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研究者としての開発政策への関与 (特集 国際協力と研究者 -- 現場と研究室の間の深い河 -- 第I部 研究者と国際協力)

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(1)

研究者としての開発政策への関与 (特集 国際協力

と研究者 -- 現場と研究室の間の深い河 -- 第I部

研究者と国際協力)

著者

柳原 透

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

180

ページ

4-7

発行年

2010-09

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00004416

(2)

  本稿は、 ﹁アジ研の現役研究者 ・ OG / O B の中で、国際協力に深 く関わって来た方々に、ご自身が 何をし、何ができなかったかを回 顧していただく﹂というご要請に 応え、一九七〇∼九〇年代に職員 あるいは外部委員として私が携 わったアジ研の研究会活動および 関連する事業のうち、国際協力に 深く関わるものにつき回顧し、 ﹁し たこと﹂と ﹁できなかったこと﹂ を確認する。ここで取り上げる研 究は、開発経済学の分野での一九 七〇年代、一九八〇年代、一九九 〇年代の大きな関心に対応してい る。   私は、一九七一年七月より一九 九〇年三月までアジア経済研究所 に研究員として在籍した︵休職期 間を含む︶ 。当初は経済成長調査 部に属し、いくつかの研究会運営 を担当する傍ら経済成長あるいは 開発戦略といったマクロレベルの 研究︵というよりは学習︶を進め た。この時期には、毎週、一橋大 学経済研究所での石川滋教授のゼ ミに先輩所員諸兄とご一緒に伺 い、経済発展論に関わる研究の最 前線に触れる機会をもった。その 他に、 所内での勉強会にも参加し、 数理経済学やその基礎にある数学 それ自体も学習の対象とした。振 り返ってみると、一九五〇年代半 ばから一九七〇年代初頭にいたる 時期は、経済成長あるいは経済発 展のメカニズムを表現する、マク ロ、二部門、多部門の理論モデル が競って生み出され、それらの実 証適用が試みられ、それらに依拠 して政策提言が示されるという 、 幸福な時代であった。理論︱実証 ︱政策という三段階の編集方針は その後の私の研究の基調をなすも のとなる。

●東アジアの経済発展

  海外留学からの復職後の一九七 〇年代後半からは、東アジアの経 済発展の成功をモデルとして他の 途上地域への教訓と指針を導くこ とが、経済発展論/経済開発論の 分野での大きな関心として共有さ れていた。とりわけ、東アジア初 代 N IES ︵韓国 、台湾 、香港 、 シンガポール︶の経済発展を特徴 付けた輸出指向工業化が、経済成 長と所得分配の両面での目標を同 時達成したことが、大きな注目を 集めていた。 経済成長調査部では、 一九六〇∼七〇年代の東アジアの 経済発展の実績を確認し、一九八 〇年代を展望し、国際協力の課題 を提示する、ことを目的とする研 究会が組織された。この研究会へ の関与が、国際協力への私の最初 の関わりとなった。研究会の成果 は一九八二年三月の国際シンポジ ウ ム ︵ T wo Decades of Asian Dev elopment and Outlook for the 1980s ︶で報告され検討された 。 シンポジウムには、内外の学界の みならす、 世界銀行︵以下、 世銀︶ 、 アジア開発銀行、 国際通貨基金 ︵ I MF ︶、国連貿易開発会議 ︵ U N CT A D ︶の各機関のエコノミス トも参加し、アジ研と国際開発機 関との間の交流の拡大が企図され ていた。本研究の成果は、日本経 済新聞﹁経済教室﹂で要約紹介さ れ、 また﹃第三世界の成長と安定﹄ ︵日本経済新聞社   一九八二年︶ と ﹃ 2000 年のアジア﹄ ︵有斐閣   一 九八四年︶の二冊において一般向 けにも発表された。これらに対し ては、 日本国内各界に加え、 韓国、 中国の政策担当者からも反響があ り、私は韓国経済企画院でのセミ ナーに招待され報告を行った。   研究会は日本経済論および計量 モデル分析の権威であった内田忠 夫東大教授を主査に迎え、高成長 持続のメカニズムを解明し、それ を計量モデルにより表現し予測を 行い、またそれに即して政策論を 展開する、ことを目的とした。こ の研究の成果そしてシンポジウム につき特筆すべきことは、東アジ アの経済発展の成功に関し 、﹁ 産

