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《書評》三宅晶子著『歌舞能の系譜―世阿弥から禅竹へ―』

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Academic year: 2021

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(1)横浜国立大学国語教育研究 No.44(2019) 《書評》. 三宅晶子著『歌舞能の系譜―世阿弥から禅竹へ―』 (2019 年 2 月 20 日刊 ぺりかん社 A5 判 336 頁) 辻拓真 1、はじめに. 二. 「雲となり雨となる」. 室町時代、様々な寺社から支援を受けつつ多くの座を. 三. もみちに冷淡な世阿弥――能作者の横顔――. 立ち上げられ、観阿弥・世阿弥の親子によって大成され. 四. 〈砧〉に用いられる「水かけ草」. たのが能である。現在能は、古典芸能として数多く演じ. 五. 能の中の大和、共存する歌枕と実世界. られているが、今に至るまでに様々な取り組みが行われ. ――〈布留〉と〈野守〉――. てきた。. 六. 〈融〉の引き歌考. 本書は、二〇〇一年に刊行され歌舞能の確立から展開. 七. 交錯する現在と過去. に迫った『歌舞能の確立と展開』 (ぺりかん社)に続くも. 八. 舞を生む歌語――能における和歌の力――. のとして位置づけられている。主に世阿弥と金春禅竹(以. 九. 動き出す言葉. 下禅竹)という能作史を彩る中心人物に注目し、曲目・. 一〇. 著書・弟子への手紙といった多角的な視点からの分析を. 第四章. 行うことで、それぞれの人物と時代的特色を明らかにす. 一. るものである。その中でも従来通説とされてきた、観阿. 世阿弥における能楽論と能作の実態. 修羅能のシテに撰ばれた武将たち ――〈清経〉〈敦盛〉そして〈朝長〉――. 弥・世阿弥時代を能の大成期とし、禅竹の時代は守成に. 二. 入っているという考えを改め、禅竹の時代までを能の創. 軍体と砕動風 ――『拾玉得花』我意分説をめぐって――. 生期と位置づけているという点で意義がある。. 2、本書の構成 以下に全五章の章段を示す。. 第一章. 歯車となる言葉. 三. 力動風再考. 四. 佐渡における世阿弥. 五. 『申楽談儀』世阿弥が語ったこと、語らなかったこ. と. 世阿弥と禅竹. 六. 住することなき世阿弥. 七. 世阿弥の能楽論と死生観――世阿弥と元雅――. 一. 言葉の魔術師、世阿弥――〈砧〉――. 第五章. 二. 耽美派、禅竹の能――〈野宮〉と〈定家〉――. 一. 六条御息所の変貌――能と物語の間――. 二. 「飽かぬやいつの寝乱れ髪」. 三. 一条兼良と金春禅竹. 四. 〈野宮〉の作者――身にしむ色――. 五. 〈定家〉と百人一首. 六. 〈姨捨〉の作者. 第二章 一. 創世記の能の魅力. 夢と現の間 *. 交錯する現在と過去. 〈融〉. *. 言葉では現されない事柄. *. 夜の明ける瞬間. 〈浮舟〉. 〈西行桜〉. 二. 類型化以前の霊験能――〈田村〉を中心に――. 三. 禅竹のもたらした能の革新性. 第三章 一. 禅竹の世界. 3、世阿弥と禅竹の個性の違い. 世阿弥の言語感覚. 本書第一章では、世阿弥と禅竹の個性の違いを主に曲. 世阿弥は『源氏物語』を読んでいたか. 目の作り方を比較することによって明らかにしている。. ――〈浮舟〉〈頼政〉 〈班女〉を検討する――. 具体的には、世阿弥は伝えたい事柄を謡などの曲目中の. 89.

(2) 横浜国立大学国語教育研究 No.44(2019) 言葉に込めることで、その意図する所を演者、またそれ. の作者」は、世阿弥作と長らく考えられてきた〈姨捨〉. を見る観客に対して明示する。これにより演者は世阿弥. が実は禅竹作ではないかということを指摘している論考. の言葉を辿っていくことで、自然と一曲の能が出来上が. である。世阿弥と禅竹について整理してきた著者による、. るようになっている。従って世阿弥は、言葉が持つ豊か. 締めくくりの様な性格を持っていると言えよう。. な世界を存分に利用していると言える。一方で、禅竹は. 5、おわりに. 一曲の中でなるべく語らずに曖昧さをあえて残す。すな わち言葉で表現されない抽象的なものに重きを置くこと. 昨今小中高問わず、能や狂言、歌舞伎の内容を教科書. で、演者や観客に想像させるといった点が挙げられる。. に取り入れていこうとする動きがある。古典芸能という ものは、実際に見ること、聞くことを体験せぬままでは、 人にいざ教える場面に直面した際、非常に億劫に感じて. 4、類型化する能 本書タイトルにもあるように、 「世阿弥から禅竹へ」継. しまうかもしれない。そのため解説を見ながら聞きなが. 承される中で起こった能の変容について述べる第二章が、. ら、内容そのものの面白さや細かい動作一つで特定の感. 本書における中心的なテーマである。. 情を表現する能の奥深さに触れる機会を一度は作ること. 世阿弥によって作り上げられた曲目はそれぞれ強烈な. が望ましい。その点で作能者として著名な人物の曲目の. 個性を持ち、世阿弥の狙った通りの演出を行うことがで. 解説を多分に含んだ本書は、読者に対して色とりどりの. きる。ゆえに演者も観客も理解しやすい能が生み出され. 能の世界を開いてくれる。 とは言え本書は能に関してやや発展的な内容を擁する。. た。時代は下り、世阿弥の作法を真似た類型的な作品が 多数登場するようになると、類似作品が多数誕生した。. そのため入門書としての立ち位置は同著『世阿弥は天才. 類型化というとオリジナリティの欠けた、同様のものを. である. 再生産する営みを連想し聞こえは悪い。しかしこの類型. ねることとして、能についてさらなる知識を深めるため. 化こそ、現在に至るまでの能のあり方を確立させた一大. に読むとよいのではないか。. 要因なのである。 能の類型化が行われた時代の真只中を生きた禅竹こそ、 類型化を行う中心人物であった。禅竹の行った類型化は 本説紹介を省き、舞の意味を曖昧化した。しかし、基本 的に世阿弥の作る能の形式に従っているため、決まりの 手順通りに展開するということを演者や観客が理解して いる状況下において、能の状況説明や場面解説を省くこ とを可能になった。すなわち、類型化により能の曲目が 一般化され、誰にでも演じやすくなることで、約束事の 範囲内で能を理解し演じ、鑑賞する流れが作り出された。 このように現在にまで伝わるその後の能の進むべき道を 決定したのは禅竹であり、本書の著者はこの意味で禅竹 までを能の創生期に含めたのである。 以上世阿弥と禅竹への系譜を述べたのち、それぞれの 能作者たちの代表作や、能の伝書といった書状からうか がい知ることが出来る側面を体系的に三章~五章で明ら かにしている。特に本書最後に収められている「〈姨捨〉. 90. 能と出会うための一種の手引書』 (草思社)に委.

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