東南 アジア研究 35巻4号 1998年3月
タイ ・ルーであろ うとす ること,
タイ ・ルーでな くなるこ と
-
越境 の時代 の守護霊祭祀
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Thispaperfocusesonhow theTa主LueofThawanpadistricts,NanProvince,NorthernThailand expresstheirethnicidentity.
AftertheTa主Luemigrationfrom SipsongPannatoThawanphainthe19thCentury,their culturalpatternsbecame almostundistinguishablefrom thoseoftheTa主Yuan,themajority populationinNorthernThailand,
Althoughtheyhavemostlylosttheirownlanguage,Ta主Luecanidentifythemselvesbasedon theirsystem ofritualsforguardianspirits,especiallythelegendofmigrationfrom SipsongPanna expressedinthepantheonofspirits.However,attheindividuallevel,theydonotdaretoexpress theTa主Lueidentityintheireverydaylife,whichisthesameasthatofTa主Yuan.
TheexpressionofTa主LueidentityinrecentyearshasbeentopromoteTaiLueculture amongoutsidersaspartofavillagedevelopmentprogram.
Inthismovement,monumentshavebeenbuiltattwovillageswhicharecompetingwitheach otherinruraldevelopment.Theyimplythehistoricalmemoryofeachvillage,andhavebecome importantexpressionsofTaiLueidentltyinsteadofthepantheonofspirits.
TaiLueculturehasbeenpromotedatthevillagelevel,nottheindividuallevel.Now itis beingpromotedatthetransnationallevel.
Itisoften reported thattheTaiLuein Thawanphamaintain astrong identity.In fact, however,いbeingLue"now means performingasaLue";rather,itis"notbeingLue,"thelossof identityattheindividuallevel,thatisprogressing.
Ⅰ
は じめに
「ルー とは誰 か」 と, かつ てモ アマ ンは問い掛 け,エ スニ ック ・アイデ ンテ ィテ ィー をめ ぐ
る人類学的研 究上,重要 な議論 を展 開 した。1) 「ルー」 とは中国雲南省西双版納 (シプ ソー ン
* 三重県立看護大学 ;MiePrefecturalCollegeofNursing,トニト1Yumegaoka,Tsu514-0116,Japan 1)エスニ ック集団のアイデンテ ィテ ィーの可変性,エスニ ック境界 の動態,主観的帰属意識の重要性 など
エスニシティ-をめ ぐる議論 において,モアマンの論 はしばしば引 用 されている。例 えば [cohen 1978]。
0-馬場 ・.タイ・ルーで あ ろ うとす るこ と, タイ ・ルーで な くなる こ と
図1 タ- ワンパ ー盆地
東南 アジア研究 35巻4早 パ ンナ-)を中心 に分布す る- タイ系民族 を表 わす呼称 と して知 られ る ものである。北 タイの タイ ・ルーを調査 したモアマ ンは, この 「ルー」 は, ある特定の文化 的特色 を共有す る集団 に 付 け られ るラベ ルで はな く,対 話 の相手 の レベ ル に よって使 い分 け られ る重層 的 なアイデ ン テ ィテ ィー (タイ国民 ,北 タイ人, タイ ・ルー)の一つ として機 能 している点 を指摘 した。モ アマ ンは
,
「ルー」 とは, かつて雲南西双版納 に存在 した シプ ソー ンパ ンナ-王国へ の出 自意 識 を もつ タイ系民 族 の 間で用 い られ る,命名 の システ ムであ る と考 えたので あ る [Moerman 1965.・1215-1230]
.
シプソー ンパ ンナ-は, 山間盆地 を基盤 と した ムア ンと呼 ばれ る政治統合体 の適合 した王国 (ムア ン連合 )であ った。今 日,
「ルー」を名乗 るタイ系民族 は,主 として ラオス北部,タイ北部, ミャンマ ー ・シャン州 に分布 してい るが,その多 くは, シプソー ンパ ンナ-の各 ムア ンか らの 移住 の歴 史 を伝承 している。2) タイ ・ルーの北 タイへ の移住 は,主 と して19世紀 に集 中 している。 18世紀 末,200年 に及 ぶ ビルマ支配 を脱 した北 タイにランナー王国が再興 され,以後,再 開柘 の為 に周辺 タイ系民族が 入植 した といわれ る。 この際, タイ ・ルー もシプ ソー ンパ ンナ-の様 々なムア ンか ら移住 した のであ る。 タイ ・ル- を始 め とす る タイ系民族 は,現 タイ王朝 による中央集権化以 降, タイ とい う近代 国家へ 同化す る道 を歩 んだ。 と りわけ1930年代 に国名が シャムか らタイ-変更 されての ち, タ イ回内の タイ系民族 は,
「タイ族」 とい う同一の カテ ゴ リー において認知 され るようになる。 これ は, 1959年以 降,国家 によってマ イ ノリテ ィー と認知 された山地民族 と大 き く異 なる点 で ある。 タイ ・ルーの主 たる移住先,北 タイのマ ジ ョリテ ィーは タイ系民族 タイ ・ユ ア ンであ るが, 元来, この両者 は共通 の文化的基盤 に立 っている。 それは,言語の類似,共通 の文字の使用 や もち米 な ど食文化 の共通性 に認 め られ る。 また, シプ ソー ンパ ンナ-では上座仏教 が信仰 され ているが, これは,北 タイ, ラ ンナーを通 じて受容 した ものである。 北 タイ-移住 した後 の タ イ ・ルーはタイ ・ユ ア ンと混住 す ることとな り,両者の文化 的差異 は,更 に不明瞭 な もの となっ てい った。モ アマ ンの議論 はこう した背景の もとにな されたのであ る。 近年, カイズは,モ アマ ンが と りあげた古典的 な問題 を,北 タイを取 り巻 く近年 の社会状 況 の変化 を踏 まえて新 た な議論- と展 開 してい る [Keyes1993]。 それ は, 国家 とタイ ・ルーの エスニ シテ ィ-表 出の相互関係 であ る。 これ を可能 に したのは次 の ような近年 の変化である。 2)北タイのタイ ・ルーがシプソーンパンナ-からの移住伝承をもっている点に関しては,岩田[1964], 白鳥 [1974], Hartman[1984], Arunrat[1986], Rattanaphon[1993],馬場[1993a ;1993b; 1995;1997]など参照。 3)国民国家タイの形成過程において,
「タイ系のエスニ ック集団」が 「発明」され,タイ民族の系譜 が作られた点については, Wljeyewardene[1990:143-145], Keyes[1995:143-145]など参照。 718 -112-馬場 :タイ ・ル-であろうとすること,タイ ・ルーでなくなること モ アマ ンが調査 した
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年代 には,国家 (タイ)が タイ ・ルー と称 す る集団の認 知 に直接 関 わ って くることが なか ったが,7
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年代以降, タイ ・ルーの織物が観光用 に販売 され始 め,王室 の奨励 を受 けて観光資源 の一つ として著 名 になったOまた,タイ ・ルーの分布地域で あ る,中国, ラオ スにおいて も,7
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年代 以 降,大 きな変化 - ラオ スの社会主義化 , 中国 にお け る文革 の 収束 , そ して両 国の対外 開放政第 - が生 じた。そ して8
