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経済体制の移行に関する形態論的試論
福 田 敏 浩
1 社会主義から資本主義へ 20世紀は経済体制実験の時代である。世界各地で各種各様の経済体制の制度 化が試みられた壮大な実験の世紀である。なかでも社会主義の実験は特筆に値 する。その実験が短命に終わったからである。社会主義の最初の実験場はソ連 であるが,この国の実験は1917年のロシア革命に始まり,1991年末のソ連の消 滅で終わった。実験期間わずかに74年であった。第2次大戦後にソ連に追随し た東欧諸国での実験期間はさらに短く,およそ40年であった。それに終止符を 打ったのは1989年の東欧革命であった。 東欧革命後およびソ連の消滅後に登場した各国の非共産党政権は,政治体制 の民主化とともに経済体制の転換政策を開始した。とりわけ,ポーランド,チ 1) エコスロヴァキアおよびハンガリーの中欧3力国は,「ヨーロッパに帰る」 (Back to Europe)を合言葉にして,西欧型民主主義と西欧型経済体制への転換 政策を精力的に推進するようになった。中欧3開国がめざした経済体制は,い 2) うまでもなく「資本主義」であった。これらの国以外のロシア・東欧諸国の新 政権も,国によって濃淡の違いはあるものの,総じて資本主義を志向してきた。 ポスト社会主義諸国が当初予定していた体制転換の戦略は国ごとに異なるが, 大きく分けると,二つにグループ化できる。比較的短いタイムスパンの中で社 会主義をスクラップして資本主義を制度化しようとする急進的戦略と,時間を かけて資本主義を制度化しようとする漸進的戦略である。急進的戦略を選択し 1) Berend (1) p. 131. 2) Kornai (19) p.90.2 彦根論叢 第297号 たのは東ドイツ,ロシア,ポーランドおよびチェコスロヴァキ・アであった。ベ ルリンの壁が落ちてから1年目経たない1990年10月に西ドイツに吸収合併され た東ドイツでは,現在,ポスト社会主義諸国の中では比較的順調に資本主義化 が推進されている。ロシアでも1992年の年初からエリツィン政権のもとで,資 本主義化が開始されたが,準備不足と政策的対応のまずさに政局の不安定が加 わり,体制転換は混迷を深めている。 ポーランドが急進的な体制転換政策を選択した背景には経済の破綻があった。 この国では1982年からヤルゼルスキ政権のもとでハンガリー型市場社会主義の 3) 制度化が開始されたが,結局は失敗し,ショーテaジフレーションという抜き 差しならぬ事態を招いただけに終わってしまった。1989年6月の総選挙で権力 を掌握したマゾヴィエツキ政権は,蔵相バルツェロビィチ(L.Balczerowicz)を 中心にして立てられた「経済プログラム」に従って,1990年の年初からショッ ク・セラピー型の経済安定政策と資本主義化をめざした急進的な体制転換政策 を実施した。ショック・セラピーはショーティジフレーションを解消し,資本 主義化の地ならしをするという目的をもっていた。この目的を実現するために, 価格統制の廃止(全品目の90%以上の価格の自由化),賃金統制(賃金上昇の上 限の設定),財政の均衡化(増税,補助金の大幅カット),通貨切り下げ(1ド ル=6500ズロチから1ドル=9500ズロチへ),輸出入制限の緩和,関税率の引き 下げ(輸入関税の平均10%引き下げ)および金融引き締め(実質金利の引き上 げによる信用需要の抑制)などの措置が取られた。このようなショック・セラ ピーは即効性を発揮し,一時的にスタグフレーションを招いたものの,物不足 とハイパーインフレーションの解消という所期の目的は達成することができた。 資本主義の制度化の方は,その中核を占める国有企業の一とくに基幹産業の大型 国有企業の一私有化に手間取り,政府の当初の見込みよりもかなり遅れている 3)ポーランド政府が描いた市場社会主義の設計図は,基本においてハンガリー型市場社会 主義であった。国有企業体制(国有企業での労働者自主管理),市場経済および誘導的マク ロ経済政策を柱としていたからである。 この点については福田〔7〕41ページ,福田〔8〕143ページを参照されたい。
経済体制の移行に関する形態論的試論 3 4) のが実情である。 チェコスロヴァキアでは1990年6月の総選挙で政権を取った市民フォーラム を軸とする連立政権が,蔵相クラウス(V.Klaus)を中心にして作成された「市 場化プログラム」をもとにして,1991年の年初からラジカルな体制転換政策を 開始した。価格および輸入の自由化と国有企業の私有化がその柱であった。自 由化政策は,ショック・セラピーのスタイルを取ったために一時的に物価の高 騰を招いた(1991年1月と2月に50%の上昇)ものの,当初の目論みどおり消費財 の大量供給を誘発したために物価の沈静化と経済の安定化を実現した。国有企 業の私有化についてはバウチャー方式が採用された。18歳以上の国民に対して 国有企業の株式の引換券にあたるバウチャーを配分し,それによって国有企業 5) を一挙にかつ大量に私有化するという方式である。バウチャー私有化は1992年 の春に実施されたが,マジョル(1.Major)やプロム(K. Brom)やオレンシュタ 6) イン(M.・Orenstein)のいうように,予想外の成功を収めた。 チェコスロヴァキアは1993年1月1日にチェコとスロヴァキアの二つの国に 分かれた。クラウスが首相を務めるチェコは,現在,mシア・中欧・東欧諸国 のなかで資本主義化の先頭に立っているといってよい(もっとも当初の政府見 込みよりもかなり遅れてはいるが)。ショック・セラピーの安定政策とバウチャ ー型私有化のポリシー・パッケージが功を奏したのである。国有企業の私有化 政策は失業というマイナスの副産物を生む可能性がある。事実,ポーランドや ハンガリーでは失業率が10%台になった。これに対し,チェコの失業率は3% 台である。私有化中はできるだけ失業を出さないという雇用政策が実施された からである。このため新政権の資本主義化政策に対する国民の支持が高まり, 7) その率は65%に達した。クラウスの政策スタンスも国民の高支持を得る原動力 になった。クラウスは当初から,資本主義への体制転換政策に対する国民の支 4)詳しくは福田〔13〕を参照されたい。 5)福田〔13〕を参照されたい。 6) Major (22) p. 122, Brom, Orenstein C3) p. 893. 7) Brom, Orenstein (3) pp. 898−899.
