第50号記念特集
宇宙物質の進化と暗黒星雲におけるトンネル反応
平岡賢三 佐藤哲也
(平成11年8月23日受理)
Evolution of the Universe and Tunneling Reactions in the Dark Clouds
KenzoHIRAOKA TetsuyaSATO Abstract The evolution of the universe was dealt with on the view point of the chemical reactions taking place in the dark clouds in the interstellar medium The reactions of H atoms with N, C,0,CO, CH3CN and C2 hydrocarbons in solid ph’≠唐?@at 10K were investigated by temperature− programmed mass spectrometry and FT−IR spectroscopy. The reactions investigated led to the formation of organic compounds which are important for the evolution of life. It was found that the solid−phase tunneling reactions taking place on the dust grains at∼10K play important roles for the chemical evolution in the dark clouds. 1.はじめに:輪廻する宇宙 宇宙は約150億年前のビッグバンから始 まりました。創世記の宇宙は水素とヘリウム からなっていました。この水素とヘリウムか らどのようにして、より重い元素が生まれた のでしょうか。これを理解するためにF嬉1 に宇宙が輪廻転生するサイクルを示します。1) ★物質・生命工学科Department of Applied Chemi try and Biotechnol(gy 広大な宇宙空間に広がった水素やヘリウムガ スは次第に重力場によって集まり、星間分子 雲(暗黒星雲)を形成します(大きさは10 光年程度などいろいろ)。これが星の誕生の 場となります。星間分子雲はさらに重力収縮 を起こして、その中心に原始星が生まれます。 星の誕生です。内部での核融合反応が始まる には足りませんが、重力エネルギーが次第に 内部に蓄積されて星の温度が上がっていきま す。この段階で主に赤外線を放出するので、
赤外線星と呼ばれます。さらに重力収縮が進 行して温度が上がると、ついに星の内部で核 融合の火がついて、主系列星と呼ばれる明る く輝く星になります。夜空に光る90%の星は この主系列星です。このような主系列星にな るためには、少なくとも太陽の数%の質量が 必要です。太陽系で最も重い惑星である木星 の質量は太陽の0.1%なので、核融合反応を起 こすには足りません。このため、太陽になり 損なった星と呼ばれたりします。因みに、地 球の質量は、太陽の約百万分の一しかありま せん。太陽サイズの星は、寿命が大体1010年 位です(100億年)。太陽は約50億歳です から、あと50億年は輝き続ける計算になりま す。今後、太陽は寿命を重ねるにつれて内部 温度が上がって盛んにガスを放出しながら膨 張していきます。そして、地球などの惑星を 呑み込みながら赤色巨星となります。赤色巨 星はガス成分やダスト(塵)などを激しく放 出して(質量放出現象)外側の成分がすっか り吹き払われ白色わい星となって視界から消 えていきます。太陽サイズの星では、核融合 反応が炭素合成の段階あたりで止まってしま います。このため、このサイズの赤色巨星は 炭素星と呼ばれます。太陽よりも10倍以上重 い星は、老化するに従い核融合反応でさらに 重い元素を作り出していきます。そして核融 合反応の最終段階で鉄の中心核が形成されま す。これは、鉄の原子核があらゆる原子核の 中で最も安定だからです。時とともに星の内 部の温度は上昇し続けます。これは、1単位 の熱を外部に放出すると2単位の重力エネル ギーが内部に蓄えられるからです。つまり、 星は進化せざるを得ない宿命にあるのです。 核融合反応が進んで中心核の温度がついに4 0億度に達すると、鉄はこの温度で放射され る黒体放射のガンマ線を吸収して13個のヘ リウムと4個の中性子に分解します。このと き、鉄の一原子当たり、124MeV、すなわち、 これまでヘリウムから鉄が合成されるまでに 数10万年もかけて解放してきた原子核エネ ルギー・・一とほぼ等しいエネルギーを、なんと一 秒以下の間に吸収してしまうのです。この急 激な吸熱反応で星は瞬時にして潰れてしまい ます。このとき、内部の圧力はフェルミ粒子 である電子の縮退圧を超えてしまうので、電 子は原子核に押し込まれて星全体が中性子の 集団になってしまいます。潰れるときの反跳 で外側の物質が宇宙に吹き飛ばされます。こ れが超新星爆発です。こうして、中心に中性 子星やブラックホールができ、残りの物質は 再び宇宙にばらまかれて、新しく誕生する星 の素材となるのです。これが、宇宙の輪廻で す。宇宙空間に漂う星間塵(ダスト)は、老 化して白色わい星になった星や超新星爆発の 名残といえるのです。そしてこのダストが地 球などの太陽系惑星の原料となったのです。 我々の地球の構成物質は、過去に起こった超 新星爆発によって作り出されたものだったで す。