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年代 よ り, かつ て未 開放 で あ った 地域へ の外 国人研 究者 の入城 も許可 され始 め,冷戦終了後,更 に訪問可能 な地域が広が ってい き, 国境 を越 えて分布す る タイ ・ルーの実態 に関す る知 見 も広が ってい った。 この ような近年 の変化 を踏 まえ,カイズは,モ アマ ンの時代 には不可能で あった,タイ,中国, ラオ ス とい う異 なった国家 に またが って分布 す る タイ ・ルーの ア イデ ンテ ィテ ィー を比較 し た03
つ の国家 は,異 なった歴 史的背景 を持 ってお り, タイ ・ルーの アイデ ンテ ィテ ィーのあ り方 は,状況 に よって様 々で あ るC カイズは, それ らを,次 の3
つ の アイデ ンテ ィテ ィーの指 標 の もとに整理 した。 (1) ロー カル ・ア イデ ンテ ィテ ィーC タイ ・ルーの王 国 シプ ソ- ンパ ンナ- と関連づ けて語 られ る神 話,伝 承 な どに よって基礎付 け られ るあ り方 。神 話 ・伝 承 は,言語 的特 色 を失 っ た後で も, アイデ ンテ ィテ ィーの永続化 を促す要素 となる。4) (2) マ -ケ ダブル ・アイデ ンテ ィテ ィーO観光 産業 を通 して 「伝統文化 」を表現す るあ り方 。 (3) トラ ンスナ シ ョナ ル ・アイデ ンテ ィテ ィー。 国境 を越 えた タイ民 族 同士 の交流 の中で生 まれたあ り方。
前 述 の ように, タイ国家 の枠組 みの もとで, タイ系民族 は,
「タイ族 」 として一元化 されて お り, タイ ・ルー とタイ ・ユ ア ンとの文化 的差異 は暖昧 となってい る。 この結果 , タイ ・ルー であ る とい う意識 を喪失 してい く人 々 も多い。この ような趨勢 の中,近年,あ る契機 に従 って, 意識 的 に タイ ・ルー を演 出す るあ り方がみ られ るCカイズのい う「マ -ケ タブル ・アイデ ンテ ィ テ ィー」
「トラ ンスナ シ ョナ ル ・ア イデ ンテ ィテ ィー」 は, そ う したあ り方 を示 してい るので あ る。 これ まで筆者 は, ナ- ン県 タ- ワンパ ー郡の タイ ・ルー村落 を と りあげ, と りわけ守護霊祭 祀 の イベ ン ト化 に よる タイ ・ル-の主張 につ いて,その社会的背景 とのかかわ りで考 えて きた [馬場1
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2;1
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a;1
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b ;1
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95;1
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6a]
。
筆者 の調査地 において,タイ ・ル- と しての文化的特色 は,言語 ,織物 に も残 されて はい るが, 言語 は急速 に失 われつつ あ り,織物 も日常 的 に使用 されてい るわけで はない。伝 統 的織物 は, 祭礼 の際 に身 に着 ける他 は,外部- の販売 用 に織 られ ることが多い。 また,北 タイの多 くの タ イ ・ルー と同様 ,出身 ムア ンとの関連 を示す神話 ・伝 承 に よって意味付 け られた守護霊祭紀 を4
)神話 ・伝承によるアイデンテ ィテ ィーの永続化については,Ke
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s[
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5:
1
4
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]にも記述がある。 - 1 1 3- 719東南アジア研究 35巻4号 行 っているが,織物 の販売 と同様,観光客 を意識 した守護霊儀礼 のイベ ン ト化 も進行 しているo 更 に,近年,冷戦の終結 によって, タイ, ラオス, ミャンマー国境地域が開放 され, メコン川 中流域 において隣接 す る 4カ国 (中国, タイ, ラオス, ミャ ンマ ー)共同の地域 開発
(
「黄金 の四角地帯」構想 )が進みつつある。
「黄金の四角地帯」構想 の一環 と して,ナ- ンとシプソー ンパ ンナ- を結 ぶ道路 の開発計画が進め られ, ナ- ン県 を取 り巻 く状況 に も大 き く影響 を与 え ている。筆者の調査地城 において も,こうした国境 を越 えた開発 の動 きを踏 まえた 「タイ ・ルー らしさ」の演 出がな され始めている。 この ように,筆者 の調査地 においては,地方の農村 開発 の進展が,地方 における 「村起 こ し」 「地域起 こ し」 を促 し,その シ ンボル と して 「タイ ・ルー ら しさ」が強調 されている。 この動 きは更 に,国境地域 の開発 と関わって進め られている。守護霊祭祀 のイベ ン ト化 は, カイズ流 にいえばローカル ・アイデ ンテ ィテ ィーがマ-ケ タブル ・アイデ ンテ ィテ ィー と結 びつ いて強 調 された とい うことである。 この ことは,更 に, トランス ・ナシ ョナル ・アイデ ンテ ィテ ィー と結 びついて進行 しつつあるといえる。 こう した守護霊祭紀 のイベ ン ト化 による 「タイ ・ルー らしさ」の演出は,地域 開発 の文脈 で 行 われる ものであ るが,では,モ アマ ン以来,問題 にされて きた ような個 々人が タイ ・ルーで あることとこれ らは如何 なる関係 にあるのだろ うか。本文 中で詳 しく述べ るように,祭祀 を支 える守護霊パ ンテオ ンは, シプソー ンパ ンナ-か らの移住伝承 を表現 してお り,パ ンテオンを 構成す る守護霊 は個 々人がそれぞれの親か ら (母方 もしくは父方 と母方双方 )継承す る もので あ る。 この よ うな意味で守護霊 は,個人 におけるタイ ・ルー意識 を基礎づ け うる。 これは, カ イズのい う神話 ・伝承 を基 に,言語的特色喪失後 も永続す るローカル ・アイデ ンテ ィテ ィーに 通 じている。 ただカイズは,個人の タイ ・ルー意識 には言及 していない。 また,筆者 の調査地 域 の場合, タイ ・ルー文化喪失の趨勢 に従 って 「タイ ・ルーでな くなった」 と考 える人々が存 在す るO個人 における タイ ・ルー意識 を基礎付 け うる守護霊体系 は,
「タイ ・ルーでな くなる」 人々 とどの ような関係 にあるのだろ うか。そ して, この ような今 日的状況の もとにあって併存 す る 「タイ ・ルー らしさ」の演出,即 ち 「タイ ・ルーであろ うとす ること」 と 「タイ ・ルーで な くなること」 との二つの側面 はどの ような関係 にあるのであろ うか。本稿 では,守護霊 の体 系 と人 との関わ りを中心 に して,「タイ ・ルーであ ろ うとす ること」 と 「タイ ・ルーでな くな ること」がいかなる関係 にあ るかにつ いて検討 してみたい。Ⅱ
守護霊 (
チ ャオルアン ・ムアンラー)禁絶の体系
ナ- ン県 タ- ワンパ ー郡の タイ ・ルー3カ村 は,チ ャオル ア ン ・ムアンラー と呼 ばれる守護 霊 を3
年 に一度,共 同で示巳って きた。筆者 はこのチ ャオル アン ・ムア ンラーの儀礼 をめ ぐる間7
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- 114-馬場 :タイ ・ルーで あ ろ うとす るこ と, タイ ・ルーで な くなるこ と 題 を こ れ まで 考 察 して きた の で あ る が , こ こで は , こ の 守 護 霊 祭 祀 の 体 系 を明確 に して お きた い 。 こ の タ イ ・ル- 3カ村 (N,D,
T