4 彦根論叢 第297号 持を取りつけるために,マスメディアを通じて「市場化プログラム」のメリッ トはもとよりそのデメリット(たとえば一時的な物価高・実質賃金の低下など) についても率直に語った。このような政策スタンスは国民から好感をもって迎 えられた。かつての西ドイツの経済復興に尽力したエアハルト(LErhard)の政 策スタンスを彷彿させる道徳的説得(moral suasion)の成功例といえよう。 漸進的戦略を選択したのはハンガリーである。この国では1968年から1989年 まで市場社会主義の実験が行われた。1980年代前半までは経済政策のウエイト は市場化におかれ,価格の漸進的自由化と財領域(生産財および消費財)の市 場化が推進された。1980年代後半になると,市場化の徹底と国有企業の私有化 が開始された。市場化については金融市場(二層バンキングシステムの導入)およ び資本市場(株式,社債および公債の発行市場)の整備と同時に労働市場の制度化 が行われた。このような傾向は,1956年のハンガリー動乱以後政権の座にあっ たカーダール(J.Kadar)が退陣し,ネーメト政権iが登場した1988年5月以降に 加速された。この政権交代によってハンガリー社会主義労働者党内の実権は社 会民主主義者の手に渡り,ニエルシュ(R,Nyers)の主導のもとに大胆な体制改 革が志向されるようになった。国有企業の自発的私有化,国有資産の民間への リース制の導入,外国資本の誘致などの広義の私有化政策が推進される一方, 輸入の自由化の措置も取られるようになった。東欧革命後の1990年春にアンタ ル政権が登場した時,市場化は完成の域に近づき,輸入の自由化は60%に達し, 8) 私有化はすでに開始されていた。新政権は旧政権によって敷かれた漸進的体制 転換の路線を踏襲すればよかったのである。今から振り返って見ると,1968年 から1989年までの市場社会主義の実験の時代は資本主義への助走期間だったこ とが分かる。 ハンガリーよりもより漸進的な道を選択したのは,ルーマニアとブルガリア である。両国では東欧革命後に旧共産党に連なる政治勢力が政権を担当するよ うになったために,ラディカルな体制転換政策は採用されなかった。たしかに 両国とも資本主義を志向しつつ市場化と私有化を実施しているが,そのテンポ 8) Berend (1) p. 134.
経済体制の移行に関する形態論的試論 5 はきわめて緩慢である。市場化の柱をなす価格の自由化については,社会主義 時代のハンガリーのように,段階を踏んで市場価格に転換するという漸進的な 道が選択されているし,私有化については小規模私有化にウエイトをおき,基 幹産業では当分の問国有企業を温存するという戦略が取られている。たとえば ルーマニアの新政権は,今後三つの段階を踏んで公定価格を市場価格に転換し, 国有資産については当面その53%(そのほとんどは小規模のいわゆるcommerciaI company)を私有化し,残りの47%を占める基幹産業(鉱業,運:輸,軍需,通信な s) ど)では国有方式を踏襲するという戦略を選択した。 ポスト社会主義諸国における経済体制の事実動向は以上のとおりであるが, この事実動向は多くの経済学者の関心を引き,すでにおびただしい数の著作が 刊行されてきている。それらを整理すると,経済体制の移行に関する国別・地 域別の実証的研究,経済体制の移行をもたらした原因分析,経済体制移行の方 向の確定および予想の三つに分類することができる。これらのほか経済体制の 移行に関する一般理論の定立の必要を説く論者もいる。たとえば,シュトライ スラー(EW. Streissler)は新しいパラダイムをベースにした「移行の経済学」 10) の樹立を要請し,カンツェンバッハ(E.・Kantzenbach)もグローバルな「移行の 11) 理論」の必要を説いている。かれらの要請はもっともではあるが,今の時点で いわば体制移行のグランド・セオリーを形成するのは時期尚早のように思われ る。ポスト社会主義諸国における経済体制の移行は現在進行中であり,完結し ていないからである。高速で変化しつつある現実を対象にして一群の規則性を 発見し,それらをもとに体制移行の一般理論を構築するのは不可能のように思 われる。ポスト社会主義諸国のなかには資本主義にソフトランディングできる かどうか予断を許さない国もある。一般理論の定立は,移行の帰趨がはっきり としてからでも遅くはあるまい。 とはいえ,長い人類の歴史のなかでもそれほどない大転換を目の当たりにし 9) Berend (1) p.136. 10) Streiss!er (28) p.74. 11) Kantzenbach C16) S.120.