2.星間物質
太陽系の元素存在比は以下のようになっ ています。H(106), He(67,000),0(670), C(370),N(120), Ne(100), Mg(33), Si(32), Fe(25), S(16), Al(2.6)。核融合反応の原料であ る水素とヘリウムが圧倒的に多いので、核融 合反応材料の枯渇の心配はありません。希ガ スのヘリウムとネオンを別にして、上位の元 素は10位のSとともにCHONS(チョンス) と呼ばれています。2)また、次の4元素は、 後述する星間塵の成分として大変重要なので、atom/dust 1∼10 cm’3 atom/molecule/dust 104∼105cm・3 薄い星間雲 р奄??浮唐?@cloud 星間分子雲(暗黒星雲) р?獅唐?@molecular cloud @ (dark cloud) 原始星(赤外線星) orotostar(infrared star) 超新星 唐浮垂?窒獅盾魔 赤色巨星 窒?п@giant
@star
主系列星 高≠奄氏│SeqUenCe Star 星の誕生 b奄窒狽?@of a star ブラックホール @black hole 中性子星 獅?浮狽窒盾氏@star 惑星 垂撃≠獅? Fig.1. Evolution of the universe. 宇宙の輪廻 MgFeSiAl(マグフェシアル)と覚えて下さい。 星間塵はこれらの元素の酸化物です。 生命の誕生につながる物質として、宇宙に はどんな分子が存在しているのでしょうか。 国立天文台野辺山(長野県)では、直径45m の巨大な電波望遠鏡が宇宙の星間物質の探索 を行っています。この望遠鏡は、大気を通り 抜ける波長30mから1mm(大気の窓)の範 囲にある宇宙からの電磁波を観測して、多く の星間分子の発見に貢献してきました。波長 が30m以上の電磁波は電離層で反射され、ま た1mm以下の電磁波は大気中の水蒸気に吸 収されて観測が困難になります。この電波望 遠鏡の放物面は65ミクロンという驚くべき 面精度で磨き上げられています。冬期に雪が 降り積もった場合、太陽に向けて雪を融かし ます。 この電波望遠鏡が目指した最も重要な研 究テーマは何だったのでしょうか。故、鈴木 博子博士は、星の誕生の始まりである暗黒星 雲から観測を始めることを提案されました。 こうして、星誕生の謎を解こうとする壮大な 研究活動が開始されたのです。暗黒星雲は、. ’Fig.1に示したように、1cm3に104から105 個の分子を含む星間分子雲です。銀河や明る い星空をよく観察してみると、部分的に星が 見えない暗い領域が随所に見つかります。こ こが暗黒星雲が広がっている領域なのです。 暗黒星雲は超新星爆発などの名残である宇宙 塵を含んでいます。この宇宙塵は外からの光 を反射しますから光は内部に入り込めません。 この結果、暗黒星雲は、観測者から眺めると、 宇宙にかかった黒雲のように見えるのです。 暗黒星雲中の宇宙塵は黒体放射によってエネ ルギーを電磁波として放出することで暗黒星 雲の温度が下がっていきます。観測によれば、 絶対零度に近い10K程度の温度にあることが 分りました。もっと冷えてもよさそうですが、山梨大学工学部研究報告 主系列星(核融合反応を起こしながら天界に 光り輝いている星)から放射された高エネル ギーの宇宙線が内部を貫通してエネルギV・・・…を 与えるので、10K付近で平衡温度となります。 野辺山の電波望遠鏡による観測が始めら れて、100種以上の星間分子が突き止めら れました。中には、地球上では合成されない 、エキゾチックな分子も多く含まれていること が分かりました。よくぞこんな見たことのな いような構造の分子が同定されたものだと感 心させられます。実は、同定に至る道筋には、 天文学者達の壮絶な努力が隠されているので す。現在、これらの星間分子が宇宙環境でど のようなプロセスを経て生成したのかを解明 するため精力的な研究がなされています。化 学反応がアレニウスの速度式(」∈已4exp(・ WRI)、≠速度定数、 A=前指数因子、 liEi:反応 の活性化エネルギー、正気体定数、F温度(ケ ルビン))に従うとしたら、活性化エネルギ ーをもつ化学反応は、10Kという極低温にあ る暗黒星雲では起こりようがありません。