村 ) は,19世紀 は じめ,現 在 の 中 国 雲 南 省 西 双 版 納 タ イ 族 自治 州 ム ア ン ラ ー か ら戦 乱 を逃 れ た 移 住 者 に よ っ て 建 て られ た 。5)移 住 以 来 行 な わ れ て きた とい う, チ ャ オ ル ア ン ・ム ア ン ラ ー の 儀 礼 は , ご く初 期 にD村 で 行 な わ れ た の を除 い て ,N村 に お い て 行 な わ れ て きた O チ ャ オ ル ア ン ・ム ア ン ラ ー は , 3カ村 に分 布 す る 多 くの 守 護 霊 か ら な るパ ンテ オ ンの 頂 点 に立 っ て お り, こ の パ ンテ オ ン は , チ ャ オ ル ア ン ・ム ア ン ラ ー の 軍 団 が イ メ ー ジ さ れ て い る (表 1)。これ は ま た ,戦 乱 に よ っ て 移 住 した 歴 史 を表 現 す る もの で もあ る。 表1 チ ャオルア ンムア ンラーの守護霊パ ンテオ ン 名 称 所 在 村 祭場への参 加 属 性 チ ャオル ア ン ・ムア ンラ-チ ャオフ ァー ・プー カム(CP) ナ- ン ・ポムキアオ ナ ー ン ・カムデ ェ ン ナ - ン ・メェ ン ラームムア ン ハ ーブマ ー ト チエ ンフ ァー イ チエ ンラー ン オ-カー チ ヤー ンプア ク ナムパ ッ ト パ ー ンセ ェ ン パ ー ンサ ー パ ー ンメ ッ ト ムア ンチエ ンクー パ ー クボー ボー トウワ ン スワ ンター ン ムア ンル ック ア- ンリエ ン モ ツカム タオム ック ノー ケ オ バ ー ン トー ン T )-セ ン)-セ ェー バ ー ン リエ ン ホ-サ ンカ ラー ト ・ D D D D T N -N T D D N NM D D D D D K 川 ∵ N N N T T D DT0
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× × × × × × × × × 主霊 悪霊退治 の能力 (cpの妹 ) (cpの正妻 ) (cpの妾 ) 連 絡係 戦時 の道具担 ぎ 堰 (フ ァー イ)と関連 ? チ ャオムア ンの祖霊 白象 畑 を保護す る蝶 に由来 呪文 に長 けた人の霊 戦勝祈 願 戦時 に宿所 を提 供 ムア ンウ- よ り移住 鞭 をもつ 儀礼場へ 肉 を運ぶ 中国の砂漠 よ り移住 僧 侶 注 :S,NM,K,D Tは, タイ ・ユ ア ンの,FMは, タイ ・プア ンの村であ る。祭場-の参加 とは, 3年 に 1度の儀 礼 の際 に両が N村 の祭場へ集 め られ るこ とをさす。 5) タイ ・ルーの ムア ンラーか らタ- ワ ンパ ーへ の移住 ・定着 の プ ロセ スに関 して は,馬場 [1996b] 参照 。 ナ- ン土侯 の盆地 開拓政策 に従 って入植 した。 - 1 1 5 - 721東南 アジア研 究 35巻 4号 これ らの守護霊 は,3カ村 の個 々人が それぞれの祖先 か ら継承 す る もので(D村 で は母方 よ り, N村 ・T村 で は母方 ,父方双方 か ら),個 々人 の守護霊 と して機 能 して い る。 この意 味 で祖霊 (ピー ・バ ンパ ブル ッ ト) と称 され る こ とがあ る。 チ ャオル ア ン ・ム ア ンラー はN村 に存在 し, その プ リース ト (モ ームア ン) もN村 に住 んで い る。 一方,D村 には, ムア ンラーの首長 の子孫 チ ャオム ア ンが住 んで い る。 3日間行 われ る 儀礼 の期 間,D村 のチ ャオムア ンと,3カ村 を中心 に散 らば る守護霊 は,それぞれの耐 ご とチ ャ オル ア ン ・ム ア ンラーの祭壇 のあ るN村 の祭場 に集合す る。 チ ャオル ア ン ・ム ア ンラーのパ ン テ オ ンを構成 す る守護霊 の大半 はD村 に存在 してお り, その意 味で,D村 は,儀礼 において重 要 な役 割 を果 た して きた とい える。 ちなみ に,T村 は,儀礼 においては,他 2相 ほ どは大 きな 役 割 は果 た していない 。6) この よ うな, チ ャオル ア ン ・ム ア ンラーの祭祀体系 を念頭 に, まず,守護霊 祭祀 を基礎 づ け て きた重要 な要素 につ いて詳 し く検討 してみたい。具体 的 には,守護霊祭祀集 団 とい う形 で現 れ る個 々人 と守護霊 との関わ り方 につ いて述べ, そ してチ ャオム ア ン,モ ーム ア ン, カオチ ャ ム (各守護霊 の プ リース ト)の系 譜 につ いて扱 うこ とにす る。
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.守護霊崇紀集 団 チ ャオル ア ン ・ムア ンラーの配下の守護霊 は,個 々人が その祖先 か ら継承 す る ものであ るが, その継承 の システ ムは3カ村 で異 なってい る。 即 ち, D村 で は母方 か らのみ継承 され,N村 , T村 で は母方,父方 の双方か ら継承 す る。従 って,D村 で は,個 人 は一つ の守護霊 のみ を信奉 し, N村 ,T村 で は,個 人が複数の守護霊 を信奉 す る こ とになる。 同一 の守護霊 の信奉 者 は,ピー ・デ イオ ・カ ンと呼 ばれ る,いわ ば,祖霊 同一集 団 の メ ンバ ー であ る と認識 され る。 ピー ・デ イオ ・カ ンはD村 で はカオ ピー (守護霊 の世話役 の女性 ) を中 心 に母系 的 に組織 され るが,N村 とT村 で は,個 人 は複数 の 「集 団」 に属す ることにな る。 守護霊 の信奉 者 は,個人が信 奉 す る守護霊 が一つであ ろ うと複 数であ ろ うと,毎 年, ソ ンク ラー ン (タイ暦新 年 [太 陽暦4月]
), カ オ ・パ ンサ ー (安居 入 り), オ ック ・パ ンサ ー (安居 明 け)- それぞ れ雨季入 り, 雨季 明 け にあた る - の機会 に,信奉 す る全 ての守護霊 の カ オチ ャム (プ リース ト)に,供物 (花 ,蝋燭,線香 な ど) を供 出す るこ ととされてい る。 い く つかの守護霊 は,チ ャオル ア ン ・ムア ンラーの儀 礼 の機会以外 に も,毎年 ,独 自に儀 礼 を行 う 6) T村には,バーンリエンという守護霊が存在する。これはN村の祭場に赴かず,肉を祭場から貰い 受ける。これを,マ-ンコウ (ビルマ人が乞 う)というOタ-ワンパー盆地は,タイ ・ルー入植以 前はビルマの影響下にあ り,ワッ ト・マ-ン (ビルマ人の寺),ナ一 ・マ-ン (ビルマ人の田)が 存在 した。T村付近にも,こうした跡地がある [馬場 1996a:78-79]。T村の儀礼における役割は, 先住 ビルマ人の霊 を慰撫することのようであるが,伝承は詳細には伝わっていない。硯在,T
村は 儀礼において他二村ほどには目立つ存在ではない。 722-
116-馬場 :タイ ・ルーであろうとすること, タイ ・ルーでな くなること もの もあ り, その際 には,信奉者 はカオチ ャムに定 額 の現 金 を供 出 し,供犠 され る鶏 や豚 な ど を購 入す る。 また,結 婚 の場 合, D村 で は妻方 の, N村 ・T村 で は双方 の信奉 す る守護霊 に供 物 を捧 げ る。 この 「集団」 は一つ の親族 集 団 の ようにみ な され る場 合 もあ るが , 同一 の守護 霊 を配 る とい うこ と以外,取 り立 てて この 「集 団」 を規制す る もの はない。農業労働 な どにおいて は, 3カ 村 とも,父方,母 方双方 に広 が る親族 間の相互扶助 が み られ るので あ る。 チ ャオルア ン ・ムア ンラーの配下 の守護 霊 の信奉者 は,婚姻 な どの事情 で 3力付以外 の村 落 に居住 す る こ と もあ るC 3カ村 周辺 に, タイ ・ユ ア ン村 落 や タイ ・プ ア ン村 落が あ るが ,7)こ れ らの村 々に もそ う した者 が み られ る。彼 らも, 多 くの場 合,移動 以前 と同様 ,信奉者 と して の慣 行 を継続 して い る。 守護霊 の信奉者 の広 が りは 3カ村 の領域 を越 えてい るので あ る。 カオチ ャム は, 同一 の守護 霊 の信奉者 の中か ら選 ばれ, ほ とん どの場 合,男性 で あ る。 N村 とT村 に存在 す る守護霊 の信奉者 は, 同時 に複 数 の守護霊 を信奉 してい る。′従 って, これ らの 守護 霊 の カオチ ャム を経験 した者 は, また別 の守護霊 の カオチ ャム とな る こ とも可能 で あ る。 一方,D村 に存在 す る守護霊 の信奉者 は,一つ の守護霊 のみ を信奉 す るので, その よ うな こ と は起 こ り得 ない。 N村 とT村 に存在す る守護 霊 は, カ オチ ャムの屋敷 地 にあ る両 もし くは家屋 にあ る神棚 に宿 る とされ, カオチ ャムが,仮 に村 外 に移動 した とす る と,守護霊 もそれ に伴 って移動 す る。 こ の よ うに,守護 霊 は移動 す る もので あ り,チ ャオルア ン ・ムア ンラ-の配下 とされ る守護霊 で も,実 際,表 1にみ る よ うに, 3カ村以外 に存在 す る とされ る守 護霊 も多 い。一方, D村 に存 在 す る守護霊 は, カオチ ャムで はな く,守護霊 の世話 をす る女性 (カオ ピー )の屋敷地 にあ る 詞 に宿 ってお り,カ オ ピーが村外 に移 出 しなけれ ば,守護霊 は移動 しない。カオ ピーの家 は,バ ー ン ・カオ (祖霊 同一集 団の最初 の祖 先が 出た家 ) と意識 されてお り,両が移動 す る こ とは まれ であ るO この D村 にお け るシステ ムは, 北 タイのマ ジ ョリテ ィー, タイ ・ユ ア ンの間 に広 く見 られ るシステ ム と基 本的 には同 じであ る。
2.