6 彦根論叢第297号 、 て,黙して語らずというわけにもいかないだろう。経済学徒にとっては千載一 遇のチャンスである。今の時点で言えることはいっておかねばならない。筆者 の経済体制論で,この20世紀末の経済体制の移行をどこまで説明できるか,試 12) みてみよう。 II 筆者の立場 経済体制問題に対する筆者のアプローチの方法は形態論(Morphologie)であ る。形態論の故国はドイツである。歴史学派以来の伝統をもつ。筆者の説はド イツの形態論的経済体制論の流れをくむ。なかでもオイケン(W.Eucken)とピ 13)ユッツ(T.・PUtz)の説から多くの教えと刺激を受けている。本稿のテーマに対 する筆者のアプローチの方法を明らかにするために,あらかじめ筆者の経済体 制論を簡単に紹介しておきたい。 人間生活の一領域である経済は,経済経過と経済体制とから構成される。経 済経過は日々の経済の流れであり,生産,分配,消費,貯蓄および投資などの 諸局面から成る。経済経過は定量的分析によって把握可能な量の世界である。 経済体制とは,このような経済経過のあり方を規定する制度的枠組みである。 経済経過が量の世界であるのに対し,経済体制は質の世界である。生産や分配 や消費や貯蓄や投資のあり方は,この制度的枠組みの形状によって左右される。 比喩的にいうと,経済経過は川の流れに,経済体制は川床にあたる。 経済体制は基本的に次の三つの要素から構成される。所有方式,需給の相互 調整方式および需給の上下調整方式である。所有方式は生産手段の所有の態様 である。制度化された所有方式には私有と公有がある。相互調整方式は個別経 済相互間の需給の調整方式である。制度化された相互調整方式には市場経済と 中央管理経済(計画経済)がある。上下調整方式は政府と個別経済との間の垂直 的調整方式であるが,それはまた政府の経済への干渉方式といってもよい。制 度化された上下調整方式には自由放任,指令および誘導の三つがある。このよ 12)本稿は福田〔11〕で示した筆者の試論をより体系的にしたものである。 13)この点については福田〔5〕第6章および福田〔6〕第1章を参照されたい。
経済体制の移行に関する形態論的試論 7 うに経済体制の基本的構成要素を三つと考える筆者の説を,筆者自身は「所有, 14) 相互・上下調整の三元論」と呼んできた。以下,この三元論をもって本稿のテ ーマにアプローチしてみよう。 III政治経済学的アプローチ 筆者の説を提示するに先立って,まずコルナイ(J. Kornai)の説を見ておきた 15) い。別稿で触れたように,コルナイの説は,ポスト社会主義諸国における経済 体制の変動を扱った数多くの論著のなかで出色のものであり,経済体制の移行 論にひとつの範型を提供しているように思われるからである。 コルナイ説は二つの部分から成る。経済体制の移行をもたらした誘因の分析 と経済体制の移行の方向の確定である。以下これらを中心にしてコルナイ説を 検討してみよう。 コルナイ説を特徴づけているのは政治的ファクターの重視である。それは社 会主義体制の定義にはっきりと示されている。社会主義国とは共産党政権の国 16)であり,「社会主義体制とは共産党によって統治される国々のシステムである」 というのである。.ソ連起源の社会主義は古典的社会主義(classical socialism) と呼ばれるが,政治的ファクターの重視はこの古典的社会主義の定義にも見ら れる。古典的社会主義の根本を成すのは,共産党独裁という全体主義的権力構 17) 造と考えられているのである。コルナイは,共産党独裁のほかに,生産手段の 国有と需給の官僚的調整も古典的社会主義の柱を成すと見ている。 このように,政治,所有および調整をソ連型社会主義の基本的構成要素と見 るところにコルナイ説の特徴がある。とはいえ,これらの要素は多くの論者に よって注目され,多角的に分析されてきており,この限りではコルナイ説に目 新しいものがあるとは思えない。たとえば,東欧の新マルクス主義を代表する 14)福田〔6〕第1章。 15)福田〔10〕 16) Kornai (19) p. 11. 17) Korani (19) p. 98, p. 361.