研究者

開発政策

関与

第Ⅰ 部 研究者と国際協力

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研究者としての開発政策への関与

業構成変化の動態効率﹂と﹁成長 と安定﹂という二つのテーマにつ きアジ研としての独自の見解を提 示し、それを踏まえて国際協力の 課題を論じたことであった。 即ち、 実質賃金、比較優位、国際分業そ れぞれの動態を関連付ける分析枠 組が提示され、また経済成長の過 程でのマクロ経済不安定の発生と 解消につき理論分析と実証がなさ れた。開発政策および国際協力に 関しては、東アジア経済が有する 成長潜在力を最大限実現するとの 視点から、途上国そして外部支援 それぞれにとっての課題が提起さ れた。   しかし本研究にはいくつかの限 界もあった。特に、特定の経験の モデル化と適用にあたっての﹁移 転可能条件﹂についての体系立っ た検 討は ほ と んど な さ れな か っ た 。 また、シンポジウムは世銀が打ち 出した構造調整の考え方を日本の 関係者に紹介する機会ともなっ た。しかし、その意義と含意につ いては、この段階では︵私自身を 含め︶日本側関係者には十分に理 解されることとはならなかった。

●債務問題と構造調整

  一九七〇年代の二度にわたる原 油価格の急上昇 ︵いわゆる石油 ショック︶の影響が強く感じられ る中、非産油国の経済成長への国 際収支面の制約が強まることが懸 念されていた。しかし同時に、一 九六〇∼七〇年代に台頭した中進 国群の中で 、輸出指向工業化を 図った東アジア初代 NIES は 、 輸入代替工業化を継続した諸国に 比べて、国際収支面の対応におい てもよい成果をあげていることも 確認された 。このような認識が 、 世銀による﹁構造調整﹂の考え方 と政策提言に大きな影響を及ぼす こととなった。世銀は、一九八〇 年に、発展途上国の国際収支状況 の悪化に対処すべく、資金供与の 新たな形態である ﹁構造調整貸付﹂ ︵ Structural Adjustment Lending, SAL ︶を開始した 。その後 、一九 八〇年代前半には、一九七〇年代 に対外借入を継続した途上国の多 くが次々と債務返済困難に直面す る事態︵いわゆる債務危機︶が起 こった。それらの国々に対し、世 銀は S A L を 通じて資金支援を行 い、同時に政策の改革を求めた。   債務危機に直面して、対応方針 の策定に資する調査研究の要請が 日本政府および関連機関からアジ 研に対してなされた。また、世銀 の S A L が多くの途上国に供与さ れ政府機関 ︵海外経済協力基金 ︹以 下、 OECF ︺、日本輸出入銀行︶ が協調融資を実施するようになる につれ、構造調整についての理解 と方針策定が日本政府にとっての 課題となった。私は、一九八〇年 代を通じて債務問題と構造調整を 主な調査・研究の対象とすること となり、経済企画庁からの一連の 委託調査を担当した。一九八五∼ 八六年の海外派遣員としての滞米 期間中に 、世銀で ﹁構造調整 を担 当するエコノミストとの交流を持 ち、 とりわけメキシコに対する ﹁貿 易政策改革﹂プログラムの策定過 程につきワシントンとメキシコシ ティで詳細な参与観察を行った 。 そのおかげで、帰国した時点で私 は世銀の﹁構造調整﹂を熟知する 数少ない日本人の一人であった。   一九八七年度に担当した﹁経済 政策支援借款推進のための基礎調 査﹂は、 OECF を所管する官庁 である経済企画庁が、借款の新た な形態である ﹁経済政策支援借款﹂ の論理を明らかにし、またその実 施に当たっての留意事項を示すこ とを求めて、アジ研に委託したも のである。本調査においては、世 銀が S A L を導入した背景にある 考え方の転換を示し、 S A L 実 施 の実際につき概観するとともに四 カ国についての事例研究を行い 、 マクロ経済面での効果と意義につ き理論分析を踏まえた考察を行 い、日本が S A L を独自に実施す る場合の課題と留意点を示した 。 ﹁経済政策支援借款﹂では 、プロ ジェクト援助とは異なり、支援目 的 ︵経済政策変更︶ と資金供与 ︵外 貨制約緩和︶との間には直接の対 応関係は存在しない。 したがって、 両者を結ぶ論理を解明することが 重要な理解の課題となる 。また 、 世銀は、資金供与にあたり経済政 策変更を条件として課する。これ に関しては、世銀が求める経済政 策変更が妥当なものであるか、そ して条件付けの仕方が適切なもの であるか、の二点が検討さるべき 課題としてある。さらに、案件の 策定・実施・評価の手順と体制に ついても知見を得ることが求めら れた。   この調査は、国際協力に関わる 調査・研究として、新たな地平を 開き高い水準を達成したもの、と 評価された。一つには、構造調整 の理解が経済分析の上で新たな問 題関心を踏まえた総合を要請して いたところに、既存の分析枠組の

