――目次――
1,
心・識・分別と根本分別,宮本正尊,Shōson MIYAMOTO,pp.1-36.
2,
聖トーマスにおける神概念の形而上的構成について,Fere totius philosophiae consideratio ad Dei
cognitionem ordinatur (S.Contra Gentiles
Ⅰ, c.4),吉満義彦,Yoshihiko YOSHIMITSU,pp.37-58.
3,
十地経初歓喜地に説かれたる宗教体験と発心の意義,稲津紀三,Norizō INADSU,pp.59-79.
4,
支那六朝時代の沙門不敬問題,太田悌蔵,Teizō ŌTA,pp.80-97.
5,
観心論私考,神尾弌春,Kazuharu KAMIO,pp.98-104.
6,
神尾氏の観心論私考後記,矢吹慶輝,Keiki YABUKI,pp.105-106.
7,
安慧の識転変説について,長尾雅人,Gajin NAGAO,pp.107-122.
8,
楞伽経の成立年代について,西尾京雄,Kyōo NISHIO,pp.123-139.
9,
明治初年仏教運動の一断面,桜井匡,Masashi SAKURAI,pp.140-146.
10,
仏教経済思想研究につきて,西義雄,Yoshio NISHI,pp.147-158.
11,
新約研究の一新方法,輓近提唱された Schallanalyse の概観,三枝義夫,Yoshio SAEGUSA,pp.159-168.
12,
新刊紹介,pp.169-179.
一心・識・分別と根本行地及び根本心地 ︵特−二玲伽師地の研究︺ ﹁ 中道mPd首m掛p邑甘dの思想が苦攣善琴石野断常の射光を止揚批敬する彿数的立墟の根本的なるものであ ︵一︶ ることは、予の﹁根本中の研究﹂に於て許明した如くであるが、それが貨規約に菩薩の﹁行﹂。。忌の聞出になつて 来ると・一切を擁受し荷貧し生長せしむる﹁地﹂b試miの思想に具鰹化するのである。﹁中﹂は中道或は中親と云 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ、ヽヽヽヽ はれるが、その﹁遣﹂p邑甘dとは﹁行﹂の問題である。遣も行も結局は地の思想と相称って完全するものである。 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 、、、、、、、、、 、、、、、、、、 行くは道であり、地を行くのである。而も行く菩薩は菩提心b。dl︼icitぎの外にないのである。そこに純一無雑と ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1 1 1 1 1 ヽ ヽ 1、ヽ、、、、、、、、、、、、、、、、、、 、、 か唯とか純粋とか根本とその摘致を表現するのである。一鳥飛翔威容無限の喩の如きも生れ出るのである。大悲 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1 1 1 1 ヽ ヽ、、、ヽ、、、、 、、、、、、、、、 誓願の人と負担排澄の法とを通じて法界に泣入し、その人法不二が菩薩行b。d罫邑謹a孟として先に中道行地 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ として表現せられるのである。 心・裁・分別ご根本分別
心・識・分別と根本分別
一心・識・分別と根本福地及び根本心地 ︹咋−こ愉伽帥地の研究︺二 識及び分別と根本分別
宮 本
正 貨
7∂ク心・識・分別ミ根本分別 二 故に﹁地﹂とは元来﹁行地﹂2y旨試己iと云はるべきものである。撃巌の十地は十改羅苦行地であり、般若の六度 竺ハ汝詳蜜行地と耕すべきものである。波尿蜜多はp野呂1i⊥帥であつて.その招は行くであるから、己に明瞭判 然と﹁行﹂の問題に移行しておるのである。波擢蜜は菩薩行に外ならないのである。これに就いては更に﹁自覚と ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ が詮法﹂の一章に於て諭するであらう。かく地は行地であるから、上述の如く華厳の十地哩.十行地﹂であり、般 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 若は﹁六行地﹂である。更に入法界晶の蓄財五十三位の如きは﹁菩薩人法界五十二転地﹂と科すべきものであり、そ 、、、ヽ、、、、、、、ヽ 、、、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ れは文殊の智に謝して特に﹁普贋行﹂許m邑abF巳l・守雪盲を表現しておるのである。かくて撃取を受けておる塊伽 、、、ヽヽヽヽ1ヽ111ヽ1ヽヽヽ、ヽヽ 師地論ゴg賢言弓b言已・卦音YO首腎P・夢亡.巨i・払琵rPの如きはこれを十七地論.S色乳a肌LJg⋮i・賢一−−P と名付けられ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ておるが、その十七地とは﹁十七行地﹂.と云ふべきものである。されば旅伽師地も適切には唸伽行師地、線伽観わ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 師地、癒伽行者地と辞すべきであるが.行地としては﹁線伽師行地﹂の意であるからこれを時に﹁修行遺地﹂と讃す ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ るのである。華族の十行地・塊伽の十七行地.或は入法界の昏賢行地・璃伽の戒伽輌行地変に適切には旅伽唯識 、、、、、、、、、、、、ヽ、、 ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ の粥勒行地と云ふべきものである。更に心地行地の板木分別を企図するこの論文の主意よりしてはこれを﹁華厳 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 唯心の十行地﹂﹁魂伽唯諭の十七行地﹂と表現するならば.荷一厨輌者の願係交紡が看取せられるであらう。 ﹁行Lが﹁行地﹂とせらる1のは一切の生くるものをその儀に抱擁して生育せしむる大地に誓へらる1のである。 ヽヽ 産地基本としてゞあ少、母としての力である。般若を彿母であると云ふのもこれによるのであるが、今は一履こ の彿教精細を具鰹的に見るのである。乾憲㌢宗基寛ぎa性g喜p八人畢巨P訂見dM鼓謹啓l邑匪欲ユざ風習 ヽヽヽヽヽ 己作k苫n二膵支併pr号e訂budd−−竺菩薩b。dh訂音二伊b11ddt−pの十地は三乗共十地と解せられるが、その扱旨些ニ 7βの
ヽ▼ヽ▼ヽヽヽヽ■ 乗を綜合抜取して一併発に節せしむる動向を己に示しておるものであつて、後に通三乗十七地の思想に結賞し行 き得るものである。歓喜pramudit釧離垢㌢−p㌫葦光prPbh賢覧煩慧芳i竃註雛膠邑uきyp現前旨bi2u打l−i連行 ヽヽヽヽ d誓邑g冒鯵.不動買き善悪乳12−ヨti・法雲d訂2呂eg︼JP.の十地は菩薩の不共†地と耕せらる1ものであるが、こ れ大乗的機賀・大系的拳修・大乗的法相が己に艦立さる1に至ったことを証するものである。かの十地経 d鼓? b訂mikPの成立がこれである。而てこれが華厳経Pdd訂・弓旨2.臣kPの中核をなすものとなり、唯心縁起或は唯識 的縁起思想もその棍掠をこれに求むる程である。障って塊伽師地諭菩薩地の如きも全くこれに依っておるのであ る。 ︵三︶ 而てかの華厳経は詳しくは大方康俳華厳経と云ふのであるが、その﹁大方廉﹂−︼岩㌫・ヨ甘甘 と云ふのは大乗方 ヽヽヽヽヽ 等経典に厳する新しき思想なることを﹁華厳﹂揉詰と散文とをとりまぜて彿を表現せることを示しておるのである ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ から.結局﹁彿の経﹂に外ならぬ。即ち菩薩彿の経とは螢詮の論述であるから、華厳経は免許を特に行の戒粘から考 察したものである。かの文妹の智︰呂邑ju監・p忌騨が般若に、普賢の行許m邑巨さdr?g烏■担が華厳に、夫々特徴付 けられておるのもこの所以である。また華厳経が今の十地品と人法界晶二ぎ旦ざT苫訂にてその成立の二大根幹を 示しておるが、その一は今問題としておる地としての菩薩行の理論的説明であり、他はそれが封話篇の形式をか ヽヽヽ りたる善財嘉子賢ll碧a の五十≡菩智諭訂宣言邑さ巡歴訪印記である。即ち督賢わに表徴せられたる菩薩行 の理論及び蜜際の鰹駿記であつて、両者とも発話の耕謹法としての準腋控の木質を形成しておるのである。而て ヽヽヽヽヽ 入法界品に於て蓄財が文殊の智に日算しまた文殊の智に節入しっ1鮮賢毎願を具足するのは、華厳の行地の木質 心・識・分別ヾJ根本分別 7βl