8 彦根論叢 第297号 ユーゴスラヴaアのホルバート(B.Horvat)も,コルナイと同様に,「政治・所 有・調整の三元論」の立場に立ち,ソ連型社会主i義を政治権力の集中,生産手 段の国有および行政的計画による需給調整の組み合わせから成る経済体制と捉 えてきた。 むしろコルナイ説の独自性は,三つの構成要素の関連分析にある。これらの 関連が因果連鎖(causal chain)の形で捉えられているのである。いわば政治が 第1か日であり,それが所有を規定し,所有が調整を規定するという論法であ る。古典的社会主義では全体主義的権力構造が国家的所有を呼び,国家的所有 が官僚的調整を呼んだというのである。「政治構造と公式のイデオロギーが与え 19) られ,国家的所有が支配すると,それらは官僚的統制の支配を生み出す」。こう して全体主義的権力構造,国有および官僚的調整の間には凝集性の高い「強い 結合」(strong linkage)が成立したので,古典的社会主義は比較的安定したシス 20) テムになった。 比較的安定していた古典的社会主義もやがて動揺をきたすようになった。コ 21) ルナイはその原因として次の四つを挙げている。第1は経済的困難である。古 典的社会主義は技術や消費の立ち遅れ,物不足,浪費などをもたらした。第2 は公衆の不満である。低い生活水準,低品質,製品の選択幅の狭さ,サーヴィ ス・セクターの立ち遅れ,環境破壊などに対する公衆の不満が高まった。第3 は権力者に対する信頼の喪失であり,第4は外国の情勢の変化である。 コルナイは,ユーゴスラヴィアやハンガリーで実験された市場社会主義の失 敗にも目を向けた。市場社会主義は共産党独裁と公有と市場的調整の組み合わ せから成る。コルナイによれば,市場社会主義の失敗の究極の原因は生産手段 の公有制と市場システムを組み合わせたところにあった。それは「火と水を混 22) ぜ合わせる試み」であったがために市場社会主義は安定さを欠き,経済の停滞 18)Horvat〔14〕p.233, Horvat〔15〕p.188. 19)Kornai〔19〕p.363. 20)Kornai〔19〕p.570. 21>Kornai〔19〕pp.383−386. 22)Kornai〔20〕p. viii.
経済体制の移行に関する形態論的試論 9 を招いてしまった。 1980年代末から1990年代初頭にかけて,古典的社会主義と市場社会主義は同 時に崩壊し始めた。何がこうしたカタストロフィ運動を誘発したのか。コルナ イの解答は東欧革命であった。コルナイは東欧革命を政治革命と捉えた。つま り,共産党独裁の崩壊と見た。共産党独裁の崩壊は取りも直さず社会主義の崩 壊を意味する。古典的社会主義にしても,市場社会主義にしても,その根幹を 成したのは共産党独裁であったからである。コルナイの論法からすれば,共産 党独裁が崩壊すると,古典的社会主義も市場社会主義も崩壊せざるをえなくな る。 では,ソ連・東欧諸国の経済体制はどこへ向かおうとしているのか。コルナ 23) イの解答は「資本主義体制」(capitalist system)であった。資本主義体制の本質 は,権力を独占し続ける政党が存在しないこと,つまり権力の分割性にある。 権力の分割制と両立する所有制は私有であり,私有と両立する調整方式は市場 24)経済である。これら三つの組み合わせば,凝集性の高い「強い結合」であり, 過去200年の欧米諸国の経験が示しているように,安定性に優れている。 コルナイは,資本主義への移行に関して一方でショック・セラピー型の経済 25) 安定政策を,他方で漸進的な私有化をi提唱している。社会主義の宿弊であった ショーティジフレーションは,価格の自由化・緊縮財政・金融の引き締めによ って解決:し,資本主義にとって不可欠の生産手段の私有化については時間をか けて行うべきだというのである。ビッグバンの安定政策と漸進的私有化のポリ ーシー・パッケージであるが,これはチャバ(L Csaba)やノーヴ(A. Nove)と 26) 同様の提案である。私有化についていうと,コルナイはかねてより私的セクタ ーの拡大を重視し,そのためには現存国有企業の私有化よりもむしろ新しい私 企業の創設の方に政策の重点をおくべきことを主張してきた。現存国有企業の 23) Kornai C19) p. xxv, p. 90, p. 389. 24) Komai (17) pp.44−47. 25)Kornai〔18〕chap.1,2,邦訳第1章,第2章。 26) Csaba (4) p. 524, Nove C25) p. 227.