チ ャオムア ン,モ ームア ン,カオチ ャムの系譜 前 述 の よ うに, 当初 か らチ ャオルア ン ・ムア ンラーの儀礼 の中核 として重要 な役割 を果 た し て きたの は, チ ャオム ア ン,モ ーム ア ン, そ して カオチ ャムであ る。 チ ャオム ア ン, モ ー ムア ンは, チ ャオルア ン ・ムア ンラーの両 に祈 り,供物 を捧 げ, カオチ ャムは,- カ所 に集 め られ 7)タイ ・プアンは,ラオス,シエ ンクワ-ン地方 (ムアン ・プアン)を故地 とするタイ系民族。鍛冶 を職能 とするものが多いので,農具や水路掘削の為の道具作 りなど盆地開拓に必要 とされる作業の 為に,チ-ンに移住 させ られた [馬場 1996b:79]Cなお,
「タイ ・ルー」
「タイ ・ユアン」
「タイ ・ プアン」という呼称であるが,この地域に根差 したよりローカルな呼称 としては,
「ルー」
「タイ」
「ラー オ」が用いられるこ - 117 - 723東 南 ア ジ ア研 究 35巻4号 たチ ャオルア ン ・ムア ンラーの配下の守護霊 の詞 それぞれに祈 り,供物 を捧 げる。 これ らの後 継者 は,祖霊 として継承す る守護霊 を同 じくす る人物が選 ばれ る (図2,3,4)。 この際, 多 くの場合, ワ-マイ と呼 ばれ る占いで選 ばれ る。 ワ-マイ とは,あ らか じめ腕 を広 げた長 さの 棒 の両端 を持 って守護霊 に問 いかけた後,一度棒 を放 して再 び同 じように持 ち,棒 が持 った腕 よ りはみ出た場 合,棒 が長 くなった とみな し,その際,守護霊 が同意 した と考 える占いであ る。 ちなみに,チ ャオムア ン,モームア ンは男性 であ り,カオチ ャム もそのほ とん どが男性 であ る。 図2,3,4は,筆者が調査 した, これ ら3着の系譜であ る。 チ ャオムア ンはその系譜が比較的明確 であ る。 これ は,
D
村 の老人の記憶 されていた もので あるが,近年,先 のD
村村長 によって この系譜 の一部が図表化 されている。 図2
は, この図表 をもとに,筆者がD村 の老人 に対 して行 ったイ ンタヴューによって補 った ものである。8) モームアンの系譜 も比較的明確 であ る。 現在 ,N村 に居住す る硯 モームア ンが,歴代 モーム ア ンを記録 した ノー トを所持 している。 しか しなが ら, このモームアンの ノー トには,歴代 の 名前のみ記 されてお り,それぞれのモームア ン相互の関係 について は,明確 ではない。筆者 は, この ノー トを もとに, 更 にモー ム ア ン相 互 の 関係 につ い てN村 の老 人 た ち に対 して イ ン タ ヴューを行 って,おお よその所 の系譜 をまとめてみた9)(図3)。 チ ャオルア ン ・ムア ンラーに従属す る守護霊 のプ リース トであ るカオチ ャムにつ いては,そ の系譜 は記録 されてお らず明確 ではない。筆者 は,全 てのカオチ ャムに対 してイ ンタヴュー を 行 ったが,記憶 に よる もので, 当人 か ら数 えせ いぜ い2-3代 を遡 る こ とがで きるにす ぎな い。10)これ は,特 別 に役職 にあ るわ けで もない,一般 の村 人の系譜意識 とほぼ同 じであ るO 一般 の村人 も,せ いぜ い2-3代前 の祖先 を記憶 してい るにす ぎないのである。 なお,D村 の場合 は,守護霊 が母系的 に継承 される とい う点 で,守護霊 の世話 をす る女性 カ オ ピーの系譜 も重要 となる。 しか しなが ら, カオ ピーに関 して も,その家が祖霊 同一集団の最 初 の祖先が出た家 と意識 されているだけで,特定 の人物 か ら連綿 と続 く系譜が明確 にされてい るわけで はない。 この場合 も,せ いぜい 2-3代前 の祖先 を記憶 しているにす ぎない。 これ らをみ る と,チ ャオムア ン,モームア ンに関 しては,細部 においては不 明確 な部分があ る ものの,その初代 か らの系譜が意識 されてい る。これ に対 して,カオチ ャム (及 びカオピー) については,初代が誰であ るかにつ いては,全 く考慮 されていない。この ことは,チ ャオムア ン, モ ームア ンに対 してのみ,特殊 な系譜意識が もたれているとい うことを示 してい る。 即 ち,故 地 シプソー ンパ ンナ一, ムアンラーか らの移住 の歴史 を系譜的 に示 しうるのは, この二者の系 譜 のみである といえる。 8)1991年9月及び1992年8月の調査による。 9)1992年8月の調査による。 10)1992年8月の調査による。7
2
4
- 118-馬場 :タイ ・ルーであ ろ うとす るこ と, タイ ・ルーで な くな るこ と
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▲⑥△
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△ △ △ ▲⑧ ▲⑦ ▲⑤ ○数字 はチ ャオムア ンとなった順位 ② は H村 か らD村 の女性 と結婚 し移住。 H村 は現在 の ミャンマ ー ・シャ ン州, ムア ンへか ら移住 した タイ ・ルーの村O② はムア ンへ首長 の子孫 で,D区 の区長 (注12参照 )o (1)チ ャオルア ン ・ア ヌパ ープの使 用 人 (2) ナ- ンか ら移住 図2 チ ャオムア ンの系譜A
.
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二
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∴
▲
▲
○数字 はモームア ンとな った順位 図3 モー ムア ンの系譜○ (
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旨な し 節泰 日召) 後継者 な し (Ⅳ章2節参照) バー ン トー ン 〒-△
○ 図4 カオチ ャムの系譜 (例 ) - 1 19-「 ①1▲
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△〒
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▲④
725東南 ア ジア研 究 35巻4号 「タイ ・ルー」 とい う命 名 は, シプソー ンパ ンナ- を出 自 とす るこ とに よってい る。3力付 を守護す るチ ャオルア ン ・ムア ンラーのプ リース トと, ムア ンラ-首長の子孫 にみ られ る明確 な系譜意識 は, 3カ村 の 「タイ ・ルー」 と しての アイデ ンテ ィテ ィーの核 となって きた と考 え られる。 この二者が支 えるチ ャオルア ン ・ムア ンラーは守護霊パ ンテオ ンの頂点 に立つ もので あ るが,パ ンテ オ ンを構成す る守護霊 それぞれは, カオチ ャム及 びカオピー を始め とす る守護 霊祭紀集団 に支 え られている。集団の成貞個 々人 は,系譜が2- 3世代辿 れるのみであ り, 自 らが信奉 す る守護霊 が シプソー ンパ ンナ-か らの移住伝承 を持 つ守護霊パ ンテ オ ンを構成す る と意識 す ることが
,
「タイ ・ルー」 と しての アイデ ンテ ィテ ィーへ と結 びつ きうるのである。Ⅲ
チャオルアン ・ムアンラーの儀礼の変化 -
「タイ ・ルー らしさの演出」
タイ ・ルー 3カ村 の以上 の よ うな守護霊祭祀 の体系 は, タイ ・ルー と しての アイデ ンテ ィ テ ィー維持 における重要 な要素 であ った。 しか しなが ら, この体系 に基づ いて行 われて きた儀 礼 自体 は,近年,大 き く変化 した。以下, この変化 の プロセス をた どってみたい。 1980年代以 降, この N村 で行 われて きた儀礼 は, N村 の農村 開発 の進展 とともに肥大化 し, N村 の村起 こ しのため とい うニ ュア ンスが強 くな った。この時期,祭場 にあ ったチ ャオルア ン ・ ムア ンラーの両 は銅像 に立 て替 え られた。 この時 の記念 出版物 には, タイ ・ルーの移住 史が記 され,N村が古村 で他 の2相が分村 であ る と記 された。 これは,村 に伝 わる タイ ・ルー文書 の 現代 タイ語訳 であ るとい うが,実 は,オ リジナルの文書 には,その ような ことは記 されてなかっ たのであ る。そ して1990年の儀礼 では,N村 は,観光客 を も招 き,外部 にアピールす るため様 々 な工夫 をこらしていった。大規模 な供蟻が復活 し,様 々な音楽パ フ ォーマ ンスが繰 り広 げ られ たのであ る。 農村 開発 の模範村 として も知 られ,裕福 であ るN村 は,益 々その名 を知 らしめる ことになった。一方,元来貧 しいD村 は,儀礼 の イベ ン ト化 の恩恵 に預 かることもなかった。 こう した状況 の打破 を念頭 においてか,1992年,D