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︵外貨制約緩和︶ 。しかし 、 、

﹃東アジ

S A L への協調融資は 、 一九八〇年代後半には日本政府が 打ち出した資金環流計画の重要な 柱として位置付けられ、その金額 は顕著な増大を示した。その過程 で、日本側関係者の間では、世銀 の考えや方針につき漠たる違和感 が募り、金を出すからには口も出 そうという機運が強まっていっ た。そして、一つの事件をきっか けとして、その違和感が公式に表 明されることとなった。その事件 とは、一九九〇年前後に世銀が O ECF のフィリピンに対するツー ステップローンに異議を唱えたこ とであった。世銀は、同ローンが 低金利で供与されていることは 、 世銀と OECF の協調融資を受け る金融部門 S A L の目的達成に逆 行するものである、との見解を示 し、その是正を求めた。このよう な﹁営業妨害﹂に直面して、 OE CF は、実務面では世銀との妥協 を探る一方で、世銀に物申す上で の理論武装を図るべく一九九一年 六月に研究会を立ち上げ、そこで の検討を踏まえ一〇月に﹁世界銀 行の構造調整アプローチの問題点 について︱主要なパートナーの立 場からの提言﹂と題した文書を作 成し、一一月の世銀との定期協議 の際に提出した。同文書では、世 銀が市場メカニズムを通じての資 源配分の効率を信奉することに対 し、投資促進のための直接措置の 必要、有望産業の育成を含む長期 の視点の必要、優遇金利での政策 金融の意義、民営化に当たっての 経済、政治、社会状況への配慮の 必要、の四点を中心として、経済 発展過程での政府の役割の重要さ を強調した。   私は上記の OECF の研究会の 座長を務め、その過程で世銀と日 本側の発想の原点における違いを 明確に意識するようになった。こ のとき私はアジ研の﹁先進諸国の 対発展途上国経済政策﹂研究会の 外部委員を務めており、その報告 書で英米流の﹁枠組思考﹂と日本 の﹁中身思考﹂の対比の素描を試 みた ︵﹁政策支援借款と日本の政 策﹂ 、山澤逸平 ・ 平田章編[ 1992 ] ﹃日本 ・アメリカ ・ヨーロッパの 開発協力政策﹄アジア経済研究所   第 4章︶ 。この論題についてはそ の後さらなる考察を加え、英文論 文として一九九二年一一月にワシ ントンでのシンポジウムで発表し た︵この論文は後に次の論文集に 収 録 さ れ た。 Y anag ihara, T oru (1992), "Dev

elopment and Dynamic

Efficiency : 'Framework A pproach' v ersus 'Ing redients A pproach'," chapter 4, Ohno, K enichi, and Izumi Ohno, eds, , Routledge,

London and New Y

ork, 1998 ︶ 。   上述の OECF での動きと軌を 一にして、大蔵省は世銀が日本を 含む東アジアの経済発展の経験を 適切に理解することを求めて、研 究プロジェクトを実施するよう要 請しそのための資金を提供した 。 世銀の研究の成果は と題して一九九三年に公刊 された 。同書の内容に対しては 、 日本側からあらためて様々な不満 が表明され、また批判がなされる こととなった。例えば、世銀の理 事として同研究の実現に尽力し同 書日本語版 ︵﹃東アジアの奇跡﹄ 東洋経済新報社   一九九四年︶の 監訳者でもあった白鳥正喜氏は 、 日本語版への後書きで、産業育成 政策の意義を否定する世銀の見解 についてあらためて批判した。 O ECF は 、 自身の見解に加えて 、 英国とアジア諸国の専門家へのア ンケートの結果も用いて、世銀に 対抗する見方を打ち出すことに注 力 し た︵

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研究者としての開発政策への関与

, OECF Discussion P apers No.7, A ugust 1995 ︶ 。 私 自身は 、 誌の 特集号 ︵一九九四年四月︶ 所収の論 文︵ "An y

thing New in the Miracle

Report? Y es and No" ︶ で 、同書の 貢献を確認するとともに、総論と して政策方針正当化のための理論 と実証の偏った適用を、そして重 要な各論として産業育成政策の効 果の分析に見られる欠陥と解釈の 誤りを指摘し、さらに世銀が依拠 する新古典派経済学の基本発想が 経済発展過程を捉える視点として 不適切であることにも言及した。