10 彦根論叢 第297号 私有化については新設の私企業との競争を通して経営不振の国有企業の淘汰を 図り,時間をかけて徐々に私的営利会社に転換すべきであり,政府はそうした 私有化のプロセスに介入すべきでないという。政府の任務は,私企業の設立や 国有企業の私有化に必要となる制度的枠組み一とりわけファイナンス市場一の 形成・整備に限定すべきである。私有化は上からの官僚的・規制的な方法によ るのではなく,私的経済の自発的・分権的・有機的なプロセスー有機的発展のプ uセス(process of organic development)一に委ねるべきであるという提案であ る。マーレル(P.Murrell)と同様のevolutionary economicsの立場からする提 27) 案といってよい。 以上がコルナイ説の概要であるが,その個性は政治的ファクターの重視にも っともよく表れていることは上述のとおりである。経済体制を根本的に規定す るのは政治権力の集中度と考えられ,権力の集中と分散によって社会主義と資 本主義が区別されている。このような論理からすれば,権力構造の一方の極か ら他方の極への転換は経済体制の根本的転換一つまり体制間移行一ということ になる。コルナイの目には,東欧革命による共産党独裁の崩壊と西欧型民主主 義への移行の動きがまさしくそうした転換を惹起した,と映ったのである。コ ルナイ説は典型的な政治誘因説である。 コルナイと同様の政治経済学的アブV一一チを採る論者は比較的多い。たとえ ば,シュヴァルツ(G.Schwarz)はポスト社会主義諸国の体制動向を非自由秩序 から西側先進国型の福祉国家への移行と捉え,その移行のモーターを東欧革命 28)による権威主義から民主主義への政治的転換にあると見,シューラー(A.SchUl・ Ier)はゴルバチョフ(M. Gorbachev)によるブレジネフ・ドクトリンの放棄が意 29) 図せざる結果として体制転換を招いたと見た。 以上のように,最:近の移行論では,東欧革命やソ連の消滅やユーゴスラヴィ アの分裂などの政治的大事件がきわめて短期間に続発したためか,政治経済学 27) Murrell (24) p. 82, pp.85r86. 28) Schwarz [27) 29) SchUller (26) S.47.
経済体制の移行に関する形態論的試論 11 的アプローチと政治誘因説が支配的である。 IV 形態論的移行論 旧ソ連・東欧諸国における経済体制の変動方向については,コルナイ説に象 30) 徴されるように,「社会主義から資本主義」へという捉え方が支配的である。筆 者の見解も同様である。以下,筆者の形態論的移行論を提示してみたい。 1.並進・接近・移行 ロシア革命後にソ連政府は社会主義によって先進資本主義諸国に追いつくと いう経済発展戦略を選択した。それを可能にする制度的枠組みとして国有,中 央管理経済および指令の組み合わせから成る管理社会主義が制度化された。そ れは丁度,西側諸国で誘導資本主義(私有+市場経済+誘導)が成立した時期 と重なっていた。その1930年代半ば以降,誘導資本主義と管理社会主義が並進 するようになった。 第2次大戦後になると,東欧諸国においてソ星型管理社会主義が制度化され, 社会主義陣営は一挙に拡大した。西側諸国では誘導資本主義が拡大すると同時 31) に多様化の動きが生じ,二つのヴァリアントが出現した。フランス型とアメリ カ型である。両者の違いは政府による個別経済の誘導の方法にある。フランス で制度化された誘導の方法は中期的なマクロの指示的経済計画であった。この 方法は後に日本,イタリア,イギリス,オランダ,スウェーデン,ノルウェー においても制度化された。アメリカではケインズ主義的な短期総需要管理の方 法が定着した。西ドイツもこの方法を制度化した。 1950年代になると,ユーゴスラヴィアがソ連圏から離脱し,独特の市場社会 主義の実験を開始した。その市場社会主義は社会有(労働者自主管理),市場経 済および誘導の組み合わせを基本とするものであった。ハンガリーでは1968年 から市場社会主義の制度化が行われた。その基本構造は国有,市場経済および 誘導の組み合わせであった。 30) Brada, King (2) p. 37, McKinnon (23) p. 97. 31)詳しくは福田〔4〕第6章を参照されたい。
12 彦根論叢 第297号 市場社会主義の登場に伴い,それまでの管理社会主義と誘導資本主義の並進 という構図が次第に崩れ,東側諸国における社会主義の二極化と市場社会主義 の誘導資本主義への接近という新たな状況が出現した。筆者の立場よりすれば, ユーゴスラヴィアの市場社会主義は相互調整方式(市場経済)と上下調整方式(誘 導方式)の両面でフランス型の誘導資本主義へ接近し始めたということになる。 このような接近にいち早く気づいたのはうンダウァー(C.Landauer)であっ た。彼は1963年に,ユーゴスラヴィアの経済体制が政府の経済計画と市場経済 から成るフランス型の計画市場経済(Geplante Marktwirtschaft)へ向かいつつ あることを指摘した。この限りでは筆者はランダウァーの考えに同意する。 ハンガリーの経済体制もフランス型誘導資本主義に徐々に接近し始めた。 1980年代になると,この傾向はいっそう顕著となった。この時期にはファイナ ンス市場の制度化が行われ,ハンガリーの市場経済は西側諸国のそれへいっそ う近づいた。