を物語っておるのである。 ヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽ かく撃擬鰹は﹁俳﹂即ち党詮を表看板に目しておるが、その内容は法界不二行を以つて盛られておる﹁法の経﹂で ヽヽヽヽヽ ヽヽヽ ある。これに勤してかの法華経は﹁法Lを表宥板としておるが.内容は一柳乗の彿を以つて一帯しておる﹁彿の緯﹂ ヽヽ である。法華Sadd訂r巨・pu宣乳Fは妙法蓮華経とも正法華経とも謬さる1が、乗法を諒と散文の形式にて説いて おるのであるから.明瞭に﹁法の経﹂と銘打っておるのであるっ借間でよくかの華厳天台が沸教の二大哲拳であ ると云うておるのも全く所以あることであつて、上述の如く輩隋経と法華経とが相互に﹁彿﹂と﹁法﹂とに閲して論
ヽヽ
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ じっ1、その表現の仕方が表題と内容とに夫々影略互鰍的な丑場にあるのは賀に興趣探いものなのである。而も ヽヽヽヽヽヽヽヽ 何れも菩薩・彿の根本問題に鱗れておるのであつて、予の語を以ってすれば免許桝拉法の根本を論じておるもので ある。華厳は﹁俳の大方贋﹂、法華は﹁法の大方廣﹂であるが、この斯般若経は﹁般若如智の大方壌﹂と呼ばる1もの ヽ▼ヽ であり、今本論文には触り闘謝しておらぬが、大般捏紫綬は﹁得難nぎ昔Pの大力廣﹂たのである。何れも大方廣 ⋮旨野鼠u官に属するものであつて、何れも大乗2巳官営p の再扶功に力めた一彿兼︵ぎl一・賢ニe打旨−茎︼pり碧パ1 即ち ヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽ 一党詮・一所経乗であつたのであり.常時に於ける新興沸教運動であつたのでぁる。 この両経が般若経と共に餐琵舛語法の研究には、大乗緯のうち最も墓窄なるものに威するのであるが、これが 何れもかの大乗の一大エポックを基礎付けたかの龍樹に影懲して.彼をして﹁jl三法論﹂としての﹁中の諭﹂を作らし ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ めたのである。先に連綿として拝啓螢連せる根本沸教の敷設桝謹法としての開展を見逃し符ないであらう。智と して行として.そこにサトりの所詮強が益々解明せられて来たのである。今は発爵排詮法として更にそこに﹁信 心・識・分別ミ根本分別 閏 7郎ズル﹂の考察が保留せられてある。これは更にこの論文に封航するものとして他の論文を待たねばならないので ある。 こ 菩薩行が地の思想として一往濁自の醍系が組織せられ、その用語なども塑へられてくると、故に封践せられたも ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ の排除せられたものの抜取が再び必要となつてくるのである。即ちそれが新しき掻大霜の理想のもとに馬さるる ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 通三森の綜合組織である。﹁行地Lとしての所詮法に於ける止揚綜企の括らきが黙らしむるのである。而てその一 ︵四︶ 典型がかの竣伽師地諭Y。g腎腎軍b試弓.恥賢rPに於て看取せらる㌔唸伽諭が﹁苦薩戒摩恒理迦と名つけられ、琉 ヽヽヽ 大乗と名けられ、開示壊不壊路と名けられ、また無障擬智渾根本と名け﹂らる1菩薩地b。dhi邑t尋b罫ni を根幹と なしておる鮎は撃厳経十地の系統を引いておるのであるが、而も野間放射誓一地わ敬啓をも綜A‖せんとしておる ヽヽヽヽヽヽ から、それをも加へて弦に通三乗﹁十七地﹂を開設し地の思想に立って屠るのである。戚伽の十七地とは1五識身 相應地.2意地.3有尋有伺地、4無尋唯伺地.5無尋無伺地、6三靡咽多地、7非ご麺岬地多地、8有心地、 り無心地、10同所成地、11思併成地、12修併成地.13啓開地、lヰ濁党拙、H繋磋地.川石鹸依地.17無像依地の ヽヽヽヽヽ\ヽヽ ︵瓦︺ 十七である。塊伽倫記などのやうに、.古来これは三乗の境とわと果とを論じたものと解繹しても、全鰹としては これを﹁十七行地﹂と見るべきものである。そのうちに示された野間猿螢の二乗の教摘も所謂二粟の名目法相その ま1を復宿せしめておるのではなく、それを依倒し生かしっ1も、その解輝その精紳は新しい見地より研究せら れてあるのである。古き皮盤に盛られたのは.己に11二揚せられたる全く新しい酒なのである。隣ってその通三乗 心・識・分別ご根本分別 五 ㌢げβ
心・平分別ミ根本分別 ヽヽヽ と云ふことも凡てが碗伽唯識の新思想によりて浸透せられた菩薩聴許の耕詑法となつておるので畢7U。 ヽヽヽヽ 塊伽論は般若及探密の思想をも継承して唯純忠懲によりて根本英資を開明する立場に立っておるのであるから ヽヽヽヽ 通常これを稔伽唯識とし或は中観盆伽として中敷に封せらる1時は、塊伽の名に唯諭が含められておる位になつ ておる。かくて挽伽は唯識親法として唯識思想の起源を語り初期時代を形成し、これを特徴付けておる樺重要の ヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ものであるが、塊伽の面目は常時にありては、寧ろその唯識親が定慧即ち︼心智慧の救わの﹁地﹂の思想に盛られ ヽヽヽヽヽヽ ておるのである。この他きは古き塊伽師地が﹁椎行道地﹂或は﹁遣地﹂と課されておる鮎に強く表はされておる。而 してそれが迦戚色迦王の師たる衆護許愚才を瑚P雷峠及びそれ以前忙潮る時代の沸教界の一特級をも示すもので ヽヽヽ ある。これは如来無轟の法門に入るを目的とする繹法観であり、かの蓮磨多羅膵経の如きはその一典型である。 彿敦に於ける定慧嬰遅の中道行がかの一趣通告竃冨喜lgPとしての川念塵取の心一塊性c旨ikぞ已馴の極り ヽヽヽヽ ヽヽヽヽ ヽヽヽ に、これを一心智慧と鰹験し、戒伽般若y。冨恵酔の心地を昧諭するに至っておる。これは阿含経典などでは須 、、、11、1ヽヽ1ヽ 菩提S。E呂已の無琴付巳.曇註腎訂や哉放伐多R旨字昌c邑いlの締定第一感已三h宣n冒︵悪心任星1警iト巳・i︻l︶止 、、、 ヽヽ 概行住邑つ要一賢ヒ喜妄言︷○︰官房ごl嘗sE=冒魯賢などが典型となるものであるが、凡てがかの入法界品で善 ヽヽ 財に敦ゆる海脚観㌢m已各軍旨の璃勒芦it︻・C¥の敦ふる菩提心b。d−1ieit︷P の全貯的立場に絶抜せられ、十地経 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ では唯一心ニハ邑︷冒賢。と極ったものが、般若及び華厳を経たる解搾密経m邑旨ir巨蔓−Pでは塊伽唯諦観とな ヽヽヽヽヽヽヽ ったのである。その﹁心意諸相品﹂は阿見達磨鳥婆汐の手に螢達せる心相心地の研究を誼承し.﹁分別塊伽品﹂は一 、、、、、 ヽヽヽヽヽヽ 心智慧、止親空行の結賓でありこれ漁伽般若である。湘勤行戦地の基本である。この探密の心意識の心相心地分別 7β4
ヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ と分別旅伽の一心唯諭親行地分別とが、通三乗十七地の更に廣汎なるスコープの下に綜合組織せられたのである。 ヽヽヽ ヽヽ 即ち心相心地と心性心地が、更忙その両心地の分別が行砲戦の内容として組織せられて来たから.弦に一方心意 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽ 讃分別の阿見達磨毘婆沙分別が盆i精密になつて来ると共に、依智不依識・轄識得智の正智中道親が心地分別の ヽヽヽ うちに蓉蓮を遂げて行ったのである。弦に阿昆達磨と十地経との心拍心性・法相法性分別の繭傾向を.換言すれば ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 琴閲濁度の二乗と菩薩発とを綜合せる通三乗十七地即ち﹁璃伽本地分﹂の組織があり、その木地分と更に探密の塊 ヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 伽唯論功とを踪合決挿せる﹁魂伽決搾分の新しい研究﹂が虜し速げられたものである。かくて古き兎伽蹄救の面影 ヽヽヽ ヽヽヽヽ ヽヽヽヽ がこの決持分の唯識分別の法相建立の背後に潜み、漸次應伽布地よりも唯識諭が顛薯なるものとなり、それが古 ヽヽヽヽヽヽヽヽ き彿故に勤して新しき彿教の香りを帝ぶるものとなつたのである。世親の唯識詭よh護法の成唯識に至ってこの 傾向が特に精細なる嬰澤を遂げて行ったのである。最初より塊伽師y。g胃.腎pは線伽唯諸派でなく、琴説土管nP・ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 已dP必ずしも阿鰯耶唯識語・八識唯講説ではない。そこ.には必ず新説如上の野澤段楷を見る.へきものである。 ヽヽ ヽヽ この塊伽唯識の初期時代は上述の如く至探なる菩提心の専務と廉汎なる通三乗の組織の下に研究が褒されたの ヽヽヽヽ であるから.或は従魔の阿見達磨研究の方面に於ても、或はそれが封鋲牌係にあつた心性法性の般若中観の立場 ヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽ に立つ方向に於ても、夫々研究が深く且つ廉くなり、そこに綜合併歓呼代が開展せられた。大乗阿見達磨趣旨・ ヽヽヽヽ ヽヽ ヽヽヽ ︼J馴yぎ冨bhib訂r⋮⋮箸p 大乗鮭荘敬り㌻試y抑n冨芽巴a浄財腎P大乗阿見達磨集論ソ㌻ざ首ぎ乱hPrmP・重臣g己や犠大乗論 ヽヽヽヽヽヽ 芋試yぎp・芦mp邑grPbpとか、その名に於て己にその法相分別研究の抱負と計轟とが認められ、中速分別論害Pd百. ヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽ 写実⋮茅邑gPの如きに中戟思想が根本眞賛の分別として豪速を途げつ1あることを看取せしめる。この新興大東 心・識・分別ミ根本分別 七 ■ 7(7β
心・撃分別ミ根本分別
、、、、、、ヽ、
11ヽヽヽ 阿昆達磨創造時代を幾分過ぎると法相分別が精細になり、研究が封象論に移行して凍るのである。これは世親以後の諸論師の研究や著書に徹して明かである。
三、
﹁腐伽﹂﹁壌伽行﹂﹁塊伽師﹂と云ふ語は初期時代の阿合等の詳論に見えないものであり、龍樹の中和に勤して異
系統の拳なるが如き印象を後代の俳教単著に輿へて、大乗彿致の二大系統を示す語として用ゐらる1程寵要なも のであるが.古来その源流に就いては詳しく論ぜられたものはない。予は大正十年﹁琵樹無着両系の関係及びそ、、、、ヽヽ の牽蓬﹂のうちに、大兄婆沙に敵視せられておるその常時の﹁塊伽師﹂の川念任親心一頃性の賛蓮が醸伽師地論撃聞
地の瑞伽師の正規心一塊性に精練せられ来ったものであることを論評したのであるが、今は更にそれに新しき自
︵六︶ らの研究を附してその結果の要鮎を線描しょう。大隈は脚正に記述し更に詳しくは﹁質喩者の研究﹂の如き形式の下に資料研究論文として発表しょう。
、、、ヽヽ 塊伽師地論が単に塊伽諭とも呼ばれ、義持の如きは中敷塊伽と呼び、督過たゞ旅伽で迫つておる。更にこの腐
伽が眞言密教で盛んに用ひられ、壌伽大数王経・琉伽戒祀攣金剛頂塊伽中牽阿轟多撃垂二菩提心論等と数多く
の経論を有し、途に自らを﹁戒伽宗﹂とさへ耕するに至っておる。この駄印度に於て若し戚伽宗と云ふならばそれ
は日本の宗の如きものではなく.探密の壌伽決裁丁義或は分別掩伽申分別線伽論・戒伽僻地論に基礎を有する醸伽親行波或は塊伽行師讃買由の事を指すのであるが、支那日本では稔伽行甲酸伽翫行波・漁伽論宗の如き語
ヽヽヽヽヽ
ヽ
は流行せすして﹁唯詩法相宗﹂となつておる。歴史環境の爽雑性はかく俳敦の曹達を種々の方面忙導くのである。
7郁発生的見地よりすればこの印度の唸伽行師或は親行廠と支那日本の唯論法相宗とに通じて、今日ではか1る系統 の彿教を﹁稔伽唯諭漉Lと呼ぶのが最も通常であらう。その名に璃伽の起源と唯識の澄建とが示されてある。 ヽヽヽヽヽヽヽヽ 戒伽師・塊伽行・滴伽何れも玄奨はその戒伽師地論のうちに用ゐておる語であるが、塊伽論が塊伽地論とも塊伽 ヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽ 行地論とも名付けられずして﹁塊伽師地論﹂と耕せられておることに充分なる侍承が存することを先づ論詮しや ぅ。而てかく諭鐙することは同時に塊伽唯識の起折及び蓉蓮の跡を明かにする併以であるからである。臨も手近く ︵七︶ヽヽヽ は最膠子の繹論が己に琉伽に境・行・果・敦の四積分別をなしその一々に常時の諾経典を捗ぬしてこれを諭経し、塊 ヽヽ ヽヽ ヽヽヽヽ 伽師に就いてもこれを三乗行人とし或は如来をも璃伽師と名け、十七地を領有する王に響へておる。これは明瞭 ヽ ヽヽヽヽヽヽ に唸伽行と壕伽師とを分けて考へる行き方であ少、元来これは壌伽の建前なる共十地・通三乗十七地の思想の表れ ヽヽヽ ヽヽヽヽヽ である。啓開・猫輿・菩薩は三乗塊伽行の碗伽師であり、彿はその葡足せる漁伽師であるから、これ等三乗囚人果人 ヽヽヽヽヽヽ ︵八︶ の﹁碗伽師の行地﹂を論ずるのが戒伽師地詣である。而てこの繹は醸伽諭記・塊伽略装等忙よりても受け継がれて居 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ る。予の弦に於て特に研究者の注意を喚起したい事賢はかの琉伽論五分育巻中本馳分十七地が﹁経﹂と耕せられる ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 程蛮要にして豹一次的資料であり、折決持分は本分地の研究書であるが、必ずしも本地分kのみ閉ぢ亀っておる ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ のではなく.探密等の他の思想をも綜合するものであるから.前後連絡しっ!も筋二次の新研究に威するのであ ︵九︶ る。而て球伽論が古来より﹁十七地経﹂或は﹁十七的論﹂の名を以て唱併せられ、柿餅空雪.a卦n訂時代に至っても ︹要地論者﹂として呼ばれておる位であるからーその根水分は十七地にあることは讐ない。警にその十七地 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ のうちでも常に﹁塊伽鬼﹂lィっ甲告ぎeと内監せられておるのは啓開地・菩薩他の二地二十九巻のみである。鋸ちこ 心・哉・分別ざ根本分納 九 7β7