村 に,新 たな詞が立て られた。チ ャオルア ン ・ アヌパ ープの両 である。チ ャオルア ン ・アヌパ ープは,移住 当時のチ ャオムア ンであ るが,多 くの村人 を殺害 した と言われる。D村 の貧 困 は, その カルマ (莱 )が原 因である ともいわれて いた。両 は貧 困か らの脱却 の為,この霊 を慰撫す る 目的で建 て られ,毎年,儀礼が始め られた。 ここにおいて,D村 は,N村 とは別 に独 自の シ ンボル をもっ こととなった。 1993年 の儀礼 は, ます ます華美 となって娯楽性 が ま し,観光客 も増 え,N村 で は,美人 コ ン テス ト,美老女 コンテス ト,カ ン ト- ク ・デ ィナー (北 タイ伝統料理 による宴会 )も現 われた。 D村 の重要 な人物 であ るチ ャオムア ンよ りも,そ うしたイベ ン トに人 々の関心 は移 ってい った。 D村 の人々の多 くは, こう した状況 を快 く思 わなか った。 1996年 に行 われた儀礼 は,ついにN村 とD村 の2カ所 に分裂 した。 もともと,N村 にチ ャオ 726 - 120-馬場 :タイ ・ルーであろうとすること, タイ ・ルーでなくなること ルア ン ・ムア ンラ- とその プ l)- ス ト, モ ー ムア ンが存在 し,
D
村 には, チ ャオムア ンが存在 した。 しか し, この新 た な展 開 は道具建 て に も再編 を もた ら した。 N村 で行 われた儀 礼 は奇抜 なパ フ ォーマ ンス も行 い観光客 も訪 れて いたが, チ ャオムア ンを欠 き, モ ー ムア ンのみが儀 礼 に参列 した。 I)村 での儀礼 は,新 た にチ ャオルア ン ・ムア ンラーの両 を建て, D村独 自のモ ー ムア ンを選 んだ。N村 は,こ う した道 具立 て よ りも,新 しさに よ り外部 に開放 す る方 向 を選 び, D村 は, N村 の よ うな奇抜 さを嫌 い,道 具建 て を揃 え る こ とで 「本来 の在 り方 」 を指 向 したの で あ るoll) チ ャオルア ン ・ムア ンラーの儀 礼 は, ムア ンラーか ら移住 した とい う歴 史 を共有す る人 々に よって行 なわれて きた もので あ る。 そ して儀礼 の 中で と りわけ重要 な要素 とされて きたの は, 守 護霊 パ ンテ オ ンの頂 点 に立 つ チ ャオ ルア ン ・ム ア ンラー とその プ リー ス トで あ るモ ー ムア ン,そ して ムア ンラ-首長 の子孫 ,チ ャオムア ンで あ るC これ らは,儀礼 には欠 いて はな らな い核心部 分 であ るC そ して,儀 礼 に参集 す る (も しくは, チ ャオルア ン ・ムア ンラー との関連 が明示 され る)幾 多の守護霊 とその プ リー ス ト, カオチ ャムが あ る。 これ らの道具立 て は移住 当初 か ら儀礼 の重要 な部 分 と して機能 して きた。 しか しなが ら,儀 礼 の イベ ン ト化 は, その強調点 を変 化 させ た。 ムア ンラ-首長 の子孫 で あ るチ ャオムア ンは,儀礼 の中で のみ役割 を果 たす ようになった とい って も, ムア ンラーか らの 移住 の歴 史 を血 筋 に よって表す唯一 の 人物 で あ り,儀 礼 の中核 とな るべ き人物 で あ る。 しか し なが ら,このチ ャオムア ンは儀 礼 の イベ ン ト化 の進行 に従 い,あ ま り重要視 され な くなってい っ た。 そ して, 1996年,儀礼 は二つ に分裂 し,チ ャオムア ンはつ い に N村 に とって不必要 な存在 にな ったので あ る。 イベ ン ト化 の過程で重要 な儀礼 の要 素 と して新 た に浮上 して きたのが チ ャ オルア ン ・ム ア ンラーの銅像 (N村 ), チ ャオル ア ン ・ア ヌパ ー プの両 (D村 ) とい う二 つ の モ ニ ュ メ ン トで あ る。、チ ャオルア ン ・ムア ンラーの銅像建 立 を記 念 して 出版 された書物 には N 村 を中心 と した移住 史の解釈 が な され, チ ャオルア ン ・ア ヌパ ープの詞 は D村独 自の歴 史的モ ニ ュメ ン トと しての意味 を もって い るC この転換 は, 一つ の歴 史 を共有 して きた はず の両村 そ れぞれの村起 こ しに伴 う歴 史意識 の再編 を も意味 してい る [馬場 1995:97-108]。 以上 の よ うに,近年 の儀礼 の変化 は,N,D2相 の 「村起 こ し」的動 きに よって特 徴づ け ら れ る。 そ こにみ られ るの は演 出 され た 「タイ ・ルー ら しさ」
であ る。 しか しなが ら,言語,織 物 な どに残 され る タイ ・ルーの文化 的特 色 は失 われつつ あ るのが趨勢 で あ る。 カ イズの仮説 で は, こ う した場 合,神話 ・伝承が ア イデ ンテ ィテ ィーの永続化 を促す とされ る。確 か に儀 礼 の イベ ン ト化 にみ られ る よ うな 「タイ ・ルー ら しさ」の演 出 も,神話 ・伝 承 に裏付 け られたチ ャ オルア ン ・ムア ンラー を中心 とす る守護霊 祭紀 の体 系が その基礎 にあ る。)ところが,神話 ・伝 ll)1993年の儀礼までのプロセスは,馬場 [1995]にも記述 した。1996年の儀礼は,12月6日から8[] に行われ,データはその際に得られた、 - 1 2 1 -7
2
7
東南アジア研究 35巻 4号 承 に裏付 け られた守護霊祭祀 の体系 と関 わ りなが ら 「タイ ・ル ーであ るこ とをことさら主張 し ない」人 々や
,
「タイ ・ルーで な くなる」
こ とを意識す る人 々 も存在 して い る。 次 に, この点 についてみてみたい。Ⅳ
タ イ ・ル ー を あ え て主 張 しな い こ と, そ して タ イ ・ル ー で な くな る こ と 以下,1.
「タイ ・ルーであ るこ と」 をあ えて主 張 しないケース,2.
タイ ・ユ ア ンとの通 楯 に よるアイデ ンテ ィテ ィー喪失 のケース,3.
「タイ ・ルーの記憶」を持 ちつつ,
「タイ ・ルー」 とアイデ ンテ ィフ ァイ しないケース, に分 けて記述 してみたい。1.
「タイ ・ル ーであるこ と」 をあえて主張 しないケース タイ ・ルー3カ村 の うち,T村 が このケース にあたる。 T村 は,チ ャオル ア ン ・ムア ンラー を他 2相 と共 に紀 ってい るが,チ ャオルア ン ・ムア ンラー の儀礼 において,他2相 ほ ど大 きな役割 を もたず,村 ぐるみの大 きな動 きもみ られ なか った。T
村 は, それ ほ ど,
「タイ ・ルーであろ うとす る」演 出 に熱心 で はなか ったのであ る。2
カ所 に分裂 した1996年 の儀礼 の際 も, それ まで通 りN村 の儀礼 に参加 してい る。 T村 で は,父方, 母方双.方 か ら守護霊 を継承 す るシステム を もち,チ ャオル ア ン ・ム ア ンラーのパ ンテ オ ンを構 成 す る守護霊 の信奉者 の数 はT
村人 口の殆 どを占め る。 しか し,数名 の カオチ ャムの他 ,祭祀 体系 の重要 な要素 を もっていないため,N村 の よ うな儀礼 を利用 した 「村起 こ し」 をす る動 き はなか った。 また,D村 の ように, N村 と利害 関係 を もっ こともなか った。 したが って, T村 の村 人 は,儀礼 に参加す るが故 に タイ ・ルー と しての アイデ ンテ ィテ ィー を持 ちはす るが,あ えてそれ を熱心 に表 明 しようとは しなか ったので あ る。 T村 は儀礼 よ りもむ しろ,地方政治 において重要 な位置 にあ った。T村 とN村 は共 に同 じタ ンポ ン (区 )に属 している (タンポ ンはバ ー ン (村 落 )と郡 の中間に位置す る行 政単位 )。現在 , N村 の村 長が 区長 になってい るが,それ以前 は,ほ とん どT村 の村長が区長 となっていた。12) 12)注6)で触れたように,T村は先住 ビルマ人の霊の慰撫を役割としたようでもあるが,そのことを T村の特色 として打ち出す動 きはなかった。 19世紀末,ラーマ5世期に始まる中央集権化政策以降,全国が州,県,那,区,村の行政単位に まとめられた。タ-ワンパーのムアン ・シープムと呼ばれた区域がD区となり,D村のチャオムア ン (タイ ・ルー首長)がD区の区長 となった。その後,T村を中心 とする区域がP区としてD区か ら分離 した。以後,D村の政治的影響力は低下 し,チャオルアン ・アヌパープの後継者である歴代 のチャオムアンは,守護霊儀礼の際のみにその役割を果たすようになる。 T村は,長らくP区の中 心であ り続けたが,行政手腕に優れた区長がN村から選ばれた1979年以後,N相がこの地域で重要 な役割を果たすようになった [馬場 1996b:84-86]。 728 -122-馬場 :タイ ・ルーであろうとすること,タイ ・)I,-でなくなること
2.