上下調整の面でも歩み寄りが見られた。政府の経済計画は指示的 計画化し,基本においてフランス型経済計画と変わらないものとなった。 1980年代にはポーランドとソ連がハンガリー型市場社会主義の実験を開始し, 誘導資本主義への接近の動きを示したが,両国の実験は東欧革命の勃発で軌道 に乗らないうちに挫折した。残りの東欧諸国では東欧革命の直前まで管理社会 主義が存続した。 以上の現実動向を踏まえると,東欧革命まではユーゴスラヴィアとハンガリ ーが誘導資本主義に接近しつつあったといえる。ただし,両国の市場社会主義 は全面的に誘導資本主義に移行しつつあったということはできない。市場社会 主義と誘導資本主義は所有方式の面で決定的に異なり,前者は公有を,後者は 私有を基本にしていたからである。市場社会主義の実験は社会主義の一線を越 えるものではなかった。筆者のいう市場社会主義の誘導品本主義への接近とは, 相互調整方式および上下調整方式の面での接近なのである。残りの国は,ソ連 とポーランドが市場社会主義の実験を開始していたとはいえ,管理社会主義に 止まっており,誘導品本主義への接近を確認することはできない。両者は並進 32)Landauer〔21〕
経済体制の移行に関する形態論的試論 13 状態にあった。 東欧革命は東の国々の体制状況を一変させた。東欧革命後に登場した非共産 党政権は社会主義の放棄をめざすようになった。とりわけ,西ドイツに吸収さ れた東ドイツや中欧3力国は西欧型議会制民主主義の導入とともに経済体制の 転換に乗り出した。国有企業の私有化,市場経済の制度化(価格の自由化,財市 場・ファイナンス市場・労働市場の制度化,国際市場への門戸開放)および誘導方式 (政府の間接的経済規制)の制度化が精力的に推進されるようになった。筆者 の立場からすれば,このような体制転換の方位は明らかに誘導資本主義に向け られている。ロシアやバルカンの国々も,中欧ほど鮮明ではないが,少なくと も政府声明などで判断する限り,誘導資本主義を志向している。 2.体制移行の誘因 社会主義から資本主義への移行をもたらした誘因は何か。筆者は主要な誘因 は二つあったと考える。経済的誘因と政治的誘因である。 ①経済的誘因 体制移行の第1の誘因は経済の停滞である。ソ連・東欧諸国の経済は量的に も質的にも西側諸国に後れを取ってしまった。経済の停滞が顕著になるのは 1960年代であるが,その主要な原因は二つあった。ひとつは外延的発展(exten・ sive development)戦略の行き詰まりであり,もうひとつは管理社会主義の機能 33) 低下である。このためソ連・東欧諸国では一斉に経済改革が行われ,一方で科 学技術革命の旗印のもとで内包的発展(intensive development)戦略への転換が 行われ,他方で管理社会主義の改革が行われた。しかし,ソ連や東ドイツやポ ーランドなどの国々での経済改革は,管理社会主義のマイナーチェンジに終始 したために,結局は失敗した。供給の需要への不適合,高インプット・低アウ トプット,イノベーションの停滞,低品質,省と企業とのパターナリズム(企業 の予算制約のソフト化)などの宿弊は除去されなかった。内包的発展戦略への転 換も成功しなかった。管理社会主義の温存はそれと表裏一体の関係にあった外 延的発展戦略の放棄を不可能にし,科学技術革命を掛け声だおれに終わらせて 33)詳しくは福田〔12〕を参照されたい。
14 彦根論叢第297号 しまったからである。 市場社会主義への転換で活路を見出そうとしたハンガリーの経済改革も失敗 した。ハンガリーの改革者たちは,国有方式に市場経済と誘導方式を組み合わ せるならば効率が大幅に改善されると考えたのだが,現実はそのようにはなら 34) なかった。別稿で詳述したように,その究極の原因は国有に市場と誘導を無造 作に組み合わせたところにあった。国有は市場にとってブレーキとなることが 分かった。効率の見地からすると,国有と市場,国有と誘導は両立しえないの である。1980年代のハンガリーで私有化政策が実施されざるをえなくなったこ とが何よりの証拠である。ユーゴスラヴィアの市場社会主義の失敗も社会有に 35) 市場と誘導を組み合わせたところにあった。コルナイの指摘するように,この ような組み合わせば「弱い結合」(weak linkage)であるために安定さを欠くの である。 市場社会主義の失敗は,市場経済の円滑な作動のためには生産手段の私有が 不可欠であることを示している。市場と両立しうる所有方式は私有のほかにな いことを主張してきたミーゼス(L.v. Mises)やハイエク(F. A. v. Hayek)やオ イケンに代表される新自由主義者の見解の正しさは,図らずも市場社会主義の 実験で証明されたといえる。 ②政治的誘因 ソ連における管理社会主義の成立に先行したのは第1次大戦とロシア革命で あり,その結果として成立した共産党独裁という名のオートクラシーの政治シ ステムであった。共産党政府は,マルクス・レーニン主義をベースにし,ドイ ツの戦時統制経済を範としつつ意識的に管理社会主義を建設した。第2次大戦 とソ連の後押しを受けた人民民主主義革命は,東欧諸国に共産党独裁のオート クラシーを登場させた。この政治システムのもとで管理社会主義の建設が行わ れた。このように見ると,管理社会主義の成立の時点では政治の果たした役割 が決定的であった。 34)福田〔9〕 35) Kornai (17) pp.44−47.