心・準分別ミ根本分別 一〇 、 、、、、、、、、、、、、 、、、 、、、、、、、 、、1 1 1 1 1 1 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ の﹁啓開菩薩碗伽帥の地﹂のみ牢戒伽鬼﹂と名付くるのは、本論過三瀬の人施設首鼠︰7pま言1いが核心なること ヽヽヽヽヽヽヽヽ を示すものである。かくてこの通三粟は共十地の人施箪聖二地に薦めたものとも考へられ、その野間地のうちに 、、、、 、、1111ヽ、ヽヽヽヽヽヽヽヽ は川向川見の分別賢聖が斌取せられ、乾慧等の譜地も含みうるのである。塊伽師の思想が常に賢聖‖⋮・智早足品 、、、、、、、、、、、、、、、、、、 、、、、、、、1 1 1、1 1 1 1 1 1 1 1 1、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ の営賠修道論の焼下にⅢする ものであり、攻伽論がかく三森の人施設となつておるが、婆沙に魔ふておる楔舎論 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ● に於ても塊伽師が〓するのはその﹁分別賢聖品﹂弟六の人施設の下に於てである。 而してこの昏簡菩薩の二地に於ては種姓姦心・自他利・眞質義等、我々の彿数的生活の形式内容に亘りて種々の ヽヽヽ 問題が論じられておるが、その何れの章節にも皆瑞伽鹿と附帯せしめておるから、この本論著作者の意途の存す る併が奈逮にあるかは了解出来る。 この通三乗の思想は一方よりすれば二廉を菩薩地に止揚する行き方であるが、他方聾聞地の分別研究が高めら れて菩薩地に発癌したと見得る。上述に於て癒伽論が何故﹁塊伽行地﹂と濱されずして﹁塊伽師地﹂と辞されておる 、、、、、、、、、、、11111ヽヽ、ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ かの根本理由を説明したのであるが、これが必ずしも塊伽論文のものでなく、矢張り大昆婆抄のうちに己にある ヽ、ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ︵一二 であ 見方り一、それ等が漸次高められて通l二項に純熟したのである。大昆婆沙巻第八十一は結曲筆一の十門納息第 ヽヽヽヽ 川の十節であり.四静慮を研究する部分に普っておるが、そこに﹁復次第内静慮・三漁伽師俵之待人jE性離生得果 、、、、、、、
1111111111ヽ1ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
黍漏∵謂彿濁尭及諸野間、故彼捨念亦名措辞﹂と云ふて啓開猫餞彿のl二軍聖二塊伽師と名付けておるのである。 ヽヽヽヽ 浮階級煙道泰共謬の六十谷の薄塩婆汐では玄壁が穂伽師と謬すを皆行者・行人と諾し侍行群比丘の詰も有するがー ︵一三ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 今の相普文は﹁後攻以三拝行人轟俵第洞辟入1E決定得発露漏、三種行入着謂彿辟支彿野間㌔となつており全く符 7ββヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 節を合する如く南霹一致しておる。かくて立英の停へた﹁瑞伽師地Lの鮮将は決して無理がない計りでなく通三粟 ︵一天︶ヽヽヽヽヽヽヽヽ 考へしむるかもしれぬが、その第一集散晶に﹁何謂無行、何謂席行。云何倍行、云何倍街道﹂の標題の下に﹁何謂 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ つ三︶ヽヽ しめるために予は﹁分別と無分別の交渉﹂を他の論文に於て論託するが如く大品が己に通三乗であり.籠樹がその は濁り大昆婆沙のうちに顔はれておるのみでなく.常時の沸教拳界一般にあつたものやある。根本分別を成立せ 思想として草間の教学の止揚綜合的額達の自然の経路を踏んでおることが明かである。而してこの道三乗の傾向 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 影響の下にあるのは勿論であるが、線伽唯詩系の十種分別封治の無分別観が皆一致して大股宕初分・第二分・弟三 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 分及び光讃・散光・摩討般若と一致しておる事案は、矢張りこの通三乗思想は旗汎なる常時の思想的動向であるこ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ とを琵する。これは樹一阿合序品及び四十四・四十五巻に於ける弼勒の通三森思想にも看取出凍る。 ︵一円︶ヽヽヽヽヽヽ 次に更に適切なる辞植は衆護の修行道地経である。これ哩.倫迦逮夜粥経、晋名修行遣地経﹂として璃伽論の梵 ヽヽ 名が苫思c賢ypでなく3温c腎Pなりと云ふ推定を展さしめ、塊伽師地と謬すよりも戒伽行地と解すを一見通常と 修行、云何食行。謂能順行、修習薄奉、是鰯修行。其修及習、是謂潜行。何謂修行道、専精寂道、是盛修行道。 ヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 其彼修行.而有三晶.一日凡夫.二日畢向遣.三強併轟也。所謂凡夫、修行新挙、輩辟未成、償此解説修行道地
ヽヽヽヽヽヽヽ
鮭﹂。と云ふ文よりすれば、﹁修行﹂と云ふのは能修行者の意味であり、弦では琴線苦の三乗ではなくて凡夫・有畢・ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 無拳の三人となつておるが.このl二人と些二横線伽師に外ならないのである。而てこの修行追納経は全部で三十 ヽヽヽ 品あるが∵最後の六品が央張り通三乗になつておるものであり、撃・無畢・弟子三晶修行・扱螢・菩薩忙亘ってお ︵一六︺ ︵︼L︶ る。特に放免品第二十九には有名なる法華の火宅三車の撃喩に相常するものが説かれており、﹁呼諸子川各腸輿 心・哉・分別阜根本分別 7/ノナノヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽ 者、現≡道教也、話手悉山父等輿貿者、薦現大乗無看三道、臨誠度膵乃丁之耳。﹂とあり、菩献品第三十には﹁各 従本心成三乗行Lと云ふておる。安世高評と云ふ﹁適地経﹂は僅か一巻七輩より成少、不備の形式であるが、その ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 筋姦種是行者三輩−来待道軍学軍無畢者。何等馬遺地、行者併行足弱行者地。﹂と云ふものが・竺法護評 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽ 前記の文に合致するものである。かく﹁能修行︵者︶の地﹂﹁行者の地﹂と云ふのは結局﹁戒伽帥の地﹂と云ふに外な ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ らないのであるから.鉱に最膠子・玄奨・葱思の晰群も火毘婆沙の旅伽師の鮒繹も、衆護の修行道地の解糀も砦﹁挽 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ︵一れ︶ 伽師地﹂となすに一致しておるのである。加之、かの﹁板伽逓雄渾迷謬言修行貴地﹂と云ふ資料によりて、葦磨多羅 帝経もy。g抑替?b試日iと解せられ、昔時の多くの蹄和が唸伽行軌であり、坐柑比丘が戒伽師に外ならないことが 知り得られ、一方大昆婆沙論等に於ける稔伽師そのものに常時の賢際的背景のあることも推察せられて来、他方 ︵二つ︶ ﹁出三戒記集﹂に収録せらる1檜敬の﹁陶中日膵控序﹂、憲速の﹁.蹄緯統序﹂等に記されておる婆須繁く琶mit⋮檜伽 羅叉餌前述の衆護・謳波晰t官gupta府伽斯那S邑g訂cニP勒比丘諾r恥⊇馬鳴A㌢P告。仰山l究樫蹄羅防ぎm腎已賢澤 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 磨多好餌ち前記膵経の法政・彿大先等の各論師の寮際的活動がこれ等各稀多掟の挽伽帥地の記録に依りてその理 論的解明を得ることになる。予は本章に於て﹁撥伽師の研究﹂、欲張に於て﹁誓喩者の研究﹂に依りて、棉敢史上最 も暗黒なる阿育王以後迦艦色迦前後の彿敦史の開明に新しき辞典を購し得れば甚だ喜ぼしい。 四 前節に於て玄柴の﹁壌伽師地給﹂の謬が稔伽塊伽師時代即ち摺恕時代の雷初よりの正統なる解膵であることを述 べたのであるが、今節に於て塊伽師地諭中に出づる諭伽郎に就いて研究を進めよう。先づ第一に注目すべきは、 心・識・分別ミ根本分別 77〔)