で は何故暗黒星雲周辺で多くの分子が発見され るのでしょうか。常識では考えられない特殊 な化学反応が極低温で起こるのでしょうか。 天文学者は、この謎を解く鍵iがトンネル反応 であると予想しています。古典的には、活性 化障壁のある化学反応では障壁を超えるエネ ルギーをもった粒子だけが化学反応を起こす ことができると考えられています。ところが、 量子力学の教えるところでは、物質は波動性 をもちますから、障壁を超えずにすり抜けて しまうトンネル反応が起こり得るのです。天 文学者は、10Kの暗黒星雲でトンネル反応が 起こって化学進化が起こると考えました。こ れは20年以上も前に出された仮説です。し かし、これまで誰もこの仮説を実験的に証明 しようとした研究者はいませんでした。それ は、地球上の限られた時間内での実験で、実 際に観測にかかるほどの速度で反応が起こる はずはなかろうという先入観に基づくもので した。オリオン座にある暗黒星雲として有名 な馬頭星雲を観測すると、暗黒星雲から大量 の物質が吹き出しているのが分かります。ど うやら暗黒星雲の内部では、我々の想像を超 えた物質の進化が起こっているようです。 3.宇宙における物質進化 星間空間は、1cm3に1個あるいはそれ以 下の原子しか含まない真空になっています。 この空間は紫外線、宇宙線(数GeVのエネル ギーをもつプロトン、G:109)、衝撃波などに さらされていますから、分子は解離しイオン 化されています。宇宙空間にはヘリウムと水 素が多く存在するので、これらがイオン化し、 多様なイオンー分子反応の引き金となってい ます。これまで多くの星間分子が観測されて きましたが、それらの多くがイオンー分子反 応によって生成することが分かっています。 また、最近、ラジカル反応も星間分子合成に 重要な働きをしていることが明らかになって きました。例えば、暗黒星雲TMC・1や赤色 巨星IRC+10216周辺において観測されるシ アノアセチレンH・C≡C−C…≡Nは反応(1)のよ うなアセチレン分子とCNラジカルとの反応 で生成する可能性が高いことが分かりました。
HC≡CH+C≡…N → HC≡C・C≡N+H
(1)この反応の速度定数は、25Kにおいて
4.6x1(}’1°cm3molecule’is’iという大きな値を もちます。3)この反応速度定数は、発熱性の イオンー分子反応においてよく見られるいわ ゆる衝突速度定数(t・ 109cm3moleede’1s’i)と近い値で、加えて星間空間にアセチレンが 多量に存在していることから、この反応がシ アノアセチレンの主要な生成機構であろうと 有力視されています。電波望遠鏡では、シア ノアセチレンの他n=2・5までのシアノポリイ ンH−(C≡…C)。・C≡Nも観測されています。大 方の星間分子は、気相反応でそれらの生成が 説明できます。ところが、生命の進化にっな がる最も基本的な分子である、アンモニア (NH,)、ホルムアルデヒド(HCHO)、飽和炭化 水素(C。H2n+2)などの生成が気相反応では説 明が難しいことが分かってきました。この難 問を解くために天文学者が目を付けたのが星 間塵上での固相化学反応です。暗黒星雲内の 10Kという温度は、水素、ヘリウム、ネオン を除くすべての気体が凝結する温度です。こ のため、暗黒星雲の内部にある塵には色々な 分子が凍り付いてミクロな雪だるまが形成さ れます。塵に張り付いた氷(氷の成分はH20 に限らない)のことをマントル(mantle)と 呼びます。こうして、宇宙に漂っていた種々 の分子が塵にかき集められます。つまり、極 めて希薄な状態で存在していたガスが塵に降 り積もり固体として密に集合することになり ます。凝縮したガス成分は、もとは星間空間 で気相反応で生成した成分です。これらにア ンモニア、ホルムアルデヒド、飽和炭化水素 などが多く含まれるとは考えにくいのです。 では、このマントル上でどのような化学反応 によって生命の進化につながる分子の合成が 進行するのでしょうか。 4.星間分子の実験室合成 星間塵の寄与を考えなければその生成が 説明できない代表的な分子が水素分子です。 星間空間には、紫外線、宇宙線、高速粒子な どが飛び交っていますから、分子は安定に存 在することができず、バラバラに分解し、さ らにイオン化されます。宇宙の主成分元素で ある水素は、星間空間では主にH原子として 存在しています。このH原子同士が宇宙空間 で正面衝突したとしてもH2分子は形成され ません。なぜなら、衝突する2つのH原子は、 安定な水素分子からみれば、これが解離しさ らに運動エネルギーを付与された状態とみる ことができるので、これらを束縛状態の分子 にするためには、第3体によって過剰なエネ ルギーを持ち去らなければならないからです。 