タイ ・ル ー とタイ ・ユア ンとの通姑 によ るア イデ ンテ ィテ ィー喪失 タイ ・ルー3
力付 は, タイ ・ユ ア ン村 落 と隣接 してい るため,かねて よ り, タイ ・ユ ア ンと の通姫 もみ られ た。ただ,これ らは,隣接 した村落 との通楯 が優 越 していた。しか しなが ら,1980 年代以降,道路,橋 の整備が進 み,郡市 との交流 の機 会 も増 えて くる と,村 人の行動 範囲が広 が り,その結果 ,タイ ・ルーの者が,タイ ・ユ ア ンの者 と村 落外 で知 り合 う機会 も増 えてい る。 従 って,現在 ,両者 の通始 は,必 ず しも隣接 村落 だけで はない 。 こ う した状 況の もと,妻方居 住 が優越す るこの地域 で はあ るが, タイ ・ユ ア ン女性 が3カ村 に婚 入す るケース も多い。 この 場 合,子 ど ものエ スニ シテ ィ-は, D村 の場 合 とN村 , T村 の場 合 とで は異 なってい る。守護 霊 を母方のみか ら継 承す るこ とを原則 とす るD村 で は,子 どもはほ とん どタイ ・ユ ア ンとア イ デ ンテ ィフ ァイ され るが,父方 ,母方双方 の継承が原則で あ るN村,T村 で は,子 どもは,タイ ・ ルー とアイデ ンテ ィフ ァイ され る ことが妨 げ られ ないので あ る (図5
)。そ して ,実 際 ,その ほ とん どが タイ ・ルー とア イデ ンテ ィフ ァイ されてい る。 この結果 ,D村 で は, そのい くつ かの守護霊 に対す る信奉者 の数が減少 してい る。 例 えば, ナ ム ・パ ッ トの信奉者 は,現在 その カオチ ャムだ けで あ る。 しか も,彼 の妻 は, タイ ・ユ ア ン 女性 で あ り,子 どもは母親の守護霊 を継承す るため, タイ ・ユ ア ンとア イデ ンテ ィフ ァイされ て い る。 ナ ム ・パ ッ トは,近 い将来,チ ャルア ン ・ムア ンラーのパ ンテ オ ンか ら姿 を消す こ と にな るので あ る (図4
)。 この ように,D
村 で は,通楯 に よって タイ ・ルー と してのア イデ ンテ ィテ ィーの喪失が進 ん で い る と考 える こ ともで きる。N村 の タイ ・ルー人口が 9割 なのに対 して,D村 で は タイ ・ルー 人 口が 6割 であ る と村 人 は認識 してい るが, これ は以上 の ような守護霊継承 の システ ムに原因 を求 め るこ とが可能であ る。 実 際, N村 で タイ ・ルーの守護霊 を信 奉 しない世帯 はな く, D村 で は,世帯 ごとの守護霊 を示 した図6
に も明 らか な よ うに, タイ ・ルーの守護霊 を信奉 してい ケース1 (N村 とT村 ) ケース 2 (D村 )i
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帯 ● タイ ・ユ ア ンの守護 霊○
タイ ・ルーの守護霊 1軒2世帯 ☆タイ ・ユ ア ンとタイ ・ル ー ★ 2世 帯 ともにタイ ・ルー 図6 D村におけるタイ ・ルーの守護霊 とタイ ・ユアンの守護霊 るの は約 6割 で あ る。 この一方 で新 た に登場 した のが, チ ャオル ア ン ・ア ヌパ ー プの両 で あ るO この両 は, タイ ・ ル ーの人 々の み な らず, タイ ・ユ ア ンの人 々 も含 め たD村 全体 の シ ンボ ル とな って い る。 この こ とは,一見 ,D村 の タイ ・ル ーの ア イデ ンテ ィテ ィーの危機 的情 況 を回避 す るため の措 置 の よ うに もみ え る。 しか しなが ら, その よ うな情 況 をそ もそ も 「危機 」 と して考 えてい るか ど う か とい う問題 が あ る。 D 村 の村 人 は,個 人 レベ ル にお いて は, タイ ・ル ー とい うアイデ ンテ ィテ ィー を持 た な くて も, その社 会生 活 に は何 ら不 利益 で はない o D村 で は, タイ ・ユ ア ンの守 護霊 もタイ ・ル ーの 守 護霊 も同様 に母 方 か ら継承 され る もので あ り,個 人 は一つ の ピー ・デ イオ ・カ ン (祖 霊 同一 集 団 ) に属 す る。 第 Ⅱ章 で述 べ た よ うに, ピー ・デ イオ ・カ ンは,守 護霊 祭 紀 以外 に特 にその メ ンバ ー を規 制 す る ものが ない。個 人 に とって は, た また ま どち らか の守 護霊 を信 奉 して い る7
3
0
- 124-馬場 :タイ ・ルーであろうとすること,タイ ・ルーでなくなること にす ぎず, また, どち らを信奉 してい ようと, その社 会生活 には何 の影響 もないので あ る。 D 村 のモニ ュメ ン ト,チ ャオルア ン ・アヌパ -プの両 は,個 人 レベ ルでの タイ ・ル- と して の ア イデ ンテ ィテ ィー と関わ る もので な く, あ くまで, タイ ・ユ ア ンの人々 も含めた村 ぐるみ での演 出に よる もの なのであ る。
3.