︵l二︶ 魂伽師地論中に於て魂伽師の名川づるはたゞ淳園地第十三及びその決搾分と琉事分の契揮事兢同じく本棟事序癖 琉のうちに諭ぜらる1のみであると云ふことである。この部葦は前節に於て論説せる如く成伽舶と云ふのは主と ヽヽヽヽヽヽヽ して常時の坐押比丘一般に就いて云はる1ものであり、零閑無事比丘㌢a芦計 や紺定比丘にその系統を引くも ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ のであることは亜めない。而てそれが聾料地にのみ川づることはこの琉伽の野陶他の机織か大股何に依って居る ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ かを語ることになるのであり、この鮎に於ても本論と大毘婆沙諭との踊鯨探きを灯るべきである。野園地に川醸 伽施が分けてあるが、要するに塊伽帥の戒伽親は五停心親細別念任に起り、岡倉桂根数々修習に依りて熊線肝扱 ヽヽヽヽヽヽヽヽ 平等の智生じ.心一塊性を詮得するにある。その脊厚地・毘鉢舎那は定慧均等・止親輿蓮として永く後世に影響を 輿へたものである。啓開地の璃伽施設に於て積極的なるは四穣應伽の信・欲・精進・方便であり.これは通三乗とし ︵二二︶ て菩薩行とも関係沈きものである。また注意すべき詭としてはその黄銅琉伽幽に棍間醸伽と粥世間壕伽とを説き、 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 離欲七作意・囚相川無色の八定・二無心写五通・生差別・離欲著諸相を世聞塊伽に威せしめ、閃諦十六行相を出世間 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 遣漁伽と断定しておる如きは、彿敬的純粋性と爽兼的思想との見分けを明終にしておると云ふてよい。 大昆婆汐の璃伽師との牌係を更に詳説すべきであるが.婆沙丈でも約百三十に亘らねばならず、本論文の主旨 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ とは全く別途にー1jでねばならぬから、今はたゞ強伽小に於ける稔伽思想が速く阿含控典に沸るものであり、それ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 丈その蕾生的爽雄性を明かになし得る材料を牽見したから、次に紹介してこの節を終らう。 ︵一二三︶ 野間地第二璃伽鬼は祁特伽渾品類差別等の十九門の分別を馬して居る。その第三の節線には、1逼繭所縁境事、 2洋行断線級盛事、3善巧併線嘘喪.ヰ浄惑所縁境事を分別し、その娼一遍繊節線墳事の下に1有分別影像2無 心・隷・分別ミ根本分別 77
心・識・分別ご根本分別 一匹 分別影像.3事逸際性、4肝作成排の掴種併扱境串を訟蛸し、その総統に脊摩他由鉢合那二切軍兵寅事由巣 相磯事の霜満を詑き.その引証として親裁伐多・㌘已象・Re邑巨 の甜定瑞飾付に踊する経典を引用しておるもの であるJ ﹁二田︶ ヽヽヽ ﹁彿11[食骨悠長老故隷伐多詮如是義。曾聞長老頴森伐多、問桝要一い。大徳、諸有比丘勤修親行.是瑞伽師能於野 良安住其心。馬何於線安住其心、云何於線安住其心.奔何名演心善安住。 併合長老故殺伐多、善哉善哉.汝今菩能問如是義、汝今諦聴栃薄田心髄、吾首席汝宣詮開示.葛藤伐多、訪有比 、、、 ヽヽヽヽ 丘∵勤修魁行.是琉伽師純於併線安住其心.或粟渾行、或柴善巧、或集合心肺睨諸漏、於柏隅線安住其心、於相 ヽヽ ヽヽヽ 似線安住其心.於線無倒安住其心、於中不拾静應。L 次でこの川於相僻投函於相似緑伺於扱無倒に就いて夫々安住炎心を長文に亘りて解読し、世争の重唱として﹁行 者行諸相、知一切義、常於影静喝得鬱逼活浮﹂を引き、更に復改項‖として﹁於心拍適知、能受速離味、静慮常 ︹∴五りヽヽヽヽ 蚕食、受書架離染﹂を引用しておる。故隷伐多に就いては先づ樹一阿合弟子品に於ける﹁樹下坐膵意不移轄所謂狐疑 ヽヽ 離日比丘是﹂A篭許j杏叫。呂鼠id呂−日昌E−馴・2まP︵㌢−﹂舟︺を指すものであるが、弟子品にはそれに先立って ヽヽ ﹁坐辟入定心不錯乱、所謂離日比昏㌘Aggam腎a琵i打腎P計yPdi﹂邑芽邑。円邑㌢喜官と云はる1︼紆孟旨があ
る。後髭訂老偽丁訂畳h芸節用士一偏の内覧邑yOt訂rOであり、差禦望■六五八偽のぎ︷Pで
︵二七︶︵二八︶ あつて、舎利弗の弟と耕せられるものであるが、前者は長老偽筆二偶のlハ隻〓計≡︷Pであゎ、感興語一︰旨コPく一 ︸・に於て、執挿せる疑蕪辞開明し、賢−・岩︼ハ旨l㌢ききロ日工2︵i﹁巨・h写︹竃窒き一号の感興語︵こ二訂cika臣事釦︶を得 77βbr聾告邑澄g腎酎n冒 と著摩他・昆鉢合那の心安任を説いて後に鰐蜃より離越喀は常に坐群を好むと搭質されてお へ三〇︶ るものは、最もよくこの癒伽諭に於ける洩伽師の靡縁境心安住の解説に適しておるやうに思はれる。たゞこの両 人のレヴアタ何れも膵定の澤着であると停へられておるから、この牛角森林の脅合に於けるレヴアタやかの智度 諭に﹁歳蚊多常好生鮮﹂と云はる1ものは、その何れを指すか判断出来ない。今は塊伽諭が特にカンカア・レヴアタ を善蓮癒伽師と見ておるから、これに従ふて予はしばらく後者のを指すものと見ておく。 前節に於て唸伽師とは果して如何なる群を指すか、如何なる思想を有しておつたものかの大鰐を考へ、阿育王以 後過重前後に亘れる彿教敦拳界の付法件の長老.辞任によつて知られておる拳者達、大屋婆沙等に記録されておる ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 詩論師に大鰐その面影を見たのである。而てこの戒伽師の群は大鰐カシュミールやガンダーラの北方印度に線の ヽヽヽ︳ヽヽヽヽヽヽヽ 多いことが齢結せられる。この予の辿って来た研究の結果より、更に種々の駄に考慮を走せ探索し、弦に疎んだ怨 ︵三一︶ 考資料は南方巴別の滴蘭陀王閉経呂許dぢp撃∼−とかのリスプ汀イスが命名した併謂﹁塊伽師︵地︶論﹂ぎ㌢↓貫き↓仇 吉b已好kどp各色㌫琶r帥EOど︷i p農乳l賢罵已〇.鼻音き鼠:迫っ彗mpt訂−巨 ものであるから待者に関するものであらう。 たるK星雲腎e邑pである。戒伽論に哉頚伐多と云ふはこの﹁疑の多きレヴブタ﹂即ち国旨k亭㌘邑Pを音寄せる ︵二九︶ 乍然、掩伽論のこれに相嘗する経文を見出し得ないから明樅には断定し簸ねるが、かの中阿合壁品の牛角婆羅 林捉二計hおOSi恩P・邑tP/已∴正に於て月明の確かの牛角婆羅の森に諸弟子が心境の法昧を語り合ふた際、舎梨子の ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 間に﹁尊者合梨子、若有比丘、粟於燕坐、内行止不磨坐抑、成就於親、常好閑居、意安堵虞L Idh、賢g S腎i琶 心・或・分別ご根本分別 冒uy︻︼‡P賀i−・賢已邑Fぎ○−ヨP琵1呂Jyp琶コaコ冴ぇ0− 773
一六 心・識・分別ミ根本分別 ソⅠ呂邑とである。輔礪眩王閉経に就いてはテキスト〓版者なるトレンクナーノ.・ゴ⋮り訂ちが已に注意したやう ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ に、現テキストは解かに紀元一〇Cより二〇〇年の間頃のものであると云はれ、その柿木は紀元前第二世紀年頃 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 北方印度に於て梵語で善かれたものらしい。このトレンクナーの言語畢上よりの推定が、更に詳細に英評者リス デゲイズによつても考察せられ.その巴利阿合のー∵=語よりも現時なる語を多く有するこの経は、北方印度のプラ クワットか或は梵語の原典から巴別語に湖諾されたものと考へられておる。ギリシャ文化とインド文化招解の環 境に生じたるこの有名なる経は、矢張り北方印度の産物であり、その封請の主人公電軍巧忍琵na 即ち漢謬の那 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽ 先比丘は推察する肝、上述の線伽師の群れと客持なる闘係を有するものであらう。而てこの巴利原典に郎づる ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ y。g野呂賀pなる譜はもとその挽伽師の梵語竃g訝腎p、yOg賢哲箋 に基いて作られたる昔時の新しき巴利語の一つで ヽヽヽ あらう。或は最初の軽水が某プラクワットとすればその語の琉伽師を移植したものかもしれない。何れにしても その語の出づるこの経の第三部冒g琵nP・mi−i已P占l?p駄冨の初品の㌧。笛1⋮l・Pと掩後の試e且耳訂p邑−〇S冒巳三ニ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 六草−囲一七に亘りて頻出する3g㌻阿誓gぎ琵r昌pの語は甚だ注意すべきであり、その條下に説かれておる心浮 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 心止軌・心一塊の醸伽軌は前述の各種の癒伽師地諭の兎伽親と相通ずるものである。そこに共通なる醸伽帥の面 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ.ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 影を見出し得るから、大股これ等にて彿敦に於ける琉伽・疏伽行・掩伽師川心忍の初期抑泉を親王明称になし得たか ヽ ヽ ヽ と思ふ。 ︵二一七︶ 玄英人竺の木簡は戒伽師地論にありと考へられるが、その大藩恩寺三成法師博第−川に依れば、その常痔己に伶 ヽヽヽヽヽヽ 伽雄図Ⅵi已一計今の巴利彿致のセイロン島に一碓の確伽論が樽招しその聾者もあつた。而て玄基が偶々鮮鰭にて へ三七︺ 774
