的には法令違. 憲ないし法令の一部違憲としての意味をもつ判決があったりする場合がある。その限りでは 法令違憲と適用違憲の区別は.それほど厳格ではない」. (傍点原文)と,慎重に述べている。. 3)芦部前掲註1)書357-358頁o第1類型の典型例は猿私事件1審,第2-類型の典型例は,本所 郵便局事件1審(東京地判昭和46年11月1日判時646号26頁),第3類型の典型例は,第2次. 家永教科書裁判1審(東京地判昭和45年7月1日行集21巻7号別冊)であるとしている。詳 細は声部前掲註2)書47-52頁参照。阿部照哉『憲法』. 〔改訂〕255頁(1991),上田章-浅野. 〔第2版〕 520-521頁(2004),長谷 [上田],辻村みよ子『憲法』 一郎『憲法』 277頁(1993) 〔第4版〕 303-304頁(2006) 部恭男『憲法』 〔第3版〕 430頁(2004),野中俊彦ほか『憲法Ⅱ』 27.

(28) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月) [野中]など同旨。永田前掲註1). Ⅲ論文40-41頁も参照。第3類型については,山内敏弘. 「教科書裁判における適用違憲論」芦部信書編『教科書裁判と憲法学』 照。粕谷友介『憲法』. 181頁(1990)など参. 389-391頁(2000)は,第1類型を「合憲限定解釈不可能型適用違憲」,. 第2類型を「合憲限定解釈不実行型適用違憲」,、第3類型を「違憲的解親適用型適用違憲」と 名付けて、いる。長尾-紘『日本国憲法』 覚道豊治『憲法』. 〔第3版〕 471頁(1997)は,第ト3類型のみを,. 〔改訂版〕174頁(1973)は第3類型だけを,適用違憲と表現する。このほ 〔第3版〕 368-369頁(1995)は,実質は法令の一部違憲である型と,. か,佐藤幸治『憲法』. 第三者没収事件(最大判昭和37年11月28日刑集16巻11号1593頁)を例に,. 「法令そのもの. の合憲性には疑問はないが,その法令を実施するにあたって憲法上要請される手続をつくさ ないために,その実施上の行為が違憲とされる型」があるという。但し,同判決については 法令違憲とする見解も多く,小林武「判批」法セミ増刊『憲法裁判』. 62頁,. 64頁(1983). のように,立法不イ乍為の違憲と見る見解もある。 〔第3版〕 254頁(1996). 4)阿部照哉ほか編『憲法(4)』 法講義(仝)』. 〔改訂新版〕 60頁(1998)ち,. [野坂泰司]同旨。また,小針司『憲. 「法令の解釈の誤りにすぎないもの」や「合憲. 限定解釈のしそこない」は適用違憲の例ではないとし,芦部説のいう第1類型だけが「適用 違憲の名にふさわしい」としている。 5)佐藤幸治『現代国家と司法権』. 〔第2版〕. 358頁(1988)など。なお,松井茂記『日本国憲法』. 119頁(2002)は,適用違憲を「法律の通用された限りでの違憲」と「その法律の適用の違 憲」に分類し直す。 6)清水睦ほか『憲法講義1』. 247頁(1979). 一-野中『憲法の基本判例』 コンメンタール憲法』. [野中俊彦],野中俊彦「憲法判例の軌跡」樋口陽. 〔第2版〕 228頁,. 230頁(1996),小林孝輔-芹沢斉編『基本法. 〔第5版〕 381頁(2006). .[武居一正],野中ほか前掲註3)書304頁. [野中]など。 7)永田前掲註1). Ⅰ論文212頁など。. 8)例えば,中谷実編『憲法訴訟の基本問題』. 237頁(1989). [井上典之]は,. 「オーソドックス. な方法としての法令違憲に対して,Ⅳ= 当該適用を違憲とする判断方法が存在する」と記述す る。. 9)中平健吉「憲法訴訟における実務上の諸問題」公法研究35号70頁,. 84頁(1973)0. 10)旭川地判昭和43年3月25日下刑集10巻3号293頁。本件評釈としては,山本徳条「判批」 『昭和43年度量要判例解説』 [以 FL,芦部前掲註10) (2000). 18頁(1968),芦部信書「判批」判例評論114号10頁(1968). Ⅰ評釈,と引用],同「判批」. [以下,芦部前掲註10). 『憲法判例百選II』 〔第4版〕 430頁. Ⅲ評釈,と引用],園部逸夫「判批」判例タイムズ224号77. 頁(1968),室井力「判批」法律のひろば21巻6号16頁(1968),坂本重雄「判批」 年度重要判例解説』. 169頁(1970)などがある。このほか,東条武治「政治的行為の制限に. 関する一考察-いわゆる猿払事件に関連してJ自治研究44巻12号137頁(1968),東城守一 「猿払事件の背景と旭川地裁判決の骨格」労働経済旬報717号11頁(1968),同「猿払事件の 背景と旭川地裁判決の骨格」労働法律旬報671号3頁(1968),中山和久「公務員労働者の政 治活動の自由一勝利した猿払事件を契機として」同6頁,青木宗也ほか「座談会・公務員の 28. 『昭和44.

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