ところが、宇宙空間の気体密度は小さく、2 つのH原子と第3体が関与する計3つの粒子 が同時に衝突して安定な結合状態にあるH2 分子を生成するためには100億年程かかって しまう計算になります。これでは、星間分子 H2の形成を説明できません。H2分子合成が、 星間塵上でのH原子同士の再結合反応による ことは疑いない事実として認識されています。 固体媒体は2つのH原子の会合で放出される 再結合エネルギーを極めて効率よく吸収しま す。固体媒体は効率のよい熱浴として働くの です。また、水素原子は軽く、塵の上で比較 的自由に動きまわり、塵上で再結合して効率 よくH,分子が形成されるのです。それでは、 生命の進化に深く関わるアンモニアやホルム アルデヒドはどのようにして生成するのでし ょうか。 以前にはアンモニアは、気相で窒素原子イ オンN+が逐次的にH2分子と反応して生成す ると考えられてきました。 N++H2 → NH++H NH++H, → NH,++H NH2++H2 → NH3++H
NH3++H2→NH4++H
(2) (3) (4) (5)NH4++e → NH3+ H (6) ところが、反応(2)と(5)に活性化障壁があって、 低温になると反応速度が急減し、低温の暗黒 星雲では上の気相反応ではアンモニア合成を 説明できないことが分りました。そこで、ア ンモニア合成反応として新たに登場した説が 星間塵上で起こる逐次反応(7)です。
N+H→NH, NH+H→NH2, NH,+H→
NH3 (7) 塵に捕捉されたN原子は、H原子との再結合 を待ちます。暗黒星雲内では、水素は主に分 子として存在していますが、宇宙線によってH原子に分解するので、1cm3に約1個のH
原子が暗黒星雲内に生成します。これが、O. 1 ミクロン程度の星間塵に数十秒に一度(この 値は環境により大きく変動する)という頻度 で衝突して吸着します。そして反応(7)でアン モニアが合成されるというシナリオです。 では、ホルムアルデヒドはどのようにして 合成されると考えられているのでしょうか。 初めて星間空間でホルムアルデヒドが観測さ れたとき、このような複雑な分子が星間空間 に存在していること自体に天文学者は大変驚 きました。実は、ホルムアルデヒドは暗黒星 雲の塵で合成されて、これが何らかの理由で 気相に脱離して検出されたのです。では、一 体どのような過程でホルムアルデヒドが合成 されたのでしょうか。星間分子として、H2に 次いで多く存在するのがCO分子です。水素 に対して一万分の一という大きな割合で存在 しています。この理由は、宇宙空間における 気相反応によって、炭素成分と酸素成分が 種々の複雑な反応によって最終的にCOの合 成経路に向かって流れるからです。天文学者 はホルムアルデヒドが星間塵上でH原子と CO分子のトンネル反応で合成されると考え ました。 H+CO →HCO (8)HCO+H→HCHO (9)
反応(8)、すなわちH原子がCO分子に付 加するためには活性化障壁を超えなければな りません。常識的に考えれば、このような反 応が10Kという極低温で起こるなどという発 想は到底浮かんできません。しかし、天文学 者は自由闊達な発想を得意としています。宇 宙は超高圧、超高真空、超高温、超低温など、 極限状態の入り交じったカオスのようなもの なので、発想を豊かにしなければ、謎解きに なかなか成功しないからです。そして、この 豊かな発想が多くの新しい科学を生み出して きました。例えばフラーレンの化学が天文学 者Kroto教授の着想に端を発しているように。 さて、天文学者の興味は空の観測が主体とな りますので、この大胆な仮説の実験による証 明はこれまで試みられていませんでした。筆 者が野辺山の星間科学ワークショップ(1990 年)に誘われて、大石雅寿博士(現在国立天 文台三鷹)から星間塵における化学進化にま つわるお話をうかがったとき、この仮説を検 証して見ようと思い立ちました。筆者はこの とき、77KでのH原子と固体の不飽和炭化水 素化合物との反応で、トンネル反応が常識を 超える速い反応速度で起こることをすでに見 いだしていたからです。∋その後現在に至る 試行錯誤の10年間で、ようやく完成品に近 い装置を製作できました。5’9) Fig.2に、星間分子の実験室合成用に試作し た実験装置の概念図を示します。この装置は、 2つの重点領域研究、「星間物質の進化」(代 表:海部宣男国立天文台教授、1993・1997)、 および「多自由度系としての原子集団及び原 子のトンネル現象」 (代表:佐藤武郎東北大lon−gun (electron−gun) detector box / BaF2 sampl。 g。よ2ニク turbo−molecular pump BaF2
/