南印度建志城内認。言。⊇へ避難し来れるセイPン伶自在魔霊夢象m督e仏責P無品牙Ab首巳巳違⊇等三首藤人 に曾ひ問答し、﹁法師︵玄英︶引壌伽要文大節徽之.亦本能出戒貿S叫l臣註P之鮮。﹂と記録されておる。この玄其の 見聞記と閲係せしめて軒先すべきものにリスデブイズ出版の塊伽師︵地︶論Y患責邑m欝nu已がある。この書の 製作年代や著者掟不明のやうであるが、矢張り痛繭陀王閉経と共に北方印度よりの職人か或はその影響のもと忙 出来た一種の修行遣地経であ少、塊伽師地論と見るべきものである。而てワスプゲイズがその序論に蒐集してお ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ る阿含経典の蹄定・定憲止親行の資料はこの塊伽師の壌伽行戟を研究するに有益であるが、我々は更に廣汎なる 、、、、、、、、、、、、、、、、、ヽ、、、 ヽ ヽ ヽ 1 1 ヽ ヽ 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 親野と豊富なる研究資料を有するのであるから、この壌伽師の研究の完成も近き清爽に望み得られるであらう。 この彿教に於ける各種の壌伽師地論の研究に就いて、侭佳魂伽00啓kすp句品pなる知行合一の境を的示せんとす ︵ニニニ︶ るかの薄伽梵欧字蔓邑g回すの研究が甚だ重要となつて来る。﹁罪なき者よ.骨て示せし如く、此世に於て些一 種の見地あり、理論派︵信任即ち軟論︶の知識統一、寛修派︵塊伽即ち概念︶の行作統一是れなり﹂lOke、巨監卦id罫
向を指示しておるが、これが彿敦の塊伽諭に於ても常に開腹となるのであつて、途には般若塊伽或は慧度塊伽
音晋壱 の思想が起って屠る。而もこの梵歌がその各品にS賢茸Py。g≡ぎ理論壌伽品、Rarm罫書腎遍。 ヽヽヽ nぎ。速離行作穂伽品、ぎ︼箋首2p詔⋮賢。自我制如癒伽品等として常戒伽品と云ふのであり、かくして一経、ヽヽヽヽヽ1ヽヽヽ 晶璽ハ或は糠伽決義了我とも命名せられ、稔伽師地論本地分学問地と菩薩他の二地の各品が凡て塊伽鬼yOg邑詳p 、、、ヽヽヽヽヽ をY。g乳賢P塊伽経典と名付くるのであるが、これ全く前述したやうに沈密鮭の蒲勒菩薩問品第九が分別壌伽 n葱b帥pur軌.prOぎ削mp箋n品訂こ別納JpyOJqenp
心・哉・分別ミ根本分別
鼠卦kす馴一品卦.村雲mp
Ogenp yO望npm
として己に般若と壌伽行のこの動
心・撃分別寸J根本分別 一八 と附帯せしめられ、かくて一論全部が﹁旅伽師地諭﹂と命名せらる1趣と相似ておるのである。而も宥和功利的行 作−§︼。に非すまた著暴悪取の不作pk2pに非ざる離作二量ハ胃mP︵≡ふ︶を詮きーまた分析的認識智宮口邑t ヽヽ に封して邁範組鰹智Pざl邑tを詮く梵軟はまた彿教の般若方便琴線伽善巧相應行忙相通するものである。これ
、、、、111 111111111111 111111111111111111ヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽ 等竺方はクル
・。ハンチャーラ芦ru監c已三方は迦観挺幽の北印度の土地に創作せられたものとしてー共通な 、、、、、、、、1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ る爽雄性を有してお る鮎よりしても、印度彿教としては両者の比較研究は甚だ重要である。 五 ヽヽヽ 般若・十地・腐伽を通じて強調せられたものは菩薩の畢b。d己皇軍農pと菩薩の行bOdb賢言責官の撃と行の ヽ、ヽヽ111ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 、、、 問題であ電が、その根抵をなすものは菩薩の菩提心であつた。而も1拳﹂芝垣が先づ啓聞他に費遷した歴史的事 ヽヽ 貨揉、啓尚東と呼ば一り1阿昆虫の法門では聖者を四向四果の八賢聖とするがこれを畢・無畢或は有拳・無拳変・ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ k軍A㌢厨扇に大別するに由つても了解出衆るであらう。挙が祓鮎であつたのである。かの法執持DFr邑1替孟 母執持声音db腎aの専門的研究家が阿昆達磨論師ぎEd腎n旨心相法相研究の専門家となつたのであり、かl る分類や註膵を得意とする博畢の群れを更に鬼婆沙師ぎ1b︸息k呈呼ぶのである。乍然、彿敦精細は必ずしも常 にか1る専門的研究に従事する聾者の額頓にのみあるのではないことは明かでありーこ1に前述した親行の草域 家として定執持Dh首已詳pもあ少、戒律の侭風行儀に専心する戒執持くiコ蔓dぎPもあり、通俗民衆に封する ヽヽヽヽヽヽヽヽ 布教を事とする説教師D訂・・⋮已ハ邑−ikPもあつたであらう。たゞそのうちにありて群奇の彿教を彿致しょうとする 全鰹的立場に克つ中道行者は、それ等の何れかの立場にあわつ1もー而も常に賓按行を重んじたものであらう。 ア7ぴヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ そこに大終に於て啓開の撃に勤して菩薩の行c弓y抑が費超したものである。これは﹁根本彿教と俳敦拳﹂﹁兇及び 費支と菩薩菩提分法の研究﹂の論文に論述せる如く、菩薩が何れの大乗経典に於ても菩提心に基く﹁教趣大乗﹂が 最も塞く考へられ、それが皆﹁云何拳、云以修行﹂と云っても、その畢せねばならぬ整骨す煽巨と云ふことが何 であるかと云へば、菩薩行を聾すると云ふに外ならぬのである。そこに菩薩に於ては拳は甚だしく鰹駿的・思想 ヽヽ 的となつて凍ておる。即ちわく\iが動向となつておる。波羅蜜の思想が中心問題となつて禿たのである。かくて ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ、ヽヽヽヽ、ヽ● 菩薩行・政経賓行・菩操行と凡てが﹁行﹂が表になつておる。かの四境事の利行邑halC弓甘にせよ同事琶削ll賢訂t−. ヽヽ ヽヽヽヽヽ にせよ、大悲悠首打宅u写p彗l邑笥2掛tにせよ、兎に角大乗菩薩に来って新しい成鮎が開けて来たのであり.啓開 ヽヽヽヽヽヽヽヽ の﹁拳﹂に限界があることが明瞭に意識されて来たのである。 この行c弓箋が或はE腎寧pr註d阜p腎amit酔何れも遺とか度として葦践的な動向を示すものが表に立って禿た のである。大乗詳試3.npの如きy釦npも矢張りこの行の動向を示す言葉である。 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ かくてこの章の最初に云ふた様に、中学行・草地が大乗彿教を一貫する精細・戒鮎・方法となつたのである。 予は今こ1にこの根本的動向を﹁行地﹂C薫製bぎiと名ける。さればかの入法界不二行の如きも普賢行と云はれ ておるが、これは﹁普賢行地﹂の思想であり、上述の璃伽も賞は﹁塊伽の行﹂3gp捜であつて、大乗菩薩行とし ては、これを﹁稔伽師の行﹂y〇gi・e弓官と構し得べく、啓賢行に像りてこれを﹁粥勒行﹂ぎitre胃e弓y帥と表現して ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ もよい。かくてこれは﹁醸伽行地﹂﹁璃伽師行地﹂﹁禰勤行地﹂として考へられるものである。この行地の行が通常 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 雪盲として表はされて居るが、同じい語根より来て居るe帥2が用ゐられてもよく、而てその例もないではない。 心・識・分別ミ根本分別 777