経済体制の移行に関する形態論的試論 15 ユーゴスラヴィアにおける市場社会主義への転換にさいして決定的な役割を 演じたのは,ソ連との外交上の対立と社会主義建設の路線対立(スターリン主義 対チトー主義)であった。広い意味での政治上の対立であり,この意味で政治的 ファクターが体制転換の誘因であった。これに対し,ハンガリーでの市場社会 主義への転換は経済の停滞によって引き起こされた。このことは転換が経済改 革の名のもとに行われたことに端的に示されている。 では,社会主義の崩壊の時点で決定的な誘因となったのは何か。コルナイが いうように,政治の果たした役割は大きい。ポーランドにおける1980年代の自 由労働組合「連帯」主導の民主化運動,ソ連におけるペレストロイカおよび東 欧革命が社会主義の崩壊をもたらしたことは否めない事実である。しかし,政 治が決定的な誘因であったとは思われない。むしろ経済こそが,つまりは管理 社会主義と市場杜会主義の機能低下による経済の停滞こそが,より根本的な誘 因であったと考えられる。 経済の停滞が表面化した1960年代からおよそ30年間はど社会主義は存続した。 その間,効率改善のために経済改革や技術政策が実施されたにもかかわらず, 経済は回復しなかった。このような状況の中で経済体制としての社会主義が長 期にわたって存続できたのは,とりわけオートクラシーに因るところが大きか ったように思われる。管理社会主義の国も市場社会主義の国もオートクラシー によって統治された。ワルシャワ条約機構というソ連圏の国際的オートクラシ ー・ Vステムの果たした役割も見逃せない。経済の停滞からくる国民の生活上 の不満はこのような二重のオートクラシー・システムによって押さえこまれた のである。 各国の共産党政権は政権の維持のためにたびたび経済改革を行わざるをえな かったが,しかしその失敗によって国民の経済的不満ばかりか政治的不満の噴 出を押さえ切れなくなった。今から振り返って見ると,社会主義の歴史は効率 という冷厳な経済原則に追い立てられた受動的な体制改革の連続であった。 1980年代になると,ポーランドにおける「連帯」の民主化要求運動に象徴され るように,オートクラシー・システムは窮地に立たされた。
16 彦根論叢 第297号 このような献況の中でハンガリーとソ連は,政治システムの改革によって事 態を打開しようとした。ハンガリーでは1983年に選挙法の改正が行われ,非共 産党員にも議会へ進出するチャンスが与えられた。オートクラシーの枠内では あったが,デモクラシーへの端緒が開かれたのである。しかし,このことによ って共産党政権の求心力がいっそう低下し,1989年のオートクラシーの崩壊を 招いたのである。 ソ連では1980年代後半にペレストロイカが実施された。経済面では1987年の 後半からハンガリー型市場社会主義の制度化が,政治面ではハンガリーと同様 の選挙法の制定で民主化が開始された。同時に実施されたグラスノスチによっ て言論・思想・報道面でのプルーラリズムが容認された。しかし,ペレストロ イカは経済のいっそうの悪化を招き,民心の離反と民族独立を加速した。ハン ガリーとソ連の経験は,経済の停滞が政治を不安定にし,政治の不安定は政治 の民主化を呼ぶことを教えている。 東欧革命はこのような状況の中で発生した。その直接のきっかけとなったの は,ゴルバチョフによって発動されたペレストロイカとブレジネフ・ドクトリ ンの放棄であった。これらによって東欧諸国のソ連に対する恐怖心や警戒心が 薄れ,1989年には6月越ポーランドを皮切りにワルシャワ条約機構に属する東 欧6力国でオートクラシーが倒壊した。東欧革命はソ連に衝撃を与え,1990年 越共産党独裁の放棄,1991年の共産党解散とソ連の消滅などの大事件が連続し て発生した。 以上を整理すると,次のようにいえるだろう。社会主義から資本主義への移 行の直接の誘因は東欧革命によるオートクラシーの倒壊であるが,そのより根 本的な誘因は経済体制に起因する経済の停滞である,と。コルナイが主張する ように,資本主義への体制転換に果たした東欧革命の役割は軽視できない。こ のことは,東欧革命の直前まで管理社会主義を堅持していた東ドイツやチェコ スロヴァキアやルーマニアが,オートクラシーの倒壊後に資本主義を志向する よりになったことに端的に示されている。体制改革の先頭を走っていたハンガ リーでも東欧:革命の影響は大きかった。1980年代の私有化政策や政治の民主化
経済体制の移行に関する形態論的試論 17 は社会主義の原則から逸脱したものではなかった。資本主義とデモクラシーへ の移行には共産党独裁の放棄が必要であった。 しかし,東欧革命によるオートクラシーの倒壊が決定的な誘因なのではない。 それを誘発したのは経済であった。管理社会主義および市場社会主義の低効率 に起因する経済の停滞が決定的な誘因であった。経済の停滞が政治を不安定化 し,政治の不安定が東欧革命を誘発したと見るべきである。 参 照 文 献 C 1 ) Berend, 1. T., Alternatives of Transformation : Choices and Determinants−East− Central Europe in the 1990s, in Crawford, B.(ed.), Marfeets, States, and Deneocraqy : The Political Economy of Post−Communist Transformation, Boulder・San Francisco ・Oxford, 1995, pp. 130−149. (2) Brada, J. C., A. E. King, ls There a J−Curve for the Economic Transition from Socialism to Capitalism ?, in Economics of Planning, 25, 1992, pp. 37−53. ( 3 ) Brom, K., M. Orenstein, The Privatised Sector in the Czech Republic : Government and Bank Control in a Transitional Economy, in EuroPe−Asia Stzadies, Vol. 46, No. 6, 1994, pp.893−928. ( 4 ) Csaba, L., Transition to the Market : Theory and Evidence, in Bornstein, M(ed.) , ComParative Economic Systems : Models and Cases, Seventh Edition, Burr Ridge’ Boston・Sydney, 1994, pp. 520−536. 