BaF2 M3 f=280 mm FTIR spectrometer Nicolet MAGNA 760 Si wafer 30×50×0,5 Fig.2. Apparatus for the investigation of reactions of H atOms with solid thin films deposited on the silicon substrate at cryogenic temperature. The base pressure of the vacuum $ystem iS −1010Torr. トンネル反応観測用装置の概念図教授、1995・1998)の補助によって製作され たものです。超高真空装置に、10Kまで冷却 可能な極低温冷凍機、フーリエ変換赤外分光 計、四重極質量分析計、水素原子発生用のく びれ付き放電管、くびれ付き試料蒸着用放電 管、が取り付けられています。試料ガスを数∼ 数10分子層の厚さで10Kに冷却したシリコ
ン基板に蒸着させます。シリコン基板
(0.5x30x50mm)を極低温冷凍機のコールド ヘッドにインジウム箔を介して圧着します。 インジウム金属は柔らかいので、これをシリ コン基板と銅のコールドヘッド間に挿入する ことで接触面が原子レベルでなじむので熱伝 導効率がよくなってシリコン基板の温度をコ ールドヘッドと同じ温度に保つことができま す。シリコン基板を使用するのは、シリコン 結晶が非常に大きな熱伝導率をもつからです。 水素原子発生用のくびれ付き放電管は、銅板 でインジウムフォイルを介してコールドヘッ ドと接触しているので、コールドヘッドの温 度が10Kのとき、放電管を27Kに冷却でき ます。水素原子はH2ガスの放電によって生成 し、シリコン基板上に蒸着された試料にスプ レーされます。放電管には内径0.2mmのくび れがあり、これでH,ガス流量を制限して真空 槽内の圧力上昇を防ぎながら、かっ放電管内 のH2ガス圧を数Torrまで上げることができ ます。Paschenの法則から、数Torrのガス圧 で最も安定にプラズマが発生します。プラズ マから発生する紫外線は、放電管に2個の optical trapを設けてこれを厚いグラファイ トで塗布して完全に吸収させます。放電管後 部に封入した金属キャピラリーに負の高電圧 を印加してプラズマを発生させます。このと き、数100eVのエネルギーをもつ電子が発生 して、基板を衝撃します。この試料への電子 衝撃を防ぐために、1つのoptical trapの中 にコイル状のモリブデン線を封入してこれを 接地電位にしたところ、放電管からの電子の 放出を完全に抑えることができました。プラ ズマ内で、励起状態の水素原子(電子が2s準 位に励起された準安定励起種)が生成してい る可能性がありますが、これは水素分子や器 壁との衝突で容易に2p準位に遷移します。2p 準位の電子は速やかにLyman線を放出して 基底状態の1s準位に落ちるので、励起された 水素原子が生き残って基板にスプレーされる という可能性は極めて低いと考えています。 こうして、電子衝撃や紫外線照射、あるい は励起状態の水素原子からの影響を完全に防 いだ実験条件下で、27Kに冷却された基底状 態のH原子と10Kの薄膜固体の低温化学反 応を観測できるようになりました。また、薄 膜試料にH原子を含む水素ガスがスプレー.一一さ れても、膜の表面温度の上昇は無視できるこ とが確認されました。例えば、脱離温度直前の25Kで1000分子層のCO薄膜にH原子を
スプレーしてもCO分子は脱離してきません でした。N足一遭塵と一旦
UilzgAlt
星間分子合成の手始めとして、アンモニア 分子の合成反応から始めました。まずN2ガス をプラズマ分解して、N原子を含むN2薄膜を 10Kの基板に蒸着させ、これとH原子を反応 させ生成したアンモニア分子を四重極質量分 析計で検出しようというものです。実験を始 めた当時は、N原子が10Kで蒸着されるかど うかも分かっていない手探り状態でした。プ ラズマ放電した活性窒素を10Kの低温基板に 蒸着したところ、蒸着された膜が美しい緑色に輝いているのを見て感動しました。これは、 窒素ガスの放電で生成した励起状態の窒素原 子N(2D)が基底状態N(4S)に落ちるときに 発する禁制遷移の発光でした(波長:520mn)。 N原子が10Kで確かに基板に蒸着されていた のです。膜を厚くしていくと、見事な同心円 状の干渉縞が現れます。これで膜厚の測定も 可能となりました。この燐光の寿命は約30 秒でした。発光寿命は10Kから20Kまで温 度に依存せず、20K以上で急に短くなりまし た。これから、20K以上でマトリックスのN, 分子が動き始めることも分りました。28K付 近でN2膜は脱離し始めます。10KでN原子 を含むN2マトリックスとH原子を反応させ て昇温脱離マススペクトルを測定したところ、 アンモニア由来のピV…一クが検出されました。 これで、反応(7)が星間塵上で起こるという天 文学者の仮説が証明されました。これが、固 相における星間物質合成実験での初めての成 果でした。興奮さめやらぬまま、天文学会で 最も権威あるとされているAstrophysical Jouma1に投稿しました。6)アンモニア分子 合成の成功は、H原子がある程度N2膜中を拡 散することも教えてくれました。 N原子とH原子の逐次反応でアンモニア 合成に成功しましたので、さらに、COマト リックス中のC原子、およびN20マトリック ス中の0原子とH原子との低温反応も試みま した。各々の実験で、メタンおよび水が合成 されることを確認できました。この一連の仕 事で、星間塵が宇宙における物質進化に重要 な役割を果たしているに違いないという確信 をもつようになりました。7’9)