元葺勘同線録第八﹁雲、薩腎恨汐布鹿迦沙悉特囁笛鄭卿鮭訂麻﹂に擦られたものである。警にその
︵三九︶︵四〇︶ 後一方ケムブリツヂ固書館断裁の漁伽論菩薩地宮dhγsp誉茎︼ぎiの梵木が研究せられ、他方印度に於ける他拳派 ︵四一︶ の鈴音の記事により、更にまた西戎謬琉伽論の表題の査定等によりて掻ぽと訂正せらるべきであると云ふ詭ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
をなす畢者が多い。乍然、それ等の拳者の読も何が故にy患c腎でが誤停であるかと云ふ論評を伴はしめて居らヽヽ
ないのであるから.この間紘は未だ決定されないものと見てよい。語草者の詮は皆註に列記しておいた如くであ るが.今は問題を明碇にする席め予の考を運べよう。予生別述の如く玄莫辞の塊伽論はこれを﹁稔伽師地論﹂と潮諾するを最も遠雷と見ておるのであるが、その壌伽
︵二︼九︶ 條博士の英澤大明三蔵聖教目録字・u冒S旦Pdp、苧b試邑︵k草加賢rP・でg腎腎ya・b試nli 心・識・分別ミ根本分別 二〇 ︵三田︶かの賢聖行住併族倶生威力首ぼi許畠音訂監B鼻息prPb許廿とか∴議書薩の竺膠解行嘗薩任膵
︵三六︶ 解行地。dhi2u買はほ坤bbぎi賢i︷。b。dbi星言ご已巨亡k仁徳とか.悪行pr恩師・悟賂とか手近い塊伽論菩薩地にも か1る例はある。その他、大乗精細の顛現としてかの彿所行讃とか彿本行集経の如き骨彿併行ぎddhp・憎ぼであ り、或は本行戒各pi嘗。として用ゐらる1ものもあるが、皆﹁行﹂忙外ならないのである。されば塊伽親行も ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 還aが己に親行であり、壌紙J。ginとすれぼ敢行着であり塊伽師忙外ならないのであるが、大乗菩薩行の﹁行﹂の 、、、、、、、、、、、、、 、、、、 、、、 ヽ 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 思想の浸潤よりして立に特に﹁壌伽の行﹂としてy。gp・侶悼或は 3gp愴の言葉が生れ出づるわけがある。 近代になつて﹁壌伽師地論﹂完語の原名は何であつたかざ問題盲せられて禿た。予な先づ註に靂祈師﹂に関す る従来の聾者の詮を網羅しておいて論述に移ろう。最初は西紀千八百八十三年︵明治十六年︶出版にか1わる政商 であらう。然しこれはもと至 7アβ研究から由来しておるのである。先づ行の思想が﹁塊伽の行﹂3g号包云廓∴苫g?昏pを蓉建せしめたと見る。それが 壌伽の行を行する人・塊伽親行を主義として葦接する人・その傾向に腐する人々即ち﹁塊伽師﹂を表す場合には、そ ヽ ヽヽヽ れがy。g抑e腎yp一y。g腎腎pの一語を合成したものであらう。苫ga・C罵y馴こ。ga畠⊇ としてはそれはたゞ塊伽行に過ぎ ないのであるが、3首晋箋yOg官許pの一語となつて行名著・主義者を表現する場合には一種の複重韻ゴdd已の ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽ 発化を伴ふて新しい一語となつたものである。それは行ではなくて人であり師である。かくて里長腎腎冒でg腎腎p ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ は執行者として苫ginに外ならないのであるが、只そこには菩薩行b。dbis星亨Car甘の思想が浸潤して居るから、 、、、、、、、、、、 、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1 1、1 ヽ ヽ 1 ヽ ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ そ こには同じく戟行者・修行者を表しっ1も思想的の辿りに於ては幾分の相異をそこに認めなければならない。 、、、、、、、ヽ ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 勿論この塊紙yOgiはy患c腎pとは互に本質的な偏りを点すと云ふよりも.か1る思想費達に於けるある爽雄性 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ の異りを反映して居るのである。これは註に示す如く両者ともに沸教の論書に於て離二連中道無我行の彿敦者を 表示するに用ゐられ居るによりて明かである。更にまた両者が苫gご患舅賀↑或は時に︰苫g叫3g腎腎pとして相 ヽヽヽヽヽヽヽ 並んで使用せられて居る肝に両者のつながりとけぢめを見るべきであらう。かくyつ管ぎは塊伽行者即ち壌伽師 を表す言葉であるが、後代に来りて外道他拳派が彿敦を中戟少註す冒芽p壌伽Y。菩ぎ軽量部辞宣旨邑F昆婆 ヽヽ 抄師く監b厨詳Pとしてこれ等同派に代表せしむる如き時代には、それは特に壌伽唯講演の意味忙限定されて新し 、、、、、、ヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ き爽雑性を附帯するに至つて居る。かくy怠cぎには新しき磯性を加へては来たがその本来の意義は﹁琉伽師﹂ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ を示す語であることを忘れてはならない。かくて若しかの稔伽諭の梵語が苫g紆馴⊇であつても、それは﹁璃伽師﹂ 師の梵語を邁元するに必ずしも 心・哉・分別モ根本分別 yOgaearyいl を誤寄とは考へないのである。それ昼前蓮の﹁行﹂﹁行鞄﹂の根本問題の ア79
二二 心・哉・分別亡根本分別 地論と辞すのが、彼の如き組織を持つ彼の諭としては最も通常なのである。その組識忙ついては己に前述した。 加之、玄共に於て師と渾さる1例は鬼婆沙師ぎib11忍i打Pがあり、阿施達磨師Ab藍b腎2i−ハP電喩肺患r萱nti−︻P等 がある。 ヽヽヽヽヽ かくyOg糾c腎?bケぎiが各種の塊伽論一般の名として査定された場合もそれを玄其の如く塊伽師地論と辞するの ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ が必ずしも不適常ではないのであるが、問題は更に弦に切りつめられて、然らばその菖時雨様の撥伽師の竃し方 ヽヽヽヽヽヽヽ があつたか香か、玄共にその両種とも知られて居ったか密かと云ふことである。これに続いては至元法賢勘同線 鋲の欲迦茶囁牙に依れば﹁牙﹂はyaを賞すのであるから南條目録の如くy。g釦替竃と邁元すべきである。この外に 玄焚慈恵の手記でもあれば誠に面倒がないのであるが、只事懸りとなるものは、かの碗伽諭記の﹁印度本音、滞 日塊伽3gP、唐無正名﹂、﹁梵言阿逓羅ふ多分凰、此云師﹂、﹁梵云歩弼b宕mi、此云地者、生成住持義也﹂の記事で ある。これに依れば明かに︰3g蛋r竃が原名であつたと査定され、それを昏厚ほと分解して解挿して 居ったのである。惰ってその塊伽師と云ふ評語は恰も、誓噴i料替.苫﹁塊伽﹂﹁師﹂と云ふ二語が持合して出撃し居 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ るのであるから、若しそれが苫g腎腎pであつた場合には彼等は果してこれを﹁諌伽師﹂と讃しはしなかつたであ ヽヽ
ヽヽヽ