「かつて タイ ・ル ーで あ り,今 はそ うではない」 と主張 す るケース この ケー スは3力付周辺 に存在 す る村落 にみ られ る。 N村 とD村 の中間 に K村 とい う村落が あ る。 ここは,比較的大 きな タイ ・ユ ア ン村落 として 知 られ, N村 や D村 とも古 くか ら通婚 関係 もあった村で あ る.。 ここには, タイ ・ユ ア ンの守護 霊祭祀 集団がい くつかみ られ るが, それ に混 じって, チ ャオルア ン ・ムア ンラーの配下 の守護 霊 ムア ンル ックが存在 (バー ンカオが存在 ) してい るO その信奉者 の 多 くは K村 に居住 してい るが, 自らを タイ ・ルー とア イデ ンテ ィフ ァイ してい る。 この K村 には また, ムア ンハム とい う守護霊が存在 してい るC この守護霊 は, シプ ソー ンパ ンナ-の メコ ン川 に隣接 す るムア ンハ ムか ら移住 した とされ るが,チ ャオルア ン ・ムア ンラー のパ ンテオ ンとは何 ら関わ りを もたない。 この信奉者 の多 くは, 自らが信奉す る守護霊が シプ ソー ンパ ンナ-か ら移住 した とい うこ とを知 ってい る。 ところが,現在 は信奉者 の 多 くが 口 を そ ろえて 「かつ て タイ ・ルーであ ったが,今 は タイ ・ユ ア ンで あ る」と述べ てい る。タイ ・ルー 語 を話 さな くな ったか らだ とい う、⊃13) ムア ンル ックの信奉者 は,必ず しも,タイ ・ルー語の話者 だ とは限 らない。しか しなが ら,チ ャ オルア ン ・ムア ンラーのパ ンテ オ ンを構 成す る守護霊 とい う属性が, その信奉者 に タイ ・ルー と してのア イデ ンテ ィテ ィー を与 えてい るのであ る。 ところが,チ ャオルア ン ・ムア ンラーの パ ンテ オ ンを構 成す る守護霊 を信奉 して いて も, 自 らを タイ ・ルー とア イデ ンテ ィフ ァイ しな い場 合 もあ る。 この例 と して,T
村 に隣接 す る村,DC
村 の ケー スが あげ られ る。DC
村 の地 は, タイ ・ルーの村落, T村 や N村 か ら徐 々に移住 した者 た ちに よって建 て られ た といい,1914年,行政上,村落 として 認め られた といわれ る。現在,T村以外 の様 々な村 か らの移住者 ,婚 入者 もあ るが,T村 か らの移住者が多数 を占め る。 また建村後 もDC
村 には寺 院が な く,村 人 はT
村 の寺 院 に参拝 してい る。また,村 人個 々人が信奉 して い る守護霊 をみ る と, チ ャオルア ン ・ムア ンラーの配下の守護霊 であ る場 合が 多 く,信奉 す る守護霊 の カオチ ャムに 対 す る供 出 も行 なってい るし、この ように村落 成立 史や,守護霊祭祀 をみ る と, タイ ・ルーの分 村 であ るこ とが わか る。 しか しなが ら, この村 は タイ ・ユ ア ンの村 とみな され,村 人 もその よ うに考 えてい る。 この理 由 として村 人は, タイ ・ルー語 を話 さな くなってい るこ とを第- の理 13)K村でのインタビューは,1992年9月 に行 わ れ た。 - 12 5 - 731東南アジア研究 35巻 4号 由 にあげている。 D C村 のあ る老人 は,22歳 の時, T村 か ら移住 し,守護霊 は父方,母方 の双方 か ら継承 して い る とい う。 T村 にカオチ ャムが存在 す る守護霊バ ー ンリエ ンな どを示巳ってい る といい, カオ チ ャムに供物 を供 出 している とい うが, それ らの守護霊 の名 を全 て覚 えてい るわ けで はない と い う。また,あ る老人 は,守護霊 の名称 をピー ・ムア ンラー とだけ述べ てお り,守護霊 の名 を, 正確 には覚 えていない。 これ らのケース は,守護霊 に対 す る意識 が比較的希薄であ ることを示 している。 D C村 には K村 のムア ンル ックのケースの よ うに守護霊 の カオ ピーや カオチ ャムが 存在せず, その こ とが,守護霊 との距離 を遠 い もの と感 じさせているのか も しれない。14) K村 の ム ア ンハ ム はチ ャオル ア ン ・ム ア ンラーのパ ンテ オ ンと関わ りを もたず, D C村 の ケースで は,守護霊 との関わ りの意識が希薄であ った。 こう した場合, タイ ・ルー語が アイデ ンテ ィテ ィーの指標 として語 られる とい う特徴 が あ る。 この点 は, カイズの仮説で は導 きだせ ない。 む しろ,モ アマ ンのい う対話的状 況の もとでのアイデ ンテ ィテ ィーの問題 であ る。 D C村 のケースの ような場合,多 くの人 は,外部者 か ら 「あなたは タイ ・ルーか」 と問 われ て も,特 にその ように主張す る必要 も感 じてい ない。 タイ ・ルーの守護霊 を示巳る事実があ って ち
,
「タイ ・ルー といわれればそ うか も しれ ないが」 と考 える程 度 であ り,個 人の生活 とチ ャ オル ア ン ・ムア ンラーの儀礼 自体 との関連 は希 薄であ る。 タイ ・ルーの衣装 の 日常 的着用 もみ られない現在 ,彼 らに とって, 日常生活 にお いて 「タイ ・ルー」 を意識 で きる要素 があ る とす れ ば言語 であ る。 タイ ・ルー語 を失 った彼 らは, T村 や N村 の タイ ・ルー語 の話者 との接触 に よって差異 を感 じ,
「タイ ・ルーで な くなった」 と感 じるのであ る。 この こ とは, K村 の ムア ンハ ムの信奉者 につ いて も同様 であ る。 ムア ンハ ムは, K村 にお いて多数 を占め る タイ ・ユ ア ンの守護霊 と同様 な もの として しか意味 をもたず,あえてそれ らと差異化 す る必然性 もない。 ムア ンハ ムの信奉者が差異 を感 じるの は, D村 や N村 の タイ ・ルー語話者 と接触す る ときなの であ る。 以上 みたケースで は, T村 で は,
「タイ ・ルーであ るこ と」 をあ えて主張せず, D村 で も個 人 レベルで は 「タイ ・ルーであ ること」 にこだわ らない といえる。 更 に,3カ村周辺 には,守 護霊 との関係 の希 薄化 な どに よ り 「タイ ・ルーで な くなる」意識 を持つ人 々 もいる。 この よう に考 える と,3カ村及 びその周辺 においては,大方が 「タイ ・ルーであるこ と」 にこだわ らな いか,その ような意識 を失 うかであ ることがわか る。この例外 といえるのが N村 の場合 であ る。 第 Ⅲ章 で述べ た よ うに, N村 もD村 も同 じように村 ぐるみの 「タイ ・ルー ら しさ」演 出の為 の モニュメ ン トを作 ったが,村 人の関わ り方 は大 き く異 なってい る。次 に, この点 につ いて考 え てみたい。 14)DC村でのインタビューは,1997年3月に行われた。 732 - 126-馬場 :タイ ・ルーであろうとすること,タイ ・ルーでなくなること
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越 境 す る 「タ イ ・ル ー ら しさ」 と 「タ イ ・ル ー ら し さ」 のインヴオリュ-ション
前述 の ように,N村 は,地方 農村 の開発 の進展 と関わ って儀礼 をイベ ン ト化 し,
「村起 こ し」 を進 めて きたが,その背景 には公的機 関 との コネクシ ョンの強 さが あ る。タ- ワ ンパー郡 には, 郡全体 の村長か らなる村長連合 (チ ヨム ロム ・プ-ヤ イバー ン)が あるが,かつ て農村 開発 で 全 国一 の業績 と讃 え られたN村 の村長 は,その長 とな り政治的影響力 を もってい る。また,ナ-ン県教育委員会 の重職 にあ る教 員 を中心 に,ナ- ン県文化研究 セ ンター及 び国家文化委員会 と 強 い関係 を持 ってい る。1
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年春 には,国王即位5
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年 の イベ ン ト 「タイ系諸民族 の文化」 (国 家文化委員会主催 ,バ ンコク)に参加 し,国内の タイ ・ルーの代表 として, タイ ・ルー舞踊 な どを披 露 してい る。 この際,現在,織物 の村 と して名高 い タイ, ラオス国境 にあ る村 も, この イベ ン トにN柑 とともに参加 している。 この村 は,革命時 の ラオスか らの タイ ・ルー難民が 多 くを占め,現在 は, ラオスへ の道 の重要 な開発 の拠 点 となってい る。 この ラオスへ の道 は, 中国, ミャ ンマ ー, ラオス, タイ国境地帯の開発 を進 め る 「黄金の四 角地帯 」の構想 の もと,近年,ナ- ン県か ら中国へ抜 ける道の一環 と して クローズア ップ され つつ あ る。 このルー トの開発 をめ ぐり,ナ- ン, ルア ンプラバー ン, シプ ソー ンパ ンナ-の代 表が,ナー ンに集 って しば しば会談 を行 ってい る。道路整備 な ど具体的 な建設事業 には,ナ-ンの華 人系の建設会社 が 中心 的役割 を担 い,ナ- には,ナ-ンの華 人農場主が土地 を提供 して ラオス領事 館 が建設 され る とい う。 この建設 会社社長 と農場 主 は また, 開発 をめ ぐる商談 の為, シプソー ンパ ンナ- を しば しば訪問 して きた。1
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年秋 には,西双版納 タイ族 自治州の州長がN