HCHOおよびCH30H∠ のA :CO・
とH のトンネル応:
天文学者は、COとH原子が反応してホル ムアルデヒドが生成するという説を唱えまし たが、筆者には10Kでこのような反応が起こ るとはとても考えられませんでした。N2固体 中のN原子とH原子の逐次反応でアンモニア が生成する反応は、ラジカル再結合反応なの で、反応に大きな活性化障壁はありません。 このため、世界に先駆けた実験結果ではあっ ても、NH3分子が生成したことはさほど不思 議ではありませんでした。しかし、COとH 原子の反応には活性化障壁があるので、果し てホルムアルデヒドが生成するのか、実験に 臨み全く自信がありませんでした。反応生成 物の生成量を増やして検出を容易にするため に1eKの基板にCOを10分子層蒸着してこ れとH原子を5分間反応させる実験を100回 繰り返して、反応生成物の昇温脱離マススペ クトルを観測しました。驚いたことに、第一 回目の実験で、ホルムアルデヒドとメタノー ルが脱離する温度領域にこれらの生成を示す ピークが現れたのです。メタノールは、ホル ムアルデヒドがさらにH原子と反応して生成 したものです。HCHO+H→HCHOH, HCHOH+H→
CH30H (10) 初めて行った実験でホルムアルデヒドのみな らずメタノールまでが合成された実験結果に 興奮しましたが、にわかには信じられずブラ ンク実験も含めて何度も追試を行いました。 その結果、間違いなく反応が進行しているこ とが確認されました。この仕事は、トンネル 反応による最終生成物を観測した世界初の仕 事となりました。宇宙空間に遍く存在してい るCOが糖の原料であるホルムアルデヒドの 親分子であったことが検証できたことになり ます。この実験で生成したホルムアルデヒド山梨大学工学部研究報告 とメタノ・・・…ルは感度のよい質量分析計で検出 するには十分でしたが、決して多量に生成し たわけではありません。つまり、COとH原 子のトンネル反応は通常の熱反応とは較べも のにならない程遅いということです。この実 験に関連して、アセトニトリルとH原子の反 応も試みました。 CH3C≡…N+4H→C云H』NH2 (11) ニトリル化合物は宇宙空間で見つかっていま す。この化合物が塵上に捕捉されてH原子と のトンネル反応で水添されればアルキルアミ ンの生成につながると考えたからです。この 実験ではいくら時間をかけて反応させても、 昇温マススペクトルにはエチルアミンのシグ ナルが全く現れませんでした。この結果は、 H原子が三重結合のニトリル基に(トンネル) 付加反応しにくいことを示しています。CO も含めてどうやら三重結合は、H原子と反応 しにくい傾向をもつようです。次に述べるエ チレンはH原子とはるかに効率よく反応して エタンを生成します。 このようにして、星間塵上での固相トンネ ル反応でホルムアルデヒドが合成される可能 性が高いことが証明されましたが、気相反応 によるホルムアルデヒドの生成機構もいくつ か提案されています。例えば以下のような逐 次反応があります。1°) CH3++H20→CH30H2+ +hv (12) CH30H,+→HCHOH++H2 (13) HCHOH++e→ HCHO+H (14) 反応(12)において、メチルカチオンと水分子 が放射性再結合(radiative recombination) を起こして振動励起状態のプロトン化したメ タノールが生成し、これが単分子分解を起こ して(反応(13))プロトン化したホルムアル デヒドが生成します。これが反応(14)で電子 と再結合してホルムアルデヒドが生成すると いうものです。反応(12)のような放射性再結 合反応の速度定数は衝突速度定数(10−9 cm3molecu1♂ば1)に比べて通常数桁小さい値 をもちます。したがって、反応(12)一(14)が気 相において観測されたホルムアルデヒドの量 を十分説明できるかどうか疑問が残るところ です。気相反応、あるいは固相反応のいずれ の寄与が優勢なのでしょうか。宇宙は大変空 間異方性が高いので、各々の環境に対応して 分子生成の機構を精査する必要があるでしょ う。 極低温の星間塵を反応場として物質の進化 が行われることは疑いないとしても、星間塵 が10K付近の極低温に保たれる限り塵上で生 成した星間分子は気化しません。これらの星 間分子が電波望遠鏡で観測されたという事実 は、何らかの脱離機構があるということを意 味します。脱離機構としては、①暗黒星雲内 部に進入する紫外線や宇宙線による脱離、② 塵同士の衝突による脱離、③暗黒星雲外部か らの衝撃波(超新星爆発などで生じる)によ る脱離、④暗黒星雲のうねりで外側にさらさ れた塵が紫外線照射で脱離、⑤暗黒星雲内部 に誕生した原始星によって内側からあぶられ て脱離、などが考えられています。何れの寄 与が大きいかという定量的な見解は得られて いませんが、⑤の可能性は有力と考えてよい でしょう。