〔5〕福田敏浩『比較経済体制論原理一形態論的アプローチー』,晃洋書房,1986年。 〔6〕福田敏浩『現代の経済体制論』,晃洋書房,1990年。 〔7〕福田敏浩「ソ連・東欧における政治・経済体制の変動」,『彦根論叢』,第267号,1990 年,31−51ページ。 〔8〕福田敏浩「揺れ動く東欧諸国の経済体制」,野尻武敏,丹羽春喜,福田敏浩,嵐田万寿 夫『ひとつのドラマの終り一共産主義の倒壊一』,晃洋書房,1991年,103−155ページ。 〔9〕福田敏浩「所有と市場一市場社会主義の失敗に寄せて一」,『彦根論叢』,第267・277号, 1992年,57−72ページ。 〔10〕福田敏浩「体制転換の政治経済学一コルナイ説をめぐって一」,『彦根論叢』,第279・280 号,1992年,225−240ページ。 〔11〕福田敏浩「経済体制移行論の再登場」,『彦根論叢』,第282号,1993年,17−34ページ。 〔12〕福田敏浩「社会主義経済体制」,丸谷冷史,加藤壽延編著『経済政策』,八千代出版, 1994年,81−99ページ。 〔13〕福田敏浩「中欧の私有化政策」,「彦根論叢』,第291号,1994年,1−16ページ。 (14) Horvat, B., What is a Socialist Market Economy?, in Acta Oeconomica, Vol. 40 (3−4), 1989, pp. 232−235.
18 彦根論叢 第297号 〔15〕 Horvat, B., Socialism as a Socio−economic System, in Dopfer, K., K.一F. Raible (eds.),The Evolution of Economic Systems一一Essays in Honour(∼プOta S漉, London, 1990,pp.186−192. 〔16〕Kantzenbach, E, Von der Plan−zur Marktwirtschaft:Eine Zwischenbilanz: Initiierung des Wettbewerbs, in Gahlen, B., H. Hesse, H. J. Ramser(Hrsg⊃,Von der Plan−zur Marktwirtschaft’Eine Zwischenbilanz, TUbingen,1992, S.119−132. 〔17〕Kornai, J., The Affinity between Ownership and Coordination Mechanisms:The Common Experience of Reform in Socialist Countries, in Bogomolov,0. T.(ed.), Marleet Forces in Planned Economies, LondQn,1990, PP.32−54. 〔18〕 Kornai, J., The Road to a Free Economy:Shzfting f「om Socialist System:The EnamPle(of Hungary, New York,1990,佐藤経明訳『資本主義への大転換一市場経済へ のハンガリーの道一』,日本経済新報社,1992年。 〔19〕 Kornai, J., The Socialist System’The Political Economy of Communism, Prin− ceton,1992. 〔20〕 Kornai, J., Highway and Byways: The Studies on ム∼eform and Post Communist Transition, Cambridge・London,1995. 〔21〕Landauer, C., Geplante Marktwirtschaft:Das Beispiel Frankreichs und Yugosl− awiens, in Kソklos, Vol. XVI,1963, S.543−568. 〔22〕Maj or, L, Pn’vatization in Eastern Europe:ACritical ApProach, Hants Vermont, 1993. 〔23〕McKinnon, R.1., Taxation, Money, and Credit in a Liberal{zing Sociaist Economy, in Economics of Planning,25,1992, pp.97−112. 〔24〕 Murrell, P., Evolutionary and Radical Approaches to Economic Reform, in Economics of Planning,25,1992, pp.75−95. 〔25〕 Nove, A., Economics of Transition=Some Gaps and Illusions, in Crawford, B, Marleets, States, and Democraay :The」Political Economy(∼f Post−Commzanist Trans一 ノcormation, Boulder・San Francisco・Oxford,1995, PP.227−245. 〔26〕 Schtiller, A., Ansatze einer Theorie der Transformation, in ORDO, Bd.43,1992, S. 35−63. 〔27〕 Schwarz, G., Marktwirtschaftliche Reform und Demokratie−Eine Hassliebe?: ロ コ リ コ Uberlegungen zur Interdependenz der Ordnungen beim Ubergang von Kommando− zur Wettbewerbswirtschaft, in ORDO, Bd,43,1992, S.65−90. 〔28〕 Streissler, E., Towards an Economics of Transition:Lessons from the Economic Transformation of Eastern Europe and the Experience of the Marshall Plan, in Albeck, H.(Hrsg.), Wiγtschaftsordnung und Geldvenyfassung:Symposion guM 65. Geburirstagプ諺7 No rbert Kloten, G6ttingen,1992, pp.74−98. 一1995・ 9 ・ 8一