らう。それは∴苫g腎腎p計二苫g守賢rpこOg守g腎Pと種三冠叩に分けて見ても、そこから決して﹁魂伽﹂㍉師﹂といふ 評語が生れ出ないであらうから。然し一先づこれは論記の著者の考へ方であるとしておいて、慈恩の見方を探ら う。塊伽略審では矢張り﹁塊伽﹂と﹁師﹂とを二語と見て、その両者の関係を例に依って﹁師有塊伽.郎有財樺。塊 伽之師、依玉梓也云々。﹂と云ふて居るが、Lこれは彼の成唯識論連記巻ニ﹁二本、三〇右左に﹁連日。言塊伽者、 7β0、、、ヽヽ 名馬相應.此有五義、故不別働。︵中略︶魂伽之師、郎依士滞。師有璃伽、名戒伽師、釦有財梓。著書癒廠.郎載 行者、是師之碑㌔と解説せるものと殆んど同じいものである。この連記の記事は琵に成唯識論十巻中に〓二同文 出て居る﹁壌伽師﹂の証記なのである。大鰐この二偶の文よりして推察するに、彼も矢張り﹁塊伽﹂﹁師﹂3g竺ざ号竃 の二語の賄係の上に漁伽師の意義を説明しておるものである。 以上は我々が有する甚だ貴重なる材料であるが.y。g馴昏箋は果してyっgP・g腎ypの如く二語が合成せられて、 初めて塊伽師となるのであらうか。玄契俸を常誤とか誤停とか批議しておる諸畢者も漫然とこの解輝を認めその ヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ、ヽヽヽヽヽヽヽヽ 基礎から非赦しておるのである。この粘予のy。g買pまこ。写実.p漁伽行なる大森菩薩の﹁行﹂の基本型からして、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ その壌伽行を鷺接する親行者の人々・塊伽行者の群れ飢ち癒伽師を指す言葉が出来たと見るものとは甚だしき程 ヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽ 程があるのである。等しく唸伽師の謬語を認めつ1も、予の見方は菩薩の根本布地より来っておるものであるか ら、塊戚・稔伽師・穂伽行晰として常に行他の基本を離れないのである。それ故に竃g釧e腎Pも3g冨r苛もこの行 場の表現とする見方からは何れを正傍と区別しえないのであるが、他の用例を参照する際には前者には参考資料 多きに拘らす、後者に至ってはその用例や1芝しいのは目下の慮甚だ遺憾ではあるが.必ずしもそれを誤富であ るとは考へないのである。 ヽヽヽ 玄奨の塊伽論の塊伽師の原語査定に就いての普面の資料は以上にて明きるのであるが、弦に傍鐙的賓料を述べ やう。それは玄莫繹の倶舎論第二十二三十三・分別輿望品第六に出する﹁漁伽師﹂が、眞謝辞の倶舎群論第十六・ ヽヽヽ︵三七︶ 分別聖道具人品第六では載行人と辞されておる。これが荻鹿博士校訂の硝友Yp㌻已trP の梵文倶食滞論では 心・哉・分別ミ根本分別 ㌢βJ
心・識・分別ミ根本分別 二四 隆ぼと讃5.とが併用されておる。これは月稀の梵文中論証や梵文捗伽経にも併用されて寧り、巴利蒲閻陀 王閉経にはこ点号こ点曾勇買が併用されておる例に比照が出来るから、可なり有力なる慣相法を提供するもので ある。この事寒から玄柴澤倶舎論原本にもy。g註rPとあつたものを玄奨が壌伽師と詳したのであると推測出来 ぬことはない。この第一の推測を推して塊伽論原本も葦は3的註raであつたのであろうと弟土の推測を濱すこ とも強ち無理ではない。それには現俸の梵本菩薩地では判然と3g腎賢pとなつておる密接もある程であるから。 その他玄饗の戒伽師の評語の研究に就いて、上述せるもの1外更に拳ぐべきは、境大乗論巻上肝知依分第二−阿 規耶諭四種差別の第四相貌差別に於ける三嘆と長行のうちに出づる塊伽師と顛揚聖教論の販敬序に田づる塊伽師 鞄論、大唐西域記や大藩恩寺三蔵法師停のうちの埼伽師地論・塊伽論などであろう。このうち塙大乗論には幸ひ 笈多渾の親行者・擬人、眞静謬の修戟行人・戟行人・崩多繹の諸行人・行人の異辞の封照すべきものがある。こ れも可なり有力なるものであつて、かの玄奨の大昆婆沙の詩魂伽師が浮陀軟摩道春辞の蕃浮では行者・行人.伶 伽躁澄辞の戸陀奨厄婆汐では行者となつており、之等評語の比較研究よりして大鰐その原語が一定しておつたの であると推測せられる。且つ倶合本諭も群論も管な大昆婆汐に依って出来ておるのであるから、その群論に y。g冨⊇こ。gi。が併用されておるとすれば大昆婆沙も多分両者を併用しておるのであらうと弦に第三の推測がな ︵三七︶ される。梵本捗伽経でこの南譜が併用されておるのは ぎ計告首ぷp∃であるが、これは賢叉難陀の七翠冴 伽春六軒食肉品第八、菩提流支の十巷捗伽巷八遽食肉品番十六に各ヱ相普文があるが全合と些玄ひ難い。殊に求 那炊陀拝顔両怨療伽番四一切彿語心品には果して両者が併用されておつたか青か疑問である。この拷伽経の苫g㌣ 7∂β
ヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ C賢p には講評何れも戒伽師とないけれども修辞には役立つであらう。これ等の種々の推測より結論を導くなら ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ば玄莫の﹁壕伽師地論﹂の挽伽師も苫笥c腎pとあつたものであらう。 この3g腎腎pを橡伽行師・鎗伽師と繹するのは何等差支ないと云ふ予の見解は前適した通りであるが、たゞ ヽヽヽ かくすれば連記や論記のやうにその﹁師﹂は規範師訝智慧r の師であるなど1張辞出来ないことになる。この漸最 悪の推測をなすならば塊伽師と先づ辞したのであるが、その﹁師﹂を二ぎ号竃と逆に適用して二語となし弦に俵士 秤とか有財群を輿して六合繹を弄用したものであるとすれば、彼等の議論は甚だしく戟静的のものであり、後人 を誤ること頗る大なるものがあると云はねばならぬ。この筆法からすれば昆婆汐師・阿昆達磨師、誓喩師の﹁師﹂ が骨な野営苫の繹であると云ふことにも.なる。壌砥3g叫は﹁師之稀﹂であると云ふており、これ丈けは 賢哲竃 がなくとも師と看撤しておるやうであるから、か1る推測も馬されぬとは限らない。乍然、か1る種類の推測は 玄奨慈息の如き拳匝に勤しては論接も棺主薄由であり、資は甚だ不幸なる推測であるから、一往これを保留して おいてもよい。 最後に然らばこれを修改に随ふて 3思e腎苫と焉すにしても、これを予の如く行地より解輝して稔伽師となす ヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ のではなく、これをyOg甲腎腎苫と分解して膵絆するのは、甚だしく俗説的な解将に陥っておるものであると予 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ は明瞭に云ふておきたい。 以上予は戒伽でgP掩伽行てg買2窟 でg貢ぎ掩舐でg㌻唸伽師y〇音ざさy£賢rP﹀y〇嘗窪弓Pに就いて夫々 彿数的立場より考慮を回らし∵特に癒伽師が種々多様な形鯛心の下に用ゎられておることを綜合的に研究開明し、 ヽ ヽ 心・鼓・分別ミ根本分別 7β3
新しい問題を拳界に提供し、また自らの新説をも述べたのであるJ従来の単著の説は優にこれを網羅して寸評も 添へ予の論定の資料となした。識者の批評を得れば幸であるJ 駐 ︵一︶ ﹁宗教撃論き、東京帝国大撃宗教牽講座記念曾腐、昭和五、四三頁−五三貞。 ︵二︶六十及び八十華厳では﹁入法界品﹂嘉L、その別諾たる四十撃厳ほ時に﹁尊賢行麟品﹂芸ふ。=れ蓄財童子が文殊 ヽヽヽ の智によりて蕾菩提心L速に普賢行−ニ記入する食めであろ。梵文テキストはG旦aま訂電撃樹荘厳ミ云ふから、 本鰹が大方廣併華厳響1秤ぜらる1ミ同棲に詩的文畢的構想表現耽るが匁東た名付けられたものであろ。 ︵三︶ 根本中の研究、四八二頁、五〇二頁。 ︵四︶ 同上、四八九頁。 ︵五︶ 輸伽論証、一上、〓ハ右。 ︵六︶ 日本俳歌畢協骨年報第二甲、昭和三、﹁嘗喩者、大徳法政、童受、喩璽論り研究﹂。 ︵七︶ 輸伽師地諭秤、社七、山左−二左。 ︵八︶輸伽論記璧竺之上、論本第一巷、大串2eよぎ成唯識論連記集成編巷第八疏竺本之一、大声−謡P・輸 伽師地論略纂、大た〓㌢−b. ︵九︶ん最勝子Jin眉喜a﹁輸伽師地論梓﹂には諭伽師地昆十七地晶ふ⋮、更に叉十七地具掻︼切文養略壷、後之 ヽヽヽヽヽヽヽ 四分、皆楚解繹十七地中諸誓文義故、亦不離輸伽師地。由是此論用十七地、以殉宗要﹂晶繹J、﹁輸伽諭由﹂の著 者もこれを俵用Lて居王云。牲七、二左。大∽○0000訝. ヽヽヽヽ 比婆鼓撃且法師何には十七地坪ざし=れを経邑rPミ禰Lて居ろ。﹁礪勒印加英断、於夜時、下問浮提、於大光明 ヽヽヽヽ 廣集有線衆、於祝法堂、涌出十七地歴、随所涌出随解其義。種四月夜解十七地経方茸﹂戒九、〓六有っ大声豪b 心・我・分別ミ根本分別 7βま