5.彗星の化学
星が暗黒星雲から進化して生まれること をすでに述べました。太陽系ももちろん暗黒 星雲を経て誕生しましたが、太陽系の外周に いまなお暗黒星雲の名残である微惑星、すな わち彗星の巣が残っています。太陽系の近くを星や星間雲が通過したりすると、微惑星の 軌道が影響を受けて太陽の引力圏に落ち込ん で太陽を中心に楕円軌道を描くようになりま す。これが彗星です。彗星は太陽系が形成さ れた初期の暗黒星雲の情報をいまだに保存し ていると考えられています。このため、彗星 の観測で太陽系の起源に関する情報が得られ ると期待されています。最近、百武および Hale・Bopp彗星が相次いで地球に接近したこ とは記憶に新しいところです。この好機を天 文学者が見逃す筈はありません。多くの貴重 な観測データが得られました。なかでも興味 深いのが炭化水素などのガス成分の観測結果
です。百武彗星では、
C2H2:C2H6:CH4:CO:H20=0.4:0.4:0.7:5.8:100 の比率で観測されました。一方、Hale・Bopp 彗星では、C2H2:C2H6:H20=O.5:0.5:100でし た。ほぼ同じ量のアセチレン(C2HDとエタン (C2H6)が観測されているにも拘わらずエチレ ン(C2H∂が検出されていません。アセチレン は星間空間において、気相イオンー分子反応 で容易に合成されます。彗星の氷に閉じこめ られたアセチレンは気相反応で生成したもの が凝縮したものと考えられます。一方、エタ ンなどの飽和炭化水素は気相反応では合成さ れません。従って、彗星の核に存在するエタ ンは、アセチレンとH原子とのトンネル反応 で合成されたものと考えられます。それでは、 何故アセチレンからエタンが生成する途中で 生成する筈のエチレンが観測されないのでし ょうか。この謎に関してはこれまでなんのコ メントもなされていません。土星やその第六 衛星であるTitanのC2炭化水素も何故かアセ チレンとエタンが主成分で、エチレンが見あ たらないようです。筆者は、H原子とのトン ネル反応で二重結合に較べて三重結合がとく に反応しにくいことを見いだしていましたの で、この観測結果は、アセチレンとH原子の トンネル反応が水添反応の律速段階となり、 一旦アセチレンが水添されてC2H3ラジカル が生成すると、その後は遙かに大きな速度で 水素原子との反応が進行してエタンが生成す るのではないかと考えました。そこで、まず 13KでH原子とエチレン薄膜の反応を調べた ところ、1時間の反応時間で厚さ10分子層の エチレン薄膜のなんと約30%がエタンに水添 されることが分かりました。10Kでのトンネ ル反応でこのような高効率の化学反応が起こ るという事実は特筆に値するものです。これ は、水素原子に固有な性質、すなわち、その 波動性に由来することに疑いありません。こ の実験で得られた昇温脱離スペクトルを Fig.3に示します。60K付近に現れている m!z・30の鋭いピークがエタンの生成を示し ています。なお、約37K及び60Xに現れて いるm!z=28のピークは、おのおの窒素(残 留ガス由来)及び試料のエチレンが脱離した ものです。また125K付近のm!z=43のピー クの出現から、13Kのエチレン薄膜と水素原 子の反応でブタンが生成することも分かりま した。H原子とCO薄膜とのトンネル反応で 生成するホルムアルデヒドやメタノールの生 成量は、エタンの実験と同じような実験条件 下で行うとO. 1%以下となりますから、いかに H原子とエチレンの反応効率が高いかが分か ります。フーリエ赤外分光計を用いて、実時 間・その場観測したところ、10Kにおいて時 間とともにエタンの吸収ピークが急成長する 様子を観測できました。紛れもなく、10Kで H原子がエチレンとトンネル反応を起こして エタンを生成したのです。次に、H原子と10 分子層のアセチレン薄膜を反応させました。平成11年12月 山梨大学工学部研究報告 10