村 を訪 問 したが, これは, この建設会社社長 と農場主 の紹介 に よる という 。 この ように,現在形成 さ れつつ あ る国境 を越 えた ネ ッ トワー クの中において,N村 は重要 な位置 にあ り,それ は, タイ とい う国家 に よる開発計画 の重要 な一翼 を担 ってい るのであ る。 N村 は,国境 を越 えた ネ ッ トワー クにおける 「タイ ・ルー ら しさ」の演 出の担 い手- とな り つつ あ る。その一方で,これ まで,N村が重要 な 「村起 こ し」の材料 として きたチ ャオルア ン ・ ムア ンラーの儀礼 は,前述 の ように,D村 の分裂 に よって変化 を余儀 な くされた。 最 も核心 的 な部分 として必要不可 欠 な ものの一つであ ったチ ャオムア ンを欠落 させ,守護霊 パ ンテ オ ンも 不完 全 な もの となったのであ る。 この背 景 にあ るのは,前述 の よ うに,人物 よ りもモニュメン トに重要性 が シフ トした ことであ る。 N村 における儀礼 の イベ ン ト化 は,チ ャオルア ン ・ムア ンラーの銅像 とい うモニ ュメ ン トと華美 になったパ フ ォーマ ンス を残 し,更 に,その外部 に向 けた演 出は,国境 を超 えることとなったのであ る。 一方,D村 は,N村 の村起 こ しとい う様相 を帯 びたチ ャオルア ン ・ムア ンラーの儀礼 とは別 に,独 自の道 を模索 しようとして きた。そのため,チ ャオルア ン ・ア ヌパープの両 をD村独 自 - 127- 733東南アジア研究 35巻4号 の シンボル として建 て,更 に,チ ャオルア ン ・ムア ンラーの儀礼 その もの を独 自に行 うことに 成功 した。 しか しなが ら,D村 は,N村 の ように公的機関 との回路 をほ とん ど持 たず (わずか に村長 と一人の教員 のみ),儀礼 の主導権 は古老 の手 の内にある。 この結果,D村 における独 自の 「タイ ・ルー らしさ」の表現 は,儀礼 の精微化 とい う,いわば文化 のイ ンヴ オリュ-シ ョ ンとい う形 をとらざるをえないのである。 村 落のモニ ュメ ン ト形成 は
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「タイ ・ルーであろ うとす ること」す なわち 「タイ ・ルー らし さ」の村 ぐるみの演 出の表象である。 しか しなが ら,以上述べ た ように,N村 の もの とD相 の もの とでは,その意味内容が異 なっている。 この点 を更 に明確 にす るため,N村,D村それぞ れの村人個人の意識 とモニュメ ン ト形成 の動 きとの関係 をみてい きたい。 D村でチ ャオルア ン ・アヌパ ープの両 をシンボル と して建 てたのは,3カ村合同で示巳って き たチ ャオルア ン ・ムア ンラーの儀礼が,N村 中心 に肥大化 してN村 の 「村起 こ し」 とい う様相 を帯 びて きたので,D村独 自の シンボル をもつ ことで,独 自の道 を模索 しようとしたか らであ る。前章で述べ た ように, この シンボルは,個人 レベルでのアイデ ンテ ィテ ィーが タイ ・ルー であるか どうか とい うことよ り,D村全体の利益 と関 っている。 N村 の場合,守護霊 を父方,母方双方か ら継承す るので,チ ャオルア ン ・ムア ンラーのパ ン テオ ンを構成す る守護霊 の信奉者 の数 はD村 よ りも多い。 この ことは,
「タイ ・ルー人 口の多 さ」 と して表現 されている。 チ ャオルア ン ・ムア ンラーはまた,3力付 に及ぶ守護霊パ ンテオ ンの頂点 に立つ と同時 に,N村 とい う領域 を守護す る霊 (スア ・バ ー ン) とい う性格 をもって いる。 スア ・バ ー ンは,村落の領域 と成員 を守護す る ものなので,村人 は,長期 の旅立 ちな ど によって村 を離れ る時 にその旨をスア ・バ- ンに告 げな くてはいけない 。 この ようにスアバ ー ンは,村人個人の生活 に も深 い関わ りを持 っている。 D村 やT村 には,それぞれのスア ・バ ー ンがあるが,N村 では,チ ャオル アン ・ムアンラーがその役割 を担 っている。 これは,N村 の 村人個 々人 に 「タイ ・ルーであ ること」 を意識 させ る特殊条件 となっている。 こう した条件 の もとになされる 「タイ ・ルー らしさ」の演出は,村人 に 「タイ ・ルーであること」 を積極 的に 表明 させ る契機 となる。
「タイ ・ルーであ ること」 は また,N村が農村 開発 の模範村 であるこ とと結 び付 け られて語 られる。15)北 タイで 「タイ ・ルーは勤勉 であ る」 ことが しば しば言及 されるが,N村が発展 したのは9割が タイ ・ルーであるか らであ り,6割 しかいないD村 よ り 発展 して いるのだ とい う語 りが村 人 の 中に生 まれて くる。 こ う して,
「タイ ・ルーであ るこ と」 は,N村 の村人個人の誇 りとなって定着す るのであ る。 チ ャオルア ン ・ムア ンラーの銅像 は, こう した村人個 々人の意識 に も支 え られた,村 ぐるみでの 「タイ ・ルー らしさ」演 出の シ ンボルなのである。 15)例えば,ランパーン県では,タイ ・ルーの田は隅々まで耕 してあるが,コン ・ムアン(タイ ・ユアン) の田はそうではない,といわれる。 734 - 12
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-馬場 :タイ ・ルーであろうとすること,タイ ・ルーでなくなること 以上 の よ うに,モニ ュメ ン ト形成 と個 人の意識 をめ ぐる状況 は,N村 の場 合 とD村 の場合で は異 なってい る。 N村,D村共 に,村 レベ ルでの演 出 を してい るが,D村 の場 合,個 人 レベ ルで は タイ ・ルー であ るこ とに大 きなこだわ りはない。しか しなが ら,N村 の場合,個 人 レベ ルか らもタイ ・ルー であろ うと し,その ことに誇 りを もってい る。ここに,N村が,この地域 にあ って 「タイ ・ルー らしさ」の演 出の中心 的存在 となる条件が存在 した と考 え られ る。 N村 の場 合,儀礼 を始め と す る タイ ・ルー文化 をプロモー トす る人材,村 人個 人 とチ ャオルア ン ・ムア ンラー を結 び付 け る必然性 が有機 的 に重 な り合い,つ い に,国境 を超 えた演 出の担 い手 に まで なったのであ る。
おわ りに
以上, ナ- ン県 タ- ワ ンパー郡 の タイ ・ル- 3カ村 を例 に して,「タイ ・ルーであ る こ と」
の今 日的意味 を探 ってみたC 北 タイにおける タイ ・ルーは,国家 に よる民族 的枠組 みで は, タイ系民族全て を含 んだ 「タ イ族 」の一部で しか ない 。 また,北 タイのマ ジ ョリテ ィー, タイ ・ユ ア ンとの長 い混住 は,両 者 の文化 的差異 を暖味 に した。 ・ タイ ・ル- 3カ村 の タイ ・ルー としての ア イデ ンテ ィテ ィ-の基礎 には,チ ャオルア ン ・ム ア ンラー を中心 とす る守護霊祭紀の体 系が あ る。 カイズは,言語 的特色 をな くして も,移住 の 伝承が アイデ ンテ ィテ ィーの永続性 を もた らす, と述べ ている。確 かにチ ャオルア ン ・ムア ン ラーの儀礼 において重要 なの は, パ ンテ オ ンを意味づ けるチ ャオルア ン ・ムア ンラーの移住 の 神話伝 承であ り,その祭祀 に関わ る役職 であ る。 そ して, その中心 となるの は, シプソー ンパ ンナ一に繋が る系譜 の比較 的明確 なチ ャオムア ンとモー ムア ンであ った。 しか しなが ら, こう した守護霊祭祀 の体 系の存在 だけで は,今 日の タイ ・ルー3カ村 のアイデ ンテ ィテ ィーの性格 を説 明で きない。 タイ ・ル- 3カ村 を中心 に居住す る 「タイ ・ルー」 を称す る人 々は,今 日, 守護霊祭祀の体系 との関わ りを持 ちつつ,様 々な立場 に置 かれてい る。個 人の レベ ルで は,多 くが 「タイ ・ルーである ことを,あ えて表明 しようと しない」か 「タイ ・ルーで な くなって し まう」かであ った。 これ は, タイ ・ルーの文化 的特色が失 われてい く趨勢 の中で, タイ ・ルー であ るこ とに意味 を感 じない 人々が生 まれてい ることを示 してい る。そ う した一方 で,「タイ ・ ルーであろ うとす るこ と」つ ま り 「タイ ・ルー ら しさ」 を演 出す る人 々が い る。 この動 きは, タイ ・ルー文化喪失 の趨勢 において,祭把体系 に新 たな存在 の意味 を持 たせ る働 きを してい る ようであ る。 そ う した動 きが なければ,守護霊信奉者 は, それが タイ ・ルーの守護霊 である と 理解 しつつ もタイ ・ルー としてのア イデ ンテ ィテ ィー を失 う可能性 もあ る。 タイ ・ルーの記憶 をもちつつ, タイ ・ルー と自らをア イデ ンテ ィフ ァイ しない守護霊 ムア ンハ ムの信奉者 の事例 - 12 9 -7
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東南アジア研究 35巻4号 (K村 )は, こうした可能性 を示唆 している。 チ ャオルア ン ・ムア ンラーの儀礼 は, しば しば, タイ ・ルーが強固なアイデ ンテ ィテ ィーを 持続 している証明の ように報道 され る。 しか しなが ら,現実 に行 われているの は 「タイ ・ルー であろ うとす る こと