﹁経済システムアプローチ﹂

  上記の﹁枠組思考﹂と﹁中身思 考﹂の統合を求め、また産業組織 論︵今井賢一学派︶ と新制度派経済 学 ︵ と り わ け Oliv er Williamson ︶ の影響の下、私は﹁経済システム アプローチ﹂を提唱するにいたっ た。その問題関心と研究課題の設 定を踏まえ、アジ研は一九九六年 度に国際共同研究を組織し、一九 九七年一月にその成果を国際ワー クショップおよび国際シンポジウ ムで発表した。この研究は、東ア ジアの開発経験を捉えるアプロー チの提示と、そのアプローチによ り捉えられた東アジアの開発経験 の他地域への適用の可否の検討 、 という二つの課題に同時に取り組 もうとするものであった 。日本 チーム︵アジ研︶がアプローチを 提示しまた東アジアの開発経験を 定 式 化 し、 米 国 チ ー ム︵ New School for So cial Research ︶が中 南 米 を 、 英 国 チ ー ム ︵ Ov erseas Dev elopment Inst itute ︶ が ア フ リ カを対象として、東アジアとの対 比において開発経験を特徴付け 、 東アジアの経験の適用の可否につ き論じた。会議には、前記三チー ムのメンバー、国内および各途上 地域からの研究者に加え、 世銀 ︵政 策調査局長と東アジア地域部門 チーフエコノミスト︶と UNCT A D ︵マクロ経済部長︶の参加も 得た ︵その全容は以下の報告書 に 収 め ら れ て い る 。 , I.D .E. S y mposium Pro ceedings No.17, 1997 ︶ 。   この企画は、日本からの発信と それに基づく他地域および国際機 関の研究者との研究交流・意見交 換として、最も体系立った試みと みなしうるであろう。 その意義は、 以下のように要約しうる。①発展 過程の捉え方と開発へのアプロー チを比較対照し、それぞれの特徴 を示した。②﹁経済システムアプ ローチ﹂に基づき東アジアの開発 経験を 新 た に 定式化 し て 提 示 し た 。 ③中南米とアフリカの開発課題を 整理し、開発政策策定にあたり東 アジアの経験を参照することの意 義を検討した。これらは、途上国 の開発戦略/政策への貢献とし て、そして援助国および国際機関 の協力政策への貢献として、大き な意義を有するものであった。日 本語要約版報告書﹃東アジアの開 発経験﹄ ︵アジア経済研究所 一九 九七年︶のはしがきで、時のアジ 研所長は、この国際共同研究の意 義を述べ、さらに次のように記し ている。 ﹁本テーマは、 日本・東ア ジア諸国が、 今後とも世界に対し、 主導的に貢献していくべきテーマ であり、本研究所としても重点的 な研究テーマとしてフォローして いく考えであります 。﹂しかし 、 残念ながら、そのようなフォロー が実現されることはなかった。   私は、職員あるいは外部委員と してアジ研での研究に携わる中 で、国際協力の現場との関わりを 持った。私の研究分野での ﹁現場﹂ とは、開発援助に関わる省庁と機 関であった 。一九七〇年代以降 、 開発分野での研究は、現実の経験 の確認および解明 ︵経済発展論︶ と政策指針の提示 ︵経済開発論︶ の境が不鮮明であり、 理論、 実証、 政策が混然一体と論じられること がしばしば見られた。 この傾向は、 一九八〇年代以降に英米での開発 経済学の学術研究︵ ﹁研究室﹂ ︶と 世銀での研究/政策提示 ︵﹁ 現場﹂ ︶ が著しく関係を強めたことによ り、さらに推し進められた。私自 身は、 ﹁現場﹂ にとって有意義な研 究を目指しつつ、理論︱実証︱政 策という三段階の編集方針を維持 し、その立場から世界銀行での研 究/政策に対しての批判と代替ア プローチの提示を試みてきた。ま た、研究/政策の背後にある視点 や発想についても論ずるように なった。その時々の﹁現場﹂の課 題に研究者としてできる限り対応 してきたが、その都度、さらに研 究を要する ﹁そもそも問題﹂ のリス トが残った。それらを遺言として 残すべく整理に取り掛かりたい。 ︵やなぎはら   とおる/拓殖大学 国際学部国際協力学研究科教授︶

参照

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