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旦 訂m/;io3° L O O 50 100 150 Tempero†ure (K) Fig.3. Temperature−programmed thermal desorption spectrum for the pr(riucts formed from reactions of H atoms with solid C2H4 at 13 K Film thic㎞ess:10 monolayers. Reaction time:60 minutes. 13KにおいてH原子とエチレン薄膜との反応で生成した生成物の昇温脱離マススペクトル。 膜厚:10分子層、反応時間:60分。 フーリエ赤外分光計に現れた生成物の吸収ピ ークは驚いたことにエタンのみで、中間生成 物であるエチレンのピークは全く観測にかか りませんでした。そこで、赤外吸収よりもず っと検出感度の高い四重極質量分析計を使っ て生成物中にエチレンが含まれていないか調 べましたが、やはりエチレンは実験誤差範囲 内で検出されませんでした。これで、彗星に エチレンが観測されない理由が明らかになり .ました。これらの実験結果は、トンネル反応 が非常に選択的に起こり、また極低温におい ても反応によっては十分迅速に進行する場合 があることを教えてくれます。6.終わりに
本稿では、水素原子の関与する極低温トン ネル反応が暗黒星雲における物質進化に重要 な働きをするという天文学者の仮説を、どの ようにして筆者らが検証してきたかについて 解説しました。従来、トンネル反応に関する 研究に質量分析計が使われたケースは稀で、 主に分光法が採用されてきました。例えば、 電子スピン共鳴分光法(ESR)でトンネル反応 に関する優れた研究成果が上げられています。 しかし、本稿で取り扱ったH原子の反応性に 限っては、この方法ではその研究が難しいと いう難点があります。ESR法では、例えば4Kのヘリウム温度や77Kの液体窒素温度で試料 を固めておいて、この固体試料にガンマ線や エックス線などの放射線を照射してイオンや ラジカルを生成させます。ESRでは、不対電 子をもつ化学種のみが観測対象となりますか ら、閉殻構造をもつ生成物の観測はできませ ん。っまり、観測対象となるのは常に反応中 間体のラジカルのみに限定されます。従って、 水素原子の反応挙動を追跡するためには、ま ず固体中の水素原子を観測する必要がありま す。ところが、水素原子を直接観測できる固 体マトリックスは、メタン、水、希ガスなど のみです。他の炭化水素を含むマトリックス 中では、H原子は放射線を照射した段階で添 加された炭化水素と反応して消えてしまいま す。放射線照射で生成した初期のH原子はホ ット(生成した段階で運動エネルギーを付与 されている)なので、消えてしまったH原子 がマトリックス温度の4Kあるいは77Kに冷 えた後で反応しているという保証がありませ ん。事実、我々の実験では、ESRでは常識と 思われていることと矛盾する実験結果が得ら れつつあります。我々は、,27Kに冷えた基底 状態のH原子と固体薄膜の反応を検討できる 方法を確立しました。このような方法が広く 採用されるようになれば、H原子や他の種々 の活性種がもつ量子性についてさらに新しい 情報が得られるであろうと予想しています。 4)1(.Hiraoka, K.Matsunaga, T.Shoda, and H.Takimoto, Chem.Phys. Lett.,197,292 (1992). 5)K.Hiraoka, N.Ohashi, Y.Kihara, KYamamoto, T.Sato and A.Yamashita, Chenワ..Phys..Zシett.,229,408(1994). 6)K.Hiraoka, AYamashita, 「Y.Yachi, KAruga, T.Sato, and 且.Muto, ∠4sti℃)phys.♂,443,363(1995). 7)KHiraoka, T.Miyagoshi, T.Takayama, K.Yamamoto, and Y.Kihara, AstroρZ∼ys.」.,498,710(1998). 8)KHiraoka, AYamashita, T.Miyagoshi, N.Ohashi, Y.Kihara, and K.Yamamoto, ノ4stroρhys.」,508,423(1998). 9)KHiraoka, KYamamoto, 「Y.Kihara, T・Takayama, and Sato, Astroρhys. di, 1999,in press. 10)Ohishi et al.,Astrophys.J.Lett.471, L61 (1996). 引用文献 1)川ロ建太郎、ぶんせき、No.10、786(1990). 2)中川直哉、diMass Sρeetrom. Soe. Jpn.,43, 203(1995). 3)Sims et al., Chem.Phys.Lett.211,461 (1993).